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シェーンブルク宮殿真剣でなければ本当に活きていると言えないのではないか。講座の教授のレジュメを読んでいて思う。そういえば、そんな真剣な講義を聴いたことがある。胆石で控室に医師を呼んで講義をされた教授がおられた。聴く方も真剣になった。眼が覚めたというべきか。学問に対する真摯な態度が、学生たちを覚醒させるに違いない。学生が勉強しなくなったと世間ではいうが、それは先生が勉強しなくなったからだろう。 ・真剣さは伝わるものだ。どうも政府が国民を騙そうとする。カネで動いている政治家がいる。そうした病んだ社会が、すべてのシステムを狂わせもする。今度の震災を、天が遣ったことだと思うという生徒がいたそうだ。天罰だと思う人もいるに違いない。人間は小さいことしかできない。ドリトル先生もそこから来ている。みんな真剣に活きているが、それが繋がらない世界でもある。 ・へ2・・・政府が国民の未来を描けなくて、何の政府だろう。政権のポストについてそれで終わりのつもりでいる。そんな政府を国民が支持する筈はない。明確な指針が出せないようでは意味がない。EUは災害に遭った日本を支援すると報道されているが、それは、その価値に価する行動をする日本に対してでしかない。自分が真剣にならなければ、だれも信用しない。
2020.03.31
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カワセミ 物欲ばかり追いかけてきた。それが普通の人間のすることだと信じていたのは、信じさせられていたのだろう。「生」が善で、「死」が悪でしかない社会を当然だと思い、信じていた。何時も「生死」表示する針は、「死」と反対の方向を指し続けていた。社会的ステータスも高い方が好い。ヒエラルヒーの社会では、何時も上を向いて生きて行かねばならない。それが当然であり、合理的だという妄想を信じていたのだ。 ・何を信じていようと、この国で生まれて活きていれば社会のルールに従うべきであり、すべてが完璧な社会などない。愚劣といえばどこまでも愚劣であろう。押し出されようが、自分で好きなことをして来ようが、いまの自分の社会環境がすべてを決している。天災も人災もある。今回の3.11東北関東大震災で被災した人々も、世界中の人々から救援の手を差し伸べられているとしても、哀しみが直ちに癒えるわけではない。重苦しい今日や明日があるに違いない。 ・へ2・・・世界から被災地で略奪や暴動が起きていないと賞賛されているニュースがあったが、被災地でもう金目の物を漁っている輩がいるらしい。そういう人間はどこにでもいる。中島敦の「狐憑」では、 一人の詩人が喰われて了う。
2020.03.31
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ブダペスト 英雄広場。文化人と呼ばれるようなひとには、昔から巷を蔑むような風潮があったようだ。其れは必ずしも自分たちが高徳の士だからではあるまい。他人には辛く自分には甘いだけなのだろう。殊にエリートコースを歩く人には、庶民感覚を否定するような考えを善とするようなところがあったのではないか。それは、大学でもそうだったのだろう。学問をやることが庶民の中に根を下ろしたものではなかった。西欧の民主主義も輸入されて庶民にどれだけ浸透しただろうか。レセプターがその役割を充分に果たしたわけではない。 ・日本の近代化の中で江戸時代の寺子屋や、寺社などの庶民教育の影響が、明治以後の教育ではその役割を果たした。それは、下級武士を含め庶民感覚という合理主義があったのではないだろうか。然しそれが成熟していないだけだ。封建社会という忌わしい抑圧機構があったためでもある。庶民は抑圧されていた。庶民感覚が下賤の観念であったというのではない。 ・へ2・・・寧ろ上流階層に歪さがあり、干乾びた精神でしかなかった。彼らには豊かな感性が育たない。僅かに少数の庶民の子どもたちが学んだに過ぎない。そして特権階級という意識の罠に堕ちて行ったのだ。何時も歩いている自分の写真の視点を、少し落としてみた。子供のころの視点になった。視点を落とすと見えてくるものがある。上澄みは綺麗でも下は違う。然し決して汚濁ではない。未来はそこから始まる。
2020.03.31
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スリランカ 人の心理は複雑だ。恐らく自分で自覚している以上であることは確かだ。人間の意識は、無 意識の分の意識でしかない。分母は水面下であるが、意識はその氷山の一角でしかない。自分 の気分を決めているものは無数ではないが、百や千ではないだろう。自分で思い当たるだけで も数十はあるからそのまた数十倍か数百倍あるのではないだろうか。日々体調は変化してい る。季節で気温も違うし、昨日の夜のウオーキングの負荷で、今朝の血糖も違う。モード も一寸したことで微妙に振れている。 視覚からはいる心理的変化や、その他の五感から来るもの、そしてメンタル面もある。人間と 云う生物の複雑系は、ダイナミックな変化の中にある。その中で免疫系も複雑な変化をしてい る。何を食べるか、どこを観ているか、そしてどういう環境で暮らしているか、対人関係はど うか。ストレスをどう受け止めているか。天候はどうか。いま何を心配しているか。そういえ ブログを書きながら、遣る事は沢山ある。
2020.03.31
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宮島。 物事を深く追及するということが研究者のメインであろう。じっくり腰を落ち着けて取り組まなければ何事も中途半端な成果に終わるのだろう。目的とするものがあるとは限らないが、底の底かで探さないとわからないこともあるに違いない。そうしたら、この世に還れないこともある。併し、中途半端な穴ばかりあっても詰らないから誰かがやり遂げなければならない。それを確り記録に残さねば意味がない。まだあの世に逝ってこの世に帰ってきた人はいない。 ・感動させられるような人間の生きざまを聴かなくなって久しいのはそれは、そういう人間らしい生き方をする人が少なくなったのだろう。日本に世界的な文豪が少ないのは、モデルがいないからではないだろうか。他人の真似ばかりしてきた報いだろうか。真似をすることはできても本物には敵わない。何十年も前いに流行った歌をいつまでも喜んでいる社会では、進歩はないのだろう。一つの歌で食える社会が可笑しいのだ。「歌謡曲だよ人生は」等という歌を聴いたことがあるが、それほど軽薄なのだろうか? ・へ2・・・1.27億人がいれば、一人一人違う人生があり、それが皆人間らしく、自分の持つ才能を燃焼すべきだろう。そのために社会がなければならない。私も社会参加して、何でもしたいが、何もできないでいる。そういうシステムを構築しないからだ。させようとしないかも知れない。それをしたら滅茶苦茶になると考えるからではないか。自分の仕事がなくなるとエリートたちは考えているのではないか。そんなものなのだろう。心の広い社会でなければ、人間の才能も花を開くことはできない。そのある社会が人間を育てるのだろう。
2020.03.31
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ブダペスト 英雄広場 ・スイスはアルプスの山脈の中央部にありながら、鉱山資源に乏しく、畑地も少なく、穀物も不足していた。19世紀産業革命に成功するまで貧しい国であった。その貧しさを救ったのが、「血の輸出」という傭兵による出稼ぎであった。すなわち山国と地形とスイス傭兵こそがスイス産業革命の成功を担保したのだ。 ・19世紀になり、ナポレオンはイギリスの経済封鎖を狙って大陸封鎖令を出し、スイス産業に有利に働いた。産業の勃興により傭兵出稼ぎが必要なくなり、豊富で安価な労働力を確保できたからである。ヨーロッパ各地に散っていた多数の傭兵が各地の技術データや市場データを持ち帰ったからでもあるという。更に山河の多い豊富な水量が動力としての水力となって貢献したといわれる。 ・へ2・・・小国でありながら、永世中立を成し遂げている根底には、「血の輸出」という歴史があったからでもあるのだろう。そして、傭兵たちから得られた情報こそが、彼らの知恵となったのだろう。それは、現代においてどのような形で残っているのだろうか。その継承こそが強かに生き残りをかけた外交能力ではないだろうか。
2020.03.31
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ブダペスト 英雄広場。 コンプレックスは、生まれて数年のうちに形成される。それは、個人の態度 行動・夢などを決めたり引き起こしたりする一群の無意識的傾向である。 コンプレックスには、去勢・劣等・エディプス・離乳などがある。 ひとは、何らかのコンプレックスを持っているが、それを克服できるかだろ う。然し、それは、津波のように忘れた頃に何度でも遣ってくる。 人間は弱い生き物だと思う。それだけ柔軟なのでもあるだろう。ひとは、弱 く、然も忍耐強い生命なのかも知れない。 誰かが、この腐敗した社会の蒙昧から抜け出すのであろう。そしてナチュラル・セ レクションがあり、次のステップを迎えるだろう。 私たちには、できそうもないこと難題を乗り越える。 私たちのこれまでの常識は、常識ではなくなる。私たちは、誰もみなコンプレックスを 抱えた存在でしかない。だから、すべてを疑いながら生きねばならない。 それでも、卑屈になることはない。一歩でも前を見て歩くのが役割な のではないだろうか。 何かできるだろうと期待させられてきたが、それは仕組まれた罠でしかなかった。できもしないことを夢見させられていたに過ぎない。教授のようになりたちと思っていたが、果たしてそれは、本当のスターだっただろうか。期待は裏切られた。ただの自惚れ屋ばかりだったのだろう。日本は少しも良くなってはいない。それは権力者たちが、富の集中を続けているからでもある。
2020.03.31
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ヒヨドリ少年は未来を夢見、青年は現在を語り、老人は過去を思うという。なるほど思い当たることは沢山ある。自分の都合のいいことばかり考えてしまう。世間が狭いのは、そうさせていると言えないことはない。「老人もつくられている」。身内に甘いというのは、何とも甘酸っぱいだろうか。親戚の女の子が、やたらと味方をしてくれたっけ。 ・依怙贔屓も時には嬉しかったりしたが、それも段々嫌にもなった。自分がそんなに能力があるわけでもなく、凡人だと解るようになったり、コンプレックスを感じたりしたこともある。貧乏が恥ずかしかったりもした。親に迷惑もかけた。ある意味エゴイストでもあった。そうならざるを得なかったこともあるが、勇気もなかったのだろう。 ・へ2・・・馬追いは怪我人が出て、危ないからと一時は廃止になったりしたが、また賑やかにやっているらしい。駆り出されている人が大勢いるのだろう。訳の分からないまま遣っている人たちがいるのだろう。博多での山笠の写真を載せたことがあったが、文句を言われたことがあったが、自分たちが一生懸命だから何でも許されると思い込んでいる人たちがいると思った。昔の青年将校と変わらない人がいるらしい。怖い話だ。
2020.03.31
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ブダペスト 英雄広場。・時々だが科学雑誌を読んで、嘆息する。ひとの無駄遣いばかりしている政治がある。嘘つきの社会では未来はない。人を活かすのではなく、ヒトの犠牲の上に築こうとしている世界は、孰れは崩壊するのだ。警告されれいることは必ず起きるだろう。本当のことしか起きないのだ。嘘の社会にならされているだけだ。毎日くだらないことをしているが、それは理由がないわけではない。 ・へ2・・・トレードオフの時代になる日もある。容あるものはいずれは消えていくのだ。それが自分のことだと人は知っている。幻想は幻想しかないのであり、いつかは終わる。仏教だろうと他の宗教だろうと、事実は事実でしかない。然し、物質世界は4%の存在でしかなく、ダークマターやダークエネルギーで破壊もされるだろう。残された命が自分の課題だ。
2020.03.31
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ブダペスト 英雄広場。敗戦とはどういうことだったのだろうか。その言葉を今では聞くことが少なくなったが、私の脳裏には、その言葉がべったり貼りついている。中国のチンタオで生まれて、乳飲み子のまま父母と共に熊本の田舎で育った。親族の情けにすがって暮らしてきた。みんな貧しかったから泣いたことはないが、屈辱と貧しさは知っている。 ・父母たちは報われることなく死んでいった。こうして私は、平凡に暮らしているが、偶に行く海外ツアーの話を聴いたとすれば驚くのではないだろうか。そんな余裕はどこにもなかった人生でもあったから。父母たちの分まで楽しんで生きていこうと思っている。勿論不安がないわけではないが、なるようにはなるのだろう。今度の3.11も多くの犠牲者と、被害を受けた人たちは、情けない貧しい政治の冷たい仕打ちに打ちのめされている。 ・へ2・・・想定外の事故だと、責任逃れをしている。犠牲になるのはいつも弱い立場の人間たちだ。三年間の犠牲の時間がある。それを填補するものは何もない。テレビの画面を見ながら絶望した人たちもいる。不幸はいつも突然に現れる。時間は取り戻せない。憐れを知る人間でいたいだけだ。
2020.03.31
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ヒヨドリと雀・ある社会心理学者が、休みの日に街かどの喫茶店から通行人を観察しているという話を聴いたことがある。その時は、ああそういう人もいるのだと。通行人は、誰が自分を観察しているかなど考えてもいないだろう。ぼんやり歩いているが、解かる人には解かることがあるに違いない。服装や、体格、歩き方、動作などから来る特徴は、ある特徴から来るそのひとの気分さえ解かるに違いない。然も心理学の専門家ともなると、本人が気付いていないことまで解かるのかもしれないからだ。 ・へ2・・・CMにしろ、世論調査にしろ、人間の心理の研究は進んでいる。色んな観察者がいて、獲物を探しているに違いない。それは許されることとそうでない人がいる。無関心そうに装った人たちの中にも鋭い観察者がいるということだろう。油断のならない社会だ。 年の初めから、なにか嫌な予感がしていたが、それが新型コロナウイルスで、武漢で大都市の封鎖という事態になり、流石社会主義国だと驚いていたら、瞬く間に大騒動になった。そして、ダイアモンド・プリンセス号の横浜寄港で、ああだこうだとメディアの報道がされ、大量の感染者があった。中国政府は、透明性のある報道をしてきたのだろうか。いつから流行が始まったのだろうか。
2020.03.31
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自分の中の一日は、年齢とともに動いている気がする。とてもフルタイムで頭は動かなくなっている。時々休まないと草臥れてしまう。それもながくはつづかないようになっている。それほど緊張することが必要なくなっているのは有難いがそれは自分の視野を狭めてもいる。人との付き合いも同じだろう。全方位ということも、八方美人でもいられない。阿弥陀仏の「相好光明照十方」というのは、仏でないとできない。 ・午前中に集中して仕事をするという老人がいたが、それこそ合理的に物事を考える人なのだろう。できなくなっていくことにしがみ付いてもいられない。それこそ政権の座にある人たちが、それを厳しく感じているだろうか。利己的であっては権力は腐敗する。官僚機構にしても、甘い汁を吸っている間に国家は衰退してしまう。国家ではなく、自分がすべきことを考えるべきだ。メルトダウンの意味さえ知らなかったような、政党やマスメディアは価値が無い。 ・へ2・・・敷かれたレールの上を走るような知識では役に立たない。責務の何たるかを知らないでいる。死ぬまで本気でいない人間はエゴイストでしかない。
2020.03.31
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身に降りかかる不幸はいくつもあるが、その中でも大災害は、人間存在の最大のものでもある。其れに耐えてこそ、その価値も問われるのだろう。口だけではなく行為によって示すのが、真の人間の価値でもある。世界の中の日本として、其れを示してほしいと願うばかりだ。まさに国家も個人にとっても正念場の一年になるのだろう。
2020.03.31
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和白干潟とミサゴヨハネの黙示録(「七つの教会への手紙」より) ベルガモにある教会の使いに書き贈れ 「両刃の利ぎ剣を持つ者かく言う、我汝の住むところを知る、かしこにはサタンの座位あり、汝わが名を保ち、わが忠実なる証人アンテパスが汝らのうちすなわちサタンの住むところにて殺されしときもなお我を信ずる信仰を棄てざりき。されど我汝に責むべき一、二のことあり、汝のうちにパラムの教えを保つ者どもあり、パラムはパラクに教え、彼をしてイスラエルの子孫の前に躓物(つまずき)を置かしめ、偶像に献げし物を食らわせ、かつ淫行をなさしめたり、かくのごとく汝らうちにもニコライ宗の教えを保つ者あり。さらば悔い改めよ、しからずんば我すみやかに汝に到り、わが口の剣にて彼らと戦わん。」
2020.03.31
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ブタペスト 英雄広場。 ハンガリーの政権が、COVID-19の緊急事態宣言で、野党勢力を封じ込めようとしているというニュースがあったが、日本政府も、あるいはほかの国でも同じ事をしようとしているかもしれない。隙があれば、どんなことでもするのが手強い相手のすることでもある。油断したらやられてしまう。下心のない金などありはしないのだまあ当面メシの心配もなく、ブログ三昧しているのは、ソフトランディングになるのだろうか? そうまあ簡単ではないが、ルソー何か読んでいると、あの時代に比べたら、そんな気がしないでもない。分刻みで働いている人たちもいるけれど本当に何をしているかといえば怪しいものが多いではなかろうか。半分僻みかもしれないが。 要は自分の実力に応じた仕事が出来ているかだろう。適材適所ではない。仕事をしたい人に仕事がある訳ではない。くよくよばかりしても仕方がないし、運不運もあるだろう。 気分が悪くはないので大丈夫だろう。できれば、このままで人生のソフトランディングでありたいが、どうなのだろうか。少し楽天的だろうか。もう大分リスク管理が高いわけではなくなっている。 明日に万全であることは何もないだろう。生で、生きているとはそんなモノだろう。ルソーが道ばたで寝た話を書いたが、私も天草の田舎道でしたことがある。
2020.03.31
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ブタペスト 英雄広場。<作品> 「吾輩は猫である」最終回講座メモ。・アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto)「仕立て屋のアンドレア」の意である。ミケランジェロやラファエロらがローマで華々しく活躍していたのと同じころ、フィレンツェの美術の伝統を守っていた画家である ・問題を含んで作品。難しい。講師著「漱石と次代の青年」。講師は漱石の研究者。・ホトトギスの虚子が書くように勧めたといわれる。1回で終わるつもりだった(1の章)。連載のつもりはなかったが、評判がよくつづけた。同時に「倫敦塔」を出版しているので虚子の勧めばかりではない。自分の意志がある。・「気が紛れるだろう」ではおかしい。漱石ではなく、他人の言っていることはあてにならない。・「漱石神話」は必ずしも正しくない。・漱石の考えは、当初「猫伝」というタイトルだった。・漱石は、最初「小説」を書くつもりではなかった。・「1の章」では、登場人物に、人の名が出て来ない。・寧ろ「写生文」を書こうとした。・虚子や妻鏡子の証言もあるが、それがそのまま事実かどうかは疑問。・虚子の「添削」がどこかわからない。(1の章だけか?)。(虚子)・・・最初は、漱石よりも作家の経験があったので。あとではしていないのではないか。・漱石は、当時小説家としては無名であり、虚子の添削がどの部分かは解かっていない。(1の章)。・「2」でもまだ連載のつもりはない。「1」が売れたので、「2」を書いた。虚子が「ホトトギス」を多く売りたいに勧誘した。・即興的な書き方をしている。それが漱石の能力でもある。・根底には、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの争いがある。・「個人と集団の闘い」。漱石は、集団は苦手だった。孤独でありつづける。・「金田一家」岩崎弥太郎のこと。・・・漱石は商売人を嫌いで、目の敵にしている。・「坊っちゃん」「吾輩は猫である」に共通する観念。「集団」をリアルに描けていない。個人についてはリアルだが、集団的はない。むしろ社会悪を把握できていない。・社会集団に対する認識が薄い。・・・対比松本清張。社会悪の内側から見る視点がある。一葉にもある。・個人・集団(社会)・・・「それから」・・・「明暗」漱石の認識が高まる。・前近代。反近代であるのが、漱石の立場。・古い新しいは意味がない。・「猫」を書く人がそれまでいなかった。という意味で偉大。・偉そうに書いているという評価がある。漱石のエリート意識。・「うっ、と来た」。辟易した。「猫」を読んで。・漱石の中にあるエリート意識。「集団」と闘うためにエリート意識を持とうとしたのではないか。・大江健三郎にもエリート意識がある。・「天然居士」。そろりの墓。事実を書いた。「猫」の中に出てくる。・米山保三郎・・・畏友。逸話の多い人物。・森セン三「月夜車」弥生書房。・漱石には写生文を書くという意識が強い。それが小説に変容して行った。・変幻自在である。・写生文と云うエッセイを書こうとした。それが「猫」になった。・自己批判も出来る。・坊っちゃんの僕が主人公ではない。主筋は違うところに坊ちゃんがあとからやってきた。・水島寒月と金田富子の関係。金田富子・・・下品な女。・・・が主筋になる。坊っちゃんのマドンナも同じだが書いていない。・見え隠れしている上の二人の関係がストーリーになる。・「三四郎」もあとからストーリーを書いている。・イギリスのトリストラム・スターン「シャンデイの生涯と意見」・小林信彦・・・落語的。・悲劇が喜劇になる。ベクトルが変わる。・落語の「落ち」がある。・与謝野晶子・・・「みだれ髪」・・・・浪漫主義へのパロディ。苦沙弥先生の妻の洗い髪・・・「はげ」が落ち。・北越奇譚・苦沙弥先生の妻が、パロディになる。・場面と場面が響きある。同種のもの。・組み立て方がいくつも出てくる。相似形。・同種の場面が繰り返される。・死にそうな目に何度も遇う。それが小説のキーになる。つねに死が背後にある。・ステイーヴンスン「自殺クラブ」。・文明批判。個人主義は長続きしない。個人主義と死の誘惑。理由がはっきりしないものを引き寄せる。現代でも当たっている。個人主義が招いている自殺がある。・「おれが、おれが」は、個人主義。それが、直接死につながる。・首くくりの話。・悲劇と喜劇が表裏にある。・漱石は「連想中枢」が発達していた。(死後の漱石の脳の解剖で医学的に証明されている)。・日本人は元々連想的。連想型イメージの作家。・方法的だが、資質がそうさせている。・前と後ろが繋がる。本を読むのも自分の読み癖による。作家にもあるので重なる人と会わない人がいて当然。・ストーリー上の繋がりではない。理屈ではない。同じパターンの繰り返し。・作家をどう読むか。・漱石は悲劇から喜劇への繰り返しである。「落語」の落ちと下げ。・落語の延長として「猫」を読むと解かる。前近代・反近代。・無関係と思われるものがあとで繋がる。・ブラックユーモア。落語でも、人間の死をコミカルに描く場面がある。・主人と猫が初めてであるシーン。「吾輩の顔をしばらく眺めておったが、・・・やがてそんなら」猫と主人の表裏の関係。通じ合う関係。主人は、同情した。捨て猫への同情。ポイント。・同情から始まっている。主人から拾われる瞬間。主人だけである。・迷亭像が、1章と2章では、人物像が変化している。・車屋の黒の憐れな最期。心象風景が書かれている。情景描写でもそれを締めくくっている。・1の終わりと13の終わりと同じ終わり方をする。・8 「鏡」が出てくる。自分の正体を晒すから。狂人扱いされた。あばた顔でコミカルに描いている。深刻さがないように書く。・逆上。インスピレーション。異常なもの。狂人。カフカ変身。・狂気から異常なものを生まれる。自覚している。漱石自身でも思っている。・おれは可笑しいかもしれないと思う。 9章。・笑いと悲惨とが、内省的になる。・自分の中の非情さを感じている。「苦沙弥」は非情に書いている。漱石は違うのではないか。・「水底の感」藤村操と女子。寺田寅彦宛の手紙。漱石と寺田との関係が出てくる。・自己批評に向かう。内省的。寒月には、同情があるが、先生にはないように書いている。・「呑気と悲しい」の表裏にある。漱石の構造の中核。「猫」も同じ。・悲しいと美しい・・・川端の世界。
2020.03.31
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宮島フェリーからの眺望。いつ何時、ということもある。それはこれまで周囲の人たちの運命でもあった。明日おれは死ぬぞと言った人はいない。いまも自分自身のことでさえ分からないことばかり起きる。何とダイナミックな世界なのだろうか。トルコの人々の歩んできた歴史も、トルコ人でなければ解からない感情があるに違いない。それは欧州の知識でも届かないだろう。まして日本人の私は、何も知らないから余計面白い。利巧に暮らしていないから、ぼつぼつ歩くしかないがそれも悪いことだけではない。 ・読書は、感動しながら読むものであり、心に触れたフレーズにアンダーラインを引きながら読めといわれる。この年齢になり、女子大の文学講座を6年間聴いたのは、得難いものだったと思う。生涯学習というが、どこまでできているのだろうか。私は、わが道を行くしかないと思っている。今日は晴天で、朝から1万歩のウオーキングしたが、いつまで遣れるか分からないが、自分の生きている環境を感じながら暮らしたい。 ・へ2・・・どうやら疫病政策さえ利用としている。緊急事態のために救済の名を借りたかねをばらまくのだろう。やり方が汚いこともする。選挙のためでしかない。
2020.03.31
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スリランカ維摩経、 菩薩の修行あるかぎり →意向 →高潔な心 →洞察 →行ない →廻向 →方便 →国浄化 →衆生の完全な浄化 →智慧の浄化 →説法の浄化 →智慧と修行の浄化 →自己の心の浄化。 自己の心の浄化に至るまで、なんと遠い道のりであるだろうか。
2020.03.31
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宮島弥山登山道。マンモスほど魅力に充ちた生物はいない。遂に絶滅した。それは、巨大化した生物の命運 を示唆するだ ろう。そして、ヒトのあとのニッチを担うものはどんな生物だろうか。冷凍マ ンモスは、新たな生命を再現 できるだろうか。たとえ再現できたとしても、もう彼らの時代 は来ないだろう。そしてヒトもいつかニッチを失うのだ。ヒトも絶滅の時が来るだろう。繰り 返すが過去には戻らないのだ。ヒトはマンモスから何を学んでい るだろうか。それがどんな 種であろうと地球を支配した時期もいつかは過去となる。 ・ひとは、何を、はしゃぎ、恐れ、悲しみ、怒るのであろうか。マンモスの如くありたい。 悠々として・・・。 マンモスのことを知りたいと思う。 ・弱いもの苛め ・過酷なできごとに何時の時代も翻弄される人たちがいるものだ。こんどの福岡県西方沖地 震もそんな 気がしてならない。玄界島の被害も狭い土地に肩を寄せ合って生活する人たちに 地震は容赦が無い。 ・大津波にしろ、痛めつけられて悲惨な目に遭うのは、貧しく生きて いる弱者だろう。そ れは、神の試練では済まされないものだ。政治とか、経済とかで遂見失いがちな場 所で、大 事なことが欠落していることを、地震は警告しているのではないか。防災意識がどうのと言う 以前の問題だろう。どうも、曖昧な生き方を私たちはしているのではないだろうか。善悪に しろ、価値観にしろ、世界観にしろ、何が平和で、自由なのか、自分は何にをどう努力すべき であるか。 ・抽象的に流れるのではなく、生甲斐を探す旅に出るべきと思う。 ・そうしなければ、あらゆるものが、弱い者苛めをやめないだろう。
2020.03.31
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ブダペスト 英雄広場美しきものは消え去り、帰りくることはない エジプトの人びとは何故ピラミッドやミイラをつくり続けたのだろうか。お墓を造って、その製造のために費やされた莫大なコストはそれに見合う価値をもつだろうか?それから、そののち現代に至る人間の活動は、必然と呼ぶに相応しいものであったといえるのだろうか? 美しいピラミッドの価値が何を意味すのだろうか。「屈折のピラミッド」が人間の姿であり真実の姿のだろうか。「美しいものは消え去り、帰りくることはない」 1953年レイチェル・カーソンは、ある雑誌に書いている。 「長い経験と高い能力を持った専門家たちが官庁から放逐され、それに代わって政略的な人事が行なわれたいうことです。土地管理局長マリオン・クローソン氏の解任がもその一つの例であります。このようなやり方は、まぎれもなく今世紀中に天然資源に対する収奪の道を開くものであることを強く暗示しています。・・・」 「自然界の真の富は、土壌、水、森林、鉱物、野生生物など、この大地の恵みの中にあります。将来の世代のためにこれらを確実に保存しなければならないし、当面の必要からこれらを利用する場合には、広範囲にわたる調査に基づく、緻密で均衡のとれた継続的な計画を立てねばなりません。これらのものの管理は、政治の問題とは全く違ったものなのです。」 「われわれが、外敵に対する国の防衛に熱中する一方で、内側から国を滅ぼすものにこれほど無関心であるということは、現代の皮肉の一つであります。」と。 幾度も繰り返している人間の歴史の教訓とは「美しきものは、帰りくることはない」でしかないのだろうか?
2020.03.31
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騙され易いのではなく、無理して騙されているだけなのだが、世の中のこと はそんなことで充ちている。本当にSMAPが、歌唱力のある歌手たちだとは誰も思わない が、何かのテリトリーを守っているから安心しておれるのだろう。別に優れてい る訳でもないが、多くの人たちを食べさせてるのは確かだろう。フアンたち が騒いでいるのも自分がSMAPの彼女になりたい訳ではないだろう。罪がない から許されるのだろうか。併し果たして罪のないことなどあるだろうか。 処で、進展の無い空白の時間というのを、よく歴史の中で見ることがある が、日本経済の空白の10年が20年間にもなる。 はたして自分はいま価値のある時間を生きているか。 ただ、いいと思っているだけではないか。 安易に仕組まれただけの人生を至福としているのではないだろうか。くだら ない幻想の愛情のために、仕組まれた罠に嵌った人生ではないか。 自分の生活を守ろうとするあまり、現実を見落としていないだろうかということ。現実の問題をきちんと把握しない癖がつくと段々、時代に流されるだろう。 善人も時として悪人に変わる。権力は腐敗する。安易であろうとすることは怠慢である。 新型コロナウイルスに世界は振り回されている。あっという間に大混乱する。人の運命もはかない。一夜にして暗転もする。毎日COVID-19の話題ばかりだ。途端にお先真っ暗な人たちがいる。こんな社会にどうしてなったのだろうか。
2020.03.31
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ブダペスト 英雄広場人の生き方を決めるのは自分だが、幸福かどうかは簡単ではない。貧乏だから、金持だから、でもないようだ。国によっても、時代でも違っており、どうやら理想的な環境というのはないのかも知れない。まだそんな人間を見たことはない。縦しんばあったとしても、その人が、どうして苦難を克服したかというのは一様ではない。 それよりか、寧ろ逆境から這い上がるという状況はそれこそテストすることはできない。何が成功かも問題だ。貧乏からリッチになることがサクセスストーリーだとするのは余りにも安易な発想であろう。旨いものを食べ、快適な住宅に住んでいるからセレブだというが、そんなことがサクセスというのは浅墓でしかない。それこそ量より質的なものが問題だろう。 USAが文化的な質的が高い文化だとは思えない。それほど単純な世界でもあるまい。寧ろ自分たちは豊かな文化だと思い込もうとしているだけではないか。そんな文化を真似しようとすることこそチープだろう。 生まれた国の文化の何たるかを学ぶ必要がある。他人がどうであろうと自分が何ができるかだ。先人は、何をよろこび、何をかなしみ、何を苦しんで。何に感動して生きていたのだろうか。それは、いま私たちが得られるものと得られないものがあるだろう。それでも、わたしたちの、いま持っている、感じることのできる感性をこそ研くべきではないだろうか。
2020.03.30
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ブダペスト 英雄広場私は、今の暮らしに満足などしていない。悠々自適でも、「我唯足知」でも、悟ってもいない。不満たらたらだ。ちくりと刺されれば、大声を上げるだろう。温和な人間になりたいとも思わない。悪政の犠牲になるなど真っ平である。 ただ愚痴るだけの暇はない。私には悠長な時間はない。併し遣りたいことは五万とあって、好きなものも意外と多いだろう。おとなしく消去されたくはない。 あの戦争の敗因を学びたくはない。そんなことを学んでどうするつもりだ。また戦争でもするつもりなのだろうか。自衛隊は、そんな碌でもない研究をしているのだそうだ。大学でも、訳のわからない研究ばかりしている学者が、何万人いようと、何十万人いようと、この国は少しも良くはならない。姑息な手段で他人を出し抜こうなど考えているから役立つものができないのだろう。 何でも満足するから、くだらない人生を過ごすことになる。少しは、骨のあることをしようではないか。一度くらい上司の頸を絞めても好いではないか。殺さない程度に。すこしは震え上がらせて遣ればいい。 それとも、さっさとどこか遠くへ出かけて、家族をびびらせても面白いのではないか。同じことをいつまでも繰り返しても、いいアイデアは出てこない。 ひとは、自分にも、世間にも、何に対しても満足しないから、ここまで進化して来たのではなかったか?
2020.03.30
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英雄広場日本で育ったので、勿論日本語も日本人から覚えたし風俗習慣も知っている。然しすべて知っているわけではないし、熊本市の城西という狭い世界でしかない。それは日本の一部の地方のそれでしかないのだ。然し、現在の熊本を知っているわけではない。もう30数年福岡で暮らしている。その間にも大阪や横浜に住んだことがある。ほんの一部のことしかしらないが日本人ではあるのだろう。日本人としての人生観や世界観をどこまで理解しているのだろうか。 ・ことばを遣うという意味が少し解るようになったが、これも一知半解だろう。文学講座を受講したが、日本文学の意味を考えるようになった。他人の見解はあるとしても、自分がどう思うかでもある。広い識見や、深い洞察力があり、普遍的な視野だろうか。海外ツアーをして思うこともある。自分の知っている常識が外国では通用しないことばかりだ。日本語だけを知っていて善かったのだろうか。他力本願で良かったのかなど、色々ある。 ・へ2・・・何故自分がそう思うのかということを考えると、それには当然根拠があるし、原因と結果がある。骨のエイジングケアが大事なのだろう。それが自分の寿命を決めてもいる。健康の話は深い。それを軽く視るべきではない。それを想うようになった。
2020.03.30
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ブダペスト広辞苑では「品格」とは、物のよしあしの程度。しながら。品位。気品。と ある。藤原正彦「国家の品格」。 日本が「国家の品格」を喪失したとしたら重大だが、今始まったことではな い。先ず政治家にその決意がないし、見識がない。国民にその拠って立つプ ライドが足りない。他国に自分の国家の命運を頼るなどという気概の無いこ とではそれこそ品格がない由縁だろう。企業のトップの品格が問われても いる。見せかけの地位では、それこそ仮想のトップでしかないだろう。日航 の完全民営化から約二十年。結局、親方日の丸の体質が改善されていない。 国家が品格を失えば、なべて国民に及ぶだろう。国家が凛と背筋を伸ばして ことにあたれば、やがて国民もそれ従いプライドをもつだろう。 道理を尽せばやがて道が開けるようになるものだ。その努力がたりないだけ ではないか。精神論ではないし、全体主義をいうのではない。 ライブドアショックなどと言うことで、世間が騒ぐのは、それこそ国民の品 格が問われることだ。 ひとは、損得で生きようとするから、ことを急ぎたがるのではないか。裸で 良い。何がなければならないのではない。カネでも名誉でもない。まして、虚 でもない。禅でもない。時がなければそれでいいだろう。ひとにはそのひと でなければならない時があるのであろう。自分の思いがショートすれば ことはならないだけだ。衒う勿れ。 わかるひとに分かって欲しいが、時はつれなきものだろう。 だから、ひとは「ヘイフリックの限界」とともにある。
2020.03.30
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FWUの12回目最後「一葉」講義で「わかれ道」「裏紫」が、今週予定だ。 明治29年2月「裏紫」は前半を「新文壇」に掲載された。一葉は4月肺結 核の徴表われる。そして11月23日午前、奔馬性結核で死去。 25日送葬、会葬者はわずか10数名の寂しいものであったという。 法名 智相院釈妙葉信女。 「裏紫」は、「ザ・一葉」に収録されておらず、プリントで読んだが、良人 を裏切り、嘘をついて、家を出るところから始まっている、「何と言ふ悪者 の、人でなしの、法も道理も無茶苦茶の犬畜生の様な心であろう。この様な いたづらの畜生をば、ご存じの無い事とて天にも地にも無いかの様に可愛が つて下すつて、私が事と言へば御自分の身を無い物にして言葉を立てさせて 下さる思し召。有難い嬉しい恐ろしい、・・・。」 女心の野生という遺伝子をもった明治の女を、一葉は、どう描こうとしただろうか。 一葉は、数え25歳で急死する。過大評価する訳ではないが、一葉の視点は 文化的な価値としても貴重な意味を持つ。それを社会は、見放し続けて見殺しにしたの だ。日本のこの稚拙は、女性解放運動に向かうだけで、その核を見失っていたのだろうか。 女性が、自分の性の遺伝子を知らないのだろうか。自分の良人では満足で きない思いは誰にでも起こりえる。そのことに対してどう向き合うかを学ば なければ、この悲劇はいつまでも続くのだ。一葉は、この課題を前半しか書 いていないが、継承すべき、世間からは無視された遺稿のままだ。 外見だけを飾るよりも、魂を揺るがすような表現力をもった気高き女性文学 者が出て来ないものか。見せかけではない現実を見据える視点がなけらばな らないだろう。 そういう女性が、雨後の筍のように出てきて欲しいものだ。
2020.03.30
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トルコツアー歴史的理性の覚醒は、神話を正面の相手とし、ロゴスとミュトスがある。統一的神話そのものが歴史的理性の所産である。神話は、象徴的出来事を報告し、命名し、その起源を物語る記述であり、確定であり、説明である。繰返され、暗誦され、編集され、「神話」となる。世界は、神話の中で神の思召し、あるいは約束として、人間の支配に委ねられる世界に変わる。これこそ、ミメシス的呪術からの大きなジャンプである。 ヨーロッパにおける市民的理性は、そもそも出現のときから、自然支配的性格の刻印を自分に刻んでいる。人間は、自然を支配する過程を通じて、自然の一環としての自己を自己によって支配された自然から疎外させないわけには行かない。人間の自己疎外の原過程は、自然からの根源的自己疎外であり、自己確立と自己疎外の弁証法的過程である。 歴史的理性は、その発端において、進歩と疎外の弁証法的モイラ Moira を背負っている。 理性は、神話からすべての材料を受取ながら、神話を破るために、この材料を逆用しよとし、逆に、神話の呪縛に落ち込む危険を孕んでいる。つまりヨーロッパの形而上学が自然と人間の永遠的秩序を規定する為に使用した根本的カテゴリーの重要な部分が、統一的神話をルーツとしているという事実である。
2020.03.30
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ブダペスト問題は、 極小粒子の人体への影響だ。人の肺の奥まで入り込んでくる。肺胞に極小粒子が付着する。 ・炎症―肺胞損傷―慢性呼吸器症―喘息。 ・毛細血管―毒性物質の流入―血液粘度増―血管収縮 ・人の肺は、酸素を吸い炭酸ガスを出す。 ・地上のオゾンによる影響。胡瓜の葉が汚染で白くなる。写真添付あり。
2020.03.30
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ヒヨドリ 人を見分ける鳥たちがいる。ヒヨドリもその一つだ。他人を顧みない利己的にしか生きれない遺伝子。どんなに美辞麗句を並べてみても準拠枠からでれないで、 自己撞着するだけか。所詮抑圧者の椅子から離れないで、搾取に溺れるだけ。男は女を苦しめ、 強者は弱者を虐げる。食物連鎖は、或るものを餌として、或る者の餌になる。 部下を侮蔑し、苦しめているだけで・・・自分を自滅させる。奢れる者よ。所詮自分も巨悪の 餌でしかない。この世に勝者などいないと知れ。共食い・・悪の連鎖・・利己的な遺伝子がある。 強かな遺伝子には、利他的遺伝子もあるが、それは生き残るためでしかない。善も悪もない。
2020.03.30
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ブダペストのトラム目に見えるものが、そのままの価値ではない。1000年の眠りから、古代のパラダイスをもとめてヨーロッパ人とその政府が、喪われた東方の古代遺跡を最初に探し出そうとしたのはエフェソスのアルテミス神殿だった。ハインリッヒ・シュリーマンもそのあと、トロイアを目指している。ウッドは古代史の研究家ではなく。鉄道敷設でトルコに来た建築技師だった。ヨーロッパ人の視点ばかりが強調され、トルコのひとたちがどのような考えだったのかが、私たちにはわからないでいる。アヤ・ソフィアについても同じだ。 ・トルコ人がなぜムスリムになったのか。ギリシャの芸術を愛した人々が、キリスト教徒になり、さらにはムスリムになったのだろうか。トルコでは世俗的な政府が指示されている。酒も飲まれている。国民はEU加盟を望んでいるが、EU側は必ずしも熱心ではない。何故か。権力や権威を信じるだけでは真実は視えないこともある。 ・へ2・・・何が真実かを知るのは容易ではない。
2020.03.30
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ブダペスト片面的な視点は正常な発展に至らないことが多いだろう。自己満足ばかりでは成長もない。鎖国が三百年も続いて、日本は世界から取り残された。自虐的でも進歩はないが、お山の大将でも困る。相手が弱すぎる敵と戦って勝っても、相手が強敵では負けるかも知れない。元寇も台風があって征服されなかったまでで、相手が自滅したに過ぎない。日清戦争や日露戦争で勝利したと言っても中身はどうだろうか。ロシアと全面戦争だった訳でもない。一部の歴史家がいうから客観的な歴史でもない。 ・一部の意見を聴いただけでは、それが歴史ではない。少なくとも文化の質量が少ないのが日本の本源的蓄積のない所以であって、もっと多くのサイトからの歴史観が示されねばならないのだろう。300年の眠りと、その後の明治以来の蓄積は軍国主義によって脆弱な文化の継続でしかない。まだ、戦後からの64年の自由の文化も開拓された文化的土壌ともいえないのではないだろうか。そういう意味では、このままでは無為に終わるのではないだろうか。 ・へ2・・・与えられたチャンスを活かし切れないのではないか。自滅するだけの、民族的な形質でしかないのだろうか。御用学者でしかない無批判な歴史観が未だに通用している。毎年同じようなドラマを見て何とも思わないのだろうか。水戸黄門や、司馬史観がまだ続いているではないか。現実社会というフィールドのない研究で満足している学者たちがいる。何かできるだろうか。できないかも知れない。 志村けんさんが、新型コロナウイルスで肺炎になり亡くなった。70歳。以前加藤茶さんが、金があったから死ななくて済んだというコメントがあり、高額医療で、そういうこともあるのだろうかと思ったものだが、今回は、カネの問題ばかりではなかったようだ。俺は大丈夫だと、誰にも言えないこともある。
2020.03.30
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宮島フェリー戦後日本のほんの一部を垣間見てきたに過ぎない。中曽根首相が、取り巻きやSPたちを従えて熊本市の新市街のアーケードを大名行列のように歩いてきたのに出逢った時、これが権力者かとショックを受けた。空港で皇族の行列も観たし、タレントをみたり、裁判所で傍聴したが、よく街で見かけたような大柄な態度と打って変って暴力団の男が手錠を掛けられて塩漬けになったダイコンのように法廷に入ってくるのを、これも裁判官の裁量でしおらしい姿を見せる演技だろうと可笑しかったりした。大したものは視ていない。 ・長く生きていれば、色んなシーンを見る破目にもなる。まだ大災害に遭遇したことはない。事故もないから運が好い方なのだろう。それでも活きている間に何があるかは下駄を履くまでは解からない。こうして自分のことを書いているが、個人的な体験でしかないし、特別のことは何もない。70歳の老人が、家や家族を失って泣いておられた。人生の最後のステージで悲嘆にくれることもある。それは他人事ではない。自分にも降りかかることもあり得る。 ・へ2・・・日本は比較的恵まれた国だと思っていたが、今回のような大震災でもあると一変することを痛感する。大津波を防げないし、放射線から身を守るすべもありはしない。国家も頼りない。こんな国に住んでいたのかと思い知った人もいるのではないだろうか。情けない。ふと魔女にされた魔女裁判を思った。魔女にされて数十万の人が殺されたという。なぜそうなったのか、それは火刑にされたくなくて友を売ったからだという。
2020.03.30
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ブダペストの市街。芥川は、「今昔物語」「宇治拾遺物語」などの古典から、千年近く読み継がれたものが下敷きにあるから面白いのは当り前だ。今読んでも誰にとっても魅力的だ。確かに名文家なのだろう。自分のものがなく、育てるものを見失ったのだろう。 小説家になりたいひとでない限り、あれもこれも読んでも「芥川の終わりが太宰のはじまり」でしかない。今の教育の失敗は、なんでも勉強にしてしまったことだろう。畑を耕して種子を育て、花を咲かせてこそだろう。畑を耕してもあと放置してしまい。休耕田にしてはいないか。それとももう雑草が繁茂しているのではないか。 「星の王子さま」のバオバブが星を覆ってしまっている。現代は、こどもたちが遊びの選択肢が多過ぎて活字離れを起こしているようだ。読書が唯一の娯楽でしかなかった昔の方が、読書の機会が多かった。あれを読めこれを読めと親切に教える本や教師が親切なのではない。他人を莫迦にしているだけだろう。 人間は考えながら成長する、本を読んで思惟することを学ぶのであり、他人から教わったものなど表層的な人間になる。どんなに勉強しても、そんな勉強ができたとしても従順な人間では物の役には立たない。 それこそ、養殖場で魚を放流して、吊り上げたから優秀だというのは見上げた阿呆だろう。そんな教育で以ってエリートだというなら、肥らせた豚でも飼っているのと同じではないか。 くだらない社会を造っていて、何をしようというのか。
2020.03.30
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ブダペストこの社会は、それぞれが何らかの成果を求められている。そしてある価値観で成立しているエリアの中にある。それが利益という目標に向かっているともいえるのだろう。期待される成果を得られなければ、極端な場合にはミステークという烙印を押されてしまう。人々は毎日テストされているともいえるかも知れない。そして、成果を求められる。だから、パスしなければならないという強迫観念が根付いてしまう。人々は追われし者の如く生きている。それが私たちの姿でもあると思う。 ・丁度、春に芽を出し、夏に誇り、秋に色づく大樹の幹と繋がる葉っぱのようでもある。私たちは一人一人が落葉樹の葉の如く冬には大地に還るのだ。秋の紅葉は、束の間の成熟であろうか。それを感じることできる人がどれだけいるのだろうか?光合成で創りあげる成果を、もう幹は必要とはしない。そして水分のルートが断たれてしまう。ひとは死というセレモニーを人生最後のハードルとしているように、葉も散るのだ。 ・へ2・・・私は成果を急がないし、成果を求められてもいない。謂わば糸の切れた凧の如く書いている。だから書けるのだろう。まるで雨の如く書ける。目標などありはしないからだ。強風が吹けば散ってもしまうだろう。あるがままでもある。種としてのヒトに生きる目的がないと聴いた時、ふっと肩の力が抜けた思いもした。ひとは成果を求めない生き方もあることを知ったからだ。それが無価値として捨てられるとしても構わない。それが自分の生き方でもあるからだ。
2020.03.30
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和白干潟に潮干狩りの人たちがいたが、アサリの稚貝しかいないのではないのだろうか。植木雅俊訳「維摩経」のなかに、「マンゴーの樹を育てる女」が出てきた。 ・コーディ村にとどまっていたブッダはいった。「さあ、アーナンダよ、ナーディカ族のいる ところに行こう」と。ブッダは人が死んだらどうなるかについて沈黙を守った。経典では「無 記」とある。輪廻をたちきることが「ニルヴァーナ」(涅槃)さとりを開いた境地である。 ・へ2・・・「ニルヴァーナ」は「煩悩がすっかり消えてなくなった状態」であるという。 パーリ語では、「風が吹く」「火が消える」という意味を示唆するという。また「動揺を鎮め る」「静かに落ちつかせる」という意味もある。平安そのものの状態をニルヴァーナだという のだ。つまり、輪廻をたちきってこそ、エルヴァーナにいることができる説くのだ。 ・そのナーディカ村に着くと、ブッダは煉瓦堂にとどまった。ブッダ(仏)とダルマ(法) とサンガ(僧)の三宝に対して清らかな信仰を説く。 ・議論のための議論ではなく、いま現に苦しんでいる人々に生きる道を示すことだと説い て、仏陀は限りない誠実さで教えを請うものに接したのだ。その背景となるガンジス河はいま もとうとうと流れていることだろう。そしてやがて、「マンゴーの樹を育てる女」アンバパー リーが登場する。美しい遊女とある。説教を聴いたあと、彼女は立ちあがって、ブッダに挨拶 をし、右肩を向けてその周囲をまわってから、帰って行った。 ・ブッダは、貴族の申し出を断り、遊女アンバパーリーとの約束を守った。そのことに感激し た彼女は、ブッダにマンゴー園の寄進を申し出た。ブッダはそれを受けて、ふたたび彼女を導 いたと伝える。ブッダの最後の旅の中でも、唯一の女性の登場であり、印象的なエピソードと して知られている。 ・ブッダは、すでに80歳であり、当時の年齢からすればかなりの長寿だ。しかも身分制度 の厳しかった時代である。それでも行いに間違いはなかった。侮られ蔑まれていた遊女との約 束にも、戸惑うことがなかった。そしておだやかであらゆる人に対して丹念に味わう心を以て 接し続けてもいる。 ・それこそ、現代に生きる私たちは、右肩を向けて回るような人を知らないのではないだろ うか。できれば、一度でもいいからそう経験をしたいものだと思う。 世尊は次のように思った。 「・・・さあ、わたしは元気を出してこの病苦をこらえて、寿命のもとをとどめて住する ことにしよう」と。すると、世尊のその病苦がしずまった」。
2020.03.30
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ブダペスト ハンガリーの歴史を、ウエブで読んでいるが、中央ヨーロッパの歴史は複雑でもある。彼らは、宗教とイデオロギーとの荒波の中に浮かんでいた国家でもある。民族や国境などありはしないのだろう。それでも世界の中心で暮らしているという伝統はあるのではないだろうか。それこそ平原の民でもある。 日本人は自然と人生を同一に見る傾向があり、人生を旅にたとえることがあ る。これは、絶対唯一の神を信じてきた宗教をもたない歴史があるからだろ うか。「人生の行旅」とか、いう。多くの文学作品は、人生のはかなさ、た よりなさ、あるいは、流転のさまを旅人の姿に投射するのであろう。旅は人 生のシンボルとして、旅人の寂しさはそのまま人生の不幸のシンボルともな るのだ。中世の歌を詠む心得として旅人の寂しさがある。「正徹物語」には 「定家の申されたるは歌を案ぜん時は、つねに白氏文集の故郷有母秋風涙旅 館無人暮雨魂の詩を吟ぜばこころたけたかくなりてよき歌のよまるる也。」 旅の哀愁と人生のはかなさを結びつける日本的センチメンタリズムは、それ こそ流行り歌の世界であり、大衆にアピールするのであろうか。 「旅」「別れ」の要素は、人生を旅と考えることで、不幸、悲哀をあきらめ ようとする。 西條八十は、「・・・ながれながれる 身の果ては どうせ野ざらし 雨ざらし」 浪曲の一節では、「ままよ捨て身の浮世の旅は、西か東か吹く風まかせ」 織田作之助は、「世相」の中で、この心境を鮮やかに表現している。「思へ ば私にとって人生とは流転であり、・・・流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を 書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間」なのだと。 日本の文学に旅のモチーフが多いのは、風光明媚の風景の世界だけではな く、ひとつには、日本人のこころには「旅すなわち人生」の考え方があると いうのだろう。日本人が、確たる宗教を持たず、草や木や、小動物をさえ 「神」として崇めたルーツがあるのかも知れないと思う。
2020.03.30
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ブダペスト 新型コロナウイルスの感染爆発が、日本でもあるかもしれないと外出自粛の要請が、福岡県でも宣言されたが、中国の武漢で始まったこの騒動は、いまやパンデミックとなり、世界で、感染者40万人を超え、死者も3万人を超えているが、昨年の暮れから流行を始めたらしい。習近平主席が、1月下旬に警告したが、事実はかなり前から知っていたといわれている。指示が遅れたのではないか、あるいは武漢の政府が握りつぶしていたかは知らないが、とにかくパンデミックに対する認識が甘かったのだろう。それは、WHOにもいえる。誰が、リーダーかの違いは大きい。どれだけ、人命だけでなく、世界経済に打撃を与えるか、だれにも予想できない事態になりつつある。2020は、キリンが来るのではなく、モンスターや悪魔かもしれない。これまで、老人のQOLなど考えなくて済んだのであろう。戦後になり生活が安定し、今や世界一の長寿国だ。名誉なことであるが、中身はお寒い。必要なのは健康寿命であって、然も豊かな社会でなければならい。処が、老人の実態はどうだろうか。世間にとっての厄介者でしかない。少なくとも、その処遇において明白な事実だろう。私個人にとってもそれは目前の現実の問題だ。身近な人たちが今や、その過酷な現実に震え上がっているように見える。それは、どうあるべきなのであるか、国民的課題だろう。 ・名実ともに世界一長寿国に価値がある。日本は住みやすい国土である。恵まれた環境である。綺麗な海と、爽やかな空気に四季がある。外国を知るものは、少なくとも人間は別としても自然は、悪く言う人は、あまりいないだろう。勿論人口問題はあるが。狭い国土で、多くの人たちが生きてゆくことの難しさは避けられないが、肩を寄せ合って助け合ってきた人情はかけがえないものだ。戦後の貧しさを知るものは、そのことを思うことができる。人間同士は、敵ではない。ともに食べ物を分け合っていきるものたちなのだと。孔子のいうことばを、忘れてしまっただろうか。論語は、すべてが肯定されるべきではないにしても、現代が忘れたものを持っているだろう。 ・へ2・・・私の知っている老人たちは、貧困と無知と偏見の中にあっても、豊かに生きていた人たちばかりであったが、多くの老人たちが、いまや、この科学の目覚しい進化した中で、現実の孤独と苦闘していた。そして、またこの大災害にも耐えて生き延びていかなければならない。
2020.03.30
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和白干潟図書館から「ミーム・マシーンとしての私」「利己的な遺伝子」を借りてきて、また更に関連する本を、読もうと思っている。文学だけではなく、自分が何ものであるかを知ることは、遣らなければならないことは沢山ある。真実を探り当てることは容易ではない。その根幹が文学のように沈黙であったりする。ずばりと言わない。周辺ばかり述べているものが多い本ばかりだろう。 ・トップの見通しの甘さと、放漫経営で企業は破綻する。見せかけの巨大企業ほど実態は旧態依然のまま経営がされているし、危機管理も甘い。「番頭と丁稚どん」のような人間関係があったりもする。上が責任を取らない体質は、幹部を無能にさえする。 ・へ2・・・事情変更の原則というのがあるが、その時どれだけ的確に動くことができるかであろう。これだけの大惨事、そして原発事故が起きるとは思わなかったでは済まない。電力は必要だし、東電が倒産するだけでは済まない。巨大な企業がこれほど脆いと誰が考えていただろうか。最悪のケースを考えていないような経営者は鼻からその資格がない。責任者が開き直るようなことでは切るしかない。
2020.03.30
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ブダペストルソーは、徒弟奉公時代について、「告白」で書いている。「いい本も悪い本も差別なしだ。わたしは選択などしなかった。何もかも、同じようにむさぼり読んだ。・・・読書で頭がふらふらしながら、それでも読んでばかりいる。・・・それじゃ金がいるようになったろう、というかも知れぬ。・・・あたらしい趣味にのぼせきって、本を読むことのほか何もしない。・・・」ルソーは親方から、読書を禁じられ、殴られ、本を取り上げるが止めなかった。 ジュネーヴの彫金師のような階級・・・「気楽な生活をするだけの収入はあって、ひと財産をつくるほどでもないこの職業は、わたしの将来への野心を小さくし、ごくつつましやかな趣味を養うだけの余裕をあたえ、おのれの世界に安住し、その外へ飛び出す方法をあたえなかったであろう。・・・」 「わたしは、自分の宗教、自分の祖国、自分の家族、自分の友人の中で、こつこつ好きな仕事をし、気に入った人たちとの交流をたのしみつつ、性格に合った平和でおだやかな生活をおくることができただろう。善良なキリスト教徒、善良な市民、善良な家族の父、善良な友、善良な隣人、あらゆる点で善良な人間であっただろう。自分の職業を愛し、おそらくは多少は腕を認められ、そしてつつましく単純な、しかし平穏で楽しい生涯をおくったあと、家族の者にいだかれて安らかに死んだことだろう。まもなく忘れられるとしても、少なくとも思い出されるかぎりは、なつがしがってもらえたであろう。・・・」 しかし、ルソーは、そうではなかった。そして第二巻は、悲しい話を聞く事になりそうだ。ここまで読んで思うことは、ルソーの「告白」は、私たちにも同じではないにしても共通するものがあることだ。それは、善良である生き方が求められ、それができたかどうかは遣ってみないとわからないが、そう求められるままにひとびとは善良に生きているのだということだ。戦争があり、病気があり、不況があるとしてもそれは結果でしかないだろう。すべてに善良であることは、困難だとしても、そう願いながら生きているひとは少なくはないはずだ。 そして、そういう善良なひとは、こういう平凡な人生の「告白」などしないで死んでいくのだろう。反逆者の生き様とは、まさにそのすべての善良さを逆なですることになるのだろう。
2020.03.29
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ハイデルベルク城 マリアンネの「ハイデルベルク城」の詩を持っていきました。彼女が詠んだ「イチョウの木」は、どれなのか分かりませんでした。何の目印もなかったけど、ゲーテの記念碑だけはありました。 ベンチがいくつもあり、眺望の良いところでした。何本かイチョウの木があり、マリアンネの書いた高い木が、いまもありました。 おそらく古代から繋がる長い歴史があるのですから知らない話がいくつも埋もれているのでしょうね。中には、素晴らしい宝石もあるに違いない。知らないのは知ろうとしないだけかも知れない。空気が澄んでいて、透明な光が射しています。 マリアンネがこのなく愛したハイデルベルク。 「この上なく美しい所も、 愛と友情によって親しみ深いものにされなければ、異郷にすぎません。 私にとってハイデルベルクより美しい所がどこにあるでしょうか。 マリアンネ。」 前にも触れた、ゲーテに宛てた、マリアンネの手紙です。なんともいい街に見えてきますね。いつまでも去り難いところになってくるようでした。
2020.03.29
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シジュウカラ「長城に到らずんば、好漢にあらず」(ブータオチヤンチヨンフエイハオハン)という言葉がある。内海寛子著「万里長城 6000km世界初踏査記」(上・下)。1992年から2001年まで10年間の記録である。西は玉門関から南流する黄河を渡り、東は渤海湾を臨む山海関で海に至る。(現在は、総延長は8,851.8kmとされている。) 斉、魏、秦、始皇帝と長城を築いている。工事は筆舌に尽し難い辛苦の連続で、昼は敵の来襲に備えて武器をとり、夜陰に工事を続けたという厳しい自然条件と飢えや疲労に倒れたと記録にも残っている。漢代の武帝もまた玉門関から河西回廊へと、黄河の南側オルドスと続く。大規模なものは明代で、現存する長城を約10年で築いている。 過去2千数百年にわたって、中国へ執拗に略奪をくり返した北方騎馬民族の動機について、成吉思汗(チンギスハン)が残した言葉として記録にある。 「人の快楽は裏切りたるものを従え、敵に勝って、これをほろぼし、その所有物を奪い、 これに仕(つか)うるものをして号泣せしめ、その顔と鼻に涙を流さしめ、足踏みも 妙なる彼等の馬に跨り、彼等の妻、妾の腹と臍とを寝台及び布団となし、そのバラ色 せる頬をめでて接吻し、その紅き唇を吸うに有り」 と「蒙古法の基本原理」(リャザノフスキー著、青木富太郎訳)に書かれている。如何に、その匈奴、騎馬軍団の徹底した襲撃と略奪について、中国の人びとが恐怖したかを、窺い知ると同時に、なぜあれだけの長城を築かせたかが理解させられる思いがする。中国にとってすれば、文字さえ持たない遊牧民で野蛮人として夷・荻(い・てき)と呼んだ。 騎馬民族との戦いに明け暮れたことが長城を造らざるを得なかったことは確かだろう。これらのモンゴル高原に繰り広げられた遊牧民との興亡はそのまま中国の歴史であり、そこには無数の犠牲者があって、長城はその抗争の碑ともなっているのだ。
2020.03.29
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ブダペスト ドナウ川同じようなことを書いている。毎日何をしているかなど、余程関心が無いと他人のことは知りたくもない。実は、やはり関心が湧くこともある。仔猫たちが熱心に、私たちのすることを観察している。それは全く無心に視える。人間はそのことを知っているが、殆ど無視してもいる。猫が何を考えているか知ろうともしないし、実際解らないからでもある。猫の脳とは違うヒト脳だからでもある。 ・ある社会心理学者が、休みの日に街かどの喫茶店から通行人を観察しているという話を聴いたことがある。その時は、ああそういう人もいるのだと。通行人は、誰が自分を観察しているかなど考えてもいないだろう。ぼんやり歩いているが、解かる人には解かることがあるに違いない。服装や、体格、歩き方、動作などから来る特徴は、ある特徴から来るそのひとの気分さえ解かるに違いない。然も心理学の専門家ともなると、本人が気付いていないことまで解かるのかもしれないからだ。 ・へ2・・・CMにしろ、世論調査にしろ、人間の心理の研究は進んでいる。色んな観察者がいて、獲物を探しているに違いない。それは許されることとそうでない人がいる。無関心そうに装った人たちの中にも鋭い観察者がいるということだろう。油断のならない社会だ。今日から、また私に新しい一年が始まる。
2020.03.29
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ヒヨドリ「法界傾揺如轉蓬」(「三尊礼」)「よもぎ」というのは、こどものころから知っている。よく外で遊んで手足に怪我をしたものだが、そのたびにお世話になった。道端にいつもよもぎはあったからでもある。遣り方を祖母から習った。唾をかけてよく揉んでから、患部にあてると血が止まった。そんなよもぎが揺れているような世界が、安心して生きて居れる世界なのではないだろうか。 ・般若心経や維摩経のような思想は、紀元前くらいからインドにあったのだとしたら、なぜ2千年も時は流れているのに、まだこれだけ争いをつづけているのだろうか。善男・善女人も良家の息子という前提がある。どれだけ素晴らしいものがあっても、それをどのように活かしていくかに外ならない。 ・へ2・・・やはり呪術的なイメージがある。如何に普遍的な論理に再構築できるかが知恵なのだろう。従属するのではなく応用できるかだ。気分を楽にして、生きること自分の今を見直して視ることも必要なのだろう。
2020.03.29
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トプカプ宮殿 謁見の間。絶対君主の時代というのは、恐怖の時代でもあっただろう。とて もこんな場所に出掛けてきたいとは思わないに違いない。こうして観光客として見物するのは まったく興味がないのではないが。複雑な気持ちにもなる。理不尽に首を切られた人たちもい た筈だから。恐怖感を与える必要があったのだろう。恐怖政治は、容を変えてある。 ・朝のウオーキングをしようと外に出て雨が降っているのに気づいた。暖かい筈だ。これで は歩けそうにないので、またブログを始めたが、早目に切り上げてひと眠りしようかと思う。 トプカプ宮殿。謁見の間。スルタンは、別の部屋から訪問者や呼び出したものを覗いていた らしい。それだけ命を狙われてもいたのだろう。スツタンは、何も言わないで、そばの部下の 肩を叩くと殺せの合図になったそうだ。気に入ると面会したらしい。ハーレムも自分の子孫を 残すためであり、沢山の子どもが生まれその中から後継者が決められた。すると他の子どもた ちは絹の紐で首を絞められた。 ひとりをのこすために他のものが犠牲になる。世襲の弊害は大きいことは歴史が証明してい るが、いまだにある。
2020.03.29
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内なるものは移ろい易いものでしかない。刻々変化している。そして表現しようとした企みは不遜でしかない。ことばでなど表現できるほど単純ではない。文学とは所詮それくらいのものではないか。こころの襞を描いたとしてもそれは、ほんのひとつのシーンでしかないのではないか。過去に戻ることなどできはしない。時は不可逆にある。日本には一次史料が少ない。何でも水に流そうとする。流せない歴史的事実があるというのに。 ・政治家たちは誤りを繰り返している。真剣に歴史を学ぼうとはしない。自分に都合の悪いことを忘れようとする。看過できないことがある。小沢は、猫を被るつもりらしい。そうはいかない。そこに腐敗の元凶があるからだ。大事なことを棄てて何をしようというのだろうか。何もありはしない。彼には目的しかない。それは社会全体のそれではない。 ・へ2・・・音声ループというのは興味深い。音声ループの記憶は二秒くらいで消えてしまう。音声による意味が二、三秒しかストックできない。然し、どうして二秒以上の情報を持ち得るのだろうか。調音反復システムと音声保存システムが関与している。脳の高等な機能のひとつとされている。情報をオンラインできる為だ。左脳の別々の場所で管理している。私たちは聴いたばかりの話を、音声に変換している。そして、自分の都合のいいように使っている。都合の悪いことをすぐ忘れてしまう。
2020.03.29
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ブダペスト ドナウ川 「新しい学習は脳を活性化する」。ひとの脳の自然な状態とは、なにかを学ぶ状態である。脳は新しいことを学ぶように仕組まれたメカニズムを持って生まれてくる。新しいことを学んで問題の所在を発見し、解決することが自然なのだ。学ぶのはひとにとって自然なことでしかない。日常生活の一部なのだ。脳は、それが仕事だろうと遊びだろうとその区別をしている訳ではない。詰まり、活動そのものが幸福感を刺激する。 ・社会規範の中で生きているから、社会システムに支配される。この社会が決めたルールに従って、人の価値が問われているに過ぎない。首相が首相の仕事をしている、と国民が認めるかどうかは分からないが、彼が首相でいる間は、首相として遇される。国民も個人的な立場でその国民としての権利義務を与えられている。問題はその中身であるが、少なくともあるべき存在は認知されていると言える。 ・へ2・・・どんな生き方も自由だと言えるだろうか。それは、世界観や価値観で相当違いもする。たとえば、太陽の光が充分な当たっている場所で暮らしている人もいれば、そうとはとても言えない場所で暮らしている人たちも大勢いるのだ。何故そういうことになるのだろうか。それは歴史的な背景があり、新しい学習をしない人たちがいるからでもある。自分はそうなりたいとは思わないだけだ。
2020.03.29
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トルコ通りすがりのトルコでしかない。それでも好い写真もあった。またここへ帰ることはあるま い。私にもタイムリミットがある。ブログをみたひとが、いつかトルコを訪れて、どこかで視 た風景だと思ってくれればうれしい。歯のかけたような文章を書いているが、こちらにある 日本人の心情もある。トルコもヨーロッパや他国からの侵略を受け続けてきた歴史がある。中 央アジアの遊牧民がいついてつくり上げた国家だ。ムスリムになったのも生き残るために選ん だ選択なのではないだろうか。彼らは自分たちの置かれた環境を歴性に視て判断してきたに違 いない。
2020.03.29
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宮島桟橋~宮島口 太陽があったらと残念だったが、ワンチャンスだけの光景でしかないかもしれない。それは、いつも思うことでもある。惜しんでいても仕方がない。男と女も、同じだろう。阿弥陀経に、幸あるところ(極楽)という名の世界がある。と説かれる。導き師ブッダが長者シャリープトラに、解説される。そこに住んでいる人たちは身体の苦しみも心の苦しみもすべてなく、ただ幸せをもたらすものばかりがそこにある。多くのものが宝石でできている。ほとけの国土特有のすぐれたしつらいで飾られている。色々の珍しい美しい鳥たちがいるが、それらは罪業の報いのために生まれたのではなく、化作してつくられたものだ。 ・英語の教材の Sidney Sheldon の “The adventure of a quarter.” は、現代のアメリカの生々しい現実がある。一枚のコインが12人の運命をコインの裏と表の違いのように剃刀のようなシャープさで引き起こされるエピソードが描かれている。幸福とは何だろうか? ・へ2・・・果たして、天国はあるのだろうか。極楽もそれは、極楽と言えるのだろうか。昔の人たちが考えた極楽とは、世界観が違いもする。地球外に出た望遠鏡で眺めた宇宙は、それまでの想定外でもあった。私たちは、5%の物質世界でしかない。夢を見ていただけだ。
2020.03.29
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ブダペスト くさり橋とドナウ川 ブダ王宮2020年も3月になり、そしてあと数日でその3月も過ぎてしまう。それこそCOVID-19がなければ、今頃は、連日テレビで、開催まで何日で、聖火がどこを周っていると大騒ぎしていたに違いない。それが、いまや、どこまで感染が広がるか、戦々恐々の様相になっている。仕事がなくなり、大出も自粛せよといわれている。花見にさえいけない。 ・戦争でもないのにというかもしれないが、これは明らかにウイルスとの戦争でもある。命はあっさりと奪われてもしなうのだ。そのことに気づかないでいる。まさかまさかで、死んでもしまうだろう。ハグをしただけ、握手をしただけかもしれない。恋人から伝染させられた人もいるだろう。勿論害を加えるつもりでなくても起きる。令和や、五輪で世の中が騒いでいたが、なんとなく違和感を感じていた。 ・へ2・・・暮れに狭心症になったこともあるが、年齢も年齢である。老化とは恐ろしいものだと実感してもいる。なぜ安倍さんは、頑張るのだろうか。脳の萎縮しているとしか思えない老人たちが芸時ゲームをしている。世の中のためになっているとは思えない。若い政治家がカネで、権力者の犬になろうとさえしている。エリートたちが、なにをしているだろうか。
2020.03.29
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ツグミ「縁は奇なもの」というが、まさか同じ教授の文学講座を6年間も受講できるとは思っていなかった。月2回の講座だった。良い講師に恵まれたというほかない。福岡県では、「こんな先生は他の大学にはいません」。年に100回以上も講座や講演会を受講しているという先輩が言われる。公開講座だからと手を抜く講師がいない訳ではない。それは講師の学問への姿勢や世界観から来るのだろう。学を求めているのは学生ばかりではない。 ・少し働いてから、大学に入った経験があるが、それはそうだからこそ解かるものがある。死ぬ目に遭って解かること、外国へ行って解かる日本もある。経験して解かる人生もある。文学とは、若くては解らない味もある。今だから、その文化の価値もわかるのだろう。若くて亡くなった作家たちの文学は、やはり穏やかさが足りないのだ。ぶったぐってしまう。相手の目を見ないからでもある。私小説ばかりでは、あとが続かなくなる。 ・へ2・・・2020 東京五輪と入場券をどうして手に入れるかと騒いでいたが、COVID-19 で台無しのようだ。新しく建設された国立競技場が、期待されたものとは違うとか、ほかの施設も膨大な費用が掛かっているが、一時は中止になるかもしれないといっていた。それが、一年延長するとかで、ほっとしたという関係者がいたが、それも甘いのではないのだろうか。どうなるかわからないからだ。勝手なことばかり言っているに過ぎない。アメリカの医療は完璧だと、トランプ大統領はうそぶいていたが、COVID-19 で、なんとアメリカは、現在最大の感染国になっている。これから人工呼吸器を増産させるという。恐れ入った世界のリーダーでもある。エゴイストのすることはせこい。
2020.03.29
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