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水量・水温・水質 鶴居芦別川の特性『鶴居村史』2017年版記載鶴居さけます事業所 (鶴居芦別川は)阿寒の連山の湧水が流れをつくり、幌呂川、雪裡川を経て新釧路川に合流する小河川ではあるが、湧水の川は水温が安定していることに加え、水質もよく、酸素も豊富なため稚魚をふ化させるのに適した環境を備えている。その特性を生かし、釧路外二郡水産組合が雪裡川上流の鶴居芦別川西側(下雪裡地区)にふ化場をつくったのは・・・・・。(『鶴居村史』 平成29年 315ページ) 平成九年(一九九七年)に水産庁さけます資源管理センターに改組されたことから「十勝支所鶴居事業所」となり平成十三年「独立行政法人さけ・ます資源管理センター」に移行。同十八年に独立行政法人水産総合研究センターと統合し、「さけますセンター鶴居事業所」に改称される。平成二十三年四月一日からは北海道水産研究所と統合。国立行政法人水産研究・教育機構 北海道区水産研究所さけます生産技術部鶴居さけます事業所」となり、同研究所が道内で運営している一二事業所の一つとして現在に至っている(前掲書 316~317ページ)。芦別ふか場(芦別川を挟んだ場所) 「一般社団法人十勝釧路管内さけ・ます増殖事業協会芦別ふ化場」は昭和三十六年四月設立。旧釣り堀公園跡地に設けられ、釧路川で親漁を捕獲後、この施設で蓄養・採卵・ふ化・養魚・飼育&放流まで一貫して行っており、平成二十九年十一月十九日現在、年間の放流匹数は一三〇〇万尾。(前掲書 316~317ページ)
2024年09月14日
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日本エリート官僚&米軍の裏取引 矢部宏治著『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』 (講談社現代新書 2017) 戦後、戦時の疲弊で栄養失調にあった児童にUSAから、小麦&脱脂粉乳が配布され学校給食が始まった。 1965年前後、またまた突然、脱脂粉乳が配布されて学校給食にでまわった。 思えば、なんのことはない。USAの余剰農作物を<押し付けれ><外貨供出>を果たした。そういことで、あったのおだ。 沖縄米軍基地、酪農業国際化対応 安保法制を国内で議論する前にUSAで総理が約束。 政権は一体、だれのための政権なのか。保守岩盤層か、旧財閥か、。それとも・・・・。 答えはアメリカだった。 三つのセンテンス。1)に、日本は「国境が存在しない国」。 二に、(USAに)渡してしまった「特権」 三に、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」 どこで仕掛けられた。 4)に米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約 5)最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」 https://news.yahoo.co.jp/articles/aed3557ad1dc8a859de97a8785143f30a30773ef 新天皇の即位。最初の国賓は、日本国内になるUSA基地に着陸。 国民も政権もいからなかったが、背景にあったのが「 最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」ということらしい。
2024年09月11日
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労組ヤッカイ=1965年前後 社員間のコミュニケ破壊で分断・偏見の始まりか240913」兵庫県知事が県民、議会、推選政党だった自民党&日本維新の会などの攻撃の矢面に。Yahooニュースは伝える。「兵庫県知事 故郷で証言『視察先で無礼、謝罪なし』 批判電話5000件で県職員疲労」。https://news.yahoo.co.jp/articles/9b5190f9591e8dc1d5a0dc19b7c2d5b9af6e616f地方公共団体の職員。そこで組織されている労働組合。主権者に顔向けて施策推進には<労組を通じた地方自治研究活動が不可欠>。そう言うことではないか。240913に熊本県で開かれたという自動車のトヨタ労組の会長は発言している。NHKが伝えた。全トヨタ労連西野会長 職場の風土改革へ 不正発覚受け 2024年9月13日 16時51分 https://www3.nhk.or.jp/news/html/2xxx-xxx-xxxxx/k1xxx-xxx-xxxxx.html会社で起きた「国の認証試験での不正が発覚」について、以下のように発言した、と。(トヨタ自動車とグループ各社の労働組合でつくる「全トヨタ労連」の西野勝義会長が熊本市内で記者会見)「不正が起きる前に、働いている人たちがしっかり声を出せることが大切だ」「われわれ労働組合の役割としていちばん重要な部分だと思う」」と述べ、職場の風土改革に取り組む考えを示しました。36万人余りが加盟する「全トヨタ労連」は13日、熊本市内で定期大会を開き、これにあわせて幹部が記者会見しました。1965年前後。USAから輸入の労働組合運動。産業別に組織されたUSAの労組とは異なり、本邦では企業別に組織された。戦後の旺盛な時代を経て、春闘など賃金闘争の成果のあとには<生産性本部>とやら<生産性向上>を主唱する労組が、企業内労組を分断した。そうではなかった、か。「雇用なくして賃上げなし」は労組。経営者は「労組ヤッカイ=1965年前後 企業活動の妨げ」。ために、「社員間のコミュニケ破壊で分断・偏見の始まり」か。地方公共団体の労組では「自治研」と名付けられた地方自治研究が始まった。「苦情殺到 県職員『みんな疑心暗鬼』」。兵庫県庁内の県政停滞は明確。でも、なかなか労働組合幹部の発言は表に出ていない。旧内務官僚の姿勢&理念をホウスツ=彷彿とさせる総務省出身知事の県政推進。ここはトヨタ労連幹部の発言を傾聴してよいのでは。
2024年09月05日
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利幅にゆとりなく経営体縮小 御得稲荷・川上日枝・大木司稲荷に紳習教支教会も240908、 跡地となった聖蹟は、荒廃がはじまっていた。御得稲荷・川上日枝・大木司稲荷に続き確認。 神習教心誠支教会は昭和10年 1935年の創祀。近隣の釧路ガス株式会社の創業とも重なる。 浪花・寿をふくむ旧「トンケシ=頓化」地区の漁業経営者が中心となって支えたのかも。 釧路西港建設。一帯の前浜に漁業権をもっていた経営体は漁業補償をうけて転業することになった。 経営体数の縮小。地域の小売業もその後、徐々に影響を受け始めている。 「惟神」「神習教心誠支教会」「宗偏流 茶道教室 槻舘宗雅」。3基の掲示が残る。 なかでも「惟神」の掲額。「随神」の漢字表記と同じで「かんながら」と読む。 一太郎ソフトで「かんながら」と入力するに、「惟神」と標記される。 ちなみに「紳習教」は「教名」で、「かんあがらのみち」は「教旨」とされている。 「神道神習教公式ページ」で「教名と教旨」の伝えるところ、以下に記載。= 「教名」について 芳村正秉が皇大神宮に禰宜として奉職中、荒祭宮の月例祭に奉仕している際、倭姫命から「汝が一教を立てる時には神習いの教えとせよ」と託宣が下ったことによる。 「教旨」について 同時に「教の旨を『かみながら』とせよ」との託宣もあり、教旨を「かみながら」としている。 その【かん‐ながら=随神/惟神】 の伝えるところ。二つの語意が含まれるようで。 「1 神であるままに。神として」。そして「2 神代のままに。神のおぼしめしのままに」。 「惟神」「神習教心誠支教会」「宗偏流 茶道教室 槻舘宗雅」。保存の額は読めた。 鳥居は健在ながら記載みあたらず。献灯の石灯篭は崩れて、記載不可能であった。 主管者健在なら106歳。茶道師範が幽冥境を超えてのち、後継者をえられなかった、か。
2024年09月01日
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経営体縮減 「惟神 =随神 かんながら」継承されずに240908 『東北海道年鑑』。そうした出版物の1975年版を開いてみたい。そうした衝動にかられた。 釧路市壽四丁目3番1号所在の「神習教心誠支教会」をたずね、そこに一点の茶道伝習の掲示をみたからである。 掲示は「宗偏流 茶道教室 槻舘宗雅」とあった。壽・浪花地区の町内会を代表して「槻舘」姓の役員さんが、よく連合町内会事務局をお尋ねくださった。 紳士風にして、雰囲気の高邁なお人柄を記憶にとどめていたふが、「ひょっとして、あの方の活動拠点」か。 そこで、さきほどの『東北海道年鑑』を開いてみようと志した。「町内会長」さんのリストにその名があるかも。 当該書の「寺院・神社」の項に「(神習教心誠支教会記載があるかも」。 答えは釧路新聞社編集・発行の『わがマチの人物地図』(1970年5月発行)の「壽町の巻」68ページに記載があった。 今、支教会は無人。白地の「神習教心誠支教会」の表示。「惟神」と揮毫の掲額は健在。往時の<よすが>を伝えていたが。 ちなみに『わがマチの人物地図』(1970年5月発行)の「神習教心誠支教会」と申すか、時の宗教法人主管者=槻舘忠雄氏の紹介。
2024年08月31日
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大木司稲荷大神 Dataとしてのパワースポット 「Tellogs Com 電話ログ」220519 釧路市住吉2丁目13番35号に位置する「大木司稲荷大神」奉祀地。 この社殿は筆者の記憶で1973年8月に創祀準備過程を仄聞している。 しかし、この社殿ならびに社号を記録したDataは少ない。 地図関連URL「https://hokkaido.tellogs.com/i647981 Tellogs Com 電話ログ」が確認できた一記載。 データの消失前に記録を作っておくこと思案した。 大木司稲荷大神について、『わがマチの人物地図』(釧路新聞社)は、すでに「住吉」の項目を掲載し終わっており、当該書にもちろん記載はない。 最近、宗教法人の名簿検索のサイトを知った。国税庁のHPに検索可能なページが存在する。 そこで「釧路市住吉」に所在するページを開いたが、「稲荷」の該当項目は見当たらなかった。 Mapion や Google のマップもアップされている。「釧路市住吉2丁目13番35号」に建物はあっても、(なかに⛩マークを掲載する図面もあるが)社名の記載は、ない。 そこで、その記録。その点を本欄に書き残しておくことに。 くだんの「国税庁のHP」にも記載がないて点。案ずるに宗教法人法の改正(平成27年か)で、多くの宗教法人が登録しなおした。 そのとき、大木司稲荷大神からの登録申請がなされなかった。そのあたり、公文書記録とデジタル記録の<上書き機能>。 難解な点でもある。公文書の永久保存を期待するしかない。240908
2024年08月22日
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フロイド「文化の発展を促せば、戦争の終焉ヘ向けて歩み出すことができる!」 「知」で己を換えられねば「かわらぬ」かも240906 文化発展=戦争終焉ヘ 「知」で己を換えられねば「かわらぬ」240906 「政治は<権力>で他者を動かす」「経済は<金>で人を動かす」「文化は<知>で自身をかえる」ではないか。 政治・経済で対立・分断・争いを招く。文化は<人と人、人と地域、地域と地域を結ぶ>のかも。 ジークムント・フロイト「人間から攻撃性を取り除くことはできない」は、「<知>をもってしても己をかえられぬ<サガ>」を示しているや。 昨6日。「意外と知らない、ひとはなぜ戦争をするのか『身も蓋もない答え』=人間から攻撃性を取り除くことはできない」の配信があった。 精神科医 片田 珠美氏の投稿で、「現代ビジネス」が配信したようだ。 https://gendai.media/articles/-/136585?imp=0 2024.09.06 その末尾に、ジークムント・フロイトの語で「文化の発展を促せば、戦争の終焉ヘ向けて歩み出すことができる!」と、あるらしい。 なんでも、アインシュタインはフロイトに手紙を書いた。 アインシュタインは国際連盟の国際知的協力機関から提案され、「誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換」せよ。そうした依頼。 その内容が、講談社学術文庫『ひとはなぜ戦争をするのか』 (講談社学術文庫 2368 2016/6/11)に、あるのだ。 「最高の天才」の物理学者が選んだ相手は、同じユダヤ人で精神分析の大家フロイト(当時76歳)。 アインシュタインの手紙は冒頭に聴きたいこと、「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」と、フロイトに求めた。 アルベルト・アインシュタイン=1879年3月14日 - 1955年4月18日 ドイツ生まれの理論物理学者、社会主義者。 ジークムント・フロイト=1856年5月6日 - 1939年9月23日 オーストリアの心理学者、精神科医。 その最終的な答え。 それが「文化の発展を促せば、戦争の終焉ヘ向けて歩み出すことができる!」。 前段に「人間から攻撃性を取り除くことはできない」 「それでは」。フロイトは考えたらしい。「身も蓋もない、答えではないか」。 なぜアインシュタインはこのテーマを。精神分析・心理学者のフロイトは考えた 「(物理学者・アインシュタインは)自然科学者や物理学者として問題を提起したのではない。人間を深く愛する一人の人間として、国際連盟の呼びかけに応え、この問題を投げかけたのだ、と」。 フロイトにとって、<答えは苦衷>のものであったかも。 「政治は<権力>で他者を動かす」「経済は<金>で人を動かす」「文化は<知>で自身をかえる」ではないか。 政治・経済で対立・分断・争いを招く。文化は<人と人、人と地域、地域と地域を結ぶ>のかも。 ジークムント・フロイト「人間から攻撃性を取り除くことはできない」は、「<知>をもってしても己をかえられぬ<サガ>」を示しているや。
2024年08月20日
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「あのバックホームがあったから、こういう仕事に携われています」し、「試合が決まるプレーを見ると、そのたびに初心に返れます」。 甲子園球児の貴重体験 「私の人生の土台」。「(高校野球で)あのバックホームがあったから、こういう仕事に携われて」。 今は愛媛朝日テレビの社員だそうで。28年前の8月21日。やはり一本のバックホームで相手のチームを制し、自軍の勝利に導いた体験。 2024年8月21日にも、同じケースで試合が終了。同じ9月21日であることがネットで話題に。 「【甲子園】関東第一初V王手 飛田が起こした甲子園の奇跡 攻める守備生んだ『伝説のバックホーム』。 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/08/22/kiji/2xxx-xxx-xxxxxsxxx-xxx-xxxxx0c.html 甲子園球児の貴重体験 「私の人生の土台」。「(高校野球で)あのバックホーム」960821 ▼矢野勝嗣氏(松山商OB、現愛媛朝日テレビ)談話全体。 「映像を拝見しましたが、僕とは全然違う強肩で素晴らしいバックホームでした」。「忘れもしない8月21日にどこか運命的なものを感じます」。 「仕事で今年の甲子園大会の開会式に訪れた際、当時のプレーがスコアボードに映し出されました」。「自分でありながら、自分でないような気持ちになりました」。 「本来ならアウトになる距離ではなかったですから」。 「私の人生の土台は高校野球」。「あのバックホームがあったから、こういう仕事に携われていますし、試合が決まるプレーを見ると、そのたびに初心に返れます」。
2024年08月06日
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さけ・ます孵化場 鶴居村の内水面漁業2017年 釧路外二郡水産組合が雪裡川上流の鶴居芦別川(下雪裡西側)にふ化場をつくったのは大正十一年(一九二二年)のことであった。施設は昭和八年(一九三三年)に道に移管され、同十六年「北海道水産孵化場十勝支場雪裡事業場」と呼ばれるようになった。 昭和二十七年、水産資源保護法が制定されたのを機に農林省所管として「北海道さけ・ます孵化場」が設置され、同施設は「十勝支場雪裡事業所」となり、昭和二十八年には鶴居事業所と改称された。昭和六十二年に第二事業場が作られた。 (鶴居村史編さん委員会偏『鶴居村史 平成二十九年編』 鶴居村 2017年) ※「鶴居芦別川流路図」は『釧路川水系 地図 | 国土数値情報河川データセット』240820 14時閲覧
2024年08月04日
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祖師の「同行二人」 「往きぱなしに非ず、ただちに立ち返り百重千重囲繞してよろこびまもる」240813 西国八十八ヶ所霊場。巡拝する人が被る菅笠(すげがさ)には「同行二人」の一語が書かれる。 「四国巡礼」者は<弘法大師と一緒という意味>とされる。 親鸞は『臨末の書』に、次の一節を記載したとされる。 「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」。 弘法大師=空海のと同様、浄土に往生を説く師にも「同行二人 どうぎょうににん」の思想。 「和尚 仏のはなし―仏教を知りたいと思うひとに書きました」の第117話。 「同行二人(どうぎょうににん)」の話。 2xxx-xxx-xxxxx 20:50:39では、以下のように示す。 「(同行二人とは)弘法大師(こうぼうだいし)や日蓮聖人(にちれんしょうにん)や親鸞聖人(しんらんしょうにん)や伝教大師(でんぎょうたいし)だけではなく」 「自分の親が亡くなったので、親の供養の為にお遍路(聖地巡礼)をした人も多くいました」。 延暦寺の根本中堂にならぶ師たちは、それぞれに「同行二人」の思想をもつや。 祖師の多くが言葉にした「同行二人」 「往きぱなしに非ず、ただちに立ち返り百重千重囲繞してよろこびまもりたもうなり」=故に「二人 ににん」と。
2024年07月18日
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ヒトの暑さ&漁業資源・特別天然記念物生育に影響 北海道東部=海水温分布240801 暑さはいつ収まるのか。 「予想を超える速さで深刻化する温暖化の影響と対策」をまとめた、と。 以下に、ポイントがありそそうで。 24年8月1日、気象庁の発表をもとに、ウェザーマップ所属の気象予報士=片山由紀子氏がまとめている。▼8月も猛暑収まらず 全国的に暖かい空気に覆われ、秋の訪れが遅れる予想▼温暖化が世界、日本の気候を劇的に変えている。緩和と適応の2つの気候変動対策▼21世紀末、追加の緩和策がなければ、猛暑日など大幅に増えるおそれ▼一年で最も暑い頃の「大暑」でも、今は桁違いの暑さになっている 「北九州一円に40度」。そう報じられたのは8月4日のことであったか。 5日。北九州の主要都市で軒並み39.3度。長崎、佐賀、大分などの気温が報道された。 首都圏内陸部&岐阜などの中部地方に記録された<暑さ>。範囲を拡大か。 海水温の高温分布が気にかかる、サンマ、サケ、昆布などの漁業資源。特別天然記念物マリモの生息環境にも影響を与えている。
2024年07月17日
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高等教育経験者50%、高度情報社会が言われつつ 女性の“生きづらさ”解決策=「<100年先>への積み重ね」240615職業を離れて40か月。 社会には「女性特有の身体の変化や”女性らしさ”の押し付けによる生きづらさ」が、と。 24年6月15日掲載の「『虎に翼』で考える”生きづらさ”の解決策、鍵を握るのは<100年先>への積み重ね」は指摘する。 ”生きづらさ”の招待。 「適齢期の女性が結婚をしないのは地獄行き」から始まり、「結婚・出産でキャリアを諦めなければならない理不尽」。 「仕事に励めば視聴者に「子どものことは?」と突っ込まれる矛盾」。 いずれも「ドラマに詰め込まれている」主人公が当面した課題。 それが21世紀も四半世紀を過ぎようとしている今、現代を生きる女性たちにも当面。 投稿者はそう、書いている。「自分が日頃友人と共有している悩みとさほど変わらない」。 具体的には。 「転職先の面接で結婚の予定があるか聞かれた」「育児休暇を取ったら社内のポジションが下がるかもしれない」「生理痛で仕事を休むのが気まずい」…。 そうか。「100年前の時代を生き抜いてくれたヒロウイン=寅子たちからのメッセージ」 「私たちが今できることは、100年先に投資するつもりで『明日』という直近の未来の生きやすさを積み重ねていくことなのだ」。そう続け・・・・。 かつ、「今抱えている生きづらさはすぐに解決することはない」。 「だが、生きづらさを抱えているのは自分だけじゃないと確かに分かる」。「明日も何とか生きてみようと思える」 「そう思わせてくれたことへの、(ドラマに対する 筆者注))称賛と安堵のため息なのである」。
2024年07月16日
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津波口承伝説7話、避難地名2所、被災モニュメント2所 アイヌ民族伝承と津波被災 in 釧路国22年春のことだが「アイヌ民族社会で語り伝えられた津波伝説」という内容で、原稿を記載した。釧路国にはアイヌ民族社会でこれまで長期にわたり語り伝えられてきた津波来襲を語る口承伝説が7話、津波来襲に備えて二か所の<避難地名>が残されている。口承伝承は戦前に更級源蔵、佐藤直太郎、渡辺茂氏らの採話によって記録されたものである。それぞれ『北海道アイヌ伝説集』『北海道伝説集〈アイヌ篇〉』『釧路叢書 第九巻』などに収録、もしくは採録されていた。2005年になって地質学者の高清水康博氏が「北海道における津波に関するアイヌの口碑伝説と記録」を発表し、「実際に津波が起きていた」とする内容が示された。 そこらあたりを念頭に北海道東部釧路国の津波伝承、津波避難地名、それに後世においてモニュメントを設置したケースをまとめて、みるに。「津波口承伝説7話、避難地名2所、被災モニュメント2所 アイヌ民族伝承と津波被災 in 釧路国」ということになる。(1)象徴性=紫表示、(2)象徴性と実在性の境界=薄茶表示、(3)実在性=茶表示の三グループに位置づけられる。そう読んでみた点である。(1)象徴性=紫表示(シャリ生活圏)オホーツク海-藻琴山-屈斜路湖-オプタテシケヌプリ-クッシャロコタン(クスリ生活圏)(ネモロ生活圏)野付水道-西別川-虹別の一本木-多和川-釧路川(クスリ生活圏)(2)象徴性と実在性の境界=薄茶表示(クスリ生活圏)太平洋-釧路川古釧路湾-ツルハシナイ川-鶴居・キラコタン岬-根釧台地-(ネモロ生活圏)(3)実在性=茶表示(アッケシ生活圏)太平洋-汐見川=ヌサウシコタンペツ-疱瘡神カスンテ-別寒辺牛川‐(ネモロ生活圏)(クスリ生活圏)太平洋-クシロの津波‐釧路川(クスリ生活圏)(クスリ生活圏)津波と春採湖‐釧路川(クスリ生活圏)(シラヌカ生活圏)太平洋-コイトイ沼の神岩‐白糠・恋問-庶路川-阿寒・ウエンペツ川‐阿寒川(シラヌカ生活圏)太平洋‐茶路川-白糠のアイヌ語地名:キラコタン-茶路川(トカチ生活圏) (佐藤宥紹「Ⅵ 補論 伝承・記録に読む自然災害」 酒井多加志監修『釧路の自然災害と防災・減災』所収 釧路市 2022年)
2024年07月15日
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近代120年の地域開発理念&鮪利益=地域の開発質量に投資 武四郎像・嵯峨久像に寄せて240724 北海道東部の中核都市・釧路市の幣舞界わいに位置する二つの像。 幣舞公園の「松浦武四郎蝦夷地探検像」と冨士見坂西沿いに位置する「嵯峨久寿像」。 「松浦武四郎蝦夷地探検像」に「阿寒国立公園生みの親」、「嵯峨久寿像」には「釧路漁業の父」と高評価が寄せられる。 その意味を考えて見ることにした。「松浦武四郎蝦夷地探検像」の主=松浦武四郎の佐賀家家臣に贈った書簡。 そこには「資源豊富&水系輸送で海陸輸送最適地 」と記載。明治初頭に佐賀藩が厚岸・川上二郡に農業移民と炭鉱技術者を送り込む積極的な要因となった。 故に、武四郎の主唱を「1858~1975年=官民釧根投資誘因論理」と意味づけた。 「嵯峨久寿像」の体現する点を考察してみる。 碑文記載は「鰊旋網漁」に出漁。大正二年「十八隻六十三人犠牲」を出した鮪漁出漁漁船海難を機に<漁船動力化>を導入。 「流網漁業組合之設定並漁港会社設立」時点で寿像=生存中の立碑建設(昭和5年)が実現。 その後も最大の困難、すなわち長く辺境地漁業の販路流通を独占してきた「前貸商人既得権」を否定する生産者市場の開設を(昭和13年)達成した。 「嵯峨久寿像」はここまでの業績を体現し、日本と釧路の経済が「1920年=工業近代化・漁船動力化 」の<社会すう勢>を「鮪漁業の利益をもって巧みに地域開発に<後戻り>することのないの可能性」を誘因した。 二つの像は「外発誘因の釧路経済」のもと、今を生きる市民の二世、三世先に「在来者 定着の 過程」を用意した点が重要。 24年7月24日、錦町の会場で開催。<女性経営者のつどい>で担当した「2024年7月例会 5年先の経営~外来撤退&在来試される釧路、次の時代の読み方~」から、その前半。
2024年07月14日
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なんとも考えさせられる「やるせない」気持ち 自身にも不明=老後の一人暮らし240725 4月初旬に届けられた一葉のハガキ。記載があった。 ボランティアしてもう三年以上。近所の人たちは、認知症のヒトにはやさしさのカケラモもない。 市も支援センターもです。長生きも考えものだと思う、今日、このごろ。 返して一筆。 少子高齢化と申しますがねー。高齢者介護福祉サービスを企画するお役人。中間で地域に定着を担当する地方役人。現場を預かる支援センターの職員。 担当する人、従事するする人、それを見守る人。その多くは、「自身が高齢にはなっていない居ない人、自身が<高齢だと>とは思っていない人」が従事する。 近々、暑中見舞いを兼ねて一葉を頂く。冒頭に記載があって。 五月にとなりの要介護の奥さんの命を救うことはできたものの、そのまま、ビニールシートにくるまれて施設へ運ばれて。問答無用。あきのあるところへ運ばれて行き。 世に地域資源マップ。転じてそれは、「地域振興」から「身近に位置する高齢者関係機関」に転じた。 システム=ハードの<見えるか>は進むも、ソフト=プログラムと言うよりその運用のヒト。 そこに、不自然。そこにもまた、地域差があるようで。
2024年07月10日
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ツガイ相手に給餌する雄 鳥類種目で差異あり240715 ハト目,カッコウ目,チドリ目,タカ目,フクロウ目,ブッポウソウ目,キツツキ目,ハヤブサ目,スズメ目の雄。 孵化継続中の雌に餌を運ぶ種目とされる。そのワケを。 1940年代は「つがい関係を維持する機能があると考えられていた」(Lack 1940)。 「1980 年代以降は,繁殖は雄と雌との間で協力的に行われるだけでなく」, 「お互いの利害のもとに対立しているという「性的対立」という考え方」が確立、と。 「鳥類における雄から雌への給餌行動の機能」と言う名の総説が、発表されている。 ツガイの相手のために餌を用意する。それは人間蔵なものかと想像していたが。 ただし、ハト目らの鳥類が、雌のために給餌行動を見せるのは、雌が孵化にマッサイ中の時だそうで。 いつでも。そういうこtではないらいしい。
2024年07月03日
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味噌・醤油・麹・酢 釧路駅北口「三共酒造」余聞録240624 大正元年10月に来釧した坂本原永(さかもとげんえい)のもと、山サ共盛の佐々木松三郎、福井邦雄、名西惣吉らの共同出資で、三共株式会社が創られた。 所在地は現在の共栄大通四丁目2番から、春日町4番に至る一帯。所在地の南を通過する釧路市道に「三共通 さんきょうどおり」の路線名。共栄大通を通過する路線バス停に「三共」が残る。 今回注目は、現在の共栄大通二丁目2番の地点に二点。一はその角地に醸造工場があったこと、二は隣接して市橋豆腐店が開設していた。豆腐店は今も現存する。 「釧路の酒造と水で三題」240624の釧路駅北口編ということになる。 昭和45年3月発行、『わが町の人物地図 第二集』の記載から紹介する。 新潟県西蒲原郡生まれ、根っからの醸造屋″と評の高かった創業者が、昭和2年に「共栄」と呼ばれた地で「味噌、醤油の醸造工場」を開設する。 昭和44年の紙面掲載当時、68歳と記載があるから<当主26歳のころ>となる。 新潟から渡道。網走の醸造工場を経て大正9年、北大通十一丁目1番(のち大浦履物 はきもの 店のところ)で開業。釧路駅北口の発展を見越して、新興地の「共栄」に、と。 選んだ地点には、南大通にあったサ一村上商店の醸造所があった。 跡地に設けた新工場。味噌・油のみならずコウジ・酢を手がけ、販路は「雄別・春採・尺別など近在の炭鉱の飯場」。国鉄・雄鉄・臨港鉄道等、鉄道網輸送の要衝に近い製造所。 もちろん近隣の「共栄住民も<はかり買い>で買い求めた」と。戦後、統制撤廃に加えて、満州・中国本土への出荷をあきらめた大手が地方進出。あおりをうける。「もう十年余りになろう」ということだから、昭和33、34年時点かに醸造工場を閉鎖。 空地化した用地に「共栄フードセンター」名の食品センターに転換させた。間もなく学業を終えて戻る「子息の帰省を心マチ」と。 そこはさておきこの豆腐店。元はと申すと味噌・油など醸造技術の指導者が始めた。創業者は旧制釧路中学の卒業生(昭和18年)が、北海道味噌醤油工業協同組合の研究所で二年間学んだヒト。 隣接の市橋豆腐店には醸造工場の創業者息女が嫁す。両家は姻戚筋にあたる。
2024年07月01日
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「はずせないキーワード、あとは<語り部の思い>」 質深く量で圧する知里幸恵の口述記録 24年7月1日、市内を中心に釧路国、根室国に配布されている紙面の月曜文化欄には次の一文を載せた。 「被災では碑文・記録を残すことも。他面、アイヌ民族は重要事項を口承 こうしょう で伝えて来た。供え物を施し祈り重ね、伝承を途切れさせず。碑文内容は碑設置世代で忘れられるも、アイヌ民族の口承伝承は百年単位で継承済み。素直に注目せねば」。(「橋南春採湖プロムナード33ー40 市道ある丘越え 春採湖の津波ー再来の備え 大木司稲荷大神」 佐藤宥紹)。 読んでくださった方から、次のメッセージをいただいた。 「口承えで、伝え続けるのは、大変そうです」。 そこに、実は「知恵」がある。根室国の出身で本市に在住された北道邦彦氏は、知里幸恵著『アイヌの叙事詩』の解説で示す。 神謡は「特殊で優れた口承文芸」、「叙事詩は文字を使わないからこそできる芸術」(152p)と書かれている。 そのうえで神謡の伝承者を、「そっくり暗誦しているということではないのです」。さらに応じて。 「いくつかの継承するべきキーワードとストーリーの概要を受け継ぎ、時代と場面によって『自在に語ることのできる能力』『文字に頼る民族には考えられない特殊で優れた口承文芸』、と。(北道邦彦著「4.まとめと検証」■ 『アイヌの叙事詩』から』 北海道出版企画センター 北方新書015 2012年)。 釧路国には二基の津波災害モニュメントが残された。 (A)「十勝沖地震・チリ沖地震津波災害復興記念碑(母子像) ; 存在住所. 浜中町暮帰別東1丁目233番」(B)「マサルカの地からキラコタンへ避難 津波高度10メートル標識」(JR北海道白糠駅前」 (「往時の木柱、移転後の新津波高度標識 JR北海道・白糠駅220330」https://blog.goo.ne.jp/pacific0035/e/d020c5195d7b433572cc366bb3c1a4d7) (A)は1960年5月と1952年3月の津波被災碑。(B)はアイヌ民族津波伝説を元に1970年には木柱であったたが、駅前整備とあわせ写真に変更。 因みに「アイヌ民族津波伝説」は5件、津波被災地名は2件が確認されている。いずれも江戸時代に発生の津波伝承を1955年時点までは継承していたと、言うこと。
2024年06月27日
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「文字では言葉が正確に伝わらぬ」891004 文字文化をもたぬ社会240701 1989年の秋、根室市で開かれた「クナシリ・メナシの戦い100年」のレセプションで、隣り合わせのエカシが、つぶやいた。 そこで、「なぜ」など聞き返すことはしなかったが、口で伝える口承伝説が、百年単位の時間的スパーんで持続する場面をみて、受け止めた。 見えてきた点。そこを3点にまとめると。 1)たいせつなコトは相手の目をみつめながら語りで伝える、 2)「語り」には言葉の温度、感性、強弱、抑揚がある、 3)つまり「伝えるべき思い入れ」が、文字ではそがれてしまう。市内を中心に釧路国、根室国で配信される『釧路新聞』に投稿した。 「オンネ・パラ・コツ(onne-para-kot 大きく・ひろい・凹み)は掲載左図の赤色○印の地点」。 「富士見と鶴ヶ岱・春湖台をむすぶ市道「富士見緑ケ岡通」の最も標高の低い地点だ。標高・2メートルで、確かに建設会館と幣舞中学校の標高に比較するに、凹地」 同紙の月曜文化欄「橋南春採湖プロムナード33ー40 市道ある丘越え 春採湖の津波ー再来の備え 大木司稲荷大神 佐藤宥紹」に掲載されている。 さっそく寄せられた。「オンネパラコツ。なぜ、アイヌの人たちは、文字を持たなかったのか」。 答えになるかどうかは置き、次の記載を掲載してもらったことがある。釧路市中央図書館のホームページに、今も残されているようだ。 「釧路短期大学附属図書館長の佐藤宥紹氏が大学教育について触れ 「大学で学ぶ若者たちに、『地域の何を伝えているのか』を改めて考える必要性がある」 「我々が使う本などの『文字』での伝達とアイヌなどが伝承で伝える『声に出す言葉』での伝達では、伝わる内容に差があることについて述べられました」 「言葉によって伝わる『温度、感性、抑揚』が、文字になるとそぎ落とされてしまう」 「『文字を持たない文化』、自らとは違った様式の文化も尊重することが、お互いの尊厳を守ることにつながると語りました」 (https://www.trc.co.jp/information/151121_kushirosymposion.html 市立釧路図書館にて、釧路が誇る文化遺産の「デジタル化記念報告会&国際シンポジウム」)
2024年06月26日
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「事実上の公共事業」 時代と政権=北海道経済、日本経済に占める位置240629 催事の事例報告で自治体関係者が明らかにした、と。 「かつて北海道の一次産業は、本州に資源や食糧を供給するための事実上の公共事業であったという見解を示したうえで」(『釧路新聞』 2024年6月30日 13面) 24年6月29日開催「北前船寄港地フォーラム」に先立ち開催。 パネルデスカッション「北陸復興支援について」内の各種報告で「あらたなまちづくり」と題する報告のなかで。 1980年代初頭 (北海道経済)「本州経済を補完する役割」 今はなき北海道総合調査室の報告 1970年代初頭 (北海道経済)「北海道は沖縄と共に本州の内国植民地」 当時の北海道近代史研究者の見解。 1960年代 (北海道の教育)「北海道と沖縄では本州とは違う独自の教科書が採用された」 明治・大正期の教育史。 1600年代初頭 (家康政権)「(信長・秀吉政権の)朝鮮半島出兵の修復&関係改善、琉球と蝦夷地に内国植民地」
2024年06月25日
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坂本ほか三者出資=「三共酒造」を語源 通称地名「三共」に「三共八千代寿司」&バス停「三共」240624 釧路駅北口は昭和初期に商家・民家が集まり始めた。 「三共 さんきょう」「大曲 おおまがり」「治水 ちす」の通称地名と路線バス停留所が設けられている。 いずれも「鳥取街道 とっとりかいどう」の路線に沿っている。 通称地名「三共」の語源。それは大正から昭和初期にかけ現在の共栄大通四丁目から春日町4番にかけての一帯に三共酒造の蔵と倉庫が設けられていたことによる。 三共酒造の社屋写真は『鳥取町六十年誌』に掲載されている。 古川忠一郎『釧路発達史』の「付録 事業及人物」51ページによると、大正元年10月に来釧した坂本原永(さかもとげんえい)という人の来釧がコトの始まり(44頁)。 山サ共盛の佐々木松三郎、福井邦雄、名西惣吉らの共同出資で、三共株式会社が創られた。 南大通一丁目に名を残す山サ共盛関係者とも繋がりのある点が、「釧路の酒造と水」として興味あるところ。 釧路新聞社刊『わがマチの人物地図』第一集によると、「共栄大通四丁目の角、現在堀薬局のあるあるあたりから、春日町の鉄道官舎のあるあたりまで、その酒倉があった」とする。 初代支配人は坂本原永。昭和12年当時、坂本は三共㈱専務取締役を務めた。 写真が掲載された『鳥取町六十年誌』は昭和18年の発行。 銘酒「三共正宗」を提供していたことがわかっている。戦時の物資統制をくぐりぬけたかがカギとなっている。 酒造会社の名残りで、「北中~現業所=市道」と「共栄大通」交叉する付近は、いまも〝三共″と呼ばれている。 くしろバスは「三共」の停留所を設け、阿寒バスは「三共通」の呼称を宛てる。 寿司店で「三共八千代寿司」。また若松町18番に奉祀されているのは「共栄稲荷神社」。 坂本原永さんは坂本病院長、坂本一さんの祖父にあたり、民政系に隠然たる発言力をもっていた。
2024年06月23日
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買い物は夫、こども不在の時間帯に 物価高=自衛でささやかれているネット上の話題230127 「物価上昇2%」。政権と中央銀行総裁が掲げた国家目標。 1960年代に「所得倍増計画」のあったことを知る年代には、「なんて、バカな!!」。 政権も中央銀行も、大手企業と株式取引者のための政治&国際金融と気づいたモノは少なくなかったハズ、ながら。 ロシアのウクライナ侵攻が始まり、物価は「2%」ではなく、「20%、30%」と上昇した。 「おかしい」「たまらん」。主婦たちは自衛の策を考えはじめた。そして記載した。 曰く。「スーパーでの『夫の買い物』にイラッ!妻たちに聞いた、許せないポイントまとめ」。 ●買う量が多すぎる ●予算オーバーの買い物をする ●安売りのものを考えずに買う 最近、拙宅では「上手な買い物の仕方」を来だすように求められたらしい。 最後の10項目に加えておいた。 「10)夫や子どもなど、「チョイ買い物」をして、予定外の商品を買わないように不在の時を選び、買い物してはいかが」。
2024年05月20日
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「やさしさカケラもなし」「地域家族」「保育めぐる北海道&本州」 一つの書き込み「ちょいボラ3年」240503 「ちょいボラ」=ちょいとだけボランティアをはじめて三年以上。近所の人たちは、認知症の人にはやさしさのカケラもない、です。 市も、支援センターも、です。 長生きも考えものだと思う今日、この頃です。(70歳台 女性)。 憲法発布記念日、その日の書き始めで、封書にそえられた一葉箋に記載の内容。 2009年12月6日に配達の道内配布紙の企画記事を思い出した。 金子勇教授の談話で「地域家族」。その要旨を思い出すに、次の諸点ではなかったか。 北海道では<核家族の快適な生活に始まっており、地域家族の成熟に及んでいない>。 そうした趣旨ではなかったか。そこで遠い日の公共放送の番組を思い出した。 ポイントは、本州の稲作地帯ならではの<暮らしの知恵と申すか、コミュニティ力の高さ>にある。 地域の水利を維持する作業分担。本州の庶民住宅街で一人の<赤子を背負った女性が老女宅に現れた>。 「私、水路維持の<作業当番>にあたって、居るの」。老婦人はすかさず、申した。 「それはたいへん、私、赤ちゃんをあずかっているわ」。「行ってらっやしゃーい!!」。 北海道ではどうか。マチなかを通過する水路清掃作業がないわけではな、ない。しかし、そこは北海道。一小流の水路が水田を潤す水路とは考えない。 同じケースの申し出に、相談をうけた住民は答えるであろう。「それなら責任者に、『子供を守りせねば、預かってくれるヒトが居ないから」と断ると良い!!」。 それが通る北海道と通りそうもない本州。 他方で、「子をあずかる、預けても心配がない」の人間関係もまた、代々で築かれた本州&まだ未形成の北海道」。そうなるのでは、ないか。 「ちょいボラ」=ちょいとだけボランティアをはじめて三年以上。近所の人たちは、認知症の人にはやさしさのカケラもない、です。 市も、支援センターも、です。 長生きも考えものだと思う今日、この頃です。(70歳台 女性)。 憲法発布記念日、その日の書き始めで、封書にそえられた一葉箋に記載の内容。 2009年12月6日に配達の道内配布紙の企画記事を思い出した。 金子勇教授の談話で「地域家族」。その要旨を思い出すに、次の諸点ではなかったか。 北海道では<核家族の快適な生活に始まっており、地域家族の成熟に及んでいない>。 そうした趣旨ではなかったか。そこで遠い日の公共放送の番組を思い出した。 ポイントは、本州の稲作地帯ならではの<暮らしの知恵と申すか、コミュニティ力の高さ>にある。 地域の水利を維持する作業分担。本州の庶民住宅街で一人の<赤子を背負った女性が老女宅に現れた>。 「私、水路維持の<作業当番>にあたって、居るの」。老婦人はすかさず、申した。 「それはたいへん、私、赤ちゃんをあずかっているわ」。「行ってらっやしゃーい!!」。 北海道ではどうか。マチなかを通過する水路清掃作業がないわけではな、ない。しかし、そこは北海道。一小流の水路が水田を潤す水路とは考えない。 同じケースの申し出に、相談をうけた住民は答えるであろう。「それなら責任者に、『子供を守りせねば、預かってくれるヒトが居ないから」と断ると良い!!」。 それが通る北海道と通りそうもない本州。 他方で、「子をあずかる、預けても心配がない」の人間関係もまた、代々で築かれた本州&まだ未形成の北海道」。そうなるのでは、ないか。
2024年05月18日
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越後国出身者の鮭漁場に起源と・・・・・ 御得稲荷神社由緒240519 「繁栄」の対語は、「衰微」「衰退」ではあろうが、「中心街の繁栄」の対語となれば「中心街支持力の喪失」。 農漁村集落に無人社が増えて、神職の兼任が増加している。そうした指摘の後には、祭祀奉納をしなくなった、出来なくなったの状況。 ここへ来て、繁栄を支えたはずの神々に「神社仕舞い」の知らせを聴かされている。 2022年4月20日 水曜日には「日枝神社 4月で閉鎖 旭町、老朽化や高齢化などで」と報じられた。 https://kushironews.jp/2022/04/20/334499/#google_vignette 「大正時代から新潟県出身者の心のよりどころとして建立された日(ひ)枝(えい)神社(釧路市旭町9、田村某・・・」とされる。 「手繰網漁業に用いられる『川崎船』という帆船が釧路に進出し、タラ、スケトウダラ、カレイなどの沖合漁業に従事した記録」 「川崎船に乗ってやってきた越後の漁民は、現在の釧路市旭町、川上町に定住し、この辺りは漁師町として繁栄しましたが、昭和2年(1927年)、新潟県北蒲原郡次第浜(現:北蒲原郡聖籠町次第浜)出身の漁師たちが、地元にある『日枝神社』から分霊勧請してできたのが、現在のこの神社」とも。 https://blog.goo.ne.jp/five-colors1213/e/f3f25054af6c8bc1f30f1fdaca27b65b 越後漁業者の釧路沖合出漁と申すと「タラ、スケトウダラ、カレイ」と心得ていた。 が、釧路市寿町一丁目の御得稲荷神社」は「トンケシ浜に開設、鮭漁場に設置の小祠が起源」と。 思うに次第浜=旭町の中越に対して、下越と申すか村上市あたりの出身者の創建になる、かと。 二代目から伊藤家が神職を務めてこられた。三代目 律師が2014年に亡くなられ、17年に「釧路国壱ノ宮 厳島神社に合祀」された。 跡地に「由緒碑」が設置され、その碑文を記載してみておく。
2024年05月17日
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郷土伝統芸能と両輪の農山漁村&都市間交流に重要な枠組みを蓄積 釧根郷土芸能基金(釧路市)240517 釧根郷土芸能振興基金では、第32回目にあたる令和5年度活動助成金を根室国で活動する3団体、釧路市に拠点を置く3団体に贈呈した。同基金では平成4年度から毎年3~6団体に助成金を贈っている。 根室国の3団体は、漁村で活動する「しべつとどわら太鼓保存会」と「野付竜神太鼓保存会」で、もう一つの団体「美原子童太鼓保存会」は別海町中春別地区近郊の酪農村に誕生した。 いずれも太鼓演奏に取り組む。漁村で活動する二団体はすでに半世紀以上のキャリアをもち、児童中心の「美原子童太鼓保存会」も30年を超える年輪を積み重ねている。近年、保存伝承がたいへん困難な経済環境にあるなか、いずれもいすれも健闘しているのだ。 2020年2月のCOVID-19発生前後から、漁村は気候変動による漁業環境の変化が少なからず現れているようだ。酪農村はウクライナ戦後、空前の経営危機に包まれる。1)海外からの輸入飼料高騰、2)牛肉・生乳消費量の低迷に加え3)肉牛引き取り価格の暴落。郷土芸能を保存・伝承する環境はいっそうの厳しさを増しているようだ。 ここに来て釧根郷土芸能振興基金がすすめる助成金贈呈の意義も、新たな理念を意識しなければいけない局面と、受け止めた。贈呈式後の茶話会に席を連ね、活動団体代表の活動発表を聴かせてもらいながら、想いめぐらした点である。 基金開設期前後の保存伝承活動助成・発表会等参加助成に期待された点は、装備の多様化・演奏機材の補てんに頼られる点が少なからずあったのかも知れない。 しかし今日に至り<そもそも活動継続と支持基盤拡充>に資するとされる、努めて「メンタルな側面での支援」。この点が極めて、重視されるレベルに達している観が深い。 北海道では育ちにくかった郷土伝統芸能。半世紀の蓄積を記録する団体数の増加にあわせ、留意しておきたい点がある。それは釧路市に誕生した釧根郷土芸能基金が、農山漁村と都市間の文化交流に重要な枠組みを蓄積してきたことにあるのでは。 5月17日、一般財団法人 釧根郷土芸能振興基金が開いた理事会・評議員会議の末席にかけつけ、思いめぐらした点だ。
2024年05月16日
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サクラ開花期早まり、漁況に資源異常、阿寒湖のマリモも危機 季節のズレに注目240505 掲載写真は通称「春日ヴィレッジ」と呼ばれる北海道営の公営住宅街。 色合いの鮮やかさから手前のエゾムラサキツツジが、大いに目立つ。 間に通路の屋根を挟んではいるも、その背景にはエゾヤマザクラがすでに開花。 ●エゾムラサキツツジ (蝦夷紫躑躅) ツツジ科 【学名】 Rhododendron dauricum 【花期】 4~5月 ●オオヤマザクラ (大山桜) バラ科 学名: Cerasus sargentii var. sargentii 花期 十勝=連続休日、根釧=2000年頃5月第4週、2020年=5月第2週、2024年=5月3-5日 別名 エゾヤマザクラ 写真の撮影は5月5日のことで、ツツジとサクラが同時に開花は珍重でもある。 報道を通じて伝えられる、「漁況に資源異常、阿寒湖のマリモも危機」。 そこと重なることになるはず、 ツツジとサクラの同時開花。 意外に深刻な「次」への表現ではないのか。
2024年05月15日
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釧路川、その全長は154キロメートル。北海道東部の主要河川の一つにして、その付加価値は高い。 「ヨーロッパ型河川」と目されるも、その高い流域の機能はさておいて、規模を比較するに圧倒的とも言える差異が。 その差異は、カヌーで下る釧路川、同様にダム&水門が少なく船で旅できるロワール川との対比。 ヨーロッパの主要な地形 河川→釧路川=全長は154キロ ヨーロッパ型河川ながら規模に240511 1位 ライン川 スイス・ドイツ・フランス・オランダ 1,233km 2位 ドナウ川 ドイツ・オーストリア・東欧諸国 2,857km 3位 エルベ川 チェコ・ドイツ 1,091km 4位 ヴォルガ川 ロシア 3,690km 5位 セーヌ川 フランス 780km 6位 オーデル川 チェコ・ポーランド・ドイツ 854 km 7位 ドニエプル川 ロシア・ベラルーシ・ウクライナ 2,285km 8位 ポー川 イタリア 650km 9位 ロワール川 フランス 1,012km 10位 ローヌ川 スイス・フランス 812km https://ameblo.jp/worldhistory-univ/entry-11962371284.html History of World 2014年12月09日(火) ●ロワール川 フランスの中央部を流れる川長さは1,012km、 セヴェンヌ高地の北東に源を発し、ロアンヌとヌヴェールを北へ流れる。オルレアンで西方に変え、トゥールを流れてナントで大西洋に注ぐ。 平野部の傾斜度が緩く流域が広大なため、しばしば深刻な洪水が起こる=856年、1866年、1910年の洪水が知られる。 自然な流れの障害となるダム・水門は少なく、船による旅行が可能。田園風景や石灰岩の崖、童話の世界のような城の景観を楽しめ、人気が高い。●ドナウ川(ヨーロッパで2位) 独南部バーデン=ヴュルテンベルク州のシュヴァルツヴァルト(黒い森)に端を発し、ほぼ東から南東方向に流れ、中欧・東欧10ヶ国以上を通って黒海に注ぐ。 河口にはドナウ・デルタが広がる全長2,857km=1,775mi。●ヴォルガ川(ヨーロッパで1位) モスクワ&サンクトペテルブルク間に位置するヴァルダイ丘陵=海抜225mを源流とし、ロシア主要部(ヨーロッパ・ロシア中心部)を水系に含む「ロシアの母なる川」でもある。全長は3,690km。 カスピ海に注ぐ三角州・ヴォルガ・デルタは160kmにわたり伸びており、その中にアストラハンなどの街があり、500程度の派川に分かれている。 上流部は森林、南下して森林ステップ。さらにサラトフ以南はステップと半砂漠、河口のアストラハン周辺は砂漠気候。 流域は肥沃で大量に麦を生産。石油・天然ガス・岩塩などの鉱物資源も豊富だ。ヴォルガ・デルタとカスピ海は漁業が盛んで、アストラハンはキャビア生産の中心地。このため沿岸の化学工場による汚染も問題となる。
2024年05月10日
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● うつ病治療で大切なこと。ここでは次の七ケ条2405061)自分のペースで受け止める2)決して焦らない3)自己判断で治療をしない4)まずは専門医のアドバイスを5)日光を浴び生活リズムを整える6)気が楽になることを生活に取り入れる7)バランスの良い食生活240503 うつ できること https://www.tawara-clinic.com/blog/002/
2024年05月06日
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自身のペース・責めず・完璧めざさず 「うつと向き合う10のこと」240505 2014年刊行の文献をもとに、武田薬品工業株式会社が公開しているページのようで。 「うつ できること」で、検索「うつ はたらく」の記載事項。 「うつと向き合う10のこと」から。 1自分のペースで受け止める うつ病を受け止め、理解することが回復への第一歩。 2あきらめることを覚える あきらめは絶望ではなくリセット。負担になっている目標や目的をあきらめることも。 3自分を責めない 「自分が悪かった」と思いつめないように。 4副作用をよく知ること 投薬で副作用が出たときは医師に相談。 5休養に専念する 休養に専念することが、回復に向かうために重要。 6お薬を勝手に中止しない 薬の服用を中止したり減量することは、症状の悪化や再発を引き起こす。 7自分なりの意義を持つ 物事のとらえ方によって、ストレスの感じ方は変わる。 8完璧を目指さない 回復した状態を維持するためには、無理をせず、完璧を目 9エネルギーを意識して過ごすエネルギー=体力や気力には限界。復帰した後は、自分のエネルギー量を意識して、無理しない。 10迷わず医師を頼る 回復後も調子が悪くなることがあるかも。迷わず医師を頼る。早期対応が大切。野村総一郎 監修:入門 うつ病のことがよくわかる本, 講談社, 東京, 2018尾崎紀夫 監修:よくわかるうつ病 診断と治療、周囲の接し方・支え方, NHK出版, 東京, 2014五十嵐良雄 監修:うつ病・躁うつ病で「休職」「復職」した人の気持ちがわかる本, 講談社, 東京, 2014
2024年05月04日
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『物語』=創るろうとすると、出来る 「路線に乗って安心 応援鉄」大井川鉄道240301 ●第一弾 22年5月14日 2022年9月の台風被災。被災して不通となった自社鉄道路線の被害状況を、公開。 そこから始まった。 思いついた点は「運転終了、路線危機などの類似路線に乗って応援 大井川鉄道<応援鉄>ツアー」。 ●第二弾 23年11月23日 大井川鉄道の「名物広報・山本豊福さんの呼びかけ」に呼応して、13人が参加。 「東北の四私鉄 山形鉄道・由利高原内陸鉄道・秋田縦貫鉄道・三陸鉄道に乗車するツアー。 ●第三弾 24年年3月1日~3日間 <1>24年3月23日(土)で運転終了となるSL人吉に乗車。 <2>井川線の通称「トロッコ列車」と同じく、門司港地区を走るトロッコ列車「潮風号」に乗車 <3>九州鉄道記念館では明治~大正~昭和~平成~令和と脈々と続く、特に九州の鉄道文化にふれあう <4>大井川鉄道にも乗車。被災に負けず走る「SL急行かわね路号」。 一民営鉄道の社員が必死の呼ぶかけ。旅行代理店も支援に乗り出し、起動交通の危機打開。 都心の民営鉄道は、「確実に乗車が見込めるから開設」の大型投資。 地方の民営鉄道は、住民の交通権保証で開業に踏み切った。産業構造の変化で、<向都離村>の過疎化がすすむ。 「一極集中」の是正はさっぱり進まぬ。 しかし地方民営路線の切り捨ては、早いこと、早いこと。
2024年05月02日
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コロナ禍は合唱団の質を高めるも、先輩が経験の長期ツアーを体験できす ウィーン少年合唱団=ジミー・チャン氏230615 (合唱団にとって)海外遠征とはどのような意味が?。そう問われて。 指揮&ピアノ演奏を担当した;ジミー・チャン氏の談話。 長期遠征は合唱団を向上させてくれる貴重な機会。 コロナ禍で海外ツアーが禁止となったことは、合唱団の質を高めるうえで重要な時期となった。 しかしコロナの期間に入団した団員にとっては先輩が経験した長期ツアー体験を得ぬものが先輩になってしまい、そこにギャップが生まれることになり、惜しまれる。 2023年6月15日 東京オペラシティ コンサートホールで開かれた演奏会。 天使の歌声で、「美しく青きドナウ」ほか名曲をたっぷりと聴かせてくれる。「荒城の月」を日本語で歌いあげ、万雷の拍手も会場から。 途中、インタビューで尋ねられて、蒸気のコメント。音楽は世界を繋いでいるが、時代もまた、確実に継承。時と空間を超えてと言うことなりや。
2024年05月01日
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「家でも仕事、疲れた人」の<活力>増殖の空間 「公園文化」とは240430 写真をみて、「児童公園」と想い浮かべてくださるお方は、どれほどか。 それでも4月29日「昭和の日」、家族連れのお方が4組ほど、公園に姿をみせていた。 写真は、貴重なことにゲームを楽しむ、親子3人のお方、左に歩く後ろ姿は家人であるも。 このところ、本を読んでくたびれた後に、近隣の公園を歩いている。 写真は三連休の最後の日で、最初の土曜日にはそれでも二組の親子連れが遊具のところで遊んでおられた。 外国の都市の影像を見ていて、思うこと。それは都市の広場、近隣の公園、公共施設の界わい。 そのいずれにも「利用者の常連さん」らしき姿を見かけない。 まして椅子に腰かけ、テーブルにコーヒーや、ワイン・ビールのタグイを並べて、「談笑に時間」をあてる、光景など乏しいのではないか。 古くは「長屋文化」、北海道では「炭鉱住宅文化」があった、「沢庵三キレ=武士なら切腹と禁句ながら」+「煎茶2杯=一杯茶は<坊主に会う>と禁忌」で、3時間。 調味料や揚げ脂の貸し借りは日常。非常時には金子=キンスの用建もあった。 他方で料理方法の伝授や、旨い食べ方、長持ちする食品etc。親の教えてくれなかった術=スベが伝えられた。 「長屋文化」「生活物資貸借」「暮らしの知恵」は「互いに身を護る」コミュニティにして、「地域の知恵」の育成と発信源。そうではなかった、か。 かわって、「お家時間」や「Stay Home」。隣家を訪ねるにも、予め、電話をしてから。 公園文化。以下の点が、そろそろ、あってもよいではないか。 「利用者の常連」たちが、「今日も元気か」と飲み物手に、時代や地域、それに自身の課題を語りあう。 公園は「子どもたちの遊び場」ときめてかからずに、「家でも仕事、疲れた人」の<活力>増殖の空間。
2024年04月30日
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WEBでなく本読む理由 「本 読まなくていい」検索ワードで240430 1)人類が築いてきた知の系譜をたどる 「先行研究にあたるのはめんどくさい」かもしれぬが、それは<知の営みが蓄積する条件>。「先行研究」をやるがゆえに「巨人の肩に乗る」ことができる。 2)教科書を読めば次になにを読んだほうがいいかがわかり 3)辞書も教科書と同じく、くりかえし読むことを前提にしている書物 4)ブログが出てきて、検索結果が「汚染」されるなど、工夫しないといけない。 5)体系的なものを手に入れようとすると、ネットは基本的に面倒くさい。教科書って一流の人間がまとめてくれている。 6)ひとつひとつの論文はネットで手に入るが、何百何千という文献をチェックできない。 7)情報を編集することで、見えてくるモノもある 8)悪循環に組みこまれながらも、悪循環をちょっと組み替える時に二つの問題可決方法。 ●リニアな問題解決=明確な「原因」があって、そこに対処すれば「結果」が変わるという発想 ●サーキュラーな問題解決=問題が生みだしている力を、逆に利用するような手法 ●リニアが「剛」なら、サーキュラーは「柔」のようなイメージ 以上、https://www.flierinc.com/interview/interview095 読書猿「『ウェブ』ではなく『本』を読まなければならない理由」 240430 11:30
2024年04月29日
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薩摩出身で維新政府の若き官僚として知られる前田正名。 その論述中に、本邦の港湾施設に言及した記載が『前田正名自叙伝』のなかにある。 フランス留学の折り、フランス国マルセイユ港に入港した直後のことだ。 一つの文脈を二つのセンテンスにわけて、添付画像で示すことから始めたい。 記述は長男によって記録されたもので、『社会と国家』という雑誌に掲載された一文だ。 本邦では地形にそった天然港湾に頼るのみで、「国家の利害に非常の影響」「帝国の設備なく国家の耻辱、国家の損失」と、慨嘆する。 初めに黄地の画像に示した「乗客に対して、最も危険を感ぜしむるものは港」と喝破する。 そのうえでわが国では、国内航路にのみ視点をすえて船舶の大型化&動力化、すなわち汽船化に対応していない点を、強く嘆いている。 近代国家として、国際社会に伍しては行けない。危機感を表明した点である。 続けて正名は、海外の港湾が日本のように天然の地形=「天然の形成によりて港を造り居る」のではない。 然らばいずれ。「平海岸に人工を施せる」港。つまり修築港湾の造成が、急務たることを述べていた。 前田の提言があろうとなかろうと、防波堤、接岸岸壁に灯台を具備した三点セット。建設港湾は、早晩、日の目をみたことであろう。 そうであっても、阿寒摩周国立公園の表玄関を標榜する釧路港しては、以下の点に着目する。 それは<遅れがちな建設港湾造成や、航路標識の一形態としての灯台設置に寄与した>、と。 天成港湾の時代に、厚岸港・根室港に後れをとった釧路港。人口の防波堤を築き、接岸岸壁を配して、航路標識の施設も備えるの契機としておきたいのだ。 生かせるものは、活かそう=前田正名<平海岸に人工を施せる港>の急務240427
2024年04月28日
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お時間があったら「別子銅山 緑化 住友」のキーワードを検索欄に記載して、ページを開いてくださいな。おススメします。 「伊庭貞豪 いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1月5日) - 1926年(大正15年)10月22日」の<思い入れ>を受け継ぐ、さまざまな情報がヒットする。 ●https://www.sumitomo.gr.jp/history/person/tracks21/07/ 住友グループ広報委員会 ●https://www.srigroup.co.jp/sustainability/genki/ecology/05_1.html 住友ゴム ●https://diamond.jp/articles/-/285284 DIAMOND online ●https://www.besshi.net/hp/eco/01/005/01.htm 煙害克服への挑戦 100万本の大植林 ●https://www.sumitomo.gr.jp>history>person>tracks21別子銅山の緑化事業と伊庭の自然観 最初に掲げたページに記載。そして「注」がある。 「別子の山を荒蕪するにまかしておくことは、天地の大道に背くことだ」。 ※「注」部分。 「これは東洋の思想です」。「西洋的な考えや、アメリカ的な考えでは、フロンティア精神、開拓の精神であり、人間が一番偉いということになります」。 「ところが、東洋的な考えでは、人間は自然の一部である、だから自然を損なうと必ずしっぺ返しが来るということになります」。 「別子銅山の緑化事業と伊庭の自然観」に申す(掲載画像)。 「別子全山を旧のあおあおとした姿にしてこれを大自然にかえさねばならない」 「わしのほんとうの『事業』といってよいのは、これだ」「これで良いのだ」。 旧阿寒町雄別地区。ここに三菱系炭鉱があった。1970年2月の閉山から50有余年。 釧路市春採地区。 こちらには三井系の炭鉱が国内最後の<坑内掘り炭鉱>として存続していた。 後者は閉山から四半世紀。それぞれ事業跡地の再生、復元、復興の投資や雇用創設はどこまで・・・・・・・・・。 釧路湿原で、そしてパシクル沼周辺の保護林で、保護区聖域に踏み込む<再生エネルギー発電装置>の建設。 稼働後、必ず廃棄の局面に遭遇。市民のなかには、その時、すでに会社倒産を懸念。 学ぶべきは住友財閥の対応。反面教師となるのか、三菱・三井の炭鉱経営。 これでは「利益のみ吸引、後始末負担は辺境地」 住友・伊庭貞豪に学ぶ「儲けたのちの後始末」240425
2024年04月04日
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嵯峨久「生産者が価格を設定ができる」 昭和13年9月 釧路魚卸売市場の開設 「なぜに、難度の高い魚卸売市場を開設できたか」で、その最終回としたい。 掲載図の画像に残るは釧路港原港区の入舟岸壁で水揚げされた「鮪 マグロ の下見」。 日露戦争後に釧路港沖で網に揚がるようになった鮪 マグロは、暦年、その水揚げ量を拡大しつづけた。 生産者の力量を高める。「生産者が価格を設定ができる」ために図式=チャートを描く。 釧路港のマグロ水揚げ量は昭和3~5年にピーク期をむかえていた。資本の蓄積。 漁船の動力化を目指した、生産者の団体=漁業組合を結成した、嵯峨漁港建設・埋立ての為、釧路漁港(株)も設立した。 嵯峨は当時の根室商業学校を卒えた「計算のできるヒト」であった。 漁船動力化+漁業組合+漁港(株)→言わば経済的基盤、足がかりでもある。 漁業生産者内部の足固め。組織=形式から、原資=意味の背景を組み立てるに余念がなかった。 しかし、それで問屋層を納得させ、辺境地を対象とした得分=既得権開放が可能となったわけではなかった。 そこには、時代の趨勢をまたねばならなかった。 「大正12年(1923)3月には、「中央卸売市場法」が制定され近代的な市場が整備」 すなわち本邦における市場システムの成立。「(明治になって東京府では)各地に民営の市場が開設され、魚市場は日本橋のほか、千住、新場、芝金杉の4箇所に整理」、と。 大消費地にして、市場システムの導入は難しかったと、言うこと。問屋層の抵抗ではなかったか。 釧路魚卸売市場は昭和13年9 月8 日に開設される。 筆者は秘かに、1935年になって前述の「日本橋に千住、新場、芝金杉」をまとめ、築地市場の成立を待って、辺境の地の「魚卸売市場」開設が受容される推移となった。 かく作業仮説を用意し、これからの史料発掘を待ちたく考える。 ひるがえって、ここに《嵯峨久「生産者が価格を設定ができる」》を3分割で記載の意味はなにか。 本市には「鮪豊漁」を超越する、「漁業・石炭・紙パルプ盛況の時代」があったではないか。 往時「「鮪豊漁」は「漁船動力化」「嵯峨漁港」「魚卸売市場」にストックし、「生産者が価格を設定ができる」「魚の水揚げ量日本一」に結実した。 では、「漁業・石炭・紙パルプ盛況の時代」に集積した膨大な価値は、一つに「中央」に利益を集中」させた。 他方で本市経済にフローした価値と経済は、いずこに。 2024年4月25日配信の『北海道新聞』。「50年推計 9市町『消滅可能性』」と。 2020年~50年の30年間で<釧路国管内、唯一の釧路市>にも、消滅の可能あり。そういうことである。
2024年04月03日
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嵯峨久「生産者が価格を設定ができる」 昭和13年9月 釧路魚卸売市場の開設 水産水揚げ量の漁港で、消費者市場に加えて生産者市場を開設することは困難を極めた。 しかしさらに難儀であったのは、「生産者が価格を設定ができる」流通構造に変える点であった。 なぜか。 答え。それは。辺境の地で労働力移転型の従事者が、直面した「前貸商人」とされる問屋の支配下にあった点。 漁業者ながら生産手段も、着業期から収穫期までの生活手段も、漁獲物の販路も、その「前貸商人」とされる問屋に握られていた。 その枠組みを組み替えるには、問屋層の既得権を克服し、近代的な流通システムの元に組み替える取引関係が存在し、その移行こそ、実に<難解>であったのだ。 そこのところを理解しやすく解説すると、今日、「日払い雇用」なるシステムがあるではないか。 「わが身ひとつ」。つまり、懐にゼニをもたず、一夜の宿も身の置き場もない人が、朝に就業して、夕べに日銭の支払いをうけて退勤。その足でネットカフェに向かい、朝、そこからまた「日払い雇用」に就業する・ 当時は、「日払い雇用」のシステムなど未成熟。かわって「食事つき、住み込み生活で、漁場で働き、精算期に成果品を買い取らせて、報酬と利子および元金を差し引きする」経済下にあった。 そこのところを理解しやすく解説すると、今日、「日払い雇用」なるシステムがあるではないか。 「わが身ひとつ」。つまり、懐にゼニをもたず、一夜の宿も身の置き場もない人が、朝に就業して、夕べに日銭の支払いをうけて退勤。その足でネットカフェに向かい、朝、そこからまた「日払い雇用」に就業する・ 当時は、「日払い雇用」のシステムなど未成熟。かわって「食事つき、住み込み生活で、漁場で働き、精算期に成果品を買い取らせて、報酬と利子および元金を差し引きする」経済下にあった。
2024年04月02日
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嵯峨久「生産者が価格を設定ができる」 昭和13年9月 釧路魚卸売市場の開設 昭和13年9月、嵯峨久は鮪漁業の利益で魚卸売市場を開設した。 生産者が売り渡し価格を設定するために、利益に加えて、生産コストと自身の人件費を加えることが認められる。 それは実に、困難な事業であった。なぜか。漁業卸売問屋の既得利益を制することであったから。 1)昭和3年9月3日 嵯峨漁港建設・埋立ての為、釧路漁港(株)が設立される。 2)昭和13年9 月8 日 嵯峨漁港に(株)釧路魚卸売市場本場が新築・竣工し、入船町魚市場は廃止される。 【頌徳碑 嵯峨久壽像】「釧路漁業界の父」と呼ばれ、漁業基地:釧路の礎を築いた。 1)は法人組織が不可欠であった。 2)は「入船町魚市場」は消費者むけ市場であったが、そこに釧路魚卸売市場本場=生産者市場を設置することができた。 この書き込みを手に、釧路市南大通一丁目、「頌徳碑 嵯峨久寿像」を是非、訪ねてみよう。
2024年04月01日
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三島、刈羽、頚城の三流派 or三島・野積、刈羽、頚城の四流派 越後杜氏の地域別住み分け240624 「米どころ・越後」に根付いた伝統の杜氏職。 味わい&特徴、その一に。 「米の品質に始まり素材一つ一つに自信をもてる」。 「製造工程の細部にまでこだわった逸品」。 「華やかな香りとすっきりと綺麗な味わいが特徴」(越後杜氏 大吟醸 Sakenomy)。 味わい&特徴、その二に。 「本醸造酒越後流の王道を行くキリッと引きしまった味わい」で 「すっきりした喉ごしと、飲み飽きしない淡麗で軽やかな旨味」 「料理の味を邪魔せず引き立て、食中酒」として最適。 「冷や酒~熱燗でスイスイと飲み進めてしまう最強地酒」。 地域ごとに、三島(さんとう)杜氏、刈羽(かりわ)杜氏、頸城(くびき)杜氏の3流派に。 または、三島杜氏を越路杜氏と野積(のづみ)杜氏の2つに分けて4流派とする考え方がある。 これらは越後杜氏の「三大出身地」「四大出身地」たるを示す(中村豊次郎著『越後杜氏と酒蔵生活』 新潟日報事業社)、と。 越後杜氏の起源。 「宝暦4=1754年の「勝手造り令」以降、日本酒の製法が四季醸造が寒造りへと移行」 「米の収穫が終わると、貧しい農民が冬場の醸造のために関八州や尾張へと出稼ぎに行ったのが発祥」 「冬は積雪が深くて裏作の麦もできず、海も荒れて出漁できない越後の村から」「より多くの人手を欲している造り酒屋と、農閑期の現金収入を得たい農民とのあいだで利害が一致」したことが、 「杜氏集団の形成に寄与したといえる」、とも。 そうですかー、江戸時代初期のことかと、受け止めていましたが。 故に南部杜氏に続く、「第二の集団」なのかねー。
2024年03月29日
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称号の一、第二位の序列 「大神」とは240507 「大木司稲荷大神」。神社名に記載の「大神」を調べてみた。 「十勝大明神」。社殿の前を通らせてもらったことがある一方、東京・お茶の水駅で降りて、昌平坂学問所への道で、「神田大明神」で拝礼したことも。 「大神」とはなにか?。 「本来の神名(じんめい)に対して、その神の性格によって加える称号」を申す、そうで。 「尊崇の意による皇大神=おおみかみ・大神=おおかみ・明神=みょうじん、菩薩=ぼさつ、権現=ごんげん、天王=てんのう」と、ある。 「大神号 大明神号」で検索。https://kibune-gunma.jp/divine/ で、読む。 この欄。開設者は、以下のように問う。 「日本人の死生観 一番偉い神様を知っていますか?」。 神社さんに「社格」があって、「郷社」「村社」「県社」。もちろん、「県」などの新字をもちいず、そこは厳かに「縣社」の表記。 いま、「大神」の補足説明を。 「神道におけるランク2位の地位にある祭神に与えられた神号が、大神です。全国各地で影響力のある祭神であり、天照大御神に次ぐ地位にあることから神道においても核心的な存在」。 あだ、おろそかにされることなきを。
2024年03月27日
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硬い米を上手に扱い柔らかな味わいのある酒 南部杜氏「酒質・特徴・味わい」240429 掲載の地図は岩手県の一部。紫波郡紫波町&花巻市。 近江商人に伝えられ江戸時代初期の寛永期に根付いた南部杜氏の原郷土。 その江戸時代、蝦夷地と呼ばれた北海道東部にも現れていた「南部杜氏」。 日本三大杜氏とも称され、四大杜氏のくくりでも最初に登場の「南部杜氏」。 ようやく知りえたのが、「ienomi style=イエノミスタイル」にあった、次の記載。 「近江商人が酒造りの技術を伝え」「東北の硬い米を上手に扱い、柔らかな味わいの酒を造るのが持ち味」。 自身で提供の作品を、明確に他者に伝えたい。ほかの表現はないか。 「(岩手県の日本酒)伝統的には濃醇で旨みが強いのが特徴」。 「米の旨みが凝縮された濃厚で力強い味わい」。そうとも、申しているぞー。 南部の酒を調べて、歴史では愉しみも少なかろう。 「南部杜氏 特徴 持ち味」のキーワードで検索。「酒質・特徴・味わい」らしき<地域差>に、出会えたか。 1950年代の後半、「日本のチベット」と称された岩手県。 歯を食いしばって、米・水。麹に思いを入れた。 今や、日本三大杜氏の首席を務める南部杜氏。 「最盛期には3000人を超」「日本最大の杜氏集団、現在でも300名を超え」、と。 「(越後杜氏は)南部杜氏に続く規模で170人ほどの集団」。刮目しておきたい。
2024年03月26日
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重油・硫黄碑出=大気汚染、OVER観光客、上陸後の失踪 大型客船、海外での対応240402 「大型客船 環境負荷」のKeyWordで検索してみると。 入港する大型クルーズ船、海外では環境問題のみならず、オーバー観光やら、そもそも。 「乗客1人当たりのCO2排出量は、飛行機を利用した際の排出量よりも多い」などの課題が西欧諸国の外国航路寄港地で指摘されている。 1)2023/3/19 「クルーズ船の乗客1人当たりのCO2排出量は、飛行機を利用した際の排出量よりも多いと言われており」 2)2019.12.7 「クルーズ船による海洋汚染問題」 「最近話題となってる『観光公害』を悪化させ、さらにはSDGsの達成を阻害する要因などと非難」 「カンヌで2020年から燃料の硫黄物質含有量が0.1%を超えるクルーズ船について寄港を禁止する」「そのような汚染クルーズ船に乗船する旅行客が街に足を踏み入れることを阻止する措置が導入」 「クルーズ船が使用している燃料は、通常のディーゼル燃料に比べ「硫黄酸化物」が2,000倍も多く含まれ」「2018年2月に発表したレポートでは、クルーズ船などが排出する硫黄酸化物を多く含んだ排気ガスで、年間40万人もの人々が肺がんや心肺系疾患により命を落とし、1,400万人の子どもたちが喘息にかかっている」 3)2018/05/30 「アムステルダム市議会は7月20日、クルーズ船の入港を禁止する法案を可決した。関係者によると、この法案は観光客の数を制限し、環境汚染に歯止めをかけるため」 「アラスカの手つかずの自然が残る地域への船旅は大気汚染、水質汚染、騒音公害、ゴミの山、行き過ぎた混雑などを引き起こし、生態系にダメージを与えている」 4)2020/6/4 「入国審査時間短縮のため導入された『船舶観光上陸許可制度』を利用した上陸後の失踪」。
2024年03月23日
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●脱炭素&カーボンニュートラル 脱炭素は二酸化炭素(CO2)など温室効果ガス排出量を実質ゼロに。カーボンニュートラルは光合成でCO2を吸収し生育に活かしてゼロにするなど、温室効果ガス排出量と吸収量を均衡させることhttps://ondankataisaku.env.go.jp/carbon_neutral/about/●非製造物主義=モノ造りの投資や成果品の消費(製造物主義)に対し、知識、付加価値、環境、投資など無形資産形成に頭脳を働かせる考え方。●グリーンニューディール A Green New Deal = 温暖化防止&経済格差是正めざす経済刺激策。(オバマ政権)再生可能エネに1500億ドル投資に500万人のグリーン雇用創出。「脱炭素&カーボンニュートラル」「非製造物主義」「グリーンニューディール」 現代を考える環境用語240409
2024年03月22日
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犯人捜し=周到に行われた、本質に触れず 沖縄密約と東京紙面スクープ7203衆議院 当時は毎朝、駅の売店で『毎日新聞』を買い求めてから仕事場に向かった。 「糸を売って、縄を手にした」。そうした評価のあった「沖縄返還協定」。 表に現れない条約交渉の陰で、核の持ち込み、平等でない地位協定、沖縄の期限なき「全島基地化」の約束があった。 2歳年上の道内選出議員が衆議院予算委員会で質問した。 その内容で国会審議は中断。政権は否定する一方、「記者と女性事務員の関係」に問題は置き換えられた。 USAでは30年間の期限をきって公文書の公開が行われる。2002年にアメリカ政府が公文書開示をしてから、その事実は否定されなくなったと記憶。 この29日、一つの生前談話が公開された。昨年死去した議員に対し、衆議院事務局が行っていた内容が公になった。 29日、『読売新聞』がネットで掲載。北海道内配布紙は26日朝刊で、報じていた。 そのスクラップを片手に往時を思いかえし、今、沖縄の現実を冷静に見つめる思いを重ねている。
2024年03月20日
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西高辻 味酒 浄妙尼 大宰府天満宮御三家240319 西高辻家は太宰府天満宮の宮司家で当主は40代目、と。埋葬地に社を建立。祭神としてその徳を顕彰する。 味酒家は道真公が大宰府に下るとき、随行した家柄。死後は遺体を葬るため牛の止まった地に随行した。権禰宜職を務めて当主は43代目。 浄妙尼は、伝統的な名を「もろ尼御前」。追討された道真公を咄嗟の判断で「もろ臼」の中に隠した。その後も私生活の世話を続けた、と。
2024年03月17日
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「奥座敷」、そう言われた温泉街の苦闘 「温泉街再生策 川湯で学んで」240324道新(5) 22軒あった温泉宿が6軒になった。年間70万人の宿泊客が今や25万人台を下回る。 「川湯温泉の再生策や先進的なエコツーリズムについて現地を回りながら学んでもらう」。 提案は「一泊二日<二つのプラン>」。 (A)「温泉街再生の取り組みをを学ぶ」=5万5000円/人。 川湯ビジターセンターや温泉街を巡りながら、協会関係者らが解説。 (B)「エコツーリズムについて解説」=7万7000円・人。 計50キロに及ぶ摩周・屈斜路トレイルの体験や座学などを行う。 宿泊減少の要員は「団体ツアーの客の減少」。奥座敷きと愛された地元民の利用は頓挫した。 企業の宴会、大会・研修会の会場として利用される対象が都市型ホテルで吸収される。 「廃ホテルの撤去」「大手リゾート会社の進出を受け入れ再生を委ねる」「地元民よりも海外の富裕層の取り込み」。 地元の関係者が本当に望んでいる施策か。観光なのか、生涯学習の新しい<あり方>か。 背景にいくつかの<追い風>。 「(自治体行政区域の)65%が阿寒摩周国立公園内にある」 「国際的な認証機関から『世界の持続可能な観光地トップ100』に選定」 「(地元観光協会の見解)弟子屈の事例は他地域でもなるのでは」。 「奥座敷」、そう言われた温泉街。聞かれなかった<ご贔屓筋利用>。 2020年春、COVID-19発生ので、宿泊キャンセルが続出したとき。 本州温泉旅館で導入された「事前予約=宿泊料金前払い、終息後再開に投宿」の<ご贔屓筋利用>。 「観光で僻陬の地」。客層が大きく変わった現代に、リゾート型観光の可能性。 それは「周囲の支持者の可処分所得と文化度」にあるや。 宿泊減少の要員は「団体ツアーの客の減少」。奥座敷きと愛された地元民の利用は頓挫した。 企業の宴会、大会・研修会の会場として利用される対象が都市型ホテルで吸収される。 「廃ホテルの撤去」「大手リゾート会社の進出を受け入れ再生を委ねる」「地元民よりも海外の富裕層の取り込み」。 地元の関係者が本当に望んでいる施策か。観光なのか、生涯学習の新しい<あり方>か。 背景にいくつかの<追い風>。 「(自治体行政区域の)65%が阿寒摩周国立公園内にある」 「国際的な認証機関から『世界の持続可能な観光地トップ100』に選定」 「(地元観光協会の見解)弟子屈の事例は他地域でもなるのでは」。 「奥座敷」、そう言われた温泉街。聞かれなかった<ご贔屓筋利用>。 2020年春、COVID-19発生ので、宿泊キャンセルが続出したとき。 本州温泉旅館で導入された「事前予約=宿泊料金前払い、終息後再開に投宿」の<ご贔屓筋利用>。 「観光で僻陬の地」。客層が大きく変わった現代に、リゾート型観光の可能性。 それは「周囲の支持者の可処分所得と文化度」にあるや。
2024年03月12日
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雑穀輸出仲介への温床 小説『海霧 UMIGIRI』読むキーワード240322 (4)●「佐賀県人脈と原田文学」の話。小説「海霧」で南大通を愉しむ方法。原田さんの『海霧』では、一番、最初に釧路駅に集合してもらいました。『海霧 Umigiri』の最終章にある一節を確認しました。「(1930年6月)東京からの列車が厚内の短いトンネルをぬけ」、「二歳の曾孫は毛布にくるまれて、ふたり掛けの椅子をひとりで占領」。そういう形で自画像を示しつつ、「海は濃霧にとざされていた」の情景で作品をむすんでいます。まだ、幼かった康子さんが東京から釧路に初めて帰ってきた時の一節が記載されています。それで「お帰りなさい、康子さん」というわけで、私たちは旧釧路停車場跡に迎えに行きました、ですよ。その足で、川上町にあった原田留五郎宅に向かいました。川上町の旧旭小学校前にあったお宅こそ、原田さんの実家。そこから「教育大学釧路校の位置へ通学したんだよネ~」、と。「ぶぶる●2023年11月16日「ぶぶる11th」は『海霧』片手に南大通八丁目界わい歩く。23年11月16日午前、米町公園駐車場に集合し南大通八丁目、七丁目を10人ほどでまわりました。お目あては『海霧 Umigiri』上巻です。そこに登場する平出幸吉 ひらいでこうきち、島義勇 しまぎゆう、武富善吉 たけどみぜんきち らの事績をたどるツアーです。釧路市には「明治四二年 電話帳」が記録に残っています。『海霧 Umigiri』上巻の主人公たる平出幸吉を模す原田惣吉の名は電話帳には出てきません。しかし、佐賀県人脈につらなる福富甚吉 ふくどみじんきち 武富善吉らの住まい地は記録があります。●観光講座2024で「釧路の街の魅力」。「佐賀県人脈と原田文学」で提案です。『明治四二年 電話帳』にはまた、前述の武富家が経営し釧路銀行の所在地は判明します。電話帳には住所の記載があります。そこでその細かな住宅所在地の地番を、こんどは町名と地番を記載した地図を取り出して、一つずつその位置を現在の街並みのなかで記録していく作業を現地ですすめました。南大通八丁目に「武富小路」、その先に「武富私道碑」があります。そこで『海霧 Umigiri』に登場する「北洋商会」。実体は広業商会 こうぎょうしょうかい という会社のお話をさせていただくのです。
2024年03月10日
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平出幸吉家に大正末期の難色 小説『海霧 UMIGIRI』読むキーワード240322 (2) 「ぶぶる釧路の街歩き」,その起点は釧路駅。 現在は乗降改札口のところに3個のスタンプが用意されている。参加の章に今回は、一個のみ押印。 さて、出発。と申しても、正面入り口の外に出てみることではあるが。 紹介の一のポイントは原田康子著『海霧 Umigiri』エピローグの一節。 1930年6月、東京からの列車が 「厚内の短いトンネルをぬけ」 「海は濃霧にとざされていた」情景でむすぶ。 「二歳の曾孫は毛布にくるまれて、ふたり掛けの椅子をひとりで占領」という形で、自画像を示す。 原田邸 大正二年七月長兄宗二郎没後は、遺嗣テツ子氏尚幼なるため原田家を後見し益々業務の拡張を計り、欧州大戦勃発以来は財界の好況に乗じ盛んに羽翼を張りて巨利を博し、原田家の資産を幾倍増加せしめたり、現に同家及関係会社の市街宅地は六萬坪以上に達し釧路第一の大地主なり、近来東京株式市場に大活躍を試み東京に於ける斯界の大手筋なり、最近工費三十餘萬円を投じて宏壮なる店舗及び邸宅を新営し、釧路河口に一大美観を添へたり。長兄宗二郎氏の遺嗣テツ子氏東京目白女子大学に在り、(略) (古川忠一郎『釧路発達史』(1923年)→「付録 事業及人物」 p7~8 の「千賀竹三郎」項に記載)
2024年03月09日
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輸出用の昆布&硫黄が基盤 本邦最東端の地方銀行 小説『海霧 UMIGIRI』読むキーワード240322釧路銀行(くしろぎんこう)は、かつて北海道釧路市に本店を置いていた銀行。●概要 政商である武富善吉、元官僚である前田正名等が設立した銀行である。 釧路市に本店を置き、北海道の鉄道事業における政府の支払い銀行としての機能のほか、主に不動産開発を行った。●沿革1900年 設立1907年 津田沼商業銀行を買収し、銀行業を開始する1914年 本店を東京に移し、光正銀行と商号を変更1923年 駒沢銀行と商号を変更1928年 銀行業務を第一銀行に譲渡。光正不動産株式会社と商号を変更https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A7%E8%B7%AF%E9%8A%80%E8%A1%8C 釧路銀行(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)●根室銀行1898年に北海道根室町に柳田藤吉が設立(設立時より安田善次郎が顧問就任)した。翌年の増資に際し安田が引き受けることになった。道内(道央・道南を除く)各地に全19店舗を置いていた。営業店として現存するのは、みずほ銀行釧路支店、帯広支店(当時の支店建物は十勝信用組合本店として利用されている)。 なお、昭和中期に日本勧業銀行帯広支店の営業権を富士銀行が引き受けた。みずほ帯広支店は旧日本勧業銀行帯広支店の場所にある。「富士銀行 」=出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「第三銀行」「明治商業銀行」「根室銀行」「神奈川銀行」「信濃銀行」「京都銀行」「第百三十銀行」「日本商業銀行」「二十二銀行」で「統合参加10行」に加えられている。(「富士銀行」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%8A%80%E8%A1%8C
2024年03月08日
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マスメディア離れ、社会問題に関心高し、低いブランド意識 Z世代に寄せる見解230925 シキリに耳にすること多いZ世代。その特徴を3点。 (1)マスメディア離れが顕著。インターネット環境での情報収集が当たり前のZ世代。 (2)社会問題への関心が高い傾向 (3)ブランドに対するこだわりがあまりない。 1996年かに「パラサイトシングル」の語があって、若者に「非正規雇用」の携帯が広まった。 響いたのが生活費の所得で、可処分所得の余裕がなくなった。他方で携帯電話、スマホ、マイカーなど所要経費は家庭から、個人の負担が不可避となった。 「新聞を購読しない家庭」「新聞を読まずに職場に出ても支障がなくなった」「通勤電車から文字・活字文化が消えた」。 「関心と興味のある記事を、ななめ読みしているうちに、興味と関心のある領域の記事が優先して四角におさまるようになった」。 語源は、アメリカの「ジェネレーションZ」から来ていて、そこからZ世代。 実年齢としては、大体2021年現在で考えると25歳以下の若い世代。 「ミレニアル世代」に先行する、「1990年半ばから2010年代生まれの世代」で、2021年=25歳以下、を指すことが一般的。 因みに「ミレニアル世代」は、1980年から1995年の間に生まれた世代と定義される。 (クリエイト転・求人TOP https://www.job-terminal.com/features/Z%E4%B8%96%E4%BB%A3/) 踊る「Z世代」。その陰での変化を、感じ取ることに240228. 踊る「Z世代」。その陰での変化を、感じ取ることに240228.Z世代・さとり世代の上司になったら読む本2022年5月27日 最終更新日時 :2022年6月12日 竹内義晴竹内義晴
2024年02月26日
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