力強い朝日が今日も昇ってきました
西にはまだ雨雲の名残りが厚く垂れこめていましたが、
みるみる空が明るくなってきます。
じっと太陽の昇る方角に目を凝らしていると世界中に光が充満していくように思えます。
まだ太陽の形は見えないうちにも、ぐんぐんと光の力は増していきます。
山の端からそのへりがのぞいた途端、温かさが波のようにやってきました。
雨を含んでぬれている木々や家々の屋根からその温かさで水蒸気が上がるようです。
一瞬、開け放った窓から入ってくる風の湿度が高くなり、
テーブルの表面を触ると、しっとりとした感触が伝わってきました。
すぐそばに太陽があるわけでもないのに、
雲も見る見る溶けて太陽の前を横切ると消えていきます。
どんなに恐ろしい夜でも、終わることのないと思える漆黒の闇夜であっても、
その時が来れば朝日は昇ります。
たとえ重い雲に閉ざされていようと、そこには太陽があり、
その光の降り注ぐところを浄化してくれているのです。
ただ重い雲にばかり気を取られてしまうと、その存在すら信じられなくなるだけ。
一瞬一瞬に感じるものって何なのでしょう。
見えるもの、聞こえるもの、香るもの、味わえるもの、触れるもの...
心にやってくるものっていったい何なのでしょう。
子どもの頃、美味しいと思ったものをまずいという人がいることを知り、
もしかしたら自分が見ている色も、その人は違った色に感じているかもしれない、
だとしたら感覚って何なんだろう、と思ったことがあります。
自分でも朝日を力強い神々しいものと感じることがあると思えば、
何もかも明らかにしてしまう疎ましいものに感じたこともありました。
それはその時の自分の心のありよう次第...
絶対的な力強さで朝日がなだれ込んできます。
その前にあるものを分け隔てなく、どんどん光の波で被いつくしていきます。
心ふさぐ時も太陽はそこにあって、否応なしに光を投げかけています。
その光の温かさに歓喜できない自分がいたとしたら
朝がやってきたことに気付かない自分であったとしたら...
ふと眼を左手の窓に移すと、反射した光が虹を作っていました。
ほんの少し時間がたてばこの光の虹は消えていきます。
でも、今度は違うところで太陽の光を受け、輝くものがあるはずです。
たとえ大いなる闇が頭上を覆っても、その闇の終わりはきっとあるはず。
大きな力は黙々とあるべきようにあり、
小さな人間はそれを自分の感覚でとらえているにすぎないのではないかしら。
一瞬にして消えていってしまう様に見える僥倖でも、
心の持ちようでそこここに見つけられるにちがいない、と感じられる朝でした。
心が闇に閉ざされているようなときにも、
力強い朝日のような光がが差し込んできますように。
ありがとうございました。
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