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わたしはイタリアに居ながらも、サッカーには超うとい。しかし最近、ドイツWカップを前に、TVをつけるとサーカー選手をふんだんに使ったCMが盛りだくさんなのでイヤでも選手と芸能人の区別ぐらいはついてきた程度だ。しかしその中でトッティ選手はわたしの中では特別である。わたしより少し前に試合中、足を骨折した彼。療養中、ドンジョイをつけて美人妻と歩いている姿がTVに映し出されると、共感を持たずにはおられなかった。最近やたらお目にかかる、彼がドイツのあるお屋敷で家政婦さんに「1、2、1、2!」と足をリハビリされているTVCM。わたしはこれを見てからというもの、おっとに同じことをしてもらって、ささやかにトッティと同じ境遇を噛み締め、自己満悦に浸っていたのである。しかし昨日はびっくりした。彼は試合に復帰して、終了後、汗まみれで記者会見をしているのだ!「骨折後72日目の試合復帰。」とニュースは言っている。わたしも事故に遭ってから約60日。後12日でこんなに男と男がぶつかりあうハードな運動が出来るようになるのか!?わたしならこわい。また簡単に同じところを骨折しそうじゃないか?****同じ境遇のわたしとしては、自分の72日後の状態が想像つく。毎日リハビリに通い、家でも1時間おきにせわしなく運動をしているおかげでまだまっすぐは立てないし、あまり左足に力は入らないけれど、だいぶ足が動くようになってきた。足を屈伸するたびに膝がポキポキ鳴る。リハビリ師「この音はいい兆候よ。固まっていた膝がほぐれてきてるのよ。」そうか。変な音におびえていたので、かなりうれしかった。おとといは10日間1セットのリハビリが終えた後の診察だった。労災の自宅療養期間は来週火曜日に切れる。なのでリハビリ科の院長がそれまでに間に合うように少々きつめのメニューを組んでくれたのだが。。。院長「う~ん。。だいぶマシになってきたけど、まだこの状態でリハビリをやめたらダメだわ。20日間何もせず固定したままだったのが引きずってるわね。あともう1セットしましょう。」ガク。そう、72日後、というのはリハビリが終了したばかりのまだ心もとない状態なのだ。ところで昨日もまた機械の振り子運動に身をまかせていると、そばにずらっと並んだうちのひとつの個室のカーテンの向こうが騒がしい。この個室には固い治療用のベッドが並んでいて、そこで寝転んだ状態のリハビリを行なう。この中の患者、かなり無理なリハビリをしているんだな、と思っていた。今日もまたまた機械の振り子運動に身をまかせていると、その間、わたしの担当リハビリ師は退屈なので昨日のカーテンの向こうの騒ぎを語ってくれた。昨日は自転車に轢かれた、というモロッコ人男性が救急車で運ばれてきたのだ。なぜ、自転車に轢かれたぐらいで救急車かというと、すでにその男性は、石膏で足がまっすぐに固められた状態で歩いていたので2重の不幸だったらしい。付き添ってきた兄弟の話によると彼は1ヶ月前にイタリアに着いたばかりのときに事故に遭った。ここの病院の医師が石膏をはずしてみると、わたし同様左膝が骨折しているのに、手術もせず、しかもそんな場合は石膏は少し曲げた状態でつけなければならないものをまっすぐにつけたため、足が変形してしまっていたという。そんな間違いだらけの処置をどこの病院でやったか問いただしてみても、怪我人本人はまったくイタリア語が皆無で、付き添いの兄弟もたどたどしいのでわからないらしい。とにかく固めたまま、ここまで時間が経ってしまったのですぐさまリハビリ、ということになったのだが、彼は絶対に担当の女性リハビリ師に足を触らせようとしない。異様におびえ、嫌がるのだ。なので、そんな彼を昨日は説得の為に騒がしかったわけである。なぜ、足を触らせようとしなかったか?というと、彼らの社会ではまだ女性は気軽に男性に触れてはならないらしい。汗今日は今日で、彼はなんの身分を証明するものを持っていないので言葉の出来ない彼の代わりにリハビリ師が書類を作り、会計の支払いまで手伝って大変だったのよ、という話だった。この経緯を聞いて、トッティ以外に彼にもわたしは共感を覚え、深く同情した。着いたばかりの異国の地でこんな大怪我を負って、不法滞在者だから病院に行かずになんとか隠れて治療しようとしてこんなことになっちゃったんだな。実際は不法滞在者でも緊急の場合はパスポートのみで病院の治療が受けられる。でも、そんなシステムなんていったいどれぐらいのイタリア在住ガイジンが知ってるだろうか?ちょっとはずれるけど、わたしはイタリアの救急車のダイヤルが118番だなんて入院してからはじめて知った。前にも書いたが病院の診察の後にホームドクターにいちいち報告してその後の指示を仰がなきゃいけない、なんてことを知らなかったために放置して足の回復が遅れた。カトリック教会の美しいステンドグラス、フレスコ画の宗教画はむかしむかし、読み書きの出来なかった庶民の為に聖書の話をわかりやすく図解するために描かれたのが発端だという。こういった病院などの医療システムも、公共施設の外壁などに描いたり出来ないものか?ミラノの街の建物の壁は、ピンからキリまでの落書きで埋め尽くされている、というのにこの落書きエネルギーをこういった役立つものに変換できないものだろうか?*****こんなことをTVを見ながら書いていたら、あるCMが目にとまった。とあるスポーツ新聞のCMだ。こちらは、オマケつき雑誌や新聞がすごく多い。子供雑誌にはおもちゃ、女性誌にカラフルなビニールポーチつき、とかは当たり前で、最近は新聞にヒット映画のDVDつきとか、美術書つきとか、値段も12~15ユーロ(約1500円~2000円)もして、どちらがオマケかわからないようなものが増えている。このスポーツ新聞のオマケはなんとカーナビだった!「たった189ユーロ(約2万6500円)でカーナビがオマケについて来ます!」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。OH,NO.あ、ありえない。もうこんなの、オマケじゃない。
2006.04.28
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最近辛いことばかり書いているが。。。苦しい事もあれば、楽しみも日々の中に見出さないとやってられんわ!!と、連休にいろいろと気分転換を試みている。特に目目さん一家にはここのところお世話になりっぱなしだ。先週は彼らが最近借りた山の家に招待してもらい、今日は今日で目目さんの20歳の(大うそ)誕生日に招待してもらった。***山の家はミラノから2時間ほど北西に行ったところで目の前に大きな川があり、適度に我が田舎町ほどに拓けていて快適だ。ここに住んでいる人の大半は目目さん一家同様、近隣都市から週末だけ来る家族である。天気予報では雨が心配されたが、ここはイタリア。大はずれにはずれて、滞在3日間は小春日和のいい天気。1日目の夜はピッツェリアで夕食を取り、2日目の昼はおっとが南米料理を、夜は我々以外、すべて小さな子供連れの山のご近所さんたちとレストランに繰り出し、幼稚園の遠足にでも参加したようなすごい騒ぎだった。3日目には目目さん作チーズフォンディユを堪能し。。。ちなみにTOPはおっとと目目さん共同作「バナナ団子のスープ」。こうやってプロの目目夫様に写真に撮られると違う気品漂う料理のように見えてしまうのがすごい。「楽しい山」、というより「おいしい山」、と書いたほうがぴったりな滞在だった。せまい山の町なので、散策に外に出かけると必ず知り合いにぶつかり、バカンスに来ている人々は急ぐ用事もないので、おしゃべりに花を咲かせる。子供たちは子供たちで勝手にじゃれて。。。イタリア人はバカンスの時、日本人のようにあちこちを旅するタイプと、毎回同じところで過ごすタイプがいる。そういえば全然職種も住んでいるところも違うイタリア人達が集まったパーティでどうやって知り合ったのか聞くと「わたしたち、小さい頃から山(又は海)の友達なの。」という答えが返ってくることが多いのだが、このとき、なんだか納得できた気がした。小さい子供がいる家族などは、やっぱり行動範囲が制限されるから、こうやって山や海に家を買うか、長期で借りて過ごすのが快適である。子供も街には街の友達、山や海にはそこの友達がいて、親も安心して子供を他の子供たちに任せて自分たちのバカンスが楽しめるというものだ。あるひとは、釣りを楽しみ、あるひとはカヌー、あるひとはテニス、とさまざま。近隣には小さな山岳町があって、散歩に訪れるのもいい。彼らは思い思いに山の生活を謳歌している。これが知らない土地の見物などでは小さな子供連れではやはりゆっくり楽しめないだろう。昔、仲のよかったイタリア人の家族もマッジョーレ湖畔に家を持っていて、そこばかりに通っていて、何度かお邪魔させてもらったのだが「飽きないのかなあ?」と不思議だった。今、その飽きない気持ちがわかるようになってきたのは、歳を取ってきたからだろうか??***そして今日はミラノの目目さん宅のベランダにて目目さんの誕生日パーティ。以前、目目娘ちゃんの誕生日パーティにも招待してもらって、その時もかなり「おいしかった」のだが、今回は更にハイパーだった。大人の誕生日なので、大人の参加者、日本人の大人が多かったからなのか?酔うと性格が変わる人々が出現し(イタリア人はどれだけ飲んでも酔わないので、こういうところがいつも少し物足りないと思うわたしなのである。)、かなり面白かった!そんな日本人の酔っ払いを扱い慣れていないイタリア人たちが、目を白黒させながら、応対するさまが更に愉快で、笑いが止まらない。ああ、日本の飲み会が懐かしいよ。というか、正体を無くすまで飲み明かした大学時代が懐かしいわ。おっとは相当うれしそうだった。「こうじゃなきゃ、こうじゃっ!!ねえM村さん、一緒にサルサ、踊ります?」南美洲人には酔っ払った日本人がちょうど釣り合いが取れるようだ。何はともあれ、目目さん、20歳のお誕生日、おめでとう!!
2006.04.26
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わたしはここ数日無性にムカムカしていた。理由はこの日記にも何度も書いたおっとの従業員雇用問題である。あれだけ人選に悩んだというのに先日、帰宅したおっとはこう言ったのだ。「やっぱり従業員を雇うの、やめるわ。」わたし「ええっ、なんで?」***あの逃げ出したフィリピン人の後、ガットが我が家に夕食を食べに来た。おっとの周りではどうも「離婚」がブームのようで、ガットもブラジル人のエルトンよりも数ヶ月前に離婚している。なのでこのふたりは時々我が家に夕食を食べに来る。しかし、おっとも最近は「日本人妻を持つ、南米人らしくないおりこうちゃん南米人。」にわずかだが成長しつつある。だから奇襲することなく彼らと一緒に帰宅する1時間前には予告してくるようになったので、まだマシになったのだが。。。。。。うちは一膳飯屋じゃないで!!はじめのうちは、わたしはオタオタと冷蔵庫をかきまわして焦っていたのだが、ヤギたちはなんでも食べるので、最近は前日の残りの冷や飯に味噌汁をぶっかけたのも平気で出すようになった。(←最近は犬でもそんな飯は食べないか。。汗)話はそれたが、この日ガットは味噌汁をかきこみながら「こんなやり方じゃ、従業員なんて見つかるわけないじゃん。」という。わたしはおっとはガットを雇うつもりなんじゃなかったっけ?と思いつつ「へえ~、どうしてよ。」と聞いた。ガット「今ね、オレいろいろなひとをマルちゃんに紹介してるわけよ。で、話してみて大丈夫そうなひとだけを試験採用させてるんだけど、マルちゃんはいっつも初日に全部教え込もうとするから、みんなこわがって逃げちゃうわけさ。」おっと「そりゃ、一通り説明はするけど、1日で全部覚えさせるつもりはないよ。なんでみんなわからないのかなあ?」この時、わたしはガットの言葉に納得がいった。おっとがなにかをわたしに教える時は「星一徹」と豹変するのだ!(現にクルマの運転がそうである。)そうか、他人にもその態度なら、これでは誰も働きたがらない。わたしは「見つからなかったら困るじゃないか?」と胃が少し痛んだ。そこに持ってきて「従業員を雇うの、やめるわ。」宣言である。見つからないから諦めたか?おっと「違うよ、今日歯医者さんと治療の後、話をしたんだけど、どう考えてもたいした収入が得られないっていうことがわかったんだ。」わたしは飽きれた。「ちょっと待ってよ、そんなことは銀行の融資を受ける前に計算済みのはずでしょ?」おっと「あの時はガソリン代と保険代だけ差っぴいて考えてたけど、あと会計士とかエトセトラとかかかってくるし、今の君みたいに3ヶ月も仕事を休むような事故に遭われたら、完全な赤字だよ。」「ええっ、そんな当たり前のことも事前に考えていなかったわけ?!」わたしはカッと頭に血が昇った。「もう、銀行の融資を受けちゃったのよ、近いうちに従業員を雇って収入を得る計算で歯医者やら、未払いのものに支払いを済ませちゃったじゃないのっ!今、ギリギリの生活をしているのに他の収入も得ずに、どうやってこんな巨額の融資を返していくつもりよっ!!??」おっと「使った分は分割して返済していくとして、残りは今すぐ返金すればいいじゃないか?どうしてそんなに怒るんだよ?」そりゃ、返せばいい。。。でも、わたしが言いたいのはそういう問題じゃなくて!ギリギリ。わたしは怒りすぎると無口になる。もうおっとが何を言っても耳には届かず、いろいろな想いがクラクラした頭の中を巡った。そして、大阪の友人、麻衣ちゃんが以前言った言葉を思い出した。「スペイン人は走り出してから考える。」やっぱりおっとはスペイン人なのだ!!こんな単純な計算も出来ないで、とにかく融資を受けてしまってから考える。しかもおっとは一度言い出したら、誰が何と言おうと自分がしたいようにしないと気が済まない、タチが悪いB型なのである!(わたしはO型)わたしは、そんな典型的B型の性格に押されたのもあるが「おっとだって大の大人なんだから。。。ちゃんと計画した上の行動なのだな。」と、個を尊重し、信用してしまったのが間違いだった。やっぱりヤギの国からやってきた一匹のヤギなんかに、信用して2人の生活にかかわるような重大事をひとりでやらせちゃいけなかったんだ!!それが、家を買うことに決めた1年半ほど前とフラッシュバックした。あの時も最初、わたしは「まだ早すぎるよ!」と反対していた。しかし結果として、おっとに押されて、乗り気になってしまった誤った決断ももちろんあるけど、こんなスペイン人的行動のおっとを信用した為、失敗したんじゃないかといろいろ自分を苛んでいる最近なのである。もっともっと、遡って、おっとと出会ってしまった事まで、そんなおっとを選んでしまった自分のことまで苛むようになってきた。OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!いかん!!このままこんなことを考え続けていたら、国際離婚に繋がる。そう思うとますます混乱してきて、どうしていいのか、わからなくなって悶々としていたのだ。そうやっておっとの顔をまともに見ることも出来ず、気のめいった日々を最近送っていたのだが。。。。***昨日、ミラノの南の田舎(うちは北の田舎)に住むpiccola-iちゃんがあっちも遠くて交通の便が不便だというのに、わざわざ我が家までお見舞いに来てくれた。天気がよかったのでベランダに小さなテーブルを出して、彼女が持ってきてくれた羊羹を食べてお茶をすすって、この思いをぶつけていたらだんだん気が晴れてきた。piccola-iちゃんもいろいろ悩みを抱えていたので、会話にならないぐらい2人でそれぞれの思いをぶつけていたら、だんだん楽しくなってきて、なんとかなるか、という気になってきた。後悔したって始まらない。やってしまったことはやってしまったことだ。これからヤギの独断行動をさせないように気をつければいい。piccola-iちゃん、本当にどうもありがとう。なんだか救われた1日だった。次はパジャマパーティ、サルサの夕べ。着替えと歯ブラシ持って、遊びに来てね。
2006.04.22
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最近脳みそが腐っていく気がします。会社にいるときのほうが時間がないのにマメに楽天やメールをチェックしていて、家にいるとさっぱり。。Naocci、心配させてごめん。生きてるよ。やっぱりわたしは専業主婦向きじゃないのだろうか?*****近況を書けば先週金曜日、とうとう裁判所の書類にサインした。これから本格的な裁判が始まる。弁護士を雇った当初は、どれだけ不動産屋を催促しても放置されたままの、家の屋根の工事を促するためだけのつもりだった。しかしわたしたち側の弁護士の調べによると、違法建築、料金のだましどり、など多々目をつぶっていられない問題がどんどん噴き出したため、全ての責任を不動産屋に追求した。すると今までダラダラとした態度であった不動産屋が逆切れしたのである。わたしたちは不動産屋とは、もう弁護士を通じてでしか、話し合いに応じなかった。すると奴らはブローカーであるレダおばさんを使って、最初はこの間の日記でも書いたように彼女からわたしたちに示談にするよう、説得を試みたのだが、それがダメだとわかると、なんとレダおばさんにまずわたしたちに電話をかけさせて、電話を替わり、脅迫してきた。(脅迫内容はほぼShionさんの4月6日の予想通り。さすが(▼▼メ な死怨さん!違)やっと本性を現したのだ!!レダおばさんは電話を聞いて怯えてしまって最後に電話を替わり「わたし、もうこれ以上関わり合いになりたくないから放っておいて。」とわたしたちに言った。わたしたちもこれまでの人生、脅迫など受けた事がなかったので、必要以上に怯えてしまったのだが、その後、弁護士ときちんと話し合い、容赦なく闘う事を決意した。ちなみに我々の弁護士はわたしの結婚媒酌人であり、友人であるアルマンドのお姉さんアントネッラである。アントネッラ「。。。今更言ってもしょうがないんだけどね、あんたたち他人を信用しすぎ。いい人過ぎたらイタリアでは生きていけないのよ。特にこんな大きな買い物をする時はもっと疑ってかからないと。。。ああ、なんでもっと早くに相談してくれなかったの!?誰か他に相談するひとはいなかったの?」まったくである。本契約に至るまで、いろいろと「???」と思うところがあったのは、これまでの日記にも多少書いている。しかしいつも最後には悪徳軍団にせかされて、よく考えもせずOKを出したりうかつに署名してしまっている。こんな我々のうかつさも積もりに積もって本来ならば必要のない痛い大きな出費と、悩みと精神的苦痛を抱えなければならないはめになったのだ。2人して「ガイジン」という立場も弱い。こんなプライベートなことを相談できる経験のある年長者の親戚も知り合いも周りにいないのが哀しい。アントネッラの説によるとレダおばさんも、家のローンを融資している銀行も、家の契約の時に立ち会った公証人も、不動産屋悪に目をつぶっている疑いがあるらしい。つまり、家を探し始めた時点、レダおばさんに頼んだ時点からわたしたちはまんまと奴らの罠にはまっていたわけである。まるで今の気分は「飛んで火に入る夏の虫」のちっぽけな虫そのものだ。(そ~だよな。。。事のはじまりはおっとが「友達の親戚のレダおばさんに頼もう!友達の親戚なら信用できるでしょ?」ということだったけど、ふたを開けたらめちゃめちゃ遠い親戚だったし。。)「ピュアガイジン」という立場で、イタリアに親族も誰もいない者は、家を持ってはいけない、ということなのか?今までの思い当たるいろいろなうかつさを反芻して後悔してみたり、「わたしたちが大金を出しているのに、どうしてこんなに苦しまなければならないんだろう?」と思うと、悔しくて夜も眠れない。去年、家の本契約をしたのは4月21日。あの時ははじめて自分たちの家を持ったことに実感が湧かないまま署名した。あの時考えていたのは、ようやく大家の目も気にせず家の中を好きに出来るし、家賃を搾取され続けたまま終わるだけの借家生活からの脱出を喜んでいただけだった。まさかちょうど1年後、裁判がはじまるなんて露とも思わずに。。。。はあ。
2006.04.18
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今週に入って、何もしていないのに忙しくなった。というのは、月曜日から入院していた隣町の病院で本格的なリハビリが始まったのだ。家でも毎1時間ごとに所要時間約20分のリハビリ運動をしなければならず、なんだか気ぜわしい。病院のリハビリは朝9時から1時間、2週間のプログラムである。今までは月に2~3回の診察のみだったので、仕事中のおっとに無理を承知で送迎してもらっていたのだが、毎日、2週間となるとおっとが切れた。おっと「忙しいのに毎日なんて行けないよ!バスがあるでしょう、バスが!!」え~・・なぜ今までバスを利用しなかったかというと、歩けなかったのもそうなのだが、こんな田舎町なので1日数本しかないのだ。しぶしぶバス停に時刻表を見に行くと、9時10分に病院前に着くバスはあるが、それでは遅い。その前のバスは7時40分だった。は、早過ぎる。。。汗しかしまじめ日本人のわたしは月曜日の初日は9時10分ではなく、当然のごとく7時40分に病院に着くバスに乗り込んだのだった。ちょうどその時間帯は通学時間帯だ。松葉杖をつきながらヨロヨロとバスに乗り込む。座席は小中学生で埋まっていた。立っているのは大人ばかりだ。一番前の座席の前に立つと今までぼ~っと窓の外を見ていたその座席の中学生の女の子が慌てて教科書を広げて読む振りをはじめた。まったく最近の若いもんは。。。。しかしバスの運転手も運転手で、切符を切りもしないうちから、バスは容赦なく急カーブしてわたしはこけそうになって棒をしっかり掴む。山坂だらけの我が田舎町をバスは10分ほどガタゴト暴走して病院に着いた。わたしはこんな状況で五体満足で目的地に着いたことに感謝せざるおえなかったのであった。まだ人もまばらな待合室で約1時間半ほど待って9時になるが担当のリハビリ師は到着しない。9時15分頃「お待たせしました。」とやってきたので、「くっそ~、9時10分着のバスで間に合ったじゃないか!?」とまだ抜けきらない自分の日本人的まじめさを恨んだのである。もちろん昨日からは9時10分着のバスで行くようになったが、文句を言われてない。月曜日はこのおっとりとしたリハビリ師のお姉さんにベッドの上で筋肉をほぐすマッサージと、家で出来るリハビリ運動を教えてもらって終わった。昨日からはまるで電気イスのようなものにベルトで手足、腹を縛り付けられ、身動きの取れない状態で左足だけオートに振り子のように上下する機械に座らされている。左ひざはまっすぐになる限界と曲がる限界の角度を機械にインプットしてその範囲内で振り子がメトロノームのようにどんどん早くなっていくというものだ。初日は機械の組み立てにリハビリ師のお姉さんが大いに時間をかけすぎ、今日は組み立ての間違えた状態で縛り付けられたので、それをほどいてまた縛り付けられるのに時間がかかった。イラチのわたしは今日にはすっかり機械の組み立て方を覚えてしまい、お姉さんを手伝った。そういえば手術の時、手術台の組み立ても手伝ったな。。。。イタリア人は工作がヘタなんだろうか??それはともかくこの機械、静止した状態でひざの角度を限界にたので、振り子になると「イタタ~ッ!!」と声をあげるほど痛いのだ。痛みに身をよじろうとしてもしっかり固定されているのでジタバタも出来ない。しかし冷や汗をかきながら、その運動を900回も繰り返していると、筋肉がほぐれ、痛みがなくなってくる。機械から開放された時には足が軽くなっていて、1時間ほどはまるで全快したような爽快感が味わえるのだ。今日もそんな機械のハプニングのおかげで、900回で終わる振り子運動を1200回もされることになり、終わったときには更に足が軽かった。しかし、時間をロスしたおかげで数少ないバスに乗り遅れてしまう。次のバスの時刻を見ると幸運にもたった1時間後であった。ラッキー。足は軽いし、今までゆっくり見たことのない隣町を松葉杖でヨロヨロと散策して楽しみ、病院のひとつ向こうのバス停の終着地まで歩いた。ちなみにイタリアのバスはバスの中でチケットが買えない。バス停近くのキオスクや新聞屋で買わねばならない。しかしこんな田舎町にもなるとチケットは終着地でしか売っていないので、たまたまそこを通りかかった時に買いだめする羽目になる。どうしてこんな面倒なことをするんだろう?日本やロンドンみたいにバスの中で販売すればいいじゃないか!?と最初の頃は、思っていたのだがだんだん最近謎が解けてきた。あくまでもわたしの想像なのだが:1.運転手は運転に集中するものであって、切符の販売、などという複雑な仕事が増えると運転が出来なくなる。2.バスの運転手なんかに金銭を扱う事をまかせたら、毎回乗客数が決まっていないようなバスの中で簡単に切符代をポケットに入れてごまかすから。3.バスの運転手なんかに金銭を扱う事をまかせたら、毎回乗客の国籍が決まっていないようなバスの中でイタリア人には「切符1枚1ユーロ。」と売り、日本人には「切符1枚5ユーロ。」と平気で売りつけそうだから。まあともかくそういうことで終着地の前のキオスクで来週の分まで切符を買って待っていたバスに乗り込んだ。バスの中は月曜の往きほどではないが、最前列を陣取り数人の女子中学生グループが固まって座って化粧に専念したり、ガムを噛んだりして談笑している。わたしがそのグループのすぐ後ろに座るやいなや車掌が乗りこんできた。車掌「はい、切符を拝見しますよ~。」へえ、こんな田舎のバスでも検札があるんだ。わたしは切符を取りだし車掌が来るのを待った。しかし車掌はわたしなどに目もくれず、いきなり女子中学生グループに突進する。さっきまであんなににぎやかだった女子中学生グループは急に気まずい表情になって黙り込んだ。車掌「切符を見せなさい。」女子中生A「定期だよ。」車掌「じゃ、定期を見せなさい。」女子中生A「あれ~、どこだろ?」とバッグの中をかきまわす。車掌は別の女子中生Bの前に立つ。前に立たれた女子中生Bはイヤイヤながら自分の定期を見せた。車掌「これは先週の定期じゃないか、今週のは!?」女子中生B「ああ。。えっとォ、買い忘れちゃった。」車掌はその答えを聞いてしてやったりと叫んだのである。「オレはな、お前らがバスに乗りこむ前から怪しいと踏んだんだ!そこのそいつ(と気の弱そうなひとりを指す)がオレと目が合った瞬間、気まずそうにしたからな。今週はパスクワで2日しか学校がないこともオレは知っているぞ!定期なんか買っているはずがないじゃないか!?学校に通告されたくなければすぐに切符を買って来い!!」女子中生C「ええ~。。。買いに行ってたら間に合わないよォ。」車掌「それまで発車させないからさっさと買って来い!!」女子中生Cがしぶしぶ立ちあがると残りの女子中生たちが「あたしのもついでに買って来て!」とせがむ。どうやら全員が無賃乗車のようであった。わたしはあっけにとられて口を開けてこのシーンを見守っていた。この後、女子中生たちが切符を買い、バスは発車したがわたしのところには検札は廻ってこなかった。・・・ってことは、あの往きのバスの学生たちもほとんど無賃乗車だったのか!?女子中生たちは車掌がいなくなったとたんにブーイングの嵐である。最近の若いもんは何を考えとるんだっ!!??***今日の日記はここで終わろうとしたのだが、さっきの目目さんからの電話の内容も語らなければならないだろう。月曜日、目目さんは家の玄関のドアの下の鍵が壊れていることに気がついた。イタリアは盗難が多いので玄関には何重にも施錠できるシステムになっているドアが普通だ。まあ、目目さんちは借家なので「古いから壊れたかな?」と我がおっと同様手先の器用な目目夫さまが修理した。しかし目目さんちの向かいのおばさんが今朝「ちょっとちょっと!」と語ってくれた事に戦慄したのである。目目さんちはアパートの最上階にある。その上には屋上にあがれる小さな階段がついているのだが、そこから屋上にあがるのはこの向かいのおばさんぐらいらしい。土曜日におばさんが屋上にあがると2人の若いイタリア人の男の子が座りこんでたばこを吸っていた。おばさんがびっくりして「あんたたち、何してるの!?」と聞くと「2階に住む友人が留守なのでここで待っている。」という。おばさんは気味悪がって「待つなら外で待ってちょうだい!」と言い残して下に降り家に入るが、やっぱり不審なので玄関の覗き窓から外を見た。すると小さな」覗き窓にはまるでつばを吐きつけられたような痕跡があって見えない。ますます気持ち悪くなってそれをぬぐってまた家の中から観察していると2人の男の子はやっと屋上から降りていてエレベーターの前でかがんでいるようである。ちなみにエレベーターの前は目目さんちの家のドアだ。しばらく2人はそのままいて、やがてエレベーターで立ち去った。日曜日。向かいのおばさんは夜更かししてTVを見ていた。外でエレベーターがこの最上階に止まる音を聞いて「?目目さん一家はもう寝ているのに。。」とまた覗き窓からのぞいた。すると土曜日とはまた別の若い2人組がまたもやエレベーターの前でかがんでいるではないか!?完全に怪しい!!!!!!おばさんは慌ててもう寝ていたご主人をこっそり起こした。するといきなり起こされたご主人は「なんだ、なんだ!!」と騒ぎ始めたため、おばさんは覗き窓に慌てて駆け寄ったが、2人組は逃げた後だった。ベランダに飛び出て下を見ると、2人組が白い車で慌てて逃げていくのが見えた。その話を聞いて目目さんがよく玄関のドアを観察すると、下に金属の棒を2本ねじ込んだような跡がある。絶対泥棒や~~~~~~~~!!!!!!確信して目目さんは今朝、おばさんに同行してもらって慌てて警察に届けに行った。ずいぶん待たされた後、やっと番が来て事情を話す。警官「で、盗られたものは?」目目さん「ありません。」警官「。。。それで?」。。。それで?じゃない。ずいぶん前にも書いたが、我が社が泥棒に入られて、いっさいがっさい盗まれた時も「サンドナートに毎日曜出ている市場でおたくの会社の盗品が見つかったら、その場でこっそり我々に通報してください。」という注意だけで終わった。現行犯じゃないといちいち、犯人を探している暇はないってか!?おまえら働けよ!!ここで目目さんが警察に聞いた注意を書くと:アパートの最上階というのは一番泥棒に狙われやすい。なぜなら最上階なので他の住人の目につきにくく、犯行途中に住人が帰って来てもエレベーターで逃げてしまえば、住人は追いかけるにも階段を使わなければならないので遅れを取るからだ。アパートの最上階にお住みの方、気をつけてくださいね。しかし、目目さんところの若い泥棒といい。。。。。まったく最近の若いもんはいったい何を考えとるんだっ!!??
2006.04.12
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またちょっと間が空いてしまいました。ちょうどあの重たい日記を書いた日の夜に更に漬物石で殴られるような展開があって、すっかり書く気が失せてました。そのことに関してはまだ書く気持ちの整理もついてないし、展開をもう少し見守りたいところなのでおいおい書くとして。。。。(すみません、コメントのお返事もちょっとパスさせていただきます。はあ~。)*****先週土曜日はあるおっと関係の誕生日パーティに招待された。招待してくれたのはなんと、先日パスポートを更新しに行った大使館のお姉さんである。1ヶ月前、たった1回それもこんな形で知り合ったお姉さんを大胆にも自分の誕生日に招待したおっとなのだが、その時はあっさりドタキャンされた。わたしは「やっぱりね~、大使館に来るエクアドル人なんて星の数ほどイタリアにいるんだし、お姉さんだってつきあう相手を選ぶわな。」とたいして気にも留めなかった。なのでわたしは、大使館のお姉さんがおっとのことを覚えていて、交換した携帯のナンバーも捨てずに誕生日パーティに招待してくれたことに驚きまくったのである!聞けばこれはお姉さんの誕生日パーティではなく、お友達のパーティだった。ただでさえ、薄い関係のお姉さんの、更に全然知らないお友達のパーティなんかに行っていいのか!?やっぱり南米人の思考はわからん。。。と思いながらもちょっとワクワクしながら、詳しい場所と時間のお知らせを待っていたのだが、金曜の夜になってもなんの音沙汰もない。お姉さん、誘うだけ誘っといて、わたしたちのこと忘れたか。。。?と思っていたら、土曜の昼過ぎようやく「今夜8時半にこの住所。」とお知らせが来たのだった。←さすが南米人の法則からはずれない!わたしは困った。おっとに「お姉さんってどんなひと?」と聞いても「ウイリアム関係とは違うタイプ。」と答えが返ってくるだけであいまいである。しかもその友達なんて。。。わたし「そのひと、女性?男性?」おっと「どっちかわからない。」わからないはずがないだろう!?日本語では「友達」と言ったってどっちの可能性もある。しかしスペイン語の場合は男性は「AMIGO」、女性は「AMIGA」と語尾のアルファベットが変わってくるからお姉さんに言われた時点でわかるはずなのだ!おっと「えっと。。忘れた。」←やっぱり痴呆症である。何に困ったって、やはり誕生日なのだから知らない相手とはいえプレゼントを買わなければならない。性別も、どういう感じとも、まったくわからないので、悩んだあげく、隣町の雰囲気のいいエノテカ(ワイン屋)で、店主お勧めのいかにもおいしそうなスプマンテ(イタリアのシャンパン)をきれいに包装してもらった。ウイリアムのような友達ならスーパーでビール1ダースというところなのだが。汗おっとは臭いほどコロンを身体中に振りまき、長い間鏡を覗きこみ髪をセットアップして、緊張しているようである。これを見て「ああ、やっぱりウイリアム関係とは全然違うパーティなんだ。」とわたしもめったにしない化粧もして、2人でおめかしして出かけたのであった。お姉さんの友達のアパートはミラノの南。なんとこのアパートは同僚アンナの家と同じアパートだった!わたしたちは知らないお友達にインターフォン越しに門を開けてもらって、さっそくそのお友達のところではなく同僚アンナの家に奇襲をかけたのはいうまでもない。←ヤギ化進行中お友達の家はアンナの家の1階斜め上にあった。「HOLA!」と花束を抱えたきれいな女性がニコニコと迎えてくれた。顔を見れば日本人ではないか!?わたしは思わず日本語で「びっくりしました、まさか日本人のパーティだとは思わなくて。」と挨拶すると、彼女はきょとんとした顔を一瞬見せたのだが、すぐ「ああ、わたし日本人じゃないのよ、ペルー人よ。」という。ええ?わたしは間違えた恥ずかしさでしどろもどろに「え?というと日系の方?」と更に聞くと「ううん、100パーセントペルー人。よく間違えられるのよね。」と答えた。本人にこう言われてみても、どこからどうみても、サーファー系日本人である。そういえばさっき奇襲したアンナは「私たちの上に日本人が住んでいるのよ、きっとそこじゃない?」と言っていた。アンナもそう思っていたらしい。彼女の家はアンナの家とほぼつくりが同じだけあって50平米ほどのロフト付き1DKでモダンでおしゃれである。すでに数人の友人たちが集まってキッチンで談笑していた。が、肝心のおっとの友達の大使館のお姉さんはまだ来ていない。汗テーブルに並べられたお皿はほとんど純イタリア式アペルィ-ボだ。南米人のお約束のコーラもトロピカルジュースも見当たらない。一皿だけ生玉ねぎとゆでたポテトの南米料理のようなサラダがあって、自分の皿に採るとおっとにすかさず「ちょっと!こんなところで生玉ねぎなんて食べないでよ、息が臭くなるでしょ、残しなさい!!」と姑のような注意を受けた。おっとはかなり緊張しているようである。汗小さな子供連れも2組いたが、みなさん、普通。。。というより、お嬢留学生時代によく参加したアーティスト関係のパーティのようにセンスのいいお友達が集まっている。きっとこのペルー人のお友達と、大使館のお姉さんだけが南米人なのだな、と思い談笑に加わると違う事がわかった。ほとんどがスペイン語圏ガイジンとイタリア人の相方という夫婦の集まりで、ガイジンはエクアドル、ペルー、ウルグアイ、コロンビア、スペインと多様であった。やっと大使館のお姉さんがイタリア人の旦那さんと娘さんとで現れた。チャキチャキとしていかにも頭の良さそうなお姉さんである。彼女の旦那さんとの馴れ初めはエクアドルのイタリア某大手機器メーカーでの社内恋愛であった。更に彼女に黒髪の小さな男の子を連れたエクアドル人夫、イタリア人妻を紹介さた。旦那さんは純インディオで絶滅寸前のケチュア語が話せるという。奥さんは人類学者。エクアドルの研究所にイタリア政府から派遣されたところで同じ研究班の旦那さんと知り合ったとそうだ。こんなひとたちになんだか我々の軽い馴れ初めを語らなければならなかったのが、かなり恥ずかしかったわたしである。1時間近くも過ぎると狭い家の中に25人ほどの招待客が集まり、あたりは花とプレゼントで埋まった。(←これがヤギなパーティならあたりはビールの空き瓶で埋まる。)全員シャンパン片手に立食パーテイである。わたしはこの夏、日本に旅行に行くという2人のミラネ―ゼの女の子に捕まり、話が盛りあがった。秋田の友人を訪ねるらしいが「でもね、どうしても行きたいのは京都と奈良なのよ。」と言ったところで息投合したのである。おっとに役立つ安い日本語教室を教えてもらった。なんだかうれしかった。この間の展示会では無理だったが、ひょんなところで友人は作れるものだ。このパーティが他のイタリア人ばかりや、日本人ばかりのパーティと違うな、と思ったのはさすが南米人や、南米を愛するひとたちの集まりなので全員が人見知りすることもなく、こんなわたしたちのような飛びこみでも簡単に仲良く輪に入れたところだ。しかしこれが逆に南米人ばかりの集まりでも、こうはならない。このミックス加減がちょうどいいのだろう。バックにサルサやメレンゲがかかっても、誰も愉しそうに身体を揺らすぐらいで、日本人のわたしとしては時に強制的にもなってしまうダンスに発展しなかったのが更にわたしの居心地をよくさせた。夜もふけてだんだん人数が減ってくると、皆で居心地のいい白いソファに移動。(←白くても誰も汚さない!)リキュール入りのコーヒーを飲みながら、お姉さんからイタリアで活躍しているエクアドル人アーティストの話を聞いて驚いたり(←そんなひとが存在するとは思っていなかった!)、政治の話にシビアになったり、お友達のアマゾンの話に耳を傾けたり、退屈することなくあっという間に時が過ぎてお開きとなったのである。あああ。。。。目からうろこが落ちた。南米人でもこういう人種もいるのだ。次回のパーティの開催も決まった。5月、わたしのお嬢留学生時代の友人アレグリアがエクアドルのキトから来伊した週末、我が家で「日本食パーティ」。おいおいおっと、日本食はいいけど勝手に取り決めないでくれ!目目様、目目夫様。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 また来てもらってもいい??
2006.04.11
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今日は雨上がりで肌寒い。今朝、目目さんから電話があった。そのちょっと前にぼんやりと窓の外を見ていると下の階のバルコニーでシェパードがせっかく飼い主が犬小屋に入れてくれた毛布の食いちぎり作業に夢中になっていた。その行為に「所詮は犬なのか。。」と虚しくなって詠んだ歌にいや、彼女宛てに書いたメールにさっそく反応してくれたのだった。目目さん「何もすることないわけ?」わたし「そういや、1日掃除ばかりしてる。」目目さん「あこがれの専業主婦になった気分でいいじゃない?」?!これがあれほど夢に見ていた主婦生活なのか!?毎日ぼ~っとTVを見て、ちょっと掃除をして、昼にはパンをかじったり、ラーメンをすすったりして、でもラーメンの汁を服にこぼしても面倒だから拭きもせず、次の日シミになっていて「何やってるんだ、わたし。。。こんなに何もすることないのに。」と後悔する生活。主婦生活というより、定年退職になったばかりの、妻とは離縁されてしまった独り暮しのサラリーマンではないだろうか?ところで昨日はキッチンの流しが詰まってしまった。流しの下には配管から漏れた水があふれだしてまわりの床まで水溜りを作っている。と~っても面倒くさかったのだが、しぶしぶ流しの下に収納していた洗剤類やじゃがいもなどをどけて雑巾で拭いて水が滴る下にバケツを置いた。ああ、修理屋を探して電話しないと。。。面倒くさい。うだうだとTVを観ているうちに夜になりおっとが帰宅して、ハッと流しのことを思い出した。おっとにさっそく状況を見せる。おっと「え!これってうちだけの被害だよね?下の階は大丈夫なの?」わたし「そう思うよ。」←お互いルイジのやった仕事には過敏になっているのである。おっとは「ああもう、いったいどうしたんだろうねえ?」と瞬く間に流しの下の配管を解体して調べ始めた。一家にひとり、便利な男である。やがてU字管の中を覗いて「なんだと思う、これ?」とわたしに見せた。管の中には白いスポンジみたいなものがぎっしり詰まっていた。どうりで水が下に行かないはずだ。おっがグリグリとプラスティックのスプーンでかき出すと、それは油で固められ、水を含んで膨張したご飯粒の層だった!「げ!?ゲハハハハ!!」思わずわたしは笑ってしまった。流しの排水溝には目の粗いアミがついていて、残飯が流れていかないようになっているのだが、小さくて細いご飯粒はその隙間から流れていってU字管でおにぎりのように詰まっていたわけだ。さすが日本人がいる家庭。これがイタリア人の家庭ならさしずめスパゲティか?*****そうだった、今日はそんなことを書こうと思ったんじゃない。実は片付け魔のおっとが分類もせずにまとめて箱に放りこんでいた書類を昨日、整理していたら「ああ、そうそう。この間ルイジが送ってきた屋根の修理の概要。」とあるプリントをわたしに見せた。読んでいくと、ここにこのブランドのこの素材を使って、どのように屋根を再修理して。。。と事細かに書いてある。書いてある内容だけ見ると、今回に関してはきちんとしているように見える。おそらく我々の建築士がうるさく言ったのであろう。わたし「。。。。これのいったい何がだめなの?」そう、実は10日ほど前、あのレダおばさんからおっとに電話があったらしい。レダおばさんを知らない方に少し説明をすると、彼女はおっとの友達のとお~~~~~~い親戚でローンスタジオを一人で切り盛りしている。ローンスタジオとは不動産屋とお客の間に立って、ローンの仲介をするスタジオである。家を探していた頃、わたしたちはふたり揃って外国人、しかもわたしは学生あがりだし、おっとは労働年数がまだ少なかった為、なかなか融資をしてくれる銀行が見つからなくて、彼女に代行を頼んだというわけだ。彼女はすぐさま外国人でも融資をしてくれる銀行を見つけ出した。そして彼女の仕事の一環として、提携している何軒かの不動産屋の物件を見せてくれた中から、不運にもわたしたちは、この悪徳不動産屋の物件を選んでしまったというわけである。だから彼女はこのいっけんには直接的には噛んでいないのだが、両方の事を知っている人物なのだ。わたしは電話内容を直接聞いていないのでおっとのそのままの口調で言わせると、レダおばさんは我々を心配してか?悪徳不動産屋に頼まれたのか??弁護士を辞めさせて、直接悪徳不動産屋と話をつけるように言ってきたのだった。なぜなら、どうも我々の弁護士の攻撃が限度を超えて屋根以外のことでも攻めた為、悪徳不動産屋もついに彼らの弁護士を雇ったというのである!そうなれば、戦争は長引き必ず裁判になる。裁判になると最低でも2~3年の年月と莫大な費用がかかるから、今のうちに手を引いて穏やかに話し合え、と言うことだった。おっと「ぼくだけじゃ、判断がつきかねるからいくきーとと話し合って返答する、って返事したんだ。」うう~ん。わたしは「長い年月と莫大な費用」というところで迷った。我々の屋根は急を要するもので、そんなに時間をかけていたら次にどんなことが起こりうるかわかりゃしない。それにこっちが一方的な被害者なのに、どうしてそんなにお金をかけなきゃいけないんだ!?わたし「あんたはどう思ってるの?」おっと「ぼくはこの時点で弁護士を辞めさせたら、彼らすごい怒ると思うんだよね。せっかく紹介してくれた君の同僚にも悪いし。。」そんなうやむやな発言にわたしの気は弱くなった。「えっとさ、そういうことじゃなくて考えてみてよ?今まで何度催促してもちっとも奴らは修理に来てくれなかったし、やっと来た、と思っても瓦をちょっと動かすぐらいで何の解決にもなってなかったじゃない?だからここで裁判になる事を恐れて示談にしたら、また元の木阿弥だと思うんだよ。まだ裁判になるって確定したわけじゃないし、もう少しこのまま弁護士に任せてみようよ。」その言葉を聞いて、おっとは決心がついたようだ。「そうだよね、ようしっ!もうレダおばさんには返事しない。これがぼくの答えだ!!」しかしこの夜、わたしは更に気が弱くなって、長引きそうな戦争に「なんでこ~なるの!?」と泣きそうになって頭をクラクラさせたのだった。それから、他の事を考えるようにして気を紛らわせていたところにこのプリントが出てきたのである。わたし「これ、いつ受け取ったの?」おっと「割と最初の方だよ。」わたし「これで本当にやってくれるなら、それでよかったじゃない?これのいったい何がわたしたちはダメで、奴らに弁護士を雇わせるぐらいの戦争になったの?」おっと「覚えてる?家の設計図の変更の市役所への手続きに700ユーロ払ったのに、奴ら変更しなかったでしょ?あれの変更と弁護士代を奴らに負担させるように仕向けたからさ。」わたし「。。。はあ。」おっと「奴ら、家の設計図の変更の市役所への手続きはしたって言い張るんだ。ぼくは素人だからわからないけど、契約書の中の設計図は変わってないでしょ!?奴らはそれを不服としていたんだけど、工事をただでやらせる上(←わたしたちとしては当たり前だと思っているのだが。)、今回の弁護士代を上乗せされて、とうとう切れて弁護士を雇ったみたいなんだよ。」OOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!この事情は知らなかったよ!わたしはもうこうなっては屋根さえ普通に住めるようになればいい、と思っているだけで。。。こんな普通の望みがどうしてこんなにこじれてくるんだ!?あのルイジさえ、ルイジさえ、最初にちゃんと工事していればこんな地獄をお互い見なかったのに!!! もうわからない、わからなくなってきた。わからないけどこの場合、どうすることが一番近道でお得なんだ?
2006.04.06
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月曜日からおっとは新しい従業員を教育する為、一緒にワゴン車に乗りこんだようである。この新しい従業員は、あのわたしが我慢出来ない国のコスティカではない。あれから他に書くことがあったので報告をしていなかったが、彼はボツとなった。当たり前だ。イタリア在住者はご存知の方も多いはずの不法労働者救済の法律「フルッシ」。全国で170000人の枠に479000人ほどの申請があったらしい。これを機に彼をうちの従業員にして正式にイタリアで働けるよう、おっとが雇用者側の書類の条件をクリアするために、会計士や銀行を走り回って支度金を整え、書類を完備して手を差し延べた。というのに、コスティカといえば、3月14日の14時半から郵便局で数時間しか受け付けなかったフルッシの申し込みに、その日の夕方並びに行ったら(ちなみに2日も前から並ぶガイジンも大勢いたのだ。)、やっぱり締め切りとなって追い返された。で、もう締め切ったはずの次の日郵便局に行くと、無知な郵便局員が受け付けたらしいが、書類の不備が指摘され(コスティカ側の、と思われる。)またもや追い返され、おっとの苦労は水の泡となった。まったく自分と自分の家族の将来がかかっているはずなのに心がけがなっていない!!!なのにおっとにその後、毎日しつこく「ここまでしてくれたなら、なんで不法で雇ってくれないんだ?」と電話をかけてきていたので、さすがに気の弱いおっとでもとうとう切れて、何かきついことを言ったらしく最近は電話をしてこなくなった。それでホッとしたのだが、新たな問題が噴き出した。コスティカ用に新しいワゴン車を買うお金の融資をすでに銀行から受けてしまったのだ。早い事、替わりの従業員を探し出して仕事に出さないと採算が取れなくなり、借金ばかりが重なる!おっとは行く先々で従業員を募集した。するとペルー人とフィリピン人が応募してきて、面接の結果、フィリピン人を選んで、月曜から試験採用することになったのである。わたしは「フィリピン人」と聞いてホッとした。フィリピン人の知り合いはいないし、人種差別をするわけではないのだが、あの我慢出来ない国やヤギの親類のペルー人に比べたら、いくらかおとなしく真面目な気がする。昨日火曜日に帰宅したおっとにさっそく「どうだった、フィリピン人は?」と聞くと「う~ん、まだわからないな。とりあえず安全運転だけど、いろいろ他に覚えてもらわなきゃいけない仕事もあるし。。。」という答え。まあ、1日じゃわからないか。。。とちょっとワクワクした。そして今日。帰宅したおっとに同じ事を問う。「ああ、あいつね。今日は来なかった。ってより、もう来ないな。きっと嫌気がさしたんだ。」わたし「どういうこと?」おっと「今朝、電話をかけて来て『全身が痛いから休みます。』だとさ。そんな力仕事をしたわけじゃないのに。イタリア語がほとんど喋れなかったし、顧客コードや書類を読んでもちんぷんかんぷんだったから、それでぼくもダメっぽいな、と思ったんだけどやっぱりね。」わたし「そ、そうか。。。それでも仕事をしちゃうところがすごいな。 決断が早いんだね。で、その人がダメだったらどうするのよ?」おっと「最終手段だ。ガットに頼むよ。」ええええええ。。。ガット?彼について皆さんは覚えておいでとは思わないが、ずいぶん昔に「オレを救ってくれ!」と泣きつかれ、おっとがひどい彼の雇用主ピエトロのところから引き抜こうとしたエクアドル人である。その時、我が家には従業員を雇うような余裕などなかったのだが(今もない気がするけど。。汗)、おっとはホロリと来て「任せとけ!」と安請け合いしてしまったのだ。そのときも現在と同じく雇用の手続きに走り回っているとガットが「オレをピエトロから引き抜きたいなら、今もらっている給料より多く払えよ。」と迫ってきた。ど~してそうなるわけよ??我が家は彼が得ている収入より多くなんて払えない、というか、その当時は従業員を雇う事すら危うい状況だった。それにおっととしては「ひどい雇用主からの救出」というつもりで算段したことであり、「彼の能力を買っての引き抜き」ではなかったから、そんなセリフに傷付きながら彼の雇用を見送ったのだ。そういった事情でガットはピエトロから一時期逃亡は図ったが、また不平を言いながらも舞い戻ってしまった。という訳である。そんなストーリーがあった奴を他に思い当たる人がいないからって、切羽詰ってるからって、頼むかな?しかも今は彼はすっかりおっとの飲み友達となっている。どんな友達とでも「主従関係」を築くのは後で絶対揉め事が起きそう。。。と思うのはわたしだけだろうか?おっとは昨日一晩計算機を叩いてガットを雇った場合の利益を計算していた。予定だったフィリピン人を雇うより、はるかに利益が少ない。それにガットはこういう業界で雇われる事に「スレている」から雇用主初心者のおっとから、ガツガツ搾り出しそうだなあ。わたし「早く従業員を雇わなきゃ行けないのはわかるけど。。。後悔しないよね?」おっと「。。。会計士と相談してみる。」******どなたか、ミラノかミラノ北東部近郊で免許をお持ちで配達の仕事をされたい方、いらっしゃいませんか?滞在許可証要(学生でもOK)。男女問わず。女性の場合は力持ちに限ります。ご希望の方は私書箱までお知らせ下さい。(本気です)
2006.04.05
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恥ずかしい事実を報告する。我がおっとは、我がおっとは。。。。いまどきコンピューターが出来ません!(関係無いけど、わたしがいない間に出来た「絵文字」は愉快だな。)立ち上げる事ぐらいは出来るんですが。あ~、恥ずかし。わたしは日々PCの前で仕事しているし、わたしの同僚も、友人たちも当たり前にコンピューターを生活の一部としているのでこの事実はいつもうっかり忘れがちになる。昨日わたしはひととおり楽天を見てから、メールのチェックをしていた。いまや1400件となったメールを開けてうんざりする。その中の迷惑メールや定期的に送られてくる広告メールを1時間かけて片付けて、正味、私宛てに届いたメールを数えてみたらたったの18件だった。なんだ、こりゃ?すっかり読む気も失せて、意気消沈してPCを閉じようとするとおっとが「ぼくもメールチェックしたいからそのままにしといて!」と言うのでそのままにしてわたしはリハビリをするために隣の部屋に移動した。足に氷嚢を巻きつけるやいなや、「いくきーと、ぼくのメールサイトにどうやって行ったらいいの!?」とおっとが叫ぶ。いいかげん、自分のメールぐらい自分で見れるようになってよ。。。とわたしは「お気に入り」におっとのホットメールを登録して「いい、これからメールを見たいときはここをクリックするんだよ。」と立ちあがる。おっと「ぼくのメールアドレスは?」おまえは痴呆症かいっ!わたしはおっとのメールアドレスと覚えてしまったパスワードを記入して開けた。ここ1年会社で毎日、自分とおっとのメールボックスをチェックするのが日課だった。毎回こうやってわたしが開けるのでプライバシーもへったくれもありゃしない。しかし当然のごとく2ヶ月も放置していた為、おっとのアカウントは消滅していて、新たに同じアドレス、同じパスワードで開ける事となった。おっとは「登録していた友達のアドレス、全部消えちゃったよ!」とぶーぶー言っている。すっかりまっさらなメールボックスを見ておっとは「つまんないや。」とあっさり閉じた。おっと「ねえ、他にもなんかいろいろ見たいんだけど。」わたし「何を?」おっと「そうだな、エクアドルの新聞が読みたいな。」わたしはグーグルのサイトを開けて「いい、ここに検索したいものの単語を入れたら、それに関するサイトが表示されるから。この場合は「エクアドルの新聞」ね。」と、おっとにスペイン語で記入させた。次々とサイトの案内が出てきたのを見ておっとは「をを!」とひとつの新聞のサイトを開けて読み始めたのでわたしはやれやれとリハビリに戻った。しばらくおっとはおとなしかったので、わたしはリハビリを終えTVを観ていると「ああ、何これ?」とおっとが再びさけぶ。見れば「ビールスが発見されました。」とビールス感知ソフトからのお知らせではないか!?わたし「ちょっと!何を見たのよ!?」おっと「何って別に。。。最近お茶の間で人気の女優の出ているサイトを開け様としたらこうなっちゃって。。。」わたし「。。。それ、誰?」名前を聞けば日本の飯島愛のごとく、ポルノ女優から普通の女優に最近転身したハンガリー人女優のサイトである!わたし「バカタレ~ッ!あれほどエロサイトは覗くな、と言っておろうが!!」と感知ソフトの指示に従ってビールスを片付けた。おっと「今は普通の女優じゃない。」わたし「今は普通でもポルノ関係だった事に変わりは無い!」おっと「。。わかったよ。」と慌てて今度は芸能記事ばかり載せている雑誌のサイトを見出した。わたしは横でじっと見守っていたのだがおっとが「もう、信用してよ!」と言うので立ちあがって昼食の準備にかかった。するとまたおっとが小さく「あ!」というのが聞こえたので急いで見に行く。おっとが「見ないで!」とモニターを覆った隙間からエロエロなページが見えた!わたし「たったさっき、ビールスだらけだからエロサイトは覗くな、と言ったろうが!!」おっと「ち、違うよ。さっきの雑誌読んでて、興味のある個所をクリックしていくうちに次々こんなのが出てきちゃって。。」わたしはおっとをどかしてPCの前に座った。無数のエロサイトが消しても消しても出てくる。どんどん消していくうちに「あなたは今不正なプログラムをダウンロードしようとしています。もし実行した場合は。。。」などという恐ろしいウインドウまで立ちあがっている。そういえば過去にも同じような経験があって、おっとが考えもなく「YES」をクリックした為、PCがいかれてしまったことを走馬灯のごとく思い出した!ここ1年、新居に引っ越してきて電話線がなかったから家でインターネットが出来なくて、この件について忘れていたけど、以前の家ではおっとがインターネットを見るたびに毎回同じ騒動を引き起こしていたっけ。わたし「こんなものばかり見るんだったら、もう2度とわたしのPCに触るなっ!」おっと「インターネットなんてエロサイトを見る以外、なんの為にあるんだよっ!?」こ。。。この下半身で動くラテン人野郎~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!!!!!!そう、おっとが未だにコンピューターもろくに操作できないのには、わたしのせいもあるのかもしれない。***********前日のアクセス数がひさびさの15位でした。まあ、これだけいっきに更新すりゃアクセス数もあがるか、と一瞬思ったのですが、「最新訪問者」欄やコメント欄を見るとお友達の皆さんがこんなに溜まった日記を時間をかけて読んでくださったことを知って、とても感激しております。本当にどうもありがとう。
2006.04.03
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こんにちは、またもやお久しぶりです!やっと。。。。やっとADSLが繋がった!!事故以来の全ての日記を更新しようとしたら、1ヶ月前までしか更新できないのか。。先ほどまで、途中で友人の長電話につきあわされるハプニングもありましたが、猛烈な勢いで約2ヶ月分の書き溜めた日記をUPしてました。この間、会社で書いた日記のコメント読みました。こんなにたくさんの方に心配して頂いて、本当に申し訳ありません!!怪我した足のほうはというと、日記にも書いてますが、ウレタン製のギブス「ドンジョイ」は取れました。しかし、リハビリが来週からしか始まらないので家で地道に足の屈伸運動をやってます。もう松葉杖なしでも歩けます。原始人のような歩き方しか出来ませんが。おっとの付き添いがあれば、スーパーに買い物にも行けるようになりました。******実はADSLが実際繋がった日は10日ほど前。毎日テ◎コムに催促の電話をするのも諦めて4~5日放置していたところにつなぎやがった。わたしが失意で放心状態のある日、おっとが見かねてテレ◎ムに電話をしたら「もうとっくに繋がってますけど。。。」と呆れた声を出されたそうな。呆れるのはこっちじゃ!!ずるい!きっとどこからか、見ていてわたしが諦めるのを待っていたに違いない!!!わたしはおっとに言われて急いでPCを立ち上げた。だが、あいかわらず繋がらない。もう一度テレコ◎に電話をする。あいかわらず愛想の悪いオペレーターたちは「ああ、そうですか?では技術班の方に電話をおかけ直し下さい。」と切る。今回は、わたしもめげずに技術班に電話をした。状況を語ると技術者はいろいろわたしに指示を出すのだが、相変わらず繋がる気配は無い。技術者「。。。たぶんこれは我々の回線の故障ですね。土曜日までになんとかします。」と電話を切ったのがこの木曜の話だ。そしてさっき。「◎レコムです。回線の修理が完了しました!試しにつなげてみてください。」と電話がかかってきたので慌ててPCを立ち上げ、つなげてみたがダメである。わたし「繋がりませんよぉ。。」テ◎コム「おかしいな、お宅の地域の回線は修理したのだけど。。じゃ、そちらに行きます。」わたしはまたもや待たされるのかとガッカリし「来るって、いつなんですか?」と聞いた。テレ◎ム「お宅のそばにいるので、すぐ行きます。」そばにいるなら電話せず、直接来ればいいのに。。と慌てて家の中を片付けていると5分ほどでやってきたのだった。テレコ◎の技術者は「本当にこいつ、技術者なのか?」と疑うようなおぼつかない手つきでキーボードを操作した。いろいろ試すがまったくダメである。◎レコム「う~ん、もしかしたらモデムがダメなのかも。クルマに戻って別のモデムを持ってきます。」と別のモデムを持ってくると、先ほどまでの苦労がウソのように簡単に繋がったのである!ADSLの開通に1ヶ月もかかった上、回線まで故障していて、新品のはずのテレコム専用モデムまでが欠陥品で、それでどうやって商売やっていけるんじゃいっ!!!???まったくルイジな国である!!!*****これからは、時間はたっぷりあるので、ゆ~っくりとお友達の皆さんのところへ遊びに行かせてもらいます。ふふふふふふふふふ。あ、メールもチェックしないと。。。。
2006.04.02
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昨日病院のそばで目に付いたポスターがある。日本語に直訳するならさしずめ「無の舞踏」という題名の写真展のポスターだ。古びた大名行列の後ろ姿の写真がわたしの目を引いた。作者の名前はスペイン人のようで聞いた事のない名前だった。オープニングがちょうど今日の夜9時になっていて、プログラムには「能樂」「茶会」と書いてある。こんな田舎町でも日本の紹介をするのか。。。これにはきっと近所に住む日本人も来るに違いない。ご近所同国人を見つけるのにいいチャンスだし、おっとにも前回日本に行ったときに見せられなかった日本の文化を見せるのにいい。さっそくポスターに書かれた電話番号をメモって、詳しい情報を聞くために電話した。電話番号は病院のすぐそばの図書館のものだった。図書館員は電話に出ると「ああ、ちょうど写真家の方が準備にお見えになってますから替わります。」え。。。大名行列の写真で、てっきりわたしはアンティ-クの写真だと思ったんだけど、違うの??やがて若い男の声、しかも日本語で「もしもし?」と作者が電話に出たのでずっこけた。わたしは慌てふためいて「いやっ、あのてっきり作者の方だと思ったんですけど、えと今日の情報を教えてもらいたくて。。。」作者じゃなくて写真の収集家かな?ともチラリと思う。男性「え~とですね、これは日本を紹介する写真展でして。。。えへん、作者はわたしであります。」えへん?いまどき変な言い方だ。これでわたしは相手が日本人じゃないことに気づいた。わたし「「能樂」「茶会」もあるんですか?」男性「ありますよ~、今日だけですけど。10時ぐらいからかな?きちんとした時刻は言えないですけど。」←さすがイタリアわたし「これ。。場所は図書館ですよね?図書館にそんな舞台まであるんですか。」男性「まあ、小さな舞台ですけどね、あはは」と気恥ずかしそうに口ごもる。訛りはガイジンのものだが、日本人らしい仕草をするひとだな、と思った。わたしはじゃあ後ほど、と電話を切ってアンティ-クの写真と若い男性の声のミスマッチに夜まで首をひねっていたのである。夜9時過ぎ。平日の田舎町の夜は猫の子一匹いやしない。(居たら連れて帰りたかったけど。)無人の町を駐車場から歩いていくと図書館には明かりがついていて、中に結構たくさんの人数が集まっていたのでほっとした。イタリアだってのに、オープニングはきっちり9時から始まっていたらしく、30人ほどがぞろぞろと金髪の若い男性の説明を受けながら写真を見ている。わたしたちが加わると、男性は少し猫背になってわたしに近づいてきて「どうもどうも、お昼にお電話いただいた。。。」と低姿勢で近づいてきたのでこのひとが作者だとわかった。スペイン人のような名前なのにイタリア人らしい。まったく外見に似合わず日本人のような仕草だ。日本暮らしがきっと長かった人なんだな、と解釈して作品をながめた。写真は全て白黒で、京都の町並みが撮られていた。神社のおみくじが無数に結び付けられた柵、七五三の衣装の子供たち、プラスチックの節分の鬼の面、日本のお墓。ガイジンさんには珍しいものが写真に収められている。しかしこういっちゃなんだが、全ての写真は普通のカメラかデジカメで撮られたようで、素人にしてはうまいほうだけど、プロではない事がすぐにわかった。展示の仕方も額なしで額縁の中紙に写真をはさんでクリップでぶらさげているだけのものなので、それが余計に中途半端さを感じさせられる。男性の説明であの謎の大名行列は「時代祭り」を撮ったものだとわかった。ポスターは古ぼけた感じだったのに、実際の写真は普通に撮れている。きっとポスターを請け負ったグラフィックの会社が加工を施したんだろう。な~んだ。。。わたしはちょっとがっかりした。男性は「じゃあ、お茶会が始まりますから、皆さん地下へ。」と階段を降りていく。このメンバーの中には最初から目をつけていた退屈そうにしていたわたしの他にもう一人だけだった日本人の女性がいたのだ。そのときわたしは思いきって声をかけた。各写真の下にポエムがついていたのだが、彼女がそれを日本語に訳したと男性は言っていた。「それはもう、素晴らしい訳者でわたしの気持ちを100パーセント理解してくれたのです!」と紹介しようと躍起になっていたのだが、彼女は恥ずかしがってずっと隠れていたのだ。聞けば彼女はわたしの隣町に住んでいるらしい。わたしが「彼、べた誉めにあなたのこと、誉めてましたね!」というとうざそうに「ああ、あれ。まさか日本人に見られるとは思わなかったから、えいっ、てやっちゃって。。ああもう!あ、早くお茶会に行かないと。。」と逃げてしまったのである。めちゃくちゃ敬遠されたのを感じた。わたしはてっきりあの作者の彼女かと思ったのだが違うようだ。恥ずかしいのか?うざいのか??始めてのひとと話すのは、楽天ですでに知り合ったひとと会って話すより相当難しい。ご近所同国人友達作りは失敗に終わった。涙地下の会場はスライド室だった。スライドの幕の前が1段高くなっただけのいわゆる「視聴覚室」である。そこに正方形の畳が何枚か敷かれて水仙の花の一輪挿しと「寂」とかかれた色紙が置いてあった。わたしたちがエレベーターを使って降りたときにはすでに全員が着席していて1番前の席がちょうど2つ空いていたのでそこに座る。男性はひとり薄緑の渋い着物に濃い緑の袴をはいてリンと立つ女性を「彼女はヨーロッパで唯一裏千家の皆伝を持つ女性でして、ボローニャにお住まいなのですが、ミラノにお仕事でいらっしゃる日程に合わせて、こちらにお越し願ったわけです。」と得意そうに紹介した。彼女は一礼し、さっそく茶道についての説明をはじめる。簡単な歴史と、茶道の楽しみ方。「茶道とはお茶を立てる席を日常と切り離した空間とみなし、静寂の中のお茶を立てる音、湯が沸く音、外界の虫の声などを楽しむものです。」そこにお客としてさっきの男性と、ひとりの金髪の女性が茶室に見たてた畳の上に正座した。きれいな桃色の着物を着た日本人女性がもてなす側として入ってくる。お茶が始まった。見物しているわたしたちは息を止めてその光景と、かすかな音を一緒に楽しむように努力する。しかし、これはかなり難しい事だった。なぜならここはどれだけ想像力を膨らませても「自然の中の趣のある茶室」ではなく灰色の壁に囲まれた「地下の視聴覚室」なのである!本当の茶室の環境を知っている日本人のわたしにしても想像できかねるのに、イタリア人としたらどう思って見ているんだろう?せめてうぐいすの声の効果音をバックに流すとか、背景にお粗末なパネルでもいいから日本家屋の写真を飾るとかさ。。。わたしたちがジリジリしてきたころ、最初から緊張しまくっていた男性がお茶を畳にこぼしてしまった!一斉に観客から失笑があがった。男性は顔が耳まで真っ赤になって「すみません、すみません!」とテイッシュを持って這いずる姿を見て、また失笑があがる。やはり、ひとときもじっとしていられないイタリア人たちに「静寂を楽しむ」なんてのは無理だったのだ!ここから会場はぐっとくだけた雰囲気になった。袴姿の女性も顔を崩し「何かご質問は?」と観客を見渡して聞く。おっとを含め、何人かいろいろと質問をしていた。「皆さんの中でお茶を試したい方、いらっしゃるかしら?」というと若い客を筆頭に積極的に手があがった。わたしは正座ができないので黙っていたのだが、お客としてはたったひとりの日本人だったので(前記の女の子は後ろの席で居眠りしていた。やっぱりうざいんや。)、わざわざ席までお茶を立てて持って来てくれた。お茶を立てていた日本人が親しみを込めた目でわたしを見たのでうれしくなった。急に楽しくなったお茶会が終わり、袴姿の女性は「能楽に入る前に5分休憩しましょう。」という。ああ、舞台セットの準備がいるんだな、とそのままイスに座っておっとと喋っていると、先ほど客として茶室で正座していた金髪の女性が親しげにやってきた。ミラノにある裏千家の教室の先生?らしい。日本語がお上手で、8年間東京に在住されていたとか。あの変わった正方形の畳も日本から持ってきたそうだ。「いつでも気軽に裏千家に遊びに来てね。」とチラシをもらった。その後、あのお茶を立てていた日本人とも喋りたいし、今は起きて他の人と喋っているもうひとりの女の子にも更にチャレンジしたいな、とキョロキョロしていると明かりが暗くなって「能楽を始めましょう。」と声があがったので仕方なく前を向いた。前には別になんの舞台セットもなかった。さきほどの袴姿の女性がしずしずと台にあがると、台の右側の窓ガラスの向こうのまるで学校の放送室のようなところから唸るような能の歌が流れ始めた。袴姿の女性は腰にさしていた扇を開いてゆっくり足を踏み出す。。。。。。。。。え?踊りは正確できれいだった。しかし、おそらくわたしだけじゃない、観客全員はきらびやかな舞台衣装に身を包んだ数人が能面を被り、舞台セットの中で優雅に踊るとばかり思っていたのだ。わたしはポカーンと見つめていた。おっとはあくびをして腕時計を見た。周りの観客の数人は何も言わずに立ちあがり去っていった。おっと「ねえ、ぼくたちも帰ろうよ。」わたし「わたしだけが日本人の観客なのよ、最後まで帰れないよ。」おっと「エゴイスト!ぼくは明日も仕事なんだぞ!!」わたしたちはひそひそとケンカをしながら、次々出ていくひとたちを見る。ああ~。。。。。開催者ではないのにひとりの日本人としてなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。写真はいまひとつだったけど、お茶といい、踊りといい、悪くはないのだ。ただ、ただ。。。演出がまったくなっていない!!予算が無かったんだろうか?こんな田舎町だからって、手を抜かれたんだろうか??わたしが大学の時、各地の商店街や遊園地でアトラクションショーをするグループに参加していた。その時はクライアントに言われた以上に衣装に装飾をつけたり、いかに派手な演出が出来るか相談したり、見物客も参加できるメニューを考えていかに楽しいショーになるか工夫していたものだ。確かにお茶や踊りはアトラクションショーとは異なるが、人前に披露するのであれば、最低限観客を退屈させない工夫があってもいいんじゃないだろうか?ああ、そうか。この「無の舞踏」の意味がわかった。何にもないところで踊るからなのか?←こじつけわたしは失意を感じながら最後まで我慢して座っていた。袴姿の女性は3曲踊って、さっと舞台から降り「本日は終わりです。」と告げた瞬間から待っていたかのようにバタバタと片づけが始まった。ぼーぜんと立ちあがると写真家?の男性が来た。男性「今日はどうも来てくれてありがとう。」わたし「いえいえ、日本語がお上手なんですね。」男性「イタリアでちょっとやって、京都に6ヶ月留学してたんです。」わたし「へえ~、たった6ヶ月でこんなに上手になるんだ。」聞けば彼は某有名芸大の外国人コースなるものに通ったらしい。それが得意なようである。でも、ってことはまだ学生か学生あがりか。。。。彼はわたしに名刺を渡して片付けに戻っていった。考えたらわたしもちゃんと自己紹介をすれば、そこから友達の輪が広がったかもしれなかったのだが、この夜はその気になれなかった。どれだけ才能があって、努力していても、その芸術家の作品が日の目を見ないのも多い。彼はその点、ラッキーだな。田舎とはいえ図書館のワンフロアの半分使って個展が出来るんだものな。こんなジェラシーも混ざりつつ、このオープニングの中途半端さにがっかりしつつ、図書館を後にしたのだった。でもこんな田舎町の展覧会にしては上出来なのかな。。。。。。。。
2006.04.02
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今朝は目覚ましをきっちり8時半に合わせて起きた。ホームドクターの予約時間は8時半から12時まで。それまでにどうしても、今日の診察の予約をしなければならない。不安だった。どう言いくるめたら今日の予約が出来るか?電話番号をプッシュしながら、あれこれと対策を練った。しかし、8時半と同時に電話に飛びついたもののず~~~っと通話中である。我が田舎町にはこんなに病人が多いのか?やっと1時間ほどして電話が繋がった。案の定、看護婦は渋々とした声で「今日?無理ですよ。今日は予約でいっぱいです。数日後ならなんとか押しこめますけど。。。」わたしは「足が真っ赤に腫れあがって痛いんです!それに先週金曜の時点で病院には緊急にホームドクターに行くようにって言われてるんです!」と有無を言わさぬ口調で答えた。看護婦にはわたしの病状よりも、「病院に言われた。」というセリフが効いたらしい。「。。わかりました。今日の12時50分ってことで。でも遅れず来てくださいね。本来診察は12時半で終わりなんですから。」やった!!言ってみるものである。というか、本当の急病人なのに、まるでへたな小細工が成功したような感に襲われるのはいったいどういうことだろう?実際わたしの足はドンジョイをはずして以来、ケロイドのようにズル剥けだった皮膚はオロナイン軟膏を毎日塗る事によって治ってきたものの、熱を持って腫れたままだった。そこに持ってきて、おっとが病院の医者の勧めでさっそくニーノ(わたしと同じく事故った友達)のお姉さんからジム用の自転車を借りてきたのだ。おっと「20日も遅れを取っているんだから我慢して漕いで!」と星一徹のごとく、わたしが「痛いいたい!!」痛みを訴えても自転車から降りることが許されず、漕ぎ続けたので、ひざはますます腫れあがり、痛くて歩けないぐらいになっていた。予約時間の10分前、わたしはおっとに支えられて医院に着く。おっとはそのまま仕事に戻り、わたしは待った。「なんだ、もう診察時間が終わってるのにまだ待合室は満員じゃないか?」1時間ほど待ったところでようやくわたしの番となった。待つ患者も辛抱強いが、診察時間がとっくにすぎてもまだ診察しなければならない女医もご苦労なことである。女医は「まあ、いったいどうしたの!?」とびっこのわたしの足を見て驚いた。無理もない。前回わたしがここに来た時には「妊娠」というおめでたいニュースを持って出ていったのだから。わたし「あれから数日後にいろいろな事が一度に起こったんです。。」とかいつまんでニュースを語る。女医は目を見開き、言葉を失って「。。。まあ、大変だったのね。お気の毒だわ。」とやっとそれだけを言った。状況を飲みこんだ女医は病院のカルテを丁寧に読んでいく。そしてわたしは20日前からはじめなければならなかったリハビリがまだなのを語り「ガイジンにはイタリアの医療システムがわからなくって。」とこぼすと、女医は「会社の休暇はどうしてるの?労災にはもう、申請した?そういうことをするのはホームドクターの仕事なのよ。」と聞いて来た。そういえば、これも知らなかった。救急でバタバタと入院となったときに、急患受付で仕事を聞かれ、病院側でこちらから言わなくとも書類を作成してくれたのだ。会社にもその書類を直ちに提出するように言われてその通りにし、この件に関してはとんとんと事が進んだのである。わたしが労災の書類を見せると女医は「ああ、救急で入院したのね。」とすぐに理解して安心する。しかしわたしが退院してから今までに診察に払った領収書を見ると「え、どうして払ったの?労災でカバーできるから無料のはずなんだけど。。。?」なんだって!?今までレントゲンも含めてかなりの額を払ったぞ!!女医「次から診察の時には労災でカバーできるから、って病院の医師に言うのよ。」と無料になる病院でのリハビリ申請の赤紙を書いてくれたのだった。くっそ~。。。。これだけじゃない。無知って事で、家のことといい、病院のことといい、相当な額を損している。どうにもならない悔しさでいっぱいになった。20日も遅れを取ったリハビリに関しては女医はさほど驚きを見せることなく「とにかく無理しないように毎日続けることが肝心だから。」と自宅で出来るリハビリの図のコピーをくれた。見れば座って、足をゆっくり出来るところまで曲げたり伸ばしたり、の単純運動である。わたし「あの~。。病院の医師に言われて自転車漕いでるんですけど?」女医「え!あなた20日間、筋肉を動かさなかったんでしょ?自転車はまだ早すぎるわ。病院のリハビリに通うようになって、リハビリ師の指示があってから始めなさい。さっきも言ったけど無理は絶対禁物よ。痛くなったらすぐに止めなさい。それとひざは常に氷で冷やしておくように。」わたし「は、はあ。。。」この週末、わたしはまったく良くない事をやっていたわけだ。星一徹になりきっていたおっとに直接このセリフを聞かせたかった。というか、あの何に付けても不親切な病院の医師をぶん殴りたかった。皮肉にも診察室から出たと同時におっとがわたしを迎えに医院に入ってきたのであった。その後、昼食も食べずに病院にリハビリの予約へ。1ヶ月後にしか空きポストがない、という窓口のお姉ちゃんに、ホームドクターの予約時同様、緊急性を訴えるとやっと4月7日始まりの穴を見つけてくれた。それでもずいぶん待たされるが、仕方が無い。妥協した。だってここはイタリアなのだ。はああああああああ・・・・・
2006.04.01
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この日、おっとが以前、ちょっと早めの誕生日パーティした日に「いつ誕生日パーティをやるの?忘れず誘ってちょうだいね。」と電話をかけてきた招待しなかったエクアドル人の女友達ノルマ(ちなみにウイリアムの腹違いの姉)の一家を気まずさから招待することにした。もちろん日時はノルマの都合のいい日である。そして誕生日パーティの功労者目目さん一家もおっとは、それはそれは感謝の意を込めたウルウルな瞳と口調で「今回は本当にありがとう。お礼にこの日に南米料理をごちそうするよ!」と招待したのである。なのでおっとがてっきり自分で南米料理を作ってもてなすかと思えば、あまり南米料理に関してはレパートリーのないおっとはノルマに完全に頼っているようである。寿司といい、南米料理といい、他人に頼るなら招待するな!と妻でなければ一括するのだが、これはわたしが料理が出来ないのを知っての行動なので「むむむ。。。」と黙り込んでしまうしかないのである。わたしだったら、そういった理由で一生家に誰も招待しなくても平気なのだが、お祭り好きの南米人にはそうはいかないようだ。ところが。いつものヤギの典型的パターンで、ノルマは自分でパーティの日時を決めたのに、何度確認の電話をしても「明日、返事する。」といってちっとも返事をしてこない。わたしたちとヤギ達の間ではこれも「いつものこと。」と最近は腹を立てる気も失せているのだが、今回ばかりはヤギ初心者の目目さんも招待しているのだ。この日に至るまでわたしは何度となく目目さんに「とりあえずパーティはする方向ではいるんだけど。。」とあいまいにつなぎ止めていた。まあ、ノルマがいなくとも目目さんたちは誘えるけど、肝心の料理がない。そして日本生まれのひとにはせめて1週間ぐらい前までにきちんとしておくのが礼儀ではないか?こうしてわたしがしつこくおっとに言って毎日電話攻撃の果てにやっとノルマが「OK」の返事を出してきたのは2日前のことだった。急いで目目さんに電話をする。しかし目目さん「ごめん、ちっとも連絡がないからその日は山に行く事に決めて、買い物も済ませてきちゃったの。」OOOOOOOOHHHHHHH,NOOOOOOOOO....しかし目目さんは責められない。だいたいヤギの返事が遅すぎるのだ。「気にしないで、また何度でもチャンスはあるから。」と電話を切った。この日、朝9時にノルマはやってきた。彼女は看護婦なので夜勤帰りでそのまま来てくれたのだ。徹夜明けの彼女はとても疲れているようだった。まあ、ちょっと休憩したら?と言ったのだが「昼食を作り終わったら後で昼寝させて。」と言ってすぐに持ってきた何個ものスーパーの袋を広げはじめる。わたしたちだけだから、そんなに急がなくたって。。。と言いかけてわたしは言葉を飲みこんだ。昨日ノルマに「材料を買うから何がどれぐらい必要か教えて。」とスーパーから電話したところ彼女は「う~ん、いつも目分量だし、スーパーじゃ売ってないようなものもいるから、わたしが買って持っていく。」と答えたので全てを任せていたのだ。彼女は袋からガサガサと、乾燥ジャイアントコーンとか、見たこともない香辛料とかを次々出していく。最初わたしは青いバナナ(プラタノ)や、ユッカ(幸福の木の根っこ)を見ながら「確かにスーパーじゃ揃えられないな。」と感心してみていた。そして最後に取り出したのは5kgはあろうと思われる冷凍の大きなかつおの塊だった!わたしは目を見張り「すっご~い!こんな大きな魚の塊、買ったことないよ!」と歓声をあげると、ノルマの息子と旦那とでPS2で遊んでいたおっとも見に来て「え。。こんなにたくさん買ってきたの?いくらだった、払うよ。」と顔を引きつらせながら言った。だいたいイタリアは肉より魚のほうが高いのだ。それにこんな大きな塊。。。子供1人を含め5人分にしたら多すぎる。おっとが財布の中身を気にするのも無理ない。しかしノルマはなんてことはない顔で「いいの、これがわたしからの誕生日プレゼント。」といった。そういえば誕生日の材料を揃えてくれた目目さんもそうやってプレゼントしてくれたっけ。やっぱり自分のパーティのものを他のひとに買っていただくのはよろしくない。感謝しながらもこんな大きな塊、どうやって調理するんだろう?余ったらどうしたらいいんだろう?ところでどうしてなんで、こんなバカでかい塊なのか?疑問が次から次へと沸いてきたのだがノルマとおっとと一緒にユッカの皮を剥きながら喋ったりしているうちにどうでもいい気分になってきた。彼女はおっとのリクエストで「セボイヤード」という魚のスープを作っていた。この間、2人でレストランに行った時もおっとはこの料理を頼んでいたほど好きらしいので、この暇な時期にわたしも一丁レシピを教わろう、とカメラ片手に手順をメモッていった。しかし、正確な材料やスパイスの分量がわからない。ノルマは「うう~ん、いつも目分量だし。。」と答える。かつおをゆでる為に我が家のたった30cmの鍋には入りきらず、カルラの実家(カルラ同様ご近所在住)のでかい鍋を借りてきた。しかし毎回セボイヤードをするたびに鍋を借りには行きたくない。汗30cmの鍋のほうにはピーマン、ユッカ、香菜、トマト、にんにくなどをぶつ切りまたはまるごと放りこんで、5種類ぐらいのスパイスで煮込んでいくのだ。煮こめばジューサーにかけてスープ状にし、そこでゆだったかつおを煮込んで。。。とにかく手間がかかるので、わたしはすっかり飽きてしまい読みかけていたSaicuccioさんにもらったミステリー小説を読み出した。このあとすぐ主催者のおっとまでがPS2に戻ってしまい、ノルマ一人で調理していたのだ。夫婦揃って失礼なやつらである。やっと調理し終わったのはお昼の2時も廻った頃だった。朝の9時からだから約5時間調理していた事になる。なんだか、昔同居していたナポリ出身の女の子の母親が毎日曜、朝からやってきて夜までかかって鍋を掻き回していたのを思い出させずおえなかった。ようやくノルマがエプロンをはずした。わたしはよいしょ、と立ち上がり5枚の皿を出した。おっと「違う違う。今日は全員でえっと。。。11人だよ。」わたし「は?」ノルマ「2時ごろって言ってきたのにまだ来ないわね。マルちゃん、ウイリアムに電話してくれる?」わたし「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」OOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!またやられた!!なんであんな大きなかつおが必要だったか、謎が解けた!ど~しておっとはいっつもこうなんだ!?ど~してメンバーとしかも人数の大幅変更を前もって予告しないんだ!!??というか「ウイリアム大一家」のワンパーツであるノルマ家族だけが誘えたことに、最初から疑問を持てなかったわたしがバカなのか?そりゃあ、わたしはこうもしょっちゅう大人数が家に押しかけてくるのはイヤだし、反対もする。でも来るとわかれば、それなりの前準備と、心構えがあるじゃないか!?わたしのそんな怒りの心境はまったく無視され、2時間ほど遅れてウイリアム一家が押しかけてきた。食器は前回の誕生日パーティの時に余ったプラスティックの皿とクリスマスパーティの時の模様のついた紙皿でぎりぎりだった。あの大きなかつおの塊も瞬く間に消え、スープは鍋までなめるようにして一滴残さずなくなった。文化の違いと言ってしまえばしかたのないことなのだが、彼らの何がとてもイヤかというと:新しいピカピカな我が家の白い床を、泥だらけの靴でも平気で徘徊すること。最近日本人やイタリア人の来客が、こちらが何も言わなくても靴をぬいでくれることに慣れているので必要以上に目に付く。小さな子供たちも同様で靴をぬぐこともなく、布張りのイスやソファ、ベッドの上でピョンピョン跳ねるので、家中が彼らの足跡だらけになるのだ。←親たちはまったく無関心。怒我が家には老若男女問わず来客に人気者の「MOGU」という横浜のいとこの娘からいただいた、ふにゃふにゃのクマのぬいぐるみが2匹いるのだが、振りまわされ、床をソリのごとくそれに乗っかって滑って虐待している子供たちを見て、おっとはいたたまれず奪い取り、最後の方はずっとクマ達を抱きしめて放さなかった。階段はまるで泥をこそいだかのようにあちこちのへりに泥がなすりつけられていた。あああ。。。。わかっていたら、前もってあらゆるものにカバーをして、クマは隠していたし、わたしたちのベッドのシーツもパーティが終わるまで替えずに取っておいたのに。(前日に替えたばかり。涙)我が家のキッチンの棚の上にはデコレーションも兼ねてクッキーを透明の大瓶に詰めたり、果物を木製の大皿の上にさりげなく置いてある。ケチなことはいわないけれど、それらをむさぼり食う前に、一言「これ、食べていい?」ぐらい言ってくれよ!あああ、最近ダイエットをさせている金魚たちに断りも無く大量のエサを何度も何度もやらないでくれ。。。どうでもいいけどわたしたちのシーツを替えたばかりのベッドの上でタオルも敷かずにおむつを替えるのはやめてくれ!(←以前は同じコに同じ布団の上でオネショされた。)子供もいる夫婦が昼間から、しかも隣の部屋には大人数がいるってのに、我々のベッドルームのドアと、ご丁寧に雨戸まで閉めて何やっとるねん!?彼らが去った後、たいしたものではないけれど、いつも何かが無くなっているのはどういうことよ!?(今回はおっとの携帯電話用のコードレスフォンなり)はあ、はあはあはあはあはあ・・・・・・・ああ、おっとよ、文化が違いすぎるわたしには、ヤギたちの奇襲は身体に悪いのです。「奴らをうちに誘うな!」とは5回に4回までしか言いませんからお願いだから、せめて1日前には予告してくれぇっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!
2006.04.01
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