おしゃれ手紙

2007.01.01
XML
テーマ: お勧めの本(7266)
カテゴリ: 昭和恋々

あのころというのは、昭和14、5年のことである。
なぜ明るかったかというと、お正月だけは、茶の間の電燈が普段の60Wから100Wになるからである。
座敷と茶の間が60W、子ども部屋は40Wで廊下とお手洗いが20Wというのが決まりだったから、10Wは嬉しかった。
大晦日の掃除が終わった後、母が座敷の箪笥から大切そうに100Wの電燈を取り出すと、私たち子供は、冷たい廊下を爪先立ちながら、ゾロゾロ母の後をついていったものである。
まず、茶の間の電気を消す。
それから少し黒ずんだ60Wを外して、母が袂へ入れ、慎重な手つきでゆっくり100Wに替える。
スイッチをひねる。
お正月のために畳を替え、障子を張替えたせいもあって、見違えるように明るく、きれいな茶の間である。
私たちは、ワッと歓声を上げる。
茶箪笥の上の鏡餅がピカピカ光っていた。
元の60Wに戻ったのが、5日だったのか、7日だったのか、それとも15日だったのか・・・それは覚えていない。
「昭和恋々」久世光彦

私のうちは、40Wの灯りがたったひとつあるだけだった。
その灯りに長めのコードをつけて、土間に回したり、座敷に回したりして、使っていた。
台所には、20Wの灯りがあったけれど、食事は、いつも座敷だった。
風呂場には、ランプがあったけれど、壊れていたのか、使ったのを見たことがなかった。
もっぱら、月の明かりが頼りだった。
+++
夜、牛乳の紙パックを持って市役所の出先機関に行った。
8時を過ぎているのに、誰もいないはずなのに、煌々と灯りが灯っていた。
市役所の出先機関だけではなく、あちこちにあるコンビニの、なんと明るいことか。


私の子どもの頃の灯りがいいとは言わないけれど、夜、遅くまで、煌々と輝く必要はない。

もしも夜が暗かったら、月や星の明かりや、電燈の灯りは、もっと嬉しいものになるだろう。



本年もどうぞ、よろしくお願いいたしますm(_ _)m


◎人気blogランキングへ◎


◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★1月1日 *トリビアの井戸:正月はなぜ三が日か。 * UP
・・・・・・・・・・・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.03.24 21:46:26
コメント(8) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Favorite Blog

「土佐源氏」のフィ… New! hongmingさん

発掘された日本列島2… New! コーデ0117さん

梅雨入り前にやって… New! miho726さん

ツェルマット ライ湖 New! ジェウニー1072さん

植物に元気をもらう。 New! **まる子**さん

Comments

七詩 @ Re:5/17-3:茨城県・水戸市:保和苑/水戸黄門の格さんの墓(06/17) 天狗党騒動やそれに続く抗争や粛清、桜田…
天地 はるな @ Re[1]:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 七詩さんへ 定子の清少納言への問いかけ…
七詩 @ Re:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 定子の母は漢詩の名手で伊周も学才に優れ…

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: