ゲミュートリッヒな暮らし~Seit 2005

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ワルツからお菓子まで~ハプスブルク文化の愉しみ

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ワルツからお菓子まで~ハプスブルク文化の愉しみ


★オーストリア=ハンガリー帝国崩壊から100年
 ヨハン・シュトラウスのワルツにオーストリア臣民が熱狂してた頃、もはやハプスブルク帝国は死にゆく老体であった。あの有名な「美しく青きドナウ」も、普墺戦争に惨敗した祖国を奮い立たせようと作曲された訳だった。そもそも、ハプスブルク家が得意としたのは戦争ではなく外交だった。政略結婚や文明の威光に頼ろうとしたが、帝国の衰退を止めることは出来ない。列強との駆け引き、帝国内多民族との協調、複雑極まる諸問題を抱えた先に、最後は「一発の銃声」で世界大戦を引き起こし、「鉄と血」によって滅びることになったとは、歴史は残酷なものである。
 でも、オーストリア的生き様は無意味とは思わない。親戚付き合いは重要である。人様とのお付き合いに芸術鑑賞はハナシのネタになるし、おいしい珈琲やお菓子があればなおよろしい。ハプスブルク文化は仕事の役に立たないけど人生を豊かにするのだ(笑)。そうだと信じて、拙者が是までに触れたハプスブルク=オーストリアの様々なネタをまったりと語っていきますよ!


すみれの花定期預金で宝塚歌劇「エリザベート」のチケットが当たった!


 平成30年8月1日、 池田泉州銀行 から郵便が来た。いつもの投資信託の勧誘だろう、と暫く開けないでおいたのだが、翌日になって徐に中を開くと、池田泉州銀行イメージガール有沙瞳様の広告チラシが入っている。其れだけでない、宝塚歌劇の公演案内のチラシも入ってる!添付されている案内文書を読んで目が点になった。すみれの花定期預金の抽選に当たりました、と。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊の伏線でもあった皇妃エリザベートの生涯を、宝塚歌劇から読み解くことになるとは何たる大事件!其れから起きた諸々のお話は →こちらからどうぞ・・・


これぞゲミュートリッヒ~デーメルのチョコを頬張りつつ


↑バレンタインはデーメルのチョコ です。

★ハプスブルク帝国とは何だったのか~お菓子を頬張りながらまったり語って行きますよ!

 2018年、かつて中東欧を統治したハプスブルク帝国 (オーストリア=ハンガリー帝国) 崩壊から100年が経過することになる。オーストリア=ハンガリ―と聞くだけで、何だか古臭い時代遅れ国家と云うイメージが重なる。ある歴史書にこんな記述があった。当時、帝国陸軍の演習風景はまことに牧歌的であったと云う。皇帝は、煌びやかに着飾った歩兵や騎兵が美しい隊列を成して展開するのを眺めていれば満足していたそうだ。普墺戦争では、近代化されたプロイセン軍に惨敗を喫した。ウイーン体制における鮮やかな外交的主導とは裏腹に、彼らは其の後に起きた戦争に負け続けたのだ。斜陽の老大国、と云うイメージを抱くのも頷ける。

 水木しげる著「劇画:ヒトラー」を読んでいて、ヒトラーが出身地のオーストリアではなく 帝政ドイツ 軍に志願した理由について、自分はハプスブルク家なんかの為に戦いたくない、ドイツ人はドイツのみに命を捧げるべきだ!と叫ぶシーンがある。何故ヒトラーはこれほどまでにハプスブルク帝国を嫌ったのか?理由は一つ、其れは「多民族国家」だったからだ。
 おや、待てよと思う。ドイツは、同じドイツ人同士なのに統一国家樹立まで随分と苦労した。対するオーストリアは、雑多な多民族を抱えても統一国家であった。少数のドイツ人が諸民族を支配する「牢獄」などと揶揄されてはいたが、いざ帝国危急の際は、どの民族も共に銃を取って馳せ参じたのである。
 多民族国家を維持できたのは、ハプスブルク家の外交的手腕や、高い文化力を背景にした帝国の威光が、人種を問わず人々を束ねたからだろう。一つの帝国としてまとまっている以上、列強の侵略からは守られたし、国際関係にそれなりの秩序と安定をもたらす、此のような観点に立つと、ハプルブルク帝国の存在意義は意外に大きなものだった。だからナポレオンもビスマルクも、軍事的に弱体化したオーストリアを解体することを躊躇したのである。
 第一次世界大戦に敗北し、ハプスブルク家の支配が終焉した後の東欧諸国の運命は悲惨であった。小国分立は大国の介入を安易に招き、後にナチス・ドイツやソ連の蹂躙するところとなる。其れは正しく「この世の地獄」であった。

 ナチズムや共産主義による破壊を生き延びた人々は、かつての帝国時代を「古き善き時代」と懐かしんだと云う。かろうじて残った文化文明に値するものは、ほとんどハプスブルク時代の遺産なのだから、そう思うのも無理はない。ハプスブルク帝国は「諸民族の牢獄」などと揶揄されながらも、それなりの平和と安定を国内外にもたらし、後世の人々にかけがえのない文明たるものを遺したのは、誰もが認めざるを得ない事実だろう。


↑よく聴いたマーラーのCD~昔はシュトラウスのレコードも聴いてた!

 シュトラウスのワルツからマーラー、ブルックナーの交響曲、ウインナーコーヒーやデーメルのチョコまで~拙者自身にも身近な愉しみを教えてくれたかつての帝国に乾杯!

→こちらもご覧ください:「ハプスブルク帝国崩壊から百年~フランツ・ヨーゼフ1世を偲ぶ 」


福岡にて~オーストリアを堪能出来る穴場を発見!


 福岡市中心部から西鉄バスに揺られて数十分の住宅街に 「サイラー」 と云うベーカリーがある。オーストリア出身のオーナー自慢のパンやケーキを扱うお店で、併設カフェで味わうことも出来る。宝塚歌劇の公演を観に博多入りしたついでにお邪魔して来ました!


 店内も本場ウィーンに似せたクラシックな世界観。オーストリアが生んだ画家 グスタフ・クリムト の絵が飾られ、ウィーン世紀末の爛熟した雰囲気を伝えて呉れます。


 カフェ内では、シュトラウス像まであります。間近な席に座れて超感激。思わず皇帝円舞曲を口ずさみたくなる。


 サンドはもちろんザワークラウトが入っている。デザートはザッハトルテを食べない訳にいかんでしょう。ザッハトルテは、帝国宰相 メッテルニヒ がウィーン会議の際、外交官らをもてなす為に作らせたとされる一品。お菓子さえも外交の道具に使うところがオーストリアであります。人様とのお付き合いに何が大事なのか、様々なことを教えて呉れるひと時でありました。


ブルックナーの初期交響曲を愉しむ


 ハプスブルク帝国が生んだ大作曲家でブルックナーを忘れてはいけません。拙者が好んで聴いている交響曲は、意外にも壱番や弐番。特に壱番のCDに至っては、1982年製のバリバリ西ドイツ時代のCDであります。指揮はギュンター・ヴァント。CDが世に出て間もない頃の、超オールドなCDであります。

 ヨーゼフ1世は、ブルックナーに敬意を抱いていたそうです。晩年、独身で身寄りの無かったブルックナーは、階段の昇り降りも出来ないほど病状が悪化してしまった。それを見かねた皇帝は、宮殿内の平屋建て管理人用宿舎を提供、そこがブルックナーの終の棲家となりました。皇帝の気遣いが何ともグッときます。


文化・芸術を語るコーナー

・帝政ドイツ~その記憶は永遠に ・ハプスブルク文化の愉しみ ・カセットやMDに詰め込まれた思い出

・ブラームスとシューマン ・東宝映画の愉しみ ・中森明菜~拙者的ベスト・アルバム ・西部警察の車両達







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