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ワシは見えない「氣」を扱う仕事だ。「調和の氣」を治療と健康に使っている。プロとして12年目になった。まだまだ未熟なままだ。だからこそ、未来がある。使い方に工夫や研究が続くのだ。その事は個人的な愉しみでもある。見えないモノは「氣」だけじゃない。運命の中の「幸運」も個人的に研究していた。ワシは「幸運」が好きなのだ。好きな相手を研究する。相手(幸運)だって悪い気はしない・・・。少しづつ「氣」を許す。姿がチラっと見えたりする。人の「幸運」は人との出会いに大きく左右する。出会いが幸運にも凶運にも影響する。特に男と女の間に何かがある。そんな事を意識しないで生きてきた。ワシは色事は苦手だ。だが、色事という言葉にヒントがあった。この世は色(物質)界なのだ。陰陽という視点から「幸運」を観る。「幸運」は陰陽が一体に解けた状態でもある。男女の恋愛感情や行為だけが色事じゃない。男とオナゴの特殊な関係は陰陽の影響がある。やっと、この歳になり気がついた。「幸運」のヒントと入り口の一つがあった。今年知った大きな一つだ。でも詳しくは書かない・・・。兎にも角にも今年もありがとうございました。嬉しいです。
2006/12/31
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今年一年を振り返って改めて思う。ワシはラッキーだ。ラッキーだという事に気づいたから超ラッキーだ。そして知った。誰でもラッキーだという事を。どんな状況でもラッキーだ。ラッキーは常にあり、常である。ただし・・・活かさないと使えない。ラッキーは「難」の衣を纏う事が多い。表面で判るラッキーは少ないかもしれない。でもラッキーに変わりない。この世を創った偉大なモノは超優しい。ラッキーの種をふんだんにばら蒔いたのだ。だが、この種は半透明だ。気づかなければ見えない。偉大なモノは・・・少しオチャメなのだ。だから、安心して歩ける。どう歩いても大丈夫だ。人社会の固定概念より遥かに道は広い。それぞれが、思うように歩いても大丈夫だ。コツは・・・感謝だと思う。すると、半透明のラッキーが少し見える。
2006/12/30
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ワシに苦労は少ない。ワシは自分のやりたい事をするから幸せなのだ。まぁまぁ苦労するのは本妻や子供達ですむ。苦労はしても家族の一人が幸せなら家族全体も幸せなのだ。家族って、そういうものだと思う。家族が大切なら、自分が幸せになればいい。ワシは本妻が幸せなら、ワシも幸せだ。子供が幸せなら、ワシも幸せだ。だから、ワシが幸せなら、家族も幸せなのだ。苦労しても幸せの方が幸せだ(日本語になってねぇ)苦労を逃れても不幸せなら、ツマラン人生だと思う。結構、ここを勘違いしているようだ。(将来)楽な生活になる為と称し、幸せをガマンするのはなぁ・・・。家族の為と言いながら幸せを犠牲にする親もなぁ・・・。優秀な学校に行く為に無理やり心を犠牲にする子供もなぁ・・・。まぁ、それぞれの家庭の生き方だからモンクはないけど・・・勘違いはあると思うぞ。幸せになるのは、そんなに難しくない。
2006/12/29
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やりたい事の一つが決った。来年4月から学生になるのだ。この12月に入学が決った。メディカルスクールだ。科目は鍼灸。もちろん仕事をしながらだから夜間クラスだ。60キロほど離れている学校だ。通学時間を考えると仕事も制限される。アレコレと厳しい事はある。だが、それを上回るワクワクがある。ワクワクがあれば、ワクワクの勝ちだ。アレコレの問題は何とかなるだろう。ほとんどの事は何とかなると知っている。健康さえ維持していけば、だ。この世を(愉しく)生きるのは難しくない。そしてツマラン人生にするのも難しくない。不出来な人間だもの。難しい事は誰も出来ないさぁ。愉しくするのも、つまらなくするのも難しくないぞ。
2006/12/28
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笑顔・合掌・ありがとうございますの言葉。他人に言う以上は自分で実践。そうして10年以上が過ぎた。10年も同じ事をしていれば日常になる。日常になれば、何かが自然に変わる。何かは、ワシには「ラッキー」に思える。不自然(強く)に求めない。ワシにもいろいろな欲がある。欲は自然(力を抜いて)に求める。これがワシ流の欲との付き合い方だ。欲の中には向上心とか探究心も含まれる。何でも求めりゃ「欲」だと思う。だから「欲」を問題視にするのではなく、「求め方」を工夫すればいい。50歳を過ぎ、少しづつ歩き方が出来てきた。歩き方が身に付けば、歩くのは愉しい。ワシは今年を振り返ると、愉しい事が多い。愉しい事が深くなっていると気づく。広く応用できると気づく。歳は経るほど愉しみも増える。アレもやりたい。コレもやりたい。夢は更に多く広がる。ワシはラッキーだと思う。
2006/12/27
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ワシは振り返って反省などしない。そんな事してたらキリがない。幸運ならキリがなくてもいいが、反省は遠慮する。反省はしないが、振り返る事はする。好みのオナゴが通ったら振り返るのは当然だ。(これは例え話です。ワシはオナゴを振り返る事は無い)振り返るのは、嬉しい事と波動合わせする為だ。アーユルヴェーダでも同じ方法をとっている。悪しき原因を探るより、良好の原因や状態を再現するのが大切なのだ。アーユルヴェーダとは(幸せの)寿命科学だ。ワシがクリシュナ先生から学んだ一つだ。(今、日本でアーユルヴェーダスクールの校長をされている)至らない事、恥、失敗等を振り返る趣味は無い。ワシはボケの平和主義者のMではあるが、自虐のMではない。反省もタマにはするが、5分も続かない。嬉しい、愉しい、気持ちいい事なら、幾らでも出来る。そうかぁ・・・ワシの根性無しは「嫌な事」に対してだけなんだ。「好きな事」には根性有り、だったんだぁ。もうこれからは自分を根性無しとは思わないぞ。今年も振り返ればラッキーの連続だった。特に前半は依頼が多く、張り切って飛んでいた。いい人達にも多く出会えた。ワシの内の何かが拡がった。何かが(少し)解けた。何かが(一段と)柔らかくなった。(注:不埒なモノを想像してはいけない・・・)
2006/12/26
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ウィはその性質でいろいろなヒントをくれる。「意識と物質界」の関係を象徴的に教えてくれる。「病気と意識」の関係を教えてくれる。「生命力の重要性」を教えてくれる。ウィは優れた先生なのだ。ナノメートル(mmの100万分の1)の小ささだ。とても弱っちいヤツなのだ。それが生き延びるには宿主の手助けが必要だ。幸いにして人間は優しい・・・。ウィを応援してくれている。ウィルスの猛威、なんてありえない。人間が育ててくれたのだ。自然界はバランスがある。人間が壊してくれたのだ。自然界は免疫力がある。人間が低く下げてくれたのだ。今、ウィは調子に乗っている。が、ウィは単独で生きられない。宿主がこれ以上生命力を下げると・・・。ウィの死活問題にもつながる。ウィは今、悩んでいるのかもしれない。人間達よ、もう少し、目を覚ましてもいいんじゃないか
2006/12/25
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半物質のウィは「意識」で物質化する。地球上では人間の意識が最も強力なのだ。これが人間が他の生物との違いだ。人間だけ「意識の力」が強力なのだ。それが「文明」とやらを創った元だ。ウィにとっては人間の意識は脅威でもある。使い方を間違えなければ・・・・。だが、人間は使い方の間違いが得意なのだ。ウィにとってはラッキーだぜ。勝手にウィを繁殖する手伝いをしてくれる。人間って・・・優しい・・・。具体的に意識する。最近ではTVなどで形を見せる。ウィの写真を発表する。あんなの見せても研究者以外は役に立たない。人間はウィの姿を想像する。意識して、実体化の手伝いをする。恐れというのは意識の力が強い。マスメディアは報道、情報の名で繁殖の手伝いをしている。恐れの波動は実体化の手伝いなのだ。各自がウィをイメージすればするほど、ウィは増える。別のイメージを使えば、ウィは実体化できない。さあ、どうする?
2006/12/24
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ウィルスは宿主が決っていた。だが最近は変種が出てきた。鳥ウィルスが人に感染した。これは、とても大きな出来事なのだ。国連で問題にしたのも当然なのだ。人類全体が大打撃を受ける可能性が高い。人と人との戦争準備をしている場合じゃない。戦争を利用し利権や理想を描いている場合じゃない。美しい国は言葉じゃなく、政治家の後姿で見せてみろ。醜い陰謀を秘めても言葉は美しく飾れるものだ。法律で統制し美しい心や国が出来るはずが無ぇだろ。首相大臣等が美しい中年、老年男の顔になってみろ。出来ねぇだろ・・・。この国の国会議員は皆ヒトラーに似てきている・・・。しかも・・・薄汚い卑怯者の器のまま・・・。と、今日は話が脱線だぁ・・・(ワシも国家反逆者としてイジメられるのかなぁ・・・この国の政治や行政はイジメが得意だからなぁ・・・それでいて、イジメはいかん!などと言うんだぁ・・・言葉じゃなく、態度で示してくれよなぁ・・・)
2006/12/23
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思い出した。誰が言い出したか知らない。癌ウィルス説というのがあった。詳細は知らない。ワシ的には納得できる部分がある。ワシは癌のクライアントが多い。そこで気づいた事が沢山ある。癌は他の病気を違う点が幾つかある。あるいは病気の象徴的特徴かもしれない。その一つに「意識影響」がある。一般的なウィルスの概念と違うかもしれない。ワシ的にいう、ウィルスの前段階だと思う。意識で発生し成長する。という事は・・・意識で発生を止め、成長を縮小もできるのだ。だが、癌は今回のテーマではない。一言・・・癌は怖くない。
2006/12/22
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無から生じる仕組みの細かい説明は省く。メンドウだからだ。とにかく、無と有の間に半物質がある。無から半物質になるには「意思」がある。半物質から物質になるには「意思」の集合がある。ウィの大きさだ。ナノメートル単位だ。1mmの100万分の1単位だ。だが、その前段階がある。もっと、もっと小さい・・・。だが、今の人間テクノロジーでは量れない。人間にはテクノロジーより優れた判断力がある。感性というヤツだ。科学の分野ではない。だが優れているのは事実だ。当たり前なんだが、有識者では理解できない。まぁ、仕方ない。理解する柔らかさは「頭」ではないからなぁ。ウィは・・・半物質の機能を少し持っている。だから厄介なのだ。自由に変化できるのだ。それは、人の意識で変化するという意味になる。
2006/12/21
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無から有が生じる。この世は全て無から生じた有なのだ。宗教の世界観はあなどれない。最近になって、量子物理学が少しだけ証明できるようになった。ある線を超えた小さいモノは、物理法則を無視している。やっと科学は古の宗教観に追いつきだした・・・。遥か古「氣」という概念で説明した。古代インドや古代中国や古代日本だ。「氣は万物の根元である」ワシの創作言葉ではない。広辞苑か何かに書いてあるぞ。生物は無から生じる。これも証明した科学者がいる。だが最先端の学問は一般には受けない。理解を超えたら、拒否されてしまうのだ。それも知識者といわれる人ほど拒否反応が強い。人間の度量は、とらわれているモノの多寡で決る。頭のいい人達は既成学問にとらわれているのだ。あ~、心の小っせえ連中だ・・・。
2006/12/20
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ウィは長い間、ずっ~と潜んでいたのだ。ウィの仲間は多種多様にいる。それぞれの宿主に潜んでいた。人間用のウィは人間の発生からずっ~と潜んでいた。相思はしないから相棒でも友達でもない。相愛もないから夫婦でも恋人でも愛人でもない。ウィの一方的な、こっそりした、長い付き合いなのだ。だが人間は自ら崩れてくれた。ウィにとってはラッキーだぜ。これからは俺達(ウィ)の天下だぜ。俺達が強いんじゃない。人間が弱くなってくれたのだ。生命力の強さは遺伝子を安定させる。生命力の弱化は遺伝子を狂わせる。ウィは遺伝子操作で増えるのだ。だからウィを問題にしている人間界は本末転倒。問題は人間側なのに・・・。
2006/12/19
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細菌は最近では正体がつかめる。だがウィはまだまだ未知の生物?だ。遺伝子を簡単に操作してしまう。遺伝子操作はウィの得意技術だ。人間の遺伝子学者なんてウィ以下なのだ。ウィに対してちょっかいを出す。すると、すぐに耐性用に改造してしまう。人間がウィを研究する時間より対応が早いのだ。そういう方法では圧倒的に人間の不利。遥か昔からウィはいたのだ。だが猛威をふるうことはマレだった。何故か?人間を含めた地球上の生物達の生命力が強かったからだ。ウィは強い相手には弱いのだ。強いというのは生命力の強さだ。
2006/12/18
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ウィは細菌と比べられない。元々別の生き物?だ。地球生物と宇宙生物くらいの違いがある。人には困ったモノ達だが、一緒に考えてはならない。大きさがまるで違う。構成が違う。性格が違う。生き方が違う。細菌がヤクザなら、ウィは詐欺師だ。ヤクザは勢力(仲間)を自分で広げる。ウィはこっそり騙して、他人に(自分の)子供を産ませる。ウィは他人がいないと、閉じこもりで何年も過ごすのだ。細菌は勢力が無くなると死んでしまう。ヤクザ(細菌)は威勢がいいと強い。一人だと弱い・・・死んでしまう。ウィは一人でも、こっそり生きる。ウィは根性無しだが、生き延びる。
2006/12/17
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ワシの書く事だ。信用してはならない。独善と偏見と当てずっぽうで書いている。正確に知りたかったら、自分で調べてくれぇ。細菌は自分で増殖できる。細菌は自立心がある。条件さえそろえば、自力で増える。最近の日本人のアンチャンより自立心がある。親にすがっている日本人のアンチャンは細菌以下なのだ。他人に迷惑をかけるところは似ている・・・。ウィルス・・・愛称はウィ。ウィは細菌のような根性がない。ウィは自立心がない。自分一人では生きて(増殖)いけない。他の生きている生物(細胞)に寄生しないと増殖できない。ウィは日本人のアンチャンに似ている。
2006/12/16
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死んだら、全てが消えると思っている。苦しみが消えると思っている。死ねば楽になれると思っている。本気で思っている・・・らしい。人間の考えなど間違えだらけだ。歴史が証明している。本人の過去だって証明している。間違えなかった人は誰一人いない。むしろ、間違えだらけに近いはずだ。だが、意識の深い底は知っている。だから葬式を行う。命日に手を合わせる。幽霊を心の底で怖がる。死者を物体として扱わない。なのに・・・死んだら消えると思っている。死後を科学的に証明できないという理由で。自分は超二大偉人より賢いと思っているらしい・・・。科学が間違いだらけなのは歴史が証明している。日進月歩なのは、修正の連続だからだ。修正があるのは、間違いの連続だからだ。人間は・・・愚かだから人間として生まれている。愚かだから、愛する対象として存在している。愚かだから、愛される対象として生きている。生きているのは、愛し愛される為なのだ。と、超二大偉人は話したのに・・・。
2006/12/15
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未だに多くの人達が勘違いしている。肉体が死ねば「苦しみ」は終わると思っている。逆だ、と超二大偉人は言うのだ。生きていれば「苦しみ」は消える。死んでしまえば消すチャンスを失うのだ。長い時は少しづつ「苦しみ」をも解放する。が、その時間は肉体がある時間と比べものにならない。肉体が無いと解放には何百年もかかってしまうのだ。肉体は、とても稀有で有り難い存在なのだ。超二大偉人は人々の「苦しみ」を引き受けてしまう。同調してしまう。とてつもない大きな優しさ故に。だから、生き続ける大切さを論じたのだ。肉体(物質)への優しさを説いたのだ。それは、この世にある全ての存在への愛だった。全ての存在への慈悲だった。
2006/12/14
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ブ「理解は理の解放さ」キ「解放できなければ、大切にするだっちゃ」ブ「優しくすれば、何とかなるぜ」超二大偉人は「肉体の意味」を話している。ゲ「いずれにしても、優しく大切にするんやねぇ」キ「だからボクは、愛、だけと言ったっぴ~」ゲ「肉体の破滅が唯一最大のタブーでんな」ブ「酷使するのも同じさ」キ「自他あらゆるモノに対しても、だっちゃ」ゲ「生きるのは・・・たった一つだけ守ればいい・・・」ブ「正義や真実なんて振りかざすモノじゃねぇ」キ「生命は愛そのものだっちゃ」どうやら2000年の間の人類の生き方に溜息している。い、いや、少しだけ、溜息している。最近の生命の軽視に、少し溜息している。珍しく、陽気な御二方が少し嘆いた気がした。人類が自らの愚により絶滅するとは思わない。が・・・・その大部分が亡ぼうとしているのは間違いないだろう。亡びには苦しさが必ずつきまとう。亡んでも苦しさは続く。解放されるまで、苦しさだけは続くのだ。まぁ、しょうがないかぁ・・・。(肉体)生命の意味に気づかないなら・・・。
2006/12/13
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ブ「真実が一つ、なんて石頭の思い込みしているから争うのさ」ゲ「各宗教はそう言ってますよ~。御二方が作ったヤツも・・・」キ「ヤツ、だって。ゲシュはんも砕けたっぴ~」ブ「俺は真実なんて追うな、って言ったのになぁ~」キ「弟子達は真実を追え、って聞いちゃったのねぇ」ゲ「キリちゃんの宗教も同じやで」キ「どうして、こんなに誤解されるのかなぁ?」ブ「真実が一つだと価値があるからさ」ゲ「真実だらけなら価値がない・・・。各宗教のウリが無くなるわけ・・・。」キ「ウリなんて無くていいだっちゃ。」ブ「気づく事は皆同じなんだからよ。宗教心は大切でも、宗教組織はいらねぇんだよ」ゲ「真実を掴んだ、なんて言う人に騙されなくなりまんな」ブ「サトリはヤキトリより役に立たねぇんだぜ」キ「しかも一つしか掴んでないし・・・」話の内容はイマイチだったが、純米吟醸酒は美味しかった。
2006/12/12
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ゲ「御二方も精一杯、生きたんやねぇ」キ「ゲシュはん、言葉使いが違うだっちゃ」(キリストのメチャクチャ言葉使いに言われたくねぇ・・・)ブ「ず~と生き続けているままだぜ」キ「時々、世界中の色々な国に遊びに行ってるっちゃ」ブ「2000年間、めまぐるしい変化の人間社会だぜ」生死を超える、というのは物質、非物質も自由らしい。肉体を持った人間にもなれるようだ。人間界に飽きると、この楽園に戻っている。ここ楽園では、半物質(肉体)で過ごしているようだ。ゲ「納得しました。半分だけ・・・」ブ「それでいいのさ」キ「歌も歌える。メシも食える。笑って過ごせるっちゃ」ゲ「大分、教わった楽園と違うから・・・」ブ「意識で彼岸も此岸も世界を創っちまうんだ」キ「肉体が無い世界だと思っている人は、そういう世界にいるっぴ~」ブ「あの世もこの世も天国も地獄も一つじゃねぇのさ」
2006/12/11
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聖書にある「死んでも生きる」の意味。要は・・・いいかげん、という事かぁ。ただし・・・達人用の言葉だ。深さの理解段階がある。理解は心の柔らかさで進めるのだ。いいかげん、は心の柔らかさだ。ブ「肉体が有るのは有り難ぇんだぜ」キ「そ。理解できなくても変化するだっちゃ」ブ「だから、簡単に死んじゃならねぇんだ」キ「ボクぁ、死ぬ事、殺す事を禁じたんだ」ゲ「死んでも生きる為に・・・」ブ・キ「そういうこと」肉体界は精一杯生き続ける事だけに価値がある。難しい勉強や修行はいらない。ひたすら生き続ける事。二人の超偉人のメッセージは簡潔だった。それが、生死を超える扉に繋がるのだ。
2006/12/10
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キ「肴は焙ったイカでいい~♪オンナは太めの人がいい~♪」キリストは酷い音痴で歌いだした。キ「・・・八代亜紀は・・・泣ける・・・」ブッダもゲシュナムも大笑いだ。ブ「生死なんてマジメな話は不マジメに聞く。不マジメな話はマジメに聞いて深さを知るのさ」ゲ「いやね、フッと疑問が湧いてしもうて・・・。死んでいるはずの我々が何でイタリア料理を食べるのか」ブ「楽しいからさ」ブッダはあっさり言った。キ「歌うのも、料理するのも、食べるのも愉しい~♪」ブ「生きる事は愉しい事さ」ゲ「我々は・・・生きてると?」ブ「まぁ、そういうこった」キ「生死の境なんて、有るような無いような」
2006/12/09
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ゲ「我々仏教徒は肉体的な死にこだわらないと教わりました」キ「キリシタンも同じだっちゃ」ゲ「でも、この世とあの世という概念も持ちました」ブ「ゲシュはん。理解は段階があるぜ」ゲ「解っております。理解度によって正反対の例えも当然のこと」ブ「理解の段階によって、いろいろな世界を創っちまうんだ」キ「どれもが真実になるから、この世はやっかいだっぴ」ゲ「真実は一つじゃないのですか?」ブ「それが勘違いの大元だぁ」キ「ゲシュはん、関西弁じゃなくなってるっぴ」ゲ「おぉ、ホンマでんなぁ」ブ「真摯な仏教徒と関西漫才のゲシュはん。どっちも一人だぜ」ゲ「真実は全部。全部は一つ・・・」ブ「マジメだけの弟子達に言っても解らねぇさ」キ「不マジメなゲシュはんなら、違う話が出来るっちゃ」ブ「マジメと不マジメを自由に行き来する事も言ったんだけどなぁ。あいつら、俺の不マジメを無視しやがった・・・」ゲ「何でもいいけど・・・有り難いことで・・・おますなぁ」ブ「そうこなくちゃ。まぁ、一杯やろうぜ」何処からか純米吟醸酒の一升瓶が出てきた。素焼きのぐい飲みも三個テーブルに乗っている。此処(楽園)って・・・便利!
2006/12/08
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(天国・彼岸はアンタ達二人の超偉人が解説したのに・・・)とゲシュナムは心で思ったが、口には出さなかった。超偉人に会えるのは奇跡みたいなものだ。しかも見える世界と見えない世界を解説していただけるのだ。ゲシュナムはここに来られた事を感謝した。それにしても、この二人の偉人は伝えられているのと違う。ホンモノは会ってみなけりゃ解らない。出来れば触ってみた方がいい。伝えられたイメージなんて当てにならない。この超偉人達は明るく素敵なオッサン達だ。伝法な口調のブッダ。ダメオヤジのキリスト。側にいるだけで温かくなる。とても気楽になれる。ホンモノは優しいのだ。偉大なのは真理を悟ったからじゃない。偉大に優しいからだ。優れているのは能力じゃない。とても大きな優しさだ。優しさは気楽なのだ。
2006/12/07
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ゲシュナム・リンチェンは突然疑問が湧いた。美味しいイタ飯を食べたのだ。普通なら、それで良しとしようぜ。だが高僧になるまでマジメに修行した。深く考える癖が残っていたのだ。ゲ「ハイ!質問で~す」ゲシュナムは元気よく右手を上げた。偏袒右肩だ。(注:右肩を露出している)腋毛は薄い。ちなみに、キリストが一番毛深い。ブ「何だえ?ゲシュはん」ゲ「我々は、死んでいるんですよね?」キ「う~mmm・・・そうとも言うだっちゃ」 相変らず、キリストはラムちゃん言葉が気に入ってる。ブ「そうかぁ、仏教は死を境に考えるもんな」ゲ「祖はアンタ(ブッちゃん)なんだけど・・・」 と小声でブツブツ言う・・・。ブ「そもそも死なんてあるのかぁ?」ゲ「肉体的には有りで、魂的には無しでしょ」キ「ゲシュはん、そんなにキチンとしてないっちゃ」ブ「そう。肉体も魂も境なんて無えぜ」キ「あの世もこの世も境は無かったぴ~」 相変らず、メチャクチャな言葉使いだ・・・。
2006/12/06
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計算して独善解釈しているわけじゃない。この雑記はその場しのぎで書いている。やっつけ仕事というか、手から出任せというか・・・。そして結果は自分に都合の良いように書かれている。なんてワシは素晴らしいのだろう・・・。ワシの「忘れる」能力の高さ。誰も褒めてくれないけど、ワシが褒めてくれる。独善、万歳だぜ。ブッちゃんが示した「放下」の大切さだ。その深い位置から実践できるのが「忘れる」事だ。ワシは深い、深すぎる能力を持っていたのかぁ・・・。ワシはタダモノではなかったのね・・・。「放下」の奥境地に「忘れる」がある。ワシのボンヤリも達人の特徴かもしれない。道(タオ)の達人・・・。そうだったのかぁ・・・。精神世界スキスキ人間は勘違いをしていたのだ。道の達人は導師と呼ばれるマスターだと勘違いしていた。本当の達人は他人を導いたりしないのだ。導けないのだ。他人に対しては・・・役立たずなのだ。タダのボンヤリ人間だったのだ。ワシは達人クラスにいたのかも・・・。
2006/12/05
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放下の放下は「こだわらない」という事だ。だが「こだわっている事」を「放下」するのは結構難しい。こだわってない事は最初からどうでもいいのだが・・・。それに、何かに執着するのは生きる力にもなる。執着しすぎると、生命を削る事にもなるが・・・。あぁ、やっかいですなぁ・・・。心や精神を鍛えるのは難しい。「清浄に静寂に」なんてのは理屈だけだ。実践的ではない。そんな事を言う人は、実際は無理だと知っているはずだ。心はとても複雑に歪んでいるんだぜ。精神なんて、一生で少し和らげれば上等だと思うぞ。この世は修行だぁ、なんて無理すると無駄になる。ところが「忘れる」事は無理しなくてもいい。自然に忘れてしまう。自然の摂理(神の意志)に添っている。すると神様も褒めてくれる。褒めていただけても、忘れているから解らないけど・・・。それがいいんだよなぁ。
2006/12/04
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「忘れる」という能力をグレちゃん(創造主)は授けた。人間への優しさで授けてくれたのだ。「放下」は確かに幸せへの方法の一つだ。だが執着心という厄介な癖も心にはある。そこで「忘れる」という能力を付加してくれたのだ。それなのに最近の人社会は歪んでいる。忘れない事に価値を置いている。不幸になりたいんだぁ・・・。忘れないように必死に脳を働かす。不幸になりたいのかぁ・・・。ワシは神様に逆らわない。「忘れる」事を喜んでいる。だから祝福される。ラッキーだぜぃ!
2006/12/03
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「放下」にもこだわらない。「放下」も放下する。荷物は持ってもいい。持たなくてもいい。手枷足枷が好きな人もいる。自由とはそういう事なのだ。偉人は何も持たない。信者も持たないのだ。宗教組織も持たないのだ。その身の生き方だけで示した。学びたいヤツぁ、勝手に学べばいいさ。ブッちゃんもキリちゃんも同じく言った。弟子達は・・・学んでいなかった・・・。ワシは手枷足枷は苦手だ。SでもMでもない。荷物はあってもいいけど重いのはなぁ・・・。元々忘れ坊だ。荷物があっても置き忘れるタイプだ。「放下」しなくても忘れてしまう・・・。
2006/12/02
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ワシは放下を理解した(つもり・・・)。するとブッちゃんやキリちゃんが魅力的なオッサンだと知った。現代の二人のイメージは間違っていると解ってしまった。もっと、もっとヒョウキンで楽しいオヤジだった。いつも笑い顔で話していたと確信できた。だって守るモノなんて無い。持つモノなんて無い。何も無くても大丈夫。持たざる者はラッキーだぜ。神に抱かれるだけで生きていける。キリちゃん(キリスト)はそう表現したのだ。大元(キリちゃん)が自由でも弟子達は相変らずだ。今では教会や派閥や教えを守る為にマジメ一本になっている。キリちゃんも苦笑するほかない・・・。教え方が下手だったということで・・・。でも、まぁ、いいかぁ。苦しむのは本人達(信者)だしぃ。
2006/12/01
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