おしゃれ手紙

2007.08.01
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テーマ: 今が旬の話(414)
カテゴリ: 昭和恋々

私が行水を使ったのは、戦争が終わってほんのしばらくの間だった。
戦災で街が全部焼けて、新しい銭湯が開かれるまでと言えば、昭和20年の夏から数ヶ月ということになる。
8月から9月までは、朝、水をいっぱい張った盥(たらい)を日向に出し、半日かかってぬるま湯になった夕方ごろ、子供たちはこれを使って体を洗う。
10月に入ると、さすがに日向で温めただけだは済まなくなり、釜に沸かした熱湯を補った。
これが11月になると、もう寒くて我慢ができなくなり、小さな金だらいに入ったお湯で手ぬぐいを絞り、体を拭くだけになった。
冬になったらどうしようと心配していたら、そこはよくしたもので、木枯らしの音が耳につきはじめたころ、待ちに待ったトタン葺きの銭湯が焼け跡に建ち、子供たちは歓声を上げて、満々とお湯が溢れる浴槽に殺到した。
だから私の行水の記憶は、ほんの数ヶ月しかない。
けれど私には、あのころ母や姉が行水を使っていた憶えがまるでない。
母たちは、どうしていたのだろう。
浮世絵の美人入浴図を見るたびに、半世紀前の不思議が思い出されるのである。
*「昭和恋々」*久世光彦

 先日、夫と岡山へ桃を採りに行った。
蜜柑狩りや葡萄狩りという言葉はあるが「桃狩り」って言うのだろうか。
昔は桃の木を植えている家もけっこうあった。
そして、行水の時に桃の葉を盥に浮かべた。
そんな会話を夫とした。

そして思った。
新潟県中越沖地震で被災された方が、いまだに、風呂に不自由していることを。
この暑い夏、風呂がないことは、どんなに辛いことだろう・・・。

もし、昔なら、水道が復活していなくても井戸水を汲んで、



木陰になる大きな木や、
食料のための田畑、
いざという時に使える井戸水、
沐浴が出来る川のある暮らしは、震災がなくても取り戻さなければならないと思う。


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** 「昭和恋々」 前書きより**
それは、ほんの取るに足らないものかもしれない。
たとえば・・・私たちは、あの日のように雨や風の音を聴くことが、いまあるのだろうか。
このごろみたいに、夜は明るくていいのだろうか。
春を待つという、懸命で可憐な気持ちを、今どれほどの人が知っているのだろうか。

・・・あの頃を想うと心が和むが、いまに還ると胸が痛む。
久世光彦


◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★8月1日 *八朔(はっさく)* UP
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Last updated  2012.03.10 18:06:02
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