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2024年1月1日はニューイヤー駅伝を見ました。トヨタ自動車が優勝しました。同日夕方に「令和6年能登半島地震」が起こり、北陸地方を中心に大災害に巻き込まれました。2024年1月2日は地震のニュースを見ていたのですが、第100回箱根駅伝が実施されるとのことで、その中継も見ました。駅伝は結局、往路、復路ともに青山学院が勝ち、10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7回目の総合優勝となりました。最終順位は次の通りです。1)青山学院大学、2)駒澤大学、3)城西大学、4)東洋大学、5)国学院大学、6)法政大学、7)早稲田大学、8)創価大学、9)帝京大学、10)大東文化大学 (ここまでがシード校)11)東海大学、12)国士舘大学、13)中央大学、14)立教大学、15)日本大学、16)日本体育大学、17)順天堂大学、18)駿河台大学、19)中央学院大学、20)明治大学、21)神奈川大学、22)東京農業大学、23)山梨学院大学。
2024.01.04
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「三浦雄一郎の『歩く技術』 60歳からの街歩き・山歩き /三浦雄一郎、三浦豪太/講談社/2011年10月11日 第1刷発行」という本があり、プロスキーヤー・登山家の三浦雄一郎さんが70歳、75歳で2回もエベレスト登頂を果たすまでのトレーニング過程が書いてあるので、少し紹介します。P50~51「三浦流超ヘビー・ウォーキング」僕の最終的な目標はエベレストだ。~ そこで始めたのが、南極遠征の時に効果のあった、荷物を背負って歩くというトレーニングだ。立山での強力(ごうりき)生活の経験から編み出したものだ。工夫したのは、背中の荷物に加えて、足には重い登山靴を履くということだ。さらに進化し、足に重りをつけて歩く方法も導入した。アンクルウェイトである。アンクルウェイトは、足首に巻いて付属のマジックテープで固定するタイプが一般的である。ナイロン製の包みの中に、鉄の粉や円筒状の鉄の棒などが入っている。登山用品ショップ、スポーツショップなどでさまざまな重さのものを売っている。僕の場合、70歳のエベレスト初登頂を目指し始めたころ、トレーニング中にふらりと立ち寄ったスポーツ用品店で見つけて買ったのが最初である。まずは、足首に1キロのアンクルウェイトを巻き、背中に10キロの荷物を詰め込んだザックを背負うことから始めた。これで登山靴を履いて外出したり、散歩したりするのである。これなら、毎日でもトレーニングができる。当初は、1日1時間くらいずつ歩いていた。P52~53「アンクルウェイト&バックパック20キロで都内を徘徊」ヘビー・ウォーキングも、3年目からは片足5キロずつ、背中も20キロになった。通常より重たい登山靴を作ってもらい、これにアンクルウェイトを巻く。外出する時はほとんど身につけていく。パーティーがあっても、タキシードを着ても、足に登山靴、アンクルウェイトといういでたちだ。~ 最終的には、片足8キロ、背中に30キロを背負い、東京でも札幌でも町中1時間以上歩けるようになれば、エベレストに行けると想像していた。3年たつと、その状態で歩けるようになった。富士山には5~6回登ったが、ヒマラヤでも前述のとおり6000~8000メートル級の山に登れるようになった。普通のトレーニングは、スクワットとか、ウェイトをつけて腹筋だとか腕立てなどをやるのだが、僕はただひたすら奴隷のように、足に重りをつけ、背中に荷物を背負って歩くだけだった。腹筋、腕立て伏せはほとんどやらなかった。それでもエベレストに登れた。山に登るわけだから、それに近い状態でのトレーニングを選んだのだ。山に登るときにも重い荷物を背負っていくので、そのとおりにする。登る時には登山靴を履くので、日頃もそれを履く。さらに負荷をかけるために重りをつけて・・・。日常の生活の中で、普段の行動に負荷をかけるトレーニングは、とても有効だと思う。ーーーーーーーーーーーー上記の本を読んで、以前からアンクルウェイトに興味があったのですが、長い間、なかなか購入に踏み切れませんでした。しかし、最近病気が続き、興味がある事を後回しにすべきでないと思い、アンクルウェイト2キロX2を購入しました。店内で両足にウェイトを巻き、家まで帰りました。散歩をするときは、必ずウェイトを着けて歩こうと思います。↓ 初めて購入したアンクルウェイト2キロ↓ 「ベストフィット リスト&アンクルウェイト2.0kgX2クロステックスポーツ株式会社」↓ 左足に巻く。↓ 右足も巻く。↓「三浦雄一郎の『歩く技術』 60歳からの街歩き・山歩き /三浦雄一郎、三浦豪太/講談社/2011年10月11日 第1刷発行」↑ 三浦雄一郎のモットー◎ 何とかなる◎ くよくよしても始まらない◎ 細かいことは気にしない◎ サボってもまた始めればいいメタボ、生活習慣病を解消し、エベレスト登頂すら可能にした、楽しくて簡単なトレーニング法を公開!!
2023.08.07
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2023年大リーグが2023年3月30日(日本時間31日)に開催しました。2023年3月28日付朝日新聞朝刊に、大リーグで活躍する日本人選手のリストがあり、参考になります。また、オリックスやエンゼルス、マリナーズで投手として活躍した長谷川滋利さんのコラムがありました。
2023.04.21
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2023年3月21日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が米国に3対2で競り勝ち、優勝しました。色々な新聞で、必ず「栗の樹ファーム」の事が記されているので、一部を紹介します。ーーーーーーーーー1)2023年3月23日付朝日新聞朝刊 (一部抜粋)栗山流「一丸」の結晶 少年野球場が原点 つないで力に(マイアミ=山口史朗氏)「あれ(栗の樹ファーム)をつくっていなかったら、僕はきっと監督になっていない」札幌市から東へ、車で約1時間。北海道栗山町の丘陵地にある少年野球場のことだ。東京都出身で、北海道にゆかりのなかった栗山が、この地に居を構え、「栗の樹ファーム」を開いたのは20年ほど前になる。1999年。「同じ名前」だという縁で、街の青年会議所(JⅭ)から観光大使を依頼された。栗山も町が気に入った。現役選手を引退して以来抱いていた「夢」を、地元の人たちに語った。映画「フィールド・オブ・ドリームス」のような、緑豊かな野球場をつくりたいと。主人公の男性が、トウモロコシ畑をつぶして野球場をつくる。その球場に過去の野球選手や試合を観戦する人ら、大勢の人が集まってくる物語だ。亡くなった主人公の父親も現れ、親子でキャッチボールをする一幕がある。父とのキャッチボールは、栗山にとっても野球をはじめた原点だった。栗山は米アイオワ州の映画ロケ地を訪ねたことがある。日本と台湾、米国の子供達がいた。気がつけば、言葉の通じない子ども同士が、試合のような形で遊んでいた。その光景が忘れられないでいる。「野球の意味を感じさせられた。外国の人も、みんなが仲間なんだと」栗山は私費を投じ、町の人たちの協力もあって荒れ地を整えた。2002年、芝を種から育てた両翼70メートルの野球場が完成した。野球教室や大会を開いた。誰でも気軽にキャッチボールしてほしいと、球場入口にグラブやボールを置いた。2011年秋、日本ハムから監督就任の要請が届いた。栗の樹ファームでの活動、スポーツキャスターとして野球に真摯に向き合う姿が、誰よりも野球を愛していると映ったからだという。そんな人が率いる日本代表に、ダルビッシュ有(パドレス)、大谷翔平(エンゼルス)ら最高の選手が集まった。日系米国人の大リーガーも初めて代表に入った。栗山の肝煎り、ラーズ・ヌートバー(カージナルズ)は日本語を話せない。9日にあった中国代表との大会初戦。一回、1番打者ヌートバーのヒットにベンチも観客も沸いた。その一体感は、栗山がアイオワで見た子供たちの姿に通じるものだった。↓2023年3月23日付朝日新聞朝刊。 ーーーーーーーーー2)2023年3月23日付スポーツニッポン 一部抜粋(秋村誠人氏)名前が同じ縁で交流が始まった北海道栗山町に野球場を造ったのは2002年。その背中を押したのが、映画「フィールド・オブ・ドリームス」だった。1999年、映画の舞台の米アイオワ州のトウモロコシ畑の中の野球場を訪れた時に「違う国の子供たちが、言葉が通じないのに仲良く野球をしてた。野球って凄い」と感激。私財を投じて映画と同じ天然芝の野球場を造り「栗の樹ファーム」を開場した。アイオワを訪れてから24年。栗山監督はマイアミで同じ言葉を口にした。準決勝の劇的な逆転サヨナラ勝ちに「野球ってすげえな」と、この夜も大谷対トラウトでのゲームセットに「野球って凄い」と。映画のような夢を見せてくれる野球に心酔した。映画はケビン・コスナー演じる主人公が「それを造れば、彼が来る」という声を聞いて野球場を造ると、往年の名選手がやってきて最後に「彼(仲たがいしたまま他界した父)」が現れる。栗山監督は、栗の樹ファーム開場の10年後に日本ハム監督、その10年後に侍ジャパン監督に就任した。「それを造ったら、ユニホームを着た自分と、”監督と野球ができて良かった”と言ってくれる全ての選手たちが現れた」。大谷と出会い、メジャーへ巣立った愛弟子と米国を倒して世界一になった。それは「フィールド・オブ・ドリームス」そのものだ。(秋村誠人氏)【フィールド・オブ・ドリームス】1989年公開の米国映画。ケビン・コスナー演じるアイオワ州の農民レイ・キンセラは「それを造れば、彼が来る」という不思議な声を聞く。周囲の反対を押し切り野球場を造ると、シューレス・ジョー・ジャクソンら、伝説の選手たちがトウモロコシ畑から現れる。その中に若き日の父親を見つけてキャッチボールをするという、野球の題材に夢や希望、親子の絆を描いた幻想的な作品。アカデミー賞3部門ノミネート。↓2023年3月23日付スポーツニッポン↑ 1999年、トウモロコシ畑の中へ消えていく栗山監督(中央)ーーーーーーーーーーーーー3)2023年3月23日付日刊スポーツ魂を次世代に 栗の木に込めた使命 (古川真弥氏)昨秋、栗山監督は大忙しだった。代表監督としてではなく、大自然で暮らす一人の人間として。「ネズミにかじられないようにね。全部、巻いたよ」。名字が同じ縁で北海道・栗山町に住む。町の人たちと力を合わせて開いた「栗の樹ファーム」は、天然芝の球場とともに緑にあふれている。昨年5月、新たに100本の栗の苗木を植えた。1本1本に動物よけのす巻きを施した。冬の間、餌代わりにかじられないよううに。苗木はドラマ「北の国から」で知られる脚本家の倉本聰氏から送られた。日本ハム監督を10年率い、北海道を盛り上げてくれたことへの感謝だった。その1本を、ファーム入り口脇に植えた。送り主への敬意をこめて「聰師栗木」の看板とともに。↓ 2023年3月23日付日刊スポーツ↑ 北海道・栗山町の栗の樹ファーム入口脇に植えられた、倉本聰氏寄贈の栗の木。
2023.04.20
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2023年3月23日付日刊スポーツで、栗山監督と京セラの創業者・稲盛和夫氏に関する記事(古川真弥氏)があり、とても興味深く、何度も繰り返して読みました。私も人生でやりたいことは、いつかやろうという気持ちだと後悔する事になるので、積極的にどんどんやるべきだと思いました。記事を紹介します。ーーーーーーーーー目の前の光景は、栗山監督の想像を超えた。「野球って本当にすごい。人生を表現している。翔平が頑張ってきた形がつながった」。大谷が同僚トラウトを空振り三振に仕留め、世界一に。「去年からいろんなことは考えていた」が、自身も驚く劇的なフィナーレだった。原動力は、痛烈な”後悔”だった。2019年1月29日。その日付を忘れられずにいる。京セラの創業者・稲盛和夫氏に会えるはずだった。著書を読み込む人生の師、ぜひ会いたかった。日本ハム7年目の指揮を終え、ついにアポが取れた。だが前日に稲盛氏が体調を崩し、キャンセルになった。「俺の行動が遅れたからだ。亡くなられて、もう会えない。人としてダメ出しされた。『あなた、大変なこと、しましたよ。早く行動しないために、人生で一番大事なものを失いましたよ』と」せめてもと京都の本社に行き、周りの人に話を聞いた。それでも悔恨の情は消えない。それからだ。「やらなきゃいけないことは確実に早くやる」。WBCも、そう。「勝ち負けは分からないけど、大会までに必要と思うことは絶対にやり切る」と自分に誓った。プロアマ問わず現場に足を運んだ。安易な道は選ばない。昨年3月の強化試合では大学生も選出。「正直言えば、無難にやっておく方が文句も言われない。だけど、それは失礼。代表監督に信任された。やる責任がある」。「侍」に学生野球の父・飛田穂洲の言葉「無私道」を重ねる。10年間の激務からか、日本ハム監督を勇退後、心臓の手術を受けた。それでも重責を引き受けたのは、”私”よりも大事なことを感じたから。2月の宮崎強化合宿集合日、選出1人1人に直筆の手紙を送った。筆を執り、和紙に期待する役割をしたためた。2023年3月21日。日本では同22日。あの日から1513日。”後悔”は”歓喜”に変わり、マイアミに10度、舞った。「最後のユニホームだと思っている」と明かすと「これ以上ない、最高のサムライです!」と締めた。悔いなく、戦いを終えた。【古川真弥氏】ーーーーーーー↓ 2023年3月23日付日刊スポーツ栗山監督引退。「痛烈な後悔を胸に重責はたし マイアミの歓喜10度舞い」
2023.04.19
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2023年3月18日付朝日新聞朝刊の「時々刻刻」で、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)空前の盛り上がりの裏に何があったのかとして、プロ野球取材班、編集委員・稲垣康介氏の記事があり、面白く拝見しました。記事の中で、今回のWBC日本代表監督がどのように決められたかが書いてあります。一部を紹介します。球界に東京五輪金メダルの余韻が残る2021年9月。プロ・アマでつくる「侍ジャパン強化委員会」が開かれた。この第5回WBCに臨む日本代表の編成が議題だった。大会創設から2連勝した「侍ジャパン」は、13年の第3回大会、17年の第4回大会と4強敗退。五輪の優勝で、WBCでの3大会ぶり世界一への期待は膨らんだ。球界関係者によると、東京五輪監督・稲葉篤紀の後任選びは、プロ側が主導権を握った。10月まで数回開催された「小委員会」で、50~60人の名前が挙がったという。上原浩治、藤川球児、松坂大輔、江川卓・・・・。年齢や指導者経験の有無が考慮された。残った候補は、髙橋由伸、工藤公康、緒方孝市、秋山幸二といったプロ野球の監督経験者ら10人程度。その中で白羽の矢が立ったのが、栗山英樹だった。ナショナルチームを率いるには、選手時代の実績が乏しい印象だ。だが、21年まで10シーズンにわたって日本ハムを率い、12球団の選手の特徴をよく把握している。日本ハムで、栗山が監督、稲葉は選手という間柄だったため、引き継ぎもスムーズ。なにより、栗山以外に持ち得ない「人脈」への期待が大きかった。日本ハムで「投打二刀流」への道筋をつけた大谷翔平(エンゼルス)との「師弟関係」である。ダルビッシュ有(パドレス)も日本ハム出身。それでも、過去の大物大リーガーの動向からすると、2人がWBCに出場することはなさそうだ、とみられていた。日本代表監督に就いた栗山は、米国にいる彼らを訪ねた。そして事態が動き出す。22年11月、大谷がインスタグラムでWBC出場を表明。後に「決断する容易さ、しやすさは栗山監督だったからこそ」と語った。12月にはダルビッシュもツイッターに「栗山監督に『来年のWBCに出場しなさい』と言われた」とつづった。この2人の目玉選手の参加により、WBCへ注がれる世間の熱は高まった。↓ 2023年3月18日付朝日新聞朝刊の「時々刻刻」。
2023.04.18
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第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本3ー米国2として、日本が優勝した事を受け、2023年3月23日付のスポーツニッポンに、栗山監督の「本紙に寄せた色紙」と、独占手記の紹介がありました。色紙には「至誠にして動かざる者はいまだ之れ有らざるなり」という言葉が書かれています。中国の孟子の有名な言葉で、誠意を尽くして接すれば、動かない人など今まで誰もいない」という意味です。スポーツニッポンに記載されている独占手記の一部を紹介します。夢だったのか、イメージしていたのか自分でも分からない。最後のマウンドで翔平がガッツポーズしているシーンは以前から頭にあった。それが現実になってくれた。でも、実は肝心の最後の巣g多は見ていない。トラウトが空振り三振したのを確認し「よっしゃー!」って、ベンチでコーチたちと抱き合った。想像していたのは、ダルビッシュが両手を広げて喜ぶ2009年のWBC決勝のシーンの姿だ。後で、翔平がクラブと帽子を投げ捨てて派手に喜んでたと聞いて、本当に良かったなぁと改めて思った。1点リードの9回。ダブルプレーで2死となり、最後の打者がトラウトとなった時、「あっ、これは勝つんだろうな」と自然に思った。翔平がトラウトを打ち取って世界一が決まるこんな場面は誰が意図してもつくれない。きっと翔平たちが苦しみ、頑張ってきたことを野球の神様が認めてくれたからなんだろう。~ それにしても、これだけのメンバーがよく集まり、みんなが一体となり、ひたすら一生懸命に野球をやってくれた。今回の手記にあたり、吉田松陰が好んだ言葉「至誠にして動かざる者はいまだ之れ有らざるなり」を書かせてもらった。誠意をもって伝えれば、あれだけの選手が動いてくれる。人って凄い。そう感じた大会でもあった。不振で苦しんだ宗隆(村上)とは話し、メールも送った。準決勝の1点差の9回。無死一、二塁の場面、送りバントで牧原も用意させていた。でも、違う。自分の中にふっと降りてきた。「最低でも外野フライで走者を三塁に進めてくれる」と。それに最高の形で応えてくれた。そして今日の同点アーチ。彼は世界が驚く打者なんだ。ーーーーーースポーツニッポンでは、色紙の言葉について、次の紹介がありました。吉田松陰が好んだ孟子の一節「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」幕末の志士、吉田松陰が特に好んだ孟子の一節として知られる。「精いっぱいの誠意を持って尽くせば、動かなかった人など、今まで誰もいない」という意味。栗山監督は歴史上、最も好きな偉人として吉田松陰を挙げている。↓ 2023年3月23日 スポーツニッポンより。
2023.04.17
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2023年3月11日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本対チェコ戦が行われました。試合中、佐々木朗希投手の投げた162キロのボールが、チェコのウィリー・エスカラ選手の膝に当たりました。エスカラ選手は痛みをこらえながらも、歩けるアピールをしたので、皆安堵して拍手を送りました。3月13日に、チェコチームがバスで球場に行く前、佐々木朗希投手がホテル前でエスカラ選手に会い、ロッテのお菓子を2袋渡して、直接謝罪しました。サインしたボールを渡し、2人で記念写真をしました。これについて、チェコ野球協会のツイッターにも記載されました。二人の笑顔の写真を見て、なんだか嬉しくなりました。↑ チェコ野球協会 @Baseball Czech佐々木朗希さんは、オフの日にもかかわらず朝早くに起きて、チェコチームが野球場に出発する前に、ウィリー・エスカラさんに会うためホテル前で待っていた。彼はウィリーさんの膝に「ロケット」球を誤って当ててしまったことを個人的に謝罪し、お菓子の入った袋を2つも持って来た。尊敬だ!↓ 佐々木朗希さんとウィリー・エスカラさん。
2023.04.16
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2023年3月25日、東京ドームに併設されている野球殿堂博物館に行き、「2023 WBC 日本代表 侍ジャパン」として、メンバーの写真が掲示されていました。
2023.04.15
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2023年3月25日、列に3時間以上並び、野球殿堂博物館で2023年第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)優勝トロフィーを見ました。トロフィーの上部には、手垢が付いています。ガラスケースには、2023年、2006年、2009年の優勝トロフィーが並んでいました。記念ボールも展示されています。以前のブログで、中国、韓国、チェコ、豪州、イタリア戦のウイニングボールを紹介した事があるので、今回はメキシコ、アメリカ戦のウイニングボールを紹介します。ーーーーーーーーーーーー↓2023年第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)優勝トロフィー。上部右側に、手垢が付いているのが見える。↓ 優勝トロフィー。(前)2023年優勝トロフィー、(左奥)2006年優勝トロフィー、(右奥)2009年優勝トロフィー。↓ 侍ジャパン 栗山英樹監督ユニフォーム。2022年モデル(ホーム用)ーーーーーーーーーー↓ 2023WBC 準決勝 メキシコ戦。村上宗隆 サヨナラヒットのボール。日本は4回に3ランホームランで先制を許す苦しい展開になるも、7回に吉田正尚の3ランで同点とした。しかし、直後の8回に2点を許すも、その裏、山川穂高の犠飛で1点を返した。4-5で迎えた9回裏、大谷翔平が二塁打で出塁しチームを鼓舞すると、村上宗隆が逆転のサヨナラ二塁打を放ち、日本が6-5で3大会ぶりの決勝進出を決めた。ーーーーーーーーーーーーー↓ 2023 WBC 決勝 アメリカ戦ウイニングボール。日本は2回にターナーのソロ本塁打で先制されるも、その裏、村上宗隆のソロ本塁打とラーズ・ヌートバーの内野ゴロの間に1点を追加し逆転に成功した。4回には岡本和真のソロ本塁打で3-1とリード。投げては先発今永昇太から4投手がつなぎ8回はダルビッシュ有、9回は大谷翔平が抑えて3-2で3回ぶり、3度目の世界一を獲得した。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 野球殿堂博物館を出た。↓ 東京ドーム。
2023.04.14
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2023年3月25日、WBC優勝トロフィーを見るため野球殿堂博物館に行きました。博物館内は人だらけで、通路には歩くルートがテープで貼ってありました、それに沿って少しずつ前に進みます。途中で殿堂入りされた方のプレートが並んでいました。私は広島に住んでいたことがあり、広島市民球場にはよく試合を見に行きました。広島カープに関係する方で、気が付いた方の殿堂プレートを写真に撮りました。(プレートに気が付かなかった方も数名おられますが、ご容赦下さい)↓ 野球殿堂博物館の一角にある、殿堂プレート。ーーーーーーーーーーーーー広島カープに関係する方で、気が付いた方の殿堂プレートを写真に撮りました。↑ 【石本秀一】大正初期、広島商業の投手として全国大会で活躍、大正12年から母校の監督となり、卓抜した精神教育で選手を指導し、長らく同校に栄誉をもたらした。のちプロ野球界に入り、阪神、金鯱、旧大洋、旧西鉄、太陽、広島の監督を歴任。また数球団のコーチをつとめた。多年にわたり球団の指導強化につくした功績は大きく、その門下から数多くの逸材が生まれた。↑【廣岡達朗】実力と人気を兼ね備えた遊撃手として、早大から昭和29年、巨人に入団。同年112試合出場、107安打、本塁打15、打率.314で新人王となり、その華麗な守備がさらに人気をよんだ。現役引退後、巨人、広島、ヤクルトのコーチを経て、昭和53年ヤクルト監督として球団史上初のリーグ優勝と日本一を達成した。また昭和57年、58年には西武で日本シリーズを制覇し、両リーグにわたる優勝で指導力を高く評価される。↑ 【古葉竹識】カープの黄金時代を築いた名監督。日鉄二瀬から昭和33年に広島カープに入団。昭和45年、南海に移籍、盗塁王2回、ベストナイン1回獲得。コーチを経て昭和50年にカープの監督に就任したが、早くもこの年、球団創立後初のリーグ優勝を果たした。カープ在任11年でリーグ優勝4度、日本シリーズ制覇3度、昭和62年からは、3年間横浜大洋監督を務め、監督通算873勝利を記録した。↑【根本陸夫】法政大学からノンプロを経て、昭和27年近鉄に捕手として入団。実働年数は4年と短かったが、昭和37年から近鉄、広島でコーチ、昭和43年から広島、クラウンライター、西武、ダイエーの4球団で監督を務めた。その手腕は、現場の指揮官からフロント入りしてさらに発揮された。西武、ダイエーでチームづくりの責任者として、幅広い人脈や行動力を駆使して基礎を築き、のちに訪れる黄金時代に導いた。↑【長谷川良平】ノンプロから昭和25年、広島カープ創立とともに入団。1年目に早くも15勝をし、以後8年連続2ケタ勝利をあげる。昭和30年には30勝し、最多勝を獲得。身長167cmの小柄ながら、切れ味鋭いシュートを駆使して、「小さな大投手」と呼ばれ、エースとして長年にわたりチームを支えた。実働14年で197勝、1564奪三振、防御率2.65を記録した。昭和40年途中から3年間、広島の監督を務めた。【松田耕平】昭和45年に広島東洋カープのオーナーに就任するや、大リーグの教育リーグへの選手派遣、球団初の海外キャンプの実施、球界初の外国人監督の起用など、大リーグを手本に球団改革を推し進めた。平成2年にはドミニカ共和国に「カープ・ベースボール・アカデミー」を設立、国内外での選手育成に力を注ぐなど先駆的な球団経営を推進した。球団創設26年目の昭和50年に悲願の初優勝を成し遂げ、リーグ優勝6度、日本一に3度輝くなど「赤ヘル黄金時代」を築いた。↑【関根潤三】法政大学時代に来日したサンフランシスコ・シールズ戦に、六大学選抜軍の投手として出場し、延長13回を投げたが2-4で惜敗する。昭和25年に投手として近鉄に入団し、昭和32年からは打者に転向した。防御率ベストテン入り1回、打撃ベストテン入り5回、オールスター出場5回のうち、昭和28年は投手で、昭和38年は打者としてファン投票で選出された。引退後はコーチ、監督として若い選手の育成に努めた。監督を退いてからは、テレビ解説者として、長年にわたり活躍。↑【山本浩二】大学時代は、田渕、富田と共に「法制三羽ガラス」と呼ばれ、黄金時代を築く。1969年ドラフト1位で広島に入団し、1年目からレギュラー選手として活躍。1975年には打率.319、30本塁打を記録して首位打者を獲得、広島を初優勝に導き、MVPに選ばれた。1977年からは5年連続40本塁打以上をマークし、本塁打王を4回獲得するなど「ミスター赤ヘル」と呼ばれ、球界を代表する選手として活躍した。↑【北別府学】1976年に都城農業からドラフト1位で広島に入団。3年目に10勝をあげ、以来エースとして11年連続2桁勝利をあげる。チームが初の日本一となった1979年は、チーム最多の17勝。1982年に開幕から11連勝、初の20勝をあげ最多勝を獲得、沢村賞にも選ばれる。1986年には最多勝、最優秀防御率、MVPを獲得し、チームのリーグ優勝に貢献、2度目の沢村賞を獲得する。抜群の制球力で、球団初の200勝投手となり、引退後は広島で投手コーチを務めた。↑【津田恒実】南陽工業から協和発酵を経て、1982年にドラフト1位で広島に入団。1年目から19試合に先発し、11勝6敗で新人王を獲得。肩の故障から復活後、1986年にリリーフに転向、4勝22セーブでカムバック賞を受賞。1989年には12勝28セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得した。オールスターにも5回出場、10回1/3を投げ失点0、12奪三振を記録。攻めに徹した投球は、”炎のストッパー”と呼ばれた。1993年7月、脳腫瘍のため32歳の若さで帰らぬ人となった。↑【大野豊】軟式野球の出雲信用組合から、1977年にドラフト外で広島に入団した左腕投手。先発、リリーフとして活躍。1988年に防御率1.70で最優秀防御率のタイトルを獲得し、沢村賞に選ばれる。1991年に6勝26セーブ32セーブポイントで最優秀救援投手となる。1997年は防御率2.85で2度目の最優秀防護率のタイトルを獲得。実働22年間で広島の3度の日本一と5度のリーグ優勝に貢献した。↑【外木場義郎】1964年に広島に入団。1965年、プロ初勝利をノーヒットノーランで飾る。1968年には完全試合、1972年に3回目のノーヒットノーランを達成。完全試合1回を含む3回の達成は、プロ野球史上初となる。1975年には20勝、193奪三振で最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得し、沢村賞にも選ばれる活躍で、広島球団創立以来初のリーグ優勝に貢献した。
2023.04.13
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2023年3月25日、野球殿堂博物館に行きました。大谷翔平選手が日本ハムファイターズで活躍した時の、ユニフォームやボールなどが展示されていました。2015年のWBSC プレミア12のユニフォームもありました。ーーーーーーーーーーーーー野球殿堂博物館(2023年3月25日)日本ハムファイターズ時代の、大谷翔平選手の用具類。↓ 大谷翔平選手の日本ハムファイターズ着用ユニフォーム(2014年)↓ 大谷翔平選手のサイン。↓ 大谷翔平選手 使用バット。↓ 大谷翔平選手 サイン。↓ 大谷翔平選手 プロ野球先発第一球。2013年5月23日、札幌ドームで行われたヤクルト戦でプロ野球初登板初先発。5回2失点で勝敗は付かず。↓ 大谷翔平選手 2017年最終登板使用球2017年10月4日、札幌ドームで行われたオリックス戦に「4番・投手」で先発。9回を投げて2安打10奪三振で完封し、打っては4打数1安打で先制の得点を上げるなど投打で活躍。メジャー移籍前最後の登板を飾った。↓ 大谷翔平選手 使用スパイク。ーーーーーーーーー大谷翔平選手。後ろは来日ベーブルースのポスター。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2015年のWBSC プレミア12 大谷翔平選手のユニフォーム(ホーム用)。
2023.04.12
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第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が優勝しました。優勝トロフィーが野球殿堂博物館に、期間限定で展示されると聞いたので、2023年3月25日午後に博物館へ行きました。野球殿堂博物館の入り口は長蛇の列ができており、最後尾はドームの2階でした。14時50分頃に並び始め、博物館の入り口は17時頃でした。ところが博物館の中も列ができており、トロフィを見たのは18時過ぎでした。行列に並んでいる時、ドームの上部から垂れている幕を見ていました。「読売ジャイアンツ 日本一」の幕で、1963年から1989年の日本一垂れ幕を撮影したので、記録に残しておきます。一部取り忘れた垂れ幕があるかもしれません。 ↓東京ドームの遊園地。2023年3月25日。↓ 東京ドーム。↓ 1953年 巨人日本一 水原茂監督。↓ 1955年 巨人日本一 水原茂監督。↓ 1963年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1965年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1966年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1967年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1968年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1969年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1971年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1972年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1973年 巨人日本一 川上哲治監督↓ 1981年 巨人日本一 藤田元司監督↓ 1989年 巨人日本一 藤田元司監督↓ 野球殿堂博物館入口。
2023.04.11
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2023年3月22日(米21日)第5回WBA(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦があり、日本が3対2でアメリカを破り、優勝しました。試合後のインタビューで、大谷選手がエー・ロッドさん、オルティーズさんに囲まれてインタビューを受けました。エー・ロッド(A・Rod)さんは、アレックス・ロドリゲス(Alex Rodriguez)選手の愛称で、ニューヨーク・ヤンキーズで大活躍されました。オルティーズ(デビッド・オルティーズ:David Ortiz)さんは、愛称がビッグ・パピ(Big Papi)で、ボストン・レッドソックスで永久欠番となっているほど有名な選手でした。インタビューの最後で、エー・ロッドさんが大谷選手に、日本にいた頃に憧れていた大リーグ選手は誰かと質問しました。大谷選手が日本語で答え、通訳の一平さんが「ミスター・エー・ロッド、ミスター・ビッグ・パピ」と言うと、インタビューをしていたその二人が、自分たちの名前が出たことで大はしゃぎをし、満面の笑顔で大喜びでした。ビッグ・パピことオルディーズさんは大谷選手に抱きつき、インタビュー中なのに、スマホを取り出して大谷選手と記念写真をしました。往年の大選手2人は本当に嬉しかったと思います。2人の名前をコメントに入れた大谷選手も上手だし、一平さんの通訳も素晴らしいと思いました。【エー・ロッドさんの質問】Hay, one fan question for OTANI, growing up in Japan, who were some of the players in America that you admired and looked up to ?【一平さんの通訳】日本時代、アメリカの野球、メジャーリーグを見てて、すごい憧れた選手とか参考にした選手は誰だったんでしょうか?【大谷選手の返事】もうこの二人もそうですし、今日いたケン・グリフィー・ジュニア選手もそうですけれど。もうエー・ロッド選手、オルティーズ選手、本当に僕が小さい頃見ているような選手が同じフィールドに立って、今こうやって(お二人の)インタビュー受けているのも正直信じられないような感覚ではあるので、もっともっと自分がそのような立場になれるように、頑張りたいなとは思っています。【一平さんの通訳】I mean it's got to be Mr. A.Rod, Mr.Big Papi, Ken Griffey Jr. And I mean I always watch you guys growing up.ーーーーーー一平さんの通訳は途中でしたが、「ミスター・エー・ロッド、ミスター・ビッグ・パピ」と言ったところから、インタビュアーの二人が大はしゃぎをし、嬉しさ爆発の状態になりました。↓ エー・ロッドさん、一平さん、大谷選手、オルティーズ(ビッグ・パピ)さん。↓ 大谷選手の肩を叩くオルティーズ(ビッグ・パピ)さん。↓ エー・ロッドさんが大谷選手に対して、日本にいるときに憧れた大リーグ選手は誰かと質問し、大谷選手の答えを通訳する一平さん。↓ 一平さんが「エー・ロッドさん、ビッグ・パピ(オルティーズ)さん」と通訳すると、インタビュアーの二人は、自分たちが憧れの対象であったと分かり、大はしゃぎし、大喜びする。↓ 満面の笑顔のエー・ロッドさん。↓ ビッグ・パピ(オルティーズ)さんも、大喜び!↓ 思わず大谷選手に抱きつくオルティーズさん。↓ オルティーズさんと大谷選手。↓ エー・ロッドさん、大谷選手、オルティーズさん。↓ オルティーズさんが自分のスマホを出して、大谷選手と記念撮影。
2023.04.10
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2023年3月23日、スポーツニッポンの記事で、大谷翔平選手が花巻東高校3年生の時に記した「人生計画表」が紹介されていました。新聞には、大谷選手の「人生計画表」と、実際のこれまでの野球人生が比較されています。花巻東高校3年生時では、「27歳の目標:WBC日本代表 MVP」と書かれていますが、本当の野球人生では、「27歳:46本でMVP」、「28歳 WBC 日本代表MVP」とあります。ほぼ「人生計画表」通りになっており、驚嘆です。2023年3月23日 スポーツニッポンには、大谷選手の「人生計画表」について書かれているので、一部を紹介します。「かなえた花巻東3年時の『人生計画表』」。大谷は花巻東3年時欄に「WBC日本代表MVP」と記した。計画表より1歳年を重ねたが、初のWBC日本代表入りだけでなく、MVPまでも達成した。「人生が夢をつくるんじゃない!夢が人生をつくるんだ!!」「人生を野球に」「俺がやらなくて誰がやる!?」の力強い言葉とともに書き込んだ。このオフ、大谷と連絡を取った野球部同期で当時三塁コーチャーだった皆川清司さんは「何が凄いって、これを本当にかなえたことです」と驚いていた。人生計画表を活用した野球部の恩師・佐々木洋監督は「日本のこれからの野球を左右する大事な大会で、優勝してくれたことをうれしく、そして感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。その他に「マンダラチャート」と呼ばれる目標達成のためのシートを活用。大谷が右横マスに「スピード 160キロ」と書き込み、3年夏の岩手大会準決勝で高校生初の160キロを計測した。この日の米国戦を前に「声出し」で語った言葉は、佐々木監督から「”超えたい”と思ってやらないと目標に届かない」と諭された経験から自然に出た言葉だった。入部当初、先輩の菊池雄星(現ブルージェイズ)を目標に「雄星さんみたいになりたい」と掲げると、「○○みたいになりたい、ではそのちょっと下で終わる」とダメ出しされた。ーーーーーーーーーー大谷翔平選手が花巻東高校3年生の時に作った「人生計画表」2023年3月23日、スポーツニッポンより。18歳 メジャー入団19歳 3A昇格 英語マスター20歳 メジャー昇格 15億円21歳 ローテーション入り16勝22歳 サイ・ヤング賞23歳 WBC日本代表24歳 ノーヒットノーラン 25勝達成25歳 世界最速175キロ26歳 ワールドシリーズ優勝。結婚。27歳 WBC日本代表 MVP28歳 男の子誕生29歳 ノーヒットノーラン2度目の達成30歳 日本人最多勝利31歳 女の子誕生32歳 ワールドシリーズ2度目の制覇33歳 次男誕生34歳 ワールドシリーズ3度目の制覇35歳 WBC日本代表36歳 奪三振数記録達成37歳 長男 野球を始める38歳 結果が出ず引退を考え始める39歳 来年での引退を決意40歳 引退試合ノーヒットノーラン41歳 日本に帰ってくる42~56歳 日本に米国のシステムを導入57歳 プロ野球界から引退58歳 岩手に帰ってくる59歳 リトルリーグの監督になる60歳 ハワイ旅行61歳 リトルリーグで日本一になる62~64歳 3年間 岩手の野球向上のため野球を考える65歳 メジャー年金3000万円66~69歳 世界旅行70歳~ 毎日スポーツを続けて元気で明るい生き方をする!!人生計画表(比較)18歳~20歳。人生計画表(比較)21歳~23歳。人生計画表(比較)24歳~26歳。人生計画表(比較)27歳~28歳。↓ 2023年3月23日、スポーツニッポン。
2023.04.09
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2023年3月22日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦(日本対アメリカ)が、アメリカ・マイアミのローンデポ・パークで行われました。試合に先立ち、クラブハウスで初めて声出しを任された大谷選手が、メンバーの前で素晴らしい「声出し」をしました。シンプルなのに、選手の心に響くメッセージだと思います。よく考えられているなと感心しました。記録に残しておきます。「僕から一個だけ。憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたりとか、センターを見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか、まあ野球をやっていたら誰しもが聞いたことがあるような選手たちがいると思うんですけど。今日一日だけは、やっぱ憧れてしまったら超えられないので、僕らは今日超えるために、やっぱりトップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあっ、行こう!!」2023年3月23日のスポーツニッポンに、大谷選手の声出しの記事がありますが、2006年大会のイチロー選手の声出しについても記されていました。「2006年大会、同じ米国戦前にイチローが浮足立つナインを集め『一打席目に本塁打を打つから期待してほしい』と宣言。初回に有言実行の先頭打者弾を放ち勇気を与えた」また同紙で、試合後の記者会見での大谷選手の話が書いてあります。ー試合前の声出しで伝えたかったことー「僕らは知らず知らずのうち、米国の野球に対してかなりのリスペクトを持っている。尊敬のまなざしが逆に弱気な気持ちに変わってしまうケースが多々ある。今日一日だけはそういう気持ちを忘れて、本当に対等な立場で必ず勝つんだという気持ちをみんなで出したいなと思っていた」↓ 2023年3月23日のスポーツニッポン
2023.04.08
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2023年3月21日(日本時間22日)、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦がアメリカ・マイアミのローンデポパークで行われ、日本3-アメリカ2として、日本が優勝をしました。日本は2006年の第1回、2009年の第2回大会を制覇して以来、14年ぶり3回目の優勝を果たしました。前日の3月21日は祝日だったので、日本対メキシコ戦はテレビで見ることが出来ました。しかし、22日は出勤日だったので、テレビは見ておらず、日本優勝をウェブニュースで知りました。仕事が忙しく、試合の再放送を見ることが出来ず、テレビニュースでハイライトだけ見ました。村上選手、岡本選手がホームランを打ち、最後はエンゼルスの大谷投手とマイク・トラウト選手が対峙しました。手に汗握る場面です。フルカウントから大谷投手が投げたスライダーをトラウト選手が空振りし、三振しました。まるで漫画のような劇的な瞬間で、日本の優勝が決まりました。新聞の記録を残します。ーーーーーーーーーーーーーー2023年3月23日 朝日新聞朝刊。2023年3月23日 朝日新聞朝刊。侍J世界一奪還。WBC 米破り14年ぶり。↓ 強振 世界打ち抜く。↓ WVPに選ばれた日本代表の大谷(中央)。↓ 二回裏日本無死、村上は右越え本塁打を放つ=時事。↓ 四回裏日本無死、岡本和は左中間に本塁打を放つ=西岡臣氏撮影。↓ 9回表米国2死、トラウト(右上)を空振り三振に打ち取り、優勝を決めた大谷(背番号16)。捕手中村=時事。↓ 無敵 侍J最強証明。↓ 決勝で先発し、2回を1失点に抑えた今永。 ↓ 三回表米国2死一、二塁、ターナーを三振に打ち取った戸郷=いずれも西岡臣氏撮影。↓ 山田 元盗塁王の足。六回裏日本2死一塁、山田(背番号1)は盗塁に成功。↓ ヌートバー 笑顔の中心。試合後、胴上げされる日本代表のヌートバー。↓ 栗山流「一丸」の決勝。↓ 優勝し、トロフィーを手に記念撮影をする栗山監督(手前中央)=西岡臣氏撮影。ーーーーーーーーーー2023年3月23日 スポーツニッポン。胸熱!世界一 米国撃破 大谷MVP!↓ 栗山監督 夢は正夢に翔平 ガッツ出た。↓ 村上弾!! 世界最速1号 / 岡本弾!!雪辱の追加点。今永、戸郷、髙橋宏、大海、大勢、ダル、大谷 若手4人 無失点リレー↓ ヌートバー万感胴上げ。 吉田正尚 打のMVP。↓ 日本中が燃えた14日間。侍JAPAN 世界一への軌跡。ーーーーーーーーーー2023年3月23日 日刊スポーツ大谷と侍たちへ 世界一カッコイイ 夢の時間をありがとう。↓ 世界一を決め、優勝トロフィーを手に笑顔を見せる大谷(撮影・菅敏氏)↓ 「So much proud of Japanese」ヌートバー。↓ MVP 大谷「こういう経験もう1回したい」↓ 吉田WBC新13打点 侍から2人選出 ベストナイン(大谷、吉田)最後のユニホーム 栗山勇退。↓ 村上1号 苦しんだWBC最後に出た。ーーーーーーーーーーーthe Japan times March 23, 2023.For Japan, the WBC is everything.Japan's win over the U.S. in the World Baseball Classic on Tuesday ended the side's 14-year wait to lift the trophy it last held in 2009. KYODOーーーーーーーーーーーThe New York TimesOhtani's star outshines Trout's↑ Shohei Ohtani, center, was mobbed by his teammates after closing out Japan's win in the World Baseball Classic final by striking out his Los Angeles Angels teammate Mike Trout.ーーーーーーーーーーーーーーーーthe Japan times aⅼpha March 31, 2023.Japan defeats US 3-2 to win World Baseball Classic.
2023.04.07
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2023年3月20日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)準決勝が、アメリカ・マイアミのローンデポ・パークで行われました。メキシコに3点先制されるも、吉田選手が同点ホームランを打ちます。9回裏、5対4でビハインドでしたが、村上選手がセンターフェンス直撃のヒットを打ち、6-5でサヨナラ逆転勝ちをしました。妻と一緒にテレビで見ていましたが、テレビの前で大騒ぎでした。本当にドキドキした試合でした。↓ 始球式。松坂大輔さん。↓ 佐々木朗希投手先発。ーーーーーーーーーー↓ 吉田正尚選手、同点になる3ランホームランを打った。ーーーーーーーーーーー↓ 9回裏、日本4-メキシコ5。↓ 大谷選手。↓ 大谷選手 2ベースヒット。↓ 吉田選手。↓ 村上選手。↓ 1塁代走は周東選手。↓ 村上選手。ノーアウト1塁、2塁の場面。↓ 逆転サヨナラ。日本6-メキシコ5。
2023.04.06
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2023年3月20日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)準決勝が、アメリカ・マイアミのローンデポ・パークで行われ、日本6-メキシコ5で、日本が逆転勝ちしました。新聞記事を記録として残します。ーーーーーーーーー↓ 2023年3月22日 朝日新聞より。↓ 2023年3月22日 朝日新聞朝刊。↓ WBC 日本 決勝進出。メキシコに逆転サヨナラ勝ち。↓ 吉田(正尚)一発、空気一変。 準決勝 息吹き返す3ラン。↓ 七回裏日本2死1、2塁、同点となる3点本塁打を放ちチームケートに迎えられる吉田正尚(手前右)=西岡臣氏撮影。↓ 二回表を無失点に抑え、ベンチに引きあげる佐々木朗。佐々木朗 重圧耐え力投。↓ 九回裏日本無死、二塁打を放ち、ヘルメットを脱ぎ捨て、一塁へ向かう大谷=西岡臣氏撮影。ーーーーーーーーー2023年3月22日 日刊スポーツ。生き返った村神様 侍生き返らせた吉田様同点弾。世界一劇的な逆転サヨナラ打。↓ 大谷から逆転!!↓ 世界に朗希 力むなは無理。重圧の経験は財産 きょう今永冷静に賢くそして最後は全員野球。↓ 日本対メキシコ 逆転2点適時二塁打を放った村上は、佐々木と山本にスポーツドリンクを浴びせられる。手前は大谷(撮影・菅敏氏)ーーーーーーーーーーーーー2023年3月22日 スポーツニッポン↓ 逆転サヨナラ村神様 生き返った。
2023.04.05
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2023年3月19日、妻と野球殿堂博物館を見学した後、東京ドームシティの観覧車ビッグ・オーに乗りました。観覧車から、併設してあるジェットコースターの軌道を見ていると、黄色いサンダードルフィンの車両が、無人のまま走行していました。サンダードルフィンがあまりに怖いので、誰も乗車する人がいないのではと最初は思っていましたが、無人の車両が何度も繰り返し走行するので、新車両の試運転をしているのだと気が付きました。今度乗車するか、妻と相談をしたのですが、乗車中に恐怖で心臓が止まったらどうするのかという話になりました。昔は富士急ハイランドに行ってジェットコースターに乗ったりしていましたが、歳をとると、ビビりになって怖気ついてしまいます。↓ 試運転中の黄色い新型サンダードルフィン。無人。ーーーーーー↓ 観覧車からサンダードルフィンの軌道を見る。ーーーーーー地上から撮影。
2023.04.04
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2023年3月19日、妻と一緒に東京ドームにある野球殿堂博物館を見た後、東京ドームシティの観覧車ビッグ・オーに乗りました。天気が良く、景色を十分堪能しました。
2023.04.03
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2023年3月19日、妻と一緒に、WBC1次リーグB組、準々決勝の試合が行われた東京ドームに行きました。WBCのモニュメントを見たかったのですが、試合の舞台がアメリカに移ったため、すでに撤去されており、撮影できませんでした。東京ドームの一角にある「野球殿堂博物館」に入場し、WBC1次リーグB組、準々決勝で日本が勝った試合のウイニングボール(栗山監督のサイン入り)を見ましたので記録に残します。ーーーーーーーーー2023年3月19日、東京ドームに行った。↓ 東京ドーム。↓ 野球殿堂博物館。↓ 2023 WBCウイニングボール展示。ーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド 中国戦 ウイニングボール。↑ 日本は初回に押し出しで先制し、4回に大谷翔平のタイムリーで2点を追加した。投げても先発大谷が4回無失点と好投。終盤に追加点を重ね、日本が8-1で初戦を飾った。↓ 2023年3月9日 日本8-中国1 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド 韓国戦 ウイニングボール。↑ 日本は3回表に3点を先制されるも、その裏、ヌートバー、近藤健介、吉田正尚のタイムリーで逆転。中盤以降得点を重ね、13-4で韓国に勝利し、2連勝とした。↓ 2023年3月10日 日本13-韓国4 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド チェコ共和国戦 ウイニングボール。↑ 日本は初回1点を先制されるも、3回に吉田正尚、山田哲人のタイムリーで3-1と逆転。4回にも大谷翔平のタイムリーなどで4点を追加するなど、10-2で3連勝となった。↓ 2023年3月11日 日本10-チェコ2 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド オーストラリア戦 ウイニングボール。↑ 日本は初回、大谷翔平の特大3ランホームランで先制し、5回までに7点をリード。投げては山本由伸、髙橋奎二らの好投で7-1で勝利し、4連勝でプールB1位通過を決めた。↓ 2023年3月12日 日本7-オーストラリア1 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーーーーーー↓ 2023 WBC準々決勝 イタリア戦 ウイニングボール。↑ 日本は3回、大谷翔平のセーフティバントを足掛かりに吉田正尚の内野ゴロの間に先制、続く岡本和真の3ランホームランで4-0と先行した。村上宗隆も2本の二塁打で1打点を挙げた。先発大谷は5回途中2失点の力投を見せ、ダルビッシュ有ら計5投手の続投で9-3と勝利。米国マイアミで行われる決勝ラウンド(準決勝)進出を決めた。↓ 2023年3月16日 日本9-イタリア3 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。↑ 侍ジャパン 栗山英樹監督ユニホーム 2022モデル(ホーム用)。↑ 2023 WBC1次ラウンド 韓国戦メンバー表。↓ 記念撮影。
2023.04.02
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第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ですが、1次ラウンドB組(日本、韓国、豪州、中国、チェコ)の試合が、東京ドームで2023年3月9日~12日で行われました。会社から帰る時間が遅いので、中国戦は観ることが出来ず、韓国戦は途中から見ました。一部を写真に写したので、記録に残しておきます。ーーーーーーーーー2023年3月10日(金) 日本対韓国戦。ーーーーーーーーーーーー2023年3月11日日本対チェコ。ーーーーーーーーーーーー2023年3月12日(日)日本対オーストラリア。
2023.04.01
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第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が、2023年3月8日から開催されました。1次ラウンドはA~D組で、それぞれ5チームが総当たりとなります。台湾、日本、米国に分かれて実施され、各組上位2チームが準々決勝に進出します。A組(台湾、オランダ、キューバ、イタリア、パナマ)B組(日本、韓国、豪州、中国、チェコ)C組(米国、メキシコ、コロンビア、カナダ、英国)D組(プエルトリコ、ベネズエラ、ドミニカ共和国、イスラエル、ニカラグア)1次ラウンドB組で日本は全勝し、準々決勝でイタリアに勝ちました。朝日新聞記事を見ながら振り返ります。ーーーーーーーーーーーー↓ 2023年3月9日(木) 朝日新聞朝刊。ーーーーーーーーーーーーーーー2023年3月10日(金)朝日新聞朝刊。初戦 中国に完勝(2023年3月9日 日本8ー中国1 東京ドーム)↓ 大谷二刀流 白星発進。WBC中国戦。↑(右)日本先発の大谷=西岡臣氏撮影。(左)4回裏日本1死1、3塁、大谷は適時二塁打を放つ=諫山卓弥氏撮影。 ↓ 1回裏日本無死、ヌートバーは中前に安打を放つ。↓ 3回表中国1死、中飛を好捕するヌートバー。ーーーーーーーーーーーーーーー2023年3月11日(土)朝日新聞朝刊。韓国から大量13点(2023年3月10日 日本13-韓国4 東京ドーム)↓ ダル救護 侍は一つになった。↓ 3回表韓国無死二塁、ダルビッシュは梁義智に先制の左越え2点本塁打を浴びる。↓ 3回裏日本1死満塁、吉田は中前に逆転の2点適時打を放つ=諫山卓弥氏撮影。↓ 5回裏日本無死、近藤は右越えに本塁打を放つ。ーーーーーーーーーーーーーーーー2023年3月12日(日)朝日新聞朝刊。チェコに快勝。(2023年3月11日 日本10-チェコ2 東京ドーム)↓ (佐々木)朗希が勝った 3・11は変わる。/東日本大震災12年 心 いまもそばに。↓ 日本先発の佐々木朗希投手=諫山卓弥氏撮影。↓ 佐々木朗希 上々8K1回表チェコ2死二塁、チェルベンカの遊ゴロが悪送球を誘い、先制を許した佐々木朗希。↓ ここぞの吉田 3連勝導く。3回裏日本2死一、二塁、吉田は逆転の適時二塁打を放つ=西岡臣氏撮影。↓ 牧2号 (大谷の)代打で結果。8回裏日本無死、牧は左越えに本塁打を放ち、三塁をまわる。↓ 村上 ついに初安打。8回裏日本無死、村上は右前安打を放つ。ーーーーーーーーーーーーーー2023年3月14日(火)朝日新聞朝刊。(2023年3月12日 日本7-豪州1 東京ドーム)↓大谷豪快1号 侍無傷4連勝。1回表日本無死一、二塁、大谷は西越に先制の3点本塁打を放つ=西岡臣氏撮影。↓ 打って走って ヌートバー大暴れ2回表日本1死二塁、近藤の右前適時二塁打で走者ヌートバーが生還、ベンチ前でペッパーミルパフォーマンス。↓ 中村 好リード&3安打。6回裏豪州1死一塁、マカードルは三振に倒れる。捕手中村、捕手高橋奎二。 ーーーーーーーーーー1次ラウンド B組 結果。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2023年3月15日(水)朝日新聞朝刊。 WBC「ペッパーミル」タオルに(金子智彦氏)ーーーーーーーーーーーー2023年3月17日(金)朝日新聞朝刊。準々決勝(2023年3月16日 日本9-イタリア3 東京ドーム)↓ 大谷 笑顔を届けた WBC4強。↓ イタリアに勝利し、チームメートとタッチをする大谷翔平。=16日午後、東京ドーム 諫山卓弥氏撮影。↓ ヌートバー守る家族の絆。祖母からのネックレス 試合中も。1回裏、ヌートバーは安打を放ち雄たけびをあげる=西岡臣氏撮影。ヌートバーがユニホームの下に身につけているネックレス。↓ 日本先発の大谷=西岡臣氏撮影。↓ 3回裏日本1死1塁、大谷はバント安打を決める。↓ ダル 日本で見せた献身。7回表を無失点に抑え雄たけびをあげるダルビッシュ。↓ 3回裏日本2死一、二塁、岡本和は左越えに3点本塁打を放つ。↓ 村上適時打 迷い消えた。5回裏日本無死一、二塁、村上は適時二塁打を放つ。
2023.03.31
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2023年1月8日朝、「ボクらの時代」を見ました。サッカー日本代表の谷口彰悟選手、田中碧選手、権田修一選手が出演されており、色々な話が出ましたが、私が一番印象に残ったのは、田中選手が三苫選手を「薫さん」と呼ぶ話です。田中碧選手は三苫薫選手に対し、ニックネームは使わず、必ず「薫さん」と呼ぶのはなぜかと、権田選手が質問をします。田中選手の答えは、次の通りでした。田中選手と三苫選手は幼馴染で、同じ小学校に通い、同じ鷺沼サッカークラブに入っていました。1年年上の三苫選手が中学生になり中学校に行くようになると、小学6年生の田中選手はそこに差を感じ、三苫選手を「薫さん」と「さん付け」で呼ぶようになり、今に至っているそうです。ワールドカップ・カタール大会の日本ースペイン戦で、三苫選手が「1ミリの奇跡」を起こし、ラインぎりぎりのボールを蹴り返し、田中選手がボールを蹴り込んで、追加点が入りました。喜んだ2人は、芝生に転がりハグをします。ハグの瞬間も、田中選手は三苫選手に「薫さん」と声を掛けていたそうです。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 2023年1月8日、「ボクらの時代」。サッカー日本代表の谷口彰悟選手、田中碧選手、権田修一選手。↓ 谷口彰悟選手。↓ 田中碧選手と三苫薫選手(左下)。↓ 田中碧選手。↓ 権田修一選手。↓ 幼馴染の三苫薫選手を「薫さん」と呼ぶ理由を話す田中碧選手。↓ グループE 第3節 日本ースペイン。試合直後に喜ぶ田中碧選手と三苫薫選手。
2023.01.11
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2022年12月6日付 日刊スポーツに、「コクヨが4年間プレゼント 森保監督専用ノート」という見出しの記事があり、楽しく読みました。森保監督は監督就任から今まで、5冊のコクヨ社キャンパスノートを愛用しているそうです。複数色のボールペンを使い分け、試合中はポジティブ要素を青、課題などは赤で記しています。「指揮官が試合中に何度もメモを取る様子が国際映像で映し出され、今や世界から注目を浴びる森保ノート。海外では『DEATH NOTE(デスノート)』と呼ばれるほど恐れられている」(平山連氏)と書いてあります。「週刊文春(2022年12月15日号)/文藝春秋」には、森安監督が折り曲げて手にしている手帳が写っており、そのページには「日本に不可能はない JAPAN IMPOSSIBLE IS NOTHING」と書かれていました。
2022.12.07
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サッカーW杯カタール大会ですが、2022年12月5日18時(日本時間12月6日0時)、アル・ジャヌーブ・スタジアムで、日本ークロアチア戦が行われました。深夜でしたが、妻と一緒にテレビ観戦をしました。前半43分、日本の前田選手が先制点を奪いますが、後半10分、クロアチアのペリシッチが同点とし、1-1のまま延長戦でも決着つかず、PK戦となりました。PKは日本先行で始まりました。① 南野選手 X、 プラシッチ選手 ○② 三苫選手 X、 プロゾビッチ選手 ○③ 浅野選手 ○、 リバヤ選手 X④ 吉田選手 X、 パシャリッチ選手 ○結局、試合は1-1でしたが、PKは1-3となり、日本はクロアチアに負けて、8強入りはできず敗退しました。ーーーーーーー前半43分、堂安選手がショートコーナーからボールを蹴り、鎌田選手、伊東選手を経由して、堂安選手がクロスを中へ入れた。吉田選手がボールに触れた後、前田選手が左足でゴールに入れて先制した。↑ 1点を入れた前田選手。↑ 前田選手。ーーーーーーーーーーー後半10分、クロアチアのペリシッチが同点弾を入れた。↑ ペリシッチ選手。ーーーーーーーー120分間、1-1の同点だったので、PKとなった。↑ 南野選手。↑ 南野選手 X。↑ プラシッチ選手。↑ プラシッチ選手 ○。↑ 三苫選手。↑ 三苫選手 X。↑ プロゾビッチ選手。↑ プロゾビッチ選手 ○。↑ 浅野選手 ○。↑ 浅野選手。↑ リバヤ選手 X。↑ 止めて喜ぶ権田選手。↑ 吉田選手。↑ 吉田選手 X。↑ パシャリッチ選手。↑ パシャリッチ選手 ○。↑ PK1-3で、クロアチアが8強入りした。ーーーーーーーーー日刊スポーツ 2022年12月6日。日本経済新聞 2022年12月6日夕刊。朝日新聞 2022年12月7日。
2022.12.06
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2022年12月2日、サッカーW杯カタール大会1次リーグE組最終戦で、日本はスペインに2-1で逆転勝ちし、1位で決勝トーナメントに進出しました。後半6分に、堂安選手のクロスがゴールラインを割りそうになった時、三苫選手が左足を出してボールを蹴り戻したところ、田中選手がゴールにボールを蹴り、それが決勝点になりました。試合終了後、フィールドに倒れ込んだ田中選手を三苫選手がハグしました。三苫薫選手(25歳)と田中碧選手(24歳)ですが、2人は神奈川県川崎市宮前区鷺沼(さぎぬま)の鷺沼小学校、有馬中学校に行きました。2人とも「さぎぬまサッカークラブ」出身で、その後、川崎フロンターレでも活躍しました。三苫選手は田中選手より1年年上になりますが、幼馴染であり、皆から「鷺沼兄弟」とも言われていたそうです。私は年に数回、仕事で神奈川県川崎市宮前区の東急・鷺沼駅に行く事があり、駅の写真を載せます。ーーーーーーーーーーーーー↓ スペイン戦終了後、フィールドに倒れ込んだ田中選手を三苫選手がハグした。ーーーーーーーーーーーーーーー↑ 後半6分に、堂安選手のクロスがゴールラインを割りそうになった時、三苫選手が左足を出してボールを蹴り戻した。↑ 三苫選手の折り返しボールを、田中選手がゴールに蹴り、それが決勝点になった。↑ 日本は2点目が認められ、スペインを逆転した。ーーーーーーーーーーーー↑ 田中碧選手。↑ 三苫薫選手。ーーーーーーーーーーーーー↓ 私は仕事で、年に数回、神奈川県川崎市宮前区の東急・鷺沼駅に行くことがある。↑ 東急グループ100周年記念のラッピング車両。↑ 鷺沼駅周辺。上部に鷺沼小学校がある。
2022.12.05
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サッカーW杯カタール大会・E組第3戦・日本ースペイン戦は、2022年12月1日22時(日本時間2日4時)から始まりました。1ー1で迎えた後半6分、堂安選手のクロスがゴール横のラインを割ると思われましたが、三苫選手がギリギリのところで左足でボールを蹴り戻し、それを田中選手がゴールに入れ込みました。三苫選手がボールを蹴るとき、ボールがゴールラインを割ったかどうか、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)でチェックし、ラインを割ってないと判定されたので、ゴールが認められました。「1ミリの奇跡」です!!このVARにつき、日刊スポーツ(2022年12月3日)と、日本経済新聞(2022年12月3日)に記事があったので、少し紹介します。ーーーーーーーーーーーーーー日刊スポーツ 2022年12月3日付 「ボールに埋められたセンサーチップが神クロス判定のカギ」「三苫が懸命に足を伸ばして触れたボールがラインを割ったように見えた場面が世界中で、何度も繰り返し再生された。ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)での確認の末、「インプレー」で得点が認められた。いかに判定したのかー。公式球に埋め込まれたセンサーチップが鍵だった。12年にドイツで創業したキネクソン(KINEXON)社が開発した最新テクノロジーについて、日本独占ライセンスパートナー契約を結ぶ株式会社スポヲタの家徳悠介体表取締役と、アドル・ビタラフ・セールスマネージャーに聞いた。【取材・構成=安部健吾氏】ー日本の得点シーンで、どのような技術が生かされたのか教えてください。【ビタラフ氏】2つの技術が使われています。1つがキネクソンが開発したチップを使ったトラッキングシステムです。公式球の中に埋め込まれ、正確にボールの位置を測定できます。アディダス社との共同開発で名称は「iBall」です。もう1つは他社製の「ホークアイ」と呼ばれる技術でテニスなどでも使用されています。会場に設置されたカメラで、映像で判断するシステムですね。~ 判定は、観客席の最前列前の外周に張り巡らされたアンテナとの連動で計測をしています。フィールドをマッピングし、(直径約22センチの)ボールが(最大12センチの)ラインを割ったか、割ってない場合はコンマ何ミリの単位でラインにかかっているかを測ります。ーーーーーーーーーーーーー日本経済新聞 2022年12月3日 「W杯で活躍 ソニーの『目』/スペイン戦ライン判定、ミリ差逃さず/高性能カメラや映像解析」決勝点を呼び込む三苫薫選手のパスはラインを割ったようにも見えたが、真上からの映像だと、わずかにラインに触れていたー。ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)や、わずかなはみ出しも見逃さない高精度のオフサイド判定など、今大会では審判が人やボールの位置をミリ単位でとらえる「機械の目」に頼るケースが目立つ。映像システムは、スタジアムに12台設置された高性能カメラと、ボールに内蔵されたセンサーを用いる。1秒50コマの速度で撮影した映像から、1人29カ所の関節などの位置をとらえて動きを3次元データ化。機械判定に生かしたり、審判の確認用やテレビ放送用の映像を見たりできる。カメラや映像解析を担っているのが、ソニー傘下の英ホークアイ・イノベーションズだ。映像解析技術は、過去のW杯でもゴールの機械判定やVARに用いられた。オフサイドの半自動判定も、20年以降に国際大会で運用して精度を高めてきた。ーーーーーーーーーーーーー↓ 2022年12月3日付 朝日新聞。日本ースペイン戦。後半6分。三苫選手が左足で堂安選手のクロスを折り返す。↑ 三苫選手の折り返しボールを田中選手がゴールに入れ込み、逆転した。↓ 2022年12月2日付 日本経済新聞夕刊↑ (左下)後半、ゴールライン際のボールを折り返す三苫、この後、田中が決勝ゴールを決める。↓ 夕刊フジ 2022年12月2日付。(右下)ボールラインを割る↓ 日刊スポーツ。 2022年12月3日付。↓ 日本経済新聞 2022年12月3日付。ーーーーーーーー↓ 日本ースペイン戦 後半6分。堂安選手がクロスを蹴る。↓ 三苫選手がゴールライン付近で、クロスボールを蹴り返した。↓ 三苫選手の蹴ったボールを、田中選手がゴールに入れた。2-1で日本が逆転した。↓ VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)で、ラインを割ったかどうか確認することになった。↓ ゴールが認められ、大喜びの田中選手。↓ 田中選手。↓ ゴールラインぎりぎりで、ボールを蹴り戻した三苫選手。
2022.12.04
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2022年12月1日22時(日本時間2日4時)、サッカーW杯カタール大会・E組1次リーグ最終戦で、日本ースペイン戦(ハリファ国際競技場)、そしてスペインーコスタリカ戦(アルベイト競技場)が同時に行われました。ゲームが始まる前は、E組1位・スペイン、2位・日本、3位・コスタリカ、4位・ドイツの順でした。開始後、それぞれのチームが得点を得るごとに、1位から4位までの順位が目まぐるしく変わりました。前半にドイツやスペインがそれぞれ1点を入れると、日本は3位に落ちて敗退の可能性がでてきましたが、後半に日本が1点を入れると、日本は2位に浮上し、2点目を入れると1位突破の状況になりました。後半25分頃になると、コスタリカが2点目を入れ、驚くことに日本が1位、コスタリカが2位、スペインが3位、ドイツが4位になりました。そのままいくと、スペインとドイツが敗退の可能性がでてきました。その後、ドイツが3点を追加し、コスタリカが4位になりました。最終的には、E組1位・日本、2位・スペイン、3位・ドイツ、4位・コスタリカとなり、上位の日本とスペインが決勝トーナメントに進む事になりました。試合中テレビの左隅に、新しい順位表が掲示されますが、どんどん順位が変わっていくので、目が離せませんでした。ーーーーーーーーーーーー↓ 2022年12月3日 日刊スポーツ。「E組第3戦 試合と順位経過」ーーーーーーーーーーーーー日本ースペインの試合の様子。↓ 後半8:55 日本が2点目を入れて、日本1位、スペイン2位、ドイツ3位、コスタリカ4位になる。↓ 後半25分、コスタリカが2点目を入れたので、日本1位、コスタリカ2位、スペイン3位、ドイツ4位になった。ビックリの状況。↓ 後半28分、ドイツが2点目を入れた。↓ スペインが浮上した。日本1位、スペイン2位、コスタリカ3位、ドイツ4位になった。↓ 最終的に、E組は、日本1位、スペイン2位、ドイツ3位、コスタリカ4位となり、日本とスペインが決勝トーナメントに進んだ。
2022.12.03
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サッカーW杯カタール大会1次リーグE組最終戦で、2022年12月1日22時(日本時間2日4時)、日本(世界ランキング24位)はスペイン(世界ランキング7位)と戦い、2-1で逆転勝ちし、決勝トーナメント進出を決めました。前半11分にスペインのモラタが1点を入れ、そのまま後半を迎えます。森保監督が久保選手、長友選手に代えて三苫選手と堂安選手を投入しました。すると後半3分、堂安選手が左足でシュートを蹴り、ゴールを決めて同点になりました。そしてその3分後の後半6分、堂安選手が右サイドからクロスを上げると、ボールがファーサイドのゴールラインを割る瞬間、三苫選手が長い左足でボールを折り返し、田中選手がボールをゴールに押し込みました。ボールがラインを越えていたかどうか、VAR判定をすることになりましたが、ボールがミリ単位でラインに残っており、ゴールが認められました。アディショナルタイムが7分で、とても長く感じましたが、日本は守り抜き、2-1でスペインに逆転勝ちしました。妻とテレビを見ていましたが、逆転勝ちの瞬間、大騒ぎになりました。ーーーーーーーー後半3分、堂安選手が同点シュートを決めた。1-1になった。ーーーーーーーー後半6分、堂安選手のクロスがゴールラインを割りそうになったが、三苫選手が左足でボールを折り返し、田中選手がボールをゴールに押し込んだ。↑ 三苫選手がゴールライン上で、ボールを蹴って、ボールを折り返した。↑ 田中選手が2点目を入れた。↑ VAR判定をすることになった。↑ ゴールが認められ、逆転した。ーーーーーーアディショナルタイムは7分。ーーーーーーーー2-1で日本がスペインに逆転勝ちした。ーーーーーーー↓ 夕刊フジ 2022年12月2日発行突破。スペインに勝った!! 日本大逆転1位。堂安同点!田中碧決めた。ーーーーーーー↓ 日本経済新聞夕刊 2022年12月2日付。日本、スペイン破り決勝T。逆転で2-1。次はクロアチア。ーーーーーー朝日新聞 2022年12月3日付。日本 劇的16強。スペインを逆転 首位通過。ーーーーーー日刊スポーツ 2022年12月3日付。死の組首位突破 日本。 どや堂安 2発目同点弾。スペインも逆転!!森保監督続投加速。ーーーーーー日本経済新聞 2022年12月3日付。日本、スペイン破り決勝T。
2022.12.02
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2022年11月27日、サッカーワールドカップ・カタール大会で、日本(世界ランキング24位)はコスタリカ(同31位)と対戦し、0-1で敗れました。試合会場は、ドーハ・アルラヤンのアハマド・ビン・アリ競技場です。日本は第1戦でドイツに勝利しており、コスタリカに負けて1勝1敗になりました。妻と一緒にテレビで試合を観戦しました。何度も日本にチャンスがあったのですが、点に結びつかない時間が流れます。後半になっても点が入らないので、「これはもしかしたら、嫌な予感がする」と妻に話していたところ、後半36分、吉田選手が回したボールを、コスタリカのテヘダ選手がつなぎ、DFのフジェル選手が蹴ったボールがキーパー権田選手の手に当たるも、ゴールとなりました。コスタリカに1点を入れられた後、このまま負けるかもと思うと、私はテレビ画面を見る事が出来なくなり、新聞を広げたりして耳だけで聞きました。妻はテレビの前で最後まで試合を見ていました。結局、日本は0-1でコスタリカに敗れました。次は12月1日、スペイン戦になります。ーーーーーーーー2022年11月27日 日本ーコスタリカ戦。↓ 前半スタート。↓ 0-0のまま、後半へ。↓ 日本は0-1でコスタリカに負けた。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 2022年11月28日 朝日新聞朝刊。↓ 後半、コスタリカに先制点を奪われ肩を落とす吉田選手(22)、守田選手(13)。=金居達朗氏撮影。↓ 遠かった1点 痛すぎる1敗。日本が痛い星を落とした。勝利したドイツ戦から先発を5人入れ替えて臨んだが、0-0の後半36分、コスタリカの後半唯一のシュートで決勝点を奪われた。日本はシュートを14本放ったが決定機は少なく、同43分にMF鎌田が至近距離で放ったシュートは、GKナバスに防がれた。↓ 後半、ゴール前で好機を逃し、悔しがる浅野選手(18)。=伊藤進之介氏撮影。ーーーーーーーーーーー↓ 2022年11月28日(月)付 日本経済新聞夕刊。↓ ↓ ゴールを決め喜ぶコスタリカのフジェル=AP↓ 日本、初戦の積極性どこへ。前半、競り合う山根(右)。試合後、「(相手の)目線をどんどん変えていく攻撃が必要だった」と語った。=目良友樹氏撮影。↓ 「心臓」鎌田不調、攻撃滞る。鎌田(右)の不調で、日本のボールの流れが停滞した。=目良友樹氏撮影。↓ コスタリカ戦の後半に出場した三苫選手。んkほ
2022.11.28
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サッカーの第22回ワールドカップ・カタール大会が開催され、2022年11月23日夜、日本(世界ランキング24位)は1次E組で、ドイツ(同11位)と初戦で対戦し、2-1で逆転勝ちしました。NHKテレビで放送されたので、妻と一緒にテレビの前で日本を応援しました。日本は4-2-3-1のフォーメーションでスタートしました。ドイツがボールを支配する時間が多くなり、前半は31分、GK権田選手がペナルティーエリアでドイツのラウム選手にかぶさるような形になりました。PKとなり、ドイツMFギュンドアン選手に決められ、先制を許してしまいました。(前半33分)後半は陣形が3-4-2-1に変わりました。そしてMF三苫選手、FW浅野選手、その後MF堂安選手、MF南野選手が投入され、攻撃の布陣になります。まずは、三苫選手のパスボールを南野選手がゴールに向けて蹴りますが、ドイツGPノイアー選手が弾きます。そのこぼれ球を堂安選手が左足で振り抜き、1-1の同点ゴールとなります。(後半30分)その8分後、DF板倉選手の蹴ったロングパスを浅野選手が右足でトラップして受け、ドイツDFのシュロッターベック選手よりも速く走り、前線突破します。ゴールそばでドイツGPノイアー選手の頭上のわずかなスペースにシュートを決めて、2-1で逆転しました。浅野選手はサンフレッチェ広島時代からしているジャガーポーズをして喜んでいました。アディショナルタイムが7分で、長すぎるのではないかと思いましたが、最終的に2-1で日本がドイツに逆転勝ちし、妻と大騒ぎでした。全国紙以外にニッカンスポーツも購入して、試合に関する面白い記事を読みました。次は2022年11月27日、コスタリカ戦です。楽しみです。ーーーーーーーーーー2022年11月23日夜、サッカー第22回ワールドカップ日本ードイツ。(ドーハ・ハリファ国際競技場)。↑ 堂安選手が同点ゴールを入れて、1対1になる。↑ DF板倉選手の蹴ったロングパスを浅野選手が右足でトラップして受け、ドイツDFのシュロッターベック選手よりも速く走り、前線突破する。↑ 浅野選手はゴールそばでドイツGPノイアー選手の頭上のわずかなスペースにシュートを決めて、2-1で逆転した。↑ 逆転ゴールを決めた浅野選手。↑ 7分のアディショナルタイムが終わった。↑ 大喜びの日本サイド。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2022年11月24日 朝日新聞朝刊。「日本逆転 独破る」 堂安・浅野が得点。↓ 「日本 ドーハの歓喜」 大逆転 貫いた真っ向勝負。ーーーーーーーーーーーーー↓ 2022年11月24日 日本経済新聞夕刊「日本金星、采配ズバリ」 サッカーW杯、ドイツ撃破。↓ 「浅野・南野 控えが活路」 日本、ドイツ撃破。↓ 「権田 魂のセーブ連発」 波状攻撃耐え勝利導く。ーーーーーーーーーーーーー↓ 2022年11月25日 朝日新聞朝刊。「4年半の思い 右足に」 ドイツ戦 浅野が決勝点。↓ ドイツに勝利し喜ぶ浅野拓磨。↓ 「堂安次戦へ 緩まず強気」ーーーーーーーーーー2022年11月24日 日刊スポーツ「ドーハの歓喜 日本勝った」ドイツ大逆転2-1 えらすぎる!!堂安同点。浅野V弾。↓ 「森安監督 3バックも交代もズバリ」↓ 後半30分 こじ開けた堂安。ーーーーーーーーーーー2022年11月24日 日刊スポーツ「高まる『続投』森安日本」↓ 準備 経験 歴史・・・すべてつながった必然の90分。
2022.11.25
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2022年8月9日(日本時間8月10日)、大リーグ・ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手がオークランドのアスレチックス戦に登板し、6回4安打無失点で自己最多10勝目をマークしました。1918年のベーブ・ルース以来、104年ぶり2人目の「2桁勝利&2桁本塁打」の偉業を達成したことになります。また、打者としては25号ホームランを打ち、メジャーリーグ通算118号本塁打とし、日本選手ではイチローさんを抜いて単独2位になりました。ーーーーーーーーーーーー【2022年8月11日付 朝日新聞朝刊】ーーーーーーーーーーーー【2022年8月11日 日刊スポーツ】↓ キャッチボールをするベーブ・ルース(ロイター)↓ 1920年代、豪快なスイングを見せるベーブ・ルース(ロイター)切り込み写真は、7回表エンゼルス無死、右越えソロ本塁打を放つ大谷。↓ 1934年に来日した大リーグ選抜メンバーによる直筆サイン。1番は(ベーブ)ルース、下から6番目はゲーリック、その中から7人が後に米殿堂入り(船橋市郷土資料館提供)↓ 1934年に大リーグ選抜と戦った全日本の直筆サイン。左下はスタルヒン、その右上は沢村栄治の直筆サイン(船橋市郷土資料館提供)ーーーーーーーーーーー【2022年8月11日 スポーツニッポン】↓ ベーブルースの記録↑ 「天国の門」にある墓 ピザが消えた?マンハッタンから電車で約1時間。ルースの墓はニューヨーク郊外の「天国の門(Gate of Heaven)と称される墓地にある。~ 4年前に出版したルースの伝記「The Big Fella」がベストセラーになった作家ジェーン・リービーさんはこんな逸話を披露してくれた。「03~04年ごろ、ルースの墓にファンから熱々の巨大なピザが配達されたことがあったんです。処理に困った管理人がそのままピザの箱を残したところ、翌朝には空っぽ。誰が食べたのか。いまだに謎のままです」↑ ルースが10勝目を挙げ「2桁勝利&2桁本塁打」を達成したのは、1918年8月8日。その翌日9日付の地元紙「ボストン・グローブ」の紙面を本紙が入手した。紙面を見ると、当時は記録自体は全く注目されていなかったことが分かる。↑ 勝ち星より先に大台に到達した本塁打は、達成翌日の6月29日付に「ルースがハーバーから10号を放った」と見出しにある。↑ (1918年6月29日付記事)興味深いのは、同じ紙面の右下に「日本人選手が決勝で敗れる」の見出し。米国選手がテニスの大会で柏尾誠一郎を倒したという記事だ。柏尾は2年後、1920年のアントワープ五輪の男子ダブルスで日本人史上初のメダル(銀)を獲得した選手として知られる。ーーーーーーーーーーthe Japan times alpha 2021年8月26日号
2022.08.22
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投打二刀流で大活躍の大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンジェルス)ですが、毎日ニュースを見るのが楽しみです。TV、新聞、雑誌、そして名場面を編集したユーチューブを見ています。最近印象に残ったのは、2022年7月14日、アストロズ対エンゼルス戦の出来事です。ネクストバッターズサークルの大谷翔平選手に、砂かぶり席にいた父親が声を掛けます。父親が娘の手を取って、大谷選手に向かって娘はどうかとアピールします。お嬢さんは恥ずかしがりながら大谷選手を見ます。大谷選手は微笑みを返していました。見るとほっこりします。ーーーーーーーーーーー2022年7月14日、アストロズ対エンゼルス戦。↓ ネクストバッターズサークルの大谷翔平選手。 砂かぶり席に親子がおり、父親が娘を指さしながら、大谷選手に声を掛けている。↓ 父親が娘の左手を持ち上げて、娘はどうだと大谷選手にアピールした。↓ 親子を見る大谷選手。↓ 恥ずかしがるお嬢さん。↓ 大谷選手を見るお嬢さん。↓ 微笑みを返す大谷選手。ーーーーーーーーーーーー「大谷翔平 2021年シーズン全本塁打徹底分析/監修:福島良一/宝島社」2021年の大谷選手の記録が詳しく記載されており、とても分かりやすい資料本。ーーーーーーーーーーーーTIME (APRIL 25 / MAY 2, 2022)It's Sho-time.SHOHEI OHTANI IS WHAT BASEBALL NEEDS By SEAN GREGORY & KARL VICK. ーーーーーーーーーーーーー手元に残しているスポーツ新聞。日刊スポーツ 2021年11月20日 大谷がいたから笑顔になれた 満票MVP ア・リーグ。↓ 2021年で大谷選手が一面を飾った新聞の紹介。↓ ア・リーグMVP 投票欠陥上位10位。大谷一位票独占舞台裏。ーーーーーーーーーーーーーーーースポーツニッポン 2021年11月20日↓ 大谷MVP AMERICAN LEAGUEイチロー以来20年ぶり 日本人2人目の快挙。世界の誇りになった二刀流。↓ だから大谷が(MVP)1位。全記者30人に直撃。
2022.07.19
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京王よみうりランド駅から読売ジャイアンツ球場まで、「よみうりV通り」と呼ばれる坂道の歩道には巨人軍選手の手形プレートが設置されています。一部を紹介します。↑ 2020年11月22日。京王よみうりランド駅から読売ジャイアンツ球場に続く「よみうりV通り」の坂道。↑ 巨人軍選手の手形プレートが並んでいる。↑ 88番。原辰徳監督。↑ G-SQUARE ジャイアンツ球場と同じベンチでひと休み。↑ 穴澤天神社方面。↑ 読売ジャイアンツ球場。↑ 「ゴール!」。↑ 読売巨人軍室内練習場 バス停。 なしのすけ。
2021.03.06
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2021年2月20日、オーストラリアのメルボルンで、テニスの全豪オープン女子シングルス決勝戦が行われ、大坂なおみ選手がアメリカのジェニファー・ブレイディ選手に勝ち、2年ぶり2度目の優勝をしました。妻と一緒にテレビ中継を見ていましたが、前半は心配する場面があったものの、後半は安心して見ることができました。次の日、山口県に住む父親から、大坂なおみさんのバッグに付いていたお守りが山口県岩国市の白崎八幡宮の物だったよと電話がありました。バッグのお守りがアップされたシーンがあり、お守りの特徴ある模様で気が付いたそうです。私は全然気が付きませんでした。その後、父親が白崎八幡宮に行ってお守りを購入しようとしたところ、すでに売り切れだったそうです。テレビを見て多くの人たちが気付き、白崎八幡宮に殺到してお守りを購入したと想像します。数年前に、私は田舎の両親と一緒に岩国の白崎八幡宮に行きました。今津川のそばから車で坂道を上り、白崎八幡宮の駐車場まで進みます。お参りをしたあと、敷地内にあるレストランで食事をしました。その後、白崎八幡宮の近くにある白蛇神社・白蛇資料館に行きました。白蛇神社・白蛇資料館で飼育されているシロヘビには、それぞれ名前が付けられています。その中の一匹には、私と同じ名前が付いていたので、ビックリするとともに親近感がわきました。白崎八幡宮や白蛇神社・白蛇資料館の写真を撮ったと思っていたのですが、探しても見つからなかったので、白蛇資料館で頂いたパンフレットを紹介します。岩国のシロヘビは天然記念物です。世界でも岩国だけに生息しているそうです。↑ 「大坂選手、全豪Ⅴ 4大大会4度目」。2021年2月21日 朝日新聞。 ↑ 優勝し、トロフィーを手にする大坂なおみ選手。↑ 「女王大阪選手 揺るがない。 一年で磨いた心技体。 無敵のハードコート21連勝」。2021年2月21日 朝日新聞。↑ 決勝でポイントを奪い叫ぶ大坂なおみ選手。↑ the Japan times alpha, March 5, 2021. ジャパンタイムスアルファ。↑ Juggernaut: Naomi Osaka wins second Australian Open crown.圧倒的な力により、大坂なおみ選手は全豪オープンで2度目の優勝をした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー岩国白崎八幡宮 ホームページ。↑ 数年前に両親と一緒に岩国白崎八幡宮へ行き、レストランで食事をした。その時の写真が見つからないので、白崎八幡宮のホームページを紹介する。↑ 岩国市の白崎八幡宮と、岩国白蛇神社・白蛇資料館の位置。白崎八幡宮で食事をした後、白蛇神社・白蛇資料館に行き、本物のシロヘビを見た。私と同じ名前のシロヘビがいたので驚いた。縁起がいいかも。その他に、岩国城の麓にあるロープウェー駅の近くに岩国シロヘビの館があり、そこでもシロヘビを見た事がある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 白蛇神社・白蛇資料館でいただいたパンフレット。↑ 天然記念物 岩国の白蛇。↑ 岩国白蛇神社・白蛇資料館。↑ 岩国のシロヘビ施設所在地並びに生息地。↑ 岩国のシロヘビ。↑ シロヘビの脱皮した皮で作った「寿」の文字。
2021.02.25
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JR川崎駅の連絡通路に、川崎フロンターレの1997年からの歴史を説明したパネルが掲示してあります。川崎フロンターレはJ1リーグで2017年、2018年と優勝しました。2020年は11月25日に等々力(とどろき)競技場でガンバ大阪と戦い、5対0で勝ち、4試合を残して史上最速優勝となりました。① 1997年 誕生。 歴史の始まり。② 1998年 涙。 博多の森の悲劇。③ 1999年 J1発昇格。 J1への挑戦権を得る。④ 2000年 無念。 無念のJ2降格。⑤ 2001年 再出発。 新たな一歩。⑥ 2002年 成長。 市民クラブへの進化。⑦ 2003年 勝ち点1差。 勝点1差で逃した昇格。⑧ 2004年 MIND-1。 不遇の時代を耐え抜き、J1再昇格。⑨ 2005年 自信。 自信は確信へ変わる。⑩ 2006年 10周年。 川崎旋風を巻き起こす。⑪ 2007年 準優勝。 2度目の決勝。無念の準優勝。⑫ 2008年 意地。 川崎魂でリーグ2位へ。⑬ 2009年 悲願目前。 あと1勝。頂点への挑戦は続く。⑭ 2010年 世界。 川崎から世界へ。⑮ 2011年 挑。 悲しみを乗り越え、未来へ挑戦。⑯ 2012年 変化。 等々力改築へ。風向きが変わる。⑰ 2013年 礎。 強さの礎を築く。⑱ 2014年 加速。 攻撃力に磨きをかけてさらなる進化へ。⑲ 2015年 新時代。 生まれ変わった等々力で新たな歴史を刻む。⑳ 2016年 20周年。 変えられなかった歴史。悲願達成は次世代へ。㉑ 2017年 初優勝。 悔しさを乗り越え掴んだ初タイトル!↑ 2017年 明治安田生命J1リーグ チャンピオン。㉒ 2018年 連覇。 圧倒的な攻撃力で連覇達成。↑ 2018年 明治安田生命J1リーグ チャンピオン。㉓ 2019年 制覇。 悲願のルヴァンカップ初優勝!↑ Levain cup WINNERS.↑ 2020年 GET NEXT。ーーーーーーーーーー↑ JR川崎駅の連絡通路に掲示されていた「川崎フロンターレ」の紹介パネル。↑ JR川崎駅の連絡通路に掲示されていた「川崎フロンターレ」の紹介パネル。↑ 「川崎 史上最速V」。2020年11月26日(木)朝日新聞。明治安田生命J1は6試合があり、川崎が2年ぶり3度目の優勝を決めた。2位ガンバ大阪を5-0で下して勝ち点を75まで積み上げ、勝ち点58のガンバ大阪が残り4試合を全勝しても川崎の勝ち点に届かなくなった。4試合を残してのJ1リーグの優勝決定は、18チームでの2回戦総当たりによる34試合制となった2005年以降、最も早い。残り3試合で優勝した10年の名古屋を上回った。勝ち点75は15年広島、16年浦和による05年以降のJR年間最多勝ち天74を更新し、今季24勝目で年間勝利数も史上最多となった。↑ 後半、川崎の家長はハットトリックを達成し、指を3本立ててかけ出す。↑ 成績 2020年11月25日現在。↑ J1の各クラブの優勝回数。↑ 等々力(とどろき) 川崎フロンターレ対ガンバ大阪。5対0。↑ 引退の中村憲剛さん。手記。
2020.11.29
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2016年8月23日、仕事を終えると会社から直接東京ドームに移動し、妻と合流して広島対巨人の試合を見ました。先発はカープがジョンソン投手、巨人はマイコラス投手でした。カープは毎回のように選手が3塁まで行くのですが、1点が入らず残塁ばかりでした。最後まで試合を見ると、駅や電車が大混雑するので、途中で帰ることにしました。家でニュースを見ると、結局延長10回にカープ2番手のジャクソン投手が巨人の澤村選手にサヨナラホームランを打たれ、1対0でカープが負けました。カープにマジックは点灯せず、次の勝利でマジック20が付きました。この時はキャノンのポケットカメラが壊れてしまい、古いカメラを持ち出して撮影したので、ズームが足りず、ピントが甘かったです。↑ 2016年8月23日、東京ドーム。広島対巨人。↑ ジャイアンツのラビット君。↑ チアダンス。↑ 広島先発ジョンソン投手。巨人先発マイコラス投手。↑ 3塁まで選手が行くのに、残塁になる。↑ 投げる真似をする妻。↑ 東京ドームで記念写真。
2020.08.26
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2016年5月29日、妻と一緒に神宮球場に行き、早慶戦を見ました。応援を見るのが楽しかったです。↑ 2016年5月29日 東京六大学野球。↑ 明治神宮野球場。↑ 試合前の練習風景。↑ 記念写真。↑ 一塁側は早稲田大学。↑ 1塁側で慶應大学の応援団がエール交換をした。↑ 3塁側 慶應大学。↑ 早稲田大学の応援。↑ 2016年東京六大学 春季リーグ戦 勝敗表(5月28日時点)↑ 慶應大学 選手リスト。↑ 早稲田大学 選手リスト。↑ 両チームの挨拶。試合開始。↑ 早稲田大学の応援団。↑ 先発メンバー。↑ 暑いので、かき氷を食べる妻。↑ 早稲田大学の応援団。
2020.08.25
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2015年5月1日、会社の帰りに妻と外苑前駅で落ち合い、神宮球場で広島対ヤクルトを見ました。カープの先発は黒田博樹投手でした。試合はヤクルトが先行し、カープは梵選手がホームランを打つも、結局5対4でカープが負けました。↑ 2015年5月1日、神宮球場 広島カープ対東京ヤクルト。↑ 先発の黒田博樹投手。↑ 打席に立つ黒田投手。↑ カープの梵選手が2号ホームランを打ち、大喜びのカープファン。↑ つば九郎とつばみ。東京ヤクルトスワローズのマスコット。↑ 記念写真。↑ 妻の記念写真。
2020.08.24
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2009年4月12日、東京ドームのチケットが手に入ったので、長女と一緒に巨人ー阪神戦を見に行きました。試合の数日前、生まれて初めて痛風になりました。会社で勤務中、右足に激痛が走り、右の革靴を脱ぐと、足は紫色でパンパンに腫れていました。足を靴に入れようとしても、入れることができません。最初は何が起こったか分からず、あまりの激痛に廊下を歩くことさえできませんでした。早退して病院に行き、痛風の診断がでました。鎮痛剤を飲み続け、痛みを和らげましたが、歩くのが大変でした。当分の間、妻が家と駅の間を車で運転してくれました。娘と東京ドームに行きましたが、まるでカタツムリのようにゆっくりと歩きました。痛みをこらえながらの観戦ということで、とても記憶に残っています。またこの日は、宇宙飛行士の若田光一さんが、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」内で、原監督から贈られた88番のユニフォームとジャイアンツの野球帽を着用し、ボールを投げてグラブで捕球するという動作を撮影したビデオが、東京ドームのビジョンに映し出され、これが始球式となりました。↑ 2009年4月12日、東京ドーム 巨人ー阪神戦。↑ 記念撮影。↑ 東京ドームで記念撮影。↑ 痛風での記念撮影。ーーーーーーーーーーーーーーーー宇宙飛行士の若田光一さんが、宇宙ステーションの「きぼう」の実験棟で、始球式を行った映像が、ドームのビジョンで流れた。若田さんは、原辰徳監督からプレゼントされた背番号88のユニフォームを着て、ジャイアンツの野球帽を被り、日の丸のついたグローブを使用した。船内でゆっくりボールを投げ、すぐにグローブでボールをキャッチした。↑ 若田光一さんの挨拶。↑ ボールを持つ。↑ ゆっくりとボールを手から離す。↑ 急いでグラブで捕球しようとする。↑ 捕球した。↑ 体が止まらず、進んでしまう。↑ 無事始球式ができた。
2020.08.23
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2006年5月14日(日)、カープ対ロッテの交流戦チケットが手に入ったので、小学生の長男にサッカークラブの練習を休ませて、千葉ロッテマリーンズと広島東洋カープの試合を見に行きました。雨の中で試合が行われました。3対3で延長に入りましたが、残念ながら10回でロッテがサヨナラ打で1点を入れ、4対3でカープが負けました。雨と風で寒かったです。千葉マリンスタジアムと横浜スタジアムは、チケットが取れた時、会社の帰りに行ったりしましたが、家から遠いので試合の途中で切り上げて帰ります。↑ 2006年5月14日(日)、カープ対ロッテ。千葉マリンスタジアム。↑ 3塁側カープベンチ。↑ 10回サヨナラ打で、4対3でロッテの勝ち。↑ 片手でビデオを回しながら、もう片手で見当をつけて写真を撮ったが、うまくいかなかった。↑ 雨の千葉マリンスタジアムにて。
2020.08.22
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長男が小学生の頃、サッカークラブに入って練習漬けの毎日でした。土日も練習が続きましたが、サッカーのチケットが取れたので、観戦をしに国立競技場へ行きました。2004年5月15日(土)柏レイソル対鹿島アントラーズで、19時からスタートです。試合前に歌手の鈴木あみさんが登場し、「Love the island」を歌いました。私も合わせて歌いました。鈴木あみさんというと、1998年にテレビ東京の番組「ASAYAN」のオーディションで1位になりデビューしました。デビュー曲の「Love the island」ですが、グアム政府観光局のキャンペーンソングとして小室哲哉さんが曲を作りました。番組を見ていると、一旦曲を作ったのに、グアムのイメージに合わないので作り直すと小室さんが言い、発売日が差し迫っているのに大丈夫かと心配しながら見ていました。結局間に合い、鈴木あみさんが出来上がった「Love the island」をTVで歌いましたが、聴いていてとても気持ちのいい曲でした。試合は鹿島アントラーズが終始優勢で、柏レイソルは1対0で負けました。↑ 試合前にむすびを食べる。↑ 柏レイソルは防戦一方だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【鈴木あみさん】↑ 持っている鈴木あみさんのCD。(Love the island)↑ Love the island.
2020.08.21
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マツダスタジアムは広島駅近くの貨物ヤード跡地に建設され、2009年に開場しました。新幹線の車窓からよく見えます。いまだにスタジアムで観戦したことはありません。いつか機会があれば行きたいです。ーーーーーーーー2012年9月11日に撮った写真。↑ 広島駅。↑ JR広島駅前。↑ N700系新幹線。広島駅からマツダスタジアムまで歩いて行く。↑ マツダスタジアム。↑ MAZUDA ZOOM-ZOOM スタジアム広島。↑ 途中の看板。↑ 野村謙二郎監督。↑ 新幹線とマツダスタジアム。↑ N700系新幹線。↑ マツダスタジアム。↑ 前田健太投手。↑ マツダスタジアム。↑ 黄金山。↑ 時々天体望遠鏡を持って、黄金山山頂で観望した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2019年4月6日に撮った写真。↑ 山頂まで桜の道が続く黄金山。↑ マツダスタジアム。↑ カープファン。↑ 荒神陸橋。↑ 広島駅に進入する。
2020.08.20
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広島市民球場で試合を見ましたが、試合が終わると、多くの観客がグラウンドに勝手に入り込んで、走り回っていました。今はこのような球場があるのかどうか分かりません。1980年代に撮影した写真です。(日付不詳)↑ 広島市民球場 外野席のスコアボード下。↑ 外野席から見た景色。↑ ライトアップされる。↑ 試合終了後、観客が勝手にグラウンドに入って走り回る。↑ 2016年9月3日 広島市民球場跡地。↑ 広島市民球場 外野席。
2020.08.19
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広島市民球場で手元に残っているナイトゲームの写真です。アルバイトで球場に入った時の物です。ピントが合っていない写真が多いのですが、当時の雰囲気が分かるので載せます。写真は日付不詳です。↑ 広島市民球場。試合前。↑ 2016年9月3日に撮影した広島市民球場跡地。↑ 広島市民球場の外野席。
2020.08.18
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学生の頃は、広島市民球場によく行きました。友人と一緒に観戦したり、アルバイトの仕事で行く事が多かったです。選手や試合の写真を撮っていたのですが、引っ越しの時に学生時代の写真が紛失してしまいました。一部だけ残っていた写真を載せます。(日付不詳)↑ 広島市民球場と路面電車。↑ 阪神対広島。↑ この日はアルバイトで球場に入った。↑ ホームラン。↑ 2016年9月3日に撮影した広島市民球場跡地。↑ 外野観客席。
2020.08.17
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2020年1月3日13時20分頃、大手町の読売新聞社本社前で、第96年箱根駅伝大会のゴールの様子を見ました。青山学院大学が10時間45分23秒の大会新記録で、2年ぶり5度目の総合優勝をしました。2連覇を狙った東海大は、復路で大会新の記録を出しましたが2位、國學院大学が3位でした。手持ちのポケットカメラ「CANON Power Shot SX720 HS」で連写撮影しましたが、ゴールは残念ながら選手の姿が流れて写りました。順位は①青山学院大、②東海大、③國學院大、④帝京大、⑤東京国際大、⑥明治大、⑦早稲田大、⑧駒澤大、⑨創価大、⑩東洋大、⑪中央学院大、⑫中央大、⑬拓殖大、⑭順天堂大、⑮法政大、⑯神奈川大、⑰日本体育大、⑱日本大、⑲国士館大、⑳筑波大です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【1位 青山学院大学 10時45分23秒】 ↑ 青山学院大学。↑ 青山学院大学 ゴール。↑ ゴールテープを取りに行く。↑ 私は見えなかったが、青山学院大学の胴上げが行われていたはず。↑ 青山学院大学の原監督が手を振っていた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2位 東海大 10時間48分25秒】↑ 東海大が2位でゴールした。↑ 東海大学。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【3位 國學院大学 10時間54分20秒】↑ 3位 國學院大学のゴール。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【4位 帝京大学 10時間54分23秒】↑ 4位、帝京大学のゴール。3位の國學院大学と3秒差。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【5位 東京国際大学 10時間54分27秒】4位 帝京大の4秒後に、東京国際大学がゴールした。僅差に気づかず、ゴールの写真を撮れなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【6位 明治大学 10時間54分46秒】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【7位 早稲田大学 10時間57分43秒】↑ 7位で早稲田大学がゴールした。その後ろは駒沢大学で1秒差だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【8位 駒澤大学 10時間57分44秒】↑ 8位 駒澤大学がゴール。 7位の早稲田大と1秒差だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【9位 創価大学 10時間58分17秒】↑ 創価大学。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【10位 東洋大学 10時間59分11秒】↑ 東洋大学のゴール。↑ 10位までがシード入りとなった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ JA01AX。朝日航洋の日本テレビ報道取材用ヘリ。↑ スクリーンに青山学院大学の原監督が映る。↑ 青山学院大学。↑ 早稲田大学。↑ 読売新聞の号外配布場所。 長蛇の列だった。↑ 読売新聞 箱根駅伝記念号外。「プリントゴッコ」で有名な「理想科学」の印刷機で印刷されている。
2020.01.05
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2020年1月3日、東京・読売新聞本社近くに行き、復路ゴール付近の準備の様子を見ました。道路が交通規制になると、ゴール付近に台が設置され、「東京箱根間往復大学駅伝」の幕が張られました。青山学院大学が1位で入ってくるため、同大学の原監督がゴールの向こうに移動されていました。↑ 12時前頃、大手町に着く。↑ 読売新聞本社。↑ ゴール付近、入場規制中。↑ 交通規制により、道路が車両進入禁止となる。↑ 台を移動している。↑ ゴールの白い線。↑ ゴールの両側に、台が設置された。↑ 「東京箱根往復大学駅伝競走」の幕が張られる。↑ ゴールテープの練習。↑ 青山学院大学の原監督。↑ 原監督。
2020.01.04
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