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エヌさんに書き込みをいただいて、「変な目で見られた」体験を思い出した。 もう数年前になるのだけれども、書店に行って、「女性週刊誌」なるモノをごっそり買ったことがある。女子高生が読みそうなものから、オバサマ向けまで。 女性週刊誌に於いて、占いのページがどのように扱われているか・・という事を調べてみようと思い立ってのことだったけれど、レジの女性の店員さんはさすがにヘンな顔をしていた。なにせ十数冊小脇に抱えてドカッと置いたんだから。なに、このオッサン・・変態かしら・・みたいな目であったのでは・・と思うのは被害妄想かな。 遠藤淑子さんの新刊を捜すためには、女性コミックの棚も見るし・・。あ、これは個人の趣味でした。
2006.01.31
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妻と夕食を作る。一昨日作ったチキンカレーを温めて、あと何か作るか? 「サラダ作るわ。」 「あと味噌汁かな。」 「そうやね。新味噌持ってきて。」 「え?新味噌って?」 「玄関にあるやん。」 「あんなん混ぜたばっかやんか。」 「ええねんええねん。持ってきて。」 妻には逆らわない従順な私。 「飲んでみて。」 「・・・・えっ!美味いやんか!!どうやって作ったん?」 「カツオだしと昆布やで。」 混ぜて全く熟成していない「味噌」をスプーンでとって味噌汁椀に入れてお湯を注ぐ。だしも何も入れない。・・おいしい。麹の香りと味が前面に出ている。 「へぇ、こんだけでも飲めるんやな。」 「作ってから一週間ぐらいは豆の甘さと麹の味でさっぱりした味なんや。それを過ぎると、辛くなって、また熟成すると美味しくなるんやで。」 知らんかったなー。味噌を自分で仕込んでおられる方、お試し下さいませ。
2006.01.31
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株を買いに行ってきた。シチューの材料にするための蕪ではなくて。 日本で一番大きな証券会社に行ってきた。番号札を取って椅子に座っていたら、社員の方が寄ってこられて、「どのような御用でしょうか」「株を買いたいんですが」「株を購入されるのは初めてでいらっしゃいますか?」「はい」 ここで、取引手数料のこととかについて説明を聞く。ライブドアのことなどで取引の時間が変更になって・・などと言う話もある。JR西日本は40何万円・・という話も。 「あのですね。今お話に出てましたライブドアの株を買いたいんですが」・ ・・何を言ってるんだ・・という反応。気を取り直して、「現在、値が下がり続けているので、売買手数料4千円ほどをお支払い願いますと・・・」 はい、わかってますよ。「それはわかってるんですが、こうなってみると、一株でも買っておきたいなと思ってるんです」 次の一言が面白かった。 「興味本位ということでしょうか?」 そう!その通り!!仕方がないから、高校で社会科教えていて株券の本物を手元に置きたいので・・と説明。 「購入される資金は、学校から出るのでしょうか?領収書はお出しできないのですが」 「あ、自分の金で買いますので」 申込書を持ってきてもらい記入。 その後、窓口で説明を受けながらライブドアの株を10株買うことにする。申込書を書いて後に、別の社員の人がやってきて、「ほんとにいいんですか?」と言うので、「はい」。そりゃそうだろう、みすみす損をするような株を買いに来る馬鹿がいるとは「想定外」だろうな。 買い方について。「成り行きと指値というのがありまして」とそれぞれ説明してもらう。「成り行きで」とお願いする。うーん、こういう専門用語を使うと、「投資家」っぽいですね。昨日は、最高値が183円だったそうで、とりあえず183円の10株。なんだかんだで7665円支払い。 申込書の、「資金に余裕があるので」という箇所にチェックを入れる。虚偽の申告で逮捕されそうだけど。 株券を手に入れでどうするかって?政経の時間とか、現社の時間に、チラッとみせるためです。聞くところによると、将来は株券も廃止の方向に行くのだそうだけれど、それまではいい「教材」となるだろう。惜しくない「投資」。 ライブドア株が暴騰したらどうするか?・・・宇宙旅行でもしようかな。しかし、10株じゃね。 その後連絡があって、125円で買えました、との事。酔狂に付き合っていただきありがとうございました。 面白い体験だった。さて、採点採点。 株券が手元に来るまでに、ライブドアが潰れたらどうなるのかな?株券は発行されるのだろうか?
2006.01.31
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テレビを見ていたら、ファンケル(青汁)のCMに巨人の原が出ていた。 「原が出てる」と言うと、妻がキッ!と振り返って、「腹が出てるって!」。 すっごく敏感・・。
2006.01.30
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うーん、いいとこ衝いてくるなー。ひそかに、「誰にも言ってないけれど僕は実はね・・」と思っている私のような人間には、ぐっとくるセリフですね。 発売元は、カキヤ 宮城県白石市福岡八宮字青木。「字」がついているんだから都会ではないことは分かる。 内容総量200g。 酒のおつまみ サラダ いためもの ハンバーグ 大根おろし等と幅広くお楽しみいただけます。 開けてみよう。・・・パッカーン・・・。食べてみる。サクサクしてるな。身が赤いから、煮汁も赤くなってる。塩だけの味付けはさっぱりしてていいな。 ん、やっぱり食通としては何かしないといけないのかな・・。今は単に蓋を開けて箸で食べてるだけだし。マヨネーズで和えるとか、サラダ風にするとか。でも、なんだかんだ言ってる間に結構食べたな。 ナンだと思います?・・・「鮭の中骨の缶詰」。 美味しいですよ。私は好きだな。
2006.01.30
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関口宏さんの『サンデーモーニング』を見ていたら、ライブドアを取り上げていた。 田中秀征さん、田中優子さん、浅井慎平さん、佐高信さん。印象的な発言が多かった。 田中優子さんが、「ライブドアと私は関係ございません、といった発言が多いけれど、ライブドアを持上げたマスコミ、利用した政治家、株を買った人たち・・といった風に考えていくと、私たちとまったく無関係・・では済まされない気がします」といっていた。 「時代の一つの顔」だったんだな。 田中秀征さんが、民主党の岡田前代表が、堀江氏と会って、民主党からの立候補を頼もうとして結局頼まなかったという事について、以下のように語っていた。 堀江氏は、「国民は馬鹿だ」と言ったそうです。あ、これはダメだ。国民のことを馬鹿だと思っているような人間を政治家にしちゃいけない・・ということで岡田さんは立候補を要請しなかったんだそうです。 政治家だけではなく、マスコミも国民を馬鹿だと思っていはしないか、もしもそうだとしたらそれは大きな間違いだ。 田中さんの『田中秀征との対話』(rockin’on)という本を今年になってから読んだ。そこで田中さんが繰り返し繰り返し語っているのは、「国民は馬鹿じゃない」「有権者は賢い」という事。 対談の司会をしているのは、音楽評論家の渋谷陽一さんだが、渋谷さんは、「ポップミュージックの世界では、客は馬鹿だと思ったことは一度もないけれど、政治の事となると中々そうは思えない」と言っているがこちらの実感に私は近い。しょっちゅう、「馬鹿じゃねーか」と思ってる。 ただ、田中さんが正しいと思う。何度も落選しながら、「それでも有権者は正しい。私の訴えがダメだった」という人のほうが正しいに決まっている。 規制緩和の方向は正しい、しかし、それとともに、監視機能の充実が必要だったのにそれが行われなかった、だからこのような事件が起きるのだ、という田中さんの発言も印象に残った。 上記の本で田中さんが対談をしているのは、小泉純一郎、佐高信、山口二郎、堀田力、斉藤精一郎、中村敦夫、浅野史郎。小泉氏との対談は99年。この後彼は首相となる。 政治がダメだ、政治家がダメだ・・と言ってるだけではニヒリズム、という渋谷さんの言葉も心に残る。
2006.01.30
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『稼ぐが勝ち』堀江貴文 光文社 04年8月10日初版 図書館で借りる。 「金を稼ぐ」という事を軸にして、他のすべてを斬り捨てた「シンプル」な本だ。 「多くの経営者は、・・・会社とはなんのためにあるか、と聞かれた時に、『社会に貢献するため』とか『従業員の為』とか『顧客の為』とか、本来の筋からズレたトンチンカンなことを言ってしまう。 しかし、株式会社の本来の目的は、株主へ利益還元をすることです」。p78。 若者は搾取されている。無能な中高年を食わせるために。 この世の中は、会社に勤めて働くという道を選んだものは結局損をするようにできている。会社を興して金を稼ぐ道は誰にも開かれているのに、それを選択しないものは愚か者である、というメッセージにこの本は充満している。 「儲かるか儲からないか、商売をするならすべてをこれで判断すればいい。善悪は儲かるか儲からないかで決まるのです」p87 この考え方と、金を儲ける方法に善悪はない、儲かる方法が良い方法だという考え方との距離はないに等しい。法の抜け穴を捜して成功していると、そのうちに、法そのものが邪魔になるのだろう。 という話題となった標題の章の最後の一文は以下の通り。 「人間はお金を見ると豹変します。豹変する瞬間が面白いのです。皆ゲンキンなものです。善いか悪いかは抜きとしてそれが事実です。金を持っている人間が一番強いのなら、金持ちになればいいということなのです。人間を動かすのはお金です」。 彼はおそらく、「人が豹変する瞬間」を山ほど見たのだろうなと思う。その体験がこの一文に凝縮されている。しかしそのような人間観がおそろしく索漠としたものであることに彼は気がついていない。 短期間での目のくらむような成功は、彼に別の体験をさせてくれなかった。彼の元には彼の「金」を目当てとする人間が押し寄せてきたのだろう。 そこで、彼の人間観は、帰納的に形成されたという事になる。 彼の本の中には、「女の子をくどく」「女の子をナンパする」という喩えが何度も出てくる。何事にも「こだわらない」彼は、「若くて綺麗な女の子が好き」なのだそうだ。「良い女だったら誰でも良い」という。当然の帰結だ。 「失敗しないと学べない人は凡人です」「失敗した人の轍を踏まなければいいだけの話です」「会社が成長していくにつれ、色々な落とし穴が出てきます。それを法則によってあらかじめ予測して、そこに落ちないようにすればいいだけです」と書いた彼は、今自らの失敗をどう見ているのだろうか。 本をほとんど読まないが、雑誌は週に20冊は読んでいると彼は書いている。「目先のこと」「役に立つこと」のみを追い求めている。軸が単純になるはずだ。 今後、古本屋に山と積まれるだろうが、反面教師とするには良い本だと思う。
2006.01.29
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朝7時に起床して、食事をする。風邪気味なこともあって、ニンニク一カケを軽くスライスしてコトコト煮てお粥を造って食べる。これは良いですよ。 よく晴れている。絶好の味噌仕込み日和。 昨夜、鍋で炊いた豆を十分に水切りをして持ち寄る。 「炊き上がったら、娘たちが寄って来て、おいしいおいしい言うてパクパク食べてしもたから豆の量が少ないねん」という声は全くその通りで、炊き上がった豆はそのまま全部食べてしまいたいほど甘くて美味しい。煮汁も甘い。 食べたいのをガマンして(少し食べたけど)、持ち寄った豆をミンチにする。手回しのでかい機械。炊きあがりが柔らかい家の豆は簡単にミンチになってくれる。堅い家の豆はてこずる。力を込めて回すと体があったまってくる。出てきた豆のミンチは、ケーキのモンブラン状。 ミンチ状の豆と米麹とを機械で混ぜる。ごごごごご・・・と音がして混ざってゆく。すり鉢状になった機械の底にスクリューみたいなものがついていて、混ぜてくれるのだが、盛り上がってきて両側からはみ出しそうなので手で押し返してよく混ざるように手助けをする。ここでも一軒一軒の豆の炊き方の違いが出てくる。水分が多いところはそのまま。少ないところは、豆の煮汁を足してやる。 混ざった状態のものを、カメに詰めていく。上から杵でついて空気が入らないようにする。 ここから、各家庭の「ウンチク」と「工夫」の披露が始まる。 「うちは、ずっと上に塩をまいてたんやけど、最近は、酒粕で蓋をして、その上からラップかけてんねん」、というやり方がみんなの注目を集める。 「この方が、塩辛くなりすぎんでええで」、という一言にみなうなづく。 「カビが生えた部分は捨てて、残ったところは粕汁みたいにして食べたらええし」、なるほど。 こうやって仕込んだ味噌を食べると、もう、これまで食べていた味噌はナンだったんだ!となる。今年も楽しみができた。
2006.01.29
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「自家奏楽」 家庭用カラオケセットのこと。発売元は、ライフドア。 従来の製品よりも音が良くなっており、手前味噌に自慢する人が多い。文例: うちの自家奏楽は世界一だ! どんどん改良して自家奏楽世界一を目指すぞ! なぜか、末尾にビックリ・マーク(!)がつく事が多い。 『新 冥界国語辞典』慎重社
2006.01.29
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風人さんの書き込みをいただいて、思い出したことがある。 むかし、彌子瑕(びしか)と言うものが、衛君に寵愛されていた。衛国の法ではひそかに主君の車に乗ったものは脚きりの刑に処されることになっていた。彌子瑕の母が病んだ。そこで彼は、許しを得たと偽って主君の車に乗って出て行った。すると衛君はこれを聞いて、彼を徳行の士として言った。 「なんと孝行なことか。母のために脚きりの刑をも犯すとは」。 またある日、衛君と果樹園にいるときに、桃を食べてみてうまかったので、半分を衛君に食べさせた。衛君は言った。 「なんと私を愛していることか。うまさも忘れて私に食べさせてくれるとは」。 やがて彼の容色が衰えて寵愛が失われると彼は衛君から咎めを受けることとなった。 「こやつは、そもそも偽って私の車に乗りおったし、私に食いかけの桃を食わせおった」。 『韓非子』に載っているエピソードです。日本で言えば、「あばたもえくぼ」の逆バージョンかな。 マスコミは、はやし立てて天まで持上げ、利用価値がなくなると、今度は転落劇をしくんではやし立てます。どっちにしても視聴率は取れる・・という寸法ですが。その際に使われる材料は同じなのですが、評価が変わるわけです。 次は、細木数子かな?・・・おっと、占い師みたいなことを言ってしまった。
2006.01.28
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宋邸内、宋堤外、宋出羽内の三人は、「宋家三兄弟」としてその名を歴史にとどめている。 邸内(1948~2008)、堤外(1949~2009)、出羽内(1950~)。この三人は若くして「活力門」という企業を設立した。 「活力門」は、最初は日本から輸入したドラエモン人形の口の部分に細工を施した「ホラエモン」を販売していたが、堤外のアイデアによって、ボタンを押すと人形が百に分割されてしまう「株エモン」を発売、これが爆発的なヒットとなり、その後は企業買収に力をそそぐ。 出羽内は著書『金で買えないものばかり』の中で、以下のように述べている。 「あの頃は良かった。いっぱいのカケ蕎麦を三人で分け合っていた。いまは、夢は叶ったけれどどこかむなしい。」 彼はこの著書を発行した後、なぞの失踪をとげ、生死不明である。 しかし一方で、「法律に触れなければ何をしてもいいじゃん、メンタンピン」という姿勢から邸内、堤外は、徐々に闇の世界ともつながりを深め、また有力政治家とも親交を深めた。 政権党の政治家たちは彼らを広告塔として利用していたが、彼らの逮捕後は手のひらを返したように非難の輪に加わった。 邸内は、旅行先で自殺したとされているが、状況には不審な点もあり、他殺説も依然として有力である。 堤外は、昔からの友人と会食後に揮毫を依頼され、「馬鹿みたい」と書きつけた後、心筋梗塞で急死した。 参考文献 『宋家三兄弟』檻衛門 文藝夏冬社 『刃の上で踊る』武部純一郎 別問題社
2006.01.28
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軽率時代。 「自分の過去を振り返ったときに、もっとも適切とされる言葉」大賞に輝いた言葉。 『現代世界の基礎ではない知識』自由民主国民社 「蛍雪時代」は、各クラスの本棚に並んでいる。 「蛍雪の功」。中国は東晋の時代の車胤という若者が、ビンボーで照明用の油も買えず、蛍を籠に入れてその光で勉強し、見事、科挙の試験にパスしたという故事にちなむ。雪に反射する光で勉強したのは孫康。 車胤は、昼間は蛍を採りに行っていた・・という話もある。ただ、shineという名前からすれば照明が必要だったのかという疑問もないではない。 類語 軽薄時代。 最近の使用例。東横インの社長の記者会見。近年になく明るく軽薄な記者会見であった。一旦申請した設計図どおりに作っておいて、すぐに許可も得ずに改造、身障者用の設備を片っ端からつぶして転用している。点字ブロックまではがしている。 それだけのことをやっておいて、あのへらへらぶり。テレビの画像は恐ろしい。なんか、人格的に壊れてる・・という感じがしたんだが。 私なら他に泊まるホテルを捜すだろう。
2006.01.28
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この愚行は許しがたい。「輸入した日本車にはどれか分からないが一部にブレーキの欠陥があると思うので、すべての日本車輸入を停止すべきだ」というのと同じ対応だ。 『毎日』1月27日夕刊の報道。グッドラッテ米下院農業委員長(共和党) 「どれかわからないが」じゃない。抜き取り検査をしたら、しっかり出てきたじゃないか。それも、誰が見ても分かるような背骨が。 ものすごくイライラしてるんだろうな。グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードがこの件については通用しないんだから。 普通、こういう場合は、自分の国の検査体制を見直さないか? 「こんなファッキンな検査をした野郎はサル並の脳みそしか待ってねえのか!」ぐらいの言葉で。 でも、物凄く分かり易い。車と肉の取引か・・。 BSEってのは、「ブッシュの脳みそ」「スポンジ状」「えーらいこっちゃ」という事だな。
2006.01.27
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骨抜き。 米国産牛肉から特定危険部位とされている背骨などを除くこと。これが実行されなかった原因は、米国産牛肉の輸入に関する合意文書が骨抜きにされていたことにある。「nhk終刊大人ニュース解説」1月27日
2006.01.27
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ある日ヤコブが、あつものを煮ていた時、エサウは飢え疲れて野から帰ってきた。エサウはヤコブに言った。 「私は飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものを私に食べさせてくれ」。 彼の名がエドムと呼ばれたのはこのためである。 ヤコブは言った。 「まずあなたの長子の特権を私に売りなさい」。 エサウは言った。 「私は死にそうだ。長子の特権など私に何になろう」。 ヤコブはまた言った。 「まず私に誓いなさい」。 彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。 『旧約聖書』「創世記」第25章には以上のようなエピソードが記されている。 エサウは、空腹に負けて一杯の豆スープと引き換えに長子の特権を譲り渡した。この軽率さは、後に大変なトラブルを引き起こしてしまうことは、『旧約』をお読みになった方にはおなじみのことだ。 「こんな事をしたらこうなる」という想像力によって行動をコントロールできないという事はこの頃からあったと見える。私も過去を振り返ると赤面することばかりだけれど。 これは豆スープ。今回の京大生はSEX。食欲とか性欲のコントロールは難しいということか。
2006.01.27
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「全頭検査」 高等学校などで行われる頭髪検査のこと。茶髪やエクステをチェックして、ひっかかったら再検査を行う。卒業式前などに特に入念に行われる。たかが茶髪、されど茶髪・・である。欠席したり早退したりしても逃れられない。 例:明日は全頭検査があるから、染めないとねー。 『小路園』岩浪書店☆「エクステ」って知りませんでした。Extension 拡張 猶予 日延べ 公 開講座 なんて意味は載ってるんですがね。イヤー、勉強になったなー。 「人毛を使用してます」とあるのを見ると、髪の毛を売るという事はあるんですね。『賢者の贈り物』(O・ヘンリー)を思い出しました。
2006.01.26
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かなり以前にこんなことがあった。 新しいクラスが始まると、保護者の方々と面談を行う。大抵はお母さんがいらっしゃる。その日、いらっしゃったお母さんは最初から興奮モード。こんな訴えが始まった。 先生!昨日うちの娘が帰ってきまして、授業中にひどいことを言われた・・と泣くんです。どうしたのと訊ねますと、授業中に、先生が黒板に「魅惑」という字を書いて、娘に「読んでみろ」とおっしゃったそうです。娘が分からないで黙っていますと、「お前にないもんや!」と言われたそうで・・・娘は、読み方は分からなかったのですが意味は分かっていて、帰ってきてひどい事言われた・・と泣くんです。もう、どうにかしてもらえませんでしょうか。 誰が言ったかは分かっている。私も、徐々にタヌキへの道を順調に歩み始めた頃であったので、丁重に以下のように申しあげた。 そうですね。はい、また機会を見つけて注意しておきますので。本当に嫌な思いをさせてしまいまして申し訳ありません。・・・・ところで、進路のことですが、どのようにお考えでしょうか・・・。 この人はもう「暴言の宝庫」と言って良い人で、スキーに行ったらボーゲンばっかり・・という人でもあった。 さて、この面談からだいぶ時が経って・・・。この「歩く暴言」は、白髪のおじいちゃん先生だったのだが、女生徒たちのアイドルとなっていた。修学旅行の列車の中では通りかかると「○○じー!」と声がかかるという有様。「じー」とは、「爺」の意味。 授業での付き合いも長くなってくると、別の面も見えてくるわけで、生徒たちは、飛び交う暴言にも慣れ、その爺ちゃんの別の面に愛すべきところを見出したようだ。もちろん、件の女生徒も、泣いたりする事はなくなった。 言葉は大切だけれど、それだけでもないようだ。
2006.01.26
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国会で、共産党の市田氏から、「靖国神社は先の戦争をアジア解放の為の戦争として肯定している。そういう神社に首相が参拝するという事は、その主張に対して日本政府がお墨付きを与えることになるのではないか」と糺された小泉首相は大要以下のように発言した。 「靖国神社がどのような主張を持っていようと私が参拝することとは別問題だ。私の参拝を批判しているのは中国と韓国の首脳だけである。他の国の首脳は何も言っていないじゃないか。」 ライブドアの堀江氏を先の選挙で党をあげて応援したことについて糺されると以下のように言った。 「今回の彼の逮捕と、自民党が先の選挙で堀江氏を応援したこととは別問題だ。第一マスコミも大騒ぎして持上げたじゃないか。」 武部幹事長にいたっては、「堀江氏のことを私の弟、息子と呼んで応援したじゃないか」と糺されると、「私は日本の青年たちすべてを私の息子同様と考えていて」と答えたという。 もうほとんど気が遠くなりそうだ。 賽の河原で小石を積んでいるようなもので、私たちが生徒たちに考えさせよう、教えていこうとしているルール、人間としての誠実さとはどんなことなのかといった事が、あっという間になぎ払われる。 あ、いけない、もっと前向きに考えるようにしよう。 「醜いとはどんなことか」を教えたい時、『論語』の、「過ちて改めざる。これを過ちという」とか「小人の過つや必ずかざる」を教えるための絶好の教材ができたと考えよう。 こういう政治屋に対して40%の支持を与えている国民がいるということと、「ホリエモン的存在」が大手を振って現れてきたということとは無関係ではないだろう。 え?別問題ですか?
2006.01.25
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今日、授業がすべて終わった。明日から試験。三年間を振り返ることをぼちぼちやって行こうと思っている。 ライブドアの一件。「株式会社」とはどんなものなのかを考えさせる必要がある。「株」とはナンなのか?「株価」とは何を表しているのか?ライブドアのやったことはどのような意味で間違っているのか? 教科書とか経済学の「体系」と、現実に起きていることをどうクロスさせていくのか。生徒の関心はどんな表れ方をしているのか。教えていく時に、考えさせようとする時にもっとも適切な教材はナンなのか。どんな比喩を使えばストンと胸に落ちるのか。 芥川賞、直木賞には関心はない。センバツの行進曲に選ばれた曲は大抵の生徒が(特に女子)は知っている。 最近の生徒は自分の周囲のことにしか関心を示さない、という人がいる。私もそう思う。しかし一方で、「脳死は人の死か」「安楽死の是非」「身近な人の臓器移植を認められるか」などのテーマで意見を書かせながら進めた「現社」の授業の反応は良かった。ものすごく大きなテーマだ。 机を並べている他の生徒たちがどんな事を考えているかを知りたがっている。自分の考えをその中に放り込んで位置を確かめようとしているのか。他者から学ぼうとしているのか。 生徒は色んな面を持っている。それは40年前の高校生であった私もそうだったんじゃないか。簡単に、「今の生徒は」と言わないほうが良い。「なーんだ、同じじゃないか」というところも多いんだから。それに・・・昔のことは忘れてるんだ。 教師はますます力量を必要とされる。個人任せ、自己責任としないで、集団で保障していこうという方向は間違っているのか?不可能なのかな?官製研修会で出来ないことだけは保障していいけれど。自主的研修、民間教育団体の学習活動も低調となっている現状は、いい事とはいえない。どうも出口が見つからない。
2006.01.25
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雪かきも他人がやるから風物詩 対象との距離がゼロでは何も見えなくなる。しかしあまり離れすぎると、気楽なだけの駄弁になる。 その中にいるとわからなくなることはある。しかし、外部からの批判は耳に届き難い。私の業界でもそのようなことがある。中にいながら外部の目を持つことはできないものか。それができたとしても、自分の思いを同じように内部にいる他の人たちにどう伝え、理解を得るか、という課題が待っている。
2006.01.24
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アンドレア 英雄を持たぬ国は不幸だ!ガリレイ ちがうぞ。英雄を必要とする国が不幸なのだ。『ガリレイの生涯』ブレヒト戯曲選集 3 白水社 この作品はデンマークの亡命地で1938年から39年にかけて書かれている。ドイツではヒトラーの独裁がすでに始まり、物理学者オットー・ハーンとその協力者たちによるウラン原子核の分裂が行われたことが報道されている。 科学と言うものは何なのかという深い問いをこの戯曲は発している。しかし、私の心に残ったのは、上の二人のセリフだった。 ルネサンスの花開いたイタリアは、イギリス、フランスなどで進行した中央集権国家の形成に取り残され、四分五裂の状態が続く。 「イタリア」という「国家」が曲がりなりにも成立するのは1870年のこと。 ヒトラーは、『わが闘争』の中で、大衆というものを徹底的に軽蔑している。彼らの判断力も知力も。そして軽蔑された大衆がヒトラーを熱狂的に支持するという現象が現れる。ブレヒトはその姿を眼前で見たわけだ。 この言葉は、単に17世紀のイタリアに、そして1933年のドイツにのみ当て嵌まるものではない。立派に現代の日本に当て嵌まる。当て嵌まると言う事を前提にして物事を考えたほうが良いとおもう。 安易に「英雄」に頼るとどうなるか・・。藤沢周平さんの「信長嫌い」という一文にもそのようなことが書いてあったことを思い出す。 ガリレオの死から359年経った1992年、教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオ裁判の誤りを認めて謝罪した。この事もある意味でビックリさせられる。 ☆トスカナ地方では長男の名前には「姓」を単数形にしたものをつけるという風習があるそうで、ヴィンチェンツォ・ガリレイの第一子が、ガリレオ・ガリレイと名づけられた。(ウィキペディア)
2006.01.24
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野口英昭氏の死が報じられたとき、あれっと思ったことがある。それは、すぐに「自殺」と報じられたこと。警察は自殺として扱い・・とか言っていた。 なんかおかしい。 なんで非常ベルを押すんだ?自分で切って怖くなったから、死にたくなくなったから押したのか?死ぬ動機はあるのか?なんで沖縄まで行ったのか?シロートでも疑問に思うようなことが満載なのに、ポーンと「自殺」と警察は断定している。それも即時。 自殺みたいに見せかけて殺す・・という職業(?)の人もいるんじゃないか。 考えすぎじゃないと思う。
2006.01.23
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◎立小便北のひしゃくに届かざり 満天の星空の元での立小便というものはなんとも良いものである。四季折々の風情があるが、冬のそれはまた格別ではないかと思う。 カーンと音がするくらい冴え返った空気、温度の違う液体が弧を描いた結果、湯気が立ち上る。☆木枯しの吹き渡りける草叢に湯気立ち上る冬の立ちション はい、反省しています。失礼致しました。 日本立小便保存会会長 まろ
2006.01.23
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千秋楽、栃東が朝青龍を下して優勝した。 場所前の予想は、大方が朝青龍の連覇だったと思う。もちろん私も。 七連覇、年間六場所完全制覇、年間最多勝という前人未到の記録を打ち立てた朝青龍がまた優勝して連覇の記録を伸ばすこと、連勝記録の樹立のためにどこまで勝ち続けるか・・そんなことを予想していたのだが、蓋をあけてみれば栃東の優勝。 栃東は、二度大関から陥落し、二度復帰した。これは誰もやったことがないそうだ。そうなると、二度も大関から陥落した力士がその後優勝賜杯を手にしたということも初だろう。そういった浮き沈みを体験した人の優勝というのは素直に喜べる。 「地獄を見ましたから」と、大関にカムバックした時に語っていた。 ヨーロッパ勢、モンゴル勢の活躍。二大関の休場・・。栃東にもプレッシャーはあったろうな。今場所負け越したらまた陥落というカド番の場所だったし。・・・大変な世界だ。 一年前くらいのことだと思うが、隠退したばかりの無双山が、ゲストとして解説者の隣に座って質問に答えていたことがある。 「いかがですか」と訊ねられた無双山は一言ぽつりと言った。 「あそこで戦っていたんですね・・・」万感こもった一言だった。 そういう世界なんだ。大なり小なりどこでもそうだけど。私も三十年間ほとんど担任をしてきて、今年は担任を外れて担任の皆さんたちの動きを見ていて思うことがある。「あんなことしていたんだなぁ」と。レベルが違うんですがね。
2006.01.23
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チャーとまろとはよくじゃれてバトルもやるけれど、くっついてなめあいをして平穏な日々を過ごすことも多い。 最近、チャーが面白いことをやるようになった。まろの首輪を外そうというのだ。 なんのため?妻は、「まろを野良猫にして自分がこの家のナンバーワンになろうとしているのでは」といっているけれど、まさかね。 いま、ベッドの上で二匹はくっついて寝ている。熟睡しているまろの首輪をチャーが外そうとしていると妻の通報があり、見る。 チャーと目があうと、目をそらすんですね。うーむ、怪しいやつ。 えっ、なんのことですか・・といった風情。外れかけていた首輪を元通りにする。チャー、諦めてまろのクビのところに頭を乗せて寝る態勢にはいる。 ぺろぺろとまろのことをなめているチャーを見ていると、「親切ごかし」という言葉が浮んでくる。ちゃんと目的があるんだから。・・しかし何のために外そうとしてるんだろう? 猫を見るのは面白い。
2006.01.22
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テレビのバラエティー番組を見ると、もう、「私はホリエモンのことを以前から胡散臭いやつだと思っていた」という発言が飛び交っている。 どこかで同じような光景が・・と思ったら、日本の戦後。「私は以前から戦争には密かに反対していて」「ずっと民主主義者でした」などという発言が飛び交っている。 もちろん、その当時生きていたわけではない。史料で見たのだけれど。「戦後民主主義」を蛇蝎の如く嫌う人の中に、こういった変節を目の当たりにした人もいると思う。フセインが打倒されたイラクでも同じ光景が見られたという。 身近にそういう「変節漢」を見ることが出来るのは中々稀な体験だからしっかり記憶しておこう。それにしても、テレビの世界で生きていくって大変なんだな。
2006.01.22
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『オリガ・モリソヴナの反語法』(米原万理 集英社文庫) ところが、ある晩、女たちが日中の労働で疲労困憊した肉体を固い寝台に横たえる真っ暗なバラックのなかで、やわらかなアルトが聞こえてきた。女たちが耳をすますと、それは一人芝居だった。芸達者な役者は、たった一人で何時間ものあいだ観客を舞台に釘付けにすることが出来る。幸運にも、ガリーナ・エヴゲニエヴナのバラックには、そういう役者がいた。 キーラ・ザフトマン。本職は女優ではなく、化学者だったのだが、女たちはたちまちキーラの舞台の虜になった。キーラは次々に書物を朗読してくれた。『モンテ・クリスト伯』や『アンナ・カレーニナ』や『三銃士』や『罪と罰』やその他何冊もの本を読んで聞かせてくれた。 役者たちは本番前に台本に何度も目を通し記憶を確認しリハーサルをする。収容所には本がなかった。だからキーラが読んだのは、記憶の中の本。一晩で、キーラは、一章分の朗読をし、女たちは続きを聞くのが楽しみで次の晩を心待ちにした。どの長編小説も、誰もが一度は目を通したことがある名作だった。それでも誰一人として、キーラの「読み間違い」に気づくものはいなかった。 触発されて元俳優の女囚が『オセロ』の舞台を独りで全役をこなしながら再現してくれたりもした。 それからは毎晩、それぞれが記憶の中にあった本を思い起こし、声に出してああだこうだと補い合いながら楽しむようになった。かつて読んだ小説やエッセイや詩を次々に「読破」していった。そのようにしてトルストイの『戦争と平和』やメルヴィルの『白鯨』のような大長編までをもほとんど字義通りに再現したのだ。 「あんな悲惨な境遇にいたわたしたちが、アンナ・カレーニナに同情して涙を流し、イリヤ・イリフとエヴゲーニイ・ペトロフの『十二の椅子』に抱腹絶倒していたなんて、信じられないでしょうね」肩をすくめて、ガリーナ・エヴゲニヴナは静かに笑った。 夜毎の朗読会は、ただでさえ少ない睡眠時間を大幅に侵食したはずなのに、不思議なことが起こった。女たちに肌の艶や目の輝きが戻ってきたのだ。 「自由の身であった頃、心に刻んだ本が生命力を吹き込んでくれたんですよ」P260~261 私は、手元にない本を「読む」事は出来るのだろうか。それを可能とするような文学への向かい合い方と、その姿勢を育てる学校における文学教育とはどのようなものなのか。 米原さんの中には、幼い頃過ごしたチェコのソヴィエト学校での体験が核となって存在している。友人と教師たちがそこにいる。 彼女は、その体験を通して、ソヴィエトというものと向かい合っている。卓抜な語学力と探究心を武器として。その成果としてのこの作品、まさに、彼女しか書けなかった作品を読んだ。 「心に刻んだ本」という一言に秘められた深い意味を考えてみたい。 そして、ソヴィエトの学校で行われていた教育と日本の学校で行われている教育との違いについても。 この本を初めて「見た」のは、療養中に散歩の目的地としていた図書館だった。パラパラめくってみて、諦めた。とても今読める状態ではない。 文庫本で発刊されたのを知って即時購入したがまだ手が伸びなかった。 読み始めたら二日で読了。年の初めに良い本を読むことが出来た。
2006.01.22
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「去勢豚はメス豚の上にまたがってから考える」「腐れキンタマ」「頭ん中糞でも詰まってんのか!」 「ロシア語は世界に類を見ないののしり言葉の宝庫」ゴリキイ 『オリガ・モリソヴナの反語法』米原万理 集英社文庫 この本については、次回書いて見たい。今日は、「ののしり言葉」について。一つだけ紹介したい。政次郎 まことの信仰なら許す。しかしいまのおまえの信仰はニセモノだぢゃい。うそつきの信仰だぢゃい。このままではおまえはかたりの隊長だ。さぎし。ごろつき、ねじけもの、ズル者、わるもの、よわむしのいじけもの、前科無数犯、偽善の大親玉、ほかにないかな。賢治 デグノボーなどはどうだべ。政次郎 んだ、デグノボー。賢治 外で頭、冷やしてくる。 と賢治は立つ。賢治 あのう・・・、たぬきおやじ。政次郎 それから?賢治 そんだけ。 賢治は飛び出す。階段を転げ落ちる音。政次郎 岩手県では最高学府の高等農林まで出ながら、悪口言葉をたった一つしか言えないとは情けない。学校では何を習っていたんだ、まったく。『イーハトーボの劇列車』井上ひさし 新潮社 この作品は、賢治を矢崎滋、政次郎を佐藤慶で観ました。抱腹絶倒。・・・しかし、確かに日本語には罵り言葉が少ない。ロシア語の豊かさに較べれば・・。
2006.01.21
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妻が長電話をしていたので、どうかしたのかと訊ねると、電話していた友人の弟さんが癌でもう長くないらしいという。 で、もう長くないんだったら、好きなものを食べて死にたいと言ってるんだって。 義母が逝ったときに、一つ後悔したのが、もっと好きなものを食べさせてあげればよかったね、ということだった。折にふれ、そのことは私たちの話の種になった。 だから、妻と確認できていることがある。 もう長くないとなったら、好きなものを好きなだけ食べたいということ。それで死期が早まっても良いという事だ。そういう会話をする歳になったんだな。
2006.01.21
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憶えておかないといけない発言と言うものがある。今日の「毎日」に以下のような発言が掲載されている。 「米国の(食肉業者の)間違いとしても許されない。ただ、輸入を止めるのは行きすぎではないか」 語っている人は、「日本フードサービス協会会長」の「横川竟(きわむ)」という人物。 他の発言と比較してみると、よく分かる。 「(危険部位が除去されるという)輸入条件が順守される前提での輸入再開だったはず。これでは安全を守るシステムが機能しておらず、禁止は当然」 これは、「輸入再開後も米国産牛肉を輸入してこなかった国内最大の生活協同組合『コープこうべ』」の広報担当者。 何が何でも米国産牛肉の輸入を再開させようという腹があるから、「輸入を止めるのは行き過ぎ」という発言となる。政府への陳情を繰り返し、米国産牛肉は安全、全頭検査は必要なしといい続けてきたんだから。 それにしても、これほど日本国民の関心が集中している時期にアメリカもこんなミスをやるとは、普段からの管理体制がいかに杜撰かという事だ。プラス、日本という国が馬鹿にされているか。 「日本フードサービス協会」は、という名称に転換したほうが分かり易いと思う。吉野家を初めとする傘下の外食チェーンもね。「ご主人様」の失態をフォローするのに汲々としている。 金が絡んでくると正常な判断ができなくなるという例がここにもある。自分たちが提供しようとしている商品への誇りというものが感じられない。 ツン!とついてやっても起きてくる「起き上がり小法師」。その頭の部分に小判を括りつけてやると起きてこれなくなってしまった・・・。江戸時代の小話らしいけれど、時が移っても変わらぬものはある。
2006.01.21
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堀江氏を有名にした言葉を生徒に紹介して意見を書いてもらった。 「お金で買えないものはない」☆お金があったらたしかにほしいものは何でも買えるかもしれないけれど、買えないものもやはりあると思う。今回の事件のように、人の信用があったらもうかるし、なかったらもうからない。だから、ライブドアのようにどれだけお金があっても、今回の事件のように一気に信用を失ってしまうわけだから、人の信用とかはお金では買えない。☆確かにお金があれば「物」は何でも買えると思う。何をするにもお金はかなり重要だと思う。でも、お金で人を左右するのはいけないことだと思う。だけど、私もお金で買えないものはないと思ってしまう。☆この考え方は世の中を甘く見ているような気がしました。お金があれば何でもできるし、お金さえあればなんでも買えるといった考え方は好きじゃありません。確かに、お金があったら好きなものとかも買えるし、お金はいっぱいほしいけれど、この言葉は使いたくありません。なんか見下しているような気がするし。こういう考え方だから最後に痛い目にあったんだと思います。☆お金で買えないものって何?といわれると即答できません。世の中ほとんど、お金でほしいものは手に入ると思います。☆本当にそうだと思う。いまは、お金があればなんだって買えるし、何だってできると思う。でももしそうだったら、お金がない人は何も買えないし、何もできなくなるんじゃないかと思う。 「お金で買えないものはない」というセリフは、お金持ちにしか使えないなと思いました。☆どっかで、「お金で買えない価値がある」と聞いたこともある。目に見えないものはお金では買えない。そんなものはいっぱいある。心とか愛情とか時間とか。でも、経済の世界では買えないものはないのかな?☆値段がついているものなら、お金さえ出せば買うことはできる。ほしいものならお金を出せばかえる。しかし、人の気持ちや、売ることのできないものをお金を出して無理やり買うことは人間としてどうかと思う。物は買えたとしても、人の気持ちなんか買えないし、買えたとしてもうわべだけだろう。お金を出して買えるものの基準というのは人それぞれだが、人間として正しい判断ができないのならお金で何か大きなものを買う権利なんか要らない。☆買えないものがないことはないと思う。ありきたりに、「人の心はお金では買えない」というのを思いついたけれど、お金で買収される人もいるから、人の心もお金で買えることになる。という風に考えていくと、買えないものはない気がしてくる。考え方としては、それも一つの考え方かな。☆ないはずがない。命はお金では買えない。人の気持ちも買えない。たとえ、買える人がいたとしても、そんなお金の使い方はしてほしくない。すべてのものがお金で買えたら、それこそ生きている意味がなくなる。頑張ることを忘れる人になってしまう。お金は生きるためには必要だけど、すべてのことに必要というわけじゃない。人のやさしさは持ち合わせていたい。あくまで私は。 彼の「いま」が、金では買えないものがあったことを示している。それにしても、カード会社のCMで、「お金で買えないもの」「プライスレス」・・とでてくるのは皮肉なもんだ。 「あくまで私は」というのは、良いセリフです。
2006.01.20
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1年間で250冊の本を読んだことがある。なぜそんなことをしたのかは今となっては記憶の彼方だけれど、とにかくよく読んだ。 途中から、薄い本を読み始めた。新潮文庫のオー・ヘンリー短編集とか、モーパッサン短編集とか。冊数を稼ぐためだ。別に誰かと競争していたわけでもないし、それとなく吹聴して自慢しようとしたわけでもない。いまから30年近く前の話だ。 考えてみれば馬鹿な話なんだけれど、その時は真剣だったと思う。読んだ本のリストはメモしたはずだから家のどこかにあるんだろうけれど、現在は行方不明。 成人の日に、丸二日間徹夜をしてマージャンをしたことがあるが、それは、「成人の日なんだから、何か意義のあることをしよう」と提案した奴がいて、たまたま下宿の徹マンの記録を調べて、それを上回ろう・・という動機に発したことだった。 振り返ってみれば、馬鹿馬鹿しいことばかりだ。 ところが、「金」が介在してくると話が違ってくるようだ。 「金儲けが目的です」「時価総額世界一が夢」という目的は、ある種の人たちからは尊敬の眼差しで見られている。 金はどこまで行っても手段に過ぎない、とビンボー人が言っても僻みにしか聞こえないだろうけれど、手段と目的とを取り違えると、「年間何冊の本を読むか」と同じことになってしまう。
2006.01.20
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センター試験にリスニングテストが導入される。今年が初ということで、監督への説明が行われたと報じられていた。 女性のハイヒールは禁止。受験生からの質問には指定の用紙を使って筆談で行う。ティッシュを使ってハナをかんではいけない・・・等々。 これらはすべて、「静謐な環境」を保持するための措置のようで、周辺で行われる工事に対しては中止の要請が行われ、近くのグラウンドで予定されていたスポーツ大会も延期を要請しているとか。火事が起こって消防自動車がサイレン鳴らして走り回らないことを祈る・・ということもあるとのこと。 全国同じような「静謐な環境」を保つため・・と聞いて、そういえば・・・「全国」っていうのは、「北は北海道から南は九州・沖縄」と言う。沖縄はどうするのかな・・と思っていたら、普天間基地に、ジェット機の離着陸の自粛を申し入れたという。 さて、結果はどうなるか。英語のリスニングテストなんだから米軍も配慮してくれるかな?・・・うまくいったら、沖縄の小中高校では毎日リスニングテストをやったらどうだ。
2006.01.19
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体調が思わしくない。風邪のようなので欠勤する。 近くの医者で診察してもらう。咽喉に炎症があるので、薬を出してもらい、ビタミン剤であろう注射をうってもらう。 最初、左腕を出したが、血管が巧く見つからない。それでは・・と右腕を出すと、簡単に見つかった。左と右で血管の出方が違うという事にこの歳になって気が付く。 「ちょっとチクッとしますよ」と言われるが、チクッともなんとも感じない。うまいもんだ。注射のうまい看護婦さんにあたると、何かいいことがありそうな気になる。以前、三回くらいやり直しで、えらい目にあったことがあったが。帰ってしばらく熟睡。起きてみると、布団の上で二匹も熟睡。 ○風邪引けば二匹も共寝の布団かな ニュースはライブドアと東京証券取引所での株の動き一色。堀江氏とともに起業した野口英昭氏の沖縄のホテルでの自殺が報じられる。 手のひらを返したような報道振り。ここぞとばかりに様々な「事実」が出てくる。これらの「事実」について、マスコミ各社は知っていたのか?知った上でと持ち上げてチョーチン報道を続けてきたのか? マスコミ各社だけではない。刺客として登用した自民党の責任はどうなのか。武部幹事長なんぞは、ホリエモンの似顔絵を賀状に使っていたようだ。 また民主党も通常国会でコイズミ構造改革の負の側面を追及すると息巻いているが、その前に、議員の中に堀江氏と親密な関係にあった者がいないか内部調査を進めることが先決ではないかと思う。鳩山氏は、うちは候補として擁立しなかった、自民党との差だ、と言っているが。 経団連の奥田会長は、「ミスった」と発言していたが、全員一致で、ナントカ委員会への入会を認めたという。「古い」といわれたくないので、わけの分からない作品に一票を投じる芥川賞の審査員みたいなもんだ。 あまりに露骨である。持ち上げて甘い汁を吸った連中、バラエティー番組の「コメンテイター」と称される連中など、コロッと言い方を変えている。 コロッとといえば、朝青龍がなんと白鵬にコロッと負けてしまった。館内は座布団の乱舞。6時のニュースが始まるから見る事は出来ないのだが、あの座布団の片付けはどうなっているのか・・なんてことが気になってしまう。 昼間しっかり寝てしまったから夜眠れるかな・・。
2006.01.19
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日本の針路を大きく変えてしまったのは、昭和に入ってからの恐慌だろう。 恐慌に直撃された農村は惨状を呈する。 町役場には、「娘身売りの場合は相談に乗ります」と垂れ幕が下がった。弁当が持ってこれない児童も激増した。そのような農村と直につながっていたのが兵士たちである。 塹壕で読む妹を売る手紙 鶴彬 その兵士たちの窮状を身近に感じていたのが青年将校とよばれる集団だが、彼らの目には政治家は私利私欲のかたまりと見え、自分たちを中核とする「革新勢力」こそが新しい日本を作らねばならないという使命感を持つにいたる。 満州事変から満州国の建国は、どこから見ても侵略行為だが、それを「仕方ないこと」と居直ってとらえていたのが軍人たちだ。全国各地で開かれた「時局講演会」で、彼らの一人は、はっきりと、「いい事ではない」と言い切った上で、「仕方がない」「背に腹は変えられぬ」、「日本人が民族として生き残るためには大陸に新天地を求めねばならないのだ」と言葉をつなぎ、畳み掛けている。 このような考え方は、中国を劣等国家、日本によって指導されることが幸せな国として描くことにつながり、日本の侵略に対して抵抗する中国の人々を、「東洋平和を建設しようとする日本の意図を解さぬ者」とし、「テロリスト」と断定する。 日本の行動(侵略)は、私利私欲をはかるものではなく、東洋平和建設というなんとも崇高な目的へとすりかえられていく。 今のアメリカと同じという事だ。 この動きを全面的にバックアップしたのが学校教育。日本は東洋平和を建設しようとする平和愛好国家として描かれ、「小国民」の務めは、そのような貴い仕事に従事している「兵隊さん」を励まし、いずれは自分もそのような任務を果たすべく修練を怠ってはいけないと自らを鼓舞する。 教師は、新天地、満州の地に送り込む子どもたちの勧誘にも当たっている。狙われたのは、「教師の教えを守る素直な子」だったという。これをと称する。ソ連侵攻後の彼らの惨状は、「戦争に協力した教師」の罪を白日のもとにさらすことになった。「私たちも騙されていた」のではすまないのだ。 軍の暴走は、マスコミ、教育によって支えられ、「世論」によって後押しを受けた。教師が、文科省、政府の言いなりとなり、目の前の生徒たちの姿を忘れてしまったときに、再び、同じことが起こらないという保障はどこにもない。 今度はどういうのか?「騙されていた」とまた言うのか?
2006.01.18
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1933年にドイツの首相となったヒトラーは、様々なことを言い、実行しました。以下の彼の言動についてどう思いますか? ○ × △ あなたの考えも書きなさい。(1) 大衆には判断力はない。意見を聞くよりも命令してやったほうがいい。馬鹿が集まって相談するよりも、優れた個人が命令し、国民はそれに従ったほうが彼らの幸せになる。 ○ 5 × 14 △ 10(2)ユダヤ人は社会の屑であり、ドイツを堕落させる。処分しなければならない。 ⇒強制収容所で約6百万人を殺害し財産を没収。 ○ 1 × 27 △ 1(3)精神障害者のために膨大な額の税金が使われている。これは無駄である。また彼らが子孫を残さないようなしなければならない。ドイツは役にも立たない人間を養っていく余裕はない。⇒各地の精神病院の患者たちの様子を映画で公開し、どれくらいの額の税金が使われているかを示し、彼らには断種手術(去勢 子宮摘出)を実施。 ○ 2 × 23 △ 4(4)世間の道徳から外れた同性愛者のような薄汚れた人間を許してはいけない。 ⇒刑務所に収容。 ○ 2 × 21 △ 6(5)青年は無駄なことを勉強することに青春を費やしてはいけない。私が青年に望むのは頑健な肉体と、敵を最後まで叩きのめす闘争心だ。学校での勉強なぞは無駄である。 ○ 5 × 14 △ 10(6)軍備の拡大、公共事業(自動車専用道路 アウトバーンの建設など)によって失業者を減らした。 ○ 14 × 3 △ 12(7)ベルリンオリンピック(1936)、民族の祭典などのイベントを度々開催し、多くの人々を集めた。 ○ 27 × 0 △ 2(8)格安で旅行ができる制度を作り、政府が補助金を出した。 ○ 24 × 3 △ 21 こういう支配は絶対に嫌だ。こんなわけの分からないやつに支配されるのは嫌だ。2 私は(3)が許せない。いくら精神障害があったとしても私たちと同じ人間なんだから。映画公開なんて見世物にしてプライドを傷つけている。しかも、子どもを産んではいけないとか。いくら行政が苦しくても人は生きる権利はある。3 (6)は戦争反対やから軍備の拡大にも反対。(7)(8)については悪いことだとは思わないけれど、こういうことがすべての人にされなければ差別だから意味がないのではないか。4 障害者のためにお金を使うのは無駄だと思う。5 旅行の補助金を出して精神障害者への税金は無駄というのは間違っている。6 国の名誉の為には多少の我慢は必要だが、健全ではない人は処分するというのは人として小さいと思う。どんな人でも生きていく権利はある。7 国民の意見も聞き入れたほうが良いと思うけれど、沢山の人が集まって話し合うのは難しいから、この考えに反対できない気もする。精神障害のある人に費やすお金がもったいないとはおかしいけれど、その人たちの子孫を残すのはおかしいという考えかたには反対しきれない。同じような人たちができるとやはり大変だから。8 国民は何もできない、無能だなどというのは間違っている。首相は国民を第一としなければならないのに。9 (6)は、軍備の拡大さえなければ賛成。(8)こそ無駄だ。10 人間を勝手に「無駄」と判断して殺してしまうのは間違い。国益だけで判断しているし。国民は国の奴隷ではない。11 大衆を馬鹿にしたり、おかしなことばっかりやっているけれど、(6)(7)(8)みたいにいい事もやっている。何をしたいのかわからない謎の人だ。12 考え方が合理的でまさに「飴と鞭」です。(3)(4)は、いかにも私たちのホンネを言動にしたと思います。13 評価できることとできないこととがきっぱり分かれた。自分の意志のない人たちはすぐにヒトラーに取り込まれたのではないかと思う。カリスマ性はあった人物だと思う。14 ヒトラーが言っている事、した事は間違っているのに、当時の人々を納得させてしまうほど口が巧い人だという印象があります。こんなにひどい人がなぜドイツの首相になったのか不思議です。15 共通しているのは、税金の無駄をなくして軍備の拡大にお金を回そうとしていることだ。ヒトラーが無駄だと考えていることは、私は無駄ではないと思う。16 国を大切に思い、繁栄させたいと強く願うがための行動だと思う。ユダヤ人殺害や精神障害者に対する措置は許されることではないが、その根底には国を良くしようという気持ちも少しはあると思う。17 人は危機に瀕すればこんなに非道な人間でさえ国の指導者に選んでしまうのが怖いと思った。18いままでヒトラーについてほとんど何も知りませんでした。この前公開された『ヒトラー最期の12日』ってどんな映画だったか気になりました。やること為すこと言うこと信じられへん人やけど、その最期はどんなだったか。 世界史の授業も残り少なくなってきた。ヒトラーの言動について8つの項目を紹介し、感想を書いてもらう。「いい事」と見えるようなことをヒトラーがやっていたことに生徒たちは驚いているが、実は「いい事」と見えることも、ある特定の人間たちを排除して残った人間たちに与えられたものであることに気がついている生徒もいる。 8項目はすべて関連している・・という事に気がついてくれるような授業を目指そう。 という概念でヒトラーの第三帝国をとらえるやり方は有効だと思う。に住むことを許される人たちと許されない人たち。 ヒトラーは青年たちから支持されたという点も落とせない。 あと、第二次大戦の勃発と、太平洋戦争への道でおしまい。 満州事変で一時間、抗日民族統一戦線から西安事件、盧溝橋までで一時間かかってしまったけれど仕方ない。張学良が生きていたことの衝撃。 戦後ができなかったことが残念。
2006.01.18
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サリィ斎藤様の書き込みを読ませていただいているうちに思い出したことがある。震災直後の新聞の投書。こんなことが書いてあったと記憶する。 神戸の惨状に矢も盾もたまらなくなってボランティアに行った。しかし、行っては見たものの何も出来なかった。命令、指示してもらわないと何もできない。自分で判断して動くということもできなかった。 一日が終わって帰るという事になった。自分が情けなくて涙が後から後から出てきた。 大要、こんな内容だった。なぜかこの投書のことをいまだに憶えている。読んだとき、胸が熱くなって涙が出た。 善意の人は、我知らず苦しい目にあうことが多い。ただ、そのことが成長へのステップとなることもある。これはおそらく体験した人間ではないとわからないことだろう。
2006.01.17
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震災から11年1 震災の時のことで憶えていること、考えたことは。○起きたら棚から皿が何枚か落ちて割れていた。○むりやり布団に押し込まれた。テレビが倒れて食器が割れた。家はマンションなので倒れるかと思った。○道路が横倒しになった映像が記憶に残っている。○弟はずっと寝ていて、地震が収まるまで寝ていました。地震についてのニュースを見ていて、神戸で沢山の死者が出たことを知りショックを受けました。○地震が起こる日の前に家族でスキーに行っていて、兄が熱を出したので、予定より早く帰る事になって家に着いたのが午前三時半。兄が熱を出していなかったら高速道路を走っていた時に地震が起きていた。 家について寝ている時に、地震で父が寝ている所の丁度頭の部分にテレビが落ちてきていたけれど、それも兄が熱を出していて、親と一緒に寝ていたから助かった。○揺れが大きく、寝ていたのにビックリした。怖かったし、お気に入りのコップが壊れて悲しかった。○皿がほとんど割れた。電気、水道、ガスが止まった。長田のほうが燃えて、灰が飛んできた。○寝ていてお母さんにたたき起こされた。下に行ったら戸棚が開いていて、テレビがずれて、受話器が落ちていた。とりあえず、缶詰とか戸をあけて、懐中電灯を一個づつ持たされた。○東灘区に住んでいたので、家の色んなところにヒビが入り、テレビが落ち、壁に穴が開いていた。周りの家はペッタンコに潰れているものもあり、花が飾られている家もあった。救援物資が送られてきて嬉しかった。友達全員の無事を聞いたときすごく嬉しかった。○顔の上に人形が落ちてきた。神戸に電話したけれどつながらなかった。○神戸に住んでいた親戚たちが私の家に一ヶ月ほど居候した。親戚たちの話から地震がどんなものだったか知ることができた。身内は命に関わるような被害を受けていないので安心した。2 震災の教訓a 「防災グッズ」の必要性が明らかになりましたが、「防災グッズ」の中身は? ライト 食料 薬 救急グッズ 水、お金 ラジオ 縄 ビニール袋 スリッパ マッチ 寝袋 ライター 防寒具 電池 歯磨きセット 軍手 携帯トイレ タオル 缶詰 カンパン あなたの家にはありますか?⇒はい 4人 他は、「ない」「わからない」41 定期的に更新していますか?⇒はい 1人 他は、「していない」「わからない」44 b 倒壊した家の下から人を助け出すときに必要なのはどのような工具ですか? クレーン 勇気 固い棒 バール スコップ 車の下に入れてグッグッグッて上げるの 車の車体を持ち上げるための道具 のこぎり 懐中電灯 てこ ハンマー ジャッキ チェーンソー 毛布 家の近くに、そのような工具を共同で保管している場所(倉庫)はありますか? ⇒ある 3人 他は「ない」「わからない」c 家から最も近い避難場所を知っていますか? はい34 いいえ11 あなたは震災への備えができていますか?できていないのならそれはなぜでしょう。○心のどこかで大丈夫と思っているから。○現実味がない。○震災が起きるなんて考えていない。○地震はもう来ないと思っているから。d 震災の三年後に建築基準法が改正されています。その目的は何でしょうか?○地震に備えるため。○少しの揺れでは潰れない丈夫な家を作るため。○全壊する家を減らすため。○地震にたいする強度を上げるため 。○人々がより多く助かるように。e 今後予想される震災に対して備えるためにどんなことが必要だと思いますか? ○防災グッズを揃える、○家族・親戚との連絡手段を考えておく。 ○とりあえず家具を固定しておくこと。○震災に強い家を作る。 ○家具の配置を考え直す。○自分の家の耐震強度の確認。○保険に入る。f 震災が発生してあなたも避難所に入りました。避難所で救援物資の仕分けをしたり、ボランティアの人たちへ仕事を頼んだり、避難している人たちの世話をしたり相談に乗ったりするためのリーダーが必要なので、リーダーになってくれと頼まれた時に引き受けますか?はい○みな混乱している時には仕切る人が必要だから。○がんばる。○なぜ頼まれたか分からないけれど、別段難しいことをやるわけでもないだろうし、多少面倒なことがあるとしても、災害時にそんなことは言っておれない。○難しいけれどやらなきゃいけないような気がする。○助け合いが必要だから。○人のために働きたい。人に慕われるような人間になりたい。○大変な目にあった人たちのためになにかできることはしたい。○自分が頼りにされているならやってみたい。いいえ○リーダーなんかできない、自分の事で精一杯。○勤まらないと思う。○そんなことができるほど気持ちが安定していないと思うから。○人のために働こうという余裕はないと思う。家族や周りの人たちのことで精一杯と思う。○責任に耐えられないわからない○手伝いならできる。○世話をする程度ならできるけど。○どう接していいかわからないし、かえって傷つけたりしたら嫌だから。○するけどあんまり自信がない。○人に仕事を分けれないと思う。でも、断りきれないかも。○小さい班のリーダーならできそうだけど。○家族が看病とか必要でなくて安全な場所にいたらみんなのために働けると思う。○サポートしてくれる人がいるならやれる。○まとめる前に自分がパニックになってしまいそうだ。☆一番聞いてみたかった質問は、最後のfでした。予想したよりも「はい」が多かったことは嬉しいことです。「わからない」と答えた生徒の中にも、 「何かしたい」「役に立ちたい」という気持ちは見えます。「断りきれない」という生徒もいます。 「無理」と答えた自分に自信がない生徒の中にも、ひょっとしたら、その場になれば頑張ってくれる者もいるかもしれません。なによりも、一度、こんな事を考えたということを憶えていてくれたらと思います。
2006.01.17
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震災から11年が経った。 避難所に来てボランティアの人たちの連絡係になってくれと頼まれて、日曜祭日すべてつぶして神戸に行った。本当に全国から手弁当で沢山の人たちが来てくれた。小さなことから大きなことまで色んなことを憶えている。 11年経った今、どうなっているのか。 先日、『拒否できない日本』関岡英之 文春新書 を読み、開いた口がふさがらない思いをした。 アメリカが「日本の建築基準法や製品規格などがアメリカ製木材の輸入を妨害していると非難」、「日本政府は、建築基準法は度重なる災害の教訓から日本の稠密な国土の状況に即して定められているのだから緩和する意思はないと抵抗したが、アメリカは一方的な制裁をほのめかせて圧力をかけ続けた」。 1998年に建築基準法は全面的に改正された。震災の3年後だから、普通に考えれば、より震災に強い建物を建てるための改正と誰でも思うが、違う。 建物の建て方(仕様)を細かく規制したこれまでのやり方から、建築材料の「性能」を規定する新しいルールに変更し、新しい性能基準は「国民の生命、健康、財産の保護の為必要最低限のものとする必要がある」と書いてある。「必要最低限」だ。「最大限」ではなく。 建築基準法の改正は、「海外の基準・規格との整合等を図ること」「わが国の建築市場の国際化を踏まえ、国際調和に配慮した規制体型とすること」を目指して行われた。 「地震の少ない国の基準や規格だったら、地震多発国の日本ではそもそも何の役にも立たないではないか」と著者は指摘している。 アメリカの通商代表部は、この改正が「アメリカの木材供給業者のビジネスチャンスにつながった」と自画自賛しているという。公表されている文書の中で。 著者の言う如く、新聞・マスコミはこの事を報道していない。私もこの本を読んではじめて知った。これって一体ナンなのか?? 震災への備え、という事が言われている。備えの一番のポイントは、震災に強い住宅作りではないか。既存の住宅の補強ではないか。 さて、授業で取り上げよう。 防災グッズはありますか?ちゃんと更新してますか?ジャッキや電動ノコギリを保管してある場所は近所にありますか?避難所はどこか知ってますか? 震災の3年後に、建築基準法が改正されましたが、何を目的に改正されたのでしょう?わかるかなぁ? ま、狂牛病アメリカ産牛肉の輸入再開の手口をみればよく分かることですが。
2006.01.17
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入浴剤を入れた風呂に入る。白濁した湯に入ると体が芯から温まる気がする。 「あー、極楽、極楽・・」と心の中で唱えつつ手足を伸ばしていると、数年前の有名温泉入浴剤騒動を思い出す。言えなかったんだろうなぁ。 とにかく家庭で温泉気分が味わえるのだからいい時代だ。 義母を能登のホテルに連れて行ったとき、ついてすぐにお湯に入り、また入り・・寝るまでに都合五回入っていたことを思い出す。できるときに親孝行の真似事でもしておいてよかったなと、こんな時に思い出す。 明日は、オレンジ系の入浴剤を入れる・・と妻が言っていた。
2006.01.16
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インターネットの俳句のサイトがあり、そこに投句、選句させていただいてもう一年になる。5句投句し、5句選句する。自分が投句したものに一票でも入っていると嬉しい。9百句近い句の中から選んでいただいたのだから。 自分で選句した作品と、多くの方が選句された作品とは必ずしも一致はしない。選ぶ目がないことは承知している。もっと励もう・・なんて事を考えつつ、年末から岩波文庫で『子規句集』をぼつぼつ読みつづけて、今日読み終えた。 最後の句は、 糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 痰一斗糸瓜の水も間にあはず をととひのへちまの水も取らざりき あれっ、と思ってもう一度最後のあたりを見返したが、ない。初句索引を見たが、ない。 鶏頭の十四五本もありぬべし が、ないのだ。 坪内稔典さんの解説を見ると、『子規句集』を選した高浜虚子は、約2万句の中から2306句を採ってこの句集を編みながら、「鶏頭の・・」を入れていない。よほど断固としたものがあったのだろう。 斉藤茂吉は、この句を高く評価しているという。昭和24,5年には、「果たしてこの句がよいのかどうか」をめぐって「鶏頭論争」が起きていると解説にはある。 私の手元には、高浜虚子の『俳句はかく解しかく味わう』(岩波文庫)があるが、そこには何も触れられていない。 ここまで評価が違うものか。 そこに面白さがあるのだろうな。今年もぼちぼち句作に励もう。
2006.01.16
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夕食は、回転寿司の店に行く。陽水のCDをつけていたら、「満月 空に満月・・」。車の窓からも綺麗な満月が見えた。 お店は家族連れでいっぱい。『小僧の神様』までさかのぼる必要はないけれど、私なんかの子どもの時には、寿司屋って、「大人専用」の店だった。寿司屋にいけるような年になってからも、しばらくは子どもの姿を見た事はなかった。 回転寿司の店は、子どももお年よりも、色んな年齢の人たちで溢れている。ベルトの上には寿司だけではなしに、プリンもアンミツも乗っかって流れてくる。楽しそうにみんなパクついている。そういう姿を見ると、「寿司とは」なんてことを改めて言うことが無粋に思えてくる。 回転寿司・・・すごい発明だなと思う。脱帽。
2006.01.15
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しかしながら、ああ、もともと、というかやはり勉強に向いてない子、能力的に無理な子とかいるんですね。 私はそういう子達を前にすると胸が詰まって詰まってたまりませんでしたね。 どんな気持ちで教室でじっと座っていたんだろう…自分の出番も無くて、面白い事も無くそうやってただエスカレーターの如く卒業して。そういう子達の救済をこそ考えろっていつも文科省に腹を立てているんですよ。 勉強が苦手でもいい子達なんでして、何とか彼らの生きていかれる道を広げてやって欲しいと叫びたいです、全く! ジュンさんから、書き込みをいただいた。 結局、私の悩みはここにあるのだなと思う。以下に書いて見たい。 学生の時に、私は友人に誘われて、友人の中学時代の恩師の授業(国語と社会)を見せていただいたことがある。後ろで見ていたら、「前で見たほうがよく分かりますよ」と言われて前で見せていただいた。 積極的に手を挙げて、適確な答えをする生徒がいた。後で聞いて見ると、「一年生の時は勉強ができなくて、勉強しなくていいから鶴でも折ってなさい、といわれていた子なんです」とのことだった。 その子の一年生の時のノートは、判別できないような文字で、くちゃくちゃに書いてあった。現在のノートは、しっかりした字で丁寧に書いてある。 「別に秘密なんかありません。初歩からのことを丁寧にその子どもにあった形で指導していくとこうなります」とさらっと言われてしまった。 国語と社会の二教科を担当して、生活綴り方を書かせる実践を積み重ねてこられた先生から色んなことを教えていただき、資料をいただいてすでに三十年が経った。 「勉強が苦手でもいい」と言う考え方は、「勉強ができないことも個性」という言葉で現れるようになった。文科省が言い出した、「新しい学力観」の中にそれは含まれている。 「『勉強ができなくてもいい、あなたは他にいい面をいっぱい持っているんだから』という言葉に教師は逃げ込んではいけません」と言われてから三十年が経った。 「勉強が苦手な子は勉強ができるようにすることが必要です」と言われた。 私は、「不肖の弟子」という言葉を絵に描いたような人間なのだが、師から教えていただいた言葉が忘れられない。だから、中島敦の作品の中では『弟子』にもっとも惹かれるのだなと思う。これも、師からビシッと言われたように、「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」なのだろう。 自分の力が及ばず、努力もしていないものだから師の実践には遥かに及ばない。 私が曲がりなりにもここまで来ることができているのは、師のお蔭だと思いつつ、こんなにしんどいんだったら出会うんじゃなかったな・・と思う日もある。日本に一人か二人しかいないような教師の真似をしようとしているんだから。 退職まであと四年。師の言葉を忘れないようにしようという姿勢だけは(できないだろうけれど)崩したくない。私は私なんだけどね。
2006.01.15
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一方、授業が面白くないというのは小学生はともかくとして、生徒の方にも問題がある場合があるかも知れません。 学ぶ気が無い生徒にとってはどんな授業だって面白い訳がありませんから。私はホント乱暴なんですけど、勉強したくない人は学校に行かなくてよろしい、と思っているんですよ。 しかも、義務教育は小学校のみにしろって。 お客様じゃあるまいし子供を甘やかしすぎてますね、親は。 という書き込みをいただいた。これは、本当に日々実感していること。 寝ている生徒、ノートをとろうとしない生徒を見ているとそう思う。横のヤツと喋っているヤツなんかもう最低。 「お前さえいなかったらオレの授業はカンペキなんだよなぁ」と思ったり、言ったりすることも再三の事だ。 ただ、面白いことがある。そういう連中がどうしたことか、じっとこっちの話を聞いてくれたり、作成したプリントにくらいついてバリバリやり始めたり、ノートをとったりすると・・・その日一日、私は幸せに包まれる。 当たり前の事をしてるんだけどなぁ・・。 生徒たちはなぜ高校に進学してくるのだろうか。 「みんなが行くから」と言っていた生徒がいた。自分だけその道から外れるほど強い動機があるわけではない。 「親が行けって言うから」と言っていた生徒がいた。生活保護を受け、授業料は免除だったが、泣いて頼まれたそうだ。「泣かれて辛かった。私、勉強好きじゃないのにね」と言った彼女は、なんとか就職できた。 うちの高校には、「成績の関係」で、入学してくる生徒が多い。つまりは、「ここしか入れなかった」生徒たちだ。 生徒たちは、中学校を卒業して、「みんなといっしょに過ごせる場所」を求めて高校に入学してくるのだろうか。際立った取柄があるではない、絶対になって見たい職業も特にない、学校や学歴なんか蹴飛ばして実力一本で生きていってやる!と思い定めるだけの度胸もない、・・・で、ここにいるという生徒も多い。 小学校、中学校の勉強は身についていない。 日本の都道府県と県庁所在地もあやしい。高一のときに、現代社会の時間を使ってテストをしてみて驚いたことがある。兵庫県の位置を間違えた生徒が二人いた。お前の住んでる県だぞ!! いま、高三の卒業を間近にして、政治経済で練習を繰り返している。 バッカじゃない・・と思われるような程度の低いことをやっているんだけれど、日本の都道府県と県庁所在地とを一生懸命憶えようとしている。 最初は10点しか取れなかったのに、次は頑張って45点取れてにっこり笑ってる茶髪でマスカラばっちりのねーちゃんを見てるといとおしくなってくる。目をぱちぱちするんじゃないよ、風が来るから。 ドルと円の換算も中々できなかった。消費税5%の計算はできるんだけど、累進課税のところで、所得税率25%の計算がすんなりできない。 ただ、以前と較べると、中退した生徒を受け入れてくれる学校も結構できている。高校を中退したらもうどこにも行き場所はない・・といったことはない。現に、そのような道を選択した生徒も何人かいる。 何が何でも卒業させる、絶対に進級させる、そんな風には今は思っていない。限度と言うものがある。「学校」という状態を保つためには辞めさせなければならない生徒もいる。 ただ、とりあえずここしか居場所がない・・という生徒もいる。で、こちらとしては、仕方ないなぁ・・がんばらなあかんかなぁ・・と一日一日を過ごすことになる。 退職の日を迎えたら、その日は心の底からスッキリするだろう。次の日から淋しくなるかもしれないけれど。
2006.01.14
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イランが核開発を視野に入れたウラン濃縮に踏み切るという。授業で生徒に質問用紙を配った。「イランのアフマディネジャド大統領は以下のように言っています。「核兵器を持つのは各国の権利だ。アメリカやイギリスが核兵器を持っているのに、なぜイランは持ってはいけないのか」 どう思いますか? 以下、生徒の意見。一 そんな権利の主張いらんわ!!て言うか、使う気満々の国ならみんなが反対するのも無理ないなと思う。核をなくして行こうって動きになっているのに。まぁ、持ってる国も持ってるままだから、解決にはなってないと思うけれど。二 全部いっせいに廃棄しないと、どこかだけというのは、いやというのもわかる。核兵器を持つなと言うなら、自分の国のものを捨ててからではないと納得できないのはアタリマエだと思う。三 誰もが持っているから・・と同じ考えで、他の国が持っているからといって、元々持ってはいけないものだからその考えはおかしい。「核兵器=戦争する」みたいなイメージがある。四 子どもじみた意見だなと思った。核兵器作って敵国扱いされるのは国民なのに。五 アメリカやイギリスだけが認められているというのは確かにおかしい。でも、だからといってイランも持っていいとは思わない。アメリカやイギリスはなんとなく世界の中心にあるような気がする。持っててもまだ大丈夫と思う。イランやイラクが持つと危険すぎる。でもホンマはどこの国も持ったらアカンと思う。六 どこの国も核なんて持つべきじゃないと思う。不必要。世界全体で平和を掲げるならそんなものはいらない。結局、どこの国も口先だけで友好関係を築いているだけで、心の底では自分のことしか信用していないから防衛のために核を持とうとするんだと思う。 日本の高校生に「子どもじみた」と言われるとは、アフマディネジャド大統領も思っていなかったろう。国民にツケが行くという考えはその通りだ。 前任者のハタミ大統領のことを、西欧にこびへつらうヤツみたいなことを言っていたが、イランの国民感情にはそんな発言が受け入れられるのだろうか。 安保理に付託されて、イラク戦争の二の舞にならなければいいがと思うけれど、イスラエルに対するダブルスタンダード(核査察の拒否)をクリアするか、パレスティナ国家の樹立をはっきり認めるかしないと益々袋小路に入ってしまいそうだ。 どこの国も持ったらアカンという正論が馬鹿にされる雰囲気は怖い。
2006.01.14
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芸人に上手も下手もなかりけり行く先々の水に合わねば 江戸時代の狂歌。三遊亭円生師匠の落語の中で聞いたおぼえがある。 朝、ニュースを見ていたら、「教師の格付け」という事を報じていた。民間団体で、会員の前で7分間ほどの授業をやり、その会の中心メンバーたちによって採点されて、○○級とか、○○段とかになるのだそうだ。 授業で悩んでいる教師は多い。授業がうまくなりたいという気持ちはあって当然だろう。自分の授業を他人に見てもらって、気がつかなかった癖、行き届かない部分、教材解釈の間違いなどを指摘してもらうことはプラスに働く。 ただ、その事と、○○級、○○段と「認定」を受けることとは違いがあると思う。その報道の後で、教育評論家の尾木直樹さんが、大要以下のようなコメントをしていた。 生徒からの批評が最高の評価ではないか。また、級とか段をつけられるようになると、「自分は授業力が○○段なのだから、私の授業が理解できない生徒のほうが悪い」という発想になるのは本末転倒ではないかと思う。 私もそうではないかと思う。生徒がいての教師だ。自分の眼の前にいる生徒の実態からしか私たち教師は出発できない。 彼らが何を知りたがっているのか、これから授業で扱おうと思っていることについてどの程度の知識を持っているのか、小学校や中学校で習った事は十分に身についているのか、授業でほったらかしにされたり、分からないことがあって傷ついた体験はないだろうか、家庭はどうだろうか、交友関係はうまくいっているのか・・。 生徒の内面と総称していい以上の事柄を抜きにして授業はありえない。それを抜きにして授業が成り立つとすれば、全国どこの教室での通用する「教案」が存在するはずだ。私はそんなモノの存在を知らないし、ありえないと思っている。 自分の眼の前にいる生徒たちの現実から授業は組み立てられていく。思わぬ発見も、苦労して作った教案での授業が失敗してガックリ来ることも、聞いてなさそうな生徒が実はしっかり聞いていたり、その逆もあったりと、 日々、生きて動いているもの、それが授業だ。 眼の前の生徒たちを最高の批評家と心得て、授業に励もう。以上、新年の自戒として。
2006.01.13
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「日中15年戦争」という用語を使う場合がある。その起点は、1931年9月18日の柳条湖事件である。 自ら南満州鉄道を爆破した関東軍は、これを中国側の仕業とし、即座に軍事行動を起こして満州全域を占領し、翌32年の3月1日に満州国を建国するに至る。 この軍事行動は、「事変」と称されて、宣戦布告は必要ないものとされた。 この「事変」全体を見て、一番驚くのは、林朝鮮軍司令官による越境出兵である。 陸軍刑法第35条には以下のようにある。 「司令官外国ニ対シ故ナク戦闘ヲ開始シタルトキハ死刑ニ処ス」 「故ナク」とは、「明治憲法」第13条にいう宣戦の勅命を待たずに戦争状態に入ることを言う。(『日中15年戦争』(上)黒羽清隆 教育社新書) 当時朝鮮は日本の領土であった。そこに駐屯している軍隊が、満州に入るという事は、「外国ニ対シ戦闘ヲ開始」することである。閣議に於いて経費出費も認められておらず、奉勅命令もない。 閣議の方針は不拡大と決まり、金谷参謀総長は、林朝鮮軍司令官に「関東軍増援の件、奉勅命令下達まで見合わされたし」と増援行動の中止を打電している。陸軍三長官会議(南陸相・金谷参謀総長・武藤教育総監)でも、「速やかに事件を処理して旧態に復するの必要あり」という事が確認されている。 しかし、石原莞爾、板垣征四郎率いる関東軍は、その意向に従わず、朝鮮軍も越境して満州に入る。彼等は、蒋介石・張学良の無抵抗方針に付け込んでさらに戦線を拡大し、満州全域の支配を達成、最終的に、天皇より関東軍の忠烈を嘉する勅語が発せられる。 『満州事変』臼井勝美 中公新書 の中には、以下のような箇所がある。 国際連盟の席上で、日本側が、中国は「組織ある国家」ではないと強調したのに対して、中国側が反駁を加えている。 「日本こそウェル・オーガナイズド・ステイトと」いえるか疑問だと言うのである。日本の陸海軍は政府のコントロールに服さず、日本の外交官が理事会の席上で真面目に約束することが、次の日軍によって破棄されるという事態は、よく組織された国家の行為と言えようかと」(p182) 司馬遼太郎さんが、昭和前期の日本は軍隊によって乗っ取られたと述べている。それはまさに、中国側の指摘そのものではないか。 眼の前の膨大な利権を得るためであれば、死刑を持って禁止されている事をも結果オーライで押し通してしまう。 満州事変の様相は、その後の日本で起こった利権と資源の争奪の為であれば、倫理も法もすべて踏みにじるという道に直結しているといっていい。 自らの発した命令を石原や林によって踏みにじられた陸軍上層部にはプライドというものはなかったのだろうか。石原は軍法会議にもかけられず、林は後々まで、「越境将軍」と称していたという。 上の命令は絶対ではなくなり、軍の中では「下克上」が横行し、五・一五、二・二六事件が起こる事となる。 15年戦争の終結点は、1945年の9月9日。この日、支那派遣軍総司令官・岡村寧次大将は、南京に於いて蒋介石の代理人である中国陸軍総司令・何応欽上将に降伏した。 この段階で「支那に屯す兵力は約120万」。15年戦争全体の死者の総計は41万1610名。(『日中15年戦争』(下)p265~266) 日本は、「中国にも」負けたという事はもっとはっきり知っておいたほうがいい。
2006.01.12
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はい。 私は、恋=交通事故説を堅く信じているものなのだが、その根拠となった体験を紹介しよう。 中学校の時から、私は英語の塾に通っていた。よく休む生徒だった。それが、高校になって遭遇した、ある体験によってめでたく皆勤賞もののマジメな生徒に一変してしまった。 ある日、私は塾に行くためにバスに乗り、最寄の停留所で下りて、塾まで歩いていった。先客がいた。彼女に、「まだ?」と訊ねた(塾は中学生の部と高校生の部に分かれていて、私がついた頃はまだ中学生の部だったのだ)。 彼女は、「はい」、と答え、その時から私は彼女のことが好きになってしまった。 「はい」の一言だけで。 出会い頭の交通事故と一緒ではないか、こんなもの。 住所を聞き出す度胸がなかった私は、彼女が降りるバス停(小耳に挟んだ)から住所を推定して、年賀状を出した。後に、なんと親戚の家に届いていたことを知る事になり、「顔から火が出る」という言葉を実体験することになる。 高三になったとき、あるだけの勇気を振り絞って、デートを申し込み、一回だけ散歩した。その後、家に手紙が来て、「私たちは受験生ですから、これ以上の交際はいまは慎んだほうが良いと思います」と書いてあった。ビートルズの曲を聴きながら泣いたことを思い出す。「エイト デイズ ア ウィーク」だった。 後日譚。一年経って、手紙が来た。「付き合ってあげてもよろしくってよ」と言う内容であったと思う。であったと思う、と書くのは、その時、私の中で彼女は、風とともに去って行ったからだ。熱し易く醒め易い。 かように、恋というものは、唐突に訪れ、また去っていく。あれから40年。 追伸。学習意欲というものは、不純な動機の場合のほうが強いようである。 参考になるだろうか?・・・ならないだろうなぁ。
2006.01.12
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私たち、一生のお友達でいましょうね。 やんわりと断る時に、主として女性側が男性に対して投げかける言葉として有名。 もう私なんか、一生のお友達が片手では数えられないくらいになって、一時は両手と両足の指で数えていたくらい。 数回体験すると、「なーにが一生のお友達だよ。けっ」という気持ちになるのだが、50過ぎて、60も近くなると、この言葉の含蓄の深さに深くうなずくのですね。もっとも、うなずく頃には、「一生の茶飲み友達」という年齢なのだけれど。 「男女の間に真の友情は成り立つか?」という問いは、「友情は、愛情、恋に簡単に転化してしまうものだ」という含意がある。そうだろうと思う。しかし、そうではないとも思う。歳をとるとわかるようになることが増えてくる。 友情を愛情に転化させないためには、ある種の努力を必要とする時期がある。その時期を過ぎると、友情のほうが良いなと思うことになる。パッと燃え上がって周囲とわが身をともに焼くような思いは、環境に良くない。 火鉢の灰の中の熾き炭のような状態(このような喩えが分かる人は少ないと思うけれどね)が良いと思うのは、諦めの果てにたどり着いた結論のようだが(そういう面があることは事実)、決してそれだけではない。 一生のお友達、とはいいものだ。
2006.01.11
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インポッシブル。 『寅次郎 春の夢』で、さくらを慕うアメリカ人が出てくる。彼は、さくらに「アイラブユー」と告白するが、さくらは、憶えたての「イッツ インポッシブル」を使う。その言葉を使ったときのさくらは、本当に辛そうで、ああ、そういう人なんだなぁと納得してしまう。 映画では、はっきり断るアメリカと、雰囲気を察する日本という対比が寅さんによってなされていた。 はっきり告白して、やんわり断られたことはあるが、アメリカの例は寡聞にして知らない。本当だろうか。本当なんだろうなぁ。
2006.01.10
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