全39件 (39件中 1-39件目)
1
東京新聞の記事を見て、そんなことになっていたのかと知ってから2、3年たっているでしょうか。最近年齢のせいなのか、時の流れがどんどん早くなる感じで、去年のことだと思ったらもう一昨年のことだったりするもので。 東京に住んでいた頃、自転車で何度か買いに行ったことがあるパン屋さんがありました。「こんがりパンや」というお店でした。住宅街のご自宅の玄関を改装して小さなお店にされていて、入っていくと、奥から出てきて応対してくださったので、何度かお会いしたことがあった女性が亡くなられて、ホームレスのためにパンを焼くことおつれあいが引き継がれ、さらにご自宅を子供食堂に解放されていることを、その記事で知りました。東京にしては広めのお庭のあるゆったりしたお宅だったように記憶しています。 開店している曜日と、私がパンが欲しい曜日とが一致しなくなって、2、3年行かなくなっていたのですが、続いているものと思っていました。ある日買いに行ったら、明治生まれの父の介護の時間を増やしたいので曜日を減らしますという内容の張り紙が門に貼ってあって、明治生まれというとおいくつ?と思うと同時に、買えなかったのを残念と思ったものの、それから行く機会がなかったのでした。 今はわかりませんが、当時は池袋近辺には昔ながらのパン屋さんはあったものの、材料にこだわるおいしいお店は他になかったので貴重でした。昔ながらのパン屋さんも、それはそれでいいのですが。余談ですが、京都にはこだわりのパン屋さんがたくさんあってびっくりしました。 奥様の志を継いだ「あさやけベーカリー」の店主であり、「あさやけ子供食堂」の店主でもいらっしゃる山田和夫さんが本を出版されたことも新聞記事で知って、読んでみようと思っていたのですが、なにしろ積んである本がたくさんあって、いまになってやっと読みました。 本を開いて最初の方から、同じ価値観を持ち、よいアドバイスをしあったり協力したりする、仲の良いご夫婦だったのだな、と感じられて目頭が熱くなりました。 お庭のハクモクレンが咲くと、花を眺めながらゆったりくつろげるカフェも開かれていたそうで、その季節に行ったことがなくて残念なことをしました。 今は日本だけでなく世界的に、コロナもありますがそれ以前から格差・貧困が広がってギスギスした社会になっている気がします。そんな中で、善意のタネが、最初は小さくても、だんだんと枝葉を伸ばして広がって行ったら希望が見える気がします。
May 7, 2021
コメント(5)
日航機事故の真相を追求し続ける、青山透子さんの新しい本が出ていたことに、最近気が付きました。日航123便墜落遺物は真相を語る/青山透子【1000円以上送料無料】青山透子さんは、元日航のキャビンアテンダントで、墜落した日航機には、優しく、時に厳しく、指導してくれた先輩や、一緒に仕事をしていた同僚、入社したての後輩が乗務していました。圧力隔壁の修理ミスが原因ということになりましたが、遺品のカメラに残っていた機内の写真、整備士の証言などから疑問を抱くようになり、目撃証言を集めたり、専門家に意見を聞いて、本にまとめてきました。たいへん知的なかたなので、最初から決めつけることは避けようとする姿勢が感じられます。前著まで、・米軍が自衛隊より先に墜落現場を発見し、自衛隊に知らせたところ、自分たちが救助に向かうので救援は必要ないと言われ、引き返したが、なぜか自衛隊はまっすぐ現場に向かわず、現場のまわりを円を描くように捜索したため、到着が遅れた。・生存者を発見して、救助を始めたのは、地元の消防団。・地元の数人が、小さな赤い飛行機のようなものを目撃。日航機にぴったりつくように飛んでいたとの証言も。・ファントム2機がジャンボ機を追尾していたという地元民の証言・ジェット機の燃料は、そこまで火力が強くない・証拠品であるはずの圧力隔壁を、真っ先に自衛隊が5分割。などが書いてありましたが、今回は、炭化してしまっていたご遺体や、現場で拾った機体の一部が溶けて固まったと思われる(金属で、組成からして)塊の分析結果などから、ただの修理ミスとはやはり考えられない理由がまとめられています。運輸省は、情報公開法施行前に、およそ1トン分の資料を破棄。一部の遺族による技術部会が生のボイスレコーダーの公開を求めていたが、過去の事故では原因究明のために現場の乗員に聞かせたりしたのに、どうして公開しないのか?報告書のコックピット内の会話に、著者は不自然さを感じ、もしかしたら編集してあるのではないか、と疑っています。海底にある機体も、さほど深くもないのに、なぜ引き上げないのか?当時検視にあたった医師たちが、「筋肉や骨まで炭化し、2度焼きした形跡がある」との資料を残した。消防団がガソリンとタールの匂いが充満していた、と証言。著者が航空機事故の火災で焼死したかたの写真を見ると、日航機事故の炭化したかたのとは、全然違い、日航機事故は、むしろナパーム弾の犠牲者の写真に近く、ジェット機の燃料では、ひっくり返して焼かないかぎり、地面に面した側までひどく焼けることはありえない。現場に落ちていた溶けて固まった金属の塊にも、ジェット機の燃料にはない成分が含まれていた。むしろ火炎放射器の燃料に含まれる成分。当時、中曽根内閣は、地対艦ミサイル部隊を新設、防衛費のGNP比1%撤廃を目指す発言をしていました。9日に陸自のSSM・1(地付艦ミサイル)のプログラム誘導による飛行テストが成功したとの報道がありました。そのようは射場はないので、訓練では、ミサイルのエンジンに点火したものを飛行機から落として飛ばすそうです。目撃された赤い小さな飛行機?事故当日の12日には、駿河湾で「まつゆき」の試運転があったそうで、こちらも海上からドンという音がしたとの証言があるそうです。そして、機長はなぜ顎と歯の一部しか発見されなかったのか、隣にいた副操縦士もそこまでひどくないのに。ぜひ、ご自分でこの本をお読みになってみてください。尚、私は未読ですが、ご遺族で真相を追求して本を出版なさったかたもいらして、ネット書店の本の紹介によると、そのかたは、日航機は撃墜されたのにちがいない、とまで考えられているようです。検索してみると、こんな記事が…こわすぎます。http://www.link-21.com/earth/b05.html青山透子さんがこの7月に新しい本を出されました。【新品】【本】日航123便墜落の波紋 そして法廷へ 青山透子/著
July 12, 2019
コメント(2)
鬼塚英昭著「原爆の秘密 国内篇」(成甲書房)を読みました。国外篇についてはこちら・広島の原爆で、爆心地近くに集められていた徹底抗戦派の軍人たちは全滅したのに、第2総軍司令部は山腹にあり、ほとんど死者を出していない。・東京ローズがアメリカ軍向け宣伝放送で、第509航空群(原爆投下のために作られた航空群団)を名指しで挙げ、Rの記号がついているからすぐわかる、日本軍にやられないうちにおかえりなさい、と言っている。・謀略期間で働いていた人たちは、戦後戦犯として裁かれるのを免れた上に、権力と富を手にしている。・原爆投下数日前に爆心地近くに学童・生徒が集められていた。・アメリカ兵捕虜は原爆投下時、長崎にいなかったので、犠牲者がいない。しかし投下後、アメリカのジャーナリストが取材にはいったときには存在した。どこから出てきたのか?以上のことは何を表しているのでしょうか?鬼塚氏は、天皇、日本の陸軍参謀本部とアメリカが終戦工作のために通じていたと考えます。第509航空群団の飛行機にRのマークがついたのは、東京ローズの放送直前のこと、そんなことを知っているとは、そうとしか思えない。国策通信社である同盟通信社と陸軍参謀本部が作った原稿を東京ローズに読ませたのだろう、ということです。同盟通信社と吉田茂たち貞明皇太后周辺にいたヨハンセングループは深い関係にあった。同盟通信社の幹部だった松本重治、長谷川才次は、戦後ロックフェラー財団と気脈を通じて甘い汁を吸っているし、陸軍参謀本部の有末精三陸軍中将は「有末機関」をつくり、米軍に協力した。参謀部は原爆投下を前もって知っていたので、助ける人と原爆死させる人を選別した、また、あらゆる人が犠牲になることでスペクタクルを盛り上げるべく、生徒たちが動員されたのだろうと、推測しています。(9・11で犠牲になった女性の母親が、娘が携帯電話で、逃げたらクビにするとボスに言われて避難できないと言っていた、と証言しているのを思い出しました。自作自演でなかったとしても、パールハーバーのように前もってわかっていたのでは?) 考え過ぎかもしれない、と思う部分もありますが、世界の世論の非難をかわすために、放射能は存在しないことにされ、被爆者が見殺しにされたこと、高松宮が総裁だった日本赤十字が治療薬を断ってしまったことなどに対する著者の怒りには、共感せずにいられません。 ペンタゴンがABCC(原爆病等調査委員会/アメリカの調査団と厚生省の国立予防研究所が協力してできた)に対し、データ収集のため、治療をしてはならないという内部通達を出していたこと、18000人がなお追跡調査対象になっていることが、2002年に、公表されたこと、ご存知でした?
September 16, 2008
コメント(20)
「原爆の秘密 [国外篇] 殺人兵器と狂気の錬金術」 鬼塚英明著 成甲書房 を読みました。原爆を落とされた広島・長崎の悲惨さ、原爆の恐ろしさについては、読んだり聞いたりする機会がありましたが、どういう人たちがどんなつもりで作ったのかとなると、自分の専門分野のことしか考えない専門ばかの科学者が発明したのだろうぐらいにしか考えたことがありませんでした。また、アメリカが広島にウラン、長崎にプルトニウムの原爆を落とし、被爆者の検査だけして治療はまるでしなかったことを見ると、日本人で実験したのではないかと漠然と感じていましたが、それ以上のことは考えたことがありませんでした。 この本の著者鬼塚氏は、「どうしてアメリカは日本に原爆をおとしたのであろうか」と考えて資料を読みあさっているうちに、私たち日本人はだまされてきたのだと確信するようになりました。広島・長崎の悲劇を繰り返さないため、日本人は現実を直視しなければならないと、鬼塚氏は訴えています。 詳細や論拠は本を読んでいただくとして、衝撃的なのは、最初原爆を開発しようとしていたヒットラーに対抗して作ろうということだったのが、ヒットラーは途中であきらめ、原爆を作ること自体が目標になり、その際原爆カルテルともいうべきものが浮上したこと。ウラン235によるリトルボーイはロックフェラー・メロン財閥が作り、プルトニウムによるファットマンはモルガン・デュポン(ロスチャイルド系)が作り、プルトニウム型の完成が遅れたのでそれを待つために、ポツダム会議が延期されたこと。当時すでにカナダでもウランが採掘されていたにもかかわらず、ロスチャイルドの分家ランベール家が大きな影響力を持つベルギー領(当時)コンゴのウランを使うようアインシュタインがルーズベルトに勧める書簡を書いている(実際はサインしただけ)こと。 日本がすでに終戦工作をしていたにもかかわらず、原爆投下は決まったこととして、進められ、ウラン、プルトニウムの両方を落とすために、終戦が引き延ばされたと著者は見ています。また、イギリス留学中に実家が破産してウォーバーグ財団の援助を受け、岳父が貞明皇太后と密接な関わりを持っていた白州次郎を介して、皇室と皇太后の周囲にいたヨハンセングループと言われる吉田茂らに情報が渡っていたと思われます。鬼塚氏は、アメリカが天皇制の存続を条件に、ポツダム宣言を「無視する」とのことばを天皇に言わせたと見ています。少なくとも天皇は事前に知っていたのです。 鬼塚氏は、ルーズヴェルトは原爆を落とす前に日本に警告するべきと主張したので、殺されたのではないかと推理しています。次の大統領に成ったトルーマンも繰り人形に過ぎず、実際に指揮をとっていたのはスティムソン陸軍長官でした。スティムソンはエール大学でスカルアンドボーンズという組織(ジョージ・ブッシュや大統領候補だったケリーも入会していた)の会員で、ロスチャイルドのザ・オーダー(国際金融寡頭勢力)の中枢にはいっていた人物とのことです。 マンハッタン計画の資料によれば、そのスティムソンが討議すべき問題として挙げているのは、「現在における」ではなく、「将来に置ける」兵器や国際競争です。ウォール街の利益のため、ザ・オーダーのために戦争を長引かせたのだという著者の主張が納得できる気がします。 つまり、湯水のように税を投入したマンハッタン計画の効果を国民に見せるため、スペクタクルが必要だった。実際投下すると非難の声が上がり始めたので、犠牲者を減らすために必要だったと宣伝し始めた。もちろん投入された資金は原爆カルテルの懐に入り、それ以降も原爆産業として成立していったわけです。また、ソ連に見せつける効果もありました。 ヒットラーもやらせだったということです。ご存知のようにヒットラーは最初選挙で国民に選ばれたのですが、その資金は銀行家達が提供し、ハンブルク・アメリカン・ライン(ドイツのユダヤ財閥の最高位に位置するマックス・ウォーバーグとアメリカのハリマン財閥が共同経営する当時世界一の汽船会社)が、ナチを押さえて憲法を守ろうとしたドイツ政府に反対するキャンペーンに資金を投入したのだそうです。また、ロックフェラー系のスタンダード石油から資金を与えられて設立されたハンブル石油社はナチスに石油を送り続け、ハンブル石油社と英国王室は、ロンドン爆撃で使われるナチスの飛行機の燃料として使われるガソリンに対して、特許使用量をナチスから徴収していました。ヒットラーはベルギーを占領して国民を殺しましたが、王室と金融は大切にし、ロスチャイルドの分家ランベール家が支配するソシエテ・ジェネラルは戦後すぐ5%もの配当を出しているのだそうです。 日本に2発以上の原爆を落とす計画がうまく行くためには、天皇がポツダム宣言をその前に受諾しては困るので、国内にも協力する勢力があったはず、ということで、「原爆の秘密 国内篇」に続きます。
August 18, 2008
コメント(13)
今日は広島の原爆忌です。黙祷。 柳澤桂子著「いのちと放射能」(ちくま文庫)を読みました。柳澤さんは、学者として原子量の人体におよぼす影響を良く知っていたのに、原子力発電のおそろしさについては無知だったと、慄然として、これからでも遅くないと信じてこの本を著したのだそうです。最初に出版されたのは昭和63年、文庫版は2007年です。 宇宙の始まり、星の誕生、十億年後の最初の命の誕生…地球ができてからの45億年を一週間に縮めると、人間の歴史はたった3分間の歴史しか持っていません。私たちが息をして、食べ物を消化してそのエネルギーを使って動けるのはDNAにその方法が書かれているからです。 私たちの身体は60兆個の細胞でできていて、ひとつの細胞にあるDNAはのばしてみると1メートルになるのだそうです。46本にきれてらせん状に巻かれ、そのらせんがさらにらせん状に巻かれて染色体になっています。 私たちのひとつの細胞にあるDNAはアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種類の分子が繰り返し連し30億個連なってできています。ひとつのタンパク質は数百から千のアミノ酸からなっていますが、アミノ酸の並び順を決めているのがDNAです。アミノ酸の並び順が細胞の中の化学反応を制御しています。DNAは卵や精子を通して子孫に伝えられます。 放射能が身体の細胞の原子にあたると、その原子からは電子が大きなエネルギーを持って飛び出し、飛び出した電子は行く先々で無数の分子にぶつかって、自分の持っているエネルギーを分けて行きます。エネルギーを受け取った分子は興奮状態になったり、電子が飛び出したりします。電子を失った原子を電離原子といい、放射能の栄光のほとんどは、身体の中に生じた電離原子による化学反応の結果引き起こされます。 短時間に6シーベルトの放射能を浴びると人は死んでしまいますが、0、25シーベルト以下で目に見える変化がなくても身体のなかで有害な変化が起きています。放射能によってDNAに起きた間違いはそのままコピーされて行きます。さかんに分裂している細胞ほど放射能に弱いということなので、子どもの方が影響を受けやすく、おとなでも、骨髄、胃や腸の内壁、精子を作る細胞、髪の毛の根元などさかんに増える細胞が影響を受けやすいそうです。ガン、鎌形赤血球貧血症、奇形児の原因になります。 自然界にも放射能が年間0,0005シーベルトほどありますが、このような数字でも、一部のガンの原因になっていると考えられているそうです。ある程度DNAの傷を治す能力が備わっていても、高濃度の人工的な放射線には間に合いません。放射能の本当の恐ろしさは、突然変異の蓄積にあるということです。子々孫々伝えられて行くのです。 ひとりが1年間使う電気を原子力発電で生産するため出る放射能のごみを、まあまあ安全といえるところまで水で薄めようとすると、100万トンの水が必要になります。1000年たっても1000トン、100万年たっても10トン。 私たちは何を本当に必要としているのか、そんなに電気を使う必要があるのか、何が人の世に大切なのかを考え直すべきと、柳澤さんは提言しています。 2007年文庫版のあとがきによると、志賀原発の制御棒事故があきらかにされてから明らかになった事故、不正(公表されなかったなど)は、日本中で89件もあるそうです。東電では事故隠しは一切しないと誓ったあと隠していました。 原発では公衆の被爆は年間0、05ミリシーベルト以下と決められているのに、六ヶ所村では、「合理的な達成できるかぎり低い」としか決められていないのだそうです。そして、六ヶ所村の再処理施設が大気に放出するクリプト185は、自然状態の5万倍、海洋へも年間3億3000万ミリシーベルト(4万7千人分の傾向摂取致死量)垂れ流されます。 高速増殖炉もんじゅは6千億円かけて建設され、冷却ナトリウムの維持などのために年間百億円かかっているそうです。参考原子力は地球温暖化に貢献しない
August 6, 2008
コメント(11)
少し前ですが、マイケル・クライトンのNEXTを読みました。エンターテイメントとして、ぐんぐん引き込まれてすぐ読めますが、書かれている内容が、空想物語というわけでもなく、実際の世界がもうそんな段階に来ていると知ると、ぞっとします。遺伝子をちょっといじったからといって、オウムに子どもの宿題を手伝う能力ができるのかは疑問ですが、自分の身体の中にある物質の特許を勝手にとられてしまう、ということは、もう南の国の人たちに対しては行われているそうです。 クライトンは本書を執筆するための取材をするうちに、次のことを思うようになったと、あとがきにあります。1)遺伝子の特許を認めるな遺伝子の特許を認めるということは、鼻の特許を認めるようなもの。そうなったら、眼鏡もティッシュペイパーも鼻炎スプレーも作れなくなる。2)人の組織の使用に関する明確なガイドラインを作るべき身体を離れたからといって、何の権利もなくなるのはおかしい。3)遺伝子実験緒データは公開されるべきである遺伝子治療により死者が出た場合、隠蔽しようとされがちである。4)研究に禁制はさけるべきであるするべきではない実験はたしかにあるが、今の時点では、ある国で禁止しても上海では行われてしまう。5)Bayth-Dale法を無効にせよ1980年に可決されたこの法により、学者は税を使って成し遂げられた研究を自らの利益のために売ることができるようになった。その結果多くの学者が企業とタイアップするようになった。30年前には利権と無関係の学者が公共の利益のためにあらゆるテーマで議論することが可能だったが、今では学者の個人的な利益が判断に影響している。大学は研究より利潤追求に走り、納税者は政府を通して寛容な投資家にさせられている。消費者は自分たちが出資した薬を高い値段で買わされている。投資家には普通見返りがあるが、アメリカの納税者にはない。かつて人道的な欲求を感じていた科学者は今では損得に関心が深いビジネスマンと化した。マイケル・クライトン著 「NEXT」 早川書房 遺伝子組み換えや生命特許についてさらに知りたい方は天笠啓祐編著「生命特許は許されるか」 緑風出版 をお読みになってみてください。 アルツハイマーやパーキンソン病になる遺伝子も特許が取られたり申請されていますが、そうなると、他の製薬会社や学者は研究ができなくなり、患者にとって不利益になります。そもそも特許制度は工業製品のためにできた制度であり、学者が発明したわけでもなく存在するものに特許を与えることがおかしいのではないでしょうか?この本には、ミリアド・ジェネティクス社が乳がん遺伝子BRCA-1とこの遺伝しい関する知識から得られるすべて緒治療および診断手法に対し、特許を申請しており、認められると、同社は患者が診断スクリーニングを受けるたびに特許料を請求することができる、と書かれています。2003年に出版された本なので、検索してみると、どうもその後この特許は認められてしまったようです。検査料が高いのも、特許料が含まれるからではないでしょうか。 医療・医学ニュース
July 9, 2008
コメント(8)
岩波文庫に世界憲法集という本が出ていました。ぱらぱらと見ただけですが、目についたところを書いてみますね。世界憲法集新版 ドイツの基本法(憲法)には酒税やタバコ税が連邦に帰するか、ラント(連邦共和国なので)に帰するか、などということも書いてあります。よく日本と違ってドイツではしばしば改憲しているなどというかたがいらっしゃいますが、これなら変えることもあるでしょうね。 日本国憲法で「公共の福祉に反しない限り」というところは、ドイツの憲法では「他人の権利を侵害しないかぎり」となっています。私はドイツのの方が曖昧さがなくてよいと思います。ところが自民党憲法案ときたら、「公益および公の秩序に反しないかぎり」となっています。公益や秩序を理由に個人の権利を制限したい意図が見えます。参照:日本国憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。今日の白川勝彦さんの記事もこのことと関連していると思いますので、どうぞお読みになってみてください。『個人の尊厳と税金」
April 3, 2008
コメント(5)
「ウォータービジネス」(中村靖彦著・岩波新書)を読みました。1)ナチュラル・ウォーター 2)ナチュラル・ミネラル・ウォーター 3)ミネラル・ウォーター 4)ボトルド・ウォーター の違い、ご存知ですか?答えは、下記のサイトで書いてくださっているので、ご覧下さい。ミネラルウォーター類の品質表示ガイドライン 尚、ヨーロッパでは水源全体を保護するという発想があるため、ナチュラル・ミネラル・ウォーターはくみ上げてそのまま、無加熱・無殺菌で瓶詰めされるものを指します。 ボトルド・ウォーターは世界中でブームになり、アメリカでは水道水をフィルターで漉して塩素を除去しミネラルを少し添加したものが安売りされているそうです。ボトルド・ウォーターの市場は成熟し安売り競争に入っていることから、それよりも儲かる水道事業に企業は感心を寄せているとのこと。 アメリカでは大地主が企業に井戸を掘らせて水を売ったために、環境に影響が出ている所もあり、水は誰のものか?という議論が始まっているそうです。テキサスでは農業用に地下水をくみ上げすぎて地下の水位が下がっている。 中国では農業地域である北部には水が乏しく、人口が集中している南部には豊富と偏っている。北部は作物が作れなくなって放棄された畑が砂漠化している。経済成長に伴ってますます水の需要が増えることがみこまれる。食糧を輸出できなくなれば、日本にも影響があります。 日本は「間接水」の輸入大国。農産物や肉用の家畜の餌を育てるのには水を大量に遣います。それを間接水と呼びます。食糧の自給率が低く、輸入に頼るということは、大量の水を輸入しているということでもあるのです。 筆者は遺伝子組み換え種子同様、企業が水を通して利潤を追求して貧しい国々に目を向けないことに疑問を持っていると、あとがきに書いていますが、この本の内容を読むかぎりでは、たとえば水道民営化については、プラスの面しか書いていません。ひょっとしてエコノミックヒットマンに脅されたのだろうか、などと勘ぐってしまいますが、単に紙面が足りなかったのか、社長にインタビューしているうちに乗せられてしまったのでしょうか。 ヴェオリア・ウォーター・ジャパン(旧ヴィバンティ)社長ローラン氏によると、民営化のメリットは透明性と効率、安くできることだそうですが、誰にとってもなくてはならない水を利潤を追求する企業が独占状態になった場合、「良識」に期待するしかないというのは、危険すぎないでしょうか。実際、アジアや南米で水道料金が何倍にも跳ね上がった例があります。ボリビアでベクテル社による膨大な料金値上げを阻止した民衆運動は、「ザ・コーポレーション」という映画のエピソードになっているようです。映画「ザ・コーポレーション」 また、「公共機関ととパートナーになることが必要、そうすれば、道路を掘るときの法規制などが乗り越えやすいし、どこかの国に参入する場合には、ほとんどがすべて設備が整備済みのことが多く、最初のコストは地元が負担してくれる」と言いますが、ヴァンダナ・シヴァさんの言うように、それは税金で作った国民の財産を私企業に安く払い下げることに他なりません。 イギリスでは水道民営化は破綻して、一青年が起こしたNPOが引き継いでうまくいっていると前にテレビで見ました。
February 23, 2008
コメント(10)
以前エリュアールの詩「自由」について書いたとき(十代のころのノートより)、ご自身も詩人でエリュアールの詩を翻訳していらっしゃる大島博光さんのサイトに出会いました。そこで知ったフランスの詩人ゴーシュロンの詩集「不寝番」を読みました。 ゴーシュロンは1920年生まれ、若いころアラゴンの指導をうけたという人です。詳しくは大島さんのサイトをご覧下さい。詩もそこでお読みになれます。 「不寝番」は1998年に出版された詩集(大島さんによる翻訳は2003年光陽出版社)で、フランス革命、パリ・コミューン、ベトナム、スペイン内戦、湾岸戦争、広島など、戦争と平和、圧制をはねかえして人間的に生きようとする人々をテーマにしています。 湾岸戦争が「砂の嵐作戦」で始まったとき、テレビで若い米兵達が飛行機に乗って出撃する様子を見ました。無関心だった私には、きらめく風防ガラスや颯爽とした兵士を美しく映し出す映像、「全員無事帰還」のことばなどがやけに格好良く思えたものでした。でも、ものごとをきちんを把握していた当時の若い人たちの間には嫌米の感情が広がったようです。ゴーシュロンは次のように語ります。銀の飛行機 みごとな蜃気楼(ミラージュ・原文はルビ)戦闘機そして人民の首には締め付ける貧困の首輪風にひるがえる旗老いぼれの大根役者は新石器時代の始めのように若く美しく腕の筋肉をふくらませて見せるさあ 悲劇が始まる 「湾岸戦争を見渡す岬」より 老いぼれの大根役者とは戦争のことです。数行前に『戦争という老いぼれの大根役者』のことばがあります。人民の首を締め付ける『貧困の首輪』とは、爆撃によって街や家を破壊される一般市民の状況でしょうか、あるいは、膨れ上がる軍備費のために福祉を削られ税負担を増やされたり、兵士要員にするためにつくられた格差社会の攻撃する側の国の人々の状況でしょうか。いずれもかもしれません。結局苦しむのは双方の庶民なのです。 湾岸戦争の頃の詩は、今の時代にもそのまま当てはまります。「わが心痛事・平和」の中の『これらの猿ぐつわ 鎖 虐殺は なんのためなのか』 から、私はアブグレイブやグアンダナモを連想しました。同じ詩の犠牲となった者たちへの崇拝と儀式人びとは 犠牲となったものたちの名誉をほめ賛えるについて、大島博光さんは「洋の東西を問わず国民を侵略戦争に駆りたてる軍国主義の一つの仕掛け」と解説しています。 まえがきに『詩は警戒する義務をもつように、ほめ賛える義務をもつ。いかなる時にももっとも歓迎されるべき人類の顔を明らかにすることが重要である』とあるように、この詩は悪戦苦闘して われわれは知る前進後退をくりかえしながら たえず前へと群集と民衆が前進してゆくことをそして万難を排して平和に与えるのを充分な大きさを 生の尊厳をそして人間としての誇りを くすぶる火をと結ばれています。 日本国憲法第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とありますが、平和や自由、権利は、不断の努力をしていないといつの間にか失われてしまうものなのです。騙し取られるようなことがあってはなりませんね。
January 8, 2008
コメント(6)
「狂った裁判官」(井上薫著 幻冬舎新書)を読みました。新書は文字が大きくかさばらないので、電車の中で読むのにちょうどよいです。 日本では刑事裁判では99パーセントが有罪になりますが、どうしてか?著者によれば、まず、検察が有罪になりそうな事件しか起訴しない。無罪になると、検察官の人事評価が減点になるのだそうです。そして、裁判官はというと、自分が無罪にして控訴されて上の裁判所で有罪になると、やはり評価が減点になるようです。裁判官も左遷されたくないし、裁判官の任期は10年で更新されないと退官することになるので、悪い評価はもらいたくない心理が働いてしまうということです。検察は上下一体だけれど、裁判官はひとりで判断しなければならないプレッシャーがある。裁判の前に判決文を書いている人もいるとか。 民事は和解が多いが、それは、裁判で勝っても相手に支払能力がなくてはもらえないので和解してもらえるだけもらうほうがよい、などの理由のほかに、判決起案をすべて書くとなるとかかえている件数をさばけないから、という理由もあるそうです。新しく受けた件数より解決した件数が少ないと「赤字」といって、能力がないように思われ、ネット上にも一覧表がさらされます。 もともと裁判官になるタイプは優等生で変わったことをしない行動パターンの人が多く、判例に頼りすぎるとも著者は批判しています。 人を裁くときには、本当にこれでよいのか、何度も書類を見直し、常に頭から離れない状況になるが、自分から志願したのではない一般人の裁判員にそれができるのだろうか?また、世間が「死刑に!」と騒いでいても、法に照らし合わせて無期懲役がふさわしければ無期懲役の判決を出すのが裁判官なのに、法律を知らない人が「世間の常識」で判断するようになっては、法ができる以前に戻ってしまう。8割がたの人がやりたくないという制度を作ることも民主的ではないし、裁判員制度は始まる前に廃止するべきである。 なるほど、と思ったり、内側からみるとこうなのか、と思うことが書いてある本ですが、新しい証拠が出ても裁判では見てもらえない、アリバイもなかなか認められないなどには踏み込んでいません。著者はあまり人事の評価を気にせず、上司の言うことも自分が正しいと思えば聞かずに再任されなかった人なので、きちんと判断してきたのかもしれませんが。 著者は判決理由にはよけいなことは書くべきではないとして、例に、小泉首相の靖国参拝によって精神的苦痛を受けたとして10万円の慰謝料を要求した裁判をあげ、原告に損傷はなく、損害賠償は認められないのだからそう書けば済むのであり、「違憲であるが」などはいらない、と主張しています。けれども、原告は10万円が欲しくて訴訟を起こしたのでなく、靖国参拝は違憲ではないかと訴えたかったのであり、日本ではこういう形でしか訴えることができないからそうしたのです。コスタリカのように、アメリカのイラク侵攻を支持するのは違憲だと一学生が訴えて裁判で認められ、有志連合のリストからコスタリカの名を削除させた、などということができる制度の国であれば、著者がいうことは筋が通っていると思いますが。 裁判所には国会で作った法や行政の処分が違憲ではないか、審査する権限もあるそうですが、それなら、安倍政権の教育基本法など審査するべきではないでしょうか。
January 3, 2008
コメント(12)
「民際英語でいこう」という本を買いました。表紙のタイトルに「ザメンホフ先生、すみません」のふき出しが書かれています。ザメンホフ先生とは、言わずと知れた、人工語、エスペラント語を創製したかたです。たしか共通語をつくって理解しあえば平和な世界をつくる第一歩になるのではないかと考えたのですよね。 著者は、英語が共通語たりうるか、共通語にするには何を心がけたらいいか、を述べています。それで、ザメンホフに対する尊敬の念は替わらないけれども、「ごめんなさい」となるわけです。 ただアメリカ人のように話せるようになりたい、という「植民地根性」「奴隷根性」ではなく、どういう目的を持っているのか、何を発信したいのかによって、英語を道具として使えるようにするべきであって、それぞれの国の人独特のなまりがあっても、それでいいではないか、と書いています。そしてネイティブの人たちは他の国の人たちの英語を理解しようと歩み寄るべきだとも言います。 私は個人的に、英米人が世界中どこでも英語が通じてあたりまえのような態度なのが気に入らなくて(笑)、英語以外のことばを専攻しました。外国語を学ぶには、どうしてもその国の文化や国民性も付随してきて、それが楽しみでもあるので、実際に日常生活で使っている人のいないラテン語やエスペラント語にはあまり興味が湧きませんでした。20ヶ国語マスターしたかたの話で、新しい言語を学び始めるとき、部屋をその国風に模様替えすると聞いたことがあります。 でも言われてみれば、特定の国の言葉が世界に広がって、考え方や文化も伴ってくるとすると、なにか公平でないことになりそうな気がします。昔からなんとなく感じていたのはそういうことだったのだとわかりました。 まだ最初の方しか読んでいませんが、キング牧師の「私には夢がある」のスピーチや、移民でアナーキストだったために偏見から冤罪で死刑になったヴァンゼッティの最終陳述、一緒に死刑になったサッコが息子に残した言葉など深い感動をよぶ例文が挙げられています。キング牧師の非暴力主義とマルコムXの自衛のためなら暴力は認めるという考えの対比なども興味深いです。American Rhetoric com.でキング牧師のスピーチやチャップリンの「独裁者」の演説などを聞くことができます。「Congratulation!あなたは999,999番目の…」などと出てくるかもしれませんが、クリックしないでください。ウィルスかスパイウェアが入ってしまいます この本の著者は、人権、平和を大切にするヒューマニズムに裏付けられたエスペラント語の可能性を再確認し、勉強を始めたとのこと。ちなみに大杉栄は「一犯一語」といって、逮捕・拘束されるたびに一ヶ国語ずつマスターすることを心がけていたそうで、最初に3ヶ月でエスペラント語をマスターしたのだそうです。知りませんでした。エスペラント語を学ぶ人たちは、戦前の日本では「アカ」と迫害され、ソ連ではスターリンにコスモポリタンと迫害され、中国でも文化大革命のころ迫害されたそうです。 「民際英語」とは、国どうしの「国際」ではなく、市民どうしの交流に使われる英語、の意味です。 「民際英語でいこう」池内尚郎著 解放出版社
November 23, 2007
コメント(9)
「最近、読んだ本を教えて!」というテーマを選択しましたが、読んだ本についてではありません。本好きのかた向きの話題かな、と思ったもので… 池袋ジュンク堂の「佐藤優書店」をのぞいてきました。ジュンク堂では数年前から、読書家著名人のかたが選んだ本を並べてご本人が月1度来店するコーナーがあって、今まで養老猛さん、椎名誠さん、安野光雅さん、萩尾望都さんなどが数ヶ月ずつ受け持ってきました。といっても7階の一番奥なので行ったことがなかったのですが、今開催中の「佐藤優書店」がいよいよ12月1日までというので、行ってみました。 プラトン、アリストテレス、カント、ハーバマス、ボンヘッファー、シュライエルマッハー等々、それに、コーランとイスラムの本、聖書、キリスト教史、仏教の本、近松、源氏物語、泉鏡花、と並んでいました。その幅広さと奥深さにびっくり。「みなさんの手元にいつまでも置いてほしい本ばかりを選びました」とエスカレーターのところに貼ってあるコメントの中にありました。佐藤優書店 さてさて、私らしく急に話が変わりますが、年金問題で安倍さんは安受けあいしましたが、社会保険庁は想像以上にずさんだったようです。「1365万件・旧台帳」の半数は策出不能だった (保坂展人さんのブログ) テロ特措法関連でも、与党のかたたちは自分たちもわかっていない法案をすすめようとしているのか、あるいは国民をごまかそうとしているとしか思えません。バラバラな大臣答弁に紛糾、官房長官見解引き出す――テロ対策特別委員会で質問(辻元清美さんのブログ)
November 21, 2007
コメント(11)
レジナルド・ヒル作「闇の淵」を読みました。ダルジール警視とパスコー警部のシリーズのひとつです。 炭鉱の町で起きた幼女行方不明事件は、遺書を残して自殺した幼女連続殺人犯の仕業とされ、一件落着となっていましたが、少女が行方不明になる前に一緒にいた炭鉱労働者ビリー・ファーを疑う人もいました。同じ炭鉱で働いていた息子のコリンは父が事故で足を悪くし地上で働くようになってから船員になっていましたが、父が廃坑に落ちて亡くなってから、父の死の真相を知りたくて炭鉱に戻ってきていました。パスコーの妻エリーは炭鉱夫を対象にした講座の講師を勤めることになり、斜に構えているところがあるものの美貌で頭のよいコリンに惹かれます。 警察のお偉方が退職して選挙に出ようとし、新聞に回想録を出し、その中で幼女が行方不明になったとき犯人とされた男にアリバイがあり、それに気付かなかったのは警察のミスだと書かれていたため、ビリーに対するあいまいな疑惑が人々の間に再燃し始め、そこに殺人事件が起き… パスコー警部は大学出なのですが、イギリスでは大学を出て警官になる人が少ないのか、警官が嫌われる職業なのか(単に著者のユーモアかも)、人の自分に対する態度に、パスコーは少しわだかまりを感じているようです。おもしろいのは、妻のエリーがフェミニストであり環境保護活動などにも参加したりしているところです。 うろ覚えなのですが、梨木香歩さんの「春になったら苺を摘みに」では、たしか下宿していた家の女主人にさそわれてデモに行き、あとでイギリス人同士で「彼女を誘ってはまずかったのでは?国外退去にされたりするはめになったら大変だから」「そうなったときはまたデモ(署名活動だった?)をすればいいじゃない」というような会話が交わされていました。 日本では一部マスコミ(3K系?)やネットうよが「プロ市民」などという言葉を流し、一般的に「誰かがやってくれる、言ってくれる」と思っているように感じますし、いまだ「お上におまかせすれば間違いない」と思っているのんきなかたもいるようです。会報を送ってもらうくらいで何もしていないのですが、一応会員になっている食の安全に関するある会からの封筒を見て、家人が「こういう人たちにもっと頑張ってもらわなきゃ」と言ったのですが、「こういう人たち」って誰なのでしょう?専門家でないとわからないことも多いですが、専門家だって御用学者なら予算も出るし、政府の研究会のようなものに出るだけでお車代をたくさんもらえるでしょうけれど、時に大企業や政治家・官僚に都合が悪い結果が出ても公正にものを言おうとする人たちはそういうわけにいきません。私が見た範囲では、功名心からやっている人などいなくて、知った人が手をあげなくては、という気持ちから発言している人たちです。私達みんなが関心を持ち、情報を広げたり意思表示したりしないと、目先の利益目的で何かが決められてしまいかねません。 「ビッグイシュー」の雨宮処凛さんのエッセー「世界に当事者になる」シリーズが面白いです。79号「高遠さんと会う」では、高遠さんほどでないにしろ、雨宮処凛さんもイラクに行こうとしたときバッシングされ、「金と時間に余裕のある特権階級だけしかイラクになんかいけない」などとバッシングしたのは、ある意味、その通りお金に余裕がなかったり、仕事に忙殺されていた人たちで、高遠さんたちへのパッシングの背景にもそういう人たちが見えた、と書いています。一部引用させていただくと、『もっともいびつだと思うのは、反戦運動などにかかわる人たちが「特殊」な人だと思われてしまうところだ。「活動家」と「一般の人」という分け方。そんなのって絶対に変で、なぜ、この国では、大人になった途端に不自由な「職業人」としか生きられないのだろう…』 少し前のアムネスティのニュースレターで姜尚中さんが「差別されている人に話を聞かせてもらう」といったとき、聞き手は被差別者との間に線引きをしている、というようなことをおっしゃっていたことも思い出しました。 この国では総理を含め大臣までが人ごとのような発言をしています。ずいぶんと話がそれてしまいました。家の中が片付かない理由を推理されてしまいそう…
November 20, 2007
コメント(4)
「アメリカ弱者革命」を読みました。タイトルの前に「報道が教えてくれない」とあり、「なぜあの国にまだ希望があるのか」の副題がついています。ということは、裏を返せばかなり絶望したくなる現状があるということですね。 巻頭のマイク・ウォーレン弁護士の話によると、・飢えているアメリカ人 3100万人・医療保険に入っていない人 4500万人・大学授業料をカード払いにしている人の借金の平均4000ドル・大学の学資目当てに軍に入隊する人のうち、本当に大学に行かれるのは35パーセント、卒業できるのは15パーセント イラク戦争に使った費用は2005年11月の時点で2500億ドル。これだけあれば7428人を4年生大学にやれるが、かわりに軍に入隊すれば費用を出してやるとリクルートしているそうです。生き延びて帰ってきてもPTSD で社会復帰できずにホームレスになる人もいます。アメリカでは大学を出ないとよい職につけないので、なんとかして大学に行きたいと考えるのだそうです。 入隊すれば生活は保障されるけれど、将校になれるのは学歴のある裕福な家の出身者。帰ってきても退役軍人をケアする予算は削られているので医療を思うように受けられなかったり、ホームレスになっても優先される対象になっていないので、現実を知らない人たちが「兵士を支援しよう」などという黄色いリボンを飾っているのと裏腹に、悲惨な境遇に陥っています。 帰還兵イヴァン・メディナさんの話。「4月9日にバグダッドが陥落し、これで帰れると思った。イラク人も歓迎してくれた。いいことをしたんだと感動した。5月1日、ブッシュ大統領の終結宣言があったが、帰してもらえず、地獄が始まった。大量破壊兵器やそれに携わっているはずのフセイン側の人物や武装勢力を捜すために銃を持って民家を捜索してまわった。あるビルを捜索しているとき、5,6人のイラク人がはいってきて、アラビア語でわめき始めた。上官は『銃をとれ』と叫んで何がなんだかわからなくなった。マシンガンが発砲される音がした。僕達はビルを出るように言われて出たところでミサイルが撃ち込まれて気がついたらそこらじゅう血の海だった。破壊されたビルの周りには、中にいたイラク人の家族たちの手足が散らばってて、さっき僕が目を合わせて微笑んだ小さな女の子の体の一部を見たとき、僕は…」彼は自分の魂の一部が壊れてしまった日を忘れないために写真を撮ったそうです。後に「イラク帰還兵反戦の会」を立ち上げました。 筆者は取材中に電子投票に反対してハンスト中の人に出会います。その人は、アメリカではマスコミがコントロールされてしまっているので、海外のメディアが頼りだといい、筆者が日本に帰ると、なんと、彼から航空券が届いていました。フォックステレビと教会の言うことがすべて、という人たちの住む地域をまわって絶望的な気分になりながらも、彼は言いました。「ガンジーの偉大なところは、食べないことより問いかけをやめなかったことだろう」。 184人に1台あるはずの投票機が貧困地区では1000人に1台しかなかった。治安の悪いところで何時間も待たされ、危険なのであきらめて帰った、8時間待ってはいっていったら、機械の調子が悪いと帰された、ケリーのボタンを押しても「ブッシュでよいですね」の確認画面が出た、交通違反切符を切られたことがあったら犯罪歴があるから投票権がないと言われた、など、選挙が公正に行われなかったことをうかがわせています。対ゴアの時もブッシュは本当は勝利していなかったのではないかとマイケル・ムーアも書いていましたね。紙の記録が残すようにしていないことにも問題がおおありです。 もうひとつ気になるのは、JROTC (Junior Reserve Office Training Corp)です。貧困層を対象にしていて、登録した生徒に週3,4時間軍服の教官が指導して、指導力、教育、実務を身に着けさせるといっていますが、実際には絶対服従を教えています。厳しい訓練と体罰、繰り返し人前で与えられる屈辱感によって自尊心を壊して思い通り動かしやすくする入隊後の訓練キャンプに似ているとのことです。高校には銃持込禁止であるにもかかわらず、治外法権的に銃の訓練をし、国境近くの学校では空気銃を撃ってメキシコからの不法移民を実際に掴まえる訓練をするなど、「いいことをしているのだ」という達成感を持たせようとするところもあるそうです。 マイノリティーの生徒は半強制的にJROTCに体育を教わっており、教官は体育そっちのけで軍のよいところを延々と話すので、JROTCを受けた生徒の40パーセントが入隊するそうです。 これを読んで連想したのが、保坂展人さんが書いていらした中学に武道を取り入れることに触れた記事です。なぜ中学で「武道」「ダンス」の必修なのか 日本人にとっても示唆に富むこの本をぜひお読みになってみてください。「報道が教えてくれない― アメリカ弱者革命」堤未果著海鳴社
November 17, 2007
コメント(12)
宝塚歌劇団・轟悠さん(今東京の日本青年館で公演中)の演じるキーンを見て、サルトルの原作との違いに興味が湧いてサルトルの原作(翻訳ですが)を読んでみました。日生劇場での公演の『キーン』は通常の宝塚の枠を超えているように思いましたので、どの程度変えてあるのか比べてみたかったのです。読んでみますと、台詞なども含めかなり原作に忠実でした。ただ、原作では、皇太子を侮辱したキーンは、皇太子が父に嘆願して禁固刑の替わりに1年間国外追放になり、ファンで女優志願の裕福なチーズ商人の娘と一緒にアメリカに向かうのですが、宝塚版では、皇太子が舞台上で謝罪すれば許すと言い、キーンが舞台上であれこれ台詞を言ううちに、舞台こそが自分を創っているのだと気付く、と、轟さんの舞台に対する決意と重なるように書き換えられています。 この作品は、最初アレクサンドル・デュマがキーンをモデルにした戯曲(「キーンもしくは天才と狂気」1836年パリ・ヴェリエテ座初演)を書き、のちに、サルトルがお気に入りの俳優ブラッスールのために、登場人物が多く現代人から見るとごたごたしていたアレクサンドル・デュマ作品をキーンひとりにスポットライトをあてて現代化したものだそうです。翻訳者はキーン俳優さえ見つかれば日本でも上演が可能ではないか、とあとがきに書いています。そのキーンを演じた轟さん、実に鬼気迫る演技でした。近日中に行くコンサートも楽しみです。「天才と狂気 ―キーン―」サルトル著鈴木力衛訳人文書院 エドモンド・キーンは実在の人物で、シェークスピア俳優として人気を博した人です。あとがきに寄ると、1787年ロンドン生まれ。父アーロンは芝居の道具方。母は旅回りの役者母方の祖父ヘンリィ・ケァリィはイギリス国歌の作曲家。4歳でオペラ・ハウスのキューピッド役で初舞台。10歳でキャビンボーイとして船に乗り込んだが長続きせず、パントマイムをやっていた叔父の手引きで演劇の世界にはいり、宮廷に出入りするようになり、貴族のパトロンがつきました。イートンカレッジに入学。1807年主演女優チェンバーズ嬢と結婚。その数年後スランプに陥り発狂の危機に追い込まれるも、1814年チェンバーズ劇場破産の危機にシャイロック役で観客を熱狂させ、その後次々卓越した演技を見せました。 妖精のような甘い声(どんな声でしょうね?!)で観客のみならず共演者をもうっとりさせたそうです。十数年してマンネリズムに陥り、生活がすさみ、妻と離別、言動は狂気じみ、1833年オセロー上演中にイヤゴウに扮した息子の腕の中に倒れて約50日後に息を引き取ったということです。
November 4, 2007
コメント(3)
久しぶりのミステリーです。モーラ・ジョス作「夢の破片(かけら)」ハヤカワポケットミステリ 猪俣美江子訳 シルバータガー賞受賞作品です。 ジーンは父を早く亡くし、大学進学をあきらめて秘書学校を卒業、働きながら意地の悪い継母の介護に若いときを過ごしました。自宅の火災で義母が亡くなってからは、留守番を派遣する会社に登録し、転々と住み込みで留守番をして暮らしてきましたが、会社からはもう年だから今回の仕事で最後と言われていました。依頼者からはキッチンと与えられた部屋以外ははいってはいけないと言われていましたが、偶然鍵束を見つけて部屋を見て歩きます。その屋敷も置物もジーンには自分のもののようにしっくりときて居心地がよいのです。しばし女主人のような気分になっているところへ、妊娠して恋人に捨てられたステフと、車の保険も払えず盗品を売るようになったマイクルが偶然やってきます。恵まれない生い立ちと誰にも必要とされていないという共通点を持つ3人は家族として暮らし始め、初めて幸せを感じます。お互いを大切に思い、この幸せを失わないためならなんでもしたい… 犯人探しのミステリーではありません。冒頭のジーンの手記を読んでも読者にはどういうことなのか謎なのですが、読み進むにつれ、どうなっていくのかと引き込まれます。どう考えてもずっと続くとは思えない団欒… 話かわって、今日のおすすめブログは言の葉工房さんの「裁判員制度の実態」です。日本国籍を有し、衆議院の選挙権を持っている人、義務教育を受けている人、禁固刑以上の刑に処せられたことがない人なら誰でもいつ選ばれるかわかりません。「候補者は出頭を求められ、思想や行状を調べられ、裁判員に相応しいかどうか審査する。その結果、相応しい人を裁判員にし、さらに予備裁判員を決める」のだそうです。 仕事の都合なども考慮されず呼び出され、思想調査されるなんておかしくないですか?その上、答えることを拒否することは許されず、虚偽を言った場合や、あとで表決の議論や裁判員が誰だったかなどの内容をもらした場合は罰金や禁固刑の罰則があります。かえって民主的ではないように思えます。他にもいろいろぜひ読んでいただきたいことが書いてあります。
September 23, 2007
コメント(4)
暗殺されたロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんの著書「プーチニズム」を読みました。ロシアのメディアでは都合のよい情報しか流されないため、なかなか実像が伝わらないプーチン政権。学校占拠事件ではクレムリンの許可が出ないので誰も交渉に行こうとせず、銃撃戦になって多数の犠牲者が出てしまった。唯一中にはいって乳飲み子と幼児を連れ出した人は、テロリストの仲間と非難された。その前に起きた劇場占拠事件では、ガスが使われたため、死ななくてよい人たちが多数死んだ。表向きは民主主義ということになっているが、ソ連時代の官僚制が復活しつつあり、賄賂が横行し、警察や検察すら例外ではない。裁判官も正義感を持ってきちんと裁判をしようとする人たちは追い出されてしまった。軍隊も腐敗し、上官は部下に何をしても責任を問われず、両親が送ってきた仕送りを奪ったり暴力をふるったりしている。兵士は個人として認められず、ただの権力者のきまぐれの道具として扱われ、人間の尊厳などない。 ポリトコフスカヤさんの友人でも、時流に乗れた人は成功していますが、賄賂が欠かせないといい、もともとは優秀だったのに時流に乗れずアルコール依存症になってついには殺人事件まで起こしてしまった人もいるそうです。 孤児院から軍隊に入った人は、軍は家族で住む場所も提供してくれない、殺すのは得意だけれど、他の技術はないから軍を辞めたら殺し屋になるしかない、と言います。息子が大きくなったので条件のよい官舎に入りたいと希望を言ったところ冷遇されるようになり、軍を辞めて行方をくらませてしまったその人をポリトフスカヤさんは心配しています。 マフィアあがりの「実業家」が何度も殺人、詐欺をやっていても、警察幹部と親しくしているので逮捕されてもすぐ釈放されてしまい、KGBをひきついだ組織を使って株主総会に人が来るのを妨害して会社を乗っ取ったり、やりたい放題しています。 一方地方では、ウラジオストックでアパートのパイプが老朽化したのに予算がないといって修理してもらえなかったため、暖房が効かなくなり、老人が室内で凍え死にましたが、忘れ去られています。カムチャッカでは原子力潜水艦の艦長が飢え死に寸前ですが、大儀を信じて頑張っています。でも、そういう人は報われません。 ロシアに住むチェチェン人は麻薬をポケットに入れられたり、手榴弾を持たされて刑務所に送られる危険にさらされています。チェチェン少女を強姦し殺害したロシア軍大佐は海外から圧力がかかってやっと断罪されそうでしたが、精神障害ということになってしまいました。 ロシアほどひどくないとはいえ、自白強要、機能しない司法、権力者に都合のよい情報ばかり流すマスコミは人ごとといっていられるでしょうか。 9月22日に文京区民センターに於いてポリトコフスカヤ追悼集会があります。アンナ・ポリトコフスカヤ追悼集会―ロシアの闇とチェチェンの平和を考える―アンナ・ポリトコフスカヤ情報
September 16, 2007
コメント(8)
昨日重いテーマでしたので、今日はなごみ系のコミックです。はまっていたというかたから借りてはまりました。シリーズが数冊出ていますが、読んだのは「にんまりの巻」。さっそく「縁側の巻」を買ってきて読んでいるところです。 悠々自適の一人暮らしのおばあちゃんと飼い猫の、時々思惑がすれちがうけれど愛情たっぷりな毎日です。昔懐かしい日本家屋でおばあちゃんがせっせと廊下に雑巾がけをするのですけれど、さっそく猫が泥足で外から帰ってきたり。猫を飼った経験がないと描けない猫のげんきんさ、でもそこもかわいいという人間。思わずひとりで笑ってしまって怪しまれないようにご用心。
September 5, 2007
コメント(4)
大田洋子著「屍の街」(講談社文藝文庫)を詠みました。著者は広島に疎開していて被曝しました。 序の「著者から読者へ」には、「私は『屍の町』を書くことを急いだ。人々のあとから私も死ななければならないとすれば、書くこともいそがなくてはならなかった」とあります。「屍の街」の出だしは、被曝後近郊の田舎に暮らす著者のまわりで、被曝直後生き残って元気にしていた人たちが次々死に、著者もいつ同じ症状が出るのではないかと、1日に幾度も髪をひっぱって抜け毛の数を数えたり、手足の皮膚に斑点があらわれないか調べるという、死の恐怖にさらされる日々にあることから始まっています。 「私」は原爆投下のとき、まだ2階の蚊帳の中でぐっすり眠っていましたが、大地を震わせるような恐ろしい音が鳴り響き、屋根がはげしい勢いで落ちかかり、気がつくと、窓ガラスも壁もふすまも屋根もなにもかも崩れ飛んで骨ばかりになった2階で壁土の煙の中にいました。やっとのことで降りて、無傷だった母とお岩さんのような顔になっている妹と避難します。 街の惨状については、「はだしのゲン」の中沢啓治さんもとても直視して描けないというところまでしっかり見据えています。「私」と妹はけがをしていたので手当てをしてもらおうと病院に向かいますが、街筋でも通りでもない芥屑やがらくたでふさがり、あちこちに死体がころがる道で、こんな会話をしています。「お姉さんはよくごらんになれるわね。私は立ち止まって死骸を見たりはできませんわ。」妹はとがめる様子であった。私は答えた。「人間の眼と作家の眼とふたつの眼で見ているの。」「書けますか、こんなこと。」「いつかは書かなくてはならないね。これを見た作家の責任だもの。」 巻末の「作家案内」によると、大田洋子は母の離婚、再婚により複雑な家庭環境に育ち、江刺昭子の評伝では「傲慢で、不遜で、けちで、偏狭で、我が儘で、陰惨で、残忍で、あまりに自己中心的で他への思いやりのない態度」とさんざんな書かれようです。「女人芸術」で作家として活躍するようになりますが、「女人芸術」が廃刊になってからはいばらく鳴かず飛ばずになっていました。1938年中央公論社「知識階級総動員懸賞」に変名で応募した「海女」が第一席をとります。翌年朝日新聞社「創立五十周年記念懸賞小説」に長編「桜の国」が第一席に入選、当時大金であった賞金1万円を獲得しました。この「桜の国」以来大田は15年戦争の時流に乗ったといえ、開戦の知らせについては「涙を流し、目覚めるような想いがし、新鮮な焔をかんじた」と書いているそうです。 けれども、「屍の街」には、次のような文章もあります。「戦争中、私どもは自分の言葉を欺いていなくてはならなかった。云いたいことが云えぬと嘆くけれど、云いたくないことやしたくないことを、云ったりしたりしなくてはならなかった。それは非常に苦しいことであった。」 気を許せる友とは、日本が負けることはわかているけれど、どのように負けるか、などと話し合うエピソードが書かれています。広島がほとんど空襲に遭わないことで、広島の人々がアメリカが別荘地にするつもりなのではないかとか、広島からの移民がアメリカのためによく働いているからお義理だろうか、などと噂しあっていたというのも興味深いです。 次のような文章もあります。「… 軍国主義者たちが、捨て鉢な悪あがきをしなかったならば、戦争はほんとうに終わっていたのだ。原子爆弾は、それが広島であってもどこであっても、つまりは終わっていた戦争のあとの、醜い余韻であったとしか思えない。戦争は硫黄島から沖縄へくる並のうえですでに終わっていた。だから私の心には倒錯があるのだ。原子爆弾を我々の頭上に落としたのは、アメリカであると同時に、日本の軍閥政治そのものによって落とされたのだという風にである。」 大田洋子は「原爆を喰いものにしている」「原爆ものはもうたくさん」といった文壇、ジャーナリズムの風潮に抗して書き続けました。 「屍の街」より。「原子爆弾を征服するものも世界の誰かが考えるだろう。原子爆弾を負かすものが出来ても、戦争は出来るにちがいないけれども、それはもう戦争ではない。いっさいを無に帰す破壊である。破壊されなくては進歩のない人類の悲劇のうえに、いまはすでに革命のときが来ている。破壊されなくても進歩するよりほか平和への道はないと思える。今度の敗北こそは、日本をほんとうの平和にするためのものであってほしい。私がさまざまな苦悩のうちにこの一冊を書く意味はそれなのだ。」 この文庫本には原爆で受けた心の傷により、神経症となって精神科に入院する体験をもとにした「半人間」も収録されています。
September 4, 2007
コメント(7)
山本譲司著「累犯障害者 獄の中の不条理」新潮社 を読みました。 著者は民主党議員でしたが、2001年、秘書給与詐取の罪により、実刑判決を受け、栃木県黒羽刑務所に入所します。待っていたのは、「塀の中の掃き溜め」と呼ばれていた「寮内工場」での懲役作業でした。そこには精神障害者、知的障害者、認知症老人、視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由者がいました。役目は刑務官の仕事をサポートする指導補助でしたが、失禁する人が多くて下の世話に走り回ったそうです。そこでは、議員時代に自分なりに一生懸命取り組んでいた福祉政策が皮相なものに思えたとのことです。 (私はラジオで山本譲司さんのお話を聞いて、知的障害者も刑務所にいることを初めて知りました。心神耗弱というのとは違う扱いなのですね。) この本には、自分が刑務所にいるのがわかっていない人も登場します。「そんないうことを聞かないでいると刑務所に入れられるぞ」「刑務所は勘弁してください。この施設に置いてください」(ちょっとことばは違いましたがこんなふうな会話)などと言っている人たち。刑務所が一番落ち着く、という人。人の言うことをおうむがえしにするので、やっていないことでもやったと言ってしまう人たち。出所しても受け皿がないため、また詐欺(無銭飲食)をして刑務所に戻る人たち。廃品回収をしていて、置いてあるものと捨ててあるものの区別がわからず持って行って窃盗で捕まる人。 著者は出所後、障害者福祉施設に支援スタッフとして通うかたわら、「触法障害者」の周辺を訪ね歩いています。服役中に会った人たちのその後を追及したところ、自殺した人、変死した人、刑務所に戻った人、ヤクザ組織にはいった人、路上生活者となった人、精神病院に入院している人などがいました。ヤクザ組織に入った人は、務所上がりもたくさんいるし、アニキも優しくしてくれるし、毎日がとても楽しいと語ったそうです。 刑を終えた人たちを社会復帰させる更生保護施設は五体満足ですぐ就職できるような人しか受け入れず、障害者の施設は、日常生活に介助が必要な人には給付金がでるけれど、実際はもっとケアが必要な刃物やマッチを手にするような軽度で罪を犯す恐れがある人たちは受け入れるメリットがないので受け入れない。知的障害者が犯罪を犯しやすい人たちだなどと誤解を招くことは避けないといけないけれど、マスコミはタブーにしてしまって問題を伝えていない。 山本さんのお話とこの本を読むまで、以前読んだ「もの乞う仏陀」の世界は日本とは遠い第三世界の話と思っていましたが、そこまで行かないまでも、日本にも障害者を喰いものにする人たちがいたり、ろうあ者だけの暴力団があったり(もちろんごくごく一部の人)、日の当たらない一般の目には見えない陰の部分が存在するのですね。 ろうあ者は耳が聞こえないけれど読み書きは私達と同じと思い込んでいましたが、実際にはろう学校では口話、読唇術の訓練中心で学力を伸ばすところまでなかなか行かないのだそうです。読唇術には限界があるので、ろうあ者にはコミュニケーションに悩み疎外感を感じている人が多いようですし、結婚も大部分がろうあ者どうしなのだそうです。手話も健常者との手話とろうあ者どうしの手話は違うのだそうです。ろうあ者と筆談すると助詞ぬきで書くそうで、ことばも独特なようで、手話もそれを反映しているので、健常者が習う手話では必ずしも通じないとか。 ろうあ者が容疑者になった場合、手話通訳がどこまで通じているのかも疑問、中には筆談もできず手話もできないので取調べが不可能な人もいるそうです。 もし日本のセイフティーネットがもっとしっかりしていて福祉がアクセスしていたら、起きなかった犯罪もあるのではないか、と山本さんは考えています。被害者になる障害者のほうが加害者になる人よりずっと多いのだからそちらを先に考えるべきではないか?という意見もあるけれど、触法障害者について訴え続けるのは、彼らに視点をあてた方がわが国の福祉の実態に近づくことができ、日本社会の陰の部分も見えてくるからだ、と山本さんは書いています。 どのエピソードもせつないですが、買春していた知的障害者の女性のことばがなんともいえません。「あたしみたいなバカでも人間なのよ」と言うので、更正させる運動をしている人が「人間なんだから買春なんかやっちゃいけない」と言うと「そうよ人間よ。でもね、あたしたちみたいな障害者はね、好きな人ができて本気でつきあってもすぐにバカがばれて捨てられちゃうの。どうせ先生だって山本さんだって、あたしのこと、女として見てくれていないでしょ。でもあたしを抱いてくれた男の人はみんなやさしかった」 新潮社らしくない本、と思ったのは偏見かしら?
August 4, 2007
コメント(5)
読もうと思いながら、なかなか手に取れなかった本です。片手間で読んではいけないような気がして。それを言うなら、著者が渾身の力を込めて書いた本はみなそのはずですが、なんといってもこの本は、弟を保険金殺人で失うという体験を書いたものですから、特に軽々しく読み流せない気がしたのです。「弟を殺した彼と、僕」原田正治著ポプラ社 死刑制度を考えるイベントでお話なさった著者の原田正治さんはとても謙虚でおだやかな雰囲気のかたでした。でも、この本の最初の方には、私ほど人を憎んだことがある人がいるだろうか?とあります。裁判所でも加害者を殴ってやりたかったけれど、できないので睨み付けていた、と。 原田さんの弟、昭男さんは最初会社のトラックを運転中に川に転落して事故死したと思われていたのですが、その後保険金目当てに雇い主らに殺害されたと判明しました。犯行がばれるまで、なんと加害者は親切気に原田さんとお母さんを現場に連れて行ったりし、会社のトラックをだめにしてしまったという引け目を感じていた原田さんに借金を申し出たりしていました。 殺人事件だとわかってからは、マスコミの攻勢に外出もろくにできなくなったり、保険会社から保険金を返せと言われて、すでに葬儀費用などにして使っていたため、借金して返すはめになったり、公判に行くために会社を休んで嫌味を言われたり… ストレスでキャバレー通いをしてしまい、妻に「長谷川(加害者)と同じ」と言われたこともあるそうです。その頃の心境を、崖の下に弟が死んで横たわり、家族もそばにいる。世間の人たちは崖の上から見おろしていて加害者を同じところに突き落としてやる、というけれど、誰も被害者を引っ張り上げようと手をさしのべてくれない、と表現しています。 長谷川君(原田さんは憎いから呼びつけにすることはない、と君付けで呼びます)からは、何通も手紙が来ていました。最初は封を切らずに捨てていましたが、ある日なにげなく開けてみると謝罪の言葉があったそうです。長谷川君はクリスチャンになっていました。原田さんはつらい状況の中でなぜ弟でなければいけなかったのか?という思いに駆られていたため、それを聞くべく面会に行きます。ところが、実際に会って、「これでいつでも喜んで死ねます」と喜ばれると、思わず「そんなこと言うなよぉ」ということばが口をついて出て、聞こうと思ったことを聞けませんでした。 裁判所で「極刑を望む」と言った原田さんですが、次第に生きて謝罪のことばを言い続けてもらいたい、赦せはしないが会うことで手紙ではわからないことを感じ取ることができる、どうして弟だったのか?という問いを会って発したい、死刑はそれを断ち切ってしまうから、死刑にしないでほしい、と思うようになります。また、死刑が確定すると面会も手紙のやりとりも肉親としかできなくなってしまう制度も釈然としないものがあります。法律で決まっているというより、所長の裁量だとか。 誘われて教会にいたとき、ふと、自分に赦す権利があるのか?と思ったそうです。生きる死ぬるは人間が判断することではないのではないか、と。 「『赦せ』と言う人も、『憎んで死刑賛成しろ』と言う人も嫌いです。なぜなら、言うことは反対のようでいて、僕の心を無視し縛りつけようとする点は同じだからです」 犯罪の被害者家族になってしまった苦しみと心の揺れ、心境の変化の過程が率直にありのままに語られている、貴重な本です。原田さんも書かれているとおり、被害者がみな同じ気持ちになるわけではないでしょう。原田さんは、「被害者家族に同情するので、死刑に賛成する」と言ってもらうよりも、被害者遺族の肉声に耳を傾け受け止める時間をとってほしい、と書いています。原田 正治さん 「弟を殺した彼と、僕」
August 2, 2007
コメント(18)
「お気に入りの」1冊というのはうそです。ごめんなさい。読んでもいません。それなのに、なぜ書くのかというと、豊崎由美さん(その日は黒・豊崎由美さんだそうです)の批評をラジオで聞いて面白かったので。 そもそもこの「鈍感力」という本を恥ずかしく思わず買うことができ、カバーをかけずに電車の中で読める人は、十分鈍感力が身についているので読む必要はないとのこと。 ページの裏と表とで正反対のことを言っていたり、矛盾がたくさんある。医師なのに、聴覚がよすぎると幻聴が始まるなどと、医学的根拠のないことを言っている。本人は人の気持ちなど考えず言いたいことを言い、やりたいようにやって、ストレスがたまらないだろうけど、周囲の人はストレスで病気になるかも知れない、etc…渡辺氏は、ブログに新幹線に乗ったときのこと、自由席がいっぱいだったので指定席に座っていたら注意されたのでグリーン車に移ったらまた注意された、最近の車掌は頭が固いなどと書いてコメント欄が炎上したとか。こんな本を読んでまねしようなどという人が現れては大変というのが豊崎さんとキャスターの意見でした。 私は最近、水道代何百万なんて平気で言ったり、産む機械なんて発言したり、リハビリ一律に日数で打ち切ったり、ただでさえ鈍感すぎる人が多いと思っていたので読む気にならなかったのですが、この放送を聞いてちょっと読んでみたくなりました。この本がただの迷惑爺の妄言集ではないのか確かめたくなったもので。
April 28, 2007
コメント(8)
誰でも題名と作者名は知っている小林多喜二の「蟹工船」ですが、読んだことがありませんでした。レアリズムはあまり趣味ではなかったもので… KUMAさんのところでマンガがあると少し前に知り、読んでみました。30分で読める… 大学生のための マンガ 「蟹工船」 原作小林多喜二 作画 藤生ゴオ企画・白樺文学館多喜二ライブラリー 発売・東銀座出版社 定価600円井上ひさしさんの「本書を推薦します」という帯がかかっています。 文学史でこういう作品があると習ったときは、劣悪な労働条件を告発した作品だと思っていたのですが、読んでみると(マンガですが)、もっと奥が深いのですね。なにしろ原作を読んでいないので、どの程度忠実かわかりませんが、これだけを読んでもよくまとまっています。原作と違うのは、多喜二の死から始まるところと、母のことばで結ばれているところだと思います。この母については、三浦綾子さんの「母」を読もうと思って買ってあるのですが、いわゆる「つん読」になっていて申し訳ないことです。 この作品は、単に昔は労働条件がひどかったとかいう話ではなく、領土や領海を拡張しようとする帝国主義という時代背景、むき出しの資本主義の本質を描いています。実際にあった事件や調査をもとに「集団を書くことを主眼とした」そうです。 蟹工船の場合は工場とも航船とも違うので、どちらの法を適用されることもなく、働く人たちの命は船に付属する川崎船より軽く扱われ虐待されたのでした。時化でも川崎船を出させられ、戻ってこなかったものもいました。監督は成績ばかりを気にして他の船から沈没しそうだとSOSを受けても無視して救助もせず、危険な領海侵犯までします。船員と漁夫は最初互いに競わされていましたが、手を組んで立ち上がったとき、力を持つようになります。そこに護衛の軍艦がやってきて、皆一瞬喜びますが、漁夫や船員に味方するためでなく、ストを指導した人たちを拘束するためでした。 権力をかさにきた監督も、あっけなくクビになります。権力におもねたり、自分が権力を持っているような錯覚をしても、結局はその程度の存在なのですね。 だいぶとっつきやすくなったところで、ぜひ原作を読んでみたいと思います。いつになるかわかりませんが… 小林多喜二はご存知のように警察の拷問により殺されましたが、警察は死因は心臓マヒだとしました。つまり、その時代でも、警察が拷問することは許されなかったし、国民には知られたくなかったのです。戦前だって今とすごく違う時代というほど違っていなかったのではないでしょうか。長崎市長だって、この時期にそんなつまらない動機で殺されるなんてとても信じきれません。
April 18, 2007
コメント(8)
「六ヶ所村ラプソディー」を見に行ったときに映画館で買った「内部被爆の脅威―原爆から劣化ウランまで」(ちくま新書)を読みました。「六ヶ所村ラプソディー」を監督した鎌仲ひとみさんと、自ら被爆者でいらっしゃる肥田舜太郎医師の共著です。第1章 世界に拡がる被爆の脅威 鎌仲ひとみ第2章 爆心地からもう一度考える 肥田舜太郎第3章 内部被曝のメカニズム 肥田舜太郎第4章 被ばくは私たちに何をもたらすか 鎌中ひとみ第5章 被ばく体験を受け継ぐ 対談 鎌仲さんは六ヶ所村ラプソディーの前に「ヒバクシャ―世界の終わりに」を制作しています。ヒバクシャというと、広島・長崎のことが頭に浮かびますが、現在チェルノブイリのような事故、核実験、劣化ウラン弾などにより被曝した人たちが世界中にいるのですね。長いこと被爆者を治療してきた肥田医師は、イラクで子どもたちに起きている症状は被曝だと言います。 肥田さんは若き医師として往診していた先で原爆にあいました。そのときの様子の描写は体験した人のことば故の迫力があります。その後治療にあたったけれども、そのうちに直接ピカにあっていないのに急変して亡くなる人が出てきました。占領軍は原爆被害についていっさい語ることを禁じ、医師はカルテに書かないように言われたそうです。一方でアメリカは被爆者を集めて血液検査などしましたが、治療はいっさいせず、亡くなると解剖して臓器は本国に送っていました。遺族には最初藁をつめた遺体が返されましたが、そのうち親指しか帰ってこなかったという人もいたそうです。 長いこと、放射線を体内に取り込んだ「内部被ばく」は過小評価されてきました。メカニズムの違う外部被ばくと内部被ばくが同等に扱われてきました。また、WHOよりIAEA(国政原子力機関)の力が強いことや、外界の利害関係により異なるデータが採用されたり報告書が数値を低く改訂させられたりしました。国際放射線防護委員会(ICRP)と欧州放射線リスク委員会(ECRR)の出す数字もまったく違っています。ECRRの基準なら、原発の労働者は100倍の人員が必要になるのだそうです。内部被曝の被害者には「科学的根拠がない」と補償もされてきませんでした。 体内にとりこまれた放射性物質はどこかに付着してずっと放射線を出し続けます。ヨウ素は甲状腺に、ストロンチウムは骨に、と決まった臓器に集中して蓄積します。生殖や造血組織、胎児は細胞分裂が速いので被曝した細胞の傷の修復が追いつかないのではないかともいわれています。「微量な放射線なら大丈夫」というのは神話なのだそうです。自然界にも放射能はある、といいますが、自然界の放射能には人間は2万年の進化の歴史の中で適応してきましたが、人工的な放射性物質は未知のものであり、自然界のミネラルや金属に似ているので体内にとりこんでしまうということです。生体内では0.25~709電子ボルトという小さな単位のエネルギーのやりとりがされていますが、ウラン235のアルファ線分子1個の粒子は420万電子ボルトのエネルギーをもって代謝に割り込んできます。周囲の細胞を傷つけると同時に水分子からフリーラジカルを生じさせるので、傷つけられたDNAを修復しようとしても妨害され、放射線を浴び続けることで突然変異は癌へと進展します。遺伝子が傷つくということは何代も後の世代にも影響があるということでもあります。 原子炉から100マイル以内で乳癌死者数が増加しているという統計があります(J.M.グールドによる)。肥田医師が日本ではどうだろうかと調べようとしたところ、全国が100マイル以内にすっぽりはいってしまうので比較できませんでした。 アメリカのマンハッタン計画ではプルトニウムを経口や注射で与える実験が行われていたので、最初から内部被曝を想定していたと思われます。 1989年アメリカはハンフォードに関する機密文書を公開しました。それにより9基の原子炉から無意識的ないしは意図的に日々の操業の中で放射性物質を放出していたことが明らかになりました。それだけでなく1954年には気候観測気球でヨウ素がばらまかれていたのです。1950年代、風下の砂漠は政府により開拓され、第2次世界大戦と朝鮮戦争の兵士に格安ローンで分譲されていました。甲状腺障害、癌、流産、障害児が多発しました。現在この地区ではあらゆる作物が栽培され、もっぱら輸出されていますが、買うのはファーストフード業者と日本の商社ということです。 内部被曝の脅威についてわかってきた今、これからどういうエネルギーを使い、どういう暮らしをすればいいのか、と鎌仲さんは問いかけます。 第5条の対談では、今まで人は功利主義の考え方により、原発による放射能汚染には目をつぶってきたが、核エネルギーを使用すれば全人類が影響を逃れられない。核兵器被害は一部の地域だけではなく、無限の広がりを持ち、子々孫々まで及ぶ。空中に舞い上がった放射性物質は半永久的に消滅せず、いずれ全世界をまわる。核兵器は使用しなくても作ろうとしたときから被曝が始まる(ウラン採掘など)。「放射能が被ばく者をつくる」という単純なことを知ることが一番難しい。まだまだ実感としてわかっていない人が多い。などが語られています。 被爆者である肥田医師の、自分のためになるわけではないが、語っていかなくては、という意思に感じ入りました。まだまだ原爆の悲惨についても、知らされていない人たちが多いと思います。スミソニアン博物館での展示が止められたように。やはり日本人は率先して世界に核廃絶を呼びかけていくべきだと思いました。 ぜひじっくり読んでいただきますようお勧めしたい本です。4月4日 間違いを訂正しました。IATA→IAEA
April 3, 2007
コメント(6)
「カントリーハウスのお茶とケーキ派」や「ハウスもの」好き向きの英国ミステリーです。1931年に刊行されました。すでに推理作家として成功していたフィリップ・マクドナルドがマーティン・ポアロック名義で出版した第1作です。 チャールズ・ブラウン=フォックスは流行女流作家イーニッド・レスター・グリーンに財産管理人として雇われ、フライアーズ・パードン館を訪れます。フライアーズ・パードン館は最初の持ち主、次の持ち主が水のない部屋で溺死するという奇怪な死に方をしたため、周囲はイーニッドが購入するのを反対したのですが、イーニッドはこともあろうに、その呪われた部屋を改装し書斎にしてしまいました。 館の住人、あるいは客人はチャールズ、イーニッドのほかには、イーニッドのあまりぱっとしない娘グラディス、イーニッドがグラディスの結婚相手にと考えている、典型的名門おぼっちゃまパーセル卿、卒のない秘書サンズ、イーニッドの不肖の甥と離婚した魅惑的な瞳のデストリア夫人、ひとくせある元気な老婦人モード・ヴァッサー、親戚でもあり家政婦でもあるバラッド夫人、執事、メイドたち、その他召使たち。 屋敷ではポルターガイストのような現象を見聞きしたと人びとが言い合い、デストリア夫人などは窓を身体のない手がこつこつ叩いているのを見た、と言っていました。それでもイーニッドは超自然現象など信じないと言っていましたが、ひとり書斎にこもった晩、内線電話で助けを求めてきます。チャールズたちは駆けつけましたが、部屋には鍵かかかっており、チャールズが外から窓ガラスを割ってはいったところ、イーニッドはすでに死んでいました。検死の結果は溺死でした… 道具立てはお定まりのものですが、それはそれで楽しめる、というよりそこがよいのですね。プロットも面白いです。気晴らしにお勧めです。「フライアーズ・パードン館の謎」 フィリップ・マクドナルド著 白須清美訳 森英俊解説 原書房
March 20, 2007
コメント(0)
「経済の文明史」(ちくま学芸文庫)はカール・ポランニーの10編の論文を「第1部 市場社会とは何か」「第2部」現代社会の病理」「第3部 非市場社会をふりかえる」として1冊にまとめたものです。 最初のひとつ「自己調整的市場と擬制商品―労働、土地、貨幣」を読みましたが、1940年代に書かれたとはいえ、少しも古びていず、今日本で、世界で起きていることの本質はここにあるのだと思いました。 現代以前には市場は自給自足を補う付録のようなものであり、現代のような市場社会は特殊なものだとポランニーは書いています。 たとえば、封建時代には土地は封建制の土台であったし、ギルド制においては、賃金は規則で決まっていました。けれども19世紀以降の自己調整的市場では、社会の経済的領域と政治的領域が分離します。経済が分立するのです。「市場経済とは市場によってのみ制御され、規制され、方向付けられる経済システムであり、財の生産と分配の秩序はこの自己調整的なメカニズムにゆだねられる…市場の形成を阻止するものがけっしてあってはならないし、所得は販売以外の方法で形成されてもいけない」このような制度は社会がその要請にある程度従属しないかぎりありえない、つまり市場経済は市場社会においてしか存続できません。(「小さな政府」「規制緩和」とはこのことなんですね) 市場には産業のすべての要因が含まれるので、産業の重要な要因である労働、土地、貨幣も含まれてしまいます。労働は生活それ自体に伴う人間活動の別名であり、販売のために生産されるのではなく、まったく別の理由のために作り出されるものです。土地は自然の別名でしかなく、人間によって作り出されるものではありません。貨幣は購買力を示す代用物にすぎず、生産されるものでなく、金融または国家財政のメカニズムをとおして出てくるものです。これらはいずれも販売のために生産されるのでないので、これらを商品とするのは、擬制(フィクション)なのです。 ポランニーは市場メカニズムが人間の運命とその自然環境の唯一の支配者となることを許せば、それどころか、購買力の量と用途の支配者になることを許すだけでも社会の倒壊を招くだろうと警告しています。「なぜなら、商品とされる『労働力』は、この特殊な商品の担い手となっている人間個人に影響を及ぼさずには、これを動かしたり、みさかいなく使ったり、また、使わないままにしておいたりすることさえできないからである。このシステムは、一人の人間の労働力を使うとき、正札に付着している一個の肉体的、心理的、道徳的実在としての『人間』をも意のままに使うことになるであろう。(中略)自然は個々の要素に還元されて、近隣や景観はダメにされ、河川は汚染され、軍事的安全は脅かされ、食料、原料を生み出す力は破壊されるであろう。(中略)たしかに、労働市場、土地市場、貨幣市場は市場経済にとって本質的なものであることは間違いない。しかし、ビジネスの組織だけでなく、社会の人間的、自然的実態が、粗暴な擬制のシステムという悪魔の碾き臼の破壊力から保護されなければ、いかなる社会も、そのような粗暴な擬制のシステムの力に一時たりとも耐えることはできないであろう。」 アメリカのような格差社会ほど犯罪が多いことや第3世界の飢餓を見ると、粗暴な擬制のシステム(すべてが市場原理により動く社会)により、人間は悪徳、倒錯、犯罪、飢餓などの社会的混乱の犠牲になって死滅するだろうというポランニーの警告が正しいのだと思わずにはいられません。そして「小さな政府」は勝ち組の大企業に仕えて、社会福祉などを切り捨て、ホワイトカラーエクゼンプションやら共謀罪(テロなんとか法と名前が変わっても中身は変わりませんよ)など作ろうとしているように思えます。
February 16, 2007
コメント(5)
少女時代に恐いもの見たさでコリン・ウィルソンの「殺人百科」を読みました。たしか前書きにだったと思いますが、アシスタント(共著者だった?)は人がこういうものを読みたがるのは犯人が自分と違うからだというが、私(ウィルソン)はそうは思わず、誰にでも心の中にそういう犯人と共通するようなものがあるからだ、とありました。 加賀乙彦さんは作家としても、犯罪心理学の研究者としても著名ですが、病院や東京拘置所などで自殺を図った人や人を殺した未決囚、死刑囚の口から何度も「あのときは悪魔がささやいたんです」「どうしてあんなことをしたのか自分でもわからない。なんだか自分ではないものの意思によって動かされたような気がする。本当に悪魔にささやかれたとしか思えません」ということばを聞いたのだそうです。いいわけだろうと言われるかもしれないが、自分から上告をしないことを決め死刑が確定し、いいわけする必要のない人もそう言っていたということです。それに自殺未遂で入院していた人はほとんどの人が助かってよかった、と言っていたそうです。 殺人など犯した人の中には、人への思いやりや自省のまったくない異常な性格の人もいるけれども、たいていは上記のようにどうしてあんなことをしてしまったのだろうという人であり、誰でも悪魔のささやきによって破滅へと走り出す恐れがある。「悪魔のささやき」とは、すさんでいらついて気分や未来への不安が人間の心の奥底にひそんでいる悪と共鳴し、ある瞬間に堰を切って流れ出し、その人自身や周囲を破滅へと押しやる行動となって現れる現象を著者が比喩的に名づけたものです。 そんな悪魔のささやきに動かされやすいとは、ふわふわした心の状態のとき、思索とか理性とか意思とか決意とかはっきりした心のありようと違う、あいまいでぼんやりした精神状態のとき。 日本人は温暖なモンスーン気候でイネを作って暮らしてきたが、稲作はひとりではできず、田に水を引くなど共同作業が不可欠なので、「和」を重んじるようになり、徳川300年の間に被差別階級の存在や伊勢まいりなどの空気抜きで不満をそらされながら、すべてお上まかせの習慣ができてしまったため、悪魔のささやきに弱い。 現代人の犯罪については、子どもたちが「死」の実態を知らず、ゲームなどの影響でリセットがきくと思っていること、人と人が対面して目をあわせるだけで前頭前野が刺激されるのだがメールやパソコンではそれほど活性化しないことと関係がある、という指摘のほか、目からうろこが落ちたように思ったのは、「社会が刑務所化している」という指摘です。 閉鎖的なアパートやマンションは刑務所の構造に似ているし、内側では自由が許されても外では常に他人の存在を意識し、好きなものを食べ、好きな服を着ていると思っても、それは実は画一的な大量生産品であり、毎日きまったスケジュールで働き、家に帰ればテレビ局の提供するきまった番組を見る生活は刑務所と似ており、拘禁反応ほどではないにしても、ほんの些細なことでキレる爆発反応を起こしやすい、というのです。加賀乙彦さんは書いていませんが、最近はあちこちに監視カメラがあり、警官がパトロールして、凶悪犯を見張るはずがいつのまにか自分たちが見張られているような状態ですね。 悪魔につけこまれないためにはどうしたらよいのでしょうか。加賀乙彦さんは次のように提起しています。・視野を360度に広げ、より遠くをみはるかす 長期囚の興味の対象は食事のことや看守のことなど、所内のことばかりで外のことにはまるで興味を持たない。無意識のうちに自分の精神をつくりかえている。(心理学ではプリゾニゼーションという)塀の外の私たちも、そうなっていないか?また個人内情報操作(自分に好ましい情報をさけてピックアップする)をしないように気をつけるべき。・宗教の本質について理解を深める イスラムはもともとは寛容であり、ムハンマドはユダヤ教徒やキリスト教徒は同じ聖典の民なので尊敬と親愛の情を持って接するよう述べている。ガンジーは「よきヒンドゥー教徒であることはよきキリスト教徒である…もし人が、自分自身の宗教の確信に至るなら、他の宗教の確信にも到達することになります」と述べている。・死のむごさ、醜さと向かい合う・「個」を育てる 一人の人間が独自の人格をつくりあげていく。自分で物事を考え、自分とはなにかと反省し、自分の好きな道を見つけ、個人として生きていく。同時に、自分と周りの人だけ大事で目先のことにとらわれるのでなく、世の中のことに関心をもって日本を自分たちが動かしていこうとする気持ちがないと、自分たちの幸せも成り立たなくなる。 周囲の人も自分自身も尊重しながら、未熟であってもすこしずつ何かを積み重ねていって自分の内側を豊かにしておく。自分が存在することが、ほんの少しでもこの世のなかがいい方向に向かうような人間になることを目指す(人格主義)。 会津八一氏のことばに「偉大なる国民は偉大なる個人の集合であらねばならぬ」とあるそうです。加賀乙彦さんは書いていませんが、これこそ憲法の精神だと思います。自民案はそういう個人を否定して主権を国家に移そうとするものです。教育基本法も同様です。 ほかに、加賀乙彦さんは、引きこもりの子どもたちは今の教育制度の中では適応できないが、自分の好きな領域には学ぶ意欲を発揮する子もおり、本当に無気力で何もする気がないのは少数派だと言っています。枠からはみ出した子どもたちをだめだと決め付ける大人たちの中にこそ、悪魔がひそんでいるのであり、レッテルを貼るのをやめ、引きこもりを誘うような欠陥のある教育システムを見直す方が生産的としています。 麻原彰晃は、今まで何百人も見てきた経験から一目見て詐病でない拘禁反応だとわかったそうです。今まで年月がかかったから結論を早めたいという検察側の意向に沿い、矛盾しながらも詐病だとした御用学者を批判しています。どんな凶悪犯だからといって、学者が中立的な立場で公正に判断しなくてよいことにはなりません。加賀乙彦著「悪魔のささやき」集英社新書
January 7, 2007
コメント(8)
読了していないのですが、読み始めたり、読み進めたりした本です。 まず、リンクさせていただいている白山菊理姫さんのブログ「天の王朝」のキリ番をラッキーなことに踏んでプレゼントしていただいた本。白山菊理姫さんは元共同通信社の記者でいらして、ノンフィクションライター、ジャーナリストでいらっしゃるんです。「カストロが愛した女スパイ」成甲書房 カストロと恋に落ち、相思相愛になって子までなしながら、CIAが糸を引くカストロ暗殺計画で刺客にされたマリタ・ロレンツは何度も命を狙われながらも生き延び、1978年5月ジョン・F・ケネディ暗殺調査特別委員会にて勇気ある証言を始めました。ロレンツはCIA内部の反ケネディ分子がカストロ暗殺を企て、最後にケネディ暗殺を実行したのだと証言しています。その証言記録を読み解きながら現代史の暗部に光を当てる衝撃の内容です。 次は、たまたま図書館で手に取ったコミック。「アレックス・タイムとラベル」清原なつの作 早川書房 近未来。核戦争後人類は平和な世界を作り上げましたが、その表面上の平和は徹底した監視と管理によって成り立っているのでした。アレックスはそんな世界を逃れてタイムマシンで過去を訪れます。1980年代に初出、2001年復刊になったものですが、今読むと、おとぎばなし的SFとは思えない現実味を感じてしまいます。 そして、リンクさせていただいている薔薇豪城さんの影響で「文藝ガーリッシュ」千野帽子著薔薇豪城さんのブログをご参照ください。この本には「すてきな本に選ばれたくて」という副題がついています。読者が本を選ぶのでなく、本が読者を選ぶのだそうです。少女のころに出会いたかったと思うような本がたくさん、でも、今からでも楽しめそうな本がたくさん紹介されていて、いろいろ読みたくなります。 薔薇豪城さんは「第7官界彷徨」に出合って自分のために書かれた本と感じたそうですが、私にとってのそういう出会いの本はノヴァーリスの「青い花」かな(上記の本には出ていません)。どこまで理解していたかは疑問です。カントやシェリング、それに伝説?クリスチアン・ローゼンクロイツの「化学の結婚」などを読まないとこの本は論じられないようなので。(別に論じなくてもいいのですけれど。)ただ、何か憧れを感じる存在、主人公が夢に見た青い花を私も追いかけ続けたい、と思ったのでした。
January 3, 2007
コメント(8)
たくさんの人が灰谷健次郎さんの本に感動したことは知っていましたが、読むのは実は初めてです。「太陽の子」(角川文庫)を読みました。 小学生ふうちゃん一家は神戸に住んでいますが、両親は沖縄出身で「てだのふあ おきなわ亭」という料理屋をやっています。「てだのふあ」とは、太陽の子という意味です。太陽の子とは、ふうちゃんのことなのだとか。お父さんは数ヶ月前から心の病になってしまいました。ふうちゃんは健気にお父さんを気遣っています。そしてそこに集まってくる人たちとの交流から、沖縄に興味を持つようになり、その悲しい歴史からも目をそむけず大きく目を見開いて見ようとします。そのうちに、一時は不良の仲間になっていたけれど、ふうちゃんと出会ってお店で働くようになってから立ち直ったキヨシ少年のお母さんが家を出た理由や、お父さんの病気の理由も沖縄と戦争と関係があると気がつきます。 ふうちゃんはなんと素直で明るく、思いやりのある、健気な少女なのでしょう。自分が子供だった頃のことを考えると、とてもあんなできた子ではなかったなあ、と思うばかりです。今でもですけれど。 手元に置いて読み返したい本ですが、中でも心に残ったことばです。『いい人ほど勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや。人間が動物とちがうところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれだけ、自分以外の人間が住んでいるかということできまるのやないやろうかと、ふうちゃんは海をみているゴロちゃんやキヨシ少年を見て思った』ふうちゃんが担任の梶山先生に当て書いた手紙の一部です。『どんなにつらいときでも、どんなに絶望しているときでも、本気で人を愛することができる人がえらい人なのだと思うのです…』『沖縄の人がすべての命を大切にするのは、これまでにたくさんのかなしい別れをしてきたからなのですね。ずっとむかしは人頭税というとてもひどい税のために、マラリアという伝染病のために、そして沖縄の戦争のために、たくさんの命が消えていったり離ればなれになったのでしょう。沖縄の人にはそんなつらい悲しい思いがあるのですね。つらいかなしいめにあってきた人ほど、そうではならないという思いも人一倍つよいはずですね。先生、そんなふうに考えると、沖縄の人がなぜやさしいのか、てだのふあ・おきなわ亭にくる人びとがなぜやさしいのか、少しわたしにわかるような気がしたのです。』 灰谷健次郎さんを失ったことが惜しまれます。特に今のような、「教育改革」により学校に競争原理が持ち込まれようとしている時期には。
December 26, 2006
コメント(10)
ちょっと前に気分転換に電車の中で読んでいた本です。ゴシック小説の古典。舞台はイギリスの人里はなれたお屋敷。主人公はメイドとして働き始めた小柄なしっかりものの少女、ヘレン・ケイベル。 ヘレンは休日に外出しましたが、帰り道はすっかり暗くなってしまいました。ヘレンが住み込みで働いているサミット邸の周囲では連続殺人事件が起きており、ヘレンの目には並木の一番端の木が動いたように映ったのでまわり道をして帰りました。 サミット邸の住人は当主である教授、その妹ミス・ウォレン、教授の息子とその妻、教授の弟子である青年、教授の義母とその介護をしている看護婦、家政婦のミセス・オーツと夫、それにヘレンです。教授の義母は夫を殺したと噂されており、歩けないはずなのですが、どうも実は歩けるようで、しかもピストルを隠し持っているのをヘレンは見てしまいます。看護婦は誰も長続きせず、新しい看護婦は大柄で男が変装しているのではないかとヘレンとミセス・オーツは疑います。 その日ヘレンの前任のメイドだった少女が殺され隣の敷地で発見されました。次はヘレンが狙われるのではないか… それなのに、サミット邸の住人たちは外出したり、部屋の鍵がこわれて閉じ込められたり、睡眠薬やお酒で眠り込んだりして頼れる人がひとりずつ減ってゆきます…ほのかなラブロマンスの芽生えがあったり、絵に描いたような1933年出版のゴシックロマンで、映画化もされているそうです。 気散じにはぴったりだと思ったのですが、この犯人のような考えの人は今の時代に実際にいそうで、それももっと合法的で巧妙なやりかたでやっていそうな気がして、そう思うと背筋が寒くなりました。「らせん階段」 エセル・リナ・ホワイト著 山本俊子訳 ハヤカワ・ポケットミステリー
December 19, 2006
コメント(7)
昔大ヒットしたドラマ「氷点」のリメイク版が放送されるようですね。(もうしている?)広告の車が街を走り回っています。原作者三浦綾子さんは晩年癌を患ったり、パーキンソン氏病に罹ったりしながら、信仰と夫である三浦光世さんに支えられ、執筆を続けました。 「難病日記」は1990年代前半の日記で、ちょうど小林多喜二の母を主人公にした「母」を夫の勧めで書き上げて出版し、治安維持法下で教育熱心な教師たちが逮捕された「北海道綴方教育連盟事件」を題材にした「銃口」を執筆中の頃です。どうしてもこれは書かなくては、と病をおして書いたのでした。病気に悩まされても神への感謝の気持ちを忘れず、介護や口述筆記をしてくれる夫へに感謝し、人との交流を大事にする日々の記述に感動せずにはいられません。 PKO法案が可決されてしまったニュースを聞いて、日本の行方を危惧する言葉も書かれていて、そのころ私は本当にぼんやりしていたけれど、三浦綾子さんは気付いていたのだと今更ながら思い知りました。それにしても、三浦綾子さんのところにすら、夜中にいやがらせ電話を掛ける人がいたなんて…原爆の日の日記より 「戦争だから仕方がなかった。みんなが死んだ時代だ。仕方がなかった」と、私たちは言う。が、本当に仕方がなかったのか。なぜ殺人を正当化する理由が戦争にあるのか。人を殺すことが悪ならば、戦争はしなければいい。そう言い切ることのできる人間はもういないのか。私たちは、もっと大声で言っていいはずだ。無性に腹が立つ。焦れったい。「戦争を起こす奴は、いったい誰なのか」 三浦綾子「難病日記」 主婦の友社 三浦綾子さんがこう日記に書いていた頃、まだまだのんきにしていた私のような者でも、戦争がいいなんてこれっぽっちも思っていませんでした。今だって、たいていの人はそうでしょう。でも、これからは、声に出して言わない限り、認めたことになってしまうのです。マスコミが北朝鮮みたいに都合のよいことばかり報道していても、まだ民主主義があるうちに。 明日12時から13時まで衆議院議員面会所にて『共謀罪の審議入り・強行採決を許さない!緊急集会』があります。12月6日には、『共謀罪の新設に反対する市民と表現者の集い』があります。詳細は盗聴法に反対する市民連絡会 25日に札幌で行われた教育基本法改悪に反対する集会には1万人以上集まったそうです。東京では第3波ヒューマンチェーンが行われます。緊迫した中にも、キャンドルの光が心和む集会で、前回ひとりで飛び入り参加でもまわりのおだやかな心優しい人たちと連帯感が感じられて大丈夫でした。以下ヤメ記者弁護士さんのブログより転載させていただきます。■■転載開始■■教育基本法改悪反対!―少年法改悪反対、防衛「省」反対、 改憲手続き法と共謀罪の新設反対―参議院段階での阻止をめざして、再々度の人間の鎖です。防衛「省」反対も加えた行動にしました。この日、ぜひ全国で行動しましょう。呼びかけ人募集中。転送、ぜひお願いします。--------------------------------●○第3波ヒューマンチェーンやります○● 「なにが何でも、教育基本法の改悪を阻止したい!」「今度のヒューマンチェーンの予定はいつですか?」との問い合わせが、多数入っています。その熱い想いに答えて、下記のとおり第3波ヒューマンチェーンをやりま~す。例えば、国会に来れない地方の方、同日の同時間に、それぞれの駅前とかで「改悪反対!」キャンドルヒューマン集会などができるとステキかも。全国各地がキャンドルでつながると嬉しいな~「やってみよう!」という方、連絡し合いましょう!教育基本法の改悪めぐって、国会では激しい攻防が続いています。一歩も引かないたたかいをやるっきゃない!!1人が3人以上誘ってください!第3波の「ヒューマン・チェーン」(人間の鎖)今度こそ1万人大集合!国会を人、人、人で埋め尽くそう。 教育基本法改悪反対!―少年法改悪反対、防衛「省」反対、 改憲手続き法と共謀罪の新設反対― ★「ヒューマンチェーン」★(人間の鎖) 実施日程● 12月6日(水)午後4時集合~場所●参議院議員面会所(地下鉄丸の内線国会前下車) 発言:呼びかけ人&国会議員など 午後5:00~6:00 参議院議員会館前 キャンドル・ ヒューマン・チェーン コール&リレートーク <呼びかけ人&国会議員など> ※第2波までの 「ヒューマン・チェーン」の「呼びかけ人」は、 1878人に達しています。第3波をおこなうにあたって、下記 のとおりさらに呼びかけ人を集います。まだ「呼びかけ人」 になってない方、あなたも、あなたも「呼びかけ人」になって ください。そして、隣の人に呼びかけてください!「呼びかけ人としてお名前を出していただける方は下記aaaaからzzzzの行を含めてコピーし、記入して下記アドレスへ返信ください。 機械的に読み取りますので、もし他の連絡事項を書かれる場合はzzzzzz行以降にお書きください。 なお、11月のヒューマンチェーン呼びかけ人リストに追加しますので既に応募された方は二重応募の必要はありません。 aaaaaaa<私もヒューマンチェーンの呼びかけ人になりますaaaaaa 1氏名; 2ふりがな; 3地域名(例、杉並区);zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz送信先アドレス konokuni_no_asu2@yahoogroups.jp<集約締切日:12月3日>―――――――――――――――・教育基本法「改正」反対市民連絡会・子どもと教科書全国ネット21・子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (「子どもと法・21」)・「子どもたちを大切に…今こそ生かそう教育基本法」全国ネットワーク・許すな!憲法改悪・市民連絡会・共謀罪の新設に反対する市民と表現者の集い実行委員会◎問い合わせ先 高田(tel:03-3221-4668 fax:03-3221-2558) 東本(tel:090-1859ー6656) 日本消費者連盟(tel:03-5155-4765 fax:03-5155-4767) ※「ヒューマン・チェーン」の呼びかけ人のお名前と地域名を、当日の資料に掲載します。 ※個人情報は、「ヒューマンチェーン」の全ての活動が終わり 次第消去 いたします。---------------------------------------------------------------高田 健 /許すな!憲法改悪・市民連絡会TEL03-3221-4668 FAX03-3221-2558東京都千代田区三崎町2-21ー6ー301kenpou@annie.ne.jphttp://www.annie.ne.jp/~kenpou/■■転載終了■■
November 27, 2006
コメント(10)
2005年8月イラクで息子を亡くしたシンディ・シーハンさんはブッシュ大統領にたったひとつの質問をするためにテキサスクロフォードに行きました。シーハンさんはイラク戦争が新聞トップで扱われるべきだと考えていました。それなのにマスコミは有名人の胎児殺害疑惑やらマイケル・ジャクソンの児童性的虐待裁判のニュースを騒ぎ立てるばかり、シーハンさんのインタビューも流れてしまいました。 9・11の後FOXテレビ(日本でいえばフジみたいなもの?右翼といわれていて、低俗番組が多いようです)はじめ、テレビ局はいっせいにテロとの戦いを煽りました。(ABCのピーター・ジェニングスさんは視聴率や抗議メールにめげずアメリカの良心と言われましたが)アメリカでは国営PBS以外、すべてロックフェラー系の資本に買収されてしまっているそうなのです。そのロックフェラーの傘下には軍需産業の大手の会社があります。余談ながら、日本でも、政府はひとつの資本がいくつものテレビ会社を買収できるようにしようとしています。 そんな状況下、ブッシュのお膝元にありながらケリー候補を支持したため、広告主に広告をキャンセルされ、廃刊寸前に追い込まれたところを、全米の進歩的な人びとがまとめて購買予約を入れて救った週間新聞がありました。そのイコノクラスト紙が、シーハンさんの動きを実況報道しました。「シンディ・シーハンを取材しないのか」というメールや電話がたくさんあったそうです。イコノクラストとは、因習を打破する人たちの意で、もともとは偶像を破壊する者という意味です。イコノクラスト紙は同時にウェブサイトに「シンディの動向」というコーナーを立ち上げました。 暑さの中、シーハンさんと同調するグループの人たちは、警察に道路から追い出されて溝の中を歩き、脱水状態になる人が出たりしますが、ジョーン・バエズのような有名人も応援に駆けつけ、次第に賛否両論盛り上がり、シーハンさんは世界中の注目を浴びるようになりました。 この本は26日間、日を追って、時間を追って、イコノクラストの記者がレポートした記録です。「私の息子はなぜイラクで死んだのですか」―シンディ・シーハン平和への闘い レオン・スミス編著 上田勢子訳 大月書店インタビューよりシーハンさんのことば「今の私の怒りは、息子が何も理由がないのに土の中に埋められてしまったということ。私の息子と、1900人もの勇敢なアメリカの兵士たち、それに何万人もの罪のないイラク人たちが、ウソのために殺された。とても腹がたっているわ。それなのに、だれも責任を追及していないのよ!右翼系のニュースキャスターは、嘆き悲しむ母親の行ったことのあげ足をとっても、大統領が行ったことはそのまま聞き流している。それがたとえ多くの人びとの不要な死を招くことであってもね。こんな不愉快なことってないわ!」 今では、中間選挙の結果でもわかるとおり、アメリカではイラク戦争は間違っていた、と考える人が過半数を超えています。日本でイラク戦争を支持した人たちの責任はどうなっているのでしょう。ローンスターイコノクラスト紙のウェブサイトこちらは別もののようです。Iconoclast.ca
November 24, 2006
コメント(6)
「裸足の修道女 シスター・エマニュエル」 原田葉子訳 女子パウロ会 日本ではマザー・テレサほど知られていませんが、フランスではとても愛されている人なのだそうです。60歳を過ぎてスラムに飛び込んでいった果敢さ、信仰と愛があったからできたのでしょうけれど、幾多の困難を乗り越えてきたに違いないのに明るく朗らかな語り口に元気が出る本です。 プロローグの往復書簡にある、ジャック・デュケーヌからシスター・エマニュエルへのことば「世界に美しいものを少しでももたらすために、人びとと仲良くするたびに、母が息子を、あるいは男性が愛する人を抱擁するとき、画家が美しい絵を生み出したとき、建築家が素晴らしい建物を建てたとき、あるいは住まいを持たないもののために居心地のよい家をつくったとき、研究所が新薬を発見したとき、そしてキリストのように、シスター・エマニュエルが最も貧しい人びとのために身をささげるごき、<創造>は続いていて、前進しているということなのです」 シスター・エマニュエルは1908年ベルギー生まれ、5歳のとき、海に遊びに行って、目の前で父が大波にのまれて帰ってこなかったという体験をしました。ドイツ軍を逃れてイギリスに疎開していたとき、クリスマスの教会で幼子キリスト像が裸で飼い葉おけに寝かされているのを見ました。そのとき母が言ったことば「イエスさまは貧しい人たちと一緒にいたかったの」に心を揺さぶられました。12歳で修道女になろうと決意、第2バチカン公会議前は修道女が修道院を離れて活動できなかったので、イスタンブール、チュニス、アレクサンドリアの学校で教職に着きました。1971年勤めていた学校の閉鎖を機に長年の望みがかなってスラムで貧しい人たちとの生活を始めました。今はフランスの修道院で静かに祈りの日々を送っているそうです。 シスター・エマニュエルは、従わなければ永遠の劫罰に処されるといって掟をふりかざすような独裁的な神を信じることは私も拒否します、と言い、キリストは罪をあがなうために十字架についたのではなく、苦痛と死を身をもって分かち合うために人類の受難にはいったと考えています。大学で哲学を学び、仏陀、孔子、老子、ムハンマドにもそれぞれに真実があると思ったそうです(キリスト教が一番近道とは言っていますが)。 くず拾いの人たちを理想化したいあまり彼らが泥棒であり酔っぱらいで殺人者であることを忘れている、と非難する人にはこう答えます。「彼らはそればかりでなくうそつきでもあるが、偽善者ではないし、教育をうけられず周囲から疎外され蔑視されていることが彼らの犯罪や欠点の原因なのであり、イエスにとってわたしたちみんなと同じように愛されるにふさわしい人びとであって、愛によって変わる。しばらく経つと、彼らの純粋さを覆っていた暴力がだんだん消えていく」 ある日18歳のくず拾いの青年が仲間に殺される事件がありました。燃料用アルコールとコーラを混ぜたものを飲んでカードゲームをしていたときのことでした。仕事のあとにもっと健全な楽しみがあればこんなことは起きないと考えたシスターは、それまであまり気がすすまなかった行脚の旅に出、裕福な篤志家の寄付により運動場、学校、無料診療所を建てました。「カイロで、頭上に星空が広がり、足はごみだめの中にあって(注 ごみ捨て場に住んでいる人たちのところで暮らしていた)ロザリオの祈りを唱えていたとき、ある調和に包まれているように感じていました。確かに、物もお金もなかったし、周りの小屋で寝ている人びとの中には、泥棒やうそつきはいました。でも、彼らの中のだれ一人として、隣の人を見捨てるということだけはありえなかったのです。ヨーロッパに戻って、多くのフランス人の孤独、絶望、道徳の欠落を目の当たりにして、彼らのほうが最も貧しく惨めなのではないかと思うようになりました」 巻末でシスターは呼びかけます。「地上に住む人びとよ 立ち上がろう!正義と愛の復活をめざしてともに闘おう!死者よ、立ち上がれ! 墓の中で奮い立て、あなたがたは地上で愛し闘いました。よみがえりなさい!天はあなたがたに開いています。イエスは、あなたは、ここに生きていらっしゃいます。わたしたちを、あなたの生命の中に招き入れ、一つにされます。いざ、進め!貧しい裸身の人類よ!救い主がおられる。望みゆたかに進め!さあ前進!すべての友よ、乾杯!」 ね、高齢でも威勢がよくておちゃめなシスターのことばに元気づけられるでしょう?
October 27, 2006
コメント(11)
遅ればせながら「ダヴィンチ・コード」を読みました。だいぶ前に一度読みかけてあまり好みではないと手放してしまったのですが、友人に借りたので再度挑戦。今度は一気に読んでしまいました。 雰囲気は全然違うのだけれど「原始女性は太陽であった」ということばを思い出してしまいました。最後の晩餐の絵の中にMの字を見る、というところ(テレビでもやっていたのでネタバレでもいいですね)はちょっとこじつけのように思いますが、誰のものかわからないナイフを持った手、何なのでしょう。今まで気がつきませんでした。 ウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」もテンプル騎士団の秘密を探ろうという話でしたね。武装していたのに、なぜ抵抗しないで殺されたのか?数人が秘密を伝えていくために地下にもぐり、他の人たちはカムフラージュに殺されていった、とかいう仮説だったと思います(記憶があいまい)。人気観光スポットであるフランスのモン・サン・ミッシェルもテンプル騎士団の要塞修道院です。 そういえば、ずっと前のことですが、中公新書の「聖堂騎士団」(テンプル騎士団と同じ)の著者、篠田雄次郎先生の講座(テンプル騎士団についてではありませんが)を聞いたことがあるのですが、ロマネスクの教会の小さい薔薇窓は実は異教の太陽なのだとおっしゃっていました。(皇室の菊の紋もゾロアスターの太陽なのであり、天皇家はペルシャから渡来したという説を主張している人がいる、という話も聞きました)「ケルトの書」もスライドで見せていただいたのですが、暗くしてスライドを見ていると眠くなってしまって、どういう脈絡だったか残念ながら覚えていません。 篠田先生は数ヶ国語に堪能で大変博識でユーモアもある、ある意味過激ともいえる発言をなさるかたでしたが、今検索してみたら、曽野綾子さん、笹川良一さんと日本財団の理事長をなさったり(同一人物ですよね?)、日本が助かるためにはロシアと安保条約を結ぶしかない、と著作に書かれたりしていたようです。 ドイツ留学中同級生だった(私の聞き違い、記憶違いでなければ)パノフスキーの「ゴシック建築とスコラ哲学」という本に言及されていましたが、最近書店でその本の翻訳が出ていることを知ってちょっとびっくりしました。天才的な発想だということでしたが、部数が出るような本とも思えませんでしたので。
October 12, 2006
コメント(4)
「2005年選挙は『改革派vs抵抗勢力』でなく、『対米迎合派vs国益擁護派』の闘いだった」「郵政民営化は官営保険の市場開放問題だった」 著者は前著「拒否できない日本」にて、日本の法改正などがアメリカからの「年次改革要望書」に沿ったものであることを解明し、新聞テレビなどが報道しない「年次改革要望書」の存在を知らしめましたが、さらに追求したのがこの本です。 米国にとって郵政民営化はゴールではなく、簡易保険を弱体化させ、営業譲渡などにより、120兆円の資産を米国系民間保険会社に吸収させることが狙い、と著者は書いています。小林興起氏、小泉龍司氏は郵政族ではなく、既得権を守ろうと反対したのではなく、国益を守ろうとしたのに、マスコミと官邸が演出した「改革派vs抵抗勢力」のキャンペーンに騙されて有権者は間違った人に投票してしまったのです。2004年10月10日付米国の「規制改革要望書」H-A-1-aに「郵便保険と郵便貯金業務に民間企業と同類の法律、規制、納税条件、責任準備金条件、基準及び規制監督を適用すること」とある点に注目し、金融庁と会計事務所の連携でりそなを国有化に追い込み、UFJを身売り同然の合併へ追い込んだのと同じことをしようとしているのではないか、と懸念しています。 次の主戦場は健康保険であり、公務員削減、政府系金融機関の統廃合は真の葛藤から国民の注意をそらす当て馬ということです。2001年小泉・ブッシュ首脳会談で設置された「日米投資イニシアティブ」は対日直接投資を拡大するという大義名分のもとに外資の日本企業に対するM&Aを容易にするために日本の法律や制度の「改革」を推進してきたが、2005年版日米投資イニシアティブ報告書には「米国政府は魅力的な企業投資の観点からいわゆる混合診療の解禁についての関心を表明した」とあるそうです。それに関して著者は「社会主義的な統制」を行っている日本より市場経済にゆだねている米国の方が医療費が高く、米国では病気になることは人生の破局だと指摘しています。 また、八代高宏氏は2006年日経のインタビューで「過疎地にいくら資本を投じても産業は興らない。むしろ撤退を検討すべきではないか」と公言しているが、選挙で選ばれたわけでもないこの種のエコノミストがイデオローグとなって総理直属の諮問会等の場で政策を立案してきたのが「改革」の本質だと著者は看破しています。 無駄をなくすため、診療報酬を出来高払いの現在の制度から包括払いに改めるべきというが、包括払い制度のアメリカでは、検査や診療、投薬を節約し、粗診粗療になり、入院患者はできるだけ早く退院させようとするので、近くのホテルに泊って病院通いをするなど、患者の負担が増えている、医療のIT化は診療と患者に関する情報を保険者(民間保険業者)に集中させ、医療の世界に君臨させることが底意である、第3の標的は共済と考えられる、など、国民がもっと関心を持つべきですね。 規制改革民間解放推進会議は経済政策に関する総理のご意見番であるが、発足以来オリックスの宮内氏(近頃辞任)がトップの座にいた。アメリカの訴訟社会の輸入を狙う司法制度改革を仕掛けたのも宮内氏である。日米間政府交渉については、宮沢・クリントンの「日米間の新たな経済パートナーシップのための枠組み」にせよ、小泉・ブッシュの「成長のための日米経済パートナーシップ」にせよ、日米首脳間合意という既成事実がすべての前提となっていて、国会を通さず政令のみが根拠となっている、国会軽視、内閣の独断専行という民主政治にとってゆゆしき事態にこそ、「米国による日本改造」という奇妙なメカニズムが10年以上国民に認知されることなくまかり通ってきた問題の核心がある、ということです。 独占禁止法による取り締まり強化はかえって大企業による独占を招くという指摘にも目からうろこが落ちる思いです。入札において多少ダンピングしてもつぶれない企業が独占してしまうということです。会社法もホリエモンのフジテレビ買収騒ぎがなければ、問題点が見過ごされ、日本の企業が外資にから身を守る時間がほとんど与えられなかった、1年間の猶予ができてまだよかった、ということです。 巻末近くで古事記を根拠に神武天皇からの万世一系について、小賢しい近代合理主義の浅知恵に毒されていない子供に学校で教えるべき、と読んで、進化論を教えるなというアメリカ人を笑えない(私としては、無理に神武天皇を持ち出さなくても十分歴史があると思いますが…)、今まで読んできたのは大丈夫か?と一瞬思いましたが、「年次改革要望書」は神話か実在かと論ずるまでもなく実在するのです。 「年次改革要望書」は日米で互いに交換することになっているので、日本からも出していますが、「配慮する」というだけでそのままとか、連邦政府が州政府に意見書を提出するだけだったり、たまたまWTO違反などで他の国からも批判されたことは改革されていますが、全体的に見ると、米国は根幹を変えるような改革には動いていないということです。 さて、この本を読んで「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」を読むと、対米迎合と愛国心・ナショナリズムがどうして共存するのかがわかります。「米国のため、企業のため、為政者のため死んでくれ」といわれても誰も受け入れる人はいなから、「国のため」と断りにくい理由にすりかえようとしているのです。安倍さんも小泉『改革』路線を受け継ぐと明言するからには、売国路線を引き継ぐのでしょう。あっと、こんなことを書いて田中真紀子さんみたいに脅迫電話がかかるといけないわね。
October 4, 2006
コメント(6)
少し前に読んだ本ですが、面白かったです。「モーダルな事象 ― 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」奥泉光著 文藝春秋 新聞記事の切り抜きや雑誌記事(週間文秋とか週間近代)などそれらしく挟みながら、ミステリアスな(ミステリーだから当然だけど)事件にひょんなことから巻き込まれたあまりぱっとしない女子短大の桑潟助教授と自称夫婦(めおと)探偵北川アキ(ジャズ歌手で副業にライターもしている)と元夫諸橋倫敦コンビの活躍?をパロディー的要素を混ぜて独特な文体で描き、著者独特な世界へと導きます。北川アキの友人でジャズ仲間フォギーこと池永希梨子は「鳥類学者のファンタジア」の主人公ですが、作品の雰囲気はかなり違って、こちらは神秘的な面は少なめ、ユーモア多め、といえるかもしれません。 桑潟幸一(通称桑幸)は「日本近代文学者総覧」の執筆に加わることになり、太宰あたりを担当させてもらえるのではないかと期待したが、まわってきたのは、誰も知らないようなマイナーな作家数名だった。しかし、それが縁で、その中のひとり、溝口俊平の未発表の作品を見て欲しいといって、出版社の企画編集部の猿渡という男が訪ねてきた。そして「言霊」なる雑誌に溝口の作品についての原稿を依頼した。 溝口俊平は病身だったため瀬戸内の久貝島の祖父の別荘で療養しながら童話を書いた。「お日さまとモグラ」「鷲の目に涙」「悪魔の田植え歌」等々。「西郷さんとどら猫」は西郷さんが猫にひどく舐められる話、というのだから、内容の程度は想像がつくが、なぜか出版されると反響を呼び、「日本人の心の忘れ物を思い出させてくれる清涼剤」などと大人気になった。桑幸は猿渡に言われるまま、自ら久貝島で原稿を偶然発見したことにしたが、気になって島に行ってみると、溝口の祖父の別荘があったらしい場所にはMD世界心霊教会の建物があり、猿渡から貰ったコインと同じ文様が描かれていた。 ところが猿渡の首が久貝島の近くで発見された。北川アキと諸橋倫敦は桑潟が怪しいと考えた… 巻末に千野帽子なる人の解説「不透明な語りの自由―文学少女のための奥泉光入門」とインタビューがあります。現代文学においては透明な語り手が饒舌な講釈師を追放してしまったが、奥泉は19世紀前半の技法を復活させている、云々。言われてみれば、独特な文体のわけのひとつはそこにあるのかもしれません。などと書いたら作者の罠に引っかかったということになるのかな。
September 28, 2006
コメント(4)
題に惹かれ手に取った「レモンブック」。レモン紀行とでもいうべき、レモンのあるイタリアの風景や料理の美しい写真と文章から成る小さめの本ですが、見ているだけで快い、美しい、おいしそう! シチリア島、ナポリ、ポンペイ、ゲーテも立ち寄ったガルダ湖… アマルフィ海岸の急斜面の段々畑。 レモンが木になっているところは見た事がありませんでしたが、この本の写真で見ると、やはり想像どおりすてきです。ゲーテのウィルヘルム・マイスターの登場人物、薄幸の少女ミニヨンが歌う「君よ知るや南の国」とは、こういうところだったのですね。レモンの歴史も書いてあります。 イタリアではレモンはよく料理に添えられていて、ダイナミックに手でしぼってたっぷり使うそうです。貝類にあたるのを防ぐ作用もあるそうです。昔は薬としても使われ、富や権力の象徴として邸宅に植えられていたとか。ポンペイの壁画にも描かれています。 料理やお菓子のレシピも載っています。著者が鎌倉の自宅にレモンを植えたところ、鈴なりに実るようになったそうです。ただし、レモンの木にはいろいろ種類があるそうです。「レモンブック」 北村光世著 集英社
September 24, 2006
コメント(6)
取材のため、世界の紛争地や貧困地帯を多くまわっている著者が集めたジョーク集です。「世界の紛争地ジョーク集」早坂 隆 著 中公新書ラクレ まえがきには、「紛争地では数え切れないほどの涙や悲鳴、嗚咽と出会ってきました。しかし、そこには凍りつくような悲劇の場面だけではなく、厳しい今日今日の中でも笑いを大切にして生きる人びとの姿もありました。そんな逞しい人びとが得意げに披露してくれたジョークをこの本では集めています」とあります。 中近東、旧ソ連、東欧、アジア各国のほか、国を持たない人たちのジョークとしてロマ(ジプシー)とクルド人のジョークが解説とともに載っています。 例をあげると、イラクのジョーク「出国の自由」問い:サダム・フセイン大統領が国民に出獄の自由を与えないのはなぜか?答え:一人ぼっちになってしまうから。(これは前に他の国版を見たことがあるような気がします)ロシア(旧ソ連)のジョーク「どっち?」ある時フルシチョフが農村の養豚場を視察に訪れた。その翌日の新聞には大きな写真入りの記事が掲載され、その下にはこう書かれていた。「写真・豚とフルシチョフ(左から2番目)」政治的なジョークを言うだけで逮捕されるような状況だったときも、家の中などでひそかに伝わってきたようです。 あとがきには次のような内容が書かれています。 バグダッドの病院には、劣化ウラン弾によると思われる病気になった子供たちがいたが、経済制裁により薬も栄養も不足し、子供たちは治療どころか栄養失調気味だった。「この病室にジョークはありませんでした。」 ルーマニアの小児エイズの孤児院には、チャウシェスク時代に血液注射をされてエイズになった子供たちの子供たちがいた。「この病室にもジョークはありませんでした。」 ボスニア・ヘルツェゴビナでは目の前で両親を殺された少年にあった。家も焼かれ、友達も殺され、以来一度も笑ったことがない。「やはり、ここにもジョークはありませんでした。」 紛争や貧困、差別的な社会状況の中にある人びとと戸所に時を過ごす中で、彼らがどれだけ笑いによって助けられているかを見てきたが、「そういう場合にこそ笑いが必要」。しかし、笑いが負けることもある。笑いを凌駕する悲劇がこの世界にあふれている。それでも「笑いは世界を救う」と思っている。「涙と笑いの間にある深い溝に、橋をかける作業、そのための上等なツールに、ジョークや笑い話はなり得るはずです。…イラクでも、パレスチナでも、旧ユーゴやロマの人々も、それぞれ深い心の傷を持ち、経済的に苦しい生活環境の中にあっても飛び切りの笑顔を私に見せてくれたのです。そんな数々の笑顔は、日本人が失いかけている大切なもののような気さえしました。」 そういえば、「もの乞う仏陀」にも、物乞いをしている人たちが食事をしながら冗談をいいあう光景がありました。「もの乞う仏陀」著者 石井光太さんのブログ
September 15, 2006
コメント(0)
背表紙だけはよく見かけていた、いわずとしれたスタインベックの名作です。前に、セゾン劇場(当時)でこの作品をもとにしたお芝居を観たとき、終幕近く、死産したばかりのローザシャーン(日色ともえさん)が、飢え死にしそうな男性に母乳を飲ませるシーンに、若干の嫌悪を感じつつも、その崇高さに打たれ、原作を読んでみようと思ったのですが、最近やっと実現しました。 ずっとこの作品は昔の野蛮な時代の物語だと思っていたのですが、読んでみて、スタインベックの慧眼と深い人間愛に驚きました。ちっとも古くなってはいず、現在の世界に通じる内容は、今のわたしたちこそが読むべき本なのではないでしょうか。取材をもとにして書かれたこの作品はピュリツァー賞を受賞しました。また、貧しい境遇ゆえ大学を中退し職を転々として果樹園でも働いた経験もこめられているかもしれません。もしかしたら、アメリカはこの時代から換わっていなかったのかもしれない、そして、そんなアメリカのシステムをなぜ日本の政府はまねたいのか? 感銘を受けた箇所を抜書きするなら、膨大になってしまいますので、ぜひ、一度、皆さんにじっくり読んでみていただきたいと思います。そうはいっても、それだけだと、どうしてそんなに勧めるのかわからないと思いますので、ざっとご紹介してみますね。 オクラホマの農家の息子、トム・ジョードは喧嘩で人を殺してしまい(相手がナイフで刺したのでシャベルで殴った)、服役したが、仮釈放になって戻ってくると、家族は家を引き払って出発しようとしていた。そのあたりの小規模農家は干ばつで借金が返せなくなり、土地を失ったのだ。後にやってきた大規模な会社や銀行が必要としたのは、数人のトラクターの運転手だけだったので、大部分の人は小作の仕事も得られず、求人ビラを頼りにカリフォルニアへ向かった。 トムが途中偶然会った元説教師ケーシーもジョード一家と一緒に行くと言った。ケーシーはひとりで草原で考えていたとき、丘とひとつになったように感じ、人間ぜんたいが一つの大きな魂を持っていて、一人一人がその魂の一部分なのだろう、と思えたという。もう洗礼も説教もしないと言い、「畑で働くつもりだ、緑の畑でね ― そしてみんなのそばにいるつもりだ。何もみんなに教えようなんてつもりはねんだ。教わるつもりだよ。(中略)悪態をついたり、罰当たりなことを言ったりして、みんなが話す言葉の詩に耳を傾けるだ。みんなそういうことが聖なることなんだ。これこそがわしが理解したかったことなんだ。みんな善きことなんだ。」という。 必要最低限のものをトラックに積み、残りは売り払って、一同は出発したが、道路は同じような人と荷物を満載した車でいっぱいだった。 土地と一体なのだから離れたくないといった祖父は卒中で死に、祖父を自分たちのテントで死なせてくれた夫婦の病身の妻も自分の死期を悟ってジョード一家に先に行くように言い、祖母も過酷な旅に耐えられなかった。 やっと到着したカリフォルニアは一面に果樹園がある、見たこともないような美しい国だった。しかし、そこの住人は、安い労働力に仕事を奪われるのを恐れ、移住者が盗みなど犯罪を犯すのではないかと恐れていた。警察も正義のためではなく、裕福な農園主のために仕事をしていた。途中会った農民のことばを借りると、「あっしらのようなものが3万人もいるってことだ。―豚みたいに暮らしてるとさ。なぜってカリフォルニアにあるものはみんなもう誰かの所有になっちまっているからさ。何一つ残っちゃいねえだ。しかもそれを持っている人間ときたら、世界中の人間を殺したってかまわねえから手放すまいとしている連中だ。それに、やつらは恐がってるだ。それで、ますますきちがいじみてくるだよ…やつらはすっかり怖気づいて、心配しきって、おたがい同士だって親切じゃなくなってるだでね。」(フランスの暴動の発端になった若者たちは移民の子で、貧しい移民の住む地区では、職務質問が頻繁に行われ、ときに警官が暴力をふるうこともあった、というのを連想しました監視カメラが張り巡らされ、警官がやたらと人を逮捕する美しい国なんていやですね。) 農園主は必要な人数よりたくさん人を集め、賃金を下げていた。それを知っていたため請負人に免許証を見せろといっただけで逮捕されそうになって保安官補を殴った男の身代わりになって、ケーシーは逮捕された。保安官補にもノルマがあって、誰かひっぱるか辞職しろと言われているらしい。 大企業や銀行は缶詰工場をつくって果実の値を下げ、缶詰の値を高くして儲けたが、工場を持たない小規模農家は農場を失った。収穫しても採算が取れない果物は捨てられ、貧しい人が拾わないよう石油がかけられた。腐敗臭が漂い、人びとの魂に怒りの葡萄が実りはじめ、次第に大きくなっていった。 移住民たちは人間扱いされなかったが、住人が自主管理している国営キャンプだけは設備も整い、清潔で居心地がよかった。土曜のダンスパーティーの夜、騒動を起こすべく工作員が入り込み、警官が張り込んだが、事前に知ったトムたちは工作員を外に連れ出し、ことなきを得た。しかし、近隣に仕事がないため、一家はキャンプを後にした。 桃摘みの仕事に誘導されたが、後に、スト破りに利用されたとわかった。農園の入り口におおぜいの人がいたのが気になっていたトムは夜、様子を見に行った。その人たちはストをしていたのだった。その中にケーシーがいた。ケーシーは刑務所で、ひとりで声をあげても相手にされないが、皆で言えば聞いてもらえることを学んだといったが、その直後、トムの目の前で殺された。トムはケーシーを襲った男を殴って殺してしまい、一家は桃の農園をひきはらった。 綿花摘みの仕事は条件も悪くなく、トムも近くにひそんでいたが、幼い妹が口をすべらせたため、逃亡しなければならなくなった。トムは洞穴の中でずっとケーシーのことを考えていたせいで、ケーシーの考えに似てきたという。「(おれは)おっ母が見さえすればどこにでもいるだ。パンを食わせろと騒ぎを起こせば、どこであろうとその騒ぎの中にいるだ。警官が俺たちの仲間を殴ってりゃ、そこにもおれはいるだよ。…お腹のすいた子供たちが、食事の用意ができたというんで、声をあげて笑ってれば、そこにもおれはいるだ。…」 大雨が続き、川が氾濫し、母親は死産したばかりのローザシャーンをつれて高いところに避難し、雨宿りさせてもらおうと納屋にはいった。そこには父と子がいたが、子は飢え死にしそうになってパンさえ受け付けなくなっている父を助けて欲しいと泣いて訴えた… 書ききれませんが、母親の言葉にもとてもよいものがあるので、ぜひ、お読みになってみてください。検索してみたところ、ジョン・フォード監督による映画もあるのですね。そういえば、聞いたことがあるような気がします。監督の故郷アイルランドの飢饉の状況に似ていたそうです。(ジョン・フォードの)好きなストーリー上記サイトのホームはdirected by
September 12, 2006
コメント(8)
全39件 (39件中 1-39件目)
1