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エチオピアの黒人というと大人になるとすごく怖い感じのする人もいますが、本当に背が高くて鋭い目つきなので、でも、子供のうちは可愛いですよね。小職もこんな可愛らしい時期があったんでしょうか???飲料水のペットボトルをもらって嬉しいのは、ペットボトルの容器が結構重宝するという理由もありそうです。しかし、子供のうちからトレッドというんですか、おしゃれな髪型です。
2007年10月18日
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時たま行く街、池袋に行ってきました。この店ができるまでは、ほとんど行かなかったんですが、 ↓↓↓ジュンク堂立ち読みどころか、椅子まで置いてあって、そこに腰掛けて本を読んでもいいという書店。しかも、このビル全体にマンガから専門書まで取り揃えていて、すごいです。元々は大阪か神戸に店があったのに、今では丸善とか紀伊国屋以上に全国展開しています。中学生の頃、三宮にあったこの書店で英語の辞書を買って以来、淳久堂(昔はこう書いていたように思います)に行くと、つい本を買ってしまうという、へんな習慣が身についてしまいました。楽天プログランキングに参加してます。よかったらクリックしてね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2007年04月17日
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実は、今日2月20日は、小職の誕生日です。さすがに30才を超えたあたりから、誕生日はどうでもいいというか、段々齢を重ねるだけで、進歩もしない自分が嫌になって誕生日だからどうだという気持ちも薄れてきてましたね。 でも、今日はshigezohさんのブログで、私が好きな福寿草の写真をアップしていただき、やはり、誕生日は区切りで、その時に何か、自分が成長しているんだというような生き方をしなければ「いかん」という気持ちになりました。 福寿草は、春の早い時期、まあ、冬という時期に花を咲かせて、その子孫を増やす。春になれば、虫も多く受粉に苦労することもないでしょうが、まだ虫も活動が低調な時期に花を咲かせて虫を集めて受粉させるというところに、なんというか、新境地を開いていくような生き方に感じるものがあります。 昨年、亡くなった小職の恩師は、当時は誰もやっていないような分野(多分、今でも研究している人は少ない)の研究を続け、その道の第一人者として名を成され、しかも、弟子の末席に小職のような出来の悪い者でさえも加えていただいたのですが、恩師の「誰も論文を書いていない、そういう分野を少しでも進歩させる、ことに捧げてきた」生き様になぜか福寿草を重ね合わせて、福寿草を自分の好きな花とさせていただきました。 まあ、未だに、「あんたの専門は何?」と世間からは言われる小職で、また、恩師から最後に言われた言葉「あなたが、こんなになって、まだ仕事しているとは思わなかった」と言われる小職ですが、やはり、この道で、一旦、男が選んだ道を恩師のようにまっとうしたいと思っています。とはいえ、岡山市京橋のほとりにある迷子石に名前が貼られているようなものですが。馬鹿は馬鹿なりに頑張ってまいりますので、よろしくお願いします。しかし、同じ誕生日に「志村けん」がいたとは、なぜかがっかりしたような→http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data00/birth-0220.htm人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね楽天プログランキングに参加してます。よかったらクリックしてね。
2007年02月20日
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また、阪神大震災の1月17日が巡ってきました。もうあの日から12年目になるそうです。10年一昔とは言いますが、光陰矢のごとし、あれだけ破壊された三宮駅前に行っても、今ではその時の面影もないかのようです。 地震のあった時、私はインドネシアで仕事をしていて、調査でスマトラ島に居ました。現場の仕事を終えて、ホテルのプールで泳ぎ、部屋に戻ると、一緒に働いていたプロジェクトの人からFAXが届いていて、地震があったようだとのことでした。大変かもしれないので、至急ジャカルタに戻って来いということで、FAXを送ってもらった人に至急電話連絡して、翌日1番(1日に2便しか飛ばないのですが)の飛行機(インドネシア製の飛行機で途中でプロペラがよく止まった)に乗ってもどりました。 ジャカルタに帰っても、状況がわからないので、日本にいる本店の人に電話を掛けて情報を聞いたのですが、家族はどうやら無事ということで、安心はしましたが、ジャカルタ支店の人の方から、とりあえず健康管理休暇で帰ってもいいよといわれたので、それならば、帰った方がいい(まあ、そう言われなくても帰っていたと思いますが)ということで、次の日には成田空港にいました(クレジットカード持っていてよかった)。 その後、神戸の実家に戻るのが大変でしたが(当時、実家は被害の少なかった神戸市西区にあった)、なんと電車やバスを乗り継ぎ、帰りました。まあ、帰っても被災者の人になにかお役に立てるというわけでもなく、子供の時からの知り合いの人をお見舞いにいくだけで精一杯でしたが(ああいう時、被災した友達になんて言えばいいのか、わからなかった、でも、ああいう時でも、牛乳の銘柄指定をして飲んでいたM岡君は大物だ)、途中で見た、根元からひっくり返った阪神高速を見て、感じたことは、構造力学かなにかの教科書にあった。「土木工学における構造技術は、我々が、材料のことも、出来上がる形がどのような力にも耐えるかもわからないが、みんな疑いをもたない造形の芸術である」という言葉でした。三宮駅前のビルの被災状況 3階部分が押し潰されている 甲子園口駅前のビル一瞬にして粉々になったらしい そんなわけで、被災された人以外にも、私のように神戸をふるさとに持つ人、あるいは、当時、どんな形でも神戸に関係していた人には、当時の出来事は、どんなことであれ、忘れられないことだとは思います。 阪神高速の橋脚が壊れたことや、死んでいった人も6千人以上いて、寒い中で避難生活を耐えた人が沢山いたことも、いや、物理的には復興した(かのように見える)神戸の町へ行くと、最近はちょっと別の町になったのかな感じる元神戸っ子としては、それ以上に、あの当時のことが、本当にあったことで、M岡君が黙って瓦礫を片付けていて、その中で浜田温泉という銭湯が営業していて(大したものだ)、阪神電車が青木までしか通じてなくて、その電車に乗って通勤していたきれいなOLのお姉さんがいて、埃っぽい町の中でローソンが営業していて、そこで売っていたミネラルウォーターが美味しくて、I永君のお母さんがキャスター付きの鞄を引っ張っていて、避難所に置いてあるお握りのご飯粒が白くて綺麗で、・・・そんなことの一つ一つを、いつまでも覚えておこうと考えています。楽天プログランキングに参加してます。よかったらクリックしてね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2007年01月17日
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結婚してから、正月になると結構気を使って、気疲れしますね。 例えば、正月料理、カミさんが色々気を使って、おせち料理とかお雑煮と作ってくれるんですが、なかなか味が子供の頃から食べてきたものと違って、それなりに美味しいのですが、旦那の家の味に合わせるという、努力もあまりしていないようなので、つまり口には合わないというわけです。 個人的には、デパートのおせちセットみたいなねのでいいとも思うのですが、それはプライド(又は財政事情)が許さないようで・・・。 さらに大変なのは、カミさんの実家に行く時ですね。まあ、料理は上手いと思うのですが、沢山出してくれて、それを残すと悪いような気がして、全部食べる→体重が増える。という悪循環になるのですね。 そんなわけで、去年の年越し蕎麦は、近所のそば屋さんでいただきました。 結構、ボリュームもあって美味しかったですよ。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね楽天プログランキングに参加してます。よかったらクリックしてね。
2007年01月03日
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ロンドン名物の真っ赤な2階建てバスが、シェーン英会話の広告を載せて、11月3日(金)から都心を走っています。 銀座で、六本木で、渋谷で、ロンドンバスに遭遇したら、携帯やデジカメでパシャッと写真を撮って、メールで送信しましょう。 これで写真コンテストへの応募完了。上位10位までに入賞すると、かわいいミニチュア・ロンドンバスがプレゼントだって。 ところで、シェーン英会話のレッスンの特徴は、一切日本語を使わない英語のみのレッスンで、英語で英語を丸ごと理解する回路を脳に作り上げるということだそうです。 英会話を勉強するなら、本場ロンドンで練り上げた「シェーン英会話&留学:イギリス英語を学ぶ英会話レッスン」なんていいですね。
2006年11月10日
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