本日は予てより計画の崇福寺跡へ出掛けて参りました。
如何なる経緯でかは忘れましたが、もう20年近く前に今は亡き父と弘文天皇陵-近江神宮-崇福寺跡と歩いたことがあるので、再訪である。
今回のは、昨年12月25日に奈良県榛原の春日宮天皇妃吉隠陵を訪ねた(12 月25日記事
参照)のと同じ理由による訪問である。
万葉の昔、多分690~694年頃のこと、穂積皇子と但馬皇女との恋愛事件をよしとしなかった持統天皇は、二人の仲を裂くために、勅命により穂積皇子を志賀の山寺に遣わしました。その山寺が崇福寺なのであります。この寺は近江遷都の翌年に天智天皇によって創建されたもので、天智天皇の菩提寺でもあった。もっとも、恋愛事件とは関係なく、持統天皇即位の報告を父である天智天皇に報告するために穂積皇子を崇福寺に遣わしたという説などもあって、真相は分らないのではある。
京阪電車石山坂本線の滋賀里駅下車。今回は自転車は持参せず、昔、父と歩いたコースを逆に歩いてみようというものである。
(志賀八幡宮)
駅を出て西(山側)へ。正面に志賀八幡神社が見えて来る。崇福寺跡へはこの神社の南側の坂道を登って行くのである。
(志賀八幡宮本殿)
(崇福寺への道・百穴古墳群付近)
右手の竹林の中には百穴古墳群があるが、帰途に立ち寄ることとし、先に進む。程なく小さなお堂が見えて来る。
(志賀の大仏)
(お堂の扁額)
お堂の前の説明は阿弥陀仏、扁額には弥勒菩薩とあるが、どっちなんですかね(笑)。お堂の先で道は分岐し左が「志賀峠越え」、右が崇福寺である。
(山道となる。) (崇福寺鳥瞰図<現地看板から>)
(上空からの写真・現地看板掲載写真)
(崇福寺跡碑・金堂跡)
(金堂跡・講堂跡)
さざなみの 志賀の山寺 とふ人の たれやあるらむ 風花散れる
(偐家持)
崇福寺
跡とひ来れば 枯れ葉積む 石の
静寂
に 小雪の降れる
(偐家持)
(同上)
(金堂・講堂配置図<現地看板から>)
(講堂跡)
(小金堂・塔配置図<現地看板から>)
(小金堂跡<手前>から塔跡を望む。)
(塔跡<手前>から小金堂跡を望む。)
(弥勒堂配置図<現地看板から>)
(弥勒堂跡)
崇福寺を後にし、山を下る。この後、百穴古墳群、南滋賀町廃寺跡、近江神宮、弘文天皇陵などを廻りますが、本日はここまで。続きは明日にします 。
<参考地図>
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着