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今、担当しているディレクターの仕事を引き継ぎながら、プロデュース、プロモート、企画営業、ライツビジネスの勉強を始めましたとりあえず、今は色々な人と会って、映像やメディアという立場から世の中の動きを監察している状態なのですが、ビジネスという土俵に上がって上を目指す人たちと話をして、改めて理屈やマニュアルでは説明しきれない力を実感させられています。様々な力が作用しあい、時にはぶつかり合い、時には癒合しあうこの世の中で、僕達は少しでもいい生活をし、自分の理想の状況を作り出すために生きていきます。力を持ち、その力を上手く使える人間が、イニシアチブを取るという事は間違いありません。自分の好ましい状況を作り上げるためには、どんな力であれ、人より大きなパワーを身につける必要があるのです。ここで言う「力」とは物を持ち上げたり、積み上げたり、壊したりという物質的なものではなく、状況や空気、身の回りの流れを変える、目に見えない力のことです。同じ事を言っても、賛同する人間が多い人、少ない人、これは明らかに力の差です。その人が部屋に入ってくるだけで、みんなが明るい気持ちになる、こんな力を持っている人もいます。人の中にある力なのです。それは、オーラやカリスマ性という表現で、世間はその力の存在を否定する事はありません。しかしこの力の存在や、大きさを表す単位などはどの教科書にも載ってはいませんし、習う事もないのです。一番大切なことかもしれないのに・・・・・人はその力のつけ方を習った事はないので、その力を持つ人を、持って生まれたものと決め付けて、自分のそういった力をこんなもんだとあきらめている傾向が強いように思えます。果たしてそうでしょうか?人を惹き付けたり、運を呼び込む、周囲の状況を自分の好ましい状況に変えていく力の作りかたはないのでしょうか?何をやっても上手くいくときとダメなとき、冷静に客観的に自分を分析すれば、何か法則は見えてくるような気もします。おそらくそれは気持ちの中の変化であるはずです。何かを継続しているとき、目的に向かっているとき、純粋にやさしさを持つことが出来たとき、きっと自分でも気付いていない力が自分の中に宿っているはずです。其れが大きなヒントなのかも知れません。周りの状況は、自分の力の大きさを計る、計測器のようなものかも知れません。きっと運は自分の力の表れなのです。先輩は、テクニックや経験論は教えてくれますが、力の作り方は教えてはくれません。むしろ、知らない人のほうが多いようにも思えます。目に見えない力を付ける方法は、必ずあります。その観点、発想を忘れず、より大きい力を身に付けるために毎日、研究とトレーニングを続けていかなければと、色んな人に会えば会うほどそう感じます。
Jan 31, 2004
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昨日、いつも行く居酒屋に、見慣れない張り紙を見つけました、「お茶漬け始めました」注文をする前にとりあえずツッコミだけは入れておきました。「冷麺やないねんから!」普通、こういう張り紙は、アイスコーヒーやカキ氷のように季節ものを始めるときに使う場合が多いので、メニューが増えただけで、アピールしているのがいやにおかしかったのです。西成の商店街ではこういった、予想外の張り紙、「始めました」シリーズは実はよく見受けられるのです。散髪屋の前には「パンチパーマ始めました」って今からそんな時代遅れのスタイルを始めるやなんてどういうことや!と思ってしまいますが、地元では誰もツッコミません。婦人服屋さんの店頭には「春物始めました」確かに季節物やけど、それを言うなら「春物入荷しました」ちゃうのん!でもこれが普通なのです。居酒屋の張り紙を見ながら、焼酎を飲んでいると、その「始めました」と言う言葉になにか、その人の小さな意気込みが見えるような気がしてきて、少し明るい気持ちなってきました。「始める」か・・・・張り紙の行間から読み取れる「よしメニューを増やしてみよう」と思った居酒屋店主の意気込み、今まで、やっていなかったパンチパーマを練習し、やろうとした散髪屋のチャレンジ精神。春物をどれが売れるかを悩んで仕入れた婦人服屋のおばちゃんの、気持ちがだんだんと見えてきたのです。何かを始めるというときどんな小さなことでも、人は期待と不安を持ってその第一歩を踏み出すものです。そしてその気持ちを人に伝えたくなるという事も否定できません。「習い事始めてん」「PTAの役員はじめたの」「パソコン始めてん」それぞれみんながそんなことを家に張り紙で知らせる事はありませんが、それくらいなにかを始めるという事は嬉しい事なのです。始めるという事は素敵な事です。その言葉を発する人に、ういういしさといとおしささえ感じます。「只今恋愛中」と言うより「恋始めました」ということを聞いたほうがさぞかし今、ときめいているんだろうなと感じます。年を取るごとに、「始めました」は減ってはきます。しかし、どんな事でも始める事は大切です。始めなければ何も変りません。よく人は「しようと思ってる」とか「やりたいねん」という言葉を口にしますが、はっきり言ってその言葉にはなんの魅力も感じません。「やれば・・・」という冷たい言葉さえ返してしまいそうになります。石橋をたたこうがたたかまいが、渡る事が大切。どんな偉業も全てがこの「始めました」を通ってきているのです。上岡竜太郎さんはマウイマラソンの開会の挨拶でこんなことを言いました。「よくマラソンは記録ではなく、ゴールした人全てがヒーローだと言いますが、僕の考え方は違います。棄権しようと途中で倒れようとスタートラインにたち、一歩目を踏み出した人全てがヒーローです。マラソンに出ようと思ってるという人のほとんどが、練習する時間がないとか、体調を崩したなどといって言い訳をし、スタートラインにたつことはありません。始めると決め、一歩目を踏み出した人こそ選ばれた人間なんです」何事もやってみようかなと感じたらまず始めてみる。三日坊主でも、一日もやらない奴よりはずっと偉い!この際僕自身も、ツッコミを覚悟の上で、張り紙をしてみようと思います。「夢、始めました」
Jan 30, 2004
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今日、家に帰ってから、友達の家に行こうと車を出そうとしたのですが、なんとガソリンはほぼ空の状態、5キロほど離れた目的地に行くのには少し不安でした、結局、今日は予定を変更、今週末にガソリンを近くで入れてから行くことにしました。便利なはずの車も、ガソリンと言うエネルギーがなければ、ただの大きな鉄の塊、なんの役にも立たないものだと実感しました。人間も同じように、体を動かすためには、エネルギーとして食事が必要です。何も食べなければ、動かないどころか、止まっていることさえ出来なくなってしまうのです。私達人間は、体を動かすだけでは生きているとはいえません。精神を活動させ周りの人に影響を与えたり、泣いたり笑ったり、体と心の活動が一つになって初めて生きているといえるのです。では、精神を活動させるエネルギーって何なんでしょう?僕の場合、理想でモノを言うとそれは、人に喜ばれるという充実感や感動、そして愛だということになりますが、正直なところ、時にはそれが金銭欲であったり、権力に対する欲求であると言うことも否定はできません。本来、人を喜ばせたい、感動したいといった自然のエネルギーが使われるべきなのに、人間は手っ取り早くパワーにつながる、人より勝っていたいという、権力に対する欲求や独占欲という限りあるエネルギーを使っていることがよくあるのです。地球のエネルギーは今、深刻な状態にあります。オイルという限られた資源を使い、今や、原子力と言う、危険なエネルギーまでもを使わざるを得ない状態になっています。当然、排出される有害物質が、自然を破壊していきます。やっとのことでここ最近、エコロジーと言う観念が人に定着してきました。僕は思います。精神活動に使うエネルギーも、使い方を考えないといけないのではと・・・・今、世間で言う悪い環境とは、金銭欲 権力、独占欲というエネルギーを使い、ストレスと言う有害物質を垂れ流している状態のようにも思えます。本来、限りのない、太陽エネルギーのような、人からの褒め言葉、思いやり、感動が人の精神活動のエネルギーになっているなら、そのエネルギーは循環していくものなのです。今の時代、すべてを有害物質を出さない、自然のエネルギーだけでまかなうのは難しいことです。同じように、人の精神活動のエネルギーも権力、金銭と言うものを全く考えずにモチベーションをあげるのは到底無理かもしれません。しかし、今、エコロジーとして、有害物質を出さないエネルギーとの併用が行われているように、少しずつでも、人に勝りたいという欲望よりも、人同士のふれあいの暖かさをエネルギーとする価値観を持ち、ストレスと言う有害物質を減らしていくと言うことは可能なのです。「NO1にならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」そんな歌が流行るという今、みんなが少しずつそういうことに気づき始めたと言えるのかも知れませんね・・・1年間に3万人を超える自殺者の数・・・ストレスと言う公害も深刻です。
Jan 27, 2004
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先日、少し遅い会社の新年会がありました。社長の開会の辞、第一声は、「不景気の今日、みんな大変ですが、全員で力をあわせて・・・」といったものでした。二次会で上司が、酔っ払って話してたことは、「人生そんなものや・・」なんてネガティブなひとばかりなんや・・・なんて思いながら、地元の居酒屋で飲み直そうとしても、となりに座った女性の口から出た言葉も、「世の中そううまくはいかないものやね・・・」ふと考えました・・・・僕達は、何者かにマインドコントロールされているんではないかと、少年の頃、夢を語ったり、希望を持つことは、大切なことだと教えられ、それは素晴らしい生き方だと教育されます。ところがある一定の年齢を過ぎると、人は夢や希望と言う言葉を語る人に対して必ず、まずは否定的な言葉を返すようになります。「現実は厳しいよ」「そううまくはいかないよ」そういう言葉を何度も聴きながら、いつの間にか、夢や希望を語ることはなくなってきます。社会にとって、必要な人間は、歯車になる人間であり、自分の希望や、やりたいことを貫こうとする人間を応援することはサラリーマン社会には存在しません。それは当然のことかもしれません。全員が自分の夢を貫こうとすると、組織はまとまらないからです。良く考えると、その仕組みが見えてきます。夢をかなえる人間の何十倍もの数の夢をあきらめる人がいます。現実こんなものとあきらめる人の数のほうが間違いなく多いのです。夢をつかんでしまえば大衆は、「あいつはやると思っていたとか」「あいつは何かが違っていた」と言いますが、それまでは必ずそういう人たちを異端児扱いするものです。世の中はいつも、多数派が、少数派をマインドコントロールし自分たちの価値観へと引き込もうとするものなのです。常にあきらめる人間が、あきらめない人間を洗脳しようとします。もしかすると、自分の夢や希望をかなえる人と言うのは、そういう洗脳に負けない人なのかもしれません。社会は常により多くの普通を洗脳によって作り出していきます。普通の社会人、普通の主婦。そこにはまらないものは時には罵倒されます。数多くの才能のある星がその洗脳によって姿を消しているようにも思えます。「無理」「非常識」そういう言葉のハンマーで、打ち砕かれていく「夢」と「希望」。実際に、主婦で大金持ちになった人や、夢の舞台に立った人40歳から何かを始めて大成功した人はいます。社会は人の不安につけこんで、普通になれと言う洗脳を始めます。目を覚まさなくてはいけません。もう一度自分の「こんなこといいな、できたらいいな」を呼び戻すべきなのです。「不可能はない」そう自分を普通と言う洗脳から解き放つ必要があるのです。「不景気だからしょうがない」「人生こんなもの」「そんなに世の中うまくはいかない」本当にそうでしょうか・・・・・「出来ないことなんてない」「やれば出来る」「世の中いいことばかり」真実はそうかもしれないのです。生き方の正解、不正解、答えはありません。多数派になる安心感が正解なんでしょうか?テレビ業界で、ディレクターになりたいといった若い日、周りの人間は、そんな浮ついた業界はやめたほうがいい、そう僕にいいました。変わり者扱いもされました。しかい僕の第一ステージに悔いはありませんし、誰も出来ない経験をたくさんすることが出来ました。これからの自分もそのスタイルを変えるつもりはありません。誰がなんと言おうと、変人と言われよう、「こんなこといいな、できたらいいな」を貫くつもりです。普通という洗脳にはまらない少数派でいたいと思います。この日記を鼻で笑う現実派は多いと思いますが、一人でも多くの人がこの洗脳に気づいて、「不可能はない」と、そんな気持ちになって欲しいものです。明日からも僕のチャレンジは続きます。
Jan 24, 2004
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最近、忘れていた、「夢を追いかける」と言う感覚が、ある出会いによってまた蘇りました。詳細はまだ公表は出来ませんが、スポーツに関するプロジェクトをメディア展開するチャンスにめぐり合えたのです。当然、そのゼロからスタートする事業は前途多難です。自分自身も、一会社員として、会社に対してその時間を使う事に対しての説得をしなければいけませんし、大手代理店に内密にしたままスポンサーに対しての営業をかけて行かなければいけません。なにより、現実に今、何もないものに対してお金を集めるという作業は、まかり間違えれば詐欺師扱いもされかねない、リスクの高い行為にもなるのです。しかし、Kー1もJリーグも、20年前はまったくゼロだったのです。しかし今は、誰もが知っている夢のステージです。夢のステージを作るというプロジェクトを自分の夢にする・・・語っているだけでもワクワクしてきます。当然一テレビマンが手掛けるにしては、難しい作業だとは思います。この事業もまだ走り出したところで、今後どう展開するかはわかりませんし、手を引くことになるかも知れませんが、今、自分のモチベーションを保てる素材に出会えただけでも、自分は幸運だと思います。ディレクター引退とともに出会えた機会だけに、なにか運命的なものも感じます。そしてなによりこの出会があったことで自分がつくづく、ドリームというエネルギーによって前に進む生き物だということを実感することができました。よく考えると、今まで築いて来た自分は、夢を追いかけてきたからこそあるんだとも思えます。ワンランク上を目指すという意味で、目の前にある目標をクリアーしていく生き方がここ数年続いていましたが、今ここで、「夢を追いかける」という懐かしい感覚を取り戻す事が出来たのです。何か物足りないと感じていたのは、ドリームという一文字だけだったのかもしれません。ゆくゆくこのページで、発表できるよう、徐々に夢を実現させて行きたいと思います。チャレンジ・・・・・・いくつになってもこの気持ちは忘れたくないものですね・・・・・
Jan 17, 2004
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会社の廊下の隅に、イレイザーという機械がある。業務用のテープは通常、番組が放送されるまでは収録に関するテープはロッカーに保管され、放送が終わると番組で放送された編集済みのもの意外はすべてこのイレイザーという機械によって内容は消去され、そのテープはまた違う番組のために再利用されることになる。その編集済みのテープもある一定期間を過ぎると、このイレイザーを通すことになる。多くのディレクターはこっそりと自分の思い入れの強い番組だけはこの機械を通さずこっそりと自分の引き出しの中にしまう。先日僕はこの前に立った・・・・そう自分が残していたテープをすべて消去するために・・・二人の自分が戦った。「これは自分の財産、次の仕事が軌道に乗れば、また懐かしく見ることが出来る・・・別に消さなくても」「いや、昔の自分の功績を語る人間に魅力のある人なんていない。しばらくたってからそれを見るなんて情けないことをしないためにも、今、これは消してしまおう」葛藤の末、僕はイレイザーのスイッチを押した。新居に引越しをする時に、過去のものを捨てきれないでいると新しい荷物は運び込めない。手に持つ荷物はすべて捨ててしまっても、その過去を重ねた自分は存在する。記憶ではなく自分の頭の先からつめの先にいたるまで存在そのものが自分の過去が創り上げた産物だ・・そう言い聞かせた。引退を目の前にして、さまざまな記憶が浮かんだ。それは感動のシーンよりもむしろ、人の顔や言葉のほうが多い。アシスタント時代から僕を励ましてくれた先輩、何も言わず癒してくれた女性達・・・・・いくら、僕の手の中にある写真やテープを消去しても、その人たちによって作られた自分はゼロになることはない。たとえ記憶がすべて消去されたとしても、僕の血の一滴にいたるまで存在そのものが、出会った人たち、関わって、僕に勇気と知恵と夢をくれた人たちによって形成されているのだ。この仕事を始めて僕は、いったいどのくらいの人の影響を受けて今この場所にいるのだろう・・・そんなことを考えた。それはタレントから技術スタッフ、取材先のお店の店長、異性関係になった女性達、居酒屋で知り合った説教好きのおっさん、テープを納品してくれる業者さんにいたるまで、その数はこの13年のと言う月日の中で莫大なものとなっている。言わば、自分自身のパーソナリティーというものはそれら多くの出会いが作ってきたものなのだ。自分の作った作品や、たまたまロケに行った時に撮った写真、記憶に残るモノだけを大切に残すこと自体ナンセンスだとも思えてきた。過去は振り返らずに歩こう・・・・必要以外の手荷物も置いていこう・・・過去は今、自分の中にある。血になり肉になり、骨になり、これからの自分を支えていく。頂上を後ろに設定するか、前に設定するか、前にあるなら荷物は軽いほうがいい。過去が創り上げた無限の可能性を持つ裸の自分を信じ、前を向いて歩こう・・・・・
Jan 12, 2004
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12月は毎年、忙しいのと飲み会がどうしても多くなるため、体脂肪が普段より3パーセントほど増えてしまいます。また体作りの期間を持たなくてはいけなくなってしまいました・・・・僕にとってダイエットは苦痛というよりむしろひとつの趣味のようなモノなので、きっかけさえつかめば間違いなく体脂肪は16パーセントまでは落とせるとは思います。コンスタントにトレーニングをこなせば、こういうキャンペーンは必要ないのですが、不規則な仕事と、酒好きがたるんだ時期を作ってしまうのです。借金は返さなくてはいけないようにサボってたまった体脂肪も清算しなくてはいけません・・・体作りの面白いところは、体型を変えるはずなのに、自己啓発、自分へのマインドコントロールからはじめると言うところです。そういったことを行うことで現役の選手の頃を思い出し、試合があるわけでもないのになぜかドキドキわくわくしてくるのです。イメージという抽象的な観念が、具体的なものとなると言う意味では一番わかりやすいのが体作りです。そして体をシェイプすることで間違いなく精神力も高まります。とりあえず、プロフの写真にまでもどすのに5週間はかかると思います。写真を更新するのが目標になります。人によっては、そんなことにエネルギーを使うことはばかげていると言う人もいるかもしれません。男は外見やないと・・・当然、その意見も正しいと思います。しかし、中身を高める方法として、体を引き締めると言うことはかなり効果が見込めるものなのです。何事も目標を定め、達成すると言うことは快感とともに、自信をもたらします。イメージしたことが現実となることはどんどんやるべきなのです。今年僕には、成し遂げなければいけない目標がいくつかあります。それをやり遂げるためにも、たかが自分の体くらい、自分のイメージに近いものにしなくては始まりません。今年の僕のスローガン「チャレンジ」の事始めです。もし、今の自分の体型に自信をなくしかけている人がいるなら一緒にはじめてみませんか?間違いなく結果は出るはずですよ・・・
Jan 6, 2004
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今年の年末年始は、思い切ってすべての電源を抜いてみる事にしました。会社の人間とも関わらず、いつもの飲み友達とも会わず、古い友達とばかり会い、自分の原点を探してみたのです。今年でおそらく現場のディレクターを引退する事がわかっている自分にとって、変化を受け入れ新しい自分を見つけるためには、この業界を選んだ以前の記憶が必要だったからです。ずっと走り続けてきた人間にとって、止るということは勇気のいることです。惰性という大切な力を失う事になるからです。車が高速道路を走っているときは一般道路よりガソリンの減り方が著しく少なくなります。走り続けるという惰性が、エネルギーになっているからです。1回1回信号などで止る一般道では、何度もスタートするというエネルギーを使うのでその分ガソリンも多く使います。始めるということは大変な事なのです、だから止る事を人は嫌います。年をとれば自分のエネルギーに自信がなくなってきます。だからなおさら、止りたくはなくなります。しかし、冷静に考えてみると、惰性で転がる人間に魅力があるわけはありません。年をとった中年サラリーマンが若い人間から疎外される理由が、そこにあるのではないかとも思えてきます。一度止り、スタートブロックに足を掛け、一度体を思いっきり縮めて次の加速に備える。集中力を高めゴールを見据える。いくつになってもクラウチングスタイルは必要です。古い友達と話せば、昔、加速のために一歩一歩思いっきり地面を蹴っていた時期を思い出します。スタートのワクワクが蘇ってきます。加速するためのシフトダウン。再スタートのための停止はマイナスではないのです。立ち止まったところがスタートライン。そう考えることが出来れば、いつまでも流線型にシャープに年をとっていけるのかも知れません。どんな年齢にも、スタートラインはあります。そこに立つことは若い人だけの特権ではありません。挫折、つまずき、引退、その次にあるのはスタート以外には何もないのです。過去の栄光を引きずることなく、一年生になって夢中になる。そんな立場になろうとしている僕の今年のスローガンは「チャレンジ」です。
Jan 5, 2004
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