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8月14日(月)この日は飛び石連休の真っ只中とはいえ、ルイス夫婦はそれぞれ仕事に出かけていった。朝から肌寒くて、雨が降ったり止んだりしてどうもすぐれない天気だ。カティちゃんはベランダに出て空を見上げながら「ねえ、今日は海に行ける?」と聞いた。わたし「さあ、天気が悪いからわからないね。」カティちゃん「あ~あ。」おっと「ねえ、今日はどこに行く?」前回にも言ったが、おっとはルイスがいると家事もなにもしなくなる。出かけるのもすべて、彼の言いなりだ。しかし彼がいなくなると次の順位は「妻」になるようでわたしになんでも聞いてくるようである。この日はルイス夫婦がいないのでローランド一家とカティちゃんと一緒にどこかに出かけることとなったのだ。わたし「知らないよ、あんたローランドたちときのうあんなに喋ってたのに、何にも決めてないわけ?」おっと「旅行はきみのほうが立てるのがうまいでしょ、考えてよ。」←おだてているようで考えるのが面倒なだけわたしは考えた。このうっとおしい天気だと、泳げる確率はかなり低い。泳がずにリグリア海岸を満喫するとなると。。。去年お嬢母と2人で行ったチンクエテッレかな?チンクエテッレは5つの小さな可愛い村がリアル海岸沿いに点在していて、そこを遊覧船や電車、徒歩など自由なやりかたで廻るのが楽しい。さっそくロードマップを拡げると、ジェノバから約80kmほど、つまりクルマで1時間ぐらいの距離だ。子連れとはいえ、日帰り遠足にぴったりではないか?去年と違って「夏のバカンスらしいことが出来る!」と思うとワクワクしてきた。さっそくおっととカティちゃんに提案してみる。おっととカティちゃん「うわ~、行きたい!そこ、泳げるところでしょ?」わたし「え。。まあ、泳げるところもあるにはあるけど。」おっととカティちゃんは喜び勇んでこの薄ら寒いのに、水着に着替え始めた。_| ̄|○ とりあえず泳げる浜もあるけれど、この天気を見て、泳がず楽しめる場所で決めたのに。(ひとの話を聞いて欲しい。涙)陸上競技場でバレーボールをするようなものだ。2人がそうなのでやや失望しながら、わたしも水着をとりあえずバッグに詰めてローランドの家に行った。ローリーはいなかった。昼の2時まで仕事らしい。(先に教えてくれよ。)彼女が帰ってきてからチンクエテッレ巡り?できるやろうか?やがてローリーが帰ってきた。それから支度をして、チンクエテッレの正当な楽しみ方を説明しているのに、全員水着に着替えて。。。怒とにかく出発と相成った。高速道路をかっとばし、5つの村のひとつめ、モンテロッソに一番近い出口で降りる。高速道路の出口からそんなに遠くないだろう、と地図で判断したのは間違いだ。山道を登ったり降りたり、海が見えるところまで来た、と思えばどんどん離れて山の頂上まで行き。。。遠かった。知っていたならジェノバから電車で来ればよかった。電車ならトンネルをくぐり、海のそばの各5つの村の中心地に着くことが出来る。やっと海のそばに着いてクルマを駐車場に停めた。海は息を呑むほど鮮やかな空色とマリーンブルーの2色だ。ヤギたちはは「うわ~っ!!!!」と服を脱ぎ捨て、海へと飛び込んでいった。待てっちゅうねん!!ただでさえ、家を出てきたのが遅いのに、ここで泳いでしまったら、5つの村めぐりが出来なくなるではないか!?時計を見ると4時を廻っている。4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。ああ、ジェノバを離れてきてもそうなのか。_| ̄|○ こんなことなら、ジェノバから2時間近くもかかったチンクエテッレまで来なくても、近場で済ませときゃ、ガソリン代も節約出来ただろうに。。。ぶつぶつ思いながら、わたしもクルマの中で着替えて海に入る。空は曇り、海の水は冷たく、波は荒かった。おっととローランドたちはすでに唇を真っ青にして、ぶるぶる震えながら上がってきたが、陸も潮風が強く、ビーチタオルにくるまって動かなくなってしまった。わたしといえば、足を水につけただけで「冷たい、絶対入らない!」と言っているのに、まるで海の亡霊のような子供たちに足から引きずりこまれ、襲ってきた高波を思いっきりかぶり、気がついたら水中でアップアップするはめとなったのだ。あまりの波の高さに監視員が「みなさん、危険です!上がってきてください~!!」と叫んでいる。しかし波にめちゃくちゃに揉まれて、姿勢が整えられない上、海の亡霊たちに腕と足を掴まれ、水中から逃げることができない。何度目かの高波が襲ってきたときに「あ~れ~。。。」とわざとらしく言って、その場から逃れるために沖へと泳いで逃げたのだが、それと同時に浮き輪のミッシェルちゃんもキャッキャ笑いながら沖に流されてしまったので、慌てて追いかけた。荒波の中を本気で浮き輪をつかんで救助しているわたしの頭を本気で沈めようとする彼女。浜を見れば、両親はタオルに包まって、おっととのおしゃべりに夢中で、この状況にも気がつかない。コノャロ)いい加減にしやがれ!!わたしは嫌がってジタバタするミッシェルちゃんを腕に抱えて浜にあがり、両親の前に放り出し、タオルを身体に巻いて座り込んだのだった。←カティちゃんも独りはイヤだったらしくついてきた。3.今年は本気で子供たちの相手をしてはいけない。まったく前もって誓いをたてたというのに。このあとわたしたちは着替えて5つの村を結ぶ遊歩道に出る。ここまで来たんだから、せめて、せめて。。。あともうひとつの村ぐらいには連れて行こう!!ヤギたち「お腹すいた。バールでなんか食べよう。」ああ。_| ̄|○ まずヤギたちはパニーノを注文し、それでも食べたらず、パスタを注文し、ジェラートを潮風に震えながら食べて。。ローリー「今日の夕食は絶対なにがなんでも中華ね。」おっと「そうだな、もう夕食の時間だし、帰らないと。」えええ!たった今、食べ終わったばっかりやん!?他の村はどうなるのっ?おっと「だってもう時間がないよ、こんな遠くまで来ちゃったんだからもう出発しないと。ルイスたちも待っているし。さ、帰ろう。」ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ 4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。そりゃあ、わかっているけど。。。。ジェノバのルイスの家に帰ると、ミリーがすでにごはんを炊いていた。ミリー「ローリー、そこの野菜を切ってちょうだい。」ローリーはにこりともせずに野菜を切り出した。この日も中華計画はつぶれた。食事の後、わたしたち大人は小銭を賭けたトランプを始める。いつもは不運のわたしたちがおもしろいように、勝ってばかりなのだ?前日よりも少し早い夜中の2時にはわたしとおっとの前には小銭の山が出来ていた。あああ~、神様!こんなところで幸運を無駄使いさせないでください!!!!(つづく)
2006.08.29
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家出から昨日の夕方、帰ってまいりました!はあああ~~~、楽しかった。いや、まったく本当に。。しみじみ週末の楽しみを思い出してこうやって噛み締めるたびに、どんどん後悔に襲われる。****実は、目目さん一家と一緒に彼らの山の別荘に行ってきたのだ。おっとを心配させるため、ひそひそと目目さんとは話を進めていたというのに、どうやらヘタなわたしの芝居はもろバレで、おっとには行く先がわかってしまったらしい。「行ってらっしゃい、楽しんできて。目目さんたちによろしく。」と先日おっとが作った「トスタード」までお土産に持たされ、ニコニコと送り出されてしまった。おっとは彼らを非常に信用しているので、まるでこの旅は「自分がジェノバに泊りがけで行かなければならないので、飼っている犬を連れて行けないから、ご近所さんに預かってもらった。」状態となってしまったわけだ。すごく悔しい。しかしこれがおっとがあまり付き合いのない日本人とかだとかなり違う。(先日のaya825さんとの例とか) 例えば付き合い始めた頃に中米のサントドミンゴ共和国に女友達と行く予定だったのが、おっとの激怒の果てにキャンセルさせられてしまった。そのあと「長期外国旅行がダメなら短期国内旅行で」とめげずに同じ女友達とシチリア行きを計画を立てたのに「そんなにぼくと離れて友達と一緒に居たいか!?」と落ち込まれ、見ていてえげつないほどいじけられたので、しぶしぶこれもキャンセル。この後、友達は「まあ、マルちゃんったら、やきもち焼きなのね~。」と平静を装って言いつつも、当然すごく怒ってしまったようである。今もありがたいことに、か細いながらも友達を続けていてくれるが、もう2度と「一緒に旅行しよう。」なんて言ってくれなくなった。涙しかしよく考えたら、あのときの「そんなにぼくと離れて友達と一緒に居たいか!?」のセリフ、現在のおっとにそっくりそのまま返してやりたい。話を戻して、目目さんの山の別荘には今年4月にもおっとのクルマで行ったことがある。 今回は8月、夏真っ盛りのはずなので、すでに山で待っている目目さんに「川で泳げる?水着持って行ったほうがいいかな?」とメッセージを送ると「何言ってるの!?今16度だよ、こっちは。泳げないよ!」と返事が返ってきた。わたしは仰天して、かばんの中身を詰め替えたのは言うまでもない。今回は電車の旅。前日に切符売り場で並んで、いつも近鉄切符サイズの定期券ではなく、大きな長細い見知らぬ地名の書かれた切符を買うのは快感だった。金曜日に会社が終ってミラノ中央駅に行く。この駅も、いつもと違って見える。それもそのはず、バカンスが終って主に南から、大きなスーツケースを転がして真っ黒に日焼けしてミラノに帰って来た人々でごったがえしている。そんな中、長距離用の電車の高いステップをひょいっと上がって乗り込む。ああ、これも快感。1時間ほど車窓からの見慣れぬ景色を楽しんだ後、ノバラ駅で降りて、駅前から出ている山行きのバスに乗り換えた。ノバラ駅はそれは大昔、日本から来た元彼と夜遅くに夕食を食べに降り立ったことがあるが、そのときは何もない寂しい街だった。しかしこの夏の午後に見る街は、たくさんの商店が軒を並べていてにぎわっている。この大型バスのなかは、登山用の本格的な装備のカップル、ちょっとそこまで的なミラネーゼ、山のきこりのような素朴なおじいちゃん、とさまざまな乗客がいた。バスは都会を抜けて、大きな川沿いにどんどんと山を登っていく。この過程も楽しい。一度はおっとのクルマで同じ行程を来たことがあるのに、まるで初めてのようで無性に楽しい!!心の中で「トトロ、トトロ~♪」と唄いながら景色を楽しんでいると1時間半ほどで「バラッロ」という小さな山間の町に着いた。目目さん一家が迎えてくれていて、クルマに乗り込む。彼らの別荘はここからさらに30分ほど山間に入ったところにある。目目娘ちゃんがわたしを見るなり「いくきーと、見て!」と腕に入れた3つのシマウマや人魚の絵のタトゥを見せてくれた(←本物ではない)。イタリアでは子供たちの間で大流行なのだ。バラッロの可愛い街の中を抜ける。こんなところにも日本人観光客がいてびっくりした。最近はメジャーな旅行に行き飽きて、マイナーなところを旅する日本人が増えているようだ。バラッロはちょっと涼しいぐらいだったのだが、別荘のあるところまで来ると、かなり涼しくなってきた。太陽光線や、生い茂る緑、ごうごうと流れる川だけ見れば「真夏の景色」だ。しかし風はすっかり秋めいている。金曜日からの3日間。わたしたちはバラッロの骨董市にでかけて、目目さんが素敵な青磁のティーカップと、繊細なリキュールグラスのセットを見つけて歓声を上げたり、山の頂上近くにスキー用のゴンドラで震えながら行き、暖かいストーブの効いた山小屋でそこの自家製のカモシカ肉の煮込みのポレンタを食べたり、目目娘ちゃんと一緒に「やっほ~っ!!」と叫んでこだまが返ってくるか、試してみたり、川沿いの雑木林を散歩したり、目目娘ちゃんの乗馬のレッスンを見に行ったり、夜は韓国のラーメン鍋をごちそうになったり、ご近所の人たちと昼食を野外レストランで食べて、最近目目夫さまがはまっている釣りの話に興じたり、花の咲き乱れるおしゃれな喫茶店で午後のコーヒー&プチケーキを楽しんだり、それはそれはそれはおだやかな時間を過ごした。目目夫様が釣りに行って暇になったときは、ほうじ茶を飲みながら、ほとんど聞き取れないような静かな音でかかっている環境音楽をバッグに、目目さんはゆったりソファに座ってファッション雑誌を読み、わたしと目目娘ちゃんはせっせとお絵かきをする。ここでは服がやぶられる心配もない。強制BBQもない。ラテンミュージックの轟音を、そばで耐えて聞く必要がない。酔っ払いたちに混じった「変な中国娘A」のように見られることもない。ここには何もないのもあるけれど、えげつないところに連れて行かれてびっくりすることもない。だから、この日記に特に書かなければならないようなネタが発生しない。ああ、幸せ。そういえば、ミラノに帰る、という日曜日に小さな事件はあった。朝、ミラノに帰るために目目夫様が別荘の中の掃除をはじめ、目目さんが洗濯物をあちこちの部屋から回収して廻っていて、ダイニングにはわたしと目目娘ちゃんが残った。目目娘ちゃんはおとなしくイスに座り、お絵かきをしていて、わたしは皿洗いが終って、後ろの目目娘ちゃんに振り返ったとき。ちなみに目目さんちの別荘は可愛い石造りの小さなアパートの1階だ。近所の人たちは用事があるときは玄関のブザーを鳴らさず、いつも半開きの窓から「目目さ~ん。」と覗いてくる。このときは掃除のため、全開していた窓から一人の若い男性がのぞいて「チャオ!」とわたしに声をかけてきた。わたし「ああ、チャオ?」男「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。。」きっとこの男性、わたしを目目さんと間違えているのかな?「ちょっと待って。」と奥を見て、目目さんに声をかけようとする。男はすかさず「君はナニジン?」あれ、目目さんじゃないことを承知で聞いてる?目目さんは韓国人だけど、出生が微妙だから日本人か、韓国人か、知りたいのだな。わたし「日本人だよ。」男「そうかあ、で、いつからここに住んでるの?」やっと状況が飲み込めてきた。こいつ、近所のひとじゃねえっ!わたし「。。わたしはここに住んでないよ。ただのお客。」タイミングよく、目目さん夫婦がダイニングに戻ってきた。「。。このひとたちの。」と彼らに気まずくなりながら付け加える。男は目目さんたちを見て、ちょっとアタフタしたようだった。「いやね、ちょっと窓から覗いたらフレンドリーそうな彼女がいたから、ついつい話しかけちゃって。あ、もう行かないと。チャオ~。」チャオ~。じゃねえよっ、のぞき野郎!!わたし「ご、ごめん。てっきり目目さんたちの知り合いだと思って。」と言い訳をする。目目夫様「変な奴だな~。」本当に変な奴だ。知らない人の家に、窓越しに話しかけるだなんて。この後、わたしたちはある山の頂上のレストランに行き、こんな辺鄙なところだというのに満席だったので諦めてクルマに戻って行った。戻り道、山を下りはじめると、反対側から上ってくるこの男と仲間たちにまた会ってしまった。先頭を歩いていた目目さんは、この男を完全に無視して下り続ける。男は目目夫様と並んで歩いていたわたしを見つけ「チャオ ベッラ~!!(いよう、かわいコちゃん!!)」と寄ってきた。男「運命だなあ、また会うなんて!」と昼間っぱらからビールくさい息を吹きかける。わたしはうんざりしながら「ああ、本当だね。」男は目目夫様を向き「もうどれぐらいあそこに住んでいるの?」目目夫様は意外にフレンドリーに「ほんの数ヶ月。」と答える。男「おれはこの村で生まれ育ったんだ。今は下の町に引っ越したけどよ。」あ、そう。わたし「あんたたち、あのレストランに行くんだったら満席で入られないよ?」男は、ふんっと鼻で笑い「よそものは入られないね。おれたちが行ったら大丈夫!」とフラフラと行ってしまった。よそものだろうが、誰だろうが、客席はいっぱいである。調理場ででも食べるつもりだろうか?目目さんは顔をしかめながら「ああいうのをなんて言うんだっけ? 日本の893の下っ端の。。」わたし「ちんぴら。」目目夫様「そうそうちんぴら。たとえ近所でも、あ~いうひとたちとは深くお知り合いになりたくないな。」わたしははっとした。そうだ。。目目夫様、いや、普通のひとの反応と、おっとの大きな違いはこれなのだ!!おっとの場合、窓から覗かれたシチュエーションで、すごく楽しく盛り上がってしまうだろう。さらに山では。この「運命の出会い」に歓喜し、彼らと一緒にレストランに戻り、調理場でもどこでもビールを乾杯するに違いない。そう、このおっとは、付き合い始めの頃は、浮浪者だろうが、どこかの社長さんだろうが、同じ態度で仲良くなり、社長さんをご招待するならともかく「家がないのか、まあ泊まっていけや。」と浮浪者を家に連れ込んできて、何度もわたしを激怒させた男なのである!ああ、違う。違いすぎる。わたしは頭を抱えてしまった。わたしの心の平静は、目目さんちのような生活にある。こんなに根本から違うラテン男と一生添い遂げられるのだろうか?やっぱり独りでどこか知らないところに行くべきであった。独りで自分の中で考え方を整理すべきであった。おっとと少し離れたら、きっと落ち着いてまた元の生活に戻れるかな、と思った。しかしこんな家出、日本人的生活の良さを改めて認識しにいったようなものだ。悩みに悩んで家に帰り着いたら、まだおっとは帰ってきてなかった。山を出発した時点で連絡したら「もうミラノのそばまで来ている。」と言ったのに。わたしはシャワーを浴び、お茶漬けを食べて、疲れて寝てしまった。夜中におっとがやっと、ビールくさい息をしながら帰ってきた。そのとき目覚めたわたしは、トイレに立ったのだが「あ、お帰り!」とご機嫌なおっとに挨拶すら出来なかった。そして今朝。おっとが「おはよう!山は楽しかった?」と聞いて来る。わたし「うん。。まあね。そっちは?」おっと「すごく楽しかったよ!ほらっ、見て!」と、Tシャツをめくった二の腕にはタトゥがほどこされてあったのである!わたし「。。。。。。。。。。。」心の中でどうしていいかわからずに泣いた。
2006.08.28
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今日は「ちょっと飽きてきたけど、まだもうちょっと続く『エクアドルに行く?』日記」はお休み。おとといの夜、ルイスから電話があって「土曜日、そっちに泊まりに行くからな。寿司とやらを作ってくれよ。」と言ってきた。見ればおっとはうれしそうにOKしている。どうもスペインから親戚がひとり遊びに来たので、彼と一緒に一家でうちに来るらしい。わたしは「そんな!!いきなり『泊まりに行くからな。』じゃなくて、こっちの都合も聞いてから決めて!」とぴりぴりしながらも、ついこの間、お世話になった手前、しぶしぶOKをした。そしてわたしは慌てて掃除機を取り出し、夜更けに掃除する。そして昨日の朝。ローランドから電話があって「聞いたよ、ルイスたちそっちに行くんだってな。ぼくらも寿司とやらを食べに行きたいぞ!」見ればおっとはうれしそうにOKしている。わたしは頭に血が上ってしまった!!この日記に何度も書いているが、おっとは彼らの前では何もしなくなる。そんな大人数分の寿司をひとりで作り(彼らは大食い)、しかもやつらの布団の心配までしなければならんのか!?先週ミラノに帰ってきて、週末はまたもや前回と同じ川 で今度は「エクアドル人100%のBBQ大会」に早朝から駆り出され、家の掃除もしていなかった。ジェノバ旅行のスーツケースもまだ片付けていない。おっと「親戚なんだから気にすることないって。」アホ~!ルイスはともかくミリーはわたしはこわいんだ!!家に帰ったら、大急ぎでシーツを洗濯して。。。でも、全員分ベッドなんてないし、どうしよう。。。。。と頭がぐるぐるめぐる。しかし昨日の昼。おっと「彼ら、来ないってさ。」ガク。なんで?おっと「だって彼ら全員、ルイスのクルマ1台に乗り切らないし。で、ローランドたちも乗りたくないみたいなんだよね。だからぼくらが彼らの家に行く、ということになったよ。」こ。。。。このヤギたちめ。わたしはローランドたちが「来る」と言った時点で当然クルマに乗り切らないから電車で来るつもりで話していたのだと思ってたよ?やつらの考えなしの発言に、こんなに振り回されたのか!?そして、帰ってきたばかりでまたジェノバ?冗談じゃないぞっ!そんなに毎日南米生活やってられるか、わたしはイタリアに住んでいるんだ!!!ひ。と。り。で。行きやがれっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!はあはあはあはあ。。。。。。。。。。というわけで唐突ですが、家出することにしました。今日会社が終った後、中央駅から電車に乗る予定。昨夜はクルマじゃなくて、手荷物でいかに軽量で旅行できるか、バックパッカー時代を懐かしく思い出しながら荷造りしていたら、久しぶりに楽しくなってきた。わたしに最近欠けていたものは、これだったんだ、これ。では行ってきま~す♪
2006.08.25
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昨夜は2週間のバカンスから帰ってきたばかりの目目さん宅に夕ごはんに呼ばれた。で、昨日の日記で書かなかったが、あることに気がついた。おっとはあじのから揚げをつまみながら、目目さんに「ジェノバはそれはそれはそれはそれはそれはそれは楽しかった。」と一部始終を語っていたのだが、昨日の日記のパーティの話になったとき。おっと「ぼくらが踊ってたらね、夜の1時ごろに玄関のチャイムが鳴ったんだ。開けたらローランドのアパートの下の階のひとが立ってて。。」ああ、そういえばそのときわたしは一番奥のソファの隅で眠気と格闘していたっけ。野次馬なみなさんは玄関に集まって、下の階のひとと話し、そのひとが階段を下りていってから扉を閉めて更にミュージックのボリュームを上げていたな。おっとは続けて言う。「ぼくらはてっきり下の階のひとを見た時、後ろ手にシャンパンでも隠し持ってて『楽しそうだから仲間に入れてくれ!』と来たのかと思ったんだ。そうしたら、彼『ラテンミュージックと踊る靴音が階下に響いてうるさくて眠れないから、静かにしてくれ!』って怒ってきたんだよ!?なんか、その後パーティがぶち壊された感じで気分が悪かったから、彼が家に入るのを見届けて、ボリュームを更に上げてやった。」目目さん「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ハハハ。」わたし「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」ち、違いすぎる。この結婚生活、いつまで続くやろうか?*****8月13日(日)この日、起きれたのは朝の11時過ぎだ。カティちゃんはまだ寝ていた。午前中に起きれただけまだマシ。朝4時半ごろに忍び足でルイスの家に帰ってきたのだから。おっとはあくびをかみ殺しながら、最近はじめて買ったという電子レンジにマグカップに注いだ牛乳を入れ、チンする。そこでやっとカティちゃんも起き出して来た。ルイスもミリーも家にはいない。オープンしたての店が気になるらしく、日曜日も午前中は開けているのだという。実は誕生日だったので、家からフルーツケーキを焼いて持ってきた。前日は食べるチャンスがなかったのでしかたなくそれを朝ごはんに半分ほど切り分けて、3人で食べ終わった頃にルイスとミリーが帰ってきた。ルイス「昼メシにしようや。」うう。なんか、この家にいると食べてばかりの生活になる。ミリー「ローランドたちを招待したのよ。セビチェ(このブログでも何度か紹介した南米料理の魚介の冷たいスープ)にしましょう。」。。。。。え?「ローランドたちを招待した?」つーことは、仲直りしたってこと??OOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,SIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!!!!!!!!!!!!ミリー「わたしローリーに電話するから、海老のカラをむき始めてくれる?」と流しにうず高く積まれた海老の山を指した。ふだんなら「ゲ、うざいな。」と思うのだが、このうれしいニュースに鼻歌を歌いながらせっせとカラを剥きにかかるわたし。いつも腹立たしく思うのだが、ルイスたちの前ではおっとは一切家事をしなくなる。このときもわたしが独りでせっせとカラを剥いているのに、おっとはルイスとテーブルを挟んで座り、当たり前のようにビールを飲んでいる。ミリーが電話を終えてわたしと一緒にカラを剥きにかかった。「電話したら、彼らまだ寝てるのよ?もう、この昼食のこと知ってるのにイヤになっちゃう!」あ、やっぱりまだトゲがあるな。涙そりゃあ昨日の今日じゃローランドたちも。。。家が近いせいもあってか、1時間もしないうちにローランド一家が現れた。ローランドの奥さんローリーは挨拶もそこそこに台所に入り、ひそひそとミリーと2~3言交わして野菜を切り始めた。あれ、ローリーは今日は招待される側じゃなかったっけ?海老のカラ剥きが終わって考えていると、「いくきーとは座ってて!」とわたしは追い出されてしまい、彼女たち2人でセビチェと、ジャイアントコーンを細かく切った豚の皮と一緒に炒った「トスタート」を作って食卓に並べたのだった。なんだかぎこちないながらも平穏な食事が終わった。子供たちは「今から泳ぎに行くの!?」と水着を手に握りしめてわたしに聞いてきたが、時計を見ると夕方の4時過ぎ。わたし「今から泳ぎに行くのは無理だよ。どうするか、お母さんたちに聞いておいで。」子供たちはためらいがちに両親のいるダイニングまで行く。見れば、男たちはゲハゲハ笑いながら座ってビールを飲んでいるし、ミリーとローリーはそのそばで立って相変わらずひそひそと話している。?やっぱり仲直りした??←しかし雰囲気的にはちょっと微妙ミッシェルちゃんがローランドの腕をつかんで「どこかに行こうよ!」と言っているのだが、彼は耳を貸さない。わたし「皆さん、今からどうするの?いい天気なのにここで夜までぼ~っとしているつもり!?」と助け舟を出すと、ルイスが気まずそうな顔をして、男たちが面倒くさそうに立ち上がった。それから大人たちは覇気なくぞろぞろと玄関に向かった。わたしは「ねえ、いったいどこに行くの?」とおっとの袖を引っ張ると、おっとは面倒くさそうに「コルソ イタリア通り。」と答える。え~、またかよ~~~~!!!???「コルソ イタリア通り」とは海水浴上沿いの1kmほどの海辺の遊歩道で、きれいなレストランや建物が軒を並べている。ここで食事やアペルティーボでもすれば、ハイソでロマンチックなのだが歩くだけ。しかも、毎年ジェノバに来るたびに散歩といえばここ。他に行くところが思いつかないのか、このヤギたちは??!!4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。5.ジェノバでジェノバ料理を食べれるなんて期待してはいけない。6.ジェノバで水族館(海遊館よりはへぼいが、欧州一の規模を誇る)に今年こそは行けるかも?なんてヤギたちの「明日、行こうや。」という言葉に乗って期待してはいけない。7.せっかくリビエラ海岸沿いのジェノバに行くんだし、行き帰り道の途中にどこか2人で立ち寄れるかも?なんてスイートな期待を決してしてはならない!!!そうだった、そうだった。わたしはあきらめてクルマに乗り込んだ。わたしたちのクルマにローランド(いとこ弟)一家が一緒に乗り込んだ。←やはりルイスのクルマに乗るのはまだ抵抗があるらしいローリー「こんな半端な時間に外に出て、夕ごはんはどうするつもりかしら?」←きみたちは食べることしか頭にないのか?おっと「う~ん、外食じゃない?やっぱり。」ローリー「わたし中華が食べたいわ。いくきーとに知らないメニューを教えてもらいたいし。」←きみはわたしと知り合って数年経つのにまだ「日本人」と「中国人」の区別がつかんのか!?ミッシェルちゃん「ちゅ~か、ちゅ~か!!」←調子を合わせているだけで考えていないわたし「。。なんでもいいよ、わたしは。皆さんの好きに決めて。」←どうせわたしの意見などいつも採用されないコルソ イタリア通りに着いた。子供たちはクルマから飛び出してきてわたしの両腕にしがみつく。去年はミッシェルちゃんにせがまれるまま、腕に彼女をぶらさげて「うを~!!」と走り回ることも出来たのだが、今年、それをやろうとすると重い。しかもわたしよりきっと体重が上であろうカティちゃんまでが、今年は目いっぱいにわたしの腕を引っ張る。「うぎゃ~、痛いよいたい!!」大人たちはしゃべりながらだらだらと先を歩いていく。わたしは去年同様、服をやぶられそうになるぐらい2人の子供に引っ張られながらその後を歩いていく。遊歩道にはたくさんの露店が出ていてカティちゃんが一軒のバッグばかりを売っている屋台の前で止まった。カティちゃん「これ可愛いな。」と古いジーンズで作られたらしいカジュアルなバッグを手に取る。わたし「それ欲しい?」カティちゃんはハッとしたようにバッグから手を離しうつむいて「ううん、いらない。」と首を振った。ミッシェルちゃん「く~き、わたしこれが欲しい!!」とたまたま手の届くところにあった、どう見たって子供用ではないバッグを手にとって振り回す。カティちゃんは以前からおとなしくて、いつも何かに耐えているようなところがあり、時々痛々しくすら見えてしまう「良い子」タイプなのだ。それに比べて年下のミッシェルちゃんは、初めて知り合ったときから大人を振り回す子供であった。欲しくないものでも何でも欲しい。うそで目をウルウルさせて(おっとの親戚共通のDNA技らしい)「買って。。お願い。」と始まり、「見え透いた演技はやめなよ。」とカティちゃんに釘を刺されると「でへへ~」と笑ってから「うぎゃ~っ!買ってよう!!!」と吠えまくる。汗このときもそうだった。わたし「遠慮しないでいいよ、買ってあげる。」と無理やりカティちゃんに選ばせていると、「カティだけずるいっ!!」とミッシェルちゃんが吠え始めた。わたし「あんたにはTシャツ2枚もあげたでしょうが!」ミッシェルちゃん「あんなのいらないもん、わたしバッグが欲しいよう!」こ、このガキ~~~ッ!!!!このときミッシェルちゃんの母、ローリーが即座に駆けて来て「あんた、いい加減にしなさいっ!」と一言言うと、さっきまで吠えてたのが嘘のように鳴き止み「ちぇ」と舌打ちして普通の顔に戻ってかもめを追いかけて走っていった。汗やっぱり母の威力はすごい。うん。カティちゃんにバッグを買った後、去年同様、遊歩道を往復した。周りは薄暗くなって、潮風がきつく冷たくなってきた。ルイス「そろそろ帰るか。」おっと「せっかくみんなで外に出てるんだし、外食して行く?」わたしはローリーを見た。さっきは「中華が食べたい。」と言っていたのに、わたしとおっとを訴えるような目で見ながら黙っている。わたしにはその意味がわかった。わたし「あ、いいね。中華とか。」ローリーはやっぱり、長男一家には頭が上がらないのだろう。助け舟を出したつもりだった。ミリー「何言ってるのよ。外食なんてもったいないわ。せっかくマルちゃんといくきーとが来てるんだから、家でエンパナーダ(中にチーズをはさんだ揚げパン)を作りましょ!」とローリーを睨む。ううう。お見通しだったか。結局わたしたちはそのままルイスの家に帰ることになった。帰りはなぜか、ローリーとローランドはルイスのクルマに乗り込んで、子供たちだけがわたしたちのクルマに乗った。きっとミリーがそう仕向けたのだろう。家に帰り着いたときにはローリーはすっかり無表情になっていて、素直にミリーに言われるまま、小麦粉をこね、エンパナーダを作っていた。ここでわたしは今年の彼らの力関係が理解できた。「長男の嫁は『長男の嫁』であり、次男の嫁より上なのだ!」と。当然といや当然だけど。。。。。。。このぎりぎりの平穏がいつまで続くんだろうか?(つづく)
2006.08.24
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クルマに乗り込もうとするとカティちゃん「歩いていったほうが早いよ、こっちこっち。」と手招きする。カティちゃん「ローランド、引っ越して更にうちから近くなったのよ。」そうか。わたしたちは決して夜にひとりでは歩けないであろう、ぽつりぽつりと街灯がさびしく点いた坂道をどんどん降りていった。リグリアの海岸沿いは山がぎりぎりまで張り出していて、ジェノバの街も、山肌にしがみつくように発展している。なので、この街はちょっと歩いただけですごい急傾斜の坂道ばかりになるのだ。(どうでもいいが、この街に地震が来たら、おそろしいことになるだろうな。)ちなみにわたしは1月の事故からもう7ヶ月も経っているのにまだ「びっこ」状態である。階段や坂道を上がるのは平気になってきたが、降りるのは未だにこわい。わたしは、わたしよりもがっしりしてきたカティちゃんにしがみついて、へコヘコ降りる羽目になった。これではどちらが保護者かわからない。汗やっと坂道を降り切ったところにローランドのアパートがあった。それがそうだとすぐにわかったのは、8月の無人の静寂の街に、そのアパートの一室からラテンミュージックが大ボリュームでガンガンに聞こえていて、部屋の明かりの逆光で顔はわからないものの、母子がこっちを見て手を振っているのが見えたからだ。「く~き!!!」アパートのドアを開けると、真っ赤な口紅を塗りたくったミッシェルちゃんが抱きついてきた。ミッシェルちゃんは今年5歳。いったいいくつまで、わたしにこうやって抱きついてくれるんだろう?続いてラメ入りの黒いミニのワンピースとキラキラのピンヒールで決めたローランドの奥さんローリーが「ひさしぶり!」とキスしてきた。気のせいかもしれないが、去年の暗い影はずいぶんと薄れたようだ。やっぱり仲直りしたのかな?で、例のお土産のTシャツを渡す。ミッシェルちゃん用のはぴったり、というかちょっと小さいぐらい。今年限りだろう。カティちゃんのはさすがに大きすぎたが素直にもらってくれた。ホアパートは去年の他の2家族との、いかにも「しょうがないからシェア」な、殺風景なアパートと違って、きれいでこじんまりとしたカントリー調の家具で揃えられたアパートだった。ローリー「他のメンバーも今来たところなのよ。」と紹介する。←リピートするが、夜の11時過ぎ。一組はローランド家族とシェアしている、たぶんわたしとあまり年齢がかわらないであろう、イタリア在住エクアドル人にしては垢抜けしたお母さんと、18歳前後のセクシーな娘、母娘どちらの彼氏かわからないセクシー系イタリア人。近所に住むという、エクアドル人の双子のお姉さんたち。リビングのテーブルの上にはまるでイタリア料理雑誌から抜け出したようなおしゃれなアンティパストがぎっしり並んでいる。更に切り分けられた生のフルーツがたくさん乗ったケーキはそこら辺のケーキ屋とは比べ物にならないぐらいおいしそうだ。ローリー「全部わたしが作ったの、たくさん食べてね。」去年と雲泥の差だ!しかしわたしたちはさっきルイスの奥さんミリーが作った夕ご飯を食べてきたばかりでおなかが一杯だ。しかし食べなければ。せっかくローリーが丹精込めて作ってくれたのに。。。わたし「うぐうぐ、もぐもぐ。。。お、おいしいよ、絶品だよ、ローリー。」と取り分けられた皿を冷や汗を流しながら食べ切った。ローリー「アハハ、いくきーとったら!よほどおなかが空いていたのね?さあ、どんどん食べて!!」ああ、地獄だ。こういうのを餓鬼地獄じゃなくて、なんて言うんだっけ。。。カティちゃんを見ればアパートに入ってからというもの、ぶすっと黙りこくって、ローリーが取り分けたお皿も「いらない。」と断ってイスに座ってじ~っとしている。面白くないなら、こんな遅い時間だし来なきゃいいのに。。わたしは更に配られたモヒート(生のミントの葉が入った南米風カクテル)のグラスを持ってカティちゃんの横に座った。カティちゃんはわたしをじっと見る。わたしは困ってしまい「え~と、楽しんでる?」カティちゃんは首を横に振る。わたし「一緒に踊ろうか?」カティちゃん「まだいい。」←なにげに答え方が玄人である!わたし「あ、そう。あのさ。。そのう、お父さんたちはローランドたちと仲直りしたのかな?」カティちゃん「なんでそんなこと聞くの?」わたし「いや、なんとなく去年よりはいい感じだな、と思って。」カティちゃん「大人のことは大人に聞けば?わたしには関係ない。」あ、そう。やがてローリーがおっとの手をとって踊りだした。おっとはわたしと踊るときは、わたしがヘタだからか?グルグル目が廻るほど廻すのだが、彼女とは違う。彼女と腰をうねうね密着させて踊っているのである。たぶん、ラテンの踊りをはじめて見る日本人妻なら、そこで怒ってちゃぶ台をひっくり返しているだろうが(←ひっくり返し経験者)、もうこんなものごときで怒らなくなった。それに続いて同居人の娘が彼女の彼氏かお母さんの彼氏か、わからないイタリア人と踊りだした。彼氏はやはり本場ものじゃないのでへっぽこなのだが、彼女が超ミニのフレアスカートを翻しながら、腰をクネクネさせながら、スカートがちょうど座っているわたし鼻先をくすぐりながら、で踊るのは、いつまでたってもウブな日本人には鼻血が出そうになる。もしかしたらわたしはレズのけがあるのでは?と思うぐらい食い入って見てしまう。日本のスケベなおじさまたち、へたなキャバレーに行くより、ラテンクラブの方が楽しめまっせ。そうやって、鼻をさりげなくティッシュで押さえながら見ていると、横でずっとぶすっと座っていたカティちゃんが立ち上がった。カティちゃん「この曲きらい。これかけて。」と他の曲をリクエスト。その曲のタイトルは忘れてしまったが、いかにもヤング(死語?)が好きそうなズンズンお腹に響く曲である!ここでおっちゃんおばちゃんたち(おっとを含め)が潮を引いた。同居人の娘だけが残り、踊りだした。カティちゃんがやっと舞台に立ち、ひたすらお菓子を食べていたミッシェルちゃんも「やほ~!」と飛び出してきた。わたしが感心したのは、年頃の同居人の娘が色気を振りまきながら踊るのはわかるが、カティちゃんの腰の動きも半端でないのだ!相当踊り込んでいる。。。。とわたしは見た。そういえば彼女、ルイスの家を出る前、確かこの曲をかけて鏡の前で練習していたっけ?これが10年後には、わたしを鼻血ブーにするのだろうか?それに比べてミッシェルちゃんの動きはまだやはり全体としては幼い。だが、歌詞のさびのところでの腰のうねりを見ると「この子。。。もしかしてもう、知っている?(何を)」と思うぐらい練りこまれたものがある。子供たちはわたしをあんぐりさせながら踊り続ける。おっとを見れば、別にわたしのように驚いた様子もなく、普通にカクテルを飲みながらくつろいでそれを見ている。時計を見ると、夜中の3時。この子達は眠くないのだろうか?わたしの同僚のミッシェルちゃんと同い年の娘は、9時にはもうベッドに入っているのにな。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「ぐ~」おっと「いくき~と、こんなところでうたた寝しないで!失礼だろ!!」とわたしを揺り起こした。ハッと我に返って眼前を見ると、まだ子供たちは汗を振りまきながら踊り狂っていた。(つづく)
2006.08.23
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食べ終わってすぐにクルマを発進、あっという間にジェノバのルイスの家に着いた。お留守番のカティちゃんが迎えてくれる。彼女は成長して、大人びていた。去年のように「く~き!!」(←ここの子供たちは「いくきーと」とどうしても言えなくて、わたしのことをこう呼ぶ。)と抱きついてこないのがちょっと寂しい。そして1年前よりも更に背が高く、横幅も大きく育っていた。汗わたし「お、大きくなったねえ。。」やっぱりあのお土産のTシャツ、絶対彼女のサイズではない!と、すぐにわかった。ああ、予想通りだ。お店のお姉さんを恨みたいところだが、カティちゃんもこの年齢にしちゃ、育ちすぎているような。。。汗おっと「そうそう、お土産があるんだ。」OOOOOHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOO!!!!!言うたらあかんっ!!こういう場合は隠しておくべきだっ!!!!おっとはTシャツを取り出す。どう見たって小さい。おっと「あれ、なんか小さいんじゃない?試着してみて。」カティちゃんは素直に着てみた。頭がつっかえてなかなか入らないのを無理やり着ると、思ったとおりパツパツ。破れそうだ。おっと「大きくなったなあ!もしかしていくきーとより大きいんじゃないか?ちょっと、いくきーとのTシャツも着てみてよ。」カティちゃんは素直に着てみた。今度は頭は入ったが、わたしにはぴったりサイズのTシャツもカティちゃんにはへそが出る状態でパツパツに止まった。_| ̄|○あ、そうか。夏になると大量に発生するヘソ出しルックのふくよかなお姉さんたちは、成長度が早くてTシャツのサイズが合わないからなのか。。。違)わたし「ごめん。。あんたがこんなに大きくなってると思ってなくて。滞在中に欲しいものがあったら、なんでも買ってあげるよ。」カティちゃん「気にしないで、気持ちだけで充分よ。このTシャツはミッシェルにあげてちょうだい。」カティちゃん。。。あんた、人間的にも成長したねえ。ほろり。ルイスが午前中だけの仕事が終わって帰宅した。ルイス「おお、来たか。さっそく昼メシにしようや。」わたし「え?もうわたしたち食べてきちゃった。」ルイス「そうなのか、残念だな。ミリー、お前らの分も昼メシを作っていったのにな。」やっぱり、そうやんけっ!!!ルイスがひとり、黙々と昼ごはんを食べるのを眺めながらわたしはカティちゃんに「今日はこれからどうするの?」と聞く。カティちゃんはお出かけ着に着替えながら「これからママのところに行くの。」ミリーは2ヶ月前から以前の友人と開いた店を抜けて(ミリーの性格から揉めたと思われる。)、ミリーとルイス、あとひとりのおばさんとの共同出資で、エクアドル食材店&精肉店をオープンした。店はミリーひとりで働いている。その新しい店をルイスが昼食を済ませた後、さっそく見に行った。店はジェノバの中心地の高台にあって、オープンしたてのこともあり、へたなミラノの日本食材店よりもきれいだ。店のロゴ入りの清潔な制服を着たミリーが「いらっしゃい!」と迎えてくれた。色とりどりのミラノでは見たこともない商品がぎっしり棚を埋めている。わたしが珍しくてまるで芸術鑑賞のようにゆっくりと見ていると、おっと「じゃあ、いくきーとはここで待ってな。」わたし「へ?」ミリー「そうしなさいよ、マルちゃんたちと一緒に行っても男ばっかりでおもしろくないわ。」わたし「???」おっと「彼らは今から、前にも行ったと思うけど、例の公園までサッカーに行くのよ。」おっとはわたしの返事も待たないまま、ルイスとまるで犬を他人に預けるように出て行ってしまった。彼らが去っていって、静寂が訪れたとき、やっと状況が飲み込めた。ああ。思い出した。おととしは「散歩に行こう。」という言葉に、中心地まで行くのか?と期待してついていくと、なんでもない公園に着いた。エクアドル人の酔っ払いたちが足元にビール瓶をゴロゴロ転がして、定まらない目つきでサッカーを観戦していて、選手もエクアドル人たちばかり。おっとたちが飛び入りで試合に参加している数時間、わたしとミリーとカティちゃんはぼ~っと離れたところで共通の話題もなく、ただただ雑草をむしっていた。くっそ~!!またやられたっ!!!こうなるとわかっていたら、今年こそ「単独行動:ジェノバ探訪の旅」に出ていたぞ!!4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。そうだった、そうだった。期待しちゃいけないんだ、期待しちゃ。ミリーにうながされてカウンターの後ろのイスに座る。彼女は売り物の「トロピカル」という、エクアドルではおなじみのリンゴ味のソーダをコップについでバナナチップの袋を開けてくれた。8月は開いている店も少ないが、お客も来ない。店の外に降る小雨をうっとおしく眺めながら、パリポリとバナナチップをかじる。きっと、こんなところにイタリア人のお客が来たら、中国娘がカティちゃんのベビーシッターでもやっているように見るんだろうな。。。カティちゃんをみれば、ルイスからもらったお下がり、といってもビデオカメラつきの携帯で遊ぶのに夢中だ。あ~、つまんない。わざわざバカンスシーズンに休暇を取って、こんな暇な店の店番。それこそ独りで出かけたくて、さりげなく「ここから水族館までどうやって行けるの?」と聞く。ミリー「まずは84番のバスに乗って、42番に乗り換えて。。。」カティちゃん「く~き、水族館に行くの?ねえ、行くの?わたしも行きたい!」と腕にぎゅっとしがみついてくる。しかしざーざーと雨足が強くなってきた。傘はクルマの中に置いてきてしまった。こんな雨の中、知らない街を地図もないのに、バスを乗り継いで行くのもな。。と、すっかり面倒くさくなって座りなおしてしまった。午後のお客はたったの2人。近所のイタリア人のおばあちゃんたちだ。ミリーはよろよろのおばあちゃんたちが買い物を済ませると、それを持って家まで送っていった。しかし夕方になると、南米人のお客がどんどんと来て、肉やエクアドル食材を大量に買っていく。夜、シャッターを閉めかけていると南米人グループがやってきてビールを買い、店の外にしゃがみこんでしゃべりながら飲み、なくなるとまた冷蔵庫から取り出して買って飲み。。となかなか閉店できなかった。8月なのに、なかなか繁盛してるじゃないか?と感心しているところにやっとおっとたちがヘロへロになって帰ってきたのだった。ビールを冷蔵庫から取り出して店の外にしゃがみこんで2人でしゃべりながら飲み、なくなるとまた冷蔵庫から取り出して飲み。。。そ、そうか。これが南米スタイルなのだな。っつ~か、いつまで経っても閉店が出来ないではないか!わたしはおっとをせかす。ミリー「いいのよ。今日は仕入れの業者が来る日だから待たなきゃいけないの。」結局ミラノから来た、という仕入れ業者がエクアドル食材を次々に店に詰め込んで出て行ったのが夜の10時。わたし「今日は遅いし、外食しようよ?」←これからお世話になるのでごちそうするつもり。おっと「いいねえ、ピザとか?」←何を珍しくイタリア人のようなことを言っているんだ!?ルイス「え~、ピザ?」←お前に聞いているんじゃない。ミリー「。。。う~ん、疲れたから外食はいいわ、家で食べましょ。」わたし「で、でも支度が。。。」←ただでさえイヤなのに、こんな遅くから作りたくない。ミリー「お昼、あなたたち外で食べてきたんでしょ?だから少しおかずが残ってるはず。それを温め直して、ごはんを炊いて、インスタントのスープを作って。。簡単よ。」簡単かあ?ミリーは実際家に帰ると、一番疲れているはずなのに、なんともない風に、またもやビールを開けている男たちにつまみを出し、ちゃっちゃとごはんを炊いて、インスタント、といってもポテトや人参を加えたエクアドル風のスパゲッティスープを作り、昼ごはんの残りの鶏肉を温めて皿に盛ったのだった。それもわたしが自分たちの部屋のベッドメイクをしている間にだ。申し訳なかった。食べ終わって皿洗いを手伝おうとしているとおっと「さ、でかける支度をして!」わたし「どこ?」おっと「ローランド(いとこ弟)の家だよ。パーティに招待されたんだ。」カティちゃん「パーティに行くの?わたしも行きたい!」と腕にぎゅっとしがみついてくる。時計を見た。もう夜の11時を廻っている。わたしはこの時間までたいしたことはしていないけど、なんとなくへとへとだった。こんな時間からパーティに参加するとなると、間違いなく朝帰りだろう。それにカティちゃんをこんな時間から連れて行くのも。。。わたし「わたし、疲れた。行きたくない。」おっと「何言ってるんだよ?ルイスのところだけでローランドのところに行かない、となるとまた去年みたいに揉めるぞ。」ああ、そうか、そうだったよな。カティちゃんはそう言っている間にもちゃっかりミリーにお許しをもらって、着替え始めた。むむむむむ。。。。南米ではこんな子供もこんな時間から外出するのか。わたし「ミリー、心配しないで。すぐ帰ってくるから。」ミリー「時間なんか気にしないで楽しんでいらっしゃい。」あれ、なんか彼女、去年よりもローランド家族に対する態度の角が取れたように思うのは気のせいだろうか?もしかしたら、仲直りしたのかな?ちょっとホッとして、わたしとおっとはカティちゃんと手をつないで外に出て行った。(つづく)
2006.08.22
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ちなみにこれはジェノバで買ってきたものの写真。。。。。。イタリア在住者と、南米在住者にはもうおわかりですね?汗8月12日(土)この日はいよいよジェノバに向けて 出発である。前日にパニーノをおかずに(涙)安いシャンパンを飲みすぎたおかげで、朝早くおっとにたたき起こされると、頭がガンガンしていた。わたし「う~、行きたくない。」二日酔い アンド 本当に行きたくない願望である。おっと「何冗談言ってるんだよ?まだ荷造りもしてないし、早く起きて!出来るだけ早く出発しようよ!!」わたし「そんなに早くジェノバに着いてどうするつもり?ルイス(おっとのいとこ兄弟の兄)もローランド(いとこ弟)も今日は仕事なんじゃないの?」おっと「。。。あ。」あ、じゃないよ。わたしはしぶしぶ起きて顔を洗った。顔をあげて鏡を見ると、目の下にクマが出来ている。前日、家に帰ると、もうわたしの誕生日会をすることが、ヤギたちの間で決まっていた。わたしはとりあえず主役なので、珍しくスカートははいたものの、「ヤギな会だし。。」とラフな格好で出かけた。ところがばっちりと化粧をきめ、エレガントな服装で現れたエルトンの奥さんが「誕生日なんだからシックなところで食事をしましょう。」というので、大雨の中、田舎町をレストランを探し回って約1時間。やっと一軒、開いている、と言う理由だけで決めたBARのテラスの薄ら寒い席に着いたときにはなんかヘトヘトだった。大雨の騒音で怒鳴りあわないと会話が成り立たない。声が枯れた。そして寒さに凍えながらも、冷えたシャンパンを結構飲んだし、おっとが注文した特大パフェをつまみ食いしたおかげでお腹の調子もおかしい。ああ、やっぱり観たくなくてもあの映画を観に映画館に行ってれば、少なくともこんなみじめな誕生日にはならなかったな。。。と、ぼんやりと温かいはちみつ入りの高麗人参湯を飲みながらおっとを見る。おっとはまるで子供の遠足状態で、昨夜の疲れはなんのその、うきうきとクルマにシュノーケルやビーチマットを積み込みに外に出て行った。 仕方がない、今年も行かなければならないのだ!わたしはせかせかと動き回るおっととは対照的にソファの上に座禅を組んだ。←足がまだ悪いので座禅、というより如来のようなポーズ。そして心を整理した。1.ルイス家族とローランド家族は一緒に行動できる、と思ってはならない。(←昨年から仲たがいして別居している。)2.ルイスの奥さんミリーは取り扱いに注意しなければならない。(←エルトン以上に神経質なひと。おととし、そのため心の病で自殺を図った。)3.今年は本気で子供たちの相手をしてはいけない。(←特にローランドの娘、ミッシェルちゃんに要注意!)4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。5.ジェノバでジェノバ料理を食べれるなんて期待してはいけない。6.ジェノバで水族館(海遊館よりはへぼいが、欧州一の規模を誇る)に今年こそは行けるかも?なんてヤギたちの「明日、行こうや。」という言葉に乗って期待してはいけない。7.せっかくリビエラ海岸沿いのジェノバに行くんだし、行き帰り道の途中にどこか2人で立ち寄れるかも?なんてスイートな期待を決してしてはならない。(←おっとは猪突猛進型。目的地までにドライブを楽しむ、というアイデアが頭からないタイプなのである!)8.ジェノバを決してイタリアと思ってはいけない。今からわたしたちはエクアドルに行くのだ!!!!!おっと「もう、何じっとしてるんだよ、早く支度して!!」わたしは立ち上がった。これで心の準備はばっちり。これだけ心得ておけば、もう昨年のように「連続心臓しめつけの日々」からは解放されるだろう。。。。たぶん。服をスーツケースに詰め込み始めるわたし。選ぶのはほとんど着古した古着ばかりだ。これなら子供たちにどれだけ引っ張りまくられようが、やぶられようが惜しくはない。最後にベネトンで買った子供たちへのお土産のTシャツ を詰める。外に出ると雨がしとしと降っていて寒い。ジェノバがせめて晴れてたら。。。と願いつつクルマに乗り込んだ。ちょうど8月ど真ん中の土曜日で、普通なら海に向かう道は混雑するであろうのに、この寒い気温と雨のおかげで高速道路はガラガラ、しかもおっとが早く行きたいらしく、びゅんびゅん飛ばしたのであっという間にジェノバの少し手前のインターチェンジまで着いてしまった。ジェノバは曇り。雨じゃないだけまだマシである。おっと「ここで昼ごはんを食べていこう。」わたし「ちょっと、食べる前にルイスの奥さんミリーに電話して確認したほうがいいよ。あのひと、いつもごはんの心配してくれるから今度も用意されてるかもよ?」おっと「ミリーは今日も夜まで仕事だよ。電話なんかしたら彼女忙しいのに『作ってください。』ってお願いしているようなものじゃないか?食べていったほうがいいよ。」そうかなあ?わたしはいぶかしがりながらも、おっとにうながされるまま簡単にパニーノをジュースで胃に流し込んだのだった。(つづく)
2006.08.22
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10日ぶりの日記です。たった10日、会社に来なかっただけで、プライベートな時間を持っただけで、なんでこんなにいろいろ、起こってしまうんだろう?呪いか、運命か??頭が混乱して何から始めていいのかわからない。とりあえず、日付の古い順番から書いていこうと思う。********8月11日(金)夕方。毎週金曜日は会社が早く終わる。社長が週末トスカーナの別荘で少しでも長く過ごしたいから出来た時間割だ。ミラノの住人にとってはうれしいことだろうが、わたしとしちゃ、いい迷惑である。セバスティアンおっとは、金曜日もいつもと同じ時間にしか仕事は終われない。つまりわたしをいつもと同じ時間にしか駅まで迎えに来れない。そうなると、それまでどこかで時間を潰さなければならない。最初のうちはミラノの中心とかをブラブラしていたのだが、それにも飽きて最近はどうにかこうにか無理におっとに迎えに来てもらったり、わが町の駅前の公園の木陰で本を読んで時間を潰したり、暑くなければ歩いて家に帰ったりして苦心している。しかしこの日は、いつも「携帯にクレジットがないから。」と言って自分から電話をしてこないおっとから珍しく電話があって「今日の誕生日は何する?」と聞いてきた。きっとここ数日わたしがしつこく「何をプレゼントしてくれるの?」と言っていたからに違いない。ちっとも期待していなかったわたしは「え?え~。。。外食でもする?マクドはイヤだけど。」と目を白黒させながら答えた。(←なぜなら我が家で通常「外食」と言えば「マクド」か「中華」なのだ!!)おっと「あ、そんなのでいいの?映画でも観ようよ。」わたし「何を観るの?」おっと「なんとかかんとか IN TOKYO」わたし「知らない、何それ?」おっと「東京を舞台にしたカーレースの映画だよ、観に行こう!」ここで可愛い女なら、興味がなくても「うん、行こう。」と答えるだろう。しかし可愛い盛りもとっくに過ぎたわたしは(何で、そんなCMにも流れないようなへぼ映画を入場料を払って観に行かなきゃいけないんだ!?)と思う。わたし「イヤだ、行かない。」おっと「え~、ぼくすごく観たいんだけど。。。」なんでわたしの誕生日におっとだけが観たい映画につきあわなければならないんだ?わたし「そんなに行きたきゃ独りでいきな。」し~ん。。。。おっと「。。。。。わかった。君が帰宅してから考えよう。ところで今日は金曜日だから、やっぱり早く駅に着くの?」わたし「うん。」おっと「今日は仕事が少ないから迎えにいけるよ。じゃあ、駅で待ってるから。」をを、おっとからそんなことを言うなんて珍しい。しかしこの昼間の時間帯、我が田舎町駅の電車は1時間に1本となる。わたしは時刻表を見て、終業時間後、小走りでミラノの駅まで行かないと間に合わないことを知って、急いで歩き出した。駅に着くと向こうのホームに乗らなければいけない電車が停車しているのが見えた。そのホームに行くには地下道に降りなければならない。急いで3歩ほど踏み出すと携帯が鳴った。あ~もう、誰だよ、急いでいるのに!?もしかしたらあんなことを言ったおっと、びっくりさせようとしてミラノで待っているのか?と変な期待から携帯を取り出した。知らないナンバーだった。おっとはよほどの用事があるとき、携帯にクレジットがないことを理由に公衆電話や、誰かの携帯からかけてくる。わたしはこんなことをしている間に電車が発車してしまうんじゃないかとハラハラしながら「もしもし?」と答えた。電話の主「もしもし、ヒヨ子(仮名)?」←イタリア語電話の主の男性の声は聞いたことないが、日本人のヒヨ子(仮名)さんは知っている。きっと彼女の友達の一人が間違えてわたしに電話をしたに違いない。しかし、どうやってこの番号を??わたし「おかけ間違いですよ、わたしはいくきーとと申します。」電話の主「あ、ああ、すみません。」わたし「いいんですよ。もしよかったら、彼女の正しい電話番号、教えましょうか?」最初から切羽詰った感じだったのだが、ここから彼の声色がちょっと変わった。電話の主「そんなことはどうでもいいんだ、きみ、数日前な~こ(仮名)と何を話したのか、教えてくれないか?」わたし「は?」電話の主「ぼくがここ数日動けない間に彼女と何があったんだ、教えてくれ!」わたし「ちょっと、あんた誰?」電話の主「きみが数日前、な~こ(仮名)に送ったメッセージを見たんだ。いったい何があったんだ!?」わたしはここで彼がついこの間、ボローニャ在住のお友達な~こ(仮名)と結婚したT君だとわかった。しかし、なんだこの男は!?奥さんになったとはいえ、彼女の断りもなしに勝手に携帯を見て、それを見てしかもまったく知らない相手に電話するなんて、うちの南米男よりも始末が悪いじゃないか!?わたしはかなりムッとして「知らないわよ、わたしミラノに住んでるから、ずいぶんな~こ(仮名)に会ってないし。」電話の主「そんなことはないだろう、何があったか知っているはずだ!」ブシューと音が鳴る。はっと顔を上げると電車が今にも発車しそうではないか!?わたし「ちょっと、今から電車に乗らなきゃいけないからまだ話したかったら、5分後に電話して。」ととげとげしく電話を切り、地下道を転げるように降りてホームに上がると、電車がゆっくりと動き始めたところだった。T。。。。。。Tの野郎!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしは腹立たしくその場で地団太を踏んだのだった。珍しくおっとが迎えに来るっちゅ~のに、後1時間、どこかで時間を潰さにゃならんのか!?わたしはとぼとぼと歩き出した。そしてT君の電話の内容を反芻し、だんだん心配になってきてな~こ(仮名)に電話をする。な~こ(仮名)は応えなかった。そういえば、この日のわたしの日記に残してくれたコメントに「携帯がないからこっちからおめでとう♪」なんて書いてあった。もしかして、夫婦間に早くも問題が起きて、T君に携帯を取り上げられたのか!?まさか、わけのわからん喧嘩のあげく、とりあえずPCはあるどこかの一室に監禁されてしまったのか?OOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!可哀想なな~こ(仮名)!!!!連絡の取れないな~こ(仮名)を救出するにはどうすればよいか!?そういえば、な~こ(仮名)と共通のお友達、エミリアロマーニャ州にお住まいのヒヨ子(仮名)さんの名前をT君は口走った。ヒヨ子(仮名)さんにさっそく電話した。ヒヨ子(仮名)さんはちょうど、日本からだんなさんの家族が来ていて、家族旅行の最中だったが、答えてくれた。事情をかいつまんで話す。ヒヨ子(仮名)さん「あ~、な~こ(仮名)の携帯、水につけて壊れちゃってから、新しいのを買うまでT君と携帯を共有しているようですよ。」ああ、だからT君はわたしのメッセージが見れたのか。ヒヨ子(仮名)さん「いくきーとさん、どんなメッセージを送ったんですか?T君って怒るとこわいって、な~こ(仮名)言ってましたけど、見た感じ、穏やかなんですけどねえ?」そういえば。すっかり忘れていた記憶を探る。え~と、え~っと。。。。ああそうだ、数日前な~こ(仮名)がずいぶん怒った口調で「あの豚野郎!ちくしょう!!あんなとこ辞めてやる!!!」とメッセージを送ってきたんだ。で、わたしは何がなんだかわからなくて「まあまあ、イタリア人なんてみんな豚野郎だよ。元気を出して。」と同調する返事を出したんだけど。。。ヒヨ子(仮名)さん「な~こ(仮名)、最近仕事上でトラブルがあって、勤めていたところ、辞めたばかりなんですよ。」ああ、だからあんなメッセージを送ってきたのか。ん?ちょっと待て。。。。。。はっ!!!!!T君はな~こ(仮名)がわたしに送ってきたメッセージを知らない。で、それに返事したわたしの「まあまあ、イタリア人なんてみんな豚野郎だよ。元気を出して。」だけを見るとなると。。。「豚野郎(PORCONE)」は意味合いとしては1.「汚い根性の人間」2.「大すけべ野郎」を指す。T君が2.の意味で取ったとすると、彼女がどこかで乱暴されたと思い込んだか??やっと、あの強引な電話の意味がわかった気がした。いや~~~~~んっ愛だね、愛!!!!T君、な~こ(仮名)を真剣に心配しちゃって~~~~~~~~~~~~~、ヒュ~ヒュ~惚れてるッスね!!!????やっと電話の謎が解けて、うれしくなり時計を見ると、さきほど逃がした電車からまた1時間近く経っている。わたしが慌てて駅の地下道を降りようとすると。。。。また携帯が鳴った。T君からだった。「さっき君は5分後、って言ったけど、ずいぶん慌ててたし、もうちょっと時間を置いてから電話したほうがいいと思ったからさ。」こ。。。。。こいつ。どうでもいいが、わたしとT君は相性が合わないことを痛切に感じた。(ちなみにこの日記はな~こ(仮名)の「やった~、これ日記のネタになりますね!?」という許可ともとれるお言葉(?)に甘えて書かせていただきました。汗)←いいのか!?PS.結局誕生日は「おっとの南米人友達たちと、ちっとはマシなレストランに行くはずが、8月で全部閉まっていて、しかも大雨の中、何が哀しいのかBARのテラスでパニーノを食べる会。」となった。
2006.08.21
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今日はわたしの誕生日だ。その前日に英国で爆弾テロが未然に防げたのはいいが、今日になってもまだ大混乱なのは、まるでわたしの誕生日を忘れられないものにしてくれているような節がある。違)目目さんが今週、バカンスに旅立つ前に先日の高麗人参エキスと、目目娘ちゃんが画用紙に「いくきーと、お誕生日おめでとう!」とイヌの絵を描いてプレゼントしてくれたのには喜んだ。近所のカルラがお祝いのメッセージを携帯に、わたしの誕生日を覚えていてくれた律儀な日本人の友人数人が、eカードを送ってくれた。それ以外、何もイベントもない。おっとは自分の誕生日のときは1ヶ月以上前から「何を買ってくれるの!?」と大騒ぎをし、誕生月が終わるまで、いつもの飲み会を「ぼくの誕生日会」と言って毎週せっせと朝帰りをしていたくせに、わたしのときは忘れたように何もいわない。というか、ここイタリアでは自分で宣伝するもの勝ちのようである。でも控えめなわたしはそれも恥ずかしいから誰にも言えないしというより、8月で誰も廻りにいないのでパーティも催し甲斐がないというものだ。しかし今週になっても何も言わないおっとに腹が立って、とうとうきのう「わたしの誕生日、何をプレゼントしてくれるの?」と聞いた。おっと「ジェノバ旅行。」ちっともうれしくねえよっ!!おっと「じゃあ、何が欲しいの?」わたしはちょっと前からおっとに打診していたものがあった。「猫が欲しい!」と即座に答える。おっと「。。。ハハハハハ。」と力なく笑い、歯を磨きに洗面所にこもってしまった。出てくるのを待ってしつこく「ねずみ除けにも猫が欲しいよ。」とリピートするわたし。おっと「う~ん、わかった。新しい靴、なんてどう?ジェノバで買ってあげる。」何はなしを聞いてるんだよ、靴なんていらないよっ!今年もわたしの誕生日は何もなく終わりそうだ。。。******ところで2日前変な夢を見た。家の中でわたしとおっとは居間のソファベッドを広げてTVを観ている。そこには何匹かの雑種の子犬たちがよちよちとたむろっていた。わたしは常にその子犬たちがソファから落ちないように気を使っているのだ。なぜか、ソファの隅には割れた薄いガラスの破片がまとまって落ちていて、一匹の子犬がよちよちとそこに行ってガラスをぱりぱり食べ始めた。わたし「ああ、そんなもの食べたらダメ!」と抱き上げて口から吐き出させているうちに、他の子犬がそこに行ってガラスを食べ始めるのだ。手が離せないわたしはおっとに「ちょっと、他のこたちが食べるのをやめさせて!」と叫ぶ。しかしおっとはわたしに「え~、わかった。」と面倒くさそうに言って、寝転がって背中を向けたままTVを観続けている夢。このときすぐに目が覚めて、無実のおっとに憎悪してしまった。おとといは更に嫌な夢を見た。いつもの通勤電車に昨日の夕方、知り合ったばかりの女の子と2人で乗り込んで空いている席を探していると、一番奥の座席にまるで切り取られた白黒映画のように色のない、頭からマントをかぶったちょっとだらしない顔つきの男が座っていた。正面からは顔が見えるのに、斜めからみると空洞である。わたしは「死神だ!」と確信した。その男に「あなたは。。」と言いかけると「思い込むな。」と言う。「わたしを迎えに来たんですか?」と聞くと黙って遠くを見つめる目つきになった。彼の手には汚いビニール袋に入った、なにか証明書のようなものをいじっていた。あれは何だろう?怖くて目を覚まして隣に寝ているおっとの背中にピタリと貼り付く。胸がどきどき、というよりお腹が痛くなってきた。おっと「うう~ん。。。暑い!」と後ろ蹴りをわたしに入れて、寝返りを打ってしまった。非情な奴だ。涙もしかしたらわたしは次の日の通勤電車で死んでしまうかもしれない、という恐怖がわきあがって来て、この後目が冴えてしまい眠れなかった。というわけで、子犬の夢はまだしも、死神、というのがなんとも気持ちが悪い。そういえばこの間、目目さんが「悪い夢は隠してないですぐに誰かにいうと祓われるんだって。」と言っていたことを思い出し、次の日会社に行くとすぐ、同じ課のマッシモに「ちょっと聞いてよ!」と語った。マッシモはうんうん、と興味深げにうなずき「今からロットやってみな。」という。ロットというのはイタリア版宝くじのようなもので、ロッテリアで数字を店の人に言ってそれを組み合わせたくじを作ってもらう。マッシモいわく、そういった意味ありげな夢を見た次の日にロットをやると当たる確率が高いと言う。マッシモはさっそく彼のお母さんに電話をかけてわたしが見た夢を語る。マッシモ「うちの母ちゃん、占いに凝っててね。今から本を見てどのナンバーがラッキーか調べてくれるってさ。」数分後。彼のお母さんから電話がかかってきて、夢の意味と番号を教えてもらった。夢の意味は。。。気持ちの悪い夢だったが、悪い夢ではないらしい。電車は「出発」または「裏切り」を意味する。死神、というのは悪い現状からよい方向への変化を指すらしい。つまり悪い現状が死んで(終わって)、新しい人生へのはじまりを暗示。知らない人(←死神は知らない人)は何かがたくさん舞い込む暗示。番号に関しては、お母さんに「いい、これは絶対一人で遊ぶこと。番号を他人に教えたら効果がなくなるわよ。」と言われたので、会社の昼休みに独りで近所を歩いてロットをやっているBARを探すが8月なのでどこも閉まっている。結局は家に帰ってからおっとと近所をグルグルクルマで廻り、とあるガソリンスタンドのBARで見つけた。マッシモのお母さんには7つの数字を教えてもらったのだが「裏切り」の数字が「16」。これは後ろめたいのでこれだけよけて残りの6つの数字を申請してくじを作ってもらった。店のおばちゃん「いくら賭ける?」前記の「知らない人(←死神は知らない人)は何かがたくさん舞い込む暗示。」を考えれば、きっと大金が当たってウハウハになることに違いない!わたしは思い切って「3ユーロ。」(←貧乏人)と言ったのだが、初心者のわたしが悪いのか、おばちゃんが勘違いしたのか、3ユーロのくじを2枚も作って結局は6ユーロも払わされたのだった。しかししかし、1等が当たればこんな6ユーロなんてはした金だ!当たったら明日には荷物を詰めて、滞在許可証を申請しに行った次の日には日本にとっとと帰って温泉三昧、旅行三昧、ごちそう三昧、買い物三昧でぱ~っと派手に湯水のように使ってやろう!京都の先斗町で芸者遊びと言うのもやったことないから、やってみたいぞ!!(って、女性も出来るのか?)それから、それから。。。夢は大きく広がる。店のおばちゃん「結果は今夜TVでやるから観るといいよ。」それから家に帰って、夕食もほとんど上の空で食べ、テレビデオのロットのページをどきどきしながらくじを握り締めて見た。13。。なし20。。なし21。。。。。を、あった!!60。。なし80。。なし90。。なし思いっきりはずれてるやんけっ!念のために選ばなかった裏切りの「16」。。。。。。。あった!OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!これもやっときゃ、最低限の当たり2個で、払った6ユーロはぎりぎり戻ってきたのに!!は~、所詮宝くじなんて、夢だけ見るものなのだな。_| ̄|○******ところで明日からいよいよジェノバのおっとのいとこの家に3泊4日だ。この行き先についてなにか夢に意味があったのだろうか?今年はあの恐怖のミッシェルちゃんとカティちゃんにお土産に、ベネトンのお揃いのTシャツを、お店のお姉さんに教えてもらったサイズで買った。だが家に帰って拡げてみると、まだミッシェルちゃんはともかく、最近平均的南米人の子供らしく、がっしりした体格になってきたカティちゃんが着れるかどうか不安になってきた。(両親がそういう体型なのでのがれようがないか。)ただでさえ、一触即発のややっこしい~家庭なのに、更にややこしくする原因を作りたくない。2人ともはじめて会ったときはほっそりとして可愛かったんだけどなあ。。。。ハア。わたしのジェノバからの無事帰還を祈っててください。それではみなさん、よい週末を!!
2006.08.11
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きのうは会社が終わってひさびさにウキウキと外に出た。しかし空を見れば、どんよりとしていて、駅前から遠く墓地の方には稲妻が光っている。雨にならなきゃいいな、と思いながらわたしは待ち合わせの場所に向かった。待ち合わせの時間は6時半。時計を見ればあと20分ほどある。わたしはたぶん来月(?)ミラノに来る友人のために駅の荷物預け場所を確認し、そこの暇そうな駅員と少し立ち話をして時間を潰してからはじめてあうひととの待ち合わせに必ず使う高級ブティック「CORSO COMO10」の前に行った。今回の待ち合わせの相手は、楽天のわたしのブログのほぼ創設時からの友人、aya825さんだ。友人、といってもブログ上のおつきあいばかりで、2年前に帰国したときに、旅の途中にどこに行ってよいかわからず、携帯ではじめてだというのに、「今岡山駅にいるんですけど、この辺のいい海を教えてください!」と聞いて驚かしたのがはじまりだった。彼女は嫌がりもせず、親切に「ここがいいですよ、行き方は。。」と教えてくれたのが、声を聞いた最初である。あとはまたブログ上のおつきあいばかりに戻り、顔を見たことがなかったが、お互い奈良県人なので、なんとなく連帯感があったのだ。そんな彼女がミラノに来た!実はその去年にもイタリアに来られたのだが、南イタリア旅行だったので、遭うことが叶わなかったのだ。遭ったことはないものの、古くからのつきあいなので、ワクワク度がかなり高い。「CORSO COMO10」の前に行くと、2人の日本人の女の子が噴水の前に座っているのが見えた。彼女はときどきブログに顔写真をUPしているので、近づいて顔を確認、というところで彼女と目が合った。「あ~!!」と叫んで立ち上がる彼女。お互い「はじめまして~。」と挨拶をするのだが、ちっとも「はじめまして」の言葉の意味がこもっていない。「はじめまして。」というより「よ、ひさしぶり!」といった感じだ。2人で女子高生のようにキャアキャアいいながらその場で跳ねてしまった。そして連れの女の子に「な、やっぱりいくきーとさん、ピカチュウ声やろ。」と確認する彼女。_| ̄|○連れの女の子は今、ミラノに来て3ヶ月目のほやほや留学生だ。彼女はこのお友達に会いに来たのである。写真でもそうだったのだが、aya825さんはとても2人の子持ちと思えないぐらい若々しいひとだった。たぶん日本を離れた開放感がそうさせるのか?関西弁で盛り上がった。連れの彼女「いくきーとさんも関西人?」わたし「奈良県人です。」連れの彼女「ああ~、わたしも~~~!」わたし「となると、今日は『奈良県民のつどい』だね!!」わたしたちは遠く離れたミラノで同県人のつどいが出来たことにさらにハイになってしまったのであった。楽天をはじめてから、海外にいるというのに本当にたくさんのひとと知り合えたと思う。奈良県民も実に多し。中でもびっくりしたのは、ミクシというのも最近平行してやりだしたのだが、それで知り合ったイタリア在住のひとの実家がなんと、我が実家の超ちかくの隣町だった。しかもだんなさまが、あのコックさんの弟の友人だ、と聞いて世間の狭さを実感したわたし。(ヘタなことが書けませんな~。汗)この間彼女がミラノに来たときに、せっかく遭う時間を作ってくださったのに、ちょうどそのとき体調が悪くて遭えなかったのが悔しい。超狭地元話で盛り上がりたかったのに。。。。(あの交差点にあったコンビ二が今どうなってる、とか。)8月に入って、あちこちの店や飲食店が閉まってしまったが、かろうじて開いているPUBを見つけて入る。メニューが配られたが、そんなものを見ている暇がないぐらい、3人で機関銃のようにしゃべりまくった。やっと飲み物を注文して、バイキング式のおつまみを取り、席に戻ってもしゃべりが止まらない。奈良のこと、これからの彼女たちの予定、エトセトラ。aya825さんは一時期、しばらく日記を休んでいたので、その間に我が家に起こったことを一通り話したり、それが初耳な連れの彼女は目を丸くして聞いていたり。。しかし彼女たちはしゃべりながらも上手に飲み食いしている。わたしは、というと彼女たちが一杯目のカクテルを飲み終わっても、まだ最初のに手付かずな状態だ。やがて雨が降ってきて、もともと薄暗かった店内がもっと暗くなって店員があちこちにろうそくを灯しだした。わたしはそれをぼんやり見つめながら、結婚してからこういうことがヘタになったな、と思った。日本に居たときは友人たちと出かけて喫茶店で紅茶やケーキを頼んで、ほどよく食べながら、飲みながら、おしゃべりをして長居するのも普通だった。こっちで独身時代も友人たちとアペルティーボに出かけてゆったりと飲みながらしゃれた会話もしていたものだ。結婚してからっつ~か、この田舎町に引っ越してから、というもの、おっとと2人でそんな余裕のある生活など送れず、いつも「外で飲むならうちで飲め。」だ。それにおっとはおっとの酔っ払い友達とだけで一人で夜中に出歩くのが普通になったから、アシがないわたしは自然、お留守番犬のようにひとりで夜家にいるようになったし、久々の他人との交流にどうしていいのかわからなくなる。結局わたしはひととおりしゃべり終えた約2時間後に慌ててまとめて目の前にあるカクテルとおつまみをガツガツと平らげるような形となったのであった。雨がやんだ。わたしは名残惜しかったが、もう帰宅しなければ危ない時間になった。(この場合の「危ない」は電車の本数がグンと減ることを指す。)わたしたちは店を出て、そのまま駅に向かうのもなんだか名残惜しくて何もないところをウロウロとしてからとうとう駅に行った。aya825さんがイタリアにいるのはたったの1週間。来週の月曜日にはもう日本に帰ってしまう。本当はもっと別の日にゆっくり遭いたかったが、残念だ。aya825さん「今度はいつ日本に帰省するの?そのときまた遭おうよ。」わたし「うう~ん、希望は年末。でもおっとはエクアドルに帰りたいんだよね。」微妙である。これが物分りのいい国籍のガイジンを伴侶に持つのであれば、安心してひとりで日本に帰れるのだが、おっとはいつも自分はひとりで勝手に出かけるくせにわたしがひとりで出かけるとなると許さない。実際、この出会いも「浮気か?不倫か!?相手は女だといって実は男なんだろう!」とさんざん後ろでののしるのを「ケ。」と言って出てきたのである。典型的南米人なのだ。帰りたいな。帰れるやろうか?おっとはエクアドルへ、わたしは日本へ。というのが理想の形なんだけど。
2006.08.10
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今朝まとめて、永久滞在許可証に足りなかった書類約20枚もを我が社が8月に入ってほぼ無人状態であることをいいことに、FAXで業者に送りつけた。普通ならば、こんなに大量の書類、宅配便というところだが、あの件以来 、もうおそろしくて送れない。半時間ほど待って業者に電話をする。「ああ、さっき届きましたよ。これからチェックします。」しっかりチェックしておくれ、これで当日書類不足とかになったら。。。。どういう処刑を実行しようか?*******話は変わるが、最近は朝10分は早めに起きないと出勤支度に間に合わない。なぜなら。ここ最近、はたから見てもわたしは体調が悪かったらしく、何人かの友人が心配していろいろプレゼントしてくれたのだ。同僚のシルビアはパビアの田舎の農場の濃厚ヨーグルト。わたしが知っている限り、唯一「ヤギではない」太鼓判を押せるサルデーニャ人のだんなさんを持つ、エクアドル人のマリソールはご主人のサルデーニャの実家から送られてきたはちみつのたっぷりしたたる、はちの巣丸ごと。目目さんは立派な桐の箱に入った韓国高麗人参エキスゴールド。みなさん、本当にどうもありがとう。これらを食べて体力つけます!!しかし全員が申し合わせたように言うには「毎朝、絶対続けて食べるのよ。朝ね、朝。」わたしの今までの朝は、起きたと同時にTVニュースをつけ、ビスケットを数枚口に放り込んでぽりぽり食べながらそれをカフェラッテ、といっても牛乳にインスタントコーヒーを溶かしたもので胃に流し込みながら着替える、というものだった。しかしイタリアに着いた当初はこんなスタイルじゃあなかった。「留学生」だったわたしは、遅い時間にゆっくり起きて、しかも最初は日本人の女の子と同居だったから、2人でハムエッグを焼いてジャムやバターを塗ったトーストに、ちゃんとイタリアらしくエスプレッソマシーンで入れたコーヒーでカプチーノを作った朝ごはんを食べて出かけたものだった。ある日、授業で「今日の朝ごはんは何を食べましたか?」という問いに、そう答えると、先生はびっくりして、「そんなに食べるんだったら明日は朝からステーキ?」と嫌味をこめて言ったのだ。そこでわたしと同居人の女の子ははじめて「イタリア人は朝はこんなに食べない。」と知った。先生いわく、「イタリア人の朝はクロワッサンひとつとコーヒー一杯。」が主流だと言う。(ちなみに余談だが、エクアドルでは朝っぱらから揚げパンにジュースや特濃カフェラッテだった。)先生「朝からそんなに食べたら気持ち悪くなるわよ。目を覚ますことが目的なら、濃いエスプレッソと、エネルギーを出すならそれに入れる砂糖だけで充分じゃない?」う~ん、それも一理ありか??しかしわたしたちは放課後、他の日本人たちと集まって「朝、ちゃんと食べないとチカラが出ないよねえ?」と言い交わしていたのだが。。。数年経ったら、そんなイタリアの朝食スタイルにはまっていた。まさに「エスプレッソ」で、出勤前のバタバタしているときに理想の朝食の形である。しかし今、改めて思い返すとやっぱりイタリアンスタイルは便利だけど、ちゃんと朝ごはんをここ数年食べなかったからこうなったのかな?と結論がついた。(もちろんそれだけじゃないとは思うのだけど)そこで今週から早めに起きて、友人たちがくれたものを毎朝摂ろうと決心したのである。月曜日には小さく切りとったはちの巣にヨーグルトを乗せて食べてみた。はちみつがとろりとからまったはちの巣、というのは金色に輝いていて見るからにおいしそうなのだが、実際口に入れるとそうでないことがわかった。ロウを噛んでいるようにニチャニチャするのだ。そういえば、マリソールは「気になるなら少し温めてはちの巣をよけてはちみつだけ食べるといいわよ。」と言っていた。朝、お皿を準備する手間だけでも惜しいのに、そんな悠長なことはやってられない。そしてこのヨーグルト、特濃なだけあって朝から胃にずっしりと来る。もともと乳製品は苦手で、脂肪分の少ない牛乳だけは「薬」と思って毎朝飲んでいたのだが。。むむむ。。。結局この日は韓国高麗人参を溶かしたお湯だけ飲んで出かけたのだった。これも土臭くて、なかなか飲みにくい味だったが、それこそ「薬」とおもって飲めば、なんとか慣れそうである。で、火曜日は、最近よく食べているコーンフレークに、はちの巣ではなくスーパーで買ってあったふつうのはちみつとヨーグルトを乗せてみた。シュガー抜きに慣れているからやたら甘い。やっぱりヨーグルトが特濃なだけあって朝から胃にずっしりと来る。ほとんど食べれずまたもや、高麗人参を溶かしたお湯だけ飲んで出かけたのだった。今朝はビスケットに高麗人参湯。だいたい週の真ん中の水曜日と言うのは、一番なにもする気が起こらなくなるのだが、高麗人参のためにお湯を沸かすのも面倒になってきた。あ、あかん。。。3日どころかこれでは2日半坊主である。朝食をイタリアンスタイルに変えるには無理なく簡単だったのにな。楽な方向に転がり落ちていくのは簡単、でもそれを元に戻すのは時間がかかりそうであるっつ~か、すでに挫折しかけ。好きなものを好きなだけ食べて太るのは簡単だが、ダイエットは難しい、そういったようなものか?せっかくわたしの身体を心配して身体にいいものをプレゼントしてくれた人々に申し訳ないとつくづく思う。朝、は無理かもしれないけれど時間があるときに完食させていただきます。(特にヨーグルトはさっさと食べないと)こういう食べ慣れていないものをいきなり毎日摂ろう、というのに無理があるのかもしれない。朝起きたら、誰かがすでに鮭の塩焼きと納豆と、あつあつのごはんとノリと味噌汁の朝ごはんを用意してくれているならきっと食べられるだろうな、とは思うのだが。。。(誰が用意するんだよ?)皆さんは毎朝何を食べていますか?
2006.08.09
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昨日は南米的休日をはさんだが、今日は滞在許可証の話の続き。クエストウラから手ぶらで帰宅した日、おっとは「あの女、信用できないからやっぱりきみが明日市役所に行って予約してきて。」とわたしに言った。言われるまでもない。わたしはすでに会社にこの日取った有給休暇を次の日に変更してもらうようすでに届け済みだ。次の日、10時の市役所の外国人課の開館より少し前に出かけた。結局おっとも付いてきた。我が町の市役所は昔のこの土地の貴族の家を改築、というよりそのまま修理しつつ使っている、と言った感じで古ぼけた建物である。大きな前庭が駅前まで伸びていて、そこは市民の憩いの場になっている。しかし最近、ここを大手ホテルチェーンが買い取ったらしい。いつになるのかわからないがこの駅前の便利な一等地が私有地になるのが、惜しい。でもこんな田舎町、なんの見所もないのに、宿泊客がいるんだろうか?話はそれたが、磨り減った大理石のやや狭い階段をあがった2階に外国人課はあった。大きな棕櫚の植木鉢の向こうの待合イスに、すでに数人のガイジンが座って待っているのが見える。「マルちゃんさん!」という声の方向を見ると、今度はまるで南米人のおばさんのような雰囲気をかもし出した業者のお姉さんが座っているのが目に入った。クエストウラの時のジプシー姿といい、彼女はきっと、こうやって変装を楽しんでいるに違いない、と確信するわたし。業者「おいでになったんですか?わかっていたら、わたくしここまで来ませんでしたのに。」まさか信用ならないから来た、とはいえない。2人でしどろもどろになって「ああいや、通りすがりに様子を見に来ただけなんです。これから仕事に行かないと。。」業者「そうですか。。あ、ちょうどよかった。いくきーとさん、おふたりの滞在許可証のオリジナルをお持ちですか?」わたし「はい、持ってますが?」業者「考えたんですけどね、本人じゃないからコピーだけで予約できるか心配なんですよ。貸していただけますか?次回お会いしたときにお返しいたしますので。」わたしは一瞬迷った。確かにコピーだけで予約できるか心配だ。だけど、このお姉ちゃんにオリジナルを渡していいものか。。?しかしもう時間がない。今日市役所で「ダメ」と言われたら、まさに滞在が危うくなる。有給休暇も取った事だし、心配だから一緒に待つか?いやいや、そんなことをしたら払い損な気もするし、あんなに遠いところから来たお姉さんに失礼な気もするし。。結局はおっとの「おい。」とうながす声に即されて渡してしまったのだった。おっと「じゃあ、よろしく頼みますね。連絡ください。」とわたしの手を引っ張って階段を下りた。わたしは思いっきり後ろ髪が引かれた。わたし「大丈夫かなあ?」おっと「もうなるようにしかならないだろ。」滞在許可証のオリジナルを渡してしまったこと、非常にこわかった。だが、考えてみれば、わたしの書類は全て会社でコピーをとってから渡したのであるが、おっとの書類に関してはおっとは面倒くさがってコピーもせず、そのままオリジナルを封筒に突っ込んで宅配便で送ったので、同じことである。諦めた。お姉ちゃんを信用するしかない。この日もまたもや、有給休暇を消化することなく真面目に出勤した。このまま家に戻るとなると、心配のあまり気がおかしくなりそうだったからだ。夕方帰宅するとおっと「さっき、業者から電話があったよ。クエストウラのアポが8月18日にとれたって。その控えをFAXで送るってさ。」8月18日。カレンダーを見た。この日は金曜日だ。クエストウラは土日閉まるので、期限の切れるまさにぎりぎりではないか!?わたし「そんなギリギリ。。そこでこけたらどうなるのよ!?」おっと「エクアドルに行くか。」←それはそれはかる~く。OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!それだけは、絶対にイヤだ~~~~~!!!!!おっとは続けて淡々と「あ、それから君は今年、永久滞在許可証が取れるって市役所に言われたらしいよ。」え、どういうことだ?クエストウラのサイトを読む限りでは永久滞在許可証取得の最低条件として「イタリア国内に正規滞在6年以上、住民票を取ってから6年以上。」ということが書かれている。それにいろいろなひとから話を聞くと、それは「「労働」として滞在しているもののみ。」らしいのだ。わたしは7年前にイタリアに来た。(正確には10年前だが、その時はすぐに日本に帰国している。)最初、「留学」で来たし、そのまま「扶養家族」になったので働いているとはいえど、一度も「労働」で滞在許可証を取得したことがない。しかも住民票を取ったのは、結婚してからなのでまだ3年しか経っていない。それは、「永久」を取れるに越したことはない。でも今年も無理、と諦めていたのだ。実際お姉ちゃんも、依頼したとき、何も言わなかったし。だって条件をちっとも満たしていないではないか?あのお姉ちゃん、ちゃんと市役所に説明したのか??悶々としているとグッドタイミングにFAXが送られてきた。3枚あって、一枚はおっとの普通の「労働滞在証」、2枚目は「扶養家族滞在証」、3枚目は「永久滞在許可証」の控えだった。それは、アポの控えであると同時に必要書類が書いてあった。我が家のFAXは古いので写りが悪い。しかもゴマ粒のような文字が並んでいる上、つぶれている。「永久滞在許可証」の控えをなんとか解読しながら読むと、やはり必要書類の2行に「イタリア国内に正規滞在6年以上、住民票を取ってから6年以上の証明書。」と書いてあった。しかし、正規滞在が「労働」だとか、「留学」だとか、そういうことは書いていない。疑問に思ったのでおっとに業者に電話をしてもらう。おっとはまず自分の書類が全部揃っているか、FAXを読みもせず業者に聞くと、「大丈夫ですよ、全部揃ってます。」と応える。わたしは横でおっとを突付く。絶対不備があるはずである!業者「大丈夫ですよ、全部揃ってます。」うそつけ~!!おっと「家内が住民票が3年しかないのを心配してるのですが。。」業者「大丈夫ですよ、今までの古い滞在許可証のコピーをご持参ください。それだけで十分です。」そうなのか?。。ちょっと待て。 全部揃ってる、なんていいながら古い滞在許可証のコピーなんて、はじめて聞いたぞ!わたしが横でハワハワしているのに、おっとは電話を切ってしまった。わたし「どうして替わってくれないのよう!」おっと「相手は大丈夫だって言ってるんだ。なんなら自分で電話しろよ!」う。。。わたしはこの時点でこの解読不能なFAXが完読できていなかった。明日、会社の同僚に読むのを手伝ってもらってから改めて電話をしよう。次の日。我が社の会計士であり、そして全ての書類作成を担当するグラツィエラにFAXを読んでもらった。半分ほどの書類は業者に渡してあるので揃っている。しかしここで大きな違いに気がついた。それは永久滞在許可証を取るには「独立した「正規の労働者」でなければならない。」ということだ。つまりわたしは永久滞在許可証を取る時点でおっとの扶養家族を離れることになる。今年から各々独立した滞在許可証を取ることになるのだ。扶養家族に必要な書類は主に世帯主の所得証明書など、いわば「あんたは働かなくてもいい」書類ばかりなのだが、これは違う。やはり噂に聞いていた通り、過去6年間働いていた証拠となる職場のあらゆるの書類が必要となってくるのである!しかしわたしは入管クエストウラ的には不法だが、必要書類の種類を見れば、この6年、税務署的にはきちんと税金も年金も払って働き続けてきたので、おそらく問題なく揃えられそうである。でもまあ業者の姉ちゃん、「大丈夫ですよ、全部揃ってます。」なんて。。。全然ほとんど揃ってないやんっ!!だいたい業者に頼むガイジンなんて、言葉が出来なくて、こういう手続きが困難なひととか、滞在許可証を取ることが困難な状況にあるひとが依頼するものだろう?これで今まで商売が出来てきたのがすごい。よほどのコネがクエストウラにあるのか?でも、我々の「CAGNI大通り」のクエストウラの一件を思い出す限り、そんなコネはなさそうだが??わたしは怒りを隠しつつ業者に電話をかけた。「念のためにこの必要書類の一覧と照らし合わせて書類を確認したいんですが?」業者の姉ちゃんは意外にもあっさり「いいですよ。」と応じる。確認していくごとにお姉ちゃんも全然書類が違うことに気がついたらしい。それでも平然とした声で「これと、あれとあれは会社で、これは市役所で揃えてくださいね。」と言う。。。。。。。。ふう、電話してよかったよ。(ちなみにおっとのは確認なし。手元に書類の控えもないし、わたしの知ったことじゃない。)最後にしつこくわたしは「住民票6年の書類だけはどうしても揃えられないんですけど。。」と念を押すと「他の書類が揃っていれば大丈夫ですよ、とにかくトライしてみましょう。ダメなら普通の扶養家族で、という手もありますから。」と言われた。そうか、ダメ元でトライか。でもダメだったら?でもでもどっちもダメだったら??でもでもでもどうせなら、2度とあのむかつくクエストウラに足を運ばなくてもいい永久滞在許可証のほうが断然いいに決まっている。でもでもでもでもでも。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。大枚払って業者に頼んだと言うのに、なんでこんなに心配しなければならないんだ~~~っ?!
2006.08.08
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日曜日は家でダラダラしているとおっとの携帯にブラジル人のエルトンから「一緒に川に行こう。12時半に我が家集合。」とメッセージが入った。最近エルトンは家庭内離婚をしている奥さんの気持ちを取り戻すため、見ていて痛ましいぐらいほぼ毎週末、いろいろ楽しい企画を立てている。今回も川遊びのために大きなゴムボートまで購入したらしい。体調があまりすぐれないわたしは、どうしようか迷ったが、最近そのおかげで太陽の光を浴びていない気がして「川辺で昼寝でもするか。」とOKした。野外活動のときの南米人のお約束: バーベキュー絶対これははずさないだろうからと、冷蔵庫をあさって肉やソーセージ、ジュースやビールを保冷バッグに詰め込んでエルトンの家に向かったのだった。最近ミラノは数日前に連日降った雨のおかげでまるで、夏を飛び越して秋になったかのように涼しい。まさかこんな中、泳ぎはしないだろう。おっとは「え~、泳がないの?」と言いながら水着を着て、買ったばかりのシュノーケルセットをクルマに積み込んだ。わたしは長袖にGパンを着ようかと思ったが、さすがに川で濡れることを考慮して、半そで半パンで出かけた。エルトンの家に着くと、もう家の前の駐車場で2人の友達とわたしたちを待っていた。わたし「あれ、奥さんは?」エルトン「。。。体調が悪いから来ないって。」しかしわたしはわかっていた。わたしが南米人飲み会の断り文句によく使う手だ。奥さんは単に来たくないだけである。まだまだ2人の距離は遠い。エルトンはわたしたちに2人のイタリア人の友人を紹介した。マウロとホーマー。「ぼくの教会(エバンジェリカ)の友達。今日は彼らが川に連れて行ってくれる。」我々はクルマ2台に乗り込んで出発!もともと我々の家の付近は田舎なのだが、見慣れない田舎町を何個か通過し、クルマはきれいな渓谷のそばを走っていく。30分足らずでベルガモ県のメドラゴというところに着いた。小さな町の中を通って、川に下る舗装のされてない山道のような細い下り坂に入った。ちょっと下っただけでわき道に沿って延々と続く駐車されたクルマの群れが目に入った。わたし「混んでるねえ。名所なの?」ホーマー「まあね、ここから先は南米になるから。」おっと「??」我々もクルマの群れの一番頂上にクルマを停めて降りる。わたしはホーマーが言った意味がすぐわかった。向こうのクルマから荷を運び出しているのは明らかに南米人の一家だ。我々も大きな荷物を抱えて川に下りていった。川べりは川に沿って200mほど長細く芝生が敷き詰められた公園になっていた。川は緑色に澄んでいて、たくさんのひとが水遊びをしていたが、涼しいせいもあって、泳いでいる人の姿はそんなに見かけない。さび付いた門とも鉄柱ともいえないものをくぐって入ると1m四方の人口密度は先日のプールの1/20ほどだが、結構混みあっていてあっちでもこっちでもバーベキュー。入り口からの100mほどが更に人口密度が濃く、そこでバーベキューをしている家族5家族につき、4家族ほどが南米人である。_| ̄|○ 確かにイタリア、というより南米だ。そこはもう混みあっていて、わたしたちが場所を広げるスペースはないので、肉を焼く煙と、ラジカセから流れる壊れた音のラテンミュージックにいぶされながら、どんどんと奥に進んだ。それと共にイタリア人家族の比率が多くなり、バーベキューをしている家族、というより犬連れで寝そべっている家族が増えてきた。人口もまばらになってきたので、芝生が終わるぎりぎりのところにわたしたちはパラソルを立て、ビーチマットを拡げた。エルトン「腹が減ったぞ!みんな、その辺のできるだけ大きな石を集めてくれ、バーベキューの用意だ!!」ああ、やっぱり。つくづくはずさないなあ。_| ̄|○男たちはせっせと石を拾ってきてかまどを作り、その上に持ってきた頑丈な鉄製の網を乗せた。炭を入れて火をつける。エルトンが大きな袋を開けると、何個もの大きなタッパーにぎっしり味付けされた肉が詰まっていた。どうみても3~4kgはありそうな勢いである。エルトン「今日はブラジル風焼肉だからな。」と大張り切りだ。わたしはそんな男たちの活躍をパラソルの下でぼ~っと見ていた。おっとはその間、一生懸命ポンプでエルトンのゴムボートに空気を入れている。最終的にはエルトンとおっとだけが働いている形となって、わたしはマウロとホーマーとひたすら喋っていた。偏見ではないが、やはりわたしにはイタリア人との方が話が弾む。こちらのほうが母国語をしゃべっているわけだから、確実に彼らの言葉のほうがわかりやすい、というのもあるのだろうが。。肉が焼けた。エルトン「よしっ、いくきーと食べなさい!」わたしは喜んでエルトンが切り分けてくれた肉にかぶりつこうとした。するとみんなが下を向き、目を閉じて「神よ、我々の今日の糧に感謝します。。。」とお祈りがはじまったので慌てて肉を口から離した。そうなのだ。エルトンは信仰が厚くて、土日の教会のミサは絶対かかさない。それに比べておっとは最近、めったに教会に行かないし、家でも食べる前にお祈りなどしたことがないので(日本語で「いただきます。」はちゃんと言うようにしつけたが)、それを思い返してちょっと恥ずかしくなった。そんな様子を見ていたマウロ「いくきーと、君はなんの宗教なの?」と聞く。わたしはうっかり「無宗教。」と言ってしまってから慌てて口をつぐんだ。そうなのだ、彼らエバンジェリカは「世界がエバンジェリカで統一されるべき。」と思っているひとたちなのでうっかりこういうことを言うものなら勧誘にかかってくるのである!案の定、マウロは「キリスト様はね。。。」と始めたのでわたしは慌てて「え~と、正式には無宗教なんだけど今、神道に傾倒しているの。」と言い換えるとたちまち不快な顔を露にした。マウロ「シントロジーか。」わたしは日本神話を思い出しながら「神道というのはね。。」ときっとでたらめでもわからないや、と思いつつ説明にかかるとマウロ「知ってるよ。ちょっと宗教学を勉強したからね。」という。この言葉を聞いて、さらに冷や汗をかいて口をつぐんだわたし。この時点では、ここから話題がなんとかそれたのでよかったのだが、真剣に日本の宗教を勉強しないと、と思ってさっそく購入した次第。これ。エルトンが焼いた肉は絶妙の焼け具合でおいしかった。さすがに神経質なエルトン、焼けすぎも、生焼けも許されないという。その証拠に彼はほとんど食べずに火の番をしていた。わたしたちが持ってきた肉は開封されることもなくお腹がいっぱいになり、いよいよ川へゴムボートでGO!マウロとホーマーは残って、わたしとエルトンとおっとの3人で上流までゴムボートを担いで行き、水に浮かべた。比較的広い川はほどほどに深く、魚もたくさん泳いでいる。流れが緩やかでボート遊びにはもってこいだ。周りの緑を見ながら、きれいな川辺のとんぼを観察しながら、わたしは水着も持ってきてないのでお尻をズボンの上からびちゃびちゃにしながら、それでもさわやかな川風に吹かれて楽しみながら、ボートで川を下っていくと岸から手を振っている2人の男性が見えた。エルトンが手を振り返す。「他の友達が到着したよ!」岸にボートをつけるとたちまち小さな男の子が2人駆け寄ってきて「エルトン、次はぼくたちを乗せて!」と叫んだ。我々の場所を見るとお父さんお母さん、おじちゃんおばちゃん、じいちゃんばあちゃん、子供たちの大家族がビーチマットを拡げているのが見えた。ああ、つかの間の大人の休日は終わりか。。とわたしはしぶしぶ岸に上がったのだった。マウロとホーマーは次々に「これがぼくの奥さんで、これがおばさんで、これが。。。」と紹介してくれるが、あまりの人数の多さに目が廻って覚えられない。ぼ~っとしていると、子供たちは子供たちでエルトンとおっとにくっついて川に水遊びに出かけたし、残った男たちはビールを飲みながら立ち話をはじめたし、女たちは固まって一番小さな赤ちゃんをあやし始めたので、グループ分けとしては、やっぱり女性のところだろうか?ととぼとぼとなんとか、その輪の中に入った。しかし。どこに行ってもそうなのだが、エクアドル人と日本人の夫婦というのは、非常に珍しがられる。誰かが「馴れ初めは?」と聞くので口を開けて説明しようとすると、誰かが「教会で知り合ったんでしょ、そうでしょ?」と口を挟んできて、否定するまもなく「キリスト様の愛は。。。」という話になって、尋ねてもいないのに、どれだけこの宗教が素晴らしいか、と言う話を全員がわたしに向かって一斉にするのでヘキエキしてしまった。わたしがどの宗教を信じている、とも言っていないのにだ。世の中には宗教一色の人間が多いのだな、とつくづく思う。やっぱり無信仰にしろちゃんと勉強しないと。。。うんざりしてすぐに子供たちのところに移った。こういう場合、よっぽど理屈をこねない子供たちといるほうが楽だ。おっととエルトンは一度は子供たちを乗せてゴムボートで出かけたのだが、後は置き去りにして自分たちだけでシュノーケルをつけて潜り、水中観察を楽しんでいる。わたしはちょっと子供たちとサッカーをしてみたり、釣りを楽しんでいるとあっという間に日が暮れて、このまま余った肉を腐らせるのはもったいないからと、またもや強行バーベキューを決行したのであった。もう、肉の顔は今週は見たくないや、というほど食べた。ああ、なんか久しぶりに休日のような休日だった。これで宗教の話さえこんなに頻繁に出てこなければ、あとあちこちでするバーベキューの臭いのために群がるハエたちがいなければ、完璧な休日だった。来週末はヘビーなおっとのいとこ家族のいるジェノバ行きである。やっぱりもっと肉を食べて体力をつけねば!
2006.08.07
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前回の日記ではみなさん、ハラハラしました?ハラハラついでに現在の状況を教えましょう。滞在許可証はまだ取れていません! きっぱり。え、期限は6月20日と書いてあったはず?その通り。すでにわたしたちは「不法滞在者」!!なのだが、一応現在の法律では「滞在許可証の期限が切れてから2ヶ月までは滞在可。」ということになっている。2ヶ月、といえば8月20日まで。つまりマジで秒読み段階である。汗あのうさんくさい業者を出た後、わたしはすぐに行動を開始した。おっとの代わりにおっとの会計事務所に電話をして、せっつき、1週間以内でおっと用の書類を作成してもらうように手はずを済ませた。次の日午前中は、市役所に出向いて結婚証明書や住民票などの必要書類を揃え、我が社に着いてから、業者にもらった一覧表と白紙の申請用紙を秘書課に持っていく。秘書のおばさんは「わかった、すぐやってあげる。」としげしげと書類を見つめ、あら?とわたしを呼んだ。「これ、おかしいんじゃない?この申請用紙は我が社があんたを正社員で雇用しているという証明書用で、しかもこれをペルフェットウラ(さまざまな書類を公認する役所)に提出しなければならないって。。。うちじゃ、それは出来ないわよ。文書偽造になっちゃう。あんた、ちゃんと業者にあんたが契約社員って説明した?」わたし「しましたよ。その上でこの申請用紙をくれたんです。」秘書のおばさん「ちょっとその業者に聞きたいから電話番号教えて。」とさっそく電話をかけた。数分後。わたし「どうでした?」秘書のおばさん「わたし、念の為にクエストウラとペルフェットウラにも確かめたのよね。クエストウラは返事がなかったけど。。。ちょっとこの業者、怪しいんじゃないの?ペルフェットウラに言わせると、そんな書類は契約社員にはないって。わたしが思うにあんたは扶養家族だから、こんな書類要らないんじゃないの?それを業者に言ったら「念のため」だって。しかも申請用紙を間違えていたから送りなおすって言って来たんだけど、そんな「念のため」にうちは書類は作成できないわ。どうする?」どうする?って。。。。わたしが最初に疑問に思った事は当たった。前回もわたしの会社の書類なんて要らなかったのだ。わたしは業者に、というよりもこんな業者にホイホイと前金を払ってしまったおっとと、それを許してしまった自分に憤りを感じながら「むむむ。。。じゃあいいです。」と答えるしかなかった。そんなハプニングがあっても1週間後にはすっかり書類が揃った。わたしたちは急いでおっとの所属する宅配会社の特急便で書類を業者に送ったのだった。特急便は出した次の日の朝に業者に届くはずである。わたしは次の日の午後に「書類は着きました?」と確認の電話を入れた。業者「ごめんなさいね、午前中は出かけていて不在票がポストに入っていたのを今見たの。すぐに受け取りの電話をしますから。」そうか、しょうがないな。わたしはそこから2~3日待った。先日の話だと「書類が揃い次第、すぐにクエストウラに行く日時をお知らせします。あなたたちは指定された時間に来て、署名していただくだけで結構ですから。」と言っていたのに一向に電話がかかってこない。4日目。わたし「あの~、いつクエストウラに行きます?」業者「ごめんなさい、宅配のひとが来るとき、いつも留守でまだ受け取れてないの。」ハア!?仕方がないな。わたしは焦りながらも「早く受け取ってくださいね。」と電話を切った。6月19日。滞在許可証の切れる1日前。宅配便を送ってから3週間近くが経過していた。かなり怒って電話をするわたし。業者「まだなのよ、まだ!いったいこの宅配便はどうなっているのっ!?」←逆切れわたし「この宅配は配達日時を指定できるんですよ?それなのになんでまだ受け取れないんですか?!」と負けずに咆える。業者「運が悪くてね、指定した時間内でほんの5分ほど外出して帰ってくると、もう不在表が入っているのよ。」そんなのウソだ!わたしは仕事中のおっとにそのことを告げた。おっとは珍しく「うお~!なんだとっ!?」と口から火を噴きそうな勢いで爆発した。無理もない。あんなに高いお金を払って、しかもそのことで毎日のように妻にネチネチ言われ続けている、というのにすぐに動かない業者に怒りは数倍になって向いた。おっとはすぐさま業者に電話をしたらしい。そんなおっとの怒りに押されて業者は宅配便にすぐ電話をかけ、いつもの5分の外出もすることなくその日のうちに書類を受け取ったのだった。(きっと今まで電話の1本もかけてなかったと思われる。)怒その夜には業者が「では7月4日朝8時半にクエストウラ前にお越し下さい。」と今までになく慇懃にわたしに電話をしてきたので、どれだけおっとが爆発したか、想像がついたのである。7月4日の朝。落ち着きなくクルマに乗り込んだのだが、クエストウラが近づいてくるとちょっと余裕が出てきた。わたし「なんやかんや言って、業者に払うお金の意義って、クエストウラの列に並ぶ為にあるのよね。だってあのお姉さん、ただわたしたちの書類を集めただけじゃん。」おっと「そうだよね、結局書類は自分たちで用意したんだし。これで書類不足なんかで追い返されたらあの女、ギッタギタだよ。」8時半きっかりにクエストウラの前に着くと、ものすごい長蛇の列である。クルマで業者のお姉さんの姿を探しながらノロノロと列の横を走るわたしたちをのぞきこむような荒くれ系ガイジンたちの目がこわい。幸い、そんなに離れたところでない場所にスペースを見つけてクルマを停めた。クルマを降りるとすぐさま、小汚いジプシーのような女性がふたり近づいてきてわたしは硬直した。しかしそのうちのひとりが「マルちゃんさん!」と呼んだので、彼女たちはただ、薄黒く日焼けしたあの業者2人組だ、と気がついたのであった。わたしは落ち着いて近づいてくる彼女たちを見つめた。こんなところに来るから、変装してきたんだろうか?それともただの日焼け?業者「今日はダメでした。」ハ?業者の弟子「クエストウラの規則ってコロコロ変わるから。。。」??業者「わたしたち、昨日の夕方から来て、1番の番号札を取って、夜中じゅう並んだんですよ!でもね、マルちゃんさんたちのお住まいの管轄はまず予約を入れてから出ないと受け付けてもらえないって言われてしまいました。」業者の弟子「寒かったわね。。」OOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO????????????????????わたし「。。。。そ、それご存知じゃなかったんですか?」業者「一応確認の為に、お宅の管轄の市役所には電話をしたんですけどね。いつも繋がらなかったものですから。。」おっと「ハア。。。となると今日は無駄足、と言う事で?」業者「そう言う事になります。その旨、6時ごろにマルちゃんさんの携帯に電話したんですけど、切れてましたし。で、ここでマルちゃんさんたちに管轄の市役所に行って予約を取っていただきたいんですけど?」おっとは怒った。「ちょっと!そういうことをしている時間がないから大枚払って、おたくに頼んでるんでしょ?あなたが行くのが当然でしょう!」業者「でも電話しても繋がりませんし、管轄の市役所は知りませんし。。。」こ。。これでプロ?このやりとりを聞きながら、こんな無能な業者に大枚をニコニコとして払ったおっととそれを許してしまった自分に怒りがこみ上げる。わたしは飽きれて手帳を取り出した。わたしたちの住む地区、というかミラノ郊外に住むガイジンのほとんどは予約制である。クエストウラに予約がいることなんて、業者としては当たり前に知っていて、わたしたちの依頼を受けてすぐに予約したものだと勝手に思い込んでいたから、滞在許可証の期限が過ぎても郵便物をなかなか受け取らない彼女の態度に怒っていただけで、それ以上のものはなかったのだ。当然わたしは、去年の時点で知っていて、市役所の外国人課の電話番号も開館日も手帳に控えてある。わたしはそれを書きとって業者に差し出した。業者「あら?わたしがインターネットで調べた番号とは違うわ。」とぶつぶつ言いながらそのメモをしまいこんだ。わたし「いつ行きます?」業者「今日はこれで潰れたわけですからすぐにでも行きますわ。」わたし「今日は市役所の外国人課、開いてませんよ。明日必ず行って下さい。もう滞在許可証の期限が切れてるんですよ?」業者「。。はい、明日は他に用事があるんですけど、お急ぎなので何とかします。」お急ぎなのでじゃねえっ!!ほんとにもうっ!しっかりしてよ!!この日は仕方がないのでわたしは気が抜けたまま、有給を取ったというのにそこからトラムに乗って真面目に会社に行き、おっとは普段わたしに頼んでいる会計士やら銀行への用事を済ます為にクルマに乗り、てんでばらばらで解散となったのだった。
2006.08.04
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すみません、御無沙汰してます。7月も終わり、仕事の繁忙期は過ぎたのですが、慣れない「働きすぎ」に体調を壊してしばらく休んでました。だんだんと通勤電車は空いていくし、通勤客のかわりにスーツケースや登山用のでかいリュックを持った人々が増えてくると、言いようもない怒りと嫉妬と虚しさがこみ上げてきます。******日記には書かなかったが、ちょっと前におっとは、起業に失敗した。というより、始める前の準備段階でこけた。そして銀行に借金までして買った(ちなみにおっと一人では借りれなかったので、わたしが無理やり共同借金人、しかも筆頭借金人に勝手に仕立てられたのである!!)ワゴン車も一度も使うことなく売り飛ばす羽目になったのだが、性懲りもなく、またもや9月から起業にチャレンジする気である。わたしは前の失敗点を挙げ、「大丈夫なの?それでもOKなの?」と聞くのだが、自信たっぷりに「今度こそ大丈夫!」と言うばかりで、理論を立てて何が大丈夫なのかなどと、複雑なことは言えないようだ。哀いったいこの自信がどこから来るのかは、妻のわたしよりもおっとと仲がいいであろうウイリアムですら説明がつかない。このワゴン車を彼の遠縁のいとこを働かせる為にすっかり買うつもりでいたウイリアムは、このおっとの心変わりに、まるで浮気でもされたように「勝手にしやがれ!」とそっぽを向いてしまった。わたしも、きっとウイリアムも、9月にまた同じこけかたをされたならば、それこそおっとを見放す時期だろうか?と、本気で考えている。わたしは小ずるい奴だ。決してこの事情だけで結婚したわけではないが、2003年のわたしたちの結婚は、おっとがイタリアにおける正式な労働許可証が取れて、わたしの滞在許可証の期限が切れる時期に合わせたのだ。そうすれば、一度に「滞在許可証の種類の変更」も「更新」も済むし、今までの面倒な手続きから、簡単な扶養家族としての手続きだけでいい、と思ったのだが、その実は甘かった。通常の「労働」や「学生」よりも「家族」のほうが、よほど手続きがややこしく、時間がかかった。しかもミラノで前代未聞の「エクアドル人」と「日本人」の異国どうしカップルなものだから、あちこちの入管クエストウラをたらい廻しにされて、やっと書類を受理されても、おっとがそのときちょうど「被雇用者」から「自営業者」に変わったばかりだったので、手続きに揉めて何度も通いなおさせられる羽目となった。ただでさえ、面倒なのに、イタリア在住者にはこの苦労は想像できるとは思うが。。(お暇な方はこのページの一番下から次ページの2004年7月11日までお読みください)ようやく全書類が受理され、「2ヶ月後に受け取りに来てください。」という言葉を信じて3ヶ月後に行き、それでもダメで何度も通い、2003年から準備を始め、やっと滞在許可証の更新が受け取れたのは2004年になってからだった。怒毎度毎度、この恒例の儀式には本当に腹が立つ。なにもわたしたちは不法滞在者じゃない。あんたたちの給料をわたしたちの高い税金から払って養ってやっているのに、この態度はなんだっ!!??というわけで、今年も憂鬱な更新の時期がやってきたのだ。もう半年も前から憂いて、入管クエストウラのサイトを見たりして、必要書類を調べていた。わたしたちは、前回のように、またもや2人の国籍が違う、ということでたらいまわしにされることを想像して身震いがした。しかも、今回は田舎町に引っ越している。住んでいる場所によって入管クエストウラの管轄が違ってくるので、またゼロからやり直しのようなものである。そんな憂鬱をある日、目目さんに打ち明けた。目目さん「うちも今年更新なのよ、前回は業者に頼んで、1日でやってもらったわ。今年もやってもらうつもり。小さな子供連れでクエストウラに並ぶのはきついものね。」なぬ!?さっそくわたしはその業者を紹介してもらった。それは2月の事だった。業者「ええ、うちでは1日で出来ますし、滞在許可証の有効期限が切れていてもなんとかいたしますよ。はあ、「エクアドル人」と「日本人」のご夫婦?で、有効期限が6月20日。奥さん、動くにはまだ早いですね。期限が切れる1ヶ月半ほど前にもう一度お電話下さい。」そうか。。確かに早いな。わたしは業者の頼もしい言葉に安心し、電話を忘れないように4月のカレンダーに大きくメモを書き残したのだった。そして4月末。わたしは業者に電話した。業者「あ、ああ。覚えていますよ。では古い滞在許可証をFAXで送ってください。折り返しお電話致します。」わたしはさっそくFAXして待った。次の日もその次の日も待った。返事がない。電話をするが繋がらない。心配になった。やっと1週間後、電話が繋がった。業者「あ、ああ。奥さん。申し訳ありませんがうちじゃ出来ません。」わたし「ハア、どういう事ですか?この間は出来るとおっしゃったからFAXして待っていたんですよ!?」業者「。。うちは日本人のみにしか出来ません。」わたし「そんなはずないでしょう?ここを紹介してくれたのは韓国人夫婦なんですけど?!それにわたしは日本人です!」業者はしどろもどろになり「つ、つまりですねえ。。うちは日本人とか、韓国人とか、カナダ人とか、北アメリカ人しか受け付けないんですよ。」わたしはカチンときた。「要するに手続きが簡単そうな国しかやらない、ってことですね?」業者「そうではなく、とにかくエクアドル人はできない、という事です。」わたしは怒って電話を切った。出来ないならなんで最初からできない、と言えないんだ!?怒りついでにその業者に別の業者を紹介してもらって電話をしたが、ここも似たような答えで断られた。わたしは焦った。この業者を信じて何もせずに待ってしまったのだ。残り時間はあと1ヶ月しかない。準備に役所関係の書類を揃えるには、とにかくとろいルイジなイタリア、1ヶ月では少なすぎる!OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!その夜、しょげているとおっとが帰宅した。事情を話す。おっと「そういえばウイリアムも今年、永久滞在許可証(USAのグリーンカードのようなもの)に変更だから業者に頼んでる、って言ってた。聞いてみようか。」OH,エクアドル人が頼んでいる業者なら完全に大丈夫だろう。わたしたちはウイリアムにその業者を紹介してもらってさっそく遠いマルペンサ空港の近く(隣の県)まで向かったのだった。明るい事務所に入ると、中には若い太ったタバコ臭いお姉さんがひとりと、その弟子のような更に若いギスギスした感じの女の子しかいなくて、ちょっとガッカリした。彼女はカラーコピーをはさみで切った事が一目でわかる名刺を差し出して「では、ご持参された書類を拝見。」と言う。彼女は一通りわたしたちの書類に目を通し、PCにインプットして行く。そしてなんどもコピーされつくされた感じのクエストウラの必要書類一覧表にマーカーで印をつけて、「これとこれとこれは会社で揃えてもらってくださいね。」とわたしに言った。わたし「。。わたしは扶養家族なのに会社の書類が必要なんですか?」お姉さん「念のためです。クエストウラでは何を言われるかわかりませんからね。」確かにそうだけど。。。業者がこんなこと言うなんて、信じていいのか?この後も、もっともなような、うさんくさいようなことをいろいろと指示されて話は終わった。そしておしゃべりなおっとが、なぜこんな遠くの業者まで頼ってきたかを一通り話して場が和んだ後、さっそく支払いの話になった。めちゃくちゃ高い!ミラノで断られた業者のきっちり倍額である。わたし「え!そんなに?ウイリアムは永久滞在許可証で、これより安いじゃないですか!?」お姉さん「彼はこの近所のいつでも空いているクエストウラで出来るからですよ。いいですか、今回マルちゃんさんはミラノでもワースト1の「CANI大通り」のクエストウラに行かなければならないんです。扶養家族である奥さんも当然そうなります。以前、前日の0時からあそこに並んだ事がありますが、それでも173番でした。今回はもっと早くから並ばなければならないし、そうなるとこの値段でも相当とは言いかねます。どうされますか?」わたしはこのときやっと、他の業者たちが嫌がって断った理由がわかった。お姉さんも「どうされますか?」なんて、おっとが全ての内情を吐き出したおかげで、わたしたちが他にいくところがないことなんて、わかっているくせに。そこは「CANI大通り」と言って、名前からして「犬どもの大通り」なんてイヤな名前の住所にある。←実は後で「CANI」ではなく「CAGNI」とわかったが、発音的にはとにかくイヤな名前だ。しかし。。しかし倍額は高すぎる!!2人合わせたら1ヶ月分の家のローンとほぼ同額だ。困っておっとを見た。おっとは喜んでもう、小切手を出している。わたし「ちょっとちょっと!払うつもり?」おっと「前回の苦労を考えてみなよ?また、あれをやりたい?しかもお姉さんはあれよりすごいって言うじゃないか?だったら、迷う事はないだろ。」お姉さん「わたしたち、席をはずしますからおふたりでゆっくりご相談されます?」わたし「ご相談、といっても値段が問題なだけで。。。2人いますし負けられませんか?」お姉さんは首を横に振った。なんか、怪しい気もするけど。。本来なら滞在許可証が取れない状態のウイリアムのお母さんの滞在許可証もまんまと取った、と聞いたし。意外にやり手かも。おっとはすっかり乗り気だし。。。わたし「おっと、あんたに決断を任せた。」←後でこの放棄が大きな間違いであったと気づくのである。おっとはすぐさまニコニコと小切手を切ったのであった。お姉さん「じゃあ、書類が揃い次第、お知らせ下さいね。」とニコニコとわたしたちを送り出した。おっとはニコニコと「ああ~、これで今年は楽勝だ。」わたし「。。だといいよね。あんなに払ったんだもんね。」おっと「まだ言ってるの?ミラノの業者だって、どうせあれだけ払わなきゃいけなかったんだからいいじゃない?」わたし「なに言ってるんだよ!?わたしたち、あの倍額払ったのよ!」おっとは立ち止まって「ええ!君が言ってたあの金額、1人分だとてっきり思っていたよ!?」わたしは息が詰まった「。。。。。。ひ、ひ、ひとの話をいつも半分しか聞かないから~~~~~~~~~っ!!!!!!!!」これが5月半ばの話だ。くっそ~、裁判さえなきゃ、おっとが起業に失敗さえしなきゃ、おっとがひとの話をいつも真面目に聞いてさえすりゃ、今ごろはどこぞにバカンスに出かけて、こんなPCの前で愚痴なんぞ書いてなかったぞっ!!この話、まだまだ続きはあるのだが、それは次回、この腹立ちがちょっと収まった時に。
2006.08.02
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