星とカワセミ好きのブログ

2022.04.24
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カテゴリ: 美術 / Art
2022年3月27日、練馬区立美術館で「香月泰男(かづきやすお)展」を見ました。

香月泰男さん(1911~1974)は、山口県三隅町(現長門市)出身の洋画家です。
1931年に東京美術学校で学び、卒業後は学校の美術教師をされました。
太平洋戦争が始まり、1942年に兵として召集され、満州に行きます。そして1945年の終戦後、ソ連に抑留され、シベリアの地で強制労働させられます。
マイナスの極寒で、十分な食事も与えられず、周りの捕虜が死んでいくのを見ながら、強制労働に耐えていました、
1947年にシベリアから日本に帰国します。1950年代から太平洋戦争やシベリア抑留の体験を描き、「シベリアの画家」として評価を受けます。
展覧会の絵を見ると、戦時中、シベリア抑留中を描いた絵は、黒、茶色が基調になり、戦前のカラフルな絵と比較すると、大きな変化を感じます。

最近、ロシアのウクライナ侵攻で、多くのウクライナ人がロシア軍に捕まり、パスポートを取り上げられ、強制的にシベリアに送られるニュースを見ました。シベリアで恐ろしい労働と生活を余儀なくされるのではないかと想像し、香月泰男さんの絵を思い出しました。


↓ 練馬区立美術館 「香月泰男展」







↑ 練馬区立美術館(東京都練馬区貫井1-36-16)。


↑ 「うつるもの :鞍掛純一作」と「香月泰男展」。





↑ 練馬区立美術館。








↑ シベリヤで私は真に絵を描くことを学んだのだ。
それまでは、いわば当然のことと前提にしていた絵をえがくことができるということが、
何者にもかえがたい特権であることを知った。
描いた絵の評価、画家としての名声、そんなことは一切無関係に、私はただ無性に絵が描きたかった。



↑ 今私はシベリヤを描く。
描きながらやはり私は、絵かきである幸せを思わずにはいられない。
たぶん私は自分のためにだけ描いているのだ。
一塗り一塗りが私には救いなのだ。







↑ ただの雲がデ・ラ・フランチェスカの雲に見えたことは
絵を描いていた私のしあわせでもあり唯一のなぐさめであった。






↑ 香月泰男さん。


↑ 飯盒(はんごう)。戦争中に使っていた。





↑ 絵具箱。




本図は、香月泰男の1943年から1947年までの移動経路を下記の4つに大きく分類して表したものである。
1・応招から終戦まで   1943年1月~1945年8月
2・シベリアへの移送   1945年8月~11月
3・収容所での抑留生活  1945年11月~1947年4月
4・シベリアからの帰還  1947年5月


【香月泰男さんの移動経路図】









↑①【応召から終戦まで (1943年1月~1945年8月)】
山口→下関→ハイラル・ホロンバイル→鄭家屯→奉天

【1943年1月9日】
・山口市の西部第4部隊に入隊。
【1943年4月6日】
・下関港を出港。
【1943年4月22日】
・ハイラルに到着。第19野戦貨物廠に配属され、1945年6月まで同地に駐屯。ホロンバイル草原で軍事演習を行う。
【1945年6月~8月】
・戦況悪化に伴い鄭家屯へ移駐。
【1945年8月15日】
・奉天で日本の無条件降伏を知る。



↑②【シベリアへの移送 (1945年8月~11月)】
安東→奉天→ブラゴヴェシチェンスク→シラー

【1945年8月22日】
・安東でソ連軍によって武装解除される。
【1945年9月30日】
・奉天を出発。鉄道で北へ移送される途中でハルピン、北安を通過する。
【1945年10月下旬】
・黒河着。アムール河を渡り、ソ連領に入る。
ヴラゴヴェシチェンスクで抑留生活が始まる。
【1945年11月初旬】
・ブラゴヴェシチェンスクからシラーへ移送される。
【1945年11月下旬】
・アチンスクからシベリア鉄道の支線を南下し、シラーに到着。



↑③【収容所での抑留生活 (1945年11月~1947年4月)】
セーヤ・コムナール→チェルノゴルスク

【1945年11月下旬】
・シラーで大隊が分散され、香月の属する第3中隊はセーヤ収容所に収容される。
【1946年4月初旬】
・コムナール収容所に2週間滞在。
【1946年6月2日】
・セーヤから移送され、チェルノゴルスク収容所に収容される。
【1947年4月中旬】
・チェルノゴルスクから帰国の途につく。




↑④【シベリアからの帰還 (1947年5月)】
ナホトカ→舞鶴→三隅(山口県長門の実家)

【1947年5月初旬】
・ナホトカに到着。
【1947年5月20日】
・ナホトカから引揚船・恵山丸に乗船。
【1947年5月21日】
・舞鶴港に到着。
【1947年5月24日】
・三隅(山口県長門)の自宅に帰る。


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スタインウェイ社製 スクエアピアノ 1877年製 (練馬区立美術館)



スタインウェイ社製 スクエアピアノ 1977年製

本ピアノは、故・浅野輔氏(TBSニュースキャスター、ニューズウィーク日本版初代編集長)の夫人、浅野偕子(ともこ)様の所有で、「多くの方々に観て、聴いて楽しんで頂き、豊かな感性に寄与できれば・・・」とのことでご寄託頂きました。

スタインウェイのピアノは現在、世界中のコンサートステージで活躍し続け”ピアノの代名詞”として君臨し続けています。このピアノは、スクエアピアノと言われ、国内でも有数の大変珍しいピアノです。スタインウェイ社に残されている資料によりますと、この製造番号33584はニューヨークで製造され、大変貴重なローズウッドの外装で、高音部は一つの音に2本の弦が設置されており、85鍵(7オクターブ)のピアノです。
正に、チェンバロ=フォルテピアノ=ハンマーフリューゲル、そしてモダンピアノへと進化する過程の中に一時期だけ存在した歴史的名器です。





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最終更新日  2022.04.30 06:06:39
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