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住宅街の中に高さ5m程度の滝がある。利根川からポンプアップして導水された水路の出口である。ここは、昔、東葛飾郡江戸川町と言われていた場所で1級河川の坂川へ注いでいる。 最大毎秒40トンの導水能力を有する北千葉導水路工の中間地点で、坂川放水口である。江戸川合流点から約8km、手賀沼第2機場から7.4kmの場所だ。平成12年に完成。 この導水路事業は、4役を任されている。即ち、(1)洪水対策、(2)水道水の確保、(3)工業用水の確保、(4)水質の浄化。一言で言えば、「一水四見」の事業となる。この事業の完成で、利根運河の導水任務は終えた。そして、北千葉広域水道水の安定的な水利権・毎秒4.32トンが確保できることになった。 計画最大取水量からの不足分は、暫定水利権といい6.53-4.32=2.21トン/秒は、八ツ場ダムと思川をあてにしているので、渇水時には不安定となる。 5/28日記の「飲水思源」を参照。 江戸川の水位が低下した際には、毎秒30トンを放水して、東京や埼玉の生活水等を補給することもある。その内訳は、北千葉4.32+東京19.7+埼玉4.39+千葉工業1.59=30トン/秒である。 この水を利用した水辺公園がある。この夏は、特に子供達がこの水辺に集まると思う。写真-1 坂川放水口 北千葉導水路の中間地点 直上流には水辺公園がある 写真-2 野々下水辺公園 夏には子供の水遊び場となる
2011年06月06日
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千葉を代表するパワースポットと言えば、成田山が五つ星である。今、東葛地域がホットスポットに指定されそうだ。市民団体が柏市、松戸市、流山市、我孫子市に向け、独自の放射線測定を実施するように要請することがネット上で駈け廻っている。嬉しくない称号だ。 ホットスポットとは、放射能を出した元素(ホットアトム)が、地形や気象条件により、他の場所より多く舞い降りた特別の場所。千葉県が緊急に調査した箇所(5/31~6/1)では、柏市の0.49マイクロシーベルト/時が最高の値を示している。千葉県のモリタリングポストの約10倍である。地上7mと1mの差があるが、測定箇所を広げることで、安心マップを作成してもらいたい。 ホットスポットは、丘、川など形状にも左右される。まさに「まだれめ」状態に分布するという。今回は、筑波山が上空の気流の乱れを創ったのではないか。福島第一と都心を結ぶ延長線上に筑波山や柏市、流山市がある。福島第一から筑波山まで直線で約155km、筑波山から流山市まで45kmの位置である。 水道水が問題になった3/21頃の降雨量と風向きを気象庁アメダスで調べた。我孫子観測地点では、3/21の日雨量24mm、3/22の日雨量16mm、風向き卓越方向は北東の風。関東以北では、冷たい北東の風を「やませ」とも言う。「山背」、「病風」とも書く。鬼門の方角をも意味する。 東葛地域にいる我々は、南西の風・雨が望ましいが、この風は大雨をもたらす場合があるので要注意。 写真-1 埼玉県側より江戸川越しに東葛地域を望む。遠くに松戸水門が見える。手前に「幸房の渡し跡」標識がある。 写真-2 日本百名山の筑波山。標高EL877m。冬場の北西の風は「筑波おろし」と言い、干し芋や干し柿に役立つ
2011年06月05日
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「去る者は日々に疎し」ではないが、若い頃工事現場で共に汗を流した仲間と一杯を飲みながら語らう会が6月3日にあった。人形町に集まる「浜灯会(はまび)」で、年3~4回程度開催し、無理に参加しなくても良い、緩やかな会である。 人形町は、墨田川と日本橋川に囲まれ、今なお江戸の下町情緒が残る街。甘酒横丁から僅かに離れた所に集合地点の馴染みの居酒屋がある。途中タイ焼きの香りで足が止まる。帰へのお土産にと4匹を並んで買う。焼き板が1匹毎なので、大量生産ができないのだ。創業90年の伝統の味も、この夏は大変だろうなと声をかける。 テレビドラマ「新参者」で甘酒横丁や水天宮が舞台となったおかげでガイドブックを手にした旅行客を見かけた。これから暑くなる。墨田川の風に吹かれて、「ビルマのスカイツリー」を観るのもまた良し。夜の江戸紫色を早く楽しみたいものだ。 冷たい甘酒は、飲んだことがないが、外国では「ジャパニーズヨーグルト」と言われているそうだ。どうなのかなあ。身体が冷えた時や食欲減退で体力が衰弱している時に飲むものと固定観念があるが・・。食の伝統文化と言えば大げさか。 写真-1 人形町の伝統のタイ焼き風景。輻射熱で熱そうな焼人さん。甘みは抑え気味 写真-2 浜町公園からの「ビルマのスカイツリー」、手前は墨田川
2011年06月04日
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大河ドラマ「江」にちなんで、千葉市内の公民館で勉強会が開かれている。3代将軍の跡目争い(竹千代と国松)のお家騒動もテーマに取り上げられるという。 昨日、内閣不信任案提出騒動も、所詮、与党・民主藩の御家騒動・政権争いに他ならない。早く「お家の仲を整理整頓」して、領民を安堵させて頂きたい。そうすれば、他藩から突けいられることもなかったはずだ。6/2は「本能寺の変」があった日。 ドラマ「江」の続きで恐縮する。義父である柴田勝家が滅ぶターリングポイントは、「賤ケ岳の戦」(1583年6月、琵琶湖と余呉湖と中間地点)だ。この合戦には、いろいろな見方があるが、キーマンはやはり前田利家だと思う。土壇場で秀吉方についたのが大きい。今回の政争における利家役は、「あの人」か。家康のように領土を広げていたのは誰であろうか。 この「お家」は、呉越同舟のまま「一定のめど」がつくまで、流れてゆくのだろうか。しっかりとした船頭がいるとは思えないが・・・。更に、この船には、震災復興という人質がいる。こまま、「工程表」で示している冷温停止予定の12月まで進めるだろうか。「小牧・長久手の戦い」もあるやも知れない。図-1 琵琶湖と余呉湖の間に賤ケ岳がある。前田軍は、余呉湖北西の権現坂に陣を敷いた。白は柴田軍、赤は秀吉軍
2011年06月02日
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災難が重なり遭うことを中国や韓国では「雪上加霜」とも言う。いま福島は、藤沼ダムの決壊被害で三重苦以上の「途炭乃苦」にあえいでいる。 堤高18mのアースフィルダム(農業用ダム)が3/11の地震により決壊して、下流集落を一瞬に押し流した。死者・行方不明8名、全壊家屋19棟、浸水家屋55棟の被害という。被災者の方にはお見舞いを申し上げます。 ダムの決壊事故と言えば、必ず出てくる「有名な3つのダム」がある。1959年のマルパッセダム(仏)、1963年のバイヨントダム(伊)、1976年のティートンダム(米)。日本は、これらの事故を教訓に昭和51年に河川管理施設構造令でダム設置基準を規定した。これまで決壊事故は皆無であった。明治・大正以前のものはため池と言う。現在の河川法で言うダムは、高さ15m以上で各種基準が適用される。 災害や事故は、複数の要因が重なり起こることが一般的である。今回は、(1)震度6強の地震、(2)貯水池が満水、(3)老朽化と漏水等が考えられる。最新のダム設置基準を持たずに築造62年が経ち、漏水対策を実施していたという。 管理者及び関係者は、ダムが満水位のタイミングで、よもや震度6強いの地震が襲うとは考えていなかっただろう。福島原発に相通ずる危機管理か。ダムを運用しながらの補強・改良工事は、他工事より難しい面がある。安心できるダムにリニューアルしておけばとの思い残る。「遅疑逡巡」は大きな代償をもたらす。 写真-湖底が晒された藤沼湖 [読売新聞記事5月30日より] 図-1 藤沼湖の位置図
2011年06月01日
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もの言わぬ黒い流れが、河川敷に黙々と広がる。台風2号から変わった温帯低気圧が通り過ぎて、丸一日経過した朝の風景。車が出入りしていた江戸川河川敷の色が変わった。 『五月梅雨 集めて黒き 太日川』 江戸川は、その昔『ふといがわ』と呼ばれていた。 昨日(5/30)、被災地の仙台市で24時間雨量が138mmの5月観測史上最大を記録した。石巻市では、大雨、波浪、大潮等で被災地のあちらこちらで冠水した。天は非情な試練を与え過ぎると思う。 昔、洪水となれば神頼みするより他なかった。流山だけでも十数箇所に水神さまが祀つられている。また、洪水で亡くなった人の供養碑も見かける。近年は、堤防の整備、上流でのダムづくり、中流での調整池と治水総合対策が為され、他力本願によらないでも済むようになった。 然し、大自然は予想を超えるものを人間に投げ与える。今回の震災で、利根川、小貝川で600箇所以上の堤防損壊があると報道されている。手を緩めることなく、水害に備えなくては・・・。 写真-1 江戸川の増水状況、左岸から右岸側の埼玉県を望む。[2011年5月31日10時頃撮影] 写真-2 上流を見つめ、何を念じるのかお地蔵さん。31.5km地点
2011年05月31日
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降りしきる梅雨で田圃が水で満たされていた。江戸川沿いに水張月(みなづき)の到来だ。 梅雨入りの早かった2008年(5月29日梅雨入)は、どんな夏であったか思い出してみよう。岡崎市で時間雨量146mmを観測し、各地で局地的大雨があった。この頃から「ゲリラ豪雨」の用語が一般化した。また、この年、5月に「四川大地震」が起こり、その3ケ月後の8月には北京オリンピックが開催された。 日本はいまだ、大津波震災とメルト原発で先の見えない状況だ。梅雨明けまでには、「雨過天晴」になるよう天に願うばかりである。 福島原発1号機の海水注入中断問題は空騒ぎで終わりそう。はからずも、原子力災害対策本部内の機能不全を垣間見ることになった。「ほうれんそう:報告、連絡、相談」をまじめに実行していたのか疑問だ。情報は伝えるだけでは活用されないのだ。「信頼」という通信装置も故障しているのではないか。 信頼×能力×知識=成果 との方程式が成り立つものと仮定すると、信頼=0ならば成果もゼロである。次なる言葉が水面に浮かんでは、消える。 『一人ひとりの知恵と知恵、力と力とを結びつけるものは、お互いの信頼である。』 [松下幸之助 日々のことば] 写真-1 江戸川付近の田圃一面は、梅雨が溜まっている。台風2号の影響で空は暗い。遠くに江戸川の堤防が霞んでいる。 写真-2 風に吹かれてる稲間で、カモは何を想う。
2011年05月29日
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台風2号とともにに関東地方に梅雨入がやって来た。例年より12日も早いという。梅雨入が遅ければ遅いで気を揉むこともある。今年は、首都圏の水ガメを心配しなくてもよさそうだ。 一時、雨により河川に流入した放射性物質騒ぎで、ミネラル水がスーパーから消えたことがあった。雨水は、地上の汚れを流し去る力がある。しかし、行きつく先は、海または透水性の高い地下であることを忘れてはならない。 さて、各市町村の生活水は、何処から、どの程度取水しているのか思いを巡らしたことがあるだろうか。小学校では見学会を行っているところもあると聞く。 流山市は、北千葉広域水道企業団から給水を受けている。その取水口は、江戸川24.8km地点で、近傍に取水・導水施設(敷地面積約3万m2、松戸市七右衛門新田)がある。 北千葉広域水道は、1県7市の約410万人を給水人口としている。その水利権は、北千葉導水路事業により毎秒6.532トンが暫定確保されている。1日最大564,400トンの取水量の事業規模。 皆さんの町の水道は、どうなっているのか少し考えてみてはいいがか。天からの恵みに感謝しつつ「飲水思源」を想う。北千葉導水路と水利権についても調べてみます。 写真-1 北千葉広域水道の取水口「4ケ口」、後方に取水門が見える(幅2.3m×高2.7m×2門のゲート)写真-2 江戸川からの水利権が表示。平成27年まで毎秒5.869トンの取水量が確保されている。
2011年05月28日
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「地震、雷、火事、親爺」は、今は昔。東日本大震災を体験した今日では、「地震、津波、核、テロ」になるのだろう。 原発被害発表は、核燃料棒のスクラム成功⇒圧力容器のベント⇒建屋の水素爆発⇒海水注入⇒レベル7に修正⇒海洋汚染⇒メルトダウン⇒メルトスルー。 概ねこのような進展で約2.5ケ月が経過。「レベル7強」の空前の事態か。 つくづく思うことは。情報が日々徐々にエスカレートしてゆけば、ある日突然、空恐ろしいことを言われてもパニックにならないものだなあと。日本がそれを証明しているようなもの。心理学専門の方が後で分析してほしい社会現象だ。 厚さ1mのコンクリート壁を粉々にする水素爆発で、怪我人が出なかったことに驚嘆します。現場の退避判断が適切だったのだろう。まだまだ困難な事態が長く続く。現場の東電幹部職員及び作業員の方、よろしく日本をお願い致します。 さて、私も若い時、ダム現場の原石山で大発破(おおはっぱ)を体験・撮影した。坑道式発破と言い、タヌキ穴程のトンネルを幾重にも掘り、爆薬(ANFO爆薬が主体)を仕掛けるものです。山ひとつ飛ばすのに要した薬量は約120トン、掘った坑道延長は約970m。 福島1号機の炉内に発生した水素ガス量は、0.8トンと推定されている。1/150の少量で、あの爆発とは凄いものだ。今年の流行語のひとつに「メルト」がありそうだ。「メルトな美味」とは、とろけそうなおいしさを意味するそうです。ご参考に。 写真-1 北海道の中央部に建設された大雪ダム 1975年完成写真-2 大雪ダム第三原石山 坑道式発破でロック材採取 [昭和48年4月撮影]
2011年05月26日
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坂川は、昔「逆川(さかがわ)」と言われていた。流山市から松戸市を流下して、江戸川に注ぐ1級河川だ。新坂川や坂川放水路があったり、一度松戸市の中心部で江戸川に分流したりで、大変複雑な川の一つである。迂洋曲折の歴史があるのだろう。 この川の終点に、土木学会推奨土木遺産「柳原水閘」がある。経済産業省の「近代化産業遺産」にも登録されている。「柳原」とは、地名や人名ではないようだ。とすると、昔、柳の川畔林があった所だろうかと想像してしまう。 坂川の諸元は、延長16km、流域面積53.9km2。松戸市の面積(61.3km2)に匹敵し、放水路の治水能力は、180m3/s(1/10年確率)とある。江戸川が増水しているときは、各水門(松戸水門や柳原水門)か閉じるので、ポンプによる揚水で坂川の流域住民と財産を守る。新坂川は、洪水の際には、「逆の流れ」になると言う。 松戸水門の脇に建設されている松戸排水機場の能力は、100m3/sである。大きなポンプである。江戸川水量を逆に取り込むと水力発電所にもなりそうだ。 フクシマの原発対処では、先の見えない暗い状態が続いている。「柳暗花名」の事態をもたらしてくれる指導者の出現が待たれる。写真-1 柳原水閘を下流から観る。煉瓦造りの四連のアーチ樋門、明治37年坂川水利組合で築く写真-2 2004年土木学会選奨土木遺産認定板
2011年05月24日
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江戸川と利根運河を歩けば、数多くの水門と樋門を見かける。樋門とは、堤防を貫通させた暗渠水路(トンネル)の小規模な水門を言う。 松戸水門と5/8に記した運河水門とは、水路距離で約17km離れているが、水縁もある。北千葉導水路事業で関係しているのだ。この事業は、千葉県印西市の利根川から松戸市の江戸川まで延長28.5kmの導水路を建設するもので、長い年月を要した。(昭和49年から平成12年) この導水路工事期間中、代役を務めていたのが利根運河だった。運河水門の完成が昭和50年、松戸水門が6年後の昭和56年に相次いで完成している。両者の水門は、それぞれの水路の主要設備であった。以下に比較してみよう。水門がお相手する河川が異なっている点に注目しよう。 区分 完成年月 ゲート規模 対象河川 運河水門 昭和50年3月 幅26.0m×高10.8m×1門 利根川口。 松戸水門 昭和56年6月 幅19.1m×高13.7m×2門 江戸川口 ゲート1基当たりの規模をみると、運河水門が1.12倍の水圧を多く受け持つ。日本一大きい水門ゲートは、静岡県にあるそうだ。沼津港の航路水門。幅40mとのこと。 写真-1 松戸水門と釣り人 写真-2 松戸水門 竣功プレート
2011年05月22日
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5月の利根運河は、生命力豊かな草の匂いが漂う。いまは、小川ほどの流れで江戸川に注いでいるが、当初の流れは江戸川から利根川に向かっていたとのこと。 利根運河が開通したのは、今から120年前の明治23年(1890年)。この年、琵琶湖第1疏水も通水開始している。両者は、旧運河法で認可された由緒ある運河である。比較して見よう。注目点として利根運河は、民間会社であったこと。 名 称 水路延長 工事期間 工費 利根運河 8.5km 2.0年 57万円 (民間資本) 琵琶湖疏水 19.3km 5.0年 125万円 (国費+京都府) 利根運河工事は、掘削量が178万m3、延220万人の作業員を要した大規模なものであった。更に技術的には、湧水処理や仮締切設置、大雨時の排水など、容易ならざる「水との戦」が想像される。短期間でこれ程の土工事を成し遂げた先人のパワーには敬服する。 この運河事業は、地域としての強い重い・後押し、そして何よりも優れた指導者・に恵まれたのだろう。「天・地・人」の配列が合致したのではないか。 ところで、運河の流れが上下流逆転になったのは、明治29年(1896年)の洪水で利根川の川底が上昇したため。また、昭和16年(1941年)7月の台風で、水堰や運河堤防が大きく破壊され運河会社は破産した。現在は国土交通省が管理している。時折、ポンプを使用して、環境用水を利根川から導水している。 利根運河水辺公園 オランダを連想させる尖り柱は水位計 2006年に土木遺産認定されたプレート
2011年05月21日
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昨日の続き。 関宿水門堰の右岸側にひっそりと幅10m程の水路がある。利根川と江戸川を行き来するための閘門である。その水路の上下流端には、合掌式ゲートが備わっている。 閘門ゲート支柱のコンクリートには花崗岩が埋め込まれ、洪水の激流と摩耗から閘門を守る工夫が偲ばれる。 ところで、関東の人は関宿を「せきやど」と読むけれども、関西の方は、「せきじゅく」と発音するのではないか。東海道五十三次の47番目の宿場であるから。中世の三関のひとつ「鈴鹿の関」の近くで、大和街道と東海道とが合流する所で有名である。「山の関所」と「川の関所」と区別できる。 さて、閘門跡は全国にどのくらいあるのだろかう。100か所以上はあるそうだ。そのうち、「日本の閘門100選」が出版されるのではないか。 世界の閘門は、やはり中国・三峡ダムの閘門。その水位差が何と113mもあり、1万トン級の船舶が通航できると言う。 日本は、エネルギー資源が乏しい国だが、水の国だった。原発がなくなり、石油も枯渇する未来を想像した場合、新たな水運を検討しておくにこしたことはない。造船ドッグ、運河そして閘門を未来の孫達に残して置こう。 江戸川に、かっての通運丸や銚子丸が新型機種で行き交う日もあるかもしれない。その船容姿は、風を抱える太陽光布の帆と船体脇に水車がきっとある。土手をランニングしながらその風景を想像すれば、疲れはどこ吹き風。写真-3 関宿の閘門 幅10mで合掌式ゲートがある写真-4 スーパー堤防を従えている関宿城博物館
2011年05月20日
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各河口から江戸川60km、利根川120kmで合流する所に土木遺産・関宿水閘門がある。この堰より下流1km付近に「棒だし」の名残である関所跡碑がある。この一帯は、徳川家康の関東入府以来「利根川東遷(1594年~1654年」の主戦場で、江戸川流頭部とも言われている。幕府は、水防上きわめて重要な場所と定め、譜代大名に統治させた。 関宿城博物館では、壮絶な洪水との闘いを展示している。そこでは、水を治める要諦を「堤・浚・疏」の3文字に凝縮している。つまり、堤防を築くこと、川底を掘ること、水を分けることである。 「関宿の棒出し」は、疏と堤に当たる。両岸から数千本の木杭を打ち込みながら川幅を狭め江戸川への洪水量を低減させるもので、堤防を突き出す工事。この方法も、時代が進むにつれて、杭⇒玉石⇒角石積み⇒コンクリート製に、と改良してきた。 この棒出しは、天明3年(1783年)の浅間山大噴火により噴出物の流下で、利根川の川底が上昇し、江戸中が大洪水に悩ませられたために考えだされた施策。関宿水閘門が完成する昭和2年までの約100年間この棒出し作業を続けて来た。関宿の関は、江戸水防上の前線基地で、いまの原発対応の「J-ヴィレッジ」に相当するのかも知れない。写真-1 関宿水閘門を下流から望む(2010年5月撮影) 写真-2 2003年土木遺産認定板
2011年05月19日
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今週(5/16)から主要企業でクールビスが始まった。昨年よりも2週間も早い。業種によっては、さらに進んでスーパービズを取り入れる会社もある。サラリーマンにとって、今年の夏は、「覚悟の夏」、「節約ビス」とに長くお付き合いしなくてはならない。各自独創的な工夫あれ。 私は、夏が来れば、尾瀬または北海道へいっとき避暑したいとなア考えている。10年前片品村戸倉の「ロッジまつうら」に泊り、鳩待峠から入山し、湿原を満喫した。健康なうちは、何回でも行ってみたい所だ。 片品村には、さる3月18日に南相馬市の920人もの方が避難した。旅館・民宿の35施設に分散して宿泊しているという。明日で3ケ月目に入るが、今も全員健在でいるのだろうか。 6月の尾瀬は、水芭蕉の季節。避難生活で大変だと思いますが、湿原特有のおいしい空気を吸いに、身心をリフレッシュするために尾瀬などに出かけてみてはどうか。マイナスイオンを大量に体内に取り入れ、次なる生活の糧にしよう。 下記写真は、尾瀬沼近くを源流とする片品川に建設されている重力式コンクリートダムです。水のエネルギーをスキージャンプ方式で減勢し、河道を保全している。 クレストゲートからの放流する薗原ダム (吉ジイの秘蔵写真集より、2009年撮影)
2011年05月17日
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東日本大震災で発生した「がれき」の後片付けが進んでいない。5/15の新聞で3県合わせて、撤去率14%程度(349万t÷2,487万t)と報道されている。岩手604+宮城1,595+福島288=2,487万t 進まない理由のひとつに「がれき」には、被害者、遺族の方とって「悲しみが浸み込んでいる」からであろう。然しながら、このままのスピードでは復興も覚束なくなる。 一般の法事に百ケ日目を「卒哭忌(そつこくき)」と呼び、泣くことや悲しみにを卒業する時期との風習もある。一説に土葬すればで、白骨となる頃。来る6月11日は、犠牲者の冥福をお祈りすると共に、天と海に向かい『東北復活』を祈願する大法要を広域的に執り行ったらどうだろうか。 然る後に少し粗っぽくはなるが、がれき撤去そのものに本腰を入れる。台風到来までに大方片づけてしまう機運になれば良いのだが。その祭には、大型重機使用の検討も避けて通れない。大量のがれきの総量は、単位体積当たり1.5t/m3とすれば16,580,000m3となり東京ドーム球場の13個分に相当する。場所にもよるが、工事用道路造成と大規模処分場の確保がまず優先される。 原石山では岩屑の積込・運搬に大型重機を使用することが多い
2011年05月16日
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原発問題で発電コストが話題となっている。これまで1kwh当りの発電コストは、原子力5.3円、天然ガス火力6.2円、石油火力10.7円、水力11.9円、風力14円、太陽光49円とされていた。 しかし、この原単価はどうも原発ありきの恣意的な算定のようです。そもそも原発の寿命は30年~60年と幅があり、計算上の曖昧さがある。全国に空港を造り続けた論理に通じる感がある。 水力発電の一翼を担うダムについての耐用年数は、堤体そのものは、原発の寿命よりはるかに長い。但し、ゲート等の鋼鉄製のものはそう長くない。 一時ダム不要論が一風を制した。今は原発である。その前は沖縄であった。熱し易く忘れやすい国民性だと思う。ダムは、その時々の社会要請(貯水池ニーズの変化)により補強・改造され、自然に融け込んでいるものが圧倒的に多い。 私の従事した新中野ダムもそのひとつ。昭和35年に造られた水道用ダムを21m嵩上げすることにより、貯水容量を約5倍に増大させ洪水対策に活用している。今年で51年間も休まずに働いていることになる。 このような「ダムの再開発」は、全国で多く行われています。その事業に、自然エネルギーと揚水貯蔵を組み合わせた分散型の発電方式が実現する日は近い。函館市郊外に新しく蘇った新中野治水ダム 昭和59年5月撮影
2011年05月15日
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5/12日、以前から指摘のあった福島原発1号機が「炉心融解」状態だったと発表された。2ケ月が経ち、種々のこと解り始めた。レベル7の深刻さを実感しています。 今や「フクシマ」は、日本の問題にとどまらず、全世界的な問題に発展している。この2ケ月間、福島第1原子力発電所の所長以下、東電職員・ゼネコン、メーカー、協力会社の皆さんの決死の作戦・行動に敬意と感謝を捧げます。 活動拠点である「J-ヴィレッジ」の居住環境が劣悪にもかかわらず、数百名の方々が頑張っている。見えざる恐怖・放射能との戦いをつづけている彼らがいるからこそ、これまで何とかなっていると言わざるを得ません。まさに、日本の希望です。 フランス・アレバ社の水中-放射性物質除去装置が稼働する6月まで高濃度に汚染された水との戦いが続く。 アニメの「宇宙戦艦ヤマト」は、放射能に汚染された地球を救うべく、放射能除去装置・コスモクリーナーを求め、イスカンダル星へ決死の作戦を決行する物語です。壮絶の戦いを乗り越え、見事1年間で帰還して放射能を除去した。 このような万能のコスモクリーナーは、望むべきもなく、フランス、ドイツ、そして国内の科学技術を総結集して戦ってほしい。 さて、アレバの社長が「スターシャ」になれるのか、6月末には結果が分かる。日本の技術も活躍してほしい。 汚染水を地中に封じ込め、海に流さないことが当面の作戦の一つです。土木屋に出番がありそうだ。いろいろな事を同時に遂行する「沖田艦長」こと吉田所長には過労で倒られては困ります。指揮官は、かなり精神的ストレスが積み重なります。まわりの補佐官の助言・支援と隊員の士気が大切だ。放射能汚染土壌の改良に有効される菜の花 (江戸川土手) 私のジョギングコースのひとつ。
2011年05月14日
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今日から順次、浜岡原発の4号機、5号機と計画停止になる。その発電量は、2つ合わせて250万kw。これは昨日(5/12)の首都圏で平均値3,070万kwhの7%に当たる。 このことでこの夏は、東電エリアのみならず、全国規模で節電対策が必要となり、国民的対応が求められる。夏場に大規模な停電を避けるには、消費電力のピークカットがより重要となる。節電と言うより「削電」の意識です。 私のような土木屋は、ピークカットと言えば洪水対策上のダムや調整池をすぐ連想します。日本の河川は、流況に異なりますが短時間に洪水量が増大して、も間もなく低減します。これを洪水のピーク流量と言います。この場合、ダムなどに一時的に洪水を貯め、川が氾濫しないような量に調整して放流します。 このような方法を夏場の電力対策に応用できれば良いのですが、すぐに妙案がありません。ただし、来年、再来年に向け知恵を出し、何かを試みことは大切なこと。 企業があまり削電して、生産活動を低下させてしまうと日本の経済規模が縮小し、莫大な財政赤字がさらに増えそう。子供達に大人達のつけを負わせてはいけない。企業の節電はほどほどに。 真夏日の電力ピークを10時から16時と考え、この時間帯において一般家庭で行うべき有効な手だては何か。クーラーの使用がかなりのウエイトを占めているといわれているので、以下に思いつきで記述します。(1) 家庭内では各部屋ごとに冷房をしない。冷房する部屋を限定する。各部屋に分散しないで、みなが集まるようにする。いまから家族で話し合い、部屋の模様替えを行う。(2) 上記のことを、ご近所や自治会単位へ発展させる。また、暑さを忘れさせるビデオや講談を企画してコミニュティに人を集める。家庭のクーラー使用台数の削減を第一に考えること。(3) GDPにあまり寄与しない元気な人は、計画的避暑を行う。山や川や海へ行き自然の中で涼む。日本は、近くに山や海がある贅沢な国なのだ。 この夏場は、 『 ピークカット 』 を相言葉に。 下記の写真をみて、涼しい気分になってください。 国内最高峰のダム『黒部第四』の放流 [2005年8月撮影]
2011年05月13日
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5月10日政府は、原子力にたよる総発電量50%目指したエネルギー基本計画を白紙に戻す決断をした。現状を直視すれば、火力62%、原子力29%、水力8%、新エネルギー1%です。(この割合は東電エリアのデータ) この数値を見れば見るほど口で言うほど簡単に行かないことがわかる。私は、人生の半分をダム建設に従事してきたので、水力に期待したい。雨の多く国、山地の多い国土では、またまだ水資源を発電に回せるし、開発可能と考えています。また、中東情勢、および中国・インドの経済発展をみるにつけて、火力に頼る電力は問題が多すぎる。むしろ火力による電力量50%以下を目指し一歩一歩進むべきと思う。ここ数年間は、原発跡処理に多大なコストがかかる。化石原料も国際情勢により値が上がるのは必死。日本は足元を見られてしまう。外交カードに石油を止められて、太平洋戦争に行きついた道へは絶対に踏み入れてはならない。 水と陽と風よ、日本を助けてくれ。
2011年05月12日
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政府は、浜岡原発問題で「東海地震は今後30年以内に87%の確立で起きる」とのメッセージを国内外に強烈に発信した。東海地方で生活されてい人々、多くの企業人は、大きな不安を抱え込んだ。風評被害等で、ホテル・観光業がダメージを受けないことを願う。一方、私の住んでいるところは江戸川流域なので、別の災害が想定される。雨台風が関東を直撃して、利根川・江戸川の堤防が決壊・氾濫するシナリオです。64年前の昭和22年のカスリーン台風水害の再来である。当時の被害は、死者1,100人、流失家屋23,000戸と言われている。東日本地震の直後であり堤防が弱っていることを考えると、まさかが現実に。またこの地域の人口も4倍増になっていることを考えると大災害になる恐れがある。多くの橋、自動車、冷蔵庫等が流され、ガレキ処理が大変となる。私は、利根運河と江戸川との合流点付近をジョギングしながら観ることが多い。堤防に腹付工事用道路ができているが、補修・補強工事があまり進んでいない。この地点は、堆積土砂が多いので河川幅が狭いのだ。浚渫工事の準備であろうか。利根川右岸側の「首都圏氾濫堤防強化対策事業」に多くの予算がつき早く、丈夫な堤防になるようにと願うこの頃です。 写真-1 利根運河と江戸川の合流点 堆積土砂が多い 写真-2 堤防両脇に腹付工事用道路が完成したばかり
2011年05月10日
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ときに走り、よく自分の足で歩いて、ものを思い・観察してみようという意味で「走思歩観」という造語を考えた。江戸川付近をジョギングしたり、散歩すると利根川と利根運河との境目に建設されている水門が眼に入ってくる。水門幅が26mもありかなり大きい。この水門は、増水した利根川洪水流量が運河内に流入するのを防ぐ役目があったものと思われます。このように川辺りを散策すると「土木遺産」的なものに巡り合えることが多い。歴史的に国を治めるとは、水の戦いであったし、未来永劫に続く人の営みです。川と港を「走思歩観」しましょう。ちなみにこの運河ルートは、「歩きたくなる道500選」(日本ウォーキング協会認定、千葉県10ヶ所の一つ)
2011年05月09日
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ブログを始める動機は何か。 1 ボケ防止 2 軽い遺言 3 人との絆 4 災害時の安否確認初心は、上記の4つです。『江戸川らん』をよろしくお願いします。
2011年05月08日
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