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2024年4月27日 アマオケのマーラー3番を聴きました。指揮者佐伯正則(さえき まさのり)さんのマーラー3番への大きな愛がひしひしと伝わってくる、大感動をいただいた演奏でした!「マーラー交響曲第3番特別演奏会」~~佐伯正則生誕50周年記念~~ 指揮 佐伯正則 メゾソプラノ 花房英里子 ポストホルン ヨウコ・ハルヤンネ 女声合唱 ESMT祝祭合唱団(合唱指揮 山神健志) 児童合唱 ゆりがおか児童合唱団 ESMT祝祭管弦楽団 2024年4月27日 調布市グリーンホール 指揮者佐伯正則さんという方が、ご自身の50歳の誕生日に、念願のマーラー3番を演奏する特別演奏会だそうです。佐伯さんを慕って集まった方々による演奏で、オケは全国沢山のアマオケから集まった臨時編成ということです。 春のあたたかな日、会場に行ってみました。舞台を見ると、オケは両翼配置で、コントラバスは下手側。ハープは上手側に2台で、ハープの奥にティンパニーです。 そして舞台奥には雛壇が何段かあります。チューブラーベルは、雛壇(最上段?)の上手側の端に設置されていたので、スコアの指定どおり高いところなのでうれしいです。これと対称の位置にあたる下手側の端には、譜面台が一つ置かれています。これは独唱者用の譜面台なのかどうか、この時点では不明でした。 オケが入場してきました。女性陣はさまざまなカラフルな衣装で、綺麗です。 演奏が始まりました。冒頭のホルン主題の途中(第5小節から)、上行音型を繰り返すところで、ややテンポを落とします。ここでテンポを落とすのはCDではセーゲルスタムがやっています。実演ではノット、アルミンク、大植さんなどがひところやっていて、私が勝手にギアダウンと名づけているやり方です。最近はあまりこの方法に遭遇することはなくて、久々でした。(再現部のホルンもややギアダウンしていました。)シンバルの数は、私の席が前すぎて、オケの後ろの方は全然見えず、確認できませんでした。 この第一楽章、とても魅力に満ちた演奏です。特に、美しくやさしい歌が奏でられるところで、テンポを落として、じっくりと歌うのが素晴らしいです。たとえば、練習番号39の直前、トランペットの信号音型(第490~491小節)あたりからぐっとテンポが落とされます。そして続く練習番号39,40, 41とホルンとソロヴァイオリンが織りなす美しい歌が、ソロチェロを経て、やがて低弦のメロディーに引き継がれていくところ、このあたりの美しさが、大切なものを慈しむかのようにやさしくあたたかく歌われ、本当に素晴らしいです。指揮者が3番に寄せる共感の強さがじんじんと伝わってきて、聴き惚れます。 それから弦が半分で弾くところ(練習番号21あたりから)も、斬新なアイデアがありました。コントラバスは見えなくてわからなかったので他の弦楽器についてだけ書きますが、最初は後方のプルトで弾かれはじめました。この後方プルト方式、近年はときどき見かけるようになっています。この方式、普通だと、このまま進んでいき、練習番号26から弦が全員で弾くという流れになります。しかし今回、練習番号26よりもだいぶ前から、気が付いたら前方プルトの奏者が弾いていて、あれっずいぶん早い弾き始めだなと思ったら、後方プルトは弾くのをやめていました。すなわち途中から、弾く奏者が後方半分から前方半分に交替していたのでした!そして練習番号26からは、弦全員が弾きはじめました。いろいろな3番に接して来たなかで、私が気がついた範囲では、同じパートでこのように途中で後方から前方に途中で切り替わる、という方式は初めてみました。夏が遠くから次第に近づいてくるというイメージをはっきりと示したいためと思います。佐伯さんの素晴らしいこだわりです。なお楽章後半での弦楽半分のところ(練習番号62~65)は、半分で弾く箇所が比較的短いためか、後方プルトの奏者がずっと弾き続け、途中で前方後方が交替することはなく、練習番号66から全員で弾く、という方式でした。 また再現部直前の小太鼓は、舞台裏でなく、舞台上でした。会場の都合で舞台裏の演奏に対応していないのか、あるいは人手の点などで指揮者が妥協したのでしょうか。 今回の演奏会では、第一楽章が終わったあと休憩20分がとられることがプログラムに明記されていたのを事前に目にしていました。聴いている途中から、この素晴らしい第一楽章が終わったら拍手ができたらいいなぁと漠然と思っていました。そうしたら幸いにも、第一楽章が終わってタクトが下りてから、ある程度の拍手が始まったので、私もそれに乗っかって、しばし拍手しました。指揮者もうれしそうに、こちらを向いて一礼したので拍手は結構強まり、指揮者が引っ込んだあともちょっとの間ですが拍手が続き、やがて治まりました。アルマの記述によれば3番初演時、第一楽章の終了後に拍手がわき起こったということですので、私かねがね、良い第一楽章の演奏終了のときにいつか拍手ができればいいと思っていました。過去に少し拍手が起こりかけたことは何回かあるのですが、今回は音楽内容が本当に素晴らしかったし、沸き起こった拍手の音量、時間ともにこれまでで一番充実した拍手となったので、うれしい気持ちになりました。 なおアマオケでは、このような第一楽章終了後の休憩は、かなり稀に見られます。私が経験した中では、2016年5月のオーケストラ・アンサンブル・バウムによる3番の時がそうでした。これも温かく素晴らしい3番演奏でした。 休憩のあと、合唱団が入場してきました。高いひな壇に児童合唱、その手前の低い雛壇に女声合唱が位置しました。すなわち高いところにチューブラーベルと児童合唱を配置するという、スコアの指示をしっかり守るやり方で、これもうれしいです。 第二楽章、第三楽章とも、やや遅めのテンポを基調にした落ち着いた演奏でした。ポストホルンは、私の席からは見えませんでしたが、明らかにホール内、舞台上で吹いている音だったので、おそらく雛壇最上段の下手側の端の譜面台のところで吹いたのだと思われます。舞台上で吹くと、同じ空気を共有してしまい、「遠くで」というマーラーの意図と大きくずれてしまいます。佐伯さんが3番を愛し、3番に並々ならぬ共感をお持ちということはこの演奏の随所から非常に良くわかるだけに、ポストホルンを舞台上に配置したという点だけは、いささか残念でした。 第三楽章最後近くの、トロンボーンからホルンに受け継がれる「神の顕現」のところは、テンポを落とし、実に深々とした素晴らしい音楽になっていました。 第四楽章、メゾソプラノの方は、舞台上手、ハープの手前(客席より)の位置で、歌いました。良い歌唱でしたし、指揮者の歌心が、この楽章でも良く現れていて、美しい、充実した味わいの第四楽章でした。 第四楽章の最後の音の響きが消えるとともに、合唱団がさっと立ち上がり、アタッカで第五楽章が始まりました。プログラムに記載されている人数をみると、女声合唱50数人に対して児童合唱は20数人と半分ほどの人数でしたが、児童合唱がしっかり歌っていました。この楽章も、良かったです。楽章途中の練習番号6、暗闇を束の間覗き見るように盛り上がる部分は、テンポをぐっと落として、深みがすごく出ていました。それから楽章の最後の方(第104~107小節)、歌詞の最後を歌うところも、いきなり大きくテンポを落として締めくくりを作っていました。この部分、スコアにはテンポに関する指示は何も書かれてないので、ほとんどの演奏はここをテンポをあまり変えずに軽やかな感じで進んでいくのですが、テンポを大きく落とすこのやり方は、斬新で、音楽に重みがつく、佐伯さん独自の解釈による、ひとつの素晴らしい方法と思います。 そして第五楽章終わりの児童合唱の座り方も秀逸でした。この楽章は120小節あって、児童合唱が歌うのは第119小節までで、最後の第120小節は、三声部の女声合唱のうち高声部のパートだけが「bimm----------」と歌い、オケのごくわずかな楽器とともに静かに消えていきます。児童合唱は、自分たちが歌い終わってすぐ、この第120小節(フェルマータがついているので長い)が演奏されているときに、着席していったのでした!(女声合唱は私の席からは良く見えず、いつ座ったか不明です。どなたかご存じの方がいらしたら教えていただけるとありがたいです。)この、楽章最後の小節の演奏中に児童合唱が座るという方式もユニークで、私は初めて見ました。これによって第六楽章がきちんとアタッカで開始されました。(着席によるノイズがごくわずかに発生しましたが、必要な静寂・緊張は十分に保たれた、素晴らしいアタッカだったと思います。) 結局第四、第五、第六楽章のアタッカの扱いに関しては、綿密に考えられ、一部独自の方法を用いた、必要十分なアタッカを実現していました。アタッカ、あるいは合唱の立ち座りのタイミングに関しては、以前シャイーがやっていた方式(私は勝手に「シャイー方式」と呼んでいます)がもっとも完璧な、妥協しない方法だと個人的には今でも思いますが、この「佐伯方式」も、なかなかに良い方法だと思いました。 そして始まった第六楽章、ゆっくりとした歩みを基調とし、ときどきテンポを落とし、大事な声部を丁寧に紡いでいく、その歌のすばらしさ、もう何も言うことはありません。佐伯さんが抱くこの曲への大きな愛がひしひしと伝わってきます。ただただその音楽に包み込まれ、落涙する幸せ。いよいよ金管コラールも、そしてその後も、ゆったりとした足取りはいささかも急ぐことなく、主題が高らかに歌われ、そしてティンパニーの歩みも悠然と進みます。このティンパニーの音も柔らかく温かく、素晴らしかったです。 オケの最後の和音の響きが消えて、会場からは拍手が起こり始めましたが、佐伯さんは両手を高々とあげたままおろしません。そのうちに拍手は止み、あらためてホールを静寂が包みました。貴重な静寂のひとときでした。そしてやおらタクトが下ろされ、あらためて拍手が始まりました。 しばしの拍手喝采が続きます。誕生日なのできっとハッピーバースデイソングをやるんだろうなと思っていましたが、なんと突然、ホルンが3番冒頭の主題を豪快に吹き始めました!それがしずまったとき、コンマスの指揮で、いよいよ合唱団とフルオケでバースディの歌が始まりました。転調もして盛り上がり、ついには会場全体も巻き込んで歌や拍手や雨あられ、そしてさらに驚きは、最後に第一楽章最後の部分が演奏されて締めくくられました。3番の第一楽章による、ハッピーバースデイソングのサンドイッチ!なんとも型破りで最高の祝福ソングです。 佐伯さんの長年の夢だったというマーラー3番演奏、50歳の誕生日の日に、愛に溢れた稀有な3番を聴かせていただきました。オケの方々も全国から集まっているということで、あまり練習時間が取れなかったことと思います。そんな中で佐伯さんの思いに共鳴して作り上げた素晴らしい3番演奏、大感動をいただきました。佐伯さんはじめ皆々様、本当にありがとうございました! 願わくば10年後の還暦3番、また聴かせていただければ、と思います。
2024.04.29
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1月8日の新交響楽団のコンサートで、シュレーカーの「あるドラマへの前奏曲」の最後に出てきた、マーラー10番終楽章途中の重要なメロディを彷彿とさせる短7度上昇音型が、とても気になりました。そこで後日、ネットでシュレーカーのこの曲を聴いてみました。曲が始まって少ししてから、低弦を主体にうたわれる重要な主題が、始まりのB→Aと、途中のE→Dの、二つの短7度上昇音型を含んでいることに気が付きました。そして曲の途中には、短7度上昇音型(E→D)を3回繰り返すところもありました。これらの箇所は、コンサートで聴いているときに、特別にマーラーを思い起こすことはありませんでした。そしていよいよ曲の最後、僕が10番を想起して驚いた部分の短7度上昇音型は、A→Gでした。静かに美しく、「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」と3回繰り返すのでした。(僕は絶対音感はないので、ピアノで音高を確認しながら聴きました。)興味深いことに、マーラー10番の当該箇所も、同じA→G を3回繰り返しているのです!下の図をご覧ください。10番クック版第3稿の最終楽章第26小節からの楽譜です。クックが補筆したスコアではなく、その下に示されているマーラーの4段の自筆譜(パーティセル)を浄書した部分です。上段に、Horに導かれてFlの旋律が始まる様子が示されています。(Associated Music Publishers, Inc. and Faber Music Ltd. 1989, AMP-7001, F0273 p.123 )「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」の3回繰り返しです。ここまでそっくりとなると、まさかシュレーカーがマーラー10番を引用したのだろうか、という疑問が湧いてきます。〇時系列で確認すると、1910年 マーラーが10番を作曲1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。1913年 シュレーカー「あるドラマへの前奏曲」を作曲1914年 同 初演(ウィーン)1918年 シュレーカー オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。となります。シュレーカーはマーラーより18歳年下で、マーラーが没した1911年には33歳頃です。シュレーカーはもしかしてマーラー10番の自筆草稿譜を見せてもらったのだろうか、という可能性を考えてみましたが、自筆譜には、アルマとの愛に苦悩するマーラーが心情を吐露した言葉が書きこまれているわけです。そんなものを生前のマーラーが他の誰かに見せたということは、ちょっと考えにくいです。アルマもまたマーラーの死後に、自筆譜を他人には軽々しく見せたくなかっただろうと思います。後にアルマは、ようやく1923年にクルシェネクに自筆譜を見せ、そこから10番補筆の歴史が始まることになりますが、それよりずっと早い1913年頃までに、アルマがシュレーカーに自筆譜を見せたということは、非常に考えにくいです。となると、偶然の一致?あるいは、マーラーに先行する誰かの曲にこういう音型があって、マーラーもシュレーカーもそれに影響を受けていたのかもしれません。だとすれば最右翼はワーグナーでしょうか?でもワーグナーの音楽で、短7度上昇音型で始まる重要な動機あるいはメロディは、ちょっと思いあたりません。少し話がそれますが、コルンゴルトのオペラ「死の都」にも短7度上昇音型が3回繰り返されるところがあります。第2幕への前奏曲の途中です。この曲のこの部分を初めて聴いた時にも僕は結構驚いて、コルンゴルトはマーラーの10番の自筆譜を見たのだろうかとも考えたものです。しかしコルンゴルト(マーラーより37歳年下で、マーラーが没したときには14歳)が、やはり最晩年のマーラーあるいはアルマから自筆草稿譜を見せてもらったということは、かなり考えにくいです。では偶然の一致なのだろうか、とかねてから疑問に思っていたのですが、今回シュレーカーの曲を聴いて、新たな可能性に気が付きました。〇コルンゴルトを入れてもう一度時系列で並べてみると、1910年 マーラーが10番を作曲1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。1913年 シュレーカー、「あるドラマへの前奏曲」作曲1914年 同 初演(ウィーン)1916~1920年 コルンゴルト、オペラ「死の都」作曲1918年 シュレーカー、オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。したがってコルンゴルトは、シュレーカーの前奏曲(あるいはオペラ)から影響を受け、短7度上昇音型を3回繰り返すフレーズを曲中に使用した可能性がある、と思いました。(ただし、「死の都」の当該部分の実際の音高は E→D でマーラーやシュレカーとは異なり、曲調もマーラーやシュレーカーとは異なりやや不穏な感じがする使われ方をしています。)さてマーラーとシュレーカーに話を戻します。これらの曲に出てくるゆっくりとした短7度上昇音型を聴くと、言わば「オクターブの調和・充足に憧れて、それに届きたい。だけどあと一歩届かない。」というような、はかない憧れのような感情が、僕の中にうずくように生じます。(これはもちろん音程だけだけでなく、背景の和声の雰囲気によるところも大きいです。ちゃんとした言い方でなんという和音かがわからないので(^^;)移動ドで言うと、ソドレファラの和音です。)愛、あるいは究極の美、あるいは至高の芸術。そういった何か完全なるものに憧れ、求め、熱望しながらも、もしかしたら届かないかもしれない、というせつなさを含んだ、はかなくも美しい短7度上昇音型。これはもう、まさに憧憬の音型と言いたいです。しかもこれが3回も繰り返されることにより、「憧憬感」が強まり、より一層胸に響きます。「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」ここで先ほどちょっと書いたワーグナーについて、「憧憬」の観点から見てみたいと思います。ワーグナーにはあまり詳しくないんですけど、ワーグナーの音楽で「憧憬の動機」として有名なものに、トリスタンとイゾルデの前奏曲の冒頭に現れる動機がありますね。この動機の前半部分は上行音型で始まり、後半部分はいわゆる「トリスタン和音」が半音階的に進行します。トリスタンとイゾルデの前奏曲を改めて聞いてみました。曲の最初にこの動機が3回繰り返されますが、前半部分の上行音型は、最初は短6度(A→F)で、次の2回は長6度(H→Gis、D→H)でした。そしてそれに続いて、チェロが奏でる美しい旋律が、「眼差しの動機」と呼ばれるそうですが、この旋律に短7度上昇音程が2回含まれています。1回目はC→D→Cと7度下がってまた戻るという流れですが、2回目はC→Bでこの旋律の頂点に跳躍する、かなり目立つ短7度上昇です。このあと前奏曲はこの動機を中心に盛り上がっていき、そのあと静まって、憧憬の動機の前半部分の長6度上昇が何回か聞かれ、最後は静かに、短6度上昇(今度はG→Es)もちょっと聞こえ、低いG音で終わります。(前奏曲に続く水夫の歌は、同じ短6度上昇(G→Es)で始まります。)結局この前奏曲全体として、短6度上昇に始まって、長6度上昇、さらに短7度上昇と次第に「憧憬度」が増して盛り上がり(トリスタンとイゾルデ、見つめ合う二人)、そのあと再び長6度上昇を経て最後は短6度上昇に戻っていくという、複雑な仕掛けが巧みに組み込まれていることに初めて気が付き、さすがはワーグナー、と感じ入りました。それにしても、長6度上昇の「憧憬」と短7度上昇の「憧憬」。両者は、同じ「憧憬」と言っても、音楽的な響きの印象はずいぶんと異なりますね。この違いは何なのだろうと考えたところ、何となく自分の中で整理がついたような気がしてきました。誤解を恐れず大胆に言ってしまうと、長6度の方は「きっといずれ届く憧憬」「やがてかなうであろう憧憬」に近く、対して短7度の方は、「おそらくかなわない憧憬」「かなわないかもしれない憧憬」に近い、と言えるのではないでしょうか。個人的には、ワーグナーの音楽は本質的にしっかりした自己肯定が基盤にある(自分に揺るぎない自信がある)音楽だと思っています。「己の願望は、たとえ死んでも必ずかなう。」そういうワーグナーの音楽における憧憬は、長6度上昇の「いずれかなう憧憬」がふさわしいように思います。ただワーグナーにしても、願いが成就するまでには様々な苦難や葛藤があるだろうし、そのあたりがトリスタンとイゾルデの前奏曲にも、しっかり現れているように思いました。一方マーラーの音楽は、ワーグナーと異なり、「憧れて、届かない」というところに根っこがあるように思っています。特に、アルマの不倫の衝撃にあえぎながらアルマを愛す10番は、マーラー作品のなかでもその性質が最もストレートに出ていると言えるでしょう。これには、短7度上昇の「かなわないかもしれない憧憬」がまさにぴったり一致する、と腑に落ちました。マーラーとシュレーカーの表現が、そっくり同じA→Gの3回繰り返しなのは、偶然の一致なのか、何かのつながりがあるのか、真相はわかりません。ひとつ思うのは、時代背景です。この時代(1910~1920年頃)が持つ雰囲気そのものの中に「かなえられない憧憬感」があって、その中でマーラーやシュレーカーの音楽表現が醸成されやすかったのだろう、と思います。このところ、シュレーカーのオペラ「烙印を押された人々」を繰り返し聴いて、はまっています。このオペラ、まさに「かなえられない憧憬」の物語で、それが音楽的に見事に表現された素晴らしいオペラです。そして、ところどころにマーラーの色濃い影響を感じます。たとえば、ここぞというところで、静かに吹かれるバスクラリネットの意味深さ。より具体的なところでは、第二幕中ほどの、点描的なハープや、さらにそれにフルートソロが重なる部分など、9番の第一楽章の雰囲気にかなり近いです。これを聴くと、少なくともシュレーカーがマーラーの9番(1912年初演、ウィーン)を聴いたのは確実だと思います。マーラーはオペラを書きませんでしたが、その代わりにシュレーカーやコルンゴルトが、素晴らしいオペラを残してくれたこと、実にありがたいことだと思います。長くなってしまいました。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。なおマーラ10番については、金子建志氏著、音楽之友社「マーラーの交響曲」(1994年)および「マーラーの交響曲・2」(2001年)に書かれた解説が、楽曲分析、補筆史ともに非常に詳しく、大変興味深いです。今回久しぶりに読み返して、あらためて納得することがいろいろありました。
2024.01.27
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マーラーとシュレーカーのコンサートを聴きました。今年初めて聴くコンサートです。2024年1月8日 東京芸術劇場 新交響楽団第264回演奏会 指揮 寺岡清高 シュレーカー あるドラマへの前奏曲マーラー 交響曲第10番 クック版第3稿マーラー10番全曲を聴くのはかなり久しぶりです。第一楽章単独はたまに演奏されるけど、自分としては、第一楽章だけ聴いて終わってしまうと、解決されない「もやもや感」がたまってしまいます。この曲は最後まで聴いた時に大きなカタルシスが得られるので、やはり全曲を聴きたいです。けれど、全曲演奏会は少ないし、たまにあっても、自分の体調不良やスケジュールの都合で聴けなかったことも多いです。自分のブログで調べてみたら、2010年1月に聴いたのが最後だったので、なんと今回14年ぶりになります。プログラム前半は、シュレーカー作曲「あるドラマへの前奏曲」。初めて聴く曲です。解説によると、「烙印を押された人々」というオペラ(1913~1915年)の前奏曲的な内容の曲で、オペラに先立って1913年に作曲され、1914年に初演されたということです。曲は、ざわめくような弦の上に、チェレスタ、ハープ、ピアノなどが醸し出す不思議な雰囲気で始まり、何かハリーポッターのような魔法の世界に引き込まれる感じです。なかなかに素敵で、聴いているうちに少々眠気を生じて(すみません、、)まどろみつつ不思議な夢を見ているような、ときに多少目覚めたり、という感じで、気持ちよい時間を過ごしていました。そうして聴いていたところ、最後近くにヴィオラやオーボエ他がひそやかに美しく、短7度上昇音型(移動ドで歌うと「ソーファーーー」です)を奏で始め、「ソーファーーー、ソーファーーー、ソーファーーー」と3回繰り返され、まもなく静かに曲が終わりました。僕はこの部分に非常に驚いて、眠気が吹っ飛び、完全に覚醒してしまいました。というのは、この短7度上昇音型の3回繰り返しが、マーラー10番の終楽章の重要な部分とすごく似ていたんです。10番終楽章最初の方、例の大太鼓が数回打たれたあと、フルートがソロで、美しくもわびしい、短7度上昇音型で始まる長いメロディを吹きます。吉松隆さんが「マーラーの書いたもっとも美しいメロディの一つ」と仰っています。そしてこのフルートに先立って、ホルンが同じ短7度上昇音型を2回吹き、引き続きフルートのメロディが始まるので、都合3回、短7度上昇音型が繰り返されます。「ソーファーーー、ソーファーーー、ソーファーーー」シュレーカーの曲には、マーラー10番の重要な部分とかなり似た雰囲気を持つ印象的な場面が最後に用意されていたわけです。マーラー10番に先立って演奏する曲として、これほどふさわしい曲はちょっと他にないのではないでしょうか。指揮の寺岡さんあるいはオケがその意図を込めて選曲したのだとしたら、すごいことだ、と思いました。休憩のあと、10番の全曲演奏は、ややゆっくりとした歩みで、素晴らしいものでした。オケもみな立派で、私的には特にトランペット首席さんが柔らかく温かく、かつ芯がある音で、ノーミスで吹き切ったのが見事と思いました。久しぶりの10番全曲聴体験に、感銘を受けました。この日のコンサートでとても印象に残った、短7度上昇音型について詳しくは、次の記事に書こうと思います。
2024.01.25
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高速タンギングさんのラジオ投稿用の記事を、見やすいように独立してたてました。高速タンギングさん、今後はこちらのコメント欄にどうぞ書いてください。
2024.01.25
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久しぶりに演奏会の感想を書きます。ネルソンス&ボストン響のマーラー6番を聴きました。11月9日 横浜みなとみらい 11月13日 サントリー ネルソンスのマーラーは初めて聴きました。マーラーへの大きく豊かな共感が伝わってきました。重要な部分の足取りをじっくりと落とし、憧憬の念が強く込められていて、強い感銘を受けました。楽章順は第二楽章スケルツォ、第三楽章アンダンテでした。 そして3回ハンマーでした。 以下、3回ハンマーのこと、カウベルのこと、演奏全体のことを書きます。 1)3回ハンマーのこと3回ハンマーについては、2019年のギルバート&都響のときの記事に詳しく書きましたので、ご参照ください。3回ハンマー その1:楽譜による違い3回ハンマー その2:3回ハンマー指揮者列伝今回の3回ハンマー(終楽章第783小節)の、ハンマー前後部分の演奏については、それに続く部分でチューバとトロンボーンは休みで、ティンパニが二人ではなく一人でした。また3回目のハンマーの1小節前(第782小節)の4拍目、ハープのグリッサンドの途中から、チェレスタがグリッサンド風の7連符を演奏していました。それから3回ハンマーの少し前の、第773小節3拍目のチェレスタの和音も、打ち鳴らされていました。すなわちこれらから、今回の使用楽譜は、第3版、もしくはそれを校訂した国際マーラー協会の全集版であったと思われます。それにただ単に3回目のハンマーを追加した、ということになります。ギルバート&都響のときと同じです。なおハンマーは、舞台下手奥に置かれた大きな木製の箱を、打っていました。ネルソンスが3回目のハンマーを追加した意図はわかりませんが、目立つように大上段に振りかぶってズシンと打ちこむという感じのハンマーではなかったので、少なくとも視覚的なパフォーマンスを追求したためではないのだろうと思います。 2)カウベルのこと第一楽章、舞台裏のカウベルは、普通のカウベルの音で、これがなかなか豊かにいい音で、舞台裏で鳴らされていました。横浜でもサントリーでも、舞台下手の、客席に近い方ではなく奥の方のドアを少し開けて、かつドアのすぐそばではなく、少しドアから離れたところで鳴らしていたようで、その効果が出ていて、距離感がほどほどに出ていました。第三楽章、舞台上のカウベルが、独特でした。小さめのカウベルを、上から下まで縦にひとつながりに8つ、下ほど小さくなるように、連ねたものを2本ぶら下げて、それを手で揺らして音を出していました。これは見た目にも独特だし、普通のカウベルのガランゴロンとした音ではなく、ジャラジャラという感じの独特の音でした。そしてカウベルでもっともユニークだったのは、終楽章での鳴らせ方でした。終楽章で2か所出てくるうち、最初の部分(練習番号121、第239~251小節)は普通に舞台裏で鳴らしていて、いい音でした。しかし、二か所目の部分(練習番号145と146、第554~560小節と第568~574小節)は、なんと舞台上のカウベルを鳴らしていたのです!終楽章で舞台上のカウベルを鳴らす演奏を目撃したのは、初めてです。なぜ、楽譜の指示に反してあえて舞台上で鳴らしたのか、ネルソンスの意図はどこにあるのか、謎です。 3)演奏全体のことしかし今回の演奏は、3回ハンマーとか、一風変わった舞台上カウベルの音色やその鳴らせ方とかについて云々するのは、あまり意味がないことのように感じます。何よりも、最初に書いたように、重要な部分の足取りをじっくりと落とし、丁寧に、慈しむように、憧憬の念が込められていたことが、僕にとって素晴らしかったです。アンダンテ楽章のミステリオーソのところや、最後の盛り上がりのあたり。第一楽章の中間部などなど。それから終楽章最後の、トロンボーンの挽歌。こういった部分でテンポをじっくり落とすことは、横浜でも強く印象に残りましたが、サントリーでは一段と大きく落としていたように感じました。(僕の思い込みかもしれませんが。)ボストン響の魅力も十分に感じました。1番ティンパニ奏者の、全身がマレットになっているかのような気迫の打撃群。1番トランペットの輝かしくも切なく、胸がかきむしられる音色と歌。存在感ありすぎるほどのホルン隊。などなど。横浜はツアー初日ということもあってか、アンサンブルがやや乱れかけるところがありましたが、すでに音楽の充実ぶりは素晴らしかったです。聴衆の入りは少なかったけれど、その集中力はサントリー以上で、曲の最後はもちろんのこと、すべての楽章間で、ネルソンスのタクトが下ろされるまで咳払いなどの音が一切なく、張り詰めた静寂と緊張感が一度も緩むことがありませんでした!(ネルソンスは、タクトを下ろし始めるまで、すべての楽章間で、かなり長い時間をとっていました。)サントリーは、テンポをじっくりと落とし込む、憧憬の念を込める、という点ではおそらく横浜以上だったかと思います。もしかすると、これを音楽的緊張の弛緩とか、恣意的とか感じる方もいらっしゃるかもしれないけれど、横浜での6番を体験し共感した自分にとっては、横浜からさらに深化した音楽と受け止めることができました。ネルソンスとボストン響の方々、素晴らしきマーラーをありがとうございました!
2022.11.14
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9月10日放送、FMシアター「雪天神」を聴きました。 「どうして落語なんだろう。僕は、何を話したいんだろう。」落語家を目指す青年と、落語を愛したその父親の物語。 心にすっとはいってきて、涙と笑いを誘われる、語りと音楽。これきっといずれ再放送されるんじゃないかと、思います。そのときは是非また聴きたいし、石巻の日和山神社(ひよりやま神社)、いつか行ってみたいです。 【作】 葉月けめこ【スタッフ】 政策統括:森あかり、技術:北見仁志、 音響効果:加藤直正、演出:助川虎之助 (NHK仙台放送局制作)【出演者】 井之脇海、川島潤哉、曽根詠太、三國裕子、 橋浦あやの、藤原貢、大橋奈央
2022.09.17
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かけクラ、聴き逃しサービスで聴いています。先週のかけクラでやっていた、自分の葬式にかけたい音楽が聴きごたえあったので、久々に書き起こしました。今月のテーマ「セレモニー」に関して、とりわけ葬儀に関して沢山の投稿が集まったということです。6曲、8人の方の投稿が紹介されました。 ------------------------------------------------------------------------------------------- 〇野球も電車も阪神さん(兵庫県)、トイボ・クーラの結婚行進曲:その微かにもの悲しさを含んだ穏やかで美しい調べにすっかり魅了されてしまいました。私は今68歳で、自分の葬式ではミッシャ・マイスキーがチェロで奏でるグノーのアヴェ・マリアを流してもらおうと決めていたのですが、この結婚行進曲のあまりの美しさに惚れてこの曲に変えることにしました。お葬式に結婚行進曲は変かなぁと初めは思いましたが、結婚も旅立ちであり別れでもあるので、まあいいかと思いなおしました。 〇すさびさん(埼玉県)、シベリウスの悲しきワルツ:小生、還暦もとっくに昔過ぎた身としては、妄想できるセレモニーと言えば自分の葬式位です。毎年年初にエンディングノートなるものをつけ始めました。そこに記すのが葬儀の時に流してほしい音楽。毎年その時に一番好きと思った曲を書き記しています。今年の更新時に書いたのは、シベリウスの悲しきワルツ、作品44-1。なんて悲しくそして美しい曲なのでしょう。泣いているような、微笑んでもいるような、過去と現在、夢と現を行ったり来たりするような不思議な曲です。来年はまた変わるかもしれませんが、この曲が今の私に一番しっくりくる曲です。できれば大好きなバルビローリ指揮のものでお願いします。 〇第六中仙道踏切さん(埼玉県)、マスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲:私のお葬式の音楽は決まっています。曲目はカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲です。私はまもなく65歳となる高校の理科教員です。40代頃の11年間、女子高で勤務していました。運転手役でいいから吹奏楽部の顧問を、と先輩教員に頼まれ、8年間引き受けました。途中入学してきた娘も吹奏楽部(バッカス担当)に入り、親子で部員でした。もちろん私は楽器運びや練習場の鍵の開け閉めでしたが。その後交代した顧問が定期演奏会のセレモニーの間のBGMの指揮役に抜擢してくれました。そしてその曲がカヴァレリアでした。練習時、オーケストラに合わせてゆっくり指揮すると、息が続かないと文句を言われましたが、無事に本番は終了しました。その後、都合でギター・マンドリン部の顧問に変わり4年担当しました。仕事は同じ楽器運搬などでした。そのギタマンの定期演奏会に際し、演奏曲目の募集があったので、毎年のようにカヴァレリアを出していましたがいつも却下。そして11年間の勤務ののち私は他の学校に移動となりました。移動直後に開かれた春の定期演奏会を私は聴きに行きました。演奏会の最後、引退する部長が挨拶した後、プログラムにはないのですが、と言って演奏してくれたのが、このカヴァレリアでした。私は心の中で大泣きしました。そして、自分のお葬式にはこの曲を流してもらおうと決めたのでした。 〇DH500さん(静岡県)、マーラーの交響曲第3番第6楽章:今のところ結婚する予定がない私ですが(爆笑)、10数年前から私が死んだらこの曲を流してほしいというものだけ決まっていました。グスタフ・マーラーの交響曲第3番ニ短調第6楽章です。マーラーは私が唯一、交響曲全曲聴いた作曲家です。第3番は合唱付きで大掛かりな演奏が続くのに、終楽章の六楽章は祭りのあとのごとく静かに終わることが、チャイコの6番悲愴にも似てとても印象的。このドタバタ感が私の人生と似てるんじゃないかと思い、最後ぐらいは静かな曲をというわけでした。憎まれっ子世に憚ると申しますので、いつそうなるかわかりませんが、あくまでも妄想世界の中、ということで。 〇旦那さん(東京都)、マーラーの交響曲第3番第6楽章:自分の葬式で流してほしい曲はマーラーの交響曲第3番の第6楽章です。マーラーのみならず今まで聴いたすべての曲の中でもっとも好きなのがこの第3番です。この曲にはマーラーの魅力のすべてが詰め込まれていると個人的には思っているのですが、特に第六楽章の美しさはこの世のものとは思えないほどで、まさに葬式にぴったり。寄せては返す波のような旋律が、人生山あり谷ありを表しているようにも思います。たとえば終盤のトランペットがコラール風に歌い上げるところなど、俺の人生いろいろあったけど、自分なりによくやったよ、自分を褒めてあげたい、と言ってるようにも思えるんです。そして、なんといってもコーダに入ってからも、まだこの世への未練があるかのようなしつこさ。最後の最後までなかなか鳴りやまないティンパニーの音で、涙腺崩壊。本当は第一楽章から通しで全曲流してほしいところですが、さすがにちょっと長いので、第六楽章だけで我慢しようと思います。 〇独身の午後さん(山口県)、ラフマニノフの交響曲第2番第3楽章:初投稿ですが、私のお葬式はこの曲で決まり。ラフマニノフ交響曲第2番第3楽章です。この曲は何か海の上で波間に漂っているような感じの部分が好きです。私の死後海上散骨を希望していますが、一人娘に遺言状とともに、この曲のその部分をCD-Rに焼いて渡してあります。洋上で揺れる船上から娘にとって思い出がぎっしりと詰まっているだろう粉末状の骨が波間に消えていくさまに、しばし浮かんでいる沢山の薔薇の花びらが波間に揺れる美しいさまを、この楽曲が物語っているシーンを妄想しています。 〇もりさん(香川県)、ラフマニノフの交響曲第2番第3楽章:自分の葬式にかける曲なんて決めてるのは私ぐらいのものだろうと常々思っておりましたが、他にもまあまあの程度でいらっしゃるのだとうれしくなりました。自分の葬式用の曲ですが、今のところ2曲選定済み。ひとつはマーラーの交響曲第5番第4楽章のアダージェット。もう一つはラフマニノフの交響曲第2番第3楽章。どちらもベタですが、私にとっては魂が震える曲です。絶対これで成仏できます!今回はラフマニノフの第3楽章をリクエストします。こんなご時世ですが、明るさを失わないよう、葬式用の曲は決めてもすぐに使用することのないよう元気でいたいと思います。お二人も毎日お忙しいと思いますが、くれぐれもご自愛いただいて、日曜日な毎週お元気な声を聴かせてください。 〇まーにゃさん(東京都)、パッフェルベルのカノン:私の葬儀の曲はパッフェルベルのカノンです。この曲は私の結婚式のキャンドルサービスでかけた曲で繰り返しのカノンが何度も幸せを感じさせる大好きな曲です。ウエディングドレスで式場のドアが開き、曲がスタート。各テーブルにご挨拶しながら高砂席について頭を下げたときに計ったかのように曲がぴったり終わり感動でした。以後毎年結婚記念日にはビデオを見返し悦にいっています。一男一女に恵まれ、娘は大学の管弦楽団でチェロを弾いており、某有名ホテルのクリスマスディナーでアンサンブルを披露する機会をいただいています。昨年のクリスマス、結婚30周年の記念にディナーを予約し、娘たちの演奏を楽しみにしていました。その日は、一人暮らしで家を出る息子の引っ越しも重なりましたが、親の役目も最後かと思い、荷物を車に詰め込み、息子の新居に運びました。もう一緒に暮らすこともないのかとバックミラーに映った息子の姿をみて寂しい気持ちでホテルに向かいました。そしてクリスマスディナーでの、娘が演奏した最初の曲がこの曲でした。結婚30周年と息子の卒業を娘の演奏で祝ってもらい、こんなにも幸せな気持ちを味わえて感動の涙が止まりませんでした。私の葬儀のときは同じメンバーでカノンを生演奏してもらいたいと、娘にお願いしています。いつになるかわからず、そのとき駆け付けて弾いて欲しいので、前金で事前予約の値段交渉中です。奮発しなきゃ。 ------------------------------------------------------------------------------------------- やはりというか流石というか、マーラー3番第6楽章を選ばれる方、多いんですね。念のため、今回私は投稿しておりません(^^)。私も昔から、自分のときにはこの曲をかけて欲しい、バーンスタイン&ニューヨークフィルの旧盤で、と漠然と考えていました。でも実際にその気持ちを表明はしていませんでした。 あとラフマニノフには泣けました。娘さんに海に散骨してもらう、そのための準備もしてあるということ、揺るぎない、迷いのないまっすぐなお気持ちや、娘さんとの強い絆が感じられます。この曲をちょっと久しぶりに、第三楽章だけですが、じっくりと聴きました。 投稿された文章は「何か海の上で波間に漂っているような感じの部分」「この曲のその部分をCD-Rに焼いて」ということでしたが、第三楽章全部じゃないのだろうか、もしも一部ということなら、どこだろうか。楽章冒頭からか、あるいは楽章の丁度真ん中あたり、音楽が一度しずまったあとでホルン、独奏ヴァイオリン、各種木管と旋律が受け継がれていくあたりからかな、と想像します。でも折角だから、第三楽章全部をかけたら良いのではないかと思います。ところで私が実際に体験した葬儀の場でのクラシックはただ一度だけです。もうずいぶん昔になりますが、職場でご指導いただき大変お世話になった方がご逝去されたときです。クラシック音楽を愛好し、我が家にも一度音楽を聴きにおいでいただいた方でした。キリスト教会で、参列者が献花するときに、フォーレのレクイエムが静かに流れていたのが、印象的でした。この曲がご本人の指定だったのかどうかはわかりませんが、寛容で誠実なお人柄がしのばれました。 お葬式に流す音楽、教会だとクラシックが合いますね。ただ私の場合は、遺言で指定しない限り、普通の仏式になると思われます。となると、実際の場を想像すると、お通夜やお葬式で、お坊さんに読経していただいている中でお焼香するときに、クラシックはかなり流しにくい、というか、そもそも音楽を流せないですね。ではいつ?弔辞や弔電を読み上げるときのBGMは、読んでいただく方の理解があれば、なかなか良いかもしれません。あと、出棺を見送る時?これもいいですけど、流す時間がかなり短くて終わってしまうのが難点です。こうして考えると仏式の場合は、実際の葬儀の場でクラシックをかけるというのは、なかなか難しそうに思えます。仕事などで音楽に深く関わっている方なら大丈夫でしょうけれど、そうでないと、なかなか。 お葬式のその場というよりも、家族とかごく親しい人達だけの場で、自分の選んだ音楽を流してもらう、という場をもしももってもらえたら、それが良いな。そのときに、番組でもちょっと話題になっていましたが、音楽を流す目的というか、何を期待して流すかを考えてみました。自分の好きな音楽をかけてもらって、それで成仏する、というのが一つ。あと、周りの方々への感謝の気持ちを伝えたい、というのも込めたいです。あなたたちのおかげで人生何とかやってこれました、ありがとう、と。 こんなことを考えていて思い出しました。以前、きらクラの「勝手に名付け親」コーナーで、スクリャービンのピアノ協奏曲の第2楽章に、「ありがとう、君と過ごした日々」というタイトルが選ばれました。旅立ったペットへの思いを込めた素晴らしいタイトルでした。これと逆に、一足先に旅立った自分が、現世に残る自分の大事な方々に送る感謝の音楽。これからはこういう視点からも考えてみようかな、などと思います。 スクリャービンのピアノ協奏曲は、真理さんも、ブロ友のゆめこさんも、気に入っていると仰っていました。この曲を久しぶりに、個人的愛聴盤、ローランド・ペンティネン、セーゲルスタム、ロイヤル・ストックホルムフィル(BIS)で聴きました。第2楽章はこちらです。https://music.youtube.com/watch?v=x1LZDAeQPUY&list=OLAK5uy_lFJkaqqAIlLta_iuqS8_-RKNr07VT0ZDM
2022.06.26
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1年ほど前から、NHK-FM土曜夜の番組「FMシアター」を頻繁に聴くようになりました。もともとラジオドラマは好きでしたが、この番組を以前はほとんど聞くことはありませんでした。 ラジオと言えば、通勤中に聴くとか、たまたまつけたときに面白そうな番組だったら聴く、という生活習慣で長年過ごしてきました。(唯一「きらクラ!」だけは、パソコンで録音して後から聞くという、積極的な聴取をしていました。)そのようなラジオとの付き合い方が大きく変わったのが、「聴き逃し配信サービス」という便利なものを知ってからです。自分の好きな番組を、自分の都合の良い時間に聴けるので、本当に便利です。それでいくつかのお気に入りの番組を聴くことが僕の中でルーチン化されて、1週間の中のどこかで聴くというライフスタイルになりました。「FMシアター」も、それらの番組の一つです。ここ1年ほどは、8~9割くらいを聴いています。毎回毎回、涙、笑い、さまざまな味わいのラジオドラマを聴くことは楽しいひと時ですし、とても感銘深い作品に出合うことも多いです。「はるかぜ、氷をとく」は、2021年3月に初回放送されたということですが、僕はこのときは聴いていませんでした。2021年10月に再放送されたものを、僕は初めて聴きました。この1年聴いてきた中で、僕の心にもっとも残る作品でした。福島の原発事故後、自主避難した姉と、避難しなかった妹。事故後10年を生きてきた、それぞれのつらさと、ふるさとへの思いが、それぞれの子供の思いとともに、日常生活のリアリティをもって、大げさでなく、声高でなく、そして前向きに、語られていました。この作品が、2022年3月19日土曜日に、再々放送されました。令和3年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞したということです!今回もう一度聴き、感銘を新たにしました。脚本が素晴らしいですし、出演者の皆様の自然な語り口に聞き入ってしまいます。音楽に関しては、スピッツの「田舎の生活」という曲が実に印象的に使われています。また時々静かに流れるBGMも、目立たず、美しく、心に沁みます。今なら「聴き逃し配信サービス」で26日土曜日の夜まで聴けます。ご興味ある方お聞きになってみてください。「はるかぜ、氷をとく」【出演者】 酒井若菜 新山千春 三村和敬 中村天海 【作】 渡辺あや 【音楽】 岩崎太整 【スタッフ】制作統括:鹿野恵功 技術:大塚茂夫 音響効果:野村知成 演出:小林涼太 NHK福島放送局の番組特設サイトもあります。こちらです。https://www.nhk.or.jp/fukushima/harukaze/
2022.03.20
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今年ももうわずかになりました。久しぶりのブログ書き込みになります。なんと9ヵ月ぶり! この9ヵ月間、特に変わったことがあったわけではありません。仕事に忙しく、心のゆとりがあまりない日々が流れていました。年末にようやく落ち着いた時間が取れるようになり、いざブログを書こうとすると、 久しぶりすぎて、なんだか書きにくい自分がいます。まあ、書きやすい話題からゆるゆると書いていきたいと思います。まずは歩行の話題です。昨年の春から、家のウォーキングマシンで歩行しています。このマシン、大昔に家族がダイエットの手段にと購入して、その後誰にもほとんど使われずに長く放置されていたものです。7年前に腰のヘルニアの手術を受けたあと、術後のリハビリとしてこのマシンを使い始めました。「椎間板ヘルニア・術後1年」の記事に書いたとおり、最初は時速2Kmというとてもゆっくりとした歩行から始めて、1年ほどかけて時速2.5Kmくらいまで徐々に速度を上げていきました。このマシンは術後のリハビリにとても役立ったと思います。そして1年ほど使ったあとは、日常生活の中で少し歩くようになったので、ウォーキングマシンを使わなくなってしまいました。と言っても、自分の日常生活では、歩くことがかなり少なかったので、「健康を保つための歩行量としては少なすぎるなぁ、本当ならもっと沢山歩いた方がいいなぁ」という思いがずっとありました。そう思いながらも、忙しさにかまけて、少ない歩行の生活が続いていました。2020年春、新型コロナ感染症が広がり始め、「巣ごもり」という言葉が流行り始めましたね。自分も、「巣ごもり」というほどではありませんが、生活スタイルが変わりました。出張がなくなり、コンサートもなくなり、在宅の時間が増えました。それでこの機会にと思って、ウォーキングマシンを再開することにしました。と言っても30分程度を週2回ほどという、ささやかなものです。2020年5月のGW連休から、ウォーキングマシンで歩き始めました。毎回、始めはウォーミングアップとしてゆっくり歩き、30分ほどかけて徐々に速度を上げていき、最後の数分間最大速度で歩き、その後数分クールダウンでゆっくり歩いてやめる、という方法にしました。当初は、最大速度が3.8km/時でした。最大速度を1ヶ月毎に、4.0km/時、4.2km/時と0.2刻みで上げて行きました。2020年9月からは上げ幅を1ヶ月に0.1刻みとして、徐々に速度を上げて行きました。今年(2021年)6月頃には最大速度が5.4km/時くらいまでになりましたが、そのくらいになると、最大速度で数分歩くのが結構しんどくなってきました。それでここから先は、「インターバル歩行(インターバル速歩)」に切り替えることにしました。「インターバル歩行」、ご存知の方はご存知と思います。ゆっくり歩行とせかせか歩行(速歩)を繰り返す歩き方です。以前NHKの「ためしてガッテン」で紹介してされていたのを見て知って、いつかやりたい、と思っていました。「ためしてガッテン」では具体的な方法は示されなかったので、ネットで調べたところ、ゆっくり歩行3分、速歩3分のサイクルを数回繰り返すと良い、ということがわかりました。あと知りたいのは、速歩のスピードをどのくらいにすればよいのかということです。遅すぎるとあまり運動にならないし、早すぎると体への負荷が強すぎてしまうそうです。健康づくりを目的としたインターバル歩行は、運動強度70%くらいを目安にするといい、ということがわかりました。運動強度に関しては、ボルグのスケールというのがあるそうで、運動強度60%は「楽である」、運動強度70%は「ややきつい」、運動強度80%は「きつい」、運動強度100%は「非常にきつい」というのだそうです。面白いですね。要するに「ややきつい」と感ずる程度でせかせか歩けばいい、ということです。しかしもうちょっと具体的な目安が欲しいです。そこでさらに調べると、運動強度は、心拍数を目安にして数値化できることがわかりました。以下、健康長寿ネットからの引用です。-------------------------------- 心拍数から運動強度を求める方法として、カルボーネンの式があり、運動強度(%)=(運動時心拍数-安静時心拍数)÷(最大心拍数-安静時心拍数)×100で求めることができます。最大心拍数は、「最大心拍数=220-年齢」で一般的に求めることができます。高齢者の場合は、「最大心拍数=207-(年齢×0.7)」の式を用いる方法もあります。 -------------------------------- これらの式を使って自分の最大心拍数を求め、安静時心拍数を実測して計算したところ、 僕の場合、運動して脈拍が130になったとすると、カルボーネンの式によれば、その運動強度は68%になります。運動して脈拍が140になったとすると、その運動強度は78%になります。運動して脈拍が150になったとすると、その運動強度は87%です。なので早く歩いた時に大体脈拍が130〜140くらいになることを目安にすればいいのだな、ということがわかりました。あとは、歩行中の脈拍のリアルタイムの測定方法です。うちのウォーキングマシンには一応心拍測定機能もついているのですが、これを使うには、左右の手すりに両手ともつかまったままで歩く必要があります。しかし僕はちゃんと普通に手を振って歩きたかったので、ちょっと困りました。このマシンはしょぼくて、一度手すりから手を離してしまうと、そのあとまた手すりをつかんでも、正しい心拍数を測れるまでに2〜3分ほど時間を要してしまい、今回の用途には使いものになりません。ここで役に立ったのが、新型コロナ感染時の備えとして買ったパルスオキシメーターです。一時期、コロナにかかってもなかなか入院させてもらえないときに、酸素飽和度が低いと入院させてもらいやすいかも、と言われた時期がありましたね。その頃に家電量販店で1個1000円で売られていたのを入手したものです。(もっともその後、第五波コロナ感染では病床が逼迫してしまい、重症でも入院できなくなってしまい、酸素飽和度を測る意味が乏しくなってしまいました。。。)そんな感じで(今のところは幸いにも)本来の目的では使わないですんでいるパルスオキシメーターが、インターバル歩行にすごく役立っています。これはなかなかの優れもので、指先に挟んで数秒もすると、酸素飽和度とともに脈拍数がリアルタイムで表示され、時々刻々と変わっていきます。そこで、歩きながら時々指に挟んで脈拍を測り、また外して歩き続ける、というふうに随時測定ができて、とても便利です。小さくて軽いので、もちろん指先に挟みっぱなしで歩いてもなんら問題ありませんが、僕は測定する時だけ指に挟んでいます。これで道具立てが整いました。2021年夏ごろから、インターバル歩行を始めました。ゆっくり歩行の速度は、ゆっくりすぎても逆に歩きにくいので、実際に歩いてみて、自分の歩きやすいと感ずる2.8Km/時としました。せかせか歩行の速度は、最初は5.4Km/時で始めました。3分ごとにゆっくり、はやいと繰り返し、これを5サイクル繰り返して、最後にゆっくり歩き3分でクールダウンして終了、としました。すなわち2.8→5.4→2.8→5.4→2.8→5.4→2.8→5.4→2.8→5.4→2.8 というメニューです。全部で33分かかります。週2回の実施ペースは、これまでと同じです。これで歩いてみると、比較的楽だったので、次第に早歩きの速度を速めていきました。たとえば、 2.8→5.4→2.8→5.4→2.8→5.6→2.8→5.6→2.8→5.8→2.8 こんな感じでこの半年で、本当に少しずつ少しずつ、早い歩行の速度をあげてきています。またサイクルの数も6回、7回と増やしてきています。直近の2か月くらいは、2.8→5.4→2.8→5.6→2.8→5.8→2.8→6.0→2.8→6.2→2.8→6.2→2.8→6.4→2.8 という感じで歩いています。これだと45分のメニューです。終わると汗がびっしょりです。歩行距離としては、これで約3.2Kmになります。しかし6.4Km/時で3分歩くというのは今の自分には体感的にかなりきついです。実際、脈が150をちょっと超えるくらいになってしまいますので、カルボーネンの式だと運動強度が90%前後になり、運動強度がきつすぎることになります。したがって、当面はこれ以上運動強度をあげずに、あるいは最大速度を6.2Km/時におさえて、週2回のインターバル歩行を続けていきたいと思います。時間でいえば45分を週2回なので、1日あたりわずか12分ちょっと。距離でいえば、3.2Kmを週2回ですから、1日あたりわずか914メートル! というささやかな歩行ですが、健康維持のために続けていきたいと思います。人差し指の先にはさんだパルスオキシメーター。左側の黄色い数字が酸素飽和度(%)、右側の緑色が脈拍数(1分あたり)です。表示はリアルタイムに、2-3秒ごとに更新されます。
2021.12.31
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東日本原発震災から10年。本日10時から、「原発ゼロ・自然エネルギー100世界会議 ~ 福島原発事故から10年」がオンライン開催されます。”エネルギーシフトを推進する世界の動向を日本に伝え、そして、福島原発事故後の日本の現状と課題を世界に発信します”とのことです。原発ゼロ・自然エネルギー100世界会議~福島原発事故から10年~ (genjiren.com)沢山のプログラムが予定されていますね。事前登録不要、参加無料で、Youtubeで視聴できるということです。(世界会議終了後もアーカイブされて視聴できるということです。)私も、興味あるところを見てみようと思います。
2021.03.11
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かけクラ第38駅(2021/2/14放送)を聴きました。ゲストの加藤訓子さんのお話が、とても興味深かったです。マリンバを「粗雑な楽器」と言う、きっぷの良さ。きっと、ご自身で、もっとこうやりたい、こういう音を出したいというイメージが次々に豊富に湧き上がり、それを現実の音にするのに苦労というか工夫をたゆまず重ねているが故のご発言なのかと思いました。一方で、「余韻の長さをコントロールできるようになった気がする」というのもすごいです。加藤さんの好きな1曲ということで、ペルト作曲「鏡の中の鏡」がかかりました。加藤さん曰く、「究極のミニマリズムというか、本当に厳選された音、ペルトさんの行きついていった境地みたいのが見える気がして、本当に美しいなと私は思う」と。そして番組では最初チェロとピアノのヴァージョンで流れ始めました。曲が始まって少し(2分半ほど)してから後は、この曲を流しながら上野さん市川さんとの3人でのトークになったのにはちょっと驚きました。そしてここから、加藤さん自身がマリンバ用に編曲・演奏・録音した「鏡の中の鏡」の話になったのですが、録音した番組をあとから聴いて初めてわかりましたが、加藤さん編曲ヴァージョンの話になったところで、バックに流れる「鏡の中の鏡」が、それとわかりにくいように巧みに、チェロとピアノのヴァージョンから、加藤さんヴァージョンのマリンバ演奏にパッと切り替えられていました!その後は加藤さんの演奏をBGMにしつつ、加藤さんとペルトとの交流が語られました。「鏡の中の鏡」に関しては、加藤さんはところどころの高音用にベルを自作して(アルミのバーを切ってチューンしたそうです。自作のチューブラーベルですね!)、マリンバは滅茶苦茶響く洞窟みたいなところで弾いて、というヴァージョンをどうしてもやりたかったそうです。それとあとフラトレスとカントゥスの三つの代表曲をやりたくて、それを編曲し録音し編集して、それを作曲家の許可をいただくために出版社経由でペルトさんに渡したら、それを聴いたペルトが、マリンバの響きが想像外だったみたいで、すごく驚かれて、きっちり聴きたいからCDに焼いて家に送ってくれと。それで送って、アルバムに作りたいためのオファーだったので、ミキシングや、アルバムにしていく最後の過程について意見をいただいた。ペルトが「このパートのこのところはもっと小さく!」とか、バランスとか、「余韻はもっとこう長く」とか。結構、どんどん増えてきちゃって、レコ―ディングは終わっているのでできることはなかなか限られていたが、「録音に立ちあえれば良かった」みたいな感じのやり取りを結構細かく、どんどんどんどん出てきて、だんだん、その場でやりとりしてるみたいに、「弾いてみるからこう弾いてくれ」みたいな、そういう願いがあって、どんどんのめりこんで、わけわからなくなって、終わらなくなっちゃいそうで、それでもじっとじっとこっちは待って、お返事をして、できることをその中で、私アコーステッィクで全部作っているから、(変えるのは)そう簡単じゃない。なんとかまあミキシングの空気感とか聴こえかたとか、そういうことで、何とかこれでどうですか、これでどうですか、と何度もやった。あるときどこかで、これで突然パタッと、これで終わり、いい、というのが来た。4曲で半年くらいかかったが、それでアルバムを出した。とても喜んでくださり、その後高松宮賞か何かを受賞して来日したときにパーティ会場に招待されて初めてお会いして、背の高いガタイのしっかりしたしゃっきとした方で、上からこうクニコ、クニコと、いい仕事してくれた、と言ってくれた。加藤訓子さんのアルバム「カントゥス」は、発売された当時(2013年頃)輸入盤を買って、一時期かなりはまって繰り返し聴きました。ペルト作品は「鏡の中の鏡」を含め4曲が収録されています。CDには加藤さんご自身の日本語解説もついていました。それによると、「鏡の中の鏡」は、横浜の元倉庫の、“異常なほどの残響と余韻“があるスタジオで録音し、”針の先ほどのタッチでマリンバを奏でてゆくとその一音がまるで水琴窟のように不思議なくらい永く永く拡がった“と記されています。確かに、普通のこの曲の演奏からよりも、水滴のイメージが喚起されます。また要所要所でのチューブラーベルの強めの打音も、意思の強さが現れているようで、本当に素晴らしいです。 加藤さんご自身が書かれたCD解説の一部分を引用させていただきます。 ------------------------------------------------------ Arvo Pärtに捧ぐ― アルバムを仕上げるにあたって、エストニアに居るアルヴォとのやり取りが始まった。彼の生身の声を聞き、もっと原曲というものを深く理解しなくてはならないと痛感するとともに、その一言一言を各曲の細部に一つ一つ丁寧に反映してゆくと、見事に音楽が実味を持って変わっていったことに驚きと感動、そして感服させられた。・・・・(中略)・・・・こうして一歩でもオリジナルに近づくことができたことと、更に新たな息吹として世に出せることへ喜びと感謝の気持ちでいっぱいである。 私のアレンジを寛容に受け入れてくれ、このアルバム・プロジェクトを応援してくださったエストニアが生んだ偉大な作曲家アルヴォ・ペルトに心から感謝と敬意を表したい。(CD「カントゥス」加藤訓子さんによる書きおろし解説より) ------------------------------------------------------ 本当に、この名曲に、またひとつ新たな息吹が吹き込まれた編曲・演奏・録音だと思います。この解説だけでもいろいろなことが伝わってきますが、今回の放送で加藤さんご自身の語り口で具体的なやり取り、苦労の一端を知ることができ、非常に興味深かったです。この放送を聴いて、自分も久しぶりに「鏡の中の鏡」にスイッチが入り、いくつかのヴァージョンでこの曲を聴きました。 僕がこの曲に最初に深い感銘を覚えたのは、クラリネットとピアノによるヴァージョンのCDを聴いたときでした。このことは以前ブログ記事に書きましたのでよろしければご覧ください。 そしてきらクラでは、ふかわさんと真理さんが、長く大事に大事に温めていましたね。やがて番組の終わり近くになって、ついに真理さんのチェロとふかわさんのピアノによる演奏が流れた放送(きらクラ!第366回 BGM選手権祭り)を、思いだします。このときからもうすぐ1年になるんですね。
2021.02.24
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2020年1月にサロネン&フィルハーモニア管が来日したとき、東京芸術劇場で興味深いイベントが開催されていました。もう1年が経ってしまいましたが、書いておこうと思います。オーケストラの演奏をヴァーチャル・リアリティ(VR)で体験できるというものです。しかもソースはマーラー3番の終楽章のエンディング部分ということで、どんなものなのか、楽しみに行ってみました。東京芸術劇場の地下に行くと大きなパネルがありました。受付で申し込んで、参加券(丁度3番!)をもらいました。チラシと参加券です。20分に1回の入れ替え制ということで、少し待っていると時間になり、案内された小さい部屋に入ると、回転椅子が10数個置いてありました。好きな椅子に座って、それぞれの席に用意されている特殊なゴーグルとヘッドホンを装着して、係の人が説明を終えると、始まりました。そうすると今、たちまち自分は、フィルハーモニア管が乗ったコンサートホールのステージ上、指揮するサロネンのすぐ目の前に座っています。マーラー3番の終楽章のラスト、金管コラールの始まる少し前の音楽が流れています。回転椅子で自由に左右を向いてみると、指揮者の右に座っている独唱者の背中、その横に第一・第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの最前列の奏者たちが自分のまわりにぐるっと並んで弾いています。ステージいっぱいにフルオケが乗っていて、その後ろには大勢の合唱団が座っています。客席では大勢の聴衆が聴いています。その中でマーラー3番のエンディングが流れていきます。自分がどちらかに向きを変えると、ちゃんとそれに応じてその方向の楽器の音が正面から聴こえてくるので、本当に自分がその場所にいて聴いているような臨場感があります。サロネンの指揮ぶりや譜面のめくり具合を、かぶりつきから見上げている形なので、その気合がダイレクトに伝わってきます。そのまま曲の最後まで、音楽に浸りました。これはなかなかできないすごい体験です。すっかり気に入ってしまい、1回終わって部屋を出たら次の回をすぐ申し込む、ということを繰り返し、何回も体験してしまいました(^^)。先々は、今のDVDやBDを見るように、家庭でこのVR再生が普通にできるようになるのかもしれません。録音・録画する位置を変えれば、どんな視点からでも可能なので、たとえばオペラであれば、特定の登場人物の視点でのVR体験もできるはずです。(もっともその場合、収録時には人間の代わりに円盤状のカメラ・マイクを相手に演技・歌唱しなくてはいけないので、歌手は相当やりにくいことでしょう。)あるいは相当な未来かもしれませんが、もっともっと技術が進めば、視点というか自分の位置が、自分の好きな場所に自由に移動できるようになるかもしれない、と想像を膨らませました。音楽ライターさんが書いた詳しいレポート記事はこちらで読めます。https://www.classica-jp.com/event/13725/デモ動画はこちらで見られます。動画の途中に、指揮するサロネンの前に360度の円盤状に並んだ沢山のカメラが写っています。https://www.youtube.com/watch?v=K4o6o74oIOQこのヴァーチャル体験のすぐ後に、コロナ禍が始まり、リアルなコンサートが次々に中止となってしまうとは、この2020年1月の段階では想像すらできませんでした。
2021.01.01
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2020年、聴くつもりだったマーラーコンサートの一覧を書いておきます。これらの大半は中止となり、一部は来年に延期となっています。○1番:5月31日 サントリー 大植英次&日フィル○2番:6月25日 東京文化会館 ドゥダメル&ベルリン・フィル10月3日 ミューザ川崎 ラトル&ロンドン響11月13日 東京芸術劇場 小林研一郎&ハンガリー国立フィル○3番:5月5日 愛知県芸術劇場 三澤洋史&東海グスタフ・マーラー交響楽団5月9日 ミューザ川崎 井上喜惟&マーラー祝祭オーケストラ9月12,13日 NHKホール P.ヤルヴイ&N響9月24日 東京文化会館 メータ&ミラノ・スカラ座管10月19,22日 サントリー,東京オペラシティ チョンミョンフン&東フィル○5番:7月25日 サントリー ノット&東響○6番:11月20,21日 東京芸術劇場 マイケル・ティルソン・トーマス&N響○7番:10月16日 サントリー ロト&読響○9番:6月27日 NHKホール ケント・ナガノ&N響○10番:10月24日 ハクジュホール N響メンバー(カステレッティ編曲 室内オーケストラ版)来年は、安心してマーラーの響きに浸れるようになりますように。
2020.12.31
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2020年、聴けたマーラーコンサートは、1月の2回だけでした。○1月17日 紀尾井ホール 大地の歌(シェーンベルク&リーン編曲室内オーケストラ版):ライナー・ホーネック(第1ヴァイオリン)、野口千代光(第2ヴァイオリン)、安藤裕子(ヴィオラ)、ゼバスティアン・ブル(チェロ)、助川龍(コントラバス)、カール=ハインツ・シュッツ(フルート)、蠣崎耕三(オーボエ)、勝山大舗(クラリネット)、ソフィー・デルヴォー(ファゴット)、日橋辰朗(ホルン)、武藤厚志(打楽器)、安東友樹子(打楽器)、津田裕也(ピアノ)、西沢央子(ハルモニウム&チェレスタ)ミヒャエラ・ゼーリンガー(メゾ・ソプラノ)、アダム・フランスン(テノール)○1月26日 東京芸術劇場 第9番:サロネン フィルハーモニア管いずれも素晴らしい演奏でした。
2020.12.31
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7月のかけクラはテーマが「映画かけるクラシック」、それで突然の新企画、日本かけデミー賞選考会が3回にわたって放送されました。第1回SF部門、第2回犯罪映画部門に続き、7月26日には第3回(最終回)として青春映画部門が放送されました。今回は高校陸上部のマラソンランナー耕平と、陸上部マネージャー紗椰、陸上部の奥田瑛二監督(ゲスト出演)による、マラソン大会を舞台に綴られるストーリーでした。恋の行方はいかに?ノミネート1枠目は、くらりさんによる、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番ハ長調、前半部分が第一楽章の途中、後半部分が第2楽章の途中でした。思いがけない状況に直面して、いろいろな想いで混乱している耕平の頭の中を表すような、錯綜して意味深な作品でした。恋の行方は赤信号?2枠目は、BWV1000さんによる、グリーグのノルウェー舞曲第2番。1曲まるごと流した作品でした。ユーモアある雰囲気がほほえましく、最後の和音になんとも温かくにじむ幸せ感があり、ほんわかと癒されました。しかも、耕平が転ぶ場面でのアップテンポへの変化、再び耕平が走り出すところでのんびりした音楽に戻る変化、最後の監督のセリフの終わりと音楽の終わり、この3箇所のタイミングが完璧にあっていて、セリフと音楽の奇跡的なシンクロでした!そしてBWV1000番さんが、栄えある日本かけデミー賞青春映画部門最優秀音楽賞に選ばれました。BWV1000番さんおめでとうございます!潔い1曲主義の貫徹で、早くも栄冠をつかまれましたね、お見事です!なお3枠目は、赤ワインずきんちゃんさんによる、ウォルトンの2作品、前半部分が交響曲第1番第1楽章の冒頭部分、後半が戴冠式行進曲「宝珠と王の杖」の中間部でした。この赤ワインずきんちゃんは、実は私です。これを聴いた紗椰さんが「怪我を押し切ってまで頑張った、そうやって稀勢の里は壊れたんですよ。照ノ富士も。それを忘れないで」と、突然のマニアックなコメントが! 市川さんが相撲マニアであることを知りませんでした。いずれは「相撲かけるクラシック」月間が訪れるのでしょうか(^^)。ところで今回の投稿にあたって、いくつかの音盤を聴き比べたところ、2曲ともウォルトンの自作自演盤がすごく良いことを再認識しました。どちらも1950年代のモノラル録音ですが、交響曲第1番はリズムの切れが鋭く気迫がこもっていて立体的な音楽が聴こえてくるし、「宝珠と王の杖」の方は途中からテンポを大胆に落としてじっくりと歌い上げ、もはや行進曲ではない、スケールの大きな演奏です。そこで投稿では、もしも可能なら2曲ともウォルトン自身が指揮をしてフィルハーモニア管が演奏した音源で、とお願いしました。(番組でかかったのはプレヴィン盤でした。)――――――――――――――――――――――――――――――――――○おまけ:これまでブログに書いたウォルトン関係の記事をまとめておきます。☆交響曲第1番1)自分の保有するCDについて書いた記事3本: 「ウォルトンの交響曲第1番:その1」(ウォルトンの自演盤3種類) 「ウォルトンの交響曲第1番:その2」(プレヴィン盤、マッケラス盤、トムソン盤、ラトル盤)「ウォルトンの交響曲第1番:その3」(ホーレンシュタインのライブ盤、ボールトのライブ盤) 2)2013年、尾高&N響によるこの曲の演奏会を聴いた感想:「尾高&N響によるウォルトンの交響曲第1番」3)ウォルトンの交響曲第1番のエンディングとシベリウスの交響曲第5番のエンディングが似ていることについて:「きらクラボツ投稿!:ウォルトンとシベリウス」☆戴冠式行進曲「宝珠と王の杖」:以前きらクラ!で戴冠式行進曲「王冠」がかかった回のブログ記事に書きました。後輩から結婚式のBGM選曲を相談され、いくつか候補曲を出したところ、この曲を気に入って入場に使ってくれました。「きらクラ!背中を押してくれる真理さん(2016/3/20放送分)」☆ファサード組曲:BGM選手権に2回投稿してどちらもボツになりました。「きらクラ!BGM選手権:田辺聖子とウォルトン」(1回目)「きらクラ!BGM選手権:太宰治とウォルトン」(2回目)2回目のときは、僕がBGM選手権に投稿した曲が、違うリスナーさんからのお便りによるリクエストでかかり、そしてウォルトン強化月間がいきなり始まってしまいました。。。心優しきブロ友の皆さまから、いたわりのコメントを寄せていただきました。そしてこのウォルトンの強化月間の最終回に、大好きなヴィオラ協奏曲を投稿したのですが、番組でかかったのはヴァイオリン協奏曲でした。あぁぁ。―――――――――――――――――――――――――――――――――以上のように、結局きらクラでは、計4回のウォルトン関連投稿をして、全てボツでした。きらクラでは実らなかった僕のウォルトンへの思い入れが、かけクラでようやくかなって、うれしいです。ウォルトンの自作自演集、CD4枚組の「Walton Edition」です。1枚目に交響曲第1番、3枚目に「宝珠と王の杖」が収録されています。
2020.08.01
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「かけるクラシック」は一応3月までの習慣を踏襲して録音はしていたものの、あまり聴いていませんでした。しかしBGM選手権と類似のコーナーが登場したという噂を聞き、それならば、と参加しました。7月のテーマが「映画かけるクラシック」ということで、MC二人による映画の一場面のような短いセリフ劇がお題として放送され、それにクラシック音楽からBGMを付けるという趣旨です。その名も「日本かけデミー賞」ですが、BGM選手権と異なるのは、何曲使っても良い、という点です。第1回がSF部門で、上野さん演ずる、仕事でミスをした疲れたサラリーマンと、市川さん演ずる宇宙人とのエンカウンターの場面でした。7月12日の放送で、僕の投稿した、冨田勲さん編曲のシンセサイザーによるアランフェス協奏曲がノミネートされました!この編曲はUFOが基調となったもので、昔とても気に入って愛聴していたものです。この音楽のことは、以前このブログに記事を書きました。2016年5月15日のきらクラ!の放送で、同年5月5日に逝去された冨田勲さんを追悼するリスナーさんからのお便りが読まれ、それを聴いて触発されて書いた記事です。該当部分を引用しておきます。----------------------------------------------------------○第5作「宇宙幻想」(1978年)に収録の、アイブスの「答えのない質問」、アランフェス協奏曲第2楽章、そして「ソラリスの海」(バッハ)。アイブスは、原曲よりも先にこの富田版で知り、宇宙の謎を喚起するスペース・サウンドに非常に惹かれました。のちに原曲を知ってからも、この冨田盤の魅力はいささかも色あせませんでした。それからアランフェス協奏曲の第2楽章のUFOの発進するサウンドスケープ!曲の最後に、UFOが巨大な轟音をたてて発進するさまが描写されますが、僕のしびれるのはここではなく、曲の真ん中あたりで、少し距離を持った遠くの方で、一機、また一機と、UFO群が少しずつ発進していくところです。音楽の運ぶ哀しみの感じと絶妙にマッチして、SFフリーク青年として、ここ、もうたまりませんでした。これも、僕にとっては原曲を超える魅力を放つ音楽です。(元記事は、「5月15日のきらクラ!冨田勲さんを偲ぶ」です。)----------------------------------------------------------さて日本かけデミー賞SF部門、他のノミネート作品は、夜半亭あぶらーむしさんによる、ビゼーのカルメンから「ハバネラ」、(マリア・カラス、プレートル、フランス国立放送管の音源指定あり)で、宇宙人の存在感が印象的なドラマになっていました。そして栄えある日本かけデミー賞SF部門最優秀音楽賞に輝いたのは、シュニトケの合奏協奏曲第一番より第一楽章をセレクトした、とらっぺさんでした。ホラーSF風ラジオドラマ仕立てにしたというコンセプトで、最後に異次元に引き込まれていくような衝撃の展開となるすごい作品でした。MCお二人とも絶賛で、(この音楽をつけると)サラリーマンが会社で犯したミスは、とんでもない、明日から頑張ってもどうにもならない、とり返しの付かないミスだ、と仰っていました。本当に、このサラリーマンはもはや地球に帰ってくることはできないのではないか、という恐怖すら感じられる、見事な作品でした。
2020.07.24
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東京の感染者数増加が止まりません。これに引っ張られ、埼玉、神奈川、千葉でも増加が目立ってきています。このままでは、東京を頂点に感染者数は増加の一途をたどり、周辺でも山の裾野が広がるようにどんどん増加して、遠からず日本各地に広がってしまうことは確実で、それを思うと陰鬱です。 それを防ぐには、ともかく感染者を無症状のうちから早期に発見し、隔離するしかないのは明白です。 プロ野球やJリーグが、選手・関係者全員のPCR検査を行いながら活動を開始したのは賢明でした。この方法が社会のいろいろなところ(地域あるいは特定の集団)で広まっていくことを期待していましたが、残念ながら広がりません。各種芸術活動も少しずつ再開され始めましたが、プロ野球と同様に出演者・関係者のPCR検査をやって上演すれば良いのにと思います。 感染者を無症状のうちから早期に発見して隔離することが、最大の感染者対策であり、それが経済活動を維持できる有効な方法であることは以前にも書きました。そのためにPCR検査を本当に広く行うことが急務で、そういう提言を、山中伸弥氏を含む有識者の方々が政府にしています。もう20年以上前に、「寄生獣」という連載漫画がありました。友人から単行本を借りて夢中で読み漁ったものです。寄生生物は人間を殺害しその身体を乗っ取って、普段の外見は元の人間そっくりに擬態して、他の人間を次々に捕食していきます。窮地に追い詰められた人類が対抗しえた手段は、検査でした。人間か寄生生物かを即時に見分ける検査法が開発されたことにより、人間は寄生生物の苦難を克服するのでした。今回の新型コロナウィルスも、基本はこれと同じで、ともかく感染者を検査で見つけ出すことが大事です。寄生生物の漫画では、寄生された時点ですでに元の人間は死んでしまっているのですが、それと新型コロナが異なるのは、見つけた感染者の多くは、治療すべき症状がある場合には病院で治療をうければ良いし、そうでない場合には最大2週間一般社会と隔絶した環境で生活すれば良い、ということです。それで元の社会活動に戻れます。そのようにして感染者には、ごく一時的に社会から退いてもらって、残った非感染者で経済活動を回していけばいいのです。今問題となっているgo to キャンペーンも同じです。今のままで、ただ旅行に行けというのは、「go to ウィズコロナ」になってしまうので、まずいです。そもそも現時点で旅行のキャンペーンをやる必要性はないと思いますが、今でも旅行に行きたい人はいるでしょうし、来てもらわないと生活に困るという人もいます。それならば、旅行に行きたい人はPCR検査を受けて、陰性確認できたら旅行に行けばいい。行く方も、受け入れる方も安心です。そのようにPCR検査を誰もができるだけ簡単に受けられるようにシステムを作っていくのが、今すべき最大の感染症対策であり、経済対策だと思います。なぜそれを政府はやろうとしないのか、理解できません。
2020.07.15
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5月15日に発表された、東京大学先端科学技術研究所センターによる、東京都の抗体陽性率を調査した結果。https://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/news/release/20200515.html5月1日または2日に、都内の一般医療機関で採取され、臨床検査企業(LSIメディエンス)で測定に使われた採血検体の残りを使って、精密に定量的に測定したということです。一般のいろいろな外来や入院患者の検体ということになると思います。10代から90代の500検体で、3例が抗体陽性であったと。すなわち0.6%になります。(5月18日のテレビで、かなり信頼性が高い結果だと解説していました。)今のところの日本での抗体検査の結果を並べると:神戸市民病院 3月31日~4月7日 外来患者1000人 約3%厚労省&日赤 4月の献血者 東京500人=最大0.6% 東北500人=最大0.4%東京大学 5月1、2日 東京都一般医療機関の患者500人 0.6%
2020.05.18
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厚労省が日赤と協力して、2020年4月の献血者(東京500人と東北500人)の検体を調べて、抗体陽性率が東京は最大0.6%、東北は最大0.4%と発表されて、テレビでもずいぶん少ない等と話題になっています。しかしこの数字自体にはほとんど意味はなさそうです。厚労省のサイト内にある発表データ「抗体検査キットの性能評価」はこちらです。https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000630744.pdf多数を調べたのはC社とE社のキットですね。そしてここに書いてある通り、新型コロナが存在する以前の2019年1〜3月の保存検体をC社とE社のキットで調べたところ、それぞれの陽性率は0.2、0.4%陽性であり、これらは偽陽性(陰性なのに陽性判定になること)です。すなわち2020年のC社とE社の結果は、偽陽性率でも説明できてしまうレベルということです。感度(検出力)が低いのでしょうか?? むしろ個人的に気になるのは、東京の45人を調べたA社、B社、D社のキットの結果(三社とも同一の検体)です。D社はゼロですが、A社とB社は陽性者が1人。数は少ないですが、A社とB社の陽性率は約2%です。先日記事にした、神戸市民病院が3月31日〜4月7日に外来を受診したコロナと関係ない患者1000人を調べた抗体陽性率が約3%、これとそう遠くはない数字になります。https://plaza.rakuten.co.jp/jyak3/diary/202005040000/A社とB社のキットで、もっと多数を調べたらどうなるのか、気になるところです。それからA社とB社のキットで2019年の多数の検体を調べたら、偽陽性率がどのくらいなのか、も気になります。まだまだわからないことだらけですが、ざっくり言って、このあたり(2〜3%)が、東京(あるいは神戸)での4月頃の無症状感染者率ということになるのかもしれません。 いずれにしても、感染確認者(東京では約5000人、すなわち東京の人口約1400万人の約0.036%)に比べると無症状感染者は相当多いこと、しかし一般人口の中での無症状の感染者はまだまだ非常に少ないらしい、ということは言えそうです。 ともかくもPCR検査の拡充と、ついで抗体検査の拡充は急務です。感染の実態をもっと把握しないと。
2020.05.16
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おそれていた日本での感染爆発はひとまず回避できたようで、少し安心しています。このところの新規感染者数の減少は、緊急事態宣言と、それによる「自粛」の徹底の効果が相当大きいと思います。しかし経済活動を止めてしまったためのダメージは大きいです。感染者数を減らすには、「自粛」による人々の接触機会の削減の徹底が、確かに有効です。しかし「自粛」の徹底は経済へのダメージも大きい。そのことから、これまで医療重視の対応と、経済重視の対応が、えてして対立的にとらえられて、そのバランスをとるのが難しい、と語られてきました。でも、医療面と経済面の双方にとても良い方法があるということが、玉川徹さん等の賢明な方々によりこの頃テレビなどで話題にされるようになってきています。日本はPCR検査が異常に少ないので、さまざまな問題が指摘されていますね。なかなか検査をしてもらえないために重症化してしまった、手遅れになってしまった方々がいる。それから、コロナ以外の事由で受診・入院した患者からの院内感染が増加するなど、いずれも大きな問題です。PCR検査を増やせば、これらの問題は大きく改善されます。これは医療的面でのメリットになります。しかしこのごろ言われているのは、PCR検査をもっともっと増やせば、経済的にもメリットが大きいということです。今は誰が感染しているかわからないので、ともかく全員に「接触機会の8割削減」を求めるわけで、この方法は私たちの生活への悪影響や経済へのダメージが大きい。これを、大勢にPCR検査をして、陽性の人は隔離して、陰性の人への「自粛」はゆるめて、社会経済活動ができるようにする、と言う風にして「検査と隔離を拡充」すれば、感染者数も減るし、個々人への生活や経済へのダメージも少なくてすむ、という非常に合理的な方法です。仮に、全員にPCR検査をやって、陽性者は全員隔離、陰性者は全員日常の社会生活を普通に行う(自粛なし)、とすると、新規感染者がゼロになることはすぐわかります。全員に検査できなくても、より多数の人にPCR検査をして、陽性者を隔離していけば、それらを除いた人々には、隠れ感染者が減っているわけですから、同じ程度の「自粛」による接触機会の削減を行った場合に、新規感染者の発生はより少なくなる、ということも直観的にわかります。すなわち、よりゆるい「自粛」でも、新規感染者数は減っていくわけです。その程度を数学的モデルで定量的に示したのが、物理学者で九州大学名誉教授・科学教育研究所の小田垣孝氏です。http://www001.upp.so-net.ne.jp/rise/images/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E4%B8%80%E8%80%83%E5%AF%9F.pdf難しくて理論の理解はできませんが、5月6日の朝日新聞の解説https://www.asahi.com/articles/ASN557T4WN54ULBJ01C.htmlによると、“「接触機会削減」と「検査・隔離の拡充」という二つの対策によって新規感染者数が10分の1に減るのにかかる日数を計算したところ、検査数を現状に据え置いたまま接触機会を8割削減すると23日、10割削減(ロックアウトに相当)でも18日かかるとした。一方、検査数が倍増するなら接触機会が5割減でも14日ですみ、検査数が4倍増なら接触機会をまったく削減しなくても8日で達成するなど、接触機会削減より検査・隔離の拡充の方が対策として有効であることを数値ではじき出した。”すごいことですよね。仮に検査を現在の4倍にして、陽性者をしっかり隔離すれば、残った人々は「自粛」をせずに通常の社会活動を続けられて、それで急速にコロナが減少に向かうのです!もちろんこれはモデルですので、実際に完全にこの通りにはならないと思います。たとえば検査の偽陰性(陽性者を陰性と判定してしまうこと)の問題があります。PCR検査の偽陰性は約3割だそうです。ただ、この偽陰性の大半は、検体採取時の不備とされています。5月4日の朝日新聞の記事にこのあたりのことが書かれています。https://www.asahi.com/articles/ASN515S72N51UBQU001.html鼻の奥に綿棒を入れてぬぐう際に、ぬぐい損なって良い検体をとれないため、ということですね。とすれば、唾液で検体採取すればこの点は大きく改善されると思います。また、陽性とされた人々の隔離を徹底することも、現実にはなかなか困難なケースが少なくないでしょう。小さい子どもがいる家庭とか、高齢者を一人で介護している家庭とか。しかしそのような現実の状況を加味したとしても、PCR検査を大幅に増やし、陽性者の隔離を進めていくという「検査と隔離の拡充」は、医療面に大きなメリットがあるのみならず、社会・経済面へのダメージが最小限ですむ、という極めて合理的な方法です。日本が早くこの方向にしっかり進んでほしいと切に思います。
2020.05.12
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神戸市民医療センター中央市民病院からの貴重なデータが出ました。神戸新聞の記事https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202005/0013318051.shtmlによると、コロナと関係ない外来患者1000人に抗体検査(PCR検査ではない)を実施し、33例(すなわち3.3%)が陽性であったと。検査期間は3月31日~4月7日。1000人の性別・年代別の検査人数と陽性者数も掲載されています。また毎日新聞によると、このデータを性別・年代別人口で補正すると、人口の2.7%であった、とされています。https://mainichi.jp/articles/20200503/k00/00m/040/002000cこの報告、手法としては先日の記事に書いた慶応大学病院の報告https://plaza.rakuten.co.jp/jyak3/diary/202004220000/と似ています。調べている指標は、慶応大学病院はPCR検査陽性者なので、検査時点でウィルスが体内にある人であるのに対して、神戸市民病院は抗体ですので、感染歴がある人(過去~少し前までに感染した人の累計)、という点は異なります。抗体の内訳(IgMかIgGか)は報道されていないので感染時期がいつ頃だったのかはわかりませんが、ともかく少し前までの市中感染の実態を反映している指標です。両者の報告の主な点を列挙しておきます。病院 検査期間 対象 検査 陽性者 陽性率慶應大学病院 4月13日~4月19日 コロナと無関係の入院患者 PCR 4/67 約6%神戸市民病院 3月31日~4月 7日 コロナと無関係の外来患者 抗体 33/1000 3.3%どちらも病院受診者対象ですから、一般人口の無作為抽出とは異なり若干のバイアスはあるとしても、市中感染が日本で東京のみならず神戸でも相当多い、ということを示すデータです。なお、神戸市の人口は1,518,870人(*)ですので、2.7%だと約41,000人が、4月7日の少し前までにすでに感染していたことになります。一方、神戸市のPCR検査数とその陽性者数は、神戸市のホームページhttps://www.city.kobe.lg.jp/a73576/kenko/health/infection/protection/covid_19.htmlのエクセルファイルで見ることができ、4月7日までのPCR検査数の累計はわずか582人、陽性確認者数の累計は68人にすぎません。5月4日の時点でもPCR検査数の累計は2242人、陽性確認者数の累計は266人です。いかに現在の日本のPCR検査が少ないか、その陽性者数では感染の実態がつかめないかがわかります。(*)神戸市のホームページhttps://www.city.kobe.lg.jp/a89138/shise/toke/toukei/jinkou/suikeijinkou.htmlによると、神戸市の2020年4月1日の推定人口が、1,518,870人です。
2020.05.04
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2020年3月29日、きらクラ卒業式の放送です!○明日または今日が誕生日のサウリアンニ(?)さん:ラジオを聞く習慣がなかった私が毎週きらクラを聴くようになったのは3年前。県立の音高生になったばかりの長男を高校へ送る車中で聴き始めたのがきっかけだった。約15分の道のりだったが、月曜の朝は楽しい気持ちで過ごさせてもらった。一番笑った思い出は、まりさんたのもうで、カルメンの第一組曲が「やんぱらぱら」で出題され、答えが降りてきた瞬間の喜びと興奮と大笑いの混ざったお二人の盛り上がりシーン。あのとき、「最高すぎるだろう」と笑いながらぬくぬくと輸送されていた寝坊息子も、4月から某私立音楽大学生になる。高校卒業ときらクラの卒業の二重の寂しさを味わう春ですが、お二人の今後の新たなご活躍と、リスナーの皆さんの新しい季節が素敵なものになることをお祈りする。ふかわさん、「聴けないのがさみしいという声ありがとうございます。ただ、いつもとは違う時間にはなるが、たとえば寝る前目を閉じて心の周波数を合わせれば、きっと聞こえて来るであろう真理さんの笑い声。ふとね、日常生活の中でよぎる瞬間がね、あると思う。」(スタジオにはすごいお便りがたくさん届いているとのことです。)○ゆきさん:きらクラを聴き始めたのは長女を産んで育児休暇に入っているとき。赤ん坊と二人きりで過ごすなか、なかなか外出もできず、ふと思い付いてラジオを聴くようになった。クラシック音楽をユニークな切り口で紹介してくれるいろいろなコーナーと、お二人の楽しいトークに毎回とても癒された。おかげでクラシック音楽に興味を持つようになり、子どもが成長してからはCDを買ったりコンサートに出かけたり、今では大事な趣味の1つ。今回の卒業制作の朗読はとても素敵な内容、みんなに愛されたアナグマは死んでしまったけれど彼が教えてくれたことや一緒に過ごした思い出が消えることはない。きらクラが終わってしまってもここで過ごした楽しい時間、たくさんの笑いや感動は私の心にずっと残っていくでしょう。きらクラは週に一度、クラシック好きの仲間が集まるカフェのようだった。気軽に立ち寄れて、詳しい人も初心者も一緒にわいわい盛り上がれる、そんな空間だった。8年の間店を切り盛りしてくれたふかわさん真理さんそしてスタッフの皆さまに心から感謝。あのとき生まれた長女は今年の春小学生になる。去年からピアノを習い始め、少し難しい曲も弾けるようになった。ふかわさん「思いだした。ここのスタッフは、やりますね、なかなか。この間のオンエア聴いてびっくりした。私はもう8年のね、もう言わずもがなあそこはね、ちょっとつまんでくれるかなと思ったら、しっかりと電波に乗っていた。」真理さん「だけどみなさんには伝わっていると思います。」○くらべすさん:とうとうこの日がやってきた。今日はきらクラ卒業式。奇しくもコロナウィルスの影響で日本全国の小中高大学でのあらゆる卒業式が直前になって中止だったり親御さんが参加禁止だったりなど、顔を合わせない形を強いられることになり悔しい思いで過ごした方々も多いことでしょう。そんな中きらクラでも、この晴れの日を、リスナー同志顔は合わせられずとも、オンエア卒業式という形で、電波を介して同じ時間と気持ちを共有していることを感じつつ、8年間をともに過ごした卒業式に私も参加する。今日はなんと卒業制作まで用意されているとのこと、これは一生の思い出になること間違いなし。そしてふかわさん、今日は泣いてもいいんですよ。私も号泣する気がしています。その方がきっと4月から晴れやかにすごせると思う。さて卒業式では定番のこの曲で、リスナー卒業生全員、ラジオの前に、入場です!→ 團伊玖磨作曲、「祝典行進曲」(フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの演奏)で流れました。行進曲祭り、日本人作曲家祭りの流れを継いだ素晴らしい選曲による素敵なオープニングでした。☆きらクラDONの正解は、アザラシヴィリ作曲の「無言歌」でした。○胆石が痛いさん:実は女房はクラシックがダメだが、この番組が好きで、DONがもう最終回と知ったら絶対に応募すると息巻いた。でも出題を聞いても私も女房もわからなかったが、女房は真理さんが思わず笑ったことから検索に検索を重ね、見つけた、と喜び勇んで報告してきた。動画サイトで全体を聞いてとても感動的な曲で思わず涙が流れてきた。そのあとさらに検索を重ねたところ真理さんの演奏でCDが出ている、今度買い求めようかな。というわけでこの番組はクラシックがダメな女房にとってもとても楽しい番組だった。また何らかの形でお目にかかるのを楽しみに待っている。○銀鱈さん:実は先週初めてお便りを差し上げこの曲をリクエストした。まさかの出題に驚き二度目のお便りで回答する。2016年2月28日の放送でゲストの山田和樹さんが選曲されたもの。チューリヒからミュンヘンへ移動する列車の中で聴き、この曲に出会った。同じ車両内には乗客もまばらで、話し相手もいなく曇り空の下に延々と続く雪をかぶった広大な田園風景。この曲が生まれたのはこんな世界だったのではないかと想像しつつ感涙しつつ車窓を見つめていた。山田和樹さん、この曲に出会えたこと心から感謝する。ふかわさん真理さんスタッフの皆さま音楽の力ラジオの力を教えていただいた番組、ありがとうございました。これからも音楽を通じて私たちに元気や感銘を届けていただければと思う。ふかわさんがご両親と3人で真理さんのコンサートを聴きにいったとき、真理さんがドヴォルザークの協奏曲を弾いた後のアンコールでこの曲を弾いたことを、語っていました。以前の番組でもお話されてました。○塩尻のてるさん:これもきらクラで初めて聴いて好きになった1曲。フィンジ、セブラック、モンポウ、ペルトなどもきらクラで知りCDを購入、今では私の生活で欠かせない一群となった。私たちリスナーに心に残る体験をさせていただきありがとうございました。毎週ラジオでお聴きしていたふかわさん真理さんの声が聴けないのはさみしくなる。しかし私も、会うは別れの始め、さよならだけが人生だ、を肝に銘じて、きらクラのない生活をきちんと始める。ふかわさん真理さんこだまっちスタッフの皆さんこれからのますますのご活躍を祈念して、そう最後はやっぱり、ご自愛ください、ダンケシェーン。ふかわさん真理さん「ビテシェーン。」ふかわさん「いつから言い出したでしょうか。世界の挨拶の歌も歌った。」○ぴるるさん:以前放送されたときふかわさんと同じく涙腺ぐいぐいきた。そのときはチェロアンサンブルの演奏だったが、ピアノバージョンもあると言われていたので弾きたいと思い、楽譜を求めぼちぼち練習しやっと今年の発表会で弾く予定。ピアノバ―ションの演奏が聴きたいと思ってリクエストしようとしていたところ番組終了のお知らせがあり、番組企画も盛りだくさんなので諦めていた。ここにいたって最後にこの曲が注目されたのがとてもうれしい。アザラシヴィリをはじめ、ナザレ、メトネル、シャミナード、ミヨー、グラズノフなど教科書にない作曲家の素敵な曲に出会え、大変勉強になった。もう一つ気になることはステッカーの在庫整理・在庫処分はあるか?余っているなら大盤振る舞いしてほしい。○ヴォルフガングあまがえるモーツァルトさん:私はこの曲を2017年6月の放送でリスナーさんのリクエストに応えてオンエアされたことで知った。おとうさまを看取ったばかりの心情を綴ったリスナーの方の愛情あふれるお便りが読まれたあとにこの曲がオンエアされた。この曲を聴き終えたあと、まわりの風景や近くで遊んでいる私の一人娘がそれまでと違って見えるほど、深く印象に残ったのを今でもよく覚えている。それは私にとって、リスナーの方のお便りと音楽の力によって、何かを大切に思うとはどういうことか、というこれから一生をかけて考えていかなければならないことについて学んだ瞬間だったように思う。お便りの内容や曲について何も論評せず、「ではお聴きいただきます。」と簡潔にお話されたふかわさんの、何も言わないことで示す大きなやさしさと心配りも忘れることはできない。初めて真理さんの生演奏を見に行った日に演奏された曲でもあったから、きらクラを通して私が出会ったり知ったことを1曲で象徴するような、「きらクラ私の1曲」というような曲をもし選ぶとすれば、私の1曲は間違いなくこの曲。ふかわさん真理さんをはじめとする番組の制作に携わったスタッフの皆さま、それからふかわさんと真理さんを真ん中にして集まったラジオの向こう側にいらっしゃるリスナーの皆さまから私は本当にいろいろなことを教えていただいた。それは私にとってこれからも大切にしたい宝物になっている。ふかわさん「こうやってほめてくれますけどね、何も知らないだけですから。」真理さん「そんなことない。そんなことない。大きなやさしさです。」○1996さん:忘れもしない平成17年の6月、父を看取って10日目に発作的にリクエストして採用された。実はそのときの録音があるにもかかわらず、一度も聴き返すことができずにいる。山田和樹さんに教えていただいたこの曲は私の生涯の1曲になった。その頃はCDを探すのも大変だったが、きらクラのおかげで今は真理さんのチェロ演奏のCDを聴けるまでになった。私は亡き父に会いたいときにこの曲を聴き、必ず泣く。今や泣きたくなったときに聴くといってもいいほど。これからはきらクラロスをどうやって埋めればいいのか。この番組は本当にふかわさんと真理さんでなくてはならなかったと心から思う。夜半亭あぶらーむしさんや楓よりイ長調さん、あまがえるモーツァルトさんなど、お会いしたこともないのにお友達のような気持ちで過ごしてきたこの8年間、本当に本当にありがとうございました。きらクラリスナーの皆さまこれからもご健康でお幸せでありますようにお祈りしている。ニアピンがありました。○オペラのパパさん:あれっ、今日のきらクラDONは長くない?でもなんだっけ、とつぶやきながら考えていると、「白鳥でしょ」と4月から高校生になる長男がぶっきら棒に言い放った。1/4サイズにしがみつきながらチェロを始め、このきらクラのお姉さんもチェロを弾いているんだよ、いつか白鳥を弾けるようになるといいなぁと言っていた息子が、今ではフルサイズのチェロを担いで友達とのアンサンブルに出かける姿を見ると、きらクラと一緒に成長してきたなぁと感じて熱いものがこみあげて来る。そんな我が家では、半年ぼど前に生まれた4人目の弟を、3人の兄と姉が囲み、四重奏最後の砦であるヴィオラ奏者にすべく不穏な計画を練っている模様。またお会いできる日を楽しみにしている。(見事にニアピンステッカーをゲットしました。)○たーたんさん:ホームページのきらクラDONの過去のデータを集計した。最終回のアザラシヴィリを除き、全342回で計346曲が出題され、作曲家は丁度100人登場。うち46人は一度のみで、登場10回以上は6人で、最多は25回のモーツァルト、以下ベートーヴェン21回、チャイコフスキー20回、ショパン14回、バッハとドビュッシー12回。この6人で3割を占める。○きらクラDON当選者=長女はホルン次女はクラさん:きらクラで出会い最高の1曲となり、最後にリクエストするならこの曲だと思っていた。山田和樹さんがゲストで出演されたときに「この曲を世に広めたい」とリクエストされて初めて流れた。そのときももちろんいい曲だと思ったが、再びリクエストで流れた時にあとからあとから涙があふれてきた。やさしさが畳みかけてきて、チェロの音色が心に深く深く入っていく感じだった。私はこの曲をどうしても手元においていたいと思い、生まれて初めてクラシックCDを購入した。ふかわさんと真理さんはクラシックという大きな門を開けてくれ、そして中においでと手招きをしてくださったのだと、心から感謝している。これからのお二方のご活躍とご健康をお祈り申し上げます。そしてアザラシヴィリの無言歌が、サンクトペテルブルク・チェロ・アンサンブルの演奏で流れました。○せろりんさん:暇な日曜日の午後、たまたまラジオをつけたらお笑い番組をやっていた。聴きながらごろごろしていたが、あれ、お笑い番組じゃない、クラシック番組じゃん、まぁいいかー、と聴き始めてから日曜午後の習慣になった。何度かメッセージを送り、きらクラDONのステッカーも2種類もらった、封筒とともに宝物。最後のラジオネーム読み上げのとき、消えそうになりながら呼ばれたこともあった。この番組でお気に入りのクラシックも何曲か見つけた。知らない曲がなんと多いことかと知らされた。この世の中にクラシック音楽なるものが何曲存在するのでしょうか。しばらくきらクラロスになりそう。来週から番組名が変わるだけだよー、というサプライズなんてないですよね。特番でもいいのできらクラしてほしいなぁ、待ってまーす。ではその日まで、お元気で。○いつも生きていてくれてありがとうさん:以前BGM選手権のお題の願いを送り、今回の卒業制作でかなえていただいた。まさかこんな形で願いをかなえてくださるとは夢のよう。前回の放送で「アナグマは」、と朗読が始まった瞬間、娘と私は驚いて顔を見合わせた。びっくりして口をポカンと開けたまま喜んだ目でラジオを聴く9歳の娘の様子は、もしもネットにアップしたら結構な再生回数になったかもしれない。皆さまに改めてお礼を伝えたい。ふかわさん真理さん番組スタッフのみなさんはもちろんのこと、代役で見事に司会をつとめあげられた皆さん、また聴きごたえのあるプロフェッショナルなお話をしてくださったゲストの皆さまに深く感謝。最後に忘れずにお礼を伝えたい方々、それはリスナーの皆さま。各コーナーで紹介されるお便りで、自分もここ好きだなとか自分と同じニアピンだぁなんて言って一緒に参加している気分になった。また喜びのメッセージには微笑み、味わいのある話には感銘を受け、冗談のようにおかしい経験には外で聴いているのに我慢できずににやりとさせられたり、そしてときには涙があふれてしまうこともあった。音楽の知識を得るだけでなく日常にある素敵なドラマにも数多く気づかせていただいた。窓から見える桜が静かに花びらを散らせている。8年もの間咲き続けてくれたきらクラの、キラキラと花びらを舞い踊らせる姿も美しい。春風に乗って私たちのところにもちゃんと届いている。きらクラみんな大好きでした。○もふもふうさぎのリボン君さん:実はずっと気になっていたことがある。第1回の放送の最後の方で、ふかわさんが「日曜日、今日はあいつが ベートーヴェン」と詠まれたのを覚えていらっしゃるでしょうか?この句がずっと頭に引っかかっていて、当時どういう意味を込めてこの歌を詠まれたのか、また最終回を迎えるにあたって今ならどいう歌を詠まれるのかお聞かせいただけるとうれしい。ふかわさんは全く身に覚えがないと。そこで第1回(2012年4月8日)の放送のクラシック川柳の部分が流れました。「日曜の 午後はあなたが ベートーヴェン」。真理さんの反応は「うーん」と今一つでした(^^)。ふかわさん照れて「こんな厄介な男性と良く8年もお相手してくれましたね。しかも第1回でしょ。でも多分、私なりに頑張っていたのだと思う。初対面で、自分が頑張んなきゃ頑張んなきゃみたいな。」真理さん「(この歌の)真意は、わからないところがまたいいですね。」○愚直に投稿さん:日曜の午後をキラキラと8年も楽しませてくれたきらクラ、その歴史に登場された数々のきらびやかなゲストの方々、スタジオでふかわさんや真理さんの代わりにMCをつとめた方や、文字通りゲストとしてお見えいろいろなエピソードや思いを披露してくださったり生演奏をしてくださった方々、そうそう公爵という身分の高い方も来てくださった。公開収録では無茶ぶりするふかわさんの要望や、ハプニングがあってもさらっとこなしてしまう方々、不慣れな演技に挑戦された方々など、数えてみるとなんと78人もの方々が登場された。こういうゲストの方々にも心からお礼の気持ちをお伝えいただきたい。☆ここで三浦友理枝さんからサプライズのコメント:大好きだったきらクラが今週で終わってしまうなんて本当にまだまだ信じられない。が、ふかわさんも真理ちゃんもスタッフの皆さんも、本当に、8年という長きにわたりお疲れさまでした。真理ちゃんはソリストとしてそもそも忙しく活動していたわけですけれど、さらにこの毎週のラジオに出演し、しかも近年どんどんアナウンサーのような滑舌に進化していてびっくり。そして二人お子さんを産んで育てて、さらにさらにオケのソロチェロという重役まで担うという。もう私から見るとこの生活は体一つではとても足りないんじゃないかと思うし、精神面でも大変なことってきっといっぱいあるんじゃないかなと思う。でも子供が生まれたあたりからやっぱり真理ちゃんのチェロの音色がすごく変わって、さらに艶やかにホールにすごく響き渡ってるのを聴いたときに、あぁお母さんになって度胸や覚悟が一層強くなって音楽にも現れてるんだなって思った。そんな人としての芯の強さ、ぶれなさを私はずっと尊敬している。ふかわさんにも、特に2回目の代役MCのときには大変助けていただいた。私にはもう思い付かないような言葉のチョイスのセンスお持ちなので、良く知っている曲でも新しい一面が発見できることも多々あった。またリスナーの皆さんにも曲をいろいろとご紹介していただけたのも嬉しかった。本当に素晴らしい経験をさせてくれたきらクラには感謝の気持ちでいっぱい。終わってしまうのはさみしいですが、またいつかどこかのコンサートやラジオで皆さんとお会いできるのを楽しみにしている。真理さん「うれしい~友理枝ちゃんから、いやぁ全然知らなかった。何より公私ともに仲良くしている友達なので。この番組に来てくれた時も、多分まだ初年度の、私がずっと緊張しているときに、友理枝ちゃんとたまきちゃん(川久保賜紀さん)が来てくれて、化けの皮がはがれたねみたいなことをふかわさんに言われた。あのあたりから自分というものの何かが壊れたと思う。」○ここで公開収録での演奏から、中村八大・作曲、上柴はじめ・編曲、「上を向いて歩こう」、上原彩子(ピアノ)、池松宏(コントラバス)、篠崎和子(ハープ)、遠藤真理(チェロ)、ふかわりょう(リコーダー&ウィンドチャイム)が流れました。(2016年9月11日新潟県長岡市での公開収録)○(ジョン・ラターの「ルック・アット・ワールド」がバックに流れながら)京都のアーガイルさん:(番組終了が)残念で腑に落ちない心と、忙しすぎるふかわさんに少しお休み・充電していただきたい気持ちが葛藤している。これまで沢山の素晴らしい曲に出会えてクラシックがものすごく身近になった。これもきらクラマジックのおかげ。また多くのゲストの方々の珍しいお話も聞かせていただいて本当にありがたかった。最後の最後のリクエスト、今世界が大変な状況にあるので、早く感染が収束して世界中の人が完治され、すべての人々が心から平安を得られるための祈りを込めてジョン・ラターの「ルック・アット・ザ・ワールド」をリクエスト。ふかわさん真理さんこれからもメディアを通して明るい風を日本に世界に。ずっとずっと応援している。どうぞご自愛しつつご無理なく頑張ってください。○(引き続き同じ曲が流れながら)みさみささん:何気なく聴き始めたきらクラですが、福岡県春日市での公開収録に参加したりご自愛ステッカーをもらったり、いつの間にかきらクラ沼にはまっていた。私が一番印象に残っているのは、ジョン・ラターの「ルック・アット・ザ・ワールド」。リクエストされた方のお話で、遠距離通学なのでしょうか電車の中でちょっと疲れた感じの男の子に向けられるこの方の温かい眼差しが感じられ、エールを送るのにぴったりだと思った。今何かと騒がしい世の中だが、世界中の人々の未来がこの曲のように輝かしいものであることを願っている。ふかわさん真理さんの今度のご活躍をお祈りする。○(モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスがバックに流れながら)天使の歌声が1オクターブ下がったハチベエさん:小学5年生のときに初投稿が放送された。そのときは合唱団で天使の歌声の先輩たちから指導を受けていたので、「天使の歌声修行中のハチベエ」というラジオネームにした。アイネ・クライネ・ナハトムジーク大太鼓付きを希望、でも太鼓なしでも可という変なリクエストを採用してもらったが、放送されたのはやっぱり普通の演奏だった。その5年ほど後に少年少女合唱団を卒団した頃、きらクラDONに一番の思い出の合唱曲アヴェ・ヴェルム・コルプスが出題されたので回答を投稿した。なかなか読まれなくてダメかなと思ったが最後に紹介されてクリアファイルをもらって大喜びしたのがきらクラ最高の思い出。今はクラスでも一番背が高くなり、声は1オクターブ以上低くなった。ご無沙汰合唱団が復活したら、天使の渋い低音で参加したい。最後に思い出のアヴェ・ヴェルム・コルプスをリクエストする。○(リンケ作曲「ベルリンの風」バックに 流れながら)仙台のまりさん:北海道に暮らす母、千葉に暮らす姉との共通の大好きな番組で、ラジオを聞きながらお互いの事を思う大切な時間でもあった。特にベテランラジオリスナー及び初回からのきらクラ愛好家の母の落胆は気にかかるものがあり、母のために曲をリクエストする、「ベルリンの風」。ドイツ在住の折、母と行ったベルリンフィルのヴァルトビューネコンサート、クラシック大好きな母が私の出産のためにドイツに駆けつけてくれた記念にと、臨月のお腹を抱えて行った忘れられない思い出。今年80歳になる母へのプレゼントに、そして真理さんふかわさんに今後も素敵な風が吹きますようお祈り、リクエストする。心癒される素敵な時間をありがとうございました。○(引き続き同じ曲が流れながら)ベルリンのちずるのムターさん:なくてはならない生活の一部がきらクラだった。1歳8ヵ月の娘はふかわさんの「トンブリの唄」が大好きでいつも踊り、「まりさんたのもう」も、「たものーー」と真似て大興奮。最後にこの番組で出会わせていただいた大好きな曲のひとつ、リンケ作曲ベルリンの風をリクエストする。遠くベルリンからふかわさん真理さんこだまっちさんスタッフの皆さんのますますのご活躍、そしてこの番組のリスナーの皆さんの御健康をお祈りするとともに、皆さまとの出会いに感謝する。きらクラはずっと心に生き続けます。きらクラ大好きです。○山好きかっちゃんさん:パッサカリアの道という名前のついた道があるのをご存じでしょうか。おそらくどの地図にも掲載されてはいない、しかし確かにそれはある。2019年6月10日の朝、前日の本放送を聴き逃しているのでスマホに取り込んであるきらクラ美作公開録音を楽しみに聴きながら鞍掛山の道を登った。木々の新緑は朝日に輝き木漏れ日がその道に彩を添えている。ヴァイオリン松田里奈、チェロ遠藤真理によるヘンデル作曲ハルボルセン編曲のパッサカリアの生演奏が流れてきた。その第一音が響いた瞬間から私の心はパッサカリアの世界に引き込まれてしまった。私を囲んでいる木漏れ日が、パッサカリアとともに踊り始めた。演奏が終わったとき私はうっすらと涙をたたえ、美作公録会場の人たちと一緒に拍手をした。それ以来私はその道をパッサカリアの道と呼ぶようになった。夏に秋に冬に春に、パッサカリアの道は私に慰めや励ましを与えてくれる。鞍掛山の頂上から見る岩手山はなかなかの存在感がある。近くには有名な酪農農場があり、牛や羊たちがふかわさんたちを呼んでいるよう。盛岡でのきらクラ公開収録は残念ながらなかったが、楽しい番組を本当にありがとうございました。番組制作スタッフの皆さん、番組卒業記念旅行に鞍掛山登山はいかがですか、きらクラ由来のパッサカリアの道にご案内いたしましょう。あのときのパッサカリアをお聴かせいただければ幸いです。→ 美作公開収録のライブ録音でパッサカリアが流れました。○ピアノ落第生さん:もう一度聴きたいそらみみクラシック、バーンスタインのウエストサイド物語の「あんたがやった」、放送後自宅のレコードを聞いてみたが、きらクラでかかった音源以外には聴こえてこないので、あらためて聴きたい。→「あーんたがやったー?」がかかりました。○コントラバス好きさん:そらみみクラシックでボーイソプラノで「いまへん」と聴こえる曲がタイトル忘れましたがツボだった。あと忘れがたいのが、ギタリストの鈴木大介さんが真理さんと演奏したリベルタンゴ。良く聴く曲だがあんなに手に汗を握った演奏は初めてだった。チェロとギターが激しく戦っているようで、ソフトな印象のある真理さんの演奏家としての熱い一面を感じた回でもあった。鈴木さんは真理さんの産休のときにゲスト出演されたこともあったが、きまクラ時代よりリラックスした感じでふかわさんとの男性二人のトークも良かった。もっと来ていただきたかったな。→ バッハのカンタータ第52番「偽りの世よ、われ汝に頼らず」からアリア、「いまへん」が流れました。前奏を待つ長さがなんとも楽しく、初回放送時にふかわさんが、「広い家の中をあちこちの部屋のドアをあけてみたりして、どこにもいなくて、“いまへんでした”と報告するみたい」と絶妙なコメントを発していましたっけ。確かその翌週の放送の際には「一体だれがいないのか気になる」というリスナーさんの投稿も読まれました。これワタクシもすごくはまってしまい、以前ブログ記事「いまへんのは誰か」を書きました。今になっても、いろいろ想像するとアシモフの銀河帝国の興亡を読むようなスリル感があります(^^)。○ここで岡山県美作市の公開収録から、岡野貞一・作曲、林そよか・編曲の「桃太郎」が流れました。松田理奈(バイオリン&雉)、ザ・レヴ・サクソフォン・クヮルテット(サクソフォン四重奏&猿)、米津真浩(ピアノ)、遠藤真理(チェロ&犬)、ふかわりょう&リスナー小林さん(特別出演)。音だけでも楽しさがすごく伝わってくるパフォーマンスでした。(2019年6月岡山県美作市・美作文化センターでの公開収録)☆三舩優子さんからコメント:8年間のきらクラ、本当に偉業だと思う。クラシックファンの方にもそうでない方にも本当に幅広く、この番組を通じてクラシックの素晴らしさ楽しさを伝えていただいて、全国にファンが沢山いるのをコンサートを通じて実感している。ゲストに出させていただき、そして光栄なことに真理ちゃんが産休のときに代打をつとめさせていただき、とても楽しい思い出がいっぱいある。ふかわさんとはピアノの個人レッスンをはじめ、連弾もさせていただき、先生なんて呼ばれてしまっているが先生なんてとんでもない。本当にまじめで良く勉強されていて沢山の曲をご存じで、ピアノをどれだけおうちで練習されているのかなと毎回驚かされる。ここ近年はコンサートもやっている、今後もコンサートを通じてお付き合いいただけたらと思っている。真理ちゃんも、トリオをやったり全員で歌も含めて演奏したり、ママもしながら、オケもやりながら、この番組もしながら、コンサートもしながらと、ほんとにスーパーレディで、10年後20年後どんな素晴らしい大家になられるんじゃないかと思って、その頃私もまだいれば是非一緒に演奏したいと思い、楽しみにしている。きらクラは終わってしまうがこれからもさらに第二章、第三章と、いろいろと音楽人生、自分の人生も続いて行くと思う。ファンの方々はきっと永遠だと思うので、コンサート会場でとかいろいろなところを通じて交流されていって、このきらクラという番組が永遠に残っていくことを信じている。今後もいろいろな形でまたご一緒できたらいいなと思いますが、ひとまずは本当にお疲れさまでした。○ここでフィンジ作曲「エクローグ」が流れました。きらクラを象徴する曲の1つですね。僕も本当に好きな曲で、BGM選手権に3回投稿して3回ボツになったのも大切な思い出です。☆BGM選手権:卒業制作 スーザン・バーレイ作、小川仁央訳 絵本「わすれられない おくりもの」第1ブロック 年老いたアナグマ:ブレイン作曲、「外洋へ向かって」 (さとたかさん)このわすれられないおくりものに込められた想いを貫くエピローグ的なBGMを選んでみました。ホルンの牧歌的な旋律はやさしく温かく、友達を包み込むアナグマに重なります。いずれ私が死ぬとき、家族や友人がどんな風に私のことを思いだしてくれるか、どんなことで語りあってくれるのか、温かな思い出として語ってもらえるような一生を送りたいものです。最後に私にとってきらクラは、まさにわすれられないおくりものです。第2ブロック 夢:セヴラック作曲、「休暇の日々から第1集」より「ロマンチックなワルツ」、リリー・ラスキーヌのハープによる演奏 (街角のヴィオラ弾きさん)夢のシーンにとってもに似合う素敵な音楽を見つけました。原曲はピアノ曲ですが、リリー・ラスキーヌさんがハープで演奏したものがあり、これがもう夢の中で走るアナグマ君の軽やかな足取り、ふわっと宙に浮く感じに、びっくりするほどぴったりします。第3ブロック トンネルの向こうに行ったアナグマ:ピアソラ作曲「tanti anni prima」、ギドン・クレーメル(Vn)、オレグ・マイセンベルク(P)による演奏 (越前86.2Kgさん)曲を選びながら、つい番組との別れを思い、涙が止まりませんでした。この卒業作品、ずっと心に残ると思います。素晴らしい番組をありがとうございました。第4ブロック もぐらの切り紙:ヨハン・シュトラウスI世作曲「アンネン・ポルカ」(ひこうき雲さん)切り紙を楽しんでいるもぐらには、陽気でユーモラスなポルカの曲想がぴったりなのでこれに決めました。本当に長い間お疲れさまでした。素敵な番組に出会えて幸せでした。← ひこうき雲さんおめでとうございます!第5ブロック かえるのスケート:ベルリオーズ作曲、交響曲「イタリアのハロルド」から第三楽章冒頭のオーボエソロ部分(ジャック天野さん)← ジャック天野さんおめでとうございます!第6ブロック きつねのネクタイ:ポルディーニ作曲、「踊る人形」(雷蔵さん)きつねがやさしいアナグマのアドバイスでくるくるきゅっとネクタイを上手に結べるようになるところ、踊る人形というこの曲の優雅さ軽快さが良く合うと思います。最後に皆さん本当にお疲れさま、ありがとうございました。時節がらどうぞご自愛くださいませ。第7ブロック うさぎの奥さんの料理:スクリャービン作曲、ピアノ協奏曲から第2楽章、ピアノ独奏直前のクラリネットの部分から(マヌル猫さん)うさぎの奥さんの心情はピアノの音で表現してみました。第1回放送から聴かせていただき、とうとう8年後に最終回を迎えてしまいました。きらクラほど毎週の番組を心待ちにするFM放送はありません。ふかわさん真理さんこだまっちそしてスタッフの皆さん、8年間素敵な放送・公開収録ありがとうございました。これからの皆さまのますますのご活躍を祈念いたします。どうぞご自愛ください。第8ブロック 春の日に:ピーター・ウォーロック作曲、「カプリオール組曲」から 第5曲「ピエ・アン・レール」(ひまわリストさん)体はなくなってもアナグマの心は続くように、放送は終わってもきらクラはみんなの心の中に続いて行く、そういう想いをこめて選びました。あっという間の8年間、本当に素晴らしい番組をありがとうございました。ふかわさん「みんなで作ったわすれられないおくりもの、お聴きください。」ふかわさん「いや~素晴らしかったですね。」真理さん「素晴らしかったですね~。やさしさと、あたたかさと、あの~、はい、言葉にできないものがたくさん詰まっていて、思い出深い曲も沢山ありました。」ふかわさん、「沢山の投稿、そして、やはりね、うーん、こう、あの~、本当に、皆で作った卒業制作ということを実感しました。そして、改めて触れなくてはいけないと思うんですけど、音楽監督こだまっち、本当にありがとうございました。」○ふかわりょう・作詞作曲、上柴はじめ・編曲、「WALTZ IN AUGUST」、臼木あい(ソプラノ)、亀井良信(クラリネット)、遠藤真理(チェロ)、ふかわりょう(ピアノ)が流れました。(2014年10月放送、NHKふれあいホールでの公開収録。)沁みました。○しらさん:3月はグッドバイの季節。齢のせいか涙腺が弱くなってしまい、リスナーの方々の8年間のご家族の成長を綴ったお便りに涙、好きな曲がかかっては涙、お二人の静かな美しい演奏に涙、いつもの笑い声に涙、ふかわさんの涙にまた涙、そんな3月でした。毎週日曜日はアマチュア吹奏楽団の練習に参加し、移動の合間などで聴くきらクラは本当に至福のひとときだった。先週のBGM選手権祭りでは、懐かしい珠玉の名作を聴いていると、そのときの景色や空気や、当時練習していた曲まで蘇ってきて、音楽の記憶の深さを感じた。きっとこの先、グラズノフのワルツを聴くたび、さっき練習してきた同じくグラズノフの秋と、秋ならぬこの満開の桜の景色を思い出すのだろうなぁ、あまり情報社会に参加しておらず狭い世界で生活しているが、きらクラで思いがけず同じ空気を吸ってきた人たちや、だよねーと共感できる沢山の見えない仲間に出会えた。ふかわさん真理さんスタッフの皆さま、そして寅さんの冒頭2秒に反応してしまう沢山の同志の皆さま、またお会いできるのを楽しみにしている。どうぞご自愛ください。○ふかわさん「さて、我々、毎週かけたい曲をかけてきましたが、我々の思っているすべてのことを、この1曲にこめました。」エルガー作曲、「愛のあいさつ(ありがとう、きらクラ!バージョン)」 、遠藤真理(チェロ)、ふかわりょう(ピアノ)が流れました。ふかわさん、「本当に楽しい8年間でした。」真理さん「思い返すと本当にあっという間だったのに、そこの8年間というのは中身が本当に濃くて、貴重な時間でしたね。」ふかわさん「お便りの中にもありましたが、沢山の愛が集まる場所でした。」真理さん「本当に温かな、いろいろな人の想いをいつも拝読して、共感して、ふかわさんの言葉に笑ったり、はい、楽しい時間でしたね。」ふかわさん「音楽への愛、クラシックの愛、家族愛、兄弟愛、自然に対する目線、いろんな想いがこちらに届いて、それが電波に乗って皆さんのところに伝わるという、本当に素敵な番組、みんなで作るハーモニーを、そのそれぞれの音を我々が参加できた、みんなで作る音に参加できたということ、本当に貴重な経験だと思っております。」真理さん「なによりふかわさんのリーダーシップがほんとに頼もしくて、あたたかくて、やさしさに満ちていて、」ふかわさん「師匠もすごいですから、本当に。ちげーねーわいぜんですよ。ということで、あらためて本当に、8年間ありがとうございました。」☆最後のラジネコール:いずみちんさん、また会う日までさん、さとまんさん、ひぽさん、きらクラ感謝さん、もーつぁるこさん、メーメー森の子やぎさん、オシャンティーママさん、きゃべつっこ千切りびっちさん、雪の子ラベンダーさん、ノックオンさん、なおさん、チョコのパパさん、フルヴェンさん、ちよままさん、耳ふさコアラさん、コンスタンツェさん、猫好きなショパンさん、犬とおんきゅうさん、りょうきちさん、さだやんさん、アネモネさん、まりへい師匠の応援団長さん、飯より音楽が好き人間さん、アルビレオさん、あべひろみちさん、きらクラに元気をもらっていた二児の母さん、番組終了を惜しむ愛知ののりじいさん、おかひじきさん、おかっぱボブスレーさん、フーマンさんと同い齢さん、ル・バルさん、ねえねえのママさん、まきウサギさん、雪の尾根のかもしかさん、アクアマリンさん、ブルーフォックスさん、チャチャイコフスキーさん、たくさんありがとうさん、トランペット吹きの週休三日制さん、夜の女王様さん、やっぱりピアノはいいよねさん、いつも心に音楽をさん、1ペンスさん、きときとかあちゃんさん、アナグマになれないおいぼれさん、エスプレッソさん、ジャクリーヌ3世さん(ワタクシです(^^))、なんだかんだバンダさん、エメラルドさん、弘前のマーラーさん、謎めーてるさん、こずりんさん、幼馴染夫婦さん、にゃんこのあくびさん・・・・ -----------------------------------------------------------------------○感銘深いきらクラオンエア卒業式の記録は以上のとおりです。これで終わった方が良いかもしれませんが、卒業式に参加した自分の気持ちを、蛇足ながらちょこっと書いて、この記事の筆を置きたいと思います。ふかわさん真理さんこだまっちさん、8年の長きにわたり素敵な番組をありがとうございました。リスナーの参加がこれほど盛り上がるクラシックの番組というのは唯一無二です。自分を含めて、初めてラジオ番組に投稿するようになったリスナーは数えきれないことでしょう。ふかわさんの感性は繊細で、子供のようにピュアですね。そのふかわさんのお相手をさらりと勤めあげ、ふかわさんのご成長を育んできた真理さんの、大らかで豊かな母性愛は、偉大です。数々の名企画を実現・運営されたこだまっちさんのご尽力にも心から敬服いたします。最後のBGM選手権のお題で、私たちに届けてくださったメッセージを忘れません。アナグマの体が無くなっても心は続くように、きらクラの放送は終わっても、きらクラは私たちの心にいつまでもずっと息づいていることでしょう。きらクラを、作った人、聴いた人、みなに幸あれ!
2020.04.29
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慶應大学病院から注意すべきアナウンスが出ました。http://www.hosp.keio.ac.jp/oshirase/important/detail/40171/4この中の「今後の見通し」に書いてあることが注目です。引用すると、”4月13日から4月19日の期間に行われた術前および入院前PCR検査において、新型コロナウイルス感染症以外の治療を目的とした無症状の患者さんのうち5.97%の陽性者(4人/67人中)が確認されました。これは院外・市中で感染したものと考えられ、地域での感染の状況を反映している可能性があり、(後略)”慶應大学は東京新宿区にありますが、基幹病院ですから入院患者さんは広域から受診していると思います。ともかく、コロナと関係ない患者さんの約6%がコロナにすでに感染しているということで、これが東京での実際の市中感染率に近い数字なのかと思います。調べた人数は少ないですが、驚くべき数字です。山中伸弥先生のサイトでもこのお知らせが取り上げられています。https://www.covid19-yamanaka.com/cont3/16.htmlそして山中先生のサイトの同じページ、すぐその下に、さらに驚くべき事実が書かれていました。東京の新規感染者数の発生はこの数日減少傾向にあるように見えますが、PCR検査数が、実はもっと減っているという驚愕の事実です。こんなに検査数が減っているのなら、見かけの感染者数は減って当たりまえです。検査がどうしてこんなに減っているのでしょうか???そしてなぜこのことをテレビなどで大きく取り上げないのでしょうか?本日行われた専門家会議の結果が発表されましたが、なぜこういうことが発表されないのでしょうか?現場は一生懸命検査しているはずです。☆2020年4月24日追記・訂正上の記事の後半を、訂正(取り消し)します。当初は、山中伸弥先生のサイトを参照元として、東京のPCR検査数が減っていると書きました。しかし4月23日に、山中先生の記事内容が修正されました。https://www.covid19-yamanaka.com/cont3/16.html「東京の感染者数は減少しているのか?」です。これによると、”東京都の検査数について、16日以降は保険適用で行われた検査数が含まれていない”ということです。詳しくは山中先生のサイトをご覧ください。お詫びして訂正いたします。
2020.04.22
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3月22日は、きらクラ滑り込み企画第3弾、BGM選手権祭りでした。思い出に残る名BGMが沢山流れました。なおこの記事作成にあたっては、ブロ友BWV1000番さんの貴重な記録「BGM選手権の全記録」を参考にさせていただき、第何回の選手権だったとか、投稿者名など、放送されなかった情報等を適宜追加しました。あつく御礼申し上げます。○最初に読まれたのは、前回のBGM選手権「檸檬」に関する、あいここさんのお便りでした。高校で檸檬を教えていた時のことを思いだした。35歳の春、結婚を機に退職、県外への引っ越し、妊娠・出産など、異郷の地での暮らしになかなかなじめず、1日の大半を自宅で過ごす毎日、ふかわさんのユーモアや豊かな感性にあふれた言葉に感心する日々だった。○へちますりか(?)さん、カプースチン作曲「8つの演奏会用エチュード 」から第6曲「パストラール」。数年前BGM選手権で一瞬流れた曲に心打たれた。軽やかな音符が舞っていて、ピアノを鳴らず楽しさにあふれていて、自分でも弾きたくなった。それから早くも数年、譜読みが難航しているが、今年の12月の発表会には完成予定。(この曲は2015年10月11日放送の第79回BGM選手権、山之口貘の「存在」で採用されました。このときのベストはサティでした。今回は音楽のみでかかりました。)☆きらクラDONの正解は、ネッケ作曲「クシコス・ポスト」でした。今年生誕170周年だそうです。○いちにーはちのくろさん、短調なのにこんなにわくわくする曲は珍しい。○らぴにすきーさん、徒競走が苦手だった。小学生時代のせつない思い出がよみがえる。ふかわさん「はだしで校庭を駆け抜けていた。あの頃に人生の大半の歓声を浴びてしまった。それからはそんなに浴びていない。」○くまさんごうさん、朝にラジオを聴いてなんとか鼻歌にして、夕方妻に鼻歌を聴かせたら「それ天国と地獄だよ」と即答、喜んでYoutubeで調べたらなんと違う曲、それどころか元の鼻歌も思いだせなくなり、「なんで中途半端な不正解教えるんだよ」と妻に理不尽な文句を言ったら、「運動会っぽいから運動会の曲で検索してみればいいでしょ」と怒られ、ひと悶着ありながらようやく鼻歌にたどり着いた。○りっちゃんさん(9歳)、いつも学校に行く前に朝ご飯を食べながら聴いている。曲にあわせて体が動くので母に速く食べてしまいなさいと良く怒られる。ヴァイオリンとピアノを習っている。きらクラのお兄さんとお姉さんの笑い声を聞くと元気になる。ふかわさん「お姉さんとおじさん」、真理さん「私もおばさんです」。ふかわさん「子供のころってなかなか食べられないときがある。」真理さん「今となっては思い出せないが、子どもを見ていると自分もこうだったのかなと思う。」○みちのくのアリアーガさん、走るのが大の苦手で、たいていビリだったが、小学校6年生のとき5人で走って奇跡的に二位だった。60歳となった今もそのときのことは忘れられない。○ティンふかわじまさん、残り僅かな放送、線香花火の落ちる寸前のきれいなほとばしりのようで綺麗ではかなく思っている。ふかわさんと同世代で、ふかわさんが時々発言するオジサマ発言、たとえば桜でなく銀杏の良さがわかってきた、などにいつも共感しながら過ごしてきた。ブラームスの交響曲第1番とならび定期的発作的に聴きたくなる曲。競馬を見るのも好きで、競走馬にクシコスポストという名の馬がいて、ひいき目に応援していた。この馬の誕生日は3月22日!まさかここと出題をかけているのだろうか、こだまっち仕込み過ぎ。○ソプラノチャッピーさん、その昔長男が初めてのピアノの発表会で拙い指使い、覚束ないリズムで必死に最後まで弾き終えたことをイントロの一音でぶわっと思いだした。これからもこうやって音楽と言うのは思い出とセットで流れ続けて行くのでしょう。☆ここでヴァイオリンとハープによる宮城道雄の「春の海」(クレーメルと吉野直子のCDの演奏でしょうか?)のBGMに導かれてふかわさんが「BGM選手権祭り」を宣言。この「春の海」は、確か新春のBGM選手権スペシャルのときに何度か使われたかと思います。(余談ですがBGM選手権のジングルは、開始当初は弦のピチカートみたいな素朴でほのぼのとした音楽でした。これがその後、いかにも決戦開始を告げるような、気分を高揚させる現行のジングルに代わったわけです。最後に昔のBGMジングルがもう一度聴きたいと思ってリクエストのお便りを出しましたが、不採用でした。)ここからリスナーさんの「もう一度聴きたいBGM」が次々に紹介されました。○1日遅れさんのリクエスト:第1回BGM選手権、ふかわりょう「風とマシュマロの国」から灯台の一節、ベストのラフマニノフ作曲、パガニーニの主題による狂詩曲から第18変奏(ふじわらしょうたろうさん)。真理さん「懐かしく~、今もう思い出に浸っていた。」ふかわさん「やばい今日涙腺持つかな」。僕は、この頃はいつも聴くリスナーではありませんでしたが、たまたま幸運にもこの第1回は聴きました。本当に懐かしいです。(なおふかわりょうさんのお題は、風とマシュマロの国から灯台、オーロラ、羊、静寂、の4つと、LET’S DANCE、どんぶりの唄の計6回ありました。)○たまきちさんのリクエスト:第3回BGM選手権、ふかわりょう「風とマシュマロの国」から羊の一節、ベストのアンダーソンの「プリンク・プランク・プルンク」(消しゴムはんこさん)○あさひさん、きらクラが始まる3日前に生まれた息子も今年の4月から小学2年生。リクエストは第40回BGM選手権、高村光太郎の「冬の詩」、ベストのベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番から第二楽章(からさわとよみちさん)。このBGMには、はっちさんからもリクエストがあったそうです。ふかわさんがおかわりした数少ない作品の1つということです。(BGM選手権で高村光太郎のお題は、道程、冬の詩、深夜の雪、雨にうたるるカテドラルの全4回が出題されました。)○まつもとあさえさん、リクエスト:第113回BGM選手権「算数の問題」、ベストのカバレフスキーの組曲「道化師」から「ギャロップ」(ピアノンさん)。出がらし太郎さん、親子リスナーさんからもリクエストがあったということです。個人的にはこのお題に触発されて、算数の無限の世界に引き込まれそうになって危うく脱出した思い出深いお題です。(第113回BGM選手権「算数の問題」本記事、おまけ記事、おまけのおまけ記事、おまけのおまけのおまけ記事)○しきじいさんのリクエスト:第39回BGM選手権(第2回BGM選手権スペシャル)の最初のお題、吉川英治「宮本武蔵」のベスト、ホルストの組曲「惑星」から「火星(戦争の神)」、(アクラ&ブリスカさん)。真理さん「ふかわさんちょっと笑いながら朗読してませんでした?」○ここで第1回BGM選手権で採用された曲の1つとして、フィンジ作曲「5つのバガテル」から第2曲「ロマンス」(しまだこさん)が、マイケル・コリンズのクラリネットで音楽だけで全曲かかりました。これがきらクラにフィンジが初登場したときで、僕は深く印象に残っています。このあとしばらくたってからエクローグがかかり、さらにロマンスもかかり、きらクラに重要な作曲家の一人となったフィンジでした。ふかわさん、「この番組で、フィンジとの出会いって、かなり大きなものとして、残っております。」☆ここから番組セレクションで五つのBGMが流れました。1)グルメなBGM選手権が、秋刀魚、数の子、漬物など沢山あった。その中で第25回BGM選手権、北王地魯山人の「納豆の茶漬け」、ベストのハチャトリアンの組曲「仮面舞踏会」から「ワルツ」(むいみやすださん)。これはいつだったかNHKの他のコンサートで、きらクラの番組紹介としてBGM選手権が紹介されたときにも流された曲で、一種BGM選手権の代名詞的存在ですね。2)真理さんの朗読したお題の中から、第62回BGM選手権(第3回BGM選手権スペシャル)の最初のお題、三遊亭円朝の落語「吝嗇家(しわんぼう)」のベスト、シチェドリン作曲の「ユーモレスク」(とらっぺさん)。まりへい師匠の堂々たる存在感ですね。まりへい師匠の初登場は2014年4月第46回BGM選手権、三遊亭円朝「日本の小僧」だったそうです。3)ゲストの朗読したBGM選手権の中から、第6回BGM選手権、NHKニュース「どじょうの親子丼」のベスト、プライヤー作曲「口笛吹きと犬」(錦織さんの声色の多さに脱帽のおにいさんさん)。2012年7月15日のゲスト、テノール歌手の錦織健さんの朗読でした。この独特な言い回しとかイントネーションは錦織さんの提案だったそうです。4)ゲストの朗読をもうひとつ、第150回BGM選手権、黙阿弥の「三人吉三巴白浪」のベスト、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲(ブリキよりト短調カエデよりイ長調さん)。2018年12月9日、ゲストの歌舞伎役者の尾上右近さんの口上でした。ワタクシこのBGM選手権に投稿したのですが、BGMはボツになり、投稿のサワリの短い部分(ゲストの尾上右近さんのインタビューをテレビで見たという内容)だけが番組冒頭で読まれたという、うれしさちょっぴり悲しさたっぷりの思い出の回となりました(^^)。ゲストの朗読と言えば僕がとても印象に残っているのが、第21回BGM選手権「ミニーとウィニー」です。記憶に間違いがなければ、ヴァイオリニストの川久保賜紀さんによる、とてもやさしい素敵な朗読でした。三つのBGMシェンベルクの「グレの歌」(気まぐれ親父さん)、ベストをとったリストの「聖ドロテアをたたえて」(消しゴムはんこさん)、メンデルスゾーンのピアノトリオ第1番から第二楽章(セルシエさん)と、みな本当に美しく素晴らしかったです。5)第67回BGM選手権、夢野久作の「懐中時計」の回は、ベストには選ばれなかったものの、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊り」(さかいしげはるさん)が、朗読とBGMがぴったりなので、ふかわさんが続きが気になるとコメントしたところ、翌週にリスナーさん(宇宙エレベーターが待てないさん)がその続きの話を考えて送ってくれて、オリジナルの続きの部分にさらに続けて「ダッタン人の踊り」がBGM として流されました。さかいしげはるさんのお便りも紹介されました。○ここでペルトの「鏡の中の鏡」が、真理さんのチェロとふかわさんのピアノで静かに流れました。(NHKスタジオで収録)。いつだったか番組で流れましたね。☆カルミナ・ブラーナ選手権。5枠採用。○あややさん:「ふかわりょうさんの断髪式を始めます。」(音楽スタート)○ファンデリアさん:(面接会場にて)「では次の方、入りなさい。」(音楽スタート)○苦戦のBGMさん:「お客さん、終点ですよ。」(音楽スタート)(真理さんは最初駅員の気持ちかと思ったそうです、僕もそう思いましたが、駅員さんに起こされたお客さんの心の衝撃ですね。またやってしまった、こんなところまで来てしまった、もう帰ることもできない。)苦戦のBGMさんはいーともさんです。おめでとうございます!○ジャック天野さん:「♪ハッピーバースディツーユー、ハッピーバースディツーユー、ハッピーバースディディア真理ちゃん、ハッピーバースディツーユー。おめでとう(拍手)。じゃあ、電気つけるよ~」(音楽スタート)ジャック天野さんおめでとうございます!○3年目のおさむさん:(先に音楽スタートして)「お風呂が沸きました。」以前のカルミナ・ブラーナ選手権(2016年8月14日の第200回きらクラ!で行われたもの)は、全然選手権でもなんでもなくて、ステッカーのスの字も出ずスルーだったときがありました。採用された方々はさぞや力が抜けたことと思います。しかし今回は、5名全員が見事ステッカーをゲットでした(^^)。☆まりさん、たのもう!拙者琢磨と申すさんの出題でした。真理さんは最初自信なげで、「ずんずんで始まるのは私の中での曲は二つある。多分これは」と慎重に考えながらも、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の第三楽章、と見事正解されました!ところで拙者琢磨と申すさんは、Kirapediaの「まりさん、たのもう」を執筆された方(^^)で、きらクラのホームぺージに今も掲載されています。そこから引用しておきますと、----------------------------------------------------------------★まりさん、たのもう!きらクラ人気コーナーの一つ。有名曲の一部分をカナ書きにして、まりさんに何の曲かを当ててもらおうというリスナーからのクイズ。まりさんが答えられない時、たまにふかわさんが正解してまりさんに更なるダメージを与えることもある。問題の出題者は的確な表現力が試されるので、まりさんが答えられない場合、勝ったとばかり喜ぶのは早計である。むしろまりさんが少し悩んで正解に辿り着くぐらいの問題が好ましいのであって、まりさんに、わかった喜びと優越感をプレゼントできる機会ととらえたい。大阪府 東大阪市「拙者琢磨と申す」さん 作----------------------------------------------------------------いや~まさにこの狙い通り、真理さんが少し悩んで正解したという、絶妙の出題でした。出す方も、答える方も、両方あっぱれでござる。☆再び思い出のBGMが続きます。○やまくらおじさんのリクエスト:第131回BGM選手権(第6回BGM選手権スペシャル)の最初のお題、百人一首セレクションのベストのひとつ(コダーイとともにベスト二つでした)、古関裕而の「スポーツショー行進曲」(さかいしげはるさん)。ごまちゃんの旦那さん、無精ひげじょりおさん、他からもリクエストがあったそうです。○午後のおっちゃんさんのリクエスト:第169回BGM選手権、小川未明「つめたいメロン」、ベストのストラヴィンスキーの舞踊音楽「春の祭典」から第2部の「序奏」(レントよりアダージョさん)。ふかわさん「本来こういうものをあてるべきではないかもしれないが、あまりにも幸福と恐怖が表裏一体で、我々のわがままといか、こういう企画ということでご理解いただきたい。作品本来はこういう要素は一切ない、あまりにもフィットしてしまった。」○わっこさんのリクエスト:第66回BGM選手権、山村暮鳥「風の方向がかはった」ベストの、ディーリアスの「フロリダ組曲」から第2曲「河畔にて」(レニーシュカさん)。ふかわさんが2回目のおかわりをした回だそうです。このお題には僕のBGMも採用され、うれしい回でした。○ちゃこぺんさん、「初回から聴いているヘヴィーリスナー。個人的なお願いで申し訳ないが2013年9月1日放送の第31回BGM選手権「夏の終わり」をリクエストしたい。このとき自分の投稿したブルッフの弦楽八重奏曲が読まれ、ふかわさんから『いいの持って来たね、これは絶妙だなぁ』と滅茶苦茶ほめられたにも拘らず、ベストをいただけなかった悔しい思いをした回。今まで一度もステッカーもゲットできておらず、この気持ちを成仏させてください。」このBGMに対して赤ワインずきんちゃんさんから、「このときのベストに選ばれた確かチャイコフスキーのピアノ曲も素晴らしかったのが、もう一つブルッフの弦楽八重奏曲に個人的にはとても感銘を受けた、夏の日の午後、緑の草原で、まだ空は青いけれど西の方は夕暮れのオレンジ色に染まり始めている、というような美しい風景が目の前に広がる素晴らしいBGMだった、もう一度聴きたい」とのお便りも読まれて、このBGMがかかりました。ふかわさん「なので我々本当に断腸の思いでベストを決めている。正直もうベストを決めなくてもいいんじゃないかと思うこともしばしばありました。」○ここで、グラズノフ作曲「ワルツ ニ長調 作品42第3」が音楽だけでかかりました。先ほどかかった第169回BGM選手権、小川未明「つめたいメロン」で、ベストは逃したけれど、愛らしいピアノがとても素敵だったBGMでした。○真理さんの選んだBGM:2016年5月8日、第92回BGM選手権「寿限無」、ベストの武満徹「どですかでん」(霜月歩さん)。真理さん「なんかこう二人でのやり取りもすごく覚えているし、この発音もすごく大変だった。」ふかわさん「二人のやり取りが、もう全部この音楽によって愛があふれるという、伝わってきた。」。この回は、ブロ友の霜月歩さんとともに僕のBGMも採用され、思い出に残る回です。○ふかわさんの選んだBGM:第90回BGM選手権「北国の春」ベストの、シューベルトの即興曲変ト長調作品90第3(ロンコンさん)。ふかわさん「いやもうため息が漏れる。歌謡曲の歌詞にBGMをあてる試みの最初の作品。かすかに千昌夫さんの声も遠くに聞こえるが、これはこれで一つの世界観ができている。本当にリスナーさんの力で我々も楽しませてもらっている。」○リスナーさんからのリクエストがもっとも多かったBGM:2015年春のシベリウス祭りのときの、第70回BGM選手権、野村胡堂作、「銭形平次 捕物控」から「九百九十両」、ベストのシベリウス交響曲第1番から第三楽章(額田王さん)。まりさんの「ちげえねえ」が登場した瞬間でした。ふかわさん「意外とソフトなちげえねえ。1回しか言ってない。随分燃費がいいフレーズ。あの1回で何年も楽しませてもらった。ステッカーになったし。」真理さん「これもほんとにあんな感じで流れていたら、ちげえねえもそんなピックアップされないんですけど、ふかわさんがね、もうどはまりにはまって。」とおるさん、しもむらしょうへいさん、MQさん、今日はさらに富士山がきれいですさん他、多数のリクエストがあったそうです。○富山のポンピドゥーさんのリクエスト:第16回BGM選手権(第1回BGM選手権スペシャル)の2番目のお題「泣いた赤鬼」。4つのブロックが通して流されました。僕はこの回聴き逃したので、一度聴いてみたかったです。ブラームス作曲、交響曲第3番から第二楽章(ゆきんこさん)グノー作曲、「あやつり人形の葬送行進曲」(がうさん)ホルスト作曲、組曲「惑星」から「天王星」(ゆめこさん)ゆめこさんラジネ読まれましたね!ベートーヴェン作曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」から第二楽章(さくらいまさとさん)クララさん、しみずかめこさん、はる君大好きさん、髪型はベートーヴェンさん、ショパン大好き母さんさん、など多数のリクエストがあったそうです。○ここでパッヘルベルのカノンが流れました。これはBGMとしては登場していない模様です。○次回はいよいよ最終回、BGM選手権最後のお題、スーザン・バーレイさん「わすれられないおくりもの」が発表されました。ふかわさん「以前、いつも生きていてくれてありがとねさんが紹介してくれた絵本、内容を拝読してとても素敵な作品ということで、出版社のご理解をいただき、最後のBGM選手権のお題にしたいと思います。ただし、この絵本の全てのブロックにBGMを付ける、それが、我々の卒業・・・・・・・・・・これが、我々の卒業制作にしたいと思います。」ふかわさん「最後の最後まで、全力で、きらクラでありたい。お題もありますが、みなさんのメッセージをお寄せください。もう特にテーマはお伝えしませんが、皆さんの聴きたいものとか、そらみみとか、リクエスト祭りというような感じで、にぎやかにまいりたいと思います。」ラジネコール:楽しい日曜の午後をありがとうさん、釧路のゆきこさん、みのるっちさん、もんちゃんさん、名曲聴き耳ずきんさん、ドヴォルザー子さん、ラッキーのママさん、いわずもガナッシュさん、永遠の・・・
2020.04.21
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今日(4月21日)朝、テレビ朝日で、新型コロナウィルスによる東京の死亡者数の増え方を取り上げていました。正確な日付は忘れてしまいましたが、2月中旬ごろから最近まで、10日毎に区切って死亡者数を集計すると、1、1、2、4、12、24、37人ということです。2月下旬(2番目の1)から見ると、10日毎にほぼ2倍のペースで増え続けていることが指摘されていました。(確かに、1から2倍2倍としていくと、1、2、4、8、16、32となり、上の数字とほぼ重なります。)番組で岡田晴恵教授の解説によると、報告される感染者数は、PCR検査数が少ないため増加が頭打ちになっていて、もはや実態を反映していない。死亡者数でも見ていかないと、感染拡大の実態に近い情報が得られない、ということでした。
2020.04.21
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今さら僕などが書かなくても多くの人がご存じと思いますが、東京の感染者数の増え方の激しさを、自分への警鐘として、一応書いておこうと思います。4月14日の記事「新型コロナウイルス感染者数の推移がわかりやすいサイト」で、札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門によるグラフを紹介しました。このグラフ、世界各国の感染者数と死亡者数および、都道府県別の感染者数がわかりやすく閲覧できます。都道府県別のグラフは、こちらです。https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/japan.htmlこれで人口100万人当たりの感染者数を、4週間毎に見てみると、 日本全国 東京都2月23日 1.17 2.083月22日 8.77 (7.5倍) 9.91 ( 4.8倍) 4月19日 85.27 (9.7倍) 221.39 (22.3倍)()は、4週間前と比べて何倍になっているかです。東京は、3月22日の時点では、日本全国と大きな差はないことがわかります。しかし4月19日の時点では、日本全国と比べて約2.5倍になっています。これは東京で増加が著しく、3月と比べて22倍!になっているためです。4週間で22倍というのは、相当こわい数字です。国別のグラフhttps://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/index.htmlで、ためしにアメリカでの増加数をみてみると、ほぼ同時期で3月23日 106.354月20日 2295.11 (21.6倍)これはアメリカ全体の数字なので、ニューヨーク単独でみるよりは低いはずです。またアメリカは近頃は感染者数の増加がピーク時期より鈍化しています。それらを差っ引いて考えるとしても、ともかく今の東京は、今のアメリカと同じ増え方、ひと月20倍という恐ろしい増え方なわけです。それでも、100万人当たりの感染者数は、東京は4月19日が221.39、アメリカは4月20日で2295.11ですね。ですから東京はアメリカよりまだ少ないじゃないか、と考えるのは、間違いです。日本ではPCR検査が異常に少ないために、感染者が十分に検出できないです。世界各国の検査数と感染者数をプロットしたグラフ(山中伸弥先生のサイト内にあります)をみると、両者はきれいに正相関しています。検査が10倍になれば感染者数はざっくり10倍になります。ですので大雑把にいえば、日本の感染者数はこの10倍はいると考えられます。仮に10倍すると、東京はほぼアメリカと同じ数字になりますね!東京ではここ数日、感染者数の増加が一見やや鈍化しているように見えます。これが本当に減っているのならうれしいのですが、検査数が少ないために、検出できる感染者数が飽和してしまい、見かけ上増えていないだけ、という可能性も十分あります。いわゆるオーバーシュートを発見できない、という現象ですね。(たとえば1日500件しか調べてなければ、感染者数はどんなに多くても500人以上にはならない、という理屈です。)”8割おじさん”西浦博先生のおっしゃる、徹底した8割減を真剣に実行しないと、本当に大変なことになる。○おまけ:仮にこの増え方(1ヵ月で22倍)が続いたら、東京の100万人当たりの感染者数は、(グラフの10倍いるとして、)単純にただ掛け算すると現在 22131ヵ月後 486862ヵ月後 1071092 ← 100万人を超える。つまり全員感染。------------------------------------------------------------------------------○おまけのおまけ:(2020年4月30日追記)すぐ上のおまけで、指数関数的増加が続くとしてただ単純に掛け算した結果を書きました。しかし実際には、感染症の指数関数的増加はそこまで続かず、いずれ穏やかな増加になるということを、念のため追記しておきます。もしもある国の人口が無限大であれば、感染者数は指数関数的に無限大に増え続けます。しかし実際の人口は有限です。感染者数の増加に伴って、未感染者はどんどん減っていくので、新たに感染する人数は次第に減っていきます。その結果、累積感染者数の経時的な変化は、最初は指数関数的に増加しても、次第に穏やかになり、グラフにするとS字状の増加となって、あるところで止まります。中国や韓国のグラフはまさにその典型であり、その後から増加が始まったヨーロッパ諸国やアメリカは、増加がおだやかになってきています。このあたりの数学的な説明が、すごくわかりやすく書かれている記事がありましたので、リンクを貼っておきます。https://wired.jp/2020/04/01/the-promising-math-behind-flattening-the-curve/
2020.04.20
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3月15日のきらクラは、滑り込み企画第2弾、日本人作曲家祭りでした。 ☆最初に読まれたお便りは、前回の行進曲祭りに寄せて、北海道の小学校の先生(岬めぐりさん)からでした。真理さんの好きな曲で流れたシベリウスの組曲「カレリア」の第3曲は自分も大好き。自分のカレリアのイメージは、大雪原に春の日差しが降り注ぎ、雪どけ水が集まってだんだん川になっていく。中盤金管が入ってくるところでは、木々が芽吹きだし、これもだんだん勢いがついてくる。大自然が目を覚ましみんな生きていることを実感する、そんな感じ。北海道は全国に先駆けて臨時休校にはいったのでもうずっと子供たちに会えず、学校ってなんだろう、自分は何をしているのだろうと思う毎日が続くが、カレリアに励まされたような、背中を押されたような、次の出会いに向かってまた歩き出そうよと言われたような気がして思わず涙があふれた。 ○日本人作曲家祭りの皮切りで読まれたお便りは、サンディギタリストことこやましんいちさん、自分にとっての一番の日本人作曲家は芥川也寸志さん。NHKの「音楽の広場」で黒柳徹子さんと司会をしていた。1986年、20代だった自分は仙台のギターサークルに所属していた。サークルの友人は第9を歌う県民の会合唱団にも所属し、当時芥川さんが音楽総監督だった仙台フィル(当時は宮城フィル)の第9の演奏会への参加を誘われた。参加は叶わなかったが観客席から芥川さんの指揮姿を見た。毎年第9を聴くたびに、あの優しい笑顔を思いだす。「絃楽のための三楽章“トリプティーク”」から第3楽章がかかりました。☆きらクラDON。正解は、星野哲郎作詞、山本直純作曲、「男はつらいよ」主題歌でした。ニアピンの大親分として折に触れて登場してきた曲ですね。 ○おりもとすなおさん、多くの日本人にとっては心のクラシック。60歳の還暦記念に最初で最後の投書をする。思い返せば6~7年前、ふと耳にしたバラエティ番組の時とは一味違う落ち着いた話しぶりのふかわさんと、温かく優しい語り口の真理さんとの息の合った掛け合いに引き込まれ、それからほぼ毎週聴いてきた。あまりにも居心地・聴き心地のいい番組だったので、いつまでも終わらないものと勝手に思い込んでいた。どんなものも永遠に続くものはないのだと残念に思うが、これまで一緒に時間を過ごしていただき幸せだった。 ○ちーちゃんさん、4月から小学4年になる娘が学校の金管バンドクラブに入る。音楽を続けるコツは?と尋ねられた真理さん、「毎日ちょっとずつ楽器に触れるということですかね。いやにならないように。」 ○くろさん、齢50にしてたまたま流れていたきらクラのBGM選手権に耳を奪われクラシックの面白さに初めて気づかされて5年。自分にとって画期的な番組。学校時代にこんな音楽の授業があったら良かった。 ○きのした忠臣蔵さん、昨年まで高校教師だった。在職中は通勤の車の中で再放送を聴き運転しながらDONの正解を叫んだりしていた。今回初めてDONに回答する。 ○下町のティンパニストさん、わたくし生まれは山国、育ちは東京葛飾柴又の隣町。不思議な縁を持ちましてこの地に根を下ろして早数十年。地元のアマオケで打楽器を担当している。子供たちがおなかにいるときも太鼓をたたき続け、練習・本番で通っているホールの裏の産婦人科で出産した。練習では子供をおぶってティンパニを叩いたこともあった。今では子供たちも大きくなり一緒に練習に連れて行くことはなくなったが、生まれも育ちも東京葛飾に誇りを持っている。私もこの地に育ててもらっている。きらクラが終わってしまうのは寂しいが寅さんのように何度でもひょっこり帰ってくれると信じている。 これを聞いたふかわさんが「子供をおぶってティンパニ」の語呂にはまってしまいました。真理さんも、楽器弾くおかあさんはみんなやっている。自分もおんぶして弾いてみたが、子どもが楽器のネックが気になるようで触ってしまい、揺れて全然弾けなかった。(ネックがネック。) ○博多の寅さん、クラシック音楽と寅さんの関係性がないように思われるかもしれないが、第41作「男はつらいよ寅二郎心の旅路」において、寅さんはオーストリアウィーンを訪ねていた、と。ふかわさん、「みなさんあの一瞬で(寅さんが)浮かぶわけですよね~。やはりあの曲がいかに皆の心にあり、偉大な存在かということです。」 ☆さて、ニアピンの代名詞のような寅さんに、ニアピンがありました、しかも三つ!!ふかわさん、さんざんこれまでニアピンとして登場してきた男はつらいよのニアピンはどういうものなのか。ニアピンとして登場したそれぞれの曲自体は多分似てない。なのに良く登場するという、非常に気になるニアピン賞。 ○1本目、小石川のほとりでさん。あえてニアピン狙い。池辺慎一郎作曲、独眼竜正宗。大河ドラマは名だたる邦人作曲家の力作が多い。隣で妻が、寅さんで送ればいいのにひねくれ者ね、と捨てゼリフを残してリビングを去った。→最初の音を伸ばす感じが似ていて、ふかわさんも「伸ばすところですーっと心をもっていかれるんでしょうか。伸ばす勇気というか、曲を作る人のセンスとかが反映されるんでしょうね。」 小石川のほとりでさんは、僕のあやふやな記憶ですが、以前200回記念放送のときにフィンジのエクローグをリクエストする素敵なお便りが読まれた方のような気がします。違っていたら申し訳ありません。このリクエストのことは「きらクラ!祝い:200回!」の記事に書きました。 ○2本目、傾きメモリアルさん。ニアピンの王道に対してはニアピンでお答えするところに仁義を感じる。ニアピン祭りになるかもしれないが投稿する。古関裕而作曲、NHK「昼のいこい」のテーマ曲。昭和の後半に生を受け、平成・令和と生きてきた世代にとって、両曲とも良く煮えたおでんの大根のように心に沁みわたる味わい深いメロディ。→この曲も、始まりの長く伸ばすところがさらに絶妙でした。ふかわさんは、あ~~、なんか、もってかれました~!と感嘆の声をあげ、アンコール要求。真理さんも「ここですよね~!」と、お二人がかなり盛り上がりました。 ○3本目、エルママさん。佐藤勝作曲、映画「幸せの黄色いハンカチ」から、「はためく黄色いハンカチ」。昨日、感動のラストシーンをテレビで見ていたら、はためくハンカチをみつめる高倉健のまっすぐな瞳のバックにこれが流れた。調べたら佐藤優作曲とある。山田洋次監督はこのDの音がお好き?→この3本目のニアピンは始まりの音の高さがお題と同じDで、かつその音の伸ばしがふわーーっとものすごく長くて、ふわかさんと真理さんは、もう感嘆と笑いの入り交ざった声をあげて絶賛状態。ふかわさん興奮しながら、「あの、あれ、トムとジェリーが崖を通過したときに、落下するまでの時間。滞空時間を感ずる。」と言って、ふたたびアンコール。ふかわさん「どちらも名曲。やっぱり監督の意向ってあるのかね。いや~。これだけで気持ちが持っていかれるわけですから。」真理さん「あると思います。もったいぶって、落とそうかみたいなね、一音のもつ力は大きい。」 ○ここで、今日も快調さんのお便りが読まれました。まさかの出題に仰天した。仰天の寅、ではなくふーてんの寅さんが出てくるアレですね。実は2014年10月、オッフェンバックの天国と地獄の序曲のニアピンにこの曲を投稿して、ニアピン狙いはクラシック以外の曲でもいいのだという先鞭をつけたのは、昨年8月に亡くなった私の妻でした。そのときツィッターなどでは大激震が走った模様。我々は6年間でしたけれど、この番組のおかげでとても充実した日々を送れたことを心から感謝したいと思う。 ・・・ブロ友の今日も快調さんご夫妻は、それぞれが独立してきらクラに熱心に投稿され、硬・軟両方向にわたりまばゆいばかりにご活躍されていました。なかでも寅さんをニアピンにデビューさせたことは、快調家族さんの偉大な功績のひとつで、以前ブログ記事「いっぱいの感謝をこめて」にも書かせていただきました。ニアピンには比較的冷たいふかわさんもこのときは絶賛し、「ステッカーをさしあげます」と仰っていました! 番組が間もなく幕を閉じようというこのときに、今やニアピン大親分となった寅さんがDONのお題として登場し、それに沢山の熱い回答と3本の傑作ニアピンが寄せられたわけです。きっと快調家族さんも上からにこにこと見ていらしたことと思います。 ○きらクラDON今回の当選者は、たらこの騎士団さん。毎朝お弁当作りながら聴き続けてもう何年。冬の寒い朝も夏のうだるような暑い日も、まだ家族が起きてこない台所で一人過ごす時間はラジオだけが友だった。お弁当は小学校から始まり、その息子ももう大学生。大学受験では一度目は桜は咲かず、二度目の今年は荒れて、精神的にまいったことも。結局第一志望ではないが、息子は春から新しい学校生活をスタートさせる。巣立つ息子のスーツケースにあの噂のご自愛ステッカーを貼って送り出したいと密かに思っている。人生いつも正解ばかりじゃない。息子はこれから沢山もっといろいろな経験をするでしょう。遠く離れた大学生活ではお弁当に思いを込めてあげることはできないが、代わりに思いをスーツケースにこめて送り出したい。☆ここから次々に日本人作曲家のお便りが読まれていきました。 ○ヴァイオリン弾きのリポーターさん:伊福部昭。自分の住んでいる北海道十勝の音更町(おとふけちょう)は、伊福部昭先生が育った町。ここに2017年秋、音更町伊福部昭記念ジュニアオーケストラが設立された。初心者の小中学生が頑張り、ついに昨年1月、SF交響ファンタジー第一番を抜粋で演奏することができた。一生懸命演奏する子供たちに胸が熱くなった。いつか所属するアマオケで演奏したい。 ○ラブアゲインさん:菅野光亮。ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」。映画「砂の器」で親子二人が放浪するシーンでの使われた方が印象的だった。家の庭いじりをしながらきらクラを聴いて日曜午後の時間を過ごすのがここ1年日課だった。ふかわさん、「このドラマは何ヴァージョンかあるかもしれない。映像と音楽とでずーっと長時間魅せるところがある。(この音楽は)かなりウェイト大きいですよ、この作品にとって。」 ○ゴジラさん:林光。その昔職場の先輩に誘われ、林先生の曲を演奏する音楽サークルに入った。モーツァルトの魔笛の和訳やオペラ、交響曲を作っている。子供向けの可愛らしい曲も多く、演奏していてとても楽しかった。一度共演もさせていただきとても感激した。偶然にも昨年このときのメンバーと同じ職場となり、25年ぶりにミニコンサートを開催することができた。次はまた25年後ね、と別れた。本当に実現するとは思えないが、音楽がいつも私たちをつないでくれると信じている。オペラ「森は生きている」から、「森は生きている。」をリクエストする。(林光さんは1937年生2012年没、主な作品にヴィォラ協奏曲「悲歌」、オペラ「吾輩は猫である」があるそうです。) ○チャイコ持ちさん:黛敏郎さんの文楽。初めて聴いたのは、宮田大君のリサイタルだった。チェロ一本でこれほどの世界観を生み出せるのかと興奮した。日本初のチェロ曲として鳥の歌のようになればいいな。いつか真理さんのチェロで聴きたい。真理さん、1960年代の作曲だが、80年代90年代の海外のコンクールでも良く演奏されて今や世界的な曲。子供の頃は日曜日の朝、独特なマイクの持ち方が印象的だった。(「題名のない音楽会」ですね。僕はほとんど見ませんでした。) ○あちゃミュージックさん:伊藤康秀、「あんこまパン」。声楽を勉強している高校生で、ソルフェージュを習っている先生が、変拍子の曲でも怖がらずに楽しんでやってほしいという思いを込めて1年間の授業の最後の教材として選んでくれた。その先生の先生伊藤康秀さん。コミカルな歌詞と短調なのに何故か明るく感じるリズミカルな曲をとても気に入っている。(以前2018年3月11日にリスナーさんからのリクエストで第Ⅰ楽章がかかったそうです。) ○すだひでたかさん:外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディ」。20年ほど前、所属していたアマオケで演奏した。クライマックスである八木節へとなだれこむ口火を切る拍子木のソロがある。打楽器奏者が何人もいたにもかかわらず、なぜかトロンボーン吹きの自分が拍子木を叩くことになった。演奏会前日のステージリハーサルで、練習の時と同じ様に椅子に座ったまま叩いたところ、すぐ前に座っていたファゴット奏者から「音が耳に突き刺さる」とのクレームがあり、指揮者のアイデァで立って演奏することになった。そして本番、フルートの奏でる信濃追分が終わると僕はおもむろに立ち上がり、雛壇の最上段の中央で仁王立ちしてこのソロを演奏した。今でもこの曲を聴くと雛壇最上段から見渡したステージや客席の様子が目に浮かぶ。 ○午後のおっちゃんさん:同曲。国連でも演奏されたこの曲は外せない。賑やかな部分よりも、中間部の静かな追分節のところが好き。そこに独特の情緒を感じ、勝手に外山節だと思っている。たとえば吉田拓郎さんの曲にやはり独特な雰囲気を感じるのと似ている。若い頃反核平和コンサートで合唱団員として外山さんの指揮で歌ったことがあり、その精密なタクトも忘れられない。岩城宏之指揮、N響の演奏で全曲がかかりました。真理さん、「日本人の血が騒ぐ。」 外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディ」は、僕は以前BGM選手権に投稿しました。そのときに、ここの拍子木のあと八木節が始まる直前に、「ハッ!」という掛け声が入いる演奏と入らない演奏があることを発見しました。そのあたりのことはこちらの記事「きらクラBGM選手権:泉京太郎と外山雄三と伊福部昭」に書きました。 ○バスキーさん:冨田勲。映画音楽を作曲者自身がクラシックの演奏会用の曲にアレンジすることがある。まだシンセサイザーを操る前の冨田勲がテレビアニメ用に作曲した曲をアレンジした、子どものための交響詩「ジャングル大帝」が一押し。ふかわさん、「番組では月の光をかけた。あそこに冨田さんの世界観がぎゅっとつまっていた。1970年代頃からシンセサイザー。私の兄の部屋にも謎の機械があって、なんでこれは白い鍵盤をおしても音が鳴らないんだろう、と気になっていた。ゲームをやっているとき、知らず知らずのうちにそこに腰を下ろしていた。カバーがかぶせてあってわからなくて。馬鹿野郎!みたいに兄から怒られた。 ○ものくさ太郎さん:尾高久忠作曲、フルート協奏曲の第二楽章。陰鬱な冬を思わせる曲想で始まり、春の足音が聞こえて来る。やさしく温かい春の光に満たされたと思ったそのとき、突然春の嵐。あぁ気分が落ち込むなとへこんでいると、再び春の足音が。と季節の移り変わりを感じさせる。東洋的で少し神秘的なところがいかにも邦人作曲家らしい一曲のように感じる。温かい春の到来が待ち遠しいこの季節に是非ラジオで聴いてみたい。(尾高さんの母方祖父が渋澤栄一さんだそうです。) ○団塊おやじさん:同曲。最初で最後のリクエスト。もう何十年も昔のことで番組名も出演者名もすっかり忘れてしまったが、きらクラの何代も先輩の番組で放送されたのが耳に残っている。いままで西洋の曲ばかり聴いていたのが恥ずかしくなったというコメントがあったと記憶している。第二楽章のゆったりとした調べが郷愁を誘う。 真理さん、同じ尾高さんのチェロ協奏曲があり、弾いたときにフルート協奏曲と似たパッセージ、と思いながら聴いた。 ○らららんヴィオラさん:日本人作曲家と言えば、湯浅譲二さんを外せない。武満徹と同世代で親交があり、ほとんど独学というのも武満徹と同じ。長くアメリカで活躍されていて、オーケストラの繊細かつ豊穣な響きとエネルギーのうねりが素晴らしい。どの曲も魅力的で選ぶのに迷うが、初演を聴いたメシアンから高く評価された「芭蕉の情景」から第3曲をお願いしたい。松尾芭蕉の「名月や 門(かど)に指し来る 潮頭(しおがしら)」という俳句をタイトルとした作品。 湯浅譲二さんの音楽は大好きです。放送の後でWikipediaを見てみたら、福島県に育ち、芸術愛好家だった父の影響で幼時より音楽に親しみ、上京し、慶應大学医学部に入学。当時は外科医志望であり作曲は趣味とするつもりだったが東京で日本の現代音楽の状況を知るうちに「このぐらいなら自分でもできる」と思うようになり、医学部教養課程を中退して作曲の道に進む。ですって!「このぐらいなら」というのが凄いですね。 ○薩摩はやとちり:湯山昭作曲。薩摩正作詞、歌曲「電話」。以前からきらクラで紹介したいと思っていたがリクエストを先延ばしにしてしまっていた。ニュースなどで後ろ向きな言葉に触れてこころがすさむ今日この頃だが、自分はそんなとき面白い曲を聴くことで険しい空気から解き放たれる。この曲が皆さまに笑える瞬間を与えてくれることをお祈りする。娘の湯山玲子さんが以前ゲストで登場しました。(湯山昭さんは1932年神奈川県平塚市に生まれた。高浜虚子を父に持つ作曲家・音楽教育家の池内友次郎に師事。「雨降りクマの子」に代表される多数の子供の歌があり広く愛唱されているそうです。) ○リッチねこさん:平尾貴四男。自分で実際に演奏した曲で一番良かったと思うのが、平尾貴四男の管楽五重奏曲。わずか46年の生涯。この曲は昭和25年の作曲で、日本的なメロディとフランスで学んだ楽器法が生かされたとても魅力的な作品。この方の弟子に冨田勲がいる。 日本人の和が感じられるものから、西洋音楽と並んでも違和感ないのもある。幅広い。 ○友人オーランディさん:吉松隆。以前リクエストして美しく散ってしまった邦人作品がある。吉松隆の交響曲第2番「地球(テラ)にて」から第3楽章「雅歌(ガカ)・・・南からの」。打楽器大活躍のアフリカンの曲。それまで現代の邦人作品というと不気味な不協和音にすっきりしない終わり方をするものばかりだと思いこんでいたが、これを聴いた瞬間目から鱗、とコンタクトレンズが落ちた。第3楽章が全部流れました。ふかわさん、「2013年11月に番組にいらしてくれた。BGM選手権に、いつもにもまして緊張感が漂って、何を選ぶかなぁみたいな。よしまつりだみたいに、私もはしゃいでいた。」 ☆BGM選手権 梶井基次郎の「檸檬」の一節。これは2014年2月に出題されましたが、BGM選手権史上唯一べストBGMが出なかったのでした。番組が終わる前にもう一度、ただし日本人作曲家の縛りで、という出題でした 4枠採用。 ○ピアノの上の眠り猫さん、橋本國彦作曲、「三枚絵」から「夜曲」。ピアノのひんやりした音楽がレモンを握った感覚に通ずるようで素敵でした。ふかわさん「足並みがそろっている。」真理さん「テンポ感がね。」 ○となしちさん、吉松隆作曲、ファゴット協奏曲「一角獣回路」から第2楽章「ヴィンタ―バイアス」。宙に漂うファゴットの浮遊感が素晴らしいです。ふかわさん大いに感じ入り、「深夜ふとラジオをつけてこれが流れて来たらやばいね、これ。やばいという言葉しか浮かばなくて申し訳ないですけれど。やばいよこれは。吉松先生にも聴いていただきたい」。 ○ぽっちゃりまんぼさん、武満徹作曲、「水の曲」。無機質で実験的な音楽の中に入れたらと。水の滴る音を電気的に表現した音楽でした。ふかわさん「いやいやいや、これもう眠れなくなる、逆に。異次元の世界に誘われる。もってかれました。大変なことが起きております」。 ○糠に釘いれたら味まろやかさん、保科洋作曲、「風紋」。吹奏楽の、風の広がりを感じるスケールの大きな音楽でした。ふかわさん、「これはこれで、別の世界観が。世の中の目まぐるしく変わる移り変わりと対照的な心情というか。社会とのコントラストみたいな。動きが世の中のような。面白い。」 もう全員ベストでいいのではとお二人で言いながらも、断腸の思いで決めたベストは、真理さんの推す(武満作品?)とふかわさんとで意見が分かれたようでしたが、吉松隆のファゴット協奏曲でした。 日本人作曲家に絞ったことが功を奏したんじゃないか。 真理さん「あとやっぱりふかわさんの朗読が、今とまた全然違います。」ふかわさん「暗いヤツだねぇ、あの人。陰鬱なやろうですね。良くあんな奴と毎週毎週ラジオ番組できましたね、そこが凄いですよ。」と真理さんを讃えていました(^^)。 ☆突然にヨハン・シュトラウス二世の「春の声」が流れて、次回番組の発表がありました。きらクラ滑り込み企画第3弾、BGM選手権祭り。全176回のBGM選手権の中からもう一度聴きたいと思う作品を大募集。それから久々のカルミナ・ブラーナ選手権も行うと発表がありました。そして以前の作品として、「新郎新婦入場」が流されました。2017年の作品でした。これ強烈に覚えています、衝撃の傑作でした(^^)。 ○ここで清瀬保二作曲、「日本祭礼舞曲」から第1楽章が流されました。この曲には何の説明もありませんでした。真理さんとふかわさんの選んだ曲の直前でしたし、「祭り」の音楽でしたから、もしかしたらこだまっちさんのかけたい邦人作曲家作品だったのかもしれません(根拠は全くありません)。 ○真理さんの選んだ曲、藤倉大作曲、「Dolphins(version for 2 cellos)」 もともとはヴィオラ2本のための曲だったのを、真理さんがリサイタルにあたって2本のチェロのために書いて欲しいと藤倉さんにお願いして、藤倉さんに書いてもらったそうです。多分8-9年くらい前にリサイタルで弾いたものを、そのままLive Recordingとして、藤倉さんがCDの中に入れてくださった、ということです。ふかわさん、檸檬にも合う、と。 ○ふかわさんの選んだ曲、武満徹・作詞作曲、「小さな空」。ふかわさん、申し上げることは何もないが、ただひとつ言うとすれば、この曲を聴くと、日本人として生まれてきて良かったなぁとさえ感じる。 ○弥生太郎さん、ジャパコン祭り、私はこの日が来るのをずっと待ち焦がれていた。67歳になるが、実は50年以上にわたってジャパコンファン。好きな作曲家も作品も数え上げたらきりがないくらい。その中から1曲一番好きなのを選べと言うのはショパン大好き人間に好きなショパンの曲を1曲だけ選べと言うようなものでかなりつらいものがある。自分も好きで人に薦めてすぐに共感してもらえ、しかもおそらくこの番組に一度も出ていない曲はなんだろうかと考え続けた。その結果是非番組で流してもらいたい曲、團伊玖磨さんの、交響組曲「シルクロード」、第1楽章「綺想」。シンフォニスト團伊玖磨の面目躍如たる音楽でした。 ○カバゴリラさん:平吉毅州(ひらよし たけくに)。良く○○ロスなどと言う言葉を聴くたびに、まさか好きな番組が終わる位で大袈裟だと半分馬鹿にしていた私だが、きらクラ終了と知ったあの日から心にぽっかりと穴が開いたよう。ああこれがロスというものなのねと実感している。平吉毅州を紹介する。「踏まれた猫の逆襲」や「赤い月と小人の踊り」など、可愛らしいピアノ小品が沢山あり、どれをとっても素敵な作品ばかり。なんといっても一番有名なのは、合唱「気球に乗ってどこまでも」。小学生のときに学校の音楽会で学年合唱のピアノ伴奏に選ばれ、初めてこの曲を弾いたとき、なんと素敵な曲と感動したのを覚えている。前奏のシンコペーションや通奏低音のお洒落な和音やリズムの連続に、こんなかっこいい曲あるんだなと弾きながら嬉しさが止まりませんでした。残念ながら平吉先生は亡くなってしまったが、この曲はずっとずっと大好きな曲。 ○ブリキよりト短調、楓よりイ長調さんより、滝廉太郎作曲「花」のリクエストがありました。この歌は、組歌「四季」の中の1曲なのだそうです。千住明の編曲による神谷百子さんによるマリンバソロの演奏がかかりました。先週に引き続き、絶妙なクールダウンの音楽が、心に優しく深く染み入りました。 ○ふかわさん、「檸檬がすっきりした。すっきりレモン、飲み物なのかグミ状なのか、新発売。逆に、前回どんなラインナップだったんだろうか、個人的にとても気になる。多分、私の蟲の居所という説もある。」 真理さん、「あの朗読を聞くと、もしかしてふかわさん落ち込んでいた時なのかな。」 ふかわさん「基本ああいう精神状態ですけど。やっぱり日本の言葉、日本人が朗読し、日本人の作曲したものがフィットした、結集した。」 もしもいずれどこかで特設きらクラレストランが開かれたら、「きらクラ丼」、「中トロ丼」、「すっきりレモン ジャパコンしぼり」は必須メニューですね。 ☆最後のラジネコール、14名中8名が番組終了関連ラジネでした。それをピックアップしておきます。ノー、だめ、終わっちゃだめさん、きらクラに出会えて幸せでしたさん、きらクラ終わりおっとーつらいよさん、きらクラ三昧希望しますさん、きらクラ感謝さん、きらクラインのつぼさん、きらクラ復活祈念協会会長さん、きらクラが心の癒しでしたさん。
2020.04.16
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新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。連日のように「感染者がついに何人を超えた」とかメディアで報道されていますが、経時的変化がわかりにくいと思うのは僕だけでしょうか。そこで調べたら、わかりやすいサイトがいくつかありました。○札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門によるグラフは素晴らしいです。世界各国の、人口当たりの累計感染者数がグラフで見られて、非常にわかりやすいです。https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/index.htmlです。これで見ると日本は、他の国に比べると増加傾向は遅いですが、それでも指数関数的に増えているという点はまったく同じです。しかも最近になって、上昇ペースが増加しています。このグラフ、都道府県別にも見ることができます。○山中伸弥先生が個人で立ちあげたサイト「山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信サイト」https://www.covid19-yamanaka.com/index.htmlも有用な情報が詰まっています。この中でリンクが貼られている、「新型コロナウイルス感染速報」https://covid-2019.live/も、すごくわかりやすいです。この中の「国内状況推移」の「感染者数の推移」という棒グラフが、本当にわかりやすいです。カーソルをあてると、その日付の人数が出ますので、増加の具合が簡単に確かめられます。ある日から1週間後までの人数を、いろいろな日付で調べると、多少のでこぼこはありますが、大体1週間で2倍ほどのペースで、一貫して増えています。(山中先生のサイトの中の、「黒木登志夫先生によるキネティック解析」によると、5.32日で2倍になるということです。)今のところまったく増加ペースが衰えていない、むしろ直近はさらに加速している感があります。本当に大変なことです。しかも日本では検査数が非常に少ないために、多くの感染者が検出できず、それらが除かれたデータで、それでもこの結果なのです。ようやく「要請」が始まりましたが、この緩すぎる規制では、感染爆発、医療崩壊を防げないことは明らかです。すでにいくつかの病院で院内感染等の医療資源の減少のため、救急受けつけ等ができなくなっています。このままでは遠からず、アメリカやイタリアと同じ状況になることは確実でしょう。経済損失を恐れ、対策が手遅れになり、人命や健康被害が大きくなることはもちろん、経済損失もかえって大きくなる。これほど愚かなことはないと思います。。。
2020.04.14
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きらクラがとうとう終わってしまいました。4月からは何やら新番組「X(かける)クラシック」が始まるようですね。そのホームぺージを覗いてみると、今月のテーマが「鉄道×クラシック」と決まっていて、メッセージも募集していますが。。。私、昔から何につけても切り替えが遅い方です。新しい番組への気持ちの切り替えは簡単にできそうもなく、しばらくの間マイ・テーマは「きらクラ欠けるクラシック」です。きらクラの周回遅れの記事をボチボチ書いていきます。3月8日のきらクラです。滑り込み企画第一弾、「マーチ・イン・マーチ」。春の行進曲祭りでした。前回の藤田真央さんの回のお手紙がふたつ読まれました。真央さんのへらへら感、漫才みたいで楽しかった。あと4回、全力で聴く。ふかわさんと真理さんに甘える弟のような表情を想像して頬が緩んだ。本日の「マーチ・イン・マーチ」、最初の行進曲は、調子の良い鍛冶屋の息子さんのお便りで、「ジャニアリィ・フェブラリィ・マーチ」か「マーチ・エイプリル・メイ」のどちらかをというリクエストで、後者の曲(矢部政男作曲、1993年吹奏楽コンクールの課題曲)がかかりました。さわやかで気持ちの良い吹奏楽の行進曲でした。世の中には面白いタイトルの曲がいろいろあるものですね。3月から4月へ、きらクラが終わるのが、「マーチ・エイプリル・フール」だったらいいのに。きらクラDONの正解は、ベートーヴェン作曲、劇音楽「アテネの廃墟」より「トルコ行進曲」でした。いろいろなお便りが読まれました。 ○シューベルトやモーツァルトのトルコ行進曲と比べて、ベートーヴェンの行進曲は一番トルコの軍楽隊の雰囲気を醸し出している、子どものころ良く曲に合わせて足をどんどんと踏み鳴らしていたものだ。○小さい頃からこの番組を聴いている、今ピアノで練習しているのですぐに分かったという小学校3年生。○幼少の頃姉がピアノの練習で繰り返し繰り返し弾いていたので自然に刷り込まれて好きになった。○NHK-FMの特別番組で、嘗てのオスマントルコ帝国によるウィーン包囲が、のちのトルコ趣味の流行につながったと聞いた。その番組では実際のトルコの軍楽隊の音楽を少し聴いた。確かに軍楽の本来の目的である戦意喪失を促すような不思議に不気味な音楽だった。当時のウィーンの人々に衝撃を与えたのだろうか。トルコ軍楽隊風の独特のリズムとメロディーが、モーツァルトやベートーヴェンのトルコ行進曲の途中に突如登場して聴く者にインパクトを残す。水戸の公開収録会場は自宅から徒歩10分ほどの近さだったのに落選し、二度と届かない距離になってしまった。○小学生の頃、朗読レコード付き童話全集の話の最後にこの曲がおさめられていた。ポータブルレコードプレーヤーで曲をかけながら畳の部屋の中をぐるぐると妹と行進した。○中学生だった頃トルコ行進曲と言えばモーツァルトと思っていたが、クラス一の秀才に尋ねたら咄嗟にベートーヴェンと答えが返ってきたことに感心した。ニアピンがありました。クワイ川マーチ。ふかわさん「質感近い」とステッカーを贈呈。かねてからニアピンに対しては結構冷たく、傑作ニアピンにステッカーをあげないことが多いふかわさんでした。いつだったか、ふかわさんがお休みで真理さんがどなたかのゲストを招き、真理さんが仕切っていた回で、ゲストの方に、「ニアピンにもステッカーをあげるんです」と説明していて、ニアピンにステッカー嬉しそうに差し上げていました。真理さんは本当はもっとニアピンにステッカーをあげたいといつも思っているんだなぁ、と真理さんの優しさに感じいったものでした。僕も日頃番組を聴きながら、スーパーニアピンに対して結構冷淡なふかわさんに「もっとステッカーをあげて!」とか、「真理さんもっと強く言って!と心の中で叫ぶことが多かったです(^^)。そんなふかわさんも、場組の最後が近づき大盤振る舞いで、2週連続でニアピンにステッカーを差し上げています。クリアファイルをゲットしたのは、これまでのきらクラDONでの全行進曲の出題を網羅して書いた投稿でした。ここから、リスナーのチョイスによる行進曲が次々に紹介されました。○シューベルトの軍隊行進曲(サンディギタリストこと小山しんいちさん)、自分にとってクラシック音楽の最初の曲。半世紀ほど前、幼稚園で頻繁にかかっていたこの曲がいつしか頭の中にしみこまれ、ここからいろいろ広がって、気が付けばクラシック音楽の虜になってしまった。○同曲(還暦過ぎおばさん)、数十年前通っていた幼稚園ではいつもこの曲で園庭を行進していた。「大空晴れて心楽し、春は近くで呼んでいる」という歌いだしの歌詞が付いていて今でも歌える。当時の園の生活や景色などが懐かしい。私のクラシック好きはここから始まりと思われる。ここでふかわさんが、私の世代ではシューベルトの軍隊行進曲が、あるテレビゲームのBGMに使われていたと。ゲームのBGMになった行進曲と言えば個人的には、「レミングス」に使われていたモーツァルトのトルコ行進曲が強烈な印象です。ネズミが大行進してそのままにしておくと最後は皆落ちて死んでしまうのを、いろいろな手段で少数のネズミを犠牲として!、できるだけ多くのネズミを救う、というすごいシチュエーションのゲームです。ひところ職場でかなり流行っていて、自分もかなりはまりました。何匹のネズミを犠牲にしてしまったことでしょうか。レミングスに使われていた様々なモーツァルトのトルコ行進曲を集めた動画がありました(^^)。僕が特に印象に残っているのは17分45秒あたりからのです。○フチーク作曲「剣士の入場」(いつまで初心者さん)、7年前の年末年始、大学と高校にそれぞれ入学した姪二人をウィーンとプラハへの旅行に招待し、プラハでチェコフィルのニューイヤーコンサートを聴いた。普段クラシックを聴かない二人に、演奏される曲を旅行前にあらかじめ聴かせてみたところ、「UFOキャッチャーの曲や」と。チェコの作曲家をメインとしたニューイヤーコンサートの最後がこの曲だった。この3月に大学を卒業した姪へのお祝いとしてかけてほしい。○ベルリオーズの幻想交響曲から第4楽章「断頭台への行進」(いずみちんさん)、50年前、小6のとき初めて聴いた幻想交響曲に本当に大きな衝撃を受けた。ふかわさん「これは描写型かもしれない」。○同曲(たんたかさん)、行進できる行進曲だと思う。ふかわさん「あっ、行進しようと思えばできるんですね。」○ベルリオーズのハンガリー行進曲(ラコッツィ行進曲)(やまぐちかれんさん)、所属しているアマオケでまさに今月演奏される予定だった、しかし感染症対策で中止。この曲の始めの方のピチカートに苦戦している。この部分はプロでも難しいから良く練習するようにとマエストロから言われていた。弾けば弾くほどこの曲にはまっていく。○同曲(愛も恋もチェリッシモさん)、大学オケでチェロを始め、初めてのステージで弾いた曲。テンポが速めでさらにアルコとピチカートと弓の持ち替えが忙しく悪戦苦闘した。ある練習の日、隣で弾いていた先輩から「あっ」と言う小さな叫び声が聞こえ、見ると先輩の弓が私の方に飛んでくる。先輩が持ち替えに失敗し手をすべらせてしまった。目の前で宙を舞う弓。一瞬にしてまわりの時間が止まり、スローモーションで落ちていく弓。なんとかしなくちゃ!私は咄嗟に左手を差し出した。すると何ということでしょう、手の上に先輩の弓が乗っかったのです。(真理さん「素晴らしい!」)今でもこの曲を聴くと、デビューのドキドキよりもその時のハラハラの方が先によみがえる。○ドビュッシーの、「民謡の主題によるスコットランド行進曲」(宿り木さん)、実はこの曲を聴いたことはないが、大好きなベルガマスク組曲と同時期に作られたピアノ連弾曲なので、ラジオから流れるのを楽しみに敢えて聞かずに投稿する。閉塞感をふっとばせる曲だといいな、と。全曲がかかりました。○エルガーの威風堂々第1番(ヴァイオリン弾きのころわんさん)、自分の勤務する小学校の卒業式では例年卒業生の入場時に5年生がリコーダーでこの曲を演奏する。しかし今年の卒業式は卒業生と教職員のみとなり、自分の関わっている支援教室の児童も苦手ながら一生懸命練習したものの当日列席できなくなった。式の簡略化で入場はCDの予定だったが、教職員でなるべく温かい式にしようと、音楽の先生がクラリネットを吹き、自分のピアノ伴奏でこの曲を演奏する予定、精一杯演奏したい、と。○同曲(心はオレンジピールさん)、今日娘の高校の卒業式だった。簡略された式で音楽の演出が少なかったせいか、心の中にはずっとこの曲が流れていた。それだけでもこみあげてくるものがあった。○藤田玄播作曲、「若人の心」(トラッペさん)、1977年吹奏楽コンクールの課題曲だが、自分が中学生のとき体育祭の入場行進に必ずこれが使われていた。マーチでは珍しいマイナー進行で、当時は何でこんな古くさい曲でやるのかと思いながら行進していた。校長先生がにこにこしながら手拍子を送っていたので、あぁ校長が好きな曲なんだということで皆の意見が落ち着いた。あれから30数年すぎてあらためて聞くと、いい曲だ。一生懸命頑張っている若者たちの姿が見えてくるようでじーんとする。今の自分はその時の校長先生の世代に突入。中学生がこの曲で元気に行進していたら、そりゃにこにこしながら手拍子しちゃう。中学生のとき文句を言ってしまった天国の藤田玄播先生ごめんなさい。そして素敵なマーチを作ってくださってありがとうございました。○古関裕而作曲、東京オリンピックマーチ(リアリストあらいさん)。圧倒的に好きな行進曲。イントロ部分からぱーっと脳裏に青空と白い雲が広がる。晴れやかさ、勇壮さ、気持ちが盛り上がる。いい意味での緊張感を伴う盛り上がり。音源をスマホに入れて持ち歩いているので、気分のエンジンをかけたい時に聴いている。(ふかわさん「これは素晴らしい日本の宝です。今年もこれをどこかで聴きたいですけどね~。」)ここでひょっこり行進曲がふたつかかりました。○ショスタコーヴィッチ交響曲第5番第1楽章の途中9分頃から(エスプレッソさん)、交響曲などひょっこり出てくるひょっこりマーチにも惹かれる。最初は聴いている方が恥ずかしくなるほど変だと思ったが、聴き慣れると心地良く感じられるようになり、ひょっこりマーチを待っていたりする。○マーラーの交響曲第3番第1楽章の途中(ジャクリーヌ3世)、えっ、きらクラ終わっちゃうの?ちょっと待っち、待っちくれーということでマーチ特集なんですね。そしたら「ひょっこりマーチ」を投稿します。私の大好きなひょっこりマーチといえば、マーラー作曲交響曲第3番の第1楽章の途中です。マーラーは当初この楽章に「夏が行進して来る」という表題をつけていたそうです。後にマーラーはこの表題を削除しましたが、まさに夏がやってくる浮き浮きした感じがして、いろいろな動物たちが次々に行進してくるような、わくわく感にあふれています。特に練習番号20あたりからの2~3分ほどは、遠くかすかに始まった行進が、だんだんと近づきながらにぎやかに盛り上がっていき、なんとも楽しく素敵です。バーンスタインとニューヨークフィルの古い方の録音(1961年)だと、楽章が始まって丁度10分あたりからです。私たちの心の中で、きらクラ!はいつまでも行進し続けまーち。ふかわさんが、動物たちが踊っているとか行進している曲って時々ある、と結構反応してくれました。真理さんも、この曲割と最近やったのですごく覚えている、このマーチを弾いてるのが弦楽器の半分だけで、聴いてるとホント遠くからやってくるみたいな錯覚がある、マーラーは自然の感じが独特な表現方法でいろいろ聴こえてくる、と。このジャクリーヌ3世さんは不詳私です(^^)。マーラーの3番は最も好きな曲です。以前ギタリストの村治佳織さんがゲストに出られたときの第22回BGM選手権「偉人の名言 人生哲学編」で、グスタフ・マリアンヌさんのマーラー3番終楽章がベストをとりました。このときふかわさんの無言の圧力に負けずに、村治さんがこの曲をベストにしたことは以前の記事にも書きました(^^)。僕の知る範囲では、これ以外にマーラー3番がきらクラに登場したことはないと思います。いずれマーラー3番を自分の投稿でも出したいと思っていたところ、行進曲祭りで、最後の機会と思って出しました。じゃく3から進化・発展したこのラジネは、今日も快調の家族さんと他愛無いコメントをやり取りする中で家族さんのアイデアを基に完成したもので、これまで時々投稿していましたが採用されたことがなかったので、今回採用されてうれしいです。○クーラ作曲、結婚行進曲(お昼寝大好きさん)、先週の放送で番組の歴史が家族の歴史と重なるというお便りがあった、我が家も同じで番組開始時には大学生だった娘が小学校の教員となり、今年の5月には母校のチャペルで結婚式を挙げることになった。また5年前夫が60歳を目前に職場の移転という大きな決断をしたときにはふかわさんと真理さんに夫に向けて「チェストー!」という励ましの言葉を言ってくださいと無茶なお願いをした。懐かしい思い出ばかりで、あらためてきらクラは自分の生活になくてはならないものだったと思う。ふかわさん真理さんこだまっちさん、今度は私から感謝をこめてこの言葉を送ります「チェストー!」。きっと素晴らしい人生が待っている。さて、舘野泉さんのゲスト出演以来この曲が大好きになった。華やかではないけれど穏やかな幸せに包まれているよう。娘の結婚の準備を手伝いながらこの曲の脳内再生を繰り返すことだと思う。○同曲(三月のおさむさん)、ゲスト回でのお話が印象的だった舘野泉さんのピアノで初めてこの曲を耳にしたときの感動は未だに忘れられない。この曲をはじめ、きらクラを聴いていなければ出会えなかったであろう音楽は数知れず、どれも自分にとっても大切な宝物となった。○チャイコフスキーのスラブ行進曲(まぬる猫さん)、1977年に男子高校に入学してヴァイオリンを始め、その年の秋の文化祭にこの曲を演奏することになったが、楽譜も読めずに始めた初心者にはついていけず、コンサート直前に指揮をつとめる顧問の先生から「誰かシンバルやりたい奴いるか?」の一言に救いを見出し躊躇なく立候補した。ところが一件落着とはいかず、さらなる試練が。文化祭直前に行われたレコード録音用の演奏時、fffでシンバルを7小節連続して鳴らす箇所で何回鳴らしたのかわからなくなった。もう1回鳴らすのか、それともこれが最後なのか、頭の中はパニック状態。シンバルが鳴り終わるといきなり音が薄くなる小節、そんな箇所でシンバルを思いっきり鳴らしてしまってはそれこそ演奏がぶち壊しになると咄嗟に判断しシンバルを鳴らすのをやめた。ところがもう1小節あったんですね、シンバルの鳴るべき小節が。今でもそのときのレコードにはfffの中でシンバルの音が一つ足りない演奏が記録されている。青春の苦い思い出がある名曲。真理さん「ありますあります、一瞬不安になったらもう終わり」、ふかわさん「ブラジルのアゴゴベルもそう。どこでブレークだっけと迷うから、すごくppで鳴らしだす」、真理さん「不安が音に乗っちゃうんですよね~」と、かなりの盛り上がりを見せました(^^)。そして全曲がかかりました。始まって約6分ごろ、主題が勇壮に歌われるところで、確かにシンバルの7回打ち箇所がありました(^^)。○ここで真理さんたのもうが二人。最初は鴨川のほとりさんの出題、真理さん全然わからず降参で、スーザの「星条旗よ永遠なれ」でした。続いて、へたの横好きトロンボニストさん。ふかわさんがかなり長いお題を熱演すると、真理さん自信無げでしたが、見事に正解!チャイコフスキーの交響曲第6番第3楽章でした。○勝手に名付け親:お題はベートーヴェンのドレスラーの行進曲による九つの変奏曲でした。6人採用。引っ越してしまうあの子へ(レモネードさん)クラリネットなくしちゃった(あんこ玉とその家族さん)←「クラリネットがこわれちゃった」にかけて人事部への道行き(猫のレオンさん)一人でひっそりラジオ体操(芦屋ののもやん)卒業までの道のり、ありがとう学舎(味付けのりかさん)〆切前夜(永遠の5月さん)テーマと全変奏のそれぞれにもタイトルがついてストーリーがありました!ベストは「一人でひっそりラジオ体操」でした。このお題には僕も「クラリネットをこわしちゃった」にちなんだタイトルを出したのですが、ひねりが足りず、ボツでした。ところでこの8年間にふかわさんは、フーマン(ピアニスト)、リコーダー吹き、サンバアンバサダー、パーカッショニスト、波製造器と、様々な楽器を演奏されていますね。そんなふかわさんですが、僕の怪しい記憶によると、番組初期の放送で、ふかわさんはクラリネットが大好きで、「クラリネットになりたい」と仰ったように覚えています。まだフーマン化するよりずっと以前の話です。僕の記憶違いでなかったら、その後クラリネットの話題がほとんど出ないのが不思議ですが、今でもまだふかわさんの中にクラリネット愛は続いているのでしょうか、ちょっとお尋ねしてみたいです。ついでに「クラリネットをこわしちゃった」の替え歌「きらクラが終わっちゃった」も作ってみました。かなりくだらないです(^^;)。記事の最後に、おまけとして書きました。○ここで突然伊福部昭の勇壮な行進曲、映画「怪獣大戦争」から「怪獣大戦争マーチ」オリジナルサウンドトラックが流れました。きらくらのすけさん(吉良クラ之丞、で良いでしょうか?)のリクエストでした。次回はきらクラ滑り込み企画第二弾、日本人作曲家祭り開催、とアナウンスがありました。○続いてBGM選手権のお題が発表されました。梶井基次郎の「檸檬」でした。これは以前2014年2月の第41回BGM選手権に出題されたとき、ふかわさんが「ベスト該当者なし」としたお題です。ふかわさんは、悩んだがどうしても納得ができず、独断と偏見とわがままで、権力の濫用をしてしまった、と。しかし時を経た今、日本人作曲家縛りで改めて再出題となりました。○ワーグナーの「神々の黄昏」から、ジークフリートの葬送行進曲(へヴィーコンダラさんまたはアフターフェステイバルさん)、高校時代に吹奏楽でこの曲のティンパニを演奏した。ある日突然現れたあるOBの指導で、約30人の編成でなんとか演奏会までこぎつけた。多分、ない楽器のパートを他の楽器に割り振ったりとか苦労されたのだろうと今更ながら思う。このとき指揮をした友人は10年前に亡くなり、隣にいた同じ打楽器パートの友人は同じころ病に倒れコミュニケーションがとれない状態になり、突然の訃報を思いだすと非常に寂しい気持になるが、青春時代の楽しかったことも同時に思いだす。そのOBが練習のときに「非常に悲しかったときのことを思いだして演奏するように」と言われたことを思いだす。そのときは割りと幸せな生活を送っていたのでそれほどの感情移入はできなかったのですが、と。そして全曲が流れました。なお、このきらクラの本放送があった3月8日とその前日は、びわ湖ホールで沼尻竜典さんと京響ほかによる「神々の黄昏」が、びわ湖での4年がかりの「指輪」の締めくくりとして全曲上演されるはずでしたが、感染症問題で公演は中止となってしまいました。それで両日とも無観客で上演し、ネットで無料ライブ中継したということです。びわ湖の無念とシンクロするような、ジークフリートの葬送行進曲のオンエアでした。しかもこの放送では、良く演奏される本体部分だけでなく、その前の牧歌的な美しい部分も4分ほどたっぷりと流してくれたので、しばしワーグナーのサウンドに浸れました。○真理さんの選んだ行進曲:シベリウス作曲、「カレリア組曲 」から 第3曲「行進曲風に」 真理さんは、「(この曲について)赤毛のアンが自転車を濃いで草原を走っているようだというふかわさんの言葉を聴いて、本当にその通りだと思って、聴くたびにさわやかな風を感ずるようになった。」調べたら、第100回のふかくらのときにかけていた、ということです。ふかわさんのこのコメントは僕も良く覚えています。○ふかわさんの選んだ行進曲:エルガー威風堂々第4番ふかわさんが常々、威風堂々の中で一番好きだとおっしゃっている第4番です。ふかわさん仰るには、中学校で吹奏楽の部活だったので、卒業式が生演奏だった。予行演習なんかで演奏の練習があるので、生演奏を聴きながら卒業式の練習をしていると、聴きながらもう泣いちゃっている。本番よりも予行演習の方がなんか想像をいろいろとかきたてられてこみあげるものがあった。この曲と聴くといまだに、体育館に敷かれたカーキ色のシートをこする上履きの感触が未だによみがえると。(真理さんは「緑」と仰っていましたが、ふかわさんは「カーキ」にこだわっていました。何故?。)威風堂々第4番はきらクラでも何回か放送され、200回記念の放送でのBGM選手権「上を向いて歩こう」ではヒダス・キャタディさんのBGMとして採用され、ふかわさんにかなりのインパクトを与えていました。僕も威風堂々5人兄弟の中でこの第4番が一番好きで、昔職場の運動会で音楽を担当したとき、この曲を行進曲に使い、表彰式にはコープランドの市民のためのファンフーレを使ったことが良き思い出です。○ヨハン・シュトラウスのラデツキー行進曲、3人の方のお便りが読まれました。いろあすさん:ここ数年、元旦はウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見てラデツキー行進曲でテレビの前で一緒に手拍子をしないと年が明けた気がしない。さあ今年も頑張るぞと言う気持ちにさせてくれるパワーがある。定番の安定感、クラシック音楽ならではの懐の深さのなせる技。らふまにのぶこさん:できれば小澤征爾指揮のウィーンフィルのニューイヤーコンサートでお願いしたい。今から14年前、息子が高校のオケでコンサートマスターになることに決まり悩んでいた。私の持論だが音楽は技術だけではない何かがとても大切で、それは演奏者の心だと思っている。その心を学びにそうだウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴こう、家族で冬のウィーンに旅立った。チケットが取れて楽友協会で聴いた。コンマスが笑みをたたえながら楽しそうに本当に全身全霊で一つ一つの音を奏でている姿を真剣な眼差しで見つめる息子の横顔が、この曲を聴くたびによみがえり胸が熱くなる。音楽さん:うちの息子、赤ちゃんの時どこも悪くないのにだっこしてもあやしても泣き止まなくて、あきらめてベッドに寝かせてヨハン・シュトラウスのLPを聴かせた。しばらくしたらこの曲でピタリと泣き止んだ。今でもこの曲が好きみたい。ふかわさん「皆様拍手の準備はよろしいでしょうか」。そして春の行進曲祭りの最後として、ラデツキー行進曲が流れて、お開きとなりました。○おまけ:「きらクラが終わっちゃった」 ←「クラリネットをこわしちゃった」の替え歌 ♪ 僕の大好きなきら~クラ毎週聴いてたきら~クラとっても大事にしてたのに終わって聴けないことになるどうしよう、どうしようオーパッキラクラ、パッキラクラ、パオパオパパパオーパッキラクラ、パッキラクラ、パオパオパ きらくらDONが聴け~ないそらみみクラシックが聴け~ないとっても大事にしてたのにパパが知ったら怒るかなどうしよう、どうしようオーパッキラクラ、パッキラクラ、パオパオパパパオーパッキラクラ、パッキラクラ、パオパオパ BGM選手権と勝手に名付け親がないメンバー紹介とひょっこりクラシックと始まりはクラシックがないとっても大事にしてたのに番組表にも見つからないどうしよう、どうしようオーパッキラクラ、パッキラクラ、パオパオパパパオーパッキラクラ、パッキラクラ、パオパオパ、オッパーーーー!
2020.04.01
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3月1日のきらクラです。きらクラ終了のアナウンスが出されたのが2月16日の放送でした。その後の最初の放送でした。最初のお便りは、おしゃくら時代からずっと聴いているが、きらクラは4月から中3になる娘の成長時期と重なったので思い出が深い。娘がきらクラDONで花のワルツの正解で読んでもらったのが小2のときだった、そのあとラジオ番組に投稿することが身近になった娘は、今では夜勉強しながら民放ラジオにも投稿し、ときどき逆電をもらったりしている、娘の成長のきっかけになったきらクラに感謝、と。残された1ヵ月、最後にこれまでの名場面のリクエストコーナーを、と提案するお手紙に、ふかわさん、「なんならきらクラ三昧をやりたいですね」と。是非やってください!その後ステッカーの話になり、ステッカーの使い道をみなさまから聴きたいというお話。真理さんの解説によると、まりへいと、ちげえねえと、ご自愛と、あと何か、4種類ほどのステッカーがあるというでした。4種類持っている人いるのかな?ふかわさんは、「中途半端となったくらペディアもどうなるんでしょうか」と言っていましたが、きらペディアですよ~。続いて読まれたお便り。38年間の教師生活をこの春定年退職する、その最後の8年間をつらいときも苦しい時もきらクラとともに過ごしてきた年月を思い、一緒に終わってしまうことを考えると胸がいっぱいになり泣き出しそう。佐藤眞の組曲「蔵王」の最終曲「早春」をリクエストしたい。合唱に明け暮れていた大学時代、1日中練習していた「蔵王」の練習の合間にはひとりの大親友と春まだ浅い冷たい風の吹くキャンパスで毎日毎日語り合った日々を思いだす、将来の夢、家族のこと、恋の話。二十歳の私たちにはまだ見ぬ未来が待ち遠しくてたまらなかったことを思いだす。東北にある蔵王という山をきっといつの日か一緒に見に行こうと約束した、その後願ったとおり教師となり、長年の教職生活もいよいよ終わりを迎える。娘時代に夢を語り合った友は還暦を待たずして数年前に先立った。蔵王を一緒に見ようねという約束を決して忘れていないのに、約束を守れない、そんなことがあるのが人生というものなのかもしれない、もし「早春」を聴かせていただければ、大好きだった仕事も、大好きだったきらクラもいよいよ卒業のときと心に区切りをつけて、亡き大親友と一緒に、心の底から、北国の春の喜びに思いを馳せながら、味わいたいと思う、と。尾崎左永子作詞、佐藤眞作曲、混声合唱のための組曲「蔵王」から「早春」がかかりました。きらクラDONは、バーンスタイン作曲、「ウェスト・サイド・ストーリー」からの「シンフォニック・ダンス」でした。いろいろなお手紙が紹介されました。○楽器吹き同志で出会って結婚した夫婦で、きらクラをああだこうだといいながら一緒に聴いていた○はじめは古典派を主に聴いていたが、この曲をきっかけに聴くジャンルが拡がった、思い出の曲○バーンスタイン没後30年に絡めた出題か、還暦前年に初めてオーケストラに参加したときに演奏した思い出深い曲で、その1-2年前から始めていたホルンを吹奏楽だけではなくオケでも吹いてみたいと思い参加したが、初心者には荷が重かった。いきなりチューニングでつまづいた、抜き差し管を目いっぱい抜いてもチューニングの音に近づかなかった。あとで帰宅してから、吹奏楽のチューニングの♭Bと違ってオケのチューニングはAだと気が付いた。(さぞや抜き差しならないチューニングだったことでしょう。)無事演奏が終わったときには年甲斐もなくにっこりした。○50年前中学生のとき、おじがあててくれたチケットで、大阪万博の万博クラシックの演奏会でバーンスタイン&ニューヨークフィルで幻想交響曲を聴いた。それ以来彼のファンとなり、74年高2の大阪フェスティバルホール演奏会のときサイン会の最後尾に並んで彼の著書「音楽のよろこび」にサインしてもらった。○きらクラDONが好きで、一番の思い出は宮崎の公開収録であててもらったこと、でもやり残したこともふたつあり、公開収録のなまきらクラDONで絶妙なボケニアピンを答えることと、曲名と演奏者の両方を答える超ウルトラきらクラDONに正解することだと。(このお方、その念願の超ウルトラで正解されていました。)○34年前に、所属していた大学吹奏楽団の演奏会のメイン曲として吹奏楽アレンジ版で演奏したとき、ボンゴとホイッスルを担当した。打楽器の出番や種類が多く、楽しかった。ニアピンがありました。ドヴォルザークの管楽器のためのセレナードの第四楽章で、見事にステッカーをゲットしました!ここでゲストの藤田真央さんが登場されました。ふかわさんのお話によると、5年くらい前の夕方の情報番組にご登場してもらった、中学3年生のときで、これから世界に羽ばたくピアニストということで出てもらった。あのときは真央君と呼んでいたが、今は(そう呼ぶには)喉ぼとけでブレーキがかかる。ナントのラフォルジュルネのとき、楽屋に藤田さんに会いに行ったときに、5年前のことを覚えていてくれて、しかも「この番組に出たい、反田さんを出すなら自分も出せ」、とナントの勅令が出たということでした。藤田さんは、以前からずっと月曜の再放送を聴いていた、そのきっかけは、中学生のとき、きらクラがスタートしたのと同時期だったが、膝の靭帯を断裂して車で学校に通うことになり、それでカーラジオできらクラと出会ったということです。ナントで弾いたベートーヴェンの三重協奏曲の話となり、チェロのソロを弾く重鎮クニャーゼフが一向に楽屋から出てこず、ようやく出てきて、「よーし行こうぜ」と椅子に座って、「真央、Aをくれ」といってずっとチューニングをやっていた。そしていよいよ曲が始まってチェロの最初のドの一音でやられてしまった。クニャーゼフはすごい、と。真理さんも、クニャーゼフは音楽が降りてきている感じ、何かとつながっている、と。ふかわさんから真顔で「真理さんにも降りて来るんじゃないんですか?」と尋ねられた真理さんは、「私は、どうかな?」と(^^)。(クニャーゼフはバッハの無伴奏チェロ組曲のCDを聴いて僕も強いインパクトを受けたチェリストです。2018年にはサントリーの小ホールで、バッハの無伴奏全曲を一夜で演奏するリサイタルも聴きました。)ここで1曲、藤田真央さんのピアノでショパンの即興曲 第1番。反田さんとの接点を尋ねられ、昔は音楽教室が一緒だったが、曜日が違っていてそのときは接点はなかった。1年くらい前に反田さんと会って、「あのときから下に凄い子がいると聞いていた」と言われた。私も、「上に凄い人がいると聞いていた」と。ふかわさん「凄い建物ですね!」と(爆)。ナントのラフォルジュルネは、集中する時間が1時間と短いので、わたしにとってはすごくありがたい、と。海外と日本との違いは、日本の方が知っている人がいるのですごく緊張する。海外の人達はまっさらなので弾きやすい。リスナーさんからのお便りで、山田和樹さんと笑ってしまうほどそっくりと。好きな1曲の紹介でモーツァルトのヴァイオリンソナタ第21番第2楽章をあげて、途中ピアノだけになるところが、天から光が降り注いでいるような感覚になると仰っていたことが印象的だった、と。(藤田さんを担当しているマネージャーさんが、山田和樹さんも担当しているということでした。)藤田さんのあまりにほがらかでお茶目な話しぶりに、ふかわさん「へらへらしすぎで心配になるくらい」。ピアノをやるきっかけ:2歳上の兄が弾いていたので、ピアノを弾くのが当たり前と思っていた。幼稚園のときに、みんな弾けないのと驚き、弾くと脚光をあびて、心地良さを味わって、それからですね。練習大変というのはない。飽きたら新しい曲やるみたいな。やりたい曲いっぱいだして、買って。この曲つらいということはないかと尋ねられ、ハンマークラヴィアはつらかった。高校3年生のとき、ヤマハホールのリサイタルに入れたが、4楽章は何重ものフーガだらけで、1日その第4楽章ばっかりやっても弾けず、もういいやと練習しなかったが、面白いことに本番では完璧に弾けた、と。続いて「蜜蜂と遠雷」の風間塵がファイナルで弾いた、バルトークのピアノ協奏曲第3番 から 第3楽章、藤田真央さんのピアノ、円光寺雅彦指揮、東フィルの演奏が流れました。このときのエピソードとして、指揮の円光寺先生から、すごい死ぬほど怒られたと。コンチェルトの録音はこれが初めてで、どういう風に進んでいくのかわからなくて手間取っていたら、こうやるんだ!みたいに。指揮者によってタイミングが違う、大巨匠から若い方までいろいろな指揮者とやったが、やはり大巨匠にいくにつれて、少し遅いタイミングで入ればいいんだなと。真理さんも、年配になるほど、音の重さを大事にするような印象があると。ナントの後、チャイコフスキーコンクールの受賞者としてゲルギエフとミュンヘンでの公演が終わって、ゲルギエフとのディナーが毎回ずーっとあったが、これが本当に苦痛、とてつもなく長い。コンサートの時間よりも長い。会食の最後の方になって自分がそろそろ帰りますと言ったら、「真央ちょっと待て、あと30分待て」と。それで何故待ったのかわからないけれど30分ほど待ったら、突然ゲルギエフが立ち上がって、「きょうは素晴らしかった。素晴らしいアイデアを思い付いた。」と、私たちにとってはいつも悪いアイデアである。「この公演を2日後にサンクトペテルベルクでやろう」と急に言いだした。聞いている方はポカーン。酔っているのでもなく、本気で、あの眼光で。後ろの方ではそれを聞いたマネージャーたちも、どうすんのチケットとか、と騒ぎだした。しまいにはチェロのソリストのズラトミールがロシアのビザを持ってないと言ったら、マエストロが携帯を出して謎の人と3分位話して携帯を切って、「ズラトミール、ビザとれたぞ」と。それで公演が決まって、決行した。聴衆も7割がた入り、ライブストリーミングもあってすごく盛り上がった。山形のリサイタルを聴かれたリスナーさんからのお便り、左足の怪我(豆)は治りましたか?と。何故か豆ができた。15日間ヨーロッパとロシアに行っていて、うち10日間がコンサートだったが、豆ができてしまった。日本に帰ってきて翌日山形で演奏会だった。膝の靭帯断裂をしたのと同じ左足に豆ができて、歩き恰好がひどかった。豆は足の先だったので、ペダルは足の腹で踏んだ。ここで反田さんの足マジック塗りの話になり、藤田さん「あの人はまたああいうことするからあれだけども、あんなにぶっとんではないです私は」と(^^)。リスナーさんからの質問、どんな曲でも出だしが大切と思うが、真央さんはどの曲でも座るやさっと弾き始め曲の中に入り込む。どんなイメージでそうされているのか?真央さんの答えとして、歩いて、お辞儀をしてピアノに座る、座る直前にハンカチをすっとピアノのところに置いてすぐ弾く、そのときにはこうやって弾くんだという出だしのテンポ感があり音楽感があり、それですぐ弾き始めるだけ。自然とそうなっている感じ。と椅子の位置なんか気にする人もいますね、とのふかわさんの話に反応して、それはある、すぐ弾くので、演奏の途中で椅子の位置が、あ、なんかちょっとずれていると気が付くことがある。それで激しいところで瞬発力でバンと椅子をずらす。でもそれが行き過ぎて、またずれているときがあって、こりゃ~だめだと思って、左手がメロディーで右が休みのときに、ちょっとお尻を挙げてきゅっと調整というのもある。そういうことしちゃだめなんですけどね、本来、と。ここで真理さんが、今まで出会った素晴らしい3人の音楽家がいる、小澤征爾さんと山田和樹さんと真央君。みな体がずっーと動いている。多分ぴっと立ち止まれないタイプ。ずっと多分音楽が頭に流れている。ずっと手を振ってるとか、足がステップとっちゃうとか。それを聞いたふかわさんが、「私が教師で真央君が普通の生徒だったらしょっちゅう叱っているかもしれない。落ち着きがないと通信簿に毎回書いていると。真理さん、音楽がいつも流れているから急に弾ける、と。ここでリスナーさんからのリクエストで、藤田真央さんのピアノで、蜜蜂と遠雷から、藤倉大作曲の「春と修羅(風間塵バージョン)」が流れました。きらきらと素敵でした。ここで「まりさん、たのもう!」コーナー。石の上にもサンサーンスさんからの、かなり長いお題でしたが、真理さん余裕で、途中でもう大丈夫とふかわさんを遮って、見事に正答。シベリウスのヴァイオリン協奏曲第三楽章。真央君もすぐわかったということです。続いて大阪のアマデウスさんからの、そらみみクラシック。オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」第4幕第1場第7景、ジュリエッタの歌で始まりゴンドラの舟歌の合唱が続くあたりで、「たのもう」が2度聞こえると。勝手に名付け親のお題が流れましたが、そのピアノを弾いていたプレトニョフの話題になりました。プレトニョフが好きと。2回本人に会った。1回目は彼が指揮をした演奏会の終わったときに会いにいったらすごくご満悦で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の楽譜にサインしてくれた。今でもその楽譜を使っている。その二日後に彼のピアノのリサイタルを聴いて素晴らしく、やはり終わった後に行ったら、今度はすごくむっつりしていて、目線が合わない、基本私の斜め上を見ていて、早く帰れみたいなそういうオーラを出していた。ピアノのときは機嫌悪いんだ、と思った。でも本当にこの人は世界で一番ピアノがうまいと私は思う、と。ふかわさんが「真央さんのエピソードはおもしろい。いい不協和音というか、笑える不協和音が届いてくる。」真理さん「ちょいちょい毒を挟んでくる」BGM選手権。藤田さんが好きなコーナーということです。で、以前宮沢賢治の「雨にも負けず」のとき、ふかわさんの朗読が、「雨にも負けず」と2回言ったのが子供ながらツボにはまったということでした。さて今回のお題は亀井勝一郎作、八ヶ岳登山記でした。3枠採用。○イベールの祝典序曲の途中(ぽんたろうさん)。もしきらクラが10年続いたらリクエストしたいと思っていた曲と。雄大で美しい風景が見渡せるような素晴らしい曲でした。○ホルストの「惑星」から「火星」(レントよりアダージョさん)。ふかわさん「噴火している」と。きらクラが終わってしまうという突然の知らせに憤りを感じている私たちリスナー大勢の気持ちを素直に代弁してくれるような選曲でした。○シベリウスのロマンス変ニ長調作品24-9、舘野泉さんの演奏指定で(今日も富士山がきれいですさん)。藤田さん、「変ニ長調という曲調がいい、良くマッチしている」。真理さん「なんだか素朴な、自分の身近な山に登っているよう」。ふかわさん「景色と言うより人物の心情が伝わってくる」と。美しいピアノの音に、舘野泉さんがゲストに出られたときの放送を思いだしました。藤田真央さん「ピアノはやはりオケやオペラにはかなわない」と、そして選んだベストはイベールでした。続いて、藤田さんがかけたい曲。バーバーの「弦楽のためのアダージョ」、バーンスタインの演奏でかかりました。去年、大学2年生の指揮法の授業を受けていた時にこの曲を振って、95点という好成績をおさめた曲。指揮台に立って景色はどうかと問われて、あごとか震えてしまった。指揮はピアノを弾くのとはまったく違うことをやっている。全ての重積を負わなければいけないので、あまりやりたくないな、と。今後の展望をきかれた藤田さん、今年はずっと上半期は日本にいて、10月からはベルリンに留学しようと決意している。入学試験に落ちたらいけないけれど。と。リスナーさんからの質問、忙しいなかいつどうやって練習しているのか、に対しては、忙しいとはいっても練習する時間をさいて自分で作っている。本当に時間がないときは、コンサート終わって家に帰ってまた練習して、ということもある。本番の直前にピアノを弾く方か弾かない方かとのふかわさんの質問に、本番の日はぎりぎりまでずーっとピアノを弾いている。ピアノはその場所にしかない、その場所特有のピアノなので、この音はこういう音が出るんだと、すべての音を確かめたいという願望がある、と。苦手のものは、トマト人参ピーマン。克服キャンペーン(克服週間)を自分で作ったことがあるが、1日目トマトを食べたがもうだめだった。トマトの中のうにゅうにゅ感は解せない、と。それを聞いた真理さん「娘も好き嫌いいっぱいある。年齢とともに無くなるかと思ったけれど、なくならないんだ」と。最後にメッセージとして、真央さん、私の青春そのまま、この番組とともに過ごしてきたので、この番組がなくなってしまうのは惜しいけれど、何かしらの形で、きらクラのコンサートがあったら出たいなぁ。次は絶対出たい、と。これ期待してお待ちします!最後はクールダウンするかのようにゴールドベルク変奏曲からアリア、グールド(あとの方の録音)がしっとりと流れました。ラジネコールが、ふかわさん曰く「もう最終回の雰囲気」と。15名のラジネコールのうち最初の10人がそうでした。きらクラありがとうさん、きらクラファンのるさん。人生初投稿がきらクラでしたさん、きらクラありがとう本当にありがとうさん、きらクラ大好き人間さん、きらクラforeverさん、きらクラロス子さん、きらクラforeverでけろさん、きらクラファンさん、ほだなうそだべにゃこと大山ママさん。 きらクラが終わるというショックに気持ちも暗くなりがちなところ、藤田真央さんの屈託なく底抜けに明るいお話と人柄に、元気をもらって少し前向きな気持ちになれたのは僕だけではないと思います。世界にはばたきつつ、先々ひょっこりときらクラ特別番組(三昧など)にご登場していただければと思います!
2020.03.21
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ウォン・ウィンツァンさんのピアノライブを久しぶりに聴けました。さきほど終わったところです。普段から各地でライブをやっていらっしゃいますが、このところ新型肺炎の影響で軒並み中止。そこでウィンツァンさんは、YouTubeで無料ライブ配信をここ数日やってくださっています。昨日3月11日も、日比谷公園での「311見未来へのつどい」を長時間配信されていました。これまでは昼間なので聴けなかったけど、今日はそういう人のためにということで、夜9時からのライブ配信。10分過ぎに始まり、40分ほど続けて、いろいろな歌(童謡)を弾いていただけました。シューベルトの野ばら、竹田の子守唄、ゆりかごの唄、五木の子守唄、雨降りお月さま、などなど。他の人は帰って誰もいなくなった職場で、部屋を暗くして、パソコンの全画面で見ていました。パソコンにつなげたスピーカーの音量を大きくして聴いていました。目の前でウィンツァンさんが弾いていて、自分と同じ部屋で弾いてくれているような、親密な、最高にすばらしいひとときで、じんわり温かい感動をいただきました。いつもみんなに癒し、エネルギー、幸せを届けてくれるウィンツァンさん、本当にありがとうございます。
2020.03.12
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何かと忙しく2020年になってブログ記事を一つも書けないで(書かないで)1月が終わり、2月になったら今度は新型肺炎騒ぎで気持ちが落ち着かずますます記事を書きにくくなり、そうしたらきらクラ終了のお知らせが。しばらくは気持ちがどーんと落ち込みましたが、その後のきらクラの明るい放送を聴き、気持ちも前向きに変わり始めたこの頃です。終了まであとわずか。以前のような番組の記録としての記事を、少しでも書いておこうと思います。まずは沖縄公開収録です。------------------------------------------------------------2月2日の放送は、沖縄県南城市シュガーホールでの公開収録の放送でした。ゲストは反田恭平さんと砂川涼子さんでした。オープニングは反田恭平さんのピアノ生演奏による機敏な小犬のワルツ、終了後に真理さんの子犬も加わりにぎやかに始まりました。ほどなくいーともさんのお便りが読まれ、ふかわさんのい-ともさん直コールもありました。長年のいーともさんの番組へのいろいろなご提言、ご貢献に対するこだまっちさんの感謝の気持ちだったことと思います。恒例のナマきらクラDON、まずはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、これは第6回DON出題曲。次にサン=サーンスの動物の謝肉祭から「水族館」、これは第2回DON出題曲で、いつかBGM選手権でも流れた曲でした。続いてバッハのイタリア協奏曲、これは第61回DON出題曲。4問目はバルトークの管弦楽のための協奏曲から「中断された間奏曲」、これは2016年8月、200回達成記念!の放送で中トロ祭りで三貫(三問)出題されたうちの三問目として出題されました。この頃は僕もきらクラ記事をこまめに書いていて、出題の回(8月14日放送)がこちら、解答発表の回(8月28日放送)がこちらです。そして最後の5問目は、中トロでした。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番「春」から第一楽章の途中、難問でした。これは第80回DONの出題曲でした。ということで全部がこれまでの出題曲だったのは、これが最後の公開収録になることを胸に秘めたコダマッチさんの想いがあったのではないでしょうか。ここで反田恭平さんがご登場。這い這いしながらサッカーボールを追いかけていたというサッカー好きな子供時代で、試合中に押されて両腕が骨折しても自分では点を取ることに夢中で気が付かなかったそうです。その数年後にはドアに小指をはさんで骨折して手術、しかしギブスのおかげで小指が長くなって、かつ小指と薬指の腱が切れて指が開くようになったという強運エピソードが語られました。音楽の道に進んだきっかけは小6と中1の2回、プロオケを生で指揮する機会があり、一振りしてオケの音が出たその快感が忘れられず、指揮者になろうと思ったとのことでした。続いて反田さんのピアノで、ショパンのマズルカ作品7-1、ワルツ作品34-3(通称猫のワルツ)。反田さんは猫派で、猫のワルツをもっと広めたいと思って最近弾き始めているということでした。そしてピアノを持っていないという驚愕の事実も紹介されました。実家にはあるが、今住んでいる家には今までなくて、やっとそろそろ防音室が完成するそうです。このところピアノを置かなかった理由として、24時間弾ける環境になったらいつでも弾けるから後で練習しようと甘えてしまうのではと思って、まずは時間をお金で買ってみようということにして、主に学校やスタジオで約3年間練習したということで、そろそろ防音室を買ってもいいと思ったと。あと靴下を忘れてしまったときの大胆不敵なエピソードも(^^)。そういうトークの直後にはシューマン作曲、リスト編曲、「献呈」を演奏されました。質問コーナーでは今日は練習したくないなぁという日はあるかと問われた反田さん、そもそもピアノが大好きなのであんまり思ったことがないということでした。反田さんから、自分が小学生のときに、母と喧嘩して、母が読んでいた音楽雑誌の表紙を破いたら、ふかわさんの顔が出てきて、それで喧嘩がおさまった、そのときのふかわさんの顔写真をすごく覚えているというお話が出ました。続いて反田さんと真理さんの共演でラフマニノフのチェロソナタから第三楽章、これは真理さんのたっての希望での選曲ということでした、素晴らしい演奏に聴きほれました。BGM選手権。お題は菅原敏作、恋は水色。3枠採用。ぱーかすちょんさんの、ジョリベのフルートと弦楽合奏のための協奏曲は、けだるさ、苦さ、甘さ、いろいろなものが混ざり合った雰囲気が見事でした。ジャック天野さんの、シェーンベルグのグレの歌の冒頭、前奏曲は、陽の光を浴びて美しくきらきらと広がる風景が眼前に広がりました。無口なセールスマンさんの、シューマンの三つのロマンス作品28の第2曲、やさしさと追憶に心がきゅーっとなりました。常連の方々による、どれも溜め息の出る素晴らしい限りのBGMでした!ベストは、シューマンでした。 後半はソプラノの砂川涼子さんがご登場。ピアノの江澤隆行さんと、プッチーニの「ボエーム」から「私の名はミミ」を歌ったあと、お話を少し。沖縄県宮古島出身で、このホールでも時々歌われたそうです。 続いて日本語の歌を2曲、沼尻竜典作曲の歌劇「竹取物語」から「告別のアリア」、Miyabi(=竹内まりあ)作詞、松村崇継作曲「いのちの歌」。どちらの曲も素直な歌詞とメロディで、それを見事に生かした砂川さんの歌が、心に沁みました。沼尻さんの竹取物語は2014年1月の横浜での世界初演(演奏会形式)を見て、とても素敵な音楽でした。このオペラは今年夏にびわ湖と東京で再演されるので、是非また見たいと思います。僕が砂川さんを最初に聴いたのは、2014年のびわ湖でのコルンゴルトの死の都の初日のマリエッタ(マリー)で、圧倒的な存在感で強く印象づけられました。あとびわ湖でのマーラー8番の独唱者としても、実に素晴らしい歌唱で聴きほれました。本当に素晴らしいソプラノだと思います。砂川さんは、もともと音楽の先生を目指して音大に入ったが、歌がもっと上手になりたいと思って続けているうちにこの道に来たということでした。リスナーさんからのお手紙で、砂川さんと言えば何といってもボエームのミミが当たり役だが、ミミにしろヴィオレッタにしろ最後は病気で亡くなってしまうので、ボリュームある体形では説得力がなくなってしまう、一方でオペラである以上美しい声が必要で、そのためには大きな”楽器”が欠かせないと思う、どうやって美貌と美声と役作りを両立させているのか、という質問がありました。砂川さんは、体形は個人差があり、その人に一番あった健康的にいられる体が一番いいと思う、自分がベストでいられる体作りをすることが、声にも反映されると思う、と。続いて会場からの質問で、砂川さんにとっての沖縄はどのような存在で、沖縄の良さをどのように思うか、と。砂川さんは、宮古島で過ごした時間よりも東京の生活の方が長くなってしまったが、生まれ育った環境が自然の豊かなところで、きれいな海と、青い空と、おいしい食べ物と、温かい人たちと、そういう中で育ったことが大人になってから、すごく幸せな場所で育ったんだなと感じて、そういったすべてが演奏に反映されているんのではないかと思う、沖縄があるから自分の今がある、と。ふかわさんから沖縄料理で好きなのは?と問われて「宮古そば」と。その特徴はと聞かれて「麺がちょっと違う」、「スープもちょっと違う」と。砂川さんの歌でジーチンスキ「ウィーン我が夢の町」。砂川さんのお話によると、ふるさとを思う歌。私の故郷ってこんない素敵なところ、と。自分の故郷の沖縄を重ねて歌いたい、と。前半はドイツ語、後半は日本語で歌われました。 続いて沖縄県民謡「てぃんさぐぬ花」。砂川さんによると、ホウセンカの花は、爪先を綺麗に染めても、親の教えは心に置いておきなさいという、親の教えの大切さを歌う歌だ、と。加藤昌則さんの編曲で、真理さんが、チェロをピチカートで弾いて三線風の音を出していました。チェロを横に構えて雰囲気も三線風に弾いていたそうです。曲の最後には砂川さんがキンコンカンコンと鐘(アンティークシンバルというそうです)で加わって、楽しい編曲でした。 最後は反田恭平さんが再登場、ピアノも声楽も同じに体が資本で、ずっとボクシングを趣味でやっている、ロシアでグローブがなかったので素手でやっていた、中国では良くピアノのために骨を砕いて強くするみたいな話も聞いていたので僕もやってみようと思って云々、と骨のある話(^^;)をされていました。 最後は森山良子作詞、BEGIN作曲、加藤昌則編曲「涙そうそう」。特別出演のふかわさんは、鍵盤ハーモニカ、打楽器(アンティークシンバル)、波のご担当。郷愁を誘う鍵盤ハーモニカ、真理さんの絶妙な合いの手、砂川さんの心温まる声、反田さんのきらりとしたピアノ。素晴らしかった!終わってふかわさんがひとこと、「波にはなりきれなかった」。そのフォロー?で反田さん「本番が一番良かったです」。確かに、並みの波ではなかったような(^^)。真理さんが最後にふかわさんに「素晴らしい演奏と、きれきれのトーク」とおっしゃっていました。今録音でこれを聞くとなんかじーんとしちゃいます。
2020.03.08
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今回のギルバートの6番演奏を聴いたのを機会に、ハンマー3回についていろいろと調べてみました。この記事はその3(最終回)として、今回のギルバートの3回ハンマーについて書きます。1 ギルバートの3回ハンマーの背景:二つの系譜?さて、ギルバートが3回叩かせたのはどのような背景から出てきているのか、これを想像するとちょっと面白いです。やはり3回ハンマーを実行している佐渡さんと違って、ギルバートはバーンスタインの直接の弟子ではありませんが、ニューヨクフィルの音楽監督だったし、ご両親ともニューヨークフィルのヴァイオリニストですから、バーンスタインの影響が間接的にでもあることは想像できます。ギルバートが生まれたのが1967年2月。バーンスタインがニューヨークフィルで6番を演奏・録音したのが同じ年の4~5月です。この演奏・録音に、ギルバートのお父さんは参加したのでしょうか。お母さんは産休中だったのでしょうか(^^)。そしてその前にミトロプーロスがいたわけですね。ミトロプーロス(1896-1960)は、1949年にニューヨークフィルの常任指揮者となり、1951年 から1957年まで音楽監督となりました。バーンスタイン(1918-1990)は、ミトロプーロスを引き継ぐ形で、1957年からニューヨークフィル首席指揮者に、1958年から1969年まで音楽監督を務めます。ウィキペディアによればバーンスタインは、ミトロプーロスの影響でマーラーの交響曲に興味を寄せ、マーラー作品を指揮するにあたってミトロプーロスに力づけられた、ということです。バーンスタインが、ミトロプーロスの6番演奏、特に1955年の演奏(3回ハンマー)を聴いた可能性は高いと思うし、ミトロプーロスがバーンスタインに少なからず影響を及ぼしていると考えるのは自然だと思います。すなわちミトロプーロス→バーンスタイン→ギルバートというニューヨーク・フィル音楽監督の系譜の可能性がひとつあります。それから、もう一つの系譜の可能性があります。アラン・ギルバート(1967-)の英語版Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Gilbert_(conductor)によると、ギルバートは1994年にゲオルグ・ショルティ賞というものを獲得し、ショルティの1週間のプライベートチュータリングを受けたということです。ですのでショルティとのつながりもあるということで、もしかしたらショルティの影響を受けて、ショルティ→ギルバートという系譜も考えられます。あくまで単なる想像(妄想)です(^^)。ところでギルバートはニューヨークフィルでマーラー6番を2回振っています。1回目は「Focus on Mahler」と題された2010年9月29日30日、10月1日の演奏会です。2回目は2012年5月2日です。どちらも第2楽章アンダンテ。それらのプログラム冊子もニューヨークフィルのデジタルアーカイブで見ることができます。2010年のプログラム冊子に、ギルバートが「Alan Gilbert on This Program」という文章を寄せていました。文章の最後に、楽章順とハンマーの回数によって物語が違ってくる、これらの選択はともにこの曲の究極的メッセージを決めるうえで非常に強い効果を持ちうる、と書いてありました。でもギルバートが第二楽章アンダンテとハンマー3回を選択した具体的な理由については、何も書いてありませんでした。その部分の原文を引用しておきます。I have heard very convincing performances of this piece with the inner movements inboth orders, and with two or three hammer blows. But the decisions made on bothpoints lead to different narratives: these are interpretive choices that canhave an extremely powerful effect in determining the ultimate message of thismasterpiece.(ニューヨークフィル2010年9月29日、30日、10月1日のプログラム冊子より、「Alan Gilbert on this program」の最後の部分。ニューヨークフィルデジタルアーカイブ)2 今回のギルバート&都響の使用楽譜:改訂版に3回目のハンマーを追加さて今回の都響との演奏でのハンマー3回は、バーンスタインやショルティと同じように、改訂版(全集版)にハンマーを追加したのでしょうか、それとも初期版(第1版、第2版)を使ったのでしょうか。僕は初日の演奏会では3回目のハンマーに目がいってしまっただけで、他の楽器をみていませんでした。そもそもこの箇所の他の楽器のオーケストレーションの違いを理解していませんでした。そこで二日目の演奏会を迎える前に、金子氏の本を読み直し、スコアも眺めたりして、その1その2の記事に書いたようなことを整理しました。そのようにして準備を整え(^^)、二日目の演奏会に臨みました。二日目にしっかり視認したところ、3回目のハンマーのところで、先行するチェレスタが入っていて、テューバとトロンボーンは参加せず、ティンパニは一人でした。ギルバートは改訂版に単にハンマーを追加した(=バーンスタインやショルティと同じ)ということが確認できました。3 ギルバートの3回ハンマーについての個人的感想6番の楽章順については、個人的には第三楽章アンダンテを好みます。でも、それはそれとして、第二楽章アンダンテであっても、第三楽章アンダンテであっても、良い演奏は良いし、そうでない演奏はそうでない。当たり前ですけど、これまで聴いたいろいろな演奏から、そう思います。ハンマーについても同じと思います。当たり前ですが、ハンマーが2回でも3回でも、良い演奏は良いし、そうでない演奏はそうでない。このことに尽きると思います。そもそもCDで聴くと、ハンマーが2回か3回かは僕には良くわかりません。しかしそれと対照的に、演奏会で聴くと視覚的効果が非常に大きいです。金子氏がそのあたりのことを的確に指摘しています。以下に引用すると、”むしろ、音だけでこの作品を語る場合、ハンマーの数を云々すること自体が無意味に思えるほどだ。 逆に実演だと、視覚的にハンマーが目立ち過ぎ、興味本位な方向に走りかねないのが問題となる。”金子健志著「こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲」(1994年 音楽之友社、176ページ)視覚的効果を逆手にとったと言う意味では、2012年の佐渡&日フィルの演奏が、打楽器奏者のパフォーマンスを含めて、印象に残るハンマーでした。当時の自分には好印象でしたが、嫌う方もいただろうと思います。個人的な好みで言えば、マーラーが3回目のハンマーを削除するとともに、他のオーケストレーションもいろいろと変更しているのですから、そこにハンマーだけ追加するのは、ちょっと変な感じがします。しかしそうは言っても、他ならぬバーンスタインがやっていることですし、3回ハンマーの「重み」もわかります。バーンスタインの演奏を、視覚的情報を抜きにして音としてCDで聴いても、この部分の演奏に説得力があるのは、単にハンマーの回数ということを越えて、バーンスタインの情念の強さから来る説得力だと思います。そういう点からすると、今回のギルバートの演奏は、前の記事にも書いたように、個人的には第一・第二楽章のやさしさ温かさに大きな魅力を感じた一方で、第四楽章は、どちらかといえば形の整ったすぐれた演奏と感じたものの、闘争を凄絶に描き切った第四楽章という感じは受けませんでした。このような演奏で3回目のハンマーを追加することは、全体の方向性とはあまりマッチしないように感じました。もっとも、ギルバートが真に目指す6番演奏というか、3回ハンマーを必要とする内的拠点は、今回僕がわからなかったもっと深いところにあるのだろうと思います。さきほど二つの系譜の可能性を書きましたが、ニューヨークフィル音楽監督の系譜の可能性とはいっても、バーンスタイン以後7人いる音楽監督のうち他に3回ハンマーの指揮者はいなさそうだし、ショルティの系譜の可能性と言っても、他にもショルティから影響を受けた指揮者は大勢いることでしょう。ギルバートが第二楽章アンダンテの楽章順とともに3回ハンマーを選んだ内的必然性は、彼自身が言葉で語らずとも、わかる人にはわかるだろうし、わからない人にはわからないのだろうと思います。今後彼のマーラー演奏を聴いていくと、僕にもわかってくるのかもしれません。
2019.12.30
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今回のギルバートの6番演奏を聴いたのを機会に、ハンマー3回についていろいろと調べてみました。この記事はその2として、これまでハンマー3回を実践した指揮者たちについて書きます。その1の記事に書いたように、ハンマーを3回叩かせる場合、楽譜は「改訂版」を使用して3回目のハンマーだけ追加する場合と、「初期版」を使用する場合の二つがあり得ることになります。3回ハンマーは、これまでに誰が、どんな風にやっているのでしょうか。1 バーンスタイン:改訂版の楽譜に3回目のハンマーを追加 まずは何といってもバーンスタインですね。バーンスタインのDVD(1976年ウィーンフィル)では、ハンマーを3回叩いている映像がはっきり写っています。 ではCD(1967年ニューヨークフィル、1988年ウィーンフィル)ではどうなのでしょうか。やはり3回なのでしょうか。音で聴くだけでは良くわかりません。そこでニューヨークフィルの公式サイトを見てみました。デジタルアーカイブhttps://archives.nyphil.org/で演奏会記録を見ることができます。それによると、バーンスタインがマーラー6番を振ったのは1回だけで、1967年4月27日、28日、29日です。CBSによる録音はこの演奏会の直後、5月2日と6日に行われています。このアーカイブでは、バーンスタインの手書きの書き込みがあるスコアも見ることができます!確認したところ、楽譜は改訂版(1963年のマーラー協会の全集版)で、当該箇所(第783小節)を見ると、印刷されていない3回目のハンマーを、赤鉛筆でHAMMER (3!) fff と追加で書き込みしています。したがってニューヨークフィルとの録音でも3回打ったことはまず間違いないと思います。下が当該箇所のバーンスタインの書き込みです。 (ニューヨークフィル デジタルアーカイブより)なお、ここの前後の他のパート(チューバ、トロンボーン、ティンパニ、チェレスタ)には特に何の書き込みもされてなくて、ハンマーだけを追加していることがわかります。ついでに、この音量指定のfffというのもちょっと注目です。音量指定は、初期版でも改訂版でも同じで、1回目のハンマーがfff、2回目がffです。初期版の3回目がffです。バーンスタインが3回目を敢えてfffとして書きこんだところに、バーンスタインの思い入れの強さが現れていると思います(^^)。他のパートに手を加えていないことと合わせて、初期版への回帰ではなく、独自の思い入れでのハンマー追加ということがわかります。 晩年(1988年)のウィーンフィルとの録音でもおそらく3回であろうと想像しますが、レコードの英文解説には何も記載がなく、僕の知る範囲では確実なことはわかりません。2 ミトロプーロス:第3版(ハンマー2回)から第2版(ハンマー3回)へ変更、さらに第3版に回帰、ハンマーは? 3回ハンマーをネットで検索したところ、ミトロプーロスが3回打っているらしいということがわかりました。そこでニューヨークフィルの演奏会アーカイブを見てみたところ、ミトロプーロスがニューヨークフィルで6番を振ったのは2回ありました。 最初は、1947年12月11日(木)、12日(金)、13日(土)。これがアメリカ初演だそうです。楽章順は第二楽章アンダンテです。コンサートのプログラムも見ることができ、ハンマーは2回と明記されていました。使用楽譜は明記されていませんが、この当時はまだマーラー協会の全集版は出ていないので、3回目のハンマーがなくて、第二楽章アンダンテであれば、第3版のはずです。なお、このときのプログラムは11日と12日は、最初にマーラー6番、休憩を挟んでガーシュウィンのピアノ協奏曲(ピアノはオスカー・レバント)でした。13日は学生のためのポピュラーコンサートと銘打たれていて、最初にベートーヴェンのコリオラン序曲、ついでヘンデル作曲カサドシュ編曲のヴィオラ協奏曲、休憩のあとマーラー6番でした。 2回目は1955年4月7日(木)、8日(金)、10日(日)です。これがアメリカにおける2回目の演奏だそうです。ミトロプーロスの初演以後、アメリカでは他の指揮者は誰もとりあげていなくて、ひとりミトロプーロスだけが振っていたわけですね。楽章順は前回と同じく第二楽章アンダンテ。しかしプログラムを見ると、今度はハンマーが3回と明記されています。ニューヨークフィルのデジタルアーカイブで、ミトロプーロスが書き込みしたスコアも見ることができます。見てみると、第2楽章がアンダンテです。そして終楽章の当該箇所(第783小節)には最初から3回目のハンマーが印刷されています。そのハンマーの音符にミトロプーロスが青鉛筆で丸く印をつけてありました。第二楽章がアンダンテで、3回目のハンマーが打たれていて、その前後のオーケストレーションはチューバ、トロンボーンがあり、ティンパニは二人、ハンマーに先行するチェレスタはありません。この当時もまだマーラー協会の全集版は出ていないので、使用楽譜は第2版で決まりです。(アーカイブにもそう明記されていました。)下が当該箇所のミトロプーロスの書き込みです。(ニューヨークフィル デジタルアーカイブより) なおこの1955年のときの演奏会のプログラムは、7日と8日は最初にモートン・グールドの「管弦楽のためのショーピース」という作品で、休憩をとらずに続けてマーラー6番の第一楽章と第二楽章を演奏し、そこで休憩をとり、その後に第三楽章と第四楽章を演奏しています。変わっていますね。これに対し10日日曜日はお昼14時30分からのコンサートでプログラムが異なっていて、最初にウエーバーの魔弾の射手序曲で、休憩なしにマーラー6番を演奏しています。実はこの10日の演奏会は、ラジオで放送されるための演奏会でした。 ニューヨークフィルの自主制作CDで、放送録音によるマーラーの交響曲全集「The Mahler Broadcasts」が出ています。1番から9番までと、10番の第一・第三楽章の、いろいろな指揮者による1948年から1982年までの演奏が収められた12枚組の全集です。このうち6番が、この1955年4月10日のミトロプーロスの演奏会です。実際にこのCDを聴いてみると、3回目のハンマー(第783小節)があるのかないのかは良く聴きとれませんが、そのあとのティンパニ(第783~785小節)が、二人で打っていて、その打音のタイミングが微妙にばらけていることが聴きとれます。それで、ここを二人のティンパニ奏者で打っていることがわかります。したがって第3版にハンマーを足したのではなく、第2版を演奏したのだということが耳からも確かめられます。 ところで、このCDの6番解説に書かれているエピソードがすごく面白いです。そもそも1947年のアメリカ初演のときも、12月14日日曜日に90分のラジオ番組で放送するための演奏会があり、それでガーシュウィンのピアノ協奏曲が放送される予定だったそうです。ミトロプーロスは、是非マーラー6番をラジオ放送したいと思いますが、2曲だと90分に収まらないので、ガーシュインの協奏曲を撤回してもらいたいと考えます。そこで彼は、オーケストラのマネージャーに、ガーシュインを弾く予定のピアニストに10日の演奏を辞退するように説得してくれないか、と懇願する手紙を出します。その手紙のコピーと、それが断られてがっかりしたという手紙のコピー付きで、そのことが紹介されています。そして1955年のラジオ放送については、今回はミトロプーロスが満を持して、マーラー6番がラジオ放送の枠内に収まるように、1曲目のウエーバーと休憩なしで6番を演奏したということです。ミトロプーロスが如何に強くアメリカの人々にこの曲を広めたいと熱望していたかが現れているエピソードです。 それほどまでに6番に強い思い入れのあったミトロプーロスが、前回1947年では第3版を使用してハンマー2回だったのが、その8年後には第2版を使用してハンマー3回にした。ミトロプーロスが何故このように方針を変えたのかはわかりません。何かそのあたりの発言でも残っていたら知りたいものです。なおミトロプーロスのマーラー6番の録音が何種類あるのかは知りませんが、この1955年4月10日のラジオ放送録音の他に、ケルン西ドイツ放響とのライブ(1959年8月31日)があります。僕もこのCDを持っていますが、3回目のハンマーがあるのかどうかは聴いても良く判別できません。ただし使用楽譜については手がかりがあります。3回目のハンマーの少し前の頂点、第773小節の3拍目です。ここは改訂版では、他の多くの楽器が沈黙を守る中、チェレスタだけがffで和音を打ちます。(低音楽器はこの小節の1拍目から全音符を持続させていますが、3拍目に新たに発音するのはチェレスタだけです。)金子健志氏が、上記した千葉フィルの解説ページで、このチェレスタの和音がピカッと光るように出ることにより、ハンマーとは異次元の凄い効果を発揮していて、聖書のソドムとゴモラの閃光のようだ、と熱く語っておられます。このチェレスタは、初期版では入っていません。それで、ここのチェレスタの和音が聴こえれば改訂版ということがわかるわけです。ミトロプーロスのケルン西ドイツ放響とのライブでは、このチェレスタがはっきり聴こえてきました!したがって楽譜は第3版と考えられます。ここまでミトロプーロスをまとめると、以下の変遷をたどっていると思われます。 1947年 第3版、ハンマー2回 1955年 第2版、ハンマー3回 1959年 第3版、ハンマー不明 3 ショルティ:改訂版の楽譜に3回目のハンマーを追加 あとショルティも、金子氏の著書「こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲」によると、改訂版(全集版)の楽譜を用いて3回叩いているということです。しかしこれとは別に、ショルティは第1版(1906年カートン社)の楽譜で演奏しているという意見もあるようです。どっちなのでしょうか。手持ちのショルティ&シカゴ響のCDは廉価版の全集で、解説書にはそれについては何も書いてありませんでした。それでともかくCD(1970年録音、Decca)を聴いてみました。チューバやトロンボーンの有無、ティンパニが二人か一人かというのは、なかなかわかりにくいです。(二人のティンパニの打音のタイミングが上記のミトロプーロス1955年盤のようにばらけていれば二人だとわかりますが、ピシッとそろっているので一人なのか二人なのかわからないです。そこで一番わかるのは、やはりチェレスタの有無です。この3回目のハンマーの直前、第782小節4拍目からのチェレスタのグリッサンド風7連符と、それから先ほどミトロプーロスの1957年の演奏のところで書いた、その少し前の頂点、第773小節の3拍目のチェレスタの和音です。これらが入っていれば改訂版です。聴いてみると、第782小節には、チェレスタと思われる音がかなり明瞭に入っています。それから第773小節の方は、かすかな音ですが、3拍目に何かが(^^)はいっています。もしも初期版であれば、この小節の第3拍目には何も音がしないはずです。ですのでショルティは、このチェレスタで判断する限り、金子氏の仰るように改訂版(全集版)にハンマーだけ追加して打っている、と思われます。 4 ザンダー:初期版、改訂版の両方を録音 列伝というにはちょっと趣向が異なりますが、ザンダーのことも書いておきます。ザンダー指揮フィルハーモニア管のCD(2001年録音、テラーク)は変わり種というか親切というか、終楽章を、「初版」と「改訂版」による2種類の演奏で収録しています。リスナーは両者を聴いて比較できるので資料的価値が高いし、聴くときに好きな方を選べるというメリット?もあるわけです(^^)。録音もテラークなので鮮明です。楽譜を見ながら「初版」「改訂版」それぞれの音を聴いて確かめるにはもってこいのCDで、確かに、いろいろな発見があります。 しかし・・・・・これには楽譜と一部矛盾があることを、今回聴いて発見してしまいました。先ほどから書いているチェレスタです。初期版と改訂版のチェレスタをもう一度まとめておくと、 初期版:第773小節の3拍目のチェレスタの和音 なし 第782小節の4拍目(3回目のハンマーの直前)からのチェレスタの7連符 なし 改訂版:前者 あり 後者 あり となります。しかしこのザンダーのCDでは、 「初 版」:第773小節の3拍目のチェレスタの和音 なし 第782小節の4拍目(3回目のハンマーの直前)からのチェレスタの7連符 あり 「改訂版」:前者 あり 後者 あり となっているのです。第782小節の4拍目(3回目のハンマーの直前)からのチェレスタの7連符が、「初版(original version)」と「改訂版(revised version)」のどちらでも、非常に明瞭に聴きとれるのです!通常の初期版には入っていないはずです。 これは変です。ここのチェレスタが入っている初期版も存在するのだろうか、との疑念がよぎります。残念なことにこのCDの解説書は楽譜についてはまったく記載がなく、単に「初版(original version)」と書いてあるだけで、実際にどの楽譜を使っているのかは言及がありません。 何だか良くわからなくなってしまいました。。。 5 その他の指揮者 ○佐渡裕:兵庫芸術文化センター管弦楽団との演奏会でハンマー3回だったということです。僕は日本フィルとの2012年の演奏会で、ハンマーを3回打ったのを直接目撃しました。この当時は僕はそれほどハンマーにこだわっていなかったので、漫然と見ていて、使用楽譜は不明です。佐渡さんは師匠バーンスタインの強い影響でしょうから、おそらく改訂版にハンマーだけ追加したのではないかと想像します。 ○パーヴォ・ヤルヴィ:フランクフルト放響との演奏(2013年6月録音、C-Major、DVD):が発売されています。このDVDは保有していませんので、映像で確認していません。このDVDの宣伝のインタビュー記事で、ハンマーについてヤルヴィが、「私は2回、最近になって3回使うようになりました」とコメントしています。その後、2017年にN響と演奏した時は、僕も聴きに行きました。ハンマーは特に覚えていませんが、普通に2回だったと思います。そうなると、2回→3回→2回と変遷しているのでしょうか? ○井上道義:1990年の新日フィルとの演奏で3回叩いていたとどなたかがブログで書いていらっしゃいました。僕もこの演奏会は聴きに行きました。アンダンテ楽章第154小節からのカウベルが素晴らしかったです。音の響きとして素晴らしいというのではなく、あたかも井上道義自身がカウベルの中心の棒になって、ホール全体がカウベルになって鳴り響いているようなものとして体験するという、稀有な感動をしたことを今もまざまざと覚えています。しかしハンマーについては全然覚えていません^_^。この演奏はCDにもなっていますが、解説書にはハンマーのことは何も記載されていません。 他の指揮者にもいるかもしれませんが、今回ちょっとネットで検索した範囲では、3回ハンマーの指揮者はこのくらいでした。他にご存じの方いらしたら教えていただけるとありがたいです。 以上3回ハンマーの指揮者を見てきました。次の記事に、今回のギルバートの3回ハンマーがどうだったのか、その背景はどうなのかについて、書きたいと思います。
2019.12.30
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今回のギルバートの6番演奏を聴いたのを機会に、ハンマー3回についていろいろと調べてみました。この記事はその1として、楽譜による違いをまとめてみました。 ハンマーの回数変遷(なし→5回→3回→2回)の経緯や、ハンマーの持つ意味などに関しては、金子健志氏の論考 「こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲」(音楽之友社 1994年)が非常に詳しく、最重要文献です。 今回久しぶりに読み返してみて、以前は良くわからなかったところもいろいろと腑に落ちました。 この本は残念ながら現在絶版ということですが、ご興味ある方は是非一読をお勧めします。なお、金子健志氏が音楽監督を務めるアマオケ、千葉フィルハーモニー管弦楽団のホームページにも金子氏の6番楽曲解説が載っていました。こちらもハンマーのことがわかりやすく詳しく書かれていて、大変参考になります。 https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/mahler-symphony-6-commentary/page-6 ハンマーの意味をどう捉えるかとか、非常に興味深いのですが、今回はそういうことには触れず、素朴に回数のことだけに限定して書きます。 金子氏による歴史的経緯の解説(上掲書、1994年)と、その後の新たな更訂を経時的に並べると、ハンマーの回数は以下のようになります。 ○マーラーの生前 第1版(1906年3~4月頃 カーント社):3回 マーラーの指揮による初演(1906年5月27日):2回? 第2版(1906年6月頃カーント社):3回 第3版(1906年カーント社):2回 マーラー自身の指揮によるもう2回の演奏(1906年11月、1907年1月):2回? ○その後の校訂 第3版をもとにラッツが校訂した国際マーラー協会の全集版(1963年カーント社):2回 第1版をもとにレトリヒが校訂した版(1968年オイレンブルク社):3回 フュッセル&クビークが新たに校訂した国際マーラー協会の全集版(1998年ペータース社):2回 まとめると、ハンマーが3回なのは、第1版と、そのレトリヒ校訂版(オイレンブルク社)と、第2版です。金子氏によれば、マーラーは第1版完成後に、初演に向けていろいろ練習を重ねていく過程で楽譜にさまざまな修正を加え、中間楽章の順番を変えて(アンダンテ楽章を第三楽章から第二楽章にして)、ハンマーもおそらく3回から2回に削除して初演したのであろう、ということです。しかしマーラーの初演直後に出た第2版は、まださまざまな修正を反映する時間的余裕がなくて、中間楽章の順順を入れ替えた(第二楽章アンダンテにした)だけで出版され、それ以外の内容は第1版とまったく同じだそうです。続く第3版は、マーラーのさまざまな修正を反映していて、ハンマーが2回になりました。後世の第3版の校訂(国際マーラー協会の全集版)でも、ハンマーは2回です。 これ以後便宜的に、ハンマー3回である第1版、そのレトリヒ校訂版(オイレンブルグ社)、および第2版をまとめて「初期版」と呼ぶことにします。ハンマーが2回である第3版、および第3版を校訂した国際マーラー協会の全集版を「改訂版」と呼ぶことにします。 ハンマーの位置は、初期版では①第336小節、②第479小節、③第783小節です。この3回目の打撃は、楽章のもう本当に最後近くで打たれます。以前の記事(上岡&新日フィルのマーラー6番を聴く その2)で書いたように、終楽章に3回出てくる「拡大モットー」の3回目、この曲の最後のモットーとして登場する箇所です。改訂版はこの3回目のハンマーが削除されているわけですね。 なお金子氏の本には、この3回目のハンマーの前後数小節について、初期版(オイレンブルグ社)と改訂版(ラッツ校訂による国際マーラー協会の全集版)の両者が掲載されていて、詳しく説明されています。改訂版は、ハンマーが削除されているだけでなく、チューバとトロンボーンが削除され、ティンパニが二人から一人へと減らされるなど、音量が減る方向に改変されています。改訂版ではさらに、削除されたハンマーの1小節前(第782小節)の4拍目、ハープのグリッサンドの途中から、チェレスタのグリッサンド風の7連符が追加されています。 僕が持っているのは音楽之友社から出ているポケットスコア(OGT 95)で、これはラッツ校訂の1963年国際マーラー協会全集版です。あと、うれしいことにネットで、第2版(カーント社)と1963年全集版の両方を、パブリックドメインのスコアとして見ることができます。3回目のハンマーの前後数小節を見たところ、第2版とオイレンブルク社のスコア(金子氏が本で図示しているもの)とは同じであることが確認できました。 さて、ここからが面白いところです。ハンマーを3回叩かせる場合、楽譜は「改訂版」を使用して3回目のハンマーだけ追加する場合と、「初期版」を使用する場合の二つがあり得ることになります。3回ハンマーは、これまでに誰が、どんなふうにやっているのか、ちょっと調べてみました。以下、次の記事に書きます。金子健志氏著「こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲」(音楽之友社 1994年)
2019.12.30
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ギルバート&都響のマーラー6番を聴きました。 指揮:アラン・ギルバート 管弦楽:東京都交響楽団 12月14日、16日 サントリーホール 会場に着き、いつもは演奏前にプログラムを読まないのですが、今日は楽章順だけ知っておこうとパラパラと見ていたところ、本日は第二楽章アンダンテということです。そして、ハンマーを3回叩くと書いてありました。これまで僕がハンマー3回の演奏に接したのは、2012年の佐渡&日フィルだけです。さて今回はどんな風になるのでしょうか。 弦は下手から第1Vn,第2Vn,Vc,Va,Cbの通常配置。ホルンは下手側。ステージ後方の上手側から下手方向に順にハープ2台、チェレスタ1台、ティンパニ2セット、大太鼓、メインのシンバル・ドラ・小太鼓、木琴・鉄琴・サブのシンバルが置かれ、一番下手側に木の箱とハンマーがありました。カウベルは吊り下げ方式ではなく、通常の手振り方式で、シンバルや小太鼓・木琴・鉄琴あたりに3人用に計5個置いてありました。さて第一楽章が始まりました。第一主題部が終わって、いわゆるモットー(ダン、ダン、ダダンダンダンのリズムの上に長調→短調の和音が鳴らされる)が登場したあと、それに引き続く練習番号7の前半(第61小節~)、木管の和音が移ろっていくところで、ギルバートはスコアのpppの指定をオケに徹底し、かなりの弱音に抑えて、後半(第67小節あたりから)では自然に膨らませて歌わせました。そして続く第二主題(アルマの主題)を、テンポをやや落として優しく温かく演奏しました。このあたりの丁寧な音楽作り、美しく、良かったです。やがて展開部の中ほど、舞台裏のカウベル(練習番号21と24)は、普通に舞台下手側のドアをあけてその外で鳴らされましたが、その鳴らせ方がとても繊細で、いい音でした。初日の自分の席からは舞台裏でどう鳴らしているかは見えなかったのですが、もしかしたら吊り下げ方式でマレットでそっと叩いているのかなと思うくらいに、小さいが良く通る、澄んだ響きでした。(2日目は舞台裏のカウベルがたまたま良く見える席で、手振りで鳴らしていることをしっかり視認できました。)さらに良かったのが、カウベルが2回出てくるその間に挟まれた牧歌的な楽節(練習番号22〜23)を、テンポを大きく落として丁寧にじっくり歌わせていたのが、素晴らしかったです。そして曲は進み、第二主題の再現が、テンポを落としてじっくり優しく歌い込まれ、良かったです。 第一楽章が終り、ギルバートは汗を拭くなどしばしの間合いをとったあと、第二楽章アンダンテが開始されました。中庸のテンポですが、程よいアゴーギクがあり、やさしく歌われていきます。やがて練習番号53から舞台上の最初のカウベルです。先ほど書いたように普通の手振り方式で、舞台下手の打楽器奏者、ここでは2人が鳴らし始めました。この音が、第一楽章同様かなり繊細な、粒立ちがいい素敵な音で、聴いていてとても心地よいです。手振り方式でここまで繊細な響きを出させるとは、ギルバートの相当なこだわりがあるのだろうと推測します。そしてそのあと、カウベルが止んでからのテンポが次第に遅くなって行き、練習番号55から、スコアの a tempo の指示に反して、非常に遅くなりました!ギルバート畏るべし。ここをスローテンポでじっくりと歩むことで、続くミステリオーソを迎える心的準備ができると言うか、期待感が非常に高まってきます。そのように雰囲気だてが十分に整ったなかで、いよいよ練習番号56、ミステリオーソです。全曲中でもっとも深く澄み切った心境というか、マーラーの魂が憧憬してやまない安寧というか、そういうものがここに在るように僕は感じます。終楽章と対極に位置するという意味で、この曲の中核部分と言ってもいいのでは、と思っています。ここをギルバートは、とてもやさしく、とても大事に、壊れないようにそっと守るように奏でてくれました。聴きごたえがありました。そのあと、オーボエからクラリネットに引き継がれる悲しみを帯びた歌が、一転フォルテとなり昂揚していき、カウベルが大きく鳴らされ、ヴァイオリンを中心に高々と歌いあげられる、この楽章最大の盛り上がりの箇所です。(練習番号59から62の最初の数小節までのところです。)このあたりのテンポ取りは、指揮者によって大きく異なるところですね。ここでのテンポ関連のマーラーの指示を見ると、まず練習番号59の最初付近にEtwas zurückhaltend(少し引き留めて)と、その先にリタルダンドがありますが、それに引き続きカウベルが盛大に鳴り始める第154小節で a tempo となった以後は、その後のわずか30数小節の間に、Etwas drängend (少し急き込んで)が2回、Nicht Schleppen (引きずらないで)が3回も出てきます。マーラーはここの盛り上がりを、足取りを緩めず、張り詰めたテンションのまま一気呵成に演奏するという意向を相当強く持っていたのだと思います。その指定通りに、ここはテンポを若干速める演奏が多く、逆にテンポを落とすのは少数派です。ギルバートはここでテンポを落とし、腰をじっくりと据えて、かつ少しずつ遅くなっていくような感じで、大事に歌っていきました。自分としては非常に好きなやり方です。(2009年のレック&東響が、同じ方向性の演奏で素晴らしかったことを思いだします。)なお、第154小節からのカウベルは、3人5個と言う比較的コンパクトな規模でしたが、存在感のある、いい響きでした。そしてアンダンテ楽章は静まっていき、最後にチェレスタ、ハープ、低弦のピチカートが、終わってしまう楽章、終わってしまう平安な世界を慈しむように順次響き、静寂の中に消えていきました。素晴らしいアンダンテ楽章でした。第二楽章が終わり、汗を拭いたりして十分な間合いをとったあと、ギルバートは第三楽章を始めました。その後第三楽章が終わると、ギルバートは、タクトは一度降ろしたものの、あまり間合いをとらず、緊張感をゆるめず、すぐに第四楽章を開始しました。第三楽章、第四楽章ともに中庸のテンポでした。第一楽章、第二楽章のような、良い意味での驚きのテンポ設定箇所はありませんでしたが、変にあざといところが全くなく、誠実な、安心して音楽に浸れる演奏でした。初日、二日目とも、最後の音が消えた後、ギルバートがタクトをゆっくりと下げていって降ろしきるまでは完全な静寂が保たれました。なお第四楽章の鐘とカウベルは、第一楽章と同じように舞台下手のドアをあけ、その裏で叩いていました。鐘は板の鐘で、これもカウベルと同じように繊細な、良い音で響きました。それからハンマーの音は、初日の1回目と2回目のハンマーは、いずれもオケの他の楽器よりも一瞬早く打撃されたので、その音が良く聴こえましたが、音色としては普通の音というか、それほど重くない音でした。3回目のハンマーは結構目立っていました。ハンマー3回については、別記事に少し書こうと思います。さすがに都響は充実したパフォーマンスを繰り広げてくれました。特に、コントラバス、チューバ、第一ティンパニなどの気合の入った演奏が素晴らしかったです。1番トランペットは初日はノリが今一つでしたが、二日目は冒頭から切れのある音で、きっちり気持ちよく聴かせてくれました。・・・自分としては今回のマーラー6番は、特に前半の二つの楽章が、基本テンポは中庸ながらも、重要部分でテンポが落とされ、やさしく温かく大事に歌われたことに、大きな感銘を受けました。またカウベルなどの響きが繊細で美しく、素晴らしいと思いました。6番でやさしく温かくて良かったなどと言うと、何それ?と思われるかもしれませんが、僕にとってはそのようなところに強く共感を覚えた演奏でした。あと第三・第四楽章も含めて言えば、大見得を切るようなことはなく、あざとくない、しかしやるべきことは適度にやっているという、誠実なマーラーで、好印象を持ちました。ギルバートのマーラー、また聴いてみたいです。ギルバートのマーラーは、2009年のニューヨクフィルとの来日のとき、最初は3番が予定されていましたが、1番に変更になりがっかりしたことを覚えています。その後日本では、都響との5番(2016年)、1番(2018年)、NDRエルプフィルとの10番アダージョ(2018年)が演奏されています。これらはいずれも聴かないでスルーしてきましたが、今後は聴いてみたいと思います。いずれ3番もやっていただくことを心待ちにいたします。
2019.12.19
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井上道義と読響のマーラー3番を聴きました。以下、長い駄文になってしまいましたが、もしも読んでいただけたらありがたいです。指揮:井上道義 管弦楽:読売日本交響楽団 女声合唱:首都圏音楽大学合同コーラス(合唱指導:池田香織)児童合唱:TOKYO FM少年合唱団アルト:池田香織 12月3日 東京芸術劇場 井上道義さんのマーラー3番を最初に聴いたのは、丁度20年前、1999年12月のすみだトリフォニーでの新日フィルとの演奏でした。次に聴いたのが、丁度10年前、2009年11月の金沢と富山での、OEK(オーケストラアンサンブル金沢)と新日フィルの合同オケでの演奏でした。井上道義さんは10年毎に3番をやることにしているのでしょうか。今度の3番はどのような演奏になるのでしょうか。A 演奏前のことホールに入ってまず気になるチューブラーベルの位置を探すと、舞台上の打楽器用の雛壇の上に、他の打楽器と一緒にごく普通に乗っていて、全然高くありません。それからステージの奥には雛壇上に4列の椅子が置いてあり、合唱団用のスペースと思われます。このホールはステージの後方高いところにパイプオルガンがあります。もしもマーラーの指定通りに児童合唱とベルを高く配置しようとするなら、このオルガンスペースを利用するのがもっとも簡単な方法です。しかしそのオルガンスペースは、今日はオルガン全体を覆う巨大な白い蓋で完全に閉鎖されていました。ここは使わないで、ベルは舞台上にある。とすれば、全合唱団が舞台上なのでしょうか?もっとも、過去にはホール空間を立体的・個性的に活用した合唱団配置の3番演奏を実践している井上さん(記事最後のおまけをご参照ください)ですので、今日も何かユニークな配置が準備されているのかもしれません。打楽器は、ティンパニー2セットは舞台の上手寄りと中央あたりに隣接し、そこから下手側にいろいろな打楽器が並びました。(その中にチューブラーベルがあったわけです。)あと、ハープは舞台の一番下手の客席側の、低い雛壇の上に2台位置していましたが、その雛壇がやや変わっていて、他の雛壇とつながっていませんでした。ハープ2台だけが孤立した台座の上に乗っているような感じで、ちょっと目だっていました(^^)。弦楽は下手から第一Vn,Va,Vc,第二Vn,Cbの対抗配置でした。読響と言えば通常配置での上手客席側のヴィオラが大きな存在感があり、対抗配置は比較的珍しいかと思います。B 第一・第二楽章のことオケが入場し、演奏が始まりました。アシストを入れて9人のホルン隊が、冒頭主題の斉奏でいきなりのパワー全開、力強くいい音です。しかも途中から早くもベルアップです。これに驚いて気を取られているうちに、シンバルの人数を確認しそこないましたが、ここは一人だったということです。トロンボーンのソロは、傷がなかったわけではありませんが、いい音色で、いいパフォーマンスでした。夏の行進の弦が半分で弾くところ(練習番号21~25と、62~65)は、後方プルトの半分に弾かせていました。この方式は、以前はかなり珍しかったですが、このごろは時々見かけるようになりました。僕が最初に遭遇したのは2011年大野和士&京響でした。後方プルト方式のその後の演奏会を列挙すると、2015年ノット&東響、2016年田中宗利&関西グスタフマーラー響、2017年角田鋼亮&デア・フェルネ・クラング、2018年大野和士&都響、そして今回となります。2015年頃からは年1回ほど見られるようになっています。最初はびっくりしましたが、その後慣れてきて、このごろは違和感なく聴けるようになりました。冒頭ホルン主題の再現前の舞台裏の小太鼓は、下手側のドアを少しあけて、その裏で叩きました。この小太鼓は、適度な音量、適度な距離感で、音色があまり耳にきつくなく、なかなか心地よかったです。引き続きホルン主題の再現が始まると、打楽器奏者二名がシンバルを携えて再入場し、メインのシンバリストと合計3人でしっかりと盛大に叩かれました。第一楽章は総じて力がはいって引き締まっていたし、一方楽しさも感じられ、かなり良い第一楽章だったと思います。第二楽章は、一貫して遅めのテンポで丁寧に歌われ、素晴らしかったです。C 第三・第四楽章のこと女声合唱団の入場は、もうすでに忘れかけていますが、おそらく第二楽章が終わった後だったと思います。(もしかしたら第一楽章が終わったあとだったかもしれません。)女声合唱は、舞台奥の4列の雛壇の中央部分に、総勢57名が着席しました。雛壇の左右が空いているので、ここにのちほど児童合唱団が入るということがわかりました。井上道義さんにしては工夫のない普通の配置です。第三楽章もやや遅めのテンポで、始まりはいい感じでした。しかし第二楽章では素晴らしかったオケですが、何故かこの楽章では、読響にしてはやや精彩を欠きました。さてポストホルンです。さきほど、パイプオルガンスペースを塞いだ巨大な白い蓋のことを書きました。この蓋の左右の両端は、ホールの壁にぴったりとは繋がっていなくて、人間ふたり分位の幅の隙間が空いています。ポストホルンの音は、その向かって左(下手側)の隙間から聴こえてきました。ですからその隙間の近くで、白い蓋の裏側(ホール内)か、あるいはオルガンスペースの左側のドアをあけてその外(ホール外)で吹いたか、のどちらかだと思います。僕はおそらくホール内で吹いたのではないか、と推測しています。何故かと言うと、ポストホルンの音の聴こえ方が、自分がいるホール内と同じ空気の振動、という感じがしたからです。簡単に言えば、自分がいるのと同じ場所(空間)で吹いているという感じです。これまでも繰り返し書いてきたように、ここのポストホルンは、何処かわからないけれど何処か遠くから聞こえてくる、という感じで響くのが、個人的な理想です。若い人は聞いたことないかもしれませんが、昔、寒い冬の夜に遠くから聞こえてきたチャルメラのラッパと同じです。たとえ小さめの音であったとしても、たとえ今自分がいる空間がとても大きな部屋(ホール)であったとしても、自分の今いる空間と、ポストホルンの音の発生する空間が、同じ空気を共有していると感じてしまうと、僕にはだめです。もっと何処か遠いところ、今自分が現実にいるここから遥か遠く離れたところから響いてくるような、そういうイメージをマーラーは持っていたのであろうと、思っています。(これが発展したものが6番のカウベルで、現実世界と異なる世界のイメージというか象徴になるのだと思います。)今回のポストホルンは、吹奏自体は水準をクリアするものでしたが、自分が今いる場所と同じ場所で吹いていると感じてしまった点が非常に残念でした。なおポストホルンの前半部分が終わるとき、舞台上の1番ホルンのソロの難所、弱音で吹くゆっくりした分散和音(第344小節)がちょっとこけてしまい、それに影響されてか引き続く2番トランペットの信号ラッパ(第345小節)もちょっともたついてしまいました。それから第三楽章最後近く、動物たちのまどろみをさますような、練習番号30~31の楽節、アドルノが「神の顕現」と呼んだホルンとトロンボーンの斉奏部分は、テンポを一気に速めて演奏したのが独特でした。問題はその直後でした。。練習番号32が始まるやいなや、舞台左右のドアが開き、児童合唱団の入場が始まってしまいました。(おそらく左右同時に入場する予定だったのだと思いますが上手側からの入場はちょっと出遅れました。)そして第三楽章の最後が演奏されているさなかに、子どもたちが続々と入場し続けます。やがて下手側の児童たちの入場に混ざって、独唱者も急ぎ足で入場してきました。第三楽章の終わりに間に合わせようとしての急ぎ足で、独唱者は途中ちょっと躓きかけたりしながらも、幸い転ばずに進み、舞台奥の中央、女声合唱の前の定位置に無事に到着し、それとほぼ同時に第三楽章が終了しました。入場が出遅れた上手側の子供たちも、楽章終了に僅かに遅れて並び終わりました。そしてひと呼吸置いて、指揮者の合図で合唱団は一斉に着席し、オケの一部はほんのちょっとチューニングもして、少しの間合いを経て、第四楽章が開始されました。このような第三楽章最後近くでの演奏中の児童合唱の入場は、ごく稀にみられます。僕がこれまで遭遇したのは、2003年の高関健&群響(すみだトリフォニー)、2009年の井上道義&OEK・新日フィル(金沢公演のみ)、2010年の金聖響&神奈川フィル(みなとみらい)です。この入場方式は正直、やめてほしいです。演奏途中での入場、とくに慌ただしい入場というのは、視覚的心理的に、音楽を聴くことにかなりの悪影響を及ぼしてしまいます。少なくとも自分にとってはそうです。音楽を大事にしていたら、ここで合唱を入れる発想はありえないと思うのですが。もしも、スコアには指定がないけれど第三楽章とアタッカで第四楽章を演奏したい、ということであれば、このような方式を取るという発想が出てくるのかもしれません。実際そのようなアタッカの演奏もありました(2009年の井上道義の金沢公演)。しかし金聖響さんや今回の演奏では、第三楽章が終わった後に間合いをとりました。そこで間合いをとるのであれば、音楽が鳴っている間にわざわざ児童合唱を入場させる、それもかなり慌ただしく入場させる必要は、何もないと思います。第三楽章が終わってから入場させれば良いことです。あるいは、短い間合いは取るけれど長い間合いは取りたくない、という方針?もしもそうであれば、第三楽章が始まる前にあらかじめ児童合唱を入場させておけばすむことです。仮にすごく小さい児童が大勢歌うという場合であれば、児童合唱が舞台上にいる時間をできるだけ短くするために、あまり早いタイミングでの入場は避けたいという事情が絡んでくるのかもしれません。しかし今回の児童合唱団は見たところそれほど小さな子はいなくて、そういったことが理由にはなりそうにありません。なお、独唱者を第三楽章演奏途中で入場させるという方式もかなり稀です。僕が遭遇したのは、1994年のインバル&都響(東京芸術劇場)、2005年のチョンミョンフン&東フィル(文京シビックホール)、2009年の井上道義&OEK・新日フィル(金沢と富山の両方)、2011年のチョンミョンフン&N響(NHKホール)くらいです。これも困った方式と思います。独唱者を演奏途中で入場させる方式に、もしもメリットがあるとすれば、独唱者の入場に伴って拍手が起こることを防げる、ということでしょうか。しかし拍手を防ぐためには、工夫すればもっと他にスマートで有効な方法がいろいろあります。演奏途中の入場はあまりにも乱暴な方式と思います。ついでながら、声楽陣の演奏途中入場に関しての私的ワーストワンは2009年の井上道義さんの金沢公演です。このときは、女声合唱、児童合唱、独唱者の全声楽陣が、第三楽章の終わり近くで一斉に入場したのです。しかも入場のタイミングも最悪でした。大勢が入場するためには、練習番号32からの入場では楽章終了に間に合わない、そこで練習番号30から入場が始まったのです。アドルノが神の顕現と呼んだ、ハープのグリッサンドに導かれてホルンとトロンボーンの斉奏が厳かに演奏されるあの楽節の最中に、ぞろぞろと入場してきたという、悪夢のような光景でした。。。さて今回の演奏会に話を戻します。ともかくもそのようにして、児童合唱と独唱者が入場し終わり、合唱団が着席し、第四楽章が始まりました。ここではオーケストラと合唱団の照明がかなり落とされ、ひとり独唱者だけがスポットライトのように光を浴びて歌うという演出がありました。D 第五・第六楽章のこと第四楽章が静寂の中に消えたあと、指揮者の合図により全合唱団が勢いよく起立し、落とされていたオケと合唱団の照明も明るく戻り、それから呼吸を整えるようなわずかな間合いをおいて、第五楽章が始まりました。アタッカの扱いとしてはBスタイル(アタッカのスタイルについては記事最後のおまけを参照ください、以下同じ)で、照明の演出効果もそれほどありませんでした。(いつかどなただったかAスタイルのアタッカで、それまで落とされていた合唱団の照明が、第五楽章の始まりにぴったり一致するタイミングでパッと明るくなり、鮮やかな効果を上げている演奏がありました。今回はそういう効果にはいたりませんでした。)第五楽章で歌ったTOKYO FM少年合唱団は、日本では貴重な少年合唱団のひとつで、これまでにもヤンソンス&コンセルトヘボウほか、いろいろなマーラー3番で時々出演しています。聖歌隊風の白い服に赤い衿が鮮やかな服をまとい、元気に歌ってくれました。しかし、その歌い方にひとつ困ったことがありました。井上道義さんが2009年11月に金沢と富山で行った演奏会と同じ歌い方で、そのときと同じ大きな違和感を覚えました。金沢公演(11月28日 石川県立音楽堂)の記事に以前書きましたので、その部分を引用しておきます。―――――(ここから引用)それからもうひとつ、児童合唱で残念だったことがあります。普通は「Bimm--、Bamm--」と「mm」の部分を長く伸ばして歌われます。しかし今回は、「Bi--mm、Ba--mm」と、母音の部分を長く伸ばして歌っていて、間延びした感じで、聴いていてかなり違和感がありました。これでは鐘の音らしく響きません。。。なんと、あとでスコアを見たら、このこともちゃんと、第五楽章の最初のページに、書かれてありました!今回はじめて発見したのですが、児童合唱の段のはじめのところに、「M」を長く響かせよ、と書いてあるんです。(僕のドイツ語はかなり怪しいので、はっきりしたニュアンスまではわからないですけど、そんなようなことが書いてあると思われます。ドイツ語の堪能なかた、正確な意味を教えていただければ嬉しいです。)これを見て、そうかそうか、だから今回の児童合唱には違和感を覚えたんだと、とても納得しました。(引用終わり)―――――今回も10年前と同じ、母音を伸ばす歌い方だったのです。これまでそれなりに沢山の3番を聴いてきた中で、このような歌い方に気が付いたのは、井上道義さんの2009年と、今回の演奏だけしかありません。(今回の児童合唱団が他の指揮者で歌うときにも、このような歌い方では一度も聴いたことがありません。)ですから、この歌わせ方の責任はひとえに井上道義さんにあると思います。何故に井上さんがここを鐘らしくない響きで歌わせているのか、まったくもってわかりません。あと合唱団に関しては、今回人数比率が、女声合唱:児童合唱=57:35と大人優位だったので、もっと児童優位なバランスだったら良かったと思います。また女声合唱(三音楽大学の合同編成)も、音程がイマイチで残念でした。第五楽章が終わると、指揮者の合図で全声楽陣が着席し、それに引き続いて第六楽章が始まりました。ここもBスタイルです。やはりAスタイルに比べると緊張感はかなり低下し、会場からは少し咳払いが発生しました。最終楽章は読響の実力が発揮され、しっかりした良い演奏でした。終わった後もフライングブラボーなく、指揮者がタクトをおろして客席の方を半分振り返ると、拍手と歓声が始まりました。拍手が続くなか、やがて、さきほどポストホルンの音が聞こえてきたところ、すなわちオルガンスペースの左端、白い蓋と壁の間の隙間に、バルブ付きのポストホルンを持った奏者が登場しました。都響首席の高橋敦さんです。通常は舞台上に出てくることが多いですが、このように吹いた場所でご登場いただくと、ここで吹いたんですよ、ということが我々聴衆に解りやすく伝わるので、良い方法だと思いました。E 終わりに・・・終わってみると今回の演奏、第一・第二楽章が素晴らしく、あとは普通の3番でした。アタッカもBBスタイルでした。オケのパフォーマンスに関しては、読響だからこそこちらも期待が大きくなってしまう上での話ですが、ホルンなどがやや大味というか、精彩を欠く出来栄えでした。井上道義さんに関しては、今回の3番を10年前の金沢・富山の3番公演と比べると、僕にとって残念なところの基本方針が変わらず(ベルの高くない配置、声楽陣の演奏途中入場、児童合唱の鐘らしくない歌わせかた等)、一方で良かったところ(富山での合唱団の立体的で個性的な配置)が無くなったという、いささか残念な体験になりました。しかし、なんだかんだと言っても、3番を生で聴けるのはいつも貴重な体験で、ありがたいことです。井上道義さんが10年後に3番をまた演奏するとしたら、それも是非体験したいと思います。○おまけ:関連する自分の過去記事のリンクをまとめておきます。10年前の井上道義さんのマーラー3番(2009年11月、OEK・新日フィル合同オケ)はこちらを 金沢公演(11月28日 石川県立音楽堂) ←全声楽陣の演奏途中入場、児童合唱のBi--mm 富山公演(11月29日 オーバードホール) ←合唱団のすごい立体的配置アタッカのA,B,Cスタイルについてはこちらを 関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く(その3)
2019.12.11
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アルディッティ弦楽四重奏団を聴きました。バルトーク:弦楽四重奏曲第3番ベルク:弦楽四重奏曲 作品3細川俊夫:パサージュ(通り路) 弦楽四重奏のための(2019)リゲティ:弦楽四重奏曲第2番12月3日 武蔵野市民文化会館アルディッティ弦楽四重奏団を聴くのは4~5回目になるかと思います。いつも高い技術と鋭い音楽性に惚れ惚れし、かつ圧倒されます。今回もそうでした。全編にわたって集中・緊張が高く保たれたハイレベルの演奏が繰り広げられました。私以前からどうもバルトークは良くわからず、今回もすばらしい演奏だろうとは思うのですが、残念ながらピンときませんでした。ベルクの抒情性に親和性を感じたところでプログラム前半が終了。休憩後の後半が、わたくし的にはすこぶる感興をそそられた、至福のひとときでした。細川作品は、2020年のベートーヴェン生誕250周年に向けて、ベートーヴェンの会話帳の文章(耳が遠いベートーヴェンのために対話者が書いた文章)の返事を、ベートーヴェンの代わりに音楽作品(弦楽四重奏曲)で書いて欲しいという委嘱により作られ、初演者のアルディッティ弦楽四重奏団に捧げられた作品ということです。思索的な、静かな風の流れを感ずるような音楽でした。演奏終了後、客席で聴いていた細川さんが壇上に上がり、メンバーと抱き合っていらっしゃいました。そしてリゲティが凄かったです。とんでもない緊張を孕んだ微弱音が続くと、その静寂を切り裂くように、強烈な切込みが突如現れます。CDで聴いたときはあまりピンと来なかったですけど、生で聴くとそのエネルギーの強さ、凄さがびんびん伝わってきます。1968年作曲なので、もう50年前の作品なのに、そんなふうには全然思えない斬新な響きです。これは凄いものを聴かせていただきました!アンコールはクルタークの「小オフィチウム」作品28より最終楽章と言う曲で、リゲティの張り詰めた緊張を和らげてくれてちょっとほっとするようなきれいな始まりでした。さわりが終わってこれから発展が始まるのかなと思ったら、そこではいおしまい、という曲でした(^^)。サイン会にて。左から Ehlers (Va), Sarkissjan (2nd Vn), Arditti (1st Vn), Fels (Vc)
2019.12.05
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メータとベルリンフィルによるブルックナー8番、その2です。 指揮:ズビン・メータ 管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 コンサートマスター:樫本大進 ブルックナー 交響曲第8番 11月21日、22日 サントリーホール 11月21日の感想は、ひとつ前の記事に書きました。この記事は、22日の演奏のことを少しと、二日全体としての感想を書きます。 22日は、前日よりも第一楽章がさらに充実して聴こえてきました。当方が二日目で耳が馴染んだせいなのかどうかはわかりませんが、音楽の密度というか緊張感が、昨日より増していると感じました。またこの日は全曲通じて補聴器ほかのノイズもなく、演奏に集中できました。前日と同じ、ゆったりとした自然体でいながら、形がぴしっと決まっている。そういう高次元のブルックナーをより一層満喫できました。 メータは、ずっと座って指揮をしていましたが、終楽章の最後、最高潮に盛り上がったところで立ち上がって、最後の数十秒を立って振りました!終わって残響が消えた後、比較的すぐに指揮棒をさっと降ろしたのは昨日と一緒です。この日も前日同様フライングブラボーがなく、一瞬の静寂がきちんと保たれたのちに拍手が始まりました。その後の会場の盛り上がりは昨日を上回るものでした。日本ツアー最終日ということも関係していたと思います。次第にスタンディングオベーションする聴衆が増え、最後には満場総立ちとなり、メータの呼び戻しは前日より多く3回で、最後はオケ奏者3人とともにメータが登場して、お開きとなりました。 ここからは二日通じての感想です。今回の演奏はノヴァーク版第二稿でした。僕はこの曲を聴くのはハース版・ノヴァーク版どちらでもいいですが、もしもどちらか好きな方でと言われたら、ハース版で聴きたいと思う者です。しかし今回の演奏の、端整で無駄のない、きっちりした美しさは、今回使われたノヴァーク版が、ハース版より相応しかったと思います。 それからワーグナーチューバのこと。今回のワーグナーチューバは、潤った艶やかな輝きが素晴らしかったです。メータが2016年にウィーンフィルと演奏したブルックナー7番のワーグナーチューバは、これと対照的に、いぶし銀のような渋く美しい音色がとても魅力でした。ウィーンとベルリンでワーグナーチューバの美しさの味わいが大きく異なることをあらためて強く実感した次第です。 そして何より、僕が今回オケで圧倒的な感銘を受けたのは、ヴァイオリン隊の音でした。黄金のように輝かしい音色で、大きな力が漲っていて、いささかも緩みがないのです。これには本当にまいりました。今まで自分の聴いていたヴァイオリン隊の音とは異次元の音です。わたくしブルックナーを聴くとき、内声部がしっかり聴こえることをわりと重視していて、第一ヴァイオリンの音がきつすぎる、強すぎると思うことが時々あります。でも今回のこのヴァイオリン隊、音はとても大きく強いのですが、それがまったくうるさくなく、ヴァイオリン隊のこの音に身を委ねるのを大きな喜びに感じながら聴いていました。ブルックナーが書いたヴァイオリンパートの真の美しさを、今さらながらまざまざと悟った体験となりました。 メータのブルックナーは、3年前のウィーンフィルと、今回のベルリンフィルとで基本スタイルは大きな違いはないと思います。しかしウィーンフィルとの7番からは自由な自然体の印象を強めに感じ、今回の8番からは端整なきっちりした印象を強めに感じたのは、曲の違いだけでなく、オケの特性の違いが大きく影響しているのだろう、と思いました。 今回、メータの健康状態が昨年よりも上向いているようだったのはとてもうれしいことでした。これから80代の半ばを迎えるメータの音楽は、さらなる円熟の境地に入ることと思います。メータさん、またこのような音楽を、僕たちに聴かせてください。
2019.12.04
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メータとベルリンフィルによるブルックナー8番を聴きました。指揮:ズビン・メータ 管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 コンサートマスター:樫本大進 ブルックナー 交響曲第8番 11月21日、22日 サントリーホール2016年のウィーンフィルとのブルックナー7番の自然体の名演、2018年のバイエルン放響とのマーラー1番の奇跡的な名演が強く印象に残っているメータ体験。今度はベルリンフィルです。どんな音楽を体験することになるのか、楽しみにしていました。11月21日から書きます。 弦は16-14-12-10-8、ヴァイオリン両翼配置で下手側にVcとC bの、オーソドックスな布陣。ハープは上手側に2台。ホルンはハープの奥に3列で、前2列が二人ずつで、3列目は4人のワーグナーチューバ持ち替え隊が一列に並び、そこから下手方向にチューバ、トロンボーン、トランペットがずらっと一列に並びました。すなわちワーグナーチューバとチューバが固まって横一列という、視覚的にも音響的にも良い配置です。珍しく上手側の通路から、メータが登場しました。昨年のバイエルン放響とのマーラーのときは、杖をつきながら介助者と一緒の入退場でしたが、今回は嬉しいことに、杖をつきながらゆっくりとした足取りではありましたが、介助者なしお一人で歩いての入場です。そして指揮台の段差も一人で登り、壇上の椅子に腰掛けました。昨年よりも体調が回復されていることを嬉しく思います。第一楽章、かなり遅めのテンポ設定で、奇を衒わず、ティパニもほどよく控えめで、無駄な力みの全くない、丁寧な演奏でした。第二楽章も全く同じ路線で、やや遅めのテンポでとても端正な音楽が続いていきます。さすがのベルリンフィル、音が重く、ビシッとしています。形が定まっていることが心地よいです。第三楽章、音楽は一段と遅くなりました。メータの紡ぎ出す音楽は、先行する二つの楽章に引き続き、とても丁寧で、端正です。無駄な力や余分な表現が全くありません。その結果、うまく言えないのですが、音楽の内容だけでなく、音楽の形そのものの美しさといういようなものがひしひしと感じられます。昨年のマーラー巨人の時に受けたのと同じ感興です。 どこか特定のフレーズあるいは間合いについては、より深いというか、凄味を帯びた音楽世界がそこに立ち現れた瞬間を、他の演奏会でこれまで稀ながら体験してきたし、これからも運が良ければ体験出来るかもしれない、と思います。でもこの演奏が素晴らしいのは、そういう個々の箇所ではなく、全体としての音楽の佇まいが、自然体でありながら、かつ形がきちっとしている、ということです。ゆったりとしていながら、きっちりしていて無駄がない、と言う風に言えるでしょうか。この、ゆったりときっちりが両立しているところが、何とも凄いです。メータは現在83歳です。3年前、昨年、そして今回の音楽の充実ぶりは、80歳を超えたメータがついに到達している境地なのだと思います。そして始まった第四楽章も、それまでと基本同じスタイルで、奇をてらわず、無駄な力みはまったくない音楽が丁寧に綴られていきました。ただ個人的好みとしては、終楽章の後半でテンポをやや速めた2か所(再現部の少し手前の強奏部分と、コーダ前の、第一楽章第一主題が奏される少し前あたり)は、それまでのゆったりとした自然な流れからすると、少し違和感を覚えました。あそこが遅いままだったら、自分的にはさらにやられていたと思います。あと終楽章が始まって少しして、第一主題の提示が終わった後あたりから、補聴器のノイズが小さいながらも結構長いこと続くというアクシデントがあったのは残念でした。第三楽章でなかったのが不幸中の幸いと思うようにしました。そしてついに曲が終わり、ホールの空間から残響音が消えると、メータはすぐに指揮棒をさっと下ろしました。「えっそんなすぐでいいんですか」みたいな聴衆の沈黙が一瞬だけ続いたあと、最初パラパラと始まった拍手はすぐに盛大なものに膨れ上がっていきました。フライングブラボーがなくて良かったです。(ブルックナー8番の前日に行われた演奏会、ベートーヴェンの英雄では、フライング単独ブラボーを発する人約1名がいて、それに引きずられて拍手が始まってしまいましので、今夜もそうなるのではないかと恐れていました。) メータは、足取りはゆっくりでしたが、一人で指揮台を降り、杖をつきながらひとりで出入りを繰り返しました。そしてやがてオケがお開きとなり、拍手は続き、メータの呼び戻しの時になりました。一度引っ込んだメータが、呼び戻しに応えて出てこられたときは、オーボエ奏者の方が軽く手をとって、一緒に出てこられました。昨年のバイエルン放響とのときは、呼び戻しの際には車椅子で登場だったのですから、随分元気になられたわけです。自然体で端整なブルックナーでした。明日もう一度聴けることを楽しみに思いながら帰路に着きました。
2019.12.02
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もう大分以前、音楽之友社のON BOOKSシリーズの1冊、磯田健一郎著「近代・現代フランス音楽入門」という、肩の凝らない素敵な本を愛読していました。フランス近現代、サティ以後の作曲家ひとりひとりについて、人生と音楽がコンパクトに紹介されていて、お薦めCDガイドもついているという、超親切な本でした。軽妙洒脱な名解説で楽しくもホロリとさせられる文章と情報が満載でした。その中のピエルネの項目で、お薦めCDとして2枚紹介されていたうちの1枚が、神秘劇「ベツレヘムの子供たち」という曲でした。それまでピエルネの音楽は全く知らなかったので、なんとなく興味を感じて買い求めたところ、ときにわらべ歌風、ときに清らかな児童合唱の響きの美しさに、すっかり魅せられてしまいました。それ以来ピエルネの作品で一番好きな音楽になりました。とは言っても私、恥ずかしながら歌詞内容には基本的に無頓着なリスナーです。この曲についても、歌詞内容はもちろん、あらすじも、これまで全く知らずに聴いていました。それで満足していました。そうしたところ、今回(2019年11月)きらクラでピエルネの強化月間になりました!折角の機会なのでこの曲をリクエストしようと思いました。しかしそのためには曲の内容を知らないとまずい、と思って慌てて歌詞内容を調べたところ、イエス・キリスト生誕の夜の心温まる物語であることを、今回初めて知りました。舞台はベツレヘムの平原。聖なる夜に、星から「イエスが生まれた、寒がっている」と聞いた羊飼いの子供たちが、木の実やらリンゴやら牛乳やら、思い思いの贈り物を持って厩を訪れ、贈り物を渡して帰って行くという、なんとも愛らしい物語です。オーケストラ伴奏の上に、ナレーターが語り、児童合唱が歌い、歌手たちが星、天の声、聖母マリア、羊飼い、ロバや牡牛(^^)、子供たちなどの役で歌い、絵本のような物語が進んでいきます。なかでも子供たちが厩について、聖母マリアに招かれて中に入り、ロバや牡牛と一緒に、すやすやと眠っているみどり児を囲んでひざまずいて見つめ、やがて目をあけたイエスに贈り物を渡す場面の静かな音楽の純朴な美しさは、素晴らしいです。この部分をリクエストしたら、幸いにも番組で流していただけました。ピエルネ作曲 神秘劇「ベツレヘムの子供たち」Lasserre de Rozel指揮、ラジオフランスフィル、ラジオフランス児童合唱団ほか1987年12月10日、パリ、プレザンスのノートルダム教会(調べたら先日消失したノートルダム大聖堂とは違う教会です)このCDは教会でのライブ録音で、最後に拍手が入っています。子供も楽しめるメルヘン的な世界かと思うと、途中突然に天の声で、イエスの十字架上の最後の言葉「神よ、なぜ自分をお見捨てになるのですか」という言葉が歌われたりして、良くわからないけれど大人が聴いても味わい深い内容のようです。おそらくヨーロッパではこの手の音楽劇をクリスマスの季節に教会で演奏し、子供もおとなも一緒に集まって、皆で音楽と劇を楽しみながら、信仰心と共同体の絆を深めていくのだろうか、と想像します。そんな上演にもしも立ち会えたら素敵だなぁと思いますが、信心のない者にも聴かせていただけるかどうかはわかりません^_^。CD解説書の中にあるラジオフランス児童合唱団の写真です。磯田健一郎著「近代・現代フランス音楽入門」(ON BOOKS 93) 音楽之友社 1991年今は絶版のようです。
2019.11.20
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今日も快調の家族さんとは、4年前くらいからお付き合いさせていただいていました。最初がどうだったのかはよく覚えていないけれど、BGM選手権に出してボツになった投稿を書いた記事にコメントをいただいたのだと思います。それをきっかけに、BGMに投稿した曲を記事にしてはコメントをいただき、家族さんの記事にコメントするというのが、毎回のBGM選手権のもう一つの大きな楽しみになりました。いつだったか、永井荷風のお題の時に家族さんが挙げられた動画の中にほんの一瞬出てくる赤いカバンにコメントしたら、家族さんから我が意を得たりみたいなお返事をいただいて 、おおっと喜んだことも懐かしい思い出の一つです。 家族さんと僕とは何か色々と発想が似ているところがあり、はたから見ると奇抜な選曲も多かったらしいです。ただ発想は似ていても、その先の明暗は大きく異なり、ボツを繰り返す当方とは対照的に、多くの採用を続ける驚異の方でした。 BGMだけではなく、他のコーナーでも大活躍でした。これまでに家族さんによる傑作が数えきれないほど放送されてきています。ひとつだけ書くとすれば、寅さんです。今ではニアピンの大親分みたいな存在となっている、あの寅さんのテーマ、あれをニアピンとして最初に世に出したのは家族さんであったことを、僕はだいぶ後に知って、その飛び抜けた発想に大いに感心したものでした! 家族さんは道産子とのことですが、寅さんに象徴される強烈なギャグのセンスが素晴らしく、根っからの関西人と言っても完全に通ると思います。今日も快調さんと阿吽の呼吸の絶妙のコンビで、今日も快調さんとのアベック採用も多々あり、きらクラ史上燦然と輝く最強のミラクルなご夫婦だと常々思っていました。 幸いなことに実際にお会いできたことが何回かありました。その気配りの細やかさ、優しさは、ブログでのやり取りでも充分に感じてはいましたが、直接にお会いするとさらに実感しました。控えめで決して目立たない振る舞いの中に、惜しみないやさしさ、親切なお気持ちがあふれていて、それはもう驚くほどでした。鳥たち、シバわんこ、ハリネズミ君ほか、色々な命に対しても、それは同じであったことでしょう。 強くて、優しくて、大きな、稀有なお人です。短い交流であった僕でも、それを本当に強く思います。身近な方々は、もっともっと強くそれを日々感じながら、ともに幸せな日々を過ごされてきたのだと思います。最後まで明るく、周りを笑わせていらしたとのことです。 これまでの実り多い交流、忘れない貴重な体験です。いっぱいの感謝を込めて、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました! わたくし以前よりペースダウンしてますが、これからもぽちぽちと記事を書いていきます。家族さんならどんなコメント下さるかなぁと、色々想像するのを楽しみにしていきます。またいつかコメントくださいね!
2019.09.14
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早いもので椎間板ヘルニアの手術から5年が経ちました。術後1年の記事を書いたのを最後に、術後2年、3年の記事を書かなかったので、5年の節目に現在の状態を書いておこうと思います。 〇まず、今の症状です。 痛みは、腰痛、坐骨神経痛ともに、全くありません。あと、以前は年に1回ほど出ていた右股関節痛も全くありません。 しかし、右足外側(小指先から膝下くらいまで)のしびれは、常にあります。これは、多分これ以上は良くならないと思っています。 それから、右足首から先の、外側(小指側)の筋力低下は、やはり今もあります。足先を背屈することはできるのですが、左に比べると弱くて、充分には背屈できません。もっとも、この筋力低下は本当に少しずつですが、回復してきています。手術後しばらくは、右足先の小指側の上がりが弱いために、普通に歩いている時に右足小指側が床に引っかかってつまずきそうになることが良くありました。それが少しずつ減ってきています。今でも皆無ではないのですが、とても稀になりました。手術を受けたので、このように良くなったのだろうと思います。 総合して、歩くこと、日常生活で小走りに走ることは何の支障もなくできます。階段を駆け上ることも全く問題なくできます。ただ、上に書いた右足先の外側の筋力低下があるので、以前やっていたテニス(初級レベル)をやるのはまだ無理かなと思って、控えています。もしもテニスをやるとしたら、走らなくても打てるところに来たボールだけ打ち返すというテニスならできそうです(爆)。ワタクシこれをひそかに、「テニスの王子様」ではなくて、「王様のテニス」、と呼んでいます。 〇次に、普段やっていることです。 朝起きた後に、宗形ストレッチと、バランスボールによる股関節ほぐし、バランスボールを使ったバウンス運動、肩甲骨ほぐしなどをやっています。 これはほぼ毎朝やっています。10分くらいです。 それに加えて、なんちゃって筋トレ。バランスボールを使った腹筋や背筋運動と、スクワットと、足首の曲げ伸ばし運動、立位でつま先立ちを繰り返す運動等です。15~20分くらい。これはこの頃頻度が減ってきて、3日に2日、あるいは2日に1日程度しかやっていません。これ以上は頻度が減らないように、頑張って続けようと思います。以前長期間やっていたビリーのブートキャンプとは比べ物にならないほどの軽い運動で、体力アップと言うよりも健康維持、体調維持的な感じですね。本当はもっと有酸素運動をした方が良いと思っていますが、なかなか時間がとれないという現状です。 術後1年ほどはやっていたウォーキングマシーンによる歩行練習は、普段の生活で普通に歩くようになったので、今はまったくやっていません。 5年前まではビリーをやっていたのですが、同時にダイエットをしすぎて、その結果筋肉量が落ち、それで椎間板ヘルニアの発症を招いてしまいました。なんとも間抜けな話です。それで、その後は時々体重を測って、増えすぎず減りすぎず、ということに注意しています。食事は、魚と野菜を沢山とるように心がけています、なんて書くと優等生のようですが、実は甘いものが基本大好きなのです。なるべく控えるようにしているものの、ときどき無性に食べたくなり、爆食しては後悔することの繰り返しです(^^; )。 〇外来通院・整体治療など 手術をしていただいた先生のところには1年に1~2回通っています。血液検査やレントゲンを撮ったり、骨密度を測ったりしています。手術した場所は落ち着いていてまったく問題ないそうですが、ショックなことに、骨密度が低下気味と言われてしまいました。今後骨粗鬆症にならないよう、先生と相談して対策をとりはじめたところです。本当は理学療法の通院も定期的にして、やり方の指導を受けたほうが良いとは思うのですが、それは実行にいたっていません。 それから、ヘルニアの発症前まで週1回20年以上通って大変お世話になっていた整体治療は、術後中断したままです。いずれ腰痛が再発したら再開しようと思っていたのですが、さいわい腰痛が起こらないので、中断したままです。術後1年の記事に書いたように、知人のすすめで他別の整体治療を始めたのですが、3~4回通ったところでマッサージが強すぎて足に痛みが残るようになったため、止めました。結局整体関連の治療は、それ以来何も受けていません。自分としては、バランスボールが整体治療の代わりを果たしてくれているのだろう、と思っています。 術後5年たった今の状態、こんな感じです。
2019.09.14
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きらクラ!6月30日出題のBGM選手権は、伊東静雄の「わがひとに与ふる哀歌」でした。難しい詩で、細かなことは良くわかりませんが、「わがひと」に真摯な愛を投企して前向きに一緒に進もうとする作者の営み、しかしそれにもかかわらず「太陽の輝き」を得られないが故の「哀歌」なのかな、と思いました。そこで静かな中に厳しさをたたえ、しずしずと進んでいく音楽として、ジェラルド・フィンジの「前奏曲」ヘ短調 作品25をあててみました。今回、この曲がBGMに採用されました! 実に久しぶり、多分2~3年ぶりのBGM採用で、とてもうれしいです。この曲は動画サイトには沢山あります。これはヒコックス盤です。森の小径、動物たち、落日。。https://www.youtube.com/watch?v=bvHgwVQjt_kそれから、今回(7月7日放送)のきらクラも、素敵なお手紙、素敵な曲がいろいろと流れました。中でも、還暦で退職を迎える特別支援学校の先生からの、「何歳でも構わない、今日のこの時を精いっぱい一緒に喜んでくれる子供たちから、忘れられない最後の年のすばらしい還暦祝いの思い出をもらいました」というお便りと、その方からのリクエストの合唱曲「こころの中にきらめいて」が、とても心に残りました。最後の、真理さんの今日かけたい曲、シャブリエのオペラ・ブフ 「エトワール(星)」から アリア「星のロマンス」も、初めて聞く素晴らしい曲でした。七夕にちなんで星の歌ということでした。世の中、素敵な曲が、数えきれないほど本当に沢山、まさに星々のようにありますね。
2019.07.08
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オーボエの素敵なリサイタルを聴きました。 オーボエ 荒木 奏美(あらき かなみ) ピアノ 宇根 美沙惠(うね みさえ)りゅーとぴあランチタイムワンコインコンサート VOL.1016月21日 りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館コンサートホール 荒木さんは東京交響楽団の首席オーボエ奏者です。新潟に来る所用があり、調べたところタイミング良くこのオーボエリサイタルを聴けそうで、楽しみにしていました。直前に山形県沖地震があり、新潟市内も震度4の揺れがありましたが、その後大きな余震はなく、リサイタルは予定通り開催されました。当日暑い日差しの中来てみると、信濃川の川辺で緑豊かな白山公園の一角に、りゅーとぴあがありました。一度は来てみたかった、りゅーとぴあです。この建物は上から見ると楕円形で、丁度お寿司の軍艦巻きを巨大にしたような形です。建物のすぐ外側、2階相当の高さのところに、歩道が回廊としてぐるっと囲むように建物を取り巻いていました。1階入り口です。右上に見えるのが2階の高さにある歩道です。2階入り口と、そこにつながる歩道です。内部も近未来的な雰囲気がするデザインです。中にも空中回廊のような歩道があります。時間が来てホールに入ると、その大胆で斬新なフォルムが美しいです。これはりゅーとぴあのホームページに載っている写真です。正面のパイプオルガンは、写真ではわかりにくいですが、鍵盤席の左右両側にパイプがぎっしり詰まった大きな箱がせり出しています。そのため鍵盤席が、あたかもオルガンの内部に少し奥まったところにあるように見える立体的な外観で、近くで見るとなかなかの迫力があります。これもホームページに載っている写真です。ステージから見た客席、なにか未来的な眺めです。客席は、ステージを360度ぐるっと取り囲むように作られています。座席数はホームページによると1900人、現地では2000人と掲示されていました。今日のリサイタルは自由席なので、1階ステージ近くの席を確保したあと、ちょっとあちこち移動してみたところ、どこからでも死角が少なく、ステージが良く見えます。このホールで東京交響楽団が定期演奏会を開催しています。ここでのオケやオルガンの響きをいつかは体験したいと思います。ホワイエの様子です。いよいよ開演時刻となり、やがて荒木さんと宇根さんがご登場、リサイタルが始まりました。プログラムは、 モーツァルトのオーボエ四重奏曲K.370(ピアノ版)から第1楽章 大島ミチル 風笛~あすかのテーマ~ モリコーネ ガブリエルのオーボエ ラーンキ ドン・キホーテとドゥルチアーナ姫 ピアソラ アヴェ・マリア ブリテン オヴィディウスによる6つの変容から 第4曲「バッカス」 シューマン 歌曲集ミルテの花から 第7曲「蓮の花」 パスクッリ 「椿姫」の楽しい思い出華やかな曲、ちょっとコミカルな曲と、しっとりじっくりと歌われる曲がほどよく交互に配置され、途中にはブリテンの珍しい無伴奏の曲もありと、オーボエの魅力を多角的に味わえるプログラムでした。それにしても美しい音色です。楽譜をしっかり見つめながらも、ときに体を大きく揺らすようにして全身から紡がれる音楽が、とても素直で、ピアノとも息がぴったりでした。とりわけ、大島、モリコーネ、ピアソラ、シューマンのしっとりしみじみとした歌のカンタービレが本当に素晴らしく、反射的に涙が滲んでくることしきりで聴いていました。以前聴いたシェレンベルガーさんのリサイタルでも、アンコールにシューマンの歌曲を歌ってくれたものでした。聴き惚れるうちにあっと言う間に1時間が経ち、最後の曲が終わってしまいました。アンコールは「花は咲く」でした。今回の山形県沖地震では死者が出なかったのが不幸中の幸いですが、今回のことのみならず、地震、台風ほか数々の災害に被災された多くの方々への癒しのメッセージとして切々と歌われました。すでに大島作品からじわじわと緩んでいた私の涙腺はここに来て全開となりながら、ひたすら聴かせていただきました。終演後、サイン会に並んで、プログラムにサインしていただきました。お礼と共に小声でぽそっと「泣いちゃいました」と言ったら、なんと荒木さんが「もらい泣きしそうでした」とおっしゃたのにはびっくりしました!近場の席だったとはいえ、もろに見られていたとは。泣かせてしまって演奏妨害にならなくて良かったです^_^。荒木さん宇根さん、心洗われる素晴らしい音楽を、ありがとうございました!リサイタルの余韻に浸りながら、ホールをあとにしました。このあと、りゅーとぴあにすぐ隣接する新潟県政記念館に立ち寄りました。明治時代に建てられ、県議会の議事場として長く使われた建物だそうです。美しい洋風建築です。議場です。2階は傍聴席だったそうです。階段の窓の外には、隣のりゅーとぴあが見えました。充実したひとときの、新潟プチ散歩でした。
2019.06.28
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5月5日の日曜日、きらクラの時間に何気なくラジオをつけたら、きらクラの代わりに、昔良くきいた子供の歌が流れてきました。昔、自分の子供が小さかった頃にNHKテレビの「おかあさんといっしょ」で良くかかっていた歌です。懐かしくて素敵な歌が次々流れてくるし、しかも、その当時「おかあさんといっしょ」で歌のお姉さんだった神崎ゆうこさん(ゆうこおねえさん)と、歌のお兄さんだった坂田おさむさん(おさむおにいさん)が司会していて、しかもしかも、ゲストにぽろり(^o^)!が出ているではありませんか!これは凄い番組だと思いながら聴いていると、どうやら、「おかあさんといっしょ」などNHKの番組から生まれたキッズソングを長時間にわたってたくさん流すという特別番組で、しかも今年は「おかあさんといっしょ」の放送開始60周年にあたるということです。番組のタイトルが「今日は一日“家族三世代NHKキッズソング”三昧2019」でした。子供と、おとうさんおかあさんと、おじいさんおばあさんと、家族三世代そろってNHKキッズソングの素晴らしさを楽しんでほしい、というコンセプトの番組でした。 5月5日は休日出勤し、誰もいない職場で事務仕事をやりながらひとりでラジオを聴いていたので、三世代ではなかったんですけど、そのときふと、「あっ、自分自身が三世代だ」と思いました。 偶然にも「おかあさんといっしょ」と自分はほぼ同じような年齢です。「おかあさんといっしょ」が始まって間もないころは、自分自身が小さな子供だったことになります。その頃の番組で歌われた歌の記憶はほとんどないのですが、当時「ブーフーウー」という人形劇を番組で放送していたことだけはかろうじておぼろげに覚えています。 それから30年ほどたって、今度は親世代として、自分の子供と一緒に見た「おかあさんといっしょ」が、とても強く記憶に刻まれています。ゆうこおねえさんとおさむおにいさんが、楽しく素敵な歌をたくさん歌ってくれました。自分も、それらを子どもに歌ってきかせたのはもちろん、CDを買って繰り返し子供と聴いて楽しみ、ある意味子供以上に自分自身が浸っていたような気がします。特にゆうこおねえさんの歌は、声が良く、歌いまわしが良く、そして音程がもう完璧に素晴らしくて、この人にまさる童謡の歌い手はちょっとありえないのではないか、と思いながら聴きほれる日々でした。あるとき地元近くにおかあさんといっしょのコンサートというかライブステージがくるというので、家族一同で見に行ったこともあります。どんな様子だったかはほとんど覚えていないのですが、ゆうこおねえさんがステージ上で、「ゆうこおねえさんで~す、本物ですよ~」と言っていたことだけ、覚えています(^^)。 それからまた30年ほどたちました。最近は、おじいさん世代として、まだ小さくてほとんど何もわからない孫に、童謡やキッズソングを歌いきかせています。先日孫と一緒にテレビで「おかあさんといっしょ」を見ていたら、30年前にもやっていた「パジャマでおじゃま」の歌が流れてきて、まだ同じ歌(アレンジは少し違っていましたが)をやっている!とびっくりするやら、うれしいやらでした。 というわけで、5月5日のラジオを聴いていて、童謡やNHKキッズソングを自分自身が三世代にわたって親しみ楽しんできたことになるのか、と今更のように認識し、ラジオから流れる「子猫のパン屋さん」「夢のなか」「虹の色とお星さま」などのなつかしすぎる名曲の数々に、ひたすらじーんと聴きほれていました(^^)。 とは言っても、5月5日の長い番組を全部聴いていたわけではありません。自分が聴かなかった時期の歌にはあまりなじみがなく、ときどきラジオを消したりまたつけたりしながら聴きました。番組の途中には、きらクラで先日真理さんがかけた「1年生になったら」もかかりました。いろいろな世代からの沢山のお便りが読まれました。番組の最後のころを聴いていたら、毎年こどもの日にこどもの歌の長時間特番を放送していること、今年は6年目になること、ゆうこおねえさんは毎年出ているらしい、ということがわかりました。それをきいて最初、「それなら来年の5月5日の特番には自分も何か投稿しようかな」と思いました。でも来年まで待つのもしんどいし、いっそのことダメ元できらクラに出してみようと思って、投稿しました。童謡やNHKキッズソングを、自分自身が三世代にわたって関わって楽しんでいる、という内容です。それが5月12日のきらクラで、幸いにも採用されました(^^)! ラジネは「袋小路じゃくまる」でした。 ラジネの由来ですが、30年ほど前の「おかあさんといっしょ」で、「にこにこぷん」という着ぐるみというか人形というか、3人(3匹)の子供キャラが大活躍していました。じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり、の3人組です。同世代の方、あるいはこの当時子供だった方は良くご存じだと思います(^^)。この個性豊かな3人が、仲良く遊んだり、喧嘩したり、泣いたり、歌を歌ったりして、これがとても楽しくて、当時、ある意味子供以上に(^^)はまっていました。特にじゃじゃまるは、子どもっぽくてわがままなところもあるけれど、人情肌のいい奴で、僕の一番のお気に入りでした。このじゃじゃまるのフルネームが、「袋小路じゃじゃまる」というのです。それで、これにひっかけたのが「袋小路じゃくまる」です。このラジネ、自分としてはかなり気に入っていて、いつかはこのラジネできらクラで採用されたいと思い、だいぶ以前から時々使っていましたが、これまで陽の目を見ることはありませんでした。今回「袋小路じゃくまる」が登場するのにはこれ以上ないという話題のときに、とうとう初採用がかなって、何とも嬉しい限りです。 童謡と同じように、現在もうすでに多くの世代にそろって愛されているきらクラです。きらクラがこの先長~く続いて、さらにさらに多くの世代に愛され、受け継がれていきますように、願っています(^^)/。にこにこぷんの3人組です。左からじゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり。
2019.05.13
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ノット&スイス・ロマンド管弦楽団による、マーラーの交響曲第6番を聴きました。4月13日 東京芸術劇場ノットさんのマーラーは、東響との演奏で、9番(2014年)、8番(2014年)、3番(2015年)、2番(2017年)と聴いてきました。9番と2番はとてもいい演奏でしたし、2015年の3番は非常な名演でした。これらに続く今回の6番体験を楽しみにしていましたが、この当日は思いがけずいろいろなことが重なって気持ちが落ち着かず、音楽にあんまり浸りにくかった状況で聴きました。そこで今回は音楽自体の感想は差し控え、強烈な印象だったカウベルのことだけ書いておこうと思います。 舞台裏のカウベルは、普通に舞台下手のドアを開けての舞台裏からでした。まず第1楽章、カウベルが登場する楽節に来て、舞台下手側のドアが開きました。さ、どんなカウベルの音なのか、と耳を傾けました。しかし驚いたことに、カウベルの音が聞こえてきません!これはどうしたことでしょうか。僕は最初、カウベルを舞台裏に用意しておくのを忘れたか、奏者がそこにスタンバイするのを忘れたか、どちらかかと思いました。どちらにせよほとんどあり得ない大事故です。ノットさんは普通に振っていますが。。。改めて一生懸命聴き耳を立てると、何やら本当に微かな、蚊の鳴くよりも小さいほどの、ツーーーンというような耳慣れない奇妙な音が、聴こえてくるような気がします。自分の体の外から聴こえて来る音なのか、空耳なのか、耳鳴りなのか、定かでないです。カウベルは鳴っているのかいないのか、どっちなんだろうと訝っているうちに、当該の楽節は終わり、ドアは閉められ、演奏は何事もなかったように進んでいきました。 第一楽章が終わりました。今回の演奏の楽章順は第2楽章がスケルツォ、第3楽章がアンダンテでした。さて第3楽章の舞台上のカウベル。僕の席からは奏者が見えず、また事前に舞台を見ておくこともしなかったので、何人で、どのようにして鳴らしたのかは不明です。いよいよカウベル登場の楽節です。すると今度は、第1楽章と打って変わった大音量が響き渡りました。そしてその音色は、金属的で刺激的で、耳に刺さるような音でした。知らないで聴いていたらとてもカウベルの音とは思えない、工事現場の騒音のようでした。このホールは、やや響きすぎるきらいがありますので、それが余計に悪い方に作用してしまったのかもしれません。ともかくこのカウベルの喧しい音は、ちと勘弁してもらいたかったです。 続いて第4楽章の舞台裏のカウベルは、第1楽章と同じに舞台下手のドアが開き、鳴らされました。今度は第一楽章とは違って、弱い音ではありましたが、はっきりと聴こえてきました。でもその音は、ガランゴロンという普通のカウベルらしい音ではなく、凡そそれとかけ離れた、ビーーーンというような、聴いたことのない奇妙な音でした。そういえば、第1楽章で聴こえたような気がしたのは、もっと微かではありましたが、これと同じ音でした。してみると、第1楽章でもこの音を鳴らしていたのだ、カウベルが欠落していたのではなかったのだな、ということがわかりました。でも一体こんなカウベルってあるんでしょうか。 スイスと言えばアルプス、まさにカウベルの本場のはずです。まさかまさか、スイスのオケマンにとっては、我々が普段マーラーの曲で聴いているカウベルの音は、真のカウベルとはかけ離れたもので、本当のカウベルはこういう音、ということなのでしょうか?あるいはノットさんのこだわりによるユニークな響きを目指したものだったのでしょうか?このあたり、いずれノットさんが東響で6番を振るとき、おそるおそる聴いて確認してみたいと思います。蛇足ながらマーラー6番でこれまでに聴いたカウベルで、もっともユニークで、かつもっとも美しかったのは、これまでにも何度か書いているように、2009年2月サントリーでのハイティンクとシカゴ響の演奏でした。アンダンテ楽章の舞台上のカウベルを、吊り下げてセットして、マレットで静かにそっと叩いて鳴らしていました。普通のカウベルのガランゴロンという音とは全く異なっていましたが、はっとするほど美しく、いい意味でのユニークなカウベルでした。おそらくマーラーの意図を越えた響きだったのだろう、と思います。(このあたりのことについては2009年のレック&東響のマーラー6番の記事にいろいろ書きましたので、よろしければご覧ください。)◯おまけ:カウベル音への疑問だけではあまりに身も蓋もない記事になってしまうので、終楽章のハンマーのこともちょっと書いておきます。今回ハンマーの一打目が、オケの他の楽器よりもほんの一瞬早く叩かれたため、しっかりと聞き取れました。金属的でなく、適度に重く、適度に鈍い、かなりいい音色で響き渡りました。これには満足しました。二打目は他の楽器と打音がぴっしり揃ったため良く聴こえなかったので、この一打目は貴重でした。なお、2階の見通しの良い席から見ていた友人の話によると、この一打目の際に、隣に置いてあった譜面台が倒れたそうです。奏者の体か何かがちょっと接触したか、あるいはハンマーを振り下ろした際の風圧のため(爆)でしょうか、いずれにしても譜面台をなぎ倒す視覚的効果が加わったようです(^^;)。そう言えば、これを書いていて思いだした1シーンがあります。2012年5月に佐渡さんと日フィルが6番を演奏したとき、ハンマー奏者が、叩いた後にしばらくその場に倒れこんで伏せっていたことを思い出しました。これはなかなかユニークなパフォーマンスで、演奏終了後に聴衆から大きな拍手を浴びていましたっけ(^^)。
2019.05.07
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先週のある朝、最近買った藤井一興さんのピアノ愛奏曲集『クープランからクープランの墓へ』のCDを開封して聴き始めました。1曲目、クープラン作曲のクラヴサン曲集第3巻第14組曲から第1曲『恋の夜鳴きうぐいす』が始まると、あまりにも美しく切なくて、ふと自分のお葬式にこの曲、この演奏をかけてもらいたいと思いました。普段そういうことは考えないので自分でもちょっとびっくりしましたが、この藤井さんのピアノから、桜がはらはらと散って行くようなはかなさを感じたからかもしれません。 その日の夜のことです。あるブロ友さんが少し前に急逝されていたことを知り、愕然としました。音楽を愛し、きらクラを愛する、やさしく謙虚な方でした。きらクラ最初期からの熱心なリスナーさんで、ご投稿がちょくちょく採用されていました。逝ってしまわれる直前までお元気でいらしたということです。全く実感がわきませんが、その方からいただいたコメントをふと目にしたりすると、なんともせつない気持ちです。 音楽を、とりわけピアノを特に愛したその方に、これからも空の上できらクラを聴き続けるに違いないその方に、このピアノを聴いていただきたいと思いながら、このCDをかけているこの頃です。 心からご冥福をお祈りいたします。
2019.04.19
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2月20日、西新宿ブチ散歩の後、オペラ「紫苑物語」を観ました。新国立劇場音楽監督の大野和士さんの意欲的な企画の一つ、日本人作曲家による新作オペラ上演の第一弾として、西村朗さんへの委嘱で作られたオペラです。音楽学者の長木誠司さんが、石川淳の原作をかねてからオペラに良い題材だと思っていたそうです。それを西村さんに持ちかけ、このオペラが作られたということです。弓矢の名人と狐をめぐるお話です。作曲:西村朗原作:石川淳台本:佐々木幹郎演出:笈田ヨシ美術:トム・シェンク監修:長木誠司指揮:大野和士宗頼:高田智宏平太:大沼徹、松平敬 (ダブルキャスト)千草:臼木あいうつろ姫:清水華澄合唱:新国立劇場合唱団管弦楽:東京都交響楽団歌手は皆健闘。千草(狐)役の臼木さんは、独自の緊張感を孕んだ異次元的な存在感があり、流石でした。2013年に観たライマンのオペラ「リア」でのコーディリア姫役の圧巻の舞台を思い出しました。うつろ姫(主人公宗頼の妻)役の清水さんは、えげつないというか、脂ぎったというか、そういう役どころなのですが、その毒々しさを充分にたっぷりと表現していました。ブロですね。僕の観た20日に平太(主人公宗頼の分身)役を歌った松平さんは、元々カヴァー役だったところ大抜擢でダブルキャストとして出演することになったそうです。途中低い声と同時にキーンという高い声も一人で同時に発声するところがありました。モンゴルのホーミーを生で聴いたことはありませんが、おそらくその発声法と思います。演出でユニークだったのは、舞台後方に巨大な鏡を斜めに配置し、その角度をいろいろと変えて舞台を映し出し、不思議な効果をあげていたのが素晴らしかったです。しかし演出全体としては、あまりに直接的というか具体的な表現が多く、僕には安っぽく感じられました。たとえば、最期に主人公が放つ3本の矢が、知の矢、殺の矢、魔の矢なのですが、射るたびに「知」「殺」「魔」という大きな漢字が、仏像の大きな顔とともに背景に大きく映し出されます。分かりやすいといえば分かりやすいですが、漫画的な安っぽさを大いに感じてしまいました。それから狐が矢に打たれて深い傷を負うところ、大きく映し出された狐の顔に、血がどろりと流れたりします。血生臭い雰囲気としてはうまく表現されていましたが、そこまで生々しい具体的な表現が必要かと僕には疑問でした。他の場面もおしなべて、具体的、表面的な説明レベルに留まってしまい、深みに著しく欠けていると感じてしまいました。肝心の音楽。第1部は割とにぎやかというか、ちょっと騒々しい場面が続き、やや単調な感じがしました。第2部は、静かなシーンもあって幅がひろがり、それなりに楽しめましたが、それでもやはり、僕には単調さが否めませんでした。じっくり聴かせるアリアがほぼなく、全編レシタティーボという感じなんですね。現代音楽とは言え、やはりオペラですから「歌」が不足だと物足りなく感じてしまいます。西村さんの器楽曲には好きな曲が多く、多いに期待していただけに、この点は残念でした。まったく余談ですが、残念なことと言えばもうひとつ、ひそかに期待していたのが、開演前と幕間にロビーで売られるケーキというか、甘味メニューです。毎回その演目に合わせた趣向の特別甘味メニューが出るので、今回はきっとあれだろう、と予想していました。察しのいい方はもうお分りでしょう、シフォンケーキをメインにした「シフォン物語」。ああしかし、それはまぼろしと化してしまいました^_^。しかしともかくもこのような邦人作曲家による新作オペラの創作と上演はとても貴重な機会です。大野さんによる委嘱オペラの第2弾、第3弾に期待したいと思います。
2019.03.17
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2月20日、西新宿初台の新国立劇場に西村朗さんの新作オペラ、紫苑物語を見に行きました。この日は昼間に思いがけずぽっかりと時間が空いたので、会場周辺をぶらぶらと散策することにしました。外は4月なみの暖かさで、日差しが当たるとぽかぽかとして気持ち良いです。 新国立劇場に隣接する東京オペラシティービルを出て、東方面にぶらぶらと歩きだすとすぐに、どこかキリコの絵に出てくるような通路がありました。通路を進んで行くと何やら不思議な雰囲気のビルと空き地がありました。閑散としてなにかの跡地みたいですが、廃墟ではなく何かに使われているみたいです。続いて狭い路地を適当に歩き、住宅地やら小学校やらを通り過ぎました。鳥たちものどかに日向ぼっこをしていました。さらに町の甘味屋さん(余程入ろうと思いました!)を通り過ぎると、都庁のそばの広い公園に辿り着きました。小さい子とママさん達で結構賑わっています。 公園から見あげた都庁などの高層ビルです。 公園の中にあった六角堂です。由緒ある建物のようで、説明のパネルがありました。 折角ここまで来たので、一度は行って見ようと思っていた都庁の展望室に行ってみることにして、都庁ビルに向かいました。 都庁45階の展望室は、専用の直行エレベーターで登ります。入場無料です。外人を含め、次から次へと人の列が絶えないのには驚きました。 展望室のフロアには粋なカフェレストランがあったので、休憩に入って、ちょっと疲れた足を休めながら、眺めを楽しみました。各種紅茶、ハーブティ、ジュースなどのドリンクバーとティラミスをゆっくり味わいました。 ハーブティとティラミス、美味しくかった~。のんびり休んだあと、カフェを出て色々な方角の眺めを楽しむうち、夕暮れが近づいてきました。これは西方向の眺め。左の白くて高いビルがオペラシティーです。下の方には先ほどの公園があり、六角堂も見えました。ほんのちょっとのプチ散歩でしたが、ここから見るとそれなりに歩いたなと思います。さあ今度はオペラです。夕暮れが迫り風がにわかに冷たくなる中を、オペラシティまで戻り、西新宿プチ散歩おしまいとしました。オペラは次の記事に書きます。
2019.03.08
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