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第五章(2) 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是「色即是空」の直訳。「この世(色)は実体が無い(空)」味気無ぇ・・・。少し加味しても「物質界(色)は見えない法則(空)と離れてない」・・・まわりくどい・・・。そんな言われ方しても、誰も意味がわからない。タヌキや妖怪や字も書けない人達に通じない。通じないような言葉をブッちゃん(仏陀)は言わない。一部の人達だけが、ウンウンと頷くような狭い経じゃないのだ。ツマラン直訳はやめようぜ。せっかくの名文句だ。ブッちゃんは自信満々に言った。「この世の出来事は(色)、どうにかなるさぁ~(空)」
2007/09/30
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第五章(1) 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是「色即是空」心経で一番有名な言葉だろう。「色っぽいネェ~チャンは即ち頭が空だ」この迷訳も捨てがたい・・・。だが、ブッちゃんは色っぽいネェ~チャンを差別しない。ワシも差別しない。贔屓もしないけど・・・。まぁ、色っぽいのは個人的趣味だから、どうでもいい。ここもマトモに直訳しては心経が活かせない。第四章で「色不異空・空不異色」と言ったのだ。話し言葉だということを忘れて訳すと繰り返しになる。しつこいのは・・・嫌われる。マジメの繰り返しは・・・うっとうしい。魅力的なオッサンのブッちゃんやゲンちゃんだぜ。マジメの押し付けなんざ、するもんかぁ。
2007/09/29
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第四章(11) 舎利子 色不異空 空不異色ワシ的訳。「お前ぇよ~、この世は空しいよなぁ~。だけどよ、空しいって事はさぁ、苦しさだってイイカゲンってことだろ。ならば、空しさが救いになるじゃねぇか」ブッちゃん(仏陀)が舎利子に語った。同時に多くの苦しむモノ達に語った。冥想を通じてアクセスしている玄奘に語った。心経の活用がここにある。心経はブッちゃんの優しさに直接触れる事ができる。空しさが救いとなる。そうでなければ「空」の説明はいらない。救いにならない「真実」などいらない。「空」だから、救われるんだぜ。
2007/09/28
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第四章(10) 舎利子 色不異空 空不異色色不異空と空不異色。何故続けたか?同じような言葉を何故続けたか?話し言葉なら納得できるのだ。「空しいよなぁ(色不異空)」「だけど、空しさが救いだぜ(空不異色)」二つの言葉で優しさが溢れるのだ。これを字面だけで訳したのでは味気無い。正しいかもしれないが、心が通じない。この後も同じようなパターンが続く。優しい話し言葉だから、同じような単語になる。だから訳を変えてこそ、活きる。経は、活かして、初めて役に立つのだぜ。
2007/09/27
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第四章(9) 舎利子 色不異空 空不異色ここからの話言葉は優しさに満ち溢れている。真実に満ち溢れているのではない。真実は・・・人間では判断できない、と思う。少なくても、ワシに判断できないのは間違いないぜ。優しいから言葉が重なる。似た言葉が続く。優しさは幾らあってもいいのだ。真実の言葉なら、似た言葉などいらない。当たり前だろ。ゲンちゃんを通してブッちゃんが語る。ゲンちゃんの書いた心経を通して語る。心経は優しさに満ち溢れている経だ。真実などにこだわってない。だからウソも例え話も平気で語る。相手が元気になるなら、ウソくらいつくさぁ。
2007/09/26
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第四章(8) 舎利子 色不異空 空不異色苦しいモノ達は真実を求めているのじゃない。救い、を求めているのだ。この世の真実など、どうでもいい。そんなのにこだわるのは、出来の悪い坊さん達だ。精神世界に触れて理性を失ったサトリマニア達だ。ブッちゃんは、優しいから仏陀(目覚めた人)に変わった。真実を求めての修行は失敗した。だが、優しさに目覚めたから、仏陀になったのだ。真実にこだわっていたら、仏陀にはなれなかった。ゲンちゃん(玄奘)も同じだ。優しいから(見えない)天竺まで行けた。優しいから、解りやすく心経を書いた。優しさが「救い」になる。真実(を求めるの)は・・・趣味だ。文字にすれば短く硬い。だが、話すのは柔らかい。アイマイな言葉になってもいい。目的は「救い」なのだ。
2007/09/25
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第四章(7) 舎利子 色不異空 空不異色話言葉だからこそ、優しく説明している。経に書けば「空不異色」。実際は優しい目のブッちゃんだ。全てが愛おしい存在達に話しているのだ。「ひょっとしたら・・・空しいというモノがあるとして、それが、この世にある全てに入っているかもしれんなぁ。様々な事は実際にあるけど、常に変化して、イイカゲンだしなぁ」「苦しさもあるけど、楽しい事にも変わる時がある」「誰かが死んでも、誰かが生まれ変わる」「病気にもなるけど、健康になる時もある」「イイカゲン(空)だからこそ、この世は(色)救われるかもしれんぞ」
2007/09/24
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第四章(6) 舎利子 色不異空 空不異色日々、生きているのだ。いろいろな事がある。いろいろな苦しみがある。何故苦しみがあるのか?ブッちゃんが出家したキッカケだ。人やケモノや妖怪の苦しみを観てきたのだ。苦しみがある事を観てきたのだ。「苦しみは実体がない」という表現もできる。でも、それだけでは心に響かない。苦しみを実感しているモノ達がいるのだ。心経という濃縮した熟字では「色不異空」。だが、ここは話し言葉だぜ。そのままの訳では話し言葉にならない。そのままでは心に響かない。「生きているって、いろいろあるよなぁ」「苦しい事も楽しい事もあるし、年もとるよなぁ」「生まれてくるモノもいるし、病気になるモノもいる」「川の形も変わるし、村だって変わる」話し言葉の「色不異空」はこうだったろなぁ。
2007/09/23
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第四章(5) 舎利子 色不異空 空不異色「色不異空」の直訳。「物質界(色)は実体がない(空)と同じ(不異)だ」文章としては、何だかなぁ・・・。禅問答マニアなら喜ぶかもしれんが・・・。第三章で「五蘊皆空」とアッサリ書いちゃったのだ。五蘊には色がすでに含まれている。だから、そのままの訳をすると「それ、さっき聞いたから」と指摘される。心経はマジメに訳すと笑われる・・・。ブッちゃんが静かに話した言葉だ。「この世(色)は、空しいよなぁ・・・(不異空)」誰の心にも響く。苦しんでいる人々やケモノや妖怪の心に響く。ブッちゃんの話は響くから、聞き入るのだ。
2007/09/22
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第四章(4) 舎利子 色不異空 空不異色「色不異空」「空不異色」の二つ・・・。ほとんどの訳者は真面目だ。(い、いや・・・全員マジメかも・・・)だから、似たような訳を二つ並べる。心経なのに、それでいいのかなぁ・・・。心経はこのように似た言葉が多い。その都度、生真面目に訳す。・・・それじゃあ、芸がない。それに心経だぜ。余計な言葉は重ねない(と思う)。(後半部分に例外があるけど・・・)言葉は似ていても、訳は別にしよう。訳は意味だろ。言葉にこだわっては、意味の深さが伝わらない。幸い、日本には俳句・短歌がある。心経の訳の心構えは、アレだな。
2007/09/21
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第四章(3) 舎利子 色不異空 空不異色ワシの訳は「お前ぇよ~」だ。ワシのブッちゃん(仏陀)イメージがある。べらんめぇ口調のオッサンだ。もちろん、魅力的であるのはいうまでもない。カンちゃん(観音)が舎利子に話しかけたと訳されることが多い。観自在は各自の内を観る方法(冥想)だ。カンちゃん(冥想)が話してくれているという表現でもいい。だが、観音菩薩という特殊な存在が話しているのではない。ブッちゃん(の観自在)が話している。それをアンタ達(玄奘も)の観自在が仲立をしている。舎利子に話しかけていながら、アンタ達にも話しかけている。ブッちゃんがアンタ達に直接話しかけているんだぜ。心経って、気分がいいと思うぜ。
2007/09/20
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第四章(2) 舎利子 色不異空 空不異色「舎利子」は呼びかけの言葉だ。「お前さん・貴殿・アンタ・君」なんでもいい。一応ここから話言葉に変わるからだ。場面は、二つ(以上)の世界に重なる。仏陀が舎利子(シャリープトラ)に話しかけた。同時に幾つかの場面が重なる。冥想で同調した玄奘に話しかけた。心経を通じて、読者に話かけた。どれでもいい。「行深」中だ。2600年前の仏陀と同調する。仏陀も舎利子も実在人物だ。丁度、その場面に同調したのだ。冥想は時間と空間を超えてしまうのだ。
2007/09/19
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第四章(1) 舎利子 色不異空 空不異色第二章、第三章で一区切り。「まぁ、何とかなるさぁ~」ということだった。第四章以降は更に細かく、繰り返しの言葉が続く。幾ら説明しても、言葉では説明出来切れないからだ。様々な理解段階があるから、繰り返しは無駄じゃない。「舎利子」は実在人物名。でも経だから、もちろん比喩でもいい。経はマトモに受け取ってもいい。経は、とてもヒネクレているのも事実だ。どんな段階からでも活かせるようにできている。この世を創ったグレちゃんはヒネクレている。超素直という表現でもいい。ヒネクレと素直は表現の違いだ。素晴しい経もグレちゃん(の仕組み)に対応する。どっちだって、いいんだなぁ・・・。
2007/09/18
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第三章(12) 照見五蘊皆空 度一切苦厄「度一切苦厄」の部分はゲンちゃんのオリジナル。原文にはない言葉らしい。ゲンちゃん(玄奘)は何故この言葉を付け加えたか?膨大な原文の心(しん)を書いているのだ。余計な言葉など、通常なら挿入しない。だが、ゲンちゃんは加えた。それは、この心経が頭で書いたものではないからだ。「観自在菩薩行深」は「深い冥想」だ。ゲンちゃんは行深しながら書いた。すると大元のブッちゃん(仏陀)と同調したのだ。つまり、この言葉はブッちゃんの言葉だった。それも抜かす事の出来ない言葉だったのだ。原文を書いたのも高僧だろう。だが、ゲンちゃんは原文を超えて心経にした。直接ブッちゃんの言葉と繋がったのだ。その証拠がこの「度一切苦厄」の部分なのだなぁ。次章からは話言葉の部分になる。何故、話言葉になるのかは、ここにヒントがあったのだ。このとらえ方はワシの独解だ。だが、ワシだけのオリジナルではないと思う。
2007/09/17
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第三章(11) 照見五蘊皆空 度一切苦厄ワシ的訳。「この世は全部イイカゲンだぁ~、と解るぜ。苦しさや辛さは、皆幻みたいなもんだ。だから、どうにかなるから安心しなよ」これなら誰にでも話が通じるだろ。この第二章と三章だけで救われる。ケモノや妖怪や、ついでに人間にも通じる。聞くモノ達は嬉しくなる。難しい話など、誰が聞くか。そんなの一部のマニアだけだ。心経は簡潔で、やわらかく書かれている。救いや安心は「やわらか」にあるんだぜ。
2007/09/16
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第三章(10) 照見五蘊皆空 度一切苦厄「一切」は「一」を切る・・・。全てを切る、という訳でも通じる。「度一切苦厄」「苦厄」の全てを切って渡す。これでも意味は通じる。だが、ワシはヘソ曲がりだ。それでは面白くない。ワシは「切」を「幻」と訳してみた。すると「(どうせ)全て幻の・・・」となる。これも、オリジナルの訳だと思うぜ。ならば「度」も「勝手に渡ってしまう」ではイマイチ。ここは「どうにか、なるもんだ」と訳そうぜ。これでこの章の一文の意味が解りやすくなる。何しろ、ケモノや妖怪などに話しているのだ。
2007/09/15
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第三章(9) 照見五蘊皆空 度一切苦厄「度」は「渡る」の意味。渡す、ではなく、渡るのだ。勝手に渡ってしまうのだ。ど、何処へ?な、何が?「一」は「全て」という意味だ。始め、初め、という意味もある。「万(よろず)」を含む「はじめ」なのだ。「一」は深い意味を内臓している。ここでは「最初から(始め)から全て」だろうなぁ。「一」と「一切」は違う。「一切」を「全て」と訳すのが多い。「切」を強調字とするのは安易だと思うぞ。ゲンちゃんはナマケモノだ。膨大な経を省略して心経を書いたのだ。「一」と「一切」が同じなら「一」にするさぁ。そう思わんかぁ?
2007/09/14
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第三章(8) 照見五蘊皆空 度一切苦厄更にワシ流に「空」を訳す。「いいかげん」・・・。おそらく、日本でワシ一人だけだろう。「空」を「いいかげん」と訳したのは。だが、ゲンちゃんは頷いてくれると思うぞ。この世は全て、いいかげんだぁ~。(五蘊皆空)自分で書いていても、惚れ惚れする訳だなぁ。多分・・・書かされているのだと思う。時々、御筆先様が下りるのだ。「空」が「いいかげん」なら「寂」も同じだ。誰の心の底にも「いいかげん」がある。無常、万物流転。同じ意味だ。あらゆるモノは「いいかげん」なのだ。
2007/09/13
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第三章(7) 照見五蘊皆空 度一切苦厄誰でも心を持っている。誰でも宇宙に匹敵する心を持っている。だから、誰でも「空」を理解できるようになっている。ゲンちゃん(玄奘)はサービス精神旺盛だ。心経は幾つもの仕掛けで書かれている。「空」を理解する事。それは「冥想」の理解と実践。それは「この世」の姿を知る事。それは「自分」の姿を知る事。それは「こころ」の使い方。一つが万事。メンドウクサガリ屋の経典だ。何か一つ理解できればいい。理解とは実践が伴う行いだ。ゲンちゃんは、ホンマモンの高僧だ。だから、メンドウクサガリ屋なのだ。心経は短く深い。
2007/09/12
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第三章(6) 照見五蘊皆空 度一切苦厄素直に見れば、観えてくる。大抵は、そんなものだ。「空」を素直に見る。・・・み、見えない・・・・・・む、空しい・・・空(くう)は空(むな)しいモノなのだ。空と対応する心。それを仏教的には「寂(じゃく)」という。感情的な寂しさではない。心の底は知っている。心の底は「空」に通じている。本質に寂があるのだ。それは、何があっても揺るがないモノだ。素直に心を観れば、寂がある。寂は不安になる要素ではない。安心できる基礎となっている。「空」は頭で理解するモノじゃない。感覚で理解するのはマレだ。そういう時には心を使おう。心は宇宙に匹敵する大きさがある。心に反応させると「空」は観えるのだ。
2007/09/11
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第三章(5) 照見五蘊皆空 度一切苦厄「空」の意味がわからない。ならば基本に戻り学ぶ。基本の戻り方。素直になればいい。力を抜けばいい。ゲンちゃん(玄奘)はここでも宝物を用意した。経は宝物がアチコチにちりばめられている。どんな人でも見つけられるようになっている。その人が見つけられる宝物がキチンと用意されている。心経なら、更にそれが濃い。その人は自分が見つけた宝物が心経の宝物だと思っている。「こ、これは!!」他の人にも教えようとする。「心経の隠された宝物(意味)」と思い込んでしまう。だが、それは、その人用の宝物なのだ。心経は宝物の宝庫のような経(みち)なのだ。だから心経の解説は多い。
2007/09/10
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第三章(4) 照見五蘊皆空 度一切苦厄「皆空」は「ぜ~んぶ空だぁ」だけど・・・。「空(くう)」の解き方が、ちょっと重要。解説者によって様々。まぁ、大きく分けて二つ。「何も無い」と「空という構造」が二大派閥。ワシは独善、独自、ユニークが身上(身下?)。当然、二大派閥には属さない。そして、何かわからなくなった時、基本的な解き方を知っている。迷った時、どうするか?基本に戻る。わからない時、どうするか?基本に学ぶ。基本は深いけど、難しくはない。
2007/09/09
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第三章(3) 照見五蘊皆空 度一切苦厄「(この世の)全て」と書いたら曖昧すぎる。ゲンちゃんは優しい。この世とは何か?ついでに、そんな事も解説してくれているのだ。心経は、サービス満点の経なのだ。この世は「色」と「受・想・行・識」だぁ。色は見える世界で共通。受・想・行・識は見えない世界で個人的。この世の認識は(通常は)個人の認識なのだ。認識は更に四つ(受想行識)に分別される。この世とは。五蘊だぁ。み、短けぇ・・・。ゲンちゃんは優しい。だから更に易しく説明する。更に続けて五蘊を解説するのだ。心経はしつこく、しつこく、同じ事を解説する。
2007/09/08
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第三章(2) 照見五蘊皆空 度一切苦厄「五蘊(ごうん)」は「五つの集まり」の事だ。だけど仏教用語だから決められた意味がある。色・受・想・行・識の五つだ。一応、(認識する)この世の五つの要素だ。この後の文にも重複して書いてある単語だ。しょうがないけど、従うかぁ・・・。ワシが勝手に五つ集めるわけにもいかないのだ。もし、ワシが勝手に集めるとしたら・・・色恋・甘受・妄想・乱行・非常識・・・。おぉ~!意味は繋がったなぁ・・・。色は「いろ」じゃなく「しき」だぜ。「いろ」は見えない世界側。「しき」は見える世界の全て。つまり「物質」のことだ。色界とは物質世界のことになる。色恋沙汰は、感情世界(見えない世界)。アレコレ、うっとうしい事柄らしい・・・。メンドウクサガリ屋には苦手の世界だ。「いろ」と「しき」は同じ字でも正反対なのだ。混同しやすいよなぁ・・・。
2007/09/07
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第三章(1) 照見五蘊皆空 度一切苦厄前の文(第二章)。「超楽な状態(超力が抜けた状態)の時」の続きだ。「照見」は「よ~く見えちゃったぁ!」それは、秘密にするような事じゃない。よく見れば当たり前だったぜ、という意味だ。何かを解明する方向が二つある。一つは、自分から探求する。もう一つは、対象が勝手に姿を見せる。ほとんどは努力と精進で自ずから答えを見つける。・・・・エライ!何度も言うが、根性や才能のある人ばかりじゃない。ナマケモノだって、結構いる。いる、と思う・・・きっと、いるにちがいない。ワシは(自立した根性無しの)ナマケモノだ。だから他の人の事まで調べない。だが、ナマケモノだって「知る」方法がある。「見る(解明する)」方法がある。相手(対象)が勝手に明らかになってくれればいい。「照見」の意味は、この方に近いと思うぜ。
2007/09/06
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第二章(11) 観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時 ワシ的訳。「力を抜いて楽になろうぜ。もっと力を抜けば、超楽な状態(時)になるぜ」超偉人のブッちゃん(仏陀)やキリちゃん(キリスト)。何を伝えたかったか?難しい「悟り」を伝えようとしたのか?そんなはず無いでしょ。誰でも幸せに生きる方法のヒントを伝えたのさ。超偉人だから、超優秀。超優秀は超優しい人の事。人々やケモノや妖怪達が苦しむのが辛かったのだ。他の苦しみは、他人事じゃない。ならば、その逆もアリ。それぞれが、自分から楽になればいい。その方法のヒントが経典にある。(といっても、経典を書いたわけじゃないけど)
2007/09/05
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第二章(10) 観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時 「観音(観世音)」を「観自在」と書いた。ゲンちゃん(玄奘)はポイントをここに置いた。だから、本文の最初にもってきた。超優しいから、素直なのだ。「観自在」をどう訳すかで、心経全体が変わる。「偉大な観音様が、アレコレ・・・」と訳すと、一部のマニア心経になってしまう。心経は幅広く、奥や底が深く、上も高い。どんな訳も間違いではないけど・・・「観音」は偉大とか、聖なるとかは関係ない。「自在」という事実を「観る」行いだ。誰でも、どの中も同じに「在る」モノだ。妖怪や夜叉や鬼の中にも同じくある。三十三化身という言葉で「観音経」に書いてある。
2007/09/04
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第二章(9) 観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時 観音様はアンタの中にいる。自(分)に在るモノが観音様だ。自に在るなら、他にも在る。だから、全てに観音様はいる。観音様とは「観自在」なんだ。その「自在」を認めてごらん。それが「観」という事だ。「認める」とは「力を抜く」事だ。「力を抜く」事が「観る」という行いだ。力を抜けば、気持ちいい。楽になる。もっと、力を抜けば更に気持ちいい。もっと、もっと力を抜いてごらん。すると自を突き抜けて楽になるぜ。超、気持ちいい状態になるんだ。
2007/09/03
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第二章(8) 観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時 題字も大事だったが、一行目も大事だ。高僧は似たタイプになる。高僧とは優秀な僧をいう。優秀とは優しさが秀でている、という意味だ。優しくない高僧なんてありえない。魂や精神の進化という表現をするなら、優しさが基準になるだろう。当たり前なのだ。そして、他に教える事があるなら、優しさは易しさになる。これも、当たり前なのだ。優しいから、題字で(中)心を表す。一行目だけでも心(しん)を表す。ワシのように根性無しもいる。題字と一行目で力尽きる・・・。それでも大丈夫だぁ。とりあえず、題字が読めればいいよ。一行目でも読んでくれれば、いいんだよ。ホンモノの高僧が書けば、こうなるのだ。
2007/09/02
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第二章(7) 観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時 「般若波羅蜜多」は題字で説明したままだ。「とても楽な状態(智恵)」の意味だ。「時」は「その時」でいい。何も難しくない。力を抜くと楽になる。もっと力を抜くと更に楽になる。とても、とても楽な状態になれるぜ。当たり前の事を易しく優しく書いた。ブッちゃん(仏陀)が最初に説教したのは鳥やケモノ達。幸せに生きる事を示したのだ。説教というのは、誰でもわかるように示す事だ。字が読めない鳥やケモノ達が理解できるのだ。それは知識で理解する分野じゃない。ゲンちゃんもホンモノの高僧だ。だから、とても優しく示す。易しく示す。それが心経なのだ。
2007/09/01
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