昨日(23日)はナナ万葉の会の第11回例会でした。
今回は、大伴家持の生涯と歌をざっと概観してみようというもの。季節柄「桃の花」をということで「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女」の歌を取り上げ、これを講義のタイトルとしました。
自宅から、八尾市恩智の喫茶ナナまで自転車で約30分。雨でもない限りは銀輪散歩を兼ね愛車MTBで走るというのがヤカモチ・スタイル。
この日もMTBで出掛ける。恩智川沿いではなく、山沿いの「上つ道」を走ることする。こちらの方が坂道アップダウンもあって恩智川沿いのそれよりも少しハードな道になる。
上つ道だとこの古墳の前を通る。
道の辺の畑に梅が咲いて居たので畑に侵入、撮影。
農作業をされていたおじさんが上の畑では桃が咲いて居ると仰るので、MTBで坂道を上り、その畑へ。
予想したよりも背の低い木であったが、確かに咲いていました。
低い木なので、「下照る道に出で立つ少女」とは参らぬが、早くも咲き匂う桃の花と出会えたのはラッキーでした。
畑の畦には、春の七草のナズナも咲いていました。
これは、別の場所ですが、菜の花も。春ですねえ。
少し時間が早いので、大和川まで走ってから喫茶ナナに向かうこととする。
大和川畔で小休止して、恩智川沿いを引き返す。
15分程度でナナに到着である。
当日の例会出席者は植〇氏、中〇氏、石〇氏、吉〇氏、武〇氏(以上男性)と小〇氏、松〇氏、高〇氏、永〇氏、谷〇氏、A氏(以上女性)の11名。講師の小生を加えて全12名。偶然にも男女6名ずつとなりました。初参加は中〇氏と武〇氏とA氏(名前をど忘れしてしまったのでA氏としました。)であるが、中〇氏は小生の大学の後輩にて、これまでにも小生が案内役を務めた万葉ウォークに何度もご参加戴いているので顔馴染みである。武〇氏とA氏とは初対面。
講義は、桃の一般的な話
( Wikipedia・桃
参照)
から、桃を取り上げた万葉歌7首の紹介。大伴家持の生涯を年表に従って追いながらその折々の歌を鑑賞。
取り上げた歌の一部を以下に記して置きます。
春の苑 紅
(くれなゐ)
にほふ 桃の花
下照る道に 出で立つ少女
(をとめ)
(巻19-4139)
15歳処女作
うち霧らし 雪は降りつつ しかすがに
吾家
(わぎへ)
の園に 鶯鳴くも(巻8-1441)
振仰
(ふりさ)
けて 若月
(みかづき)
見れば
一目見し ひとの眉引
(まよびき)
思ほゆるかも (巻6-994)
かからむと かねて知りせば 越の海の
荒磯
(ありそ)
の波も 見せましものを(巻17-3959)
もののふの 八十をとめらが くみ亂
(まが)
ふ
寺井の上の かたかごの花(巻19-4143)
朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝こぎしつつ 唱
(うた)
ふ船人(巻19-4150)
春愁3首
春の野に 霞たなびき うらがなし この夕影に うぐひす鳴くも(巻19-4290)
わが屋戸の いささ群竹
(むらたけ)
ふく風の
音のかそけき この夕
(ゆふべ)
かも(巻19-4291)
うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり
情
(こころ)
悲しも 独りしおもへば(巻19-4292)
新
(あらた)
しき 年の始めの 初春の
今日ふる雪の いや重
(し)
け吉事
(よごと)
(巻20-4516)
大伴家持は養老2年(718年)に生まれ延暦4年8月28日(785年10月5日)に没しているが、彼の生涯も亦陰謀渦巻く中央政界の波に翻弄されたものであった。
729年長屋王の変(家持12歳、以下は家持の数えの年齢)
740年藤原広嗣の乱(23歳)
756年橘諸兄失脚事件(聖武を誹謗したとの密告)(39歳)
大伴古慈斐出雲守解任事件(朝廷誹謗との密告)
757年橘奈良麻呂の変(40歳)
758年家持、因幡守に左遷(41歳)
763年藤原良継の乱(46歳)
764年家持、薩摩守に左遷(47歳)
藤原仲麻呂の乱
772年井上皇后廃后・他戸皇太子廃太子事件(55歳)
782年氷上川継謀反事件(65歳)
785年家持没(8月28日・68歳)
藤原種継暗殺事件(9月23日)
家持の生前の官位剥奪(9月24日)
早良皇太子廃太子・淡路配流の途中で死亡(9月28日)
講義の後は小〇さんが料理や茶菓子を出して下さって、暫しの懇親パーテイー。暮れなずむ頃に帰途につきました。
次回第12回例会は、3月29日志賀の山寺・崇福寺跡へのハイキングと決まりました。
<参考>喫茶ナナ、ナナ万葉の会関連の過去の記事は コチラ
から。
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