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アレルゲンを口から入れて、つまり、食べさしてどうなるか、実験するのである。今日、国立病院でアレルゲンのミルクを飲ますテストを行った。もしこれで何も無ければ、晴れて母子共々ミルクおよび、乳製品OKという、合格すれば何ともトンネルを一つ抜けるような明るさに出会えるのである。チョコレートも食べられるし、以前ここで書いた「ネギトロに乳!?」も食べられるのである。さて、1時半、いよいよ診察の時が来た。すぐにミルクを飲ませるという。緊張して来た。大丈夫、ここは病院。即時型、アナフィキラシーについては、随分本で読んだり体験談を聞いたりして、勉強してきた。自分に言い聞かせて、買ってきた牛乳を先生に渡す。買って数時間経った、冷えてない牛乳だ。その方が体に良い。先生は、2ccと言ったが、すぐに変更して5cc飲ましますと言う。5ccって、小さじ一杯じゃん、そんなんで判るのかしら。その不安は、5分後に吹き飛んだ。息子は、ストローでジュジューっと、飲み干した。少しコップに残っていた分を、私は息子の口に流し込んだ。「そうそう、オムツがタポタポになっていたから、今のうちに換えてくるわ。」と、夫に告げ、トイレに行った。オムツ換えシートに息子を仰向けに乗せ、ベルトを締めた。…普段なら、暴れる息子が今日はやけに大人しい。楽々と換えられたオムツ。なんかおかしい。待合に戻ると、息子の顔が赤らんでいる。ここまでは、暖房と、待っている間はしゃぎ過ぎた息子の様子を思い浮かべ、顔はほてっているだけだろうと思っていた。やがて、息子の赤いほっぺは、眉毛の2本線に及んだ。これは、おかしい。やっと気づいた私。夫は、看護婦さんに診て貰おうかと、そこらを探した。ここは国立病院。看護士さんは、早足で行きかうのを時々見かけるが、滅多に話が出来ない。ますます息子の顔は、赤くなってきた。間違いない。私は「先生に診てもらう。」と、診察中のドアを開け、「先生、診察中すみません。」と声をかけた。先生は、察したようで、「出た?」と聞いた。「出ました。」すぐに出てきてくれた。改めて息子を見る。もう、そこにはいつもの息子の姿は無かった。顔は腫れ上がり、赤い中白いブツブツが沢山出てきて繋がりかけている。地図のようだ。赤い海に、白い島。ロビーの椅子に座った夫の腕に抱えられている息子は、タンが絡み、咳き込んでいる。先生は、看護婦さんにいろいろと指示をした。先生自身は、ステロイドを持ってきて、息子に塗り始めた。もう、抵抗する元気もない息子。大人しく塗られている。「丁度、15分やね。」と先生は言った。看護士さんが、飲み薬を注射器で口に投入する。『もしかして、このまま死ぬのでは…。』という思いが、一瞬脳裏をかすめた。先生の、「出た出た~。」という、私たちを安心させるかのような明るい声が、その恐怖を拭い去った。そうだ。先生は専門家。慣れているはずだ。何度も、こういう状況を見ている。ここは病院。国立だから何でも揃っている。一生懸命思い直し、自分を奮い立たせた。しばらくして、息子が泣き始めた。一旦、診察室に入っていた先生が、心配して待合室に出てきてくれた。「もしかして、気持ちが悪いのかも知れないから、お茶か何か飲ませて、吐かせるといいかも。」と言った。そうだ、すきっ腹にアレルゲン。気持ち悪くなって当然だ。持ってきたお茶を飲ませようとするが、息子は嫌がって飲まない。何か食べさしても良いというが、お茶も飲まないのに食べるはずがない。しばらく、泣きじゃくる息子を抱き、立ちすくんでいた。息子は、今まで聞いたことの無いかすれた声で、やっと泣いている。泣きながらあくびをしている。先生は、薬の副作用で眠いかも知れないねと言って、また診察室に入っていった。どれだけ時間が経っただろう。おそらく、5分か10分ほどだろう。息子の顔が、心なしか小さくなってきた。腫れが引いてきたのだ。ブツブツも平たくなってきている。私の胸で小さくなっていた息子も、少しずつ動き出した。そろそろ食べるかな…。今朝から下準備して、魚を摩り下ろし、人参と玉ねぎと、繋ぎに片栗粉で作った、すり身を蒸して焼いたものと、アレルギー用のホットケーキ。冷めても美味しいように、手をかけた。まず、お茶を飲ましてみると、すごい勢いで飲み始めた。良かった。お茶が飲めるようになった。少しずつ食事も出来るようになった。また、先生が様子を見に来てくれた。「まあ、いつもそんなに手の込んだお料理をしているの?」と聞かれたので、まさかと答えると、笑って味見をしても良いか聞かれた。先生は、アレルギーの会の料理レシピの監修もしている。「はい、どうぞ。」と答えたが、少し恥ずかしかった。私の粗末な弁当を少しずつ味見をした先生は、材料や作り方を聞いた。答えながら、なんだかそんなことは初めてだったので、少し自分が誇らしかった。さて、息子は、どんどん元に戻っていった。もう大丈夫だろうと、開放された時は4時を回っていた。車の中で、息子は眠ってしまった。帰り着き、眠っている息子の様子を伺い「生きている。」とつぶやく夫。起きた息子を抱っこしに言った時、私はいつものように、すぐには部屋から連れ出さず、息子を抱きしめたまま、その場でしばらく二人の時間を満喫した。
2004年12月13日
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新聞の報道を見て、愕然とした。アトピーを苦に自殺をしてしまった家族。それだけが原因かどうかは、まだわからないけど、なんという、悲しい事件が起こってしまった。アトピーの子供を持つ親は、毎日が辛い。そもそも、「アトピー」という言葉自体、「わからない・未知の・…」などという、訳のわからない奇病なのだ。原因が判らないから、医者も親も試行錯誤する。現在は、いろんな検査でいろんなことが判るようになってきたので、一昔前よりは随分治療方法も変わってきた。もしアレルゲンが食物だとすると、それを除去するしかない。アナフィラキシーショックで死亡したニュースなどを、何度も耳にすると、ますます神経質になる。だから、アレルギーの品目が多ければ多いほど、食事を作っている親は苦労する。まず、食材が手に入りにくい。農薬や、添加物にも反応するから、無農薬・無添加は当たり前、インスタント食品なんか、以ての外。除去する食べ物の代わりに栄養が偏らないように配慮した食事を毎日毎日、三食、朝・昼・晩ごはんと、用意しなければならない。エンゲル係数が飛び上がるので、家計簿を見ているうちに嫌になり、家計簿をつけるのをやめたという、アレルギー用のレシピブックを出された森さん同様、うちの家計簿も、スーパーのレシートが山積にされたままである。今まで、のほほんと食生活を過ごしてきた人ほど、訳がわからなくなる。今更、栄養学なんて、勉強出来ない。真面目な人ほど、迷う。台所で何度も手を洗う。鍋などの調理器具は、全て家族のものと分ける。アレルゲン食品は、なるべく家に置かないが、食べられる人もいるのだから、全部がそういうわけにはいかない。だから、細心の注意を払う。真面目にやればやるほど、辛い、きりの無いトンネルだ。今、アトピーの子が増えている。同時に、母親の孤独を、少しでも減らそうと、あちこちで「会」が増えつつある。これは、単なるグチの言い合いや、傷の舐めあいではない、ちゃんと情報交換をしたり、知識を分け合う会だ。料理を実践している会もある。この会を、古くからやっている人たちが出版されたお料理ブックには、随分助けられた。今度、うちの子供達のかかりつけ医も、「会」を作るそうだ。大勢の集まりは苦手だが、少しでも役に立つのなら、経験談を伝えてあげたい。初めてアトピーと向かうお母さんの気持ちが、少しでも和らげばと思う。タイトルに書いた家族…助けることは出来なかったのか、悔やまれる。
2004年12月01日
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