星とカワセミ好きのブログ

2023.03.27
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1971年に4月からテレビ放送された「仮面ライダー」ですが、毎週見ていました。


仮面ライダーの主題歌が流れると、映画館の全員が大合唱でした。
「仮面ライダー対ショッカー」の時は、今までテレビで見て来た怪人が、崖の上にずらりと並んで姿を現します。それぞれアップになると、皆が大声で怪人の名前を叫びました。
異常な盛り上がりでした。大げさに言うと、映画館が揺れるような感じでした。

あの楽しさは、忘れることができません。
いまだに、当時の雰囲気を思い出すことが出来ます。

「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」P135~137で、『仮面ライダー』劇場版(昭和46年7月、47年3月 劇場公開)について詳しく記載があります。
怪人大集合の裏側がよく分かり、大変面白いです。



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(P135~157)「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」 
『仮面ライダー』劇場版(昭和46年7月、47年3月 劇場公開)

映画部の営業から話が来た。テレビの高視聴率を受け、試しに「東映まんがまつり」で、どれか1話を引き伸ばしてかけようと。昭和46年(1971年)7月公開のものは、第13話を劇場用に大きく伸ばしただけ。それでもアンケートは1番で、評判が良かった。

それなら新作をと撮ったのが、新怪人ザンジオーが出てくる昭和47年(1972年)3月公開の『仮面ライダー対ショッカー』。

~ テレビは1本、400万くらい。特別予算を組んで2000万出すというので喜んだ。でも、映画とすれば安い。それなら、テレビの手法で考えようと作った。
私は、もともと映画屋だから、オールスター映画の感じで、怪人を沢山出そうと言い出した。ウワーっていう、テレビで見られないことをやらないと、映画館へ1000円払ってくる価値はない。

以前、生田スタジオで、ぬいぐるみ倉庫の前を通った時に、ぬいぐるみが沢山あるなあと思った。1年やれば52体だから。私は、それを思い出して、そういう発想が出た。あのぬいぐるみを使おう。「ぬいぐるみ、何体残ってんだ」「全部で50体くらいあるよ」「使えるか」「使える」「じゃあ、これ、全部出そう。再生軍団だ」。
既にあった怪人を全部出せたからでした。新しく作ったら大変。いろいろな意味でお金かかる。中に入る人のギャラ、運ぶバス代、弁当代。
脚本は伊上勝さん。いいよと、やってくれた。

あれは凄かった。死神博士と2人のライダーが対峙し、崖の上に、怪人が次々と登場し、名乗りをあげる。これぞ映画だという感じがする。劇場の騒ぎは凄かった。みんな一度見ているから、出てくると、自分が一番先に言いたい。夢中で、座席の上に立ち上がり「あれはアリガバリだ」とか、怪人の名前をひとり一人叫ぶ。場内総立ち。



私は、やれば子供が喜ぶと判っていた。子供は怪人好き。一度死んだ怪人でも、出てくれば喜ぶ。もともと、私が子供だから、そういうことが判る。理屈じゃない。怪人を見たら騒ぎたくなる。子供はそういうもの。私自身も見たいから、「いや、山田さん。他のことならいや知らず、怪人が出てきて、運動会やる子なんていないよ。絶対、子供が喜ぶんだから、やってよ」と、山田監督を説得した。

山田監督は「感激した。あんなに喜ぶとは思わなかった。あれ、もっと長くしても良かったな」と言う。確かに忙しい。一体ずつ、ナントカ、ナントカと名乗る。尺数から言うと、名乗るのに時間が足りない。だから、声優さんたちも忙しかった。あの倍くらいあっても良かったと山田監督も言っていた。子供が怪人の名前を叫ぶ間がもっとあっても良かった。

『仮面ライダー』の劇場版は何本もあったが、あれが一番子供たちの印象に残った映画だったと思う。出口アンケートでも、一番は『仮面ライダー』ということが、当分続いた。


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「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」









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最終更新日  2023.04.02 18:02:10
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