GAIA

GAIA

全て | 報徳記&二宮翁夜話 | 二宮尊徳先生故地&観音巡礼 | イマジン | ネイチャー | マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界 | 宮澤賢治の世界 | 五日市剛・今野華都子さんの世界 | 和歌・俳句&道歌選 | パワーか、フォースか | 木谷ポルソッタ倶楽部ほか | 尊徳先生の世界 | 鈴木藤三郎 | 井口丑二 | クロムウェル カーライル著&天路歴程 | 広井勇&八田與一 | イギリス史、ニューイングランド史 | 遠州の報徳運動 | 日本社会の病巣 | 世界人類に真正の文明の実現せんことを | 三國隆志先生の世界 | 満州棄民・シベリア抑留 | 技師鳥居信平著述集 | 資料で読む 技師鳥居信平著述集  | 徳島県技師鳥居信平 | ドラッカー | 結跏趺坐 | 鎌倉殿の13人 | ウクライナ | 徳川家康
2016年08月11日
XML
カテゴリ: 鈴木藤三郎
余が菓子商として五年間に売上高を十倍にしたる営業法
(大日本醤油醸造会社長鈴木藤三郎「実業日本」一一(二〇))

その1

その2

調査の結果経費の二割を節約した
 私の家の経済は養父も別に心得がなかったので、一切不明であった。そこで自分で調査して見ると、家の経費が二百六十円で一ヶ年の売上金額が千三百五十円である。これで計算すると現在の純益歩合が二割五分ということになる。しかし菓子商で二割五分の利益とは少し困難である。確実な計算とすれば二割であろうと思った。そうすれば一ヶ年の得るところ二百余円で五十円ばかりの不足となる。しかし明治十年からは自分という一人の労働が新たに加わる。のみならず入費も不整頓であるから、これを聖噸すればいくらかの節約が出来るに相違ないと思ったので、先生の仕法に基づいた家政経費調という書類を借りてきて、これを先例として自分の家政を分析してみた。その結果、食物衣類等経費の項目がおよそ三百余種あったが、その中には是非とも欠くべからざるものと欠いても左まで苦にならぬものとがあった。それを一々より分けて節約の出来る経費がちょうど五十円位あることが解った。

次に残した金で商品の価を安くした
 明治十年からは新しい人間になった積りである。一方には身を節し用を省いて専心経済を治め、他方には「勤労を主とす」る主義に則って未明から夜半まで働いた。さてその年の暮れになって計算して見ると一ヶ年の売上金額が千九百円まり、二千円足らずで、経費は予算の通りであったから、節約した五十円の外に計算外の利益五十円を得て、合せて百円の金が残った。そこで翌年はこの金を二百五十円とするには既に内、百円が手元にあるから、差引百五十円を二千円の売上金から残せばよいのである。二千円に対する百五十円といえば、ざっと七分に当る。先ず一割の利益を得ればよいというソロバンが立つ。そのソロバンに合うだけに品物の値を安くすることが出来る。値が他店に比べて安いのであるから売上高がズット増加して第二年の終りには三千五百円となった。従来の商いの口銭(こうせん)は単に外々の同業者の振合い見て競争に堪えられる限り一杯の値に売っていたのであるが、私は荒地主義で分外を利用して安く売ったのであるから、得意はたちまちにふえ、売上高が増加したのである。

五年間に売上高が十倍になった
 この筆法で五ヶ年間、商業を続けたところが、第五年目には売上金が一万円、利益は僅かに五分取っても沢山になって来た。資本金も始めは二百六十何円しかなかったのが、五年の終りには千三百何円となった。これで私は荒蕪の力を以て荒地を拓くという主義は何の事業にも応用される、天下これに由りて起らぬ事業なしという先生の説に一点の疑いもなくなった。

とを持参して岡田良一郎氏―氏の父は二宮先生の高弟で、氏もまた先生の道を修め、始終先生の教えを諸方に伝えることに尽瘁され、斯道(しどう)の泰斗(たいと)として師事された人であるーの所へ行き、始終の話をした時、岡田氏も至極賛成されて、自分も多年この道を講じ、自分も行い、人にも勧めたけれども君の如くに荒蕪の主義を商業に応用したもののあるを聞かぬ、実に斯道の模範であると激賞された。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年08月11日 00時30分00秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: