おしゃれ手紙

2022.09.27
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テーマ: 読書(8205)
カテゴリ: 読書
札差高田屋繫盛記(二):生きる

士分を捨てるか、妹を売るか。
どちらかを選ばねばならぬ。
豊岡民之助は、妹の久実とともに、庭の畑で茄子の取入れをしていた。
両親を相次いで亡くした、ふたりきりの家族。収穫の喜びは、何にも代え難い。
だが彼らは、父が遺した莫大な借財によって窮地に立っていた。
民之助は返済の相談のため、札差高田屋を訪れるが…。
日々の労苦に凛と立ち向かう武家の兄妹。
高田屋の若旦那・新五郎がふたりに持ちかけた「生きる道」とは。
情味溢れる書き下ろし長篇。


●読書メモ●  ◎は私のコメント。
●久離は、親子の縁を切る勘当よりも重い仕打ちだ。
●市村座や中村座といった三座の大芝居では、米問屋の手代ふぜいでは贅沢が過ぎる。
しかし寺社の境内で仮小屋で行う芝居ならば、無理をすれば見られないことはなかった。
波に千鳥●亀や小鳥、桶に入れた「めそ」と呼ばれる小さい鰻を商う者の姿が目についた。
(略)今夜は中秋の名月だが、八幡の諸社では放生会(ほうじょうえ)の祭礼が行われる。
(略)捕えた生物を放ち、故人の冥福を祈る殺生戒の儀式だ。

◎富山県に■ *放生津(ほうじょうづ/ほうしょうづ) ■という地名があった。

●身受けの折には、近所の者に手拭が配られた。
●花暖簾

◎鮮やかな色を取り合わせて花模様をおぼろ染めにしたのれん。
下駄●年増の二十五歳だが・・・(略)
◎■ 年増女(としまおんな)は、 ■娘の年頃を過ぎた女性。
女性の年齢によって、年増(としま)、中年増(ちゅうどしま)、大年増(おおどしま)などと区分することもあった。
また年増のうちでも美しい時期を年増盛(としまざかり)とも呼んだ。

江戸時代には、数え20で年増、25で中年増、30で大年増と呼んだ。
戦後から昭和の頃までは、30歳以上の女性を年増と呼ぶことも多かった。

武家の女性の結婚適齢期は10代後半から遅くて25歳、一般の女性は16歳から17歳が適齢期であり、19歳の女性はすでにトウが立っており、20代後半に差し掛かると中年増と呼ばれた。

30歳を超えた女性は大年増であり、ふさわしい結婚相手は再婚男性に限られるといわれていた。

当時の寿命から考えると、納得するが今の感覚でいうと10~15くらいの差がある。
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Last updated  2022.10.10 00:01:51
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