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『ビタミンF』重松清 、第124回直木賞、新潮文庫 現在ビタミンは15種類あるが、その中にビタミンFはない。著者の重松清さんは「人の心にビタミンのようにはたらく小説として書いた」と本書の後記に描いている。 本書は7つの短編から成っている。そのすべてが家族をとりあげたもので、主人公はすべて父親だ。 『ゲンコツ』。おやじ狩りなどを恐れ、少年たちが夜たむろしていると、そこを避けていたサラリーマンが主人公。ある夜、公園にたむろしていた少年たちに勇気を出して声をかけた。少年たちは自転車で逃げたが、途中でこけた者が一人いた。同じマンションに住む少年だった…。 『はずれくじ』。中学1年生の息子が、警察に補導された。本人は悪い仲間に誘われただけだった。父親は、次に誘われたらきっぱり断るよう息子に言ったが…。 『ぱんどら』。中学2年生の娘が万引きでつかまった。年上のボーイフレンドと一緒にやったという。万引した物の中には、コンドームもあった。親はこういう時、どうすればいいのか。 『セッちゃん』。中学2年生の娘がクラス全員からシカトされる、つまりいじめにあう話だ。両親は、運動会で娘だけ他の生徒と違う振り付けで踊っていたことと、家での会話を踏まえ、いじめにあっていることを直感した。担任に相談するが…。 なぎさホテルにて』。誕生日を翌日に控えた日に、夫が妻と二人の子どもを連れて「なぎさホテル」に泊ることにした。 そのホテルは達也が20歳の誕生日の日に、恋人だったの有希枝と泊ったホテルだった…。 『かさぶたまぶた』。娘がボランティアで行っていた聾学校から帰って来て以来、様子がおかしくなった。卒業記念の自画像を一人だけ描くことができなくなった。そんな時、大学受験に失敗した息子が酔っぱらって帰って来た…。 『母帰る』。父親と母親が、子どもの結婚式の後離婚した。母親が離婚を言いだし、父親が同意した。娘と息子は当然、母親を恨んだ。しかし、父は恨んでいない。母が家を出て10年、一緒に暮らしていた男が、最近死んだ。 父はもう一度、母と一緒に生活することを言いだした…。 以上のように、ごく簡単に中身に触れたが、それぞれの短編が一つのテーマを持っていて、読者が自分に置き換えて読むことができる。まさに他人事ではない1冊だ。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.31
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『夜行観覧車』湊かなえ 、双葉文庫 S市にある「ひばりヶ丘」という高級住宅街で殺人事件が起きた。 遠藤家では、いつものように中3の娘・彩花が癇癪をおこし、近くにあるものを手当たりしだいに壁や床に投げつけた。母の真弓はなだめすかした。彩花の声は閑静な住宅街によく響く。 真弓は何とか彩花と共通の話題を持とうとアイドルの高木俊介が出る番組を見るようになり、俊介のコンサートに彩花と行く約束までした。彩花は向かいに住む高橋家の次男・慎司にあこがれ、慎司に俊介が似ているということで俊介のファンになった。 今日、彩花が癇癪をおこした原因は、彩花が有名私立中学の受験に失敗したことを真弓が口走ったからだ。「どうせ私は、落ちました」と彩花は投げやりだ。 遠藤家の騒ぎが収まった頃、夜10時過ぎ、向かいの高橋家で「やめて」「助けて」という女の悲鳴が聞こえた。夫人の淳子の声だ。その声の合間に、慎司の声も聞こえた。高橋邸からそんないさかいの声が響いて来たのは、始めてだ。 真弓は様子を見に行こうと思ったが、彩花が止めたのでやめた。真弓は買い物に近くのコンビニに行った。そこに慎司がいた。 慎司が、真弓のところに来て、財布を忘れてきたので、お金を貸してくれと頼まれた。ちょうど細かいものがなかったので、1万円札を貸した。 真弓が家に帰ると、高橋邸の前に救急車とパトカーが停まっていた。高橋家の主人・医者の弘幸が頭をけがしたらしい。弘幸は病院に搬送されて死亡した。 翌朝、テレビで淳子が弘幸をトロフィーで殴り、殺したと自首してきたと報道した。一緒に住んでいる子どもの慎司と比奈子は留守だった。 これが本書の始まりだが、本書はいろいろ考えさせる内容を含んでいる。 まず、事件のあった家族に対する世間の対応だ。マスコミが引き揚げた次の日に、高橋邸の壁に「死ね」「人殺し」「出て行け」...と書いたビラが貼られた。窓ガラスも割られた。しかも白昼堂々とだ。 貼ったのは婦人会で、高橋邸の斜向かいに住む小島さと子というおばあさんが中心になっていた。とがめようとした遠藤啓介に「婦人会としてささやかな抗議をした」と、悪びれず答えている。 また、インターネットの掲示板にも同じような、高橋家の家族を中傷する書き込が多かった。 娘・比奈子の通う学校では、比奈子の机や椅子に、同様の落書きがされたという。いったい日本はどうなっているのだろうか。 もう一つは、どういう人間でも、常に犯罪を犯す可能性があることだ。彩花の癇癪は私立中学に落ちたことで、みんなが自分をバカにしているように見える。ちょっとしたことで切れる。これはまだいい。問題は普段は落ち着いていて切れたことがない人だ。 淳子は落ち着いていて、きわめて常識的な人として通っていた。その彼女がなぜ、夫・弘幸を殺害したのか。それを本書は解明している。 現代日本が抱える病を考えさせてくれる作品だ。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.29
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『動機』横山秀夫、53回日本推理作家協会賞、2001年「このミステリーがすごい」第2位、文春文庫 J県警は、警察手帳の紛失を防ぐために、手帳の一括保管という制度を三つの所轄で試験的に導入した。ところが、その制度が裏目に出た。U警察署で30冊の警察手帳が、盗まれたのだ。 U警察署はフロアーごとに手帳を保管していた。盗まれたのは1階、交通課と警務課の手帳だ。保管責任者は警務課の大和田徹。その日の当直は13人いて、当直責任者は、益川刑事だった。 警察署という場所柄、外部から何者かが侵入して取ったとは考えにくい。 県警はただちに人をU署にやって、関係者の事情聴取を始めた。 さらに、手帳の一括保管を提案した県警警務部警務課の貝瀬正幸も独自に調査しようとU署に行った。 内部の犯行とすると、盗むのに最も条件がいいのは、当直責任者の益川、保管責任者の大和田の2人だ。貝瀬はまず、益川から当たった。益川はもともと手帳の一括保管には反対で、話をしていると途中で喧嘩になった。貝瀬は益川は白だと見た。 大和田は、謹厳実直で、曲がったことが大嫌いな人だった。たとえ相手が署長でも規則を守らなくて怒鳴りつけたことがある。人柄から判断するととても手帳を盗むとは思われない。 ただ、大和田がいちばん盗みやすいのだ。U警察署の1階に勤務する警官の手帳を全部集めて、保管庫に入れて施錠する。翌朝、保管庫から出してみんなに配る--これを大和田がやる。 しかし、動機がない。なぜ、手帳を盗む必要があるのか。 夜、警察官舎に帰った貝瀬は、妻から小学校4年の息子の学校での話を聞いた。ある子が、絵具を床にこぼし、防火バケツに入っていた水を流したというのだ。 この話を聞いた貝瀬は、ひらめくものがあった。 警察などの官僚機構にいる人は、保身のことをまず考える。しかし、部下のことをまず考える上司もいることを描いている。 本書はさらに、『逆転の夏』『ネタ元』『密室の人』と短編が収められている。とりわけ『逆転の夏』は松本清張の『共犯者』を読んでいるようなスリルがあった。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.27
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『乙女の密告』赤染晶子、第143回芥川賞、新潮社 ここは京都にある外国語大学。学生の多くが女子だ。ドイツ人のバッハマン教授は、ドイツ語のスピーチのゼミをもっていた。そのゼミにいる2年生のみか子が、本書の主人公だ。 バッハマン教授はとても厳しい人で、ドイツ語の上達のため、血を吐くような努力を学生に求めた。また、彼は女子学生のことを乙女と呼んだ。 大学では来年の1月にスピーチコンテストが予定されていた。暗唱の部と弁論の部に分かれていた。みか子たち2年生は暗唱の部だ。暗唱する文献は『ヘト アハテルハイス』、邦題を『アンネの日記』という。 本書はまず、コンテストに向けて勉強する乙女たちの中のドロドロとした人間模様を描いている。バッハマン教授のゼミには「すみれ組」と「黒ばら組」の派閥があった。みか子はすみれ組に属していた。みか子が憧れる麗子は黒薔薇のリーダーだった。 ある日、麗子とバッハマン教授との間に、黒い噂があることが広がって言った。麗子は窮地にたつ。みか子は麗子を信じるが...。 また、みか子が麗子の潔白を証明しようと、バッハマン教授の研究室に行くが、二人で研究室にいるところを他の乙女に見られ、みか子とバッハマン教授との関係を密告される。みか子は自らの潔白を証明するためにあせる...。 さらに、『アンネの日記』を題材にして、当時のユダヤ人への弾圧がどういうものだったかを本書は描いている。 コンテストでの暗唱の課題は、『アンネの日記』の「1944年4月9日」の部分だった。みか子は、必死に暗記した。暗記の部分はアンネが、ゲシュタボの追及から逃れて隠れ家で生活するようになっていたときで、4月9日はゲシュタボの警察官に見つかりそうになった日だった。 アンネが、ユダヤ人であるために弾圧されていることは、みか子が子どものころ読んだ『アンネの日』のイメージとは異なっていた。 女子大生の人間模様と、ユダヤ人弾圧の歴史が重なりあう作品だ。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.25
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『バイバイ、ブラックバード』伊坂幸太郎 、双葉文庫 星野一彦(30)は、一度に5人の女性と付き合っていた。五股をかけていたということだ。ある日、繭美という女に引っかかって、ある遠い場所に、バスで連れて行かれることになった。 一彦はそれまでに、付き合っている女性にサヨナラがしたいと言いだし、繭美も一緒に付いて行くことになった。もちろん、逃げないように見張るためだ。また、繭美は大女でブスなため、繭美と結婚することになったと言えば、相手もあきらめるだろうということでだ。 最初は、ブドウ狩り園で知り合った廣瀬あかりという女性。彼女は、なかなか別れると言わなかった。繭美が、近くのラーメン屋でやっている「五周年記念ジャンボラーメン大食いチャレンジ」に一彦が出て、ジャンボラーメンを食べきったら別れることにしようと提案した。 二人目は、霜月りさ子、某都市銀行の行員だ。バツイチで小学生の男の子がいる。りさ子が買い物から車で帰る途中、道路の真ん中に立ちふさがったのが、一彦だった。 りさ子はあっさりと別れることに同意した。話の中で、車をコンビニにとめていたら、当て逃げされたと言った。一彦は別れるつぐないに、当て逃げの犯人を探すことにした。 三人目。一彦が深夜、街を散歩している時に、ロープを肩にかけて黒のつなぎを着て、歩いていたあぶない感じの女性がいた。彼女に声をかけた。如月ユミだった。 彼女もあっさり、一彦と別れることに同意した。ところが、ユミは泥棒を計画していることが分かった。一彦と繭美はユミの狙っているマンションの部屋に先回りして...。 四人目。一彦が耳鼻科のベッドで横になって点滴をしている時、隣のベッドで点滴をしていたのが神田那美子だった。 彼女は18時18分に一彦から電話がかかって来たので、1818をイヤイヤと解釈し、別れ話をしに来ると予想していた。 一彦と繭美が話をしていると那美子は、乳癌の疑いがあって、検査をした。今日、検査結果が出ることになっていると言った。一彦は先回りをして、那美子の替え玉を立てて、検査結果を先にさぐり出そうとしたが...。 最後、5人目は、何と女優だった。有須睦子、33歳。5人の中でいちばん付き合いが長く4年になる。睦子がCMを収録していたスタジオで、一彦と知り合った。 別れ話をすると睦子は、別れたくないと言った。 その後、一彦と繭美はその日、睦子が仕事をする予定の映画の撮影現場に一緒に来てしまった。そして、監督からエキストラで出るよう言われ、出た。 本書「バイバイ、ブラックバード」はこのように、星野一彦が5人の女性に別れ話をし、繭美と奇想天外なエピソードを生みだす物語である。 よくもまあ、あんなきっかけで付き合うようになり、五股もかけることができたものだとあきれる。ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.24
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『夜明けの街で』東野圭吾 、角川文庫 本書は不倫、いわゆる浮気をテーマにしている。 建設会社に勤める渡部は、不倫をする奴はバカだと思っていた。近くに、不倫で家族も仕事も失った例があったからだ。ところがそのポリシーを覆すことがおこった。 仲西秋葉(31)が、派遣社員として同じ職場に入って来た。渡部とは26人いる職場の仲間の一人だったが、担当が違ったので話すこともなかった。 ところがある日、渡部が友人3人と飲んだ後、バッティングセンターに行くと、秋葉がバットを一心不乱に振っているのに出会った。渡部たちが、カラオケに誘ったら付いて来た。 カラオケでは秋葉の独り舞台だった。また、秋葉はよく飲んだので、帰る頃にはかなり酔っていた。渡部が彼女のマンションまで送っていった。これが一つのきっかけとなって、親密な関係になっていった。 渡部には有美子という妻と4歳の娘がいた。有美子は専業主婦で、良妻賢母を演じ、何の不足もなかった。しかし、渡部は週に1回は秋葉のマンションで逢瀬を重ねた。 ある日、秋葉の実家に行った。豪邸だった。誰もいないと思っていたら父親が車で出るところだった。秋葉は父・達彦に渡部を紹介し、中に連れ込んだ。 リビングに入ると、ここは人殺しのあった部屋であることを秋葉から打ち明けられる。父の秘書・本条麗子が殺されたのだ。犯人はまだ、見つかっていない。来年の3月31日で時効を迎えるという。 警察は犯人を麗子に恨みを持つ者と考えた。麗子は達彦の秘書であると同時に愛人だった。つまり達彦を妻の綾子から麗子が奪ったと考える秋葉と伯母の妙子があやしいと、警察はにらんでいた。 本書は、ますます深みにはまってゆく渡部と秋葉。また、麗子殺しの犯人を追う刑事と麗子の妹。この二つの柱で、時効の3月31日に向かって進んでゆく。 そして、事件の真相は3月31日に明かされる。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.22
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『光媒の花』道尾秀介 、第23回山本周五郎賞、集英社文庫 本書は、全部で6章からなっている。それぞれが独立しているが、登場人物は一貫性がないまま一章から引き続いている。 第1章「隠れ鬼」は、遠沢印章店の家族を描いている。主人公は印章店の息子・正文、40を過ぎて独身。母親が認知症で、その世話に追われている。 正文が子どものころ、祖父の残した別荘が長野県にあり、毎夏、家族で行って過ごした。 正文が中学2年のとき、別荘の近くを散歩しているとある女性と遭遇した。近くにウッド・クラフトの店を出していた。毎日、同じ時間、同じ場所で彼女と会った。そしてキスをした。その後、彼女はかがんで正文のズボンのジッパーを下ろした。 翌年、正文は中学3年、その夏も彼女と会った。 ところが、その翌年、正文が高校1年の夏、彼女は来なかった。正文は彼女の店に行った。彼女はいた。 翌日、いつもの場所に行った。彼女が来ると思っていたら、釣りに行くと言って出て行った父が来た。正文は隠れて見ていると、やがて彼女が来て父と抱き合い、正文にしたことと同じことをした。 翌日、東京に帰った。3日たって、彼女が殺されたとニュースで報道していた。その翌日、父が自殺した。 警察がしょっちゅう来て、父と彼女との関係を聞かれた。警察は父が犯人だと見ているらしいが、父が死んでしまってはどうしようもなかった。 しかし、意外なところに真犯人がいた。 この章の正文と母親は、第六章にも登場する。 第二章「虫送り」は、小学生の兄妹が夜、家の近くの河原で虫取りをときどきしていた。対岸でも懐中電灯の明かりが二つ見えるので、誰かが虫取りをしていると兄弟は推測した。 ある日、ホームレスの男が、虫の取り方を教えてやると言って、妹を自分のテントに連れ込んで、悪戯をしようとしていた。兄は急いで妹を連れて帰った。しかし、帰る途中に子どもの頭ぐらいのコンクリート片が落ちており、それを二人で持ち上げて橋の上から男のテントの上に落とした。 一週間ぐらいしてテレビのニュースでホームレスが死んだことが報道された。橋から落ちてきたコンクリート片が、頭に当たったのが死因だと言っていた。兄弟は、自分たちが殺したと思い込んだ。 しかし、ここでも犯人は意外なところにいた。 その種明かしをするところから四章は始まる。 一章、二章と読んで、本書は推理小説なのかと思ったが、そうでもなかった。推理小説的な章もあるが、三章は、真犯人の子ども時代が、第四章は真犯人が中学生の時に付き合っていた女性が、大人になった時のことを描き、第五章で...というようにつながっていく。 各章の主人公が変わってゆく、シリーズものに組み立てられている。また、主人公が中学生くらいの子どもであることも本書の特徴だ。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.19
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『終わらざる夏(上)』浅田次郎 、集英社 終戦をあと一ヵ月後にひかえた7月。東京で出版社の編集長を務める片岡直哉。地元岩手県で医専を出て帝大の医学部に通う菊池。盛岡市在住のタクシー運転手・富永熊男。この3人に赤紙(召集令状)が来た。戦場へ行けということだ。 しかし、3人に赤紙が来るとはだれも予想していなかった。片岡は45歳、あと1ヵ月で46歳になる。つまり除隊の年齢に達する。 菊池は医専をでて一応、医師の免許はあるが、実際にけが人を診察した経験はほとんどない。 富永はかつて3回も出征し、新聞に載るような活躍をした有名人だ。だが、銃で指を撃たれ、右手の人差指と中指、薬指がない。これでは銃の引き金が引けない。 菊池はもちろん軍医として、富永は運転手として、そして片岡は通訳として千島列島に展開する第91師団に配属になった。 任地は北海道から1200キロ離れた日本の最西端・占守島だ。千島列島のもっとも北に位置し、ソ連に接しているところだ。 当時、千島列島は日本の領土だった。太平洋戦争の中ごろ、戦争の指揮をする大本営は、アメリカは日本への最短距離、つまりアリューシャン列島の上空を経由して千島列島を通過して首都・東京に入ってくると見ていた。その時に、千島でアメリカを迎え撃つため、25000人の兵を展開させ、特にソ連と国境を接する占守島には13000の鍛え上げた精鋭を置いた。しかも戦車60両をはじめ無傷の兵器を装備していた。 大本営は、近く戦争が終わることを予測していた。もし、日本が負けた時に、すべての軍が速やかに武装解除するか分からなかった。特に、精鋭と十分な武器を持つ千島が心配だった。 そこで、アメリカの使者が来たらスムーズに武装解除がおこなわれるよう英語の通訳を置いたのだ。 8月15日が来た。昭和天皇がラジオでポツダム宣言を受け、無条件降伏したことを発表した。はたして占守島はどうなるのか...。 以上が大まかな筋だが、本書は物語を通して戦争というものの本質を暴きだそうとしているのが大きな特徴だ。 「アメリカは紳士の国だから日本が負けてもひどいことはしないだろう」 「紳士の国がなぜ、広島と長崎に原爆を落として子どもや女を殺したのだ」 「結局戦争は、国と国との戦いで、いくらいい人でも、戦場に行けば敵を殺さなければならないのだ」 また本書は、誰に赤紙を出すのかを決める役人の苦悩。赤紙を配達する者の苦悩。若い、働き盛りの男が兵隊にとられて、生活が成り立たなくなった家。学童疎開で、子どもに教育する教師の悩み...、それぞれの立場で戦争を表現している。 日本人として読んでおくべき一冊ではないだろうか。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.17
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『漂泊者のアリア』古川薫、第104回直木賞、文芸春秋 古川薫さんといえば、山口県の人ということもあり、歴史を切り開いてきた山口県になじみのある人物を描いた作品を描く作家、というイメージがある。戦国時代の毛利氏、大内氏、陶氏...。また高杉晋作や伊藤博文をはじめとする幕末の志士を描いた著作が多い。私も多数、これらの作品を読んだ。 そういう点からすると、オペラ歌手・藤原義江(ふじわらよしえ)の生涯を描いた本書『漂泊者のアリア』は、古川さんの作品の中では異色なのではないか。 義江は明治31年12月5日、下関で琵琶がうまい芸者・キクとイギリス人リードとの間に生まれた。いわゆる混血児だ。子どもの頃、義江は混血児ということで「あいのこと」いわれ、子どもたちはもとより、教師からも差別的扱いを受けた。 キクはそういう義江を連れ、九州などを渡り歩いた。義江は生まれながらの漂泊者だった。 キクは貧乏な生活から抜け出すため、父と兄弟のいる大阪に出た。キクは義江がいると仕事の障害になるため、下関のリードのところに行かせた。義江11歳の時である。 リードは下関で瓜生商会という貿易会社の支店長だった。義江に会うが、非常にも大阪につき返してしまう。 義江が、大阪に帰ると大火災がおきており、住んでいたところが灰燼にきして母や親戚の生死も分からないという状況だった。仕方なく、義江は下関に引返す。 リードは瓜生商会の社長・瓜生寅に義江を学校に行かせるため、生活の面倒をたのんだ。義江は上京し、極貧生活から抜け出した。しかし、腕白な性格からどの学校も合わず、瓜生寅の死を契機に自活を始めた。 いろいろな職を転々とするが、ある出版社で雑用として働いているとき、上司に『復活』を見に連れて行ってもらった事がきっかけで、俳優に憧れるようになった。その後も、職を転々とした後、俳優になるため上京した。 紆余曲折を経て、義江はオペラ歌手を目指すようになった。日本である程度、舞台を踏んだあと、父リードの援助で、オペラの本場、イタリアのミラノに旅立った。ヨーロッパ各地で勉強し、公演もこなし、渡米。 アメリカで朝日新聞に取材され、それが日本で報道されるや、日本での知名度が急速に上がり、帰国。日本全国を公演して回り、義江のオペラ歌手としての黄金時代が幕あけた。 義江を語る上で見逃せないのが、女性関係の派手さである。常に彼の周りには女の影が付きまとっている。日本人離れした容貌の影響もあるが、義江自身惚れっぽいのである。母キクが危篤にあるというときにも女と会うほうをとるほどだ。 晩年はパーキンソン病が進行し、最後の愛人・三上孝子が看病し、義江を看取った。ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.11
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『孤愁ノ春』佐伯泰英 、双葉文庫 本書は、佐伯泰英氏の超長編小説の第33巻目にあたる。 悪名高い老中・田沼意次は、10代将軍・徳川家治の嫡子・家基を医者を使い毒殺した。家基は18歳だった。家基の指南役だった佐々木玲圓とその妻・おえいは殉死した。 これを契機に、田沼意次による家基派への粛清が始まる。とりわけ、佐々木が開いていた尚武館(佐々木道場)の関係者に魔の手は伸びた。 佐々木玲圓の養子・磐音(いわね)は妻・おこんとともに、江戸を代表する両替商・今津屋の御寮に逼塞した。しかし常時、田沼意次の手の者が見張っていた。 家基の葬儀が行われ、東叡山に葬られたのをきっかけに、身の危険を感じた磐音はおこんとともに、江戸を脱出。東海道を一路、佐々木家の墓のある三河の刈谷を目指した。 しかし、田沼意次の追及は執拗で、将軍直属の御小姓組二十数名を刺客として後を追わせた。 佐々木磐音とおこんは、いくたびかの試練を尚武館関係者の協力によって乗り切っていった。また、尚武館の弟子、弥助と霧子が供をすることになり、彼らが二人を守った。 箱根の山越え、そして関所の通過...、行く手には田沼の愛妾・おすなの命令で、系図屋・雹田平が得体のしれない異国人二人を伴い、刈谷に先行し、磐音を待っていた。ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.07
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『美丘』石田衣良 、角川文庫 東京に明智大学という架空の私学がある。22階建て校舎のマンモス大学だ。 橋本太一と友人の北村洋次が、屋上で寝そべっていた。二人の前を影がよぎった。女子学生だった。 屋上を囲ってあるフェンスをよじ登り始めた。太一と洋次は自殺志願者と思い、思いとどまるよう声をかけた。 また、太一はフェンスを登って女子学生を捕まえようとした。二人ともフェンスの外側に落ちたが、幸いなことに地上への転落は免れた。 女子学生の名前は、峰岸美丘(みねぎし・みおか)といった。 太一が2度目に美丘に会ったのは、学食だった。5人の女子学生が美丘を相手に、彼氏を取ったと口喧嘩、しまいには殴り合いになった。そこで、仲裁に入ったのが、太一だった。 太一は洋次、邦彦、麻里、直美の5人でグループを作っていた。そこに美丘が入ることになった。 6人の間では、誰にも恋人がいなかった。しかし、大学でも美人で有名な麻里が太一を好きなことは、グループの仲間は気づいていた。ある時、二人がクリスマスや誕生日でもないのに、プレゼントのやり取りをしたことから太一と麻里との交際が始まった。 どのカップルでもするように毎日会い、何回もメールのやり取りをした。 ところが、太一はだんだん気持ちが美丘に傾いていった。 ゴールデンウィークに6人グループで旅行した時、太一ははっきりと自覚した。自分は美丘が好きだと。 しばらくして、太一は麻里を呼び出し、交際をやめること、美丘が好きなことを言った。麻里の動揺は激しかった。しかし、太一にはどうしようもなかったのだ。 美丘は太一と初めてセックスした時、ヤコブ病にかかっていることを告白した。脳にスポンジのような穴が開き、スカスカになる。記憶がなくなり、身体の能力が衰え、やがて死ぬ病気だ。現在、特効薬は開発されていない。 そして、二人が付き合い始めて半年後、ヤコブ病が発症した。 美丘は発症する前に、「私が私でなくなったら太一くんの手で終わりにしてほしい」と太一に頼んでいた。 昔、『世界の中心で愛を叫ぶ』という小説がベストセラーになり、映画化された。高校生の恋愛物語だ。この作品ではヒロインの広瀬亜紀が、白血病で死ぬ。しかし、最後まで亜紀の頭はさえていた。 本書では死に向かってゆくにしたがって、記憶がなくなるのだ。自分が愛した家族や太一の記憶までもが。その様子がリアルに描かれていおり、涙なしでは読めない。 また、『世界の中心で愛を叫ぶ』の大学生版的側面も持っている。 ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.04
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『砂漠』伊坂幸太郎 、新潮文庫 本書は、宮城県の仙台市にある国立大学、つまり伊坂氏が卒業した東北大学を舞台にする青春ものだ。 主人公は岩手県の盛岡市出身の北村、法学部の新入生だ。入学式早々、法学部の同じクラスのメンバーを集めたコンパが開かれた。 北村の隣に座ったのが、横浜出身の鳥井。大金持ちの息子で、高級マンションに住んでいる。 鳥井が南という女子学生と話をしていると、同じ中学校の同級生であることが分かった。 また、東堂というすごい美人に男が群がっていた。 西嶋という小太りの男が、遅れて入って来た。アメリカの中東攻撃を批判し、パンクロックのことについて話し、最後には「俺たちがその気になれば、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」と言った。 ある日、北村は西嶋から鳥井のマンションで麻雀をやるから来いと誘われた。行ってみると何と、美人の東堂、鳥井の同級生の南が来ていた。西嶋は東西南北が名字に入っている学生を集めたと言った。本書は、この5人のグループが引き起こす学園での物語だ。 春、夏、秋、冬と4つのストーリーから成っている。 「春」は、北村と鳥井、西嶋が女子短大の学生と合コンをし、ボウリング場で2人のホストとボウリング対決をする物語。どちらが勝つかということではなく、すごい結果が待っている。 「夏」は、連続強盗事件が頻発するなか、ある豪邸が狙われているという情報を鳥井がつかみ、5人で捕まえようとする物語。不幸な結末が待っている。 「秋」は、大学祭で超能力使いと、超能力を暴く学者の対決が行なわれることになった。学者があまりにもいけ好かないので、超能力者に5人は協力することにした。物語は思わぬ結末を迎える。 また、大学祭では、東堂がミスコンに出たりする。 「冬」は、再び強盗たちと対決する物語だ。 これが本書の大まかな筋だが、南がスプーンを曲げや物体を移動させる能力を持っていたり、キックボクシングの世界チャンピオンが登場したり、枝葉が付いて作品を盛り上げている。 もちろん、青春物に着きものの恋の話もある。 読めば、もう一度、学生時代に戻りたくなるのではないだろうか。ホーム・ぺージ『推理小説を作家ごとに読む』も御覧ください。http://bestbook.life.coocan.jp
2010.08.01
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