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2016年08月09日
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
氷砂糖の研究を始めてから七年目明治一六年(一八八三)藤三郎二十七歳の時に氷砂糖の製造法を発明する。藤三郎は氷砂糖製造に入り、結晶法による純度の高い氷砂糖は好評だった。そこで資金を借りて大々的に氷砂糖工場を建設しようとする。誰か資金を貸してくれる人はいないかと森町報徳社の新村理三郎に相談すると、「岡田良一郎先生に相談すれば、私も口添えしましょう」という。そこで氷砂糖創業予算表と工場建築図面を岡田良一郎のもとに持って行き説明し、資金を融通してくれるよう頼んだ。しかし、岡田は書類に眼を通して「予算上一割しか利益が上がらない事業では、利益などはとても得られないと思う。」と融資を断わる。藤三郎は落胆した。これを救ったのが森町の実業家福川泉吾氏だった。その時の感動が「特殊なる私立周智農林学校」に、「この時は実に地獄で仏に遇ったと云う嬉しいことでありました」と描かれている。「鈴木氏は、胸中ふと福川大人の人物経歴を想起し、さなりさなり、わが助力を請うものこの人より外あるべからずと。帰来しきいをまたぐの隙なく、直に大人を訪いて、年来の苦辛を語り事業の成績及び予算表を出してこれが助力を請う。大人具さに聞き終わり、かつ子細に予算表を点検し、やがて口を開きて云うよう、子が事業可なり。子が精神殊に可なり。薄利の予算に基づき勤労を怠らざれば天下何事か成らざらん。子の事業われこれを助けん」福川泉吾は「私は、あなたの事業は見込みがあると思う。ことにあなたの事業に対する精神がよい。薄利の予算に基づいて一生懸命努力したら、世の中で成功しない仕事はありません。世の中の人は、初めから大層儲かるような予算を立てて着手するから儲かりもしないうちから費用ばかりかけ、結局費用倒れして大抵の事業は成功しないのです。事業の初めに利益を最低に見て予算を立てるのはでき難いことです。あなたの予算の立て方は気に入りました。事業をすぐ始めなさい。資本は私が用立てましょう。」と言った。福川は藤三郎の精神を褒め、地元の青年の実業を援助した。建設資金は福川が出資し、事業の運営資金については森町報徳社が繰返し融資した。藤三郎の氷砂糖製造は、故郷の遠州森町の人々が育てたのである。また、藤三郎は吉川長三郎という得がたい経営の右腕を得た。藤三郎と吉川は十年契約を結び、誓約書を交わし、吉川は生涯遵守した。「一、共同出資の責任を藤三郎七分、吉川三分とすること。二、互に毎期の利益は、全て拡張費に投じ、決して事業外に取り去らないこと。三、この約束は十か年を一期とすること。」二の「互に毎期の利益は、すべて拡張費に投じて、決して事業外に取り去らない」が「荒地を開くに荒地の力を以てする」である。荒地開拓法で鈴木藤三郎は精製糖事業と鈴木鉄工部を「小を積んで大とな」していった。





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最終更新日  2016年08月09日 02時46分43秒


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