星とカワセミ好きのブログ

2020.08.07
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広島市の原爆ドームです。2016年9月3日に撮影したものです。
この歳になっても、未だに「原爆を許すまじ」、「広島平和の歌」、「長崎の鐘」のメロディーラインと一部の歌詞を覚えています。

原爆ドームの近くに児童文学者・鈴木三重吉の碑があります。
鈴木三重吉は明治15(1882)年に原爆ドームの近く(エディオン広島本店付近)で生まれました。東京帝国大学では夏目漱石の講義を受けました。児童文学誌「赤い鳥」を作り、日本の児童文学に影響を与えました。


【原爆ドーム】

↑ 原爆ドーム。(旧広島県産業奨励館)


↑ 原爆ドーム。
昭和20(1945)年8月6日、史上初めての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である。
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した。その1個の爆弾によって20万人を超える人々の生命が失われ、半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した。この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため、国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し、これを永久に保存する。











↑ 元安川。左から広島商工会議所、原爆ドーム、おりづるタワー。


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【赤い鳥文学碑(鈴木三重吉文学碑)】 原爆ドームのそばにある。


↑ 赤い鳥文学碑(鈴木三重吉文学碑)
「千鳥」、「桑の実」などの名作によって明治大正期の文壇に生彩を放った鈴木三重吉(1882~1936)は、明治15年にこの地に生まれました。大正7年、少年少女の雑誌「赤い鳥」を創刊し、日本最初の童謡童話が誕生しました。綴り方や自由詩をしどうして児童の創造を高め、外国の名作童話も紹介し、我が国の児童文学の父とよばれています。
この碑は昭和39年6月、被爆地ヒロシマの文化の復興のシンボルとして建てられ、平和への願いが込められています。圓鍔勝三(えんつばかつぞう)の作品。碑には「私は永久に夢を持つ。ただ年少時のごとく。ために悩む事浅きのみ。三重吉」と刻まれています。


↑ 鈴木三重吉 1926年。 「赤い鳥」創刊 1918年。



↑ 広島出身の児童文学者、鈴木三代吉の胸像。圓鍔勝三(えんつばかつぞう)氏の作品。



「私は永久に夢を持つ。ただ年少時のごとく。ために悩む事浅きのみ。三重吉」。
圓鍔勝三(えんつばかつぞう)氏の作品。





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最終更新日  2020.08.23 17:59:30
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