星とカワセミ好きのブログ

2023.12.22
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カテゴリ: 国内旅行(関西)
2022年12月4日、神戸・北野の「風見鶏の館」に行きました。

この建物は、明治42年(1909年)頃、ドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマス氏の自邸として建てられました。北野・山本地区に残る異人館で、レンガ張りの建物としては唯一のもので、色鮮やかなレンガの色調、石積みの玄関ポーチなど重厚な雰囲気を持っています。設計はドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ララン氏です。

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トーマス家と風見鶏の館の年表です。
1)1871年(明治4年):ゴットフリート・トーマス氏、ライン川沿いのドイツ・コブレンツで生まれる。

2)1891年(明治24年):トーマス氏20歳の時に横浜に来日、中国との貿易を開始。

3)1896年(明治29年):神戸で日本最初の映画公開。

4)1899年12月(明治32年):トーマス氏とクリステル夫人に一人娘エルゼさん(のちのエルゼ・カルボー夫人)が横浜で生まれる。

5)1902年(明治35年):トーマス一家、神戸に移り住む。(山本通り3丁目1番地)



7)1904年(明治37年):ドイツ人クラブ クラブコルディア30周年記念式典。トーマス氏は最前列にて写真に納まる。

8)1905年(明治38年):トーマス一家、北野3丁目11番地に転居。(現在の風見鶏の館の場所)

9)1909年(明治42年):トーマス氏、ドイツ人子弟のために北野3丁目にドイツ人学校(現在の神戸ドイツ学院)を創立。

10)1914年(大正3年):エルゼさん(14歳)、ドイツの寄宿舎に入学するために一家でドイツへ一時帰国。
*第一次世界大戦勃発。ドイツ帝国は大日本帝国の敵国となり、一家は日本へ戻れなくなる。風見鶏の館は大日本帝国に没収。
*トーマス一家の帰国は一時帰国であり全ての財産を日本に残し出国していたために、ドイツでの家族の生活は困難を極める。

11)1977年10月(昭和52年):NHKの朝の連続テレビ小説「風見鶏」放送開始(平均視聴率38.3%、最高視聴率:46.2%)
*神戸に異人館ブームが起こり、全国から多くの観光客が押し寄せる。

12)1977年12月(昭和52年):エルゼ・カルボー婦人がドイツ・フランクフルトにて、神戸市がドラマで有名になった風見鶏の館を買い取り、一般公開を行う事を新聞記事で知り、幼少の頃この館で暮らしていた事をドイツ海外放送の日本人記者に伝える。
神戸市はかつての住人がドイツに生存していることを知る。

13)1978年1月(昭和53年):風見鶏の館が国の重要文化財に指定される。


*神戸市は開館式にエルゼ・カルボー婦人を招待するが夫の看病のため来日は出来ず。
*夫人より当時、館にて使用していた数の一部を寄贈頂く。(書斎にて公開中)

15)1979年4月(昭和54年):エルゼ・カルボー婦人(80歳)、神戸市の招待で65年ぶりに来日。

16)1983年~1985年:復元修理工事。
*復元に関してはエルゼ・カルボー婦人が保存していた館の写真や夫人からの聞き取りが非常に役に立った。



18)1984年10月(昭和59年):エルゼ・カルボー婦人3回目の来日。

19)1985年3月(昭和60年):エルゼ・カルボー婦人4回目の来日。

20)1988年4月(昭和63「年):エルゼ・カルボー婦人5回目の来日。

21)1995年1月(平成7年):阪神淡路大震災。
*3本の煙突のうち2本が建物を壊しながら地上に落ちたため、外壁のレンガ、内壁にひび割れや傾斜等、多くの被害を生じ休館となる。

22)1997年3月(平成9年):2年2ヵ月ぶりに再開。

23)1998年4月27日(平成10年):エルゼ・カルボー婦人永眠(99歳)
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上記の年表を見ると、第一次世界大戦でトーマス氏が日本に戻れなくなったり、娘のエルゼさんがたまたま新聞記事を読んだことが、65年ぶりの来日に繋がるなど、驚くことがいっぱいです。

風見鶏の館の食堂ですが、「故郷コブレンツの近く、ライン川を見下ろす高台にそびえ立つシュトルツェンフェルス城を思わせるデザインをあしらった」と紹介されています。
ドイツ・ライン川ですが、マインツ~コブレンツ間が風光明美な景色が続き、多くの古城を見る事ができます。コブレンツ近くの丘の上に、シュトルツェンフェルス城があります。
私は20代後半の頃、オランダに住んでおり、休日になれば、このライン川・モーゼル川の湖畔に来ていました。鉄道や車、そして分解型自転車で景色を楽しみながら走りました。サンクトゴアールにある城・ブルク・ラインフェルスにも泊まったことがあります。

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↓ 風見鶏。





↓ 神戸・北野の風見鶏の館。






↓ 入口にあるラテン文字「Rhenania」。ドイツのライン地域の事。
この家を建てたドイツ人トーマス氏は、ドイツ・ライン川湖畔にあるコブレンツの出身。


↓ ドイツ国旗。


↓ 1977年10月3日(昭和52年):NHKの朝の連続テレビ小説「風見鶏」放送開始。
大正時代に国際結婚した松浦ぎん(新井晴みさん)が神戸でパン屋を営む生活を国際色豊かに描いたテレビドラマ。神戸市では、毎年10月3日を「神戸観光の日」と定めている。



NHKの朝の連続テレビ小説「風見鶏」の主人公・松浦ぎん役、新井晴みさんのサイン。


↓ 新井晴みさん。





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↓ 旧トーマス邸。








↓ 風見鶏。









↓ トーマス一家の紹介。
ゴットフリート・トーマス氏、クリステル夫人、一人娘のエルゼさん。



↓ ゴットフリート・トーマス氏、クリステル夫人、一人娘のエルゼさん。



↓ ゴットフリート・トーマス氏、クリステル夫人。



↓ 1910年頃の1Fベランダ。多くの植物が見られる。



↓ エルゼさんと乳母。


↓ エルゼさん4歳ごろ。


↓ エルゼさん4歳ごろ。


↓ エルゼさん4歳ごろ。



↓ エルゼさん4歳ごろ。


↓ エルゼさん4歳ごろ。



↓ エルゼさん5~6歳ごろ。


↓ エルゼさん5~6歳ごろ。


↓ クリステル夫人。



↓ エルゼさん5~6歳ごろ。


↓ エルゼさん5~6歳ごろ。


↓ 母とエルゼさん。



↓ ドイツ学院で学ぶエルゼさん。



↓ 結婚式。
トーマス氏右から2人目、クリステル夫人花嫁の後方。



↓ エルゼさん10~12歳ごろ。(右端)



↓ エルゼさん10~12歳ごろ。

↓ クラブコンコルディアの一室(推定)
トーマス氏最前列右端。

↓ 居留地117・126番
ドイツ人のクラブコンコルディア25周年記念式典。
トーマス氏最前列左端。



↓ 建築当時の風見鶏の館の庭を東南の方向から望む。



↓ 建築当時の風見鶏の館東南部。天神さんの松や石灯籠が見える。


↓ エルゼさん(80歳)
1979年(昭和54年)4月、神戸市の招きで65年ぶりに思い出の地・神戸北野に。




↓ エルゼさん(80歳)
笑顔あふれるエルゼさん。かつての我が家の前にて。





↓ 仮装舞踏会。写真中央 娘エルゼさん。


↓ クリステル・トーマス夫人と娘エルゼさん。


↓ トーマス氏と娘エルゼさん。


↓ エルゼさん。
この写真は昭和63年(1988年)4月、88歳の時に来日された時の写真です。





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↓ 食堂。
風見鶏の館の食堂ですが、「故郷コブレンツの近く、ライン川を見下ろす高台にそびえ立つシュトルツェンフェルス城を思わせるデザインをあしらった」と紹介されています。







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↓ トーマス氏の故郷コブレンツの近く、ライン川を見下ろす高台にそびえ立つシュトルツェンフェルス城の位置。

「ライン河ガイドブック マインツからケルンまで カラー写真126枚入り/ケルン・デュッセルドルファー社(KD)」


↓ p65
ドイツ・コブレンツ近くにあるシュトルツェンフェルス城。


↓ 「ラインの流れ マインツーケルン説明付/クラウス・ラーメル出版社」





↓ 中央のライン川と、左から流れるモーゼル川の合流地点付近が、コブレンツ。


↓ 中央のライン川と、左から流れるモーゼル川の合流地点付近が、コブレンツ。
画面下に、シュトルツェンフェルス城が見える。



↓ シュトルツェンフェルス城(Burg Stolzenfels)









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最終更新日  2024.01.25 11:18:18
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