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またまたやってくれました。「熱いから。」と念押しして、更に返事まで返しておいて、それはないだろうって感じです。元々が、イラレ(せっかち)な夫ですから。でも、「熱くないはずだ。」と言い張るのには、参った。だって、熱いから泣いてるんでしょう~~~(ToT)実際、私が食器を触ると熱かった。ふーふーふーふーすると、目眩がするし、そうしている間に、食事の準備をしたいから、自然に冷まそうと置いておいた椀を…。そんなに急いで上げなくても、時間はあるのに。でも、それだけでは済まなかった。どんどん、どんどん、口に詰め込んで食べさすやり方も普段から気に入らなかったが、言うとまた何日も口を聞かなくなるのが解ってるから黙っていたけど、ついにやった。息子が目を見開き、白黒さして、こっちを凝視していた。息をしていない。次第に涙目になっていく。開いたまま口の中は、おかゆで埋まっている。すぐに気が付いたから、この間はほんの数秒だが、すっごく長い時間に思えた。夫?息子と反対の方向(テレビ)を見ている。だから、もっと食べさせようと、テレビを見ながら「はいあーん。」とか言っている!スプーンは、息子の口元に近づいていく。「入れすぎ~…○△×■※!!」夫は、私の声で息子の異変に気が付き、息子の背中を叩いた。息子の口からおかゆが飛び出て来た。息をしている。まあ、それで息子は少し泣いただけで大事には至らなかったが、あー、恐い思いをした。あの時、なんと叫んだか実は覚えていないが、この言葉がプライドを傷つけたのか、事件後私が息子に、「びっくりしたねー。息が出来なかったねー。」と、言いながら、口の中に残っていたおかゆを、指で取っていたが、(取らなくても良いのに、私も動転していたので。)なーんか、気に入らなかったらしい。夫はいまだに機嫌が悪く、口を聞かない。土佐弁で言う、どくれ(すねる人)だ。良い人ですよ。夫。ただ、イラレで、どくれなだけです。
2004年05月30日
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昔からある、某有名中華料理店にランチに行って来ました。料理はとってもおいしかったのですが、もう当分行かないでしょう。というのも、…私は、息子の卵・乳アレルギーのため、それらを除去して、授乳しています。だから、外食には気を遣います。そんなにまでして、外食しなくてもと思う人もいるかも知れませんが、お酒も、趣味も、映画も我慢して、外食は唯一の息抜き・楽しみなんです。さて、中華料理と言えば、卵の入っているものが多いですから、店員さんに聞きながらの注文です。卵を使用していないと、断言された商品を注文しました。更に、厨房で念を押して聞いてきてくれたらしく、もう一度「卵、大丈夫ですので。」と言いに来てくれました。さすがは、有名店だと感心しました。が、運ばれて来たランチに添えられていたスープは、どう見ても卵スープでした。どうなってるの?メインだけだと思ったの?これが、私ではなく子供だったら…?知らずに飲んだら?戸惑いましたが、夫がクレームを言ったりする事を嫌うので、我慢しました。たかだか850円のランチですし。でも、私は治まらないんです。この怒りをどこにぶつければ良いのか判りません。アレルギーなのね、とは思ってくれないのですね。まだまだ、アレルギーって珍しいのでしょうか。脱力。
2004年05月26日
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日曜日の朝、最終日のピカソ展に行きたいと言い出した。もともと絵が好きな娘は、テレビのコマーシャルで、ピカソ好き、ピカソ好き、と繰り返されるのが、気になっていたらしい。私は、同じ芸術に携わっていながら、絵のことは解らない。が、学校でのことの気晴らしになるかも知れないと思い、夫も息子を見ていてやるからいって来いと言ってくれたので、早速、自転車で出かけた。こうして二人っきりで出かけることは、久しぶりだ。娘は、道中ずっと他愛の無いことを喋っていた。さて、案の定最終日のピカソ展は、朝から大賑わいだった。当日券は高価だった。更に、絵の説明をしてくれるという機械を500円で貸し出していたが、これを奮発して借りてやり、娘の肩にかけてやった。私は、キツイ香水や白粉の匂いと、予想通りの批評をしている人たちの間をかいくぐり、さーっと観て周った。この展覧会は、随分と批評家が多い。そして、娘をソファーに座って待った。娘は、一点・一点をじーっと見つめ、イヤホンで説明を聞いている。まだまだ、かかりそうなので、私ももう一度見てみることにした。…なんだ、うんうん。なかなかいいじゃないか。と思って観ていたが、小さな子供連れの人が子供に向かって「あなたの書いた絵に似ている」と、逐一言うので、また列から離れた。今度は、最初よりじっくり観られたつもりだが、娘はまだ観ている。両手にしっかりと機械を握り締めて、説明もちゃんと聞いている。。仕方がないので、またソファーに座った。そういえば、一年生の時に賞を取った娘の絵は、力強く迷いの無い絵で、とても素晴らしかった。近頃の絵は、塗り残しとも思われる白い部分が多く、未完成なのかどうか判らないものが多い。そういう風に気をつけていれば、娘の心を感じ取ることが出来たのかも知れないのに。ピカソ展は、思いもかけず私の反省を促すものとなった。さて、出かけたことで、少しは気晴らしになったようで、午後は穏やかに過ごした。夕方、担任の先生から電話があった。長々と、娘と話をしていた。なんだったか聞くと、「明日学校に来られるかって。」と言う。「だから、うんと言った。」との事。一安心した。娘は、ずっと担任に恵まれている。月曜日、元気に学校から帰ってきた娘に連絡帳を見せてもらうと、「娘にひどいことを言った子とは、話し合いをしました。その子は娘に謝りました。」との事。そして、こうも書いてあった。「どうやら、4年生の時に仲良しだった子と、ずいぶん長い間確執が有った様で、今回誤解も解け、和解しました。」ひどいことを言った子と一緒に、その子は居たのだ。なんで気づいてあげられなかったんだろう。そう、今になって判ることがいっぱいある。家庭訪問の時に、転校してすぐ声をかけてくれた優しい子と仲良しになって、うちにも遊びに来ます、と先生に報告した際、娘は、「もう遊んでない」というようなことを、遠まわしに言っていた。毎日のように遊んでいたその子と、なぜ最近遊んでないのか、一度聞いたことがあるが、私が転校して来る前に仲良しだった子と、また遊び始めたから、とかなんとか口を濁していた。娘も、その子も、繊細な子。二人の間に何かがあって、それ以来気まずくなっていた。それを二人ともどうして良いやら解らず、今まで来た。本当は、仲良くしたいのに。だから、その子はコンタクトを最悪の状態で取って来たのだ。そして、娘は必要以上に傷ついてしまった。本当は、二人とも仲直りしたいのに。今回のことでまた二人は、元の仲良しに戻った。何年後かに、このことを二人で笑って話し合えるといいね。ところで、昨日そのまま二人で寄り道をし、帰りが遅くなった。よっぽど嬉しかったんだろう事は想像がつく。不思議なことに、それ以来ピクフロー値も高くなった。でもね、特別は認めないよ。小学生が7時を回ってランドセル背負ってたら、恐いよ。だから、娘はハイテンションだったが、私は注意をせざるを得なかったのだ。
2004年05月25日
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娘は、体が弱く自分で運動を控えているため、体育系が苦手だ。休み時間も、1人で教室の中で本を読んだりして過ごしている。この前、「喘息発作を起こしていて学校を休んだ日に、体育委員に決まっていた」と言っていた。うちの学校は、春に運動会があるため、この時期の体育委員会なんて大丈夫だろうかと心配した。それでも、正義感と責任感の強さで頑張って委員の仕事をこなしていた。委員会の日は、学校から帰るとグッタリしていて、ここのところ、ピークフロー値が落ち気味の日が続いている。娘の歯の治療を5時半に予約していた昨日、時間になっても帰ってこないので、少し心配していた。晩ご飯の用意をしていたら、ドアの音がした。娘が帰ってきたのだ。思いもかけないことが起こった。娘は大声で泣いていたのだ。娘は普段あまり泣かない。泣くときは、涙をぐっと堪える様にシクシクと泣く。が、この時は違った。「お母さん~。」と私に抱きついて来て、「なんで、私、こんなに弱いの?私、何にもしてないのに、なんでこんなに言われるの?もう学校へ行きたくない。」と言った。顔中涙だらけにして、髪を振り乱しわーわーと泣いている。ランドセルを背負ったままだ。こんなに泣いている、こんな泣き方をしている娘を目の当たりにして戸惑った。娘が生まれて10年、初めての出来事だからだ。息子が生まれてから、いろんな事をずっと我慢してきた娘。理由はともかく、本当にかわいそうになった。こんなに悩んでいる。泣いている娘を見て、私まで涙が出てきた。私は、なかなか落ち着かない娘の話を何とか訳しながら聞いていたが、同時に受話器を取っていた。学校に電話してみた。「どういうことですか。」と担任の先生に聞くと、「私も事情がよくわかりませんので、月曜日に改めて…」などと言っている。「娘は学校に行きたくないと言っています。月曜日になるんでしたら、土曜・日曜と、娘はどうすごせば良いんですか。それでは間に合いません。今日、今、何とかしてください。」と言っていた。今思うと、少し剣幕が強すぎたかもしれない。(先生、ごめんなさいね。)でも、娘にとっては一大事だ。先生も困っていたが、娘に電話を代わってくれないかというので、娘に受話器を渡した。最初は、嗚咽で言葉になっていなかったが、10分ほどたつと、娘は少し落ち着き、ちゃんと説明していた。結局、いじめとかではなく、友達同士の行き違いのトラブルだったようなので、月曜日にちゃんと話し合いが出来るように計らうと先生も約束してくれたので、一応娘は落ち着きを取り戻した。今まで、両親の離婚・母子貧乏生活を強いられた娘。私が、昼・夜働いている間、夜中に留守番をさせたり、預けたりしているうちに、友達付き合いが下手になってしまった娘。自分から、物を欲しがったことが一度もない娘。大人の顔色を見、いつでも気を遣うため、「いい子」だと言われる娘。「育て方が厳しすぎる」と、批判を受けたこともある。娘は今思春期の入口にいる。もっと甘えていいんだよ。もっとわがままを言っていいんだよ。いつでも私を意識して見ていること、知っているよ。大丈夫。ちゃんと、いつでも後ろにいるから。
2004年05月22日
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1.母乳代用品は、一般向けに宣伝してはならない。2.母親に無料サンプルを配布してはならない。3.保健施設、医療施設の場で、製品を売り込んではならない。これ、世界基準なんですけど、あと7項目ほどあります。1994年の国際会議では、日本も賛成していると。そういえば、ついこないだまで、テレビで森永チルミル~なんて、宣伝していたのに、最近流れてきませんよね。でも、無料サンプル配布や、調乳指導なんて、産婦人科に行けば、堂々とやっています。私も貰いました。ネスレボイコットって知ってます?人口乳が、本当に必要な人もいるから、危険性などはあまり言わない方が良いかも知れませんが、母乳が出ていて、赤ちゃんにも母親にも問題なく飲ましても良いのに、ミルクに変えてしまう母親が、あまりにも多いのは、何故だと思いますか。私もそうでした。「ミルクの缶には一日4~5回と書いてあるのに、うちの子は、母乳を10回も欲しがる」とか、「夜、ぐっすり寝てくれない。」とか、未だに掲示板に載っているのは何故だと思いますか。(今日もありました。→ミルクを足したら寝てくれますよ、と回答されている人が多い。)赤ちゃんが常におっぱいを欲しがるとか、授乳回数が急に増えたとか、授乳時間を減らした(赤ちゃんが)とか、増えたとか、おっぱいが張らないとか、あるいは、周りからそう言われるとか。これって母乳不足ではなく、母乳不足感だって知ってました?私の場合、ここの楽天に所属される有名サイトで教えていただきました。ユニセフ・WHOによる共同声明 1989年「母乳育児を成功させるための10か条」をきちんと守っている病院って知ってました?例えば、医学的な適応がないのに母乳以外のものを与えないこと、とか。私は、知りませんでした。医療施設をどこに選ぶかによって、左右されるということを。
2004年05月18日
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夜中に泣かれるのは覚悟の上だからよし、ただ、こう何度も何度も目が覚められると、自分で、世話をした記憶が定かではなくなる。はっと目が覚めると、添い寝の格好のままだったり。ははは。どうやら片っぽだけ、上げたのね。 (↑意味判らない人、ごめんなさい。)うーん、確かに夕べは4回起きた。時間も、だいたい、覚えている。2時間おきだったな…。離乳食が始まって、頻繁に母乳を欲しがり始めたから、たぶん何かすごい成長中なんだ。もうすぐ歯も生えてくるね。頼むから、授乳中噛まないでね。うちの子は、発育曲線を随分下回ったまま成長しているから、軽くて扱いやすい。初めて寝返りしたときも、腕を抜くのに何日もかかるかと思ったら、ほとんど同時に出来たのは、体が軽いからだろう。と思って過ごしていたけど、最近ずっしりして来た。力も強い。蹴られると痛い。男の子はやっぱり違うなー。うんうん、ちゃんと成長しておる。HP…今、娘の昔のことを思い出しながら書いている。こうして少しずつ公開していくと、なんか自分が楽になるよ。
2004年05月16日
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息子のアトピーは、薬を毎日塗ることと、食品の除去で落ち着いている。夕べ寝る前にその綺麗な肌を見ていて、10年前の娘のことを思い出していた。当時は、小児科と皮膚科の見解も違い、苦労した。生後4ヶ月の娘を沐浴させ、体を拭くために寝かせたとき、異変に気が付いた。手がベトベトする。自分の手を見ると、黄色い汁が付いていた。一瞬どこで付いたのだろうと、手を拭いて、また娘を拭こうと頭を抱えた時、愕然とした。その黄色い汁は、娘の後頭部から出ていた黄汁だった。よく見ると、寝かせたタオルケットにも、汁がベットリ付いていた。慌てて皮膚科に連れて行った。といってもどこに皮膚科があるのか知らなかったので、取り合えず妹に聞き、家からそう遠くない病院へ。病院は空いていた。皮膚科って暇なんだな、とか思いながら診察室へ入り、治療を受けた。その日は、頭に塗るローションを処方されて帰った。ここからが、アトピーとの戦いとなる。おっと…若が泣き出したので、続きはまた。
2004年05月11日
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この時点で、もう原型をとどめてないが、陣羽織だ。最大のイベント、初節句が終わった。内孫で男とくれば、何もないはずがないとは思っていた。そもそも、結婚式(披露宴)の時がそうだった。義父だ。私も二度目なので親戚に言い辛い。「あんた達の好きにしなさい。」と最初は言っていても、間際になって、「わしは、こう思う。」と始まって、こちらがいくら希望を言っても取り合わなくなってくる。「お世話になっている人に、何かのお礼をして当然じゃないか。」「この方が良いじゃないか。」→「こうしなければ、ならない。」とエスカレート、ついには自分の希望を叶えるまで、あの手この手で遠まわしに少しずつ小出しに言ってくる。それなら、最初から言ってくれれば良いのに、最初は奥歯に物が挟まった言い方をしていても、間際になって急にいろいろ言ってくる。一事が万事そうだ。つまり、口調はあくまで「こう思う。」だが、それは命令だと思って間違いない。間際にも間に合わなかった場合、その直前に、本当に急に「命令」が出る。義母も時々便乗する。だから、披露宴の時も、最初はしなくて良いと思っていたのに、料理屋の座敷を借りて数十人もの宴会となってしまっていた。主役(私)が普通の格好ではダメだから、慌てて近所のショッピングセンターでワンピースを買い、花を買い、子供のお土産を構えた。引き出物(カタログで選ぶやつにした。)を選んだ時も、私達で勝手に決めてきたもんだから「あれは、良くなかった。」と、未だに言われる。という経験から、言葉の端々に暗号化された希望を、匠に捉えなければならない…という事を知って、失敗や誤解も多々あるが、現在までなんとか上手くやって来た。ところが、今回はそうはいかない。そのオヤジの息子が、つまり私の夫が、意地を張った。もともと卑屈なところがある双方なので、オヤジVS息子のバトルに挟まれ、振り回されたのだ。例えば、開催時間を料理屋に相談に行ったとき、夫は「息子主体」に考え、離乳食や、入浴のことなどを考え、昼間が良い。と言ったが、義父は「お客様主体」で、ようするに『飲みたい』ので、夜が良いと言う。私から見れば主役そっちのけのプランだった。両方が歩みよって3時からということになったが、何と中途半端な時間だろう。でも、それ以上早いのは絶対ダメだというから、しぶしぶ諦めた。因みに、料理屋の女将さんが小さなため息を何度もついたのを、私は見逃さなかった。びっくりしたのが、「ご案内」だ。結婚式の時には、折った厚紙に印刷された往復はがきが来る、あれだ。なんとデカイ丸餅と伸し餅の二段重ねを、その日中に配るのだという。かなり重い。最初、もっと小さいのを配るはずが、「やっぱり一番良いのにする」と直前に言って来たのだ。慌てて電話で変更した。電話するのは、うちの夫だ。うちの実家の方は、母以外出席出来なかった。全員商売人で、当日はイベント会場に店を出すので出席出来ないというのが判っていた。にも関わらず、「お届けしなければならない。」と言われてしまった。風習だそうだが、貰った方は気を使うから要りません、と、はっきり断っても「お祝いは要らない。餅は配れ。」とのこと。本音である。善人だ。ところがそうはいかないから、実母も妹も叔母も、気を使った。実母も妹も生活苦労しているのを知っている夫は、お祝いを返すように言ってくれたが、受け取るはずがない。更に妹は、悪いからと、その後自分の働いている店の商品を義父に届けた。すると今度は、それに対してのお礼の包みが来たのだ。もちろん、引き出物も、出席出来なかった面々全員にあった。母が皆の分を担いで帰った。当日、その引き出物が1時に出来るから、店に取りに行けという電話が、急にあった。引き出物は義父が決め、いつの間にか手配していたものだ。時計を見た。20分前だ。何も用意が出来ていない。大雨だし、家を出たり入ったりしたくない性分の夫は、大慌てで用意した私達を引き連れて、引き出物を取りに行き、そのまま、会場へ着いた。会場の玄関で、大荷物と赤ん坊を抱いた私達は、待った。「卑屈」「意地」が無ければ、このような事態はありえない。わざわざ、事実を今作っているのだと判った。更に、引き出物はもう一つ有った。会場に配達されたそれと、私達が持ってきたそれを、一つ一つ袋詰めした。宴会が始まった。夫が、息子を抱いて壇上に立ったとき、「あんたも行かんか。」と当たり前のように言われ、慌てて壇上へ。後で気が付いたが、直前まで授乳をしていた私は、スカートをちゃんと装着していなかったため、下にズリ落ちても不思議じゃない状態だった。冷や汗をかいた。直前まで人数や、乾杯の音頭を取る人も決められてなかったらしい。急に、人数を2人分増やしてくれと言われた店の人が、食器を慌てて増やし、並べ直していた。しかし、「急に言われて」来られなかった人の席が、4つ余っていた。夫は、自分にはネクタイを締めて来いと言っておいて、自分はラフな格好で来ているオヤジに腹を立てていた。さて、陣羽織を着た息子は皆にチヤホヤされても、誰に抱っこされても、泣かずに立派に主役を務めた。さあ、契約の2時間が過ぎた…が、誰も席を立たない。それどころか、カラオケの機械を発見して歌いはじめたのだ。披露宴の時も2時間では足りなかったので、少しは延長するだろうとは思っていたが、やっぱりだ。こうなったら主役はそっちのけだ。控え室を借り、2度目の授乳をした。予定を大幅に過ぎ、帰途した。何もしたくない。でも、離乳食をやらなければならない。と言ってる間に、息子は熟睡した。もう、この後は起きても食べさす時間ではないので、今日は離乳食はやめようと夫に相談した。夫からは返事は無かった。会場で、何一つ口に出来なかった夫は、カップラーメンをすすっていた。息子を思ってくれているのは、有り難いことだ。だが私は、10年前の節句時に、耳を塞ぎ目を閉じて過ぎるのを待っていた娘の時のことを思うと、娘が少し不憫だった。
2004年05月04日
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