
《クリスチャンになろう Day 16》
信頼関係を 築く
祈り方のポイント2.あなたの願いを告白する
祈りとは、神様との会話です
。それは、どちらか一方だけが語りかけるような一方通行ではなく、双方向で成り立つコミュニケーションです。神様は聖書の御言葉を通して、溢れるほど豊かに絶えずあなたに語りかけておられます。今度は、祈りを通してあなたが神様に応答していく番です。
神様との信頼関係がなければ、正直なあなたの気持ちを告白することは難しいでしょう。人間社会でも同じですが、信頼関係を築くにはそれなりの忍耐と時間が必要です。今、神様の約束に信頼を置き始めたあなたは、祈りを通して願いを捧げ、神様がその祈りに答えてくださる積み重ねを通して、その信頼関係がより強固で揺るがないものとなっていくのです。そして、信頼感がより深まるに従って、「もっと祈りたい」という強い思いが芽生えるのです。
「 天の父なる神様
」と先ず呼びかけたら、次にすることは「 あなたの願いを告白する
」ことです。フィリピ4:6はこのように勧めています。
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、 求めているものを神に打ち明けなさい
。(フィリピ4:6)
「 わたしは、皆さんのような立派な祈りはとてもできません
」と心配される方がよくいます。上手に祈ろうとする必要はまったくありませんし、堅苦しいキリスト教専門用語を無理に用いる必要もないのです。祈りとは、人に聞かせるためのものではなく、神様への個人的な語らいです。ですから、あなたが家族や友人に語りかけるような、普段どおりのあなたの言葉で祈りましょう。
人に聞かれることを意識して、自分の信仰深さをここぞとばかりにアピールしようと、心にもないことを祈る人がたまにいますが、それは避けたほうが良いでしょう。主イエスはこのように戒めています。
「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。(マタイ6:5)
これは、周囲の人々から「 素晴らしい立派な、信仰深いお祈りだねー
」と感心され誉められてしまえば、既に報いを受けてしまっていますから、神様はあえてその祈りには答えてくださらない、ことを言っています。つまり、心が神様に向かわずに人に向かってしまい、祈りが口先だけならば、とうてい信頼関係を築くことはできないのです。もちろん、教会では礼拝の中などで司会者や牧師などが大勢の前で代表で祈る、ということはありますが、それは全員が心を一つにして神様に向けて共に祈るといことですから、人のために祈るのではありません。
また、「 祈るべきことが少ししかないから、祈り始めても長くつづかないので恥ずかしい
」と、躊躇される方もよくいます。安心してください。どのような短い祈りや、たとえたった一言の祈りであったとしても、真心をこめて正直に祈るならば、神様は喜んで聞いてくださいます。逆に、だらだらと、長い祈りをすればより聞かれるというわけではありません。
そして、「 あれをください。これをお願いします。これとこれと、あれとあれと・・・
」と年末の買出しのような膨大な買物リストのように、たくさん祈らなければならない、ということでもありません。祈りの課題が少ないことに引け目を感じる方もいますが、むしろ、同じ一つの祈りの課題を何度も何度も繰り返し祈ることも大切なのです。何よりも、あなたの願いを正直に打ち明けることが重要なのです。
そのことを主イエスはこのように戒めています。
また、あなたがたが祈るときは、異邦人のように くどくどと述べてはならない
。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。(マタイ6:7-8)
ここで、「 ACTS(アクツ)の祈り
」をご紹介しましょう。"ACTS"は、日本語では新約聖書の」使徒言行録」という意味ですが、その頭文字をとって祈るべき4つの内容がありますので、あなたの祈りの指針としてください。
A
Adoration 神様をあがめ、ほめたたえる。
C
Confession 罪を告白する
T
Thanks Giving 感謝をささげる
S
Supplication 願いを打ち明ける
いかがでしょうか。祈りとは、どこか「お願い事をする」というイメージが強いですが、実は 「賛美すること」も、「罪の告白も」、「感謝をささげること」もすべて含まれている
のです。必ずこの順番で祈らなければいけない、というわけではありません。しかし、祈りの内容が偏ってしまわないように、自然にこれらの四つが祈りの中に盛り込まれるように、最初は参考にして祈ってみるのも良いでしょう。
ここで、気をつけなくてはいけないのは、信仰とは信頼関係ですから、宗教をすることではないということです。まるで、他宗教に見受けられるような、まるで難行や苦行でもするかのような祈りになってしまわないように注意が必要です。クリスチャンの中でも、「 祈ったら神様は祝福してくださるけど、祈らなきゃ災いが起こる
」という脅迫観念に捕らわれてしまう、という例です。主イエスはこう言っています。
あなたがたの父は、 願う前から
、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(マタイ6:8)
わたしが5歳の息子を近くのコンビにに連れて行ったときのことです。息子は、お菓子コーナーの前でうろうろそわそわしながら、チョコレートやガムなどを手 に取っているのを見たわたしは、「ああ、お菓子が欲しいのだな。買ってあげようか」と思います。すると、息子はわたしのもとにやって来て、しゃがんだわた しの耳元で「パパ、このお菓子買っていい?」とささやくのです。「ママにはないしょだよ」とウィンクをして、そのお菓子を持ってレジに向かうのです。「お 父さんなら、きっとボクの願いを聞いてくれる」という息子の気持ちを、直接にその「ことば」を通して知ることで、父親として喜ぶのです。
そうです、神様は全能ですから、あなたの願いをすべてご存知です。ですから、あなたが神様に信頼をおいて正直に心の内を打ち明けてくれるという、その信頼関係を喜んでくださるのです。「 なーんだ。わたしの願いをもうぜんぶ知っているんだったら、別にわざわざ祈る必要ないじゃん
」と思ってしまう方もいますが、決してそうではありません。なぜなら、 「祈り」とは神様のためにあるのではなく、あなたのために与えられた恵みの特権
なのです。祈りを通して、どのような状況にあっても、あなたをいつも気にかけ、見つめ、助け、慰め、励まし、戒めてくれる、生きて働く神様が、今この瞬間もあなたに溢れる愛を注ぎ続けておられることを、あなたが深く味わい知ることができるために、与えれた神様の憐れみなのです。