星とカワセミ好きのブログ

2023.09.26
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2018年2月10日午後、唐津城の天守閣で展示物を見ました。

唐津城のマスコットキャラクター「唐(から)ワンくん」と、アニメ「ユーリ!!!on ICE」のパネルが置いてありました。

唐ワンくんは、2008年の唐津城築城400年記念で誕生しました。唐津藩最後の藩主である小笠原長行の兜を被り、手の肉球の模様は、寺沢氏が入る前に唐津を治めていた波多氏の家紋「三ツ星」となっています。

2016年に「ユーリ!!!on ICE」という男子フィギアスケートのアニメが放送されましたが、その舞台が唐津ということで、キャラクターのパネルも置いてありました。

室内は、唐津の歴史や唐津焼の説明がありました。
面白いと思った展示を紹介します。




↓唐ワンくんは、2008年の唐津城築城400年記念で誕生した。唐津藩最後の藩主である小笠原長行の兜を被り、手の肉球の模様は、寺沢氏が入る前に唐津を治めていた波多氏の家紋「三ツ星」となっている。



↓ 2016年に「ユーリ!!!on ICE」という男子フィギアスケートのアニメが放送されたが、その舞台設定が唐津ということで、パネルが設置されてあった。








↓ 唐ワンくん。




明治4年(1871)唐津藩は英学校耐恒寮(たいこうりょう)」開設のため、東太郎と名乗るアメリカ還りの18歳の若者を教師として招きました。この人物こそ、のちに内閣総理大臣・大蔵大臣となる髙橋是清その人でした。
是清は、教室では日本語を使わず、すべて英語で教えました。その指導のもと、開校後半年で後輩に教えることができる生徒も現れたそうです。また、藩の専売事業である和紙と捕鯨の利益を財源に、50人の生徒を250人まで増やし、その中には3人の女子も含まれていました。
こうして開校した耐恒寮ですが、廃藩置県ののち閉校となり、是清も明治5年(1872)唐津を去ります。髙橋是清が耐恒寮で教えた期間はわずかですが、教え子たちの中から、各界をリードする人材が数多く育ちました。



↓ 耐恒寮の主な出身者。
辰野金吾(建築家 東京駅・日本銀行本店など)
曾禰達蔵(建築家 慶応義塾図書館など)
天野為之(経済学者 早稲田大学学長)
掛下重次郎(法律家 大審院判事)
大島小太郎(唐津銀行頭取)





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【捕鯨】

図は、2艘1組の双海船が張った網代(あじろ)に勢子船(せこぶね)が鯨を追い込み、銛を突き刺している所です。鯨の背には、運搬用の網を通すためにいち早く飛び乗り、鼻(潮を吹く所)近くに刃物を突き刺す「ハザシ」の姿も描かれています。
捕獲された鯨は肉や油を取るだけでなく、骨や髭まで余すところなく利用され、鯨への感謝をこめ供養も行われました。











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【紙漉(かみすき)】
↓ 和紙は、江戸時代のはじめから唐津藩の重要な産業であり、各村に梢(こずえ)を植えるよう奨励していました。刈られた梢は各村で蒸し煮した後、紙漉職人に渡されました。紙漉職人は、表皮の黒皮を取り除いた後の「白皮』を天日で干し、灰汁(あく)で煮て漂白して洗い、それを板の上で叩きます。叩いて綿状になった梢を漉船(すきふね)に入れ、黄連(糊:のり)を加えて掻き混ぜ、この液を簀(す)(細い竹ひごや植物の茎を編んだもの)で漉し取りました。







【石炭】
享保年間(1716~1735)に北渡多村の岸岳(きしだけ)の北西にある岸山のドウメキで石炭が発見されると、薪や炭に代わる燃料として採掘が開始されました。
石炭は「まぶ」と呼ばれる坑道を幾筋も掘って採掘され、暗い坑内にはサザエの殻に火を灯して入っていました。掘り進めると水が湧きだすことも多く、釣瓶(つるべ)や「スホン」という道具を使って汲みだしたり、溝をつくって排水しました。掘り出された石炭は、船で唐津城下(松浦川河口)まで運ばれました。















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【鯛網の図】
鯛漁で使用する網には、ヒノキで作った「ブリ」という木製の浮きが数多く付けられていました。
この「ブリ」をつけると、どれだけ深い所でも網の中に入った鯛は「ブリ」の外に出ることができないと記されています。鯛網は、岸から5~7里(20~28km)も離れた沖から引き込むこともあります。





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【駒捕(こまどり)の次第】
馬渡島(まだらしま)には、江戸時代前期に藩が経営する馬の牧場が設けられていました。
駒捕は毎年2月の初卯日(はつうのひ)に行われ、放牧していた「夏牧(なつまき)から捕獲場であるくぼ地の「冬牧(ふゆまき)」に馬を追い立てて捕まえました。子馬や母馬を棹(さお)で追い出した後に、一頭ずつ捕まえ、綱をつけて繋ぎ場に連れて行きました。
捕獲した馬は船に乗せて運び、唐津大渡り(松浦川河口の渡し場)で開かれていた馬市に売りに出されていました。







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唐津城天守閣。






↓ 唐津城入場券(2018年2月10日)


↓ 唐津城パンフレット。





↓ 唐津城の歴史。


↓ 歴代城主の家紋。





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最終更新日  2023.10.09 04:48:06
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