今日も他人事

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2024年03月11日
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カテゴリ: TYPE-MOON
先月、ふと疑問に思って色々、表題について考えてました。

そもそもの疑問はアニメ版FGO(特にバビロニアとソロモン)を観終わった後の奇妙な違和感でした。




当時はクオリティの問題かと思っていたのですが、別にバビロニアもソロモンも言うほどクオリティが悪かったとは思えないのです。そりゃ、ちょっと期待外れな所もありましたけど、それはゲーム版をやってたから、脳内期待値が高すぎただけだと思いますし。

だから、引っかかってたのは、そこじゃないんです。ええ、もっと根本的な部分です。

君、なんで、英霊達の戦いに付いていけてるの?

……よく考えると、変なんですよ。『FGO』って。

どうして、魔術師見習いですらない、戦闘訓練も受けたことのない、ただのトーシロの少年(少女)が英霊同士、あるいは、英霊級の存在との戦いに対応できているのでしょうか。

一応、以下はTYPE-MOON wiki からの抜粋です。

 なお、戦闘時召喚しているサーヴァント達(戦闘画面で実際に使用するパーティー)は、カルデアに待機している霊基の影を一時的に借りて召喚するという形を採っているらしい。

以上。おしまい。

……



ただ、呼び出せることと、呼び出して相手の動きに合わせて戦わせるのは、全く別次元の話なんですよ。

もし、本当に、同伴しているマシュや呼び出した英霊の影にリアルタイムに指示を出しているとしたら、しかも、その結果が、英霊達が独自に動いて戦っているよりも効果的に機能している(劇中ではそういう描写をされています)のだとしたら、立香は 「戦闘のプロである英霊と同等以上の戦況判断能力」 に加え、 「英霊が自分で判断して独自に動くよりも素早く適切な指示」 が出来、しかも、それを 「複数体同時(ゲーム準拠なら、最大三体)」 に行えるということになります。ありえるでしょうか?

思い出してください。『Fate/Zero』や『Fate/Staynight』で描かれているサーヴァント達の超人めいた戦いぶりを。




エミヤと同期するまで士郎ではまともに対応すらできず、達人級の切嗣でさえサーヴァントとの直接戦闘は諦めています。勝ち目がないからです。

そして、『FGO』とは、そんなサーヴァント、あるいは彼らに勝るとも劣らない人外(魔獣、怪異、神性)達が複数体、入り乱れて行われている超絶バトルな訳です。




考えてみてください。貴方は、この超人たちの織り成すバトルに、自分達、一般人が口を出す余裕があると思えますか?

少なくとも、私には出来ません。というか、口を出すどころか、まともに把握することさえ無理でしょう。『ドラゴンボール』でブルマやMrサタンが悟空達の戦いを全然目で追えないのと同じ。



本物の超人同士の戦いを一般人が指揮することはおろか、把握することすら出来るわけがないのです。もし出来るとすれば、それは 「超人たちと同レベルの戦闘把握」 「彼らよりも素早く効果的な戦術指示」 を行うことが出来る存在ということになります。

もう一度、言います。あなたに、そんなことが出来ますか?

……。

つまり、そういうことです。

『FGO』の劇中で描かれている物語は、Fate シリーズの世界観に基づいて映像化した瞬間、成立しなくなる のです。少なくとも、素人の一般人に出来ることではありません。



何故なら、この『FGO』という作品は、そういう前提に成り立っているお話だからです。超凄い選ばれた能力者が世界を救うとかいうお話ではないんです。 「巻き込まれてしまったただの村人Aが世界の危機に対し、責任感と根性だけで前に向って進んでいく、だから尊い」 というテーマのお話です。

つまり、物語上、確定しているのは 「藤丸立香自身に、サーヴァント戦に対応できるような機能は備わっていない」 という一点だけなのです。

ですが、『FGO』では劇中で 「藤丸立香はサーヴァント戦に対応できており、かつ、彼(彼女)の指示下においての方が(マシュも含め)サーヴァント達は効果的な戦いが行えている」 と描写されています。これは、どういうことなんでしょう?

アニメの場合、そのまま 「藤丸立香がサーヴァント戦に対応できて、指示もできる」 という前提で描かれていました。実際、リアタイ当時は、私もそれが当たり前だと思ってみてました。何故なら、 「ゲームでそう説明されてるから」 です。

それどころか、『バビロニア』終盤では立香自身が黄金の短剣をティアマトに突き刺してますし、『ソロモン』ではゲーティア相手に一般人とは思えない大立ち回りさえしていました。

ということは、ティアマトやゲーティアは一般人でも対応できる程度の動きしかできないということなのでしょうか?サーヴァントよりも遥か格上の存在なのに……?



これが、アニメ版の『FGO』を観終わった後に、自分が感じた違和感の正体です。

モブでしかない一般人が主役を務めるからこそ美しいと謳っている作品が、そのモブに超人と同じ働きを当たり前のようにさせているという矛盾。別作品で例えるなら『ドラゴンボール』のブルマやMrサタンがセルやブウと戦って勝つ場面を見せられたようなもんです。それって納得できます?

少なくとも、私には無理でした。ええ、だから、ブルーレイも買いませんでした。別に駄作とは思ってません。単に私が納得出来なかった、というだけですから。アニメスタッフの人達は忠実に、丹念にアニメ化されていたと思います。



とはいえ、それはアニメ版の話。

ゲーム版は直接、映像として表現はしていません。ですから、まだ脳内補完する余地があります。

で、色々考えてみたのですが……もし、話の都合以外の理由があるのだとすれば、以下のような複数の要因が絡んでいるのではないでしょうか。

 1.魔術礼装による補強
 2.カルデアのシステムによるバックアップ
 3.実は藤丸立香はリアルタイム指示などしていない


1は明確です。立香が着ている魔術礼装(戦闘服)のおかげで、主人公の肉体の脆弱性や魔術の発動を補佐してくれています。周囲への環境適応などの機能もあるとされています。
つまり、強力なバフの装備のおかげで、トーシロの少年少女でも知識不足や修練不足を補えるという仕組みです。これが大きな支えになっているのは間違いないと思います。



ですが、この装備のおかげで補強されているだけで、果たして、サーヴァント達の戦闘に対応できるものなのでしょうか?あの人間離れした切嗣や言峰でさえ無理だったのに?



もし、本当に、その装備だけで達人級の切嗣や言峰を超えられるのなら、それはもうEX宝具と言わざるをえません。正直、そんな都合のよい設定が成り立つとは思えないですし、仮にそうだとしても、それならそう劇中で説明・描写されてないと不自然です。つまり、あの礼装は、そこまでの代物ではないと考えざるを得ません。

なので、魔術礼装の機能以外にも、別の要因を考えてみました。それが2つ目の「カルデアのシステムによるバックアップ」です。

実際の所、立香は単独で戦っているわけではなく、実際には礼装を通じて、カルデアのコンピュータと随時、通信を行っていると描写されています。つまり、 マスターである立香という「端末」を通じて得られた情報をリアルタイムに吸い上げ、情報分析および戦闘状況判断を「本体」であるコンピュータ側で行うと同時に、現地にいる立香およびサーヴァント達(マシュ含む)にダイレクトにフィードバックしている のではないでしょうか。だからこそ、海千山千のサーヴァント達が豊富な戦闘経験に基づいて独自に判断して応戦するより、トーシロのマスターと一緒に戦った方が効果的に戦える、と評しているのではないでしょうか。(本来、一般人を庇いながらの戦闘というのは、足手まといを守りながら敵も排除するという一番、厄介なシチュエーションです)

マスターを経由して行われるコンピュータによる高速での戦闘分析および複数サーヴァントへの同時情報共有による効率的な次世代戦術システムの実現。これこそが、英霊召喚システム「フェイト」の正体なのではないでしょうか。要は、 『バトルテック』のC3コンピュータ みたいなもんだったのではないかと。そりゃ、強い訳です。だって、「神代の魔術師や英雄」が「現代の超科学」で武装・強化されているようなもんなんですから。

そして、同時に、これは3つ目の要因にもつながります。つまり、トーシロのマスターである藤丸立香は、戦闘前に大枠の方針を伝えることはしていても、はなからリアルタイム指示など行っていなかったのです。コンピュータから送られた分析情報に基づき、各サーヴァント達が各個に連携して戦っていると考えた方が素直に納得できます。というか、実際に一瞬一瞬の判断が命取りなる戦闘中に他人の指示など待ってられる訳がありません。本来、そんな低レベルの戦いではないのです、『Fate』シリーズは。

そして、『FGO』は多vs多である以上、既存の『Fate』シリーズよりも、より高次元(単純な強さの強弱ではなく)の戦いを繰り広げていなければおかしいのです。PvPとGvGで求められる能力や立ち回りが全く異なるのと同じように。

とはいえ、これにも一つ問題があります。それは、主人公が召喚しているという「英霊の影」の存在です。もし、これら「影」に自立機能がなく、結局、主人公が使役し操作しているとしたら、やはり、主人公のスペック(判断力、反応速度)が重要となり、下手をすればボトルネックになりかねません。

しかし、これも先日、『葬送のフリーレン』を見ていて解決しました。



おそらく、「英霊の影」も『葬送のフリーレン』に出てきた複製体と同じように 「同じ知識&能力&人格を持つが言葉を喋らないコピー」 なのでしょう。そして、独自の意志を持っているのであれば、主人公の指示を待たずに各々が判断して戦闘を行えるため、問題が生じない、という訳です。

そして、これなら『ソロモン』最終戦で呼び出されたサーヴァント達が全然、喋らない理由も納得できます。「英霊の影」である彼らからは、喋る機能がオミットされているからです。喋らなかったのではなく、喋れなかったのです。じゃあ、喋らなくても仕方ありませんね!(本当かぁ?



劇中、マシュの 「マスター、指示を!」 があまりにも、よく聞かれるのと、ゲームシステムがターン制コマンドバトルRPGであるために、錯覚しがちなだけで、実際には先述の理由によって、マスターの指示など待たず、サーヴァント達は戦況に応じて各々が適切な反応、対応を有機的に行っている筈です。もし、指示がないと動けないという惰弱な面子ということになれば、『FGO』は『Staynight』より、低レベルな争いをしていることになってしまいますが、『FGO』は『Staynight』に勝るとも劣らない戦闘レベルの戦いを繰り広げている筈です。ならば、それを成り立たせる設定が不可欠になってきます。遅くとも、アニメとして映像化する時点で、それが必要でした。

そもそも、『FGO』は、『ブルアカ』や『艦これ』のような、ふわふわした作品でもないし、何より、既存『Fate』シリーズの描写に縛られるという弱点を抱えています。これがまだ近未来電脳世界で繰り広げられる『Fate Extra』ならまだしも、『FGO』は現実の延長戦として描いてる以上、『Fate』シリーズの世界観(常識)には縛られてしまうのです。それが嫌なら、『Fate Extra』のように、別の世界、ルールを用意せねばなりません。もしかすると、カルデアス(仮想地球)が、その辺りに影響している可能性も無いとは言い切れませんが……。



……などなど、色々書いてみたのですが、実のところ、もっと根本的な理由が一つ考えられます。

それは、原作者であり脚本も担当されていた奈須さんの中では 「?いや、一般人(藤丸立香)
でも、サーヴァント戦に対応できるけど?」
という認識だったという身も蓋もない理由です。

というのも、サーヴァント相手に生身の人間では勝ち目がないと判断してるのって『Fate/Zero』の切嗣なんですよね。こちらを執筆されていた虚淵さんの認識は「対応できない」なんだと思われます。



ですが、よくよく考えてみると、奈須さんが『Fate/Staynight』を書いていた時って割と生身の人間が対応できてるんですよね。キャスター相手にステゴロ決めた凛然り、セイバー相手に蛇を叩きこんだ葛木先生然り。言峰もハサン相手に良い勝負してましたからね。そういえば、バゼットさんもセイバー相手に普通に白兵戦してたな……。



つまり、 「適切なバフが施され、有利な状況下であれば、生身の人間でも十分にサーヴァントに対応できる」 というのが、奈須さんの認識なのでしょう。そして、その認識は今も変わってないから、『ソロモン』では、ゲーティア相手に、ああいう大立ち回りをしてみせたのかな、と。

ただ、ufotable の戦闘描写を見続けてきた私としては「いや、無理やろ、これ」というのが正直な気持ちです。どう考えても、超人バトルなんだよなぁ……




ある意味、ufotable が派手にし過ぎた功罪なのかもしれません。少なくとも、ゲーム版の『Fate/Staynight』はもっと地に足の着いた戦いをしてた気がするし。超人バトルでも、怪獣大決戦でもなく。でも、私達は既に ufotable 版に慣れちゃってるから、そっちを軸に考えざるを得ないのだ……。


※3月13日追記 藤丸立香は一般人でない方が良かったのか?

以前、 「藤丸立香は一般人でない方が良かった」 という意見を耳にしたことがあります。

個人的には、そんなことはないと思います。藤丸立香、つまり、 『FGO』主人公は特別な才能を持たない一般人で良かった のだと。

理由は以下。

 1.半端な才能では説得力(言い訳)に欠けるから
 2.無力だからこそ、数多のサーヴァント達が手を貸してくれるという言い分が成り立つから


1点目は、言葉通りです。



『FGO』にはイスカンダルや諸葛孔明、ナポレオンに織田信長といった智謀や軍略に優れた歴戦の英傑が揃っています。

もし、主人公をルルーシュのような「戦術の天才」という理由付けをした場合、そんな英傑達以上の戦術眼、判断力に秀でた人物ということにしなくてはなりません。しかし、それだと、サーヴァント達の持ち味や役割を損ねてしまう形になりかねず、『Fate』シリーズ最大の武器を活かせません。かといって、彼らに劣る才能程度(チェスの名人とか)では、主人公に選ばれた根拠には弱過ぎます。下手に半端な設定にするより、いっそ「武術も魔術も戦術にも何の才能もない素人の凡人」の方が個性として際立ちます。無能(低能ではなく)、没個性であることが逆に有能、個性だらけの中では独自性となりえるからです。

そして、2点目。

そもそも、人が他人の為に、あるいは、世界の為に、自らの命を賭して戦うことは、決して当たり前の行動ではありません。




アーサー王やジャンヌ・ダルクのようなザ・優等生なキャラはまだしも、天上天下唯我独尊で気分屋のギルガメッシュ、狂人にして残虐なジ・ル・ドレェ、人間に対して強い憎悪を抱くヘシアン・ロボ、世界の全てを自らの悦楽の贄と見なしている殺生院キアラといった面々が態々、人理のために召喚に応じて戦う理由などないのです。「英霊なんだから、人理の危機に立ち向かって、マスターに協力するのが当然」というのは、幾ら何でも甘過ぎます。『Fate』シリーズで「サーヴァントはマスターに従って当然」とか思って寝首かかれてた魔術師連中と同じぐらい甘いです。

彼らは過去の亡霊であり、現代を生きる人間ではありません。生きている人間のように「死にたくない」「生きたい」「戦わねば」という話ではないのです。所詮は他人事。わざわざ、召喚に応じる必要もなければ、戦ってやる義理もありません。ノブレスオブリージュは理想であって、常識ではない。

となると、彼らには、「個人的動機(主人公に対する関心)」に基づく召喚に応じた理由付けが必要です。そこで重要になってくるのが、主人公の凡人設定です。



英雄ではない、勇者ではない、救世主ではない、ただ偶然、責任を背負わされただけの少年少女が、世界の危機に必死に立ち向かっていく。だから、彼らは手を貸してくれるのです。

自分達から見れば取るに足らないちっぽけで無力で逃げ惑うだけに過ぎない筈の虫けらに近しい存在が、自分達ですら成しえないような困難に立ち向かおうとしている。

だから、尊いのだ、と。だから、力を貸してやるのだ、と。その生き様を見届けてやろう、と。

目的(人理保障)が重要ではない。重要なのは、それを為そうとしているのが何者か、ということ。

それが『FGO』です。力が無いからこそ、尊い。力が無いからこそ、成り立つ。

逆を言えば、ちょっとでも力があっては駄目なんです。最弱だから、無力だからこそ成り立つ、逆説的なお話なのです。

ゆえに、主人公は、藤丸立香は、運命に翻弄される無力な少年少女でなければならない。 かつて、とある集落で世界中の人間の善意を証明するためにその名を押し付けられ、「この世全ての悪の原因である悪魔」として周囲から扱われた誰か のような。



本来、主人公を活躍させたり、大仰なアクションを取らせることは、エンタメとしては常道ともよべる王道的手法なのでしょう。

ですが、『FGO』では、その常道が通用しないのです。それが売りの作品であり、それを損ねてしまっては持ち味を活かせません。例えるなら、「防御力を増やすのは重要だから」と軽量高機動が特徴の機体に無暗に装甲板を追加するようなものです。本末転倒もよいところです。

推測ですが、『FGO』を映像化するのであれば、サーヴァント達の活躍を増やし、主人公の活躍を減らす方が適切なのでしょう。『指輪物語』のように。勿論、それが映像作品として面白いのかは別問題ですが、それがもっとも『FGO』という作品の主題に沿う方法だったのではないでしょうか。



余談ですが、個人的に、ソシャゲアニメの主人公の描き方で印象深いのが『グラブル』だったりします。あれは、メインで弱い男主人公による泥臭い長編成長物語をじっくり描きつつ、サブで強い女主人公による短編爽快痛快活劇という書き分けをしていました。こういうやり方もあるのだな、と当時、感心した記憶があります。




前々から言っている通り、物語に正解は無いと思います。ただ、試みがあるだけだと。

ただ、やるならやるで、その作品の持ち味を活かした描き方をした方が、作る方も観る方も満足できるのではないか。そう思う今日この頃でした。





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最終更新日  2024年03月14日 20時36分27秒
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