『福島の歴史物語」

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2017.03.16
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     四道将軍と直毘神社

 しばらく前に、狛犬の現況を知るべく、郡山市内の全神社と思われる377社を巡った時、舞木地内に直毘(なおび)神社があるのを知った。ここには、伊奘諾命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)・神直毘神(かみなおびのかみ)・大直毘神(おおなおびのかみ)の四柱の神が祀られているという。この神社の名は、神直毘神と大直毘神にあやかって付けられたものと推測した。直毘神は穢れを払い、禍(まが)を直(なお)す神とされる。直毘神の毘(び)は、神霊を意味する霊び(くしび)のビとも、また『直(なお)ぶ』の名詞形『直(なお)び』のビであるともいわれる。いずれにしても、直毘神は凶事を吉事に直す神である。民俗学者の折口信夫氏は、「直(なお)は禍(まが)と対になる言葉であり、直毘神は禍津日神(まがつひのかみ)との対句として発生した表裏一体の神である」としている。

 日本神話において、黄泉(よみ)から帰った伊奘諾命(いざなぎのみこと)が禊を行って穢れを祓ったときに、その穢れから禍津日神(まがつひのかみ)が生まれたとしている。この禍津日神がもたらす禍を直すために生まれたのが神直毘神と大直毘神である。古事記では、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)や大禍津日神(おおまがつひのかみ)が成った後に、神直毘神・大直毘神・伊豆能売神(いずのめのかみ)の三柱が成ったとしているが、日本書紀の第五段第六では八十禍津日神が成った後に神直毘神と大直毘神の二柱の神が成ったとしている。ところが同段第十では、伊奘諾命(いざなぎのみこと)が禊の際に大直毘神を生み、その後に大禍津日神を生んだとしている。直毘神は穢れを祓う神事を行う際の祭主であり、伊豆能売はその巫女であるとも考えられている。

 直毘神社の社頭に掲げられている由来書には、次のようにあった。

『磐城に入られた四道将軍(しどうしょうぐん)の一人である武渟川別命(たてぬまかわのわけのみこと)の一隊は、夏井川の南西の山道より陸奥の真冬を田村郡(たむらこおり)の山奥に進まれた(想像するに小野新町方面から中郷、芦沢を経て中郷村の北部、中妻村の北部をと、山の峰道をぬって巌井村上舞木の東部に来られたものと思われる)。御一隊は道がますます険しくなるばかりか寒さが一段と厳しく、さらに連日の吹雪で疲労と凍傷に悩まされた。阿武隈川の流れを渡り、氷雪の安積平野を横切って、奥羽山脈を越すことは情けにおいても偲びず、部下思いの命は、『朝日さし夕日なお照る』向きの良い場所を選んで一隊を休めることにした。これが直毘神社の周辺であったとされる。さて命は手頃な櫟(くぬぎ)の木を求めて幣を結んで四柱の神をお祀りし、草ぐさのお供えものを捧げた。この四柱の神を二つの社(やしろ)に祀ったので二社権現と称した。直毘神社と改称したのは、明治六年(1873)である。そして、凍傷や病気に悩む兵の平癒を祈願したのが、現在の直毘神社であるとされている』

 四道将軍…。実在は確認されていないが神話上とまでは言い切れず、実話と神話との狭間にある微妙な感じの将軍たちである。この話の元となったのは、西暦350年の大和政権による日本統一にあるとされている。古事記によれば、四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)は、日本書紀に登場する皇族の将軍たちで、大彦命・武渟川別命、吉備津彦命・丹波道主命の四人を指す。大彦命は第八代・孝元天皇の第一皇子で、その子が武渟川別命である。北陸道を平定した大彦命と東海道を制した武渟川別命の親子が合流した場所が相津(会津)であるという。このときの両者の行軍経路を、阿賀野川(大彦命)と鬼怒川(武渟川別命)と推察する見解が哲学者の中路正恒氏から出されている。しかし一般的には鬼怒川ではなく、太平洋側から内陸部に入ったとされているようである。この説の傍証となるのが、直毘神社由来書かも知れない。吉備津彦は、第七代・孝霊天皇の皇子で、吉備国を平定したために吉備津彦を名乗ったと考えられている。童話・桃太郎のモデルであったとも言われている。丹波道主命は第九代・開化天皇の子の彦坐王(ひこいますのおう)の子(つまり孫)であるが、彦坐王が丹波に派遣されたことから付けられた名とされる。

 折口信夫氏が、「直毘神は禍津日神との対句として発生した表裏一体の神である」としていることから、禍津日神についての考察が必要となろう。歴史読本『王権の神社〜古代22社の神々』に所収されている『異端の神々を祀る社・菅田正昭著』は、東日流外三郡誌は昭和に書かれた偽書と主張している。それでも偽書と言われる東日流外三郡誌を見てみると、畿内で神武天皇軍に敗れて東日流(つがる)(津軽?)へ逃亡した安日王・長髄彦が祀っていた神に荒覇吐神があったという。出雲や陸奥には鉄鉱石があったことから、荒覇吐神は産鉄の神(荒吐=アラフキ神、金屎の神)とされたのかも知れない。しかもそれと並んで、女神・荒覇吐姫という伝承もあり、その名称から、夫婦神とも考えられる。群馬県吾妻郡の後藤菊次郎氏所有の『子持山大明神縁起』の冒頭の荒人神の部分に、『荒覇吐姫』と記されており、その終わりの部分には、『伊勢神宮の荒垣の内におはします、即ち荒覇吐是なり』とあるという。民俗学者の吉野裕子氏によると、荒覇吐(はばき)神の『ハハ』は蛇の古語であり、直立する樹木は蛇に見立てられ、古来祭りの中枢にあったという。

 その後、荒覇吐姫は歴史の闇に葬られそうになったが、禍を起こす八十禍津日神(やそまがつひのかみ)(悪神)として生き残ることになる。しかし八十禍津日神が祓戸神となって復活するのは、折口信夫氏の言う「直毘神は禍津日神との対句として発生した表裏一体の神」というところにあると思われる。祓とは、罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除くための神事・呪術である。悪神である八十禍津日神が善神の行うべきお祓いをするようになったのは、大祓詞後釈(著者 本居宣長)に、『深き理(ことわり)ある事なりける』とあるからであるという。

 四道将軍の話には、東海へ派遣された武渟川別命が舞木の直毘神社に立ち寄ったとの記述はない。しかし直毘神社由来にあるように立ち寄ったと仮定すれば、直毘神社の『毘』の文字に注目せざるを得ない。なぜなら、毘には助ける、援ける、扶ける、輔ける、という意味があることから、武渟川別命をたすけた、つまり休息、または『越の国』への道を教えたか案内したと想像でき、しかも直毘神は、悪とされていた八十禍津日神をこの地から排除することで、武渟川別命を援助・協力したことになるのかも知れない。これらのことから、八十禍津日神(悪神)が、直毘神により、瀬織津姫という善神に変化したとも考えられる。日本書紀よると、瀬織津姫は天照大神荒御魂神とされ、伊勢神宮内宮正宮北方にあり、正宮に次ぎ尊いとされる荒祭宮に祀られているという。瀬織津姫は水神として渓流(竜)に関係があるとされることから、瀬織津姫を祭る神社は川や滝の近くにあることが多く、しかも滝の名は不動滝という名が普遍的である。三春の滝桜の近くには不動滝があり、滝不動尊と瀬織津姫を祀った柴原神社(三渡神社)があることにも興味をそそられる。これは、この地方での稲作の広がりとも関係があったのかも知れない。ちなみに、直毘神を祀る神社は全国的に見ても非常に少なく、次に例示したように、直毘の名を直接的に冠された舞木の直毘神社は、貴重な存在なのかも知れない。

 出羽神社 三神合祭殿 境内 大直日神社 山形県鶴岡市羽黒町手向字羽黒山
 直毘神社                福島県田村郡三春町上舞木
 五泉八幡宮               新潟県五泉市宮町5〜46
 大縣(おおあがた)神社 境内 解除社   愛知県犬山市宮山3
 綾戸國中神社               京都府京都市南区久世上久世町673
 大井神社                京都府京都市右京区嵯峨天竜寺造路町36
 木梨(こなし)神社            兵庫県加東市藤田473
 伊久刀神社               兵庫県豊岡市日高町赤崎字家ノ上438
 伊蘇之佐只(いそのさき)神社       鳥取県八頭郡八頭町安井宿字宮ノ後297
 野間神社 神門             愛媛県今治市神宮字杉ノ下甲699
 早吸日女神社              大分県大分市大字佐賀関3329
 西寒多(さむた)神社           大分県大分市寒田1644
 出羽神社 三神合祭殿 境内 大直日神社 山形県鶴岡市羽黒町手向字羽黒山




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最終更新日  2017.03.16 08:53:10
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