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「現社」で、「基本的人権」<法の下の平等>を学んでいるのですが、差別問題も取り扱います。 差別事象がなぜ残っているのか?それは、差別を必要としている人がいる、差別しないではいられない人がいるからではないか。ではそんな「差別しないではいられない人」ってどんな人?と訊ねてみました。<「差別を必要としている人」とはどんな人か?>1そんな人なんかおらんと思う。2自分を守る事が必要な人。自分を守るために自分より劣っている人を見つけようとする。3差別によって自分の立場が上になれる人。4自分より下のものを作って日常の不満をぶつけないと自分を保てない人。5自分より低いものがいると思って、嬉しい気持ちになりたい人。6弱い人間。自分が誰かの上に立っていたいから。7人と自分を比べて自分が上でないと気がすまない器の小さい、考えの浅い人間。8差別することによって自分の位置を高めて満足感、充実感を得る人。9自分より優れた人は見ないで、下ばかり見て、『○○君よりはマシや』と思っているような人。10自分の立場が下がらないように、自分を守るためにする人る心にストレスを抱えている人。11自分にコンプレックスがあるような人。12分からないけれど地球に住んでいる人みんなではないかと思う。なぜかというと、「差別」がごっそりぬけてしまうと、何かは分からないが、「何か」が発展しないと思う。裏と表があるように、たぶん、「差別」があるからコレがある、みたいなヤツがあると思う。13他人の良い悪いを自分の価値観だけで決める人。14障害者や外国人が嫌いだという人。15他人の欠点を見たい人。16自分も社会的に弱い立場なんだけれど、自分よりもひどい人がいると思いたい人。17やっていいことといけないことの区別が付かない人。18孤独な人だから?19会社とかではやはり偉い人ではないだろうか。アパートとかでも、「~人は禁止」みたいなことも良く聞く。日本に日本人以外の人がいるのは珍しいし、他の人はじろじろ見たりすることもアル。アパートの管理人は自分のアパートにそういう人が住むことを嫌うだろう。要は自分のことを最優先する人ではないだろうか。20人が傷つくことで自分が強くなったような気がする人。21差別されそうな人。差別される前に差別しておいたら自分は差別されないから。22いじめられている腹いせにとか、ストレスが溜まっている人。人を批判して自分を守りたいから。23自分が得する生活に慣れてしまっている人。 ☆12に対しては、他者と自分とを比較するという事と、向上心、コンプレックス、人を差別しないではいられなくなる心理とは紙一重ではないかな・・・という説明をしました。 向上心は必要でしょうし、集団で生活している私たちは、他者との比較から遁れるわけには行きません。ただ、その中にあっても、自分自身の成長に温かい目を向けて、たまには自分を褒めてやる事も必要だ、その事をこれからも繰り返し言っていこうと思っています。 この答えを読み上げ、コメントし、次に具体的な差別事象について考えていくという事になります。
2008.01.31
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☆図書部から、毎年この季節になりますと、「卒業生に贈るこの一冊」というタイトルで全教師に依頼があります。私は、常に同じ本を推薦しております。<卒業生に贈るこの一冊> 毎年同じ事を書いていますが、司馬遷の『史記』です。 歴史関係の本では、アンリ・ピレンヌ『中世都市』(創元社歴史叢書)という本が、文学関係では石母田正『平家物語』(岩波新書)、SFでは『渚にて』(創元SF文庫)、ミステリでは『ジャッカルの日』(角川文庫)、漫画では『ガラスの仮面』などが時間を忘れて読みふけった、「その分野」でのベスト・ワンですが、全分野でのベスト・ワンは、高校三年生のときに筑摩世界文学全集で通読した二巻本の『史記』です。 入門書としては、『史記』(貝塚茂樹・中公新書)、『司馬遷~「史記」の世界』(武田泰淳・講談社文庫)がいいと思いますが、現物を通読することを強く薦めたいと思います。 たとえば、始皇帝という人物一つとってみても、刺客に暗殺されそうになる場面は、圧倒的な臨場感で描かれていますし(なぜそれが可能であったかを考えて、調べてみるのも面白いのですが)、地方を巡察する旅の途上で病死し、皇帝の死を秘すために身代わりを立て、死体が腐ってくるとその腐臭を隠すために干魚の箱を車の後ろに積んだという記述は、多くのことを読む人間に考えさせてくれます。 漢文の時間に学ぶ「鴻門の会」に登場する項羽と劉邦の生涯は、是非とも読んでほしい箇所なのですが、漢の始祖である劉邦と敵対した項羽を「本紀」(皇帝・王の事績を記す箇所)に入れた司馬遷の「史眼」(価値観)にも目を向ける必要があるでしょう。 項羽の軍に追われて切羽詰り、同じ車に乗っていた自分の息子を蹴落として逃走した劉邦。包囲されて、「四面楚歌」を聞き、その後囲みを破って逃走しながらも、楚の地に自分だけ帰還することをせず、最後は追撃してきた劉邦の軍の前で自ら首を切り落とす項羽。 人間ドラマの缶詰だと思います。 3000年前に書かれたとは本当に奇跡のような本です。
2008.01.31
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『のだめ』、19巻まで読みました。 主人公の変遷に感慨深いものがあります。 『巨人の星』が一世を風靡した時代がありました。汗だらだらの「スポーツ根性モノ」。あんなの今では児童虐待としかいいようがない「大リーグボール養成ギブス」。瞳の中に炎が燃えていました。 『キャプテン』。ちばあきおさんのこの漫画に私は今でも好感を持っています。平凡な才能しかない少年が、うまずたゆまず努力を続け(この努力の継続は確かに平凡ではありませんが)、ある高みにまで達する。その過程を実に丁寧に描いていました。 そして『のだめ』。この作品は、二人の天才の苦悩と努力が基軸となっています。読み進むに連れて、『ガラスの仮面』が重なってきました。姫川あゆみと千秋真一、北島マヤと野田恵。凡人がコツコツ・・・という世界は基軸にはなりえません。 音楽や演劇、絵画、一般に「芸術」という世界が「天才」という存在と強い親和性を持っているからでしょうか。というか、私が勝手にそのように考えているのでしょうか。 『ガラスの仮面』もそうなのですが、『のだめ』も、努力の総和だけでは絶対に到達できない世界と言うものがあるという事が前提となっています。ある「選ばれた人間」だけが入る事を許される世界があり、その世界で暮らす人間が聴く事が出来る音、奏でる事が出来る音は、外界の人間には及びも付かないものとなっています。その世界で暮らす人間に与えられる試練は、外界の人間であればたやすく潰れてしまうほどの重さと質とを兼ね備えたものでもあります。そうであるからこそ、それを乗り越えたところで生まれる音は、聴いている者の魂に触れるものとなるのでしょう。 平凡な人間の平凡な日常生活を丁寧に描いている漫画も多くあります。 そういう中にあって、天才の世界を描く『のだめ』に多くの人がひきつけられる(私も)。面白いなぁと思います。 これからどうなるんだろう? とにかく全巻(19巻まで)揃えないとハナシにならない。下の娘から、「ヤフー・オークションで買ったら」というアドバイス。なるほど。
2008.01.30
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寒くなってきました。一昨日、膝の辺りがしんしんと冷えてきたので、ついに、レッグ・ウォーマー着用・・となりました。もちろんズボンの下にズボン下(タイツ)ははいていますから、その上から更に着用に及んだわけです。 暖かい!何で今まではかなんだか・・・と深く反省の日々を送っているのですが、それにつけても、一部の女生徒のスカートの短さ。これはもうレッグウォーマー着用に踏み切った私から見れば驚異的です。 スカートを何回か巻いて、短くしているので、注意されるとロールカーテンみたいに下に降りてきて正常な丈となります。 しかし、しかし!この寒風吹きすさぶ中、早朝の冷たい風を切って短いスカートで登校してくる根性というか、無鉄砲というか、健康よりも見た目重視というか、凄いなぁ・・と思います。 ただ、中には寒さに弱い子もいて、そういう子は、スカートの下にジャージをはくという「埴輪スタイル」を定番としています。 冬場、スラックス・・という学校はないのかな?ま、制服なくして自由にすれば良いんですがね。 でも、自由にしたらどんな格好してくるのかな・・。
2008.01.29
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「現社」の時間で、「自己評価」について話しました。 「自己評価」には二つあります。 まず、過去の自分と今の自分とを比べる事。二学期の期末テストで40点だったのが、学年末テストで60点取れた。20点のアップ!ここだけ見ていると、「私結構がんばったやん」となります。 もう一つは、他人との比較。例えば、二学期の期末テストで自分が40点だったときに、隣の子は30点だった。あ、私より点低いやんか。よかった。 学年末テストでその子は80点、私は60点。自分が20点伸びた事の嬉しさは半減どころか帳消しになるかもしれません。なんで!あの子、前は私よりも点低かったのに・・。 ここのところは微妙なところで、よーし、今度は私もがんばろう!負けとられへん・・、となったら、「向上心」につながるかもしれません。でも、他人の成長を素直に喜べない自分に気が付く場合もあります。 クラブに入っている人は分かるだろうけれど、スタメン、レギュラーというものがあります。君たちは今一年で、二年に進級したらレギュラーかな・・と思っていたら新しく入ってきた一年生で巧い子がいて、その子がスタメンになった。自分はスタメンになれなかった。そんな時にどう思うか。悔しい思いが向上心につながる事もある。だけど、あいつさえいなければ・・という気持ちが自分の中に芽生えてくるのを知るという場合もあります。 そんな自分の気持ちを、まともに見てしまうというのはつらい事なので、例えば、「あの子はひいきされているからだ」とか、「あの子はそんなに巧くないのに」とか自分の気持ちをごまかしてしまいます。ここが人間の凄いところですね。でも、そんな事は長続きはしない。「そんなことを考えている自分」は長い間ごまかせません。「そんなことを考えている自分」は、自分の中では評価は下がるばっかり。ストレスもたまるばっかり。 人間が集団で生活し、競争社会の中で生きている限り、他人と自分とを比べなければならないというのは仕方がありません。 でも、人間にとって必要なのは、たまには自分を褒めてあげるということです。 「俺も中々やるやん」「私、最近がんばったから成績上がった」。これは必要です。 90点とって家に帰ったら、親に「なんや、百点やなかったン」と言われたら悲しくなるよね。そんな親になったらアカンいうことや。まず褒めなアカン。褒められたら、まず嬉しくなって、その次に、冷静になって、次もっとがんばろ!思うもんな。 今君たちが思っていること、感じていること、嬉しいと思っていること、悔しいと思っていること、それは憶えておいたほうが良い。自分の子どもを持ったときに、必ず役に立ちます。 さて、「自己評価」の事を話したけど、「自己評価」は、人間にとってとても大切な事です。見下せるような人がいないと自己評価が安定しない、それで良いのか?それは、「差別」につながります。 「差別」は、する人もされる人も両方傷つけます。だから怖い。次の時間は、少し具体的に「差別」について考えて見ましょう。
2008.01.28
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橋本氏が府知事に当選した。 東国原知事がエールを送っている。 ただ、両者の間には、大きな違いがあるなと思う。東国原氏は、いろんな事があって、タレント活動を休止して大学で政治や法律を学びなおして、知事選に立候補した。橋本氏は、直前までタレント活動を続け、府政と府職員を厳しく批判し続けた。 同じ日に行われた大阪国際女子マラソンで、福士選手が30キロ過ぎから失速した。一時は二位以下を大きく引き離しながら、がくんとスピードが落ち、トラックに入ってからは何度も転倒した。一ヶ月前から練習を始め、一度として40キロ以上走ることなくマラソンに挑戦した、という。 私は、この二人が重なって見える。 橋本氏は二位以下を大きく引き離して当選した。自民・公明の支持を受け、終盤では財界の支持も受けて。彼は、42,195キロを最後まで走れるか?もしも走りきれるとしたら、その時は彼の支持基盤は変わっていると思う。 そんな気がする。 42,195岐路・・。
2008.01.28
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先日、かにカマボコを製造している日本最大手の日魯水産が、かにカマボコの中に本物のズワイガニの足肉を混ぜている事が発覚し、業界関係者並びに消費者に大きなショックを与えている。 「日魯のかにカマボコだけは百パーセントカマボコだけだと思っていたのに、カニの肉を混ぜていたなんて、今後一体何を信じれば良いのかわかりません」大阪在住の主婦。 農水省はこの異例の事態に対して、日魯の社長をよんで、カニの身を混ぜるに至った経過などを聴取する事ととしているが、また一つ、消費者の食への信頼を揺るがせる事件が起こってしまった。 「押売新聞」08:1/26
2008.01.26
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NHKのニュースを見ていたら、金銅さんという、ワインの買い付けを行っている会社のエライさんが、フランス語の落語に挑戦していると言う話題をレポートしていました。 金銅さんは、桂三枝師匠とあって落語の魅力に取り付かれ、ワインの買い付けなどで行く事もあるフランスはブルゴーニュの地で落語を披露してこようと思い立ち、フランス語の家庭教師にもつき、桂雀松師匠にも落語の指導をしてもらって九ヶ月頑張ったそうです。 二月にブルゴーニュで落語会だそうです。 なんでも、ワニの飼育員がワニを殺すように命令され、それを拒否、なんとか飼い主を・・とさがしてやっと見つかって、やれ嬉しやと思ったらハンドバッグの業者だった・・というのがオチ(ここいらへン記憶が定かではありません。間違いがあるかも)。 面白かったのは、金銅さんは、飼育員が、命令されるときに首をうなだれで嫌だという意志を表現しようとしたのですが、フランス語の家庭教師の人から、飼育員の人はもっとプライドを持っているから、堂々と断った方が共感されるでしょう、とアドバイスしていた点。これにはなるほどでした。 NHK、このブルゴーニュでのフランス語落語会の顛末を特番で放映してくれないかな・・。・・・メール入れてみよう。 落語、世界に広がって欲しい日本文化です。
2008.01.25
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職場で、何かの拍子に、『のだめカンタービレ』の話が出ました。 そういえば、年末に総集編(だったかな)を放映していて、新年に特集(だったかな)を放映していた・・とかいった展開となり、漫画が原作なんだって、と進み、全部読んだ人いるか?と誰かが質問したら、その場にいた一番若い人が、「友達に借りて読みました」、との事。 全部で19巻あるそうだ。 これまでまったく読んだ事もなく、ドラマも観た事がなかったのですが、急に読んでみたくなりました。こないだ行ったCDショップでも、そういえば<のだめ・コーナー>みたいなのがあったし・・・。 で、古本屋に行って、「『のだめカンタービレ』の揃いのセットありますか?」と質問。「ありませんね」と即答が帰ってきました。「バラではどうでしょうか?」と質問。店員さん、トコトコ歩いて行って、「ここです。あ、一巻しかありませんね」。「じゃあいいです」。 次の店で同じ質問。また同じ答えが返ってきました。ついでに、その店には一冊もありませんでした。 なんなんだ?なんなんだ? ネットで検索してみると、「在庫なし」のオンパレード。 娘に訊ねると、漫画のレンタルショップでも、常に借りられてる・・との事。 で、昨日の店で、一巻だけ買って見ました。263円(このハンパな数字はなんなんだ)。 読みました。 次が読みたくなりました。定価は390円なんですよね。うーん・・・。月に三冊づつ買ったとして、1170円。で、約7か月。六冊づつ買うと、2340円。で、約3ヶ月。全部まとめて買うと、390円×18=7020円・・・。 悩みは深いのであります。
2008.01.25
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「差別」とはなんなのか、なぜいけないのか? 1差別とは人間誰もが心のどこかにあるものだと思います。自分と合わないとか、変だから、決まりだからなどと思い込んでしまっているものもあると思います。差別は戦争を起こし、たくさんの命が傷つけられてしまう、必要のないものだと思います。人として一緒に生きるためにはいけないことだと思います。2差別とは、どちらかが不利になり、どちらかが得をすることだと思う。3区別されて辛いと思うことが差別。4勝手に思い込んで他の人に嫌な思いをさせること。5不当な理由で分けるのが差別。6明らかにおかしな理由で分けること。格差や偏見が生まれるからいけないと思う。7自分ではどうにもならないことによって他人に壁を作られること。差別された人の心が傷つくから絶対にしてはならない。8女性が男性と同じ仕事をして同じ時間働けるのに、時間や給料を制限したり、男性が家事をすることに偏見を持ったりすること。自分らしく生きれないから。9差別とは、生きていく中で、いつのまにかなってしまう意識のこと。10差別はイジメにちかい。「・・・だから」とかで否定されるから。そんなのおかしい。11差別とは、他の人とちょっと違うということを理由として社会から仲間はずれにしてしまうこと。12人と人との間に差をつけることが差別。人は皆平等だ。13他の人を馬鹿にしたり、さげすんだりという要素が入っているのが差別。14差別とは、ハナから無理と決め付けて仕事などを与えないこと。15自分達よりも下のものだと思い込んでけなすこと。差別を受けた人が自殺をしたり、殺人を犯したりするからいけない。16自分とは違うものをのけものにすること。ものごとを一つの方向でしか考えられなくなるし、相手をとても不快にしてしまうから間違っている。17平等な人間の間に上下の関係を持ち込んでしまうから間違っている。18傷つく人がいたり、将来の夢が減ってしまったり、辛い思いをする人がいるから差別は間違っている。19社会では協力することが何より大切なのに、差別は人と人とが協力できる環境をつぶし、人を傷つけてしまう。20人間は皆平等、同じ人間。同じ地球にいて、同じものを食べて、同じように生活しているのに何で差別をするのか分からん。21差別は、何も知らないくせに、その人の外見や出身地、性別でかってに、「~はできない」とか決め付けるもの。 ☆「差別」を考えていく上で、大切になる事は、差別は、差別をする人も差別をされる人も両方共に傷つけてしまうという事、そして、差別をしてしまう人は、差別を必要としている人である、ということではないかと思っています。 「差別をする人はなぜ差別を必要としているのか?」という質問に対して、「淋しい人」「自分より下の人を必要としている人」などといった答えが出てきました。 世の中にある色んな差別、それを少し具体的に見て行き、次は「九条」に入る予定にしています。
2008.01.24
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最近、毎日のようにきちんとしている事があります。 「ちりとてちん」を予約して、帰ってきてから観る事です。 今日は、夫婦落語会の出し物が決まりました。「立ち切れ線香」。 しっかりモノの弟君が、オチがわからん、と言っていましたが、落語によっては、最初にオチの説明をしてからおもむろに噺に入っていく・・というものもすでにあります。 円生師匠の「居残り左平次」のオチ、「畜生、どこまで人をおこわにかけやがって」「へい、だんなの頭がごま塩でございます」、の「おこわ」、これは、人を騙すとかそういった意味のようですが、師匠はオチの説明をしてから噺に入っておられました。 「長屋」「へっつい」は言うに及ばず、すでに「死語」ですし、貨幣の単位なども、一両、十両なら良いのですが、明治、大正の頃の「十円」とか「五十銭」とかとなると、感覚がつかめなくなっています。 古典落語、噺が取り上げている世界との距離がどんどん遠くなっています。そこをどう埋めるか・・・。 夫婦落語と五木ひろしは、おとうちゃんとおかあちゃんの溝をどう埋めるか。ま、埋まる事は分かっているのですが、そのプロセスを楽しみたいものでございます。
2008.01.23
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日本語と生活習慣などを学ぶために二週間日本に滞在していたオーストラリアの生徒たちのお別れパーティーに出てきました。 出し物の中に、「英語落語」がありました。知り合いの演劇部の顧問の人で、「えっ!こんな芸もあったん!」と驚愕。 立食パーティーの会場でやるわけですから物凄くやりにくかったと思うのですが、まずは、「落語」というもののお約束について説明し、次に小咄に移って行きます。 助っ人で来ていた人も演劇部の顧問(学校は違いますが)。出囃子をCDで流してくれました。 「英語落語」といえば、反射的に故・桂枝雀師匠を思い出すのですが、考えてみれば難しい事だらけです。英語のほうに気を取られると、仕草がおろそかになるし、その反対もあるし。 当然、日本人とアメリカ人との笑いのツボの違いもあるかもしれない(大きなくくり方ですが)。日本人にもアメリカ人にも同じように笑ってもらえるような噺とはなんなのか? また、助っ人で来てくれていた人は女性なのですが、「女の落語ってどんなんかわからん」とこぼしていました。落語の世界は基本、骨格が「男」で組み立てられている世界です。だから、女性がそれに挑戦しようと思ったら、違う世界を構築するくらいの気構えと努力が必要になります。 「ちりとてちん」。そこいらへンにどのように迫ってくれるのか。 また、身近なところで、同好の士を見つけて嬉しい限りであります。次回の顧問会のときにじっくり語り合いたいものであります。
2008.01.22
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「今の社会は男女平等になっているか?」という質問をして見ました。「現代社会」の「基本的人権」の導入です。 「例を挙げてみよう」といいましたら、いろんな「例」が出てきました。さて、これを資料にして考えてみるのですが・・。 <なっている>1力などの差はあるが、表に出ている部分は平等になってきている。2これまで女性が出来なかった仕事が出来るようになりつつあるから。3男の人の看護士さんも増え、女の人の駅長さんもいるから。4両親が共働きだから。5男も料理をしている。6男の人も女の人も同じくらい残業しているから。7トラックの運転手に女性ドライバーがいる。8男の人も育休を取れるし、女の人がタクシーの運転手もするし、保育師も看護士もいるから。9女の人の社会進出もすすみ、女の社長もいるから。 <なっていない>1仕事とかに関しては男の方が良いような気がする。2大人とかにはその名残がある。3家では親父が全部家事をお母さんに押し付けて、自分は寝とるだけやから。4中学のとき、「男は髪の毛は耳にかかってはいけない」という校則があった。身だしなみは大切だが、男女で分けられて嫌だった。5よく、「女の子は~しなければならない」と言われるから。6女性の給料は男性よりも低い。7助産師は、男性もいるが少なくて、辞めてしまう人もいるから。8男は仕事、女は家事と言うのがまだあると思う。9中学の時のマラソン大会で男女の走行距離が違っていた(体力面への配慮としては当然か)10力を使う仕事に女の人がついていると珍しがられたりしてまだまだ偏見がある。11女には割引があったり、女性専用車両とかある。今の日本は女の方が楽だと思う。12「男の子やから泣いたらアカン」とか「女の子やから手伝いしなあかん」とか、そういうちっちゃな差別はまだあると思う。男の子でも泣き虫、女の子でも家事が下手な子はいてあたりまえやと思う。13女の方がひいきされとる。中学のとき、ボクは音楽の筆記試験でも90点台でパートリーダーもしていたのに、筆記試験40点とかで全然歌っていなかった奴の成績が「4」で、このボクが「3」だった。許せない。14この学校の先生は女子生徒に甘すぎると思います。15男の子の色、女の子の色とあると思う。16天皇の跡継ぎは男。17結婚して良い歳が違う。18女が家事や育児ばかりして何かを犠牲にしてがんばるのはおかしい。女だから女らしくするのもおかしい。女ばっかふけこんで、男は一生夢を追いかけられる、そんなんおかしい。19女の人は土俵に上がれない。行司になりたいと思ってもなれない。20自分の家は母子家庭だけれど、母親が男の人よりも賃金が安いとよく言っている。21正社員の率は男性のほうが高いと思う。22女は男をバッシバシ叩くけれど、男が叩き返したら何言われるかわからん。 <わからない>1昔に比べたらマシになってきているけれど、バスの運転手とかは男しかしていない。仕事の種類によって男だけ、女だけのものがある、仕方ないけれど。2女性の方が何かとちやほやされている面があるかもしれないし、差別されている面もある。3男と女は違う、区別はあると思うけれど、その事と、差別はどう違うかがわからん。
2008.01.21
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○☆ケイト・ウィンスレット 「タイタニック」の主演女優。 ☆毛糸ウォシュレット 便座に毛糸が使用されている新製品。○次のモンゴル力士の四股名を予想する・・・。 朝青龍 朝赤龍 朝黄龍 やっぱりこの順でしょう。○「自民湯」 湯の温度が最近低下しつつあるが、長く浸かっていると湯冷めを恐れて出れなくなる人が多い。源泉は、アメリカのワシントンにあり、そこから引いてきているので冷めているのも当然なのだけれど、玄関の表示には、「国産」と書いてある。
2008.01.20
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よく行かせて頂いているmayaさんのところに「落語」の話題が登場していたので書き込ませていただいているうちにふと思いついた事がある。 「芸能チャンネル」。 今NHKで、「蔵出しエンタテインメント」という番組をやっていて、先週は、いとし・こいし、やすし・きよしの「しゃべくり漫才」を放映していた。 米朝師匠を特集した事もある。 「バラエティ番組」という形式のものがあり、芸人諸氏が出演しているが、あの形式は、各自の持っている「芸」を封印したところで成り立っており、瞬間的なしゃべりの面白さだけで繋いでいく。だから、伸介やさんま、上沼恵美子がメインになる。 私はもう、「そんなのどーでもいい!!!」という気分なのである。 落語の大ネタ、洒落た小咄、漫才、浪曲、声帯模写、こういうものをたっぷりと時間を取って放映してくれる、そんなチャンネルはどこかにないものか・・。 古今東西の名人、期待の若手を織り交ぜて。寄席中継もあり。 「牡丹灯篭」全編、「真景累ヶ渕」全編、「子別れ」全編・・。映像が残っていないのであれば、誰かがそれに挑戦する。 なんか夢見たいな企画なんだけど、どっかでやってくれないかな。 それとも、もうどっかでやってるのかな?
2008.01.20
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日本鯨類研究所の捕獲調査船・第2勇新丸に反捕鯨を掲げる米国の環境保護団体「シー・シェパード」の活動家2人が乗り込んだ事件で、第2勇新丸は17日午後10時40分ごろ、南極海上で、豪政府のチャーター船と合流し、豪州人(28)と英国人(35)の身柄を豪政府側に引き渡した。 水産庁によると、2人は長期の拘束を想定して、着替えや歯ブラシを持参していた。シー・シェパード側は、身柄の引き取り要請に応じなかった。日本政府は拘束が長期に及んで新たな批判を招くのを避けるため、外交ルートで豪政府に引き取りを要請していた。 2人はラム酒入りの水筒、ビデオカメラ2台、筆記用具、日本語辞書なども所持。船内では「天ぷらを食べたい」「洗濯をしたい」などと言い、くつろいだ様子だったという。 ☆こういう能天気な馬鹿を観るたびに、『ブラス』のラストシーンを思い出す。ご存知の方も多いだろう。炭鉱で働く人たちが様々の困難(サッチャー政権の「新自由主義政策」)を乗り越えて、ロイヤル・アルバートホールでの演奏会に臨み、優勝を果たす。そして最後に、ダニエル・ポスルスウェイトが聴衆に向かって語る。 鯨の保護のために資金を提供しようという人は多い、しかし、炭鉱夫を救うために、こんな素晴らしい音楽を生み出しているかれらを救うために力を尽くそうという人は少ないのです。 下の娘が「志村動物園」を見ていた。ジュゴンが出てきた。野生のジュゴンを追う旅は、南太平洋の島へと飛んでいった。なぜ沖縄を取り上げない?沖縄近海でのジュゴンの近況をなぜ取り上げない?「米軍」という「政治」とモロにぶつかるからか? 「シー・シェパード」。この海の番犬は、一体誰の番犬なんだ? 「反捕鯨」はいまや統計的数字を離れて、鯨に跪く信仰の域に達している。 環境問題を取り上げる運動、動物保護の運動は、一歩間違えると、もっと大規模な環境破壊、もっと大規模な動物絶滅、何よりも人間をころす「戦争」というものから目をそらせる働きを持つ。
2008.01.19
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妻が、ある方から、ある女性クラシック歌手の方が歌っていらっしゃる童謡・日本の歌のCDをいただいてきました。 二人で聴いたのですが、私には合いませんでした。 発声法が全く違うのに、なぜ、クラシック系の人は時々、他の分野の歌を歌おうとするのか。 以前、日本人男性テノールの人が、クイーンの歌を歌っているのを聴いた事がありますが、途中でチャンネルを変えました。 朗々と歌えば良いというものではありません。 「餅は餅屋」という言葉を思い出しました。 かなり幅ひろく歌っていて違和感がないのは、クラシック系では、私の場合は佐藤しのぶさんくらいです。 そんなことを妻と話していて、ふと、美空ひばりさんのことが話題となりました。歌謡曲だけではなく、ジャズもシャンソンもポップスも彼女は歌っています。「ひばりが歌っている!」という歌い方で。そして、「うまいなぁ」と思わせてくれます。 ありそうもない話ですが、彼女がオペラのアリア、例えば「ある晴れた日に」とか、「私のお父様」とかをもしも歌ったとしたら・・・・ひょっとして、どこかにそんな音源が残っていないかなぁ・・。 蛇足ですが、サラ・ブライトマンが、『アリア』の中で、「誰も眠ってはならぬ」を歌っていますが、さすがに彼女をもってしても無理がありました。
2008.01.19
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一クラスだけ持っている三年生との授業もあと二時間。学年末テストの対策はほぼ終わったので、紙を配って二つの質問。一、授業の感想。二、この二時間でききたい事、しゃべって欲しい事。 後ろから集めてもらい、並べて、上から順番にめくって行きます。 ○「世界観」について。○若いときのことについて。○好きなこと。○戦争について。 ○ヴァイキングについて、なんてのもありました。 片っ端から、ホントに思いつくままにしゃべります。 中に、○良い授業とは?というぐさっと来るような質問もありました。 こんな事は、私も初めてやってみた事なのですが、帰る途中の生徒から、「良かった」と言ってもらい、ほっとしました。 さて、次は水曜日。その日がホントに最後の授業になります。今日、答えられなかった質問に答えながら終わり!としたいと思っています。後の質問はどんな質問なのか、眼を通さずにおくつもりです。 それにしても、あと一時間。ほっとするような、淋しいような、あんな事も、こんな事も教えて置けばよかった、憶えておいて欲しかった、考えて欲しかった・・と、今頃思ってももう遅いのですが。
2008.01.18
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震災から十三年経ちました。 今の高三の連中でも四歳くらいだったわけですから、月日の経つのは早いものです。 たまたま組合の会合であった障害児学校の役員の男から、「うちの学校が避難所になっとるんやけど、全国の障害児学校からボランティアが交代で入ってくれる事になった。ついては、ずっと継続して入ってくれて、その人たちに仕事の引継ぎしてくれる人を探しとるんやけど、やってくれへんか?」と頼まれて、「ええで」と安請け合いしたのが始まり。 神戸までJRが復旧して通えるようになってから、その避難所に入りました。体育館は満員、まだ廊下の片隅にダンボールを敷いて布団や毛布の上で寒そうにしている人たちがいっぱいいらっしゃいました。 その人たちと話をしました。廊下のピータイルの上に座っていると、冷えが這い上がってきます。よほど寒そうにしていたからか、辛気臭い顔つきだったからか、「兄ちゃん(13年前ですから)、ここ座り」と、ダンボールの隅に座らせてもらい、話を聞かせていただきました。 別れ際に、「また来てくれる?」と訊ねられ、「また来ます」と別れ、次の週末も通うようになりました。結局、自分の家の事はほったらかしで、日曜祭日すべて潰して通いました。障害児学校の先生方を中心として、色んなところからボランティアの方たちが来て下さり、色んな仕事を担当してくださいました。 ある県の先生たちとは、その県で地震が発生してもしも埋まってしまったら、是非とも掘り出しに来てくださいね、と言われて掘りに行く約束をしましたが、まだその県では大規模な地震は起こっていません。 被災者の方に、半壊状態の家に連れて行ってもらって、色んな話を聞いたこともありました。おかしな格好をして地域の鼻つまみだった青年が必死になって走り回りみんなの安否を確認してくれた事を体験したその人は、「見かけで人を判断したらアカンなぁ思ったで」と語ってくださいました。 頼れる親戚がある人は、避難所を後にして出て行くことが出来ます。資産がある人は、住宅の再建を果たして出て行かれます。 体育館にひしめいていた人たちは徐々に少なくなり、結局、どこにも行く事ができない人たちが残る事になりました。 被災地・被災者の現状が新聞の紙面で紹介されることも徐々に少なくなり、オウム真理教の地下鉄サリン事件の後は、小さな記事が時々載る程度になりました。 仮設住宅も建設が進み、学校も再開せねばならないということとなって、避難所は閉鎖される事になりました。その日はみんなで焼肉パーティーをしました。もう夏の日差しが暑く感じられる、そんな日でした。 色んなものを観ました。色んな人と逢いました。 今の私のものの考え方、生き方の大切な部分を作ってくれた、そんな日々であったと思っています。
2008.01.17
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「クローズアップ現代」で、行政が持っている災害弱者のリストがなぜ地域の自治会に提供されないのか、と言う問題を取り上げていた。壁になっているのが、「個人情報保護法」。 「悪用されては困る」と言う理由で金庫の中にしまいこまれているリスト。 実はこの番組の大半は、すでに「関西クローズアップ」という番組で放映されていたので、二度観る事になったのだが、色んなことを考えさせられた。 一つはもちろん、「プライバシー保護」に留意しつつ、地域の自治会などと協力を進めつつ、一人では避難出来ない災害弱者の人たちをどうサポートしていくのか・・といういくつかの自治体ですでに始まっている取り組みの例。 ホントに、頭は使うためにある・・という事を実感させられた。 もう一つ。ある自治体では、中学生の協力を得て、連絡係りとして彼らの力を発揮してもらおうという取り組みが始まっている事を紹介していたのだが、その中に、「地域の事をよく知っている」というナレーションが入っていた。 その事は、今は単純に言えなくなっている。 「地域の事をよく知っている」中学生は、学区制に従って、自分が居住している地域の中学に通っている生徒に限られる。学区制が撤廃され、通学区が広くなり、「学校を選ぶ自由」とやらが実現すれば、地域から切り離された中学生、或いは小学生が大量に生まれることとなる。 13年前の震災で、神戸地域の高校も数多く被災し、仮の校舎が他の地域に建てられた。神戸の下町にある某進学校は、六甲山の山の手にある高校のグランドに仮設校舎を建てた。何が起こったか?生徒の通学距離は格段に短縮されたのである。つまり、下町にある某進学校へ通っていた生徒たちの大半は、山の手から通学して来ていたのだ。 電車に乗り、バスを乗り継いで通学してくる生徒たちにとって、自分の学校は、「地域」ではない。切り離されている。 今全国で、「生き残り」のために学区を広げ、競争を激化させようという動きが表面化しつつある。「地域」は置き去りにされ、生徒は自分が生まれ育った地域から切り離されつつある。それは、「学ぶ」という営みにとってプラスなのか、マイナスなのか。 違う視点で学校教育を考えて見る必要があるのではないか。
2008.01.16
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今日は、一体何人の人が先ほど終わった番組について書くのでしょうか? NHKの「プロの流儀」、坂東玉三郎特集について。 今回は、スタジオでのやりとりは最小限。番組の大半は、玉三郎の日々と其の言葉を追ったものでした。 自分にハンデがあることを自覚し、自分に残っている体力・気力・創造力、すべての要素を舞台に集中させ、常に新境地を求め続ける凄さ。踊る事がとことん好きで、その事が人格の芯となっている。 常人に真似ができない事は、その「削ぎ落とす」という一点にかかっている様に思えました。音楽を聴いたら振りを考え、ああもあろうか、こうもあろうかと工夫する事が楽しい。もしも踊れなくなったらどうしよう、そのために遠くは見ない、明日の事だけを考える・・。 舞台を終えたら真っ直ぐ帰宅して、筋肉をほぐしてもらい、眠りに付く、その繰り返し。 「天才とは努力を継続できること」と、この「プロの流儀」での誰かのセリフであったように記憶していますが、玉三郎の場合は、その言葉が見事に当て嵌まります。 それにしても、観たい。 仁左衛門との「牡丹灯篭」。そして、鬼に扮した玉三郎。 関西の公演予定を調べてみないといけません。 二月の大阪松竹座。「連獅子」「京鹿子娘二人道成寺」。共演は海老蔵と菊之助。早速申し込みました。
2008.01.15
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シーフード・ヌードルに、ミルク味という新製品が出ています。 ワタクシは、「カップヌードルと畳は新しい方が良い」「妻と文化財は古い方がオモロイ」を人生訓として採用しております関係上、試してみました。 シーフードヌードルにあったとんがったところがまろやかな味になっていて、中々よろしい。 また買ってみようかな・・。※新しい写真がありませんので、「シーフードヌードル」の写真となりました。
2008.01.14
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三宮センター街を入ってすぐのところに、「後藤書店」という古書店がある。学生時代からお世話になった店で、一昨年『遠山茂樹著作集』を買ったのが最後の大きな(タカが知れているが)買い物になった。 年賀状の中に、「閉店のお知らせ」という後藤書店からのものがあり、訪ねてみた。 店内は古くからの知り合いと思しき人たちが店主と挨拶を交わしたり、本を選んでおられた。すべて半額。 カメラマンが取材に来ており、毎日新聞の紙面に記事が載っていた。 結城哀草果の歌集を探したがすでにどなたかに買われており、棚にはなかった。ブロックの『封建社会』もない。 ふと、二冊の本に眼がとまった。 『書藝閑話』『諸藝探求』、双方共に、李家正文という人の随筆集。 李家正文という人に眼が行ったのは、黒羽清隆さんの本に引用されていた『厠考』という本の作者である事。それだけの理由。ぼちぼち楽しく読んでいるところ。 「長い間御苦労様でした」と声をかけさせていただいて店を後にした。 新聞の紙面では、「もう、古書を仕入れに行く体力がなくなって」と店主が述懐しておられたが、人文分野の古書・良書を揃えている事で有名なこの書店が店を閉じてしまうという事は残念でならない。 大学の学生も教授も本を買わなくなった・・というし。
2008.01.14
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11日付の米紙ワシントン・ポストによると、米連邦捜査局(FBI)が通信会社への料金を滞納し、たびたび通信傍受用回線の使用を止められていたことが分かった。司法省の監査報告書で明らかになった。FBIのスポークスマンは経理手続きに不備があったことを認めたが、回線が遮断された場合でも、料金を支払った後に傍受した情報を得ることができ、捜査に支障は出ていないとしている。監査の対象となった約1000件の請求書のうち、半数以上が期限内に支払われていなかった。中には6万6000ドル(約720万円)に上る請求書もあった。FBIはテロ容疑者や犯罪組織の通信を盗聴するため、これらの回線を使用している。 ☆なんというか・・。 「テロとの戦い」を言う前に、電話料金をちゃんと払えよ。そういえば、大使館の賃借料も滞納していたというし、国連の分担金も滞納しているし、「滞納大国・アメリカ」? それにしても、回線を止められたというのが笑わせる。それも、「たびたび」。 「通信傍受」というのは要するに「盗聴」という事だろうが、名作『よき人のためのソナタ』みたいに、盗聴した人、事柄についての記録はちゃんと残しているのだろうか?それを残していないとなると、アメリカは、東ドイツの事を笑えない。 日本?賭けても良いけれど、絶対に残していないと思う。組織的に破棄しているだろう。ただ、最近はぼんやりしている職員も増えているだろうから、「破棄し忘れ」で残っちゃった・・というシロモノがどこかに眠っているかもしれませんがね。
2008.01.13
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数日前に、懐かしい方から電話をいただきました。学生時代に家庭教師をしていた小学生の男の子の妹さんからの電話だったのですが、私が教えていた(というか一緒に遊んでいた)子が45歳の若さで腎臓ガンで亡くなってしまいました、という報せでした。 呆然としてしまいましたが、気を取り直して、お線香をあげさせていただきたいので、近日中にお邪魔させていただきますと電話を切りました。 13年前の震災の時に一度お見舞いに行ったことはあったのですが、お店(魚屋さんです)も幸い無事で、簡単なご挨拶だけで失礼させていただいたのでした。 九ヶ月の闘病中に、ふと、彼が、「あの時教えてもらった先生、どないしとってやろ、元気やろか」と、私のことを思い出してくれ、賀状のやり取りをしていたこともあって、妹さんが電話をかけてくださったわけです。 土曜日に行って来ました。 本当に健康で病気一つした事がなかったこと。腰が痛いけど、単なる疲れかなと思っていたこと。それでも・・と検査をしてもらったら即日入院となり、骨髄にも転移している事がわかり、九ヶ月の闘病生活のすえに亡くなった事。苦しい事も、辛いこともいっぱいあったろうに、ぐちもこぼさず、わがままも言わずにじっと耐えていてくれたこと。 お母さんと妹さんとは、お客さんの相手をしながら、語ってくださいました。 週一回の家庭教師、勉強が終わったあとで、夕食をご一緒させていただいたのですが、本当にご馳走で、あの栄養補給がいかにありがたかったか・・。みんなで夕食のちゃぶ台を囲んだ部屋に彼の遺影が飾ってありました。でも、私の脳裏には、小学生の彼の顔しか浮んできません。○線香をたむけ表に氷雨かな○哀しみの深く心にしまいおり日々の暮らしの今日も続きて○若き日にともに夕餉にあずかりし一間に遺影我を見つめて○「苦しくてもじっと耐えている兄でした」妹の言葉胸に迫れる○ひたと見れば遺影の彼方小学生の彼の顔あり眼裏にあり つとめて明るく、前向きに語っておられたことが、心に残りました。
2008.01.13
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「現代社会」、冬の課題は、「私の今年の五大ニュース」。 世界の事でも日本のことでも、身近な事でも何でもオッケー!という設定でした。 最初の授業で集めるから、と言っておいたので、手元に沢山集まってきました。流行語の事、陣内・紀香の結婚、スポーツ、色んなニュースが生徒たちの記憶に残っています。 その中に、「高校に合格した事」と書いた生徒が何人もいました。 うちの高校は地域の中でも「下から数えたほうが早い」部類の学校です。でも、何人もの生徒が、「一生懸命勉強して、この学校に入れて良かった。いい友達とも沢山逢えた」と、五大ニュースのトップに「合格した嬉しさ」を書いてくれました。 これは、無性に嬉しかったです。 「学力の関係でここしか入れなかった」と言う生徒もいるのですが、「合格できてよかった」と喜んでいる生徒もいる・・・。 週末の疲れが吹っ飛んだ気がしました(気がしただけで、やはり疲れてます。でも、来週からまたがんばるぞー!という気持ちにさせてもらえました) ありがとね。
2008.01.11
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飼ってみてはじめて分かった事があります。 それは、猫の「個性」というものです。「猫」とひとくくりにできないものがあります。 まろは、のんびり屋。ご飯を食器の中に入れてやるとある程度食べてから、ふらっとどこかへ行ってしまいます。で、帰ってきたときには・・・。 チャーは食いしん坊。自分のお皿のご飯を食べながら、ちらちらとまろの動きを観察。まろが食器から離れるとすかさず、まろの分も食べ、当然自分の分も食べます。 あもは、チャーが威嚇しても全然恐がりませんでした。どこ吹く風・・。御兄ちゃんたちの食器にご飯が残っていると見逃しません。 好奇心も旺盛で、私がお風呂に入っていると、見に来ます。手のひらでお湯をすくってやると、ペロペロなめています。 でも、三匹揃ってこんなポーズも・・。 冬ですね。
2008.01.10
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仕込んでからだいぶたった烏賊の塩辛。冷蔵庫から出して、あたたかいご飯にまぶして食べています。 いける口の方たちからは、この大馬鹿者と言われそうですが、私は酒は全然駄目なのに、酒のアテのような食品が大好きなのです。 ま、考えてみれば、酒は米を発酵させて作ったものですから、原料と製品という違いはあるものの、親戚関係と言ってもいいわけですからね。 烏賊を細く切ってそこへ肝をまぶし、塩と柚子の皮の細切りを加え、ついでに墨も入れてみました。tantanmemさんは、ちょっと癖がある・・と書いておられましたが、中々乙なもので、ご飯が進みます。 しかしそれにしても、こんな食べ方を工夫した人は誰なんでしょう? 当然、歴史にその名を留めてはいないのですが、エライなぁと思います。 その無名の方に感謝!
2008.01.09
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今日は始業式。 生徒の一人が、「今年もよろしく。ってこれもKY」。なるほど。 今年の賀状です。
2008.01.08
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夕食の準備・・・と、冷蔵庫を開けると、昨日買いこんだ冷凍モノのロールキャベツがあるので、これで行こう!と思って、ふと横を見ると、いただきもののボンレスハムがあります。 ボンレスハムを見ていると、何か「既視感」、つまり、「あれ・・・どっかで見たような・・・」(「デジャヴ」って奴です)という思いが頭をよぎります。 あ!なーんだ。風呂に入る前に下着姿になっているうちの妻ではないか・・。 昨日も思ったのですが、思いっきり締め付け型の下着を着ているために呼吸困難になったのでは・・・と疑ったのですね(更年期障害と言われましたが)。 あれは、でも、身体には悪いと思うのですがね・・。 「補正下着」とか「矯正下着」とかあるようですが(グーグルで調べました)、補正したり矯正したりする前にやらねばならないことがあるんじゃないか・・・、今の日本と同じではないか・・・などと、新春早々、身近な問題から日本の抱えている問題まで飛躍してつい考えてしまったのでございます。
2008.01.08
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新学期の準備の為の職員会議が終了して、職員室に帰った途端に、「電話ですよ」。出てみると妻で、「どうも調子が悪くなってきたので病院に行きたいんだけれど、今から出られない?」との事。 こういう場合は、私は「職場を出る」という選択をしますので、年休を取って一路、妻の勤めている会社に。 時計を見ると打ち合わせの時間より十分ほど早くつきそうなので、会社に電話を入れますと、なにやら緊迫した雰囲気で、「救急車を呼びました」との事。 え! 会社についてみると、すでに救急隊員の方たちが担架に乗せられた妻にあれこれ質問されているところ。会社の方たちへのご挨拶もそこそこに救急車に同乗して近くの病院へ。 救急隊員の方達の処置が適切であったと見えて、症状は緩和しつつあったのですが、とりあえず鎮静剤を注射して目が醒めてから検査が必要であればやりましょう、との事。 気が遠くなって手足の痺れがあったことから妻は、脳の異常を心配したのですが、救急隊の方達の判断は過呼吸。 鎮静剤を注射してもらっても中々寝付けなかったようですが、会社に連絡したり、駐車場に留めさせていただいていた車を取りに行ったり、コンビニに昼食(おにぎり、ネギトロ巻き)を買いに行ってきて帰ってきたらうとうとしていました。 二時間ほど眠ったあとで診察を受けてみると、更年期障害から来る症状ではないかという事で、婦人科の受診をすすめられました。ただ、本人は脳の心配もしていますから、そちらのほうの受診も必要かな、と帰る途中に二人で話し合いました。 気が遠くなって息が苦しくなり、人の声が遠くから聞こえるようになって、会社のベッドに横になった時に、もうこれで死ぬんだ・・・案外長生きできなかったなぁ、と思って。 でも、ここで死んだらあなたに保険金が入って若い女性と再婚して幸せになると思うと悔しくなって・・・。 なんて事を本人は語っていたようです(以上の内容は、本人が語った事に、ワタクシが若干の手を加えておりますので、真実からは「やや」隔たっているかもしれません) なんか今年は中々波乱含みのようで、次回、救急車で搬送されるのはワタクシかもしれない・・・と、心の準備をしておかねばならない、下着もちゃんと新しいものを身につけねばならない、冷蔵庫の中の烏賊の塩辛は食べておかねばならない・・・・。 お互いにもう還暦近いんですからね。 帰って来ましたら、盆栽の梅が小さな花をつけていました。冬の中の小さな春でした。
2008.01.07
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ケータイ元年であります。 別に、継体天皇の御世が始まったとか、そんなんではなく、本日、ワタクシ、齢58歳にしてケータイを持つというはめに立ち至ってしまったのでございます。 ま、理由は色々とあるのですが、何にせよ、長年拒否し続けてきたあの機械を持つ事となりました。 ただ、ワタクシの通弊と致しまして、長年拒否し続けてきたモノを身近に置きますと、逆にはまってしまうというところもあります。例えばテレビ。ワタクシは、結婚して後も長く「テレビなんかいらない!」という姿勢を貫いてきたのですが、忘れもしない、『ルーツ』という番組が放映されるというニュースを聞きつけてテレビを購入、その後は、テレビを見るだけではなく、ビデオまで買い込み(だいぶ後ですが)、数百本も録画してしまう始末。 「そんなものはいらない!」と言っていた服を妻が買って来たらそればかり着ているとか、上記のような例には事欠きません。 さて、ケータイ、どうなるんでしょうかね・・。
2008.01.06
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帰って参りました。結局二週間ほど居た事になります。 父が突然倒れ、母も心労で体調を崩してしまい、姉の助けも受けて、なんとか動けるようになったところへ帰りました。 父は90歳ですが、こんなに重篤な病気になった事は無かったため、母にとっては大変なショックであったようです。 幸い一命は取りとめ、身体の中に爆弾を抱えたような状態(大動脈瘤)ですが、徐々に回復に向かいつつあり、来週からはリハビリ(自力歩行の訓練)も始まるようです。 近くに姉夫婦が住んでいますので、本当に助かりました。おせち料理を作って届けてくれましたし、病院への見舞いも何度も行ってくれました。 22日からの三連休は家族で帰ったのですが、娘たちが共同でプレゼントしてくれた白粉は母を喜ばせてくれたようで、「使うのがもったいない」と言って、日に一度取り出しては蓋を開けて、香りをかいで蓋を閉めて・・・が日課となりました。 家族が帰ったあと、私は居残って食事を作り、母の体調が良い時には一緒に病院に父の見舞いに行って、久しぶりに父の足裏と手、頭のマッサージをしました。 料理を作れることとマッサージが出来る事が役に立ち、親孝行の真似事が出来ました。母も何とか体調を回復してくれましたし。 父は体調の良いときにはよく話し、子ども時代の思い出なども語ってくれました。 とにかく悪さをよくする子供であった事は知っていましたが、あんまり悪戯が重なるもので、お父さんに縄で縛られて川につけられた事もあった・・という話は初耳でした。 そんな話ははじめて聞いた、と母が言うと、「そんな事は珍しい事でもなんでもなかったから」と、けろっと語る父に見舞いに行ったみんなで大笑いしました。 父が入院している間は、母は一人で暮らす事になります。姉夫婦に頼る事となりますが、日々の葉書と電話を欠かさないようにしようと思っています。体調を崩さないで欲しいものです。 病気が病気ですから、万一のことを覚悟せねばならないと思うのですが、父には一日でも長く生きて欲しいと思っています。 天国にいる父の親族の皆さまたちも、父のような悪戯坊主はできるだけやってくるのを遅らせて欲しいとお望みの事でしょうし。 次は春休みに帰る予定。その頃、退院できれば良いのですが。
2008.01.05
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