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1月24日(土)放送のTBS「王様のブランチ」で「世界のセレブも注目する究極の水中リラクゼーション」としてWATSUを紹介していただきました。番組についてのブログは>>こちらWATSUについては>>こちら
January 25, 2009
1月16日、日本テレビの人気番組「ぐるぐるナインティナイン」でWATSUを取り上げていただきました。>>詳細はこちら
January 17, 2009
7年ぶりにフロリダ・パナマシティに帰りました。セラピープログラムには欠かせないWATSUを、日本で教えた8人の専門学校生とともに。久しぶりのイルカ、海、仲間、セラピー、新しい出会い!重い障害をもった4人の子供たちとその家族のプログラムは素晴らしいものでした。WATSUも大活躍。このプログラム、立ち上げは大変だったけど、今年でちょうど10年目。やっぱりええ~なぁ~。詳しくはこちらへ ⇒小笠原のブログ
July 15, 2008
先日、悩み事があって実家に行ってみました。悩み事で親に相談することなんて・・・結婚して一人立ちしてから初めて。なぜか両親と話したかった。親と話してて浮かんできた言葉・・・root話した内容はどうでもいいの。答えを与えてくれたワケでも問題を解決してくれたワケでもないの。ただただ、ありがたかった。「自分のルーツはここにあるんだ」そんな気持ちがガツンときました。とにかくありがたくて涙が出てきました。家を離れてから社会でいろいろ教わりました。より強くよりクリアにより思いやりのあるより自由に自分を成長させたいすべったり転んだりしながら自分でいろんなクセをつけてきたんだなあ。そして今、自分のルーツを再確認。効いた。もう一度頑張ってみよう親にもらった人生を自分らしくチャレンジしてみよう失敗したっていいじゃん間違ってたっていいじゃんだってオレだもんやってみればいいじゃん父ちゃん母ちゃん、ありがとう。この人生ありがとう。直接言えないんで。とりあえずここで。
April 6, 2008
百聞は一見に如かず百見は一考に如かず百考は一行に如かず百行は一果に如かずおっし!ぜんぶ大事ぜんぶやる最後までやるいっぱいやってみる
January 2, 2008
ああ・・・なんと。2007年が終わっちゃう。涙が出てきそうです。1年前の今頃なんて・・・自分が今いる場所なんて想像できませんでした。今年1年間、必死に漕ぎ続けて、水しぶきたくさんカブって無我夢中だったなぁ。でも、激流は抜けられるものですね。こんなにたくさんの素敵な出逢いがありました。日本にこんなにワッツ仲間ができました。WABAのレクシーも、ハロルドも、テリーも。今年は会えなかったけど、ミナクシも、アンドレも、パバナも、リンダも、メールでたくさんバックアップしてくれて勇気をくれました。本当にみんなのおかげです。WATSUを好きになってくれてありがとう。トリニティを信用してくれてありがとう。仕事休んで、お金都合つけて、エネルギー費やして、他のいろんな犠牲をはらって、合宿に参加してくれてありがとう。至らないところもたくさんありました。まだ仕組み的にもたくさん整備しなきゃいけません。まだまだプールや職場の開拓も必要です。説明不足や考えが浅い部分もあるかもしれません。気づけていないところもたくさんあるでしょう。スマン!ぜんぶ謝ります。ぜんぶ背負います。ありがとう。みんなとの出逢いのおかげで少し成長できた気がします。ありがとう。みんなとの出逢いのおかげで少し勇気を持てました。ありがとう。
December 29, 2007
自由って難しいじゃない?放っておかれても何もできないし。なにやっていいのかも分からない。でも、自由って楽しい。自分が感じるままに動ける。自分のイメージをどんどん形にできる。昔、クラゲはイソギンチャクだったらしい。岩にくっついてれば安定してたのに。何かを求めて、クラゲは岩を離れた。身体を変化させて、浮遊して生きる力を手に入れた。きっと痛い思いもしたろうに。変身に失敗して死んでいった仲間もいたろうに。でも、一生懸命生き残った。自由がほしかったんだな。自由は痛い。自分の力の範囲でしか自由じゃないから。依存してた部分がなくなると痛い。痛いからその部分の力が足らないと分かる。痛いからがんばる。痛いから変身する。昔から変わんない。命あるものはすべて自由を求めるんだよ。自由って人に言われてなるものじゃない。自由は自分で求めてなるもの。完全に自由にはなれないんだけどね。この宇宙で一人では誰も生きていけないから。だから進化に終わりはないんだよ。安定なんて実はないんだ。コントロールするなんて実は幻想。世の中のものはすべて変化しているから。1日単位で、月単位で、季節単位で、1年、何百年単位で。「楽」なのと「楽しい」のは違う。安定してて楽なのって実はつらくなる。楽しいのは不安定なとき。楽しいのはチャレンジしてるとき。楽しいのは自分が成長してるとき。自由を求めるのはきっとDNAに刻まれてるんだよ。だから自由に向かっているときにご褒美がもらえる。「楽しい」ってご褒美を。「痛いかもしれないけど頑張れ」って。だから、楽しまなきゃ。楽にできるようになってしまったら楽しくないのよ。楽しんでいるときが一番パフォーマンスもいいのよ。自分の期待通りでにできなくたっていいじゃない。周りの人より劣ってたっていいじゃない。楽しまなきゃ。それは自分の腕の中にいる人が一番分かってくれるよ。WATSUは水の中だからこんなに自由なんだね。水は不安定だから。進化が生まれる場所だから。WATSUはもともとがフリーフローなんだよ。笑ってWATSUしようよ。
December 10, 2007
ハワイでイルカと泳いできました。久しぶりのイルカ、気持ち良かったぁ~・・・イルカはやっぱり、自由で、楽しくて、寛容で、優しくて、開放的で、その存在だけで心を打たれる存在でした。まだまだ自分はあんなに強くなれないなぁ・・・やっぱりボクのWATSUの原点はイルカなので、原点を確認できたのは今この時期にとても自分にとって意味のあることでした。続きはこちらで。http://www.trinity-spa.com/blog/ogasawara/
November 15, 2007
独裁者って、いつの時代にも孤独だと思うんですよねぇ・・・独裁者を突き動かすのは常に恐怖心。自分のスタッフでさえ信用できないんだから悲しいですよね。情報操作とか外交とかゴマカシばかりに長けてしまって、自分の身を守ることしか考えていないものだから、中身がまったく進歩しないんですよね。自分の体制を脅かすものはすべて「悪魔」のように仕立てあげる。もともと独裁体制をしくために会員を恐怖でしばっているものだから、「悪魔」という共通の敵を作ることで自分の世界が団結すると思ってる。ま、ほうっておいても勝手に崩壊すると思いますけどね。恐怖はね、即効性はあるけど長続きしないんですよ。
October 29, 2007
初めてトリニティでAQUA合宿をさせていただきました。BODY-MIND-SPIRITの視点からワッツをとらえて・セラピストのボディメカニクス・各手技の目的と意味・「意念」の重要性・エナジーワークとしての心構えそして、「ワッツとは本来なんなのか?」ボクがずっと伝えたかったことをお伝えしました。もう放心状態です。受講生のみなさんは120%受け取っていただいたものと確信しています。やっと自分の血を分ける仲間ができた気がします。本当のワッツを追求して、革新して、本当のワッツを本来の姿で伝えていってくれる仲間。「ありがとう」その一言につきます。日本人だからできる最高のワッツを世界に。
August 28, 2007
Hanakoさんがワッツを取材してくれました。身体も脳もふわふわまどろむ、不思議な感覚!水に委ねてゆるむアクアセラピー。水に浮きながら、ストレッチされたり、指圧されたりして、気持ちよくなれるセラピー。日本ではまだ耳慣れない「WATSU(ワッツ)」の正体だ。海外のリゾートスパを訪ねると、しらほら見かけるこの「WATSU」。水には、陸上の重力から身体を解放する浮力、末端からの静脈の流れをサポートする水圧など、さまざまな作用があることが知られている。その水のパワーに経絡理論をドッキング。ストレスや脳の疲れにも効き、ストレッチ効果もあって、水の中なのに眠ってしまう人も多いと聞いて興味津々。そして、実際受けてみて納得。セラピーでは、水の浮力をいかに感じられるかが大切。もみほぐされ、水中を引き回されたり、伸ばされたりとストレッチも入ってくるが、自分で動くのではなく、セラピストと水に動かされるところがポイント。目をつぶり、水の動きが発する音に耳を済ませていると、水に引き込まれるように意識が身体から離れていく。水に身を完全に委ねることで、力がすっかり抜け切り、頭のほうも脱力。時間は40分ほどなのに、それよりも長く濃密に感じられ、終わったあとは、気分が落ち着くような、すっきりしたような・・・。人によって感じ方は違うそうだけど、新しい快感が生まれるこの水中パラダイス。今後の日本のスパでも脚光を浴びそう。
August 23, 2007
7月1日付けで、ワッツセラピストの人材派遣がスタートしました。場所はエクシブ初島クラブ。全国的な会員制のホテルなので、会員でないと宿泊することはできませんが、スパだけならどなたでも利用することが可能です。非常に良いスパです。海外のメニューやマッサージのことも非常にまじめに研究していて、社員研修も盛んです。だからこそ、ワッツの導入にも非常に積極的に行ってくださいました。いや、それにしてもここまで長かった・・・今までの苦節を思うとジーンときてしまいます。最初はボク一人でホテルのドアを叩くことからでした。当然、相手にしてくれる所は一つもありませんでした。トリニティという会社組織を立ち上げて、優秀なマネジメントと企画プランナーと中医師というパートナーを得てからも、すんなりとはいきませんでした。去年のアジアスパアワードで「最高トリートメント賞」をとったり、世界のスパでこんなに注目されているのに、国内でのワッツの認知度はさっぱり・・・今までに口をつないでくださったり、いろいろと協力してくださった方々に本当に感謝です。やはりセラピストが単身でスパに乗り込むのには無理があります。先方は大きくてお金のかかる施設を抱え、多数の契約関係に縛られたホテル系列がほとんど。ホテルは特に年間何百万もの会費を払ってらっしゃる会員組織をもっているところがほとんどですから、それはそれは扉の重いこと・・・やはり窓口になる会社組織がしっかりとフロント業務をこなして、セラピストが安心して働ける環境を作らないと、これからの広まりは期待できないと思います。外資系のホテルやスパが日本に参入してきて、スパをハードで自慢する時代は終わりつつあります。これからはソフトの時代に突入していきます。すでに興味をもってくださっているスパはまだあります。国内にも海外にも。一つずつ形にしていくしかないですね。スクール組織が広報や職場開拓をしていかなければ、だれもできないもん。ワッツを広めるためにも、ワッツを「仕事」にするためにも。がんばらねば。
July 9, 2007
6月21日リクルート発行の人気フリーペーパー「L25」(「R25」の女性版)にワッツが取り上げられました。以前、ライターさんがわざわざ南町田まで足を運んでいただいて、ワッツを体験してくださいました。取材であちこち転々と動き回って忙しいはずなのに、わざわざ時間をとって体験までしてくれたことに本当に感謝です。ワッツには大変喜んでくれて、身体が軽くなって楽になったと言ってくださいました。いやいやこちらこそこんな遠くまで来させてすみません・・・取材もとても丁寧に詳しくしていただいて、さすがリクルートさんですね。 夜10時にセッションが終わったのですが、ワッツで骨抜きになりながらも、電車に乗ってフラフラと都内の仕事場へと帰って行かれました。改札に向かう足取りは本当にフラついていました。これから仕事するんだぁ・・・ 「プロだ・・・」と感動しました。肩こり軽減、ストレスフリーな心身に日本の"指圧”からインスパイア!注目の水中ボディワーク「WATSU」とは?日本の経絡指圧療法からヒントを得て生み出された水中ボディワーク「WATSU(ワッツ)」をご存じ? 今、海外のスパで注目されているメニューで、水中に浮きながら体に圧力をかけたり、ストレッチを施して、体の疲れをほぐしていくのだそう。 その効果とは? 「浮力で体が軽くなり、陸上より関節が動かしやすくなることで腰痛、肩こりなどの改善を促します。 水の優しい抵抗を使ってゆっくり施術を行うので、心身ともにリラックスできますよ」(ワッツインストラクター小笠原さん)。 実際試してみると・・・体が水に溶けていくみたい!温水の心地よさに意識がとぶほど気持ちいい~。 陸上では得られない開放感と癒しが体感できますよ。 不眠症・脳疲労にも効果があるとか。 日ごろのストレスも水に溶けていってしまいそう。
June 29, 2007
前回の日記からあっという間に半年たっていました・・・心機一転! まじめにやろうと心を入れ替えました。「ワッツをする人のWATSU講座」をスタートします。トリニティスパアカデミーのブログ毎週更新を心に誓って再スタートです。現状ではまだ激流の中にいます。4月から新しい生活になったものの、まだ自分がどっちを向いて進んでいるのかよく分からない状況です。でも不思議なもので、激流に揺られることにも人間慣れるもので、まだ自分の無力さには変わらないものの、ちょっと遠くまで景色が見えるようになりました。とにかく今は、ワッツをする人のための職場開拓です。7月から国内のスパにワッツセラピスト派遣が始まります。海外のスパとの連携も具体的になってきました。それともちろん、ワッツのプロを育てることです。今月のL25でワッツの紹介までされちゃいました。ちょっとずつ、ひとつずつ、形にしていきたい。夢を追いかけたい人、集まってぇ!海外に出たい人、集まってぇ!トリニティスパアカデミー
June 22, 2007
あけましておめでとうございます。周囲がなにかと忙しくなってきて、しばらくブログから遠ざかっています。人生の分岐点が近づいているからだと思いますが、川幅がどんどん狭くなってきて、水流がどんどん早くなってくるように、周囲の状況が目まぐるしく変わっていきます。こうなるともうパドルなんて大した役には立ちませんね。でも、道を選んだのは自分の判断。もう「なるようになれぇ!」って身を任せるしかないですね。この渓谷を無事抜けたら、また戻ってきます。
January 2, 2007
不登校の子どもたちと接していて思うのは、本当に不安が多い、ということです。学校に行かないことは問題じゃない。出会いが少ないのは問題。です。不安が多く、常に不安が先行するために、結果的に学校も含め、出会いが少なくなってしまう。一方で、不安を解消するのも出会いなんですね。そんな堂堂巡りの状態が「不登校」なのかな、と思います。不安が出ないようにするには?これは「成功経験」しかないと思います。積み重ねられた成功経験しか、不安に勝てるものはありません。「自信を持て」と言われて持てるようなものではないから。なぜ、不登校の子がイルカと泳いで自信を持つのか?成功経験だからです。イルカは大きく、強く、自由な存在です。それはイルカの生態や解剖学など知らなくても、水中で見れば感じられるイルカの存在感です。頑張っていないと消えてなくなってしまいそうな自分を、そのイルカたちがしっかりと見て、存在を認めてくれた。自然界との「一体感」を感じられた。そう感じられる経験が、何よりもの成功経験なのだと思います。イルカと水中で出会っただけで、泣き出す子もいます。別にその子たちが弱いわけじゃない。泣き虫なわけじゃない。それだけ「頑張ってきた」んです。高校生くらいまでに成功経験の積み重ねが少なかった、不登校の子たちを1週間預かって、何ができるでしょう?やっぱり、成功経験を積み重ねてあげるしかないんですね。成功経験について、一つ感じたことがあります。成功経験は「見つけさせるもの」だということです。成功経験はすべての経験にあります。「海に行った。泳げなかった。」失敗にしか見えないこの経験の中にも、成功経験は確かにあるのです。- 怖かったのに、とにかく水の中に入った。- ゴム臭くて嫌だったのにスノーケルをくわえてみた。- 浮きにつかまって、足の立たないところまで連れて行かれた。などなど。「誉める」というのは、ウソをつくことではなく、「できた部分」を認めてあげることだと思います。大人が見つけてあげないと、子どもは自分では成功経験を見つけられないんです。1位を取った。賞をとった。いい成績とった。そんな、誰にでも分かる成功経験を味わえない子はたくさんいます。「見つけてあげる」こと。できた部分を教えてあげること。です。逆にいい成績をとるような成功経験ができる子でも、結局それを認めてくれる人がいないと、どこか心に穴があいたままになるものです。高校生にもなって、もしくは大人になっても、この「物足りなさ」を感じている人はたくさんいます。不登校児の親がそれに気づくと、自責の念にかられます。「今まで何も見てあげられていなかった」と。でも、成功経験は、気づいたときから積み重ねるしかないのです。気づけたことに感謝して、積み重ねればいいんです。今からでは遅いとか、間に合わない、という問題ではなく。成長には足し算しかないんですから。
November 19, 2006
初めはビビってビビってどうしようもなかった男の子は、イルカとのランデブーを繰り返すにつれ、どんどん自信がついていきました。「おれはなぁ、イルカに好かれとるんや!」彼はいろいろなことに積極的になっていきました。現地スタッフに英語で話しかけてみたり。この地域特有の「ゆでピーナッツ」に手を出してみたり。些細なことですが、「新しいことに挑戦する」ということは、内的に充足していないとできないことです。また、その一つひとつに気づいてあげること。彼の挑戦を認めてあげることが大切です。何事も、ほとんどは小さなステップの積み重ねです。一発で劇的な変化が起こることはそうありません。泳ぎにも積極的になりました。初日、脚が硬直してバタ足もできなかった彼が、フロートに助けてもらいながら自由に手足を動かせるようになりました。フィンにも挑戦しました。パニックを起こす原因にもなるために封印していたフィンですが、水中を楽しむ余裕の出てきた彼を見ていて、大丈夫と判断しました。これで彼は、周囲の子どもたちと比べても、「特別扱い」ではなくなってきました。「おれ泳げるようになったでぇ!」「そうそう。頑張ってるなぁ。」彼の鼻息はどんどん荒くなっていきました。それが今度はまた新たな問題を起こしつつありました。周囲の子たちとの軋轢を生み始めたのです。そりゃそうです。口を開けば自分の自慢話。車の中でも一人でハイな状態。周囲のイライラが募っているのが感じられました。ある晩、夕食の席で、ある女の子が嫌いな食べ物を残しているのをみて、彼が「おれだって泳げるようになったんだから、お前も食べろ!」とからみました。周りが諌めると、彼は「食べろ!食べろ!食べろ!」と逆ギレ。結局、女の子は泣いて引きこもり、男の子は大混乱。グループは「女の子を慰める班」と「男の子を諭す班」に分かれました。「男の子を諭す班」では、彼は「おれだって頑張ってるのにぃぃ!」と泣いて訴えていました。そうなんですね。頑張ってるんです。彼は今。今まできっと、頑張ってもほめてもらえることがなかったのかな。だからきっと一生懸命アピールした。それに対しては、おそらく、ウザがられたか、聞いてもらえる時間がなかったか、誉められることなくさらに大きな目標を与えられたか・・・やがて彼は努力することをしなくなってしまった。それが今、頑張ってる。誉められもしている。「チャンス!」今までの分も、たっぷり誉められたい!認められたい!「オレは頑張ってるんだあ!」と精一杯叫びたいでしょう。でも、またこうやって問題を起こしてしまった。「おれだって頑張ってるのにぃぃ!」「なんで上手くいかないんだよぉぉ!」泣いて苦しんでいるかと思えば、急に「トーロは認めてくれてるんだからいいんだ!」と逆ギレ。ボクは遠くで聞き耳を立てながら別のことをしていました。そこにボランティアで参加していた大学生が来て、「トーロ、あの子と話してあげてよお」と言ってきました。「・・・やめとくよ。」大学生はビックリしてました。ボクはもう違うことを見ていました。彼の周りには、5人の仲間が集まって真剣に向かい合ってる。彼に対して「ああしたら?」「こうしたら?」とアドバイスしたり、「今日イルカに会えなかった人もいるんだから、自分だけそんなに自慢しちゃダメだよ」とか。5人の仲間が彼のためにそこにいる。彼にアテンションがかかってる。そんなことは彼にとって初めてだろうし、もしかしたら周りの不登校の子たちにとっても初めてかもしれない。そこで問題が解決されるかどうかは関係なく、そのこと自体が素晴らしいと思いました。今ボクが入っていってそれを壊すのももったいないし、彼に長年不足していた「成功経験」をそこで満たしてあげられるわけでもないからです。「そうだね」と大学生は言い、一緒に夕食の片付けを始めました。「男の子を諭す班」は夜中まで何時間も話し続けました。結局、彼らの結論は、「トーロが誉めて彼を調子に乗せたのがいけないんだ」ということになったようです。ん?オレか? ...まぁ、それはそれでいっか...次の日、イルカたちはまた彼に寄ってくれていました。「いいなぁお前らは。余計な心配しなくていいんだから。」ありがたい半分、ついそんな言葉をイルカに向けてしまいました。
November 12, 2006
「イルカが寄る人・寄らない人」という話を以前書きました。基本的に、野生動物は緊張状態にある生物には近づきません。「緊張」とはどういう状態かというと、これから瞬発的な運動をしようとしている動物の状態です。逃げるのか。襲うのか。呼吸が荒くなるのは、酸素をたくさん取り込むため。鼓動が激しくなるのは、その酸素を筋肉に届けるため。筋肉は緊張して、次の爆発的な運動にそなえます。人間は、その想像力のおかげで、身に迫る危険もないのに緊張します。運動する必要もないのに緊張します。不安というものです。緊張するのに運動しない。そんな人間の都合はつゆ知らず、関係のない動物なら、緊張状態の人間には近づかないにこしたことはありません。しかし、海が怖くて極度の緊張状態にある不登校児に、イルカはスッと近づいてくれたりします。これは分からない・・・イルカはどこまで分かっているのでしょうか?緊張状態が分かるのは間違いありません。エコロケーションと呼ばれる超音波探知。イルカは、人間の聴覚の10倍の周波数を使いこなすといわれています。発した音が「エコー」で返ってくるものを聞いて、その物の形、大きさ、物体の密度や内部、といった情報を「聞き取る」ことができます。レントゲンでスキャンするように「見える」のです。鼓動する心臓。奔流する血液の流れ。硬直した筋肉。イルカには緊張が見えるんです。じゃ、なぜ?・・・分かりません。不登校児の緊張が、自分とは関係ないと知ってる?人間の緊張が、「不安」という想像力によるものと知ってる?それとも、そもそも水中の人間が暴れたところで一撃できるから?イルカたちは、この男の子と何回も泳いでくれました。お腹を見せて彼の周りをまわったり。彼の横で泳ぎを止めて、誘うように見つめたり。「なんでそこまでやってくれるんだろう?」と思わずにはいられませんでした。
November 5, 2006
ボクはそもそも、「学校に行かない」ことは問題だとは思っていません。でも「出会いが少ない」のは問題だと思います。人は出会いで成長するものです。成長すると、不安や恐怖が少なくなります。不安や恐怖が減って緊張が少なくなると、その人の能力が最大限発揮できるようになります。そもそも「出会い」そのものが人生じゃないでしょうか。不登校の子には、不安や緊張が極端に多い場合があります。特に泳げない子がイルカのプログラムに参加してくると、水中の緊張状態たるや痛々しいほどです。手足はピンと緊張。緊張というより硬直です。ヒザを柔らかく使うどころか、曲げることさえできません。まずはヒザ高くらいのビーチでスノーケルの練習をします。海という水は塩分が多く、このために浮力があります。基本的にすべての人間は「浮き」ます。呼吸をしようと頭をあげてしまうので、人間の身体で一番重たい器官「頭」が重力を受け、これを支えるために一生懸命泳がなければならなくなります。泳げない人は、この苦しい記憶によって恐怖を感じてしまうのです。頭を海中に浮かせて呼吸ができるスノーケルをつけていれば、永遠に浮いていられます。しかし、安全上、また本人の安心材料のために、「フロート」というスチロール製の棒を浮きに持たせます。ちょっと慣れてくると、多少足をバタつかせることができます。ただ、足につけるフィンは、本来、団扇のようにフィンの面に抵抗がかかるように使うものなのですが、フィンを横滑りさせる、いわゆる「自転車漕ぎ」に100%なります。こういうときは、使い慣れない道具をつけていると不安を煽ってしまうので、フィンは使わせません。本人は、ただただフロートにしがみつき、硬直した身体を一切動かすことなく、海面を浮遊します。このときほど、「恐怖が能力を奪い取る」ということを実感するときはありません。この状態で、そのまま背の立たない深さまで連れて行って、水中でOKサインの交換を繰り返します。身体が硬直しながらも、少なくとも意識はしっかりしていて、自分が見ているものが分かっているようになったらいよいよ、ドルフィンスイムに挑戦です。怖いでしょ~? シャレにならないですよ。一度、アテンドしていた女の子が水中でパニックを起こしたことがあります。彼女も不登校で、ものすごい偏食のあるコでした。水中でパニックを起こした彼女は必死にボクの頭を両手で押さえつけ、自分の顔を上げようとしました。でも同時に彼女は、両足をボクの身体にガッチリ絡みつかせているので、彼女は身体を持ち上げることができませんでした。どう考えても彼女の運動には無理があるんです。(ま、考えられないからそうなるのですが。)それは、単にボクを沈めるだけの動きになっていました。イヤ実際、パニック時の力とは恐ろしいもので、彼女の両脚のスクイーズで、ボクはアバラを折られるかと思いました。「お... やばいぞ... 」と静かに思いながら、ボクはできる限りの浮力を使うために二人の体を沈めました。ボクが呼吸をするには、彼女の上半身まで海上に持ち上げるほどキックしなければなりません。あえてボクはそれをしませんでした。彼女と戦えば一気に酸素を使ってしまい、負ければアウトだからです。ボクは静かに水中に沈められながら機会を伺うことに切り替えました。彼女の顔がギリギリ海面に出るくらいの位置をキープしたい.....でも、ボクの頭は水中で押さえつけられたままで、上を見上げることもできないので、だいたいの勘です。彼女の頭が海上に出れば、ズッ...と重力がかかるので、その分、無呼吸状態で強くキックしなければならなくなります。彼女の頭をあまり出し過ぎないように気をながら、立ち泳ぎで少しずつボートに向かって水中を移動しました。とにかく慌てない、焦らない。余計な酸素を使わない。う~ん... でも、このスピードでボートまで、息は続かないなぁ...そう思っていると、彼女が手の位置を直した途端、ズルっと手が滑ってボクのマスクをベロっとはがしました。「コノヤロ...!」さすがにそう思いました。はい。でも、彼女が体勢を立て直す瞬間、少しのスキが生まれました。ボクは彼女のボディプレスをかいくぐって、後ろから羽交い絞めにして、なんとか、ボクも彼女も顔を上げられる体勢を作れました。その一瞬の攻防で、彼女は海水を少し飲んで咳き込みましたが、なんとか呼吸を確保はされ、ボクも耳元で「大丈夫大丈夫」とささやき続け、無事にボートまで辿り着くことができました。あれは危なかった。泳げない子をイルカに会わせるのは一苦労です。泳げないことが問題なのではなく、パニックなんです。怖いのは。
October 29, 2006
...(続き)海から上がると、特に自閉の子に変化は見られませんでした。その日の午後は、家族の要望でショッピングや食事にでかけたのですが、彼は特に変わったことはなく、いつものようにマイペース。一人で走り回ったり、同じ独り言を繰り返したり。いつもの彼らしい姿がありました。バタバタとその日が過ぎ、家族と今日あった出来事について話し合う時間はありませんでした。次の日、宿舎のゴミの回収としていると、自閉の子の部屋のゴミ箱から、くしゃくしゃの画用紙が1枚出てきました。開いて見ると、何色かのクレヨンで描いた模様のような絵。...彼の絵じゃないな。それがボクの第一印象でした。実はこの自閉症の男の子は、絵が大好きでした。ただ、色は使いません。いつも決まったマイ鉛筆でしか絵を描かないのです。また、生き物を描きません。自動車、家、電車、自転車、または単なる図形など、すべて無機質なものばかりです。ただ、ものすごい直線を書きます。彼の正三角形は「完璧」です。円も、コンパスで書いたかのような円を書きます。遠近法は理解していませんが、それらの正確な図形を使って独特の絵を描きます。それ以外は、一切、描きません。ボクが手にした絵は、クレヨンの色を使い、ぐちゃぐちゃで、何を描いたのか分からないものでした。誰だろう...?他にも同じプログラムに参加していた家族がいました。でも、その紙は自閉の彼のマイ画用紙。昨日の参加家族の動きを思い出して記憶をたぐりました。他のどの子どもも彼の部屋に入るようなことはしそうにありません。そして、ハッとしました。いや、彼が描いたのかも...!宿舎には、いつでも子どもたちが遊べるように、クレヨンや色鉛筆や画用紙などをたくさん用意していました。昨夜、彼がその辺りで何かを見ていた姿を思い出しました。その後、彼は一人、部屋で何かをしていました。もう一度よくその絵を見てみました。書き直したような絵や線を頭の中で消して考えみると...これイルカかも!これはヒトデ?じゃ、これはボク!?見れば見るほどそんな気がしてきました。彼は昨日海で見た出来事を絵にしようとしたのかも!感動がこみ上げてきました。すぐにお母さんのところに行って昨日の話をしました。そして絵を見せました。お母さんは驚きながらも静かにうなづきました。「そう。多分。彼の絵。」お母さんには、何かそれを確信するものがあったようです。自閉症はこだわりが強く、行動パターンを変えるのは至難の技です。自分から自発的に行動パターンを変えることも稀です。お母さんは、今まで様々なやり方で彼に取り組んできました。彼の行動パターンを変え、少しでも彼の世界を広げようといろんなトライ&エラーを繰り返してきたはずです。彼が拒否し続けてきた色使い。生き物の絵。それが突然目の前に現れて、きっと今まで10年ちょっとの努力を思い出したのでしょう。お母さんの目には涙があふれていました。自信が無さそうに、彼にしては小さく、グチャグチャに描いた絵...ヘタなのが嫌で何度も書き直して、書き足して、それでも途中であきらめずに、イルカ、ヒトデ、そしてボクの3つを最後まで描こうとした絵...でも結局は気にいらず、クチャクチャに丸めてゴミ箱に捨てた絵...きっとお母さんには、心に残った光景を絵にしようとしていた彼の心の動きがすべて分かるんでしょう。高揚した顔を手で覆いながら、いつまでも食い入るように絵を見つめていました。お母さんは次の日、額を買っていました。きっと今でも家に飾ってあるのかもしれません。(終わり)
October 20, 2006
...(続き)いろいろなコトが同時に起きて、頭が少し混乱していました。まず一つ目は、イルカとのキャッチボール。ヒトデをもって逃げるイルカを追いかけながら、「なんて素晴らしいんだ・・・」という思いで胸がいっぱいでした。広い海の中イルカと人間が食べるためでなく生きるためでなくただ単に「楽しみ」のために泳ぎ単なる「遊び」のために戯れイルカとヒトがひとつに・・・最後にヒトデを渡して泳ぎ去ったイルカたち。ヒトデを「返した」イルカは、軽く「ありがとう」と言っているかのようでした。二つ目は、自閉の子がその一部始終を見ていたことです。普通、水面と水中に分かれれると、なかなか同じ場所にはいられないものです。水面では波の影響を受け、風の影響を受け、水中では水面とは違う潮の動きの影響を受けます。なかなか同じ場所にいられるものではないのです。特にボクはイルカとの泳ぎに夢中になっていたので、ほとんど自分の位置を意識していませんでした。最後に海底にあお向けになったとき、初めてその子がそこにいることに気づいたのです。考えられる答えは一つだけ。イルカがヒトデをくわえて泳ぎ回り、男の子のところに戻ってきては放し、次のイルカも常にその子のところで放し、と繰り返していたからこそ、男の子はずっとその光景を見ていられたのです。まさかなぁ...自分で考えておきながら自分で信じられないことでした。でも、それしかあり得ないんです。イルカはときにそういう粋なことをするんです。そして、三つ目。自閉の子がボクを見つめる目。いつもの無表情ながら、力のある眼差しでした。マスクごしに彼は、何かをかみしめるかのように、じっとボクを見ていました。見てたんだ・・・ずうっと、ボクとイルカを見てたんだ...今までの数日間で見たことがないほどの眼力。ボクは張り付けられたかのように動くことができませんでした。...(また続く)
October 15, 2006
ある中学校1年生の自閉症の男の子のお話です。その日はプログラム4日目。快晴の下の海のコンディションも最高でした。自閉症の子はライフジャケットを着けて海へ。アテンドはボクでした。その日の透明度は高く、3頭のイルカたちが寄ってきてくれて、1頭はボクたちの周りをぐるぐる回ってくれました。1週間のプログラムの中で最大の瞬間でした。が、その子は無表情のまま。外見的な反応は一切なし。ま、よくあることです。周囲が期待する通りにいくとは限りません。というより、ほとんどの場合は違います。変化が現れるときも、だいたいは意外な形であらわれます。イルカが去った後も、彼はボートに上がりたいそぶりを見せませんでした。実はそれが一つの変化。それまでの彼は、海に入ってもすぐに上がりたがっていたのです。水中を見回すと、海底に青いヒトデを見つけました。潜って捕ってきて彼に渡すと、彼は両手を差し出してヒトデを受け取りました。それも一つの変化。彼が自ら手を差し出して、ボクからものを受け取りました。ひとしきりヒトデをイジった後、彼はヒトデをポイと投げました。フワフワと落ちていくヒトデを見ていると...来ました。「ジジジジ...」というエコロケーションの音。「ン!イルカが戻ってきた」と思った瞬間、1頭のイルカがすごい速さでヒトデをパシッっとキャッチして泳ぎ去りました。「あっ!もってっちゃった!」と思うと、イルカはすぐに戻ってきてヒトデを離しました。直後、次のイルカが飛んできてヒトデをキャッチ。いつの間にか3頭のイルカが、目の前でヒトデのキャッチボールを始めました。うわ出た!リーフキャッチ!イルカたちは、よく水中に漂っている葉っぱや、ときにはビニール袋を使って、この遊びをやります。しかも、ちゃんとイルカ同士でキャッチボールをしています。こんなのはボクは初めて見ました。おお!... これは... 参加せねば... サッと顔を上げて状況確認。スタッフのナタリーが近くボートからこちらを見ていました。晴天。なぎ。微風。ライフジャケット。ウォッチスタッフ....ボクが求めていた条件はすべてありました。ナタリーに「行ってくる」と適当にサインを送り、ナタリーの「?」もお構いなし...エイ!ボクは3頭のイルカめがけて潜っていきました。職場放棄。まあ、ヒドい話です。でも、諸行無常。一期一会。自然の中では、心が動く一瞬を大事にすることに徹していたボクは、迷うことなく、自閉症の子を置き去りにしてイルカたちを追いかけてしまいました。始末書ものです。でもまぁ、これが... 楽しかった...明らかにイルカたちも、ボクを意識しているのが分かりました。いつも遊んでくれるバートやチップ。若いオス連中です。ボクをからかうようにヒトデを見せびらかしながら泳ぎ回っていました。ボクは心の中から子どもの自分が飛び出してきたかのように、ものすごい笑顔で、一生懸命イルカたちを追いかけました。当たり前ですが、どうしてもヒトデを取ることができません。ボクは試しに海底で待ってみることにしました。5mほど潜って、空気を3分の2くらい吐き出すと、ちょうどその場にとどまっていられます。海底であお向けになって、キラキラ光る海面を見上げながら、しばらく待っていました。フト、あの自閉の子の影に気づきました。「あれ?」自閉症の子は自分では泳げません。水面と水中では離れていって当然なのに、彼はそこにいました。「おかしい。なんで?」そう思ったとき、イルカがスーっとボクの真上に来て、ヒトデを放しました。ヒトデはフワフワと漂いながら、ボクの手に落ちてきました。... 体中の血が逆流する思いでした。一瞬、泳ぎ去るイルカと目が合いました。イルカは、遊び終わったヒトデをボクに返したかのように、そのまま泳ぎ去っていきました。よく整理がつかないまま、起きた出来事にボー然としながら海面に上がると、そこに自閉の男の子が待っていました。ヒトデを見せると、彼はいつもの無表情で見つめていました。...(続く)
October 9, 2006
昨日の夜中、ボーっとテレビを見ていたら、「人食い鮫にいどむ男たち」と始まりました。舞台は石垣島。「最近漁獲高が減っている」「鮫による島の漁業の損失は年間1億円」「サメが全部喰っちまう」と島の漁師がインタビューを受けていました。カメラは鮫退治の漁に同行。江守徹さんのナレーションが「島の人々の魚を食い荒らし、時には人間をも襲う凶暴なサメ。 これから壮絶な男たちの闘いが始まる!」「アホか」と...悲しくなるような軽薄さ。別に鮫漁をする島の人々を批難するつもりはありません。同じエサを狙うライバル同士の戦いは、自然界でもあること。(ま、まず相手を殺すまでには至りませんが・・・)でも、そこに正義もなければ、鮫は『凶悪』な存在でもありません。特に人間がやることであればなおさらのこと。文明が発達していなかった昔、漁師が鮫と闘い、鮫の歯を「強さ」の象徴として装飾品にしていました。その頃はまだいいです。でも、人間の圧倒的な破壊力が、地球上に様々な問題を起こしている現在、鮫漁をそういう切り口でとらえるって、あまりに低俗。まだこんなことやってるんですね、テレビって。自然への畏敬の念や感謝の気持ちはどこ行っちゃったんでしょう。いや、どちらかというと、島の人々や一般の人のほうが、そういう気持ちを思い出している人が増えています。メディアがいつまでも勧善懲悪劇をやってる。物事を伝えるのは、どう伝えるかが重要なはずです。プレーンな事実を伝えるだけならそれだけで。そこに何らかのメッセージ性を乗せるのであれば、それによって人々の価値観が影響を受けることを考えてほしい。3m以上の鮫を次々と釣り上げ、港に帰る漁船。「こうして島に平穏な日々が戻った」「仕留められた鮫は、飼料などに有効利用される」「はぁぁぁ...」っとタメ息。富戸や壱岐の漁師たちも、イルカを「害獣」ととらえて、イルカ漁をしています。「仕留められた」イルカたちは、まず水族館が何頭かを選んで購入し、残りのほんとんどは家畜の飼料にされます。魚が減っていることが、誰のせいなのかまだ気づかないのでしょうか?このままじゃヤバい。絶対にヤバい。
October 1, 2006
イルカはボクたち同様、社会性が極めて高い動物です。動物の社会には必ずリーダーが存在します。「イルカのリーダーは交代制」と言った学者がいました。どうなんでしょう。そもそも野生のイルカの社会は観察が難しく、詳しいことは何にもわかっていないのが現状です。陸上動物の社会でいうと、基本的に一番強い者がリーダーを務めます。リーダーの機能は、A. 群れの行動を決めるB. エサを優先するC. メスを優先するこんな風に言われます。少なくともイルカにはBとCの機能は存在しません。「イルカが優しいから」かどうかは分かりませんが、少なくとも、海というイルカの生活圏と食性を考えると、BとCは単に意味がないか不可能なんだと思います。そうすると、イルカにとっては、リーダーの意味合い自体が薄いのでしょうか?イルカは間違いなく社会性の高い動物です。二手に分かれて魚の群れを追い込んだり、片方が魚の群れの周りを旋回して密集させておいて、もう一団が下から一気に襲う、なんてことは普通にやってのけます。すごいコミュニケーションをとっているはずです。リーダーの意味合いが薄いことはないと思うんですけどね。でもやっぱり、見た目にも、イルカのポッドにはリーダーがいそうに見えません。イルカは手を持っていません。家もありません。メスの集団で子育てするからツガイもありません。一切「持ち物」というものを持たない動物です。いろんな意味で、「こだわり」が少ない方たちだと思います。そういう意味では、社会性のある動物の中で、人間から一番遠い対極にいる存在かもしれませんね。人間は周囲のものを加工して、道具を作り、環境を都合のいいように変化させて、それで生き残ってきた動物です。自分の生存が道具や家に依存するから、当然「こだわり」が生まれます。基本的に、生命は自分の環境に適応するように、祖先の姿から形を変えて生き残ってきているわけですから、別にイルカを良い/悪いの基準にするわけではありません。ただね、学ぶことはたくさんあると思うんだよね。
September 23, 2006
「イルカは弱者に寄ってくる」とよく言われます。ドルフィンセラピーをやっていても、子供たちの教育プログラムをやっていても、もしくは一般のエコツアーにしても、確かに不思議とイルカが寄ってくる人がいます。「イルカがよく寄る」とは、イルカが自分の進行方向を変えてまでその人に行くこと。イルカがその人のところでとどまること。同じイルカが何度も何度もその人のところに来ること。というようなパターンです。じゃ、イルカが寄る人にはタイプがあるのか?んんん... よく分かりません。今までボクが見た「イルカが寄る人」を思い出してみると...難病を抱えながら明るい性格の女の子。生き物が大好きで好奇心旺盛な男の子。水が苦手で水中ではいつも手足を突っ張ってる不登校の男の子。物静かで暇があれば絵を書いている社会人の男性。内臓の病気を抱えていた中年男性子宮を患っていた若い女性。いつも明るく振舞うけどどこか陰のある家庭事情が複雑な女の子などなど。文字にするとパターンはなさそうなんだけど、実際のその人たちの人柄を思い出すとパターンがあるような...ただ「弱者」という言葉のイメージではない気がします。その逆にイルカが寄らない人を考えると、タイプ的には、イルカを見てワ~!と寄る人。あと、これはかなりボクの主観が入りますが、「操作性の強い人」。自分の中のことではなく、外のことに対して、「こうであってほしい」「こうしよう」という欲求が強い人です。自分の欲求を、まわりの人や状況を変えることで満たそうとする人。って言ったらちょっと言いすぎかな...あえて言うと、イルカが寄る人は、そうした面が少ない傾向がある気がします。幼い頃から難病を患って、死と隣合わせで日常を過ごしながら、明るくて人に優しい女の子がいました。彼女はボクには想像がつかないくらいの内面の作業をしてきたと思います。イルカは彼女に寄りました。「弱者だからイルカが寄る」...そうではないと思います。そもそもなぜイルカが人に寄るのか?よく分かりません。今度よく聞いておきます。
September 16, 2006
今日、ある経営者の方に会ってお話をする機会がありました。その中でとても印象に残った言葉がありました。「鷹の目、蟻の目、魚の目を持て」だって。鷹の目は、遠くから大局を見る目。蟻の目は、小さい所を隈なく見つめる目。魚の目は、潮を読む目。「魚の目」が入っているのがオシャレ。ボクたちのマッサージスクールは、10月にベーシックとオイルが開講。来年4月からドライと、そしてアクア。いろんな準備に必死の状態です。そんな中でいろいろ考えるところがあったものだから、この言葉は妙に響きました。別にそのことを相談してたワケじゃないんだけど、その人はいきなりそんな話を始めてくれました。でも、やっぱりこういう風に響く言葉を言ってくれる人との出会いがあるのもそういう『潮』なんだろうなぁ、と思わずにはいられません。ま、「分かる」のと「なる」のとは違うんだけどね。
August 24, 2006
トリニティ・スパXPが無事終了しました!いやぁぁぁ、気ィ持ち良かったァァァ!お天気にも恵まれ、最高にご機嫌なイベントになりました。トリートメントも気持ち良くできたし、参加してくれた方々と色んなお話ができて、色んな思いを共有できたことが何よりもの収穫です。それにやっぱりこのメンバーすごい。改めて心強く思いました。「ボディ・バランス・メソッド」(通称「BBM」)と名付けられた、太極拳のボディメカニズムを取り入れて、セラピストに気持ちいい、クライアントに気持ちいい、オリジナルの手技をドライ・オイルともに持っているのですが、コレ、すごいです。深いです。良いです。ワッツを生み出したハロルドはもともとヨガをやっていますし、最近では武術出身者のインストラクターの影響で、かなりボディメカニズムに重点を置いた進化をしています。ですから、ワッツはもともとこの「ボディ・バランス・メソッド」と考え方としてはとても近いものなんです。でも、ワッツをやる側にその理解が足りないのだと痛感しました。体の力と気の力、それに浮力と重力、水の抵抗力。色んな力を全身を使って生み出して、それを逃がすことなく力点に集中させること。 これは本腰入れてアクアのBBMを作らなければ!と志を新たにすることができました。まずはボク自身が体を作り直さないと。もともと体が硬くて、スポーツでも怪我が多かったボクとしては、大きなチャレンジです。でも、ボクのように体が硬い人でもちゃんとできるように、また、体が小さい人でも効果的なワークができるように、アクアBBMは絶対必要。がんばらねば。 ワッツはまだまだこれから。でも、いい感じです。いい予感がします。楽しみです。トリニティスパXPに参加してくださった方々、サザンクロスリゾート、ナチュラルセラピージャパンの関係者の方々、その他、応援してくださった方々、激励を送ってくださった方々。みなさんに感謝!です。トリニティ・スパ号が出港しました。トリニティ・スパ・エクスペリアンスのご案内
July 21, 2006
最近、いろんなコトを考えます。今の仕事に加えて、来年度に向けていくつか立ち上げるプロジェクトの準備で休みもなく動き回っています。頭の中も常にいくつかのことが同時進行してる状態なので、オンボロCPUはフリーズ寸前です。でもこんなときだからこそ、原点に戻って、ブレないようにしなきゃなぁ、と思うワケです。今までドルフィン・セラピーに関わることで、イルカとの交流がもたらす劇的な奇跡を目のあたりにしてきました。余命半年と言われていた白血病の女の子が生き延びたり、トラウマによって失語していた男の子が言葉を発したり… もちろん、それは科学的な証明ができる(同じ条件で同じコトをすれば同じ結果が出る)タイプのことではありません。白血病の女の子の主治医が、イルカの効果を確かめに来てくれたときに残した言葉が印象的でした。「こりゃあ、イルカじゃないね。生命(Life)のパワーだね!」心が開くと体も開き、体が開くことで心も開きます。「開く」ことで、エネルギーの交換があるんだと思います。イルカと泳ぐことで、そのイルカだけでなく、その後ろに広がっている自然全部との一体感を味わいます。無数の生命とつながっていること/支えられていることの有難さを感じます。そうやってたくさんエネルギー交換をしたほうが、生命力が高まるんだと思います。いっぱい太陽浴びて、いっぱい水飲んで、出して、周囲の生命とたくさん関わりもって...なんで、イルカだとこんなに「開く」のかは分かりません。ボクも含めてたくさんの人が「ふわあああ~」と「開く」あの感覚を経験していると思います。「開く」ことで、すごく安らぎを感じるし、パワーをもらった感覚になるのは間違いないと思います。相手がまた全く利害関係のない、しかも全く種の違う生命だと、生命と直結したレベルでパワーをもらえるのかなぁ。それから、「つながる」こと「開く」ことの意味を考え始めました。誰かと「つながってる」と感じるだけで、時にはとてつもなく大きなパワーが生まれますよね。誰かが自分のためにいてくれている、って感じるだけで、すごい安心感と勇気を与えてくれますよね。これって単なる「感覚」ではなくて、DNAに刻まれたプログラムだと思うんです。「癒し」ってそういうことじゃないかなって思うんですよね。ボクは「手当」という言葉が好きです。「手を当てる」というさりげない動作を意味する言葉が、「治療」や「予防」と同義に使われていたワケじゃないですか? 日本の文化ってすごいと思うんですよね。日本人であることをすっごい誇りに思います。。ワッツと出会ったとき、アメリカ人が開発したボディワークなのに、「これは日本人のものだ!」と直感しました。自然とのつながりや人との調和を大切にしてきた文化だからこそ、世界に誇れるものができると思うんです。日本人のワッツ・セラピストが世界で活躍できるようになってほしい。「ワッツといえば日本」と世界の人に言わせたいなぁ。
July 1, 2006
来年度から始めることの一つに、マッサージスクールの開校があります。今や街中には様々な癒しのスペースやサロンがどんどん増えていて、求人広告にもセラピスト募集が本当に多くなりました。数年前ではちょっと想像がつかないほどですよね。一方で、あちこちでスクールが民間資格を乱発し、技術の基準もかなり曖昧なまま、あまり意味のない資格がたくさんあふれています。そこで、「ちゃんとした技術と、ちゃんと役に立つ知識を伝えていこう」と立ち上がった人たちがマッサージスクールを企画していました。メンバーは中医や鍼灸指圧師などの国家資格ももっている人たち。そこにマーケティングのプロやネットビジネスのトップが力を貸してくれていて、何やらいい感じ。セラピストが独立するときに、マーケティングやネットのサポートが受けられるのって大きいですからね。カリキュラムは、ネット・ラーニングを最大限に活かして、座学は全部ネット。他のスクールのようにせっかくのスクーリングで解剖学のような座学をやるようなことはやめて、実践的で「すぐに役に立つ技術」と「より高みをめざす技術」と、分けて教えていきましょう、というお話。また、「ボディ・バランス・メソッド」と言われる独自の理論をもっていて、太極拳の動きを応用して、施術者の体のボディバランスを最大限利用して、より効果的に(より「楽に」)、より深く圧を加えていくというもの。自分の体を壊すセラピストも多い中、これって大切なんだよね。これが実は、ワッツの動き方にもかなり通じるものがあって感心しました。この人たちに「一緒にやろう」と声をかけられたワケです。自分自身の勉強にもなるし、もともとワッツを伝えていく上で、ワッツをめざす人が解剖学やマッサージの勉強を気軽にできる道を探していたので、「やってみよっか!」と意気投合。ここに「トリニティ・スパ・アカデミー」が誕生しました。簡単なお披露目も含めて、7月14日・15日・16日、伊豆のサザンクロスリゾートでイベントを開催いたします。トリニティ・スパ・エクスペリエンス(PDF形式)http://www.trinity-spa.com/XP/domestic/2006/SCR_060714-16.pdfちょっと日常から離れて、贅沢な時間を過ごしてみません?かなり気持ちいい時間になること間違いなしです。
June 26, 2006
「フリーで動けるようになりたい」の気持ちの元には、「ワッツを伝えていきたい」という強い気持ちがあります。ボクはワッツを常にイルカに結びつけて考えています。イルカと泳ぐ心理的な効果って本当にスゴイ。ボク自身は、生きる上で大切にする価値観がゴソッ!と入れ替わりました。感動する力って本当にスゴイと思うんですよね。その力を確かめたくてイルカの世界に引きずりこまれました。ボクにとって、イルカと泳ぐ感覚とあえて近いものを挙げるとすればワッツなんです。イルカに対する気持ちは今でも変わらないけど、いろんな自然への配慮も考えて、仕事としては限界を感じていました。ワッツで考えていきたいこと、伝えていきたいこと、これはイルカとまったく同じです。「操作」しないつながること受け入れること共鳴することイルカと泳いでいるとき、そのイルカだけじゃなくて、その向こう側に広がっているすべての生命、そのぜんぶとつながるんです。みんないるみんなつながってる命の素晴らしさを知るんです。そのとき一緒に泳いでいるイルカは「個」を超えるんです。「個」はあくまで「殻」みたいなもの。その中に満ちているエネルギーは、すべてとつながってます。そのエネルギーは、感じるだけでその人を癒してくれるんです。ワッツをするというコトは、そのイルカになるようなものです。どれだけ「個」を超えられるか...腕の中で抱いている人も含めて、どれだけ「一部」になれるか...それがワッツをする人のチャレンジです。
June 17, 2006
いやぁぁぁ、久しぶりになってしまいました。年度末~初と、狂ったように仕事をしておりました。ブログを更新できなかったのは、仕事もそうなんですが、それと並行して来年度への準備を着々と進めていたからです。2007年4月、また独立しようと決心しました。イルカも再開します。ワッツも本格的に始動します。いくつかの仕事をかけもちしながらになると思うけど、とにかくプログラムができる体にしないとネ。とはいえ、家族や住宅ローンもある状況で、大きなリスクにさらすワケにはいかないので、ここ数年は、ずっとそのコトだけを考えてきました。いろいろなプロジェクトや仕事を組み合わせて、どうやったらリスクを減らし、少しずつでも自分の夢に近づいていけるのか...ずっと模索してきました。風を見ながら潮の動きを見ながらこういうのって、自分の力や気持ちだけではダメだと思うんですよね。自分ができるのは、自分の中のコトだけ。自分の外のコトは、「コントロール」はできません。でも、気持ちを強く持って、できる限りの準備をして、アンテナ張っていると、やがて潮が動いてくる。面白い話が入ってくる。大切な出会いがある。ときには一気に来る。自分の中と外がかみ合ってくれば、コトは成ると思うんです。今回はまだ、「時がきた」という実感はありません。昔サラリーマンを辞めてイルカに身を投じたときのようには、ハッキリ感じ取れるほどの潮の動きがありません。でも、今までの七転八倒が徐々に形になってつながってきた、という感触はあります。イルカをやめてから5年になります。イルカに出会えたことへの感謝と、この5年で学んだことへの感謝を強く持ちながら、この1年、しっかり準備したいと思っています。
June 5, 2006
ワッツとの出会い 2さてさて、肝心のワッツの講習の話ですが…ワッツ1は、ほとんどの人にとって、順番を覚えるのに必死のまま1週間が経ちます。これはどこでもそうです。アメリカの場合には、PT(理学療法士)やMT(マッサージセラピスト)の出身者が多く、「水」に慣れるところから始まります。逆に日本の場合には、水泳のインストラクターの方々が多いようですから、逆に人に触ることに慣れる必要があるかもしれませんね。そうすると、もう、後は手技の名前と順番を覚えるのに必死です。ワッツ2では、より動きはダイナミックになり、また、経絡指圧的な手技も加わってきます。俄然、PTやMTの人たちは盛り上がります。やっと自分の経験が生かせるときが来た!という感じです。それでもやはり、手技の名前と順番は鬼門です。手技の名前はそれほど重要ではないのですが、プールサイドには、その手技の名前で順番を書いたチャートが貼ってあるので、順番通りにやるために名前が必要になるのです。ニア・レッグ・ローテーションスイープ・アンダー・ショルダーサンドイッチ・ホールド…日本語にあえて意訳すると、「近脚回旋」、「肩下払い」「サンドイッチ抱え」…分かりやすいように、と付けられた名前なんでしょうが、アメリカ人にとっても意味不明の言語です。日本でワッツを学んだ方々がよくカタカナで覚えるものだと感心します。ま、小学生でもプロレス好きは良く技の名前を覚えてますけどネ。それでも、ワッツ1で35、ワッツ2で28もの手技の名前があるんですから大変です。だいたい、順番がわからなくなった人は、ハタから見ていると一発で分かります。無防備なレシーバーを抱えながら、頭の中で思考が止まっています。 「次なんだっけ…?」 プールサイド・チャートを見ながら 「れんぐすにんぐ・すぱいん…? なんだソレ…?」そうして、虚空を見つめながら、永遠と同じ手技を繰り返すのです。この状態を、ボクら同期の仲間の間では、「バミューダ・トライアングル」もしくは、「ザ・ゾーン」と呼んでいました。この領域に入ってしまうと、"I'm in the Zone here!"と言って、助けを呼びます。「ゾーンに入っちゃった!」「ああ、ゾーンね。で、今、どこ?」「それが分からないの」「そりゃそうだよね。えーっと…」夜の自主練の時間にはそんなコトの繰り返しで、笑いがいつも絶えませんでした。幸いにもボクは、一切、この部分では苦労しませんでした。「ラテンラップ・ワッツ」がありましたから。でも実は、そこで楽をしてしまったために、今でも手技の名前はあいまいなんです…
March 15, 2006
ミナクシとの出会い 2ミナクシに導かれてモーターハウスの中を案内されて、ベッドはどこがいい? と聞かれて、迷わず指差したのが外の蚊帳でした。海辺に一人用の蚊帳を吊ってある中にフトンが1つ。これがベスト。ミナクシんち泊まるならココです。 それにしても素晴らしいところでした。朝、海から朝日が上がり、夕方、反対側の海に夕日が沈んでいくのを見れるんです。ちょうど満月だったので、夕陽が沈むのと、反対側から月が上がるのが同時に見れました。 寝床が一旦落ち着くと、とりあえず海に潜ってみたくなります。しっかり車にはマスク・スノーケル・フィンの3点セットを積んでいました。岩の間をチョコチョコのぞいてみると… いるじゃないですか! イセエビ!タイの仲間やメバルの仲間もウヨウヨ。コレはコレは… ウッヒッヒ… ただし、キーズはものすごく遠浅なんですが、島と島の間を抜ける潮の流れは、遠浅の分、ものすごい勢いになるので、この辺で泳ぐときには、あまり沖に出ないように注意が必要です。また、フロリダで魚を捕るにはライセンスを買わなきゃいけません。早速、夕飯を買いにいくついでに釣具を買いに行きました。海に来たら、少しでも自給自足体勢に持っていこうというのがボクの習性です。次の日から滞在中の3週間、朝日とともに起きて釣り糸をたれ午前中はみっちりプールでトレーニング昼休みには3点セットとモリをもって海に入り午後はランドクラス90分夕方までプールでトレーニング速攻で買い出しして夕食の準備夜は仲間としゃべったり自主練習したり。イセエビの刺身と味噌汁も3回くらいできたかな。ありがたい、ありがたい。やはりワッツは「東洋的」というイメージがあるのでしょうか、ワッツを学んでいる人たちも、日本への興味が高かったのが印象的でした。どの週も日本食が大ヒット。フィレナイフ、味噌、しょうゆ、みりん、酒。持ってきて良かった!さらに3点セットと釣具があれば、鬼に金棒です。でも、こういうのがないと結構大変。一番近いスーパーまでは車を飛ばして15分ほど。歩いていける距離には店と呼べるものはありません。いつの間にか、専属シェフのような格好になってきました。スローだけど充実シンプルだけど楽しいそんな毎日でした。
March 4, 2006
ミナクシとの出会い 12000年夏のイルカのシーズンを終えたとき、ようやくワッツを習いに行ける機会を持てました。選んだ先生はフロリダ・キーズのミナクシ。同じフロリダ州とはいえ、ボクがいたパナマシティからマラソンという街まで車で走行時間15時間。走行距離で1300kmを超えていました。東京からだったら…. どうだろ… 鹿児島くらいまで行っちゃうかな? これはシビれた。さすがにマイアミを過ぎたあたりで一泊。ただ、マイアミ市内は恐ろしかった…マイアミに入った途端、「外国」に来たみたいでした。プエルトリカンばっかり!お店はすべて鉄格子を備えています。さすがに危険を感じました。眠たい眼をこすりながらできるだけ市内から離れて、小さな街で車中一泊。翌朝、ちょっと寄り道…フロリダ・キーズに入る直前、エバーグレイズという国立公園があります。フロリダ半島の先端で、5660km平方というとんでもない面積。このすべてが湿地帯で、マングローブや葦でビッシリと覆われています。ただ、ただ、広くて、静かで、空が高い、何もない所。何もなさそうで、鳥やらワニやら、生命であふれています。この自然が、フロリダ半島から海に流れ出る水を受け止めているんです。山のないフロリダ半島。この広大な湿地帯が、水をフィルターにかけてくれているから、キーズの珊瑚礁が作られているんでしょうね。 地球の大きさを静かに感じながら、エバーグレイズを後に。いざ!キーズへ!ひたすら一本道。どこまでも一本道。 フロリダ・キーズという所は、フロリダ半島の先っちょから終点のキーウエストまでの間、海の上に真っ直ぐ伸びた一本道です。サンゴの島をつないで走っている橋みたいなもの。海の真ん中を永遠と約200kmの一本道。すんげぇ所です。ところがまぁ、このミナクシんちが分かりにくいこと分かりにくいこと…「ボー」っと360°の海を見ながら運転していると、どうやらミナクシんちも通り過ぎた様子...「アレ、おっかしいなぁ… 引き返すか?」と思った瞬間、とてつもなく長い橋に乗っかってしまいました。映画などでも有名な7マイルブリッジでした。橋の上で引き返すこともできず、そのままヨロヨロと橋の上を11キロ…連日の長距離運転でヘロヘロの状態でやっと見つけたミナクシんちは、なんとモーターハウス2台!木々に埋もれるようにたたずんでいて、表の通りからは木しか見えなかったんです。裏手に自作のプールがせり出していて、周りは海。360°海。 … なんて素敵なんでしょう。でもね、何か看板というか、目印というか、なんかないと分からないッスよ~!ミナクシにグチると、「オホホホ…」と笑みを浮かべていました。なんだか、優しく包み込まれるような雰囲気をもった人です。
February 19, 2006
WABAからのお手紙が届きました。すっごく面白いお話です。2007年4月21日~28日の一週間全世界で一斉にワッツのチャリティ・イベントを打ちましょう!というお話です。「World Watsu Week」だって。フルってるねぇ。ご老人ほか体の不自由な方々やトラウマからの精神疾患など、ワッツによって助けられた方々は全世界にたくさんいらっしゃいます。そうした声をハロルドが拾い上げ、思いついた企画だそうです。ワッツを学んだ方々にボランティアで集合して頂いて、全世界でワッツを必要としている方々に提供しよう、ということです。当然メディアを巻き込みたいですね。寄付金も募ります。素晴らしい企画ですよね。そうそう、こういうコトやらなきゃね。これから1年をかけて準備していくことになると思いますので、みなさんにもお声がかかることと思います。是非、できる限りの参加をボクからもお願いします。ボクは多分ADIに呼んでいただくことはないと思いますので、こじんまりと独自の企画をして、少しでも全世界のWater Familyのお役に立とうと思っています。まずはささやかながら、100ドルくらいの寄付をします。みんなのパワーを世界へ!
February 9, 2006
WABAニュースレター秋特別号に掲載されていたハロルドの記事を日本語訳しました。ワッツフォーラムをご覧下さい。Watsu - Closeness, Immersion and a Still Base by Harold Dullなっちゃん、日本語訳お疲れ様でした。イヤ~、これを訳すのは本当に大変だったと思います。これでもまだ、詩人ハロルドの文章としては実践的な文章で、訳すのも簡単なほうなんですよ。ハロルドは、水中で低く構えることに「immerse」という言葉を使います。直訳としては、「水に浸かる」です。水中で立っていることを「immerse」とは言いません。肩まで沈みこんで、初めて「immerse」と言います。要は、浮力と重力の微妙なバランスの中で、辛うじて姿勢を保っている状態。「sink」でもなければ「float」でもない状態のことです。ワッツで最も基本的で重要な姿勢のことを指しています。また、「immerse」はキリスト教の洗礼の一つである「浸礼」も意味します。ハロルドは特にキリスト教に傾いている人ではありませんし、東洋の精神世界にも非常に精通している人ですが、信仰深い人なのは間違いありません。もしかしたら、水に浸かって身を清める儀式に、少し意味をカブせているかもしれません。で、この記事の中心になっているのが「Still Base」という言葉です。これは、どうしても訳しにくい造語ですので、訳中はそのまま「Still Base」と表記しています。少しここで、背景情報を含めてご説明しておきます。ハロルドは、様々な水中のボディワークが次々と開発される中、「ワッツとは何か?」という核心について答えています。ワッツを独特のものにしている3つの特徴を挙げています。Closeness ワッツならではの、非常に近い距離感です。Immersion 浮力と重力の狭間の位置を指しています。Still Base 「動」と「静」のうち、「静」が元であるという考えです。例えば、「ヒーリングダンス」というボディワークがあります。ほかにも「ジャハラ・テクニック」「ウォーターダンス」「ファイア&ウォーター」…これらは「ワッツと何が違うの?」という質問もしたくなりますが、言ってみれば、「この3つの特徴がない」という答えになるわけです。「静」と「動」に分けて考えたとき、私たちは、どうしても「何かをする」ことに意識を奪われがちです。ワッツを学ぶ過程でも、友人にワッツをするときでも、レシーバーを抱えて「次に何をする?」ばかり考えていませんか? すべての「動」は、「静」から生まれる 「する」ことよりも、「いる」こと 「静」を共有することで、「動」は自然に生まれるハロルドはそんな宇宙的な話をしてるんです。ま、簡単に言うと「こっくりさん」みたいなものですかね… (^o~)いずれにしろ、これがStill Base(=「静なる源」)の考え方です。またそれが、ワッツを他のボディワークとは全く異質のものにしている要素とハロルドは説明しています。されど、言うは易し。去年の夏、ミナクシのセッションを受けたとき、ミナクシは、ボクの背中の1点にピタッと来ました。ボクは車の運転をするとき、右腕をハンドルの上に乗っけるクセがあります。そのため、長い運転の後は、右肩甲骨の横に決まってしこりができます。ミナクシが指を置いて離さなかったのは、その1点でした。ハロルドの説明からすると、アレもStill Baseから伝わってくる直感、ということになるんでしょう。やはりハロルドやミナクシの一流のフリーフローを受けると、「まだまだ先は長い… 一体、たどり着けるのか…」としみじみ感じます。
February 4, 2006
「イルカを離れて何をしよう?」と思ったとき、最初に思い浮かんだのはワッツでした。ワッツに出会ったのは、イルカを始めた頃に遡ります。障害児のプログラムで、イルカと泳いだ後にプールでワッツをやろうと、ベルギー出身のセラピストが言い出しました。ワッツ(WATSU)とは、Water Shiatsu(水中指圧)を縮める形で名付けられた水中ボディワークです。アメリカ人のハロルド・ダール氏が日本古来の指圧や経絡理論を学んだ上でワッツを考案し、25年前にWABA(世界水中ボディワーク協会)を設立しました。そのセラピストはドイツでワッツの資格を取ったとのコト。「ふ~ん…」彼女は、水の中で押圧やストレッチを行って「体」に働きかけるだけでなく、精神的な働きかけも多く、絶対にイルカとマッチする、と主張しました。「ふ~ん…」正直なところ、全然ピンとこなかった、というのが実際です。もともとイルカのセラピープログラムには、アートセラピーや音楽セラピー、マッサージセラピーを組み合わせていたので、「忙しくなるからいいよおぉぉぉ」というのが本音でした。 ところが聞いてみる・見てみるのと、実際に受けてみるのとでは大違いでした。かなり気持ちいいです。そして「楽しかった」!ストレッチはかなり深く入って、陸上のストレッチではあり得ないほど、ボクの体が開きました。同時に、体の解放感から、(「やはり」という感じですが)ボクはイルカと泳いでいるときのことを連想しました。なんだか楽しくなってきて、セッション中に何度もヘラヘラ笑ってしまいました。セラピープログラムでも大好評で、マッサージセラピーを少し削ってワッツを導入した甲斐がありました。それ以来、WATER PLANETでのセラピープログラムには、ワッツは必須アイテムとなりました。ところが、ワッツをできる人が足らなかったんです。速攻でワッツのインストラクション・ビデオを購入し、セラピストと特訓しました。順番が覚えられず、当時流行っていたラテンラップに振り付けするようにして、「ワッツダンス」を開発。踊って覚えたワッツです。1年目、2年目は、そんな自己流の「なんちゃってワッツ」で200本近く練習させていただきました。喜んでくれはしましたが、今では本当に申し訳ないと思っています。だって、セッション中、ずっとボクの頭の中ではラテンラップが流れていたんです。
January 24, 2006
大変遅くなりましたが、WABAニュースレターの一部日本語訳をワッツフォーラムにUPしました。ワッツの関係の方々、是非ご覧下さい。2名の大変心強い和訳ボランティアに支えて頂いて、今後も日本語訳を発信していきたいと思います。今月からワッツの練習会「フリーフロークラブ」もいよいよスタートです。詳しいことはメールください。今年も頑張るぞ~!一歩ずつ、一歩ずつ...
January 14, 2006
年末に勝手にサメの話で盛り上がってしまいましたので、ついでにサメとイルカの関係について、ちょっとお話します。サメとイルカは、「天敵」というよりは「ライバル」の関係のようです。同じ海域で、同じ餌を狙っていることは多くても、お互いを狙うことはほとんどありません。サメは基本的に夜行性です。サーファーが襲われるという痛ましい事件がときどきありますが、サーファーは、海水浴客で混む時間を避け、早朝や夕方に海に出るので、狙われやすいようです。とはいえ、サメが昼間、フロリダ沿岸部などをフラフラ泳いでいる姿は、よくカメラにも収められています。(寝ているのかもしれませんが...)イルカは… 基本的に寝ません。以前も呼吸の話でしましたが、イルカは意識運動で呼吸するので、寝ると呼吸が止まってしまいます。イルカは右脳と左脳を交互に「休息」させるという、とても器用なマネをするのです。それでも活発になる時間帯はあるのですが、狙う餌の状況や海域によって異なるようです。サメは非常に警戒心が強いことで知られています。大きな獲物は一発では仕留めません。噛み付いてブンブン振り回しては、また離します。サメの歯はこれでボロボロ抜けます。これを何度か繰り返して、相手が弱ったのを見て、最後の一撃を加えるんだそうです。サメに襲われて生き延びた、という話は、最初のアタック後にサメが離したときに、ボートなどで救われるケースだそうです。“Shark Attack” という言葉まで生まれている割には、実は、意外にサメは「引け腰」なんですね。でも、この警戒心があるからこそ、3億年も生き延びたんでしょう。一方、イルカの武器は何と言っても、探知力と社会性です。集団でエコ・ロケーションを使うことで、かなり広い海域の情報を探知して、また共有できるそうです。ハンティングでは、素晴らしく組織的な連携をします。この話は別の機会にします。イルカとサメのどっちが強いか?… どっちでもいいですよね。少なくとも知的レベルでは比較になりません。それでも、イルカの子ども、お年寄り、または病気・ケガで弱っているイルカは、サメに襲われることがあるようです。一方、イルカがサメを食べることはないようです。もっと手頃な食べ物はいくらでもありますからね。でも、ボクはイルカがエイを食べるのを見ました。エイも、大きく言えばサメの仲間ですからね。イルカがエイをちぎって食べてたんです。それまでボクは、イルカは丸呑みできるものしか食べない、と聞いていたので、ビックリしました。でも食べたのは全身の6分の1程度。で、もっとビックリしたのは、そのエイの「食いかけ」を、一緒にその様子を見ていたスタッフの一人に持ってきたんです!イルカはエイをジョージに渡すと、サッサとどこかへ行ってしまいました。ジョージの手に残ったエイは、まだ生きていました。その後、船に戻って、スタッフ4人による緊急ミーティングが開かれました。… このエイ、どうする?… せっかくもらったんだし、食べる?… マズかったんじゃないの?… 逆かもよ?… 友好の印だったら、捨てられないでしょ?結局、感謝を込めて、海に返しました。きっとカニたちのご馳走になったことでしょう。イルカがサメに襲われた人間を救ったという話は、あちこちに伝わっています。そのひとつ、紅海での出来事ですが、ヨットで遊びに来ていた3人組のうちの一人が、サメに襲われました。2人がヨットで助けにいくまでの間に、サメは2度、その男を襲っていて、瀕死の状態だったそうです。そこに3頭のイルカが現れて、威嚇行為だけでサメを追っ払ったそうです。そして、仲間のヨットがヨロヨロと来るまでの間、イルカは血の海の中で、けが人に寄り添っていたそうです。で、この様子がフィルムに収められているらしいんです。でも残念ながら、ボクは見たことがありません。それほどの映像なら、もっと露出されていても不思議ではないんですが…ボクは、あんまりイルカを美化する傾向は、ディズニー的な人間の価値観を投影するようで好きではありません。が、例えば、海では最強のシャチもイルカです。アシカだって白熊だって食べます。クジラだって集団で襲います。そのシャチでさえ、人間を襲った記録が一つもない、というのは不思議だと思いませんか?アイヌやエスキモーのように、シャチと密接していた文化でも、シャチを神のように崇めることはあっても、サメのように「敵」として認識してはいません。なにか、人間とイルカ族の間には、過去になんらかの関係があったんじゃないか…などとロマンチックな妄想をしてしまいます。こんな感じで今年のブログをスタートしてしまいました。みなさん、本年もよろしくお願いします。
January 14, 2006
サメと泳いだ経験のことは、それから何回も頭の中で反芻しました。そこから、何か大切なことを学び取れるような気がしたのです。サメの様子、ボクが感じたこと、生きること…あれから数日、海の上で揺られながら、記憶を絞り出すようにして考えました。おかしな考え方かもしれないんですけどネ…小さい頃、「どんな死に方したい?」って話になると、「暖かい縁側でポックリ」なんて思っていました。逆に、一番イヤな死に方は、「食べられる」ことでした。でもネ、ちょっと違うと思うようになりました。サメに喰われて死んだっていいじゃん、って…自然界は食物連鎖で成り立っています。食物連鎖の底辺にいるもの以外、すべての生命は、生きているものを食べて生きていきます。植物は、日光と水と養分で、生きるエネルギーを得ます。動物はそうはいきません。生きているものしか食べられない。そして、その犠牲になった生命のエネルギーを、自分の血と肉に変えて生きていくワケです。「命」というものは、そうやってみんなで共有しているエネルギーのコトです。生きるってことは、「受け取る」こと。死ぬってことは、「与える」こと。そうやって命というエネルギーは、みんなの周りを廻っていく。なんか、そう考えると、人間のように死んだときに燃やしちゃうのって、不公平だなって…サメと泳いだコトを正当化するつもりではありません。あれはアホです。無謀だし無責任です。ただネ、この自然界で生命を授かった以上、この自然界の中にいたいなぁ、って思うんですよね。人間は、自分の社会を自然から切り離すことで安全を確保してきました。大昔、農業が発明されたことでそれが可能になり、人間の人口は一気に増えました。ところが今度は密集して生活するようになったので、疫病が流行るようになりました。しかし、医学や技術の発達、そして産業革命…人間はもう自然を脅威と思わなくなり、どんどん「自然」を「人工」に変えていったわけです。その歴史のおかげでボクも生まれました。ボクは自然界で生きていけません。そんな風に育てられてないからです。そもそも、人間が自然界から隔離しないでいたら、ボクは生まれていなかったかもしれないワケです。でも、体の芯に近いところで、自然界への帰属意識自然界の懐かしさって残ってると思うんですよね。自然界に出れば、必ず「やられる」リスクが生じます。(必ずしも人間社会が安全なワケではないですけどね。)でも、リスクを恐れて、人間社会に閉じこもるのはイヤだなって思います。また、簡単に自然界に出て、リスクを知らないで能天気でいるのも、例え結果OKだとしても、イヤだなって思います。「サメに喰われてもいい」というのは、「死に方」の話ではなくて、「生き方」の話なんですね。もちろん、サメと遭えば全力で逃げるし、できるだけ出遭わないように避けて生活すべきです。ただ、サイパンでは、目の前でイワシとカツオとカモメの激しい生命の攻防を見て、ものすごく心が動いたんです。そして、そうやって生きることの原則や意味を自分の目で確認したかったんだと思います。理屈じゃなくて。「行かなきゃ」「行かなきゃ」って気持ちを抑えられなかった。おかしいかな?おかしいよね。
December 20, 2005
(...続き)もう一度、青黒い海底をめがけて潜っていくと、いた! 海底近くに。ヤツが…どうやら、その辺りを旋回している感じでした。ゆっくりと悠々と。堂々とした、流れるような流線型。襲ってくるような気配は感じませんでした。根拠は全くありません。はい。ただ、ボクはもうとりつかれていました。サメの進行方向にあわせるように、徐々に近寄っていきました。距離をつめていっても、サメが反応する様子はありません。ただ、横目でボクを意識しているのは感じました。サメと目をあわせながら、「まだ行けるか」「もうちょっと寄れるか」とジリジリと距離を縮め、いよいよ手を伸ばせば届いちゃうかも!という距離まで。その瞬間。「いやん!」という感じで、サメは身をよじって距離を置きました。その瞬間にボクも反射的に反応して、全速力で浮上しました。サメの意外な反応に、ホッとするやら苦しいやら。明らかに、緊張のため、思うように息が続きません。また海面に戻って、ドキドキ下を見つめながら、なぜか冷静に妙なことを考えている自分がいました。… サメには、人の手の機能が分かるんだろうか?サメが体を翻したのは、ちょうど手を伸ばせば届くくらいの距離だったのです。しかも、ボクの勝手な解釈では、確かにサメは、「いやん!」と言いました。しばらく海底を見つめながら、多分、いろいろな考えを整理していたんだと思います。ノドが乾いていました。スノーケルが唇に張り付いて、ツバも飲み込めませんでした。自分の呼吸に意識を集中させて…… オリャ!ボクはジェットコースターなんかも大っ嫌いな人間です。高い所もできるだけ避けて生きてきました。スリルというものを好き好む人間ではないんですが、多分、その時はもう、アドレナリンに酔っ払っていたんだと思います。今度は近くに寄ったら、一定の距離を置いてしばらく泳いでみました。サメはボクの存在をどう考えているのか、全神経を傾けてみても、ほとんど読み取ることはできませんでした。なんたって相手は魚。イルカと泳ぐのとは全く異質の感覚です。当然、ボク側の気持ちが全く違います。ただ、何か共通している部分もあるような気もするのが不思議でした。そうしているうちに、「いやん!」とサメはまた身を翻して、距離を置きました。なぜかコレが病みつきになってしまいました。だんだん落ち着いてきて、息も長く持つようになりました。ボクは何度も潜行と浮上を繰り返しました。「いいではないか」「いやん!」「いいではないか」「いやん!」いつの間にかボクは、サメよりも上の立場にいるような錯覚に陥っていました。何回目かのとき、ふとサメの位置がずい分と浅くなっているのに気づきました。アレ?周囲は青く明るくて、見通しもいい状態。見回してみて、ビックリしました。1頭かと思っていたサメは、見える範囲だけで6頭いました。そしてすぐ頭の上には、イワシとカツオとカモメの塊。サメはその周りをゆっくりとグルグル旋回しながら、徐々に浮上して距離を詰めているところでした。その真ん中にボクはいたのです。おもむろに左側のサメが、ウォームアップでもするかのように、ビビビッと稲妻状にダッシュし始めました。は、はじまるんだ…!ようやく自分が置かれている状況が分かったと同時に、ものすごい恐怖が全身を襲ってきました。意識が一瞬にしてすべて吹き飛びました。とにかく怖かった。そこからどうやって船に戻ったのか全く覚えていません。多分、自己新記録ペースで泳いだんだと思います。どうやって船を見つけたのか、そもそも浮上したのか、呼吸はしたのか...全く覚えてないんです。一時的な記憶喪失です。人間って、死の恐怖を味わうと、生命維持機能が働いて、その記憶を消してしまうらしいですが、多分、ソレだと思います。ボクが唯一覚えているのは、船に飛び込むように上がって、「ベチャ!」と顔から着地したことだけでした。
December 18, 2005
5年くらい前に、サイパンでイルカ調査をしました。ある日系ホテルに依頼で、イルカと泳ぐプログラムができないか?という趣旨のものでした。ま、先方は単なる企業努力だったのですが、結果がどう出るにしろ、ボクは海に漂ってるだけでも幸せなので、話に乗ってみました。結果を先に言うと、一週間漂って、イルカを見たのは一度のみ。しかも遠くの沖にちょっと見えただけで、何イルカとも判別できませんでした。実際のところ、ほとんどの時間、ボクはトローリングでカツオを釣って過ごしていました。海では、鳥がいろんなコトを教えてくれます。鳥が空中で群がっていれば、その下に小魚が群れてる。なぜ小魚が群がるかというと、その下から大型の魚が小魚を狙っているからです。当然そこでカツオを狙うのですが、一度、海の中の様子を見てみたい!と思って、小魚が群がる海の中に入ってみました。すごい絵でした。雲のように群がるイワシの群れに、カツオがビュンビュン飛び込んでいきます。行き場を失ったイワシは、「海面」という境界線を超えてジャンプします。そこに上から飛び込んでくるのがカモメ。壮絶なサバイバル合戦がそこで繰り広げられていました。イヤ~! コレが命だ!フト、視界の隅で、海底近くに何かが動くのが見えました。水深は12・3mくらいだったでしょうか。海底が青黒く、やっと見えるくらいのところです。その海底近くに黒く大きな影がうごめいていました。ンッ… イルカか?迷わず深呼吸一発、潜行しました。薄っすらと見える黒い影を追ってみると…ブッ! サメ。身長は2mちょっとでしょうか。ちょうどボクの身長にフィンの長さを加えたくらいでした。後で調べてみたら、多分、Grey Reef Shark 「オグロメジロザメ」危険な種類に入るようです。もしかしたら Bull Shark 「オオメジロザメ」Bullだったら、かなり危険です。ただ、そのときには、相手の正体の知識は全くありませんでした。あわてて海面に上がって、ドキドキする心臓の音を聞きながら、海底を見つめました。横では相変わらず、イワシの死闘が繰り広げられていました。…サメだ。サメ… でっかい。でっぷり…しばらく思考は停止していました。何を考えていいのかわからない。ただ、何かに駆り立てられているような、妙な気分でした。なぜか、船に戻ろうとは全然思いませんでした。… オリャ!気合一発、もう一度潜行しました。本当にネ…自分でも何を考えていたのか分かりません。どう考えても理に適ってません。妻子のある男のやるコトじゃないですよね。でもネェ、なんかネェ、行っちゃうんですよね…止まんないんですよ。なんか、こう、命さらけだして「オレも生きてるゾ~!」 …みたいなネ。そんな気持ちだったんですよね。...続きます。
December 17, 2005
野生のイルカと泳ぐことは、自然保護の観点から言えば、確かにマイナス面もあります。でも結局ね、自然保護の基本は、 リデュース ゴミを減らす・消費を減らす。 リユース 物を再利用する。 リサイクル 形を変えて資源を再利用する。これなんですね。結局、これが一番利くんです。その他に何ができる?って言ったら、無知を減らす努力、だと思います。知識を仕入れたら、それについてどう判断するかは自分次第です。「こうすべき」とか「あれはやるべきじゃない」とか、それはその人の判断です。自分にどこまでできるかは、自分で決めていいんです。できる範囲でいいじゃないですか。野生のイルカと泳ぐことも、そうした意識を高めることにつながるんですよね。もう一つ大事なこと。癒しと自然保護はいってこい、なんです。癒しって、自分の中の「自然」が、本来の力を発揮するってコトなんですよね。自分の中の「自然」は、自分の外の「自然」に触れることで、癒されます。そういうエネルギーの流れは双方向だと思います。自分の中の「自然」が、「気持ちいい」って感じることは、絶対に自然環境に対してもいいことなんです。自然保護って、環境に対して直接働きかけることがすべてではないんです。自分の中の「自然」に優しくあること。もしくは、他の人に優しくあること。こういうことも立派な「自然保護活動」だと、ボクは思います。無理をしなくていい我慢しなくていい「やりたい」って思える自分を作ることそのためには、自分自身にも優しくあることって大事だと思います。自然に関する無知が減ると、「楽しい」「気持ちいい」と思えることが、変わってくるはずです。「やっちゃいけない」じゃなくて、「こうしたい」に変わってきます。買うもの・使うもの・食べるものが変わってきます。いろんなモノを自分で修理したり作ったりすることが楽しくなります。そのための「自力」もついてきます。技術的にも精神的にも。いつの間にか「早い」「安い」に手を出さなくなります。結局、人の成長ってそういうものだと思うんですよね。人が成長していけば、自然と調和することが自然にできるって、ボクは信じています。
December 14, 2005
日本のイルカ漁は、別に目新しいニュースでも何でもありません。すでに漁師さんと自然保護団体の関係は、コジれにコジれています。漁師さんは、ことイルカとなると、報道関係など一切のシャットアウト。もう一切の議論にも応じない構えです。それだけ、今までに衝突があったんですね。まさに、いきなり世界中からの集中砲火を浴びたわけです。今までに気持ち悪くなるくらい感情的な議論を繰り返してきたんだと思います。漁師さんからすれば、「ずっと昔からの伝統で漁をしているのに何でいまさらイルカだけ」もしくは、「どんどん魚が捕れなくなって生活が苦しくなるのに、害獣のイルカを捕って何が悪い」 これはイルカ漁をしている地域によって違います。 イルカ漁を「生業」にしているところもあれば、 年に数回だけやる「駆除」的もしくは「お祭&副業」的な漁のところもあります。反対する方も、漁師さんの生活保障をできないし、「合法」である以上、歩み寄る道はないようなんですね。ちなみに、イルカやクジラを捕るべきでないという根拠は、「カワイイから」というわけではなく、繁殖率が著しく低いからです。およそ2~3%と言われています。100頭いて、1年に2・3頭しか増えないというコトです。… あえてドライな言い方をしていますが、ボクはある「狩り場」でイルカの胎児が無残に転がっているのを見て、涙が止まりませんでした …日本人とイルカの関係を象徴するような出来事がありました… … でもネ、残念ながらちょっと詳しいことは忘れちゃったんですよねぇ…北海道だったと思うんですけど、ホエールウォッチングをしている観光船の目の前に捕鯨船が現れて、ドーン!とクジラを打っちゃったんですね。そりゃ、ホエールウォッチャーはビックリです。当時新聞にも載って、その「惨劇」の様子が写真で伝えられました。二極化している日本人とイルカの関係を良く表す出来事だと思います。一方で、ちょっとした変化を感じられたのは、昨年、偶然見つけた伊豆新聞に載っていた記事でした。伊東市富戸港は、イルカの追込み漁で世界的にも有名な所です。その伊東市の「元」漁師がドルフィン・ウォッチを開始!というものでした。簡単に言ってしまえば、「イルカは捕るより見せた方が金になる」というコトです。ボクはネ、とりあえずそれでもいいと思うんですよね。要するに、「世間の意識が変わることで産業も変わっていく」というコトだと思うんです。トヨタがいち早く「エコ」開発に手を出したのは、「売れる」と見込んだからです。ボクたちが理想とする自然との調和の世界って、多分、今ボクたちがいる所からものすごく遠いんだと思うんですよね。でも、産業革命から始まった大量生産・大量消費の流れは、今、少しずつ、確実に、逆流し始めていると思います。でも、まだまだ遠い。そんな状況の中で、一つ一つに白黒つけていたら、あまりにも遠い道のりに、みんな苦痛を感じてしまうんですよね。それでも大丈夫な人は大丈夫だろうし、そういう人が現れていることも「変化」の一つの現れです。でも、結局、大丈夫な人と大丈夫じゃない人が分かれて、「相容れない意見」として、二極化してしまいます。どっちが正しいってワケじゃないのに、二極化してしまって、どっちもマイノリティです。マジョリティは「無知」です。いつの時代でも。野生のイルカと泳ぐのだって、理想形(?)からいえば「黒」かもしれません。商業ベースではね。餌付けも「黒」です。捕殺も「黒」。でも、仮に理想形を、大昔の自然と調和していた厳しい時代とすると、当時、捕れるものは何でも捕ってました。じゃ、逆に捕殺は「白」なんじゃない?そんな時代なら物が余っているわけでもなく、餌付けできるものも限られてるから、餌付けも「白」。泳ぐのなんて当然「白」でしょう。でも現実問題として、今の人口と便利さを劇的に減らすワケにはいかないでしょうから、大昔に戻ることはできません。「じゃ、その理想形ってどんな世界なのよ?」って話ですよね。それにょって「白」「黒」変わってくるワケですから。結局ね、一つ一つのことに、誰にも共通な「白」とか「黒」はないんですよ。ただ、「考える」機会を持つことが重要なんだと思います。「無知」でいないコトです。屋久島への旅行が、ドラマに触発されて人気になりました。おかげで縄文杉への山道がボロボロになってしまいました。だからといって、縄文杉への旅行を禁止ってする必要はないと思うんですよ。ただネ、どうせ行くなら、業者を選びましょうね、って言いたいです。心ある業者は、なにも縄文杉へ行かなくても屋久島の森を体験&理解してもらうように、とプログラムを組んだりしています。業者を選ぶということは、その業者に「一票を投じる」というコトです。自然と関わるサービスを提供する会社すべてに言えることです。ボクは、そういう産業が伸びてほしいと思っています。そして、より多くの人が、単に買い物のための旅行ではなくて、自然との関わりを考えてくれるような旅行に行ってほしいと願っています。
December 12, 2005
フロリダ州パナマシティでは、本当に身近にイルカたちが泳いでいます。その数は約200頭と言われます。このイルカたちを支えるのは、広大な内海です。浅くて透明度の良い内海は、日光を海底に届けて水草を育み、水草のベッドは、小動物の隠れ場、餌場として、食物連鎖の底辺を支えます。釣りやレジャーで海に出れば、かなりの確率でイルカに遭遇します。ビーチで散歩してても、ちょっと沖にイルカたちが見えることはよくあります。そうすると、こんなコトになるのです。ボクたち WATER PLANET は、海洋漁業局のフィールド調査員や海洋生物学者と連携して、イルカの個体数調査や、こうした餌付けのデータを取って、それを元に、餌付け禁止のビラやポスターの配布をしたり、という活動をしてきました。個体識別できているのは56頭ほど。今はもう少し増えていると思います。餌付けに応じてしまうイルカは約20頭でした。全体の10%と見積もられます。「レギュラー」とボクらが呼んでいた連中も、冬の半年間はボートにも寄らず、自分たちの生活をしています。海洋生物学者の結論は、「『危機的な状況』ではない」とのこと。釣りをしていて、イルカが現れれば、エサを与えたくなる気持ちも分かります。別に悪い人じゃないんですよね。知らないだけなんです。なぜ餌付けがいけないかと言うと、1.イルカの生活パターンを変えてしまう2.エサそのもののが不潔3.人間の手のバクテリア4.一酸化炭素1についは、イルカに限ったことではなく、すべての野生動物に言えます。フロリダでの話ですが、あるビーチに40年続いたホットドック屋台がありました。その主人はカモメにエサを与えるため、すごい数のカモメが「常駐」していました。ある日、その主人が亡くなって、ホットドック屋は休業しました。カモメはどうなったと思います?… 全部、死んじゃったそうです。人間が与える食物への依存も、第二世代になるともうOUTなワケです。また、人間への警戒心が薄れることも、良いことではありません。悲しいことですが、人間はいい人ばかりではないので。2.エサそのものが不潔です。イルカは、新鮮というより生きた魚・イカ・エビ・カニを「踊り食い」するのが基本です。釣り餌用の冷凍魚なんてダメです。絶対。(自分で食ってみろ!)3.は前回もお話した、人間には無害だけどイルカには有害なバクテリアです。なぜコレが問題になるかと言うと、餌付けをする人は、ただ単に魚をイルカに与えません。写真撮らなきゃいけないし、触らなきゃいけないようなのです。それと同時にすごく問題になるのが、4です。イルカと写真をとったりする間、みんなボートのエンジンをかけたままにします。エンジンの排気ガスが停滞することで、海面上にガスの層を作ってしまいます。イルカには、嗅覚がありません。だから危険な臭いを察知できないのです。おまけに、イルカの肺の換気率は90%以上。人間の肺がせいぜい20%なのとは全く違います。一呼吸で一気にイルカの肺は排気ガスで満たされるのです。一時期、咳き込むイルカを個体識別した結果では、咳き込むイルカのうち、「レギュラー」が占める割合が90%近かったデータがあります。なんてコトを言いながら、「アメリカ人は無知だ」などと言っていられないのが日本人。CM、ポスター、ホームページなどあらゆるメディアから小物まで、これだけイルカを平和のシンボルのように使っていながら、世界一の捕鯨大国。トップにいるのが漁業組合の親玉のような農林水産省。日本では、都道府県ごとにイルカの捕獲枠が定められているので、捕獲枠を守っていればイルカ漁は「合法」なのです。全国で年間2万頭を超えます。クジラ(大型鯨類)の調査捕鯨は別枠です。また続きます。なかなか結論に至れない…
December 8, 2005
水族館のイルカと泳ぐのと野生じゃ全然違う!なんてことを言いましたが、今、実はアメリカでは反ドルフィン・スイムのキャンペーン中なんです。野生のイルカと泳ぐことは「禁止」と政府と自然保護団体が訴えています。根拠となるのが「海洋哺乳類保護法」(1972)これは、海洋哺乳類の殺戮、捕獲、もしくはハラスメントを禁じた法律で、国連加盟国が軒並み批准する中、捕鯨国である日本とノルウェーだけが拒否しているものです。ハラスメントには、追いかけたり、エサを与えたりして、イルカ本来の行動パターンを阻害すること全般が含まれます。イルカと泳ぐことは、このハラスメントに当たるというワケです。こういうキャンペーンは今に始まったことではないんですけどね。1999年だったかな?アメリカの全国版の新聞に、一面カラーでドーンと記事が載ったことがありました。お題は「Behind the Dolphin Smile(イルカの笑顔の影に)」全面的にアメリカ政府(海洋漁業局)の記事でした。記事の内容は、フロリダ州で毎年100件くらいあるらしい被害届。数十針縫うことになった人もいるらしく、「イルカに噛まれる被害が続出!」というもの。... あのネ、聞きたいのは「なんで噛まれたの?」なぜ噛まれるのかというと、無知な観光客や釣り人がイルカにエサをやろうとするからなんです。さらに、記事では、どこかの海洋生物学者のコメントで、「ほとんどの人がイルカは愛嬌があってカワイイ動物だと思っているが、野生では、彼らはケンカで傷つけ合いもするし、集団でレイプをする様子も報告されている。」...「レイプ」ね。彼氏彼女とか結婚してないとダメなんだ?この海洋生物学者が野生というものを知っているのか、とっても疑問です。要は、この記事は、イルカの獰猛さをアピールして、「イルカは危険だから近づかないで」と言うワケです。... 何やってんだか ...言いたいことはわかるんですけどネ。呆れました。この海洋漁業局に、それまでボクらはイルカの調査結果を提出してきたと思うと、情けなくなります。野生のイルカと泳ぐのがいいか悪いか、はボクは明確には言えません。「その目的ややり方による」というのがボクの意見です。ボクは「イルカをやめた理由」に書いたように、色々な事情があって、「イルカと泳ぐ」のを止めるという選択をしました。でも、仕事としては辞めましたが、多分、海でイルカを見たら、誰よりも早く飛び込むと思います。イルカにエサを与えるコト... コレは許せません。でも、その続きはまた明日...
December 7, 2005
ワッツとの出会い その1「イルカを離れて何をしよう?」と思ったとき、最初に思い浮かんだのはワッツでした。ワッツに出会ったのは、イルカを始めた頃に遡ります。障害児のプログラムで、イルカと泳いだ後にプールでワッツをやろうと、ベルギー出身のセラピストが言い出しました。ワッツ(WATSU)とは、water shiatsu (水中指圧)を縮める形で名付けられた水中ボディワークです。アメリカ人のハロルド・ダール氏が日本古来の指圧や経絡理論を学んだ上でワッツを考案し、25年前にWABA(世界水中ボディワーク協会)を設立しました。そのセラピストはドイツでワッツの資格を取ったとのコト。「ふ~ん…」彼女は、水の中で押圧やストレッチを行って「体」に働きかけるだけでなく、精神的な働きかけも多いから、絶対にイルカとマッチする、と主張しました。「ふ~ん…」正直なところ、全然ピンとこなかった、というのが本音です。もともとイルカのセラピープログラムには、アートセラピーや音楽セラピー、マッサージセラピーを組み合わせていたので、「忙しくなるからいいよおぉぉぉ」というのが本音でったのです。ところが聞いてみる・見てみるのと、実際に受けてみるのとでは大違いでした。かなり気持ちいいです。そして楽しかった。ストレッチはかなり深く入って、陸上のストレッチではあり得ないほどボクの体が開きました。同時に、体の解放感から、「やはり」という感じですが、ボクはイルカと泳いでいるときのことを連想しました。なんだか楽しくなってきて、セッション中に何度もヘラヘラ笑ってしまいました。その時に気づいたのですが、アメリカ人は「ワッツ」と発音するのですが、ヨーロッパ人は「ワツー」と発音するんですね。アクセントの位置が違うんです。どっちでもいいのですが、ワッツはセラピープログラム参加者に大好評で、マッサージセラピーを少し削って導入した甲斐もありました。それ以来、WATER PLANETでのイルカのセラピープログラムには、ワッツは必須アイテムとなりました。ところが、ワッツをできる人が足らなかったんです。ボクは、速攻でワッツのビデオを購入し、セラピストと特訓しました。ところが順番が覚えられない!順番が気になってると頭が沈んでる!頭を気にしてると、「ん?ここはどこ...?」そこでボクとセラピストは考えました。当時流行っていたラテンラップに、ワッツの動きを振り付けたんです。通称「ワッツダンス」何を隠そう、歌って踊って覚えたワッツです。1年目、2年目は、そんな自己流の「なんちゃってワッツ」で200本近く練習させていただきました。喜んでくれはしましたが、今では本当に申し訳ないと思っています。だって、ワッツ中、ボクの頭の中ではラテンラップが流れてたんです。
December 5, 2005
そうそう、人間には無害なバクテリアなんですけどね。イルカには皮膚病を起こしちゃうんです。他にも水質の問題とかもあって、水族館のイルカはみんな魚に抗生物質を詰めて食べさせられてます。人間だってもたないよ、そりゃ。自殺するイルカがいるのは有名な話です。プールの底にじっと動かなくて、窒息死するんです。すごい話です、窒息するまで息を止めるなんて...**********イルカはみんなヨガマスターなんです。呼吸が意識運動なんですね。だから、気を失うと呼吸まで止まってしまいます。呼吸をコントロールするということは、内なる世界をコントロールするということである。内なる世界をコントロールできるということは、外の世界との完全に調和できるということである。とはヨガの言葉です。イルカはヨガマスターです。**********水族館の社会的意義は充分わかっているつもりですし、館員の方が愛情と熱意を注いでいらっしゃることも知っています。が、その代償を天秤にかけて考えてもらいたいものです。今の時代、逆にそういう情報を発信して、例えば飼育死亡率の高いイルカについてはバーチャルにするとか...そういう水族館の方が、逆にみんなが選んで来てくれると思うんだけどな... 調教されたイルカ1頭に1億円かけてるくらいなら、その方がずっと教育的だし、ずっと良い投資ですよね?
December 1, 2005
tsuyoponさん、トラックバックをありがとうございます。トラックバックなるものを初めて受けたので、今度はトラックバックのお返しに記事を書いてみたいと思います。まず、アトピーについて。イルカがいいというよりは、海水がいいようですね。ただものすごい痛みを伴うので、それを紛らわせる意味で、イルカが有効という考え方のようです。沖縄のルネッサンスホテルで昭和大学の小児科の先生がそうしたセラピーを行っています。ものすごい繁盛ぶりのようです。6ヶ月待ちとか...そこに、「アトピーだけでなく自閉症も受け入れて!」と乗り込んでいった方々がいます。何を隠そう、ボクがやっていたフロリダに参加していたご家族の方々です。結局今は、かなり広く対象をとってセラピーをしているはずです。アトピーにうつ病を併発しているケースも多くありますし、アトピーに心因的な原因もあるとすれば、そういう意味でも「イルカは有効」と考えることができるでしょう。次にうつ病についてうつ病については、間違いなくイルカと泳ぐことは有効です。ただし、イルカに限ったことではないと思いますし、「イルカが治してくれる」と考えるのはどうかと思います。「イルカ効果」の原因として、「イルカの超音波」がよく挙げられますが、ボクとしては「科学者らしい推測」という程度にしか思えません。E.O. Wilson博士の「バイオフィリア」が唯一、「イルカ効果」を端的に説明したものだと思います。tsuyoponさんも指摘されていましたが、野生のイルカと飼育イルカの寿命は、明らかに違います。原因も、海とプールという環境を比べれば自明です。基本的に水族館側が情報を開示しないので、正確ではありませんが、飼育7年でイルカの半数が死亡するというデータがあります。アンケートに協力した水族館が出してくれたデータの統計でこの数値です。アンケートに答えなかった水族館を足せば、間違いなく死亡率は高くなると思います。特に飼育1年目の死亡率は非常に高いことは知られています。ストレスの指標となる血中コルチゾール値が異常に高いのも実験結果があります。ちなみに、飼育イルカは抗生物質漬けです。そうでなければ、人間の手にはイルカに有害なバクテリアがいるので、イルカに触ってはいけません。野生では触らないようにしてください。(触れるものならネ...)そんなことで、「イルカが有効」という言葉ばかりが先行しないことを願うのみです。
November 30, 2005
「結局さア、イルカじゃなくて、トトなんだね!」イルカに頼らずに、なんとか同じようなものを作れないものか?それ以来、真剣に考え始めました。もちろんみんながフロリダまで来てくれるのは、「イルカ」でした。でも、イルカと泳ぐことだけでなく、ボクは、その「場」というか「空気」というか、プログラム全体の雰囲気を大事にしてきました。何かを「伝える」のは、やはり「人の力」だと思うのです。その力がなくても、イルカと泳ぐのは間違いなく楽しいでしょう。でも結局、何日か後には、みんな日常に戻っていくのです。そして、いつの間にか、イルカは思い出へと変わっていきます。でも、何かが「伝わった」とき、日常の送り方が変わります。思い出が「生きる」わけです。ボクがやりたかったのは、単なるサービス業ではありません。「伝え」たかったんです。そう考えたとき、今までを思い返して、急に自分の力不足を感じました。自己表現としての仕事の喜びを見つけたと同時に、その責任の重さを実感したのだと思います。「自分がもっともっと成長しなくちゃ」そしてテロ事件は、ボクをイルカから離すために起きたんだろう、と勝手に思い始めました。「イルカに固執することはない」「成長は他のことでもできる」「イルカに頼らず、自分が目指す『場作り』をしていこ」だんだん考えが整理されていきました。人間の心・頭・体の関係は本当に不思議なものです。考えに整理がつくと、心も変化します。心はコントロールできません。体もコントロールできません。でも、考えだけは自分でコントロールできます。そして、この3つはお互いに影響しあっています。イルカと離れるのは、『心』にとっては辛いことだろうと思っていましたが、予想していたほどの拒否反応は示しませんでした。もちろん何度か涙を流しました。また、今は街中に住んでいて、フロリダとは全く違う環境ですが、それでも、例えば夜、月がきれいに見えると、フロリダのイルカの島でよく見た夜空を思い出して、イルカを想います。そうやって『心』が動くときは、できるだけ時間をとってあげるようにしています。不思議と、そうやって『心』を大切にしてあげていると、『体』にまで影響が出るほどの拒否反応は示さないものなんですね。イルカ・プロジェクトの休止を決めたとき、『頭』では、すでにイルカを離れる考えを整理して、次の舞台の設計図を描きはじめました。『心』はというと、ときどき後ろを振り返ることもありましたが、ほとんどはうまくついて来てくれて、将来の構想にドキドキしてくれることもありました。自分の『心』も、他人の『心』も、自分の『頭』からの距離でいうと、あんまり変わらないんだなぁ…うまく付き合ってあげないとな…
November 26, 2005
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