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「放下」は融通無碍(自由)の方法だ。だが一度目の「放下」では自由になりきれない。ブッちゃんの言葉は深い。「こだわり」を捨てるとは「こだわり」をも捨てる事だ。だから、好きなように「こだわって」もいい。気ままに「マジメ」を愉しもう。ここがブッちゃんの深い指導だ。だが、弟子達は「マジメ」を捨て切れなかった。「真理」なんぞにこだわったままだった。捨てれば観えたのに・・・・。ワシは「進化」とは「自由」の事だと知った。だから「進化」にこだわる魂(精神)は進化しない事を知った。修行に励むだけでは進化しない。苦行で顔と精神が歪むだけだ。笑い顔でない人が自由であるはずがないだろ。
2006/11/30
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放下の逆意識は「こだわり」だ。ワシが使う「マジメ」というのは「こだわり」を指す。ヤクザや詐欺師や嘘つきも「マジメ」だ。「放下」したらヤクザや詐欺師をやってられない。「放下」したら争いなんてやってられない。だから戦争もやってられない。ブッちゃん(仏陀)は「こだわり」を捨てる事の重要を説いた。それが「放下」という事だ。何しろ本妻愛人実子を捨てた張本人だ。王子という立場も捨てた。だが、まだ「マジメ」が残っていた。何とか「サトリ」を得ようという「こだわり」だ。マジメだから一所懸命修行した。命懸けで苦行した。それらがツマランモノと知った。放下した。「あ~・・・もうマジメは止~めたぁ」菩提樹の下でブッちゃんは「いいかげん」に変態した。
2006/11/29
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まだまだ得意事はある。まぁまぁ得意な事もある。その一つに「放下」がある。意識の一つを捨ててしまう事だ。生れ付きの性格かもしれない。バカBといわれる血液型の影響もあるかもしれない。「いいかげん」のDNAが濃いのかもしれない。御先祖様が「いいかげん」だったのだろう。きっとそうに違いない。ワシは御先祖様に感謝している。生きていくのに「放下」は便利なのだ。根性無しのナマケモノには有り難いのだ。肩の荷物は持ちたくない。足の重りは付けたくない。ワシは御先祖様に本当に感謝しているぜ。
2006/11/28
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ワシにも得意事がある。幾つかある。忘れる事は得意だ。空想妄想も得意だ。眠るのも得意だ。マンガに没頭するのも得意だ。ふ~む・・・。改めて自分を観ると、優れた点があるものだ。人によっては評価してくれないが・・・。他人や社会的評価なんぞアテにならない。まして自分の幸せには直結してない。得意事は優れた長所なのだ。ちょっと特殊な得意事もある。「氣」の使い手だ。プロの世界で通用する程度である。特に「氣入れ」は得意のようだ。ワシにとっては普通なのだが・・・。
2006/11/27
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ワシはオナゴがうっとうしい。もちろん、オトコはもっとうっとうしい。ワシは一人が好きになった。それには訳がある。御(自分でつけるな!)幼少の頃からだ。ワシの美貌は飛びぬけていた。(注:貧乏ではない、美貌だぞ・・・)少女から老女まで近寄ってきた。何かと触りやがった・・・。女難というのは生れ付きだと知った。ワシは御曹司である。金は腐るほどあった。紙幣は腐ると処分がメンドウだ。だから腐らない黄金に替えた。ワシの実家の礎石は黄金だ。ついでに敷石も黄金だ。眩しくて実用的でない。金の亡者というは多い。政治家が意味も無く挨拶に来る。銀行や証券会社の店長や頭取が来る。何かの社長や会長や盲腸が来る。一般庶民が来る。あぁ、うっとうしい。金難というのは、生れ付きだと知った。女難や金難の幼児期を過ごしたのだ。将来の目標は反動となった。ようし!ワシは絶対にオナゴにモテナイようになる。貧乏でひっそり暮らしたい。ワシは努力した。人間、努力すれば報われる。ワシは自分の人生を勝ち取ったのだ。今ワシは貧乏でオナゴと縁の無い生活をしている。少し、昔が懐かしい・・・・。
2006/11/26
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「難」も幸せの為に起きるのかもしれない。ワシはそう思ったのだ。例えば・・・小難・中難・大難というように・・・。大難は、とても困るだろう。立ち直れないかもしれない。そうならない為に、小難がある。あったハズだ。小難を過ごして乗り切った。だが何も直さない。すると・・・次に中難が起こる。そこで、本気で直せばいい。だが、やはり対処療法だけだと・・・大難になるかもしれない。「難」は、優しいかもしれない。優しい仕組みかもしれない。ワシはそう思うようになった。そう思えなくても、事実は優しい仕組みだと思う。ワシにも「難」はある。それをラッキーと思えるなら・・・「難」はラッキーに変わる。上手く表現できないが、難は悪くないかもしれない。
2006/11/25
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病気が「難」の一部なら、病気も大切を内蔵している。だがもう一つの役目もある。病気は生命を救う為に起こる。矛盾しているようだが、よく観ると生命救済行動なのだ。残念なことに、せっかく病気になっても気づかない。病気だけを治そうとする。もう一つの大切な何かを直そうとしない。「治そう」としても「直そう」としない。病気を治そうしない場合も多い。痛い、苦しい、という不都合状態だけを対象にする。痛くなければいい。苦しくなければいい。病気を根本から治さなくてもいい。不都合さえ消えればいい。一時的な病巣の削除だけでは、病気は再び起こるのだ。生命はもっと生きたがっている。生きる、というのは「健康」に生きるという意味なのだ。「健康」とは、嬉しく愉しく気持ちいい状態だ。その為には、何かを直す必要がある。それに気づく為に病気がある。病気は生命を活かす為に起こる。
2006/11/24
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そもそも「難」はワルモノか?ワシは狭い器量で学んだ事がある。この社会は一見〇〇は当てにならない。立派な肩書きは、ロクデナシの割合が多い。人の上に立つ人達は保身しがたる。声を大にして正論正義を言うのは眉唾だ。〇〇の為、と言う人は偽善者だ。威張る人は卑怯者。自分は正直なんて言ったら詐欺か無知だ。逆もある。無愛想は裏表が少ない。悪ブルのは(幼稚だが)可愛い。言い訳をしないのは、自分を持っている。明るい冗談好きは信頼できる。肚が座っている人は大人しい。愛情深い人は優しくしない。「難」は公然と嫌われている。だから・・・大切な何かをしている。大事な何かを教えてくれている。嫌われても、毅然と(?)難事をする・・・。ワルモノじゃなく、イイモノかも・・・。
2006/11/23
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「難」とは何だろう?というダジャレから考察。全て因果、という考え方なら・・・難も自分自身からの結果。い、いや、自分自身とは限らない。自他が一体なら、どんな事でも自分と繋がっている。異国で爆撃されて苦しむ子供がいる。だが、原因はその子供ではない。爆撃しているのは遠い某アメリカという国だ。その子供はアメリカに爆撃されるほどの原因をしていない。子供の国の政策か何かが、某アメリカの気に入らなかった。子供がその国に生まれてきたのが原因という考えもある。因果を考えると・・・時間と空間を果てしなく広げてしまう。つ、つまり・・・あまり意味無い、と思うぞ。しかも、因果に「正誤」という概念をもたせやすい。因果とはいんがげんに扱うモノだと思う。適当ではなく、いいかげん(因果元)でいいのだ。だから「難」を別な視点から観てみよう。
2006/11/22
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もう少し別な角度からの観方を書く予定だった。だが書いているうちに、もう書きたくなくなった。どう説明しても、解らない人には解らない。美しい日本の指導者達は忙しいのだ。地球全体の事など、考えるヒマがない。そんな事より目の前の関心事がある。例えば・・・選挙の票。自分の地位の行方。金になるか?等々・・・。この違和感は理屈で説明する類じゃない。ワシはアキラメているわけじゃない。だが、行き着くところまで行くか。その方が本気になるかもしれない。人間だもの・・・。痛くならないと意識できない。
2006/11/21
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大型野生動物の熊や鹿や猪。中型のキツネ、タヌキ、サル。小型のリス、モグラ、ネズミ。行動に異変が起こっている。どうやら世界中らしい。海の中も同じかもしれない。人間だけは、常に異常。300年前頃から、異常のままだ。だから、この「異変」も感じないかもしれない。感性はマヒしているままなのだろう。他とつながっている感覚もマヒ。地球の息吹も感じられないまま。交代の時期なのかもしれない。人類のこの加速度はテクノロジーではない。破滅への加速度かもしれない。それでも未来は未定のままだ。何とかなるかもしれない。
2006/11/20
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野生動物は考えない・・・。行動は「感性」が優先する。立派な指導者や学識者は「感性」が鈍い。「学」に秀で「感性」を育てなかった。「感性」があったら、こんな国にしなかった。まぁ、いい、人間だもの・・・。だからこそ、人間は野生動物から教えていただく必要があるのだ。そこが、ちっとも解ってないなぁ・・・。自分の方が正しく賢いと思い込んでいるようだ。自分が正しく賢いと思うから、不都合(不自然)が起こるのになぁ。今の世界。今の日本。こんなに「自然の氣」が乱れているのに。危ないんだぜぇ~。とワシのような怪しく不マジメ者が言っても取り上げない。信用しなくてもいいから、事実を観てくれよぉ。野生動物に狂いが起こっている。「感性」が乱れの大きさを示している。いいのかなぁ・・・。このままで・・・。緊急時だと思うけどなぁ。
2006/11/19
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ワシは口が滑る。もちろん意識して滑る事もある。更に補足説明がメンドウなのだ。誤解したけりゃ、すればいい・・・と思っている。その為過激な文章になりやすい。だがワシは叛骨精神は無いぞ。辛口のコメンテイターでもない。軟骨精神でできている。軟骨組織でできている。甘口ではないが、辛口でもない。妙齢の御婦人に限ってだが、試してみればいい。「あら!本当に軟らかい・・・」人類全体に敵対するわけがない。偉大な総理大臣や政治家や官僚様や将軍様に逆らう度胸はない。権力者に脅されれば、すぐにでも自説を曲げる。いいかげんの神様の絵を踏め、と言われたら、すぐ踏む。何度でも踏める。美しい日本は政治家達が手本です・・・。それでも異変は加速している。困ったなぁ・・・。それでも地球は回っているんだもの・・・。どうする?素晴らしい指導者達よ・・・。
2006/11/18
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野生動物にとっては死活問題だ。種族の死活問題だ。超急加速で種族は亡びている。嘗て無かった滅亡の早さだ。野生動物にとっては・・・冗談じゃないぜぇ~。ワシも半野生動物だ。やはり、冗談じゃないぜ~、と思う。自分の人生の長さだけ考えりゃいい・・・ってもんじゃないだろ~。人と人が殺しあう戦争だけならいい。(い、いや、よくないけど・・・)人間だけが死んでいくのなら・・・。悲しみと憎しみと苦しみだけが残るけど・・・。野生動物からすれば・・・ま、まぁ、いいか、と思う。生物界一の愚かな種族だもの・・・人間だもの・・・。
2006/11/17
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人間の対応できる年数は100年くらいだろう。国の政策計画は建前で100年。実際は10年~20年・・・。場当たりといってもいいのだ。無責任が身上の政治家と役人だ。放射能の半減期間は考えない事にしているらしい。人間が扱える範囲を超えているのだ。原発に賛成する学者やノータリン・・・し、失礼。有識者と称するバカモノ達。利権に群がる亡者達。それでも・・・いいさ。人間だもの・・・。相田みつを氏も書いている・・・。亡びたい望みなら、叶えさせてあげたい・・・。でもなぁ・・・他の生物まで、巻き添えにしなくてもいいのに・・・。
2006/11/16
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環境異変に言われる言葉がある。「地球が怒っている」「地球の逆襲」「神が怒っている」等々・・・。だが、それは間違いだ。自然と神を同一視するのはいい。ワシも(ある意味)そう思う。ワシは自然=生命=神と思っている。そして、それらは人間の意識とは別物だ。当たり前だよね。自然も神も(生命も)怒ったりしない。逆襲も復讐もしない。変化に対し、調和力が働く。ただ、それだけだ。極、自然に、当たり前に反応している。病気も同じ。生命は素直に反応している。ただし、生命は個人だけのモノじゃない。全ては「一つながり」であり、一部と全部は対応している。だから、個人内で問題を探っても判らない事がある。
2006/11/15
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穏やかな異変なら騒がない。自然は常に変化しているからだ。この世は時間が一方向に流れている。時間は「変化を促す氣」なのだ。自然は変化すると、安定への調和力が働く。時間は「調和力の氣」という言い方も出来る。調和できる範囲の変化なら問題ない。大きな時間の範囲で観るなら、全て調和できる。地球は別に困らないのだ。何億か何十億かければ調和できるのだ。調和できないのが生物だ。困るのは地球ではなく、地球上の生物だ。変化の大きさ、広さ、深さ、速さに限度がある。人類を含めた生物の対応能力に限界があるのだ。どうする?
2006/11/14
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300年前からの人類の急変。それを文明というのか・・・。産業革命以降、人類の暮らし方は急変した。人類だけなら、それほど問題なかった。だが、人類は環境まで急変させてしまった。今更「異変」を指摘してもマヌケだ。ワシはマヌケなのだ。これも今更言ってもしょうがない。もう50年以上マヌケなのだ。そういうわけで(どういうわけだぁ?)「今年の異変」を指摘しよう。ジャイアンツが勝てない。これは異変でも何でもない。当然、当たり前なのだ。新日本プロレスがつまらない。これも当たり前なのだ。そういうアホな人間の出来事は省く。自然界の異変。それは野生動物が教えてくれる。気づいているだろうか?野生は野生故に自然環境の急変を察知する。すでに自然の異変は始まっている。
2006/11/13
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「流れ」に乗ると楽だ。余計な力を使わないでも進む。余計な力を使わないと、謙虚になれる。謙虚になれば、感謝が起こる。感謝している間は「流れ」に乗っていられる。簡単な仕組みなのだ。グレちゃんは、簡単な仕組みしか創らない。簡単とは、深く広いモノなのだ。グレちゃん(創造主)は深く広いモノなのだ。感謝にだけ、少し反応する。あとは・・・気まぐれでいいかげんだな。「流れ」って、面白い。この世は「流れ」で変化する。「流れ」に乗るか、逆らうか、で変化する。グレちゃんにとっては、どちらでもいいのだろう。ワシは「好みの流れ」に抱かれて生きたい。「流れ」は面白いと思う。
2006/11/12
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どうせワシの考えや思いなんて間違えだらけだ。だから堂々と独善家を名乗れる。傲慢でも謙遜でもなく名乗れる。安心して独善ができる。自分の(勝手な)考えを信用するほどボケてないからだ。「努力」の使い方。「嫌な流れ」から外れる時に使うモノだったのかぁ。「好みの流れ」で努力してはならぬ。努力して「好みの流れ」に乗ろうとするのも間違いだ。「成功哲学」と称する詐欺的思考は、ここに間違いがある。まぁ「成功」も「性向」も好みの分野だからいいけどさ。自然体は「好みの流れ」時の方法だ。努力という不自然体は「流れ」に逆らう時の方法だ。なるほど・・・そうだったのか。ワシのいままでの主張は、半分しか理解してなかったからだ。努力は・・・必要だ。根性も・・・多分・・・必要だ。
2006/11/11
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ワシは自分が書いたモノで気づく。学びや気づきは、自分一人からが基本だぜ。他から学ぶだけなら、空回りする。他から教えてもらっても、身に溶け込まない。こんな基本的な事さえ、現代は知らないらしい。だから、勉強しても役に立たない・・・だけじゃない。あの下劣極まりない政治家や官僚は成績優秀者なのだぜ。冥想、禅の深さは内在智からだ。ワシのようなモノでも、内在智に繋がっている。内在智というのは、自分のモノではないからだ。どんな存在からでも内在智に繋がっている。それを般若というのだ。般若心経の最初の部分に書かれているだろ。何に気づいたか?ワシは「努力」の使い方に気づいたのだ。この世に無駄に存在するモノはない。ワシは「努力」は無駄なモノだと思っていた。それは、ワシの間違いだった・・・。
2006/11/10
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嘗て偉大な大衆歌手がいた。惜しまれ、若くして亡くなった。その華女王とよばれた歌手が歌った。川の流れのように・・・。川の流れに身を任せ・・・。ん? これは別の歌手の歌かぁ・・・。と、とにかくだ。大きな川の流れに乗ったら身を任せる。肩の(余計な)力を入れない。「流れ」に逆らおうなんて思わない。「流れ」を利用して泳ごうなんて思わない。自然は、小賢しいヤツは嫌うのだ。自然は、感謝するモノに微笑む。少しは、微笑む。謙虚なモノに微笑む。微笑むが、それ以上の応援はしない・・・。だが「流れ」の幅が少しだけ広がる。嫌な「流れ」に乗ってしまった場合・・・。懸命に「流れ」から外れようとしよう。身を任せてはいけない。この世で「努力」というモノが必要とするなら、嫌な「流れ」から脱出する為に使おう。
2006/11/09
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ツキは「流れ」がある。というか・・・何にでも「流れ」がある。不運だって「流れ」がある。体調だって「流れ」がある。金運だって、仕事運だって「流れ」がある。「流れ」って、何だ?考えたって解らない。解らなくても、ある。正体が解らなくても、利用はできる。正体が解らなくても、特徴は判る。「流れ」は人間より大きな動きだ。当たり前だ。だから、人間が勝手に動かそうとしても無理だ。その「流れ」に乗っていたかったら、その「流れ」に身を任す。余計な意志を働かせない。こ、これって・・・ワシ向き。ナマケモノ向きの方法だ。
2006/11/08
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誰でもツキの流れに乗る時がある。ツキの女神は気まぐれだ。誰にでも平等に流れを向けない。だが、誰にでも流れが触れたりはする。平等ではないが、流れは誰にでも届く。ワシはツキだけで生きて行きたい。平等ではないのだから、多く接していたい。そう思って、ナマケモノ根性にムチを打って研究した。根性は少ないから、ムチも加減して打つ。加減しながら打たれるのなら、ムチも悪くない・・・かも。10年以上もツキの女神様をお慕い申し上げていた。時には・・・押し倒したいと思っていた。い、いや・・・押し倒されたい・・・。ツキの女神様は、不マジメなオッサンには親しんでくれる。マジメな人々には、縁が少ない。そういう事が判ってきたのだ。
2006/11/07
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ワシはナマケモノだ。前世の生息地は南米産だ。道理でラテン系も混じっているはずだ。だから、笑って愉しんで暮らしたい。努力と根性は相性が悪い。現代は共生意識が少ない。ナマケモノには誰も助けてくれない。マジメに働かないヤツには冷たい世の中だ。縄文の頃が懐かしい・・・。とモンクを言っても仕方ないし、モンクはワシの趣味じゃない。そこで自力と他力の合体で生きる事にした。平たくいえば・・・ツキで生きる。幸運の女神様が度々いれば、何とかなるだろう。何とかなれば、ラッキーってもんだ。そこで、ツキの研究をしたわけだ。「流れ」に気づいたのは、ツキの仕組みからだった。ツキは流れていたのだ。気まぐれに流れていたのだ。無いわけじゃないのだ。何時だって、流れているのだ。
2006/11/06
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この世は変化の連続だ。だが、流れの速度は一定ではない。一律でもない。方向があり、濃淡もある。ある年齢からの同級会。嘗ての同級生が変わっているだろう。変わったのは間違いないのだ。だが、変わり方が様々だ。方向も速度も様々だ。物質(肉体)が変わったのだ。当然、心も変わっている。変わらぬモノはあるかもしれないが、それは、人の心の中には無いものだ。変わらぬ心がある、というのは無知なだけだ。だが、心は広く深く、とてつもない能力もある。変わらぬナニか、まで届く能力はある。それが、真実だか、愛だか、神だかは知らない。マレに、そこまで届く事はあるだろう。でも、それは心の中にあるわけじゃない。ある、とするのは・・・傲慢だろう。
2006/11/05
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変化は常に流れている。万物は流転しているんだ。当然、人間も変化し続けている。変わらないモノなど、この世には無いのだ。あの世は・・・ゆるやかに変化する(らしい・・・)。この世の基準からは、変わらないと思える程だ。心も当然変化する。変化を自覚できる人もいる。自覚できない人も多い。自覚の有無は別問題だ。変化している事は間違いない。変化するのが条件で、この世が存在している。変わらない苦しみなんて、ある筈が無い。辛さも悲しみも、必ず変化する。生きていれば。この世にいられる条件は、生きている事だけだ。死んだら、楽になれるなんて錯覚だ。あの世では、苦しみや悲しみが変わらない。(極ゆっくりと、変化するが、それは嫌だろうな)生きている、というのは変化する、という事だ。
2006/11/04
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この世は色(物質)界といわれる。もちろん、別な次元も重なった多重世界だ。だが特徴として、色(物質・肉体)界がある。色は深く広いので、多重を許容できるのだ。(色事が多情なのは当然なのだ・・・)あの世は重ならない多重世界だ。層が分かれている、多層世界になる(らしい)。同じ類(波動帯)しか交流できない。面白みに欠ける・・・。あまり、急いで死なない方がいい。色界はアナログで成り立つ。アナログとは連続した変化の仕組みだ。ちなみにデジタルは断続した変化の仕組みだ。常に連続した変化が色界の特徴だ。ちなみに、あの世は変化がし難いので成長し難い。この世に生きているのは、とても貴重で大切なんだぜ。
2006/11/03
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生命を懸けるから生命力は増す。だが「仕事」によってはダメージを受ける。ワシの「仕事」はダメージと交換で成り立つ。生命力を増すにも、命賭けなのだ・・・。新宿での「仕事」のダメージがあった。頭や肩の重いのは数時間で消えた。だが、一週間ほど心臓が痛かったぜ。これで、また、少し成長できる。ダメージと交換して成長する能力なのだ。新宿〇〇国屋書店の7階シアターの責任者。ワシの書いた内容に感じるモノがあるなら、そして23日以降、雰囲気が透き通ったと感じたなら、お礼の言葉とン十万円くらいは送ってくれてもいいと思うぞ。勝手にした仕事だが、結果として、大きな清掃をしたようなものだ。
2006/11/02
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生命力の低下現象。今の日本全体を覆っている現象だ。それが「働く事」にも影響している。若者もバカモノにも熟年にも老年にもだ。日本病は生命力の低下現象なのだ。生命力が低下すると本来の「仕事」を見失う。不安と不満の闇に入り込んでしまう。信じられるのは、お金と言う。だが、幾ら働き貯めても不安と不満は消えない。むしろ、増大してしまう。生き甲斐の「仕事」を選んだ人達。お金が貯まるか、貧乏かは一定でない。だが、不安と不満は僅かになっていく。「仕事」をすれば、するほど少なくなる。「仕事」は生命力を増すからだ。
2006/11/01
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