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拙著「今宵も、BARへ--『私的』入門講座20章」に関して、販売箇所がさらに増えたというお知らせです。 お陰様で拙著の発行は通算で200部を超えました。これまでは神戸のBar・HEAVEN、大阪のBar・CADBOLLか、うらんかんろへの直接注文でしか購入(お届け)できなかったのですが、今回、僕の馴染みのBarでもある、大阪キタのBar・Cluricaun(クルラホン)にも、マスターのご好意で置いてもらえることになりました。 表紙や本文の印刷、紙質なども、その後の試行錯誤の結果を生かしてほんの少しですが、グレード・アップしています。本文も改めて推敲を加えて、加筆・補筆しています。Cluricaunにお立ち寄りになった際にでも、お手にとってご覧いただければ幸いです。 依然として自費製作であるため書店の販売ルートに乗せられないのは残念ですが、嬉しいことに友人・知人や馴染みのBar関係を通じて、結構追加注文があります。ただ、プリンターの印刷品質(グレード)を上げたために、印刷スピードが落ちて、1部を製作するのに以前の3倍近い、約50分もかかるようになりました。 以前は週末の2日間で10部~12部は製作できたのですが、今は6~8部が精一杯です。という訳で、追加注文に嬉しい悲鳴を上げている現状です(今、予約分を1カ月近くお待ちいただいている方もいます。本当にすみません)。 本格出版あるいは自費による委託出版の道ももちろん探っています。タイミングや資金についてもあれこれ検討してますが、当面は簡易製本版の売れ行きが好調なためにその流通に力を入れたいと思っています。今後も、供給能力の改善や販売箇所を増やす努力を続けていきますので、「今宵も、BARへ…」へのご支援を、何卒よろしくお願いいたします。【Bar・CLURICAUNのデータ】大阪市北区曽根崎新地2丁目2-5 第3シンコービル4F 電話06-6344-8879 午後7時~午前2時 日休 地下鉄四ツ橋線・西梅田駅&JR東西線・北新地駅から徒歩数分です。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/06/10
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2回続きで、BARやお酒の話題でなくてすみません。我が家のペット猫「うらん」が亡くなって2カ月後、我が家の家族になった猫の「はな」(♀=推定2歳)。彼女がやって来て、きょう7日でちょうど1年になります。 はなは、この1年にすっかり我が家(僕ら)にも慣れました。健康で、食欲も旺盛で体重もやって来た頃の約2倍近くの、約5.5Kgになりました。 この調子で太ってしまうと大変なので、メタボ猫にしないように、飼い主としてはくれぐれも気を付けなければなりません(笑)。 はなはノラだったのが信じられないくらい、とても人なつっこい猫です。きっと愛情(優しさ=愛されること)に飢えていたのかもしれません。 ノラ時代とは違って、栄養状態も良くなって、食べるもののバランスも考えて与えているので、毛づやも見違えるほどつるつるになりました。 いつもはいたずらをいっぱいして、時々怒られていますが、それでもとても人なつっこい猫なので、つい許してしまいます。夜は、いつもふとんで一緒に寝ています。 はなの後に昨年11月にやって来た、同じくノラの「こつぶ」(♀=推定1歳半)とは当初は、なかなかしっくりいきませんでしたが、今ではすっかり仲良しです。でも、「こつぶ」の体重はまだ、はなの半分くらいです。食欲旺盛ですが、まだ大人の猫ほどの大きさではありません(下の写真ではそんなに違うようには見えないかもしれませんが…)。 はなとこつぶは、普段はよく仲良くじゃれ合っているんですが、時々、半分本気(?)で取っ組み合いをします。 でも、体重も体の大きさも、はなが倍くらいあるので、いつもこつぶが押さえ込まれてしまいます。 そして、はなに首根っこなどを噛まれて「ギャー、助けてー!」と言うような叫び声を上げて、逃げ出しています。 だけど、2匹とも本気で喧嘩した訳じゃないので、その30分後にはまた、仲良く一緒にじゃれ合ったりしています。昼間は、一緒にくっついてソファの上で寝ていることもよくあります。2匹が仲良く、気持ちよさそうに寝ている姿を見ると、本当に癒されます。はなとこつぶが我が家に来てくれて、心から、良かったなぁと思っているこの頃です。PS.ご要望がありましたので、はなとこつぶの写真を少し追加掲載しま~す。
2009/04/07
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パソコンのセキュリティ対策ソフトとして、ウイルスバスターを毎年使ってきました(年間費用約3500円です)。 しかし、一昨年に「ADSL」から切り替えた「フレッツ光プレミアム」にはウイルスバスターが無料で付いていることが分かりました。でも利用するためには、専用ソフトをパソコンにインストールしなければならないとのこと。 で、NTTに相談すると、 N「ウインドウズはXPですか?」 僕「はい」 N「サービスパック2か3ですか?」 僕「はい、3です」 N「じゃぁ、OKです。ところで、パソコン本体のメモリーはいくらですか?」 僕「256MBです」 N「う~ん、500MB以上ないとインストールは難しいですね」 僕「どうすればいいのですか?」 N「量販店でメモリーを買ってきて増設したら、インストールできるようになりますよ」 僕「えー?! 増設なんてやったことない…」 しかし、選択肢は二つしかありません。従来通りウイルスバスターと有料で個別契約し続けるか、メモリーを増設するか。パソコン(IT)音痴の僕は、パソコンの裏側のフタを開けて、メモリーをうまく付けられるかどうか自信がありません。しかし、やるしかありません。 ネットで僕のパソコンに合うメモリーの型番を調べて、ヨドバシで買ってきました。512MBで約5800円でした。で、裏蓋をねじ回しでそっと開けて、メモリー増設用のスペースにメモリーを取り付けました。 メモリーの上下や裏表が最初はよく分かりませんでしたが、ネットに出ていた何人かの方の「メモリー増設体験記」等を参考にしながら、なんとか増設を終えました。 もちろんこれで終わりではありません。次は、現在入っているウイルスバスターのアンインストール(方法がまたややこしい)。その次にはNTTが送ってきたセキュリティ対策ソフト(ウイルスバスター)のインストールです。NTTに電話で問い合わせながら、結局、半日かかりました。あぁー、疲れた。もうちょっと簡単にできないもんかねぇ…。 PS.苦労しましたが、メモリー容量が増えたせいか、パソコンのパフォーマンスは以前に比べて明らかに向上しました。立ち上げを待つイライラもなくなりました。やっぱりメモリーを増設して良かった! というのが実感です。
2009/04/04
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楽天ブログの友人の皆さま、その他の皆さま、新年明けましておめでとうございます! 旧年中はいろいろとお世話になり、本当に有難うございました。本年も何卒よろしくお願いいたします。 新年はいかがお過ごしでしょうか? 関西は曇り空ながら、いちおうおだやかな元日を迎えました(とは言っても、同じ関西でも日本海側の方は雪のお正月でしょうか?) 昨年は政治や経済・景気の混迷が続き、後半は「派遣切り」など暗い、世知辛い話題ばかりの年でした。今年はどうか、明るい兆しが少しでもつかめる年でありたいと願っています。 「本年の目標」と言っても、とくに大きなものはありませんが、月並みな言い方ですが、公私ともに(仕事でも、BAR巡りでも、ピアノ・ギターでも、その他様々な分野でも!)充実した1年が送れるように、頑張っていきたいと思っています。 皆さまにとっても、良き1年でありますように心からお祈りいたします。
2009/01/01
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メリー・クリスマス! 皆さま、クリスマスはいかがお過ごしですか? 僕は今、テレビで放送中の小田和正のライブを聴きながら(観ながら?)、これを書いてます。 今年を振り返るにはまだ少し早いかもしれないけれど、やはり、年の瀬になると、いろんな思いが募ります。 テレビや新聞では毎日のように、突然派遣を打ち切られ、仕事も住むところも失った人たちのことを報じています。 でも僕は、こういう人たちのために、何の力にもなれません、ごめんなさい(政治家の皆さん、政治の力が今ほど求められてる時はありませんよ!)。 せめて来年は、もう少し希望が見える日本でありたいと、そして世界中の人たちが昨日よりも、少しでも幸せになれるようにと願うばかりです。 今年も、会社帰りに観ました! 中之島の「中之島三井ビル」(通称「東レビル」)が、街ゆく人たちのために素敵な“プレゼント”をくれました。毎年この日のためにあれこれ考えてくれるこのビルの人たちは、きっといい人たちばかりなんだなぁ…と思っています(ちなみに、去年のクリスマスの同じ「東レビル」の写真です。撮ったのは反対方向からですが…)。 そんな「中之島三井ビル」のテナントの優しい人たちに、心からの感謝の気持ちを込めながら、皆さんにもメリー・クリスマス!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/12/25
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1日に2つ日記をブログで書くのはおそらく初めてなんですが、早めに書いておかなければならない嬉しいことがありました。昨日(4日)土曜の午後、大阪梅田の阪急百貨店の「英国フェア」(開催期間は1日~7日)を覗いてきました。 阪急の「英国フェア」は最近では10月恒例の催し物になっていて、ウイスキーや食品関係、ネクタイや雑貨、アンティークグラスなどの掘り出し物に時々出会うのが嬉しくて、毎年必ずお邪魔しています。 ほんとは1日の初日に行きたかったのですが、個人的な用事があれこれと重なって今年は4日目になってしまいました。この英国フェアの名物の1つが、スコットランドの有名ホテルのバーテンダーが出張して開催されるバー・コーナーです。 美味しいスコッチモルトが格安で飲めるので、いつも楽しみにしているのですが、残念ながらまだ昼間なのであまりたくさんは飲めません(とくに僕は顔に出るので…)。そのバー・コーナーの周辺をうろうろしていると、「よっ、Aさん!」と僕に声をかける男性がいました。 な、なんと、昨年末で大阪ミナミのBarをたたんで郷里の広島へ帰られ、一転して農業に精を出しているMさんです。Mさんはかつて所属していたNBA(日本バーテンダー協会)大阪中央支部の大会が日曜に開催されるため、久々に来阪したついでにこの英国フェアに寄ったのだそうです。 「いやー久しぶり! お元気そうでなにより」と挨拶をし、近況を聞くなどして再会を喜んだ後、Mさんから「夜、Bar・Cへ行くつもりなんですが、来ませんか?」と誘われました。「う~ん、どうしようかなぁ…、もし行けたらね…」(土曜日だしなぁ…)と曖昧な返事をして別れたのです。 でも、なんとなく後ろ髪を引かれて家に帰った後、Mさんと偶然再会し、夜誘われたことを連れ合いに話すと、「行きたいんやったら、行ったらええのに」と背中を押す嬉しい一言。で、家で晩飯を食べた後、再びそのBar・C(写真右上)へ向かいました。 しかし、馬鹿な僕は、いったい何時頃来るのか、Mさんに聞くのを忘れました。Mさんは今どき珍しい人ですが、携帯電話を持っていません。とり急ぎ8時少し前にBar・Cにたどり着いた僕は、店から、Mさんが「C」に来る前に立ち寄りそうな(彼が旧知の)Barにあちこち電話して、連絡をとろうとしました。 しかし、どこにかけてもMさんは現れていないとのこと。これはもう、「C」に必ず来ることを信じて待つしかないと思って、カウンターでゆっくりとモルトを味わっていました。そして待つこと約1時間余。「C」のドアが開き、ついにMさんが奥様と一緒に現れました。 その時の僕の気持ちと言ったら、「やったー! 信じて待って良かった!」と、天にも昇るような気分でした。郷里に帰る直前に結婚された素敵な奥様とは初対面でしたが、話好きで、ユーモアのセンスも抜群で、とても気さくな方でした。聞けば、大阪出身とのこと。同じ関西人の僕とすぐに波長が合うはずです(写真左=Mさんご夫妻と一緒に記念写真!)。 僕らはその後カウンターに並んで座り、2時間ほどご一緒しました。あいにく「C」のマスターはこの夜、出張でのお仕事が入って、店は弟子でもあるFさんとヘルプのTさんという女性コンビで切り回していましたが、最近貫禄と余裕の出てきたFさんは立派に満員の客をさばいていましたぞ。 Mさんはコメづくりはもちろん、野菜もたくさんの種類を栽培されていて、初年度から全力投球しておられます。無農薬栽培に徹しているため、病害虫対策にいろいろと苦労されているようですが、確実に手応えはつかんでおられるようで、「近く産直販売も始めますので、ぜひよろしく」とのこと。Mさん、もちろん申し込みますよ! 連絡待ってまーす。 それにしても、「夜、ホタルが家に入ってくる」「上水道はなくて、井戸が水源」「(奥さんが持ってる)携帯の電波はドコモがようやく届くくらいで、auやソフトバンクはダメ」という中国山地の山あいでの農業は、他人には計り知れない苦労があると思いますが、今後とも頑張ってほしいと思うし、Mさんならきっと夢を実現できると信じています。 Mさん、偶然の出会い&お誘い、ほんとにめちゃ嬉しかったです。また近い内に再会できることを心から願っています。お元気でー!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/10/05
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猛暑の中の25日、ことしも日本三大祭の一つ、「天神祭」の花火見物に行ってまいりました。 もちろん、マイ・デジカメ&三脚持参で…。今年もしっかり花火(いいショット)を撮るぞー。 観覧場所は昨年と同じ、高層マンションの22階に住む友人宅です。打ち上げ場所のすぐそばという最高のロケーションです。 まず冷たいビールとシャンパンで景気を付けて。それから美味しいお弁当をいただき、夜7時半の打ち上げ開始を待つ。 で、打ち上げがスタート。9時までの1時間半で5000発が夜空を彩りました。トータルで撮った枚数は約100枚。 何回撮っても花火は難しいです。デジカメの「花火モード」で撮っても、やはりシャッターを押すタイミングがよく分かりません。打ち上げ音が聞こえるとほぼ同時にシャッターを押しても、うまく撮れている時と、そうでない時があります。 お恥ずかしいのですが、今回撮った写真の中で、比較的うまく写ったかなぁというのを何枚かをアップいたします(上の写真はなぜか、まるで上空のヘリから撮ったような幻想的な?1枚になりました)。去年の天神祭の日記での写真と比べて上手くなってるかどうかは、皆さんのご判断にお任せです。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/07/26
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◆最近の出来事を写真でつづってみました。 以前、4月3日付の日記で紹介した神戸・元町の「Bar Heaven」。 その正式なオープニング記念パーティーが4月30日にありました=写真左。 約50人の友人が集まり、マスターのTさんの親友でもある切り絵作家の成田一徹さんも東京から駆け付けてくれました。 成田氏からは開店を祝って、彼自身がお気に入りだという切り絵のプレゼントがありました。マンハッタンの夜景を背景に、ロックグラスを描いたとてもおしゃれな絵です。店に飾ると映えるでしょうね。 この夜のパーティーには、新聞社(A新聞)からも記者が来て、取材してくれました。記事は、5月2日付の夕刊社会面で大きく載りました=(写真左)。 「Bar Heaven」がこれから先、神戸だけでなく全国各地からのお客さんに愛されて、商売繁盛することを心から祈るばかりです。 4月7日に我が家へやって来た「はな」。もうすぐ1カ月です。もうすっかり我が家にも馴れて、くつろいでいます。 ソファーで寝るときもこんな感じです=写真右=(「はな」が寝ている膝掛けは「うらん」がお気に入りだったものです)。 以前、シャムとの混血の雑種と書きましたが、どうやら「バーマン」というビルマ原産種との混血らしいです。 食欲も旺盛で、元気満々。人なつっこさでは「うらん」以上かもしれません。ゴールデン・ウイークの2泊3日の旅行の間だけ、友人に預けます。おりこうさんでいておいてね。 3年目を迎えたバラづくり。今年もいまのところ、天候にも恵まれてスクスクと育っています=写真左上。 ことしはどの株も、つぼみの付きが良くて、丈も高いような気がします。それだけ順調ということでしょうか。 6種類(アプリコット・ネクター、芳純、アイスバーク、金閣、テキーラ、ブルー・ムーン)のなかで、一番先に咲いたのは芳純(写真左)でした。 あと2週間くらいすれば、花咲き乱れる見事な光景にお目にかかれます。楽しみです。 5月に入って我が家のサクランボも一気に色づいてきました=写真右。サクランボも、バラと同様、ことしは実の付きがいいようです。 ざっと数えたところ、推定300個は成っています。でも、ムクドリやヒヨドリが実が熟するのを今か今かと狙っています。 サクランボは一般的に、異種混合栽培でないと実が成りません。でも我が家のサクラは、1本(種)だけでサクランボが楽しめます。 このサクラ、ブログでもこれまで何度か書きましたが、単一種だけで自家結実する(=自然とサクランボが成る)「暖地桜桃」という珍しい品種なのです。 皆さんも、もし自宅にサクラを植えるならこの「暖地桜桃」がおすすめですよ。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】【追記】「あと2週間もすれば…」と書きましたが、ここ数日の陽気で我が家のバラたちは1週間も経たずに次々と咲き始めました。嬉しいなぁ…(写真下=5月7日現在の様子)。
2008/05/03
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「うらん」の四十九日を終えてもう2週間になりますが、ペットロスに陥っているかもしれないと心配した知人が「新しい猫の心当たりがあるんだけど、飼わないか」という提案をしてくれました。 四十九日を終えた後は、いずれ新しい猫をまた飼おうと思っていたので、その話は願ったり叶ったりでした。「うらん」を忘れることはできないけれど、気持ちは前を向いていかないといけないと思っています。 知人が紹介してくれるという猫は、彼が住む家の近所の公団の団地にいるノラで、その団地のおばあさんがいつもエサをあげていました。 知人夫婦が散歩途中に、そのおばあさんが「近く引っ越すので、私はもう世話ができない。きちんと飼ってくれる人いないかなぁ」と言うのを聞いて、我が家に声をかけてくれました。 次の猫を飼う時も、ペットショップで売っているような血統書付きの猫ではなく、身寄りのない、かわいそうな猫を飼うことに決めていました。 そして、そのおばあさんと知人夫婦が一緒に保護してくれた猫は月曜日(7日)に我が家にやってきました。写真を見てもわかるように、シャムの混じった雑種(♀)で、目はブルー。生後推定9カ月ということです。 でもタヌキかアライグマのような愛嬌たっぷりの顔をしています。一目見て気に入りました。そして、サクラの咲く季節にやって来たこともあって、「はな」と名付けました。 「はな」はよく見ると分かりますが、右の耳の先が少しありません。きっと他の猫とケンカをして噛みちぎられたのかもしれません。でも、そんなことは僕らは気にしません。それも含めて「はな」の魅力だと思っています。 我が家に来て6日経ちました。最初の2日間はとても警戒していた「はな」ですが、もうかなり安心してようで、かなりなついてくれるようになりました。エサもしっかり食べて走り回っています。 どんなペット(猫)と出会うかは、僕は「縁」のようなものだと思っています。だから出会いの「縁」は大切にしようと思っています。亡くなった「うらん」も「かんろ」も「縁」があってこそ出会った猫でした。 「はな」との「縁」もだから運命のようなものと思っています。「縁」を導いてくれた知人夫婦、そしておばあちゃん、そして何よりも我が家にやって来てくれた「はな」に感謝したいと思います。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/04/12
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プライベートな日記で申し訳ありません。僕のハンドルネーム「うらんかんろ」の由来にもなっていた愛猫のうらん(♀)今朝2月10日午前2時、天国へ旅立ちました。12歳と3カ月でした。 うらんは週の初めから腎機能の低下で体調を崩し、かかりつけの獣医さんに入院するなどあれこれ治療の手を尽くしましたが、腎不全から来る尿毒症が悪化。最期は、「自宅で看取ってあげてください」という獣医さんの勧めで連れて帰って2日半一緒に過ごしました。最期の夜は一緒に寝て、僕と連れ合いのふとんの中に抱かれて安らかに旅立っていきました。 うらんは、母親が阪神大震災の被災猫で、その3匹の子のうち唯一の雌猫でした。大阪で開かれた里親募集の集いで、僕が一目惚れして、生後2カ月半で我が家にやってくることになりました。以来、うらんは常に我が家のアイドルであり、中心的存在でした。 この12年間、うらんは一日も欠かさず、我が家に明るさと癒しを与え続けてくれました。いたずらだけど、人なつっこくて憎めない、ほんとに可愛い猫でした。病気らしい病気はこれまでほとんどしなかったので、僕と連れ合いは、「うらんはきっと20歳くらいまでは大丈夫だよね」と言っていました。 腎機能がこんなに急激に悪化するとは想像もできませんでした。人間と同様、腎不全には決定的な治療法はありません。いかに進行を遅らせるかが治療の中心です。加えて猫は腎機能が悪化しても、人間とは違って、人工透析に通ったり腎臓移植をしたりはできません。 猫の腎不全にも、早期に発見できれば進行を遅らせる薬はありますが、外見的症状だけでは早期発見が難しくて、猫には致命的な病気の一つといいます(血液検査で腎機能のマーカーが異常な値が出た時点では、すでに腎機能の75%が失われているそうです)。 我が家としては、毎年のワクチン接種は欠かさず、健康にも気を遣い、至れり尽くせりの世話をしてきたつもりでした。ことしのお正月も元気で迎えたので、今でも信じられない気持ちで、悲しくて悲しくて残念でなりません。 「お腹がすいたよう」とご飯をねだるうらん、「散歩に行こうよ」と玄関で鳴くうらん、「一緒にお風呂に入れてよー」と扉を叩くうらん、壁で爪とぎをして怒られるうらん、夜いつもソファに座っているとひざに乗ってくるうらん、暖かな日射しの中、出窓でまどろむうらん、もうそんな姿を見ることは永遠にできません。今はただ、大きな喪失感に心身ともに打ちのめされています。 この場をかりて、生前のうらんを愛してくださった皆さまに心から御礼申し上げます(実際にうらんに会ったブログの友人の方も何人もいらっしゃいます)。今は、4年前に先に旅立った「かんろ」と、天国で仲良く遊んでくれていると信じています。有難うございました。 PS.当分はブログを更新する気力がありません。しばらくお休みすることをお許しください。
2008/02/10
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楽天ブログの友人の皆さま、明けましておめでとうございます。新年はいかがお過ごしでしょうか?(うらんかんろは、元日に自宅で友人らとお酒を飲み過ぎて、きょうは少々二日酔いの朝です(笑)) 昨年は何かとお世話になり、有難うございました。本年も、4年目に突入した「酒とピアノとエトセトラ」を、以前と同様のマイペースで続けていくつもりですので、相変わりませぬ叱咤・激励の程を何卒よろしくお願い申し上げます。 2008年が皆さまにとっても、どうか良き年でありますように!うらんかんろ
2008/01/02
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2007年もあと1時間半ほどで暮れていきます(紅白を横目で見ながら、コレ書いてます)。楽天ブログの友人の皆さま、今年もほんとにいろいろとお世話になりました(初めて訪問していただいた方は、有難うございます)。 思えば楽天ブログを始めたのは04年11月。今年はめでたく3周年を迎えることができました。訪れてくれる皆さまに、この場をかりて改めて心から感謝いたします。 ブログをやってきて一番幸せだったと思うことは、普通に人生を送っていたらおそらく出会うことのなかったような人たちと、両手いっぱいでも余るほど知り合えたことです。 これからあと何年ブログが続けられるかは分かりません。突然、やめざるを得ないような状況に追い込まれるかもしれません。それまでは、まだ見ぬ人たちとの出逢いを、楽しみにしてブログ(日記)を綴っていきたいと思います。 来年も変わらずよろしくお願いいたします。それでは、皆さま、どうか良いお年をお迎えください!
2007/12/31
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メリー・クリスマス! クリスマスの夜、皆さんはいかがお過ごしでしたか? 僕は夕方、BARにちょっと寄ろうと思いつつ、会社を出ました。 すると、勤め帰りの人たちの多くが、ある高層ビルの方向を見上げています。会社の近くにある「中之島三井ビル」(通称「東レビル」)です。そのビルは、たくさんの窓を使って、遊び心いっぱいの、素敵な演出(ディスプレー)をしてくれていました(協力してくれたビルのテナントの皆さんにも感謝です!)。 その後、BARに行って、僕がデジカメで撮ったこの写真を見ながら、マスターや従業員の方々と今年1年を、あれこれと振り返りました。 忙しかった一年も、もうあと1週間足らずで暮れようとしています。来年はどんな一年になるのでしょうか。地球上の、あらゆる地域が、戦争と貧困から解放される一年でありますように! 皆さんにとっても、心豊かで、幸福な一年でありますように!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/12/25
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ブログをしばらく小休止しているので、少々お恥ずかしいのですが、きょう28日でうらんかんろのブログ「酒とピアノとエトセトラ」はめでたく(?)開設3周年を迎えることができました。 きょうまで書き綴ってきた日記は410件。アクセス数も14万5千を超えて、もうすぐ15万の大台も現実のものとなってきました(もっとも、アクセス数を増やすことが目標でもないので、アクセスの多い少ないはほとんど気にしないのですが…)。 とにもかくにも、生来ずぼらな僕がここまで続けて来られたのは、ブログを訪れてくださり、感想や温かい励ましなどのコメントをしてくださる皆様方のおかげだだと思っています。改めて厚く、厚く御礼申し上げます。 最近は、ネタ枯れに加えて、プライベートな事情で多忙を極めていたこともあって、日記をずっとさぼって参りました(更新しなければというプレッシャーがないことがこんなに楽だとは…(笑))。 酒やBARや音楽などのネタの仕込みが一段落いたしましたら、再びぼちぼちと日記を記していきたいと思っております。今後とも、末永くどうか宜しくお願いいたしまーす。 末筆ながら、日ごと寒さも募るこの頃です。皆様、風邪などひかれぬようにお身体を大切にされ、元気でクリスマスと新年を迎えられるように、心よりお祈りいたします。
2007/11/28
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すみませーん。今回はデジカメ写真が主役の日記です。お許しくださーい。25日(水)は「なにわの夏の風物詩」として有名な天神祭があり、100万人を超える見物客が大阪市中心部の大川沿いに集まりました。 2年前の日記でも一度ブログで書いたのですが、この日は毎年夕刻から、飾り船によるパレード「船渡御(ふなとぎょ)」や「奉納大花火大会」が開かれます(写真左=すみません。この写真だけは祭全体の雰囲気を知ってもらいための借り物でーす。(C )朝日新聞)。 一昨年、「うちのマンションのベランダから、ビールでも飲みながら一緒に花火を見ようよ」と誘われた友人から、今年また嬉しいお誘いを受けて、夕方からお邪魔してきました。 この友人宅で、美味しいビール&弁当をいただきながら見る花火は、もう最高のエンターテインメントです! 友人のマンションは、花火のメーン会場近くの桜宮というところにあります(写真右=この夜のベスト・ショットと僕が思う1枚)。 しかも高層マンションで、20階以上のフロア。ちょうど打ち上げ場の一つが川を挟んで反対側にあるというベスト・ポジションです。 何たる幸運! 2年前に初めて訪れた際も、僕だけでなく全員がそのド迫力に大感激しました。 天神祭の花火は、約5千発も打ち上げられるということです(関西ではPLの花火に次いで多いのかな?)。 一昨年もカメラを持ってでかけたのですが、準備不足もあって、写真は散々な結果でした。 今年はリベンジということで、事前にキヤノンIXY800の説明書もきちんと読んで行きました(写真左=「夜空で見たまま」を撮るというのはほんと難しい)。 キヤノンIXY800には「花火撮影モード」というのがあります。このモードにしておけば簡単に撮れるはずでした。 しかし、そうは問屋が卸しません。スロー・シャッターだから普通に撮れば手ぶれを起こします。 シャッターが4~5秒開放状態です。手ぶれを防ぐためには三脚が必要です。 もちろん三脚持参で行きました。三脚さえあって、スロー・シャッターなら何とかなるだろうと…。 しかし、三脚を目一杯伸ばした高さは約110cm。ベランダの手すりの高さは120cmくらい(写真右=この迫力が伝わればなぁ…)。 あー、ちょっと足りない。結局三脚を付けたままのカメラを手で持ち、ベランダの手すりにしっかり押しつけるような感じで…。 撮りました、撮りました。花火が上がるたびにシャッターを押した回数は、おそらくは200回以上。 「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」とはまさにこういうのを言うんでしょうね(笑)。 デジカメだから撮ってすぐに確認して、失敗だったらすぐ消去して…。そんな作業を繰り返しました。 で、最終的になんとか、少しましに撮れたのは約40枚弱。打率2割という感じです。プロのカメラマンはやはり尊敬します。 何と言っても難しいと思ったのは、シャッター・ボタンを押すタイミング。 打ち上げた瞬間か、打ち上がって花が開く直前か…(写真左=こんな芸術的な(?)写真も撮れました(笑))。 何回撮っても、その辺りのタイミングがよく分かりませんでした。やはり、デジカメとは言ってもコツをつかむまでには年季が要るんでしょうね。 でも2年前と比べたら、かなり上手く撮れたと思うんですが、どうでしょう? 久里風さん、ご要望とあって、1枚追加いたしましたよ。 この夜は、花火を見ながらシャンペン3本を開け、ビールも飲んで、友人の知り合いという割烹屋さんから特別のお弁当(写真右=なんと超有名タレントが大阪ミナミで経営する割烹屋さんと屋号がまったく同じ。でも別の店とか)も堪能しました。おかずが一杯で、旨かった! 素晴らしい花火と出会う機会と最高のひとときを与えてくれた友人夫妻に、改めて感謝でーす。本当に有難うございました!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/07/27
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一昨日(1日)から我が家はADSLから光回線(フレッツ光プレミアム)に切り替わりました(電話も「ひかり電話」になりました)。 屋外工事は近所の25mほど先の電信柱から電線に沿って光ケーブルを引っ張ってくる(高所作業車も登場!)、結構大がかりなものでした。 屋内工事は、光ケーブルを電話口から屋外の電話線取り出し口まで敷設するのですが、電話線類を通すための壁裏の配管が家庭用の小さな口径(当たり前!)なのでNTTの人も苦労していました(最終的には上手くいきましたが…)。 で、「光」に変わったパソコンは、画面上で見る限り、ちょっと速くなったかなぁという程度。「変えて良かった」という実感(恩恵)はまだありません(少々拍子抜けです)(写真左=「フレッツ光プレミアム」のテレビCM。長澤まさみちゃんが出ていますね。 (C ) NTT西日本HPから ) それはともかく、これまでうちで使っていたFAX専用機が「光回線に対応していない」ということで、使えなくなりました(94年以来13年間使ってきたのに…。ほんとにご苦労様)。という訳で、我が家のFAXは当分、ありません。 「ヨドバシで(光対応の)新しいFAXと買い換えようか」という僕に対して、連れ合いは「なくてすぐ困るものでもないし、ボーナスまで待ったら」と言います。逆らうと、また面倒なので、あと1~2カ月、FAXなしの生活です。 それにしても、「光」への切り替えを電話で勧めてきたのはなぜかプロバイダーで、NTTではありませんでした。たぶん、NTTから何か「キックバック」があるのでしょうね。 ちなみに切り替え工事費は、光プレミアムが約7000円(21000円割引き!)と「ひかり電話」の約3000円と合わせると約1万円。月額の光プレミアム利用料は4カ月間無料+さらに7カ月間1050円割引、1年後からは月々4,515円(消費税込み)です。 「ひかり電話」の基本料(ADSL時代の1785円が525円に!)と合わせると、総費用は約5000円、ADSL時代よりは800円ほどアップするということです(ただし、ひかり電話の通話料は全国一律3分8.4円という嬉しいメリットも)。 さて、5月以降の請求書はどうなっているでしょうか、見るのはちょっと怖いような気もしますが、ちょっぴり楽しみ(?)です。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/03
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皆さま、明けましておめでとうございます。正月三が日は、つつがなくお過ごしでしょうか? 年が明けても、相変わらず異常気象が続いていますね。ほんとに暖かい正月です。冬らしく、正月らしくありません。 きょう3日は(関西地方の話ですが)最高気温が20度近くになった所もあったとのこと。おかげで、我が家のバラ(「芳純」という品種です)も、本来ならこんな時期に咲かないはずなのに、真冬の狂い咲きです(写真右)。 さて、我が家の元日は、前回のブログでも記したように、お昼過ぎから友人夫婦らが次々と訪れてのにぎやかな一日でした(ただ、来訪の予定だったメンバーのうち3人が体調不良のため、ドタキャンとなってしまい残念でしたが…)。 まぁ、それでも10人近いメンバーが集まったので、おせち(写真左)も相当たいらげて、お酒も、シャンパンやワイン、日本酒、ビールなどが次々と開いていきました。 おせちの中身(メニュー)は、だいたい毎年同じで、皆さんの家庭ともそう変わらないと思います(量はちょっと多めかもしれませんが…)。 紅白のかまぼこ、伊達巻、揚げ巻、カズノコ、タイの塩焼き、エビの漬け焼き、タチウオのきずし、平目の昆布じめ、穴子の八幡巻、鴨の有馬焼(山椒を使った照り焼きです)、野菜のお煮しめ、モロコの煮物、紅白なます、ゴマメ、栗きんとん等々…(唯一、「昆布巻き」は誰もあまり好きじゃないので入れません)。 珍しいのは、我が家では柚子をくりぬいた中に糸クラゲと明太子を和えた酢の物を必ず人数分だけつくることです(糸クラゲは神戸の中華街でしか売っていないので早めに買っておきます)。 また、黒豆は京都・錦市場で買った丹波産の上質の黒豆を電気鍋で約24時間炊いた、こだわりの品です。今年は「しわもなく綺麗に炊けてる! 味も旨い!」と評判も上々でした。 おせちの中身はともかく、シャンパンで乾杯をした後、この日のためのとっておきのワインを2本開けました。 1本は「シャトー・ラトゥール92年」(写真右)、もう1本は友人夫婦が、フランス土産で持ってきてくれた南仏ラングドック地方のワイン「マス・デス・コス(Mas des costes)」=写真左下=(まだ日本には未輸入だとか!)。 前者は言わずと知れた、ボルドーの「格付け一級」ワイン。深い色合い、豊かな果実香、凝縮された複雑な味わいはほぼ期待通りでしたが、ワインに詳しい友人の寸評では、「まだ少し早かったかも…」。 92年とあって、「ちょうど飲み頃かなぁ」と思っていた僕でしたが、開栓したからには、もう「後悔なし!」です。 後者は、ラングドック地方の「ドメーヌ・オ・リルゥー」というワイン農園の赤ワイン(2003年もの)です。持ってきたくれた友人の奥さんは、ここのジャン・ピエール・ランビエさんという社長と知り合いで、特別に譲ってもらったという話です。 ふくよかな果実香で、飲みやすいミディアム・タイプ(品種はメルローやシラーが中心なのかなぁ?)。少し誉めすぎかもしれませんが、ラトゥールに負けないくらいのバランスの良さ! 日本にはまだお目見えしていないけれど、フランス国内ではとても評価の高いワインだということです。そんなワインがいち早く飲めるなんて、ほんと嬉しいですね。 おせちをひとしきり食べて休憩した後、夕方からは金沢・近江町市場直送のズワイカニ3杯を使った「カニ鍋」で、第二ラウンド!。そんなこんなで楽しく飲み、食べ、歌い、元日の夜は更けていくのでした。 正月早々、プライベートな、あまり中身のない日記にお付き合いいただき、有難うございました!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/01/03
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大晦日。関西地方はおだやかな天気です。皆さまはいかがお過ごしでしょうか? 家の中の片付けは終わりましたか? おせちの準備は万全でしょうか。 さて、ことし一年、うらんかんろのブログを訪問してくださった皆さま、有難うございました。とくに、共感や励ましの温かいコメントをくださったブログの友人の皆さんには、改めて心から感謝を申し上げます。 開設2年が過ぎ、10万ヒットの節目も通過して、3年目を走っています。3年目は原則「中3日」のペースにスローダウンしておりますが、どうか来年も何卒よろしくお願いいたします。 我が家にはあす元日午後から、家族のほかに4組(ひょっとして5組?)の友人夫婦らが訪れて来て、飲めや歌えや(?)の大宴会となる予定です(総勢10数人!)。 昨年の正月は前年に義父が亡くなったため喪中だったので、、ことしはにぎやかな1年のスタートになりそうです(おせちの準備も、たぶん万全?! 手作りの「正月飾り」=写真=も作りました)。 相次ぐいじめ、子どもの自殺、ホームレス殺人、耐震強度偽装、談合3知事の逮捕等々…暗い、不愉快なニュースばかりが目立った2006年。来る年には、とにかく明るいニュースを届けてよと願うばかりです。 皆さまと皆さまの家族にも、穏やかで幸(さち)多い1年でありますように!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/12/31
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ブログの友人、ステラビアさんから「年末にぴったりバトン」(?)をいただきました♪ でも結構難しい質問ばかり…。う~ん、答えるのが大変(笑) ◆2006年は、貴方にとってどんな一年でしたか? 第二の人生での生きる道(=夢)を、たとえ成功する保証がなくても、「絶対にやるぞ」と決心した1年でした。70歳、80歳になって、あのときこうしとけば良かったとはもう後悔したくないので…。 会社に出した「自己申告書」(年1回提出します)でも、再雇用を「希望しない」と書いて、自分の心の中では「退路」を断ちました。 ◆仕事/学業はどうでしたか? 来年はどうしたい? 仕事はまずまず順調でした。新しい職場も2年目に入り、結構思い通りできる部分も増えてきて、自分の「色」を出せるようになってきたかなぁと思っています。 学業は? いかん、いかん、「やり直し」を誓ったイタリア語、少しなまけてますねー。 ◆では、恋愛は? 叶わぬ恋なら、いくつもしました(笑)。来年はね…、いかんいかん、これ以上書いたら大変なことになってしまう(笑)。 ◆今年の一番大きな買い物は何? アンティ-クのカクテル・グラス。*万円也! アンティ-ク・グラスって、気に入ると、つい衝動買いしてしまうんですよね。墓場まで一緒に持っていけないことが分かっているのに…。男って、バカですよねー。 僕が死んだら、「持っているアンティーク・グラスのコレクションはすべて、親切にしてくれた何人かのバーテンダーに差し上げます」って、遺言書にはもう記しています。 ◆もうすぐクリスマスですが…予定は? 予定は未定です(笑)。でもきっと、どこかのBARで飲んでるか、「M」でセッションしているかでしょうね(^_^)v ◆年末ジャンボで100,000円当たりました。 何に使う? 10万円ですかぁ…、僕も現実的な金額に悩んでしまいます(笑) ちょっと勇気がなければ買えないモルト・ウイスキーかワインを買うでしょうね。 ◆どこで新年を迎える? 新年はだいたいいつも家で迎えます。いつもは大晦日、泊まりがけで遊びに来る友人夫婦と一緒にカウントダウンしてシャンパンで乾杯するのが恒例になっているですが、今年は一日遅れの元日に集合することになりました(だから、きっと家で飲んだくれながらの静かな年越しでしょうね)。 ◆年賀状はもう書いた? 何枚位出す? パソコン&プリンターで印刷はしましたが、まだ書いていません。次の週末に一気に書くつもり…。 惰性かもしれませんが、数は最少限に絞ってはいるけれど、毎年書いてしまいます。仕事関係も含めたら、なんと約400枚も…、はっきり言って疲れます。 ◆今年、一番楽しかったことや嬉しかったことは? ブログももちろんですが、今年もいろんな出逢いや再会があったこと。僕の将来への思いを理解してくれる友人と、素敵な思い出をつくることもできました。 ◆2006年の三大事件(自分のこと、世の中のこと何でも可) ☆新しい「家族」が増えることになった(さて誰のことでしょう?) ☆もう亡くなったと思っていた元BAR「Sunshine」のマスターと17年ぶりに再会できた & もうなくなったと思っていたBAR(「Charlie Brown」)がまだ健在で、その店を引き継いだマスター(故人)の奥さんと出逢えた。 ☆難しいバラの栽培に挑んだ(1種類は枯らしたので、まだ完全に成功したとは言えないけど…) ◆このバトンを回す人 強制するのはいやなので、お名前はあげませんので、よかったらご自分で書いてみてくださーい。Bさん、Jさん、Nさん、Kさん、Yさん、Mさん、Pさん、Hさん、Aさん、Iさん、Wさん、Eさん、Uさん…。 ◆お疲れ様でした。良いお年を。最後に来年の抱負をどうぞ 僕もステラビアさんと同じです。今やらなければならないことに頑張りつつ、将来の夢のために、真面目に少し準備も始めてみようと思っています。 そして、遊びももちろん、できる範囲で全力投球で。国内外の未知の土地のBARに足を踏み入れたい。ピアノももっと真剣に練習したい(ジャズのレパートリー増やすぞー)。イタリア語ももう一度まじめに取り組みたい(えっ、夢が多すぎるって?)。時間がいくらあっても足りないなぁ…。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/12/21
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きょう11月28日で、ブログ開設2周年を迎えた。2年間で書いた日記は本日分も含めて322件。我ながら、よくもここまで続いたと思う。 元来マメな性格だったことは事実だ。でも一方で、熱しやすく冷めやすいという自己分析も当たっている。多趣味と言われるけれど、広げすぎるとやはり無理が出る。バラづくりまで始めた今年は、さすがに少し忙しかった。 そんな僕が2年間も一つのことを完遂できたのはやはり、ブログを訪れ、共感や励ましの書き込みをしてくださった皆さんのおかげだと、心底思う。 2年間を振り返って、一番良かったと思うのは、1周年の時も書いたことだが、普通に人生を送っていただけでは一生、絶対実現することのなかった出逢いが、ブログという世界で現実のものとなったということ。 単に自分の足だけでBAR巡りをしていては、あり得なかった素晴らしい出逢いもあった。音楽仲間の輪も広がった。自分自身の音楽的バックグラウンドもこの2年でかなり豊かなになったような気もする。 3年目を迎え、新たな展開はとくに考えていない。今まで通り、マイペースで書いていくだけ。ただ、中身についてはプロの方も納得させられるような内容でありたい。ネットの世界で発信するからには責任が伴う。 BAR案内は、いずれは何らかの形でまとめたいと思っている。それまでは、日本全国のまだ見ぬ素敵なBARをあちこち訪ね歩きたい。 ブログは、とりあえずは5年が目標だ。それから先のことは考えていない。マイペースを貫くために、さらなるペースダウンを考えている。3年目からは、中2日のペースを中3日にしたいと思う。どうか容赦を。そして、乞い願わくは、引き続き変わらぬお付き合いを。皆さまに重ねて感謝!
2006/11/28
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きょうは極めてプライベートなことを綴ります。すみません。 愛しのペットだった「かんろ」(写真左)が天国へ旅立って、きょうでまる2年。 いわゆる「三回忌」になります。ついこの間のことのような気がするのに、 歳月は、無常に早く過ぎてゆきます(一緒に過ごした日々の記憶は今もしっかりあるのに…)。 ブログでの僕のハンドルネーム「うらんかんろ」も、ご想像の通り、 この「かんろ」ともう一匹の猫「うらん」(こちらは健在です)からきています。 かんろは、1998年春に隣の家に迷い込んできた雌のノラちゃんでした。 隣の家の人は、すでに猫(うらん)を飼っていた我が家に相談に来ました。「うちには犬がいるから駄目だし、保健所に連絡した方がいいかしら…」と。 けれど、あなたの顔を一目見た連れ合いが、「我が家に引き取ってあげよう」と言いました。僕も、「淋しがりやのうらんのいい友だちになれるかもしれないなぁ」と思いました。 「いい友だちになる」ということは僕らの期待通りにはうまくいきませんでしたが、 それでも2匹の猫はそれなりに仲良く、我が家で“共存”していました。 我が家に来たときは毛並みがぼろぼろだった「かんろ」でしたが、 毎日丁寧にブラッシングしてあげた効果もあって、そのうちつやつやの毛並みになりましたね。 しかし元々ノラ育ちだったこともあって、あなたの人間に対する警戒心は、最初なかなか解けませんでした(写真右上=暖かい窓辺でまどろむ「かんろ」)。 タンスの上に上がったまま、しばらく降りてきませんでしたね。あなたを抱っこしようとして、何度爪でひっかかれたり、猫パンチを食らわされたりしたことでしょう。 でも、歳月が経つうちにあなたの警戒心は徐々に和らいで、そのうち膝の上に乗ってくるようにもなりました。 大好きだったサンマの干物も、手渡しで喜んで食べてくれるようになりましたね。 冬の夜は、人間が使うひざかけの上で寝るのが好きでしたね(写真左=大好きだった椅子の上で。椅子は今もそのままです。)。 しかし、一昨年のきょう。夏頃から得た病のために、治療の甲斐無く、あなたは眠るように天国へ旅立っていきました。10月7日の早朝でした。 ノラ育ちが故、年齢は不詳でしたが、お医者さんは歯を見て「14歳くらいかなぁ…」と言っていたので、高齢だったことは確かです。 あなたに精一杯のことが出来たかどうか、あなたが我が家に来て本当に幸せだったのかどうか、今でも自信はありません(あなたと話が出来て、心の内が聞けたらどんなに楽しかったでしょうか)。 でも、あなたは約7年間、僕ら家族にすばらしい時間と優しさをくれました。本当に、本当に有難う。今ごろは、天国で元気に遊んでいるんでしょうね。何年経っても、「かんろ」はずっと僕らの心の中で生き続けていますよ。
2006/10/07
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デジカメを買い換えて3カ月(キヤノンIXY800です)。 相変わらず、オンでもオフでもデジカメをよく活用しております。 そこで、ここ1カ月くらいの間に撮った中で、 印象に残ったショットを何枚かご紹介--。 会社帰りの中之島、夕立ちが上がった後、 西の空を見ると、息を呑むほどの夕景でした。 沈む夕陽をバックにシルエットになる高層ビルと高速道路…。 都会ならではの構図。そして、おそらくこれほど綺麗な夕景は、 1年に数度あるかないか…。思わず、カメラを取り出し1枚。 久々に見に行った甲子園での阪神・巨人戦。ただしこれは7月19日の試合です。 阪神ファン恒例の7回の風船飛ばしの光景。 資源を無駄遣いし、ゴミをまき散らすだけという気も少しするけれど、 5万人が一度にやるとさすがに壮観です。 この日は勝ったので、ゲームセットの瞬間にもう一度風船を飛ばしができました。 毎度毎度の「バラネタ」ですみません。 8月初めに撮った「芳純」です。 今年のバラは、「3番花」までが終わって、 次は、秋の「4番花」まで、しばしのお休み。 「4番花」がシーズン最後の開花と聞いています。 花の種類はたくさんありますが、 バラはやはり花の女王です。 サクラやアジサイとともに、僕にとっての「3大美花」です。 被写体としても、この3つに勝る花はそうないでしょう。 来年もしっかり咲かせたいです。 階段で気持ちよく熟睡している「うらん」です。寝ている姿も、愛らしくアピール。 人間はこんな格好で寝られませんが、ネコはよくこういう寝姿をします。 うらんは今年11月が来ると、11歳。お母さんは阪神大震災の被災ネコでした。 3匹のきょうだいは、それぞれ別の家にもらわれていきました。 今も元気なのはそのうち、うらんも含めて2匹です。 うらんは、大震災がなければ、我が家にやってきませんでした。ほかの震災で被災したイヌ、ネコたちはどうしてるんでしょうか…。大震災は人間だけでなく、動物たちの運命も変えてしまいました。 これも会社帰りの1枚。お盆のさなかの14日。 冷た~いハイボールでも飲みたいなぁと、 馴染みのBARへ足を向けました。 嫌な予感が的中。やはりお休みでした。 店の前でさて、これからどこへ向かおうかと、 思案しながら、ふと上を見上げると、 以前はなかったお店の看板が。 「オイシイ オサケ」。何というわかりやすいキャッチ・コピー! レトロなデザインの看板もいいけれど、このコピーのセンスに脱帽です。 また来たくなりました。マスター、また寄るからねー。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/08/28
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昨日15日は62回目の「終戦の日」だった。戦後生まれの僕には、当然戦争体験はない。小学校低学年時代、給食に牛乳が出ることはなく、(美味しいとは思えぬ)脱脂粉乳だったが、今思えば終戦後の食糧難の名残りだったのかもしれない。 母からは昔、戦時中や終戦直後の苦労話をよく聞かされた。滋賀県の農家に野菜を分けてもらうため、反物を背負って買い出しに行ったこと…等々。 そう言えば、60年代初め頃はまだ、大阪の街のターミナルでは、傷痍軍人の姿をした人たちが物乞いをしていた。亡き父も陸軍兵士としてフィリピン戦線へ送られたが、幸い無事に帰還した。僕がこの世に在るのはそのおかげである。その意味では、亡き父には本当に感謝しなければならない。 あの戦争に対する思いはいろいろある。靖国問題やA級戦犯問題に対しても個人的意見はあるけれど。そういうことは、このブログでは書かない。僕のブログは、あくまでお酒とBAR巡りと音楽をメイン・テーマにした趣味のページ。だから、「政治」と「宗教」と「ブログを利用した個人的ビジネス」の話題はNGにしている。訪れる皆さんも、この点はどうかよろしくご理解ください。 ただ、終戦記念日には直接関係はないけれど、今回、一つだけ紹介したい場所がある。 関西以外の方はごめんなさいという話題(場所)だけれど…。 三宮駅前にある「神戸そごう」。1933年(昭和8年)に開業。神戸では大丸・神戸店と並ぶ老舗デパートである。しかし、95年、あの阪神大震災でともに全半壊に近い大きな被害を受けた。現在の両デパートは震災後建て替えられたものである。 そんな神戸そごうに、一つだけ「秘密の場所」がある。阪神・三宮駅改札口を南側から出て、そごう地下玄関方面へ向かう。玄関には入らず、もう10数m南へ歩くと、地上に出る階段がある。そこはそごうの建物の一部なのだが、近代的な建物の一部には似つかわしくないレトロな、意匠を凝らした階段。 実はこの階段は、創業当時の神戸そごうの姿を伝える唯一の場所。そこに来ると、まるでここだけ違う時間が流れているような不思議な気分になる。この階段は、米軍のあの神戸大空襲にも、阪神大震災にも耐え、今も普通に人々に利用されている。三宮には月に2度ほど行く僕だが、山側へ足を向けることの方が多いので、この階段は滅多に通らない。 しかし、時々思い出したようにこの階段を訪れる。そして、あの空襲時におそらくここに逃げ込んだ神戸の人たちのことに思いを馳せる。B29から次々落とされる焼夷弾で燃えさかる地上の焦熱地獄から逃げ込み、恐怖に耐えた人たちのことを…。 大震災後、神戸そごうを建て替えた際、この階段を残したのは経営者の素晴らしい英断だった(個人的には称賛を贈りたい)。阪神大震災で徹底的に破壊された神戸の街に、戦前の面影をしのぶ場所を探すのは難しい(それどころか震災そのものの爪痕も日々風化している)。 そんな神戸にあって、太平洋戦争と阪神大震災という2つの大きな惨禍に耐え抜いた、貴重な「証人」がここにはある。もし関西以外にお住まい皆さんで、神戸を訪れる機会があれば、ぜひ「神戸そごう」の地下から地上に出るこの階段を登ってみてほしい(関西在住の方でも、この「場所」をまだ知らない方はぜひ!) そして、あの神戸大空襲の恐怖に震えていた人たちのことや、阪神大震災で無念にも倒れた人たちのことに、わずかな時間でも思いを馳せてもらえたら、とても嬉しい。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/08/16
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いつも言っていることだけど、ブログは不思議な出逢いを取り持ってくれる。以前、大好きな(とくに内装の雰囲気が!)BARの話を書いた時(05年5月30日の日記)、早速書き込みをしてくれた方がいた。それが、そのBar「P」(当時の名前は「S」)の内装設計&デザインをされたご本人=「まがももさん」という方(しかも女性)だったからとても驚いた。 メールを頂き、そのBar「P」の内装についてのこだわりや、完成させるまでの苦労話をいろいろと教えてもらった。とくにナラの一枚板でつくられた素晴らしいカウンター。 「四国の製材所まで行って、何枚も何枚も、木の材質や木目を確認して、これはという一枚を選んだ」と綴られていた。 他にも、まがももさんは以前、趣味でゴスペルのコーラスをやっていて、歌を歌うことは大好きということも教えてもらった。「じゃぁ、いつか僕のホームグランドBarのM(写真左)で、歌伴させてください」。そんな“約束”が生まれた。 その後、そのBar「P」については、「最近、ナラのカウンターにひび割れが目立つので、補修すべきものかどうか、一度見に来てほしい」と僕個人としての心配を伝え、一緒に見に行きましょうという約束もした。 そして先週末、そんな二人の「約束」が実現する機会があった。梅田の小さなカウンターBarで待ち合わせ。そこには、まがももさんと建築設計事務所をしておられるご主人、さらにご主人の仕事仲間数人もいてすでに大賑わい。しかも、男性陣の一部は、かなり出来上がっていて、ハイテンション。 ご主人とはこのBarで何度か顔合わせしたことがあり、懇意だ。ユーモアにあふれて、会話が愉しい人だ。だが、この日はお仕事仲間との身内の話に夢中のようで、その中身も含めて僕はちょっと入っていけず、カウンターの端でしばし一人静かに飲む。 それはともかく一段落した後、今夜の計画(約束)をまがももさんと確認。ご主人の「僕はまだ予定があるから、二人で行っといで」という温かい言葉に送り出されて、まず、ピアノBar「M」へ。仕事帰りのまがももさんは少しお腹がすいているというので、「M」で近所の店(メキシコ料理店)からタコス&生ハムの出前を取る。 残念ながら、「M」にはゴスペル関係の楽譜や歌詞本がほとんどない。せいぜい「アメイジング・グレース」くらい。まがももさんも「私もコーラスやめて随分経って忘れたから、普通のポップスでいいですよ」と言ってくださり、取りあえず、誰もが知ってるポップスのスタンダード曲で歌伴に臨む。 「Your Song」「Honesty」「Close To You」「Desperade」「In My Life」「Stand by Me」「Tears In Heaven」「When A Man Loves A Woman」…(もっといっぱい歌ったかもしれないけれど、今取りあえず覚えているのは、これくらい)。 僕のピアノと初めてのお手合わせということで、マイクなしで控えめに歌っておられたが、それでも声はしっかりしていて、美しい(途中、「M」の歌姫、Sさんも「恋の予感」と「Piece Of My Wish」を披露)。3人で約2時間ほど楽しく歌って、お開きに。「きょうはぶっつけ本番だったけど、次回は気合いを入れて歌います」と、最後にまがももさんが強い決意表明。次回の歌伴が楽しみだ。 さて、Bar「M」を後にした僕らは、まがももさんが内装設計&デザインを手がけたBar「P」(写真右上&左下 (C) May.Co. )に向かう。「P」は大阪キタで最も猥雑で、デインジェラスなエリア、東通りの一角にある。しかし店内に入ると、そんな歓楽街の猥雑さや喧噪からはまったく無縁の、静かで落ち着いた空間が広がる。この「落差」が何とも言えないくらい、素晴らしい。 さて早速、マスターのNさんにまがももさんを紹介する。突然の来訪に一瞬驚いたような表情を見せたNさんだったが、そこは気さくで、軽いノリのキャラで知られたNさんのこと、すぐに僕らと打ち解けて話もはずんだ。 Nさんは、「前のオーナーからこの店を譲り受けるとき、『内装は手を加えず、このまま使うならお前に譲る』と言われました。僕も、自分がやっている限りこの内装は大事に守ります」と強い思い(決意)を語ってくれた(嬉しいお言葉!)。 まがももさんも、「もう11年にもなるのに、大事に使ってもらって、ほとんど変わっていないのが嬉しい」と応じた。 僕が心配したナラのカウンターのひび割れについても、現物を見たまがももさんは、「この程度なら大丈夫。(木が)ちゃんと呼吸しているから…」と専門家らしい判断を下し、しばらくは様子を見守ることになった。 「P」のあまりの居心地の良さに、僕らは約2時間近く居座ってそれぞれ3杯ずつ、二人で計6杯も飲んでしまった。「ヒマでヒマでもう大変ですわ。来月なったら、閉めてるかもしれませんよ。まじっすよ」と帰り際、冗談っぽく話したNさん。まぁ、そんな冗談が出るうちは大丈夫だろう。 Nさん頑張れ! 僕が心から愛する「P」のカウンター&内装をこれからもしっかり守ってねー。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/07/31
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誕生日のプレゼントに念願の新しいデジカメを買ってもらいました。去年の分を積み立てておいたので2年分の原資がありました。そこで、奮発して、買ったのは今売っているなかでは、最も新しいタイプの「Canon IXYデジタル800IS」(写真左)です。 テレビでは中田ヒデがCMをやっていますが、最新式の手ぶれ補正機能が付いています。暗いBARの店内とかで、ノーフラッシュで、しかも近接撮影することの多い僕としては、こういうデジカメが欲しかったのです。 縦9cm、横5.6cm、幅2.6cmというコンパクトなサイズで、600万画素。でも、重さは165gと、そんなに軽くはない。他のメーカーでは100gくらいのもっと軽いものもありますが、まぁ、このIXYも首から提げてもそう苦にならない程度の重さです。 ほかの特徴としては、このクラスでは最高の4倍ズーム。 35mmレンズで言えば、140mmレンズ相当までのアップが撮れるそうです(まだ使ったことないけど)。 接写は2cmまでOKだから、ボトルのラベルの細かい文字だって、これからは記録できるぞー。 で、お値段はというと、大阪・梅田のヨドバシカメラで47300円。オープン価格なのでこれが高いのか安いのか分かりませんが、ネット通販をしている家電ショップを見ると、実勢価格は4万円~5万円の間でした。 ただし、ヨドバシでは嬉しいことに、新製品なので何と15%(約7千円分)ものポイント還元がありました。ラッキー!。 メモリー・カードやPCカード、ネック・ストラップ、ソフトケースなど最低限の付属品加えて、6万円ほど。 一応予算内には収まりまって、ひと安心。それにしても、ヨドバシ梅田はいつも賑わっているなぁ…。 で、早速この「IXY800IS」で撮った写真(身近なものばかりで、すみません!)を、あれこれアップいたします(写真は、上から「我が家の花たちでつくったアレンジメント」、2番目は「押し花アート(連れ合い作)」、一番下は「我が家のバルコニーに造った坪庭」)。 パソコンで見ると、以前のデジカメ(同じCanon製の「パワー・ショット」=320万画素)との違いは、あまりわからないような気もします。 でも、液晶モニターで見比べると、やはり美しさは段違い。色も鮮やかで、くっきりしています(新製品だから当たり前か)?。 さぁ、「うらんかんろ」ブログ上での「IXY800IS」の活躍に、皆さま乞うご期待!こちらもぜひ見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/05/27
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脳梗塞で倒れ、救急車で運ばれたBar「M」のマスターNさんが入院している大阪市内の病院にお見舞いに行ってきました。 部屋を訪ねると、Nさんはなんとベッドに腰掛けて、昼ご飯を食べていました(点滴のチューブが腕に付いたままでしたが…)。 聞けば、左半身のマヒももうほとんどなく、歩くこともできるそうです。見た目は顔の左側が少し腫れているくらい。倒れて約1時間後に病院に着いたNさんは、すぐに、最新の脳梗塞治療薬の点滴を受けたといいます。 この新薬は、(1)以前に脳梗塞を患ったことがないこと(2)発症3時間以内であること(3)腎臓と肝臓の機能がほぼ正常であること--の3つの条件をクリアすることが必要とのことですが、幸いNさんは、3つともOKでした。 驚異の回復は、まさにこの最新治療の賜物。「自分でもほんとに驚いている」と言うNさんです。週内にもう一度検査をし、結果が良ければ、それで退院できるといいます。 主治医からは「今回は発見も治療開始も早かったので、助かったが、次もこううまく行くとは限らないよ」と言われたようです。「早くMへ戻りたい」というNさんですが、「いきなり無理したらあかんよ、絶対に」とクギを刺しておきました。 以上の報告の通り、心配したNさんの病状は一安心。「M」閉店の危機も脱しそうです。「M」は当面、今週は従業員の皆さんとピアノの先生で何とか切り回しています。Nさんもそう遠くない将来に「M」に復帰できそうです。 そして、僕のピアノ演奏の場も、今後も安泰ということになりました。めでたし、めでたし!こちらもぜひ見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/05/16
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ブログを通じての友人、トラ松さん(新潟在住)のお店メンズ・ショップ「ガーベル」が13日、「1日大阪出張店舗」をオープン(写真左上)、僕もお邪魔してきた。 場所は、大阪・なんばのビルの8階の一室。「ガーベル」は、新潟の店舗だけでなくインターネットを通じた通信販売もやっているので、全国にファンがいる。この日も関西や四国はもとより、遠くはるばる(なぜか)東京から駆けつけた方もいた(東京なら、新潟の店の方が近いぞー)。 「1日店舗」には、ガーベル特製のネクタイ、ベルト、そして生地見本などが並べられ、どれもトラッド・ファンなら喜びそうなデザインばかりで、しかも良心的なお値段(僕も白いドットの入った紺のニットタイを1本手に入れました=写真右)。和歌山から来られた方は、採寸してスーツを注文されていた。 さて、「店舗」終了の後は、夕方(午後7時)からはトラ松さんを囲んで、約10人で賑やかなオフ会(宴会)。トラ松さんのほかには、同じ新潟のアメトラ雅さん、 Jinさん(東京)、TRADさん(三重)、Denさん(京都)、トライ21さん(大阪)、きんちゃん(徳島)ら、多彩なメンバー(写真左下=オフ会メンバーで貸し切り状態だった「C」。騒いでいろいろご迷惑をかけました)。 場所は、大阪キタのBar「C」。人数が多いので、フリードリンク(ビール、ワイン、ウイスキー…)、フード込みで5千円という破格の料金でお願いした。料理(牛肉タタキ入りサラダ、卵料理、チーズ盛り合わせ、ハギス&美味しいパン、ソーセージとスペアリブの盛り合わせ、炊き込みご飯…等々)がめちゃ充実していて、感激の至り。 オフ会は予定していたのだが、この「C」で開くことは実は、前日に急遽決まった。当初は人数が15人くらいになりそうということだったので、同じキタで、僕がいつもピアノを弾いているピアノBar「M」(キャパが広い)に料理込みでお願いしていた。 10日の水曜日夜には、僕は「M」にお邪魔して、マスターのNさんに「土曜日、よろしくねー」と確認もしていた。ところが、木曜の夜、僕の携帯に「M」の従業員で歌い手のSさんから「大変なことになった。マスターが営業時間中に脳梗塞で倒れて、 救急車で病院に運ばれた。土曜日に大人数の予約を受けるのは私たち(従業員)だけでは難しい」と緊急のメールが入った。 僕はそのメールを見て、愕然とした。「そんな馬鹿な! 水曜日の夜は元気だったのに…」。すぐSさんに電話して尋ねると、幸い、営業時間中あったため、すぐに病院に運べたので命に別条はないということらしい。それでも左半身に麻痺が残っているという。 「M」はとりあえず、臨時休業。今後の復活のめどもこの日記を書いている時点ではまだ分からない。「M」は月に2回ほどピアノを弾く僕にとっては、今ではなくてはならない存在。「M」がない人生は、例えようもなく寂しい(このまま店を閉じるなんて、絶対にやめてほしい!) 今はただ、マスターが一日も早くよくなって、店に復帰してくれることを心から願うばかりだ(Nさんはまだ58歳と若い。きっと元気になって、復帰してくれると信じている)。 そんなこんなの突然の出来事のために、「C」のマスターのHさんには、急に無理なお願いをしてしまった。素晴らしい料理と酒でもてなしてくださったHさん、ほんとにほんとに有難う!こちらもぜひ見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/05/14
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BARの内外装ではないけれど、前回に続き、少し建築の話。僕はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)という建築家が好きだ。明治38年(1905)に来日し、大正から昭和にかけて、日本各地に素晴らしい建築を数多く残した偉大な人。 彼の設計した温かみのある建物は、今も人々に愛され、歴史的にも高い評価を得ている。その代表作でもある大丸百貨店・心斎橋店(写真左=1922~33年にかけての建築)など、僕は日本の百貨店建築の最高傑作だと思っている。 高度成長&バブル経済が日本人に残した愚は、古い物はなんでも壊して建て替えればいいと思うようになったことだ。最近は、古い建物を生かしながら建て替える手法も増えたが、完成した建物をみると、建築家のセンスを疑うミスマッチも目立つ(例えば、その最悪の例が神戸地方裁判所=写真右下。「何考えとんねん!」という見本)。 実は昨年の9月から、社内で変わった職場は予算の策定・執行・管理がメインの仕事だが、社の出先の建物を定期的に建て替える際、建築業者を選定し、設計者らとともに相談しながら改築を進め、そして什器備品も選定・購入していくのも重要な業務になっている。 そして現在は、兵庫県内で鉄筋コンクリート3階建ての出先拠点の建て替えプロジェクトが進行中。施工業者さん(Z社)、設計者さん(N設計)、CMさん(設計監理=U社)らと、月に1~2度は現場見学をし、現場近くの会議室で、工事進行に合わせて細かい部分を協議している。 着工は昨年の8月。完成は3月末。現在工事は追い込み段階に入っている。施工業者の方や建築士の方とこれほど密接に相談しながら、一つの建物をつくりあげていくのは初めての経験。建築士の方もまだ30歳前後の若い方だが、センスのいい、歴史に残るいいものをつくろうという意気込みにあふれている。 外壁のレンガ(茶色系)は特注なのだが、色や焼き具合について、我々の要望を取り入れて複数の業者に何度も試作させ、作り直してくれた。「質感イメージが近いレンガだからぜひ見てほしい」と彼の会社が手がけた兵庫県立芸術文化センター(西宮北口)にまで我々を連れて行った(写真左)。 時には、広島にあるレンガ工場まで行って、焼き上がったばかりの重いレンガ見本をリュックにかついで持って来てくれたり。その情熱にはほんとに頭が下がった。 建物内部の展示物のステージ(台)についても、当方は既製品の安物でいいと考えていたが、彼は特注の自家製にこだわった。材料や色、塗装などを何度もやり直し、細かく変えられた。「(展示物に)隠れてほとんど見えない部分だから、そんなにこだわらなくてもいいじゃないか」と素人は思うのだが、建築家には建築家のこだわりがあるのだろう(予算は限られているのでヒヤヒヤだが…)。 バーテンダーも、建築家もそうだが、そんなこだわりがある人が好きだ。今回の建物は、とくに理由(わけ)があって、「50年後、100年後でも評価に耐えられるものにしよう」という共通認識で一致している。そして、きっとそんな夢が実現できそうな気がする。 ヴォーリズとまではいかないが、僕も、自分の手がけた建物が地域の人々に愛され、可能な限り末長く活用されていってほしいと心から願う。そのためにも今は、後世の人々に恥ずかしくないよう、完成まで全力を尽くしたいとと思っている。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/02/13
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何度も何度も書いているけれど、ブログというのはほんとに不思議な力を持っている。ブログという存在がなければ、おそらく生涯出逢うことのなかった人たちを引き会わせるという、魔法のような力を…。 ブログとは原則的にはヴァーチャルであるべきもの。好きなテーマで、気兼ねなく、自由な意見交換ができるのはWEB上でのヴァーチャルな枠組みが保証されているからこそ(みんながブログ上のマナーを守るというが大前提だが…)。 しかし、もしお互いが望めば、「オフ会」という形で出会うこともできる。出逢うか出逢わないかは各人の自由。お互いに選択権がある。ヴァーチャルで、ミステリアスな関係でよければ、それはそれでいい(もともとブログとはそういうものだから…)。別に会わなくても健全、良好な関係は十分保てるだろう。 ヴァーチャルの一線を超えて、リアリティの世界に踏み込むには、当たり前だがリスクが伴う。それまで隠していた現実が、いい部分も嫌な部分も、お互い目に見えてしまう。それも含めて、その後もずっといい友人関係でいられるかは、意外と難しいことかもしれない。 ブログをやってるある友人は、「オフ会」をたびたび開き、何人ものメンバーと会ってるうちに、最初は相性が合うと思った相手とささいなことでトラブルとなり、「オフ会」そのものから遠ざかるようになったという。 生まれ育った環境も、年齢も、趣味も、価値観も違う。そういう違う個性を持った人間同士が上手に付き合っていくことは、夫婦の間でも同じかもしれないが、そう簡単ではない。お互いが、相手の人格と個性を尊重し、大切にしていかなければ長続きはしないだろう。だから、人間関係の煩わしさというか、そういうリスクが嫌なら、ずっとヴァーチャルであり続けた方がいいと思う(写真左=果物だって、みんな違う「顔」=個性=を持つ)。 そんなリスクを超えて、新年7日の土曜日。東や西から友人たちがやって来てくれた(あえて誰とお会いしたかは記しません)。ほとんど一日、付き合って楽しい時間を過ごせた。お互いが異口同音に、「ブログがなければ、私たち(僕たち)は出逢うことはなかったんだよねー」と話した。不思議な出逢いを取り持ってくれたブログに感謝するとともに、集まってくれたみんな、本当に本当に有難う。 僕は、これからも基本的にはヴァーチャルな世界の良さを大切にしつつ、時には、「オフ会」というリアリティの世界にも、慎重かつ大胆に(?)踏み込みたい。さて、2006年は、どんな新しい出逢いが待っているんだろうか。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/01/08
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皆さま、あけましておめでとうございます。うらんかんろのブログ「酒とピアノとエトセトラ」も、めでたく2度目の正月を迎えました。これも僕のブログを訪れてくれる皆さんのおかげだと、心から感謝しております。 アクセスもめでたく、5万5555を超えました(自分でパチ、パチ、パチ!)。「キリ番」を踏んでくれたのがブログの親しい仲間なら嬉しかったのですが、楽天外の方でした。名前も知らない方ですが、ほんとに、ほんとに有難うございまーす! 喪中明けの我が家の元日は、静かな一日でした。例年なら友人たちが入れ替わり訪れてくれて、飲めや歌えや(?)で盛り上がるのですが、それもなくて少々さびしい雰囲気でした。 「元日にずっと家の中ばかりに居るなんて、なんとなくわびしいね」ということで、連れ合いと一緒に、神戸・三宮の生田神社まで初詣に行ってまいりました。 予想以上の凄い人出でした(写真)。雑踏整理がいい加減なので、事故が起こらないか、ちょっと心配なくらいでした。帰りに、近くの東急ハンズに寄って、新しい箸も買いました。新たな気持ちで美味しいものを味わうぞー! 明日2日からは、近場の温泉へ、1泊2日で行ってまいります。昨年1年の「骨休み」のつもりですが、正月料金なので高かったぞー(トホホ…)。でも、まぁ正月くらい少し贅沢しても、神様は怒らないだろう…、と。 今年の目標はいろいろありますが、とりあえずは酒もBAR巡りもピアノも音楽も仕事も(仕事が5番目かぁ…?)着実に、こつこつと、一歩ずつ歩んで行きたいと思っています。 皆さまにとっても、2006年が良い年でありますように! 本年もなにとぞよろしくお願いいたします。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/01/02
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きょうは大晦日。泣いても笑っても、きょう1日で、もう2度と巡り来ない2005年は終わる。皆さんにとっては、どういう1年だったのだろうか。僕にとっては、ブログ2年目の年で、ブログを通じた出逢いもさらに広がり、充実した1年だったと思う。 「今年はどんな年だったかを、漢字1文字で表せば」というテーマで以前、ブログの友人のまつもとちあきさん、ステラビアさんがそれぞれ記した際、僕は、「転回の『転』か、あるいは展開の『展』かなぁ」と書き込んだ。「転」は文字通り、新たな「転回」の意味。また、「展」には漢和辞典をひくと、「のびる」「ひろがる」「かなう」という字義がある。 この文字を選んだ理由は至極、明解。コメントで書き込んだ内容をもう一度繰り返すことになり申し訳ないけれど…(写真=うらんかんろ in Bar・C )。 4つの理由を挙げれば--。1.ブログを通じて友人の輪が国内だけでなく、海外にも広がったこと 2.社内で仕事(担当)が変わり、これまでほとんど接することのなかった職場の人たちとの交流が広がったこと 3.北海道から沖縄まで、1年の間に日本列島のすべてに足を踏み入れることができたこと(イタリア初訪問も!) 4.イタリア(イタリア語)、シェリー、アリシア・キーズ、畠山美由紀…等々。新たな出逢いがあり、世界が広がった(これは、ブログの友人によるインスピレーションの力が大きい)。 1人の人間が生涯に出逢える人間の数や、得られる知識なんてたかがしれている。しかし、ブログの舞台は違う。実生活ではまずあり得ないような出逢いが、決して夢ではない。ブログを通じて得られる知識や情報も然り。僕はこの1年で、何年分の出逢いをし、新たな知識を通じてどれほど「世界」が広がっただろうか。 人間はいつかは死ぬ。これは誰にでも避けられない定め。「だからこそ人生を有意義に生きたい」と誰しもが思う。若い頃は、死とか寿命について考えることなんて、ほとんどなかった。しかし、僕のように人生の折り返し点を過ぎてしまった人間は、残りの時間をいかに大切に、有意義に過ごすかを真剣に考えてしまう。 来年はどうする? まずは健康が第一。健康でなければ何もできない。美味しいお酒も飲めないし、弾き語りもできない。体をもっといたわろう。もちろん新しい仕事ももっと熟知したい。そして、ブログもとりあえずは今の3日に1回のペースで頑張りたい。いろんな目標がある。 そして、近い将来の新たな「夢」(今はまだ具体的には言えないけれど)の実現のための、土台づくりもしたい。「夢」にどれだけ近づけるかは分からないけれど、努力はするつもりだ。皆さんも温かく見守ってください。 皆さまにとっても、巡り来る2006年が限りなく素晴らしい年となりますように!人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/12/31
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今回は限りなくプライベート・ネタです。すみませーん。お時間がある方だけ読んでいただければ…。 年末になると、あちこちから喪中欠礼の葉書を頂く。この歳になると当たり前だが、祖父母はもちろんのこと、父母が亡くなる方も目立つ。生あるもの必ず死は避けられない定めだとしても、やはり、友人たちが悲しむ姿を想像するのは切ない。そういう僕も、ことしは連れ合いの父が11月に亡くなったため、喪中欠礼の挨拶を出した。 そんなこの頃、数日前にアメリカから1通の手紙が届いた。差出人は僕が大学生の時(70年代)にホーム・ステイしていた家族の「お母さん」、ロザン(Rosanne=ファースト・ネームです)から。ホーム・ステイ先は東部のコネチカット州のトランブルという小さな町。ニューヨークからは電車で2時間弱の距離だった(写真左=うらんかんろのホスト・ファミリー。当時の写真です)。 「お父さん」はビル(Bill)と言い、元軍人。朝鮮戦争時に日本に駐留し、神戸にいた。日本と日本人に対してとても親近感を持ち続けてきた。だから、地元の新聞に載った僕の「ホスト・ファミリーを探しています」という記事を見て、真っ先に手紙をくれた。 ロザンは今はフロリダ州のトリニティという町に住む。筆不精の僕と違ってロザンは筆まめ。ご無沙汰ばかりの僕は手紙を書く際、いつも謝ってばかり。当たり前だが、英語でのやりとりだから、向こうは母国語。僕は一応辞書で表現や単語を確認しながら書かねばならない。だから、ハンディを背負っている僕としては、「少々筆不精でも許してね」と言いたいところ。 それはともかく、この時期の手紙。クリスマス・カードにしてはちょっと早いなぁと思いつつ、読んだ。そこには、ショックなことが記されていた。実は、ロザンは90年ごろ、再婚した。前の夫のビルはコネチカットに残り、ロザンは再婚した夫とフロリダへ移り住んだ(写真右=社会人になった後、ハネムーンの際も訪れました)。 再婚した夫の名前(ファースト・ネーム)はボブ(Bob、正式には「ロバート」か)という。そして再婚して15年近く、二人は幸せに暮らしていた。そのボブが9月に肺がんで亡くなったという知らせだった。春に見つかったけれど、もう末期で、最後はホスピスであまり苦しまずに、家族にみとられて息を引き取ったという。正確な歳は聞いたことはないが、たぶん、まだ70歳くらいだったと思う。 ロザンと初めて出会ったとき、彼女は30歳だった。夫とは一回り(12歳下)も違う若いお母さんだった。当時ブレークしていたカーペンターズのカレン似の顔をしていた。 僕は、「マミー」と言うのは照れくさかったので、もっぱら「ミセス・ウォルシュ(Walsh=彼女の前の姓)」または、「ロザン」と呼んできた(写真左=ロザンと再婚した夫のボブ。冬寒くて雪も積もるコネチカットとは違い、年中温暖なフロリダを、2人はとても気に入っていた)。 ロザンは美しくて、知的で、素敵な女性だった。前の夫・ビルとの間には2人の子どもがいた。初めて出会った時、姉ケイトは10歳、弟ジャシュアは5歳だった。僕は彼らのファミリーの一員として、本当に楽しい日々(トータルで約半年)を過ごし、そして現在でもその絆は続いている。僕と8歳下のケイトとは今もメル友だし、8年前には、ジャシュアの結婚式があったので、僕は招かれて太平洋を渡った。 そんなファミリーは先ほど書いたように、90年頃の両親の離婚で瓦解した。僕にとってもショックだったが、離婚はプライベートなことだから、理由は一切尋ねなかった。ただし、憎しみ合って別れたという訳ではなかったようで、弟ジャシュアの結婚式には前の夫も、(別れても「実父」だから、当たり前かもしれないが)出席し、別れた妻とは普通に談笑していた。 再婚した夫のボブは、そんなファミリーに後から加わったメンバーだが、僕は、94年に家族3人でフロリダに行く機会があり、初めて出会う機会を持った(写真右=フロリダの自宅、自慢の温室の前で。左端がボブ。うらんかんろの左にいるのは娘でーす)。前夫のビルもジョークの好きな、気さくな人だったが、ボブも負けず劣らずとてもフレンドリーな人だった。 僕らはボブとロザンの家に2泊させてもらい、楽しい、かけがえのない時間を過ごした。彼らの自慢のランの温室を見せてもらい、マナティまで現れるという家の裏の運河に係留していたボートでメキシコ湾へのクルーズ(短時間だったけど)にも連れて行ってくれた。 ボブとはその後、前述した弟ジャシュアの結婚式で再会した。フレンドリーさは変わらず、僕はロザンとの仲の睦まじさを見ながら、「ロザンは素晴らしい伴侶を得たんだなぁ」と心から喜んだ(写真左=8年前、ジャシュアの結婚式で、ケイトと3人で)。 「ボブは生涯のヘビー・スモーカーでした。そして亡くなる直前までタバコはやめませんでした」とロザンは手紙で記していた。現在62歳のロザンは看護師の資格を持ち、2年前までパートタイムで病院に勤めてきた。だから、「春に彼の病理検査の結果(がんの進行度)を聞いたときから、徐々に心の準備はしてきた」とも書いていた。 ボブは優しい夫だった。でも、本当の優しさはロザンと再婚した際、タバコをきっぱりやめて、自分の命を大事にすることではなかったのか、とも思う(いまさら言っても仕方がないけれど…)。前の夫で、ホスト・ファミリーの「お父さん」だったビルも3年前、海岸で散歩中に心臓発作で亡くなっている。 ロザンは、フロリダで本当に独りぼっちになってしまった。手紙では、現在まだコネチカットに住む娘夫婦が、サウス・カロライナ州辺りに引っ越しして、ロザンと一緒に住もうと言っているので、近いうちにフロリダを去るかもしれない、と結んでいた。 サウス・カロライナにロザンが落ち着いたら、一度また会いに行きたい。ブッシュ以降、最近、あまりアメリカ(やアメリカ人)が好きになれない僕だが、30年以上もロザンは特別な存在だ。ホスト・ファミリーの「お母さん」は、1人しかいないから…。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/12/10
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社内の同僚が、「ちょっと付き合ってほしい」と言うので、大阪ミナミのBARで待ち合わせると、そこには外国人女性と一緒の同僚がいた。フランスから初めて日本にやって来たVさんという女性で、歳は僕らより一回り下くらい。 同僚は昔、冬季五輪も開かれたこともあるフランスのアルベールビルへ仕事で出張したことがあって、彼女は、その際知り合った現地の人の友人という。でも、実際会うのは、今回の来日が初めてとか。とってもフレンドリーな彼女のおかげで、初対面なのにすぐ打ち解ける。 3人の会話は、同僚←→彼女は英語(同僚は結構喋れる)。彼女←→僕は、英語&仏語(実は大学時代、一応4年間フランス語をやった僕。昔とった何とかで…)。でも、真剣にフランス語会話にトライするのは7年前にパリへ旅行して以来かなぁ…、覚えていた単語もすぐ出てこなくて、冷や汗の連続。 Vさんという女性は、現在グルノーブルに在住。本職は、写真を使ってアート作品をつくる芸術家だが、冬には地元でスキー教師もしているという。今回の滞在予定は約1カ月間。東京や京都などを訪れた後、大阪にやって来た(写真右=Vさんの作品=頂いた個展のパンフレットから=はとてもユニーク)。 彼女は、文楽に魅せられていて、この日、大阪ミナミにある国立文楽劇場で鑑賞したが、「あしたももう一度観るのよ」というまでの惚れ込みよう。地元に住む僕だが、恥ずかしながら、文楽はよく分からない。 そして、何とあさってからは4日間ほど、(僕がかつて暮らした)徳島へ行くと言う。徳島名産、「阿波三盆糖」の製造工程を見学に行くのだと、目を輝かせていた。「阿波三盆糖」と言えば和菓子などに使われる高級砂糖で、全国的にも知られている(東京でも、デパートで売っているのを見たことがある)。 徳島でも「三盆糖」をつくっている業者は限られる。最大手で、全国的に有名なのはO社。そこの社長の息子さんOさん(いまでは社長になっているのかな?)とは、徳島時代に、行きつけのBARで何度か会ったことがある。Oさんは無類のワイン通で、自分でワインセミナーなども主催していた。 そんな話をすると、何と今回の徳島行きもそのOさんの招待なのだという。何と地球は狭いこと!彼女とOさんは、Oさんがフランスでスキーに行った際に知り合ったという。そして、東京で一足先に出迎えたOさんに、「美味しい松茸やすし、天ぷらをご馳走になった」と嬉しそうに話していた(Oさんも、やるねぇ…)。 それはともかく、この夜、同僚と法善寺横丁で一足早く食事を済ませた彼女。でも、「まだ少し食べられるヨ」ということで、大阪名物のお好み焼き屋さんへ。ミナミにはお好み焼き屋さんは数多いが、我々は「美津の」という老舗にお連れする(写真左上)。 途中、道頓堀のあの喧噪のど真ん中を通過、ドン・キホーテのビルの壁面に設置された奇抜&巨大な観覧車を見て目を丸くする彼女。屋台のタコ焼きの前では、「オー、タコボール、美味しそう!」と立ち止まる。 「美津の」に着いた僕らは、豚イカ・ミックス焼きと、豚ミンチ入り焼きそば(写真左下)を頼んで、再びビールで乾杯。しばし歓談。そして、何とユース・ホステルに宿を取ったという彼女。「門限は11時」というので、残念ながら10時すぎにはお開きとなった(同僚がタクシーで送っていった)。 Vさんと僕は、「いつかどこかでの再会」を約束して別れたが、クレイジーな雰囲気の夜の大阪ミナミ体験。果たして、彼女の眼に、大阪がどう映ったのか、ちょっと気になるところ。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/11/10
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昨年11月28日にこのブログ(ページ)を始めてから、もうすぐ1年になる。嬉しいことにアクセスが、ついに5万を突破した。これも遊びに来てくれる皆さんのお陰だと、心から感謝している。 この間、国内外の数多くの方と知り合った。当たり前だが、その多くがブログというものがなければ、おそらくは一生出会わなかった人たち。今では、ひょっとして、学生時代からの友人よりもよく喋っているかもしれない友人もいる。 そういう意味で、ブログというのは実に不思議なパワーがある。先日も、リンクしてくれている方の日記を読んでいたら、びっくりすることがあった。その方が一緒に食事をしたという相手が、僕の昔の知り合いで、現在は消息がつかめていない人だった(今は雑誌の副編集長という重責をこなし、忙しくされていた様子を読んで嬉しかった)。 ブログは、基本的にはバーチャルな世界だが、ブログの存在には感謝してもしきれないほど。今では、もうブログなしの人生は、考えられないようになった僕がいる。 ブログは自己表現の場であり、ツールにすぎないかもしれない。しかし、コメントを書き込んでくれる人たちはさまざまで、自分の知らない世界のエキスパートであったりする(写真右=本邦初公開。徳島時代の友人が描いてくれた僕のポートレート)。 バーテンダーであったり、飲食店主であったり、エンジニアであったり、キャリアウーマンであったり、公務員であったり、絵描きであったり…。年齢も、性も、出身地も、血液型も、星座もさまざま。でも、娘と同じくらいの世代の人とも、ブログの場ではまるで普通の友だち同士に変われる。 みんなそれぞれの人生を歩み、その道のプロを目指して頑張る仲間。その姿に励まされ、9月から社内で畑違いの部署に異動になって戸惑う僕も、なんとか頑張れてこれた。 この1年間、ブログには直接触れなかったが、僕自身の家族以外の身内のことでも、ちょっと大変なことがあった(一部はなお現在進行形だ)。そんな悩みや苦しみも、このブログを続けることでどれだけ助けられたことか。 1人の人間が、1人の力で一生に学べることなんて、たかが知れている。ブログの交流を通じて、僕は、自分の知らない世界の知らないことを、学校の教科書や会社の仕事では決して得られないことを、いっぱい学んだ。 いつまでブログが続けられるかは分からない。でも、今は書くネタが続く限り、表現するという気持ちが萎えない限り、このブログの舞台からはさよならはしないつもりだ。皆さん、これからも末永くよろしくお願いしまーす。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/11/08
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阪神タイガースファンの友人夫婦が、「遅ればせながら、セ・リーグ優勝祝い&日本シリーズ制覇祈願のパーティーをやろう!」と企画。土曜の午後、お誘いを受けて、友人宅にお邪魔した。 集まった6人のメンバーを前に、友人は「きょうのお酒はワインづくしでいくから。いいのを開けるぞー!」と最初から全開モード。で、いきなり出てきたのが、ドン・ペリ!(写真左) 「えーっ! こんなんから、飲んでええのー?」と驚く我々。 僕は「ドン・ペリ体験」は初めてではなく、一応味は知っている。しかし集まったメンバーのなかには、「初めて飲むー、感激!」という人もいて、嫌でも盛り上がる。 そして、次に出て来たのが、何と知る人ぞ知るイタリアの銘酒「サシカイア」(写真右)。味わいはもちろん、香りや果実味、なめらかさ、奥行きとも、申し分なし。ヴィンテージが2000年だったから、ややまだ若いかなぁと心配したが、意外と十分に飲み頃ではあった。 そして、本日の最初のメニューは、料理の得意な友人の奥様自慢の前菜がずらり。どれもがワインに合う素晴らしい一品で、全員の食が進むこと、進むこと(写真左=左から時計回りに、「サーモンのカルパッチョ、アスパラガス添え」「キノコ5種のマリネのソテー」「貝柱のサラダ」「揚げサンマのマリネ」「ナスの冷製バルサミコ風味」)。 5時頃から飲み始めて、盛り上がってきた頃に、テレビでは日本シリーズ阪神対ロッテの第1戦がスタート。次なるワインはブルゴーニュのピノノワールの赤(写真右下)。 ブルゴーニュにはあまり詳しくない僕は、ラベルを見てもよく分からなかったが、友人の「たぶん美味しいと思う」とコメント通り、飲みやすくて、ふくよかな果実味が広がる。 最初の5品だけでも、もう結構お腹がいっぱいになっているのだが、奥様が次なるメインとして出してきてくれたのは、「鴨のロースト赤ワイン風味ソース、松茸&パパイヤ添え」という超豪華な大皿料理(写真左)。「松茸」と聞いて、全員からほぼ同時に「おーっ!」という声が上がる。 鴨のロースト具合も、松茸(少しソテーしてある)も最高! そして意外や意外、パパイヤっという南洋の果物がこの料理にとても合うことも、新鮮な発見だった。 さて、本日の主役であるはずのタイガース。「初戦の先発が井川ちゅうことは、岡田監督は捨てゲームと思とるんかいな」という我々の予想通り、中盤でつかまった井川が打たれる、打たれる。リリーフしたはずの橋本も、2本の本塁打を浴びてあえなく沈没。1-10となっては、「もうきょうは、こらあかん…」(写真右=美しいシャンパン・グラスの彫刻=サンドブラスト=も奥様作でーす!)。 さて、試合の流れが決まってしまった後は、再びワインに戻って、阪神タイガース2003年優勝記念ワイン(これはボルドー)、ブルゴーニュをまたもう1本、さらに「ホテル・ド・ミクニ」のハウスワインという白ワイン(ただし、これは全員が「いまいち判定」。みんな「三国さんの舌はどうかしてるー」との意見で一致)を開けて、この夜はしめて6本(写真左=持ち込んだトラ応援グッズも元気がなーい)。 奥様は「まだ2品あるんだけど、食べてねー」と。「えーっ!もう入らないよー」と我々は悲鳴に近い反応。で、出てきたのが「豚肉のロースト、プルーン風味」「エビとチキンのドリア」。最後には、デザートのケーキまで(写真撮るのを忘れた!)。せっかくイタリアで太った分ほぼ戻ったのがまたリバウンドかも。 シリーズ第1戦の方は終盤、ボールが見えなくなるほどの濃霧が発生。結局、そのままコールド・ゲームになるという前代未聞の珍事となった。も千葉マリンスタジアムは、秋の夜に濃霧が出やすいので有名だという。「こんな球場で、10月末にナイターやるっちゅうのがどうかしとる!」と八つ当たり気味の我々。 試合はさておき、本日は美味しい酒と、シェフ顔負けの奥様の最高の手作り料理を堪能いたしました。リバウンドへの恐怖も、美味の誘惑には勝てませーん。すっかりご馳走になって、感謝感激! 食べ散らかしたまま帰ってすみませーん! 次回は我が家で、日本シリーズ制覇祝い(残念会かな)をやりましょう!!人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/10/23
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「うらんかんろさん? Madokaでーす」。ひょっとしたらという予感はあったけれど、携帯への突然の電話には、やはり驚いた。 ブログで知り合った友人で、米オレゴン州在住の画家Madokaさんからだった。10月の第2週から一時帰国するという話は、Madokaさんのブログで読んで知っていた(Madokaさんの実家は京都です)。 僕は、以前にMadokaさんから教えてもらったフルーツ・カクテルの美味しい大阪・ミナミのBar「ヴィクター」(写真左)に、先週の水曜日にお邪魔した。そして、お店の方に僕の伝言メモを託した。 メモには僕の携帯の番号も記した。一時帰国中に、Madokaさんがきっと一度は訪れるんじゃないかという、予感があったから…。 電話の向こうのMadokaさんは、ヴィクターにいた。「たった今着いて、メモを読んだところ」という。そして、僕はミナミへ急いだ。店にはMadokaさんの素敵なご両親(お父さんはプロの写真家でいらっしゃる)、Madokaさんの気さくなご主人(米国の方です)も一緒だった。 Madokaさんは、僕がイラストレーターの矢吹申彦氏についての日記(6月25日)を書いた際、初めて訪れてくれた。自身のホームページ(ブログ)も持っておられて、覗きにいったところ、絵や文章に好奇心をかき立てられるような何かがあった。 「いつかは逢ってみたい」と願って、一時帰国されるというのでチャンスに賭けたが、嬉しい出会いが、こんなに早く実現するとは思わなかった。店の方も「予想通りでしたね」と微笑んだ(写真右下=Madokaさん夫妻と仲良く1枚)。 初対面なのに、初めてではないように話がはずんだ。Madokaさんは、オレゴンでいま住んでいるポートランドのこと、以前住んでいたボストンのこと、日本でカナディアン・アカデミーという国際学校に中高と通っていた頃のこと、お父さんの仕事に付き添って世界中を旅したこと等々…、いろいろ話してくれた。 僕はもちろん、写真を見せながら先日のイタリアの旅の話をした。そして、僕の育った頃の大阪・ミナミ(まさにヴィクターのある辺りがそうだ)のことや、家族のことや、矢吹さんの最近の個展のこと、アメリカでのホスト・ファミリーのことなど…、あぁ、たくさん喋り過ぎて、全てはよく思い出せなーい。 楽しい時間はあっという間に過ぎる。京都まで帰らなければならないMadokaさんファミリー。そろそろお開きの時間になった。次はいつ再会できるか分からない。でも、またきっといつか会えるような予感がする。 いつかは僕もポートランドを訪れてみたい。それまでには、世界がもっと平和になり、憎悪や流血がなくなってくれればと願う。
2005/10/11
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今回は、かなり関西(大阪?)ローカルなテーマなので、関西以外の方は(読んでもたぶん面白くないから)読み飛ばしていただいて結構でーす。 関西では新聞やテレビのニュースでもよく報道されていたけれど、大阪・梅田の阪急百貨店内にある旧・阪急梅田駅舎コンコースが、百貨店の改築のため取り壊されることになった。 見納めになるという13日の夜、僕は会社帰りに立ち寄り、デジカメで写真に収めた(写真左)。僕と同じようにデジカメや携帯で思い出に残そうという勤め帰りの人たちが、想像以上にたくさんいた。改めて、この空間はみんなに愛されていたんだということを確認した一瞬だった。 梅田と言えば、大阪最大のターミナルであり、いわゆる「大阪キタ」の中心地。JR(大阪駅)、阪急、阪神、地下鉄という4つの鉄道が結節し、百貨店は阪急、阪神、大丸という3つの大手が顔を付き合わせる、大阪市内最大の繁華街(近い将来には三越もできる)。 京都生まれで、大阪育ちの僕は、子どもの頃、京都市内の祖父母の元へ行くのに、いつも阪急京都線を利用した。当時は(現在の四条河原町とは違って)四条大宮が終点で、いつも阪急の梅田駅から特急に乗った。そして、当時の改札口は、今回の改築でなくなるコンコースの中央にあった。 現在の阪急梅田駅のホーム&改札口は、70年代の大改造で、昔の場所より300mほど北に移された。だから、この旧コンコースは、昔の駅舎の面影を伝える唯一の証人。会社の若い同僚に、そういう話をしても「へーっ、そうやったんやー」と驚くだけ。僕は今でも、この場所に立つと、昔懐かしい改札口の風景がよみがえる(写真右=阪急百貨店&阪急梅田駅。昭和4年=1929=の建築。外壁のゆるやかなカーブが美しい)。 60年代半ばまでは、梅田駅を発車してわずか数分もすれば、まだあちこちに田畑が広がっていた。車窓から見る、今のヤンマーの本社ビルの周辺や、梅田ロフトの辺りは、ほとんど何の建物もなかった。 梅田の駅前にも、戦後の焼け跡闇市の名残がまだあった。阪神百貨店の南側には、区画整理の及ばない、小さな店がひしめく怪しい一角があり、僕はよく探訪した(その一角も10年ほど前についに一掃された)。 そんな梅田(大阪駅)界隈も、この数年で相当様変わりしようとしている。時代が変われば、街の風景も変わるのは当たり前だけれど、当時の、あの猥雑な梅田の面影を残すエリアも、、今では、曽根崎・お初天神の辺りだけになってしまったのは、何となく悲しい。 新聞によれば幸い、阪急百貨店は、あのコンコースにある壁画やシャンデリアは保存して、改築後の建物のどこかに活用すると話していた。子どもの頃の思い出が残るのは嬉しいが、個人的には、ニューヨークのグランド・セントラル駅にも似たあのアーチ型の旧駅舎=コンコース全体を保存してほしかった。 「建築物には寿命がある」と役人や(馬鹿な)建築家は言う。そう言うならば、「ロンドンやパリやプラハの街並みを見ろ」と僕は言いたい。100年、200年前の建物が今なお、現役のものとして、住民が活用しているではないか。そして、街全体が今も生きているではないか。 街や、建物に寿命があるなんて決めつけるのは、人間の傲慢でしかない。身近な街並みが、本当に歴史的使命を終えたのかどうかは、役人や経営者や建築家だけが決める問題ではない。最終的には、市民(住民)の選択に任せるべきだろう。
2005/09/15
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9月から社内で職場が変わった。サラリーマンだから、異動や担当職務が変わることは覚悟しているし、何度も経験している。だが、今度の新しい仕事は、これまで、全くやったことのない経理・管理部門の仕事。 僕の前任者はまもなく定年。でも幸い、定年後も別会社からの出向のような形でそのまま職場には残ってくれるので、仕事の引き継ぎは、あまりあせることなく、「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」の形でやっている。 毎日のようにあれこれ、見よう見まねで教えてもらっているんだけど、まったく別の会社にやって来たような感じ。「除却」「原則申し立て」「特別損失」「実算比」「稟議」などという専門用語が毎日のように飛び出すが、分かったようで分からん言葉もあり、ひたすら勉強、勉強。まぁ、新しい仕事に挑戦するのは嫌いではないので、気持ちを切り替えてやっている。 自分が希望した職場ではない。数字に強い訳でもない。でも、サラリーマンである以上、辞令を受ければ、辞表をたたきつける勇気がなければ、仕方がない(会社を辞めてピアノBARを開くには、まだ資金不足で、決断できない)。 仕事の範囲は幅広い。予算の作成、備品の調達、アルバイトの雇用、社有建物の管理、建て替えの際の業者との交渉、予算の適正使用のチェック、…、他にもいろいろあって、体が2つも3つもほしいというのが本音(写真左=我が家のリビング・ルームのマスコット「トラッキー」君。祝!勝率マジック13点灯です!)。 最近だと、例のアスベスト対策でも業者にいろいろ指示を出したり、飛散防止工事の交渉したり。う~ん、僕に似合わない仕事だなぁ、と思うのだけれど、役割を与えられた以上やるしかない。 「何億円、何千万円単位の仕事が君の判断で動かせる、やりがいのある、重要なポスト(仕事)だよ」なんて、辞令を言い渡した上司は言ったが、若干の“お世辞”も含んでいるということくらい、僕は分かっている。 実際には、そんな大きな権限はない。僕1人の判断(決済)ですぐ外へ発注できる工事や備品購入は、60万円未満のもの。それを超える金額だと、僕よりさらに上の人の承認が要る。さらに何百万円、何千万円単位になると、担当役員や取締役会の決裁が必要になってくる。 まぁ、それはともかく、僕は毎日、新しい仕事に新しいやりがいを見出そうと頑張ってるつもり。いちおう気分よく仕事はしている。だから、2日に1回の日記の更新もできている(笑)。 会社(職場)が変わったとき、仕事が変わったとき、担当が変わったとき、ブログ仲間の皆さんは、どうやって新しい仕事に慣れられたのか、どうやって環境の変化をうまく乗り越えたのか。もし体験談があれば、聞かせてほしいなぁ…。
2005/09/11
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アメリカ南部を猛烈なハリケーンが襲い、とくにルイジアナ州、ミシシッピ州では、史上最悪の犠牲者や被害が出ている。被災地では食糧や医薬品不足に加えて、日に日に衛生状態が悪化し、街では略奪も起きているという。 とくに、堤防決壊のため街の8割が水没したルイジアナ州ニューオーリンズは、もともと海抜より低いため、4日現在でもまだ水は引かず、都市機能はマヒしたまま。テレビのニュースは、街のあちこちで火災も起きていると伝える。 学生時代、アメリカに米北東部コネチカット州でホームステイした経験のある僕だけれど、ルイジアナやミシシッピへは、一度も足を踏み入れたことはなく、どんな街かはほとんど知らない(写真左=ニューオーリンズの惨状 (C )AP通信)。 今回の災害では、世界の最先進国と見られていたアメリカが被災者の救援で遅れをとり、大きな問題となっている。自然災害での救援対策では、最も進んでいると見られていた「あのアメリカが、なぜ?」と僕は不思議で仕方がない。 ハリケーンが来ることは4、5日前から警告され、連邦政府や州政府も事前の避難を訴えていた。しかし、今回の洪水で取り残されていた人たちは、貧困層(黒人層が多い)がほとんど。逃げろと言われても、避難のための車もなく、避難の資金もなかった。被害は結局、弱い人たちに集中した。批判を受けて、連邦政府もようやく本格的な救援に乗り出した。だが、4日のニュースを見る限り、救援の手は末端までは届いていない。 連邦政府の責任は、もちろんあると思う(災害から5日も経って、ようやく現地を視察したブッシュ大統領は論外)。だが、阪神大震災を経験した僕としては、むしろ州政府やニューオーリンズ市当局は、一体何をやっているのかと腹立たしく思う。被災者が集められたのは、スポーツの競技場だけ。日本だとまず、地域の学校あたりが避難場所に変わるのだが、なぜそういう公共施設がないのか。 商店からの略奪の映像もたびたび伝えられており、警察は治安機能を喪失し、州兵がマシンガンを持たないと治安は保てない。悲しいけれど、これが世界で最も民主主義が進んだ、超大国アメリカの現実でもある。 阪神大震災の時は、兵庫県も県内の各自治体も、職員自らが被災者である苦しい状況のなかでも、被災者救援は、地震発生直後からそれなりに機能した。公務員は昨今何かと批判されることが多いけれど、僕は、日本の地方公務員の責任感、倫理感、公僕としての献身は誇りに思う(写真右=水没したニューオーリンズ (C )AP通信)。 もちろん一般市民のモラルも高かった。街が壊滅状態になっても、救援物資がなかなか届かなくても、阪神大震災では、商店からの略奪などは、(僕の知る限り)まったく起こらなかった。日本にも敗戦直後は、貧しい時代があったが、それでも最低限のモラルはあった。だが、アメリカの現実を見る限り、貧富の差の拡大は確実にモラル低下を促進しているようだ。 ジャズ発祥の地、ニューオーリンズへはいつか訪れてみたいと思ってきたが、まだ一度もその夢は実現していない。この様子だと、街の再建にはおそらくは、少なくとも2~3年はかかるだろう。訪問の夢は当分は実現しそうにない。
2005/09/05
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ブログを始めてから今日で9カ月になった。この間、いつか書くネタが尽きるんじゃないかという不安を抱えながら、何とか153回の日記(足跡)を残してこれたのは、訪れてくれる皆さんの支えの賜物だと思っている。 「お酒とBAR巡りと音楽」をメインにしているからには、この3つのカテゴリーで7割くらいは書きたいと思っているが、いざ始めてみると、上っ面だけの生半可な知識が露呈したり、肝心のテーマに合う、いい話題や写真がなかったり、と予期せぬ壁にぶち当たったりすることも多かった。 ブログは、世界中の見知らぬ人と出会える素晴らしい場だ。実社会では、一生かけても実現しないような出会いが生まれる。だから、ヒット数を競うのが目標ではないけれど、できるだけ数多くの人に訪れてほしいという気持ちは強い。 次に願うのは、訪れてくれる方の「国内外への広がり」。アクセス記録に残された「……@以下のアドレス」からみると、すでにほぼ日本全国の方がアクセスしてくれている。しかし、メッセージを残してくれる方々の全国(全県)制覇は、一応目標だけれど、まだ実現できていない(写真左=うらんかんろ In S社・山崎蒸留所)。 これまで書き込みしてくれた方々の都道府県は、北からいくと、北海道、山形、新潟、福島、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、静岡、愛知、岐阜、滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、徳島、岡山、熊本、沖縄っていうところ(漏れていた方がいたら、ごめんなさい。ご指摘ください!)。海外は、スウェーデンと米国(カリフォルニア州&オレゴン州)の計3人の方。 海外からは、実際はもっといろんな国からアクセスしてくださっている(たぶん在住の日本人の方)のだけれど、皆さんシャイなのか、メッセージまで残してくださる方は意外と少ない。もっと気軽に書き込みしてくださればいいと思うのだけれど…。 今も一番気にかかっているのは、ブログを始めて間もない頃、いち早く書き込みしてくださり、3カ月間ほど頻繁にメッセージをくださった「Ladybirdさん」という方のこと。ことし2月に突然、ブログを休止されて、音信不通になってしまった(ブログ自体はまだ残していらっしゃるのだが…)。 何らかの事情があってのこととは思う。でも、今でも、心の片隅から消えない。Ladybirdさん、この日記をもし読むことがあったら、ただ、「元気でやってます」とだけでもいいから、知らせてほしいと心から願っています。
2005/08/28
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ブログを始めてもうすぐ9カ月になる。そこでブログのマナーということについて、少し考えてみる。ブログという匿名の、バーチャルな世界においても、「最低限のマナー」は必要だと思う。 基本的には、自分自身が気分を害するようなことは、他の人にもしてはいけないということだと思っている。じゃぁ「自分が人にしてはいけないと思っていること」「他人にしないように普段気を付けていること」は何かということだが、例えば以下のようなこと。 1.初めて他人の方のブログに書き込みする時は、必ず最初に「初めまして」と挨拶すること。「他人の家にお邪魔する」のと同じだから、言葉の表現は「初めまして」でなくともいいけれど、挨拶らしき文言を入れるのは、当然のマナーだと思う(いきなり、挨拶も抜きで馴れ馴れしい書き方をして、本題から書き込みするのは論外だろう)。また、2度目以降の書き込みであっても、最初に「こんばんは(こんにちは)」くらい書いてから本題に入るのは最低限のマナーだと思う。 2.逆に、初めてコメントを書き込んでくれた方には、必ず「ご訪問&書き込み有難うございました」と返信すること。 3.コメントを書き込んでくれた方には、可能な限り、48時間以内に返事のコメントを入れること(旅行や出張のためできないこともある。ならば、あらかじめそのように予告すること)。 4.トラックバックを入れる時は必ず、相手に一応断りを入れること。黙って入れることはしない。また、テーマと関係のないトラックバックなどはしない(日記を「リンク」させてもらう時も同様に、必ず「リンクさせていただきました」と相手に伝えること)→下記の【追記】ご参照。 5.「引用する」場合は、可能な限り、原則として出典を明記すること(あまり長い無断引用は、著作権法違反に問われることもあるから)。 6.ブログ仲間などから聞いた情報(固有名詞=人名、店名やプライバシーに関することなど)を、その仲間の了解なく書かないこと。オフ会の場との「線引き」は、必要だ(店側やご本人がWEB上で積極的に情報公開している場合は別ですが…)。 7.最後に一つ。これは僕自身のポリシーだが、原則として政治と宗教と商売がらみ(「**を買ってください」とかは…、ネット・オークションでやればいい)のことは、僕のブログではNGにしている。僕のページは、あくまで趣味的なことに限ってやりたい。その方が、ブログで仲良くなった人との関係が長続きすると信じているから。 幸い、僕がブログを「リンク」させてもらっている(あるいは「リンク」してくださっている)方々には、これまでそういう失礼な人はいない。みんなマナーのいい、素晴らしい方ばかり。ただ、初めて訪れてくる方には時々、マナーをあまり知らない方に出会うから悲しい(そういう場合、きちんと返事のコメントをすべきなのだろうかと、いつも迷う)。【追記】この一文を書いてからもう3年以上になるけれど、いまだに初めてコメントを書き込みする際、挨拶もなくいきなり本題から書く人がなんと多いことか。6~7割の人がそうだ。なかには馴れ馴れしいタメ口のケースもある。悲しいというか、嘆かわしい。ブログの世界に参加したいのなら、まず最低限のマナーを身に付けるべし。(2009年1月記) 今後もWEB上で、いろんな出会いがしたいから、あまり堅苦しいことは言いたくない。友好的で、素晴らしい関係を長く続けるためにも、僕は、上記の7項目は今後も守るつもり。願わくば、僕のブログをこれから訪れてくれる方にも、そう願いたいのだけれど…。【追記】現在、トラックバックは内容を見たうえで受け付けています。ご了承ください。【追記20100801】2010年8月からコメントならびにトラックバックの受け入れは中止しています。悪しからずご了承ください。【追記20110901】楽天ブログでは現在、トラックバック自体が廃止になっています。
2005/08/22
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会ったこともない、顔も知らぬ中高年の男5人(1人は若干若かったけど御免!)が、ある日集って意気投合して、話も弾む。そんなことはまずなさそうに思うだろうが、それが現実に起こることもある。徳島に住むブログの友人の「きんちゃん1690さん」から、彼のブログのオフ会を大阪で催すという連絡をもらった。そこには、彼も会ったことのない4人がやって来るという。 ブログを通じて知り合った友人と、僕もこれまで、実際に何人か出会った。しかし基本的には今も、ヴァーチャルな付き合いから一歩踏み出すのは、極力慎重であった方がいいと思っている。慎重さを欠いたが故にトラブルに発展したケースも聞くし、悲劇的な結末を迎えた話も新聞などで報じられている。だから、書き込みやメールのやりとりをかなり長く続け、その人の人間性やキャラクターをかなり把握したうえでないと、会ってみようとは思わない。 ヴァーチャルな付き合いだけで、人間性は分かるのかと聞かれれば、100%とは言わないが、かなり分かると言える。例えば、書き込みへの返信や、メールの返事でも、きっちりしていて、文章にも誠意が感じられる人に、まず悪い人はいないと思っている。人柄は文面と几帳面さににじみ出る。 話が本題から若干それたが、「きんちゃん」は、僕のブログに初めて書き込んでくれたとき以来、そんな几帳面で、誠意あふれる人柄だった。だから、お誘いを受けても、僕はまったく躊躇しなかった。 きんちゃんはなぜか、出会いの場所に僕のブログの友人の店でもある「あらかし」を指定した(写真左上=「あらかし」入り口にはチーフの似顔絵)。何を食べても美味しいお店と、僕が以前ブログで紹介したあの「あらかし」に惹かれたようだ。 僕は仕事があって、少し遅れて合流した。すでに4人がテーブルにおそろい。最初は、どの方がきんちゃんか分からなかったが、「**です」と自己紹介すると、きんちゃんが立って、「**でーす」とすぐ挨拶してくれた(写真右上=初対面の5人で「あらかし」で記念撮影)。 ブログでも、トラッド・ファッション好きと聞いていたが、噂通りのかっこいいトラッド紳士という感じ。一分の隙もない着こなしだ! そういうトラッド好きのきんちゃんのブログ仲間とあって、皆さんそれぞれ、トラッド・ファッションできまっているー! 集まったのは、きんちゃんと僕以外では、なんと新潟から参加のトラ松さん、大阪のトライ21さんと、トラ松さんの大学の後輩で、現在は大阪在住のSさん。早速、生ビールで乾杯して、「あらかし」の美味しい料理を次々といただく。名物の「豆腐三昧」はすでに注文されていて、僕が着いた時には、すでに半分ほど食べられていた。 僕おすすめの「ダチョウの塩焼き」「自家製コロッケ」も当然注文したが、予想通り、皆さん「美味しい、美味しい」を連発。でも、皆さん、お酒は進むんだけれど、あんまり食べないねぇ…。食べないで飲んでばかりは体に悪いよー、と思いながら、僕はしっかり食べてました(写真左下=僕ときんちゃん=BAR「M」で。初対面のような気がしませんでした)。 さて、「あらかし」の後は、最初はしっとり落ち着いたBARにでもと思っていたのだが、4人という人数(Sさんとはここでお別れ)と、相当みんな出来上がっていることを考えて、急遽、行き先を僕のホームグラウンド・ピアノBARの「M」に変更。北新地へ向かった。 「M」は火曜日ということもあって、すいていた(ほぼ貸し切り状態!)。おまけに、僕といつも歌伴をしているSさんもちょうどこの日は店にいて、ラッキーの一言。乾杯した後、歓迎がてらに早速、僕のピアノでSさんに2曲ほど(竹内まりやの「駅」とクリスタル・ケイの「Motherland」)歌ってもらう。 きんちゃんも含め、一緒に来たみんなは「うまいなぁ、いい声してるなぁ」と、ただただSさんの歌声に聴き惚れている。それに刺激されてか、トラ松さん、きんちゃんもマイクを持って登場! なかでも、きんちゃんの「悲しい色やね」は、情感こもった歌い回しで、最高でした(写真右下=きんちゃん熱唱。この時の伴奏は「M」に時々顔を出すピアノの先生です)。 「M」を訪れる時、僕はいつも「マイ楽譜」(洋楽&邦楽)を持参で来るのだが、予定外の訪問だったのでその準備はなく、「M」に置いたままにしている僕の古い楽譜などを使って、なんとか歌伴をした。応えられなかったリクエスト曲も何曲かあった(ごめんなさーい。次回はちゃんと準備万端で臨みまーす)。 きんちゃんら御三方とは、「M」でお別れ。僕はSさんと、もう少しセッションを楽しんだ。きんちゃんの日記によると、あの後、ラーメンを味われたとか。そりゃ、一次会はあまり食べずに、皆さん喋って飲んでばかり。そりゃお腹もすいたでしょうに…。 冒頭にも書いたけれど、会ったこともない5人の男が数時間を共にして、意気投合した楽しい一夜。ファッションと音楽という共通の趣味・嗜好を通じて、こんな出会いがあるとは…。ブログが取り持ってくれた不思議な縁にただ、ただ感謝するばかり。
2005/07/29
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25日夜、なにわの町に夏本番を告げる風物詩、天神祭見物に出かけた。普段の年は、蒸し暑い最中に、兵庫県からわざわざ出かけることはないけれど、今年は祭の名物「船渡御」(ふなとぎょ)と、恒例の大花火が間近で見られる友人宅から、嬉しいことに招待を受けたのだ。 大阪天満宮の祭でもある天神祭は、日本三大祭の一つで、千年余の歴史を持つ。祭りの出し物はいろいろあるが、なかでも天満宮周辺の川をたくさんの奉納船が練る船渡御がとくに有名だ。 船渡御は天暦5年(951)、川に流した神鉾が再び流れ着いたのを氏子が船を仕立てて出迎えたのが始まりとされる。何度も消滅の危機があったが、町衆の力で守り育てて、今日に至っている。 友人宅は、帝国ホテル大阪のすぐ隣に建つ高層マンションの22階。花火の打ち上げ場も川を挟んですぐ向かいで、船渡御の船列もよく見えるという絶好のロケーションである(写真左=近くで見ると凄い迫力。台風接近で風が強かったので、打ち上げ後に火の粉も飛んできた)。 午後6時半ごろ友人宅に集合。集まったのは我が家以外の友人も含めて、約10人。マンションのバルコニーから下を眺めると、辺りはすでに花火見物目当ての人、人、人で、道路も、川辺も、橋の上もほぼ埋め尽くされている(人出は最終的に、大阪府警の発表によれば、約93万人)(写真右=バルコニーから大阪城方向を見る。中央右奥、白くライトアップされているのが天守閣。ピンボケ御免!)。 船渡御の(約100艘出るという)船上では、早くもビールを飲んで盛り上がっている様子。「打ちましょ」ばん、ばん(手拍子)、「もひとつせー」(ばん、ばん)、「祝おうて三度」(ばばんが、ばーん)という大阪三本締めのかけ声が船の上からも聞こえてきて、否が応でも、祭の雰囲気は盛り上がる。 我々は、取りあえずビールではなく、シャンパンで乾杯! そして、友人が、この日のために注文しておいてくれた「たん熊」の美味しい松花堂弁当(写真左下)を肴にして、花火の開始を待つ。お重のほかに、刺身や吸い物まで付いている豪華版で、幸せな気分(持つべきものは心優しい友人!)。 テレビでは、東京ヴェルディ対レアル・マドリードの試合をやっているが、観光気分のレアルはあまり緊張感がないのか、開始早々、ヴェルディに1点を先制される有様。スタジアムにも空席が目立つ。毎年のように小銭稼ぎに日本にやってくるレアルにファンも少々あきたのか? そんなことを考えていると突然、窓の外からバン、バーンと花火の音だ!聞くところでは、この夜打ち上げられる花火は計約4千発という。約10分間隔で2カ所の打ち上げ場から、6、7分くらいの間、次々と趣向を凝らした花火が上がる。夜空に光れば、キティーちゃんの顔になるという面白いのもあったが、写真に撮れなくてすみません。 打ち上げがいったん休止すると、バルコニーから室内に入って、またビールとお弁当に食べる。食べていると、また打ち上げが再開されて、「そら、始まったぞー」と、箸を置いてどたばたとバルコニーへ。あわただしいけれど、華麗な花火の醍醐味には勝てない。 花火打ち上げは夜9時ごろまで約2時間続いた。花火大会は何度も見ている僕だが、こんなに迫力ある花火を見たのは生まれて初めて。友人には心から感謝しなくてはいけない(写真右=フィナーレの大花火。夜空一面に、ダイヤモンドの花が咲いたような美しさ)。 デジカメ持参で行った僕は、綺麗な花火を撮ろうと何枚もシャッターを切ったが、なにぶん今持っているデジカメで花火を撮るのは初めてで、準備不足。スローシャッター・モードで撮ったにもかかわらず、出来はいまいち(プロから、花火の撮り方のアドバイスを事前に聞いておけばよかった…と反省)。 という訳で、今回の写真、若干ピンボケばかりでーす。すみません。来年は必勝を期します。でも、また来年も呼んでもらえるかなぁ…。
2005/07/27
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寝ている間に、夢をよく見る方だと思う。夢をよく見るのは、眠りが浅い(いわゆるレム睡眠?)からだとも言われるが、夢を見たからと言っても、翌日、寝不足気味っていうことでもない。医学的にはどうなんだろうか? それはともかく先日、奇妙きてれつな夢を見た。有名人が出てくる夢は結構よく見るが、場所はサッカー・グラウンドのような広い芝生の隅っこ。そこになぜか、あぐらをかいて座っているミック・ジャガーがいた。ミックは通りかかった僕を呼び止めた(確か、英語で…)。ミックは上は白いTシャツ、下はジャージ姿。それに何と腹巻きをしている(何という珍妙な格好!)。 僕を呼び止めたミックは、僕がしていた腕時計を指さして、「オレの持っている腕時計と交換してほしい」と言った。そして、腹巻きの中から次から次から、いろんなデザインの腕時計を(10個近く)出して、僕に見せ、「好きなのと交換してくれ」と頼んだ。 僕の腕時計は昔、ロンドンの「蚤の市」で買った安物。だけど、個人的にはとても愛着ある品。僕は「ダメだ」と断った。しかし、ミックは執拗に「交換してくれ」と食い下がる(写真左=「奇妙な夢」という言葉から僕が連想したのは、ゴッホの絵「星夜」。晩年のゴッホの精神状態を映すとも言われる)。 その気迫に根負けした僕は、仕方なく、ある時計との交換でミックに僕の腕時計を渡した。するとミックは喜んで、グラウンドを去って行ったという、訳の分からない、変ちくりんな夢(ちなみに、この夢の出来事を、連れ合いに話すと、「ミックが腹巻きー?!」と言って、思いきり笑っていた)。 さて、この夢はいったい何を暗示しているのか、夢は心の内面を映すとも言う。自分でもとても気になった。そして、「夢」と「診断」というキーワードを打ち込んで、Yahooで検索してみたら、あるわあるわ、「夢診断」関係のサイトの数の凄いこと!(写真右=夢に出てきたミック。最近はジュード・ロウ主演のリメイク映画「アルフィー」の主題歌で話題に)。 そのうちの一つで、調べてみる。まず、ミック・ジャガーという有名人が出てきたこと。ミックは好きだけど、別に夢に出てきてほしいほど好きという訳ではない。 あるサイトでは、「気にしている有名人(芸能人)が夢に出てくるのは、その人物の情報が脳の中で整理されている途中であるから」と解説。逆に「気にしていない有名人なら、毎日行われる脳内の整理の小さなミス」とか。僕の場合は、ここ最近、ミックのことが気になって仕方ないという訳では全くないので、後者の方だろうか。 では、「腕時計」は何を暗示しているのか? ぴったりの説明はなかったが、別の「夢診断サイト」の「夢に***が出てきたら」というページに、「時計」は、「死に対する恐れ」「取り返しのつかないことをするのではないかという不安」「気持ちを緩めてはいけないという自らへの諫め」「仕事や勉強への焦り」などとあった。 ついでに、「腹巻き」は何なんだと調べてみたが、さすがにそんな解説はどこにも見つからなかった。いずれにしても、そんな奇妙な夢は、あまりいいことを暗示しているのではなさそう。僕の最近の心の内(揺れ)を、微妙に反映しているのかもしれない。 ミックが交換してほしいと言った腕時計は幸い、まだ僕の手元にある。1年半~2年に1度電池は交換しているが、日本円で3500円くらいの品物だったにもかかわらず、約8年近く経った今も故障もなく、時を刻み続けてくれる。もちろん、本物のミックが頼んできても(アホか!)譲るつもりはなく、壊れるまで大切に使うつもりだ。
2005/07/21
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グラスによって、酒の味は変わるのかどうか? 答えは「イエス」だ(と僕は信じる)。同じお酒を飲むにもグラスにこだわれば、確実に酒はおいしく味わえる。これは、僕の個人的な意見ではなくて、多くのバーテンダーも同じことを言う。 例えば、バーテンダーの間で人気のあるスコットランドの「エジンバラ・クリスタル」のグラス、1個1個が職人の手作りというが、カットの技術はさすがに素晴らしい(HOYAや佐々木クリスタルも、残念ながら勝てない…)。 エジンバラ・クリスタルは、日本ではオフィシャルな輸入代理店はない。ネットで取り扱う業者はあるが、1個1万数千円から2万円近くなんて、法外な値段を付けている。面倒くさくても、エジンバラ・クリスタルの公式HPのショップで直接買うことをぜひお勧めする(半額くらいで買えるし、決済はVISAとかで簡単にできる。注文して英国から10日ほどで届きます!)。 グラスで味が変わると言っても、ただ値段が高ければいいというものではない。値段や材質よりも、(1)グラスの形(2)カットなどのデザイン(3)作者がグラスに注いだ愛情――が重要だと、僕は思う(写真左上=エジンバラ・クリスタルのロック・グラス。独特のカットが素敵です)。 「形」は、飲む酒によって向き不向きがある。味だけでなく、香りも楽しむウイスキーやブランデ-、ワインなら、絶対に先細で、香りをグラスの中に閉じこめられるようなグラスがいい。テイスティング・グラスの様な形で、飲む際の香りと、飲んだ後の「アフター・テイスト」が楽しめるグラスが、僕は一番だと思う。 「カット・デザイン」は好みの問題だ。装飾も何もないシンプルなグラスがいいという人もいる。それはそれでいいと思う。ただ、僕はカット・グラスが好きだ。このカットのデザインに込めた職人の思いを想像しながら飲むと、同じ酒がより美味しく味わえる(写真右=1900年頃のカクテル(シャンパン?)グラス。カットの文様が面白い)。 機械生産のグラスがほとんどの現代でも、もちろん職人が、1点1点手作りするグラスはある。ただし、カットや吹き付けなどの高度な技術を継承しているグラス職人の数は、昔に比べてはるかに少ないという。 とくに、ヨーロッパでは激減しているという。昔、東京・南青山のBar「2nd Radio」を訪れた時、アンティ-ク・グラスの収集で有名なオーナー・バーテンダーのOさんが、「(第二次世界)大戦後のグラスは、いいものがほとんどありません。職人の腕は戦前の方が圧倒的に上です」と話していたのを思い出す。 僕もアンティーク・グラスが好きだ。古いグラスで、デザインが凝ったものには目がない。8年ほど前、ロンドンを訪れた際も、アンティーク専門のガラス器の店に行き、19世紀半ばのものというリキュール・グラス(写真左下)に一目惚れして買った。 これがわりと大ぶりで、60ml近く入る容量。カクテルに使っても映えるので、とても重宝している。「約150年前、このグラスをどんな人が使っていたんだろうか」と想像しながら飲むのも楽しい(お値段も、日本円で3500円くらいと、とてもリーズナブルだった!)。 今でも、百貨店などで「ヨーロッパの骨董市」とか「英国フェア」とかが開かれると、会期中に必ず覗く。まめに通っていると時々、掘り出し物に出合える。気に入ったものがあれば、つい衝動買いしてしまう。 もちろん衝動買いと言ってもキリがないので、一応、原則として1個5千円以内という「枠」は自分にはめている(一昨年は、朝食用の薄切りパンを挟んで立てる銀製の器を見つけた。ロンドンで泊まったホテルで見て、ずっ~と欲しかったもの)。 連れ合いからは、「そんなに買ってどうするの? 墓場まで持っていくつもり?」と時々怒られる。男にはなぜか、グラスに限らず、こういう蒐集癖がある。女性にはほとんどない。それは、たぶん男と女のDNAの違いだと思う(許してくれー!)。 もちろん僕も、そんなアンティ-ク・グラスを「棺桶に一緒に入れてくれ」と言うつもりは、さらさらない。たぶん遺言状には、「僕の一番お世話になったバーテンダーに寄贈してくれ」と記すつもりだ。職人の汗と愛情がこもった素晴らしいグラスを、僕一代でこの世から消す訳にはいかない。
2005/07/11
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7月1日付で異動する会社の上司の送別会が、昨日開かれました。1次会の後、2次会、3次会と梯子して、帰宅したのは午前1時すぎ。 その後、ベッドに入って眠りについたあと、かなり激しい胃の痛みが断続的に襲ってきました。以前にもらった腹痛の薬を飲んで、とりあえずは少し収まりましたが、まだ本調子ではありません。熱も少しあるようです。 薬が効いてくるまでの間がなんと長かったことか。暴飲暴食の報いがきたのでしょう(たぶん、食中毒とかではないと思います)。会社の診療所にこれから行って、診察してもらい、新しい薬をもらってきます。 昔の、若い頃のような体力もパワーもないのだから、もう少し自分の体を大切にしてあげなくてはいけない、とつくづく反省した次第。という訳で、本日は、まともな日記を書く体力も気力も起こりません。ごめんなさーい。 25日に「復活」できればと願っています。皆さまも、くれぐれも僕のような暴飲暴食はせず、お体ご自愛ください。
2005/06/23
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梅雨入りしたというのに、雨はほとんど降らない。雨が降らないのは、JRの脱線事故で家族や友人をなくした人たちが、「涙の雨を、もう枯れて出なくなるまで降らせてしまったから…」と言う人がいたが、それほど、事故後の関西は悲しい、重苦しい日々が続いた。 皆さんもご存じのように、脱線事故で107人もの犠牲者を出したJR宝塚線(福知山線)が55日ぶりに、19日(日)から運転を再開した。新聞やテレビのニュースによれば、事故現場を通る際、窓に向かって手を合わせる乗客の姿が目立ったという(写真左 (C ) Asahi Shimbun )。 かけがえのない家族をなくした遺族にとっては、運転再開は、悪夢を思い出させる節目に映るかもしれない。第1回の遺族説明会も始まり、これから補償交渉は本格化するが、遺族にとっては「お金よりも家族を返してー」という思いが、いまさらながら募るだろう。 僕は同じJRの神戸線で通勤しているので、尼崎駅は通過するか、乗り換えの駅として使うだけだった。だからこの55日間、直接、通勤で迷惑を被ることはなかった(ただ帰りは、尼崎止まりの列車が増えて、乗り換える回数が増えたのは面倒だったが…)。(写真右=事故現場を通過する運転再開の電車 (C ) Kyodo News )。 それはともかく、この事故で改めて思ったことは、効率とか便利とかスピードをただ追い求めることのむなしさだ。別にダイヤ通りでなくても安全であることの方が、非効率であっても環境にやさしいことの方が、競争よりも助け合いの方が大切ではないのかということを、気づかせてくれたのもこの惨事だった。 そう言えば、以前ならダイヤの遅れにすぐ文句を言ってた乗客も、最近は、10分以内の遅れなら、寛容になったような気がする。海外で列車に乗ったことのある方も多いと思うが、海外では(とくにアジアかな?)列車のダイヤがいい加減なことが有名だ。 昔、ニューヨークから列車に乗り、コネチカット方面の電車に乗ったときのこと。列車の発車時刻は一応、印刷されたものはある。だが、現地の人から「ダイヤはあてにならないよ」と聞いていたので、時間の余裕を持って、マンハッタンのグランド・セントラル駅へ向かった。 驚いたことに改札口がなく、切符を買って、そのままホームへ行って乗るだけ。列車は案の定、約10分遅れで発車したが、発車の合図(ベル)もまったくなし。「次は**駅ー」というアナウンスも途中、あったり、なかったり。要するに、自己責任の世界と言えばいいのか?(車内検札は一応あったように記憶しているが…)。 フランスでパリ市内の駅から、ヴェルサイユ行きの列車に乗った際も、改札口はなく、車内検札もなかった。日本のような、ホームや車内での過剰なアナウンスも一切ない。終点のヴェルサイユ駅では、改札口にある箱に切符を入れるだけ。「これじゃ、キセルしてもばれないねー」なんて、連れ合いと話していたのを覚えている。 それに比べて、日本ほど便利で効率的で、何事にも時間の正確さを求める国は、おそらく世界中探してもないだろう。うちの近所には、歩いて数分の圏内に24時間開いているコンビニやスーパーが計3軒もある。 だが、そんなにたくさんコンビニがあっても、深夜、買いに来る人の数はしれている。明日の昼頃には、また、弁当や生鮮食品などが「賞味期限切れ」を理由に、大量に廃棄されるのだろう。無駄な生産がなんと多いことだろうか。 今年は、身近な生活を一つひとつ見直していこうと思う。他人と競争することには、甲状腺がんの手術をしてから、ほとんど興味はなくなった。無駄なモノを買ったり、環境に優しくないことをしたり、そんなことをしていないかどうか、もう一度、一つひとつ自分に問い直していこう。 水無月。我が家のアジサイも、見頃の季節になった(写真左下)。季節季節の花たちを、普通に、当たり前に愛(め)でられる、ささやかな幸せがいま一番うれしい。
2005/06/21
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懸賞運はあまりよくない。「抽選で当たります」というものに応募しても、なかなか当たった験(ため)しはない。お年玉付き年賀葉書も、昔、1度「ふるさと小包セット」というのに当たった以外は、毎年、末賞の年賀切手ばかりがたまる(唯一の幸運な例外は、雑誌の懸賞で、サイバラこと、西原理恵子の自筆絵&版画が当たったくらい→4月21日の日記参照)。 それが一昨日、「宅急便でーす」というので受け取ってみたら、洋酒メーカーN社からの「竹鶴17年」のボトルが入っていた(写真左)。こんなの注文した覚えはないぞと思ったら、封書が一緒に入っていた。 その封書曰く、「この度は、『飲んでみよう 竹鶴が当たるキャンペーン』にご応募頂き、御礼申し上げます。厳正なる抽選の結果、多数の応募を頂戴いたしました中からご当選されました…」と。 そう言えば、2カ月ほど前、近所の酒屋さんでキャンペーンに応募した記憶があった。と言っても、1枚の葉書に住所と名前を書いて店の方に渡しただけ。僕自身、渡したこともすっかり忘れていたくらいで、思わぬ「福」に正直言って驚いた。 もともと、この「発送をもって発表に代えさせて頂きます」式のキャンペーンには、疑念があった。本当に厳正に抽選しているのか、公言しただけの数の当選者に賞品を発送しているのか…等々。N社についても、何度もキャンペーンに応募したことがある。応募にはボトルに付いてるシールが必要なので、家で飲むウイスキーはその時はN社の製品に絞って、せっせとシールを集めたが、運に見放されているのか、当選したことは皆無だった。 9カ月ほど前にも、ウイスキーのミニ樽ディスペンサーやクリスタル・グラスが当たる同社の感謝キャンペーン(写真右=そのキャンペーンの際のちらし)なるものがあり、計10枚、30口近くを葉書で応募したが、「発送をもって発表」の時期とされていた今年の2月を過ぎても、まったく音沙汰はなく、結果は同じだった。 昔、いろんな会社でのアルバイト経験が豊富な友人から、「『発送をもって発表に代えさせて…』なんてキャンペーンは、ひどい会社だと、賞品は社内や取引先の関係者だけで山分けしたり、もっとひどい会社だと、賞品自体を最初から用意してなかったりする…」という暴露話を聞いたことがある。 N社がそうだとは言わないが、販促の「エサ」に使って、実際は賞品を用意しない会社もあるんだろうなと思う。そんな、もやもやした気持ちをずっと持ち続けてきた僕だから、正直言って今回の当選は驚いた。10枚出しても当たらないのに、たった1枚の葉書で当選するなんて(世の中そんなもんだ、と言ってしまえばそれまでだが…)。 それはともかく、今回の幸運をくれたN社には、少しは感謝しなくてはなるまい。連れ合いからは「今年の運はもう使い果たしたわねー」とからかわれるし…。さて、今年の後半はもう、あまり運には期待しないことにするか?
2005/06/03
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na_geanna_mさん、Pattieさん、まつもとちあきさん、ステラビアさん、カピタンさん、Ayakhさん、武則天さん、きんちゃん1690さん、久里風さん、はなだんなさん、アトムの妹さん、ふるさん、すまいりぃNORIさん、Stonedさん、YSOさん、カーロさん、hannaさん、ケルティック・タイガーさん、伊吹さん、kairi0017さん、mimiさん、Ladybirdさん、T.T.T.さん、piroshiki19692さん、Suzuckさん、ミスターKさん、rakuten-aiさん、ぶーきちさん、はるるさん、imagineさん…(順不同でーす。名前を挙げるのを忘れた方いたら、ごめんなさーい)。 その他、「縁」あって僕のページと出逢い、いつも書き込みをしてくださる(&これまでに書き込みをしてくださった)優しい皆さまへ。 新緑が目にまぶしい季節。早いもので、去年の11月28日にこのページを始めてから、今日でちょうど半年になったヽ(^0^)ノ。飽きっぽい性格の僕が半年もなんとか続いたのは、皆さんの書き込みによる「叱咤激励」のおかげだと心から感謝している。 このページ(ブログ)で知り合った方は、みんな素敵な方ばかり。実際に会ったことのない方がほとんどなのに、随分と昔からの親友だったような気持ち(僕が一方的に)になっている方も多い。 「遠くの親戚よりも近くの他人」ということわざがあるけれど、今の僕にとっては、「遠くの親戚よりもブログの友人」という感じ(写真左=「徳島の旅報告(5月16日)」でも紹介した本邦初公開! ピアノを弾く僕=5月14日夜、Jazz Cabbin88で)。 「会ったこともないのに、どうして相手が素敵だってわかるんだ?」と、ある時、会社の同僚から聞かれたけれど、コメントやメールを何ヶ月もやりとりしていると、相手の人間がはっきりと見えてくる。どんな考えの持ち主か、自分と合う人か、信頼できる人かそうでないかも、分かってくる。 もちろん新聞には、いわゆる出会い系サイトなどでそうやって知り合って、悲劇的な結末になった話も、何度も報じられている。だから、バーチャルの一線を超えるときは、できるだけ慎重に考えてから、超えるべきだと思っている。 酒やBAR巡りに始まって、ピアノやギターのこと、JAZZのこと、歌伴のこと、大好きなミュージシャンのこと、そして時々は映画や料理、ガーデニングのことも書いたりした。なかでも、自分でも予想外の反響があったのが、各地に旅した報告、そして方言の面白さ、奥深さに触れた時。 自分の体験・経験に引き寄せて、具体的に書く/同じカテゴリーで連続して書かない/他の方の「得意分野」を侵すことはできるだけしない--などの最低限のハードルは、一応、自分に課しているつもり…。幅広いテーマで、あれこれいろんなことが書けたのは、生来の旺盛な好奇心のおかげで、「双子座&O型」に生まれたことを感謝しなければならない(笑)。 ただ、そうは言ってもネタ探しは、正直言ってほんとに大変(いくら好奇心旺盛とは言え、僕にだって、不得意分野や関心のない分野はある)。去年は毎日更新した。それがあまりにも辛くて、今年に入ってからは2日に1回の更新に変えた。それでも2日間はあっという間。その日の日記を書き終えた夜、「おい、2日後の次回のネタがないぞー、大丈夫かー?」と耳元でささやかれてる夢を見ることもある。 東西の老舗BARも、クール、Bordeaux、ルパン、神谷バー、サン・スーシー、吉田バー、十三トリス、サンボア、Baby、Yanagase…と、かなり書き尽くしてきて、「持ちネタも残り少ない」状態(老舗BARはまだあるかもしれないが、自分の知らない店のことは書けない)。 ミュージシャンを取り上げるにしても、通り一遍の紹介にはしたくないので、個人的な体験を交えつつ、できるだけ具体的なエピソードを記すように努力しているが、それもネタがあってのこと(写真右=これも本邦初公開! ギターバンド時代のライブ風景。右端が僕。70年代前半だから、やはり若いなぁ…)。 行ったことのないBARのことや、ほとんど聴いたことのないミュージシャンのことを、知ったかぶりして書くなんて絶対にできない。想像だけで書くなんてはしたくない。だから、僕1人の行動力で表現できる限界が、少し見えてきたような感じもする。 開設1カ月の時も書いたけれど、読まれる方のこともよく考えず、いつも、ついつい長くなってしまうのが悪いクセ。読まされる皆さんはさぞかし疲れると思う。本当にごめんなさーい! 本業のサラリーマンをやりながら、2日に1回欠かさず続けるというのは少々重荷だが、「継続は力、継続が友人の輪を広げる」と信じて、可能な限り、体力と気力とネタが続く限りこのペースは維持したいと思う。引き続き、皆さんのご愛読よろしくお願いしまーす! PS.海外から、僕のページにアクセスしてくださる皆さん、できればぜひ何か皆さんの「足跡」(感想)を残していってくだされば、とても嬉しく思います。どういうきっかけで僕のページにたどり着いたのかも、併せて教えていただければ幸いでーす。
2005/05/28
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5月に入って、パーシー・ヒース、モニカ・セッテルンドと、個人的に思い入れがあった方が相次いでなくなり、日記に触れた。悲しい思いをしていた矢先に、昨日の朝刊が、人気ブランド「VAN」の創業者で、服飾デザイナー&評論家の石津謙介さんの死を伝えていた。93歳。死因は肺炎。記事には「故人の遺志で献体し、葬儀は行わない」とあった。 「VAN」と言えば、60~70年代に青春時代を過ごした僕のような世代にとっては、このうえなく愛着あるブランド。英米の若者ファッションを日本に紹介し、ファッションだけでなく生活スタイルすべてに多大な影響を与え、ブランド自体が一つの文化だったと僕は思う(写真左=オフィスでの石津氏。 (c)石津氏のHPから ) 僕自身、中学、高校生の頃から「VAN」や「KENT」など、石津さんが生み出したブランドの服のデザイン、すなわちアイビー、トラッドといわれるファッションに慣れ親しんできた。それまでの国産メーカーの洋服にはなかった、決定的な新鮮さ、ある種の洗練されたセンスを感じてきた。 以来、ウン十年。僕にとって、ファッションのベースは、一時の流行に触発されて若干「遊ぶ」ことはあっても、常に中心線は、アイビー&トラッド・ファッションだった。だから、石津さんとVANは、僕にとって、ファッションの骨格のような存在だった。 実は、石津さんと僕は思わぬ縁がある。新聞にも記されていたが、VAN・JACKET創業(1951年)の地は、大阪市南区北炭屋町14番地である。現在は中央区西心斎橋1丁目と地名が変わっているその地は、僕の卒業したM中学校と目と鼻の先の、歩いて1分ほどのところにあった。 創業の場所には、2階建てのアパートのような建物が建っていた。VANそのものは55年に東京へ本社を移したが、その後も60年代後半まで、大阪の創業の地は社の施設として使われ続けた。 今でもよく覚えているが、VANのあった場所は、表通りから細い路地を15mほど入ったところにあった。そして、通りには目印らしいポールが立っていて、その先にはあのVANのロゴを記した看板が吊されていた。 学校帰りに、僕はいつもその看板を眺めていた。ときどき路地の奥にある事務所を覗きに行ったが、スタッフが中で何をしているかまでは、その当時はあまり興味はなかった(写真右=VANやアイビー、トラッドがらみの本は今もなかなか捨てられない)。 後年、石津さんのご子息の祥介さん(僕より年上だが)、僕と同じ大阪府立のK高校を卒業されていたことを知った(文芸春秋の「同級生交歓」というページで)。おそらく、創業間もない頃の大阪時代、祥介さんは家族と住む大阪の自宅から通っていたのだろう。石津ファミリーとのさらなる接点を知って、嬉しい気分になった(写真左下=貰ったノベルティ類や、昔使った定期入れも今も手元に…)。 VAN倒産後の石津さんは一時期、不遇の時を過ごしたが、その存在を忘れない多くのファンの支えもあって、再びファッション・リーダーとして復活した。僕が何よりも感銘を受けたのは、つつましいなかにも心豊かに暮らした石津さんの晩年の生活だ。 10年ほど前、石津さんの暮らしを追うテレビ番組を観たことがある。都内の狭い一戸建てが終(つい)の棲家(すみか)だったが、そこでは、質素な食事と服装で過ごし、晩年でも台所に立って自ら料理もつくられた。小さな庭では野菜も作っておられた。番組で着ていたブレザーは、「30年前のものを、今も大事に着てるんだよ」と笑っておられた。 唯一の贅沢が、愛車のミニ・クーパーだった。80歳を過ぎてなお、車のハンドルを握ることには賛否があるかもしれないが、それでも、僕は石津さんのおしゃれ心というか、こだわりに、「格好いいなぁー」「僕も、こんなおじいちゃんになりたいなぁ…」と番組を見ながら素直に感動していた。 生前、石津さんは「私は流行は作らない。風俗をつくってるんだ」と口ぐせのように語っていた。その言葉通り、VANは未来へ続く風俗の礎をつくった。VAN創業の地が大阪であったことは、今も僕ら関西のトラッド・ファンの自慢でもある。石津さんの服飾文化への貢献に感謝するとともに、同じ時代に生きることができた幸せを心から喜びたい。合掌。
2005/05/26
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