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10年以上前一人のドイツ人研究者をホームステイに受け入れた。日本の学術事業で先進国のPh.D(博士課程後期)やポストドクターの研究者を国立大学或いは有名私立大学に夏季期間招待する制度だ。ウサギ家はずっと何年も毎年そこからの研究者をホームステイに受け入れていた。そしてもうほとんどが家族ぐるみ、子供世代の交流になっているのだが。10年程前ドイツ人の彼を受け入れた時、ホテルで和食をご馳走した。家族はカジュアルフォーマルっぽい服装。彼はTシャツで参加。2、3年後、ベルリンで再開し勤務先のフンボルト大学の図書館とか案内して貰った時ボソッと言われた。「日本のホテルで食事した時ドレスコード伝えてくれなかったからヨレヨレの服でちょっと恥ずかしかった」あちゃあ、我が家にステイした時フォーマルは滞在ホテルに置いてきたんだろうからと逆に告げなかったのがまずかった。2年ほど前コロナ終了後虎視眈々と狙っていた日本で働くと言う願望を果たしたポスドクの彼。大学で働きながら、ある地方大学の教授職を得た。「田舎だから嫌だなあ」と言う彼の愚痴を聞きがてら家族でお祝いしようと中華街の行きつけの店を予約した。現地集合。予約した席に現れた彼、「ドレスコードがわからなかったから」と背広を来てきた。観光客も来る中華街、ドレスコード伝えるのまたすっかり忘れたよ。
November 22, 2024
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山の庭の白樺ももみじもも葉っぱが全部落ちてしまって、すっかり秋は終わっていた。わずかに落ちた葉が紅葉だった事を感じさせる。鹿が柵を破って侵入した場所を修理して疲れたからコーヒーを飲みに山のカフェへ。清里を越えて大泉の別荘地のカフェはケーキも美味しいし居心地がいい。タルトタタンとクルミのケーキを食べた後はちょっと知らない別荘地内の散策。そこは標高が少し低く、甲府盆地への通勤ができる位置なので永住者も別荘族もいる。ただし、八ヶ岳の裾野は広大な範囲、どこにいっても坂。山に向かえば上り坂、山を背にすれば下り坂、どちらに行っても、先か後に坂を登るから散歩といっても結構辛い。ゆっくりゆっくり歩きながら、道から垣間見る人々の山での楽しみ方を見るのはこちらも楽しい。小さなターシャチュダーの美術館やピーターラビットの家なんていう名前のカフェが森の中に潜んでいたりする。行き止まりあり、ペンションあり、木のブランコあり、花園あり、ブルーベリー畑あり、そして収穫体験農園あり。入り口の小屋にお金を入れる箱があり、ハサミがいっぱい吊るして有る。勝手に入って、トマトや野沢菜、大根を採取して良いらしい。「今収穫できるもの」と野菜の名前を書いた札が立っている。多摩ナンバーの車が駐車していた小さな別荘の駐車場でご主人が収穫したサツマイモを積み上げていた。「こんにちは」と声をかけられたので、「すごいですね」と言ったら、「一つ持っていきませんか」と収穫したばかりのサツマイモを水道で洗ってくれた。すごく大きい。ご隠居が重たいと言いながら出発点の駐車場まで持って歩いた。
November 12, 2024
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山の家は寒いぐらいの天気、庭の白樺の葉がハラハラと散る。庭の草刈りは契約してあったがきちんと刈られていないのか草の伸びる速さが早すぎるのか、芝が伸びて土を覆っている。休暇が取れた娘が草刈機で刈ってくれた。丁寧すぎるから結局敷地内全部終わらなかった。ご隠居が3m程になった6本ほどの紅葉の木をチェンソーで切る。庭のちょうど角に有る大きな樺の木2本は25mはゆうに有る。昨今の台風の強さは怖いので木樵さんに来てもらって切ってもらうことにした。家はちょうど敷地の真ん中に有るが、樺の巨木が倒れれば先端が家に届く。敷地内で家を避けて切り倒すか、敷地周りの鹿避けの柵を外して家の建っていないお隣に倒させてもらうか。木樵さんに交渉してもらうことにした。お隣きっともう家を建てる気はないんだろうから前回の木の切り倒しの時も快く了解してもらった。その他、ご隠居では切れない、20m位の白樺とタモの木を4本切ってもらうことにした。木の伐採はこれで4回目。まあまあ良く木が有ったものだ。土地を買った時は白樺林の中に家を建てたら小鳥になった気分で良いだろうと思ったが、自然の成長の速さには驚かされる。巨木は怖い面も有る。残っている白樺と植えた木が大きくなるのを楽しもう。きっとそれもすぐに大きくなる。2年前に切り倒した庭のあちこちに有る白樺の切り株からは彦生えが出てもう2mぐらいになっている。日陰が少なくなって直射日光は当たるがしょうがない。木樵さんの下見が終わった後、車を走らせて善光寺までお墓参りに行ってきた。小布施はすごい観光客だろうから、長野東急のデパ地下で竹風堂の栗おこわと栗の木テラスのモンブランケーキと太平堂の「まほろばの月」と栄泉堂の栗クッキー「クララ」を買った。ついでに小布施ワイナリーのワインと高山村のワインも買った。1カ所で全部揃うのが良い。帰り道で長野県民の台所、イオンの様な「ツルヤ」に寄って食料調達。山梨側に有る都会の人御用達の「ひまわり市場」より安くて、高級品は無いから思わずポイポイカゴに入れてしまう。県内あちこち結構な田舎にも有るから、どこの「ツルヤ」に寄るかルート上で選べて良き。一緒に買ったグレイスワイナリーの茅ヶ岳は山梨ワイン。
October 17, 2024
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別にブログから消える準備をしていたわけではない。2週間以上前にご隠居がコロナになった。娘が趣味で所属する管弦楽団の演奏を聴きに行ってラッシュアワーの電車怖いからとグリーン車で帰って来た次の日、なんか鼻水がと言った。その次の日、喉がちょっと痛くなったと市販の薬を飲んだ、3日目37.3°の熱がある風邪ひいたみたいという。4日目、37.8熱が出た。ウサギ、それコロナじゃない?常備してあるコロナ試験薬で試す。結局よくわからなくて3回も違う試験薬で試して全部陽性。かかりつけの医者に行くと大きな病院に行けと言うのでタクシーで向かった。その頃には平熱。帰ってきて主治医が、同じ家族だから絶対移っている。あなたも検査しなさいと言われて翌日ウサギ1人また大きな病院にタクシーで向かった。結果陰性。大体ご隠居が喉が痛いと言った時点で、ウサギ枕を持って家庭内別居。別棟非接触生活。ご隠居が使用したティッシュはビニールに入れて密閉して窓の外に置いたゴミバケツに入れて貰って、キャンプ用の火挟で処理。食事は紙皿使用。トイレお風呂別。暇さえあればドアノブ、床をアルコールで拭く。結局発熱37度台2日で終わったご隠居コロナ。へとへとに疲れた8日間が過ぎ、ふとご隠居の篭っていた寝室に入ってみれば、ゴミ箱にコロナ検査の綿棒が剥き出しで入っていた。私があんなに神経使って色々処理していたのに。
October 8, 2024
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軽井沢ビール工場を見学。結局ご隠居とウサギは烏龍茶、娘だけが試飲してお代わりしていた。画家千住博の絵がビールの缶になる。
September 18, 2024
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また断捨離続行中山の家の断捨離。本宅で使わなくなったけれど捨てがたい食器や調理器具など持って来ていたが、思い切って断捨離。客用布団こそ最初は本宅から移動させていたが、結局全部入れ替えた。究極ゲストが来なければベットルームだけでも良いのだが。ウサギは何度も書いたが両親と義両親を我が家で看取った。だから彼らの持ち物はウサギが処分した。その段階で、彼らが買った時に高額だっただろうものは捨てがたく自分のものとして取り込んでしまった。義母の両親が義母のために作らせた金の鳳凰柄総刺繍の打ち掛けや結納のために作らせたお祝い柄の振り袖や帯、そう言ったものは今では作れないものだからと取り込んでしまったが、私の結婚式に着させて貰ったり、義母が亡くなってから娘が結納に着たりした。けれどもういらないのだろう。何年か前に処分した。母が持っていた食器類もそう。食器には目が効くので、高価なコレクション的なものは取り込んでしまった。しかし、このコレクションが曲者。人は揃っているものは捨てがたいので有る。オークションやメルカリに出せば売れるのだろうけど、その手間と時間を考えたら自分の人生の時間をそんなことにとられるのは嫌だ。どうせその時は二束三文にしかならないし、欲しい人がそれを見つけてくれるまでの時間が惜しい。もう何年も長い事親の膨大なコレクションの処理をしている人を知っている。それってその人の人生なんだろうかと時々思う。もっとその人自身の楽しみがあるのにそれを奪っているんじゃ無いだろうか。もし勿体無いと思って親の趣味を取り込んでしまったら、自分の趣味の範囲が狭まるのだろうか。自分の本当に好きなものは家族であっても他の人とは違う。最近母の遺した食器を思い切って捨ててから、思い出は今身につけている母の形見の金の指輪だけで良いかな、老人ホームにも持っていかれるしと思ったりしている。指輪ぐらいなら娘だって負担にはならないだろう。なんとなく家がスッキリして来たような気がする。それでもまだまだご隠居や私の好きなものに囲まれている生活。次はその先である。自分のコレクションで娘の時間を奪わないようにしなければ。あっさり業者に全部まとめて処分して貰ってくれれば良いのだが。エインズレイとマイセンとボヘミアングラスは断捨離するなと言われているが、それって結局親のコレクションを受け継ぐって事だよね。自分の家に取り込んで。
September 18, 2024
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少し涼しくなってきたので、毎朝庭の手入れをしている。1時間。1時間が限度だ。まだ庭の4割ほどしか終わらない。「裏庭にもきっといっぱい雑草生えているよね。」「見ないことにしよう」兎に角前庭だけ頑張るしか無い。大河ドラマの「光る君へ」はずっと大河見てきたうさぎからしたら、ものすごく美しくて、文学的で、知的な大河だと思う。音楽も俳優も演出も時代考証も美術も情景に合わせた鳥の鳴き声分けも出てくる月も素晴らしい。何より脚本が素晴らしい。過去回に置いてきた伏線を後の回でどんどん回収していくから、記憶力も試されて知的な作品だ。源氏物語の匂いのする新しい文学作品のようだ。学校で古典を教えて貰っていて良かったと思う。昔習った事がさりげなくドラマの中に散りばめられている。源氏物語では無い紫式部物語。もういっぺん源氏物語も読んでみようかな。そう思って本棚を探すが、ありゃ「谷崎潤一郎訳の源氏物語」全巻断捨離してしまったらしい。外国人ゲスト用に求めたこんな要約本しか残っていない。これじゃダメだ。あの文語の旋律の美しい日本語でなければ。
September 5, 2024
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断捨離以前結構やったけれど、もうひと頑張りして身の回りをスッキリさせようと動き出す雨の日々。20人、30人と来てパーティをしたが、コロナを境にもうそんなパーティも無いだろうからと、BBQ用の巨大なパエリア鉄板、スパゲッティの大盛りに活躍してくれたはるか昔に銀行からもらったミッフィーの大皿、朝食に使っていた10枚揃いのデイナー皿、コレールのコーヒーカップセット、シチュー皿など捨てた。まだこんなに捨てるものが有ったのね。
September 1, 2024
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毎日何回か各国の台風情報を見る。なんなのこの台風。特に青い線、鋭角に曲がったり、四国の上で一周したり、今なんぞ四国を通り越して鋭角に何回か回って、台風発生のフィリピン海に戻ろうとしている。兎に角被害がないこと祈るしかない。台風前に庭の木を切って、少し綺麗にして置いた。子供の頃は台風前になると、母がおにぎりを作っていたなあ。落ち着かないから、タルトを焼いた。カスタードクリームってこんなに簡単にできたっけ?イチジクはジャムにしちゃったから、プラムで。
August 29, 2024
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時々おこぼれで観劇券が転がり込んでくる。観劇趣味の忙しい娘が予約したけど仕事で行かれなくなるとまわってくる。田舎から都会に出るのはちょっとした小旅行。神宮前の小さなギャラリーで知り合いの展覧会を見て、有楽町に行く。老人、熱中症にならないようにお茶タイムを計算してある。ペニンシュラで観劇前の時間潰しをしようと思ったら、ご隠居が現役時代に入ったと言うパブが有ってそこでお茶。そうイギリス風のパブはご飯も食べられるし、お茶も飲める。ちょっと懐かしい雰囲気。ちょっと歩いてガルガンチュアでパンを買った。コロナでずっと来ていなかったら、位置が変わっていた。一個800円以上するキューブデニッシュやタルトタタン風のデニッシュを4個買った。年金生活者なのに良いんだろうか。朗読劇は音楽も演出も良かった。休憩時間に外を見るとひどい大雨。講演後劇場のロッカーに預けたパンを回収。今時はクロークなんて無いのね。公演が終わって劇場を出る頃には雨が上がっていた。そうだ雨上がりの東京駅の夜景は素晴らしいはず。有楽町から東京駅まで電車に乗ったら、ダイヤはメタメタに乱れて満員電車。大雨でいくつかの駅が水浸しになってるようだった。雨上がりの東京駅は美しかったが、雨が上がって時間が経ってしまっていたから、地面が乾いて来ていて、思ったような鏡現象は撮れなかった。いつものようにグリーン券を買ってホームに入るとグリーンの列が長蛇。ダイヤも乱れていた。東海道線運休の余波が来ていた。一本遅らせて乗った電車になんとか座って、また田舎まで帰って来た。
August 22, 2024
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台風の西側と東側では物凄く被害状況が違う。2019年、我が家のほぼ上空を台風が通過。その後その台風の東側に入った我が家からほんの2、3kmのところにハイキングに行ったら大きな木が皆薙ぎ倒されていた。同じく東側の房総半島はもっと大きな被害に遭っていた。我が家も玄関のドアがもぎ取られるんじゃ無いかと怖かったが、同じ台風でより中心に近かった我が家より東側の方が凄まじかったということだ。そんなこんなでまた台風が来る。我が家に雨戸の無い出窓が2階に2箇所有る。以前やったようにご隠居がガラスにテープを貼りにいった。「ユナイテッドキングダムで良いかな」と言いながら。なる程、1番楽な方法で貼るらしい。フィンランドやデンマークよりは技術が要らず、役にたつ。娘がおじさん柄の缶がいい感じと、ご隠居に買って来た。
August 15, 2024
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外国人が来ていて面白かった事。日本語が話せない外国人とは基本は夫も私も英語で話す。彼らは一生懸命日本の文化を吸収しようとするから、何でも聞いてくる。天ぷらをしていて「レンコン」は、「今日鎌倉の長谷寺で池の中に白い花が咲いていたでしょう?あの泥の中の根っこ」。「茗荷」は、「うーん植物の根っこの方にできる芽。香りを楽しむ野菜」。シソとか柚子とかスダチとか、山椒とか、英語以前に説明が難しいものもある。日本人の風雅を楽しむ心を伝えるのは難しい。彼ら、今は便利なものがあるから、直ぐにスマホで調べる。茗荷は言葉が難しい。ウサギこの頃、途中で考え事を忘れる。そして「何だっけ」と声に出して言う。「茗荷」をスマホ入力途中のドイツ人、「えーと、何だっけと入力すれば良い?」「いやいや、ミョウガと入力して」娘のお土産田舎だから「チャヤ」のケーキぐらいしか手に入らないから、時々こういうのが来ると嬉しい。
August 11, 2024
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今、我が家には長年の友人のドイツ人家族4人が滞在中。去年の今頃、来年の夏は日本に行くから泊めてという連絡を貰っていた。20年前に文部省だったか外務省だったかの招聘で研究者だった彼が我が家に3日ほど体験ホームステェイした。帰国前に彼の妻が日本に来て山の家に招待した。そうだ、彼は東北大学の研究室の推薦で来ていたんだった。その後娘たちがイギリスに行く前にドイツのギーセンにある家を訪門している。我らは20年ぶりの再会。駅から出てくる彼らの姿は全然変わらず、(なぜ変わらないんだろう。20年も経っているのに。)記憶も勝手に年月を刻んできたのか?で、20年前にはこの世にいなかった15歳の息子と18歳の娘。初対面とは思えない親しさで近寄ってきた。一緒に鎌倉観光をして、箱根ワンデー観光に送り出して、一緒に寿司を握って、毎晩色々な話をしている。ちょっとシャイだけどニコニコしている息子と興味津々で日本文化をなんでも吸収しようとしているおしゃべるな娘。なぜか皆英語の単語に詰まると15歳の少年に聞いている。完璧に答える彼。でも、こちらから話しかけないと自分からはあまり話さない彼。ウサギが感心したのは、この家族全員うさぎと夫の前では英語で話すのである。普通は家族間の会話はドイツ語だろうに、私たちに何を話しているかわかるように話すのである。たとえコソコソ話でも。これはウサギ家庭でも昔はよく娘達や夫に言っていた事だ。わからない言葉で会話されていると不安になるものだ。それを自然に18歳の子達がやるのはすごい。お陰で懐かしいドイツ語はなかなか聞かれない。我ら今回はかなり繊細な宗教の話とか移民の話とか世界情勢とか話したりもした。18歳でもしっかりした考えを持っていて、ちょっと速めの綺麗なブリティッシュイングリッシュで積極的に会話に参加する姿を見て、すごいなあと思うのであった。全員参加で握った寿司。コロナ禍ではあるが、まあ良いか。来日前に日本ではマスクをするようにと言ったら、50枚もドイツから持ってきて、アルコール手洗いをリュックに付けてあって、熱中症になるから水をと言うと出かける前に私が用意しておいたペットボトルを持って出かける。帰宅後は必ずシャワーをするから合格としよう。でも出かける時は部屋のエアコンは切って出かけようね。多分エアコンなんてないドイツ。
August 2, 2024
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モンゴルの旅日記完結させないで終わってしまっっていた。モンゴル最後の日、7時台のフライトなので4:30にホテルに迎えに来るはずのテムジン来ず。電話しても出ず。タクシーで来てテムジンのベンツで乗り合わせて行くことになっていたバースカに電話入れる。バースカがそんな事もあろうかと自分の車でホテルにやってきた。寝ていて起きないテムジンを置いてバースカの車で空港へ。途中ウサギどうしてもトイレに行きたくなって反対車線のコンビニに行くためUターンした時、空港方面に走るベンツを目ざとく見つけたバースカが「テムジン来たよ」と言う。トイレを出て(いや、コンビニを出て)もう一度空港方面車線に戻ると、バースカが「あいつこっちの車見つけて反対車線戻ってるよ」という。何やってんだか。みんなぐるぐる回っている。いや、みんなトイレに行くウサギを何やってんだかと思ってるに違いない。結局近くの駐車場で合流してテムジンのベンツに乗り換えて空港へ。空港にはテムジンのお姉さん2人が見送りに来てた。お土産持って。そしていつものように見たことのない謎の親戚が1人付いていた。そうそう空港に来る途中テムジンがいつものように「春よこい」をかける。そして広大な草原に朝日が昇る。朝降っていた細かい雨に陽が当たって虹が出ていた。何にもない原っぱの中の空港へと急ぐ我らの見送りの虹だと受け取っておいた。
July 31, 2024
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翌朝、テムジンが治ったから前日できなかったドライブすると言う。前日、ドライブ楽しみにしていた彼のガールフレンドが、がっかりしたのもあって、テムジンの冷蔵庫の卵やガチョールトから持ち帰ったヤクのヨーグルトを全部捨てちゃったんだとか。彼女も誘おうと言うと、出かける準備するからちょっと待ってと言う。その間時間があるからと前日閉まっていたザナバザル博物館へ。行って良かった。ガイドを頼むと一つの展示品に5分は掛ける丁寧な、それでいてめちゃくちゃ早い英語で説明してくれる。もうちょっとゆっくりといっては見たが、「はい」と言ってまたすぐその速さに戻った。まあ、凄い知識だ。これ覚えるのに凄く大変だったんだろう。前日チョイジンラマ博物館に行っておいて良かった。そこで仕入れた知識が非常に役立って、説明がよくわかる。事前の知識がなければ、この速さの英語について行かれない。ザナバザルの歴史的な地位、チベット仏教のグリーンタラ、昔の市場のフレー。今まで習ったことが試されているようだった。同じチベット仏教のブータンの寺院で見たグリーンタラの意味がその時わからなかったけれど、あの時の旅で見たものが20年余の後、鮮明に甦ってきた。同じ仏教でも考える位置が人間に近い所にあるチベット仏教と、日本のように人間を超絶した荘厳な世界を感じさせる仏教。しかし仏像など見ていると、インドからネパールを経てモンゴルへ伝わったチベット仏教と中国経由で伝わった日本の仏教は大きく違うように見られるが、実は同じ大乗仏教。誰でも救われる。一方、インドからタイの方に流れた上座部仏教は修行を積んだ人だけが救われる。しかし、日本の廃仏毀釈の時のように、社会主義で宗教を全否定された時代を通ってきたモンゴルは仏教建築はことごとく破壊されて、その期間、仏教は人々の心の奥底に大切に保管されてきた。5日前に訪れたガンダン寺は再建された寺、チョイジンラマミュージアムは再建ならず、博物館として再現された寺。そしてこの日ボグドハーン山一周ドライブで再訪した(5年前訪れている)マンジュシュリヒードは、完全に破壊されて廃墟と化した寺院群跡。テムジンがミルクを持ってくれば良かったと言った。そう、聖なる地では天に向かってミルクを投げるのであった。写真に写っているのは池ではなく前日に降った雨の水たまり。池も小川もモンゴルではなんでもない窪地に自然に現れる。夜バースカとご飯食べる待ち合わせ電話をしたら、レストラン6時集合と言うのを9時と間違えていた。テムジンに連れられて行ったレストランはなぜかお金持ち地区にある日本のジンギスカンとラーメンのレストラン。ラーメン日本と変わらない値段した。いや、もっと高いか。
July 15, 2024
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選挙の日は学校も会社もデパート以外の店もお休みになって、みんなデールという正装を着て選挙に行くというフスレン情報。ならば、伝統服をスフバートル広場に見に行こうと朝から歩いて広場に向かう。ウサギもデールを着て。7時30分。だあれもいないじゃん。それにいつもの渋滞はどこだ?デールを着た人に出会わない。この日はバースカは仕事柄選挙の監視。フスレンは選挙に行くという。テムジンはデールを着て、彼女と市の中心部で投票して、その後、我らとボグドハーン山一周ドライブすることになっていた。そのテムジンから、投票所に来たら、場所が変わっていて国立大学にいる。おまけに朝食べた卵があたって朝から吐いているという連絡。そんな状態でドライブなんてダメだから医者に行きなさいと伝える。自分たちで観光するからと。さて、じゃあどうするか。取り敢えず唯一やっているデパートへ行こう。するとフスレンが、「今日の予定は?」と聞いてきた。自分たちで観光すると言うと、「ガイドできるよ」と言う。ホームステイの先輩達に遠慮していたが、自分の出番を虎視眈々と狙っていたのだ。「今から30程歩いてデパートへ行くから、そこで会おう」と連絡した。途中、ザナバザル博物館がもしや開いていたら行こうと思ったが閉まっていた。30分歩いてデパート。フスレンがまだ来ていない。おかしいなあ、歩いて2分のところに住んでいるのに。キッチン用品の所にいるとデールを着たフスレンとデールを着た彼のお母さんが来た。なるほど。お母さんも我らと行動する事を虎視眈々と狙ってたわけだ。フスレンのデールの布は何故かイギリスのタータンチェック。お母さんのデールは流石デザイナーだけあってピシッとしている。やっぱり体格のいい人のデールの方がかっこいい。フスレン、デールに着られている。デパートで妹にカシミヤセーターを買って、娘にポーチを買った。それから、選挙でも開いているアルコールを提供しないレストランを探して遅いお昼にしようと、席に座ったらフスレンのお父さんがやってきた。お父さんも虎視眈々と狙っていた?テムジンから写真が送られてきた。病院も休みだから、医者に自宅に来てもらって、点滴をしてもらっている写真。なぜか点滴の袋が壁の高い所にガムテープで貼り付けてあった。フスレン家族が近道を通ってホテルまで送ってくれた。詩人の銅像や洒落たケーキショップが有って、きっと観光客は通らないだろうなと思う路地。そのまま家族で投票に行くんだそうだ。結局投票所の前を通ってもデールを着て正装した人は三分の一ぐらい。それでも日本と違って、正装できちんと投票する姿勢には感心した。歩きじゃなければ見られないものを見せて貰って面白かった。ウランバートル、各ブロックのメイン道路に面していない真ん中が面白い。投票所
July 13, 2024
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ガチュールトの子供センター訪問から帰って、一旦ホテルに入りシャワーを浴びる。留守の間も宿泊料金は払って有るので、出かける前と同じ部屋。さて、冷蔵庫の中に入れておいたフスレンのお母さんから貰ったヨーグルトを食べようと冷蔵庫を開けてびっくりした。最初から冷蔵庫にあったビールとワインの瓶が無くなってる。メニューには書いてあるのに。まさか掃除の人が勝手に飲んじゃった?その夜はテムジンが予約してくれた展望レストランでテムジン彼女と食事することになっていた。出かける前にフロントで「冷蔵庫のお酒飲んでないのに、留守の間になくなっちゃった」と言ったら、「明日国会議員選挙ですから、法令で今日と明日のアルコールのサービスは無いんです」と言われた。その日にチェックインした人にはお知らせしたんだろうなあ。明日は町中のアルコールを出すバーやレストランはお休みになるんだとか。モンゴル車社会。「アルコール飲んじゃって選挙行くの辞めた」なんてならないように提供の方を辞める。だけど、ホテルの宿泊客はほとんどが投票権が無い外国人。そこまでやるってすごいなあ。展望レストラン。トイレを探していたらその階をぐるっと一周した。ワンフロア全部レストランなんだ。半分はVIP個室になっていた。眼下に見えるのは「VIVANT 」のロケによく出て来た国立民族劇場。スフバートル広場のオペラハウスとよく似た建物。
July 13, 2024
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子供センターの駐車場に車を停めた時、テムジンが言った。外交官ナンバーの車が有る。後でわかったのは、我らの訪問より先の見学者でセンター長が案内していたのはチェコ大使館の夫人だった。大使館に住んでいると言ってたが、多分大使夫人。日本大使夫人の下のお名前親そうに呼んでいたから。一通り施設を案内して貰って、小さい子たちの棟に行くと、みんなで食事をしていた。その部屋で1人の若いお母さんが、生まれて間もない子に授乳していた。18歳はとっくに過ぎていそう。聞いたら、一度センター出ても、子供を産む時は帰ってきても良いんだそうだ。赤ちゃんはみんなでかわるがわる抱っこして面倒を見ていた。その間その子のお母さんは小さい子達の食事中の喧嘩を止めていた。ここは巣立った子がいつでも帰ってきていい家。最後に事務所に行くと、チェコ大使夫人と思われる女性もセンター長と一緒に入って来た。皆で写真を撮った。私はセンター長と話し、ご隠居はチェコ大使夫人と思われる女性と話した。ご隠居チェコで何ヶ月か仕事していたので、英語読みではなく、チェコ語読みの地名に途中から変えて、話が合うようだった。楽しそうに話していた。テムジンはあっちにもこっちにも参加して「どっちと話したらいいの」と、笑っていた。モンゴル語通訳の必要が無いので彼も英語で参加していた。センター長のガブリエル・マリーさんはこうやって見学者を大事にし施設をオープンにし、見学者は次なる援助者になる。旅行がてらの外国人ボランティアも拒まず受け入れるとの事。成る程。成功者の人となりを勉強させて貰った。宗教色は一切なかった。センターの名前にロータスと付いているから、或いは子供達のためにモンゴルのチベット仏教やモンゴル国家あげてのお祭りナーダムや馬頭琴の演奏や、モンゴルの誇りを持たせるようにしているのかもしれない。もらった感謝状訪問するって言ったから、ちゃんと作っておいてくれたんだ。事務所の棚の上には子供達一人一人のアルバムが置いてあった。ちょうど今いる子の数ぐらいしか無いから、巣立つ時持たせてあげるのだろうか。
July 12, 2024
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まず、前の記事のnikさんのコメント返しから。モンゴルは発展途上国です。戦後の日本のように。 nikさんやうちのご隠居のような日本の成長期を支えて、海外に日本の素晴らしい技術を伝えて来た年代の人達から見たら信じられないでしょうが、同時にウサギは日本は発展下降国だと思っています。 モンゴルは相撲取り繋がりで親日国だと思っている人がたくさん居ますが、それは日本の独りよがりだと思っています。モンゴルは地政学上、親中国国、そして親ロシア国です。逃れられない宿命です。 第二次大戦では満州とモンゴルの境のハルハ川(ノモハン)で日本と戦いました。 にもかかわらず、東関東大震災の時は放射能に侵されたら「自分たちの土地に日本人を住まわせてあげよう」と多くの人が考えるほど日本人に対して親切です。 ですが、日本は今までの経済大国の自負で、最貧国のモンゴルに対して、援助してあげる姿勢が強かったんじゃ無いかと思うのです。ただのものは有り難く受け取っちゃう国民性なんです。 中国や、ロシアはモンゴルでは援助をしても、それ以上に自国の利益を優先します。搾取します。決してお金をばら撒きぱなしにしません。砂漠の鉱山からは一直線に中国に掘った鉱物を運ぶトラックが列を作って走っています。 日本企業は儲からないから、約束が違うから、といったん企業進出しても手を引いてしまいます。 モンゴルのコンビニはほとんど韓国企業です。独占企業のスーパーのEマートは韓国企業です。旅をすればあちこちに有るレストラで韓国料理を食べるところに困りません。例え砂漠の辺鄙な街でも。彼らは我慢強く利益になる方法を考えます。若い旅行者をどんどん送り込みます。彼らは日本人のように美しいモンゴルの風景写真なんて撮りません。風景の中にいる自分を撮ります。そしてリアルな写真は現在進行形をsnsで次の訪問者を刺激します。チンギスハーン国際空港建設に援助しても、日本はモンゴル国内の競争に勝てません。 援助でなく、儲けに行ってこその対等の付き合いだとウサギは考えるのです。リスクを恐れない国は強い。なんていうと娘辺りから文句が来そう。 今の在モンゴル国特命日本大使の井川原さんは、ウサギのその質問に、共に進む発展の方向でモンゴルと向き合っているとおっしゃってくださいました。 毎日のようにモンゴル国内の学校、モンゴルの地方の日本が協力している企業を奥さんと一緒に視察に回って、地道に交流しています。フットワークの軽い現場主義の大使、ご自分の目で確認、素晴らしいと思いました。 BPさんの質問の答え 社会主義の時はみんな平等精神なので、孤児もみんなで育てます。そういう施設が有ったと思う。でも、民主化になったら、自分で儲けたお金は自分のものになる。貧乏から脱出できる時、きっと人は孤児達のことなんて考えなかったでしょうね。 配給されてた全てが自分で調達しなければならないとしたら、他人のことなんて考えられない。 でも本来の遊牧民生活に戻ったら、家族主義だから、子供も孫も、近所の子も家族みんなで育てます。日本の核家族と違って、子供はおばあちゃん、おじいちゃんや全員で見守ります。モンゴルの歴史の中にその過渡期が有ったということですね。 ウサギがモンゴルを訪問すると家族総出で歓迎してくれます。 理由はいろいろでしょうが、日本の福祉養護施設にいる子達だって決して少なく無いと思います。ウサギはモンゴルの国から頂いた賞金だから、モンゴルの子供達に返しただけのことです。なあて、難しいことを書きましたが。単細胞のウサギは野原のトイレや、マンホールに落ちないように歩くことや、車が泥にはまって動けなることを心配したり、車の座席でシートベルトしていても20cmもぴょんぴょん跳ねる悪路を楽しいと思ったのでした。体験するリゾート地ゲルキャンプ(泊まるだけだけど、結構値段が高い。日本人貧乏だからそう感じるのか)
July 12, 2024
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ウランバートルに帰る前、別荘地からの帰り道にあるモンゴル文字応募で貰った賞金を寄付した子供センターを訪問した。50人分のサブレと、40冊の本を持って。35年ほど前、1人の若いヨーロッパのヨガ教師がモンゴルを訪れた。彼女がそこで見たものは、路上で暮らすたくさんの親の無い子供達。モンゴルがソ連の影響下から解放されて民主化移行の混乱期。皆平等の社会から富める者と新しいシステムに取り残された者ができた。日本のテレビで寒い冬に暖かいスチームが通るマンホールの中で生活する孤児達を取材した番組が放送された頃。「モンゴルのマンホールチルドレン」。彼女は孤児達のためにヨーロッパで寄付を集めて、首都郊外のガチュールトに土地を求め親のない子供達の家を建てた。今そこには0歳から18歳までの子供達が50人程暮らしている。みんなのお母さんであるその女性は下手なモンゴル語で挨拶する私に、こりゃダメだと思ったらしく、英語で話し始めた。ちょうど他のヨーロッパの1人の女性の先客が訪れていたので、私達には18歳だと言う少女が流暢な英語で施設内を案内してくれた。彼女の英語の先生はそのセンター長なんだそうだ。広大な敷地には、遊具、鶏小屋、馬小屋、果物畑、野菜畑、みんなでナーダム(年一度の国のお祭り)を楽しむ大きなゲルと馬場と広場。週末キャンプ体験の小さないくつかのゲル、そして管理棟を含めた8棟ほどの独立した建物。それぞれの棟の4つ程は年齢と性別で別れた子供達の居住区、事務所棟、裁縫室、パン体験工場(自分たちで作って自分たちで食べる)、絵画室、外国語の本とモンゴル語の本に分かれて本がぎっしり入った2つの図書室、自習室、馬頭琴を習う音楽室、給食室、食堂、プレイルーム、ヨガ練習室、絵画室など無いものがないほど充実していた。女性の常勤の医者ともテムジンの通訳で話した。その日は大きな子達が自分達で昼食を作っていたが、普段は調理師が作ってくれるんだそうだ。小旅行用のマイクロバス、教材や道具を保管するコンテナ倉庫、世界各地から来る見学者とボランティア体験者の宿泊所も有った。18歳を過ぎたら施設を出る。その時どの道を選ぶか、それまでの生活の中でありとあらゆる経験をし、技術を身につけ、選択肢を広げ、希望と可能性を選べるようになっているのだ。日本だったらきっと大きい子と小さい子でグループを作るだろう。しかし同じくらいの年齢の子達が同じ家で暮らせば悩みや、その歳の子達しかわからない相談もできるだろう。大きい子が自分を我慢して小さい子の世話をしたりしなければならないことも起こらないだろう。もちろん、各棟には大人が1人ずつ付いているとのこと。ここは世界の個人の寄付で成り立っているんだとか。誰からも何も制約のない自由な理念の施設。ちっぽけな私の寄付は何の役にも立たないだろうが、この施設を発見できた喜びはお大きい。自分に資金もなく、もう年老いているから継続して援助が出来ないのがちょっと辛い。続く
July 9, 2024
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テムジンお父さんはリタイア後の夏の間は首都の家と別荘地のゲルと行ったり来たりして楽しんでいる。お父さん現役時代は運転手がいた。今は会社経営のお母さん付きの運転手に送って来てもらうらしい。家では家政婦さんがご飯作るからゲルの時だけ自分で作るんだそうだ。それにしては料理上手。田舎を楽しんでいる割にはゲルの中でずっとテレビつけっぱなし。ヤクのヨーグルトを牧民のところに車でもらいに行くからと言うので付いて行った。ヤクのミルクとヨーグルトは牛のそれよりもっと美味しい。夕方陽が沈む頃、タルバガが出てくるというゲルの裏手の丘に登った。スイスでもそうだったけれど、マーモットって岩のゴツゴツ有る草原の丘に穴を掘って生活する。丘から見下ろすと眼下に5軒ぐらい2階建ての別荘が密集して建っている土地が有った。そこも全部以前お父さんの土地だったんだと言う。そこも売った。そしてその広い鉄柵の囲いの外にやっぱり、その時使っていたというトイレが有った。お父さんのゲルはどんどん西に山際に移動しているんだ。トイレを置いていきながら。モンゴル、個人の土地以外は共有地かと突っ込みたくなる。そう共有地なのである。みんな勝手に使っていい。元々移動しながら生活する民族なんだから。しかし、もう今個人が所有している土地以外の国家の土地は売ってはいけなくなった。だから既存の個人が持っている土地を切り売りしてもらうしかないのである。観光旅行もレジャーも良いけど、その国の国家裏事情や文化や慣習を知ることができる旅が好きだ。良いとか悪いとか別にして。日本がかつて通ってきた歴史と重なるところもある。遅れていると思っても韓国や中国のようにとっとと日本を追い抜いて行った国もある。トイレがなんて言っているうちに、いつの日かずっと上の国になっているかもしれない。旅って我が身を振り返る時間でもある。常にリスペクト、どんな国もリスペクト。丘の斜面に座って夕陽が落ちるのをじっと待つ。周りには無数のタルバガの巣である穴。タルバガ出るわけないじゃんと思ったが、やっぱり出なかった。ジェシーが居るんだもの、タルバガだって気配でわかっちゃうだろう。2泊3日のゲル生活。あっという間だった。その夜ゲルを叩く大雨が降った。さあ、シャワーをしにウランバートルのホテルに帰ろう。
July 9, 2024
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前回トイレの話を書いたが、あれはあくまでも夏の別荘のゲルの話。彼らは首都のの高層マンションで暮らして毎日シャワーもしてトイレも水洗。日本と何も変わらない。そして繰り返すが昔を偲ぶゲルを立てる土地を趣味で持てるのは富裕層。都会のマンションしか無い層がほとんど。さてゲルの生活に戻るテムジンが事前に3日分のメニューをくれていた。ただし、結局は殆どお父さんの気分で作っていた。我らのために脂身少なく、少量でヘルシーなモンゴル料理。私も今年は少し手伝う。スープに入れる餃子がうまくできないから、日本の餃子風に包んだら、お父さんが笑い転げていた。これはテムジンとお父さんが作ったボウズ(モンゴル包子)。こうやってわざわざ薪のストーブでツァイと言うミルクティーを沸かすが、その横でIHの調理台でチャーハンやスープも作る。電気も来ている。わざわざ苦労する言ってみれば男の遊びか。
July 9, 2024
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ガチョールトで2泊3日のゲル生活。また今年もトイレの話。観光客は皆、日程の中に郊外のキャンプを組み込んでモンゴルの遊牧民生活を楽しむ。まあ大自然の中にホテルなんて無いから、国内のあちこちに、ゲルとバンガローと食事棟とトイレシャワー棟を備えた「キャンプ」と言う観光施設が散らばっている。遊牧民そのものではないので、観光ゲル内は電気ストーブとベットだけ。生活の匂いはない。前々日訪れたテレルジ国立公園内にはそのキャンプと呼ばれる施設が20ヶ所以上点在していた。テムジンお父さんの別荘ゲルはその中で生活するから、遊牧民生活のように周りに羊や馬は居ないけれど、衣食住の体験ができる。ただし、ゲルだからトイレとシャワーが無い。男どもは大きな水の入ったポリタンクを抱えて、ゲルの裏手の鉄柵に引っ掛けて上半身裸で頭や体を洗う。私は上半身裸にはなれないので、日本から持ってきた体拭きペーパーでコソコソと見えないところで体を拭いて着替える。実際の遊牧民のゲルにはおばあちゃん、おじいちゃん、孫や、若者がいてどうやって生活しているんだろう。困るのはトイレ。去年トイレが遠すぎるから(ゲルから鍵を開けて門を出て、門の周りを150m歩いて、次の敷地の門の鍵を開けて30m登って到着)と夜中のトイレ用に、私用にゲルから30mの敷地内に設置してくれた簡易トイレは消臭剤が無くなったとかで今年は無し。今年はゲルを出て、20m歩いて、門の鍵を開け、100m歩いて隣の門から隣の敷地に入り、300坪ぐらいのその1番遠くの端っこにあるトイレに行く。去年より50m近くなったが早め早めの行動が必然。考えた。テムジンお父さん、どうしても自分の敷地内にトイレを置きたく無いんじゃなかろうか。去年の100坪ほどの柵で囲まれた小さい土地内のトイレはその前の年にお父さんがトイレごと売った土地。今年の300坪ほどのトイレのある隣の土地も、去年は自分の土地だったところを売って建物を建設中。どうやら土地を売る前に屋外トイレを自分で設置して、そこの住人が住むまでは使っているらしい。或いは、1番端っこにトイレを作るから、端っこを切り売りするとトイレは売った土地内になってしまうと言うことか。だからその土地の鍵を持っているんだ。ちなみにまだ残っている広大な土地には車で入れる大きさの大きな門がまだ3ヶ所付いている。ここの今出入りしている門の区画はお父さんの弟に売ったそうだ。お父さんは今年まだまだ有る自分の土地に建物を建設する計画。そうしたら自分の建物内にトイレができる。ジェシーだけは自由に広大な敷地を飛び回り、うんちをする。但し、そのあとテムジンがそれを花の中から探し出し、トイレに捨てに行くのだ。夜、お父さんが、トイレが遠いから近い場所を教えると言う。付いていくと敷地の後方の柵に小さな扉が有って、そこにも鍵が付いていた。鍵を開けておくからそこから出て野原でしてねと言う。やっぱり敷地の外じゃん。木立が有ってどこからも見えない。でもその分夜はちょっと怖い。狼は居ないだろうけど。月明かりの花摘み。敷地内で済ませられるジェシーが羨ましい。今年お父さんが売った土地に家を建てていた。その前をジェシーが走り回っている。
July 8, 2024
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6日目。テムジンのお父さんの夏のゲルが有るガチョールトに行く日。前の晩が忙しかった。バースカのお母さんとホテルで別れて、夜テムジンが来てホテルのイタリアンレストランでご飯を食べて、彼が帰ろうと地下駐車場に行ったと思ったら、ご隠居に電話がかかって来て「フスレンが来てるよ」と言う。ご隠居が13階からフロントに降りて行ったと思う頃、部屋に電話が有って「hello 」と言うと、「フスレンのエイジ(母)」だと言う。フスレンと一緒に来たのか?私もフロントに降りると、お母さんがケーキとヨーグルトの大瓶とエーデムと言うプリンのようなものを渡された。これから夏の家に行くと言う。ウランバートルの富裕層は皆、郊外に夏の家を持っている。我らも明日からガチョールトだけど、ヨーグルトとケーキどうするの?ところで、私、フスレンのお母さんと何語で話したの?慌てていて記憶がない。そして翌朝、ホテルの部屋はキープしたまま2泊の外泊。今度はスーツケースは部屋に置いていくので、100個のスーツケースの下敷きにならないで済む。翌朝ベンツじゃないランドクルーザーに乗ったテムジンが迎えに来た。ガチョールトは途中から悪路になる。ベンツじゃ行かれない。1年ぶりにテムジンお父さんの夏の家に行った。このゲル、モンゴル軍が外国の賓客接待用に買ったけど、儀仗兵が掲げる旗が長すぎて入らないので、新しいのを買うことになって、必要無くなった物をお父さんが買ったんだそうだ。だから 普通のゲルより天井の桟の数が多い。なんか去年はおばあちゃんのゲルを貰ったとか聞いたが、あれはテムジンの通訳が間違っていたのか。それともおばあちゃんに貰っらのは、中にあるベットやタンスの話なのか?モンゴル防衛省の建物内にこのゲルが有って、そこに制服を着たお父さんが写っている証拠写真が飾ってあったから、今年の話が本当なんだろう。ゲルに着いた時、お父さんが門まで迎えに出てくれた。鉄の塀で囲まれた広大な敷地のゲルの周りにエーデルワイスなどの花が咲いていた。先に来ていたテムジンの犬のジェシーが猛ダッシュで来て車から降りる我らに飛びついた林の前の原っぱ全部がお父さんの土地。まだ突如雪も降る季節だから去年より花は少ない。
July 7, 2024
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政府庁舎が有る大きなスフバートル広場を中心に広がる街は言ってみればヨーロッパの旧市街のような場所。その中にホテルや会社などの新しいビルが混じっている。旧市役所の後ろに新しいビルの新市庁舎、国営デパートの中は新しい経営のデパート、古い国立大学の中に新しい校舎という具合に古いものと新しいものが混じり合う。フスレンの家などチューリッヒやウイーンで泊まった友人のインゴの家のような作りだった。多分社会主義時代の共産党幹部が住んでいたと思われるような部屋のたくさんあるアパートだった。モンゴルは古くて、新しくて、都会で、広大な田舎を持った混沌とした国。政治家は汚職と搾取が珍しくないので、公共事業の費用は途中でどこかに消える。だから歩道なんかもガタガタ。マンホールが10cm歩道より盛り上がっていたり、10cmへこんでいたり。ウサギ平らなマンホールの上は日本のつもりで踏んでいたら、バースカのお母さんに、落ちるから踏むなと何度も注意された。落ちるの?ここまではっきりしていたら踏まないけど。
July 5, 2024
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ウサギビーガン料理は初めて。バースカのお母さんが糖尿病だからもう肉を食べないんだそうだ。モンゴル人が肉食べないでどうする。それほど美味しいとは言えないがまあまあ不味くは無い。食べながら、次は郵便局に行きますと伝えるとお母さんが案内してくれると言う。スフバートル広場を横切ればすぐとわかっている。スフバートル広場では結婚式を終えた花嫁さんが家族で写真を撮っていたり、モンゴル国立大学の卒業式後の写真を撮っていたり。記念切手を買うのをお母さんは付き合ってくれた。その間にご隠居は郵便局の建物内にある花屋でお母さんに花束を作ってもらっていた。広場周辺の風習や文化はロシア式。アジアだけどヨーロッパ的。VIVANT ツアーもあると言うのにほんと日本人を見ない。
July 4, 2024
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モンゴル5日目、ウランバートル寺めぐりモンゴルは社会主義の時代が有った。その時今までの固有のモンゴル縦文字を捨ててロシア語アルファベットのキリルを使うようになった。勿論話す言葉はそのまま。表記文字が変わると言うことは言文不一致が生じる事でもある。毎日誰かが街歩き手伝ってくれるけれど、ウランバートルの大渋滞、ホテルに迎えにくるまでに時間がかかる。24日はバースカが仕事、テムジンはガチュールトからまだ帰ってなかったので、我らだけで行動することになった。ところがバースカのお母さんが暇だから行きたい所に案内してくれると言う。6年ぶりの再会である。前回は一緒にゴビ砂漠に行ったが、英語の話せない彼女とは全く話してないのである。彼女の家にホームステイしたのに。不安なのでバースカにチョイジンラマに行きたいと前もって伝えておいた。ホテルで再会。あれあれ、前回は寡黙だと思った彼女は最初からニコニコ饒舌。私のモンゴル語挨拶に答えた。なんだ、単にお互い相手の言葉が話せなかったからと言う理由だけだった。我らは彼女の乗って来たタクシーに乗り込んだ。市内観光出発。私が「ガンダン寺に行きたいです」とモンゴル語で言うと、「え!」と混乱。昨夜バースカからチョイジンラマに行きたいそうだよと指示が出ていたようだ。多分タクシーの運転手にも伝わっていた。「最初にガンダン寺、次にチョイジンラマ博物館でお願いします」と伝えた。言葉が通じそうなので職場から遠隔操作のバースカに「大丈夫だから仕事して」と伝える。ガンダン寺はアクティブな現在進行形のお寺だった。19世紀に建てられて、社会主義で排斥され、民主主義になって再構築した。言ってみれば總持寺とか永平寺のような修行の寺。たくさんのお坊さん達がお経をあげていた。本堂には鎌倉の長谷にあるのより高い金ピカの仏像がドーンと立っていた。バースカのお母さんが五体投地をした。私も真似したら、手の部分がずるっと先にいって、ずっこけた。ブータンの3,000メートルの高地タクツアン僧院で五体投地して息切れしたのを思い出した。ウランバートルも1,400m、無理だなあ。どうやらタクシーをキープしてあるらしく、さっきのタクシーがまたやって来た。ウランバートルのほとんどのタクシーは素人タクシー。あまり良くない人に当たることもあるから観光客が街で拾うのはお勧めできない。自宅に帰る方向だからついでに乗せてお金稼ぐ人も多い。普通は皆スマホアプリで呼ぶのだから、キープは懸命かもしれない。次はチョイジンラマ寺院ミュージアム。シャングリラのすぐ横、街の中心。20世紀初頭にボグドハーン(王様)の弟の高僧のために建てられ寺で今はミュージアムになっている。ここはルートに沿って歩くと、各建物の解説員が説明する。最初の建物でモンゴル語でどんどん説明始めたが、名前と仏教用語ぐらいしかわからない。バースカのお母さんが「この人達モンゴル語分からないよ」と言ったらしい。途中から英語になった。話が興味深い。次の建物に移って英語の解説が始まったが、その建物の担当の説明員の英語がよくなかったのだろう。私の質問に答えられなかったら、付いて来たさっきの建物の説明員が説明し出した。結局その人が最後まで一緒に回って説明してくれた。写真は撮れなかったので建物から出た時1枚だけ。ガンダン寺と違ってここは活動するウランバートルの中心にありながら、歴史の中に埋もれた静かな寺であった。そしてお昼を食べにビーガンレストランへタクシーで向かった。ウサギが「ここから近いから歩けるよ」と言ったけれど、お母さんはバースカがタクシーに乗れと言ったと言うから乗った。歩いて15分の距離を車で40分はかかった。おまけに反対方向に行ったから私が道違うよと伝えた。どうやらウランバートルの裏道には弱いらしい。大きな建物で囲まれたブロックの中にあるから分からないらしい。ブロックの外側でタクシーから降り、私が道案内をする。地図は頭の中に叩き込まれているから、ストリートの名前、ビルの名前、一度行った所は分かる。留学生達も「お母さんは地図わかるから」と一目置いてくれる。
July 2, 2024
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渋滞のウランバートルに戻ってスフバートル広場が上から見下ろせるビルのレストランに入った。その後歩いて美術館、前にも行った本屋で詩集を買ってレストランのあるセントラルビルの駐車場へ。ゲートのバーは携帯で銀行口座を操作。現金もカードも効かない。モンゴルは日本よりずっと進んでいる。なんでもスマホで。テレルジ国立公園に行く時、同じホテルであるが、一度チェックアウトした。1泊で戻るけれど、テレルジに泊まる日はウランバートルのホテルは予約してないので、スーツケースを2個フロントで預けてまた帰って来るからと出かけた。テレルジから帰り、バースカをロビーで待たせて、再チェックイン(今度は最終日まで7泊続けて予約してある)。その間にご隠居が消えた。トイレかな。いつまで経っても帰ってこない。そのうちご隠居がスーツケース1個だけ持って来た。もう一個が見つからないと言う。保管庫に行ってみると10畳ほどの部屋いっぱいに高く積み上げたスーツケースの山の中にベルボーイが埋もれてスーツケースを動かしながら汗だくで探している。なんと預けた同じ日にウルトラマラソン参加の各国からのアスリート達がいっぱい泊まっていたが、みんなスーツケースを預けて身軽出発したと言う。マラソンは1週間ぶっ続けで走るから、彼らは1週間後しか帰ってこないのである。もしその100個ぐらいのスーツケースの1番奥の下に私のスーツケースがあるとしたら・・・。悲劇だ。フロントスタッフも来て少しずつ廊下に出して探す。なんとか探し出した。ご隠居がモンゴルでは必要ないチップをはずんでいた。お陰ですっかりご隠居と仲良くなったベルボーイもスタッフも、その後フロント前を通る都度ニコニコして挨拶した。最初に泊まった部屋が少しタバコ臭くて変えてもらったら、今回わざとらしく、禁煙ルームの表示がソファーのテーブルに置いてあった。我らが吸うわけじゃ無いけどね。スーツケース開けっぱなしで置いても余裕で通れるほどの部屋。昨年のバヤンゴルの大統領の泊まったスイートルームやケッビンスキーよりはちょっと狭いけど。トイレに行こうとしたらバースカが「お母さん丸見え、丸見え」と言う。ベットルームから見えるガラス張りのバスルーム。シャッターを閉め忘れると大変なことになる。
July 2, 2024
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翌朝、朝食を済ませて、テムジンは自分の車で帰って行った。一度帰って、犬のジェシーを連れてガチュールトに有るお父さんの夏のゲルに置いてくると言う。そのために2台の車で来たのだ。我らは朝食を食べてウランバートルの帰路、テレルジリゾート地の再奥に向かう。広大なリゾート地(日本の軽井沢のような)テレルジ国立公園は日本人の観光客ならたぶんほとんど全員が訪れる超有名地。我らはその日、観光バスや普通乗用車では行かれないその奥の方に踏み込んだ。再奥の古いホテルを過ぎると村が有って、板塀で敷地を囲んだゲルがいくつも有った。google map で見ると裏山を通ってガチュールトの街に出られるコースが有る。バースカが行ってみようと言う。人家が無くなり、牛や馬やヤクが放牧されている草原を走る。家畜は春に子供を産むから、どの種も子連れの群れ。下の写真は道路(まあ道らしきもの)を行くヤク(牛の種類で気が荒い)。牛もヤクも馬も羊もラクダも絶対自分からどかない。あっちが道の真ん中で「車が避けて通れ」と睨んでくる。(無表情だけど)ヤクの子、羊の子、馬の子が移動するお母さんのおっぱいを求めてお腹の下に潜り込む姿が可愛い。丘を登る道を空に向かって登り切ると、峠のてっぺんに1台の車が止まっていて、女性と子供を連れた家族が食事をしていた。(ほぼ酒盛り)そこで車を停めてちょっとした交流が有った。みんなで大笑いして、写真を撮って、お礼に日本から持って来た箱入れのバームクーヘンをあげたらハグされた。この貰った親切にちょっとしたお礼の返礼は去年の旅で学んだこと。もう二度と会わないかもしれない人だけど、相手が「日本から来た人に貰った」と思い出にしてくれたら嬉しい。だから今回は小さな菓子折りを幾つか持って来ていた。私の旅は人との出会いの旅だから。丘を反対側に降りる道は急坂でちょっと怖かった。「上の道は危険だ。下の道は通れない。真ん中の道は君の車でなら行かれる。」とその家族にアドバイスを貰って出発。辺りは時々木々の中に馬が見え隠れする林の中の道、時々黄色い花がびっしり咲き乱れる草原、時々青い花で埋め尽くされた山の裾野。男は「馬を見に」女は「花摘みに」ちょっと木立に入る。トイレ休憩の事をモンゴル人はこう言う。広大な自然に簡易トイレなんてない。モンゴルでは普通の事。隠れ場のないどこまで行っても真っ平らな草原では、辺りを見回すそのキョロキョロ時間が長くなるだけ。けれど同行者さえあっち向いていれば人っ子ひとり居ないのだ。また峠を越えるとライダーが登ってくる。眼下に村のゲルが見える。彼方にはガチュールトの別方向へ抜けると思われる峠が見える。道が有るかって?有るような無いような。轍のある所が道。轍が何本も有ったら、1番良さそうな道を選ぶ。感が頼り。モンゴルどこを走っても良いのである。この先村に入る。google mapの通りに道なる所を進むと、前々日の雨で道路は川になっているので、はまったら最後抜け出せない。モンゴルでは自分で道を作りながら走るのである。牛は泥道にはまることもないので、川の中だろうが泥の中だろうが歩く。大体雨が降らなければ川なんて無いから、雨が降ったから川ができた。普段から流れている大きなトール川が有るが、それは前日、テレルジに行く手前で氾濫して洪水を起こしていた。ここもリゾートキャンプの場所。前日泊まったホテルを予約する時に、ウサギは絶対川の側のキャンプを選ばないようにテムジンに伝えてあった。さて、バースカの車でもう直ぐガチョールトという所の小さな村で、小川の向こうの丘で坂を登るのに失敗したトラックがずるずると横滑りしていた。おお怖。map 通りの道を通っちゃったらしい。ガチュールトの街に出て別れ道を幹線道路に。テムジンはきっとその分かれ道から違う谷方向のお父さんの別荘のゲルに行ってるはず。そっちの道も途中から舗装が切れた悪路になるはず。
July 2, 2024
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テレルジ国立公園3日目、テムジンのベンツででテレルジ国立公園へ。2時間の道のり。遅れて来たバースカのスバルフォレスタが途中で合流。今回のキャンプリゾートにはゲルも有ったが、三ッ星ホテルの建物の中。例の花束は短く切ってビニール袋に入れて持って来て、途中立ち寄ったスーパーでコップを買った。ホテルでどうやってキープしたかって?洗面所のトラッシュ缶にビニール袋を掛けて、水を入れて保管していたのだ。ホテルに着いて食堂でお昼を食べてすぐに車でテレルジの1番奥の方の名所亀石を見に向かった。途中モンゴル相撲の練習をしている人や乗馬で亀石に向かう人たちがいた。そこからもっと奥にはお寺があった。ご隠居は長い階段をパスしてテムジンと下で待っていた。夕食を食べてまたホテルの近くの低い丘に登る。翁草の群生地が有って、あちこちに20個ぐらいのゲルと管理棟を持ったリゾートキャンプが見えた。夕陽が落ちるとあたりが暗くなり、山々のシルエットが浮かんで幻想的になる。
July 2, 2024
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前回からの続き食事が終わると、雪が降りしきる中フスレンがホテルまで送ってくれた。相変わらずウランバートル市内は大渋滞で10分もあれば着くところ30分もかかった。マンションの駐車場から裏道を選ぶ。駐車されている車と車の間を進む。前から車が来ているのに突っ込む。絶対負けると思ったら案の定バックを強いられたフスレン。フスレンの家に来る時、運転技術と強心臓のテムジンでさえ負けて30mバックさせられたんだから。そうなるわなあと思っていた。ホテルで小休憩。再びスーツでビシッと決めたテムジンがホテルに迎えに来た。孤児院への寄付をモンギル語でコンタクトを取ってくれた街の高級ショッピングエリアのシャングリラモールにあるJICA にお礼の挨拶に行き、次にある所でバースカを含めて4人揃って食事の招待。こちこちに緊張して、記帳の字を間違えて、そしてホスト夫妻の気配りで和やかに過ごさせてもらった。ホームステイ受け入れとモンゴル文字挑戦が見事に繋がった縁で。終わってホテルに帰ってフォーマル(と言っても旅行中なので簡単な)を解いて、翌日のテレルジ国立公園へ行く準備をした。1日に2件の食事のお呼ばれは老体にはなかなかハードであった。ホテルから見る窓の外のザイサン地区やその後ろのボグドハーン山は雪で真っ白になっていた。
July 1, 2024
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忙しい1日だった。まず9時にホテルにテムジンが迎えに来てくれた。その車でちょっと離れた場所にある本屋に向かう。街中の本屋は前回結構回ったが、そこは初めての本屋だった。子供の本が充実していた。ご隠居が2歳から5歳向けの、テムジンが6歳から8歳ぐらい、ウサギがそれ以上の歳の本をそれぞれ10冊ずつ選ぶ。ちょっと前に大使館経由でJICAの人に情報もらったリストから「子供センター」という名前の孤児院を選んで以前モンゴル文字で優勝した賞金が今頃出たので寄付をした。モンゴルに来たら訪れて欲しいと言われていたので、訪問することにした。その時日本から持って来たお菓子と何冊かの本と合わせて40冊ほど寄付をしようと思ったのである。会計前に3人でそれぞれ選んだ本をチェックする。私は日本の物語をモンゴル語に訳したものを何冊か見つけていた。センターの子が日本という国に興味を持ってくれると良いなと思う。テムジンはやっぱり男の子だからの冒険ものを選んでいた。外はものすごい雨で駐車場は水浸し。歩行者用に橋の様に門からスノコが敷いてあった。モンゴルは側溝が無いから雨が降ると街中が洪水になる。ホテルに帰ってからテムジンに送って貰ってフスレンの家に行った。昼食の招待。フスレンはテムジンの従兄弟で最初にテムジンが連れて来て我が家に泊まって行った子。ホームステイ受け入れはテムジンを最後に辞めたが、その家族やリピーターは受け入れている。彼は日本の東北大学病院で顎の手術をしてその後何度か日本の病院で術後のチェックをする為に来日している。彼はもともと日本にモンゴル人のホストファミリーが居たが、聞けばお金を払っているのに食事も出ない、エアコンも使えないかなりの劣悪な環境らしいので、見かねて日本に来た時はうちに来るように勧めた。そのお礼にデザイナーのお母さんが私にデールを作ってくれたり、今回のように食事に招待してくれたので有る。精一杯の感謝の気持ちだろう。モンゴル料理全てが出たと思われるほど実演しながら作って振る舞ってくれた。そしてなんと、食事をしながら外を見ると雪が降って来たのである。6月下旬の雪。ここまでが1日の半分の予定。なにしろモンゴル昼も夜も大渋滞。30分で行かれるところを2時間掛かる。その後もう2件の訪問先が有った。続く。
June 25, 2024
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駐機していた飛行機が滑走路に向かって動き出し始めた時、ウサギの隣の窓際に座っていた青年が窓に向かって手を振った。誰か見送り?いやこんなに建物から遠くには。そうだ、日本の空港では貨物を摘み終わった空港職員が出発する飛行機に向かって手を振ってくれるんだった。日本人には見慣れた光景。窓に向かって手を振る青年が可愛くて思わず、「可愛い」と呟いてしまったら、その青年が振り向いて「可愛い」と笑って言った。きっとウサギが手を振る空港職員のことを言ったと思ったのだろう。擦れていないピュアさだから、「モンゴル人?日本人?」とモンゴル語で聞いてみた。やっぱりモンゴル人、「日本で10ヶ月働いて帰るところ。日本語はほんのちょっとだけ」と言っていた。私の拙いモンゴル語での会話でもなんとか通じている。モンゴルに帰ったらエアコンの取り付けの仕事をするんだそうだ。頑張れ若者。そして、チンギスハーン空港には我が家に留学していた2人が迎えに来ているはず。荷物が出てくるのを待っていたら、機内で隣だった若者が夫にニコニコ寄って来て握手していた。なぜ夫?別れ際に「また日本に行ってね」と言ったら溢れんばかりの笑顔で「ありがとう」と帰って来た。空港には留学生だった2人とその彼女となぜかお母さんとお父さんも来ていた。そして手渡されたのが花束とホールケーキ。花瓶のないホテルでどうするのよ。ホールケーキ食べきれないよ。ホールケーキは夕食時にホテルのレストランで4個に切ってもらって4人で食べたのであった。
June 25, 2024
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山の家に行った帰りは大体談合坂サービスエリアに寄って休憩する☕︎そして空っぽになってる自宅の野菜ボックスを想像しながら野菜を買う。サービスエリア内に近くの農家の人達が持ち込む季節の野菜売り場が有る。庭で咲いた花、レタス、筍、蕨、タラの芽、蕗、空芯菜など、普通の野菜の他に不揃いだけれど旬の朝取り山菜も手に入る。今回は小さなパックに入った山椒の実を買った。小さなパックとはいえ山椒である。一粒口に含んだだけでじわーっと痺れる。さて何に使おうか。縮緬を買って縮緬山椒を作った。いやー、辛くてとても食べられない。縮緬に対して山椒の割合が多すぎた。作ってしまってから、竹串を箸のようにして一粒ずつ適量になるまでまた取り出す。取り出したものは麻婆豆腐に入れた。
June 7, 2024
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昨日のblog記事に頂いたコメントのお返事兼ねてまず、「私の庭」は山の家の庭である。別荘地の中には永住して素敵なイングリッシュガーデンを作り上げているお宅もあるが、永住者のお一人がかつて言った言葉が気になっている。自然の中に外来種を持ち込むとそちらの方が強いから植物体系を壊すのだそうだ。そういうことなので、山の家の庭には標高1,450mの高地に自然に生える植物だけである。種を蒔くとしても別荘地の友人がその庭から採取した花の種のみ。高原で買った高原植物の苗のみ。今回、1m程の白樺の苗を10本ほど移植したが、それは山の庭の大木伐採跡に実生(種から)で出たものを3年かけて育てた物だ。自宅の庭の草取りでさえやっとの歳になってしまい、300坪の山の家の雑草取りなどとてもとても。前回と今回とで庭散策して触れるとチクチクするアザミの株を30本ほど鍬で抜いただけで、後は野となれ山となれ。大体空気薄いし緩い斜面になっているから息切れが激しくて無理。昨日の一枚目の写真の寝室の窓にかかっているミニュチュア鳥籠の中には木彫りの小さな熊がいる。鳥は籠の中でなく森の中を自由に飛ぼまわって囀っている。時々ベランダの手すりに遊びにくる。梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」のロケに使った山荘が清里清泉寮の森の中にあって見に行ったことがある。作中でイギリス人のおばあちゃんがその山荘の裏山のワイルドストロベリーを摘んでジャムを作る場面があった。私の庭にも実がなったらジャムを作ろう。山の家で作るジャムは格別美味しいのだ。最近もっとこの庭が気に入っているのは、モンゴルの留学生のお父さんの夏の家のゲルがある庭に咲く花と植生がほとんど同じだと言うこと。もちろんそこから木々をかき分け裏山に入るとワイルドストロベリーが群生している。レンゲツツジの満開のタイミングで山の家に行くのは本当に難しい。
May 30, 2024
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春は曙ではなく初夏は曙。やうやうしろくなり行く山ぎは。昨夜の雨風が嘘のように霧が山側を立ち昇っていく。陽の光が白樺に当たる頃。春蝉が待っていたように一斉に、また木々が揺らす鈴のように鳴き出す。むせかえるように白樺の下を埋めて一斉に咲く白いこなしの花は、桜の季節じゃなくても美しいんだよと主張しているようだ。風がサワサワと翠の葉を揺らしながら窓辺から入ってくる頃、恰好が鳴き始める。長旅を終えてしばし夏を過ごして秋になればまた異国に帰っていく。千年の昔から。寝室の窓から見える景色はそこだけ燃えるように眩しい。蜜柑色の蓮華躑躅の群生。目を横に向けると地面にも白い花を咲かせるワイルドストロベリーの群れが広がる。実がなったら摘んでジャムにしよう。朝露に濡れた庭を花を探し歩くのも楽しい。ベランダから見えていた白い絨毯は小さな小さな花を咲かせるマイズルソウの群生地。白樺の大木を切ったら私の庭の植生が変わった。車庫の石積みの上の一帯はベニバナイチヤクソウの群生が広がる。高地に群生地が有るが、わざわざ見に行かなくても、山の家の我が家の庭に群がって咲いている。ゆっくりと庭の斜面を降りてくると、紫のオダマキを見つけた。もう少し夏になると庭のそこかしこに黄色いミヤマオダマキが咲く。ホウチャクソウは踏まずに歩けない程に咲いていて誰も目もくれないことを悲しんでいるだろう。白樺林の近くを歩くと白い小さなタニギキョウとチゴユリの小さな群生。蕨のニョキニョキとそこかしこから伸びているのもいとおかし。「光る君へ」見過ぎ。先週は「枕草子」誕生の項だった。
May 29, 2024
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1週間ほど前に友人達と横浜に薔薇を見に行った。アメリカ庭園から港の見える丘公園まで、そして丘から緑の森の中の階段を降りて中華街。このコースは綺麗だ。中華街は修学旅行生でいっぱい。彼らはレストランに入らないで食べ歩きするから、通りは人で身動きができない程。そして元町。久しぶりの元町には人が少なかった。観光客が少ない。お茶をして尽きない話をして、海外から買い戻したと言うオールドノリタケでびっしりの博物館のようなショップを見て帰って来た。そして3日後、またホテルニューグランドのロビーで韓国から高校視察に来たと言う古くからの友人と同行者に会った。ニューグランドのロビーカフェもザ・カフェも満席。仕方がないのでタクシーでみなとみらいに移動して東急ホテルでケーキとお茶。日本語と英語と韓国語で会話する。日本語を話したい友人と英語と韓国語しか話さない同行者と韓国語がわからないので全て英語で通すご隠居と。もうね。最近英語でモンゴル文法教えてもらってると、英語でフォローしながら他言語を話す事にすっかり慣れたウサギ。頭の中で日本語経由変換必要なくなってきたみたい。と、思う。ただし、英語以外の多言語会話がそれだけで成立するまではまだまだ。改めて世界の共通言語の英語に脱帽。
May 24, 2024
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早稲田で研究生活を続けながら日本での哲学教授を目指しているドイツ人の友人がいる。昔学術会議の招待で日本に来た時我が家にホームステイした。その後ベルリンで会ったり、日本で会ったり。先々週うちに遊びに来た。3日酔いだと言いながらきた。ベルリンではフンボルト大学で教えていた。でも日本でどうしても教えたいんだそうだ。哲学ねえ。オックスフォードにもいたから、英語での授業なら大丈夫だけど、日本語での授業は難しいだろうねえ。寿司はちょっと苦手だって。そうだったっけ?最近は寿司大歓迎の外国人が多いから、ちょっと意外だった。カツ丼が食べたいと言うのでそれにした。3月にベルリンに帰った時に持って来たと言うマジパン入りのチョコをたくさん貰った。マジパン大好き。
May 19, 2024
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高校時代の同級生が3人遊びに来た。ウサギ学生時代に1回、5年前に1回東京で同級会があった時出席したのみで、その間の空白で東京での同級会の時はたった1人しか昔の名前を思い出せなかった。ほとんどが姓が変わって、挙句にみんなニックネームで呼んでいる。わからないままコロナ禍に突入。また会うこともなく4年が過ぎ、名古屋と大阪と千葉から3人の友達が我が家に遊びに来て2泊して行った。「ねえ、英語の選択クラス一緒だったわよね」「いやあ、嫌いな英語なんて必須の他に受けるわけないわよ」「いや、絶対いた」と言われても思い出せない。その割に昔のことが懐かしく、話が尽きない。鎌倉観光したり、クルーズしたり、ご隠居の作ってくれるご飯をみんなで食べたりの合間に、4人座ってずっと喋ってる。ちょっと離れてご隠居、何にも言わずに笑っている。きっとおばあちゃんたちが高校生のように楽しげにキャッキャ言って話すのが面白いんだなあ。2階に2部屋、ベット3台にベットメーキングしていたのに、1人は足が悪くて2階に上がるの大変だからとかじゃあ下でと言うと、畳の部屋は起き上がれないとか言って結局トイレが近い応接間のソファーで寝た。後の2人も1部屋ずつは寂しいからと2人一緒の部屋で寝た。自己主張はしっかりするところがホームステイと違うところ。鎌倉八幡様の階段が登れないからと脇から登ってお参り。胃がんの手術したから少しずつ食べると時間かけての食事。勝手なこと言って、ワイワイ言って、ゲラゲラ笑って。ちょっとだけ私の思い出しを手伝ってくれて、幸せなひと時だった。長谷寺も花が綺麗な季節になって
April 28, 2024
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この頃、日記を書く時、歳をとって何度も同じことを書くんじゃ無いかと、そんな心配が有る。まあ、今までもそうだったが。読んでくださる人がいたら、くどい!と言われそうでちょっと心配である。毎年恒例の花巡りをしていた。今年はちょっと遅かったので今頃であるが。山梨の甲斐駒ヶ岳の麓は山から吹く風が冷たく、北側なので開花が遅い。同じ地域にあっても、樹齢2,000年とも言われる神代桜は甲斐駒ヶ岳の影響が少ないので散り始めていた。ここでの目的地は眞原の桜。甲斐駒ヶ岳をバックの天国のように美しい。
April 18, 2024
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ミュージカルのチケット高くなったのね。でも、娘達からのご招待だから関係ないけど。ちょっと怖くてホラーなミュージカル。日本語だからしっかり理解できる。英語の「マチルダ」見たいねって言ったら、子役をイギリスから連れてこれないでしょうと言われた。確かに。子役の教育環境もあるからね。子役ばっかりのミュージカルだからね。池袋で焼肉食べてグリーン車で帰ってきた。焼肉ってあまり行ったことがないから面白かった。東京から帰る時は田舎の我が家までは着席券がなければ辛い年になってしまった。隣のおばあちゃんが少し前風邪をひいていたので、買い物したり、食事作ったりして持って行ったら、お返しにホテルニューグランドの桜ケーキを貰った。さて、彼女これをどうやって買ったのだろう。
March 24, 2024
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赤い糸ならぬ、太い紐でくっついているんじゃ無いかと思うぐらい御隠居と一緒に行動している。 歳とると誰でもそうだよ、寄り添って残りの人生をお互いを労わりながら、と言われればそれまでだが。 シャキッと背広を着て杖をついた年配の男性を脇からそっと支える老婦人がカフェにいて、コーヒーカップをそっとご主人の取りやすい位置に寄せるなんて姿を何度も見て、歳とるとみんなそうなるんかと思っていた。 しかし、我が家、ちょっとくっつきすぎじゃと思わぬでも無い。 ウサギが、ご隠居の趣味じゃない美術鑑賞に行くと言っても付いてくる。どうせサッと見て出口のカフェでお茶飲んで待ってるんだから鑑賞券もったいないと思うんだが、付いてくる。 ウサギには鎌倉に住む妹がいる。何年か前に脳梗塞で倒れ、命も危ぶまれたが、今は週3日のリハビリやジム行きながら普通に生活できている。ただし、言葉は失ったままだ。「はい」しか言えない。若い頃秘書をしていた頃から綺麗だった字で手紙も書いてくる。でも、言葉は「はい」しか言えない。毎週言語訓練に行っていても漢字はしっかり覚えているのに、言葉が出ないのだ。但し、それではひとりで外出もできないから、常に彼女の夫が一緒だ。街で妹の倒れる前の友人と会うと彼は「この人は妻とどういう友人だったんだろう。どういうふうに受け答えをしたらいいんだろう」と考えるそうだ。元気な時は別行動だったから、その関係性の密度がわからないんだそうだ。ひょっとしたら嫌いな人だったのかも、或いはもっと親しく挨拶しなければいけないのかもと。 先日妹の家で4人でたこ焼きパーティーした時、妹の夫が「久しぶりにこんなにたくさん話した」と言っていた。妹の失ったものを必死で助けている彼を見て、大切に思っているんだろうな。良かったね。と思った。 縁あって一緒になって、長い年月掛けて育んで、今は以前よりもっと大切な存在だと認識して。普通の夫婦ってそんなものなんだろうな。みんなそんなものなんだろうな。 100人を超えるボランティアで受け入れたホームステイヤーや友人達が我が家に泊まっていった。何にも文句言わずに自分の友達のような顔して観光や食事の用意や会話に付き合ってくれたご隠居には感謝しかない。交際費用も。その時々で「ありがとう」は言っているが、総合的に、ご隠居同席の他人との会食時にはさりげなく感謝している話はするが、まだ真正面から、それに対して「ずっと助けてくれて、ありがとう」と言ったことはないかもしれない。いつ言う?
March 15, 2024
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大河ドラマの「光る君へ」にはまっている。このドラマ恋愛要素の一風変わった大河なのだけれど、はまっている理由が脚本から出される伏線やヒントを頼りに推測しながら見るという知的なドラマだから凄く好きだ。漢詩を競うシーンでは、漢詩を見せながら登場人物の和訳を入れてきたり、前週で恋文の和歌を読んだら、次の週で同じ詩の場面で、今度は要約を登場人物の声で読んだり。ああ、そういう意味だったのかと前週から繋がる。場面を見ていて、「あ、これは源氏物語へのオマージュだ」とか、時代考証が細部にまで届いていて、一体何人の時代考証専門家や文学の専門家が付いているんだろうと感心してしまう。ビデオを巻き戻してもう一度見て納得するドラマで凄いなあと感心している。話変わって久しぶりに皇居周辺。日本プレスセンターでご飯をご馳走になる。玄関にウクライナ外交官ナンバーの車が止まっていて、レストランには多分書記官など伴った大使館関係の人達が大勢会食していた。周りに在中国公使とかいてちょっとじゃなく緊張の会食だった。会食後はタクシーで緊張をほぐすためにホテルに行ってロビーラウンジでお茶。ああ、やっとホッとしたとゆったりとお茶を飲んだ。ホテルロビー好きだ。隣に真っ赤なスエットスーツっぽい上下を着た外国人のご婦人が同席者に威圧的に辿々しい日本語でお金の話をしていたけれど、人間模様も見られるのもロビー。そして、仕事中にちょっと出てきた娘に会って、ヴェンキのチョコを買って貰って、将門塚を見てまた、平安の時代に思いを馳せるのであった。
February 28, 2024
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朝から勉強してお昼。料理当番の、もとい。私はほとんどしないから当番制ではない。我が家の料理人に「今日のお昼は何?」と聞いたら、「今日は外に食べに行きます」と言われた。車で海辺のこの頃、お気に入りの日本料理屋へ。会席料理の人たちは予約がいるけれど、テーブル席は予約なしでも入れる。普段はお魚が美味しいこの海辺の店で食べる。海辺だからどこでもお寿司は美味しいけれど、ここはちょっと手をかけてくれているからそこが気に入ってる。ご隠居と食べていると店員が予約の電話を受けていた。応対の内容が聞こえてくる。「お客様のうちのお2人がお刺身ダメなんですね。お魚は?、あ、そのお2人ともお魚もダメなんですか?」ここは外国人も多い街だからお魚料理だめなのはわかる。わかるけど、この店海鮮を目当てに来る客がほとんどだ。洋食のお店だってたくさん有る。わざわざこの店に来る意味はなんだろうとご隠居と顔を見合わせた。このお店ワインセラーにぎっしり入っているワインはお布施のワイン。それもウサギ気に入っている。ウサギも運転手のご隠居も呑まないけれど。元もと歴史ある酒蔵だったワイナリーがワインを作るようになったんだとか。店主が惚れ込んだお魚に合うワイン。元が酒造所だからお魚に合うワインは西洋のものより相性がいいんだという。お昼食べたらいつものように魚市場に魚を買いに行く。近くに幾つか有る漁港から揚がった新鮮な魚を買って家で捌く。これはウサギの役目。ついでに久しぶりに海辺の魚ではないがワカサギを買った。夕ご飯、わかさぎのフリッター。ご隠居インターネットで調べてさっさと作っていた。
February 4, 2024
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この頃はご隠居と24時間ほとんど一緒にいる。ウサギのzoom授業の時だけ隣の部屋に行ってテレビ見ているが、終われば居間に帰ってくる。なぜか医者もほとんど一緒に行く。車で行って駐車場に入れて、どっちかが近くの喫茶店で待っている。ご隠居はマックとかドトールで待っている。先日ウサギはご隠居が医者に行っている間、勉強しながら待っていた。ドトールもマックも人の出入りが激しい。そこでアーケードの階段を上がったところに有る昔ながらの喫茶店に入った。広くて、お客が少なくて、多分常連さんしかいない。あっちの端でもこっちの端でも、年配のご婦人グループが大きな声で話していた。歳とると皆んな耳が悪くなるから声も大きくなるのだ。ご隠居が戻ってきて言った。「よくこんなにうるさいところで勉強できるね」。いやいや、ウサギが来るより前からずっと喋っているから、この喫茶店は客の回転が悪い。と言うことは自分も場所変えずにずっと勉強していられるんだ。コーヒーもおかわりできるから、長居しても嫌がられない喫茶店なんだ。こんなに広いから話し声も気にならない。読書灯も貸し出してくれるぐらい薄暗いから、ひっそり勉強していても誰も気にしない。ものの考え方って、一方方向じゃないんだ。何がその人に価値あるかは人によって違う。で、カードが使えないからごぞごそと現金でお茶代を払った。コインの財布を持たないからこういう時はちょっと不便。
January 30, 2024
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ホテルのロビーラウンジはホテルに出入りする人、ホテル内を移動する人を見ながら、ちょっとオープンな、ちょっとざわざわと活気のあるところだと思っている。自分の行ったホテルしか知らないけれど。だからアフタヌーンティーもそういった雰囲気の決して閉鎖的でない中で楽しむ。箱根の山のホテルもフロントから続く吹き抜けの一角にロビーラウンジがある。けれど、そこは一段下の階になっているので、ロビーラウンジを利用しない人が入ってこない空間。その分落ち着いて静か。そんなところも好きなホテルのひとつだ。急に御隠居がドライブに行こうと言った。箱根に着いたら12時。山のホテルに直行する。箱根、いろいろホテルが有るけれどお茶だけなら、ここが1番落ち着ける。その日はホテルの2、3日の休業明けということで、フロントが14:00まで閉まっていた。まだ時間があったので駐車場に車を置いて隣の箱根神社にお詣りにいった。僅か3分の距離なのに、ものすごい外国人。日本語が聞こえないほど。幸福柏餅も神社声援のジンジャエールも飛ぶように売れている。アジア人は餡子も平気なんだ。湖の鳥居までは多分押し合って危険なので閉鎖していて行かれない。道路も右左見ない、真ん中で立ち止まる人がいて車は怖い。そして戻ったホテルは喧騒からかけ離れた空間。真っ白に雪を被った富士山と湖の見える席で、アフタヌーンティーを楽しんだ。終わったらどこにもよらないで直帰。途中の江ノ電鎌倉高校前は相変わらず、いや、以前よりもっとアジアの若者で駅も踏切も海岸も若者で溢れていた。スラムダンク。その日の夕陽がとても綺麗だった。七里の方まで海岸に溢れていた若者たちも、その夕陽は心に残ったことだろう。
January 26, 2024
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3年ぶりに韓国語の授業に出た。全部忘れているから見学だけと言ったけど、新しい教科書を持って行ったら、勉強するつもりで来たと思われて、いきなり教科書読んで質問を考えて答える授業に参加。古巣はいいなあ。そのメンバーのうちの2人が台湾旅行へ行くと言う。旅行雑誌を広げてどこで食べようか、何を買おうかと聞いてきた。美味しいところは幾つかあるけど、自分で探したお店が1番美味しいよ。たとえ失敗しても成功の思い出より失敗の思い出の方がいつまでも心に残って話題が続くよと言っておいた。身の危険さえなければ、冒険がいちばんの思い出になる。シンガポールに行った時、旧正月でお店が閉まっているからと、いくつかのレストランを口コミの評価の高いのから選んで予約してから行った。他人がおいしいと言うレストランは確かにハズレがなかった。しかしそれだけ。後で、「あそこ美味しかったよね。」しか話題に上らない。自分で探し当てたレストランはたとえ美味しくなかったとしても、そこに辿り着くまでの過程、お店の人の顔、失敗した経緯が、毎回毎回話題に上る。そこには美味しさ以上の思い出が有る。他の人が味わったことがない自分だけの思い出の味だ。表彰式で、せっかくのモンゴル大統領に会う機会は逃したが、ご隠居が飛行機代浮いたからそれでお祝いのご馳走してあげると言う。なんだか取らぬ狸の皮算用のような訳わからない気もしたが、ラマーレドチャヤで食事した。ちゃんと車で行くと言っておけば、駐車場のガードマンが駐車スペースを確保しておいてくれるからそこは安心。クロークできちんとコートや帽子を預かってくれるのもいい。お気に入りの海辺のレストランだから、場所は変わり映えしないけれど、お祝い事はここと決めている。見ているとお祝いディッシュのサービスプレートがいつも出ているから、他の人もここでお祝いをしているのだろう。サーバーとの会話も楽しく雰囲気がいい。アットホームな和ませてくれるレストランだ。アレルギーとかの記録も覚えていてくれるから安心だ。今日の隣の席の奥さん「ずっと海老アレルギーと言ってたけど、ハワイに行くから検査したら海老アレルギーは無いんですって、エビ食べられることに訂正しておいて」なんて言っているのが聞こえた。常連が多いんだろうな。相変わらずのシェフの創作料理は想像を飛び越えているけれど。コース料理のお品書きはない。サーバーがソースの味から使っている食材全てを自分で説明するから。それに毎回変わるから、印刷していたら紙代金が大変だろうなと思う。こちらのデザートは、それほど飛んでいない方。私が食べた方はどこからこの発想が来るんだろうと、サーバーと盛り上がってしまった。
January 23, 2024
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前の投稿からの続きその後1月2日、地震や航空機事故に心を痛めながら、家族で過ごして忙しくて見られなかったメールチェック。え、なんだろう知らない人からのメール「急ぎ連絡乞う」詐欺?新聞社の名前だけ書いてある。全く思い付かないわけではないので、「何か用ですか」と返事をした。次の日、私の写真入りの記事原稿が貼り付けられたメールが来た。モンゴル語で。え、え、どうやってこの写真見つけたの?これ今は使ってない昔のFacebookのプロフィール写真じゃない。こわ〜い。しかしモンゴル語の内容は、「あなたの作品がコンテストで外国人部門の1位になりました。11日表彰式には来られますか。」と書いてある。写真の件と言い、にわかには信じがたい。にわかでなくても信じがたい。とにかく先生に連絡する。先生のその新聞社知人経由で連絡とってもらった結果、どうやら事実らしい。「表彰式に行けば、大統領から直接表彰されるらしい。写真送る?これで良いかって聞いている」だ、大統領!モンゴル国大統領!動揺して動悸が激しくて、思わず「その写真でいいです」と言ってしまった。山の家で撮った普段着のスナップ写真である。今から航空券の手配して、荷物まとめて、マイナス25度のウランバートルに行って、習い始めて2年ちょっとのモンゴル語の実力でモンゴル人表彰者に混じって出席なんてできない。新聞社のインタビューだってあるだろうし。怖い。結論大統領と主催新聞社に出席できないお詫びの手紙をモンゴル語で記した。それ以来、今日まで勉強のためにフォローしている幾つかのモンゴル文字教室のFacebookに、各教室の学生受賞者の記事が載る。すでに発行された新聞記事の私の写真もついでに載る。私1人普段着。みんな民族衣装の正装。その度に動揺し、勉強も手につかなくなる。急いで写真探してると、ご隠居が「もう遅いよ」と笑う。今日、ウランバートルでは大統領が来て表彰式。その後街の美術館で16日までプロフィール写真と共に展示される。私1人普段着の写真が。半ば「参加することに意義あり」と投げやりに出品した作品。こんな大々的な国家プロジェクトだなんて知らなかったんだもの。
January 11, 2024
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去年の12月、モンゴルでモンゴル縦文字(うちモンゴルで使っている古いモンゴル文字)のコンテストに出品した。外国人部門は課題について作文を書いてモンゴル縦文字をペンで書くか筆で書くか。締切が迫っていたので急いで作文して、先生に助けてもらって縦文字にして、それを毛筆で和紙に書いた。墨の乾かないうちに郵便でモンゴルに送る。EMS で追跡していると、モンゴル空港に着いたのに税関で止まる。次は首都の郵便局で止まる。担当局に行ったのに、次の日また空港局に戻った。え〜、日本に戻ってくるの?そして次の日また首都の中央郵便局に行く。もう8日も止まっている。どうなってるの?仕方ないので、コンテストの主催新聞社にメールして郵便局に探しに行ってもらった。なんとか締切ギリギリセーフ。モンゴルって郵便システムどうなってるんだろう。そして、応募のことはすっかり忘れてた。怒涛のお正月。
January 10, 2024
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今年もまた失敗した。「今年こそデパートのお節を買ってみたいんだけど」と言ってみたけど、「お母さんのお節が食べたい」と却下された。「鮑も海老も要らない。お母さんの柔らか黒豆ときんとんが食べたい」ということです、31日は朝から料理。材料あれこれ買えば3万円なんてあっという間に超えてしまうが、まあ良いか。鯛を焼いて、ローストビーフ、鰤、カンパチ、マグロ、タコの刺身を切る。鯛のカルパッチョや田作り、パティを塗ったカナッペは娘が作ってくれた。長年作ってきたから同時進行でどんどん作れる。あと何年自分で作れるか。デパートのお節はもう少し先かな。年越しは洋風で、お正月は伝統料理で娘達が持ってきたシャンパンとチーズでだらだら過ごすお正月。
January 2, 2024
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