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プラハ散策。ツアー参加者の中には、何度もチェコに来ているという女性がいたが、そのひとは、シルバー優待付きの顔写真入りの証明書を持参しておられたが、便利に利用ができるそうだった。外国人もできるらしい。ストレスの多い社会で健康に過ごすことは言うほど簡単ではない。誰も自分の命を守ってはくれないことを自覚すべきだ。此処数年体質改善をしようと努力している。そのためには良質の睡眠が欠かせない。勿論それだけではないし、睡眠と言っても、長く寝ればよいというのでもないし、ストレッサーの多い環境もある。 ・出来るだけの努力をしている。自分のためでもある。今日も歩いてきた。一日2万歩だ。2年近くになるが、現在はそれくらいが相応しい距離だと思っている。食事とかストレスを貯めないとか、適度の緊張とか、新しい情報とか、色々あるが、それほど時間がある訳でもない。70歳までに何ができるか、だと思っている。それから先は、他人に迷惑をかけない程度に自分らしく生きるつもりでいる。 ・へ2・・・明日も頑張ろう。少し元気が出た気がする。今夜はよく眠れそうだ。
2020.01.31
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プラハ散策。自分の世界観で他人を指導することは難しい。本当に正しい哲学を身につけ た者はいないだろう。その正しいというコンセプトが先ず怪しい。無責任に 他人を混乱させるだけだろう。自分の経験など多寡が知れているだろう。 狭いキャリアで全体を測ることはできないし、時も場所も人も違うのだ。 況して、生ものの人生を生きており、日はいつ陰るかわからないのだ。自分 のことは好きに遣る人生でよいが、他人のことは、見守る方が良いのではな いか。精々アドバイスくらいだろう。どうも占いなどというのがよく判らな い。過去の歴史は学ぶべきであってそれを真似しても成果はないだろう。 ゴーストを追いかけても、何時までも掴まりはしない。 「こころは、どうやって物質を動かすのだろうか?」 その起源は、少なくともギリシャ哲学まで遡る問題である。人間は、悩み続 けながら歴史を刻んできた。儚い生物でしかない人間は、それこそ確かなも のを手に入れようとするが、急ぎ過ぎるだろう。そんな単純な世界ではな い。然も、生ものは腐敗するのだ。 それこそ、学ぶべき師があるとすれば、科学的真理ではないだろうか。
2020.01.31
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プラハ散策 アーケード カレル橋に向かう。 一人一人持っている個性は、多様である。それは幼児体験からくる。どんな環境で育つかは一様ではないからだ。個人の持っている素質もある、そして個性ができて行く。個人差があることは誰もが認めているが、差別をしてはならないと、できるだけ他の子どもと同じように育てようとするのは、間違いだろうか。個人の才能を見つけることは容易ではない。生まれた環境がその才能に必ずしも最適ではないこともある。他人の才能は、何時開花するか解からないからでもある。早い人もあれば遅い人もいる。長い歴史が積み上げた性の遺伝子もある。 ・振り返ってみると、自分の履歴にも他人とは違う個性があったと思う。何故内向的であったか分析してみると、理由もわかる気がする。病気になったことも、それは自分の責任もあるが社会にも原因がある気がする。避け難い遺伝子もある。社会が決めた定年のルールもアバウトではないだろうか。個性を無視してもいる。それでありながら政治家には定年がないのは何故だろうか?それこそ、国家のリーダーたるべき人が、脳の委縮と闘ってもいるという現実がある。 ・へ2・・・ひとも動物であり、自然の摂理から逃れられないし、何時か人は老いる。人間の歴史は長くはないが充分人の一生は理解できるまでになった筈だ。科学の進化は、やっと渚から出ようとしている。いつまでも旅に出ないのは勇気がないからで、それでは腐敗するし、「種としてのヒト」の役割を放棄してしまうことになりかねないと思う。最大限に個人の能力を発揮できる環境こそ重要なのではないだろうか。エネルギーを無駄にしてはならない。在るものを使うしかないのが生命のミッションでもある。
2020.01.31
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私の視ているものは、他人とは違うということをどこまで理解しているだろうか。五感は脳で感じているがそれだけでもない。化学反応というシステムを全部理解してはいない。どうして、自分の指が動くのかどこまで解っているだろうか。この世界の暗闇の中でぼっと明かりが点いている自分のテリトリーを知らないでいる。秩序はカオスに向かっている。その反対ではない。点った生命の時間は無限ではあり得ない。色を識別するのにも多様な視覚の作用によっており、個人差があるという。音や匂いや触覚、味覚でさえ違う。自分の感性は自分だけのものであり、他人とは違っている。 ・何故他人のマネをしようとするのだろうか?恐らく赤ん坊のころからそうしてきたからだろう。そうして覚えてきた習慣が止められないでいる。他人と協調することとマネとは違う。自分の生き方だからだ。新しい商品価値を探して人間性を無視したやり方をしてきた産業資本が崩壊しようとしている。限られた資源を消耗してしまうようなやり方では地球は荒廃してしまうばかりだ。世界中がアメリカタイプの理想社会を目指したら、恐らく未来はない。そのことに気付き始めたからだが。中国はそのあとを追おうとしている。 ・へ2・・・優れた装置も操作を誤れば致命傷にもなりかねない。彼らも求めている世界一は破滅のカードになりかねない。結局は覇権を目指そうとしてはいないか。それではまた同じことになる。人間を動かすものは結局思想ではないということか。真似をすることで社会は進化もしたが、それが全方位で生きていることを止めようとしているだろうか。男と女の性の戦略もいつか終わりが来る。その破綻のプロセスを承知でなければ遣れないこともある。作用には反作用がある。グレードアップしなければならないのではないだろうか。その時期が来ている。
2020.01.31
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ブタペストのシジュウカラ泥が何かも知らないとすればそれは、世の中が悪いか、自分が愚かなのだろう。或いは双方だろうか。泥をつくっているのは人間たちだ。初めからあったのではない。世界が泥だけでできているだろうか。そうかも知れないが、そうでないかも知れない。 芥川の見た地獄は本物だろうか。違うのではないか。神や悪魔や地獄が、そんなに近いだろうか。芥川は、たった35歳で自殺した。知ったものは多くの書物だったが、まだ学ぶことはあっただろう。彼を潰したのは、因習と泥の中を目指したからだ。 私たち陥れる誘惑はいくつもあるし、虚構の罠が口を開けている。それが泥の中だと自覚できるだろうか。易々と自分の敵に、自分のオールを渡してしまうだろうか。 日本丸のオールを漕ぐものが、強かな外交能力を持ち、識見の高い政治家だろうか。コンパスと星座の知識だけで乗り越えようとしているのではないか。クロかシロかだけの賭博師ではないだろうか。誰を相手に、難局に向かおうとしているのか。 泥の中にはいる者は、泥の中で死ぬしかないだろう。世界を歩き、人間の何たるかを知っているだろうか。自然の何たるかを感じているだろうか。すぐ萎えてしまうこころを研かねばならない。泥に向かわず、恐怖に打ち勝つことのできるものが、明日を生きる権利があるだろう。
2020.01.31
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ヒヨドリとシジュウカラなにごともそれほど急ぐことはない。まだ終わろうとしているのではない。それでも漱石は「明暗」を書き終わることができなかった。計算間違いだろうか。もっと生きているつもりだったのだろう。長編小説を書こうとしたらしい。あまりゆっくりしていると自分の計画通りには行かなくなる。然し、それは漱石ばかりではない。人間はみなそうかも知れない。明日自分が死ぬことを知っていた人は中々いないのではないだろうか。それを感じだとしても他人には伝えられないのかも知れないが。慌てると失敗するし、余計なことをしてしまう。それでもゆっくりしていると時間がなくなってもしまう。コツコツ何かをしている時が愉しいという自覚があるだろうか。それはやりたいことをしているからだろうし、それが目的をかなえるからだろう。 ・ウオーキングをしていて思うのは、子供たちや少年たちが軽々と歩いていることだ。何と素晴らしいだろうかと惚れ惚れする。赤ん坊が<あんよ>をしているのもほのぼのする。種としてのヒトが手に入れた二足歩行は、多くの恵みをヒトに与えた。その恩恵を私たちは日ごろ味わい楽しんでもいる。這い這いから立ち上がり、そして杖に頼るようにもなるだろう。人間の姿は、容にすれば、4-2-3 だとスフィンクスはいう。人は自分たちを偉大な生物だというが、そうだろうか? ・へ2・・・ゆっくりし過ぎたり、急ぎ過ぎて間違いばかりしてはいないだろうか。思えば反対のことばかりして時間の無駄遣いばかりだ。地球上だけでなく、宇宙空間までゴミをばら撒いている。自分たちの生きるスペースを汚している。おごりがすべてを台無しにするのではなかろうか。
2020.01.31
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プラハ散策。その人の立場によって、「現代の世界」の評価も違う。人々はその共通項を探している。それがまだ建前と本音がある。その間が遠いから困る。日本語でどれだけ世界に近いかが問題だった。国民に知らされないことも多かった時代が長い。鎖国の意識があったのだろうか。余計なことを知らせたくないという支配者が多かった。諸々の原因があって結果もある。アメリカのしてきたことがすべて善ではない。中国の政府のやっていることも後で現在と未来では違うだろう。 ・信じているのものの中に嘘もある。何を信じているかでもある。何でも信じてしまう人は騙される。虚偽が多い社会だからだ。或いは何も信じられない人は、ストレスで潰されるかも知れない。或いは病気にもなる。適度に信じ、適度に疑って、適応できるかが問われるだろうか。すっきりと過ごせないのが普通だろう。自分の体調も揺れている。保湿性も環境でその対応も違う。格差社会が大き過ぎると悲劇が起きる。 ・へ2・・・雨が降るかどうかで気分も違う。暖かくて晴天が続いて気分よくウオーキングもできたが、鳥渡雨が降っただけでぶり返してしまった。車検をして車がどういう状態か知らないことを知ったが、車のことを忘れてもいた。いつかものには終わりが来る。そういう意味で自分のブログのタイトルにしたが、それでさえ、自分の視ているものしか視ていない。
2020.01.31
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プラハ市内観光。アポートシスがあるから細胞の進化が可能だった。不能の作家が溢れていることに絶望を感じなければならないのかも知れないが、それを誰も認めようとはしない。子殺しは種の絶滅につながるのだろうか。サインを見落としているのではないか。女たちが男を恐れなくなっている。それは復讐につながるのであるか。増えすぎた種は一挙に絶滅するか。魅力を失いつつある男は存在価値を失いつつある。 ・この社会を頽廃させているのは誰でもない私たちの油断だろう。油断する者は自然淘汰されてきた。そのルールはいまでも当て嵌まるに違いない。そのことを誰も気づかないのは頽廃しているからに他ならない。かっての中国がそうあったように疲弊して崩壊している。現代の作家たちがなにをしているのだろうか。政治家になったり、タレントになったり、社会批判さえしなくなっている。読者は古典しか読むものが無くなり、こどものようにしか喋れない。 ・へ2・・・何を誇れるのだろうか。そんなものは何もない。まだ立ち上がることができるかを考えているだけだ。まだ歩いてさえいない。歩かねばならないということだけを知ったところだ。これからいくつもの山を越えて行かねばならない。この世界を読み解く汀に届くだろうか。それは知らない。立ちはだかる岸壁をどう登るかだろう。
2020.01.31
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大英博物館正直言えば、ただわれ足らざるを知るなのかもしれないが、不可能ではないにしても、難しいことばかりあるし、自分の手に負えないことばかりだ。個人の力は余りにも小さい。またもや中国武漢での肺炎コロナウイルスが、世界中を震撼させているが、初期対応が問われている。医者の指摘があったにも拘わらず、揉み消そうとした小役人たちがいたらしい。そして傷口は大きくなってしまった。よくある話だ。然し、ことはそれでは済まない。 ・中国人は、砂だといった偉人がいた。さざれ石ではないらしい。それが共産主義によって一枚岩になったといわれたが、それは見せかけではないだろうか。砂が石になり、一枚岩になるまでには、100年、200年ではできそうにない。反日教育などで、結束するなどあまり褒められる話ではない。欧米と何故言わないのだろうか。中華思想も、本当に世界を見ていたのだろうか。他国を批評しても、意味がないが、何をすべきかを見失うべきではない。 ・へ2・・・コロナウイルスを拡散するのが、中国人の本意ではあるまい。それをさせないためにどれだけの事をするかだ。すべきことしなかったのではないか。世界に弁解するだけの理由があるのか。リスクと立ち向かうだけの根性があるかだ。他人の悪口ばかり言おうとしても、自分のこととなると何も言わないかもしれない。
2020.01.31
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プラハ市内観光。カレル橋に向かう。今日も雨で、家の中になりそう。風邪の原因のウイルスは確認されているだけで200種以上あり、それで何度も風邪になる可能性がある。免疫力の低下の最大の原因は「加齢」による胸腺の縮小と乾燥とストレスらしい。どうやら今年風邪を引かないのは暖房を使わないことがある。皮膚の表面の角質細胞の隙間を埋めている水分の量が減少すると微生物などの異物が侵入し易くなるためだ。主として自然免疫の機能を低下させる。 ・風邪を引かないためには免疫力を下げないことが有効だ。加齢はどうしようもないが、対抗手段はある。当たり前のことをするだけだが、何を日常的にしなければならないかだ。それを知っているのと、知らないとでは予防が違ってくる。ストレス、遺伝、乾燥、加齢、睡眠不足、タバコ、酒など、免疫力を低下させる知識が必要だ。 ・へ2・・・やはり、定期的な運動によって免疫細胞の活性を底上げすることがあるようだ。体力の向上が総合力を高めることになる。ウォーキングが、私には風邪の予防になっていたのだろう。生活習慣の見直しがポイントでもある。
2020.01.31
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くだらないことを小説に書くものだ。作家は暇な人間だろう。小説を全部並べてそれを品評したら、書く奴はいなくなる。「風立ちぬ」と「カーライル博物館」と、比較するべき理由も何もないが、どちらが文学なのだろう。然し思えば、自分の人生も何の意味もない。意味を見出し得るかだろうか。これからオバマ大統領の就任一年後の一般教書のスピーチが始まるところだ。 ・朝は逃げる。あっという間に過ぎてしまう。何もない。朝歩いて、一休みして、ウロウロしていたら、もう11時になる。まだ数ページを開いただけだ。元気な朝が消えてしまう。物憂い昼が来て日が暮れてしまう。一日は終わってしまう。ネコが冷蔵庫の上から見ている。なんてお粗末な日常だろう。オバマへの期待は露と消えようとしているだろうか。彼がやりたかったのは大統領になることでしかなかったのか? ・へ2・・・世の中に期待するものはない。時の流れでしかない。原爆を作ったのは、宗教を信じている科学者たちもいたのだろうし、無神論者の科学の信奉者もいたのだろう。そしてセクハラをする司祭もいる。せこいことをするセレブもいれば、いまのエリートも臭い仕事ばかりしているのだ。
2020.01.31
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プラハ市内観光。 漱石は明治元年の前年に生まれた。そこから50年生きてあれだけの作品を残した。生涯の作品をというわけではないが、「明暗」から遡及しながら読んできて、「漾虚集」までどうにか辿りついて、今その七つの作品を読んでいる。あと「吾輩は猫である」で、漱石講座は終わる予定になっている。昨年の4月から始まり、今年の3月で終了する。一年間のプログラムである。これまで月二回がベースで、一月から三月は月一回である。始めてから一年近くになるが、漱石が、明治元年から大正までに生きてきた人間の業績とはとても思えない。 ・人間の脳の偉大さに感嘆もする。日本では当時最高の教育を受けた人間だとしても、今日に比べればスタートは明治維新で西欧文化も何も知らなかった約150年前に生まれた人である。その人が、現代人と変わらないことを考えていたということ、繊細な心理や表現で、然も殆んど一気呵成に描いているという事実に驚愕する。明治時代の日本人たちは西欧から、「猿」のように思われていたし、脇差や、丁髷を断髪に替えたばかりの文化だった筈だ。 ・へ2・・・流石に漱石も、ロンドンでカルチャーショックを受けて神経衰弱になっている。それでも2年間我慢して持ち帰った西欧の体験は、多くのものに結実し、彼の留学の業績というべきものになっている。ただ貴重な国費を浪費した他の留学生とは違う。どれだけ期待を裏切った人間たちがいただろうか、それは留学生だけではない。国内の恵まれた教育を受けた優秀だと称えられた人たちも、自滅したのか潰されたのかは別としても、何の成果もなく消えて行った。漱石はやはり稀有な存在だったのだろうか。「吾輩は猫である」と書き始めた人がたどったユーモアのある作家が必ずしも明るい人生ではない。
2020.01.31
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スリランカ宗教戦争をみていると到底宗教による世界平和の実現は困難に思えてくる。 三大宗教がそれぞれ目指す世界が違うだろう。最近の報道を見ているとその 観を強くする。他宗を排斥して宗教の存立があるとすれば、共存は自ずと制 限があるだろう。世界は急速に国際化が進みつつあるが、行き着くところ共 存を前提としなければ、コンセンサスは得られないだろう。政治に宗教性を 優先させれば必ず軋轢が生まれる。中東は依然として世界の火薬庫でありつ づけるのであろうか。宗教を信じるひとと信じないひとがおり、どちらがど うといってもまだ議論になる段階でもないが、何れ結論を出すときが来るか も知れないし、或いは、来ないかも知れない。 併し、平和は、実現せねばならない人類の大きな課題で在ることは間違いな いとすれば、宗教も解決しなければならないだろうことだけは分かる。
2020.01.31
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プラハ市内観光。手島実郎は「脳力のレッスン」の序文で、 「狂気に満ちた時代に正気を保つことは、容易ではない」と書いている。 9.11以後、アメリカは「力と正義の論理」という不可思議な論理で「新しい戦争」へ乗り出 し、日本はといえば、戦後培ってきた平和の資産を かなぐり棄ててまで、アメリカに追随している。 謂わば、「仕方がないシンドローム」だと指摘している。 「イラク戦争」後のステージは、やがて、日本の将来に暗雲を招き入れるだ ろうか。 03年夏のバクダッド崩落後のあるシンポで、イラクのひとりの高校生の 質問が紹介されている。 「佐世保で少年が、一人の幼児を殺害したことで、大騒ぎしている日本なのに、何故イラクでの何千万何万人もの人間が殺されるかも知れない戦争を日本は支持するのか」 日本の大人社会の欺瞞を衝く質問だろう。 それは、何故日本の高校生からではないのだろうか。否勿論ないはずはない だろう。そうさせない大人社会があるからだろうと信じたい。 日本も第二次世界大戦では、何百万人もの犠牲者を出して、日本国憲法を制 定して、世界に「戦争の放棄」を宣言したではないか。 かって、ナチの台頭を許したワイマールのドイツは、ヒッラーを冷笑してい るうちに、抑え難い潮流は大津波となり、多くのドイツの知性をなで斬りに した。日本も同じだ。 「テロとの戦い」「核の脅威」とは、それは如何に繕うとも戦争を正当化し ようとする陰謀でしかない。 自分だけは、平和を愛しているというだけで良いのだろうか。それは、 「ワイマールのドイツ」ではないだろうか。何れ何もできない愚民となり、むざ むざ殺されていく子供たちさえ守れない人間になろうとしているのではない か。それこそ、私たちは何ものなのだろうか。 この時代の、世界の社会事象の変転の背後にあるものとは何だろうか。
2020.01.31
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今年も暖冬らしく、福岡市では雪もこの冬見ていない。1月中旬に中央ヨーロッパプラハ~ウイーン~ブタペスト3国のツアーをしてきたが、どこも雪は見なかった。昨年の2月は、ロンドンだったが、これも暖冬で驚いた。オフを狙ったツアーばかりでもある。日本のパスポートは、最強というが、これも安倍さんのおかげとは思わないが、日本人が努力してきたからであるのだろうとは思う。 ・アメリカツアーをしたときは、入国の時厭な気持になったが、やはり差別があるのだと感じた。今でもそれはどこでもある。仕方がないから我慢しているが、情けなくなるのはある。差別は、誰が悪いのだろうか。差別される側ではない。差別するほうが、差別を辞めないのは、その方がいいからでしかない。確かに、日本人は日本にいたほうが、随分安心していられるのはある。日本の司法制度が、差別的だというが、自分がしてきた不正や差別の話はない。 ・へ2・・・いつまで不公平な世界を続けるのだろうか。あちこちで矛盾が噴出している。中国も、いまさら一党独裁ではもたないだろう。21世紀になっても、言論の自由がないなど信じられない。香港も台湾も、自分たちの好きな生き方をしていいはずだ。個人の権利が尊重されるべきであり、人権は守られるべきでもある。
2020.01.31
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他人の不幸は蜜の味とか、厭なことばですね。でも本音を吐露している所もある。例えば童話はこどもたちは大好きですが、自分たちは安全であることを知っているから、怖い話を聞けるのでしょう。それにしても、最近何と悲惨なニュースが多いのでしょうか。それを平気な顔をしてニュースキャスターは知らせています。 アナウンサーとは、新しい時代のフェースなのでしょうね。次から次と他人事で、他人に不幸を伝えています。勿論仕事を終われば普通の人でしょうが、妙に人間味のない話方です。あれも話法があるのでしょう。誰が決めたか知れませんが一様です。そういえば、最近北朝鮮のアナウンサーが、妙に高い声で喋る中年の女性が目立ちますね。党の方針でしょうか。金正日の宣伝ばかりしています。あれを見ると胸が締め付けられる思いがします。 でも、日本のアナウンサーも同じではないだろうか。五十歩百歩ではないだろうか。少なくとも決められた内容を話しているだけでしょう。前からみるか後ろから見るかの違いではないか。 小泉前首相の時も思ったのですが、まじめなひとの顔ではない。ブッシュの前で、プレスリ-の真似をしてみせる小泉純一郎が素顔ではないでしょうか。そう思いました。 他人の不幸だとしても、涙を流す人たちがいるに違いない。その人たちは喩え騙されているとしても、豊かな感性を持ち続けている人びとではないでしょうか。化粧をした人たちばかり目立つ社会ですが、もっと優しい日本人がいましたね。自分の子どもと分け隔てなく他人の子を抱きしめる姿を昔はよく見かけました。 私たちは、かけがえのないものを捨てながら、自分だけは、と考え出しているのではないだろうか。それは、正しいことでしょうか。他人の不幸が、どうでもいいと思っているのではないか。余りにも不幸が多くて、慣れてしまっただろうか。情報が多過ぎて整理できないでいるでしょうか。
2020.01.31
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プラハの道路漱石「幻想の盾」の中に、出てきたクララとウィリアム。「武士の命は女と酒と軍(いく)さである」。何と分かり易いフレーズだろうか。それ以外はない。装飾語を身にまとい右でもない左でもない。どちらでもないことして散っていく。「くらら」という融資物件があり、それがいつまでも台帳に残っていて、北九州の小倉駅前の昔の「そごう」の裏手にあって、飲み屋街の中にあった。その土地建物を取得して、建物を取り壊し、更地にした。その後売却を決めて、土地の実測をした。隣地者の同意が必要になり、苦労した。どうやら土地というのは境界がはっきりしているとは限らない。境界標も当てにはならない。 ・「くらら」というのは女主人の名前ではなかったろうか。洒落た名前だと思ったことがある。そのクララが、漱石の作品の中に出てきた。漱石の恋愛表現は、現代文とは違っている。露骨ではないが、女の描き方が矢鱈上手い気がする。これは漱石がかなり女性を知っていたからではないだろうか。クララのイメージもさして書いてはいないが女を感じる。 ・へ2・・・冬牡丹を見に行きそびれている。今頃気づいても少し遅いが、明日でも天気が良ければ会いに行こうかと。もう萎れた牡丹もあることだろう。花は一時の盛りだ。ウィリアムがクララに逢うためなら海の底でも行かずにはおかない。恋のためなら千里でも行く。
2020.01.31
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周囲に調和させようと思うあまり、自分が個性を見失っているのではないかと思い続けていた。一人っ子で周囲は殆んど大人たちで自分は、彼らたちに従わなければならないのだと思い込まされようとした無言の刷り込みだったろうか。兎に角或る種の劣等感があったようだ。一見素直に振舞うしかなかった。溢れるような疑問をもっていたのは事実だ。 ・どうも疑うことを始めたのは幼いころからだろう。幸か不幸かそれは私だけの特別な事例ではなく誰でも感じる世間の中であり、誰でも感じる挫折を味わう破目になったことだろう。謂わば、「みんなで渡れば怖くない」という世界にいたことだ。もし、戦争でもあり、徴兵でもされていたらどうだろうか。それはもしもの仮定でしかないが。恐らく違う人間になっていただろう。 ・へ2・・・社会的ステータスがそのひとの意識を決定している人は一般的な人間の傾向だ。オバマ大統領はどこまで個性を発揮できるのだろうか。もし、それができたとしたら、アメリカ人の見識の高さだろう。どうも日本の政治は「みんなでやれば間違いはない」式の無責任システムではないだろうか。国会はその最たるものだ。誰も考えてはいない。何しろ理屈ではなく多数決が正義でしかない。偶々法務大臣になった人物が死刑執行も命じるのだ。
2020.01.30
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八達嶺長城ルソーの言葉 「社会の基礎を検討した哲学者たちはみな自然状態にまでさかのぼる必要を感じた。 しかしだれひとりとして、そこに到達した者はいなかった」(『人間不平等起源論』) 「虚栄心を生む者は理性であり、それを強めるのは反省である。-人間が苦しんでいる 人を見て、「おまえは滅びてしまえ、私は安全だ」と密かに教えるのは学問である」 「ある土地に囲いをして、「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それを信じるおめでたい者たちを見つけた最初の人間が政治社会の真の創立者であった」 「各構成員の身体と財産を共同の力すべてによって保護する結合の一形式を見出すこ と、それにより各人が全員と結びつきながら自分自身にしか服従せず、以前と同じ く自由であること、これこそ根本問題であり、社会契約がそれを解決する」(『社会契 約論』) 「人民が十分に情報を持って審議するとき、市民が相互の意志を伝達しなければ、わ ずかの相違が多く集まってつねに一般意志が生まれる」 「民主制という言葉の意味を厳密に解釈すれば、真の民主制はこれまで存在しなかっ たし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されると いうことは自然の秩序に反する」 「統治者が市民に向かって「おまえの死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民 は死なねばならない。
2020.01.30
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プラハ市内。 なぜ変貌するか?経済社会はなぜ変化し、変化するのか?アメリカと日本の経済について、リーマンショック以後と以前について、学んできた。金融資本主義のあとにどんな経済・社会が来るのだろうか。経済の変貌は必ずある。成長と危機は循環する。果たして資本主義は変質するだろうか。そこまでは見通せないようだ。講師は最後に二人印象的なフレーズを紹介された。 1.資本主義はその成功ゆえに没落する。(シュンペーター) 2.何も根本的に変化しないためには、すべてが常に変化しなければならない。 (ヴィスコンティ監督「山猫」) ・上記(1)の「成功」の中にはリスクを包含しているのではないか。完璧な成功もないからだろう。何を成功とみるかもある。(2)は、何も変化しないものはないのではないか。変化しないという前提が問題だ。資本主義が利潤の追求という意味では、モノやカネを商品化することによって成長をしてきたが、それが人に向かっているのは最近の傾向でもある。ひとや心まで商品化しようとするとすれば、あとがないような気がしてくる。 ・へ2・・・「順調な経済社会は必ず危機に陥る」。というのは人体に喩えれば必ず病気になるということでもある。それを克服できるかどうかであり、経済社会ではそれ(病気)は「危機」と呼ばれる。今後の経済の変貌を見極めるだけの能力をもちたいものだ。
2020.01.30
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旧市庁舎テーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるかではないだろうか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2020.01.30
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プラハ散策。この日プラハの空港に早朝に到着して、そのまま市内観光に出て、聖ヴィート大聖堂に、9時の開館と同時に入場したから、ここまで、まだ33分間である。それでも短い間であるが、プラハの街の雰囲気が気に入った。気温は0℃近いのに。プラハの春というが、どんな歴史だったのだろうか。宗教の色を、色濃く残しているのに、共和国であり、無宗教が多いという。 ・観光のために、オールドタウンを残しているのかもしれない。激しい宗教戦争もある。嫌気がささない筈はないのだ。日本人は、宗教を知らないが、それは必ずしも悪いだけではない。知らないでいたほうがいいこともあるに違いない。強さとは、醜さを知っているだけだ。プラハは石の街でもある。街のあちこちで、若い男がひれ伏して物乞いをする姿を見たが、この寒い季節によく耐えられるものだと。 ・へ2・・・中央ヨーロッパは、歴史的に見て華麗な勝利の国家なのだろうか。ひとではなく建造物だけを見てきたのかもしれないが、そこで暮らし続けている洗練された人たちがいるに違いない。まだ、空港に着いて、4,5時間しか経過していない。
2020.01.30
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プラハ散策。 静かに時を待った死神は人知れず動いて当然嵐のように私たちに襲いかかってくる。何も用意して待つことはない。ファウストのように悪魔との契約など必要はない。環状ではなく直線状のヒトの染色体は、タンパク質と結びついた特別な染色体末端に結びついたDNA配列をもっている。この非コード配列タンパク質であるDNA末端、テロメア telomere は、ヒトの中で唯一接近しやすい染色体複製の構成要素である。テロメアは、150~ 2000の TTAGGG 配列をもっている。 ・染色体の末端はテロメアの核タンパク質によって保護されている。 ・テロメラーゼは老化した染色体を維持している。 何故 telomere crisis は起こるのだろうか。ヒトの分子生物学は、まるで初心者にとってパズルのごとくである。テロメアの欠損による染色体末端の欠失は染色体の不安定化をもたらす。つまりそのような損傷は高い割合で組み換えが起こりやすい。 それこそ、精子の如く数億の競合を経て、苦難を乗り越えて、始めてひとの遺伝子は卵子にたどり着くことができるのだろう。ヒトの生命の先端で繰り広げられる闘争は、単純でも平易でもない。まさに複雑で熾烈な闘いの場でもあるのだ。そこにこそ、人間の生命の根源があるのであり、私たちの日常はその上に立った社会でもある。
2020.01.30
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ひとはそれぞれのエリアの中で虚構と誠実さとの間を揺れているようだ。どちらに針が振れているかであろうか。日々も朝から夜のあいだである。すべてが始まり、そしてすべてのことが終わる。点を線に考えられるのは人間には記憶があるからだ。刹那で生きている動物もいる。人間でさえいつも同じ感情をもつのではない。虚構を作り自分を守ろうとする。許されるものと許されないものがあることを識別しなければならにだけだろう。そして誠実さも、自分に対してだけではなく、他人にもあまねくそれを証明できるかでもある。 ・作家たちが激しく虚構と誠実さを揺れつづける生き物であるかを見るだろう。彼らは何時までも虚構だけにいるのでないが、誠実さにも留まり続けるのでもない。読者を騙そうとさえする。それは、決まり文句のことばで表現されるようだ。松林は、幼い頃心を寄せた場所であり、古里の安らぎをさしていたりする。起伏の激しさがあるから、小説が書けるのかも知れない。決してウソつきではないのだ。誠実さにとらわれていては、小説は死んでしまう。 ・へ2・・・香椎に冬牡丹を見に行こうかと思っている。そのタイミングを狙っているが、そのふんぎりがつかないでいる。どうもそとが薄ら曇りで、太陽の光を浴びた美しさが得られないのではないかおもうこともあるから。こころを奮い立たせるものがまだ足りない気がしている。どうも慾張りだ。色々と注文を付けたがっている。どこでも読書はできるし、真理に近づくことはできるだろう。こころに怠惰が巣食っている。
2020.01.30
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プラハ散策。最近のツアーでは、イヤホーン付きが多い。この日は、朝-2℃くらいだったようだ。刺激のない日常よりも変化に富んだ多様性が人間性を高めるのだろう。どうしたら都会の中で、それが可能になるだろうか。それが問題だ。そこには発想の転換が必要だろう。そのためにコストを払わねばならない。そのための努力は惜しむべきではない。核兵器を製造するよりか、どれだけましだろうか。 ・小手先で政治が行われようとしている。それに加担する者は誰か、国民は目を皿にしてみなければならない。誰が何をしようとしているか。根掘り葉堀りせねばならない。その試練に耐えたものだけが、政治家足り得るのだ。政治家にプライバシーなどはない。彼が支払う対価は小さいものではないだろう。だからこそ、安易に政治家になろうとするものを信じることはできないのだ。 ・へ2・・・明後日から2月だ。体がむずむずしてきた。新しい意欲が湧いてくる気がする。地上に這い出してくる生命が、溢れだすのだろう。このエネルギーこそ、あらゆるものを変化させるだろう。もう気の早い樹木たちがざわめいている。
2020.01.30
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プラハの敷石 路上駐車が気になったが、それだけ駐車スペースが少ないのだろう。美観が損なわれるので残念でもある。ひとの弱みに付け込んだ商法が罷り通り文化人なるハイエナがあちこち這いずり回っているように見える。何か流行語狙いの浅墓セールスがある。文春あたりは早速「不老革命」なる特集を組んでおり、座談会が記載されている。参加者は、立花隆、茂木健一郎、玄侑宗久、白澤卓二、大内尉義という面々。どうも偏った意見が流されているのではないだろうか。 ・読物として存在しているのはあるし、単なる商業主義の雑誌社でしかない。しかし読者はそれほど多い選択肢を持っているわけでもない。テレビで見る情報だけでは纏まった意識にはならないだろう。新聞だけでも不十分だろう。では大学の論文か何かのちゃんとしたレポートを読めるだろうか。そこまで見れる人はそれほど多くはないに違いない。その代替としての雑誌だろう。それで確りした見識が持てるのだろうか。何とも頼りない。図書館で、古い論文を読むくらいしかできないのが一般だろう。それもそれだけの熱意のある人でなければならない。数年前の論文ではもう、新鮮ではない。腐った魚を食べるようなものかもしれない。 ・へ2・・・どうやら状況は深刻なのだろう。欠陥がある社会で、アンチ・エイジングも空々しく聴こえてくる。それができる者にとっての話だろう。そういう話をする神経がわからない。それより先に議論すべきはないのだろうか。言葉が独り歩きする。アンチ・エイジングという言葉が、如何にも新しい言葉のように使われている。できるはずもない夢だろう。そういう言葉を使えばそれで、何か変わるのか。
2020.01.30
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インスピレーション・ポイント<太宰のぼんやり> ・太宰・・・女のマネ・・・女になる。女になることを意味している。「女語りをするものは女である。」女語りを太宰はやめようとしなかった。 ・太宰と鱒二との相違点 ・太宰も芥川も、生涯にわたり庶民への差別意識をもっていた。 ・「ぼんやりと待つ」・・・太宰の本質。 ・太宰:ブルジョアに生まれた。貧困に対して屈折したコンプレックスがある。 ・太宰は庶民の側にいないから庶民の側に立てない。庶民はケチ臭い。庶民の考えに共鳴できないという思い。 ・S5.S10年太宰は、鎌倉で自殺を図っている。鎌倉の「実朝」に対する思い入れがあった。実朝と太宰の距離。実朝になりきろうとしながら、距離を置こうとするという矛盾。 ・「似ている」・・太宰のキーワード。切っても切れない相手に対して使っていることば。 「富士には月見草がよく似合う」・・自分の思いを込めている ・太宰は、とめどなく言葉が出てくる天才 といわれる。ロマネスクの変型。 ・太宰は落語に親しんでいたことで、落語の話芸を知っていたこと。造詣が深い。 ・太宰は、同じキーを叩き続ける。 ・太宰のユーモア・・・西鶴との関係。 ・太宰は「カネのこと」に触れるときは真面目になる。「三界に家なし」。生き方が下手。 ・太宰は自意識過剰の人。 ・太宰には負い目があった。憎悪と愛情。兄は議員。貧しさを尊ぶ・・時代にマッチしていた。少しも旅先でも住民と会話をしようとしていない。 ・太宰の心理的コンプレックス・・あばただった。 ・堤重久「太宰との七年間」・・なぞるように書いている。作品・・をそのまま評価できない。 ・作品だけが救い。芸術は私だ。という太宰が、芥川賞に落選した。自分の作品が無視された。才能をのばせないという苦悩があった。自意識と世間の作品評価との乖離と逆比例。 ・太宰にとって、芸術とは自分のこと。「芸術は私だ」 ・太宰の読み方は普通(単純)にはいかない。 ・「人間失格」・・・女性遍歴史がある。「書くものがない」一方的に書いている。 ・鱒二と太宰の師弟関係。師はいやなもの。オリジナル・・・めざめる。 ・「ヒューマンロスト」・・・「パピナール中毒」になり太宰は拘りを持っている。 ・太宰の入院。鱒二に入院させられたことを恨んでいる。 ・鱒二著「薬屋雛女房」で、太宰の病気のことを書いている。太宰の恨みは続いた。 ・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型) ・作家の発想はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。それから抜け出せない。 ・「背後にひそむ何者かがいる」「死は背後にある」・・・気付かない。 ・太宰の純潔に対する考え方。嗅覚の比喩。悪臭という表現を使う。 ・文壇・・・ 井伏、川端。 太宰は、疎外されていた。集団嫌い。被害妄想。 ・富嶽百景は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから変わる。 ・小説に使う「私」を使うのを嫌った。大庭葉蔵ペンネームとして気に入っていた。「人間失格」に出てくる。 ・「滝」をみたら滝を忘れない。 ・「ぼんやり」・・・作家になろう。しかし作家はぼんやりと書くときは実は本気である。 ・恥ずかしことを書く。本当のことはなかなか書けない。作家になりたくない。 ・「ぼんやり」という表現。・・・アンニュイ。ボードレール。 ・ストーリーがない。分かり難いのは当り前。・・・太宰の本質。 ・才能のある人間のある話を書く。小説家が、小説家を書く。 ・川端を憎んだ。菊地寛は、当時文壇のボスだった。芥川賞に絡んで太宰は落選。 ・昭和10年は、太宰のターニング・ポイント。 ・道化の華。道化の精神(太宰の道化)
2020.01.30
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モニュメントバレー 資源は無尽蔵ではない。人間も同じだ。限られた時間と限られた世界で生きている。個人にとって、未だ自分のスペースを選択できるが、いつかそうもできなくなる。のびのびしていられるのにも限界があるだろう。私たちはただ黙って、それを受け入れるしかないのだろうか。一生恙無く生きられれば幸福といえるだろうか。何か今しなければならないことが私にもあるのではなかろうか?それが、正直な気持ちでもある。 ・石炭や石油や、或いは人間の生命でさえ限界がある。自然は、人間の文明や社会的活動を後押ししてくれた。私たちは子孫に誇れるものを残せるだろうか、悩み始めている。彼らの健やかな一生を守るべき資源を残すことができるだろうか?それだけの時間と智慧があるだろうか。生気を失った残骸だけを残すのではないだろうか。勝ち負けや損得だけを追求している社会が、人間の叡智といえるだけの資源をのこせるのか? ・へ2・・・個人主義の限界があるのではないだろうか。無謀な野心がすべての存在を絶滅させ、目的を見失いショートしてしまうかもしれない。そう思い始めてはいないか。少なくとも個人としてそのことを思っている。人間の未来を類としての存在として考えることはある。そろそろ部屋の中にたまった資料を整理しなければならない。このままではゴミの山になる。後継ぎはいないから、妻子はすべて焼却場に捨てるに違いない。消されないためにもこれから少しは残ったエネルギーを使わねばなるまい。
2020.01.30
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プラハ散策。「言語は根源的に創造的であり、人は常に「新しい文」を聞くし、新しい文を話し得る」(Chomsky の Skinner 批判) 同一の文でも、文脈によって全く異なる物理特性をもち、あるいは、同じ物理特性が文脈によっては全く異なって聞こえる。 故に、言語は、生得的な言語能力によって習得や経験の積み上げでは習得不可能であるという。(ある「人間を科学する」という講座から引用した。) ・語彙を理解したからと言って、文が書けるわけではない。小説はひとつの事例でしかない。すべてを表現することなどできはしない。まして短歌や俳句で、それが、どれだけ優れたものであっても限界があると思う。それは短歌や俳句の世界で通用するものでしかないだろう。日本文学も日本という国が作り上げた文化の一現象でしかないだろう。お山の大将も所詮は狭い世界の話だろう。そして、現代は「あなたが、「おもしろい」と思ったことを、「あなたがやりたいやり方で」やりなさい」としか言わないのだ。 ・へ2・・・それは認識科学が、いかなる意味での「科学」かを問い、新しい意味での「科学」を、「ホント」であろうと「ホント」でなかろうとも・・・「おもしろい」をつきとめることが、「ホント」を突き詰めることになるというのだ。成程。広い視野という漠然としたものでは宇宙など分るはずはないのだろう。
2020.01.30
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ぼかし絵で描かれている壁。プラハ散策。人類は、定住生活を確立してやがて余剰を蓄えるようになり、貴族社会は、土地を耕すと いう骨折りを免れるようになり、搾取を知ったのであろうか。植物は、自分で光合成を発 明したのではなく、そのアイデアをシアノバクテリアから盗んだと言われる。この細菌の末 裔は、植物が発生する10億年以上前から光合成を知っていた。植物の祖先は、恐らく原 始的な菌に似た有機体と光合成を行なう藍藻との共生体であった。 そこにあるのは、途方もなく長い時間である。人間は、謂わば突然変異で出来た生物で あり、突然消える運命ではないだろうか。少なくとも自然史をみているとそう思えてくる。炭 素と水が素材でしかない。 私たち人間が辿ってきた歴史が理解できない訳はないだろう。そして、その人類の進化 のスピードの加速は、或る面で、危うい面を抱えているだろう。生命の膨張は何れ限界が あり、圧縮があるが、生命の限界とは、何だろうか。
2020.01.30
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プラハ散策家畜を寄せ集めて主人のところに連れていくタイプの「ヘッダー」と、家畜追い立てて主人 から切り離させるタイプの「ヒーラー」がある。これは見張り番のガーディングドッグと違 い、群れを纏めるハーディングドックといわれるカテゴリーになる。この「牧畜本能」は、じ つは祖先のオオカミから受け継いできたと考えられる一連の「捕食行動」からくるものだ。 ヒーラーは、獲物に体をむけ、にらみを利かせ、忍び寄り、追いかけ、捕まえて噛みつき、 噛み殺し、切り裂き、むさぼり食らうのだ。 人間行動の本質をよくみれば分かるように、遣っていることは、時に動物的な本能を露呈 しているのではないだろうか。この社会の差別化を進めているのは、政府を代表とする支 配層のしていることだろう。口で言っていることは偽善でしかない。 一口に「牧畜本能」などというのは本質的には語弊がある。なにしろ多様性を包含してい るからだ。
2020.01.30
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2月車検であるが、早めに済ませてきた。来月初めには、宇佐神宮と高塚愛宕地蔵尊の参りを予定している。 近代社会からの漱石のメッセージは「人の情け」について、なのではないだろうか?旧弊を破りながら、新しい時代を追い求めた国家が、大衆の犠牲の上に成立したのは間違いがないが、ひとの上に立ちたいという野望は捨てきれなかったエリートたちが、心の豊かさを失いながら生きの残ろうとした姿がある。そんなものは容赦なく切り捨てられていったのだ。私がホームレスの人に拘るのは、グリム童話の「星の銀貨」のような少女のいなくなった世界だ。 ・周囲に弱者がいたら、すぐ手を差し伸べた女たちがいた。泣いている子や、空腹らしいといえば食べ物を与えていた人たちが沢山いたのだ。だから戦後も生き延びたのではないだろうか。否日本人のルーツは飢餓の歴史でもある。昔から弱者を労わっていたからこそ、続いた社会ではないだろうか。貧しい国土の暮らしはそうして私の体にも遺伝子として残っており、そのために病気にもなったのだ。飽食の時代は一瞬の出来事でしかない。 ・へ2・・・忘れやすい人びとは、また過ちを繰り返すかも知れない。また甘い罠にかかるのだろうか。耳障りのないものだけに興味を持ってはいないか。見かけだけの誘惑に鼻の下を長くしている安易な人間に成り果てていないか。誰も助けてはくれないそんな社会になっている。それは果して、日本人の暮らしを明るいものにするのだろうか。そんな常識が心を冷たくしてはいないだろうか。童話でも読んでいた方が幸福はあるかも知れないと思う。
2020.01.30
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プラハ散策太宰の講座も「斜陽」と「人間失格」がメインになる。「斜陽」を読み始めたが、貴婦人が公邸での隅で小水をする話があった。それこそ、広大な敷地でトイレがあちこちにある現在とは違う。然も暑苦しい服装をしていただろうし、用を足すのも大変であったろう。我慢して膀胱炎になったのではないだろうか。外見はどんなに立派は宮殿も見かけほど清潔ではない。隅に行けば堪らない臭気がしたことだろう。 ・そういえばレジデンツに行って市内を案内されたが、室内に置かれた装飾棚のなかに便器が仕込まれていた。司祭は客の前で用を足したらしい。それが客の名誉だというから可笑しい。男たちはワインを飲んで暖炉でも用を足したから、暖炉周辺では小便の臭いがしたらしい。そこで多くの香料が必要になった。アジアへ香料を探しに出かけねばならなかったのだ。 ・「斜陽族」も太宰の「斜陽」から来ている。作中自分たちを「高等御乞食」と自嘲気味にいうが、それは本当はどうなのだろうか。人々は空想する動物でもある。一生空想したまま死ぬ奴もいるかも知れない。こんなものだと思うと、そこで蓑虫のようになってしまう人間もいる。何を読んだかで凋んでいく人間もいるのだろう。それが怖いことでもある。ジハードもそうではないだろうか。意外と人間はものを考えようとはしないのだろう。 ・へ2・・・病気から逃れるために侍医の進言で自分の歯を全部抜いた国王が、ものが噛めなくなった。何でも贅沢な物が食べられる国王が歯を抜かれるとは皮肉な話だ。それでいつも下痢をしていた。それこそ豪華な服を身につけていたのだから、たびたびでは臭いが服を汚したらしい。謁見する家臣たちは臭くてたまらない。そこでいつも自分の服に香水をつけていたらしい。 ・人の見る角度でいかようにも違ってくる。それは自分の想像で物事を見る傾向があるからだろう。事実は違うことの方が多い。幻想で悩んでいる。太宰は、自分の心を弄んだに過ぎないだろうか。
2020.01.30
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プラハ城~市街散策 自分の未来の担保になるものはない。人や物に頼っても何れは無力化するだけだ。自分に何ができるか、現実に目を向けて生きることだろう。あるものはあるだけだ。真実を知ることは真の勇気を得ることでもある。黙っていても道は開けてくるに違いない。喜びは周囲に満ちてもいるからだ。欲張らなければ得られるもは小さくはないだろう。 ・無理に安心しようとしてはいないだろうか。自分をだましても仕方がないし、と郷の悪い諸々の事実も少しも動かない。一つ一つ片付けていくしかない。心が挫けないように自分の心を鍛えねばならないだろう。学ぶべきことはこの世には沢山あるからだ。 ・へ2・・・東京に転勤になった元部下の女性から、娘の写真の載った年賀状が送られてきた。早速返事を書いて、これから出してきます。もう違う所に転居しているだろうと思っていた。ついでに和白干潟の野鳥を撮ってきます。今年は渡鳥が少ない気がしてならない。
2020.01.30
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和白干潟 気軽に出かけたが、流石に風が冷たくなった。和白干潟は干潮だったが、あまり野鳥の姿はいなかった。随分減っているのではないだろうか。干潟には渡鳥だけではなく、いろんな鳥たちがいる。その総体が減少しているのは、干潟の汚染があるのではないだろうか。めっきりアサリも少なくなったようだ。稚貝が育たないと言われている。人工島がどれだけ干潟に影響を及ぼしているのか、あとで指摘されるというのもお寒い。 ・目に見えた時には遅いというのが常識でもある。夕焼けが撮れるかも知れないと期待していたが雲が多かった。風も強くなり、寒波の影響があるようだった。サギ類が殆んどいなかった。貴重な干潟がそう長くない間に、埋め立てられるのではないだろうか。汚れた水が流れ込んでもいる。それこそこれまで浄化していた湾岸の海流が人工島によって変化しているに違いない。近隣の排水がどれだけ処理ができているのだろうか。 ・へ2・・・干潟も開発の犠牲になっているのではないだろうか。干潟の海底生物が減少していけばやがて悪臭を出し始めるだろう。野鳥も来なくなる。そんな日が来るのではなかろうか。どうも寒くなってきた所為か考えることもネガティブ・マインドになるようだ。和白干潟は、全国でも珍しい貴重な野鳥と渡来地でもある。いつまでも残してやりたいものだ。
2020.01.30
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プラハ城付近。漱石 「道 草」 ・小説の枠組として、「におい」がある。・物事は、「片付かない」という主題との配合。・「心」の出てくる箇所・・・健三と細君は対等か?平等は見せかけである。圧倒的に書かれているスペースは健三が多い。即ちこの作品は健三サイドの物語である。・「明暗」のなかでも「心」の文字が出てくる部分が何箇所あるかの抽出をやってみてはどうか?漱石の関心度が分かる。・漱石は、登場人物のだれの心を強調しようとしているのか?・・・作家の真意を知ること。・健三が実家に戻った時期はいつか?島田の養父として主張に言い分があったのではないか? 漱石と養父との関係の実際が明確とは言えない。・「道草」が出版されて、養父からは世間から迫害されたと養父は言っているという。(実在の人物)・養母・・秋田雨雀「あかつきえの旅」・小説に出てくる内容が、事実かどうかは疑問。・モデルと作品との関係は複雑。・冒頭に暈かしている。ロンドンを遠い国としている。・「香り」で始まり、「香り」で終わる。反復表現。香(におい)とルビ。・「変わること」。「変わらないこと」。念頭に置いている。・健三と細君ではなく、寧ろ、「健三と世間のこと」。・漱石は、分かり易いことを書く筈がない。そこがスタートライン。分かりやすく説明できる筈がない。分かり易いものがあるとすれば、それはむしろ「嘘」。・漱石は「へそ曲り」。片付くと世間は思っているが、健三はそうは思っていない。・細君と赤ん坊は一緒(一心同体)。「僻み根性」。健三は孤独。母子の関係は深い。・これからも健三と細君の関係も片付かない。・漱石は「狂人扱い」された。漱石自身が、「狂人」は、自分の性格だと思っている。「人生」のエッセイのなかで、自分でも書いている。反省しても直らない。・「こころ」は、上編で、長過ぎたので途中でやめている。そのつづきで「道草」を書いている。「こころ」では、漱石の気持ちは片付いていない。・「道草」は、「散歩のこと」が根源的な問い。「それから」が出発点になる。・真は天の道なり。「道」がキーワード。・内側の声。「途中で引懸かっている」。・狂気とインスピレーションは同じ。常軌を逸したもの。・作家への道。・漱石は理系のひと。計算づく。文系ではない。工学系の論理がある。相対関係が働いている。きれい事では済まない。・「趣味の遺伝」レトリックを使う。健三の中にある狂気。野生的な自分。(65)・姉が出てくるのも要注意。(65)姉との違い。・「ポアンカレー」血縁。・58 「金」の問題。区切り。・「こころ」先生は金のことを書いている。「カネと心」労働の変形=かね・永遠の時間 ・原稿を書いてえたカネと、大学で(テストの)赤い線を引いて貰うカネと同じではないと考えていた。・変化の主題。・究極と問い。(69)・熊本の細君の自殺のことを触れていない。自分にとって都合の悪いことを書いていない。・細君はわざとヒステリーを起こしているのではないか。本人も気づかない。・病気が仲立ちしている。漱石には分かっていたのではないか。・「お縫さん」のことを何度も書いている。「日根野かつ」。・漱石は、相対観を書いている。・「お縫さん」のモデルが「れんさん」。・記憶にまつわる問題。肝心のことがわからない。
2020.01.30
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プラハ城は、高い丘の上にあり、この長い階段の反対側の駐車場から、プラハ城内の見学をしてから、そのあと市街に向かうこの階段を下りてきた。これから、カレル橋に向かう。聖ヴィート大聖堂には、9時オープンと同時に入場したが、ここまで25分しかかかっていない。忙しい見物でもある。呼吸下手だと長生きできません。でも環境も大きい。知らない内に汚染でやられます。職場、家庭でも、 通勤する道でも、電車の中でも危険因子はある。九州に住んでいますが、ここも楽園ではなくなりつつ ある。そんな気がしています。それと経済が心配です。地方自治も食い荒らされているようです。 「問題の先送り」が益々フリーラディカルになるでしょう。人の身体と同じでじわじわと来る。 どうも、吸うのと吐くのとどうもバランスが崩れていませんか。健康は現代は「創造」するものです。 誰も、自分の健康の責任を取りません。年齢相応に生きていないと生命がない。環境は、急速に 悪化しています。すぐあの世へ切符が届くことになりますよ。呼吸を整えて今日一日に臨もう。このツアーは、半分諦めていた。もしものことがあると思ったからだ。ドクターストップもあるかもしれないと思ったが、辞めろとは言われなかった。それでも進めてはくれなかったのは、もしもがないとは言えないからだろう。5年間の予後は、悪くないのだそうだ。ただ半年後の再検査はある。他人からどう思われようとも、したいことをするしかない。それが、自分なりの哲学だ。
2020.01.30
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カレル橋 文明の衝突といわれている。公平に見ても西欧思想が普遍的であるとは言えない。歴史はそのことを証明もしている。なぜトランプ大統領が、2選されるというのだろうか、理解できないことばかりある。人の傲慢さがあるからである。そのためにどれだけの民族が滅んできただろうか。種としてのヒトにも、ヘイフリックの限界があり、やがてその時が来る。ささやかな望みは平和であることでしかない。グリム童話を読んでいると、善悪が明確で、悪者は最期は殺される。美しいものと醜いものが棲み分けられてもいる。封建社会とは身分社会であり、グリムも懐古的な昔話の類でもある。そしてその伝統は現在も支配階級と大衆とが棲み分けて生きるというルールを踏み外している訳ではない。表裏の関係を上手くやっているだけだろう。それは国内と外交にもあり、内外ともに暗黙の強かな戦略でもある。 ・いつか来た道を黙々と歩いている。それは道を外れない方が何かと都合か良いからでもある。ルートを外すと碌なことにはならないことを知っている。小利口であることは世間を知っているからだ。棲み分けた社会に逆らわないでいた方が身のためかも知れないからでもある。一葉をはじめとする日本の文学者が孤独に死んで行ったのは、この社会の棲み訳に気付いたからだろう。そして或る意味破滅していったのだ。 ・へ2・・・それは破滅であって、自滅とは呼びたくない。社会に潰されたからだ。切り込んでいく先さえ見えなかったのではないだろうか。貧しい社会であったからこそ、一部の人間の栄華しか支えられない社会システムでもあったし、身分制度の中で生きていくしかなかった人たちに文化はない。隷従しかないからだ。それこそ、或る意味、ダルマのようになった現代人が歩き出すことができるだろうか。新しい芽を吹くだけのエネルギーがなければ歩きだすことはできない。それは言える。
2020.01.30
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常に周囲のことを観察しながら、自分が安全かどうか確かめているのは自分の意識だけではない。つまり自分という存在の意識の範囲は狭い。潜在意識もある。気付いていない私の意識がある。それも含めて自分という存在がある。いつもそれを修正しながら日々を暮らしている。敏感と鈍感の間を振れながらいる。寒くなり身体が思うように軽くならない。日も短くなり、光陰矢の如く過ぎて行ってしまう。朝一万歩のあと一寝入りするが、その時間が長くなってしまった。どうやら着衣の量と寒さが疲れを加速し、眠る時間が増加しているようだ。 ・自分の時間を持ちたいと長く思っていたが、それを手に入れている。それを楽しんでいる、と自分でも思っているが、客観的にはそう見えるだろうか。案外痩せ我慢くらいに見えるのではないだろうか。現在の社会の世界観や、価値観ではない。或いは通用しないのかも知れない。理解してくれる人は多くはないのだろう。何を優先するかで、その生き方や評価も変わるだろう。誰が評価するかでも違うからだ。 ・へ2・・・二兎を追うものは一兎を得ず。そうだろうか。それは真実だろう。自分の体は一つであり、脳も一つだ。私は私であり、他人とは違う世界にいる。会社の中にいた時の私と、それまでの私とも違うし、今の私とも違う。私は日々変化もしている。何のために学ぼうとしているだろうか。その意味も変わっているかも知れない。樹木も四季に従ってそのミッションを果たそうとする。秋に枯れた葉を、春には芽をだそうとするだろう。長いものは数百年かけてその役割を果たすだろう。枯れるまで止めないに違いない。客観的事実を目の前にして生きようとするのは生命の使命手もある。
2020.01.29
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個人の一人一人は、他人とは違う世界を経験している。見ている対象は皆違ったように見えているのだ。五感で感じているものの他にもある。脳の感じているのは、只目に見えているものをそのまま受け入れているのではない。色も違って見えている。同じだというのはアバウトな表現でしかない。私が何を考えているかで、見えているものが前とは違って見えている。そして一瞬後とも違う。相手を識別している感性は複雑だ。人間を甘く見てはいけない。その価値を知っているとは言えないからだ。 ・まだひとの存在の価値を証明できてはいない。アバウトに人間尊重を宣言しているだけに過ぎない。何が必要で何がそうではないか、正しい判断のできる人間は未だいないだろう。アメリカが自分たちの世界観を、国際社会に押し付けることは最早できない。中国も13憶人いたとしても、68憶人の世界人口ではない。理性的であってこそ世界のリーダーになれるのだ。 ・へ2・・・自分だけの世界で終わるものもいる。広い視野と深い洞察力は容易には取得できない。簡単に手に入るものは精確なものとは言えない時代である。自分の知っていることがすべてではない。他人の情報を信じるかどうかでは真実とは限らない。私たちは長くアメリカ発のメディアを信じていたに過ぎないからだ。これまでの常識が精確とは言えないという前提で考えるべきだろう。これまでの「自分」は果してこれからの時代に役立つだろうか、それさえ解からない。殻の中に閉じ籠ってはいないだろうか。いつも観察していなければならない。
2020.01.29
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プラハ城周辺。 ややもすると昨日と同じだと思ってしまう。そう思い込もうとしているからだ。それこそ違うもので溢れているのに。今食べたものでさえ、すぐに胃の中で消化されエネルギーとして消耗される。自分がこれほど劇的に変化しているのに周囲が変化しない筈はない。昨日の友も今日は違いもする。日々創意のないひとは振り落とされるかも知れない。いつまでもアメリカが、覇権を握っているのでもなく、中国もかっての中国ではない。それは日本も江戸時代でも、明治でも、戦前でも、戦後でもない現在の日本である。 ・創意のなさが行き詰まりを招くかも知れない。マンネリがあれば限度を超えられない。いつまでも同じ社会システムが利用できる筈はない。官僚主義もいつまでも同じでは腐敗してしまう。イデオロギーも進化していかなければ使い物にならないのだ。いつも同じだと思う人には進歩はないだろう。昨日と今日の違いが分からねばならない。 ・へ2・・・このままでは、米中は共存できるはずがない。或いはともに変質するだろうか。それは分からない。大国が小国を淘汰するとは限らない。優秀だからでもない。未来を持つ物はまだ誰にも分らないところで未来の創意を持つものだろう。自然も日々変化している。新しい価値を見つけられるものが明日を担うだろう。
2020.01.29
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聖ヴィート大聖堂。風邪の原因のウイルスは確認されているだけで200種以上あり、それで何度も風邪になる可能性がある。免疫力の低下の最大の原因は「加齢」による胸腺の縮小と乾燥とストレスらしい。どうやら今年風邪を引かないのは暖房を使わないことがある。皮膚の表面の角質細胞の隙間を埋めている水分の量が減少すると微生物などの異物が侵入し易くなるためだ。主として自然免疫の機能を低下させる。 ・風邪を引かないためには免疫力を下げないことが有効だ。加齢はどうしようもないが、対抗手段はある。当たり前のことをするだけだが、何を日常的にしなければならないかだ。それを知っているのと、知らないとでは予防が違ってくる。ストレス、遺伝、乾燥、加齢、睡眠不足、タバコ、酒など、免疫力を低下させる知識が必要だ。 ・へ2・・・やはり、定期的な運動によって免疫細胞の活性を底上げすることがあるようだ。体力の向上が総合力を高めることになる。ウォーキングが、私には風邪の予防になっていたのだろう。生活習慣の見直しがポイントでもある。
2020.01.29
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プラハ城は丘の上にあり、これから市街の散策。考えると、人間はそれこそ一寸したことで死んでいる。小さな石もそれが高いところから落ちてくれば致命傷にもなる。自転車から落ちても、ベットから落ちても、死ぬことがある。毎日使っている階段や、風呂場でだってはずみで怪我をすることがあるし、それですまないこともある。それから、最近では、何十年も真面目に仕事をしていた公務員が、鳥渡した気の緩みや、一度の飲酒事故で懲戒解雇になることもある。現代では、たった一度の軽はずみな出来心で一生を棒に振るかもしれない。 病気も、老化も、外部からみれば長い時間をかけて進行しているが、本人はそれに気づこうとしない。人間は、先祖の形質を遺伝子で受継いでいるが、いくつかの変異を起こす細胞も受継いでいるし、反面それを修復する免疫も持っている。しかし修復できないときがある。それがアポト-シスや病気の原因にもなる。生命の営みの中から発生する。 例えば、戦争でさえ、外部から見れば突然起きるように見えるが、実は多くのプロセスを経由している。第二次世界大戦も、多くのそれまでのプロセスがあった。それで1億人近い人が犠牲にもなった。 それは、経済であり、政治的情勢であり。大衆の意識でもあっただろう。だから、よく国際社会の状況を観察すれば、この世界の健康状態が解かるのかも知れない。それの処方箋を提示できないのは、学者たちの怠慢だと思う。原因は、客観的で、冷静な目を持っていないからだ。 忍び寄る危険を知らないで生きている。ひとはたった一度のダメージで死ぬかも知れない。どれだけ用心深く生きていても、たった一度の失敗で命を失くすだろう。不運は、ひとに纏いつくものだからだ。病院の検査を何百回受診してなにもなくても、最後の一回でガンが発見されるかも知れない。ふとした気持ちの弛みが、或いは驕りが最後のダメージになるかも知れないのだ。
2020.01.29
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プラハ城 マティアス門。ローマ皇帝マティアスが、ハンガリーの王ボヘミアに、1614年建設を命じたということが書かれている。手強い相手を向こうに回したら、こちらも覚悟がいる。覚悟ができなければそれまで。いつも相手が組み易いわけではない。逃げ回っていても、いつかは手強い相手と向き合うことになりかねない。問題の先送りばかりしていては取り返しが効かないことばかりだ。ハイリスクの病気に対しての最大の武器は「知識」である。チープな知識では足りない。この複雑な社会では手強い相手は山ほどある。 ・自分のほうから危険な場所に行きたがるのは車の運転の初心者にはよくあることだ。わざわざ危ないことをする。物事を知るのに初めからこちらが捩れていては分かることも分からなくなるだろう。明日は2ヵ月ぶりの定期検査がある。これまで毎月だったが、やっと2ヵ月ごとになった。もう10年くらい病院通いを続けている。手強い相手だ。 ・へ2・・・一病息災という。健常者奴ぽっくり逝くことだってある。生物的動物としての人間の生命活動が如何に手強い相手であること忘れている。見た目では分からない病気もある。病気は増え続けている。これから発症する知られていない手強い病気もあるだろう。
2020.01.29
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プラハ城アポートシスがあるから細胞の進化が可能だった。不能の作家が溢れていることに絶望を感じなければならないのかも知れないが、それを誰も認めようとはしない。子殺しは種の絶滅につながるのだろうか。サインを見落としているのではないか。女たちが男を恐れなくなっている。それは復讐につながるのであるか。増えすぎた種は一挙に絶滅するか。魅力を失いつつある男は存在価値を失いつつある。 ・この社会を頽廃させているのは誰でもない私たちの油断だろう。油断する者は自然淘汰されてきた。そのルールはいまでも当て嵌まるに違いない。そのことを誰も気づかないのは頽廃しているからに他ならない。かっての中国がそうあったように疲弊して崩壊している。現代の作家たちがなにをしているのだろうか。政治家になったり、タレントになったり、社会批判さえしなくなっている。読者は古典しか読むものが無くなり、読めない外書の翻訳ばかり読んでいる。こどものようにしか喋れない。 ・へ2・・・何を誇れるのだろうか。そんなものは何もない。まだ立ち上がることができるかを考えているだけだ。まだ前を向いて歩いてさえいない。歩かねばならないということだけを知っている。これからいくつもの山を越えて行かねばならない。この世界を読み解く汀に届くだろうか。それは知らない。立ちはだかる壁が誰にもある。
2020.01.29
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子どものころは芹とか、採りに行ったりした。田圃とか、小川にどこにでもあった。野の草を食べるという習慣も一般家庭では少ないだろう。スーパーで素材を見たが買う気にはならない。僅かばかりの量でしかない。今朝は定期検査があり、食事抜きだったので、食後のウォーキングができず、変則的なものになり、夕方近くに近くの里山を歩いてきた。そして先ほど夜の散歩をしてシャワーを浴びてきた。 ・和白に住んで30年近くになる。福岡の会社に入ることになり、熊本から出てくるとき、妻の伯母の住まいの近くに住んだのがきっかけで、ずーっと和白に住んでいる。博多湾から直線で400m。福岡市の東部のはずれになり、周辺には立花山山麓があり、里山が広がっている。ミカンなどの果樹園や野菜なども作っている場所か近い。歩くにはもってこいの地でもある。 ・へ2・・・散歩コースをいくつか自分なりに作っている。万歩計で毎日歩数をPCに入力している。今日は、23,654歩。略16キロになる。人間の体は正直だ。というより化学反応というべきだろう。遣ればやるだけのことがある。それを日々実感してもいる。ここらでまた初心に戻ってこの一年を乗り越えたい。
2020.01.29
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子どものころは芹とか、採りに行ったりした。田圃とか、小川にどこにでもあった。野の草を食べるという習慣も一般家庭では少ないだろう。スーパーで素材を見たが買う気にはならない。僅かばかりの量でしかない。今朝は定期検査があり、食事抜きだったので、食後のウォーキングができず、変則的なものになり、夕方近くに近くの里山を歩いてきた。そして先ほど夜の散歩をしてシャワーを浴びてきた。 ・和白に住んで30年近くになる。福岡の会社に入ることになり、熊本から出てくるとき、妻の伯母の住まいの近くに住んだのがきっかけで、ずーっと和白に住んでいる。博多湾から直線で400m。福岡市の東部のはずれになり、周辺には立花山山麓があり、里山が広がっている。ミカンなどの果樹園や野菜なども作っている場所か近い。歩くにはもってこいの地でもある。 ・へ2・・・散歩コースをいくつか自分なりに作っている。万歩計で毎日歩数をPCに入力している。人間の体は正直だ。というより化学反応というべきだろう。遣ればやるだけのことがある。それを日々実感してもいる。ここらでまた初心に戻ってこの一年を乗り越えたい。
2020.01.29
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プラハ城 西の正門日時計が発明されるまで人々は、自然時間に従って暮らしていた。太陽、 月、星が生活のパターンを決定していた。日時計は5千年以上に亘り、人々を 支配し、ひと社会で使われていた。そして、近代の時計が果たした役割は大 きい。コミュ二ティ全体を共有できて、眼に見える指標が齎されたのだ。 周期が一日より長いリズムをインフラディアン・リズムという。13年または 15年ごとに2週間の繁殖クライマックスを迎える蝉など、ずっと長い周期があ るとされる。J.T.フレーザーは、 「同じニッチを共有している動物や植物は、お互いの生物リズムを合わせる 必要がある。狩りをする時間、食事をする時間、交尾をする時間、巣をつく る時間など、それぞれきまっていなければならないはずである」という。 ひとが、共有する時間は一定であるが、或る意味でウルトラディアン・リズ ムや、インフラディアン・リズムを遣っていることも価値があるかも知れな い。不安定性が齎すものが進化に繋がる蓋然性があるのではないか。 葉を日中に開き夜に閉じるという光合成の形成が必要な植物の形質であるが 其の中で、概日リズムに則って、日没を予測し、香りをも生成するという時 間を持っているというのは驚異であろう。 ひとしての私たちの一日も、充実したものでありたい。
2020.01.29
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問題は、ものごとの深度ではないだろうか。何でもお座成りにされている。深さのない診療がされている。それだけではない「ケアの深さ」など、立場で違うかも知れない。形式的な診療では治療とは言えないが、一々叮嚀にしていたら、時間が「ない」何が「ない」になる。その工夫もしなくなってもいる。幼児教育も親からの愛情が薄くなりつつある。自己本位な親が、身勝手な子どもたちを大量生産もする。 ・じぶんのことしか視えていない。浅い思慮が罷り通り、自殺者もここ10年以上3万人を超えている。それは他人に対してだけではない。仕事も自分の体に対してでさえ深慮が足りなくなっているようだ。医者に任せていると思ってはいないか、それは間違いだ。医者は一部しか診ていない。或いは僅かな一部のデータしか診ていないのだ。現在医療の診療とは、或る部分的な患部のことでしかない。 ・へ2・・・同じ病気でも、男と女の薬の量さえ違う。ひとりひとりメディカル・ステージも違う。10分や20分間の診察で何が判るだろうか。不完全なデータ・ベースで判断できるほど現代病は簡単なものではない。人間の生命が軽く見られている。人間関係も同じだろう。自分の深度をどこに持って行くべきだろうか。それを考え続けている。今朝はゆっくり時間が流れている。冬仕様の一日になりそうだ。
2020.01.29
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プラハ城物事は、単に前のゲートの裏側に過ぎない。北京で「福」の文字を逆さまにして貼り付け、「福」が出ていくのではなく、上から「福」がくるように逆さまに貼ってあるのをみた。中国人にはその発想があるのだろう。前からだけで見るのではなく、裏面をみる。そして必ずしも拒絶しない。彼らの現状肯定は自然には逆らわないという観察にあるのではないだろうか。唯物弁証法を国是としながら、その多様な思考は驚嘆に値するだろう。 強かさは決して美しさに繋がらないが大地に根ざした生き方ではあるだろう。広大な国土を抱えてまだすべてを利用した力ではないだろう。人海に頼った考えでは、これからの国際社会では通用しない。個人としての能力は見せかけでは通用しない。真に民主主義の何たるかを念頭に置くべきだし、個人の人権の尊重が優先せねばならない。その精神が足りなければ世界の一員とはなりえないのだ。 自分たちが何ものであろうと、他者を尊重して互譲の精神がなければ信頼される国際人にはなれないだろう。多くの西洋人を招き率直な意見を行くべきだ。一部のエリートだけが国際感覚をみにつけても大衆がそうでなければ意味がない。農民を豊かにし、貧民を救済してこそ正しい意見も出されるのではないか。エリートたちだけの国家ではない。パワーだけに頼った政治では、精神が疲弊してしまうだろう。
2020.01.29
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