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むかし、むかし、私がワインを飲み始めて、急激に知識が成長していったときに、師匠格の人が私にこうのたもうた「ワインは、果実味で飲んではいけません。それだとジュースと同じです。 年月を経て、枯れてくるときにこそ、その本質があるのです」まーだいたいこういう話だった。ネット以前のニフティ通信時代の、今となっては化石的古代の話。私はその考え方にとても心酔してしまって、圧倒的な古酒ワイン飲みの人生をあゆむのだが、それはまた別の話。ところが、この話のアナロジーでそのままにレンズで語ることができる。つまり、「レンズをその光学性能で語ってはいけません、その収差の味で語るのです」という理屈だ。このやりかたでいうと、古酒ならぬ、オールドレンズというのは大変に味わい深い。というわけで、古くて明るい標準レンズをたくさん集め出した。オートシアーズ55mmf1.4 を 5Dmark2のリケノン55mmf1.2で撮るの図(のはず)この世界にはいろんな伝説などがあって、どれが本当かわからない謎めいた世界で典型的なのは、「富岡光学」伝説。当時、見向きもされなかった二束三文の、富岡光学が作ったレンズが、今やツアイスのレンズより高値で取引されたりしている。こういう謎めいた評判の上がり方というのも、どこかワインと似ていて、格付けものよりも、実はこの小さな畑の作り手のワインが美味しいなんていうのが伝説めいて語られるわけだ。本来、より、世の中をケムにまいているはずの、ワインの世界に点数評価という形で、あらたな序列を生み出したのが、R・パーカーさんで、いまさら、パーカー批判でもないわけだが、商業主義にのって大成功した。(さすがアメリカ人、古典的価値観をぶっつぶして、あらためて自分の偏見の価値観で序列を作るあたりは、猛烈な肉食人種で、しょせん同じパラダイムから抜け出れない、欧米単一細胞的限界をいつもながら感じるわけですな わはは)では、レンズについての(偽性の)客観批評があるかというと、実は限りなくない。ワインもそうだが、レンズの収差の味、なんていうものは千差万別。好みもいろいろ。ネットで検索していると、すべからく、みんな自分の所有してるレンズへの愛情あふれるブログ記事などがいっぱいで、その「目に入れても痛くない」的可愛がり方が、途方も無く微笑ましい。なにしろ収差がいとおしいなどといいだすと、レンズに欠点などはないわけで(笑)シャープだといっては褒め、ソフトだといっては褒め(笑)の世界となる。そして、ネット社会の素晴らしいところは、その個別の愛情あふれる偏見的愛も集合知となると、ちゃんとした評価になるわけで、それはそれでちゃんと評価の尺度として有効なのだ。というわけで、日夜、(ワインやら化石やら万年筆やら、過去にいろいろ暴発したように)現在は、オールドレンズに暴発中。ps ところで、このレンズとワインのアナロジーの応用範囲は広い。 つまるところ人間なんてものも、その欠点が個性と評されるわけで、 それが味であるとも言えるわけで使えます。 私の見る所、ある種の天才は、「普通の人が普通に感じ取れるある種の感覚を欠損しているがゆえに、それを代償するために他の才能を肥大化させて、それが時に偉大で特異なる才能として評価される」のであると思っておりますな。つまるとろ、天才とか特異な才能を持つものは楽ではないんであります(笑)
2010年07月15日
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