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引き続き、近くの小野川から霞ヶ浦を巡る川の流れシリーズを再開します。霞ヶ浦に流れ込む新利根川の最下流には大きな水門がありました。新利根川と霞ヶ浦をつなぐ水門近くでみると大きな構造物です。やや古びた感じがします。コンクリートの継ぎ目からセメントが流れでていますね。水門のある方はゲートも塗装され、コンクリートの堰柱も表面が化粧直しされていますね。やはり、新利根川周辺の住宅地や農地を洪水から守るために大切な水門だから、手入れしながら使われているのでしょう。ちなみにこの水門の管理は独立行政法人水資源機構でした。この施設は、舟通と呼ばれる施設で、霞ヶ浦と新利根川を行き来する船の通行のために設けられているそうです。
2010年01月14日
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稲敷大橋の手前を霞ヶ浦の入り江に沿って南に向かって行くと、冬でも水を張っている水田が、いやこれはレンコン畑です。そして、霞ヶ浦の堤防沿いには大きな建物がありました。大きな看板で「農林水産省伊崎排水機場」と書いてありました。農林水産省も排水機場を持っているのですね。どうやらこの川、「野田奈川」の排水を行っているようです。河川の排水は国土交通省以外でもやっているのてすね。確かに、この野田奈川の周辺には、水田が広がっていました。こういう水田を水害から守るのが農林水産省が排水を行う理由なんでしょうか?霞ヶ浦周辺の農地は平坦で地盤の標高は霞ヶ浦の洪水時の水位よりは低いので、やはりこのような施設が必要なんでしょうね。ということで、年末年始は帰省するので、ブログ更新はできないかもしれません。今年一年も温かいコメントなどいただきありがとうございました。それでは、みなさんよいお年をお迎え下さい m(__)m>
2009年12月26日
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和田岬からさらに東に向かうと、妙岐ノ鼻という岬があり、そこには大変貴重で広大な浮島湿地が広がっています。写真の右端が妙岐ノ鼻です。展望台があってバードウオッチングをはじめ、湿地の自然観察にはもってこいの場所ですね。この写真は稲敷大橋の上から撮影しました。稲敷大橋
2009年12月25日
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浮島のこのあたりは和田岬と呼ばれています。霞ヶ浦の湖岸堤防は整備されていて和田岬のあたりもこのように舗装もされ、休日には魚釣りを楽しむ人が繰り出していました。また、湖岸の道路はサイクリングにも最適なようですね。さて、和田岬の周辺は和田公園として整備されていますが、以前の浮島の周辺の名残のような湿原が広がっています。そして、小袖の浜と呼ばれた辺りも湖岸堤の整備に伴い浜辺を復活させるための養浜(ようひん)と呼ばれる取り組みが進められていました。おそらく石の突堤作ることによって、砂が流れ出ていかないようにしているのでしょう。この水辺の再生は水質浄化にも有効であるといわれ。浜辺が元の湿原に近い状態になることで、リンや窒素といった栄養が葦などの植物に吸収される等の効果があるのでしょうね。
2009年12月24日
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霞ヶ浦の景勝地のひとつ浮島です。霞ヶ浦の南岸東端にある浮島と言うのは、かつては霞ヶ浦の入江と東西に横に流れる野田奈(のだな)川で区切られた地区で、文字通り霞ヶ浦に浮かぶ島であそうです。それも、古代の「常陸国風土記」に、「乗り浜の里の東に浮島の村あり、四面絶海にして、山と野が入りまじり、人家は十五戸、田は七八町余あり。居る所の百姓、塩を火(や)きて業と成す」」と記されている古い地名です。当時は霞ヶ浦のことを信太(しだ)の流海(ながれうみ)と呼んでいました。風土記にあるとおり、古代はここは入江で、海水から塩を作っていたのでしょう。その浮島も1920年から続いた干拓により、1967年には陸続きとなってしまいました。浮島から霞ヶ浦の眺めです。
2009年12月23日
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Canonのkiss X3についているピクチャースタイルをテストしてみました。モノクロ風景スタンダードポートレートニュートラル忠実設定クリアートワイライトノスタルジーどの写真がお好みでしょうか。今のところ小職は、基本は忠実設定で撮影しています。
2009年12月21日
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霞ヶ浦の漁港の風景です。静かな晩秋の休日をのんびり過ごす釣り人と忘れられたように泊められているクルーザー。なんとなく心が惹かれました。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年12月20日
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昔は昭和40年代前半までは霞ヶ浦で水泳ができるくらいだったということですが、霞ヶ浦の流域が開発されるとともに水質も悪化してきました。湖水浴といって霞ヶ浦で泳げた頃の水質は化学的酸素要求量は3mg/リットルというそうですが、20年度は水域の平均で8.7mg/リットルというそうです。昭和50年代は霞ヶ浦(西浦)でのCODが12mg/リットルを記録していましたが、昭和60年に湖沼水質保全特別措置法の指定湖沼になってから、いったんは8mg/リットルを下回るようなこともありましたが、最近は8~9mg/リットルあたりで安定しているようです(詳しくは茨城県霞ヶ浦環境科学センターのサイトへ→http://www.kasumigaura.pref.ibaraki.jp/index.htm。)また、アオコの発生源となる藻類に代わって、淡水赤潮の原因になる藻類なとが優勢となっているようです。とはいえ、自転車が倒れないようにペダルをこぎ続けるように、水質改善のための不断の努力が必要なようですね。というわけで、霞ヶ浦で見られた水質改善の取り組みを紹介します。これは農村地域からの生活排水を浄化する農業集落排水事業の排水処理場です。これは、その処理場につながる排水管路の途中にある加圧ポンプの制御装置です。これは、湖底に貯まったヘドロの浚渫作業です。これらの取り組みを始め、流域で生活する住民がそれぞれに水質改善の取り組みが必要なことは言うまでもないと思います。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年12月17日
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霞ヶ浦は広い堂崎鼻と呼ばれる辺りから湖面を撮影しました。岬ののように水面に突き出た地形は、崎とか鼻と呼ばれることは多いですね。ところで、霞ヶ浦で「浦」と呼ばれるのは、やはりここは海の一部だったという名残なのでしょうかね。地名の由来は面白いですね。ちなみに、霞ヶ浦は河川法では河川ということになります。これは琵琶湖でも、諏訪湖でも同じです。法律的に湖沼が指定されるのは、湖沼水質保全特別措置法(いわゆる湖沼法)によります。もちろん水質の保全が必要な霞ヶ浦は湖沼です。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年12月16日
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ようやく古渡(ふると)橋のたもとに到着です。このあたりになると川も広く堤防もしっかりとしてきて、橋の上流側では子供たちが魚釣り興じていました。そして、下流側は川というよりも霞ヶ浦の一部のようです。そう確かに、このあたりで小野川は終わり一級河川霞ヶ浦となります。このあたりの水面は「古渡入」と呼ばれる入り江のような地形ですね。この○○入という地名は、例えば土浦周辺だと土浦入。石岡周辺は高浜入と呼ばれています。ちなみに、高浜入というのは、以前干拓事業が計画されていましたが、成田闘争の過激派が入ってきて、干拓事業が中止となったところです。参考サイト↓↓↓http://www.kasumigaura.net/mapping/page/lake-history-5.html小野川はここで終わりましたが、なんとしてでも海まで行くので、まだまだ続きます。
2009年12月15日
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茨城県稲敷市といえば、欽ちゃん球団「茨城ゴールデンゴールズ」のホームです。ホーム球場は稲敷市総合運動公園にあります。ナイター設備もあり、なかなかきれいな球場ですね。本格的なブルペンなんかもあったりして、まあ、贅沢かもしれませんが、こんな設備を持っていてよかったですね。別にファンじゃないけど萩本欽一さん。
2009年12月14日
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最近の高校生には、2割引きのことを「2で割って値段を引く」ということで元の価格の半額と考える子もいるようです。高校の教員も大変ですね。この高校はどうなんでしょうか?江戸崎総合高校この江戸崎総合高校のある丘陵地の下には見事な水田が広がっています。このあたりは、霞ヶ浦江戸崎入干拓地(通称稲波干拓地)と呼ばれるところで、235haの水田が広がる関東有数の穀倉地帯だそうです。さらに関東で唯一のオオヒシクイの越冬地であるそうです。この見事な田園風景はいいですね。広々として。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年12月13日
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なかなか小野川の流れを追いかける旅は順調に進まないですが、江戸崎の町の横にある小野川もこんな江戸崎八景にある景勝地になっています。どんな光景なんでしょうか、想像するに、このあたりは、川のなかですがこんな港になっていますから、むかしから水運や川魚漁の舟が霞ヶ浦から夕方に戻ってくる景色のことなのでしょうね。また看板からはこのあたりが「オオヒシクイ」の生息地であることがわかります。そんなわけで渡り鳥のオオヒシクイがいるかなと思って、捜してみると川の真ん中に川魚漁の仕掛けの上に留まっていました、鳥らしいのが、これは、ヒシクイかな、鵜のようにも思えますが???
2009年12月12日
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小野川を下る旅も、ようやく江戸崎の中心地にたどり着きました。商店街があって、この地方の中心的な町だと思われます。また、古いガラス戸k商店や倉庫のような建物とか残っていて往時の町の面影も残っていました。小野川の支流にかかるアーチ橋です。大正橋という名前ですが、大正時代に架けられたようには思えませんね。
2009年12月10日
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小野川沿いには、江戸崎八景というのが、あるようですね。曳舟の夜雨という石碑がありました。このあたりは、平成の大合併の前は江戸崎町と呼ばれていたので、そういう景勝が指定されていたのでしょうか。今、インターネットで調べても、どことどこが江戸崎八景かはわかりませんでした。おそらくこの風景がその曳舟の夜雨のあたりだと思うのですが、圏央道ができるとちょっと趣も変わるかも。それに船もないし、と思ったら、船が走っていてきたので、これに雨があるとまさしく曳舟の夜雨というところですか?
2009年12月06日
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小野川沿いに広がる羽賀沼干拓地は、おそらく小野川の水位より低い標高ですから、農地を水害から守るために排水ポンプは必要不可欠。こんな大きな排水ポンプ場がありました。そして、その敷地の中には、・・・。やっぱりありました。土地改良の記念碑。治水豊穣と見事な文字が彫りこまれていました。確かに、水を治めることが豊かな稔りにつながることは間違いないでしょうね。記念碑の裏には、ポンプ場の沿革が記されています。おそらく、このポンプ場の大切さを後世に長く伝えたいという農家の人達の気持ちがそこにあるのでしょうね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年12月04日
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小野川の周辺では、着々と公共事業が進められています。工事中の圏央道です。羽賀沼干拓のあたりを横断して、成田とつくばを結ぶ高速道路です。確かにつくばに住む小職には成田空港に行くときに大変便利になりそうです。まあ、そんなに成田まで車で行くようには思えないけど(成田周辺の駐車場の料金を考えたらね)。それに前原大臣閣下は、成田ではなく羽田を国際空港の中心にするそうだから、なんか成田に行く道を整備しても、なんかチグハグかも。こちらは、干拓地の周囲を巡る承水路の改修工事の丁張りのようです。こちらは干拓地の周囲の山からに流れ込む排水から干拓地を守る水路です。干拓地で農業を営む人々には大切な工事ですね。仕分けされていいのはどちらの公共事業なのでしょうか。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年12月03日
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気がつくと今年もあと1カ月で終わりですね。いや、今年はすごく早く1年が終わってしまうような。ということで、利根川水系小野川を下る旅を続けました。前回まではつくばから自転車で撮影に行っていたのですが、さすがに遠くなってきたのと日が短くなって現地まで自転車で行くと撮影時間が十分取れないので、自動車での移動にしています。さすがに羽賀沼のあたり、霞ヶ浦の手前までとなると、川も広くなってまいりました。空中写真ではこんな感じ。撮影場所は写真中央の橋の上から撮影しています。羽賀沼干拓地の冬枯れの水田でも水が張ってあるのは、これは名物のレンコン畑として利用しているようです
2009年12月01日
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羽賀沼の干拓地今では、立派な道路が走っています。これは農道だそうなのですが、農耕車両よりも一般の自動車がバンバン走っています。また、干拓地は昔は水の下にあった土地なので、中央部には立派な排水路があり、地区の水を外に出していました。また、地区の周辺には承水路と呼ばれる水路が掘られていて、周辺から流れ込む水を干拓地に入らないようにしています。美田を守るためには、なかなか大変な仕組みが必要なんですね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年11月09日
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羽賀沼の干拓地の水田に置いてありました。よく見るとお米のもみ殻のようなものがビニール袋に詰めてありました。一体何に使うのでしょうか。水田の中に入れる暗きょと呼ばれる排水施設に使うものだと思われます。また、小野川から取水するための水路のようです。そして、この用水路の先にはポンプ場がありました。ポンプ場から出ているパイプラインのようです。かなり太いものですね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年11月07日
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稲敷市に入るとかなり小野川は広くなってきました。船着場もありました。内水面漁業をしているのでしょうか。しかし、本当に広々としたところです。それもそのはずです。むかしこのあたりは羽賀沼と呼ばれる沼が広がっていたあたりで、それを干拓して見事な水田地帯にしたのですから。下の地図をご参照下さい。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年11月06日
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小野川の流れをたどる旅はまだ続きます。ようやく、牛久市を抜けて、稲敷市にさしかかりました。稲敷市は、平成の大合併により、2005年3月22日:稲敷郡の江戸崎町、新利根町、桜川村、東町が新設合併してできた市です。稲敷という地名は、広大な水田が広がるこの土地にピッタリの名前ですが、それをもって、地名にしたわけではないようです。平将門の乱が起こった承平年中(931~938)に完成した『和名類聚抄』という漢語辞書に、常陸国信太郡に属する14郷の名称が記され、その中の1つに稲敷郷が挙げられているという。そして、『新編常陸国誌』には、「八代村(龍ヶ崎市)に稲塚(稲塚古墳)といふ丘あり」と見え、『常陸風土記』に「其の里の西に飯名の社あり」と見えることから、飯名の神(筑波山)の社(敷地)が、「稲敷」の語源となったと伝えられているそうです。また、牛久の地名の由来は、龍ケ崎市の金龍寺に「怠け者の小僧が牛になってしまい、沼に身投げをした。そこから『牛を沼が食った』『牛食う沼』と変わり、その沼が牛久沼と呼ばれるようになった」という昔話が伝わっており、沼の名の由来・地名の由来ともに、この伝説がまるで真説のように流布しているそうです。別の説には、「潮来」(うしおく)が「うしく」になったとする説、アイヌ語で「密生した葦」を示す"uski"が語源であるという説、鵜宿あるいは卯宿(うしゅく)が転じたとする説などもあるそうです。稲敷市に入ると、養魚場が見えてきました。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年11月05日
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小野川沿いには農地への潅漑用のポンプ場をみてきましたが、牛久市と稲敷市の境あたりで排水ポンプ場を見つけました。排水路からポンプ場に続く水路の途中には、こんな機械がついてました。これは、水路を流れてくるゴミをとる装置です。斜めに立っているスクリーンと呼ばれる部分が回転してゴミをかきあげ、後ろのベルトコンベアに落とす仕掛けですね。排水ポンプ場があるおかげで、この水田も水害から守られているのですね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年11月03日
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小野川では所々で釣りをする人の姿が見られました。どんな魚が釣れるのでしょうか。バスか、でもこの人の仕掛けからみるとタナゴなのかもしれませんね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年11月02日
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小野川は乙戸川と合流してから、さらに川幅も広くなり、河川らしい体裁になってきました。川の真ん中に何か棒が立っていますが、これは、この建物につながっていて、小野川の河川水位や流量を測定し、国土交通省の霞ヶ浦工事事務所にこのアンテナでデータを送信しているようです。洪水から生命、財産を守るために、地味だけど大切な仕事をやっているんですね。頑張れ国土交通省。大臣の横暴に負けるな!!!
2009年10月31日
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牛久市から稲敷市にかけては、成田空港に近いこともあり、上空を飛ぶジェット機がよく見られます。小さすぎてよくわからないですが、写真の上の方にジェット機が飛んでいるのが写っています。小野川と平行して走っている国道408号線のぞいに意外とお洒落な工場がありました。よく見てみると、なんと言っても茨城県ですね。納豆の工場でした。やっぱり茨城の名産といえば水戸の納豆。小職の朝ごはんには、納豆はかかせません。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月30日
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小野川には途中で乙戸川が合流しています。乙戸川乙戸川は、かなり大きな河川です。そして、この乙戸川の水源は、土浦市にある乙戸沼です。小野川と乙戸川の合流付近の地図です。 ↓↓↓乙戸川沿いには、牛久大仏もちょっと見えました。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月28日
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小野川流域の谷津田の水田にはどのように給水されているか、じっくり調べてみました。まず水を堰上げて水位を上げます。この取水堰は板と土のうで川を堰き止めて水位を上げる仕掛けです。このポンプ場で圧力をかけて水田に送ります。電気でポンプを運転するので、送電線がこんな田んぼの真ん中にまで張られていました。各区画の水田には、こんな蛇口がついていて、ここから水が出る仕組みですね。余った水は、水田の横にある排水路に流れ出て、そして、川に戻り、また下流側で利用されるというわけですね。
2009年10月27日
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小野川の側には色んな施設があります。岡見第一汚水ポンプ場は、こんな地味な建物でした。近くにある工業団地からの下水を終末処理場に送るための中継ポンプ場でしょうかね。そして、これは、上水道か工業用水のための水管橋と呼ばれるものですね。また、普通の道路橋ですが、欄干のこのモニュメントは一体、なにがモチーフになっているのでしょうか???人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月26日
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小野川を下って牛久市内のあたりを進んでいくと、並行していた圏央道とも別れて、川はより自然の川に近くなっていきました。この小野川は筑波山から続く筑波台地、そしてそれに続く稲敷台地の低いところを流れ、川の両岸の平地は水田として利用され、その水田の周りは林地、丘陵地になっています。このような地形にある水田のことを谷津田と呼んでいるそうです。谷津田とは、谷地にある水気の多い湿田を指し、「谷地田」または「谷戸田」ともいう。関東地方に多く分布している。農作業の担い手不足、高齢化などにより荒廃し原野化したところも多い。また、都市近郊では宅地化やゴルフ場などの建設により消滅するものも多い。谷津田は、隣接する林地と合わせ、多様な種の植物の生育、昆虫や小動物の生息に適した環境であり、豊かな生態系が形成されており、その保全が望まれる(EICネット環境用語より引用http://www.eic.or.jp/)そんなわけで、この豊かな生態系を守るには川、水田、そして林地が一体とならないといけないのでしょうね。こんな林地を守ることも行われているようでした。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月24日
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小野川沿いには水田が広がっています。余り住宅街が広がっているとかいう風景は見えませんでした。その中で、こんな看板が。うしく河童米栽培水田うしく河童米というのは、河童伝説で有名な牛久沼にちなんだものでしょうね。どんなお米か食べてみたいですね。牛久沼のほとりにある河童の銅像これだけの水田があると見つけました。土地改良の記念碑。土地改良の記念碑土地改良の記念碑そして、整然とした区画の水田が広がっています。
2009年10月23日
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ここは、国道6号線と小野川が交差する場所です。すぐそばを圏央道の高架橋が通っています。国道6号線は東京と仙台を結ぶ主要国道ですが、東京では水戸街道と呼んでいます。でもこのあたりでは水戸街道とは呼ばないですね?そして、6号線と平行して走る常磐線もすぐ横で小野川を渡ります。小野川の川幅も徐々に広く、土手も高くなってきましたね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月22日
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小野川には農業用水の取水口が色々と設置されていました。これはゴミよけの網がついていますね。これは一般的な堰上げタイプですね。色んなタイプの取水口がありますね。それぞれ設計した時点の考え方が色々あることが思われます。また、隣と同じタイプの取水口にしないところは、オリジナリティが優先されているのでしょう。親子連れで魚釣りをやっている一家に出会いました。一体どんな魚がつれているのでしょうか。ここで、ようやく小野川は牛久市内に入ります。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月20日
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小野川を辿るお散歩を再開します。小野川に沿って圏央道は建設されています。圏央道の建設に併せてでしょうか。小野川の護岸は整備されているようですね。小野川には農業用水の取水施設が多く在りました。これは、ラバーダムと呼ばれる形式の取水施設です。空気でゴム製の起伏堰を膨らませて水位を上げて取水する仕組みです。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月19日
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稲荷川との分岐点から、小野川の川幅はやや小さくなっています。さらに小野川は常磐自動車道の下をくぐり流れていきます。小野川の側の水田では刈り取った稲藁が焼かれて、農村の秋の風情です。小野川の近くには、古墳時代の集豪族の住居跡の遺跡があります。発掘された後<今では、常磐道と圏央道のジャンクションの下にこの遺跡は眠っていますが、小野川の沿いには古くから人が集まり住んでいた、豊かな土地だったことがうかがえます。ところで、この撮影には自転車で行ったのですが、撮影を終えて家に戻る途中、不覚にも自転車で転んでしまい、あわれ今回の写真を撮影したデジカメOlympus FE220の液晶が壊れました。というわけで、小野川を下る旅はここで一旦、中断して、しばらく間をおいて、また続ける予定です。
2009年10月08日
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国道354号線からは、建設中の圏央道が見えますね。少し下ると、川の名前が変わりました。看板が傷んでいますが、『稲荷川』となっています。では、小野川はどこへ消えたのか、実は、下の川の写真で、左岸の水路の横にある分水口が小野川になります。これは、筑波研究学園都市が出来た時に、今まで農地や平地林だった土地が切り拓かれて街になったことから、降った雨が一気に流れ出して、洪水量が増えることを見越して、別の流域にあり牛久沼につながる稲荷川にその洪水を流し込むために流域を変更した結果です。 この地図を参考にして下さい ↓↓↓建設の進む圏央道といい、国土は徐々に改造されているんですね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月07日
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小野川という銘板をがある橋を少し下ると大きなポンプ場がありました。この川は地域の田畑の水源として利用されているんですね。でも、ポンプで汲み上げられた水は田んぼに供給されて、その田んぼから、また川に水が流れ込んで、さらにまたポンプで田んぼにかけられる。水のリサイクルシステムが出来上がっていました。このポンプ場からさらに下っていくと、国道354号線と交差しています。この橋は痛んでいたようで、コンクリートの橋の床版の補強工事が行われていました。毎日、この橋の上を車で通行しているので、車で走っている時に落橋して堪りませんから、大切なお仕事ですね。そして、この橋の脇には、一級河川「小野川」の看板。一級河川というと、何か立派な利根川や淀川といった大河を思いますが、この小野川も日本で二番目に広い霞ヶ浦に流れ込む川ですから、ここでは小さいけれど、一級河川に指定されています。ちなみに、霞ヶ浦は湖ですが、坂東太郎と呼ばれる日本で最大の流域面積を誇る利根川につながっている利根川水系の一部ですから、河川法の上では一級河川「霞ヶ浦」ということになります。
2009年10月06日
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むかし、小学校で「川は海に流れていきます」と担任の菊原先生に教わった。実際、それは間違いがない事実だろうと思うけど、この年齢になって確かめたくなりました。そんなわけで、つくば市の近所を流れる小川をたどってみました。最初はこんな畑の間を流れる排水路のようなものですが、その下流に行くと、かなり立派な水路になって、途中で堰上げてポンプで汲み上げて水田へ水を補給できるようになっていますね。途中で他の河川と合流してより大きな流れになります。写真の右からは洞峰沼と呼ばれる沼からくる流れです。合流した後は、両岸がコンクリートブロックで護岸され立派な河川に近づいてきましたね。ここで、この川に架かる橋には、「小野川」という銘版がありました。一応、このあたりから名前のある河川になったということでしょうか。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2009年10月05日
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