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尾崎紀世彦さんが また逢う日まで で日本レコード大賞を受賞したのは1971年名前と曲名を呼ばれた瞬間大きく両手を振りかざし、指先はVサインを表していましたね。それまでの受賞者は、謙遜の意を体いっぱいで表し顏を覆い、躊躇しながらステージに上がっていたのです。視聴者は「ああ、自信があればああやって 素直に表現するんだ」と、好感を抱いたのです。尾崎さんのこの衝撃をきっかけに、人々は自己主張にVサインを使うようになったかと思います。1960年代、駅のホームでのスナップ写真けっこう多く写されましたね。斜に構える のが一般的で、顏も澄まし顏がふつうでした。「ハイチーズ!」と撮影者が誘導したのは、1970年以降でした。気障 に対してそれほど批判されず、減滅もされなかった昭和中期、少年は写真を写されるとき、真面目に背伸びしカッコ付けしたのです。それは勿論自己主張だったのですね。現代 条件反射で多くの人がピースサインをして写真に納まりますが、さて次はどんなサインをするのでしょうかしら。
2020.01.24
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上の図のような方の行為が問題になったのは平成になってからの事ですが、昭和では布団を干すと、必ず叩いて埃を掃いダニも除去できると信じ、パンパンやっていたのです。天気の良い日はあちこちで、パンパン 連られてパンパンでした。しかし 現代 叩くことでダニ埃の除去はできない あの布団叩きの方からの教訓を得 近所迷惑につながるという認識が膨らみ、布団叩きの音あまり耳にしなくなりました。大掃除は、法律に定められた義務であり昭和の各家庭は、であるがために 忠実に畳叩き干しを年2回実行したのです。それは思い切り叩いたのです。連鎖反応で世間が成り立っていた昭和です。その豪快な音で、「ああ、うちもやらねば」と思ったのです。はたきは はたくのです。叩くより穏やかですね。そう、埃を立てて埃を取るのです。現代でも、野外で、埃を取り払うのにはとても重宝します。昭和では、伝線したストッキングが有り余っていたので皆さんがはたきを作りました。昭和の先生は、よく生徒をげんこつでコツンと叩きました。女子は叩かれなかったのは、やはり男子に比べていたずらもしないし おとなしかったせいですね。昭和のげんこつコツンの先生は、威厳があり熱血教師であり、父兄からも信頼されていたのは紛れもない事実です。
2020.01.15
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昭和の歌謡曲、ほんと北へ帰ったり、北国へ向かう曲圧倒的に多かったですね。小林旭さんの 北帰行 昭和36年に歌い大ヒットしました。傷ついた心の主人公は、故郷が北国にあったのでした。やはり北国の曲は、真冬に発売されヒットしました。奥村チヨさんが歌いました。失恋した悲しさを北の湖に行き、思い出を秘めておこうとする歌です。北国は清廉で美しいと、昭和は憧れたのですね。朱里エイコさん 北国行きで がヒットしました。この方の御脚はすばらしかったのです。なんと100万ドルの保険をかけていたそうです。1970年、円が固定相場で360円でしたから3億以上?ってことですね。ブルーコメッツ 北国の二人も大ヒットしました。昭和のポップス歌謡は傷心性を表現した曲が多く、北を使うとより寂しい情緒が出てくるのですね。都会には 北国出身の方、沢山住んでいます。レコード会社のビジネス性も大いに感じます。北の情景を唄えば沢山の北国出身の方ノスタルジックになりレコード買い求めますものね。
2020.01.08
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