江戸時代の中頃、旅をおぼえた民衆は、名所古跡を訪ね、古来の札所を廻った。西国33カ所の観音札所であり、坂東の札所である。しかし一般の庶民にとって、これら長距離の札所は高嶺の花で、とうてい巡礼することは出来ない。そこで考え出されたのがミニ観音札所や、四国八十八カ所になぞらえた新四国である。指定の山上古墳の中に馬頭観音が祀られ、窟堂と呼ばれる観音堂が建てられ、石段が積まれたのは何時の頃か、明和6年(1769年)には多胡郡、緑野郡、北甘楽郡内の坂東33所遷しの4番札所に選ばれたが、時は流れ、お堂は失せ、札所の伝えも忘れられてあたかも史跡への階段であるかのような、錯覚のみが残っている。
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