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20日、雨の中、京都国立博物館の、長谷川等伯展に行ってきました。 構内に入った後、小一時間、傘をさして行列に並んで、その後、やっと館内に入れました。 そこまでして、見に行くほど、美術好きではありません。 第一、長谷川等伯の名前を知ったのも、そんなに昔のことではありません。 せいぜい、10年くらい前のことだと思います。 家に、「世界の中の日本絵画」(平山郁夫、高階秀爾、美術年鑑社)という本があって、その中に、長谷川等伯の松林図と楓図が出ており、たぶん、その本を買ったころだと思います。 この本は、日本の名画と同じような趣向の世界の名画を比較する、というような本で、海外旅行で、ヨーロッパの美術館などに行っていたころ、さて、日本の美術はどの程度のものなんだろう、などと考えることもあって、買ったものです。 で、松林図と比べているのが、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの「日の出、入江に立つ城(孤愁)」で、ロンドンのテート・ギャラリーにあるそうです。 楓図と比べているのが、ジョン・コンスタブルの「木の幹の習作」。 どちらも、ネット上で見つけることができませんでした。 館内も、大混雑。 2時間判ほどかけて、音声ガイドのあるものしか見ませんでした、というか、小さなものは見えませんでした。 それでも、久しぶりに、集中して、絵を見て、けっこう、満足しました。
2010年04月23日
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しばらく前に、テレビで見た話です。 吉田拓郎が、ボブ・ディランの影響を受けていたというのは、よく聞いた話ですが、井上陽水もそうであったようです。 ボブ・ディランの「風に吹かれて」の、「一人前の男と呼ばれる前に、人は、どのくらいの道を歩かなければならないのだろうか?」、というような問題をいくつか出した後、「答えは」、ときた後、「風の中で漂っている」というのを聴いて、いい加減なものでもいいのではないかと思った、というようなことを言っていました。 いい加減、とはいっても、他には、いい加減にはできない部分がたくさんあるのでしょうが。 で、いろいろ、聴いてみたのですが、面白いことをしています。 いい加減さを、自分のものとして、取り込んでいるようです。 「なぜか上海」の、「そのままもそ もそ も もそっとおいで はしからはしのたもと お嬢さんたち」の部分の、「もそ もそ も もそっと」や、「はしからはしのたもと」。 「もそ もそ も もそっと」というのは、何か得体が知れないものですが、おもしろい。 「もぞもぞ」という意味の「もそもそ」と、「もうちょっと」という意味の「もそっと」を、「も」でつないでいるようです。 「はしからはしのたもと」というのは、高校の古文で習った、百人一首などに出てくる、掛詞と同種のものなんでしょうが、最近は、あまり、見かけません。 で、これは、おそらく、正統な日本語の使い方なんでしょう。 反対に、「リバーサイドホテル」に出てくる、「誰も知らない夜明けが明けた時」とか、「部屋のドアは金属のメタルで」とかは、同じ言葉の繰り返し。 英語ではこういう言い方をするようですが、日本語では、御法度。 しかし、日本語には、掛詞があるのだから、これもあっていいような気がします。 平安時代のお公家さんの言葉遊びは、正統で、井上陽水はダメ、というのでは、不公平なような気がします。 「少年時代」の、「風あざみ」については、「日本語にない言葉を使ったら、禁固何カ月、というような法律があるわけではありませんから」、というようなことを言っていました。 たぶん、平安時代のお公家さんも、このくらいの感覚でしょうから。 他の人が、いい加減にしないところを、いい加減にするのも、いいものを生み出すコツかもしれません。
2010年04月01日
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