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「 国家の安定と永続は、軍事力によるものばかりではない。他国がわれわれをどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によることが多いものである。 ここ数年、トルコ人は、われわれヴェネツィアが結局は妥協に逃げるということを察知していた。それは、われわれの彼らへの態度が、礼をつくすという外交上の必要以上に、卑屈であったからである。ヴェネツィアは、トルコの弱点を指摘することをひかえ、ヴェネツィアの有利を明示することを怠った。 結果として、トルコ人本来の傲慢と尊大と横柄にとどめをかけることができなくなり、彼らを、不合理な情熱に駆ることになってしまったのである。被征服民であり、下級の役人でしかないギリシャ人に持たせてよこした一片の通知だけでキプロスを獲得できると思わせた一事にいたっては、ヴェネツィア外交の恥を示すものでしかない。」 1571年のレパントの海戦のころの、ヴェネツィア外交を担当した駐コンスタンティノープル大使バルバロの元老院での報告演説だということです。 「レパントの海戦」(塩野七生著、新潮文庫)の、高坂正堯による解説によると、衰退期にあったヴェネツィアは、スペイン、ジェノヴァとの連合艦隊で、レパントの海戦に勝利したものの、活力を消耗させ、衰退に歯止めと掛けることはできず、一方、最盛期にあったトルコは、にわかに動揺を始めた、ということのようです。 さらに、J・E・C・フラーという人が、「トルコが自らの不敗に疑いを抱いたことが地中海の支配の喪失を生み、それが次の世紀には陸上の支配の動揺をもたらした。」と言っている、ということです。 その後、ヴェネツィアは、歴史の表舞台から退き、トルコは、ハプスブルク帝国、ロシアと戦いながら、衰退を重ね、ハプスブルグ帝国、ロマノフ朝と同時期に滅びます。 なんだか、日本や、どことは言いませんが、太平洋に出たがっている国も、この線を進んでいるような気がしないでもありません。 というか、「ヴェニスの商人」以上にこらえ性があるとは思えない日本人と、世界の中心だといっている国のことですから、このままでは、日本版「レパントの海戦」は現実性がないことではありません。 もっとも、日本が勝つとは限りませんが。 高坂正堯は、「海洋国家の衰退期は勇敢な戦いと歴史的意義をもつ勝利によって飾られるのかも知れない。」といって、レパントの海戦は、イギリスによる、ナチスドイツとの戦いに、勝るとも劣らない程度に歴史的戦闘であった、といっていますが、たとえ、歴史的意義をもつ勝利であったとしても、できれば、避けたい。 その点について、高坂正堯は、「ヴェネツィアは無理な戦争を強いられたと大体は言えるのだが、それは最高の技術をもってすれば避けられたかもしれないのである。もちろん、最高の技術といったものはまれにしか発揮しえないものだし、それとても犠牲を減らし、寿命を延ばすに過ぎない。しかし、文明とはそうしたものなのである。こうして、バルバロ大使の言葉は文明国としての地位を維持することの困難を後世に語りかけるものとして、一つの文明、一つの時代を超えた重みを持っている。」、と結んでいます。 「レパントの海戦は、まずはじめに 血を流さない戦争があり、次いで 血を流す政治とつづき、最後に再び、 血を流さない戦争 になって終わった、歴史上の一事件であった、おそらく、他の戦争がそうであったのと同じように。」(塩野七生) 駐露大使が、「私はあまりロシアに詳しくないので・・・」というような状況では、第一ラウンドは、負ける可能性が高い。 第ニラウンドに賭けるしかないが、たとえ、勝ったとしても、厳しい。
2010年12月24日
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愛媛県から、高速バスで大阪に向かう途中、愛媛県内で、バスが事故を起こしてしまいました。 交差点で、直進していたバスが、急に発進してきた右折待ち乗用車に衝突する、という愛媛県ではおなじみのパターンです。 そもそも、愛媛県内には、「車の側面に衝突させれば勝ち」、つまり、自動車の側面に衝突した場合、直進車の進行を妨げたことによる非よりも、直進車側の前方不注意ということで、責任は直進車にあり、という独特の言い伝えがあるため、油断がならない運転をします。 右折待ちの車が、直進車が通り過ぎるまで、おとなしく待っていてくれる、と思ってはいけません。 また、信号が青になるかならないかのうちに、右折車が、飛び出してくる、という典型的なパターンだけでもありません。 愛媛県に住んでいる妹の話では、右折待ちで、多少でも出遅れると、後続車から急き立てられる、といっていましたが、その妹も、鮮やかに伊予の早曲がりを決める。 つまりは、右折の際の感覚自体が、おかしくなっている、ということ。 バスは、急ブレーキをかけた後、一度、ブレーキを緩め、その後、もう一度ブレーキを強くかけたが、間に合わなかった、というような感じでした。 ということで、衝突事故自体は、あるいは、避けることができたかもしれませんが、そのかわり、急ブレーキによって、乗客にけが人が出るかもしれない、というような状況でのとっさの判断だったようです。 もしそうなれば、不公平にも、バスの運転手だけが、一方的に、責任を負うということになる可能性が高い。 実際、バスの乗客には、体の弱いお年寄りも多いし、トイレに行くために席を立つこともある。 警察の検証などで、1時間ほど遅れ、その後、夕方の渋滞にあって、結局、2時間ほど予定より遅れ、疲れ果ててしまいました。 以前、ニュージーランドでは右折優先、などと書かれているのを見て、ドキドキしながらニュージーランドへドライブに行ったのですが、ラウンドアバウトに先に侵入したほうが優先されるので、結果的にそうなるだけのことでした。 ということで、直進車の進行を妨げてもいいというルールは、まず、無いという気がします。 ちょっと、無理があるなあ、愛媛県の交通ルールは。
2010年12月22日
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かつて、隣で、「嫁対舅」のバトルを繰り広げていたときは大変でした。 舅は、頑固で時代遅れなところはありましたが、まあ、一廉の人物でした。 嫁は、小柄で美人だという人もいますが、恐ろしく気が強く、執念深くて、しかも、残忍で、旦那は、ほぼ、嫁に頼りっぱなし。 大体が、この家には、有力者が介入したがる。 向こう隣りのCさんは、その舅を引っさらって行って、それが、直接の原因というわけではないのですが、こちらとCさんとの、けんかになるし、さらに、こちらはこちらで、嫁を切り殺してしまうし、さらにさらには、隣を乗っ取りに来た北側の隣のRさんとも、大げんかになる、というようなことで。 それでも、なんとか、こちらの都合のいいように収めたのですが、嫁を殺したことや、どうも、最後の処理が悪かったようで、かなり昔のことなのですが、いまだに、恨み言を言われます。 それに、嫁だけではなく、旦那も、これは毒殺ですが、どうやら、殺したようですし。 時代は移って、隣では、今度は、北と南に別の家を建てて、「北対南」でバトルを繰り広げています。 CさんやRさんは、やっぱり、介入してきます。 で、こちらは、今度は、前のように手荒なことはできませんが、なんとか、都合の良いように収まってくれればいいのに. ということなんでしょうか、よくわかりませんが。
2010年12月18日
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地上デジタル放送完全移行まで、あと、222日だそうですが、、うまく移行できるのかな???という気がします。 昨年も、一昨年もそうだったのですが、12月頃になると、テレビが映らなくなります。 寒い日に、BSデジタル放送が、全局受信できなくなる、というパターンです。 で、昨年は、マンションの管理人に相談したり、テレビのメーカーに見てもらったりしたのですが、結局は、問題の解決には至らず、今年も、また、同じようなことが起こっています。 ということで、今年は、NHKは受信料を徴収しているのだから、この種のことで、ある程度情報があるのではないか、また、受信できないのだから、受信料を支払わなくてもいいのではないか、と思い、NHKに電話してみました。 一口にNHKいっても、あちこちに電話があるようですが、受信料のことでもあるので、とりあえず、近くの、営業センターというところに電話してみました。 電話に出た方は、人の話をろくに聴かないうちに、「電話をかけるところを間違えています」と一方的に判断し、「ここに電話して下さい。」といって、電話番号を教えます。 教えられたところに電話すると、その部署の方の話は、大体次のようなものでした。 寒いからといって、電波自体が弱くなるということはない、 ケーブルの接続箇所に、不具合があるが、熱膨張の関係で、温かい日には影響が出ないが、寒い日にその影響がでるのではないか、 BSに限って映らなくなるのは、BSの方が、地上波よりも途中での減少が大きいからかもしれない、ということでした。 何件か、同じようなケースで、管理人のところに相談に行く人がいて、昨年も、マンションの管理会社が検査したりしているので、まあ、問題の解決に、あまり役に立ちそうではありません。 で、受信料に関して尋ねてみたところ、「ここでは、答えられない。近くの営業所に電話してください。」、ということなので、すでに、営業所に電話した旨を言うと、「たらい回しにされるかも知れませんが、もう一度電話して下さい。すみません。」ということでした。 教えてもらった電話番号は、技術的なことに限って、相談を受け付ける部署のようです。 なかなか、正直ですが、いまどきは、役所でさえも、たらい回しだという非難は、あらかじめ、避けようとします。 ということで、再度、近くの営業所に電話して、受信料に関する話であることを、はっきりと、分かりやすく伝えると、今度は、他の所に電話してください、ということは、ありませんでした。 ここで、受信料に関して、前提となる知識は、 受信料は、放送法32条1項(下の資料)の、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」 と、 この契約上の義務として、受信料の支払い義務があるということ。 ということで、多分、「NHKは見ませんから、受信料を支払いません。」とか、「旅行していて、家にいませんでした。」というような主張を封じるために、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は」、となっているのだと思いますが、電話の相手方は、今回の、私のようなケースでも、当然に、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」に該当するかのようにおっしゃいます。 というか、テレビを持ってさえいれば、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」に該当するかどうか、などということは、そもそも、問題とするにはあたらないことですよ、というような態度でした。 だれかに、相談したりしていたようですが、相談した後でも、同じようなことをおっしゃいます。 しかし、テレビ自らが、「受信できません 大雨・大雪やアンテナの調整ズレなどの場合もあります」といっているのですから、「協会の放送を受信することのできる受信設備」に該当するというのは、大いに疑問があります。 というか、普通に考えれば、、「協会の放送を受信することのできない受信設備」です。 この辺りが、アナログ時代には無かった問題で、テレビさえ持っていれば、多少映りが悪くても、なんとかかんとか見えるのだから、「協会の放送を受信することのできる受信設備」だと言い張ることができたのに、デジタル時代では、そうはいかないのに、それに対して、まったく、対処が出来ていないということです。 で、結局、もう少し上の人に、代ってもらいました。 というか、よく分かっておられないようですから、よく分かっている方を出してください、と、何度もお願いして、やっと、きいてもらったという感じですが。 もう少し上の人の話は、 地上波、BSともに、デジタルかアナログに係らず、どちらかを、受信できるのなら、受信料を支払わなければならない、 したがって、今回のようにBSのデジタルが受信できない場合には、アナログが受信できる設備かどうかを確認したい、ということでした。 ということで、電話をしながら、リモコンをもって、アナログの画面に設定して確認したのですが、もっと基本的な設定をし直せば、もしかして、BSアナログが映るのかもしれないが、通常のチャンネル操作では、BSアナログも映らない、というと、それならば、映らなくなる期間に限って、受信料を支払う必要はない、という、今までとは、まったく異なる回答でした。 基本的な設定をし直せば、通常のデジタルテレビは、BSアナログも映るのですか、と、いう質問には、あいまいな返答しかされませんでしたから、後で、テレビの取扱説明書をみたのです、私のテレビでは、どうやら、それはできないようです。 つまり、アナログは、地上波しか受信できないようです。 こういうことも、どうやら、よく、知らないようです。 思うに、「協会の放送を受信することのできる受信設備」と「協会の放送を受信することのできない受信設備」との区別は、受信料の支払い義務に係る重要なことなのですが(最終的には裁判所が判定することではあるのですが、チューニング設定でNHKの放送だけをすべて外して、通常のリモコンのチャンネル操作で映らないようにすれば、「協会の放送を受信することのできない受信設備」に該当すると、NHKは考えているらしい)、それを公表していないことが、このような頓珍漢なことをいう職員が多いことの原因なのでしょう。 さらにいえば、役所になぞらえると、課税基準を公開しないで、税金を取ろうとするようなもので、報道としてのNHKも、当然、「公開すべきである」と主張するであろうところが、実は、自分のところは、そうではないので、普段よく耳にする舌とは別の、まったく違うもう一枚の舌で、対応した、ということなのでしょう。 それにしても、その場しのぎで、緊張感のかけらもない対応に、数10年前の役所を相手にしているような感じでした。 来年は、NHKの受信料が問題になるかもしれません。 今度は、今までのように、もやもやとした解決では済まされません。法的根拠は放送法32条にあります。放送法32条(受信契約及び受信料) 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。 協会は、あらかじめ総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない。 協会は、第1項の契約の条項については、あらかじめ総務大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも同様とする。
2010年12月16日
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「龍馬伝」は終わってしまいました。 大政奉還直後の政治状況を、陸奥宗光の「後藤伯」から引用します。 前回の続きです。「 もしこの計画にして行われんか、日本は王政と武将政治との調和の下に、封建的合議体の政体を得べかりしならん。その得失長短はこれを論ぜず、無血の革命を遂ぐるの功は後藤に帰せられ、その盛名は西郷、大久保、木戸の上に出で、土佐の勢力は薩長二藩の上に出でしならん。而して爾来三〇年日本の国状はおそらくは一種異様の状態を呈しならん(このときの政体の企書、いま田中光顕子の家に蔵すと聞く)。 然れども失敗の悪魔はつねに人を襲わんとしつつあり。ことに功名数人に帰せんとするときは、この悪魔の襲撃を免れざるものなり。後藤伯が今や鎌倉幕府創立以来の一大変革を談笑の間に行わんとするや、この策略を一掃すべき謀議は、正(まさ)しく他の方面において計画せられつつありき。すなわち土佐人が主としてその公武合体の意見を実行しつつあるときにあたりて、薩長の二藩、倒幕派の公卿は、その倒幕の意見を実行せんとし、ひそかに勅諚を薩、長、芸の三藩に下し、慶喜を逆賊と号し、兵力をもって逆賊を討つべきを命令せんとす。ことに驚くべきはこの勅諚を二藩に下さんとしてもっとも苦心せるものが、かつて公武合体の意見を有するのゆえをもって退けられたる岩倉具視なるしことこれなり。さらに驚くべきことは、この密勅の下りしは実に慶喜公が大政返上の奏議を上げたると同日にありしことこれなり。かくのごとくして慶喜公が拱手(きょうしゅ)して朝廷の命を待つ間に、薩長両藩の将士は隊伍を整えて兵庫に上陸せり。幕府の譴責(けんせき)によりて官位を失したる七卿は、その官爵を回復せられたり。薩、長、芸、尾、越五藩の兵をもって禁門の内外を守衛せしめられたり。王政復古の大号令なるものは公示せられたり。而していわゆる列藩、公卿を集むという国是会議なるものの開かるるや、慶喜公はその集会の外に疎外せられぬ。容堂、後藤伯ら、岩倉を攻撃して論難すといえども、大勢すでに慶喜公窘迫(きんぱく)に傾きてまた如何ともする能わず。而して慶喜公一旦大政返上の奏議を上りしがため、幕府党の人心、沮喪(そそう)して、よってもって朝廷派を威すに足らざるなり。かくのごとくして慶喜公が時勢の変に鑑み天下の公を思うて断行せんとしたる大政返上も、いたずらに一派の野心をなすに過ぎざらんとするに至りぬ。かくて土佐派の沈黙となり、薩長、公卿の飛躍となり、慶喜公の失望となり、鳥羽、伏見の戦となり、ついに天下をして薩長の天下とならしめぬ。」 ということで、政治というものは、今も昔も、あざといものです。 しかし、現在の民主党政権には、坂本龍馬が当然のことのようにもっていた、戦略的発想も行動力もありません。
2010年12月04日
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何があったのか知りませんが、市民に愛される警察になろうとしているのでしょう。 しかし、過度に人に愛されようとすることは、弊害も多い。 不祥事を隠そうとしたり、プロ意識の追求が足らなかったり、というようなことが起こりうる。 確か、世宗路と太平路の境目あたりの交差点にあった派出所。
2010年12月04日
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日本で、ソウルの映像がテレビにでるとき、まず、光化門と世宗路がでてくるが、このあたりの光景は、ドイツのベルリンの光景とよく似ている。 光化門がブランデンブルク門、世宗路がウンター・デン・リンデンに、李舜臣将軍銅像がフリードリッヒ大王騎馬像に対応し、光化門・ブランデンブルク門近くの一等地を大使館が占め、青瓦台、ドイツ首相府は、光化門・ブランデンブルク門の裏手というような点。 ただし、韓国国会とドイツ連邦議会は、まったく対応しませんが。 また、ウンター・デン・リンデンは、名前の通り、菩提樹の並木道ですが、現在、世宗路にはほとんど緑はない。 さらに、ブランデンブルク門は、本来は、ブランデンブルクに通じる道が出ているベルリンの西端ですが、光化門は王宮の正門のようです。 それに、ソウルは坂が多いが、ベルリンはまっ平ら。 「閔妃暗殺」(角田房子著、新潮文庫)では、この付近のことを次のように書いています。【中古】afb【古本】閔妃暗殺/角田房子「 私がはじめてソウルを訪れたのは、一九八四年(昭和五十九年)十二月であった。私の泊っていたソウル中心部のホテルを出ると、景福宮まで1キロ余りの大通りが一直線に伸びている。官庁街のこの大通りは太平路一街(テピョンノイルガ)と世宗路(セジョンノ)との二つの名に分かれていて、その接点のあたりに李舜臣の大きな銅像が立っている。豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき日本水軍を撃破したこの提督の像は、甲冑に身を固め、左手に大剣をひっさげて前方を睨みすえる雄々しい姿である。李舜臣は今も韓国の国民的英雄として、もっとも人気の高い歴史上の人物だという。 銅像の背後、世宗路の突き当たりは景福宮の正門――光化門(クワンファムン)である。閔妃を暗殺しようと景福宮になだれ込んだ日本人の一団が、はしごを使って乗り越えたのはこの門であった。そして今、光化門にのしかかるようにそびえている青銅の丸屋根は、かつての朝鮮総督府の中央の塔である。朝鮮総督府が完成したのはもちろん一九一〇年(明治四十三年)の”日韓併合”の後のことで、閔妃事件のころ、この威圧的な建造物は存在せず、光化門を入れば正面に勤政殿(クンジョンジョン)の二重の屋根の美しい線が望見されたはずである。 景福宮への大通りは李舜臣の銅像に始まり、光化門とその背後の朝鮮総督府――いずれも日韓関係の歴史を強烈に語るものばかりである。その一つ一つが、この国の人々の胸にどのような感情を積もらせてきたか、それを思うと、私にはとても気楽に歩ける道ではなかった。」 私が、宿泊したのも、同じホテルか、すぐ、近くのホテルだろうと思います。 朝鮮総督府の石造りまたはコンクリート造りの建物は、現在はありませんが、光化門のすぐ後ろの勤政殿との間に、光化門をはるかにしのぐ高さと横幅で立っていたようです。 他の本に載っている写真を見ると、建物の主要部は、光化門の4倍ほどの幅で、高さは4~5階で、光化門より少し高い程度ですが、中央にドーム屋根の塔がそびえるので、光化門の2倍以上あるようです。 光化門は、本来あるべき現在の位置より、南にあったようです。 閔妃が殺害されたのは、乾清宮(コンチョングン)で、私は見ていませんが、現在、国立民族博物館のあるところだということです。 朝鮮総督府が無かったということもあるのでしょうが、私は、けっこう、気楽に歩きました。 ベルリンにも、ちょっと奥まった所とは言えウンター・デン・リンデンには、ナポレオン戦争期の将軍の像があり、ジーゲスゾイレ、そのすぐ近くに、モルトケ像やビスマルク像がありますし、また、ブランデンブルク門を最初に通ったのはナポレオンだという話ですが、フランス人は、いちいちそんなことを気にしているのかなあ。 しかし、そんなことをしている場合ではないにもかかわらず、嫁対舅というパターンで血みどろの戦いを繰り広げる閔妃は、16歳年上の清の西太后より恐ろしい。 「閔妃暗殺」の表紙の閔妃の顔が、ちらちらして、寝つきが悪かった。 しかし、本当に、恐ろしいのは、この嫁対舅の戦いに、世界の大国(大国ではないが日本も)が、熱心に介入してきたこと。 この、本当に恐ろしい方は、嫁対舅が北対南に代わっているだけで、現在の朝鮮半島も根本的には同じです。 李舜臣将軍銅像もありませんでした。 写真は、世宗像と光化門。 世宗路西側に政府総合庁舎があり、さすがに、厳重な警戒をしていました。 この日は火曜日で、景福宮が休みのためか、人は、ぽつりぽつり。 そのため、私服の警官が、目立つ。
2010年12月03日
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ここの商店街の活気は、日本の商店街とは、格が違う。 昨夜は、忘年会で、難波・千日前をうろうろしましたが、賑やかな感じがしませんでしたし、人波が途切れたスペースが、さびしく感じました。 若い女性が、ヘッドマイクと、腰に付けた携帯のアンプとスピーカーで声を拡大して、客を呼び込むのが、ミョンドンでの流行りのようです。 で、ミョンドンの活気は、この女性の声の大きさも、原因のひとつだと思うのですが、まあ、とにかく、若者集まっていて、元気なことが原因なのでしょう。 裏通りに行けばどのような状況かは知りませんが、普通のところでは、人がごった返しているにもかかわらず、治安はいい感じです。
2010年12月03日
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ホテルは、ウェスティン朝鮮ホテル。 「朝鮮」という言い方に、韓国の人はいい感じがしない、というようなことを聞いたことがある。 空港で、宿泊ホテル別にバスの仕分けをしている職員は、単に、「朝鮮ホテル」と言っていたから、他には、あまり使われてはいないのでしょう。 いいホテルです。 私は感じなかったのですが、バスの中では、キムチ臭い、と言っていた配偶者も、ここでは、キムチのにおいはしない、と言っていました。 トイレを掃除しているおばさんにも、気品があります。 ただし、安くはない。 ソウルの物価水準は、現在の為替レートで、基本的には、だいたい、日本の3分の2くらいだと思うのですが、このホテルの近くやミョンドン辺りでは、日本とあまり変わらない感じがする。 というより、税金が高い(10%)ことや、値頃感が日本と違うからなのか、日本よりも高い、と感じることもある。
2010年12月03日
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インチョン空港は、かなり、いい空港です。 分かりやすいし、きれいです。 飛行機から降りて、表示板通り進むと、入国審査があって、預けた荷物を受け取り、税関では、申告書を渡すだけ。 荷物が出てくるのも早いので、すっすと進みます。 大きな空港だと、上がったり下がったり、右へ行ったり左へ行ったり、バスに乗ったり、電車に乗ったり、というようなことで、自分がどのあたりにいるのか、分からなくなることが多いのですが、インチョン空港は、そういうことがありません。 おそらく、白タクだと思うのですが、けっこうしつこく声をかけてきます。 無許可営業で、取り締まることができるのでしょうが、そこまで、手が回らない、ということなのでしょうか。 日本でも、長距離フェリーを降りたらよくいましたが、最近は、あまり見ないなあ。 ただし、韓国の人による、韓国の人のための、白タクは、日本にあるらしい。 ソウル行きのバス乗り場は2か所、どちらから乗ってもいいようです。 ソウル市内の宿泊ホテル別に乗り場を仕分けしている職員の人相がけっこう野性的なので、大丈夫かな、と思わせますが、大丈夫でした。 空港では、日本語は、割と通じます。 インチョン空港から、ソウル市内まで、バスで1時間ちょっとかかるので、かなり遠い感じはします。 値段は、15000ウォンで、現在のレートで、1000円ちょっと。 高速道路には、日本と同じように、ETCがついているが、日本よりも、はるかに高速で通過する。
2010年12月02日
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キャンセルしようかな、と思っていた2泊3日のソウル旅行は、予定通り行ってきました。 最近では、日本でも、高速道路のサービスエリアでときどき見かけることがある、軍服を着た軍人はまったく見ませんでした。 北朝鮮の挑発は今に始まったことではないとはいえ、最近では、珍しいほどの軍事的緊張状態にあると思うのですが、ソウルの街中は、平和そのものです。 自動小銃を持った軍人が、要所要所にいるとか、日本のニュースで流れるような、軍服姿のオジサンが集まって、北の将軍様の写真を燃やすとかの、ぶっそうな光景は、全然見ませんでした。 ということで、予想は、完全に裏切られてしまいました。 軍事的なものは、インチョン空港近くに、軍用車が1台止まっていたのをみたくらいで、後は、軍服姿の方が女性の肩を抱きかかえるようにして、夜の盛り場を歩いていましたが、こっちの方は、多分、単なるファッションでしょう。 私の感覚では、こういう軍事的な緊張状態のときは、それなりの光景がある方が自然な感じがします。 徴兵制度もあることですから、軍隊は日本人よりもはるかに身近な存在であるはずなのですが、軍事的なものを嫌う傾向は、おそらく、日本以上に強い。
2010年12月01日
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