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12月16日、衆院選と同時に行われた古河市長選挙は、文化センターの建設に反対し、福祉を推進すると訴えた元県議の菅谷氏が、現職だった白戸氏を破りました。したがって、7年前に合併して誕生した「新・古河市」の文化センター計画は白紙になりました。いま、日本では国の財政が悪いため、地方が自分で稼いだお金は、自分で好きなように使っていいように(税源移譲)するので、独自に発展策を模索してほしいという方向で動いています。自民党→民主党→自民党と政権が交代しても、地方主権をめざす流れは変わらず、日本維新の会の躍進を見ても、むしろ勢いを増している感があります。ですから、自分たちの市がどう身を立てるかは自分たちで決めていく必要があるのです。そこで、みなさんそうだと思いますが、私が新市長にいちばんお伺いしたいことは、来るべき道州制時代の地域振興をどうしていくかということです。福祉はたいへん結構なことだと思いますが、発展策をセットにして考えなければなりません。市を繁栄させていかねば、財源不足により福祉は先細りになってしまいますから。視野を広げ、長期的な戦略をもって、着実な成長をとげられますよう、真剣なプラン策定をお願いしたいと思います。私は、文化センターを作るというならば、それが市外からわが古河市にたくさんの人々を集める役割を持たせたらよいのではないかと考えていました。合併前から書いていますが、ここは県境の街なので、それを最大限活かしたら良い。文化施設でいろいろなフォーラムを行うことで、古河市の価値と経済効果を増進できるように運営したらよいのではないかと…。しかし、もはや、それがかなわぬ以上、さらに大きな発展策に期待しています。
2012年12月22日
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きょう、我が家で市長選のことを話し合っていたところ、家族が2つほど勘違いをしている部分がありました。これは、たいへん重要なことだと思います。みなさんのご家庭ではいかがでしょうか? すぐに確認してみてください。【その1:合併特例債は借金?】半分正解ですが、合併特例債は、地域自立のための準備金という認識をする必要があります。行財政改革として、国と地方のありかたを見直し、従来、自治体が依存していた地方交付税交付金と補助金を削減する代わりに、地方税を自治体の財源として大幅に認める制度に変更されます。この税源移譲の一環として、地方には責任ある発展をしてもらうために、期限を設けて発展策にかかる費用の半分以上(古河市の場合は7割)を国が負担しましょうというのが合併特例債という制度の趣旨です。わかりやすくたとえると、今までは、親のすねをかじっていた子供らに、親が「もう独り立ちしなさい」と促し、自活すると約束した子には、今回に限り、自立するための資金援助をしてあげようというようなものです。ありがたくいただき、計画的に身を立てるために使う責任が子供にはあるのではないでしょうか。「自分でもお金を出さなくてはいけないなら、僕いらない」などと言っている場合ではないのです。【その2:福祉に合併特例債を使える?】使えません。合併特例債の目的からして、学校の校舎の修繕をしたり、高齢者や恵まれない方々に施したりするために起債することはできません。ただし、合併特例債をもらえる事業をするならば、その分の費用は浮きますので、そのお金を福祉にあてがうことは可能になるでしょう。したがって、福祉を推進するために文化センターを作らないようにするという考えは逆だと思います。福祉というものは、あくまで財源の中でまかなうものですよね。経済的に安定させる施策を行って財政基盤を強化しなければ、つまり、豊かにならなければ、この先は福祉を維持するということがでないんですね。お金はもともと、地域の足腰を鍛えてみんなが豊かになる社会を作るために使うべきものなのです。一回ポンと配って終わりではなく、富を生み出す社会を築くために活かしましょう。※私は真実の情報を知ること、それをみんなで共有すること、そして一緒に考えること、この3つがこれからの日本を救うために絶対に必要だと思っています。一部の人がすべて決めてしまい、その人に依存したり、批判したりすることは、もうやめましょう。
2012年12月13日
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記事にたくさんコメントをいただきまして、紹介されたサイトをいろいろ拝見したところ、菅谷さんは文化センターに反対ではないとのことでビックリしました。反対ではないなら、なぜ出馬するのでしょう? 「文化センターはいらない」と思っていた市民の方はそれでいいのですか? すっきりしません。問題の争点がだいぶズレてきている気がします。ところで、文化センター問題は、建設候補地の土地は質がよくないとか、市長に不正があるのではないかという論点から語られることがあります。それも大切かもしれません。ただ、その前に考えなくてはいけないことがあるように思います。それは、そもそも「文化センターはどうして必要なのか」ということです。なぜ必要か→どんなものが必要か・どう活用したいか→いつ必要か→どこに必要か→いくらのものが必要か→不正はないのか…と筋道を立てて検討していかないと混乱し、良い決定ができないのではないでしょうか。私は、この問題は「子供をいい学校にやるかどうか」という問題に、かなり似ているのではないかと感じています。それは、子供の人生を左右する大きな問題です。みなさんの家庭ではいかがでしょうか? いろいろな考えをまとめてみました。A.自分の楽しみや老後の金がなくなるからイヤだB.今、家計がひっ迫しているからダメだC.お金がなくても子供のために、行かせようD.私立は高いから、安い公立に行ってもらおうE.その学校の内容を見てから決めようF.進学ではなく、就職のほうがいい反対運動の趣旨はAまたはBに見えましたので、それならば、きちんと話し合えばわかると思っていました。しっかり教育をすることで、子供は社会に通用する人材になり、自分も幸せになれます。また、いま決断しないと後では遅いということもありますよね。こう聞いても反対という人も中にはいるかもしれませんが…次に、なにがなんでも、内容はどうあれ、無条件で文化センターが欲しいという人はCということになりますが、身の丈に合わない学校を選べば、本人も家族も後から大変になってしまいますので、それも問題があるかもしれません。その次、Dのようにするのは「妥協」と言います。よく、違う意見を足して二で割るようなことをしてしまいがちですが、これは双方に不満を残します。一方は夢見ていたものが実現できなかったと感じるし、他方は不必要な負担を背負いこんだと感じるからです。お金はもちろん大切ですが、お金の問題としてだけ見るのはいかがなものでしょうか。ですので、順当な方策はEだと思います。学校のたとえで言うなら、入学後の姿を思い描き、これなら希望が持てそうという道を、よく話し合って決めるということです。それをせずに、いきなり多数決を迫ってもよくわかりません。よく調べ、話し合いを重ねるべきです。ちなみに、Fも考えられるかもしれません。子育てに関しては、進学・就職の二者択一ですが、古河市の場合には、もっとよい発展策があれば、文化センターは後回しにするというシナリオも検討の余地があるでしょう。もともと合併特例債は市が自立した自治体として発展の道を模索するための支度金ですから。
2012年12月11日
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今、市長選に関連し、チラシなどがたくさん回ってきます。こちらのブログにもご意見をたくさんちょうだいしていますが、どちら側の言い分にも一理あると、私は思います。ですから、ここで、こまごました論点を一つひとつ取り上げて、この部分が間違っている、これが正しい、などということはあまり言いたくありません。もちろん、私なりに考えはありますので、もしコメント欄で聞いていただければ、個人的な見解としてお答えしたいとは思います。ただ、本当に、何度もお願いしますが、某匿名掲示板のノリで書き込まないでいただきたいと思います。私は、TwitterやFacebookやMixiで実名を名乗っています。自分の発言に責任を持ちたいからです。他の方々に実名主義を強制することはできませんが、使い捨てでないハンドル(ニックネーム)を1つ決めて参加し、まじめに意見を交換するという気持ちを持っていただくというのは、最低限のマナーだと思います。どうかよろしくお願いします。さて、本題ですが、今回の文化センターの問題は「都市づくり」だと考えています。これは「まちづくり」に似ていますが、「まちづくり」が個々の市民が主役であるのに対し、「都市づくり」は市全体の利益を考え、さらに、今現在だけでなく子供や孫たちの世代まで考えた構想のことと私は考えます。ここで我欲を張ってしまうと、みんなの力を合わせることができなくなりますので、あるべき姿を創造してみるという作業を行ってみてはいかがでしょうか。まず、「これができたらいいなぁ」というものをみんなで決めます。その際に、疑念や不安は一旦おいておきます。デメリットやネガティブなことに目を向けてしまうと、それ以上何もしないのが無難という結論に達したり、あるいは過去の延長線上でしかものを考えられなくなってしまいます。そうすると、進歩できず、周りは常に時代に合わせ努力しているのですから、結局は、おいていかれてしまうことになります。目標ができたら、次に、実現のアイデアをめいめいに考えます。そのアイデアは、あくまでアイデアなので、否定しないで、どんどん出してもらうようにします。これを「ブレーン・ストーミング」といい、風通しのよい企業でよく行われています。古河総合公園の公園づくりミーティングなどでも採られていた方法なのですよ。全ての参加者が、気持ちよく積極的に関わることができるようになり、受け身ではなく、自分たちが作っているんだという意識と実感を持つことができます。市民の意見を取り入れるために、ぜひ採用を検討するに値するのではないかと思うのですが、なかなか難しいとすれば、はじめは少なくとも私たち自身が、事前に、家庭や友人・知人のグループでブレーンストーミングをやることだと思います。自分の頭で考えることで、他人によって不本意なコントロールされることがなくなりますし、さらに自分の頭だけで考えずに広い知恵や思いに心をいたせば、遺恨が残らずにベストな選択をしていくことができると思いますが、いかがでしょうか。
2012年12月08日
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昨夜は、古河の名物祭り「提灯竿もみ」でしたが、私は行きませんでした。今までブログを開設してから毎年レポートを書いてきましたので、楽しみに見に来て下さった方もいらっしゃるかもしれません。申し訳ありません。がんばって祭りを運営している方々や、参加して楽しんでいる人たちのお顔を見られないのは寂しかったですが、今はそれどころではないのです。祭りは毎年ありますが、文化センターの建設を考えるのは今しかありませんから。ほかにも、まちのようすや歴史博物館の展示など書きたいネタはあります。でも、古河の行く末を決める重大なときに注意散漫になってはいけないと思いました。自分も、お役に立つ内容を書かなければならないし、市民のみなさんもよい判断ができるように気をそらされてはいけないし、全国の人たちにも今後の地方自治をどのように考えていくべきかを考える参考実例になるかも…。だから書いては消し、書いては消しやっていました。前回、「文化センター建設への懸念」と題し、文化センター反対の最大の理由であろう「お金がかかるから嫌」ということをとりあげたのに「そのとおりだ!」とか「いくらぐらいならいい」などのご意見がなかったのは意外でした。また、不満や不安だけではダメだというかなり辛口の意見も書いたのに、それに関して何のご感想も反論のご意見もありません。これでは、いいのか、悪いのか、何も考えていないのか、さっぱりわかりません。以前文化センター反対コメントをガンガン書いてこられた方、双方向の意見交換ができないのはおかしくないでしょうか。「白戸市長は住民投票をやらないから民主的ではない」と聞かされると、もっともだと思ってしまいがちですが、市民に十分な判断材料が示されていない段階でいきなり「文化センター建設に反対です。推進する市長はリコールしよう」と署名を集めるほうが民主的なんですかね? いろいろ都合や思いはあると思いますが、ニュートラルな視点から、きちんと市議会で話をして、疑問点をぶつけて、論点を尽くしてから、市民に伺うのが順番、スジだと思います。とにかく絶対反対、賛成という態度で市民みんなが納得のいく明るい未来につなげられますか? 自分を含め、多くの人には、すべてが見通せているわけではありません。たいてい、自分の得になるのか?ならないのか?という視点でしか見ることができないでしょう。将来のあり方を決めるためには、胸襟を開いてさまざまな意見を聞かなければならないし、お互いに相手の立場に立って物事を見ることも必要だと思います。できるだけ多くの人をプロセスから参加させてみんな理解し、本当に必要なのかどうかを判断していくようにしないと、意見の押し付け合いになってしまいます。ハッキリ言って子供のケンカですよ。
2012年12月02日
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