不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2007/02/20
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カテゴリ: 日本旅行記
萩城跡 駐車場までくると目の前に 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 があるので寄りました。
厚狭毛利家は、毛利氏の一門で、厚狭(現 山陽町)に知行を持っていたために、このように呼ばれた。
この長屋は、棟札におると、1856年に建てられたものである。

萩に来て久しぶりの有料の場所でした(笑)。
萩城跡との共通券で210円です。
入り口に「萩城模型展示」と書かれていました。
一番奥の所に模型がありましたが、実際にこの城があったのなら造ってもらいたいと思うほどでしたね。
海城と山城の融合ですね。
長屋は51mもあるほどに大きいです。

山萩i01旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

萩城跡 駐車場で萩バス「晋作くん」をみかけました。
本に載っているとおりでしたね。
駐車場から城の方に進むと、 毛利輝元像 があります。
1553年に毛利隆元の長男として安芸国吉田郡山城に生まれた。
戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたる。
1563年に父隆元の死去にともない家督を継ぎ、祖父元就の手によって教育された。
織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、中国地方8カ国112万石を領有する大大名に成長し、1589年広島に居城を築いた。
豊臣政権化では五大老の一人となり権勢を誇ったが、1600年の関ヶ原の戦いで敗れ、周防・長門2カ国36万石9千石に削減された。
1604年、居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城に入城した。
1625年に73才で没し、萩城三の丸(堀内)の天樹院に葬られた。

なんでここにあるかはわかりませんが、入り口を守る為に作ったのかな?
そんなに古いものではないですね。
山萩i11毛利輝元像

そこから少し進んでいくと橋が見えます。
その先で共通券を見せると、 萩城 に自転車のまま中に入れます。
萩城は標高143mの指月山の山麓には本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれます。
城郭の構造は指月山麓の平城の部分と山城の部分を合わせた平山城の形式で、山麓には本丸・二之丸・三之丸を備えていました。

自転車で城郭に入るのは初めてですね。
内部は公園になっていますので、城の中らしい感じは、あまりありませんね。

山萩i21萩城跡
山萩i22天守跡

城内の奥に 志都岐山神社 があります。
その前に「万歳橋」があります。
中国風の橋らしいです。
山萩i31万歳橋

その横に小さな看板がある所を進むと 旧福原家書院
福原家は厚狭郡宇部に給領地(11314石余)を持つ萩藩の永大家老として代々仕えてきた。
この建物は三之丸にあった萩屋敷内の書院で、1882年の現在地に移築した。

思ったより感じのいい書院でした。
これだけ城郭が色あせているので書院の華やかさが引き立ちますね。
山萩i41福原家書院

城跡の細かいパンフがあれば、歩きたい感じですね。
「東園」などの公園などもあります。
指月山にも時間があれば登りたかったですね。
所々に石垣が登れるところがあって、眺めが良い所もありましたね。


萩旅行は、まだ続きます





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Last updated  2007/02/20 07:51:18 PM
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