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ありがとう私と出会ってくれて私をえらんでくれて私と歩いてくれてこれは その昔、私の大好きな某サイトでの「四行詩」に投稿させてもらったものです。誰のことを言ってるのか、これだけ言い続ければどなたでもおわかりですよね。その時は気軽な気持ちでこの詩をつくりました。今は・・深刻な気持ちでこの詩を読み返しています。昨日夫が元々のK病院に診察とインターフェロン注射に行き、前回(11月1日)に測定したウィルス量がわかりました。まだ2,000も残っていました。主治医のK先生に言われたそうです。「この減り方だとおそらくウィルスは消えることはありません。もう少しだけ様子を見て、それから違う治療を考えた方がよさそうですね。」と。つまり最新の治療とされているペグインターフェロン+リバビリン併用治療は中止だということです。・・ウィルスは消えることはない、つまり完治はしないということをこんなに早く宣告されるなんて。すごくショックです。ではどのような治療に切り替えるのかというと、インターフェロンだけを少量投与するそうです。その場合は週3回の注射となります。週3回も病院に通うのは大変なので、自己注射で、通院は2週間に一回ということになります。それもこの先ず~っと続くということです。「自分で注射なんかでけへん。」と夫。「自己注射してる人はたくさんいるじゃない。糖尿病だってそうでしょ?できるって。」「一生それが続くのかと思うとなぁ・・そうまでして生きることにしがみつかなあかんのかなぁ」「私はしがみついて欲しい。たとえどんな姿になっても生きていて欲しい。」「・・・」「自分で注射するのが嫌なら私が練習する。教えてもらえるよね?」「・・・いつになるにせよ 結局 肝臓癌で死ぬんやなぁ」「だからそれを少しでも先送りにするために頑張るんだよ、ね?」「う~ん・・・・」昨日は発熱で気分も悪かったこともあって、落ち込みモードの夫にこれ以上は言えませんでした。ウィルスが体内に残っている以上、慢性肝炎→肝硬変→肝臓癌 へと進んでいくのは避けられないことなのです。肝炎から直接肝臓癌へ、ということもありうるみたいです。あと26年、金婚式を迎えるまでは一緒にいたい。今願うことはそれだけ。一体これからどうなるのかな・・スミマセン、今日も暗くなっちゃいましたね。
2006年11月30日
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s-yokoちゃんからバトンをいただきました。いってみます^^『1』 (あの子の事をもっと知りたい!!)そんな5人にバトンを回す。ここに来てくださった方、どなたでもぜひお願いします。誰とは申しませんが、桜さんいかが?(言ってるじゃん・・)『2』 お名前は? jiadao という変な名前です。改名すると言い続けて早2年、どうなってるの? 『3』 おいくつですか?そんなこと 言えますかいな『4』 ご職業は?専業主婦 厳密に言うとそうでもなくて少しだけ仕事もしてるんだけど『5』 ご趣味は?読書・花いじり・手芸ごと・漢字パズル・ピアノ etcたくさんあったはずなのに今は何もしてません・・さみしい。『6』 好きな異性のタイプは?夫 ・・・ 何か?『7』 特技は?早寝と早読み『8』 資格、何か持ってますか?割合たくさん持ってますがとても言えません。中味が伴っていないので。『9』悩みがなにかありますか?あります、色々と。皆様よくご存知だと思います・・『10』 お好きな食べ物と嫌いな食べ物は?好き:キムチ・冷麺・チョコレート・抹茶味のスイーツ・・書ききれない。嫌い:レバー・レーズン『11』 好きな人はいますか?もちろん。誰だと思います?当ててみてね♪『12』 貴方が愛する人へ2言金婚式までは一緒にいてください私と結婚してくれてありがとう『13』 回す人5人を指名すると同時に、その人の他者紹介を簡単にお願いします。ごめんなさい、指名はできないので・・マリリンそっくりの 桜さん、いかが?s-yokoちゃんは私の娘と同い年。一体こんなおばちゃんの何処が気に入ってくれておつきあいしてくれているのか不思議なんだけど、私にとってはとても可愛い存在なのです。就活、頑張ってね、うちの娘も頑張ってますよ~
2006年11月29日
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唐突ですが我が家にはエゾシカがおります。何を隠そう、姑こそがエゾシカなのであります。何日か前にテレビで、北海道でエゾシカの被害に困っているという話題を見ました。作物や花を食べ荒らしたり、糞を道路や庭に撒き散らしたり、それから前足でドンドンとやかましく音を立てるのが困る、という住民の方々の話でした。姑がなぜエゾシカなのでしょうか。それは前足でドンドンとやかましい音を立てるからです。あるときはリビングのソファ・あるときは食卓の椅子、またあるときは自分のベッドに腰掛けて。一体何を思うのか片足ずつ上げて激しい音をたてます。やかましいんです。すごく耳障りなんです。一度夫が「なんでそんなふうにドンドンやるん?やかましいやんか」と言った。「私何もやってへんがな。」「今足でドンドンやってたやろ」「やってへんがな。私はそんなこといっぺんもしたことあらへん。」「・・・」お話になりません。そのテレビ放送を見て以来、私たちは姑のことを「エゾシカ」と呼んでおります。今も我が家のエゾシカはドンドンと足を打ち鳴らしております。絶好調でございます。追記姑=エゾシカという図式の理由はもうひとつあります。作物じゃないけど、食べ物を食べちらかすことです。早目に用意しておいたお惣菜をうっかり食卓の上に置きっぱなしにしておくと、見事に食べ散らかしてくれます。個別の皿にわけておいたのもおかまいなしです。願わくば糞を撒き散らすことだけは勘弁していただきたいものであります。
2006年11月28日
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従姉妹の告別式が終わった。終日の雨。涙雨なのか。彼女には男の子が二人いて、どちらも就職して東京にいる。弟のKちゃんは私の息子と年齢が近いので、小さい頃はよく一緒に遊びに出かけた。プールや遊園地・ボウリング・サーカス・映画・お祭り・花火見物などなど、数え切れないくらいの思い出がある。そのKちゃんは大変なお母さんっ子だったのに、いつからか親を疎むようになってきた。お決まりの反抗期だろう、と思っていたのだけど彼女が心を病んだ頃からそれはますます顕著になり、そのために就職先もわざと遠くを選んだと聞いた。「とにかく逃げだ出したかった。母さんの病気がいやでいやで仕方なかった」と振り絞るような声で言ってたのはいつのことだっただろう・・心の病気をわかってあげてよ、と言えるほど私には知識も何もなかった。就職してからはほとんど家に寄り付かなかったと聞いている。一昨日のお通夜と昨日の告別式。ご主人も長男のAちゃんも泣いていたがKちゃんの号泣ぶりはすさまじかった。男性があんなに泣くものだとは本当に驚いた。Kちゃんを見てると、私の涙なんて生易しいものだ。今Kちゃんの胸によぎるものは何だろう。後悔・慙愧・思慕・それから・・・人は失ってみて初めて大切なものに気がつくのだろうか。悲しいことだけど、私も同じことを繰り返してきたのだから偉そうなことは言えない。従姉妹は自殺ではなかったので、それだけがまだ救いかもしれない。時間の観念がなくなっていて、いつものように深夜に一人起き出して冷蔵庫の中をあさってプリンを食べて、そのままキッチンで倒れていた。犬が激しく鳴くのを不審に思ったご主人が見に行ったときにはもう呼吸が止まっていたそうだ。原因不明の突然死ということになるらしい。死亡診断書には「心不全」とだけ書いてあった。もし自殺だったらご主人もAちゃんもKちゃんもそれこそ一生立ち直れないかもしれない。だから今死にたいと考えている人どうかそれだけは思いとどまってください。あなたの周りの人々あなたは気づいていないかもしれないけどあなたを愛するたくさんの人があなたの周りにいます。その人たちの人生があなたの自殺によって殺されてしまうのです。・・私がこう言っても説得力ないかもしれないけどお願いします、どうか死なないで。。。
2006年11月27日
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年を重ねるごとに失うものはたくさんあるけどやはり近親者との別れが一番辛い。いつかこのブログにもちらっと登場したことのある私の父方の従姉妹が昨日亡くなった。まだ50代半ばの若さで。突然のことだった。3年ほど前から心を病んでいた。元々はとても陽気で明るい楽天家だった。背も高くて何を着ても似合うひとだった。派手な色を好んで身につけ、私に「jiadaoちゃんももっと綺麗な色着なきゃダメよ。」とよく言っていた。彼女が心を病んでからの日々気がかりではあったけど私はもっと身近なことにばかりかまけて何も力になってあげられなかった。家族がついているから大丈夫、と楽観していた。それどころか、彼女さえ病気になっていなかったらもっと私たちの力になってくれたはずなのに、なんて思っていた。逆恨みもいいとこ。私の馬鹿さ加減を彼女にあやまりたい。けど彼女の耳にはもう届かない。なぜこんなことになってしまったのだろう。昨日は私の父の7回目の命日。姪にあたる彼女は私の父をとても慕っていた。父が亡くなったとき「自分の父親の時よりもずっと悲しい」と泣き崩れていた。その父の命日に亡くなってしまうなんて。言えなかったことしてあげられなかったこと・・後悔ばかりの人生。私はこれをあと幾度繰り返していくのだろう。もう誰も失くしたくない。。。
2006年11月24日
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先日私が買ったアロマライトです。「アロマハート」というネットショップで、私は楽天店ではなくて他で買ったのですが値段は同じです。1.5mlのエッセンシャルオイルがついてきます。香りは数種類の中から選べます。このお値段は果たして高いか安いか、どうなのでしょうか。もっと小さな、コンセントに直接さしこむタイプだったら2,000円台であるようですが、コンセントをふさがれたくない私には不向きなのでこっちにしました。オイルの種類にしてもたくさんありすぎて、自分ではとても選べそうにないです。メールで相談すればアドバイスしてもらえるようですが、それも面倒くさいし^^あれから毎日ラベンダーの香りに包まれて心地よい眠りを。。と言いたいところですが、昨日は全然眠れませんでした。(めずらしいこともあるもんだわ)寝る前に夫と少し言い合いをしたからです。(これまためずらしいことです)ごくつまらないことなので内容は言いませんが、副作用に苦しんでいる夫相手に私も大人気なかったと後悔しております・・夫は例によってアモバン効果で熟睡してました。自分が眠れないのに、横ですやすや眠っている人を見ているのはなかなかツライものがあります。やっと夫の気持ちがわかりました。そんな中、私はこのアロマライトのぼんやりした光にとても癒されました。決して高い買い物ではなかったなぁと思いました。その後夫とはどうなったかって?ご安心ください、もっちろんろん朝一番に仲直りしましたとも♪
2006年11月22日
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おひさしぶりです。前回の日記にいただいたコメントへのレスが遅れてごめんなさい。なんと同窓会に行ったのはもう一週間前のことなんですね・・あれからなぜかバタバタしておりました。で、疲れた私の心を癒すためいや違った、C型肝炎治療の副作用による夫の不眠症状を和らげるために11月5日の日記で猫通りさん&kanchiさんから貴重なアドバイスをいただいたのでこれを購入しました。 エッセンシャルオイルは香りが選べたので、まず無難なところで「ラベンダー」にしました。一昨日の夜、早速枕元にセット。夫に「どう?」とたずねると、「うん、いい香りやな」と言ってくれました。明かりは眠るときに最小限にしぼるととってもいい感じ。今夜は夫もきっと快眠できるはず・・念のため夫はいつものように睡眠剤「アモバン」も服用しました。(今行ってる医院では毎日のんでも別にかまわない、と言われたので)そしてそろって布団をかぶります。夫が何か話しかけてきました。「商店街の○○(宅配寿司屋さんの名前)な、もうやめたらしいで」「へぇ~・・」とまでは答えたのだけどその後の記憶が一切ありません。睡眠剤をのんでいる夫よりもはるかに早く眠りに落ちた私って一体・・。昨夜、夫は「今日はアモバンをのまずに寝てみる、アロマの効果もみたいし」と言い出しました。私は前夜とおなじく即座に眠りに落ちました。夫は・・なかなか寝付けず朝方に少し眠っただけだそうです。私だけがさっさと寝てどうする、という感じですがそれでもこのアロマライト、とても気に入りました。次は違う香りも試してみようと思っています。
2006年11月19日
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昨日は同窓会でした。大学時代の同じ学科の中の女性だけで毎年一回11月に開いています。今回の会場は「新神戸オリエンタルホテル」、新神戸駅の真南にそびえたつ細長い建物です。カメラを今年も持参し忘れたので、HPを見てください。(こういうときやっぱりカメラつきの携帯がいいなぁと思う。もう4年以上使ってるし、そろそろ替えどきかな?)新神戸オリエンタルホテル 中国レストラン「蘇州」34階に位置するだけあって、眺めは抜群でした。私たちが注文したランチは、ここに載っている分ではありません。写真はないけど、下のほうに小さく「2,100円のランチもあります」と書いてるでしょ?・・それです。でも、ランチだからその値段でも期待してたんですよねぇ。味はよかったです。とても美味しかった。ただし分量がね・・私はそれほど食べる方ではないけど、その私が物足りなかったくらいだから推して知るべし。この値段にはきっと眺望代が含まれてるのよね、と皆で慰めあい、2次会で全員大きなケーキを食べました。食べ物はともかく昨日は今までの同窓会とは話す内容が少々違ってました。今までは、実際に姑と同居して介護にあたっているのは私だけ。私の話はみんな熱心に聞いてくれてたけど、いまいち真剣味が欠けていたような・・。ところが、昨日のメンバーの中には 両親共に認知症になった、という人あり、病気を繰り返して最後はやはり認知症状態になった実母を9月に見送ったという人あり・・私たちの年齢では、いくら元気だとは言ってもだんだん弱ってくる親を見ている人ばかり。認知症とか介護とかの話が昨日のメイン料理となった。あまり美味しいものではないけれど、そういうことといやでも向き合わなければいけない年頃になったのだと実感した。ぱ~っと後押ししてもらえるような元気はもらえなかったけど、みんなそれぞれに大変なのだ、私一人が苦労しているわけじゃないのだ、と同士がたくさんできたようで心強かった。だけどですね・・昨日のメンバーのうち、午後四時に帰ったのは私だけ。その後残りのメンバーはもう一度お茶をして楽しんだらしい。家に帰ってきたら姑が一人でいつものごとく取り乱しながら庭をウロウロしていた。子供たちは出かけていて、夫は2階で休んでいて気づかなかったようだ。たちまち現実に引き戻される。「どこ行ってたんや?誰もおらへんねん、こんな家もういやや」(あなたのために私だけ先に引き上げてきたのよっ!)と怒鳴りそうになるのをこらえて姑をなだめすかす。2,100円のランチと大きなケーキと友達との短い時間のおしゃべりだけではまだまだ足りない。もっと元気を充電しなければ。。。
2006年11月13日
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一昨日、姑が初めてのデイサービスに行ってくれた。(その日の日中私がネットに入り浸れたのはそのおかげ)前日はデイサービスへの持ち物の名前書きで忙しかった。いつも持っている古びた黒い手提げカバンにも書かなきゃいけないけど、こんなとこに名前を書いたら姑が怒らないかと心配だった。けど姑が言った。「jiadaoさん、これ見てみ。ちゃんと名前が書いてあるやろ?こうしといたら私のもんやってわかるやろ?」と、得意そうに。誰が書いたと思ってるんだろう?連絡帳もある。まるで子供の入園・入学前の準備みたいだなぁ。昼食後の薬も袋に入れて用意はOK。出発のときは割合スムーズにいった。直前まで「jiadaoさんも一緒に行くんやろ?」姑は言い続けたのでちょっぴり心が痛んだ。送迎の車が見えた時「私Yちゃん(娘)のことで用事ができたの。後から行くから先に行っててね」ときょとんとしている姑を職員さんと共に無理やり車に乗せた。それでも手を振ると笑顔で振り返してくれたのでなんとかなるだろうと思った。さてさて、久しぶりの6時間の自由時間だ~!(デイサービスは10時から4時まで。送迎時間を入れるともう少し長くなる。)その日夫は近所のお葬式の手伝いに一日駆り出されていたし、まるきり一人のドリームタイムとなった。昼食だって私一人なので、いつ何を食べてもいい。何にしようかしら・・スーパーに行ってあれこれ吟味したあげく、一度食べてみたかったカップ焼きそばに決定。フルーツサンドイッチも買った。こういうのって普段は絶対に食べられないので。最近近所にオープンした大手の古本屋にも寄って時間を気にせずに本を眺めて過ごす。帰ってきて自分のためにだけコーヒーもいれて音楽をかけて(普段はテレビ)新聞紙を広げながら行儀の悪いのんびりランチを楽しんだ。カップ焼きそばって・・・ 美味しい~!昼食後はネット三昧であっという間に時間が過ぎた。あららもう四時だ。。この次はもう少し有意義に過ごさなきゃ。ちらちらと門の方を眺めながら過ごし、車が見えたので出て行く。姑とお仲間のおばあちゃん二人の三人が車に乗っていた。姑は一番先に送ってもらったらしい。中のおばあちゃん達は車から降りた姑に「バイバイ、またね!」とニコニコ手を振っている。姑は愛想笑いを返していた。・・ちょっと嫌な予感。職員さんが車椅子を降ろしてくれている間に、姑が私にこう言った。「あの人らに香典を渡さんでもええの?」へ!?香典?・・ははぁ、近所の葬式のことが頭の中にあってごっちゃになったのね。それにしてもお年寄り相手に「香典を渡す」、とはまずいんじゃない?幸い聞こえたのは外にいた職員さんだけだったと思うのでよかったけど、本当に冷や汗ものだ。家に入った姑、よほど疲れたらしくて自分のベッドに直行。連絡帳を見ると、詳しく書いてくださっていた。「来られたときは『あぁここ来たことがあるわ』と機嫌よく過ごしてくださいました。お昼ごろに家のことが気になり始めたらしく、少し混乱されていましたが、遠足の車の中では演歌を歌ったりしておられました。これから少しずつ慣れてくださるといいですね」ふ~む、今日もやはりパニックがあったんだわ。仕方ない、それは覚悟の上だもの。(この日は「紅葉狩り」に行く日で、お風呂は中止だった。)その日目覚めてからそして次の日も「私、こないだ『おつとめ』に行ってきたやろ?」(おつとめ??)「はい、行きましたね。」「私な、もうおつとめに行くのいややねん。」「どうして?」「あんなとこ、みんな勝手にしゃべってばかりで何言うてるかわからへんし、やかましいだけや」「ふ~ん・・」「私おつとめに行ったやろ?」・・以下エンドレスで続くまぁいいや。一週間すればころりと忘れてしまうだろう。次回は「温泉」を武器になだめすかして無理やり車に乗せよう。上手くいきますように・・・!
2006年11月11日
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フランスの指揮者・作曲家として有名なポール・モーリアさんが11月3日に亡くなられた。急性白血病のため、81歳だったそうだ。もうそんなお年になられていたのね・・そりゃそうだ、学生時代に大阪フェスティバルホールに来日公演を見に行った私が今やこんな押しも押されぬ?立派なおばちゃんになってるんだから。ポール・モーリアの曲といえばみなさんはどの曲を真っ先に思い浮かべますか?私はね、「蒼いノクターン」です。歌詞はないのでここで紹介できないのが残念。ラ~ララ~、ラララ ラ~ララ~♪これでは何のこっちゃわかんないだろうけど、すごく綺麗なメロディです。この曲には思い出があります。ある春の夜、アルバイト先の仲間大勢で神戸フラワーロードにあった英国風パブ「キングスアームズ」というお店に行きました。(この店は今はたしかなくなったと思う)そこにはアンティーク調の素敵なピアノがありました。「誰かピアノ弾いてみてよ」という声が出ました。その頃私はポールモーリアのピアノ楽譜集を買って家でひそかに特訓を続けていた時で、「いっちょ弾いてみよう」と臆面もなくしゃしゃり出て、奏でたのがこの「蒼いノクターン」。私の行ってた大学は地味で貧乏な学風の学校でした。その中でお洒落な人・派手な人もそりゃいたけれど、私は校風にぴったりの、まことに地味で素朴・・つまりどこからどうみても野暮ったい田舎モノ女子学生でした。その時のアルバイト集団は色々な大学、高校から人が集まっていました。お嬢様学校で有名な女子大の子もいたし、中小企業ながらも社長のお坊ちゃまという子も。そういう子がピアノの前に座ったとしたら誰も驚かなかったと思います。私がピアノの前に座っただけでもインパクトたっぷりだったのに、奏でた曲がこの美しいメロディ。ちょうどこの曲を熱心に練習していた時で、暗譜もできていました。まぁまぁの出来映えだったかな。その場は水を打ったように静まりかえりました。というのはオーバーだけど、演奏終了後やんやの拍手をもらって、私の鼻はちょっぴり天狗に。アンコールもあって、「明日に架ける橋」とか弾いたっけ。それから後は、今まで私になんて見向きもせずにお嬢様女子大生にばかりまとわりついていた男の子たちが突然私に話しかけるようになりました。しばしの間、田舎もん女子学生の称号は返上されたようです。ピアノの力・ポール・モーリアの力、まさに恐るべし。追記MIDIがないかな、と検索していたらいくつか発見。その中で私が弾いたものと近いと思われるものを紹介します。勝手にリンクしていいのかな?とドキドキしながら・・http://sky.geocities.jp/wu373h/fa23.htmlぜひ聴いてみてね。ラ~ララ~♪
2006年11月09日
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次の日曜日に大学の一年に一度の定例同窓会がある。同窓会といっても、おなじ学科(ぜんぶで40人くらいだったかな?)の中の女性だけの集まり。なので、せいぜい集まっても最高で10人くらいがいいところ。毎年やっているということもあってか、年々参加者の人数が減ってきた。私も今年はどうしようかなぁと考えていた。去年も行ったし、そんなに目新しさもないし、それに出かけるとなるとその下準備のために要領の悪い私はほとほと疲れきってしまうのが目に見えているし・・・迷っているうちに幹事のYちゃんからC.Cでメンバー宛に一斉送信のメールがきた。あけてびっくり。最大のフォントでしかも太字。「みんな背負っているものは重いだろうけど 同窓会に来てねぇ!!!」Yちゃんは独身で、バリバリのキャリアウーマン。会社では「秘書室のお局さま」と恐れられているの、とケラケラ笑いながら話していた。私のような語学とは何の縁もない一介の主婦のバカ話もちゃんと聞いてくれるし、いつも励ましてくれる。ひとり娘なので、休日は年老いた両親の世話で休むヒマもないらしい。それでも愚痴ひとつ言うわけでもなく、いつも背筋をピンと伸ばしているのがすごく格好いい。私にとっては雲の上の存在、というか憧れの女性である。そのYちゃんは一人でずっと幹事役を引き受けてくれている。誰も 代わろうか、とも言わないし Yちゃんも 代わって、とも言わない。私は何を迷っていたんだろう。Yちゃんに会ってパワーをもらおう。他の同窓生たちからも。みんなそれぞれに凄い女性ばかりである。というわけで次の日曜日は同窓会。場所は神戸 オリエンタルホテルです。楽しみ~~~♪
2006年11月06日
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先週の水曜日に9回目のペグインターフェロン投与がすみました。次回からは近くの医院で注射を受け、今の病院へは月1回血液検査と注射に通うことになります。何らかの事情で中止せざるを得ない場合を除いて、当初の予定では最低48回注射を受けることになっています。延長戦もありうるようです。気の長い話ですが、治療を受けて間もない頃は副作用も軽く、夫も「これなら一年くらい頑張れる、平気や」と言ってたのですが。副作用を侮るなかれ。最近はかなり苦しんでいます。微熱・だるさ・繰り返す口内炎・体の痒み・不眠・貧血による気分の悪さ等々、出るわ出るわの大判振る舞い。やはり一筋縄ではいかないものですね。このうち一番辛いのが「不眠」だと言ってます。夫には元々そういうケがありました。私とは正反対で物音などにとても敏感で、今までも夜中にしょっちゅう目を覚ましていたそうです。それでもよく目は覚ますものの細切れには眠っていたのです。それがこの頃はまったく「眠れない」ようです。仕方なく先生にお話して軽い睡眠導入剤を処方してもらいました。「アモバン」とやらいう薬です。これを飲んだ日だけは熟睡できるのですが、毎日飲むと効かなくなってしまうそうなので2日おきくらいにしています。よく眠れたあくる日はやはり元気で調子もよさそうだけど、薬を飲まない次の日はためいきばかりついてます。「こんなのが一年も続いたらそりゃうつ病にもなるわ・・」暗い口調でぼそっと呟いているのでどきっとしました。こういうときって私はどんな態度をとるのが一番いいのかな。。あまりに能天気なことを言っても神経にさわるだろうし、かと言って一緒に落ち込んでるわけにもいかないし。難しいです。やがて脱毛も始まると思います。個人差もあるらしいし、抗がん剤に比べたら脱毛の程度はマシだと聞いてるけど。いざそれが始まったらまた落ち込むんだろうな。。。最終的にウィルスが消えてくれるとわかっていたら、どんな副作用だって我慢のしがいもあるんだけど、治癒率が50パーセントだという現状ではツライものがあります。とにかくやりぬくしかないのです。頑張れ、夫!あ・本人に「頑張れ」と言うのは禁句らしいので心の中でだけ言っておこうっと。
2006年11月05日
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昨日のこと。ついに姑をデイサービスの「おためし」(つまり体験版ですね)に連れていきました。数日前に夫と夫の兄のKちゃんと私との総勢4人で見学に行き、ケアマネさんを通して相談の上この日におためしをしましょう、ということになり、昨日は私だけが付き添っていきました。姑は何もわからないまま(見学に行ったことももちろん忘れている)、「たまには二人で遊びに行きましょ。」と誘うとしぶしぶ?ながらも行く気になりました。始めのうちは機嫌よく過ごしていたけれど、簡単な工作や塗り絵をしているうちに飽きてきたみたいで(工作も塗り絵もまったく出来なかったし、意欲もなかった。ほとんど私が手を出してしまいました。)昼ご飯を食べてるときには「これ食べたら帰ろか」と何回も繰り返しました。「はいはい、でもお風呂に入ってからね」「食べた後すぐに帰るのはしんどいからもうちょっとしてからね」等々、だましだまし引き伸ばしていました。そうこうするうちにゲームが始まりました。このゲームがなかなか難しい。たとえば「電車に持ち込んではいけないものは次のうちどれでしょう?」選択肢として「サボテン・ダンボール箱3つ(あわせて背の高さくらいになるもの)・生の魚・観葉植物・カゴに入れたペット・・・などなど」ぼ~っと聞いてるだけの人もいれば、「ハイ!」と元気よく手をあげて答えを叫ぶ人・ろくに聞きもせずに隣の人とわいわい喋る人・・色々だけどみんなそれなりに楽しんでいるようでした。そのとき姑が突然立ち上がり喚き出した。「Tちゃんはどこや?私なんでこんな所におるんや?はよ帰らなTちゃんに怒られるやないの!お父さん助けて!」大声で怒鳴りながら手で机をバンバン叩き、足を打ち鳴らしている・・。本当に突然の豹変だった。周りの人たちはびっくり、みんな口をぽかんとあけて姑を見ている。私は少し離れた所で職員さんと喋っていた。あわてて職員さんと一緒に姑をなだめる。さすが介護のプロ、どうにかなだめてくれてお風呂の順番を先に入れるように変えてくれました。そしてしくしく泣きながらもお風呂に入れてもらった姑。「お嫁さんは少し離れていてね、ここはまかせて下さい」と言ってもらったのでその間私はのんびり。他のお年寄りたちと談笑する。しっかりしている人も何人かおられて話がはずむ。こんなおじいちゃんおばあちゃんだったら可愛いのになぁ・・と思いながらふと気がついた。相手がまったくの他人だったら、天使のように優しく接することのできる自分に。もっともそれはその場限りのことだから、ということだけどね。お風呂はとても気に入ったようでその後は再び上機嫌。くるくる機嫌の変わるのには慣れてるけど、人目があるとやはりドキドキしてしまう。そんなふうに無事に「おためし」が終わりました。今日になると、覚えているのは「ええ温泉に入った」ということだけ。「じゃぁまた温泉に行きましょうね」と言うと「はぁ行くわ」やった~これで晴れてデイサービスを申し込むことに相成りました。とにもかくにもはじめのいっぽを踏み出せました。バンザ~イ!
2006年11月02日
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