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ちょっとばかり考えました。今までは、現在の姑に関する日記は別ブログ「負けないぞ!」に書いていましたが今後はこちらの「姑」カテゴリーに書いて、同じものを「負けないぞ!」に載せることにしました。つまりここに来てくださる方はわざわざ「負けないぞ!」まで飛んでいただく必要がなくなるわけです。どちらにコメントしてもらってもいいのでよろしくね。私、「姑」という字が嫌いだったので今まではずっと「義母」と記してきました。だって、『古い女』だとはなんと失礼な言い方なのでしょう。私自身も姑になる日がそれほど遠くはない今となってはなおさらです。でも、「義母」という言い方はもっと広い意味を含むと思うので、一番わかりやすく手っ取り早いのはやっぱり「姑」ですよね。字なんて別にどうでもいいわ、と考えるようになりました。というわけでこれからは「姑」と記すことにします。前置きが長くなりました。ここ数日の姑を見ていると「躁うつ病」じゃないかと思う。(躁うつ病について正しい知識があるわけではないのであくまでも憶測)躁状態とうつ状態が日替わり、いや時間替わりでやってくる。見事なまでの変わりっぷりに唖然としてしまう。ある時突然「まったく動けない」と言う姑。さっきまで歩いてたじゃない!と言いたいのを我慢してあの手この手でなだめるがどうしても立ち上がれない、と言ってリビングの床に寝転がったまま。私が体を起こすのに手を貸そうとすると、ぼ~っとした目で私の顔を見て「あんた誰?」「jiadaoですよ~」腰が悪いので、地べたから直接立ち上がる動作はたぶんできない。(本当はできるかも・・と最近考える。)そこでとりあえず椅子に腰掛けさせようと脇から手をいれてぐぃっと体を持ち上げる。「痛っ!骨が折れる~っ!」と姑は叫ぶがおかまいなし。(こんなことで折れるもんですか、いためるのは私の腰の方だ!)やっとこさ椅子に座らせる。「ここで少し休んでね。ちょっとしたら立ってみましょ」「ハァハァ・・」わざとらしく息をついている姑をそのままにして5分ほど他で用事をすませてから様子を見に帰ると・・いない。自分の部屋に戻ってベッドに横になっている。アホくさ・・。そこで二階へ上がり10分ほど用事をしてから姑の部屋へ。いない。リビングにもどこにもいない。姑の外行きの靴がなくなっている。また出て行ったのね。何が 動けない、よ、ホントにもう・・・ほうっておくわけにもいかないので探しに行こうとしていたら、まさにそこへ姑がヨボヨボながらも、杖もつかずに鼻歌を歌いながら帰ってきた。「どこへ行ってたの?」「フンフンフ~ン♪」私の問いかけは完全無視、ついさっきまでとは打って変わって超ご機嫌。「いつもjiadaoさんには世話になってるさかい、○○堂(近所の薬局)でなんでも好きなもん買うたるわ。何がええ?」「・・・じゃぁ考えときますね」「なんでもええで。何にしよかな~そうや、お団子がええなぁ」「はい、お願いしますね」(薬局でお団子かい?それ以前にお金の管理なんてもう出来てないのに)「あ~楽しいな、あんたと喋ってる時が一番楽しいわ」「まぁそうですか」(私は一番楽しくないぞっ!)どうしてここまでころりと様子が変わるんだろう?東野圭吾さんの最新小説「赤い指」を読んで以来、姑ももしかしたら認知症のフリをしているのでは?という疑惑が捨てきれないでいるこの頃である。
2006年09月29日
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9月23日の午後、NHK BSハイビジョンで「拓郎&かぐや姫コンサートINつま恋」を生中継で放送していた。このコンサートは31年前にも同じつま恋で開催されたものである。31年前・・私は毎日何を想い何を夢見て過ごしていたんだろう。つい昨日のことのようでありそうでないようでもあり。当時、拓郎は「まぁまぁ好き」という程度だった。かぐや姫は「だ~い好き!」だった。今回のコンサートを見た(全部は見れなかった、だってすごく長かったしそれに途中中断して大相撲!中継が入ったし、例によって姑が邪魔してきたし)感想は微妙に違った。拓郎には理屈抜きで心を揺さぶられる何かがあった。それほど歌が上手いとも思えないんだけどな・・これはなぜだろう?かぐや姫にはただただ懐かしさで胸が一杯。当時から私が最も好きだった曲はそれほどメジャーではなかったんだけど「こもれ陽」とそれから「眼をとじて」という歌。どちらも山田パンダさんの曲です。「眼をとじて」の方をちょうど聴くことができて、泣けて泣けて仕方がなかった。歌詞を紹介させてね。「眼をとじて」あなたが首をかしげて見ていたあの銀杏はもうすっかり黄色落ち葉はあなたの足跡消して 私に何も残さない 二人には通りすぎた季節想い出は私だけのもの哀しさも私だけのもの 今一人黄金色の中 落ち葉の音はあなたの声のようふりむいてしまう私に何もないただ眼をとじてこの木の下で 待ってますルルル……このようにメチャメチャシンプルな曲です。伴奏もギターだけ(だと思う)というシンプルさ。でも泣けてしまう。ナンなんだろう、これって。昔、両親が懐メロ番組を夢中で見ていたのを馬鹿にしていた私。両親もそれぞれ言いようのない想いを抱えていたのだろう。今ならわかる。な~んか切ないなぁ。・・秋だから・・?
2006年09月26日
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トップのプロフィールのところに「リンクス参加中」って出てますよね。これは一体ナンなのかしらん。リンクスというものがあることは薄々は知ってるけど私も参加してるの?全員参加ということになったのかな?ここをクリックしてみたら「友だちはまだいません」というショッキングな言葉が・・いますよ、私にだって友だちくらい。私は実生活においては友だちというものが少ないと思う。学生時代やOL時代にはそれなりに親しい友だちができたし、彼女達とは今でも交流は続いている。問題は(別に問題じゃないかな?)結婚後の友だち。いわゆるママ友という人もできたし、交流の続いている人も4~5人いるけれど、親しくなった人はなぜか皆引っ越していってしまう。近所の嫁友(こんな言い方する?)さんたちとは、やっぱりホンネの本音では話せない。表面上は仲良くしてるけど、どこかとりつくろってしまう。そこで私が逃げ込んだ?のがネットの世界。最初は、ネット上で本当の友だちなんてできるはずはない、なんて考えてた。実生活の知り合いには言えないようなことを聞いてもらって、それだけでいいわ、とも。だけど楽天も結構長くなった。本館も細々ながら続けている。あちこちブログをつくってもいる。そんな中、実生活の友だちもいいけれどネッ友さんの存在の大きさ・有り難味を今しみじみと感じている。ネット上であっても本当の友だちってありうるんだなぁと今は思っている。余談だけど夫は友だちが多い。入院中も毎日のように誰かが見舞いにきてくれた。いいな~もし今私が入院しても誰もきてくれないだろうなぁ。ネッ友さんに来てもらうわけにはいかないし。それだけが少々残念!?
2006年09月19日
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日記の前に一言おわびを・・皆さんのページにはさいさい伺ってそれぞれ個性あふれる日記等を楽しませてもらっているのに、コメントせずに帰ってきて本当にごめんなさい。私、日記を書くのもそうなんだけどコメントを書くのにはものすごいエネルギーと時間が必要なんです。気軽にちゃっちゃと書けたらどんなにいいだろう、といつも思ってます。深く考えずにちゃっちゃと書きこんではボケたコメントになってたことも多い、そんな時期もあったんだけどね・・さて、新カテゴリー「姑」第二弾です。昔むかし、息子が3歳ぐらいの時だったかな。姑と息子と私の3人でテレビを見ながらご飯を食べてました。番組の中で「換気扇」という言葉が出てきたのだと思います。息子がどちらにともなく言いました。「換気扇って何?」私が説明しようと口を開くより早く姑が即答しました。「ほれ、おばあちゃんの台所にもあるやろ、あれや、あれが換気扇やで」こういうことってふつうは気にならないものでしょうか?私はすご~~~く引っかかりました。最初から完全同居(水まわりがすべて共有)、そりゃ姑と夫が二人で暮らしていた家に私が入ってきたのだから姑にとっては「私の台所」に違いないのだけど・・だけど子供にそんな風に言うなよ、と一人悶々としていました。一事が万事この調子。他にも色々言われたんだけど、この換気扇のことが一番印象に残っています。
2006年09月18日
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いつも「私達夫婦は仲がいいのよ~」とアピールしている、お調子者の私なのですが・・前回の日記を書いた後でちょっと考えてしまいました。本当に私達、ラブラブなのか?そこで今日は私達のラブラブ度を検証してみたいと思います。まず夫の方はどうなのでしょうか。入院前に携帯で私の写真を何枚か撮りました。はは~ん、病院で私のことが恋しくなったときにそれを見るのね?やっぱりラブラブじゃないの~だけど待って。夫の携帯の待ち受け画面は愛犬「ペコ」の写真。携帯に保存している写真も私よりもペコの方がずっと多い。う~ん、これはあやしくなってきました。私の携帯にはカメラ機能がありません。よって夫の写真はありません。が、なぜかペコの写真は保存してます。娘が送ってくれたものを何枚か。そして 私の待ち受け画面は・・何を隠そう、『義経タッキー』♪これまたあやしくなってきました。なぜこんなことを例に出すかというと、先日終わったばかりの日曜劇場「誰よりもママを愛す」というドラマの中で、田村正和さん演じる超愛妻家の「パパ」の待ち受け画面が伊藤蘭さん演じる「ママ」であり、最終回には「ママ」の携帯の待ち受け画面もまた「パパ」の写真になった、というのに影響されたのです。私達の年代で実際にそういうことをしている夫婦って一体どのくらい実在するのかな?今日のらぶらぶデートは病院の喫茶室(と言っても自動販売機が並んでいる喫茶室、もちろんセルフサービス)で、夫はアイスティー・私は抹茶オーレ。この病院は庭がないんです。すぐ隣には公園があるけれど病院の敷地外だから外出届がいるし。ドラマに出てくる病院には綺麗な庭があって、そこでくつろぐというのが定番なのにねぇ。話す内容も、昨夜お姑さんがああ言った、こんなことをした、とかそんなことばかり。(この件に関してはあらためて書いてみます。また「迷言」を言い放ったので)あぁ、これでは折角のらぶらぶデートも全然絵にならない。ところで私達って本当にラブラブ?
2006年09月14日
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一昨日の朝から昨日の夜にかけて夫が外泊で帰ってきていました。四日に入院したので、ちょうど一週間ぶりの帰宅でした。「Tちゃんはどこへ行ったんや?Tちゃんに会いたいなぁ、もう帰ってきぃひんから会われへんのとちゃうやろか・・」」などなど、起きている時は30分おきに言い続けていた義母。それなのに、いざ夫の姿を見ると「誰や?」ときょとんとした顔。「Tさんですよ、ほらちゃんと帰ってきたでしょ」それでもしばらく呆けた顔。夫に何をたずねるわけでもなく、いつものように「私朝から何も食べてへんからおなかぺこぺこや」と言って食卓に常備している菓子鉢からおまんじゅうを物色していた。・・拍子抜け・・外泊の理由に『母親の介護のため』と書いてきたというのにね。最初のペグインターフェロン注射とレベトール服用後の発熱は2日間だけで、その後はいたって元気です。病院にいても検温と血圧測定だけなので、とってもヒマそうです。そのおかげで私が今までにすすめてもなかなか読まなかった本を次々と読破中です。これまでに読んだ本・・「博士の愛した数式」「秘密」「慟哭」「13階段」「一瞬の光」夫にしては異例のスピードです。次は何をすすめようかな。今日は2回目の注射をお昼ごろに打ったそうで(布団の中でこっそりメールしてきました)、さて2回目の後はどうなることやら。夫が入院したその日は、しなければならないことも沢山あったし無我夢中という感じで、寂しいとか感じる余裕もなかったけど、昨夜外泊から病院に帰っていくのを見送った時(見舞いにきてくれた私の弟が車で病院まで送ってくれました)は 寂しくて寂しくて。。車が見えなくなった後、一人で心ゆくまで涙をこぼしました。今日もまた義母の「Tちゃんはどこや?」攻勢がはじまりました。もっともこれは家にいるときでも一緒なんだけどね。外泊中でもとにかく姿が見えないと、このセリフだったし。今日は「まだ寝てますよ」で押し通しています。時間の感覚がまったくないし、とにかく今聞いたことを即忘れてしまうので何度でも同じセリフが通用するのは考えようによっては楽チンなのかも。今日は雨。もう少ししたらKちゃん(夫の兄)が来てくれるので一緒に義母を神経内科へつれていきます。明日はまた夫の病院へらぶらぶデートに出かけよう。
2006年09月13日
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近頃はどうしてもこの話題になってしまいます。姑関連の話を待っておられる向きには、今しばらくお待ちくださいませ。(待ってくれ、と言うほどのネタもないんだけど)今日病院からの帰り、市バスが出た直後だったので時間の節約のために阪急梅田駅までタクシーに乗ってしまいました。大阪市内のタクシーの運転手さんってどうしてあんなに大胆な運転をなさるのでしょう。いきなり病院玄関前のロータリーを猛スピードで曲がるので、まるでジェットコースターに乗っているみたい、思わず「もういいです、他の車に乗り換えます」と言いそうになったけど、その反応が怖くて震えながら我慢してました。と、運転手さんが話しかけてきました。「おねえちゃん、(あらいい人じゃないの。奥さん、と言わないところが気に入った。だって見かけだけじゃ既婚かどうかわからないものね。)検査かなんかで行ってたの?元気そうだしね、病人さんには見えないもの」「あ、主人が入院してるもので」「そう、もう長いの?毎日行ってるの?」「まだ入院したばかりで。後2週間くらいかな。毎日は行けないんだけど」「男はこういうとき心細いもんよ、できるだけ行ってあげるといいよ」「そうですね」「私もね、もう14年前やけど、C型肝炎で一ヶ月入院したことがあってね」「え!夫も同じなんですよ」「そうなんかい!こら偶然やねぇ」ここから話がおおいに盛り上りました。後ばかり振り向くので危ないなぁ、と思いながらも色々話を聞かせてもらいました。当時は今よりももっともっと治療が大変で、それなのに治癒率が10パーセントにも満たなかった(今は夫のウィルス型の場合は50~60パーセント)はず。この運転手さんはその10パーセントの中に入った強運の持ち主だと言う。一年間一日おきに注射に通ってウィルスが完全に消滅したそうな。「おねえちゃんが私の車に乗ったというのも何かの縁やね。ダンナさんも絶対によくなるって。ウィルスが消えるまでは絶対にお酒は飲ませたらあかんよ。あと鶏のレバーとか食べさせてあげてね。・・それから怖いのがうつ病だよ、私も最後のほうでちょっとなりかけたしね・・」駅についてメーターを倒してからもしばらく喋り続けてくれた運転手さん。最初に降りなくてよかった。何か目に見えない力に導かれてこの人の車に乗ることができたのかもしれない。この人にあやかって、夫のウィルスも消えてくれるといいんだけど。本当に色々な形で沢山の人から大きな励ましをもらっているなぁ、としみじみ感じています。有難いことです。夫は初回のインターフェロン注射+リバビリン服用の後、6時間くらいしてから熱が上がり始め、38度2分まで上がったところで解熱剤をもらってしのぎました。翌日は37度6分までですんだそうです。今日(つまり翌々日です)はまだ熱もなく、とても元気でした。発熱は解熱剤があるので別にいいんです。問題は血液中の白血球や血小板等が減少するということで、貧血やその他色々と難儀なことがありそうです。どっちにしろこれからだ、ということには間違いなさそうで。
2006年09月08日
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今日は夫の肝生検がありました。昨日も書いたように、これは肝臓にふっと~い針をぐさりと右わき腹から突き刺して肝臓の細胞を取り出し、繊維化がどれだけ進んでいるのかを調べる検査だそうです。昨日、本人と家族(私)の同意書を書いた(こんなことあんなことが起こっても文句は言いません、ってヤツです。最近の病院ってこういうのがすごく多い。)ことだし、外科手術のように検査には私も立ち会わなきゃいけないのかと思ってたけど、その必要はないです、と言われたので検査が終わって少ししてから病院に着きました。検査後は6時間ベッドから起き上がることはできません。不機嫌そうに横たわっていた夫の表情が私を見るとぱぁっと明るくなったような気が・・水が飲みたくて待っていたようです。(なぁんだ、そんなことか。看護師さんに言えばいいのにね)寝たままで飲まなきゃいけないので、吸い飲みを借りようと看護師さんに言うと「貸し出しはできないんですよ、売店で買ってもらわないと。でももったいないので、ストローでいいと思いますよ」おぉそうだった。寝たままでご飯を食べさせなきゃいけないのはわかってたので、スプーンは持参してきたのにストローを忘れてました。私は自分の入院は4回、看護の経験も多い方だしこういうことに関してはベテランだと思ってたけどこれじゃベテランの名が泣きますね。で、ストローを買いにいこうかと思ってたら件の看護師さんが「曲がるストロー」を持ってきてくれました。さてお次は検査後3時間半たてば、寝たままの食事です。はい、おくちをア~ンして、っていうアレですね。こういうのって初めての体験なので、お互いにテレテレ・・(照れるような年じゃないんだけど)食欲は旺盛なのに、半分量しか食べちゃいけないのが残念そうでした。肝生検の結果およそ一週間後に出ます。またドキドキだな~で、明日から早速ペグインターフェロンとリバビリン(薬名は『レベトール』といいます)併用の治療が始まります。どんな副作用が待っているのでしょうか。発熱はまず間違いないと思うので、バスタオルやらベスト、カーディガン等の用意も万端。(熱が出るときって寒いので)帰ってきたら、家業の仕事が山積み。来客・電話も次々と。義母は相変わらず「Tちゃんはどこや?」攻勢だし、子供達は出かけてるし、目の回りそうな私。だけど今日は泣きたくはなりません。開き直ってきたのかな。皆さんに励ましてもらったおかげでもあります。本当にありがとうございます。そんなこんなを繰り返しながら、今のことをいつか笑って振り返れる日が来るといいな・・今夜は風がとても涼しくて気持ちがいいですね。
2006年09月05日
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夫が今日入院しました。おっとその前に(おやじギャグ?)8月30日に聞いた検査の結果では、C型肝炎以外に悪い所は見つからなかったということです。(だけど体重は減る一方・・どうなってるのかなぁ?)それで、肝炎の治療をいつから始めましょうか、と問われて夫は「一日でも早い方がいいです」と返答し、今日入院という運びとなりました。あまり日にちがなかったので、この間夫から私へのモロモロの引継ぎ作業でものすごく忙しかったです。今日は息子が学校に行く前に車で送ってくれて、私が付き添っていきました。義母のお守りは夫の兄のKちゃんの出番です。入院に際して書くアンケートみたいなものがあって、その中にこういう質問がありました。入院中の世話を主にしてくれるのは誰ですか?入院中にあなたの仕事の代わりをしてくれるのは誰ですか?悩み事があるときは誰に相談しますか?等々、後は忘れたけれど似たような質問が続いてました。これらすべて夫の答えは「妻」でした。それを見て、不覚にも涙が出てきました。私はこんなに頼りにならない、いい加減な妻だというのに、それなのにそう書かざるを得なかった夫が気の毒になってきました。明日は肝生検(肝臓に針をさして組織をとって調べる検査)があるので、また病院に行きます。義母は「Tちゃん(夫のこと)はどこへ行ったんや?」という台詞を、私が帰ってきてから一体何度繰り返したことでしょう。「今日は遅くなるらしいから、先に寝ましょ」と私と娘とで何度もなだめたんだけど、ついさっきは「Tちゃんが無事に帰ってくるか心配や」とポロポロ泣いてました。私も泣きたいです。
2006年09月04日
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