雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2012年11月03日
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カテゴリ: 動物愛護法関連

 今日は祝日、文化の日である。なぜこの日が文化の日かと言えば、1946年に日本国憲法が公布されたことに由来していることになっています( 本当は、11月3日は明治天皇の誕生日で祝日【大正昭和期には明治節】として定着していたため 。憲法については、施行された翌5月3日が、別に憲法記念日として祝日となっている)。「ケンポー、ケンポー」と耳にするわりには、中高校の社会科のテスト前に摘み食いした程度の知識しかないのが普通でしょう。
 私個人は、第九条の 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」 は、現状と明確に異なるので、条文を改正するか、現状を改めるしかなく、残念ながら、軍隊の放棄など国の自殺行為なので、条文をさっさと変えるしかないと思っています。また、 憲法の改正に反対するいわゆる「護憲」とは、頭のぼやけた人の戯言 で、本当に憲法を護りたいなら、条文通りに軍隊の放棄を主張すべきであり、それが不可能なら、現実に則して護れるものに変えるのが、真っ当な遵法精神だとも信じています。
 しかしながら、都知事を辞された石原慎太郎氏などの保守むしろ右翼的な方たちの一部が主張されている、占領軍から押し付けられた憲法は、そもそも無効、とする考え方には賛同できません。押し付けられたものであったとしても、それを基本法典として現在の日本国は存在しており、我々はその「平和憲法」のもとに育ち、それを尊重するように教えられてもきました。それがそもそも無効であったと主張される人は、この 60有余年もの歳月を、一体どちらでお暮らしになっていたのでしょうか?
 長年存在する国の基本法典を全否定するなど、無茶苦茶というより自暴自棄で、天に唾する行為でしかないと私は思います。もしかしたら、改憲すら難しいので、元々の存在を否定しようとの思惑なのかもしれませんが、それは大胆な発想の転換のようで、実は大雑把かつ姑息な問題のすり替えでしょう。変えるべきなら変えるべく、堂々と主権者である国民に訴えるべきです。

 それはともかく、昨今、個人的関心をもったペットの「里親」募集掲示板の禁止事項の問題で、国民の権利を理解されていないことを、改めて認識させられ、少々呆れています。有償を否定したり、羽数を制限したり、安易にそのようなマイルールを設定しているのですが、それこそ国民の財産権を否定しかねないルールで、それを疑問も感じずに掲げてしまえる感覚が、私には不思議なのです。
 せっかくの文化の日なので、少し日本国憲法を抜き出してみましょう。

第十一条
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。

 基本的人権にはいろいろありますが、この際に改めて認識すべきは自由権で、そこに財産権が含まれます。財産権とは、自分の所有物を自由に処分する権利を有するといったことで、これは明治帝によって欽定された大日本帝国憲法でも、第二十七条に「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」とあるように、国民(当時は帝国なので「臣民」)に認められていた権利です。
 ようするに、国民の一人であるはずの飼い主が、 自分の所有物には相違ないペット動物を、有償であれ無償であれ、それを譲り渡すことを妨げることは、本来、有り得ない行為 なのです。それを阻めるのは、「公共の福祉に反する」場合に限られますが、有償としたり多少回数が多い程度のことで、「公共の福祉に反する」と、私人に過ぎない掲示板の管理人が。判断出来るはずもなく、判断しようとすること自体がおかしいと思います。
 もちろん、自由を享受する国民は納税の義務を負っているので、有償で収入を得ていれば、申告対象になり、申告しなければ脱税行為となりますが、それは自由権とは別の問題であり、掲示板の管理人の関知することではないでしょう。

 日本国の国民が保障される基本的人権として、財産権や先日触れた請願権(法律の不備に異議を唱える権利)を、肌感覚でも認識している者なら 、「年1回1羽」などとの規定があるとしたら、「おかしいな?」「なぜだろう?」「公共の福祉に必要なのか?」と疑問に感じない方が不思議 です。疑問に感じて、法律やそれに付随する施行細則や省令類をながめるれば、どこにも「年1回1羽」などと、個人の財産処分の権利を束縛する規定は無いのはわかるはずです。
 「動物愛護法」は、「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のすべてを有する者を、動物取扱業の登録対象と定めていますが、当然、個人財産の処分を束縛する意図はありません。素直に読めば、個人ではなく営利事業に相当する者に、適正な動物の取り扱いを求めているに過ぎないのです。繰り返し、繰り返し、さらに繰り返しになってしまいますが、一つ一つ見てみましょう。

 この法律では、社会性とは 「特定かつ少数の者を対象としたものでないこと等、社会性をもって行っていると認められるもの」 のこととされています。これを単純化して理解するなら、 適用対象は、不特定多数を平等に扱うお店に限られる 、で良いかと思います。営利を得るために、いくらいくらと値札をつけ、その額を払いさえすれば、誰であれ売らねばならない立場こそが、明確に社会性を帯びていると見なせる存在なのです。
 実際には、いろいろな業態が存在するので、明確な線引きは難しいと思いますが、個人の「里親」募集を、これに該当すると見なすのは難しいところです。応募者個々と交流をせず、 先着順で売り渡すようなことを繰り返せば、実質的にペットショップと変わりませんから、社会性が認められる可能性が強くなる 、くらいに考えておくのが適当かと思われます。

 「頻度・取扱量」については、 「動物等の取扱いを継続反復して行っているものであること、又は一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているもの(例:年間2回以上又は2頭以上)」 とあります(法律の本文には存在しない)。継続反復とはどの程度の期間か、多数とはどのくらいの量を指すのか、ペット動物として扱われる種目は膨大で、それぞれで生態が異なるためか、細かくは規定されていません。「例」はあくまでも想定種目を明示しない不明瞭な目安に過ぎないので、 それぞれの生き物を取り扱う者が、常識的に判断 するしかないでしょう。例えば、犬なら年に1回繁殖する程度、つまり、5、6匹と考え、一度に生まれる数は同じくらいなので、この数量を 文鳥にそのまま当てはめれば、年5、6羽 となります。しかし、この規定は、次の要件である営利性を合せ持つ営利事業としての取扱業についてのものですから、営利性を基準にその小売価格で判断するなら、犬1匹5万円とすれば、6匹で30万円、文鳥1羽2千円とすると、・・・150羽!となってしまいます。
 個人的には、生き物の価値は何であれプライスレスですが、市場価格は存在し、犬の単価は文鳥の数十倍なのが現実です。「動物愛護法」は、「犬猫」という文字が頻出するように、文鳥の数十倍の市場価値を持つ犬や猫が、悪徳業者の不適切な環境で繁殖・展示させられている現状に対処する目的を帯びているので、そのまま他の生き物に適用させると、おかしなことになってしまいます。例えば、犬の場合は予防注射代など、無償であっても問題の発生する余地が大きいでしょうし、文鳥の場合なら、畜産動物として農家が繁殖させれば、同じ生き物の繁殖であっても、「動物愛護法」の適用外となります。それぞれの生物種により、問題はいろいろあるわけです。
 結局、数量について不明、頻度については、 1つがいで年1回繁殖くらいを基準にしておけば良い のではないかと思える程度かと思います。

 営利性とは 「有償・無償の別を問わず、事業者の営利を目的として行っているもの」 のことで、この点繰り返していますが、有償であっても、実費などのみで営利性が認められなければ、問題とはなり得ません。営利とは利潤(儲け)が出るということで、当たり前すぎる話ですが、 必要経費は受益者である利用者が負担すべきもの です。ペットの「里親」募集の場合なら、受益者は応募して譲られることになった人ですから、その人が必要経費分を負担しなければ、おかしな話になります。
 もちろん、本来自分で飼いきれないので、引き取っていただく面があるわけですから、必要経費がいくらだったかなどと算盤勘定をせず、しっかり飼養できる人を選ぶべきでしょう。しかし、それは人それぞれの考え方なので、本来、他人が強制はできません。一方、そうして選ばれたまともな人なら、相手のこれまでの時間的経済的負担を考え、 手土産くらい持っていくのが社会の常識 で、これを禁止などできません。私が手土産が欲しいわけではありませんが(第一、「里親」募集をしたことがない)、常識は常識であって、それが分からなければ非常識になるだけで、この場合、相手の苦労を忖度できない態度と受け取られてしまうでしょう。
 個人と個人の常識レベルのお付き合いは、営利事業の店と客のドライな関係とは異なります。何かしてもらえば相手に何かを返す、当たり前のことです。手土産はありがたく頂いて、その代わり、エサでも用具でも差し上げるのが、普通の感覚でしょう。一体どういった社会生活を送れば、そこに損得勘定を持ち込んだり、金銭・物品の授受は禁止されている、などと、政治家と有権者の関係のような特殊なケースだけで適用する話が持ち込めるのか、私は大いに不思議です。もちろん、それを禁じる法も個人も、この自由民主主義の国には存在しません。禁止事項の「マイルール」を掲げる掲示板があれば、その管理人は何か勘違いしているだけです。

 このように書き連ねると、やはり難しく、かつ、くどくなりますが、3要件を満たして動物取扱業の登録が必要なのは、それで儲けている業者、と見なすしかないと思います。 営利のために社会的に開かれた取引を続けている存在 、これに当てはまる掲示板の利用者がいるとしたら、それは既に普通の飼い主とは言えないので、登録すべきでしょう。そうでなければ、適用外なので必要ないだけのことです。
 所有物の処分の自由は、最も基本的な国民の権利のひとつです。それを束縛することは、基本的には出来ないのです。見当違いな個別法の解釈をして、権利を奪うようなことのないように、お考えいただきたいところです。






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Last updated  2013年06月17日 15時59分13秒
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